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グレッグ・ラロッカ
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{{Infobox baseball player |選手名 = グレッグ・ラロッカ |英語表記 = Greg LaRocca |所属球団 = |背番号 = |選手写真ファイル名 = OB-Greg-LaRocca20100704.jpg |写真のコメント = |国籍 = {{USA}} |出身地 = [[ニューヨーク州]][[オスウィーゴ (ニューヨーク州)|オスウィーゴ]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|1972|11|10}} |没年月日 = |身長 = 181 |体重 = 81 |利き腕 = 右 |打席 = 右 |守備位置 = [[二塁手]]、[[三塁手]]、[[一塁手]] |プロ入り年度 = [[1994年のMLBドラフト|1994年]] |ドラフト順位 = MLBドラフト10巡目 |初出場 = MLB / 2000年9月7日 <br /> NPB / 2004年4月2日 |最終出場 = MLB / 2003年9月23日 <br /> NPB / 2010年5月22日 |年俸 = |経歴 = <nowiki></nowiki> * [[マサチューセッツ大学]] * [[サンディエゴ・パドレス]] (2000) * [[クリーブランド・インディアンス]] (2002 - 2003) * [[広島東洋カープ]] (2004 - 2005) * [[東京ヤクルトスワローズ]] (2006) * [[オリックス・バファローズ]] (2007 - 2010) }} '''グレゴリー・マーク・ラロッカ'''('''Gregory Mark LaRocca''' , [[1972年]][[11月10日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク州]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]])。 == 経歴 == ===プロ入り前=== [[マサチューセッツ大学]]を経て、{{by|1994年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|MLBドラフト]]10巡目(全体の262番目)で[[サンディエゴ・パドレス]]に指名され契約。 ===パドレス時代=== {{by|2000年}}9月7日に[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビュー。 ===インディアンズ時代=== {{by|2001年}}に[[クリーブランド・インディアンス]]に移籍し、{{by|2002年}}にメジャー再昇格。 === 広島時代 === {{by|2004年}}、[[広島東洋カープ]]に入団。内野ならどこでも守れる中距離ヒッターという触れ込みで、推定年俸2700万円と格安だったため開幕前はあまり注目されていなかった。しかしシーズンが始まると[[嶋重宣]]と共に高打率を維持し、前半戦だけで26[[本塁打]]を打った。前半は3番・二塁だったが、7月から4番・一塁に定着。後半もペースを落とさず、打率3割40本塁打100打点の大台に到達し、打撃3部門全てでリーグ5位に入った。[[打率]].328はチームメイトの嶋に次いでリーグ2位、最高出塁率のタイトルを獲得。変化球も苦にしないバッティングで66三振と三振はかなり少なく、チームトップの11盗塁を記録した。 {{by|2005年}}は、序盤から4番に座り、高打率を維持していたが、守備時に打球を手に当てて指を[[骨折]]するなど度重なる故障に泣き、結果的には打率.303、18本塁打、56[[打点]]で80試合の出場にとどまった。11月18日に[[トム・デイビー]]、[[ケニー・レイボーン]]と共に[[戦力外通告]]を受け、[[東京ヤクルトスワローズ]]に移籍した。 === ヤクルト時代 === {{by|2006年}}、ヤクルトでは同僚の[[アレックス・ラミレス]]、[[アダム・リグス]]らと強力な中軸を形成。外国人野手3人組にはファン公募で「F-Brothers」というニックネームが付けられた。 5月9日の対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦([[明治神宮野球場|神宮]])では3[[打席]]連続本塁打、翌日の5月10日には1[[イニング]]2本塁打を記録した。[[セ・パ交流戦]]では.343の好成績を残したが、8月に左[[膝]]負傷・[[手術]]で戦線離脱した。シーズン中に復帰出来なければ来期の契約をしないことを通告されたが、シーズン末期に復帰した。この年は103試合出場、打率.285、18本塁打とそれなりの成績を収め、ファンを安堵させた。 