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マンモハン・シン
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{{政治家 |人名 = マンモハン・シン |各国語表記 = Manmohan Singh<br>मनमोहन सिंह<br>ਮਨਮੋਹਨ ਸਿੰਘ |画像 = Prime Minister Manmohan Singh in WEF ,2009.jpg |画像説明 = マンモハン・シン(2007年4月5日撮影) |国略称 = {{IND}} |生年月日 = {{生年月日と年齢|1932|9|26}} |出生地 = [[画像:British Raj Red Ensign.svg|20px]][[インド帝国]]<br>[[パンジャーブ]] |没年月日 = |死没地 = |出身校 = [[パンジャーブ大学]]<br>[[ケンブリッジ大学]]<br>[[オックスフォード大学]] |前職 = [[経済学者]] |所属政党 = [[インド国民会議]] |称号・勲章 = [[修士(経済学)|経済学修士]](パンジャーブ大学)<br>[[経済学博士]](オックスフォード大学) |世襲の有無 = |親族(政治家) = |配偶者 = グルシャラン・カウル |サイン = |ウェブサイト = |サイトタイトル = |国旗 = India |職名 = 第17代[[インドの歴代首相|首相]] |内閣 = マンモハン・シン内閣 |就任日 = [[2004年]][[5月22日]] |退任日 = [[2014年]][[5月26日]] |退任理由 = |元首職 = [[インドの大統領|大統領]] |元首 = [[アブドゥル・カラーム]]<br>[[プラティバ・パティル]]<br>[[プラナブ・ムカルジー]] |国旗2 = India |職名2 = 大蔵大臣 |内閣2 = [[ナラシンハ・ラーオ]]内閣 |就任日2 = [[1991年]][[6月21日]] |退任日2 = [[1996年]][[5月16日]] |退任理由2 = |元首職2 = |元首2 = |内閣3 = マンモハン・シン内閣 |就任日3 = [[2008年]][[11月30日]] |退任日3 = [[2009年]][[1月24日]] |退任理由3 = |元首職3 = |元首3 = |国旗4 = India |職名4 = 外務大臣 |内閣4 = マンモハン・シン内閣 |就任日4 = [[2005年]][[11月6日]] |退任日4 = [[2006年]][[10月24日]] |退任理由4 = |元首職4 = |元首4 = }} '''マンモハン・シン'''([[英語]]:Manmohan Singh、[[ヒンディー語]]:मनमोहन सिंह、[[パンジャーブ語]]:ਮਨਮੋਹਨ ਸਿੰਘ、[[1932年]][[9月26日]] - )は[[インド]]の[[政治家]]、[[経済学者]]。第17代[[インドの歴代首相|首相]]。 == 出自 == 1932年、[[パンジャーブ州 (パキスタン)|パンジャーブ]]地方の西部(現[[パキスタン]]領)に位置するガー村で<ref name="beginnings">"[http://www.manmohansingh.org/php/showNews.php?newsid=24&linkid=2 Dr Manmohan Singh: A story from humble beginnings]". Dr. Manmohan Singh Indian Prime Minister, May 21, 2004.</ref>[[シク教]]徒の子として生まれる。[[インド・パキスタン分離独立|インドとパキスタンが分離独立]]をすると、家族と共にインドの[[アムリトサル]]に移住した<ref name="beginnings"/>。 シンは貧しい環境で育ったため、貧困克服の手段を学ぶことで故郷への貢献を果たそうと経済学者を志す<ref>「[http://www.nikkei.co.jp/topic/asia/people.html 第2回日経アジア賞受賞者]」 [[日本経済新聞|NIKKEI NET]]、1997年。</ref>。そして[[チャンディーガル]]の[[パンジャーブ大学]]で[[経済学]]を学び、[[1952年]]に[[学士]]、[[1954年]]に[[修士]]の[[学位]]をそれぞれ取得する。[[1955年]]には[[イギリス]]の[[ケンブリッジ大学]]セント・ジョーンズ・カレッジに留学<ref name="afp">「[http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2124691/970105 ケンブリッジ大、インドのシン首相に名誉博士号 - 英国]」 [[フランス通信社]]、2006年[[10月11日]]。