コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
ダウンフォール作戦のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
ダウンフォール作戦
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
[[ファイル:Operation Downfall - Map.jpg|thumb|350px|ダウンフォール作戦の全体図]] '''ダウンフォール作戦'''(ダウンフォールさくせん、''Operation Downfall'')とは、[[太平洋戦争]]時に[[アメリカ軍]]が計画した「日本本土上陸作戦」の作戦名である。発動前に日本が降伏したために、この計画は中止された。 ダウンフォール (Downfall) とは英語で'''「失墜」「滅亡」'''などといった意味であり、太平洋やアジア各地で大敗を続けても頑なに抵抗を行い続けていた日本に対し、その本土での陸上作戦を行い戦争を終結させるために検討された作戦である。 ''予想された戦闘の全体概要については「[[本土決戦]]」(日本側の呼称)を、日本軍の防衛作戦については[[決号作戦]]を参照'' == 日本本土上陸作戦 == === 作戦構想 === 日本本土上陸作戦が現れたのは、連合国による[[カイロ会談]]での「日本の早期無条件降伏のためには本土上陸も必要」という認識が最初と言われている{{要出典|date=2008年3月}}。アメリカ統合参謀本部は上陸作戦を検討し、[[1945年]]2月の[[ヤルタ会談]]直前に骨子が完成。上陸作戦を中心になり実行するアメリカとイギリスをはじめとする[[イギリス連邦]]軍に了承されることになる。 ダウンフォール作戦は次の2つの作戦から構成されている。両作戦では、徹底的な海上封鎖を実施して資源の乏しい日本を兵糧攻めにするとともに、広島長崎に続く原爆投下、及び大規模な[[化学兵器]]の使用、農地への薬剤散布によって食料生産を不可能にする事(すなわち、[[NBC兵器]]の無差別投入や、マスタードガス、[[サリン]]攻撃<ref name="sarin">[http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111211-00000010-pseven-int SAPIO2011年12月28日号 第2次大戦末期 米軍は日本本土上陸作戦でサリン攻撃準備]{{リンク切れ|date=2012年8月}} </ref> も検討されていた)。 ==== オリンピック作戦 ==== [[ファイル:Operation Olympic (Japanese).jpg|thumb|250px|オリンピック作戦]] オリンピック作戦は九州南部への上陸作戦であり、目的は関東上陸作戦であるコロネット作戦のための飛行場確保であった。作戦予定日は[[Xデー]]と呼称され、[[1945年]][[11月1日]]が予定されていた。(なお、この日程は日本軍に完全に読まれていたことが明らかとなり、後に機密漏えいを疑う騒動となった。[[堀栄三]]著作参照))海上部隊は空前の規模であり、空母42隻を始め、戦艦24隻、400隻以上の駆逐艦が投入される予定であった。陸上部隊は14個師団の参加が予定されていた。これらの部隊は占領した沖縄を経由して投入される。なお、これを支援するための兵力誘導用欺瞞作戦としては[[パステル作戦]] (Pastel)が計画されていた。パステル作戦は、連合国軍の作戦目標が1945年10月に中国大陸・上海周辺に上陸するものと見せかけ、日本軍の兵力をそちらへ誘導させるものであった。 また、直前の陽動作戦として、10月23日~30日に、[[第9軍団 (アメリカ軍)|第9軍団]](8万人)が[[高知県]]沖でもって、陽動上陸行動を行うことも計画されていた。 事前攻撃として、アメリカ軍とイギリス軍により[[種子島]]、[[屋久島]]、[[甑列島]]などの島嶼を、本上陸5日前に占領することも検討された。これは、沖縄戦の時と同じく、本上陸海岸の近傍に良好な泊地を確保することが目的である。この泊地は、輸送艦やダメージを受けた艦の休息場所に使われる。また、九州主要戦略目標地域に対して、[[マスタードガス]]を主体とする毒ガス攻撃も検討されていた。