コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
ジハードのソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
ジハード
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{otheruseslist|イスラム教の教義|[[定金伸治]]によるライトノベル作品|ジハード (小説)|[[史村翔]]らによる少年漫画作品|G-HARD|[[河惣益巳]]による少女漫画作品|ジェニー・シリーズ}} {{Islam}} '''ジハード'''({{rtl-lang|ar|جهاد}} {{lang|ar-Latn|jihād}})は、[[イスラーム]]において信徒([[ムスリム]])の義務とされている行為のひとつ。 ジハードは本来、「努力」「奮闘」の意味であり、ムスリムの主要な義務である[[五行 (イスラム教)|五行]]に次いで「第六番目の行」といわれることがある<ref name=esposito>[[#エスポジト|エスポジト(2009)pp.198-200]]</ref>。日本では一般に「[[聖戦]]」と訳されることが多いが、厳密には正しくない。ジハードの重要性は、[[イスラーム]]の[[聖典]]『[[クルアーン]](コーラン)』が神の道において奮闘せよと命じていることと、あるいはまた、[[預言者]]([[ムハンマド]])と初期のイスラーム共同体([[ウンマ (イスラム)|ウンマ]])のあり方に根ざしている<ref name=esposito/>。 ジハードは、『クルアーン』に散見される「神の道のために奮闘することに務めよ」という句のなかの「奮闘する」「努力する」に相当する[[動詞]]の語根 jahada (ジャハダ、{{lang-ar|جهد}})を[[語源]]としており、[[アラビア語]]では「ある目標をめざした奮闘、努力」という意味である<ref name=esposito/>。この「努力」には本来「神聖」ないし「[[戦争]]」の意味は含まれていない。しかし、『クルアーン』においてはこの言葉が「異教徒との戦い」「防衛戦」を指すことにも使われており、これが異教徒討伐や非ムスリムとの戦争をあらわす「聖戦」(「外へのジハード」)の意に転じたのである。したがって、「聖戦」という訳語は、ジハード本来の意味からすれば狭義の訳語ということができる<ref name=atsumi287>[[#渥美|渥美(1999)pp.287-291]]</ref><ref group="注釈">「聖戦」に相当する用法としては、『クルアーン』第9章第81節に「居残り組の者どもは、アッラーの使徒が(出征した)後に残されて大喜び。もともと、彼らとしては、己が財産と生命を擲ってアッラーの道に闘うのは嫌だと思っていた」の「闘う」の部分にジハードの動詞形の三人称複数活用形“{{lang|ar-Latn|yujāhidū}}"が用いられている。</ref>。 == イスラーム共同体の歴史とジハード == イスラームとならび「[[世界宗教]]」と称される[[仏教]]・[[キリスト教]]と比較した際の、イスラーム教のきわだった特徴としては、政教一体の[[宗教]][[共同体]]の存在があげられる<ref name=iwamura>[[#岩村|岩村(1975)pp.219-221]]</ref>。この宗教は、単なる個人的・内面的な[[信仰]]体系というにとどまらず、むしろひとつの確固たる共同体そのもの、ないし共同体的生活の全体なのであり、また、それを支える固有の[[法律]]、[[政府]]、[[社会制度]]を内的に規定しているのである<ref name=iwamura>[[#岩村|岩村(1975)pp.219-221]]</ref>。そして、[[預言者]]としてムスリムを指導した[[ムハンマド]]は、[[ユダヤ教]]や[[キリスト教]]の預言者や宗教指導者にもまして、「神の道」にもとづく理想の国[[ウンマ (イスラム)|ウンマ]]を建設しようという[[情熱]]と意欲に満ちあふれていた<ref>[[#藤本|藤本(1971)p.186]]</ref>。 「[[ジャーヒリーヤ時代]]」(無知の時代、無明の時代)すなわちイスラーム成立以前の[[アラビア半島]]では、それぞれの[[部族]]は、[[血縁]]にもとづく連帯意識の強弱が各部族の命運を左右しており、人間の[[欲望]]にもとづく闘争(キタール)が繰り広げられていた<ref name=atsumi287/>。しかし、それはきびしい[[砂漠気候]]のなかでは自殺行為であった。イスラームは、この連帯意識を[[血族]]意識を基本としたものから「アッラーへの絶対帰依」という超血族意識を根幹としたものへと変革させたのであり、その変革の試みが成功したために世界宗教として歴史の表舞台に登場したということができる<ref name=atsumi287/>。血族的でない連帯意識を支えた「信仰生活」そのものは、血族意識にくらべればきわめて曖昧なものであり、それゆえ、唯一神アッラーから「[[六信]][[五行 (イスラム教)|五行]]」というシステムを平等に受け、日月や[[時間]]さえも同一にして、見えるかたちでの連帯意識・同胞意識の醸成を毎日はかることとしたのである。ジハードとは、こうして形成された宗教共同体を守ろうとする実践的な営為なのである<ref name=atsumi287/>。 イスラーム共同体の歴史は、それゆえ、ムハンマドの時代から[[現代]]にいたるまで、『クルアーン』のジハードに関する教えをその枠組みとして見てゆくことができる<ref name=esposito/>。『クルアーン』第49章「部屋の章」15節には、 {{quotation|本当に信者とは、一途にアッラーとその使徒を信じる者たちで、疑いを持つことなく、アッラーの道のために、財産と生命とを捧げて奮闘努力する者である。これらの者こそ真の信者である。