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リビアの国旗
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{{国旗 |画像=[[File:Flag of Libya.svg|260px]] |用途及び属性= |縦横比=1:2 |制定日=[[2011年]] |使用色= * [[赤]]、[[黒]]、[[緑]]、[[白]] }} '''[[リビア]]の[[国旗]]'''は現在、かつて[[1951年]]から[[1969年]]まで、[[リビア王国|王政期]]時代に国旗として使用されていたものを[[2011年]]に復活させたものである。 == 国旗制定の経緯 == [[2011年]][[2月27日]]、[[2011年リビア内戦|リビアにおける内戦]]のさなか、反政府勢力による[[リビア国民評議会]]がリビア唯一の代表政府であることを宣言し、[[ベンガジ]]を中心とした暫定政権が発足。「リビア共和国」の国旗として、王政時代の国旗を復活させると発表した。 国民評議会をリビアの正統な政権として認める国が増えるにつれ、この旗も国旗としての認識が広まった。[[赤]]、[[黒]]、[[緑]]、[[白]]の配色はそれぞれ力、イスラムの戦い、緑地へのあこがれ、国民の行為を表している。 リビア内戦は一進一退の戦いが続いたが、8月下旬に首都[[トリポリ]]を暫定政権が制圧し[[ムアンマル・アル=カッザーフィー|カダフィ]]政権は事実上崩壊した。日本のリビア大使館は同年[[8月22日]]より国民評議会の国旗を掲げた。理由について大使館関係者は「(カダフィ政権が)終わりつつあると判断したので、国旗を付け替えた」や「(旗を替える)適切な時であると判断した」と述べている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110824-OYT1T00468.htm 在日リビア大使館、国旗を国民評議会の三色旗に 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)]</ref><ref>[http://www.asahi.com/international/update/0823/TKY201108220579.html asahi.com(朝日新聞社):東京・渋谷のリビア大使館、国旗替える - 国際]</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/110823/mds11082301050002-n1.htm 【リビア緊迫】駐日大使館が国旗を替える - MSN産経ニュース]</ref>。9月16日、[[国際連合]]が国民評議会の代表権を承認し、19日付けで国連本部前に国民評議会の国旗が掲げられた<ref>[http://mainichi.jp/select/world/news/20110921k0000m030010000c.html 国連:「リビア新国旗」掲げる] 毎日jp([[毎日新聞社]]) 2011年9月20日 (2011年9月28日閲覧)</ref><ref>[http://www.asahi.com/international/update/0920/TKY201109200074.html asahi.com(朝日新聞社):国連本部にリビア「新国旗」 国民評議会の承認受け - 国際]</ref>。見方にもよるが国民評議会の新国旗制定からカダフィ政権が事実上崩壊するまでの約半年間、リビアには国旗とされるものが2つ同時に存在したともいえる。 == リビア国旗の歴史 == === 1918年から1923年まで === [[ファイル:Flag of the Tripolitanian Republic.svg|thumb|right|250px||{{FIAV|historical}}[[トリポリタニア|トリポリタニア共和国]]の国旗([[1918年]]制定)]] 短命に終わったリビア西部の[[トリポリタニア|トリポリタニア共和国]]では、空色の地、中央に緑の椰子の木、その頭上に白い星という国旗を使っていた。[http://www.worldstatesmen.org/Libya.htm] {{-}} === 1951年から1969年まで === [[ファイル:Flag of Libya (1951).svg|thumb|right|250px||{{FIAV|historical}}[[リビア王国|王政期]]の国旗([[1951年]]制定)]] リビアは[[第二次世界大戦]]での[[イタリア]]敗戦により植民地支配から解放されたが、戦後は英国([[トリポリタニア]]および[[キレナイカ]])、フランス([[フェザーン]])に分割され[[国連信託統治領]]となった。1951年にこれら3地域が[[リビア王国|リビア連合王国]]を形成すると、近代リビア初の国旗が制定された。この国旗は赤・黒・緑の水平[[三色旗]]に、中央には白い三日月と星を配したものであった。中央の黒は、赤と緑の二倍の幅があった。この旗は[[19世紀]]以降この地を拠点としたイスラム教の[[サヌーシー教団]]を率いる[[サヌーシー]]家 ([[:en:Senussi|Senussi]]) の旗(黒地に三日月と星)を基にしたものである。 この旧国旗はカダフィ体制の成立後も、リビアの王制支持派や海外のリビア人による抵抗運動に使われた。2011年に成立した反カダフィ派の[[暫定政権]]・[[リビア国民評議会]]も国旗にこの旗を選んでいる。 {{-}} === 1969年から1972年まで === [[ファイル:Flag of Libya (1969–1972).svg|thumb|right|250px||{{FIAV|historical}}リビア・アラブ共和国の国旗([[1969年]]制定)]] [[1969年]][[9月1日]]の[[クーデター]]で青年将校の[[ムアンマル・アル=カッザーフィー|カダフィ]]が国王[[イドリース1世 (リビア王)|イドリース1世]]を追放し、王政は倒れ[[共和政]]となった。リビアの正式国名はリビア・アラブ共和国 (Al-Jumhuriya al-Arabiya al-Libiya) となり、国旗は赤・白・黒の[[汎アラブ色]]による水平三色旗となった。 {{-}} === 1972年から1977年まで === [[ファイル:Flag of Libya (1972–1977).svg|thumb|right|250px||{{FIAV|historical}}[[アラブ共和国連邦]]の国旗([[1972年]]制定)]] リビアは、[[1972年]]3月に[[エジプト]]・[[シリア]]とともに[[アラブ共和国連邦]] (Ittihad al-Jumhuriyat al-Arabiya) を形成し、3か国で同じ国旗に変えた。この旗は汎アラブ色の中に、連邦の[[アラビア語]]の名を書いた巻物を持つ金色の[[鷲]]([[クライシュ族]]の鷲)をあしらっていた。 {{-}} === 1977年から2011年まで === [[ファイル:Flag_of_Libya_(1977).svg|thumb|right|250px||{{FIAV|111100}}{{FIAV|historical}}大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の国旗([[1977年]]制定)]] [[1977年]]3月にアラブ共和国連邦は解体し、カダフィは1977年[[3月8日]]に国名を[[大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国]]に変更する。[[1977年]][[11月11日]]、エジプトの[[アンワル・アッ=サーダート|サーダート]]大統領の[[イスラエル]]訪問([[11月19日]]より)の発表に反発し、急遽緑一色の国旗に変更された。 [[緑]]色は[[イスラーム]]の開祖[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]の[[ターバン]]の色とされ、[[イスラーム]]世界では最高の[[色]]とされており、イスラム[[社会主義]]と人民[[革命]]の決意を表す。また[[ムアンマル・アル=カッザーフィー|カダフィ大佐]]が1975年に出版した『[[緑の書]]』({{lang|ar|الكتاب الأخضر}}、人民主権、[[イスラム教社会主義|イスラム社会主義]]など自身の政治哲学を記した書)に基づく「緑色革命」を象徴する。 <gallery> ファイル:Naval_ensign_of_Libya_(1977-2011).svg|{{FIAV|000001}}{{FIAV|historical}}軍艦旗 </gallery> ==== 緑一色の理由 ==== かつてリビアは[[エジプト]]などと[[アラブ共和国連邦]]を結成し、[[汎アラブ主義]]を唱えていた。そのため、同一の国家を強調する目的で、リビアは[[エジプトの国旗]]を共用していた。ところが、エジプトのサーダートは[[第四次中東戦争]]の後にアラブ諸国の敵[[イスラエル]]と単独で和解、友好条約を結んだ上に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]寄りの外交を開始した。このことに怒ったカダフィは即日エジプトとの合邦・同盟を解消、側近たちに翌日までに新しい国旗を完成させろと命令した。しかもそれは深夜であった為に時間がほとんど無く、戸惑った側近達は苦肉の策でイスラームで最高の色である緑一色の国旗とした(しかしカダフィはそれを非常に気に入ったという)。 なお、かつてリビアの地も領域に収めた[[ファーティマ朝]]の国旗も緑一色であった。 他に一色の国旗の前例としては、[[オスマン帝国]]国旗、[[ハンガリー評議会共和国|ハンガリー・ソビエト共和国]]国旗(赤一色)、[[フランス王国]]国旗(白一色、1814年~1815年・1815年~1830年に使用されたもの)、[[バーラクザイ朝|アフガニスタン首長国]]国旗(黒一色)などがあった。またリビア国旗の制定後には、[[アフガニスタン]]の[[ターリバーン]]政権の国旗が白一色に定められたが、いずれの国旗も廃止や変更がなされている。地方の旗としては[[ボリビア]]の県の旗に一色のものが3棹([[ベニ県]](緑一色)、[[コチャバンバ県]](水色一色)、[[オルロ県]](赤一色))ある。 == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|Flags of Libya}} * [[国旗の一覧]] {{アフリカの題材|国旗}} {{DEFAULTSORT:りひあのこつき}} [[Category:国旗]] [[Category:リビアの文化|こつき]] [[Category:イスラム旗]]
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