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ノーベル平和賞
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<!--{{Pathnav|ノーベル賞}} --> [[ファイル:Stortinget, Norway.jpg|thumb|right|250px|ノーベル平和賞受賞者を決定するノルウェー議会]] [[ファイル:Oslo rådhus2.jpg|thumb|right|250px|オスロ市庁舎外観。]] '''ノーベル平和賞'''(ノーベルへいわしょう、[[スウェーデン語]]・[[ノルウェー語]]: Nobels fredspris、[[英語]]: Nobel Peace Prize)は、[[ノーベル賞]]の一部門で、[[アルフレッド・ノーベル]]の遺言によって創設された五部門のうちの一つ。 ノーベル賞の創設者[[アルフレッド・ノーベル]]はスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。平和賞のみ、スウェーデンではなくノルウェー政府が授与主体である。 == 概要 == 創設者のノーベルは遺言で、平和賞を「国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和のための会議・促進に最も貢献した人物」に授与すべしとしているが、選考委員会では「平和」の概念を広く解釈しており、受賞対象者は国際平和、軍備縮減、平和交渉だけでなく、人権擁護、非暴力的手法による民主化や民族独立運動、保健衛生、慈善事業、環境保全などの分野にも及んでいる。また、ノーベル賞の中でもこの賞のみが受賞後の期待を込められ、この賞が付与されることがほとんどである。12月10日午後1時(現地時間)から[[オスロ]]の[[オスロ市庁舎]]で授賞式が行われる。 == 受賞者 == === 1900年代 === * [[1901年]] - [[アンリ・デュナン]]([[スイス]])、[[フレデリック・パシー]] ([[フランス]]) * [[1902年]] - [[シャルル・ゴバ]](スイス)、[[エリー・デュコマン]](スイス) * [[1903年]] - [[ウィリアム・ランダル・クリーマー|ウィリアム・クリーマー]]([[イギリス]]) * [[1904年]] - [[万国国際法学会]] * [[1905年]] - [[ベルタ・フォン・ズットナー]]([[オーストリア]]) * [[1906年]] - [[セオドア・ルーズベルト]] ([[アメリカ合衆国]]) * [[1907年]] - [[エルネスト・テオドロ・モネータ|エルネスト・モネータ]]([[イタリア]])、[[ルイ・ルノー (法学者)|ルイ・ルノー]](フランス) * [[1908年]] - [[フレデリック・バイエル]]([[デンマーク]])、[[ポントゥス・アルノルドソン]] ([[スウェーデン]]) * [[1909年]] - [[エストゥルネル・ド・コンスタン]](フランス)、[[オーギュスト・ベールナールト]]([[ベルギー]]) === 1910年代 === * [[1910年]] - [[常設国際平和局]] * [[1911年]] - [[トビアス・アッセル]]([[オランダ]])、[[アルフレッド・フリート]](オーストリア) * [[1912年]] - [[エリフ・ルート]](アメリカ合衆国) * [[1913年]] - [[アンリ・ラ・フォンテーヌ]](ベルギー) * [[1914年]] - なし * [[1915年]] - なし * [[1916年]] - なし * [[1917年]] - [[赤十字国際委員会]] * [[1918年]] - なし * [[1919年]] - [[ウッドロウ・ウィルソン]](アメリカ合衆国) === 1920年代 === * [[1920年]] - [[レオン・ブルジョワ]](フランス) * [[1921年]] - [[カール・ヤルマール・ブランティング|カール・ブランティング]](スウェーデン)、[[クリスティアン・ランゲ]]([[ノルウェー]]) * [[1922年]] - [[フリチョフ・ナンセン]](ノルウェー) * [[1923年]] - なし * [[1924年]] - なし * [[1925年]] - [[チャールズ・ドーズ]](アメリカ合衆国)、[[オースティン・チェンバレン]](イギリス) * [[1926年]] - [[アリスティード・ブリアン]](フランス)、[[グスタフ・シュトレーゼマン]]([[ドイツ]]) * [[1927年]] - [[フェルディナン・ビュイソン]](フランス)、[[ルートヴィッヒ・クヴィデ]](ドイツ) * [[1928年]] - なし * [[1929年]] - [[フランク・ケロッグ]](アメリカ合衆国) === 1930年代 === * [[1930年]] - [[ナータン・セーデルブロム]](スウェーデン) * [[1931年]] - [[ジェーン・アダムズ]](アメリカ合衆国)、[[ニコラス・バトラー]](アメリカ合衆国) * [[1932年]] - なし * [[1933年]] - [[ラルフ・ノーマン・エンジェル|ラルフ・エンジェル]](イギリス) * [[1934年]] - [[アーサー・ヘンダーソン]](イギリス) * [[1935年]] - [[カール・フォン・オシエツキー]](ドイツ) * [[1936年]] - [[カルロス・サアベドラ・ラマス|カルロス・ラマス]]([[アルゼンチン]])<!--([[チャコ戦争]]を参照)--> * [[1937年]] - [[ロバート・セシル (初代セシル・オブ・チェルウッド子爵)|ロバート・セシル]](イギリス) * [[1938年]] - [[ナンセン国際難民事務所]] * [[1939年]] - なし([[ロバート・ベーデン・パウエル|ロバート・ベーデン・パウエル]]に決定していたが、[[第二次世界大戦]]勃発により賞自体が取り消された) [[ファイル:Hull-Cordell-LOC.jpg|right|125px|thumb|コーデル・ハル]] === 1940年代 === * [[1940年]] - なし * [[1941年]] - なし * [[1942年]] - なし * [[1943年]] - なし * [[1944年]] - [[赤十字国際委員会]] * [[1945年]] - [[コーデル・ハル]](アメリカ合衆国) * [[1946年]] - [[ジョン・モット]](アメリカ合衆国)、[[エミリー・グリーン・ボルチ|エミリー・ボルチ]](アメリカ合衆国) * [[1947年]] - [[アメリカ合衆国・フレンズ奉仕団|米国フレンズ奉仕団]]、[[イギリス・フレンズ協議会|英国フレンズ奉仕団]] * [[1948年]] - なし * [[1949年]] - [[ジョン・ボイド・オア|ジョン・オア]](イギリス) [[ファイル:Ralph Bunche - 1963 March on Washington.jpg|right|125px|thumb|ラルフ・バンチ]] === 1950年代 === * [[1950年]] - [[ラルフ・バンチ]](アメリカ合衆国) * [[1951年]] - [[レオン・ジュオー]](フランス) * [[1952年]] - [[アルベルト・シュバイツァー]](フランス) * [[1953年]] - [[ジョージ・マーシャル]](アメリカ合衆国) * [[1954年]] - [[国際連合難民高等弁務官事務所]] * [[1955年]] - なし * [[1956年]] - なし * [[1957年]] - [[レスター・B・ピアソン]]([[カナダ]]) * [[1958年]] - [[ドミニク・ピール]](ベルギー) * [[1959年]] - [[フィリップ・ノエル=ベーカー]](イギリス) [[ファイル:Martin Luther King Jr NYWTS.jpg|right|125px|thumb|マーティン・ルーサー・キング・ジュニア]] === 1960年代 === * [[1960年]] - [[アルバート・ルツーリ]]([[南アフリカ共和国|南アフリカ]]) * [[1961年]] - [[ダグ・ハマーショルド]]([[国際連合|国連]]事務総長、死後受賞) * [[1962年]] - [[ライナス・ポーリング]](アメリカ合衆国) * [[1963年]] - [[赤十字国際委員会]]、[[国際赤十字赤新月社連盟]] * [[1964年]] - [[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア]](アメリカ合衆国) * [[1965年]] - [[国際連合児童基金]] * [[1966年]] - なし * [[1967年]] - なし * [[1968年]] - [[ルネ・カサン]](フランス) * [[1969年]] - [[国際労働機関]] [[ファイル:MotherTeresa 090.jpg|right|125px|thumb|マザー・テレサ]] === 1970年代 === * [[1970年]] - [[ノーマン・ボーローグ]](アメリカ合衆国) * [[1971年]] - [[ヴィリー・ブラント]](ドイツ) * [[1972年]] - なし * [[1973年]] - [[ヘンリー・キッシンジャー]](アメリカ合衆国)、[[レ・ドゥク・ト|レ・ドゥクト]]([[ベトナム]]、辞退<ref>[http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/articles/lundestad/index.html ノーベル公式サイト ] ノーベル平和賞歴史(英語)</ref>) * [[1974年]] - [[佐藤栄作]]([[日本]])、[[ショーン・マクブライド]]([[アイルランド]]) * [[1975年]] - [[アンドレイ・サハロフ]]([[ソビエト連邦]]) * [[1976年]] - [[ベティ・ウィリアムズ]]、[[マイレッド・コリガン・マグワイア|マイレッド・コリガン=マグワイア]]([[北アイルランド]]) * [[1977年]] - [[アムネスティ・インターナショナル]] * [[1978年]] - [[メナヘム・ベギン]] ([[イスラエル]])、[[アンワル・アッ=サーダート|アンワル・サダト]] ([[エジプト]]) * [[1979年]] - [[マザー・テレサ]]([[インド]]) === 1980年代 === * [[1980年]] - [[アドルフォ・ペレス・エスキベル|アドルフォ・エスキベル]](アルゼンチン) * [[1981年]] - [[国際連合難民高等弁務官事務所]] * [[1982年]] - [[アルバ・ライマル・ミュルダール|アルバ・ミュルダール]] (スウェーデン)、[[アルフォンソ・ガルシア・ロブレス|アルフォンソ・ロブレス]]([[メキシコ]]) * [[1983年]] - [[レフ・ヴァウェンサ|レフ・ワレサ]]([[ポーランド]]) * [[1984年]] - [[デズモンド・ムピロ・ツツ]] (南アフリカ) * [[1985年]] - [[核戦争防止国際医師会議]] * [[1986年]] - [[エリー・ウィーゼル]](アメリカ合衆国) * [[1987年]] - [[オスカル・アリアス・サンチェス|オスカル・アリアス]]([[コスタリカ]]) * [[1988年]] - [[国連平和維持活動|国連平和維持軍]] * [[1989年]] - [[ダライ・ラマ14世]]([[ガンデンポタン|チベット亡命政府]]) [[ファイル:Aung San Suu Kyi.jpg|right|125px|thumb|アウンサンスーチー]] === 1990年代 === * [[1990年]] - [[ミハイル・ゴルバチョフ]](ソビエト連邦) * [[1991年]] - [[アウンサンスーチー]]([[ミャンマー]]) * [[1992年]] - [[リゴベルタ・メンチュウ]]([[グアテマラ]]) * [[1993年]] - [[ネルソン・マンデラ]]、[[フレデリック・ウィレム・デクラーク|フレデリック・デクラーク]](南アフリカ) * [[1994年]] - [[ヤーセル・アラファート|ヤセル・アラファト]]([[パレスチナ]])、[[シモン・ペレス]] (イスラエル)、[[イツハク・ラビン]](イスラエル) * [[1995年]] - [[パグウォッシュ会議]]、 [[ジョセフ・ロートブラット]](イギリス) * [[1996年]] - [[カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ|カルロス・ベロ]]、[[ジョゼ・ラモス=ホルタ]]([[東ティモール]]) * [[1997年]] - [[地雷禁止国際キャンペーン]] 、[[ジョディ・ウィリアムズ]](アメリカ合衆国) * [[1998年]] - [[ジョン・ヒューム]]、[[デヴィッド・トリンブル]](北アイルランド) * [[1999年]] - [[国境なき医師団]] [[ファイル:Official portrait of Barack Obama.jpg|right|125px|thumb|バラク・オバマ]] === 2000年代 === * [[2000年]] - [[金大中]](韓国) * [[2001年]] - [[国際連合]]、[[コフィー・アナン]](国連事務総長) * [[2002年]] - [[ジミー・カーター]](アメリカ合衆国) * [[2003年]] - [[シーリーン・エバーディー]]([[イラン]]) * [[2004年]] - [[ワンガリ・マータイ]] ([[ケニア]]) * [[2005年]] - [[国際原子力機関]] 