</ref>。ここで彼は優秀な成績を収めた学生に送られる「[[アダム・スミス]]賞」と「ライト賞」を授与されている<ref>「[http://www.voiceofindia.co.jp/content/view/91/70/ マンモハン・シン: 史上初のシーク教徒首相]」 ヴォイス・オブ・インディア、2006年[[10月10日]]。</ref>。また、通常は受験するのに3年間の課程が必要な最終試験も入学2年未満で受験して同大学の学位を取得した<ref name="afp"/>。さらに[[オックスフォード大学]]ナフィールド・カレッジでも学び、[[1962年]]に[[博士]]課程を修了して[[Ph.D.]]を取得する。 == 経済学者から政治家へ == インドに帰国してからは経済学者として活動し、パンジャーブ大学と[[デリー大学]]で経済学の教鞭を取る。同時に[[国際連合貿易開発会議]](UNCTAD)に勤務していた期間もある。その後[[中央政府]]の[[官僚]]となり、インド外国貿易省とインド大蔵省でそれぞれ経済顧問として働き、さらに[[1976年]]から[[1980年]]までの期間にインド大蔵省の事務次官を務めた。それからも[[1982年]]から[[1985年]]まで[[インド準備銀行]]([[中央銀行]])総裁、1985年から[[1987年]]まで経済計画委員会副委員長、[[1990年]]から[[1991年]]まで首相経済諮問委員会委員長を務めるなど、要職を歴任した。 1991年6月、[[インド国民会議|国民会議派]]の[[ナラシンハ・ラーオ]]政権で大蔵大臣に就任した。当時インドは経済危機に直面していたが、シンは首相のラーオとともに経済危機克服に乗り出し、今までインド政府が行ってきた[[社会主義]]的な[[計画経済]]の代わりに[[市場経済|市場主義経済]]を導入した。そして多岐にわたる経済改革を推進し、産業ライセンス制度の撤廃や対内[[直接投資]]の[[規制緩和]]、国営企業の[[民営化]]などを行った。結果としてインド経済は危機を克服し、[[実質経済成長率]]も1991年には2.1%だったものが[[1996年]]には7.6%にまで伸びた<ref>"[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2009/01/weodata/weorept.aspx?sy=1991&ey=1996&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&pr1.x=58&pr1.y=5&c=534&s=NGDP_RPCH&grp=0&a= India: Gross domestic product, constant prices―Annual percent change]". [[国際通貨基金|International Monetary Fund]], 2009.</ref>。この功績などにより、[[1997年]]に第2回[[日経アジア賞]]を受賞している。 また、1991年から[[ラージヤ・サバー|上院]]議員も務め、[[1995年]]、[[2001年]]、[[2007年]]にそれぞれ再選している<ref name="rajyasabha">"[http://india.gov.in/govt/rajyasabhampbiodata.php?mpcode=2 Detailed Profile: Dr. Manmohan Singh]". National Portal of India.</ref>。[[インド人民党]]が政権の座にあり、国民会議派が[[野党]]だった期間には、[[1998年]]から[[2004年]]まで上院の野党院内総務を務めている<ref name="rajyasabha"/>。 == 首相 == 2004年のインド総選挙で国民会議派がインド人民党を破って第一党となると、国民会議総裁である[[ソニア・ガンディー]]がそのまま首相に就任するかと思われたが、[[イタリア]]生まれのソニアは自身が首相となるのを固辞し、代わりにシンを首相に指名した。この裁定により、シンはインド独立以来[[ヒンドゥー教徒]]以外では初めてとなる首相に就任する。清廉で質素な生活を送り人格者として知られるシンは好意的に受け止められ、高支持率でスタートを切った。 [[2008年]]、閣外協力をしていた[[インド共産党]]中心の[[左翼戦線]]が[[アメリカ合衆国]]との[[米印原子力協力]](後述)に反発して政権を離脱した上に、[[ローク・サバー|連邦議会下院]]でシンの信任投票が行われる事態になる。