}} とあり、「ジハード」とはしたがって、ムスリムのあるべき姿を述べた、イスラームの代表的な言葉でもある<ref name=atsumi287/>。 『クルアーン』におけるジハードの教えは、ムスリムの人びとの自己認識、そして、唯一神[[アッラー]]を敬う心、共同体の動員・拡大・防衛などの諸点において、根本的に重要なものである<ref name=esposito/>。それは、ひとりの[[人間]]として善き[[人生]]を送ることは決して容易なことではなく、また、決して単純なことでもないという[[認識]]や思念に関わってくるからである<ref name=esposito/>。「神の道」にかなうような、[[道徳]]的で高潔な人となるためには、自らの内面に潜む[[悪]]と戦い、[[善|善行]]によって[[社会]]の改善に資するよう、真剣に奮闘努力しなければならない<ref name=esposito/>。 それにまた、ジハードは、その人の置かれた[[環境]]によっては、不正や抑圧に対する戦いという意味をもつこととなり、[[宣教]]と説得によって、また場合によっては、必要に応じては[[武器]]をとり、「聖なる戦い」を繰り広げることによって正しい社会をつくらなければならないという考えと結びつくのである<ref name=esposito/>。 == 2つのジハード == ジハードは、[[六信]][[五行 (イスラム教)|五行]]というムスリムの信仰と義務の項目には含まれていないが、『クルアーン』では「奮闘努力」という非常に幅広い意味で登場し、したがって、その意味からも六信五行を越え、イスラームの信者として当然持たなければならない基本的な心構えとして、いっそう重要な命令と考えられている<ref name=atsumi287/>。 広い意味でのジハードには、次の2種類が存在するといわれている<ref name=esposito/>。 * 個人の内面との戦い。内へのジハード。非暴力的なジハード * 外部の不義との戦い。外へのジハード。暴力的なジハード この2つについて、ムハンマドが実際の[[戦闘]]から日常生活に戻ったときに語ったと[[伝承]]される言葉が、その内実をよく説明している。その言葉とは、 {{quotation|私たちは小さなジハード(戦争)から大きなジハードに戻る。…}} というものである<ref name=esposito/>。 「大きなジハード」すなわち「内へのジハード」は、個々人のムスリムの心の中にある[[悪]]や不正義、[[欲望]]、[[自我]]、[[利己主義]]と戦って、内面に[[正義]]を実現させるための行為のことであり、それだけに、いっそう困難で重要なものとされる<ref name=esposito/>。このことに関して、[[イスラム共和制|イスラーム共和制]]をとる[[イラン]]では、[[ラマダーン]]の期間、「ラマダーン月はジハードの月」などといった[[標語]]を掲げることによって、弛緩しがちなムスリムたちの[[規律]]を正し、イスラーム共和国の[[理想]]を思い起こさせるための行為という意味で「ジハード」の語が用いられる<ref group="注釈">ムハンマドは「ジハードをし、開放せよ。断食し、健康を得よ。旅に出て儲けよ」と述べている。[http://www.aii-t.org/j/ramadan/ramadan.htm アラブ・イスラーム学院「ラマダーンQ&A 」]</ref>。イスラームが[[五行 (イスラム教)|五行]]のひとつとして1ヶ月にわたる[[断食]](サウム)を信徒に命じている理由は、人びとに[[食欲]]という[[本能]]を抑える訓練をさせることによって、[[精神]]は[[肉体]]よりも強固なものであると自覚させ、同時に食べものへの感謝の念を起こさせるためであるといわれている<ref>[[#大島|大島(1981)pp.84-85]]</ref>。 現在、多くの学者は「内へのジハード」を「大ジハード」({{rtl-lang|ar|الجهاد الأكبر}} {{lang|ar-Latn|al-jihād l-akbar}}) と呼んでおり、それに対して「外へのジハード」を「小ジハード」({{rtl-lang|ar|الجهاد الأصغر }} {{lang|ar-Latn|al-jihād l-asghar}})と呼んでいる<ref name=esposito/>。どちらも、アッラーの命令を完遂できないような[[環境]]がつくられないための「奮闘努力」という点では共通している<ref name=atsumi287/>。 もっとも広い意味でのジハードは、すべてのムスリムに課される[[義務]]を指している<ref name=esposito/>。神の意志にしたがい、神の意志を実現して[[倫理]]的な生活を営むために、[[説教]]、[[教育]]、実例および[[文書]]などによってイスラーム共同体の拡大のため、ムスリム一人ひとりとしても、イスラーム共同体としても、おこなうべき義務なのである。また、「ジハード」には、イスラーム教とイスラーム共同体を外部からの攻撃から守る[[権利]](実際には義務)という意味もある<ref name=esposito/>。20世紀後半にあっても、[[1978年]]からの[[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)|ソ連のアフガニスタン紛争]]において、[[アフガニスタン]]の[[ムジャーヒディーン]](後述)が、[[ソヴィエト連邦]]の[[占領]]に対し、10年におよぶ長いジハードを戦ってきた<ref name=esposito/>。 歴史的にみれば「大ジハード」は、[[平和主義]]と寛容さを旨とする[[イスラーム神秘主義]]の潮流のなかで特に支持されてきたものであり、その一方で、支配者・権力者は[[領土]]拡大や[[侵略]]の[[大義名分]]として「外へのジハード」を利用してきた。現代でもしばしば、[[テロリスト]]と目される過激な集団が「外へのジハード」を大義名分として行動し、ムスリムの結集を呼びかけるために用いている<ref name=esposito/>。 == 内へのジハード(大ジハード) == 「内へのジハード」は、非イスラーム圏ではあまり注目されていないが、イスラーム世界ではきわめて重要視されている概念である<ref name=esposito/>。これは通常、神の道を実現するために、各個人が自らの心のなかの堕落・怠惰・腐敗などの諸悪と戦う克己の[[精神]]を意味しており、強い意志で自分をよりよくしていこうという努力である<ref name=esposito/><ref name=atsumi287/><ref name=lar>[[#ラルース|『ラルース 図説 世界人物百科I』(2004)pp.323-328]]</ref>。また、これらの悪を増長させる外来文化の導入などによる環境変化に対する抵抗もまた、「内へのジハード」としての戦いであると見なされる<ref name=atsumi287/>。『クルアーン』には、各所に「努力する者には神が報いてくださる」としか解釈できない句が数多く登場する<ref name=oshima96>[[#大島|大島(1981)p.96]]</ref>。ムハンマド自身は、しばしば同時代の[[ユダヤ人]]をその信仰において「[[形式主義]]者」と非難し、ムスリムに対しても、たとえば「形式だけの礼拝なら、しない方がまし」と宣言したように、努力することそのものを重んじたのである<ref name=oshima96/>。 「内へのジハード」は「[[大ジハード]]」と呼ばれ、社会の平和的な運営には欠くべからざるものとして[[法学者]]や為政者からも重視される。ジハードを「聖戦」と訳して、単なる戦いという意味でこの言葉を理解することは誤りであり、「布教のための戦い」と理解することもまた誤りであって、「戦い」の意味を有する場合でも、あくまでも「防衛戦」を指している<ref name=atsumi287/>。現代においては、多くのイスラーム諸国において為政者、法学者、[[知識人]]ともに「内へのジハード」を重視する傾向が強い。 == 外へのジハード(小ジハード) == 「外へのジハード」は一般に「聖戦」と訳されるジハードであり、イスラーム共同体外部への侵略戦争、あるいはイスラーム共同体外部からイスラーム共同体を守るための戦いである。この戦いが「ジハード」の名で称されるためには、法的根拠を必要とする<ref name=atsumi287/>。 === 「外へのジハード」の古典的定義とその内容 === イスラーム法([[シャリーア]])は、[[正統カリフ]]時代のイスラーム共同体([[ウンマ (イスラム)|ウンマ]])からアラブ帝国([[ウマイヤ朝]])、[[イスラム帝国|イスラーム帝国]]([[アッバース朝]])へと発展していった[[8世紀]]から[[10世紀]]頃にかけて整備された。シャリーアは、初期イスラームの拡大戦争を支えた[[イデオロギー]]である「外へのジハード」を以下のような観念にまとめた。すなわち、 *「(外への)ジハードとは、イスラーム世界を拡大あるいは防衛するための行為、戦い」 というものである。 伝統的なシャリーアの理念においては、イスラーム共同体の[[主権]]が確立され、シャリーアが施行される領域、"'''ダール・アル=イスラーム'''" {{lang|ar|دار السلام}}(「イスラームの家」=イスラーム世界)に全世界とその人民が包摂されていなければならない。しかし、現実には「イスラームの家」の外部には、イスラームの力がおよばない"'''ダール・アル=ハルブ'''" {{rtl-lang|ar|دار الحرب}}(「戦争の家」=非イスラーム世界)が存在する。したがって、「戦争の家」を「イスラームの家」に組み入れるための努力、すなわちジハードを行うことがムスリムの義務とされるのである<ref name=atsumi287/>。 上の定義から、イスラーム共同体の支配に服さない異教徒の討伐は原則として正しい行為であり、極端にいえば、イスラーム共同体は最終的には全世界を征服し、異教徒を屈服させなければならないという[[論理]]さえ導き出される。この論理の根拠としては、『クルアーン』第2章第193節にある「騒擾がすっかりなくなる時まで。宗教が全くアッラーの(宗教)ただ一条になる時まで、彼等(メッカの多神教徒)を相手に戦いぬけ」がある。これは、イスラームがしばしば好戦的な宗教と見られる所以でもある。 しかし、イスラームのジハード思想では、異教徒を討伐し、その結果として非ムスリムを服属させることは認められていても、征服地の異教徒に対する強制[[改宗]]は明確に否定されている。これは、『クルアーン』第2章256節の「宗教に無理強いは禁物」という句を根拠にしており、『クルアーン』では、信じるのも信じないのも本人の[[自由]]であることが強調されている<ref>[[#大島|大島(1981)p.59]]</ref>。したがって、ジハードは布教のための戦争であってはならないし、侵略戦争であってはならないとジハード擁護論者は主張する<ref name=atsumi287/>。しかし、ムスリムが外部の非ムスリムを討伐し、服属させることは、少なくともジハード擁護論者の議論的視点、また一部の戦争擁護のムスリムの利害関係を受け入れず、ジハード不擁護論者や、戦争不擁護のムスリム、イスラームへの屈服を受け入れない非ムスリムの議論的視点、そして非ムスリムの利害関係を受け入れた場合、非ムスリムへの侵略戦争である。 さらにいえば、「イスラームの家」を拡大する行為とは必ずしも征服という手段に限定されない。[[中央アジア]]や[[東南アジア]]での布教のように平和的な方法によって「イスラームの家」が拡大された例も少なくない。その担い手は、これらの地域に赴いたムスリム[[商人]]やイスラム神秘主義者([[スーフィー]])の聖人たちであった。また、「イスラームの家」の支配下に入った「[[啓典の民]]」である[[ユダヤ教徒]]や[[キリスト教徒]]たちは、イスラームの主権下で一定程度の[[人権]]を保障された隷属民「ズィンミー」たることを強制された<ref group="注釈">『クルアーン』第9章第5節には「だが、(4か月の)神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうが良い。