コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
コルマールのソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
コルマール
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
[[フランス]] > [[アルザス地域圏]] > [[オー=ラン県]] > '''コルマール''' {{Communefra |nomcommune=コルマール |image=[[ファイル:Image-Blason Colmar 68.svg|150px]]<br />[[ファイル:France Haut Rhin Colmar 01.jpg|250px]] |région=[[アルザス地域圏]] |département=[[オー=ラン県]](県庁所在地) |arrondissement=[[:en:Arrondissement of Colmar|Arrondissement of Colmar]] |canton=? |insee=68066 |cp=68000 |gentilé= |maire=ジルベール・メイエル |mandat=[[2008年]] - [[2014年]] |intercomm=Communauté d'agglomération de Colmar |longitude= 7.355556 |latitude=48.081667 |alt moy=? m |alt mini=175 m |alt maxi=214 m |hectares=6 657 |km²=市: 66.57 |sans=市: 67,163 |date-sans=[[2006年]] |dens=978 |x= |y= |}} '''コルマール'''([[フランス語]]:'''Colmar''', 標準[[ドイツ語]]・[[アレマン語]]([[アルザス語]]):'''Kolmar'''(コルマールまたはコルマー))は、[[フランス]]東部、[[アルザス地域圏]]の都市である。 [[オー=ラン県]]の県庁所在地。面積は 66,57km²、人口は1999年現在、約6万5千人。隣接都市を併せた人口は約8万6千人、都市圏としては約11万6千人の人口を有する。標高は197m。 主な産業は電気機器 電機部品製造 製薬業。 == 歴史 == [[ファイル:Colmar Altstadt.jpg|left|200px|thumb|旧市街の街並]] コルマールはかつての[[神聖ローマ帝国]]自由都市であり、歴史ある街である。 コルマールに触れた最古の文献は[[823年]]のものであり、そこではこの街は'''コルンバリウム'''(Columbarium, ラテン語で鳩小屋の意)として言及される。[[13世紀]]初頭には街に城壁が築かれ、[[1226年]]にはコルマールに帝国自由都市の資格が与えられた。 1354年にアルザス10都市が結んだ「十都市同盟」にも、コルマールは参加している。この同盟の目的は、帝国都市としての権益と自由を擁護することにあった。17世紀後半、アルザス地方がドイツ圏から[[フランス]]王国に割譲されるとともに、ドイツ文化圏のコルマールはフランス領アルザスの一都市となった。 フランス革命後、[[1791年]]の旧地方区分廃止と県の設置に伴い、コルマールはオー=ラン県の県庁所在地となった。[[普仏戦争]]でフランスが[[プロイセン]]に敗北した後、[[1871年]]アルザスは[[ドイツ帝国]]に割譲され、コルマールはドイツ領エルザス=ロートリンゲン州の一部となった。 [[1918年]]にフランスは再びコルマールを自国領に編入した。[[第二次世界大戦]]で[[1941年]]フランスが[[ドイツ]]に降伏すると、コルマールはバーデン=アルザス大管区に編入された。同地はドイツ国土の一部とされ、[[1942年]]にはドイツ国防軍がコルマールに進駐した。コルマールに連合軍が進駐したのは[[1945年]]2月である。([[コルマールの戦い]]) == 交通 == [[鉄道]]もあるが、貨物や長距離利用が主である。市周辺の移動には、乗用車や[[バス (交通機関)|バス]]が良く使われる。バスは、前払い制で切符を購入する。切符一枚で終点まで乗ることができ、時間内なら乗り換えも出来る。中心部付近では自転車での移動も便利である。 == 観光 == コルマールの旧市街には中世からルネサンスの街並みがよく保存されている。またウンターリンデン美術館はドイツ中世絵画の[[マティアス・グリューネヴァルト]]の『イーゼンハイムの祭壇画』をはじめとする中世絵画および工芸品を展示する。 また[[自由の女神像]]などを製作した彫刻家[[フレデリク・バルトルディ]]はコルマールの出身であり、その生家は現在記念館となっている。 == 日本とのかかわり == 郊外には多数の日本企業が進出しており、そのため転勤による日本人住民も比較的多い。日本人児童は現地の学校に編入するのが主であるが、学校側も昔よりは受け入れ慣れしてきているほか、教育面でのサポートとしてコルマール補習校があり、週一で日本の教育を受けることも出来る。また、郊外の村キンツハイム(Kintzheim)には[[2005年]]([[平成]]17年)まで、[[在外教育施設]]である[[アルザス成城学園]](中等部・高等部)があった。 英国[[オックスフォード大学]]院留学中であった浩宮[[皇太子徳仁親王|徳仁]]親王と、[[ハーバード大学]]在学中であった[[皇太子徳仁親王妃雅子|小和田雅子]]が、[[1984年]]([[昭和]]59年)9月に会っていたと一部マスコミ記事で報じられたことがある土地でもある<ref>参照:『[[週刊ポスト]]』1989/7/7号、『[[女性自身]]』1989/7/18号等</ref>。但しコルマールでの二人の出会いは公式には認められていない。 == 姉妹都市 == コルマールは以下の都市と[[姉妹都市]]締結を行っている: * {{Flagicon|UK}} [[アビンドン]]([[イギリス]]) * {{Flagicon|AUT}} [[アイゼンシュタット]]([[オーストリア]]) * {{Flagicon|HUN}} [[ジェール]]([[ハンガリー]]) * {{Flagicon|ITA}} [[ルッカ]]([[イタリア]]) * {{Flagicon|USA}} [[プリンストン (ニュージャージー州)|プリンストン]]([[アメリカ合衆国]]) * {{Flagicon|GER}} [[ショーンガウ]]([[ドイツ]]) * {{Flagicon|BEL}} [[シント=ニクラース (ベルギー)|シント=ニクラース]]([[ベルギー]]) ==脚注== <references /> == 外部リンク == {{commons|Colmar}} *[http://www.ville-colmar.fr/ コルマール市公式サイト] {{DEFAULTSORT:こるまる}} [[Category:コルマール|*]] [[Category:フランスの都市]] [[Category:県庁所在地 (フランス)]] [[Category:オー=ラン県のコミューン]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Commons
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Communefra
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Flagicon
(
ソースを閲覧
)
コルマール
に戻る。
検索
検索
コルマールのソースを表示
話題を追加