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マレーネ・ディートリッヒ
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{{ActorActress| | 芸名 = マレーネ・ディートリッヒ<br />Marlene Dietrich | 画像ファイル = Marlene Dietrich in No Highway (1951) (Cropped).png | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = Marie Magdalene Dietrich | 出生地 = {{DEU1871}}、[[ベルリン]] | 死没地 = {{FRA}}、[[パリ]] | 国籍 = {{GER}}<br />{{USA}} | 生年 = 1901 | 生月 = 12 | 生日 = 27 | 没年 = 1992 | 没月 = 5 | 没日 = 6 | 職業 = [[俳優|女優]]、[[歌手]] | 活動期間 = 1919 - 1984 | 配偶者 =ルドルフ・ジーバー(1924-1976、死別) | 家族 = マリア(娘) | 公式サイト = | 主な作品 = | トニー賞 = 1968 特別賞 | 備考 = }} '''マレーネ・ディートリッヒ'''('''Marlene Dietrich'''、[[1901年]][[12月27日]] - [[1992年]][[5月6日]])は[[ドイツ]]出身の[[俳優|女優]]・[[歌手]]。 [[1920年代]]の[[ヴァイマル共和国]]のドイツ映画全盛期に花開き、[[1930年代]]からは[[ハリウッド]]映画に出演、[[1950年代]]以降は歌手としての活動が多かった。 == 経歴 == === 生い立ち === [[1901年]]に、[[プロイセン王国]]近衛警察士官の次女として[[ベルリン]]で生まれる。幼くして父が病死、継父も、第一次世界大戦で戦死。生活費を稼ぐため酒場などで歌っていた。また、フランス語を独学で取得。18歳で国立ヴァイマール音楽学校に入学してバイオリニストを目指すが、手首を痛めて音楽家を断念。 === 映画デビュー === [[1921年]]に[[マックス・ラインハルト]]の演劇学校に入学、翌年には『ナポレオンの弟』で映画デビュー。[[1924年]]に、助監督のルドルフ・ジーバーと結婚。同年12月には娘マリアを出産後、ジーバーとは別居となる。夫は[[カトリック教会|カトリック]]であり、離婚が認められていなかった。 [[1930年]]、[[ベルリン]]の舞台に立っていたところを映画監督[[ジョセフ・フォン・スタンバーグ]]に認められドイツ初の[[トーキー]]『嘆きの天使』に出演。退廃的な美貌、セクシーな歌声、その脚線美で国際的な名声を獲得した。 === アメリカへ === 同年、パラマウントに招かれてアメリカ合衆国に渡り[[ゲイリー・クーパー]]と共演した『[[モロッコ (映画)|モロッコ]]』で[[ハリウッド]]・デビュー、[[アカデミー主演女優賞]]にノミネートされた(『モロッコ』は日本語字幕映画の第1作である)。『[[上海特急]]』でスターの座を確立する。 ユダヤ人監督スタンバーグとのコンビで黄金時代を築く。 [[Image:MarleneDietrich.jpg|thumb|250px|right|アメリカ軍への慰問(1944)]] [[1935年]]の『[[西班牙狂想曲]]』がヒットしなかったのを最後にスタンバーグ監督との公私にわたる関係を解消、しばらく低迷する。当時のドイツの指導者である[[アドルフ・ヒトラー]]はマレーネがお気に入りだったようでドイツに戻るように要請したが、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]を嫌ったマレーネはそれを断って[[1939年]]にはアメリカの[[市民権]]を取得した<ref>Dietrich applied for US citizenship in 1937 [http://news.google.com/newspapers?id=VPtlAAAAIBAJ&sjid=WUgNAAAAIBAJ&pg=5104,3190136&dq=marlene+dietrich+american+citizen&hl=en ("Marlene Dietrich to be US Citizen". ''Painesville Telegraph'', 6 March 1937.)]; it was granted in 1939 (see [http://news.google.com/newspapers?id=UN5BAAAAIBAJ&sjid=AaoMAAAAIBAJ&pg=5899,2663618&dq=marlene+dietrich+american+citizen&hl=en "Citizen Soon". ''The Telegraph Herald'', 10 March 1939.] and [http://news.google.com/newspapers?id=YSRdAAAAIBAJ&sjid=vloNAAAAIBAJ&pg=3524,1115404&dq=marlene+dietrich+american+citizen&hl=en "Seize Luggage of Marlene Dietrich". ''Lawrence Journal World'', 14 June 1939]).