ひっ捉え、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待ち伏せよ。しかし、もし彼等が改悛し、礼拝の務めを果たし、喜捨も喜んで出すようなら、その時は遁がしてやるがよい」という文言、また第9章29節に「アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税([[ジズヤ]])を納め、屈服するまで戦え」という文言があるように、当初、ムスリムとの戦いに敗れた[[多神教]]の信者は死か、改宗か、もしくは貢税を求められた。それに対し、「啓典の民」は服従と納税が強制された。また、「啓典の民」はのちに拡大解釈が行われ、特に[[ペルシャ]]や南アジアの諸地域では、[[ゾロアスター教]]や[[ヒンドゥー教]]、[[仏教]]を奉じる人びとまで一神教を奉じる民と同様に扱われるようになった。</ref>。彼等は厳しい[[差別]]を甘受さぜるを得なかったが、[[信教の自由]]を認められるなど比較的寛大に扱われたことも少なくなかった。 また、時には、「戦争の家」に住む異教徒が、「イスラームの家」に対して戦争を仕掛けてくることも当然ありうる。このような場合、イスラーム共同体防衛のためのジハードがムスリムの義務となる。 防衛戦に従事する者(聖戦士)を、ムジャーヒド(単数形)および[[ムジャーヒディーン]](複数形)という。彼らに対して、唯一神アッラーは『クルアーン』を通じて「神の道に戦うものは、戦死しても凱旋しても我らがきっと大きな褒美を授けよう」と教え、ジハードで戦死すれば[[殉教者]]として[[最後の審判]]ののち、必ず[[天国]]に迎えられると約束する。一方で、『クルアーン』は「敵に背を向けるものは、たちまち神の怒りを背負い込み、その行く先はジャハンナム([[地獄]])である」と語り、ジハードを怠ることを厳しく非難している<ref group="注釈">『クルアーン』第8章15節「信仰する者よ、あなたがたが不信者の進撃に会う時は、決してかれらに背を向けてはならない」、および16節、「その日かれらに背を向ける者は、作戦上または(味方の)軍に合流するための外、必ずアッラーの怒りを被り、その住まいは地獄である。何と悪い帰り所であることよ」。</ref><ref group="注釈">ジハードにおける献身をたたえ、その忌避を戒める『クルアーン』の章句は、第47章4節「あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。およそアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものになされない」、および第48章16節「あと居残った砂漠のアラブたちに言ってやるがいい。『今にあなたがたは、強大な勇武の民に対して(戦うために)召集されよう。あなたがたが戦い抜くのか、またはかれらが服従するかのいずれかである。だがこの命令に従えば、アッラーは見事な報奨をあなたがたに与えよう。だがもし以前背いたように背き去るならば、かれは痛ましい懲罰であなたがたを処罰されよう』」などもある。</ref>。 しかし同時に『クルアーン』は、戦争が「神の道」を実現するためにふさわしい努力行為、ジハードとして正当な戦争たりうるためには、異教徒がイスラーム共同体に対して戦いを挑み、「不義」をなした場合に限られることも示しており<ref group="注釈">前述の第2章第百193節に続く一文「しかしもし向こうが止めたなら、(汝等も)害意を捨てねばならぬぞ、悪心抜き難き者どもだけは別として」が該当部分である。しかしイスラーム過激派はこれもイスラームの優越に屈服する限りに於いて和平を認めるというものだと解釈する傾向にある。</ref>、したがって、異教徒たちがイスラーム共同体と[[和平]]を結び、「不義の戦争」を停止しようとしているならば、イスラーム共同体の側も異教徒に対する害意を捨てて和平に努めなければならないと解釈される。この解釈にしたがえば、イスラーム共同体は、イスラームとの戦いを望まない「戦争の家」勢力とならば、[[条約]]を結び[[外交]]関係を樹立することが可能であると理解される。これら外交関係を取り結んだ諸国は「和平の家」と呼ばれ、「戦争の家」とは区別される<ref group="注釈">ただし、現実のイスラーム社会では、一回の[[休戦協定]]は10年以上の効力を有さないと考える法学者が多数派を占め、もし、その地に恒久的和平を確立していこうとするならば、条約の適宜更新が必要である。</ref>。 もし、ある戦争行為を「ジハード」として遂行することが必要となった場合は、[[カリフ]]や[[スルタン]]などの統治者は[[ムフティー]]と呼ばれる宗教指導者に対し、その戦争がジハードとして認められるかどうかを[[諮問]]しなければならない。その結果、ムフティーが合法であるとする[[ファトワー]]を発することで、統治者は「ジハード」を宣言することができる。 ジハードには、このような法的根拠が必要であり、その根拠のないものを「ジハード」とは呼べない<ref name=atsumi287/>。開戦が「防衛的ジハード」であり、法的根拠を有する場合は、全ムスリムは、国家や[[民族]]を超えて全イスラーム教徒が、直接的にであれ間接的にであれジハードに参加しなくてはならない。ただし、歴史的には当該統治者の[[臣民]]以外にジハード参加の強制力を及ぼすことは難しかった。これに対し、イスラーム共同体拡大のための侵略戦争の場合、参戦義務は統治者の家臣と臣民に限られる<ref>[[#ケベル|ケベル(2006)pp.156-157]]</ref>。 === 「外へのジハード」とキタール === イスラームでは、世界史において繰り広げられてきた普通の戦いを、ジハード(聖戦)とは明確に区別し、それを「[[キタール]]」と呼称している<ref name=atsumi287/>。