、[[ムハンマド・モスタファ・エルバラダイ|ムハンマド・エルバラダイ]](エジプト) * [[2006年]] - [[グラミン銀行]]、[[ムハマド・ユヌス]]([[バングラデシュ]]) * [[2007年]] - [[気候変動に関する政府間パネル]]、[[アル・ゴア]](アメリカ合衆国) * [[2008年]] - [[マルッティ・アハティサーリ]]([[フィンランド]]) * [[2009年]] - [[バラク・オバマ]](アメリカ合衆国) === 2010年代 === * [[2010年]] - [[劉暁波]]([[中華人民共和国]]) * [[2011年]] - [[エレン・ジョンソン・サーリーフ]]([[リベリア]])、[[レイマ・ボウィ]](リベリア)、[[タワックル・カルマン]]([[イエメン]]) * [[2012年]] - [[欧州連合]] * [[2013年]] - [[化学兵器禁止機関]] == 選定方式 == 毎年の受賞は最高3者まで。選考はノルウェー国会が任命する政治的に独立した機関である[[ノルウェー・ノーベル委員会]](5人)が行う<ref>[http://www.norway.or.jp/policy/peace/prize/prize.htm ノーベル平和賞 (Norway the official site in Japan)]</ref>。各国に推薦依頼状(通常非公表)を送り、推薦された候補者より選ばれる。2013年には259の個人と組織(うち50の組織)の推薦があり、過去最大の数とされている<ref name="nobelfact">[http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/facts/peace/ Facts on the Nobel Peace Prize] - ノーベル賞公式サイト(英語)</ref>。受賞が決まるのは、例年10月頃。候補者の名前は50年間公表されない<ref name="nobelfact"/>。個人の場合は生存していることが条件であり、死後この賞を受けたのは[[ダグ・ハマーショルド]]ただ一人であり、これは賞の発表後にハマーショルドが事故死したことによる<ref name="nobelfact"/>。 [[トマーシュ・マサリク]]、[[ウィリアム・ハワード・タフト]]などの政治家、[[ニコライ2世]]、[[ハイレ・セラシエ1世]]といった君主、[[レフ・トルストイ]]、[[ピエール・ド・クーベルタン]]などが候補となっていたことが公表されている<ref name="nobelfact"/>。また、1939年には[[アドルフ・ヒトラー]]が推薦されているが、これは反ファシズムの立場を取るスウェーデンの国会議員によるもので、皮肉を意図したものであった<ref name="nobelfact"/>。[[ベニート・ムッソリーニ]]、[[ヨシフ・スターリン]]、[[フアン・ペロン]]夫妻といった独裁者もノミネートされているが、受章には至っていない<ref name="nobelfact"/>。 [[ジェーン・アダムス]]は1916年にはじめて推薦を受けて以来、1931年に受賞するまでにのべ91回の推薦を受けた。これは推薦を受けた回数としては最多のものである<ref name="nobelfact"/>。 === ガンディーが受賞しなかった理由 === [[マハトマ・ガンディー]]はノーベル平和賞を受賞しなかった。死後数十年経ってからノーベル委員会が公表した事実によると、ガンディーは1937年から1948年にかけて前後5回ノーベル平和賞にノミネートされていた(1948年は暗殺の直後に推薦の締め切りがなされた)。これについてノーベル委員会は、ガンディーが最終選考に残った1937年、1947年、1948年の選考に関しウェブサイト上で以下のように述べている([http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/articles/gandhi/index.html Mahatma Gandhi, the Missing Laureate])。 *1937年には、彼の支持者の運動が時として暴力を伴ったものに発展したことや、政治的な立場の一貫性に対する疑問、彼の運動がインドに限定されていることへの批判があった。 *1947年は、当時インドですでに起きていたヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立への対処に関し、ガンディーが非暴力主義を捨てるかのような発言をしたことで、選考委員の間に受賞に対する疑問が起きた。 *1948年は最終候補3人の1人で選考委員からは高い評価を得ていたが、故人に対してノーベル賞を与えられるかどうかで議論が起きた。当時は規定で除外されていなかったが、何らかの組織に所属していなかったガンディーの場合賞金を誰が受け取るかが問題になった。