コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
ニギハヤヒのソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
ニギハヤヒ
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{神道}} '''ニギハヤヒノミコト'''は、[[日本神話]]に登場する[[神 (神道)|神]]。『[[日本書紀]]』では'''饒速日命'''、『[[古事記]]』では'''邇藝速日命'''と表記する。別名、櫛玉命(くしたまのみこと)。[[物部氏]]、[[穂積氏]]、[[熊野国造]]らの祖神と伝わる。 == 概要 == 『古事記』では、[[神武天皇]]の[[神武東征]]において[[大和国|大和]]地方の[[豪族]]である[[長髄彦|ナガスネヒコ]]が奉じる神として登場する。ナガスネヒコの妹のトミヤスビメ(登美夜須毘売、日本書紀では[[ミカシキヤヒメ|三炊屋媛]]という)を妻とし、トミヤスビメとの間に[[ウマシマジ|ウマシマジノミコト]](宇摩志麻遅命)をもうけた。ウマシマジノミコトは、[[物部氏|物部連]]、[[穂積氏|穂積臣]]、[[采女氏|采女臣]]の祖としている。イワレビコ(後の[[神武天皇]])が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、イワレビコが[[アマテラス]]の子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った。 『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから[[十種の神宝]]を授かり天磐船に乗って[[河内国]]([[大阪府]][[交野市]])の河上の地に天降り、その後[[大和国]]([[奈良県]])に移ったとされている。これらは、[[ニニギ]]の天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。 『[[先代旧事本紀]]』では、「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といい[[アメノオシホミミ]]の子で[[ニニギ]]の兄である[[天火明命]](アメノホアカリ)と同一の神であるとしている。 『[[新撰姓氏録]]』ではニギハヤヒは、天神([[高天原]]出身、皇統ではない)、[[天火明命]](アメノホアカリ)は天孫(天照大神の系)とし両者を別とする。 ==神武天皇と饒速日命の関係== 『日本書紀』と『古事記』によると、神武天皇(イワレビコ)と饒速日命(ニギハヤヒ)の出会いのあらすじは次の通り。 :{{main|神武東征}} 「[[神武天皇]](イワレビコ)は[[シオツチノオジ|塩土老翁]]から、東方に美しい土地があり、[[天磐船]]で先に降りたものがいると聞く。そして彼の地へ赴いて都を造ろうと、一族を引き連れ南九州から[[瀬戸内海]]を経て東へ向かい、[[難波津|難波碕]](現代の大阪)へたどり着く。その後[[河内国]][[東大阪市|草香邑]]から[[生駒山]]を目指す。そこに土着の[[長髄彦]](ナガスネヒコ)が現れたため戦うが苦戦する。神武は「日(東)に向って敵を討つのは天の道に反す」として、[[熊野]]([[紀伊半島]]南端部)へ迂回し北上することにした。 [[宇陀郡|菟田]](奈良)に到達し高倉山に登ってあたりを見渡すと、[[八十梟帥]]が軍陣を構えているのが見えた。その晩神武の夢に天神が現れ「[[天神地祇]]を敬い祀れ」と告げる。その通りにすると敵陣を退治でき、続いて長髄彦を攻める。 すると長髄彦は「我らは天磐船で天より降りた天神の御子饒速日命(ニギハヤヒ)に仕えてきた。あなたは天神を名乗り土地を取ろうとされているのか?」と問うたところ、神武は「天神の子は多い。あなたの君が天神の子であるならそれを証明してみよ」と返す。長髄彦は、饒速日命の天羽羽矢と歩靫を見せる。すると神武も同じものを見せた。長髄彦はそれでも戦いを止めなかった。饒速日命(ニギハヤヒ)は天神と人は違うのだと長髄彦を諌めたが、長髄彦の性格がひねくれたため殺し、神武天皇に帰順して忠誠を誓った。 == 各説 == === アメノホアカリ === 『[[先代旧事本紀]]』では[[天火明命]](アメノホアカリ)と同一と伝わる。 *天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと) アメノホアカリの別名は以下。 *天照國照彦天火明尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり の みこと) *天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかり) *天火明命(あめのほあかりのみこと) *彦火明命 *膽杵磯丹杵穂命 *天照御魂神 === 大国主の子 === [[大国主]]の子とする説 *『[[播磨国風土記]]』では、[[大汝命]]([[大国主命]](オオクニヌシノミコト))の子とする === スサノオノミコトの子 === [[スサノオノミコト]]の子であり、[[大物主]]、加茂別雷大神、事解之男尊、日本大国魂大神、布留御魂,大歳尊と同一視する説 その他、古代史ブームの火付け役と目される[[原田常治]]は、推論に推論を重ね、大胆に結論を断定する手法で、[[大神神社]]の主祭神である大物主、[[上賀茂神社]]の主祭神である加茂別雷大神、[[熊野本宮大社]]の祭神である事解之男尊、[[大和神社]]の主神である日本大国魂大神、[[石上神宮]]の祭神である布留御魂、大歳神社の主祭神である[[大歳神]](大歳尊)と同一だとする<ref>原田常治 『記紀以前の資料による古代日本正史』 同志社</ref>。学術的には大いに問題があるという意見がある一方、影響を受けた作家も多い<REF>[http://www2.plala.or.jp/cygnus/k1.html 真説日本古代史]</REF>。 ==主な神社== *[[磐船神社 (交野市)|磐船神社]] -「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる巨岩を御神体としている。 *[[天照玉命神社]] *[[石切剣箭神社]] *[[國津比古命神社]] *[[物部神社]] *[[廣瀬大社]] *[[矢田坐久志玉比古神社]] *[[飛行神社]] - 大正時代に飛行機の神として創建。饒速日命は「[[天磐船]]に乗りて太虚(おおぞら)を翔行(めぐ)り」の古事<ref>『日本書紀 巻第三 神武天皇紀』「及至饒速日命、乘天磐船、而翔行太虛也」</ref>に基づき航空祖神とされ、空の神とも言われ信仰を集めている<ref>[[飛行神社]]参照</ref>。 *[[井関三神社]] - 天照神社(あまてる・じんじゃ)が[[崇神天皇]]2年(BC[[96年]])に巨岩の[[磐座]]を天照国照彦火明櫛玉饒速日命の御神体として創祀。 祭神同一視神社 *[[真清田神社]] - 尾張国一宮。(祭神の天火明命は本名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と社伝にいう) *[[籠神社]] - 元伊勢の最初の神社。(祭神の彦火明命はニギハヤヒの別名と社伝にいう) == 末裔 == ニギハヤヒを祖とする氏族に[[物部氏]]がある。[[穂積氏]]、[[曾禰氏]]、[[熊野国造|熊野国造和田氏]]も同祖とされる。[[弓削氏]]は物部氏と関連が深い。 == 脚注・出典 == {{reflist}} == 参考文献 == *[[田中卓]]「[http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/handle/10466/7588 第一次天孫降臨とニギハヤヒノ命の東征]」『社會問題研究』[[1957年]], 7(1), p.44-72,大阪社会事業短期大学社会問題研究会。 *[[高桑浩一]]「[https://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/handle/10959/1946 降臨伝承の比較研究: アメワカヒコ・ニギハヤヒと古代朝鮮の降臨神]」[[学習院大学]]人文科学論集(13),105-127,[[2004年]]10月。 ==関連項目== *[[日本の神の一覧]] *[[天火明命]] *[[神理教]] {{DEFAULTSORT:にきはやひ}} {{shinto-stub}} [[Category:日本の神]] [[Category:物部氏|*]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Main
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Shinto-stub
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:神道
(
ソースを閲覧
)
ニギハヤヒ
に戻る。
検索
検索
ニギハヤヒのソースを表示
話題を追加