キタールとは、[[侵略戦争]]や領土拡大、戦利品や奴隷の獲得、[[資源]]確保、[[植民地]]確保など、人間のもつ単純な[[欲望]]にもとづいておこなわれる戦争のことであり、また、[[憎悪]]から生まれる行為や[[復讐]]の行為もキタールであって、いずれも否定されるべき行為とされている<ref name=atsumi287/>。しかし、ジハードの名の下であれば、侵略される非ムスリム、もしくはムスリムでも背教者や非ムスリム・カーフィルと断罪された勢力から観た侵略戦争は、正当なものとされる。 キタールは、アラビア語の「カタラ(殺した)」という言葉を語源としており、「世俗的な欲望にもとづいた戦争」を意味している。ジハードが想定している戦争は、あくまでも、ムスリムの一部からして正当な侵略戦争並びに防衛戦争であり、イスラーム共同体(ウンマ)の利益になるものでなければならない。そして、開戦に際しては宗教指導者の承認を必要とし、「アッラーの御名において」という呼びかけのもとにおこなわれるのである<ref name=atsumi287/>。 === イスラーム共同体と「ジハード」 === ジハードは、イスラーム共同体を外からの攻撃から守ることだけではなく、内側に生じる崩壊の要因を除去するための奮闘努力を含んでいる<ref name=atsumi287/>。それを、「生命・財産を捧げてもおこなうべし」としたところから「戦い」の言葉で形容されているものと考えられる<ref name=atsumi287/>。 そのようにみるならば、ジハード(聖戦・奮闘努力)は、ムスリムにとって最も重要で基本的な命令ということができる<ref name=atsumi287/>。そのため、ムスリムは外の世界に対し封鎖的な環境をつくらざるを得なくなる。外からの異文化の導入や異質な世界との交流・接触、異なる[[価値観]]との対立から「アッラーの道」を守らなくてはならないからである<ref name=atsumi287/>。その結果、イスラーム世界が採用した方法は、周囲に対し、あたかも大きく高い[[塀]]を張り巡らすようなものであった、ということができる<ref name=atsumi287/>。イスラーム世界が今なお中世的な雰囲気を濃厚に有していると指摘されるのもそのためであるが、しかしだからといって、イスラーム世界が外界に対して完全に閉鎖的であるというわけではない<ref name=atsumi287/>。ハディースに「知を求めることはすべてのムスリムの義務である」「[[中国]]までも知を求めよ」とあるように、イスラーム世界を発展させるための[[知識]]の導入は歓迎されており、イスラーム世界を発展させることもまた、ジハードの目的だからである<ref name=atsumi287/><ref>[http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/hadisu_3.html 鎌田繁著『イスラームの知とハディースの知』]</ref>。 === 「外へのジハード」の実際 === 上述したように、「ジハード」は多義的なことばであり、イスラームの歴史にあってはそれが善用されることもあれば悪用されることもあった<ref name=esposito/>。 [[ファイル:Saladin2.jpg|right|thumb|150px|十字軍時代のイスラームの英雄[[サラディン]]]] 歴史的にみれば、全イスラーム共同体がジハードの意識を高め、異教徒との戦いにあたったのは、初期イスラームの時代のビザンツやペルシアへの侵略戦争であり、ジハード擁護論からした場合の、イスラームを広めるための聖なる戦い、である大征服時代、および[[中世]]ヨーロッパのキリスト教世界が、聖地[[イェルサレム]]奪回を目的として7回にわたって[[中東]]地域に派遣した[[十字軍]]との戦いの時代が代表例なものである。 イスラームの拡大しはじめた時期にあっては「アッラーへの道をはずれることなく」、イスラーム教徒にとっての異教徒と戦って死ぬことは[[殉教]]とされ、殉教者には[[天国]]が約束された<ref name=lar/>。しかし、[[11世紀]]末に十字軍が[[エルサレム王国]]を建国し、キリスト教徒が[[パレスチナ]]を占領したころにはジハードの理想はついえており、各所より散発的に、イスラームの君主たちの無気力を批判する声があがった<ref name=lar/>。法学者の[[アッ=スラミー]]が聖戦を個人に課せられた義務であると主張して、これを呼びかけたのは、このときであった。この呼びかけに応えたのは当初は[[ザンギー朝]]、その後はムスリムの英雄[[サラーフッディーン]](サラディン)がこれに応えた<ref name=lar/>。 [[第一次世界大戦]]の際には、同盟国側に立った[[オスマン帝国]]が「ジハード」宣言を発しているが、しかし、ここでは[[インド]]のムスリムの対英協力や[[アラブ反乱|アラブ人の反乱]]を食い止めることができなかった。とはいえ、一方では、[[19世紀]]以降、いわばイスラーム世界の「辺境」にあたる[[西アフリカ]]、[[マグリブ]]、[[スーダン]]、インドや[[東南アジア]]の地で「ジハード」が呼びかけられ、[[植民地]]主義と[[帝国主義]]に対する抵抗が繰り広げられたのも事実である。[[20世紀]]後半には、ユダヤ教の国[[イスラエル]]の拡大と戦う[[パレスティナ]]の[[ハマース]]やソヴィエト連邦の侵攻と戦うアフガニスタンのムジャーヒディーン運動が盛り上がるが、これらの根底には近代ムスリムの抵抗思想(「防衛ジハード」の思想)と同様の性格を見出すことができる。 このように、イスラーム的[[伝統]]のなかでジハードが重要な役割を果たしてきたのは事実であるが、近年では、イスラーム教の改革を推進するジハードに参加することは、真のイスラーム教徒のすべてにとって神聖な義務だと主張する人びともいる<ref name=esposito/>。