さらに米統合参謀本部は、神経ガス([[サリン]])を使用すれば、日本に侵攻してもほとんど死者を出さずにすむと信じ、ドイツ崩壊後から米軍が太平洋で毒ガス戦を展開できるよう、マスコミと協力して世論づくりをしていたことを記録した米軍の極秘資料が米国で報道された。この文書では、ジュネーブ協定で毒ガスの使用は禁止されていたが、日本軍が中国で使用したという事実が、米国側の罪悪感を軽減したとも指摘されている。<ref name="sarin"></ref> 上陸部隊はアメリカ[[第6軍 (アメリカ軍)|第6軍]]であり、隷下の3個軍団がそれぞれ[[宮崎県|宮崎]]、[[大隅半島]]、[[薩摩半島]]に上陸することとなっていた。これは日本軍の3倍以上の兵力になると、アメリカ軍では見積もっていた。大隅半島には日本軍の防御施設があったものの、宮崎や薩摩半島は手薄であったということも判断材料となった。 アメリカ軍の動員される兵力は25万2千人の歩兵と8万7千人の海兵隊から成る16個師団であり、ヨーロッパ戦線の部隊は予定されていない。上陸作戦を支援するため、アメリカ海軍は[[チェスター・ニミッツ]]提督に[[第3艦隊 (アメリカ軍)|第3艦隊]]と[[第5艦隊 (アメリカ軍)|第5艦隊]]を与えたが、これは太平洋で利用できるすべての艦隊に等しかった(それまで第3艦隊と第5艦隊が同一の作戦に参加することはなかった)。 [[第5艦隊 (アメリカ軍)|第5艦隊]]([[レイモンド・スプルーアンス]]提督)は、10隻の空母、16隻の支援空母で上陸作戦への近接支援を行い、上陸用舟艇や輸送船を含めた艦船の数は3,000隻に達した。またイギリス海軍も極東方面に展開していた艦隊を派遣することとなった。 第3艦隊([[ウイリアム・ハルゼー]]提督)は、17隻の空母と8隻の高速戦艦によって機動攻撃を担当した。1945年の中期までに連合軍は1,200機の戦闘機が投入可能であり、その数は月を追うごとに増えていた。オリンピック作戦が開始されるまでにアメリカ海軍は22隻の空母、イギリス海軍は10隻の空母を用意する予定であり、計1,914機の戦闘機が運用可能だった。 予想される連合軍の損害は、[[タラワ]]、[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]、沖縄の戦闘から類推して25万人と言われるが、これは見積もる人によって異なる。いずれにせよ、オリンピック作戦が実施された場合、第二次大戦最大の損害がアメリカ軍に生じたと推測できる。 なお、航空基地の確保が目的のため、南部九州のみの占領で作戦は終了し、北部九州への侵攻は行わないことになっていた。この基地は、翌年3月のコロネット作戦のための前進基地であり、72万人の兵員と3,000機が収納できる巨大基地となるはずだった。この基地からは、長距離爆撃機のみならず中距離爆撃機も関東平野を爆撃することができた。 ==== コロネット作戦 ==== [[File:コロネット作戦.jpg|thumb|300px|raght|コロネット作戦]] オリンピック作戦で得られた九州南部の航空基地を利用し、関東地方へ上陸する作戦である。上陸予定日はYデーと呼ばれ、1946年3月1日が予定されていた。コロネット作戦は洋上予備も含めると25個師団が参加する作戦であり、それまでで最大の上陸作戦となる予定であった。上陸地点は[[湘南海岸]]([[相模川]]沿いを中心に北進し、現[[相模原市]]・[[町田市]]域辺りより進路を東京都区部へ進行する計画予定)と[[九十九里浜]]から[[鹿島灘]]沿岸にかけての砂浜海岸が設定され、首都を挟撃することが予定されていた。湘南海岸には[[第8軍 (アメリカ軍)|第8軍]]、九十九里浜には[[第1軍 (アメリカ軍)|第1軍]]が割り当てられていた。 Yデーの3ヶ月前から艦砲射撃と空襲によって大規模な破壊を行ない、攻撃の中にはミサイル、ジェット戦闘機、化学兵器の使用も含まれていた。1946年3月に関東平野の南東と南西から上陸する連合軍は、古典的な挟撃作戦によって約10日で東京を包囲する。計画では湘南海岸に30万人、九十九里海岸に24万人、予備兵力合わせて107万人の兵士と1,900機の航空機という[[ノルマンディー上陸作戦]]をはるかに凌ぐ規模の兵力が投入される予定であった<ref>『相模湾上陸作戦 - 第二次大戦終結への道』大西比呂志・栗田尚弥・小風秀雄(有隣新書 ISBN 978-4896601329)</ref>。 