最終的に、受賞決定後に死亡した場合以外は故人に賞を与えるのは不適切だという結論となった。ガンディーがもう1年長生きしておれば、賞を与えられていたと考えるのが合理的であろう。 *ガンディーがそれまでの他の平和賞受賞者とは異なるタイプの平和運動家であったこと、1947年当時のノーベル委員会には今日のように平和賞を地域紛争の平和的調停に向けたアピールとする考えがなかったことが影響している。委員会がイギリスの反発を恐れたという明確な証拠は見当たらない。 === 賞金 === 賞金額は1901年当時の賞金額を、その年の貨幣価値に換算されたものが贈られる<ref>[http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/about/amounts/index.html The Nobel Prize Amounts] - ノーベル賞公式サイト(英語)</ref>。2012年以降、平和賞の賞金は一つの賞あたり、800万[[スウェーデン・クローナ]]とされている<ref name="nobelfact"/>。このため共同受賞となった場合には、受賞金額を受賞者達で分け合うことになる。1976年に受賞した[[ベティ・ウィリアムズ]]、[[マイレッド・コリガン・マグワイア|マイレッド・コリガン=マグワイア]]の組織は、賞金の分配でもめてバラバラになってしまった。 == 物議を醸した受賞例 == ノーベル平和賞はその性質上、他のノーベル各賞に比して政治色が格段に強い。科学三賞(医学・物理・化学)や経済賞などの場合は業績に対し、ある程度客観的な評価と期間を経て選考決定されるが、平和賞は現在進行形の事柄に関わる人物も受賞対象になり、選考委員による主観的評価(毎年選考に向け、ロビー活動も政治行動も多くある)にならざるをえないため、選考結果を巡って世界中でたびたび論議が起こる。以下の事例も見ても判るが、ノルウェー外交による政治アピールの側面も有るといえる。 *[[カール・フォン・オシエツキー|オシエツキー]](1935年授賞、ドイツ)や[[アンドレイ・サハロフ|サハロフ]](1975年授賞、ソビエト連邦)、[[アウンサンスーチー]](1991年授賞、ミャンマー)、[[劉暁波]](2010年授賞、中華人民共和国)などのように、母国で[[政治犯]]とされている人物への授賞は、やはり当事国政府から強い反発を引き起こしている。ヒトラー政権は、オシエツキーへの平和賞授賞に対し、ナチズム批判の明確な意図があるとしてその後ドイツ人がノーベル賞を受け取ることを禁止し、2年後の1937年に代替となる「[[ドイツ芸術科学国家賞]]」を創設した。[[劉暁波]]への平和賞授賞を巡って反発する中国において、(「公式な政府の組織ではないが、文化賞などを所管する文化省(文化部)と密接に協力している」としていた)中国郷土文化保護協会(翌年の2011年に文化省により解散させられる)は、ノーベル平和賞に対抗する形で同年に「[[孔子平和賞]]」を創設した。 * 受賞者が政治犯として当事国に拘束されていたり、出国が認められなかった場合には、本人が授賞式に出席できないケースもたびたびある。サハロフと[[レフ・ヴァウェンサ|ワレサ]](1983年)の場合は妻、[[アウンサンスーチー]]の場合は、夫と息子が([[ミャンマー]]国外在住で)代理出席したが、[[カール・フォン・オシエツキー|オシエツキー]]の場合は代理出席した弁護士が賞金のみを受け取り横領した。[[劉暁波]]の場合は家族の代理出席も出来なかった(妻の出国を政府当局が認めなかったため)。 *「[[非核三原則]]」を提唱したことを持って、1974年に受賞した[[佐藤栄作]]の場合、後に有事の際の「核持ち込み」に関する密約が、日米間で結ばれていたことが明るみに出た([[日米核持ち込み問題]])。また2000年に[[南北首脳会談]]を実現させたとして受賞した韓国の[[金大中]]も、政権発足当時からノーベル平和賞受賞のために組織的な「工作」を行っていたことや、北朝鮮に5億ドルを不法送金していたことが、後年アメリカに政治亡命した[[韓国国家安全企画部]](現・国家情報院)の元職員によって暴露され、「カネで買った平和賞」との批判が巻き起こった。<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0125&f=national_0125_122.shtml 「金大中ノーベル賞は工作」暴露の元情報員、米国に亡命へ=韓国]サーチナ 2012年1月25日</ref>いずれも、受賞当時には知られていなかった事実が明るみに出ることで、平和賞受賞者として相応しかったのかという議論が今日でも続いているケースである。 *1973年には、ベトナム和平協定調印を理由に、アメリカの[[ヘンリー・キッシンジャー]]と北ベトナムの[[レ・ドク・ト]]が共同受賞したが、キッシンジャーへの授与に対しては、ノーベル平和賞委員会の中でも激しい議論が巻き起こり、反対した2人の委員が抗議のため辞任するほどだった。平和賞の受賞主体であるノルウェー政府は激しい世論の批判にさらされ、当時の国王[[オーラヴ5世 (ノルウェー王)|オラフ5世]]が、首都[[オスロ]]の路上で雪玉を投げ付けられる事件まで起きた。また、レ・ドク・トは受賞を辞退した。その後、北ベトナムは和平協定を破って南ベトナムへの攻撃を再開し、1975年にはベトナム全土を武力統一した。 <!--*1994年には、パレスチナ和平合意締結を理由に、イスラエルの[[イツハク・ラビン]]首相と[[シモン・ペレス]]外相、[[パレスチナ解放機構]](PLO)の[[ヤーセル・アラファト]]議長が共同受賞したが、パレスチナの平和は続かず、やがて武力紛争が再開された。受賞が物議をかもしたという出典なし--> *2002年には、アメリカの[[ジミー・カーター]]元大統領が受賞した。当時アメリカが行おうとしていた[[イラク戦争]]に対して、ヨーロッパとりわけ北欧諸国は反対の立場をとっており、カーターの受賞はカーターが北欧同様にイラク攻撃に懐疑的であったことによると考えられている。また2005年に受賞したエジプトの[[モハメド・エルバラダイ]]は、イラク戦争を契機にアメリカに対して批判的態度をとっており、この受賞もブッシュ政権への批判であると指摘されている<ref>[http://rocketnews24.com/?p=16717 ノーベル平和賞はしばしば政治的に使われていた]</ref>。 *2007年には、環境問題提起によるアメリカの元副大統領の[[アル・ゴア]]への受賞も、上記と同じように政治的な意味合いが強かったのではないかとされている。[[2000年アメリカ合衆国大統領選挙|2000年の大統領選挙]]は、ゴア対ブッシュとなり後者の勝利が決定に至るまで、紆余曲折([[ブッシュ対ゴア事件]]参照)があった事は周知の事実である。また、同じく候補だった[[イレーナ・センドラー]](ポーランドのシンドラーとも呼ばれる反ホロコーストレジスタンスの活動家)の方が平和賞の趣旨に沿った活動を行っており、より相応しかったのではないかと言う批判も根強かった<ref name="ifsw.org">[http://www.ifsw.org/en/p38000913.html?force_folder=038000059International Federation of Social Workers (IFSW) – IFSW supported nomination of Irena Sendler for Nobel Peace Prize]. IFSW. 2010年12月10日閲覧</ref>。 *2009年には、アメリカの[[バラク・オバマ]]大統領が、[[プラハ]]での「核なき世界」演説に代表される核軍縮政策の呼びかけなどを理由に受賞したが、就任1年目で実績が乏しい段階での授与だったために「時期尚早ではないか」との論議が巻き起こった<ref>{{Cite web|date=2009年10月10日|url=http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=a1Yq5eJ2DR7U|title=オバマ大統領へのノーベル平和賞授与に批判-「早まった聖人化」|publisher=[[ブルームバーグ]]|language=日本語|accessdate=2011年1月29日}}</ref><ref>{{Cite web|author=[[クリストファー・ヒッチェンズ]]|date=2009年12月22日|url=http://newsweekjapan.jp/stories/2009/12/post-849.php|title=あまりに軽いオバマのサプライズ受賞|publisher=[[ニューズウィーク]]|language=日本語|accessdate=2011年1月29日}}</ref>。平和賞推薦の締め切りがオバマ大統領就任のわずか12日後だったことも驚きに拍車をかける事となった<ref>{{cite news |url=http://articles.cnn.com/2009-10-09/world/nobel.peace.prize_1_norwegian-nobel-committee-international-diplomacy-and-cooperation-nuclear-weapons?_s=PM:WORLD|publisher=CNN |title=Obama: Nobel Peace Prize is call to action|date=9 October 2009 }}</ref>。