このような立場に立って現代イスラーム社会とその周辺を見わたすと、そこには、腐敗した[[権威主義]]的政権が支配する世界や、みずからの[[経済]]的な成功・繁栄のみに関心が集中し、[[欧米]]社会の[[文化]]や[[価値観]]に染まった一握りの[[エリート]]だけが脚光を浴びる世界が立ち現れてくる、少なくとも、そのようにとらえるムスリムは少なくない<ref name=esposito/>。そして、欧米諸国が、[[民衆]]に対し抑圧的な態度をとるイスラームの政権を支え、地域の人材や[[天然資源]]を[[搾取]]し、イスラーム世界から[[文化]]を奪い、ムスリム自身が選んだ[[政権]]の下で公正な社会に生きる権利を奪っているように映じるのである<ref name=esposito/>。 [[ファイル:Sayyid Dschamāl ad-Dīn al-Afghānī.jpg|right|thumb|150px|「汎イスラーム主義」を唱えて全ムスリムの団結を説いた[[アフガーニー]]]] [[ファイル:Iraq, Saddam Hussein (222).jpg|right|thumb|150px|「脱宗教主義」「イラク民族主義」「イスラームの復興」など主張を二転三転させたイラクの[[サッダーム・フセイン]]]] イスラーム主義(イスラーム復興主義)に立つ活動家の多くは、ムスリムの力と繁栄をとりもどすには、「正しいイスラームの教え」に回帰することが重要と考えており、また、[[国家]]や社会のイスラーム化を強めるために政治改革・社会改革が必要だと考えている<ref name=esposito/>。このようなイスラーム回帰の思想は、近代においては、[[ワッハーブ運動]]や[[アフガーニー]]の改革運動を嚆矢としており、のちの[[サウジアラビア]]建国や[[汎アラブ主義]]の台頭の原動力となった<ref name=syukyo>[[#世界の宗教|『もう一度学びたい世界の宗教』(2005)pp.84-85]]</ref>。そして、一握りではあるが、そのなかの暴力的な方向性を是認する一部の過激派は、[[救世主]]的な世界観と攻撃性を組み合わせて国内外のイスラーム教を解放するためのジハードを呼びかけ、「神の軍隊」の創設を主張し、軍事的な動員をおこなっている<ref name=esposito/><ref name=syukyo/>。上述のように、ジハードは、侵略戦争を遂行してゆくために利用すべきものでは決してないが、それでも実際には、一部の支配者や政府、個人はそのようにジハードを利用している<ref name=esposito/>。たとえば、[[1991年]]の[[湾岸戦争]]の際の[[サッダーム・フセイン]]、アフガニスタンの[[ターリバーン]]、また、[[ウサマ・ビンラーディン]]および[[アルカーイダ]]などがそれに相当する<ref name=esposito/>。 近年には、政治的動機による戦争や[[テロリズム]]を正当化する標語として「ジハード」の語が頻繁に用いられ、本来ジハードの宣言を行う資格のない者がジハードを唱える局面が増えつつある。「脱宗教主義」から「イラク民族主義」へと大きく方向転換したイラクのサッダーム・フセイン大統領は、[[1990年]]の[[クウェート]]占領に反対する[[アメリカ合衆国]]など西側諸国に対抗するため「異教徒に対するジハード」を呼号して[[1991年]]、[[湾岸戦争]]へと突入した。この時点ではイスラームに「回帰」したかにみえるフセインであったが、しかし、湾岸戦争後の国内でまず起こったのがイスラーム教[[シーア派]]の人びとによる[[暴動]]だったのである<ref>[[#石川|石川(1993)pp.91-95]]</ref>。 「ジハード」を標榜する政治家や[[テロリスト]]の言葉が、ムスリムの人々の心をある程度は引きつけていることは事実である。これは、アメリカをはじめとする西側諸国がイスラエルに好意的で、パレスティナのムスリムを追いやり、弾圧していることに対する同情や、アフガニスタンやイラクに対する[[空爆]]が独裁政権や強権的な政府のみならず、ムスリムの民衆までをも死に追いやっていることに対する悲憤がある。被侵略者・被抑圧者としての怒りを多くのムスリムが共有しているため「いまこそがイスラーム共同体を防衛するためジハードを行うべきときである」という言葉に多かれ少なかれ共感をいだくのである。 しかし、[[インドネシア]]や[[タイ王国|タイ]]、[[フィリピン]]、スーダンではイスラームの勢力拡大や非ムスリム弾圧、その他ムスリム社会の一部の権益擁護拡大のために利用できる場合に「ジハード」という言葉をテロリズムや武力闘争の正当化に利用している組織や政府がある。そのため非ムスリムから「ムスリムは都合次第で殺戮をジハードとして正当化している」と批判される口実を与えることにもつながっている。 なお、古典的なシャリーアでは、ムスリムであってもイスラームの教えから逸脱する信条を抱くようになった者は不信心者(カーフィル)と呼ばれ、「戦争の家」に住む異教徒以上の悪であり、すみやかにジハードによって打倒されなくてはならないと規定している。[[16世紀]]から[[17世紀]]にかけて、互いに近接する[[スンナ派]]のオスマン帝国(トルコ)と[[シーア派]]の[[サファヴィー朝]]([[ペルシャ]])が領土をめぐって戦争するときは、お互いを「不信心者」と決め付けることによってその戦争を「ジハード」と位置付け、みずからの立場を正当化しようと図り、[[1980年]]から[[1988年]]までつづいた[[イラン・イラク戦争]]において[[ルーホッラー・ホメイニー]]を擁する[[イラン・イスラム共和国]]が「世俗主義」「脱宗教主義」を標榜する[[バアス党]]政権の[[イラク]]に対して激しい敵意と憎悪を示したのは、このような思想を背景とする。 さらに、[[エジプト]]の[[ジハード団]]のように、シャリーア以外の[[法]]を施行する為政者はムスリムであろうと「不信心者」であり、ジハードによって排除しなければならないとして、要人クラスの[[暗殺]]やテロリズムをおこなう過激な組織もある。 ;「外へのジハード」と天国 :上述のとおり、ジハードで戦死した者は、この世の終わりに[[最後の審判]]がなされた結果、[[天国]]にいけるとされている。イスラームにおける「天国」はアラビア語で({{rtl-lang|ar|'''جنّة'''}} {{lang|ar-Latn|jannah}}) と呼ばれ、『クルアーン』ではその様子が具体的に綴られているが、それによれば、緑なす木々に覆われ、[[果実]]は枝もたわわに実り、清らかな川が数多く流れて、快適な[[風]]がつねに吹きわたっている清浄なところであり、天国行きを許されたものに対しては、現世の[[酒]]とは異なり、いくら飲んでも酔わない美酒や最上の食べものがあたえられるという<ref>[[#大島|大島(1981)pp.78-79]]</ref>。『クルアーン』にはさらに、男性は天国で72人の処女([[フーリー]])と交わることができ、彼女たちは何回[[性交]]におよんでも処女のままである、と記している<ref group="注釈">『クルアーン』第56章10節から24節「(信仰の)先頭に立つ者は、(楽園においても)先頭に立ち、これらの者(先頭に立つ者)は、(アッラーの)側近にはべり、至福の楽園の中に(住む)。昔からの者が多数で、後世の者は僅かである。(かれらは[[錦]]の織物を)敷いた寝床の上に、向い合ってそれに寄り掛かる。永遠の(若さを保つ)少年たちがかれらの間を巡り、(手に手に)高坏や(輝く)水差し、汲立の飲物盃(を捧げる)。かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。また果実は、かれらの選ぶに任せ、種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、丁度秘蔵の[[真珠]]のよう。(これらは)かれらの行いに対する報奨である」および56章27節から40節「右手の仲間、右手の仲間とは何であろう。(かれらは)刺のない[[スィドラ]]の木、累々と実るタルフ木(の中に住み)、長く伸びる木陰の、絶え間なく流れる水の間で、豊かな果物が絶えることなく、禁じられることもなく(取り放題)。高く上げられた(位階の)臥所に(着く)。本当にわれは、かれら(の配偶として乙女)を特別に創り、かの女らを(永遠に汚れない)処女にした。愛しい、同じ年配の者。(これらは)右手の仲間のためである。昔の者が大勢いるが、後世の者も多い」。先頭のものとは最良のムスリム、右手の者とは一般のムスリムのことである。</ref>。 :この「処女」の表現は、[[比喩]]的なものにすぎないという意見も多く、あるいはまた、実際は「処女」ではなく「白い果実」という意味であるという説もあるが、過激派組織が自爆テロの人員を募集する際に、年少の者などに対し、このような天国の描写を意図的に用いている場合が少なくないとされ、問題となっている<ref group="注釈">報道によれば、少年を勧誘するに当たり、「殉教すれば天国で72人の処女とセックスができる」と説いていた。[http://www.asahi.com/special/MiddleEast/TKY200403250189.html [[朝日新聞]]「14歳が自爆テロ未遂、報酬2400円 パレスチナ」] </ref>。 ==世俗的意味でのジハード== 上述のとおりアラビア語でのジハードは本来「奮闘する」「努力する」という意味の言葉であるため、イスラームの文脈を離れた世俗的意味でも用いられる。例を挙げると、「経済的発展を目指す努力」「政治的独立を目指す闘争」「社会改革への努力」「女性解放のための闘争」などにおいてである。 == ジハードのイメージ == 日本や多くの[[先進国]]においては、「ジハード」の語には異教徒に武力によって改宗を迫る行為(いわゆる「[[コーランか剣か]]」、「右手にコーラン、左手に剣」)のイメージが付きまとう。これは「聖戦」という訳語からの影響も大きい。しかし、少なくとも正確には「コーランか貢ぎ物か剣か」であり、強制改宗を含意する「コーランか剣か」は反イスラーム主義による[[プロパガンダ]]の性格が強く、誤解をまねく表現である。『クルアーン』では改宗の強制は否定されており、また、上述したように「ジハード」には「聖戦」以外の意味もある。 反イスラーム主義者は、しばしばムスリムに対し、ムスリムはタリバーンのアフガニスタンにおける[[バーミヤーン]][[大仏]]爆破にみられるように、'''攻撃してもいない[[仏教徒]]の信仰対象を勝手に破壊することをジハードとして正当化していながら、自分たちの[[モスク]]などが攻撃を受けた場合はただちに武力闘争を開始し、その闘争を他宗教からの弾圧に対する抵抗、すなわちジハードとして規定する傾向にある'''と批判する。これは、「ジハード」の語を二重基準で用いることに対する批判である。ただし、一方では、こうした意見はムスリム全体とムスリムのなかの一勢力とを混同した結果であるとの見方もある。 しかしながら、[[2001年]]のウサマ・ビンラーディンによる[[アメリカ同時多発テロ事件|アメリカ同時多発テロ]]や、[[2003年]]の[[イラク戦争]]におけるサッダーム・フセインによる「ジハード宣言」は、あらためて「'''イスラームは好戦的'''」「'''ムスリムは過激で暴力的'''」というマイナス・イメージを日本をふくむ国際社会に流布させる原因となっている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈}} === 参照 === <div class="references-small">{{Reflist|2}}</div> == 出典== * {{Cite book|和書|author=[[藤本勝次]]|chapter=|editor=|translator=|year=1971|month=6|series=[[中公新書]]|publisher=[[中央公論社]]|title=マホメット