両軍共に当作戦に備えて数々の新兵器を準備しており、アメリカ軍側は[[F8F (航空機)|F8Fベアキャット]]、ジェット戦闘機[[F-80 (戦闘機)|P-80シューティングスター]]、重戦車[[M26パーシング]]を生産し、イギリス軍は最新鋭のジェット戦闘機[[グロスター ミーティア]]を、日本側も特攻兵器を主軸としつつジェット戦闘機[[橘花 (航空機)|橘花改]]、戦闘機[[烈風]]、試作局地戦闘機[[震電]]、ロケット戦闘機[[秋水]]、[[五式中戦車]]などの開発を急いだ。 ==== 日本側の対応 ==== {{main|決号作戦}} 大本営の提唱する「[[玉砕#本土決戦と一億玉砕|一億玉砕]]」の[[プロパガンダ]]通り、男子15歳から60歳、女子17歳から40歳まで根こそぎ徴兵した国民2600万人を主力の陸海軍500万人と共に本土決戦に投入するとされていた。 1945年初期、[[大本営]]は[[本土決戦]]を想定して、さまざまな体制変更を試みている。その中でもっとも大きな変更は、本土防衛を主眼にして軍の命令系統を2つに分割したことである。東日本を[[第1総軍 (日本軍)|第一総軍]]、西日本を[[第2総軍 (日本軍)|第二総軍]]に振り分け、それぞれの司令部を[[市谷]]と[[広島]]においた。これは、それぞれ米軍の2つの作戦にも対応している。 なお、第二総軍司令部は[[広島市への原子爆弾投下]]で壊滅したが、指揮下にある九州と四国の軍は健在で、戦闘に支障はなかった。 日本側ではアメリカ軍の南九州・南四国侵攻の時期・規模をほぼ正確に予想していた。第二総軍[[第16方面軍 (日本軍)|第十六方面軍]]の予想では11月1日に上陸を開始、上陸地点は九州では宮崎海岸・志布志湾・吹上浜を挙げ、これらに基づいて宮崎・大隅半島・屋久島・種子島を担当する[[第57軍 (日本軍)|第五十七軍]]に加え、[[第40軍 (日本軍)|第四十軍]]を新設し吹上浜付近を担当させる事とした。四国では[[第55軍 (日本軍)|第五十五軍]]を新設した。 更にこれらの地域では陣地の新設が急ピッチで進められたが、九州では資材不足に加えてシラス台地の掘削が難航し、終戦時でも60〜80%程度の完成率であったといわれる<ref>『太平洋戦争 日本の敗因 (6) 外交なき戦争の終末』NHK取材班編(角川文庫 ISBN 978-4041954171)</ref>。[[昭和天皇]]は[[御前会議]]において、本土決戦を諦め[[ポツダム宣言]]受諾を支持する理由として、九十九里浜の陣地構築も出来てないことを指摘し、従来の例からしても計画に則った防衛体制は望めないであろうとの見通しを示唆している。 === 論争 === この作戦計画については、統合参謀本部内で意見の対立があった。統合参謀本部議長の[[ウィリアム・リーヒ|レーヒ]]元帥は、「すでに壊滅している日本に対し作戦を遂行する必要なし」として中止を提案。海軍作戦本部長[[アーネスト・キング|キング]]元帥も、「地上兵力投入による本土侵攻より海上封鎖が有効」と主張。陸軍航空隊総司令官[[ヘンリー・アーノルド|アーノルド]]元帥も「本土への戦略爆撃と海上封鎖が有効」と言う慎重論が出た。彼らがこのような主張をしたのは、日本軍との各諸島での戦闘、とりわけ硫黄島や沖縄戦での損害の大きさに、本土戦での犠牲者の数を懸念したためである。 それに対し、「本土侵攻による大戦の早期終結を」と主張する[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]元帥や、陸軍参謀総長マーシャル元帥と太平洋艦隊司令長官[[チェスター・ニミッツ|ニミッツ]]元帥がこの計画を支持した。最終的に作戦は承認され、マッカーサーに対して作戦準備指令が下っている。 ダウンフォール作戦全体の連合軍側の損害予測として、レーヒは死傷者約27万人、マッカーサーはフィリピン戦などの経験に基づき死傷者約5万人と見積もっていた。<ref>『決定版 太平洋戦争』第8巻、学研パブリッシング、2010年、65頁</ref> == 作戦中止 == [[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]]大統領の死去に伴い、跡を継いだ[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]大統領は、ポツダムでの会議中に原爆実験の成功の報を聞き、ソ連の日本参戦を阻止するため、そして日本をソ連の助力なしに英米のみで屈服させることが可能になったことから作戦中止を決定する。