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'''ジンサク'''(''Jimsaku'')とは、1990年から1998年まで活動した[[櫻井哲夫]]([[ベース (弦楽器)|ベース]])と[[神保彰]]([[ドラムス]])によって結成された[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]のユニット。ジンサクという名前は2人の名字の頭文字“神・櫻”から採られた。 == 活動史 == === カシオペア脱退からジンサクへ === [[1989年]]、[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]がグループとしての活動を休止し、メンバーの個人活動期間に入った際、櫻井と神保はカシオペア以外のメンバーを集めてボーカル音楽のバンド、[[シャンバラ (バンド)|シャンバラ]]を結成。シャンバラはアルバム『SHAMBARA』を制作し、ライブ活動も始める。しかし、カシオペアのリーダー・[[野呂一生]]と[[向谷実]]は「シャンバラの今後の継続的な活動は、直に迫るカシオペアの活動再開に支障を与える」として二人に活動停止を要請。結果、櫻井と神保はそれを断り、カシオペアを脱退してしまう。しかし、シャンバラは生まれたばかりで認知度はまだ低かったため、2人は1990年、カシオペア活動時と同じフュージョン・シーンで活動するためのユニット、ジンサクを別に結成するに至った。 ジンサクのシャンバラに対しての違いは、インストゥルメンタル音楽専門に徹するのともう一点、櫻井と神保の2人以外のメンバーはあくまでサポートやフィーチャリングとしてその都度迎え入れる、フレキシブルな対応を採ることにしたことにある。1990年結成の年、早くもファーストアルバムを制作した後、[[森村献]]([[キーボード (楽器)|キーボード]])、[[是方博邦]]([[ギター]])、[[吉弘知鶴子]](キーボード)ら名うての[[音楽家|ミュージシャン]]をパーマネント・サポートに招き入れて、ライブ活動も開始。カシオペアのメンバーチェンジ発表も相まってフュージョン・ファンへの認知は速く、話題も呼んだ。しかし、シャンバラの方は諸々の事情から再構築せざるを得ない状況に陥り、「シャンバラ・ジンサク両方を平行して活動させていく」と表明していたものの、この年は何にも出来ないまま、そして明確にしないままに消滅という尻すぼみな形で活動を閉じてしまった。 === 初期のラテン・スタイル === ジンサクの初期の活動は、櫻井と神保が好んでいた[[ラテン音楽]]をモチーフにし、旧来の[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]以外のスタイルを続々と発表。フュージョンとカテゴリは違えど[[オルケスタ・デ・ラ・ルス]]らとともに新しいラテン・スタイルの音楽として注目を浴びた。[[1993年]]のアルバム『WIND LOVES US』からラテン色が薄まりはじめ、カシオペア時代と同じ毎年1ないしは2作品の急激な制作ペースが祟って、90年代半ばの作品はアイデアを出し尽くしてしまった感があり、アルバムやその中の楽曲はデビュー初期のものに比べ、かつて在籍していたカシオペアのサウンドをなぞるようなものとなってしまった。櫻井は[[ベースマガジン]]のインタビューにて、『45℃』発表の時点では「ジンサクのコンセプトにファンクはないので、ファンキーな曲を取り入れるつもりはない」としていたものの、後にファンク調の曲が収録されたアルバムの発表時には「(スタイルに)執着するのは好きではない」と方向転換と受け止められる談話をしていた。 === 後期の多岐にわたるスタイル === この状況を打破するため、[[1996年]]からはパーマネント・サポートでのバンド体制を解散し、ジンサクは櫻井と神保だけによる活動体制に入る。ライブの都度に毎回違うフィーチャリング・アーティストを招いたり、ジンサク側から他アーティストのセッションに参加するなどして活動の幅を広げた。また、2人だけによる「JIMSAKU 100%」と銘打ったライブも行うようになり、[[ベース (弦楽器)|ベース]]と[[ドラムセット|ドラム]]のテクニックの限界を超えた超絶技巧の洪水に観る者の度肝を抜いた。話題を振りまいたこの年は[[角松敏生]]にプロデュースを依頼し、日本語ボーカル曲をフィーチャリングしたアルバム『DISPENSATION』、翌[[1997年]]には当時流行っていた[[ドラムンベース]]をモチーフにJIMSAKU 100%のスタイルを投入したアルバム『MEGA db』を発表。既存のフュージョンの枠を脱した活動を行うようになる。しかし、振り返ってみればこれらはジンサク結成の理念を揺るがすものであった。そして折からの2人別々のソロ活動に比重が高まっていたこともあり、[[1998年]]1月この月かぎりにジンサク名義でのライブを最後とし、翌月2月、ジンサクの名をはずした櫻井&神保によるセッション名義のライブにてジンサクの解消を正式発表。8年に及ぶ活動に終止符を打った。 ==ディスコグラフィ== ===シングル=== * 「ネイブル・オブ・ジ・アース」(''NAVEL OF THE EARTH'', [[1994年]]) * 「アウェイクニング」 (''AWAKENING'', [[1995年]]) * 「メイク・マイ・タイム」 (''MAKE MY TIME'', [[1996年]]) ===アルバム=== * 「ジンサク」 (''JIMSAKU'' , [[1990年]]) * 「45℃」 (''FORTY-FIVE DEGREES'', [[1991年]]) * 「ジェード」 (''JADE'', [[1992年]]) * 「ビバ!」(''VIVA!'', [[1992年]]) - ライブ盤 * 「100パーセント」 (''100%'', [[1993年]]) - ライブ盤 * 「ウィンド・ラブズ・アス ~風は僕等を愛している」 (''WIND LOVES US'' , [[1993年]]) * 「ネイブル」 (''NAVEL'', [[1994年]]) * 「ブレイズ・オブ・パッション」 (''BLAZE OF PASSION'', [[1995年]]) * 「ベスト・セレクション」(''BEST SELECTION'', [[1995年]]) - 公式ベスト盤 * 「ディスペンセーション」 (''DISPENSATION'', [[1996年]]) * 「メガ db」 (''MEGA db'', [[1997年]]) [[Category:日本のバンド|しんさく]] [[Category:日本のフュージョン・ミュージシャン|しんさく]]
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