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[[Image:Sogdiana-300BCE.png|thumb|250px|ソグディアナ]] '''ソグディアナ'''('''Sogdiana''')は、[[中央アジア]]の[[アムダリヤ川]]と[[シルダリヤ川]]の中間に位置し、[[サマルカンド]]を中心的な都市とする[[ザラフシャン川]]流域地方の古名。[[バクトリア]]の北、[[ホラズム]]の東、[[康居]]の南東に位置する地方。現在の[[ウズベキスタン]]の[[サマルカンド州]]と[[ブハラ州]]、[[タジキスタン]]の[[ソグド州]]に相当する。[[イラン語群|イラン系]]の言語を話す[[ソグド人]]と呼ばれる民族が居住したことからつけられた[[ギリシャ語]]・[[ラテン語]]の名称で、西からみてオクサス川(アムダリヤ川)の向こう側にあることから、[[トランスオクシアナ]]とも呼ばれる。[[中国]]の[[歴史書]]では'''粟特'''と記されている。 もともと[[イラン]]との政治的・文化的なつながりが深く、[[アケメネス朝]]時代の[[紀元前6世紀]]には[[ペルシア帝国]]に併合されてその地方州となった。この時、ソグディアナに[[アラム文字]]が持ち込まれ、のちに[[ソグド語]]がアラム文字で表記されるようになった。アケメネス朝の滅亡後は[[マケドニア王国]]の[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]に征服され、その死後は南に位置する[[バクトリア]]の地方州とされた。 内陸アジアの東西交通・南北交通の要衝であることから周辺勢力の侵入が著しく、さらに[[大月氏]]、[[康居]]、[[クシャーナ朝]]、[[エフタル]]、[[突厥]]など周辺の[[遊牧国家]]の支配を受けたり、[[サーサーン朝]]のもとでイランの支配に服したりした。住民のソグド人も交通の要衝であることや、強大な遊牧国家の傘下にあることを生かして交易活動に従事するようになり都市文明が繁栄する。 [[8世紀]]には[[アラブ人]]によって征服され、[[イスラム教]]を受容した。[[アラビア語]]では「川の向こう側にある地方」を意味する[[マーワラーアンナフル]]の名で呼び、やがてこの地名が定着する。イスラム時代には言語的に[[ペルシア語|近世ペルシア語]]を用いるようになって[[ソグド語]]が廃れ、イランとの文化的な繋がりをより緊密にした。後には言語的な[[テュルク]]化が進み、ペルシア語の一種である[[タジク語]]と[[テュルク諸語]]の[[ウズベク語]]が話されるようになって現代に至っている。 == ソグディアナの主な諸都市 == '''太字'''は唐代の「九姓昭武姓」([[昭武九姓]])に数えられている都市。 * [[タラス]] * '''[[タシュケント]]'''(チャーチ;石国) * [[ホジェンド]] * ウスルーシャナ(東曹国) * '''カブーダン'''(曹国) * [[イシュティハン]](西曹国) * '''マーイムルグ'''(ペンジケント遺跡が有力説;米国) * '''[[サマルカンド]]'''(康国) * '''クシャーニヤ'''(何国) * '''キシュ'''(現[[シャフリ・サブズ]];史国) * ナサフ (現[[カルシ]];小史国) * '''[[ブハラ]]'''(安国) * ザンダナ * '''パイカンド'''(畢国) ==関連項目== * [[トランスオクシアナ]] * [[ソグド人]] * [[ソグド語]] * [[ソグド文字]] [[Category:ウズベキスタンの歴史|そくていあな]] [[Category:中央ユーラシアの歴史的地域|そくていあな]]
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