コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
ジャイナ教のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
ジャイナ教
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{ジャイナ教}} [[File:Swastik4.svg|thumb|ジャイナ教のシンボル]] '''ジャイナ教'''(ジャイナきょう、[[サンスクリット|梵]]:'''जैन''' ''Jaina''、[[英語|英]]:Jainism)とは、[[マハーヴィーラ]]([[ヴァルダマーナ]]、[[紀元前6世紀|前6世紀]]-[[紀元前5世紀|前5世紀]])を祖師と仰ぎ、特に[[アヒンサー]](不害)の誓戒を厳守するなどその徹底した[[苦行]]・[[禁欲主義]]をもって知られる[[インド]]の[[宗教]]。「'''ジナ教'''」とも呼ばれる。 仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが、その国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、今日もなおわずかだが無視できない信徒数を保っている。日本国内には、[[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]に寺院がある。 == 起源 == [[File:Shravanabelagola2007 - 11.jpg|thumb|ジャイナ教のジナ像]] [[File:Kerala jain temple.jpg|thumb|ケララ州のジャイナ教寺院]] 「マハーヴィーラ」(Mahāvīra)は、本名「ヴァルダマーナ」(Vardhamāna、栄える者)。[[仏典]]ではニガンタ・ナータプッタ(nigaṇṭha nātaputta, निगण्ढ नातपुत्त)の名で釈迦在世時代の代表的な自由思想家たち('''[[六師外道]]''')の一人である。彼は「ナータ族の出身者」で、古くからの宗教上の一派ニガンタ(束縛を離れた者)派で修行したのでそう呼ばれた。彼はニガンタ派の教義から「ジャイナ教」を確立し、以来「マハーヴィーラ」(偉大な勇者)の尊称で広く知られた。 マハーヴィーラは[[マガダ国|マガダ]](現[[ビハール州]])のバイシャーリー市近郊のクンダ村に、[[クシャトリア]](王族)出身として生まれた。父親の名はシッダールタ、母親はトゥリシャラー。30歳で出家してニガンタ派の行者となり、12年の苦行ののち真理を[[悟り#ジャイナ教|悟り]]「ジナ」(Jina、勝利者)となった。ジャイナ教とは「ジナの教え」の意味。マハーヴィーラで12代目のジナとされた。<ref>[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9#23.E4.BA.BA.E3.81.AE.E3.83.86.E3.82.A3.E3.83.83.E3.82.BF.E3.83.B3.E3.82.AB.E3.83.A9 24代目とする説もある]。マハーヴィーラの1代前のジナは、マハーヴィーラが生きた時代の二百~三百年前に実在したことが裏づけられるとする学説もある。</ref> 以後30年間遊行しながら教えを説き広め、信者を獲得し、72歳でパータリプトラ(現パトナ)市近郊で生涯を閉じた。 == 教義 == === 相対主義と断定の回避 === ヴァルダマーナは当時の自由思想家の一人として[[バラモン教]]の供犠や祭祀を批判し、あわせて[[ヴェーダ]]の権威を否定して、[[合理主義哲学|合理主義]]的な立場から独自の教理・学説をうち立てた。[[サンジャヤ・ベーラッティプッタ]]や釈迦と同様、彼は言語による真理表現の可能性を深く模索した。ヴァルダマーナは、'''真理は多様に言い表せる'''と説き、一方的判断を避けて「相対的に考察」することを教えた。これがジャイナ教の「相対主義」(アネーカーンタ・ヴァーダ、anekaanta-vaada)である。 具体的な表現法としては、「これである」「これではない」という断定的表現をさけ、常に「ある点からすると(スヤート、syaat)」という限定を付すべきだとする、「スヤード・ヴァーダ理論」(syaad-vaada)を説いた。これによりジャイナ教徒を「スヤード・ヴァーディン」(syaad-vaadin)ともいう。ジャイナ教は、相対主義を思想的支柱とし、後世「ヴェーダーンタ学派」の不二一元論や「サーンキヤ学派」の二元論、また「仏教」の無我論などと対抗してインド思想史上重要な位置を占めた。 === 「三宝」の重視と五誓戒 === ジャイナ教では宗教生活の基本的心得を、「三つの宝」(トリ・ラトナ、tri-ratna)と称して重んじる。(1)正しい信仰、(2)正しい知識、(3)正しい行い、である。[[モクシャ (ジャイナ教)|モークシャ]]([[解脱]])を目的として行われる宗教生活上で重要なのは(3)の正しい行い、つまり戒律に従って正しい実践生活を送ることである。 