</ref>ため、ドイツではマレーネの映画は上映禁止となる。1940年代からは[[西部劇]]や[[ブロードウェイ]]の舞台にも立って活躍した。また、占領下のフランスから[[ジャン・ギャバン]]も渡米しており交際、やがて、自由フランス軍にギャバンは志願したが、文通は続け、やがてアルジェリアで再会した。 [[第二次世界大戦]]中の[[1943年]]からは[[:en:USO|USO]](前線兵士慰問機関)の一員として活動、アメリカ軍兵士の慰問にヨーロッパ各地を巡り反ナチスの立場を明確にした。戦地で兵士が口ずさんでいた「[[リリー・マルレーン]]」をおぼえ、対独放送でも歌った。 戦後、壊滅したベルリンで、奇跡的に母親と再会、その2か月後に、母は急死した。その功績によりアメリカからは[[1947年]]に[[大統領自由勲章]](アメリカ市民として最高の栄誉)、フランスからは[[レジオンドヌール勲章]]を授与された。 なお、1944年には[[バルジの戦い]]中の[[アルデンヌ]]においてアメリカ軍の慰問を行った際に急襲してきたドイツ軍に捕えられそうになったが直前に回避し事なきを得た。戦後、しばらくパリでギャバンと暮らしたが次第に疎遠となり別れた。 === 歌手活動 === 若い女優の登場で映画出演の機会は減ったが、[[ラスベガス]]でのリサイタル依頼があり、成功をおさめ1950年代からは歌手としての活動が多くなり、アメリカ合衆国やヨーロッパを巡業。[[1958年]]からは[[バート・バカラック]]と組んでいる<ref name="Bach_b">Bach 1992, p. 395.</ref>。[[1960年]]には念願の故郷ドイツでの公演を行った。マレーネは「裏切り者」と罵声を浴びせられながらも、暖かい歓待も受けるという彼女に対するドイツ人の複雑な感情を見せつけられた。[[1970年]]の[[日本万国博覧会|大阪万博]](EXPO'70)と[[1974年]]に来日してコンサートを行った(実はもっと昔、1948年にも極東駐留の将兵への慰問のため日本にも立ち寄っており、その時に土産として買ったいわゆる[[超小型写真|豆カメラ]]のひとつ「マイクロ」が報道され、同機の輸出が急速に伸びたという話がある<ref>[[小倉磐夫]]『国産カメラ開発物語』朝日選書684 pp. 141~142</ref>)。 [[メリー・ホプキン]]の『[[悲しき天使]]』(Those Were the Days)という曲のヒットでも知られている。 [[1976年]]、ギャバンと夫を立て続けに亡くした。 === 引退 === [[Image:MarleneDietrichGrabstein1.jpg|thumb|250px|right|マレーネ・ディートリッヒの墓銘碑]] 1975年、コンサート中に足を骨折して活動を引退せざるをえなくなる<ref>'Act follows suggestion of song's title', Toledo Blade, Ohio 7 Nov. 1973, p37.</ref>。 引退後はパリに隠棲。引退から時期がたってもファンレターは絶えず、「パリ市。マレーネ・ディートリヒ様」と書くだけで手紙が届いたと言う。引退後の姿はまったく謎に包まれており、人々の興味の対象となった。 ドイツの大衆紙『[[ビルト (新聞)|ビルト]]』が、ある老女の写真を「現在のマレーネ・ディートリッヒだ」とスクープを出したことがあるが、彼女の親族によって否定された。 それまで生まれた地ベルリンを語ることはなかったが、[[1989年]]のベルリンの壁崩壊の際には、いつになく興奮して「私は生粋のベルリンっ子よ、素晴らしいわ私の街は自由よ」と語ったという。 === 死去 === [[1992年]]、[[パリ]]で死去。死因は肝臓と腎臓障害であったとされる。亡くなる前の12年間は寝たきりであったという。葬儀はパリの[[マドレーヌ寺院]]で行われ、その後遺骸がベルリンに移されベルリンでも葬儀が行われた。 その遺骸は同年、彼女の望み通りベルリンの母の墓の横に葬られた。死後、ベルリン中心の[[ポツダム広場]]に隣接した広場が「マレーネ・ディートリッヒ広場」と命名された。 [[2002年]]、ベルリン名誉市民となった。 == 主な出演作品 == {| class="wikitable" |- !公開年!!邦題 <br />原題!!役名!!