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{{Otheruses|フランスの都市|その他}} {{Communefra |nomcommune=Troyes |image= [[ファイル:Blason ville fr Troyes.svg|150px]]<br />[[ファイル:Grande Place in Troyes, France.jpg|300px]] |région=[[シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏]] |département=[[オーブ県]] |arrondissement=小郡庁所在地 |canton=7 |insee=10387 |cp=10000 |gentilé= |maire=フランソワ・バロワン |mandat=[[2001年]] - [[2008年]] |intercomm=[[:fr:Communauté d'agglomération troyenne]] |longitude= 4.07917 |latitude=48.2997 |alt moy=118 m |alt mini=235 m |alt maxi=103m |hectares=1 320 |km²=市: 13,20 |sans=61,544 |date-sans=[[2008年]] |dens=4,662 |nomhab=Troyens |siteweb=[http://www.ville-troyes.fr/ ville-troyes.fr] |x= |y= |}} '''トロワ'''('''Troyes''')は、[[フランス]]北部、[[シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏]]の[[都市]]で、[[オーブ県]]の[[県庁所在地]]。 ==地理== [[セーヌ川]]に面し、[[パリ]]の南東約150キロ地点にある。 ==由来== [[file:Troyes centre ville1.JPG|left|thumb|200px|旧市街の木造建築]] [[file:TroyesCathedrale.JPG|left|thumb|200px|サン=ピエール・エ・サン=ポール聖堂]] ローマ時代の名はアウグストボナ(Augustobona)であった。この名と平行してユリオボナ(Juliobona、現在の[[リールボンヌ]])という地名が存在した。-bonaとは定住地を意味するので、前半のアウグストやユリオとは当時のローマ皇帝の名を表している。トロワという地名はガリア系のトリカッス族([[:fr:Tricasses|fr]])に由来する。4世紀の町の名はcivitas Tricassiumであった。7世紀にTrecassisとなり、9世紀にTrecasadiensとなった。13世紀にはTroiesとなった。 ==歴史== 120年、ローマ皇帝[[ハドリアヌス]]は遠征軍を率いてトロワに滞在したことがある<ref name="Boutiot">[http://books.google.com/books?id=dzMPAAAAYAAJ&pg=PA96&sig=7yRdOmVk_k7jBa1heNlSEuHrZAo&hl=fr Théophile Boutiot, Histoire de la ville de Troyes et de la Champagne méridionale, Volume 1, Dufey-Robert, 1870]</ref>。 484年、[[クロヴィス1世]]は石灰岩質の広大な平野が広がるトロワ周辺を征服し、シャンパーニュ(当時はカンパニア、Campania)と名づけた。511年のクロヴィス1世による王国分割によりシャンパーニュは[[アウストラシア]]の一部とされた。しかしトロワは[[クロドミル]]の領地となった。720年、スペインから北上してきたアラブ軍によってトロワは征服されている。[[ルートヴィヒ1世 (フランク王)|ルイ敬虔王]]時代の820年、アルランがトロワ伯とされた。889年には[[ヴァイキング]]に荒らされ、町は灰と化した。10世紀に再びヴァイキングが町を襲ったが、トロワ司教アンスギーズがこれを退けた。 1040年、[[ラビ]]である[[イサーク・ベン・ソロモン]]がトロワで誕生している。このことは、町中にユダヤ教の学校があったこと意味する。 12世紀、トロワ伯領は[[モー (フランス)|モー]]伯領と併合され、[[シャンパーニュ伯]]領が誕生した。1102年、ユーグ1世([[:fr:Hugues Ier de Champagne|fr]])が初めてシャンパーニュ伯を自称した。 1129年、トロワ公会議([[:fr:Concile de Troyes|fr]])がサン=ピエール・エ・サン=ポール聖堂で開かれ、[[ユーグ・ド・ペイヤン]]([[テンプル騎士団]]初代総長)ら名だたる聖職者たちが出席した。この公会議で、テンプル騎士団の創設が決定した。1188年、最初の大火で町の多くが破壊された。 1283年、[[ナバラ王国|ナバラ]]女王[[フアナ1世 (ナバラ女王)|ジャンヌ・ド・ナヴァール]]とフランスのフィリップ王子(のちの[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]の結婚によって、シャンパーニュはフランス王家と密接に結びつくようになった。中世の商業の拠点として重要な位置を占めた。[[12世紀]]から[[13世紀]]にまで開かれた[[シャンパーニュの大市]]でも主要な開催都市となった。1288年、トロワ住民によるユダヤ人への[[血の中傷]]が起こり、容疑者とされたユダヤ人たちを火あぶりにした([[:fr:Autodafé de Troyes|fr]])。 