修行生活に関する規定は多くあるが、基本は出家者のための五つの大誓戒(マハーヴラタ、mahaavrata)、(1)生きものを傷つけないこと([[アヒンサー]])、(2)虚偽のことばを口にしないこと、(3)他人のものを取らないこと、(4)性的行為をいっさい行わないこと、(5)何ものも所有しないこと(無所有)である。在家者は同項目の五つの小誓戒(アヌヴラタ、aNuvrata)を守る。他宗教と比べて特徴的なのは(5)の無所有(アパリグラハ、aparigraha)であり、とくに裸行派の伝統に強く生きている。 (1)の誓戒、アヒンサーの厳守はもっとも重要である。ジャイナ教はあらゆるものに生命を見いだし、[[動物]]・[[植物]]はもちろんのこと、地・[[水]]・[[火]]・[[風]]・大気にまで霊魂(ジーヴァ)の存在を認めた。したがって、アヒンサーの誓戒のためにあらゆる機会に細心の注意を払う。宗派によっては[[空気]]中の小さな生物も殺さぬように白い小さな布きれで口をおおう([[イエズス会]]の伝道師たちがジャイナ教徒に顕微鏡で普段飲んでいる水をみせたところ、それをみたジャイナ教徒は水が微生物にあふれていることを知り、飲むよりは衰弱死を選んだという報告書の存在が[[トマス・ブルフィンチ]]の著書に記されている)。 また、「出家者は路上の生物を踏まぬようにほうきを手にする」という説明が各所にみられるが、実際には道を掃きながら歩くわけではなく、座る前にその場を払うための道具である。とはいえ、これはアヒンサーの徹底ぶりを象徴している。食生活はジャイナ教の生物の分類学上、できる限り下等なものを摂取すべきであり、[[球根]]類は植物の殺生に繋がるため厳格なジャイナ教徒は口にしない。 アヒンサーを守るための最良の方法は「[[断食]]」であり、もっとも理想的な死はサッレーカナー(sallekhanaa)、「断食を続行して死にいたる」ことである。マハーヴィーラも断食の末に死んだとされ、古来、段階的な修行を終えたジャイナ出家者・信者のみがこの「断食死」を許された。 だが、ジャイナ教徒にとってのアヒンサー(不害)は、身体的行為のみならず、言語的行為、心理的行為の3つを合わせたものとして理解されなければならない。人を傷つけることばを発することや人には気づかれなくとも心の中で他者を傷つけるようなことを思うことさえもジャイナ教徒は罪と考えるのである。これこそがアヒンサーの厳しさである。 また、例えば動物に襲われたときにも自衛のために動物を傷付けてはいけない。つまり、アヒンサーを忠実に守るためには死をも覚悟しなければならない。これは現世の身体は不浄のものであるから肉体に執着してはならないという考えに裏打ちされている。 == 白衣派と裸行派 == [[File:Jain meditation.jpg|thumb|ジャイナ教徒の瞑想]] マハーヴィーラ在世時、マガダのセーニヤ(seNiya、仏典中に見られる[[ビンビサーラ]])王やその王子クーニヤ(K^u.niya、[[アジャータシャトル]])などの帰依・保護を受けて、すでに強固な教団を形成していたと思われるが、彼の没後はその高弟(ガナ・ダラ、gaNadhara。「教団の統率者」)たちのなかで生き残ったスダルマン(sudharman、初代教団長)などにより順次受け継がれ、[[マウリヤ朝]]時代には[[チャンドラグプタ (マウリヤ朝)|チャンドラグプタ]]王や宰相[[カウティリヤ]]などの庇護を得て教団はいっそうの拡大をみた。それ以降のジャイナ教教団史をみる上では、白衣(びゃくえ)派(シュヴーターンバラ、svetambara)と裸行派(or空衣派:くうえは、ディガンバラ、digambara)が分裂しながらも存続している。 両派の分裂は1世紀頃に起こったと伝えられる。相違点は、白衣派が僧尼の着衣を認めるのに対し、裸行派はそれを無所有の教えに反するとして裸行の遵守を説く。また、裸行派は裸行のできない女性の解脱を認めない。白衣派は行乞に際して鉢の携帯を認めるが、裸行派ではこれも認めない。 概して白衣派は寛容主義に立つ進歩的なグループ、裸行派は厳格主義に徹する保守的なグループであるといえる。ただし、両派の相違は実践上の問題が主で、教理上の大きな隔たりはみられない。 中世、[[イスラム教]]徒のインド侵入は仏教のみならずジャイナ教にも打撃を与えたが、それを契機として、ジナ尊像の礼拝を否定するロンカー(lonkaa)派が新たに誕生するなど、伝統はとだえることはなかった。現在は白衣派・裸形派とも多くの分派が派生している。そのなかで最大の勢力は白衣派の尊像崇拝派(ムールティプージャカ)であり、さらに多くのガッチャと呼ばれる分派に分かれている。 == ジャイナ教の現況 == [[File:In-jain.svg|thumb|ジャイナ教の旗]] [[File:Shravanbelgola Gomateshvara feet prayer1.jpg|thumb|ジャイナ教徒]] 現在、白衣派の多くみられるのは[[グジャラート州|グジャラート]]、[[ラージャスターン州|ラージャスターン]]両州、[[ムンバイ]](ボンベイ)などである。