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リウィア・ユリア
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'''リウィア・ユリア'''('''Claudia Livia Julia Caesaris''', 5- [[43年]])は、[[ローマ帝国]]第2代[[ローマ皇帝|皇帝]][[ティベリウス]]の孫娘。 [[4年]]から[[8年]]の間に[[小ドルスス]]と[[リウィッラ]]の長女として生まれた。父小ドルススはティベリウスと[[ウィプサニア]]の息子で、母リウィッラは[[大ドルスス]]と[[小アントニア]]の娘。弟に[[ティベリウス・ゲメッルス]]、ゲルマニクス・ゲメッルスの双子がいる。 [[19年]]にティベリウスの養子[[ゲルマニクス]]が急死する。ゲルマニクスは民衆に人気が高く、ユリアの父小ドルススと共にティベリウスの後継者候補であった。翌[[20年]]にユリアはゲルマニクスの長男でティベリウスの若い後継者候補とみなされていた[[ネロ・カエサル]]と結婚する。この結婚はティベリウスの後継者小ドルススとゲルマニクスの遺児を結びつけるものとして多くの人から歓迎された。 [[23年]]に父ドルススが死亡する。これ以前より[[プラエトリアニ|親衛隊]]長官[[ルキウス・アエリウス・セイヤヌス]]はティベリウスの右腕として権力に近い位置にいたが、実の息子で後継者であったドルススをティベリウスが失って以降はますます重用されるようになっていった。 実際には権勢拡大を図るセイヤヌスによってドルススは暗殺されたのだが、このことはセイヤヌスの死まで知られることはなかった。またこの暗殺に先立ってセイヤヌスはユリアの母リウィッラと情交を通じ、自らの陰謀に引き入れていた。 こののち、セイヤヌスは次の標的をユリアの夫ネロと姑[[大アグリッピナ]]とし攻撃を仕向けるようになっていった。このとき、ユリアから母リウィッラを通してネロの言行がセイヤヌスに伝えられていた。 [[27年]]にティベリウスが[[カプリ島]]へ隠棲するとセイヤヌスの権勢はますます巨大になり、[[29年]]に夫ネロは公敵を宣言されポンティア島へ追放された。その後[[31年]]にネロはポンティア島で没した。 寡婦となったユリアは[[33年]]に[[ガイウス・ルベッリウス・ブランドゥス]]と結婚する。ブランドゥスは祖父が[[ティブル]]出身のローマ騎士と、家系においては大きく先夫ネロに劣っていた。このブランドゥスとの間に息子[[ガイウス・ルベッリウス・プラウトゥス]]と娘ルベッリアをもうけている。 [[37年]]にティベリウスが死に、ネロ・カエサルの弟[[カリグラ]]がその後を継いだ。[[38年]]に夫ブランドゥスが死ぬ。カリグラは[[41年]]に暗殺され、そのあとの皇帝にはユリアにとって叔父にあたるリウィッラの弟[[クラウディウス]]が就任した。同年にクラウディウスの妻[[メッサリナ]]は男子[[ブリタンニクス]]を出産する。これ以降、クラウディウスはメッサリナの言いなりとなっていった。 メッサリナは有力者を次々と排除、殺害していったが、ユリアもその標的となり、[[43年]]メッサリナによって殺害された。 ==関連項目== *[[ユリウス・クラウディウス朝]] *[[小ドルスス]]:父 *[[リウィッラ]]:母 *[[ティベリウス・ゲメッルス]]:弟 {{DEFAULTSORT:りういあ ゆりあ}} [[category:ユリウス・クラウディウス家]] [[Category:0年代生]] [[Category:43年没]]
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