しかし[[7月22日]]に行われた投票で過半数の信任を得たため、引き続き首相を務めた。 [[2009年]]のインド総選挙において国民会議派中心の[[政党連合]]である[[統一進歩同盟]]が勝利したため、シンは同選挙後も首相を続投することになり、第二次政権をスタートさせた。下院の任期満了後に選挙を経て続投する首相は初代の[[ジャワハルラール・ネルー]]以来2人目となる。 [[2014年]]1月、シンは首相続投を否定し、今期限りでの退任を表明。同年5月のインド総選挙直後に退任した。総選挙では野党のインド人民党が大勝し、国民会議派は下野。これに伴い、シンの後任の首相にはインド人民党の[[ナレンドラ・モディ]]が就任した。 === 内政 === シン政権ではインドの経済成長が継続しており、[[2005年]]、[[2006年]]、2007年の実質経済成長率はいずれも9%台の高い水準に達している<ref>「[http://www.jetro.go.jp/world/asia/in/stat_01/ 基礎的経済指標(インド)]」 [[日本貿易振興機構|JETRO]]、2009年[[1月16日]]最終更新。</ref>。基本的にはラーオ政権のときに自らが大蔵大臣として進めた経済改革路線を継続し、経済の自由化を推進している(ただし第一次政権においては、連立政権のパートナーだった左派勢力からの反対により改革はあまり進展しなかった<ref>「[http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/600/20888.html アジアを読む 『総選挙後のインド シン政権2期目の課題』]」 解説委員室ブログ、[[日本放送協会]]、2009年[[6月2日]]。</ref>)。その一方で貧困対策にも力を注ぎ、地方の日雇い労働者に対する賃金補償や、農民に対する債務免除などの政策を実行した<ref>「[http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090516/asi0905162355018-n3.htm インド総選挙 与党連合が圧勝 シン首相続投へ]」 [[産経新聞]]、2009年[[5月16日]]。</ref>。 === 外交 === [[File:Bush & Singh in New Delhi.jpg|thumb|200px|[[2006年]]、[[アメリカ合衆国大統領]](当時)の[[ジョージ・W・ブッシュ]]と]] [[File:BRIC leaders in 2008.jpg|thumb|200px|[[2008年]]、[[ロシア連邦大統領]]の[[ドミトリー・メドヴェージェフ]]、[[中華人民共和国主席]]の[[胡錦濤]]、[[ブラジル連邦共和国大統領]]の[[ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ]]と]] 国境などを巡って対立が続く[[中華人民共和国]]やパキスタンとは、前首相である[[アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー]]の対話路線を継続している。中国とはヴァージペーイーが示した戦略的パートナー関係の構築を目指し、首脳同士の交流も盛んに行っている。2005年には[[国務院総理]]の[[温家宝]]、2007年には[[中華人民共和国主席|国家主席]]の[[胡錦濤]]がそれぞれインドを訪問し、2008年には逆にシンが中国を訪問している。また、パキスタンとは2004年2月から開始された「複合的対話」を継続し関係正常化を目指している。しかし2008年に[[ムンバイ同時多発テロ]]が発生した後、シンはパキスタンがテロに関与していると不信感を示し、パキスタンによるテロ対策が関係改善の条件だと発言<ref>「[http://www.voiceofindia.co.jp/news/politics/2253 パキスタンのテロ対策が印パ関係正常化の条件:シン首相]」 ヴォイス・オブ・インディア、2008年[[12月15日]]。</ref>するなど、関係正常化には至っていない。 アメリカ合衆国とは関係強化を図っており、2007年7月に米印原子力協力を妥結している。2005年7月に訪米した際に[[アメリカ合衆国大統領]](当時)の[[ジョージ・W・ブッシュ]]との[[コミュニケ|共同声明]]でこの取り決めを発表し、翌2006年にブッシュが訪印した時に合意した。この取り決めは2008年8月に[[国際原子力機関]](IAEA)理事会によって承認されたが、前述のように、承認に至るまでシンは連立与党内の反発を受けることになった。 [[日本]]とも関係強化を目指しており、2006年12月中旬の来日の際に[[衆議院]]で演説を行い、今回の訪日がパートナーシップ構想を具体化するためであると言明した<ref name="shugiin"> 「[http://web.archive.org/web/20070806015105/http://www.embassyofindiajapan.org/prime_minister-j.html 国会演説]」 インド大使館、2006年[[12月14日]]。([[インターネット・アーカイブ|Wayback Machine]]によるcache)</ref>。また、この演説では「戦後、[[ラダ・ビノード・パール|パール判事]]の下した信念に基づく判断は、今日に至っても日本で記憶されています」とも語り<ref name="shugiin"/>、8世紀に来日したインドの[[僧侶]]ボディセナ([[菩提僊那]])の時代から現代に至るまでのインドと日本両国の関係に触れている。さらに2008年10月の来日では、[[内閣総理大臣]](当時)の[[麻生太郎]]との共同声明においてパートナーシップ構想の再確認を行い、[[日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言|安全保障協力についての共同宣言]]を発表した。[[2009年]]12月に内閣総理大臣(当時)の[[鳩山由紀夫]]が訪印した際には、安全保障協力を促進するための行動計画を策定した<ref>「[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091229-OYT1T00651.htm 安保協議を毎年開催、日印首脳が行動計画]」 読売新聞、2009年[[12月29日]]。2009年12月29日閲覧。</ref>。 == 家族 == グルシャラン・カウル夫人とは[[1958年]]に結婚し、3人の娘をもうけている。長女のウピンダルは[[歴史学者]]であり、デリー大学で教鞭を取っている<ref>「[http://jp.ibtimes.com/article/biznews/080808/22053.html インドのシン首相、娘の本の発売記念会に出席]」 IBTimes、2008年[[8月8日]]。</ref>。次女のダマンは[[作家]]であり、''The Last Frontier: People and Forests in Mizoram'' や''Nine by Nine'' といった作品を残している<ref>"[http://specials.rediff.com/news/2009/jan/28slid1-dr-manmohan-singhs-daughter-daman-singh-turns-author.htm Meet Dr Singh's daughter]". Rediff News, January 28, 2009.</ref>。三女のアムリットは[[アメリカ自由人権協会]]の[[弁護士]]を務めている<ref>"[http://timesofindia.indiatimes.com/articleshow/msid-2639327,prtpage-1.cms PM's daughter puts White House in the dock]". The Times of India, December 21,2007.</ref>。 == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == {{commons|Manmohan Singh}} {{先代次代|{{Flagicon|IND}} [[インドの歴代首相|首相]]|[[2004年]] - [[2014年]]|[[アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー|アタル・ビハーリー・<br>ヴァージペーイー]]|[[ナレンドラ・モディ]]}} {{先代次代|{{Flagicon|IND}} 大蔵大臣|[[1991年]] - [[1996年]]<br>[[2008年]] - [[2009年]]|[[ヤシュワント・シン]]<br>[[P・チダンバラム]]|[[ジャスワント・シン]]<br>[[プラナブ・ムカルジー]]}} {{先代次代|{{Flagicon|IND}} 外務大臣|[[2005年]] - [[2006年]]|[[クンワル・ナトワル・シン]]|プラナブ・ムカルジー}} {{デフォルトソート:しん まんもはん}} [[Category:インドの首相]] [[Category:インドの経済学者]] [[Category:オックスフォード大学出身の人物]] [[Category:1932年生]] [[Category:存命人物]]
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