ユダヤ人との抗争|isbn=4-12-100254-7|ref=藤本}} * {{Cite book|和書|author=[[岩村忍]]|chapter=|editor=|translator=|year=1975|month=1|series=[[中公文庫]]|publisher=中央公論社|title=世界の歴史5 西域とイスラム|isbn=|ref=岩村}} * {{Cite book|和書|author=[[大島直政]]|chapter=|editor=|translator=|year=1981|month=9|series=[[講談社現代新書]]|publisher=[[講談社]]|title=イスラムからの発想|isbn=4-06-145629-6|ref=大島}} * {{Cite book|和書|author=[[石川純一]]|chapter=|editor=|translator=|year=1993|month=4|series=|publisher=[[新潮社]]|title=宗教世界地図|isbn=4-10-392001-7|ref=石川}} * {{Cite book|和書|author=[[渥美堅持]]|chapter=|editor=|translator=|year=1999|month=10|series=|publisher=[[東京堂出版]]|title=イスラーム教を知る事典|isbn=4-490-10494-4|ref=渥美}} * {{Cite book|和書|author=ライラ・アハメド|chapter=|editor=|translator=林正雄・本合陽・森野和弥・岡真理・熊谷滋子|year=2000|month=8|series=叢書ウニベルシタス|publisher=[[法政大学出版局]]|title=イスラームにおける女性とジェンダー―近代論争の歴史的根源|isbn=4588006703|ref=アハメド}} * {{Cite book|和書|author=|chapter=サラーフ・アッデーン|editor=[[フランソワ・トレモリエール]]、[[カトリーヌ・リシ]](共編) [[樺山紘一]]日本語版監修|year=2004|month=6|title=ラルース 図説 世界人物百科I 古代-中世|publisher=[[原書房]]|series=|isbn=4-562-03728-8|ref=ラルース}} * {{Cite book|和書|author=渡辺和子監修|chapter=|editor=|translator=|year=2005|month=10|series=|publisher=西東社|title=もう一度学びたい世界の宗教|isbn=4-7916-1293-0|ref=世界の宗教}} * {{Cite book|和書|author=ジル・ケベル|chapter=|editor=|translator=丸岡高広|year=2006|month=4|series=|publisher=産業図書|title=ジハード-イスラーム主義の発展と衰退|isbn=4782801580|ref=ケベル}} * {{Cite book|和書|author=アル・マーワルディー|chapter=|editor=|translator=湯川武|year=2006|month=5|series=|publisher=[[慶應義塾大学出版会]]|title=統治の諸規則|isbn=4766412389|ref=マーワルディー}} * {{Cite book|和書|author=ジョン・L・エスポジト|chapter=|editor=|translator=[[山内昌之]]|year=2009|month=9|series=|publisher=[[原書房]]|title=イスラーム世界の基礎知識|isbn=978-4-562-04240-1|ref=エスポジト}} == 参考文献 == * 後藤明・飯塚正人「ジハード」『新イスラム事典』平凡社、2002年 * 鈴木董『イスラムの家からバベルの塔へ オスマン帝国における諸民族の統合と共存』リブロポート、1993年 * 横田貴之「ジハード」『岩波イスラーム辞典』岩波書店、2002年 * [[池内恵]] 『アラブ政治の今を読む』、[[中央公論新社]]、2004年 ISBN 4120034917 * [[三田了一]] 『日亜対訳注解聖クルアーン』 == 関連項目 == *[[聖戦]] *[[世界征服]] *[[ジハード団]] *[[ジハード主義]] *[[ズィンミー]] *[[侵略戦争]] *[[クライザ族虐殺事件]] *[[イスラーム教徒による宗教的迫害]] * [[ムジャーヒディーン]] {{デフォルトソート:しはあと}} [[Category:イスラム教]] [[Category:イスラーム法]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Cite book
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Islam
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Lang
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Lang-ar
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Otheruseslist
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Quotation
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Rtl-lang
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:脚注ヘルプ
(
ソースを閲覧
)
ジハード
に戻る。
検索
検索
ジハードのソースを表示
話題を追加