寺院で尊像を礼拝するデーフラーバーシー dehraavaasii派とこれを行わないスターナクバーシーsthaanakvaasii派の2派がある。 裸行派はほとんど南インドに集中するが、[[マディヤ・プラデーシュ州]]にも多少みられる。テーラーパンティteraapanthiとビスパンティvispanthiの2派があるが、生活儀礼の上でわずかな相違がみられるのみである。 殺生を禁じられたジャイナ教徒の職業は[[カルナータカ州]]に例外的に知られているわずかな農民を除けばほとんどが商業関係の職業に従事し、商才にたけたジャイナ商人は有名である。現在ジャイナ教徒は2001年のインド国勢調査(Census 2001)によれば450万人ほどを数え、これは全人口の0.5%にも満たないが、インド社会において事実上の一カーストを形成している。ただし、ここでいうカーストとは職業的内婚集団と説明される「[[ジャーティ]]」の意味合いである。インド社会でのジャイナ教徒の結束はきわめて固く婚姻も多くがジャイナ教間だけでおこなわれることがそれを裏付けているといえる。 == ジャイナ聖典およびジャイナ教文献 == ジャイナ教の聖典はシッダーンタ(siddhaanta)あるいはアーガマ(aagama)と呼ばれる。白衣派では、前3世紀ころ[[パータリプトラ]]で開かれた最初の聖典編纂会議で古聖典(14のプッバ (puvva)。聖典名は俗語形)に関する記憶が集められ12のアンガ (AGga)が編纂されたが、最終的に5世紀ころ西インドのバラビーにおける編纂会議でまとめられた。 白衣派聖典の言語は俗語アルダ・マーガディー語(半マガダ語)で、伝統的にはアールシャ(aarSa、聖仙のことば)と呼ばれる。これに対し裸行派はいにしえの聖典はすべて散逸したとして俗語シャウラセーニー語(zaurasenii)で書かれた独自の文献を聖典とする。 [[サンスクリット]]で最初に書かれたのは有名なウマースヴァーティ(umaasvaati)の教理綱要書(タットヴァールターディガマ・スートラ)である。裸行派の学匠クンダクンダ(kundakunda(4-5世紀))は自派の聖典用語で(ニヤマサーラ、niyamasaara)など哲学書を書いた。また、白衣派のハリバドラ・スーリ(haribhadra suuri(8世紀ごろ))はジャイナ教聖典に対して初めてサンスクリット語で注釈を書き、『六派哲学集成』等の哲学書の他、文学作品、ヨーガに関する書物など、多彩な作品を残した。 白衣派のヘーマチャンドラ(12世紀)は諸学に通じ、すぐれた文法学者・文筆家として多くの作品を残した。 俗語文学は10世紀前後にはアパブランシャ語作品が流行し、ダナパーラ(dhanapaala)の叙事詩(バビサッタカハー、bhavisattakahaa)などのすぐれた作品を生んだが、その後もジャイナ教徒はサンスクリットとともに、その時代の地方語・俗語を文学作品に用いた。中世裸行派の中心となった南インドでは、[[タミル語]]や[[カンナダ語]]で多くの文学作品が作られた。 == 関係文献 == * 『思想の自由とジャイナ教 - 決定版[[中村元 (哲学者)|中村元]]選集 第10巻』([[春秋社]]、1991年) * 『ジャイナ認識論の研究』([[長崎法潤]]著、[[平楽寺書店]]、1988年) * 『ジャイナ教 非所有・非暴力・非殺生 - その教義と実生活』([[渡辺研二]]著、[[論創社]]、2005年) * 『ジャイナ教入門』(渡辺研二著、現代図書、2006年) === 関係論文 === * [http://ci.nii.ac.jp/search?q=ジャイナ CiNii>ジャイナ] * [http://tripitaka.l.u-tokyo.ac.jp//INBUDS/search.php?m=sch&a=&uekey=ジャイナ INBUDS>ジャイナ] ==脚注== <references/> == 関連項目 == * [[ダルマ (ジャイナ教)]] * [[マハーヴィーラ]] * [[アヒンサー]] ** [[ジャイナ教のアヒンサー]] * [[菜食主義]](ベジタリアニズム) * [[ヴィーガニズム]] == 外部リンク == *[http://kamit.jp/03_jaina/jaina.htm ジャイナ教の建築([[神谷武夫]])] {{DEFAULTSORT:しやいなきよう}} {{Link FA|ro}} [[Category:ジャイナ教|*]] [[Category:インドの宗教]] [[Category:非暴力]] [[Category:東洋文化]] [[Category:菜食主義]] {{Link GA|en}}
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Link FA
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Link GA
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:ジャイナ教
(
ソースを閲覧
)
ジャイナ教
に戻る。
検索
検索
ジャイナ教のソースを表示
話題を追加