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連作品 == === 関連書籍 === * 『日本殲滅 - 日本本土侵攻作戦の全貌』([[トーマス・アレン]]、[[ノーマン・ポーマー]]、翻訳・[[栗山洋児]]/光人社) : 太平洋戦争初期からダウンフォール作戦に至る米軍の作戦計画を追ったドキュメント。 * 『日本本土決戦』([[檜山良昭]]/光文社) : 日本が降伏せず、本土侵攻作戦が実行されていたらという想定で書かれた[[小説]]。いわゆる[[架空戦記]]のはしりと言える作品ではあるが、絶望的で凄惨な展開に終始するところは他と一線を画する。なお、この作品中では、「ダウンフォール作戦」は、日系人兵士の部隊を[[松代大本営]]に潜入させ、天皇にトルーマン大統領の親書を手渡すとともに軍部から保護して脱出させ、日本人に終戦を呼びかけさせるという、コロネットの補助的作戦の名称として扱われている。 * 『幻の本土決戦 房総半島の防衛』(千葉日報社) : コロネット作戦実行―米軍上陸の場合は最前線になる事が予想された、房総半島東岸の防衛体制の跡をルポ。 === ボードゲーム === * Ty Bomba, "DownFall: If the US Invaded Japan, 1945", Strategy & Tactics No.230, Decision Games, 2005 * "Operations Olympic & Coronet", World at War No.27, Decision Games, 2012 === テレビゲーム === * [[RING of RED]] : 本作は日本がポツダム宣言を受け入れず、連合国軍との本土決戦に敗れた末に分断された設定だが、劇中の登場人物の言によると本土決戦に際してアメリカ軍はコロネット作戦で、九十九里浜に原爆を投下したとのこと。なお、九十九里浜自体は敗戦後に誕生した西側陣営に属する日本国(南日本)の領土であるが、残留放射能の関係で復興が大々的に行われず、加えて東側陣営に属する日本共和国(北日本)との国境に近いせいか、一般人はあまり住んでいない反面南日本政府当局と敵対している左翼共産ゲリラの活動域となっている。 == 関連項目 == * [[日本の分割統治計画]] == 外部リンク == * [http://www.fas.org/irp/eprint/arens/chap1.htm fas.org] * [http://www.upa.pdx.edu/IMS/currentprojects/TAHv3/Content/PDFs/Operation_Downfall.pdf Operation Downfall] * [http://www.historyofwar.org/articles/wars_downfall2.htm Operation Downfall] * [http://gold.natsu.gs/WG/ST/230/Aricle/index.html 日本殲滅作戦 Downfall] {{太平洋戦争・詳細}} {{War-stub}} {{DEFAULTSORT:たうんふおおるさくせん}} [[Category:太平洋戦争の作戦と戦い]] [[Category:計画]] [[Category:中止]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Main
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:War-stub
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:リンク切れ
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:太平洋戦争・詳細
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:要出典
(
ソースを閲覧
)
ダウンフォール作戦
に戻る。
検索
検索
ダウンフォール作戦のソースを表示
話題を追加