備考 |- |rowspan="2"|1930|| [[嘆きの天使]]<br />''The Blue Angel'' || ローラ・ローラ || |- | [[モロッコ (映画)|モロッコ]]<br />''Morocco'' || アミー・ジョリー || |- |1931|| [[間諜X27]]<br />''Dishonored'' || X27 || |- |rowspan="2"|1932|| [[上海特急]]<br />''Shanghai Express'' || 上海リリー(マデリーン) || |- | [[ブロンド・ヴィナス]] <br /> ''Blonde Venus'' || ヘレン・ファラデイ || |- |1933|| [[恋の凱歌 (1933年の映画)|恋の凱歌]] <br /> ''The Song of Songs'' || リリー || |- |1934|| [[恋のページェント]] <br /> ''The Scarlet Empress'' || ゾフィア(後の[[エカチェリーナ2世]]) || |- |1935|| [[西班牙狂想曲]] <br />''The Devil is a Woman'' || コンチャ・ペレス || |- |rowspan="2"|1936|| [[真珠の頚飾]]<br /> ''Desire'' || マドレーヌ・ド・ボープレ || |- | [[沙漠の花園]]<br />''The Garden of Allah'' || ドミニ・エンフィルデン || |- |rowspan="2"|1937|| [[鎧なき騎士]]<br />''Knight Without Armour'' || アレクサンドラ・ウラディノフ || |- | [[天使 (1937年の映画)|天使]]<br />''Angel'' || マリア・エンジェル・バーカー || |- |1939|| [[砂塵 (映画)|砂塵]]<br />''Destry Rides Again'' || フレンチー || |- |1940|| [[妖花 (映画)|妖花]] <br /> ''Seven Sinners'' || ビジュー・ブランシュ || |- |rowspan="2"|1941|| [[焔の女]] <br /> ''The Flame of New Orleans'' || クレール・ルドゥー || |- | [[大雷雨]]<br /> ''Manpower'' || フェイ・デュヴァル || |- |rowspan="3"|1942|| [[淑女の求愛]] <br />''The Lady Is Willing'' || エリザベス・マッデン || |- | [[スポイラース (1942年の映画)|スポイラース]] <br /> ''The Spoilers'' || チェリー || |- | [[男性都市]] <br /> ''Pittsburgh'' || ジョジー・ウィンターズ || |- |1944|| [[キスメット]]<br />''Kismet'' || ジャミラ || |- |1946|| [[狂恋]] <br />''Martin Roumagnac'' || ブランシュ・フェラン || |- |1947|| [[黄金の耳飾り]]<br />''Golden Earrings'' || リディア || |- |1948|| [[異国の出来事 (映画)|異国の出来事]] <br />''A Foreign Affair'' || エリカ・フォン・シュルートウ || |- |1950|| [[舞台恐怖症]] <br />''Stage Fright'' || シャーロット・インウッド || |- |1952|| [[無頼の谷]] <br /> ''Rancho Notorious'' || アルター・キーン || |- |rowspan="2"|1956|| [[八十日間世界一周 (映画)|八十日間世界一周]] <br />''Around the World in Eighty Days'' || サロンのホステス || |- | [[モンテカルロ物語]] <br /> ''The Monte Carlo Story'' || マリア・ド・クレヴクール侯爵夫人 || |- |1957|| [[情婦 (映画)|情婦]] <br /> ''Witness for the Prosecution'' || クリスティーネ || |- |1958|| [[黒い罠]] <br />''Touch of Evil'' || ターニャ || |- |1961|| [[ニュールンベルグ裁判]] <br />''Judgment at Nuremberg'' || ベルトホルト夫人 || |- |1964|| [[パリで一緒に]] <br /> ''Paris, When It Sizzles'' || 本人 || クレジットなし |- |1979|| [[ジャスト・ア・ジゴロ]] <br /> ''Schöner Gigolo, armer Gigolo'' || ゼーメリング男爵夫人 || カメオ出演 |- |1984|| [[MARLENE/マレーネ]] <br />''Marlene'' || || ナレーションのみ |- |} === その他 === * 真実のマレーネ・ディートリッヒ ''Marlene Dietrich: Her Own Song''(2001) - マレーネの孫デヴィッド・ライヴァ監督のドキュメンタリー。 * 永遠のヒロイン(NHK 2010年) == 受賞歴 == === [[アカデミー賞]] === ; ノミネート : [[第4回アカデミー賞|1931年]] [[アカデミー主演女優賞]]:『[[モロッコ (映画)|モロッコ]]』 === [[ゴールデングローブ賞]] === ; ノミネート : [[1958年]] [[ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)|主演女優賞 (ドラマ部門)]]:『[[情婦 (映画)|情婦]]』 == 通称 == 本名はマリー・マグダレーネ・ディートリッヒ('''Marie Magdalene Dietrich''')であるが、彼女は[[ファーストネーム]]と[[ミドルネーム]]を合わせて1つとして現在良く知られている通称を自身創造した。つまり'''Mar'''ie Magda'''lene'''の太文字部分を合わせ、マレーネ・ディートリッヒ('''Marlene''' Dietrich)とした。 [[第二次世界大戦]]開戦後アフリカ戦線で敵味方両軍の間でブレークした『[[リリー・マルレーン]]』は[[ララ・アンデルセン]]が最初にリリースしたものである。原題は"Lili '''Marleen'''"とディートリッヒの通称・マレーネ("Marlene")とスペルが若干異なるが、英語読みすると似た発音になる。彼女は"Lili '''Marlene'''"としてカバーして、連合軍兵士を慰問した。日本では『リリー・マルレーン』はマレーネのオリジナルと見なされているほどである。 == 参照 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |last=Bach |first=Steven |year=1992 |title=Marlene Dietrich: Life and Legend |publisher=Doubleday |isbn=0-385-42553-8}} * [[鈴木明]]『わがマレーネ・ディートリヒ伝』小学館ライブラリー、1991年 ISBN 4094600078 * [[高橋暎一]]『愛しのマレーネ・ディートリッヒ』社会思想社<現代教養文庫1414>、1992年 ISBN 439011414X == 関連項目 == * [[ディートリヒ]] * [[グレタ・ガルボ]] * [[アドルフ・ヒトラー]] * [[エディット・ピアフ]]:[[シャンソン]]歌手。パリでマレーネと親友になる。 * [[ズビグニェフ・ツィブルスキ]]:[[俳優]]『[[灰とダイヤモンド (映画)|灰とダイヤモンド]]』に主演。マレーネの友人。 * [[リリー・マルレーン]] * [[嘆きの天使賞]]:[[ベルリン映画祭]]の賞の1つ。 * [[マレーネ・ディートリッヒ広場]] * [[花はどこへ行った]]:[[ピート・シーガー]]作詩・作曲の反戦歌。マレーネが1962年にドイツ語&フランス語でカヴァーした。 * [[淀川長治]] * [[小松政夫]]:「わりーね、わりーね、ワリーネ・ディートリッヒ」という持ちネタがある。 * [[ジャン・コクトー]]:ピアフと並ぶ親友の1人。 * [[ジャン・ギャバン]]:恋人同士であった。 * [[ユル・ブリンナー]]:1950年代の恋人の1人だった。 * [[アーネスト・ヘミングウェイ]]:互いに「クラウト」、「パパ」と呼び合う。ベッドを共にしなかった数少ない男性の親友。 * [[エーリッヒ・マリア・レマルク|エーリヒ・マリア・レマルク]]:1930年代後半にマレーネの恋人となる。『[[凱旋門 (文学)|凱旋門]]』のヒロインジョアン・マドゥーは、マレーネがモデルと言われている。 == 外部リンク == {{Commons|Marlene Dietrich}} * [http://www.marlene.com/ Official website]{{En icon}} * {{Imdb name|0000017}} * [http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2104.html IVC 淀川長治『上海特急』解説ページ] * [http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2103.html IVC 淀川長治『モロッコ』解説ページ] {{DEFAULTSORT:ていとりつひ まれね}} [[Category:アメリカ合衆国の俳優]] [[Category:アメリカ合衆国の歌手]] [[Category:ドイツの俳優]] [[Category:ドイツの歌手]] [[Category:アメリカ合衆国帰化市民]] [[Category:ドイツ系アメリカ人]] [[Category:ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]] [[Category:トニー賞受賞者]] [[Category:大統領自由勲章受章者]] [[Category:レジオンドヌール勲章受章者]] [[Category:LGBTの俳優]] [[Category:LGBTの音楽家]] [[Category:両性愛の人物]] [[Category:ベルリン出身の人物]] [[Category:1901年生]] [[Category:1992年没]] {{Link FA|sh}} {{Link FA|af}} {{Link GA|sr}}
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