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[[Image:Mermoz-genas.JPG|thumb|250px|right|ジャン・メルモーズの墓]] '''ジャン・メルモーズ'''('''Jean Mermoz''', [[1901年]][[12月9日]] - [[1936年]][[12月7日]])は、[[フランス]]の[[パイロット]]。1920年代から1930年代における、[[アフリカ]]・[[南アメリカ|南米]]間の民間空路開拓に多大な業績を残した、国民的な英雄である。 == 経歴 == 1919年[[フランス空軍]]に志願入隊。パイロットとして[[シリア]]や本国で勤務後、1923年に除隊。翌年にラテコエール航空会社に入社している。1926年、[[トゥールーズ]]・[[ダカール]]間の路線で飛行していたメルモーズは、[[サハラ砂漠]]での不時着を余儀なくされるも、無事生還。この出来事は、同僚の[[アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ|サンテグジュペリ]]の小説の題材になった。1930年5月、2人の同僚と[[ラテコエール28]]水上機で[[セネガル]]の[[サン=ルイ (セネガル)|サンルイ]]から[[ブラジル]]の[[ナタール]]まで飛び、南大西洋横断飛行に成功。1933年には陸上機[[:en:Couzinet 70|クージネ70型機]]"虹号"で、同区間を14時間掛けて飛び、無着陸横断を果たした。1934年には虹号で南大西洋を8回も横断している。また、周囲の影響を受け[[火の十字団]]と関わるようになり1934年に入団。たちまち広告塔となり後継政党であるフランス社会党(同名の政党とは無関係)では党副総裁となった。 1936年12月7日、[[ラテコエール 300|ラテコエール300]]型飛行艇"南十字星号"で南大西洋の横断飛行中、後部右エンジンの停止を告げる通信を最後に消息を絶った。 『わが飛行』("MES VOLS")という著書が、死後翌年の1937年に出版されている。 == 関連作品 == *『空の英雄メルモーズ』 ジョセフ・ケッセル(著) 山崎 庸一郎 (訳), 水野 綾子 (訳) 中央公論社 == 外部リンク == * [http://www.latecoere.com/asuivre/merm1.htm Extrait du livre de Mermoz "Mes vols"] ==参考文献== *[[佐貫亦男]] 著『空のライバル物語』 酣燈社、1971年 [[category:フランスのパイロット|めるもす]] [[Category:航空事故死した人物|めるもおすしやん]] [[Category:1901年生|めるもおすしやん]] [[Category:1936年没|めるもおすしやん]]
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