{{要出典範囲|date=2014年8月16日|その後2010年の[[臨界前核実験]]実施や2013年の[[シリア騒乱]]への武力介入の動きに対しても批判が挙がっている}}。 * 2010年には、中国の民主活動家[[劉暁波]]が受賞した。これに反発した中国政府が「[[孔子平和賞]]」を創設した。その第一回授賞式では報道陣から失笑が漏れた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/110109/chn11010918460032-n1.htm ノーベル平和賞に対抗 “茶番劇”孔子平和賞に失笑 本家同様、受賞者不在]]msn産経ニュース 2010.12.9</ref> * 2012年には、欧州の平和と和解への長年の貢献を評価したとして欧州連合が受賞。しかし評価する声もある一方、ユーロ問題の影響が強い中での受賞に、<!--中国新華社では「平和賞の名声損なう」、<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/121013/chn12101322300006-n1.htm 中国新華社「平和賞の名声損なう」と批判論評]msn産経ニュース 2012年10月13日</ref>リンク切れ--><!--チェコの[[ヴァーツラフ・クラウス|クラウス]]大統領は「悲劇的な過ち」、<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/121013/erp12101312110005-n1.htm 授賞は「悲劇的過ち」チェコ大統領」と批判論評]msn産経ニュース 2012年10月13日</ref>リンク切れ-->、ロシア人権活動家リュドミラ・アレクセーエワが「正しいとはいえない」<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/121013/erp12101300480003-n1.htm 「政治的」また批判の声 実績より期待感後押し]msn産経ニュース 2012年10月13日</ref>、イランのナガヴィー・ホセイニー報道官が「政治的に利用されるための道具となっている」<ref>[http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/32455-%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E3%80%81%E3%80%8C%E8%A5%BF%E5%81%B4%E3%81%AF%E3%80%81%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E%E3%82%92%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%80%8D イラン国会、「西側は、ノーベル平和賞を政治的に利用」]iran japanese Radio 2012年10月13日</ref>など、政治的との批判もある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|Nobel Peace Prize laureates|ノーベル平和賞受賞者}} {{Wikinews|ノーベル平和賞は国際原子力機関とエルバラダイ事務局長}} {{ウィキポータルリンク|平和}} * [[ノーベル平和賞コンサート]] * [[オスロ市庁舎]] * [[学生平和賞]] * [[ドイツ芸術科学国家賞]] - [[カール・フォン・オシエツキー]]が授与した時にドイツで設立した賞 * [[レーニン平和賞]] * [[孔子平和賞]] - [[劉暁波]]が授与した時に設立した賞。 == 外部リンク == *[http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/ The Nobel Peace Prize] - 公式サイト{{en icon}} **[http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/ 受賞者の一覧] {{en icon}} {{NobelPrizes}} {{デフォルトソート:のおへるへいわしよう}} [[Category:ノーベル賞|へいわ]] [[Category:平和の賞]] [[Category:ノルウェーの文化]] {{Link GA|de}} {{Link FL|pl}}
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