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ダルマバラ
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'''ダルマバラ'''('''Darmabala''', [[1264年]] - [[1292年]])は、[[元 (王朝)|元]]の皇族。漢字表記は'''答剌麻八剌'''太子、『[[集史]]』の[[ペルシア語]]表記では ترمه بلا Tarma Balā 。世祖[[クビライ]]時代の皇太子[[チンキム]]の次男で、父の死後には祖父クビライの有力な後継者候補として将来を嘱望されたが、早世した。[[諡]]は昭聖衍孝皇帝、[[廟号]]は順宗。 ダルマバラは、チンキムが[[コンギラト]]部族出身の妻[[ココジン]]との間にもうけた3人の嫡子のうちの次男で、兄に[[カマラ (元朝)|カマラ]]、弟に[[テムル]]がいる。幼い頃から常にチンキムのもとに留められて膝下に育てられ、子供のうちに名門コンギラト部族出身の[[ダギ]]を妻に迎え入れるなど、皇孫として恵まれた環境に育った。 クビライの後継者の最有力候補として権勢を誇ったチンキムが[[1285年]]に没すると、その子である皇孫たちが後継者として重要な候補となった。ダルマバラは皇孫たちの中でも最も祖父に愛され、しばしば宮廷に呼ばれたので、後継者候補として有力になった。 [[1291年]]、ダルマバラはクビライの命令を受け、所領である[[河南省|河南]]の懐州に赴いたが、旅程上で病を発し、[[大都]]に呼び戻された。翌年初頭、クビライの移動宮廷([[オルド]])が夏の都[[上都]]に向かって季節移動を始めた後も病気の治療のため大都に留まったが、まもなく病死した。 親王ダルマバラは妃のダギとの間に[[カイシャン]]、[[アユルバルワダ]]の2子を残した。弟テムルの死後、[[1307年]]になってカイシャンが即位すると、亡父ダルマバラは順宗昭聖衍孝皇帝と[[諡]]され、皇帝に准ずる祭祀を受けた。 == 宗室 == * 父 [[チンキム]] * 母 [[ココジン]] * 兄 [[カマラ (元朝)|カマラ]] * 弟 [[テムル]] 后妃 * [[ダギ]] === 男子 === * 長男 エムゲ(阿木哥) * 次男 [[カイシャン]] * 三男 [[アユルバルワダ]] {{デフォルトソート:たるまはら}} [[Category:元代の人物]] [[Category:クビライ家]] [[Category:元の追尊皇帝]] [[Category:1264年生]] [[Category:1292年没]]
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