『ペルスヴァル』などを著し、中世[[騎士道物語]]の[[アーサー王伝説]]・[[聖杯伝説]]の発展に助力したことで著名な詩人[[クレティアン・ド・トロワ]]ゆかりの地という説もある。 [[百年戦争]]中には、[[高等法院 (フランス)|パリ高等法院]]がトロワへ移転した。1420年、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]とフランス王女[[キャサリン・オブ・ヴァロワ|カトリーヌ]]が結婚し、ヘンリー5世をフランス王位継承者とする内容の、イングランド優位の[[トロワ条約]]が締結された。 16世紀から20世紀まで[[ニット]]産業が栄えた。1770年当時、トロワには40のニット業者が存在し、ニットの一大中心地であった。[[17世紀]]には[[青本_(フランス)|青本]]の出版地として有名であった。 1910年1月21日から1月23日まで続いたセーヌ川洪水でトロワは甚大な被害を受けた。 戦間期にもニット産業は堅調であり、[[プティ・バトー]]、[[ラコステ]]、ディムを含む大工場がトロワに数多く建てられた。 1940年6月15日、[[ナチス・ドイツ]]軍が[[サンス]]、パリに次いでオーブ県の大半を占領した。ナチスによる爆撃を受けたトロワ住民はパニックに陥り、町を脱出した。ナチスのトロワ制圧後、町に残っていたのは約4000人の住民だけだった<ref>{{Cite web |url=http://www.lest-eclair.fr/index.php/cms/13/article/452257/Juin_1940___L_Etat_abandonne_la_cite |title=Juin 1940 : L'État abandonne la cité |work=L'Est Eclair |date= 6 juin 2010 |accessdate= 17 juillet 2010 }}</ref>。1944年8月26日、[[ジョージ・パットン|パットン]]将軍の軍によってトロワは解放された。解放2日前、ナチス・ドイツはトロワ南部のブシェールにおいて、[[オラドゥール=シュル=グラヌ]]のように 容疑を明らかにしないまま63人の住民を処刑し、家々に火を放っていた(ブシェールの惨劇)。 1960年代、東南アジアや東アジアから輸入されるニット製品との競合にさらされたトロワのニット産業は打撃を受けた。加えて、消費者のストッキング離れも起きていた。それでも現在のトロワとその近郊には、250のテキスタイル関連企業があり、フランスのトリコット・ニット([[:fr:Tricot (textile)|fr]])の一大生産地となっている。 == 経済 == かつては繊維産業が発展し、現在でもその名残を残す。[[アパレル]]の大手ラコステが本社を置く。 ==交通== *道路 - [[オートルート A5|A5]]、[[オートルート A26|A26]] *鉄道 - [[地域圏急行輸送|TER]]シャンパーニュ=アルデンヌ、トロワ駅 ==美食== [[file:Andouillette de Troyes.jpg|right|thumb|200px|アンドゥイエット]] *トロワの[[アンドゥイエット]](L'andouillette de Troyes) - 16世紀からその名が確認できるという<ref>{{Citeweb |url=http://www.cheminsgourmands.fr/ |title=chemins gourmands, le site de la collection gourmande |work=Site de la collection |accessdate=11 juin 2010 }}</ref>、豚の腸詰 == 姉妹都市 == * {{Flagicon|NED}} [[アルクマール]]、[[オランダ]] * {{Flagicon|UK}} [[チェスターフィールド (イングランド)|チェスターフィールド]]、[[イギリス]] * {{Flagicon|GER}} [[ダルムシュタット]]、[[ドイツ]] * {{Flagicon|BEL}} [[トゥルネー]]、[[ベルギー]] * {{Flagicon|POL}} [[ジェロナ・グラ]]、[[ポーランド]] == 関連書籍 == * {{Cite book|和書 |author = ジョゼフ・ギース |coauthors = フランシス・ギース |translator = 青島淑子 |title = 中世ヨーロッパの都市の生活 |origyear = 1982 |year = 2006 |publisher = 講談社 |series = 講談社学術文庫 |isbn = 4-06-159776-0 }} *: シャンパ-ニュ地方で商業の中心都市として栄えていた、1250年のトロワについて述べられている。 == 関連項目 == * [[トロワAC]] - トロワを本拠地とするサッカークラブ。 * [[トロイオンス]] - 貴金属や宝石の原石の計量に用いられる[[ヤード・ポンド法]]の質量単位。トロワが由来となっている。 * [[モレームのロベール]] - トロワ出身の修道士で[[シトー会]]創設者。 ==脚注== <references /> ==外部リンク== {{commons|Category:Troyes}} {{DEFAULTSORT:とろわ}} [[Category:フランスの都市]] [[category:県庁所在地 (フランス)]] [[Category:オーブ県のコミューン]]
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