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'''バガトル'''('''baγatur'''; 中世[[モンゴル語]]: ba'atur; 現代モンゴル語: баатар (baatar); 近世[[ペルシア語]]: بهادر (bahādur);近世[[テュルク諸語|テュルク語]]: bahadur;[[中国語]]:拔都兒)は、[[テュルク語]]や[[モンゴル語]]における[[称号]]のひとつ。「[[勇者]]」を意味する。中世モンゴル語では'''バアトル'''('''バートル''')、現代モンゴル語では'''バータル'''。[[中央アジア]]以西において近世[[ペルシア語]]および[[チャガタイ語]]、[[オスマン語]]などでは[[バハードゥル]](バハードル)という。 ==突厥の「バガテュル(莫賀咄)」== [[突厥]]とくに[[西突厥]]において「莫賀咄」という名のつく人物が多くみられる。例えば、[[統葉護可汗]](トンヤブグカガン)の伯父で統葉護可汗を殺して第6代西突厥可汗となった[[莫賀咄侯屈利俟毘可汗]]や、第9代の莫賀咄乙毘可汗([[乙屈利失乙毘可汗]])。そして、[[唐]]の[[羈縻政策|羈縻(きび)支配]]下において西突厥可汗を務めた[[阿史那弥射]]の家系は代々莫賀咄葉護(バガテュル・ヤブグ)という称号を帯びていた。その他、突厥政権下の[[中央ユーラシア]]の諸民族には「乞引莫賀咄」、「莫賀咄(バガテュル)」、「莫賀咄設(バガテュル・シャド)」、「莫賀咄俟斤(バガテュル・イルキン)」、「莫賀咄吐屯(バガテュル・トゥドゥン)」といった称号が数多く使用された。<ref>『旧唐書』列伝第百四十四下、『新唐書』列伝百四十下、護雅夫 1967年</ref> ==中世モンゴル語の「バアトル(ba'atur)」== 「武人」、「勇士」、「英雄」を意味し、初めは戦功をたてた遊牧騎士たちに与えられた栄誉ある称号であったが、後に[[ハーン|カアン]]によって授与される一定の称号となり、やがて一般化して「決死隊」の名のもととなった。[[元 (王朝)|元朝]]の抜都魯軍というのがそれである。<ref>村上 1970,p48</ref> ==西方世界における「バハードゥル(bahādur)」== 後代、バアトルは武人の称号として好まれ、中央アジアからイラン、インド、エジプトにまで流行し、ついにロシア語にまではいった。[[ムガル帝国]]の第7代皇帝[[バハードゥル・シャー1世]]や、第17代皇帝[[バハードゥル・シャー2世]]などがそれである。<ref>村上 1970,p48</ref> ==現代モンゴル語での「バータル(баатар)」== 「英雄」、「豪傑」、「主人公(гол баатар)」、「ヒロイン」等の意味があり、首都の[[ウランバートル]](オラーンバータル)は「赤い英雄」を意味する。<ref>『蒙日辞典』2007、国際語学社</ref> ==脚注== <references /> ==参考資料== *『[[旧唐書]]』(列伝第百四十四下 突厥下) *『[[新唐書]]』(列伝百四十下 西突厥) *[[護雅夫]]『古代トルコ民族史研究Ⅰ』(1967年、山川出版社) *[[村上正二]]訳注『モンゴル秘史1チンギス・カン物語』(1970年、平凡社) *ヴァータル・オトゴンプレヴ『蒙日辞典』(2007、国際語学社) ==関連項目== *[[モンゴル]] *[[イェスゲイ・バアトル]] *[[バガトル (アス)]] *[[バトゥル]]:[[満州族]]における英雄称号。[[清朝]]で使用された。 *[[巴特爾]]:中国の[[モンゴル族]]で[[バスケットボール]]選手 {{DEFAULTSORT:はかとる}} [[Category:匈奴]] [[Category:君主号]] [[Category:軍人・戦士の称号]] [[Category:モンゴル帝国]] [[Category:モンゴル語の人名]]
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