翌年の処遇はしばらく不透明だったが、12月1日に[[自由契約]]選手として公示され、退団。信頼できる中距離バッターを求めていた[[オリックス・バファローズ]]への入団が決定した。 === オリックス時代 === {{by|2007年}}、オリックスでは故障がちなことと打撃に専念させたい現場の意向から、二塁よりも負担が少ない[[三塁手]]で起用され、打順は主に3番を任された。序盤好調で5月終了時点で3割17本塁打を打ち、大きな故障もなく3年ぶりに規定打席に到達した。28死球を記録し、1シーズン最多死球の日本記録を55年ぶりに更新したことが話題になった。 4月5日、対[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]戦で本塁打を放ち、[[全球団から本塁打]]([[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]を除き、[[オリックス・バファローズ|オリックス]]、[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]を含む12球団)を達成。8月24日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]17回戦で、延長10回裏に[[渡邉恒樹]]から「人生初」となる[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]弾を、レフトスタンドへ放った。 {{by|2008年}}は、開幕戦こそチーム初打点となる先制タイムリー二塁打や、決勝[[犠飛]]を[[涌井秀章]]から放ったものの、春先から極度の打撃不振に苦しむ。やがて右肘痛を訴え、5月5日に出場選手登録を抹消。その後、球団はラロッカが右肘側副靱帯の再建手術([[トミー・ジョン手術]])を5月28日に行ったことを発表した。これにより残りのシーズンを棒に振ったため、球団は契約解除も検討しつつ<ref>{{Cite web |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=spo&k=2008060100087 |title=オリックスのラロッカ、右ひじ手術で今季絶望=球団は解雇も検討-プロ野球 |author= |publisher=時事通信 |accessdate=2008年6月1日 }}</ref>、大幅減俸での残留もあり得るとしていた。 {{by|2009年}}、ラロッカ側が大幅減俸の条件を飲み、1月28日に契約に合意。楽天から[[ホセ・フェルナンデス (1974年生の内野手)|ホセ・フェルナンデス]]の加入をうけ、チームの構想は二塁手だったが、開幕後は主に三塁手で出場。本拠地開幕戦である4月10日の対ロッテ戦では、[[清水直行]]・[[松本幸大]]・[[川崎雄介]]から自身3年ぶりに3打席連続本塁打を記録した(同日、阪神の[[金本知憲]]も3打席連続本塁打を放っている)。故障で離脱した[[アレックス・カブレラ]]と[[タフィ・ローズ]]、不調のフェルナンデスの穴を埋め、一時は4番も任され、チーム最多の12本塁打を放つなど活躍を見せていた。だが、7月28日の対[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]戦で、プロ野球史上13人目となる100個目の死球を[[森福允彦]]から受けて右手を骨折し、残りシーズンを棒に振った。骨折でチームを離れたこともあり、翌年の去就は微妙だったが、推定年俸2700万円と格安なことからチームに残すことに支障はないと判断され、残留となった。 {{by|2010年}}は主に5番サードまたは指名打者として出場し、[[3月22日]]の楽天戦では[[永井怜]]から逆転2ラン本塁打を放つ活躍を見せたが、[[4月10日]]の楽天戦で死球を受け右手小指を骨折する。しかし、登録抹消することなく小指患部を金属プレートで覆い、打撃手袋の上から衝撃吸収パッドをつける<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100415-618306.html 鉄人ラロッカ骨折したまま4号2ラン]</ref>ことで強行出場し、骨折していながら本塁打を4本放ち、[[4月18日]]のロッテ戦では[[渡辺俊介]]から決勝本塁打を放っている。だが、[[アーロム・バルディリス]]が台頭し始めると、交流戦ではセ・リーグ球場では代打の出場が主となり、[[5月25日]]に背筋痛で登録抹消される。その後、バルディリスが三塁手として定着したこともあり、昇格することなくそのまま二軍でシーズン終了を迎え、ついに構想外となりそのまま現役を引退した。 === 引退後 === {{by|2011年}}7月、オリックスの駐米スカウトに就任<ref>{{Cite web|date=2011-07-28|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110728-811946.html|title=【オリックス】ラロッカ氏がスカウト就任|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2011-07-28}}</ref>。 == プレースタイル == 左方向への打球が多い中長距離打者である。オリックス在籍時は[[タフィ・ローズ]]や[[アレックス・カブレラ]]と(2009年シーズンは[[ホセ・フェルナンデス (1974年生の内野手)|ホセ・フェルナンデス]]も含む)「[[ビッグボーイズ打線]]」を形成していた。オリックスでの打撃好調の理由を記者に質問された際には「タフィが後ろで打ってくれるから、自分は思い切りバットが振れるんだ」と語っており、ローズに対して全幅の信頼を寄せている事がうかがえる。満塁の場面に強く、広島時代の2004年は通算3[[本塁打]]、[[打率]]5割を超え、2005年8月10日の対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦([[明治神宮野球場|神宮]])でも[[前田智徳]]と共に1試合2満塁本塁打(チームとしては27年ぶりの快挙)を放った。 守備では主に[[二塁手|二塁]]、[[三塁手|三塁]]で起用され、[[一塁手|一塁]](かつては[[遊撃手|遊撃]]も)の守備もこなせる[[ユーティリティープレイヤー]]である。守備範囲は広いほうではなく、また人工芝球場では捕球ミスによる失策がやや多かったが、基本的には堅実であり、ジャンピングスローやダイビングキャッチなどで度々ファンを湧かせた。走力も初の春季キャンプで測った時もタイムはチームでも速かった方で、決して鈍足ではなかった。 オリックス時代は守備位置が隣である[[遊撃手]]の[[大引啓次]]を可愛がっており、大引も打撃の師としてラロッカを慕っていた。大引が好守を見せた時にはお互いが仲良く決めのポーズを出す姿がしばしば見られた。大引自身も仲の良い外国人選手としてラロッカの名を挙げている<ref>[http://www.bickey10.com/qa/index.html 質問&回答|大引啓次公式サイト 10Bickey]</ref>。 怪我がちな体質であり、死球(後述)や守備での負傷による戦線離脱が多かった。日本ではシーズン通しての出場が在籍7年間でわずか2シーズンに留まった。 === 死球に関するエピソード === [[死球]]の多い選手として知られており、2007年に受けた28死球は'''1シーズン最多死球の日本記録'''である。2010年までの7シーズンで3度のリーグ最多死球、歴代13位にあたる通算109個の死球を記録している。この間の1被死球あたりの打席数は約21.8(2375打席・109被死球)で、歴代最多被死球の記録をもつ[[清原和博]]の48.0打席で1被死球(9403打席・196死球)の2倍以上のペースで死球を受けている。常にボールに向かって打ちにいく打撃スタイルであるため、内角の厳しいボールが来ても避けない事が多く、それが死球を誘発している原因と考えられる。オリックス移籍時に清原について記者から質問された事があったが、その際「彼と死球の数で勝負しようか」と語っている。 2007年は前半戦だけで20個の死球を受けた。[[2007年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]前に「さすがにオールスターでは死球はないだろうね」とコメントしたが、第1戦の第1打席で[[上原浩治]]から死球を受けたが、すっぽ抜けのカーブでダメージも少なかったためか、両手を拡げて健在をアピールし、ファンの笑いを誘った。9月17日の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])で[[清水直行]]からシーズン25個目の死球を受け、[[岩本義行]]の持つ日本記録を更新した瞬間は観客に向かって手を振り、マウンド上の清水にも一礼した。オリックス球団営業部では“痛い偉業”をたたえて、死球新記録グッズの開運袋「当てたロッカ」を発売した。同年の年俸交渉では、前例の無い「死球数での[[インセンティブ]]」を希望していることが判明。年俸のアップ幅の中には死球による怪我の「'''治療費'''」まで盛り込まれた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/npb/2008/meikan/buffaloes/30.html スポニチ Sponichi Annex プロ野球 オリックス・バファローズ選手名鑑― スポニチ Sponichi Annex 野球]</ref>。 == 人物 == オフにはアメリカの自宅近くの日本語教室で日本語を学ぶなどファンとの交流を非常に大切にしている選手で、今でも広島のファンの人気は高い。 [[焼肉]]好きで有名。特に[[レインズインターナショナル|牛角]]がお気に入りで、遠征先にある牛角には必ずと言っていいほど通うという(広島時代は[[マイク・ロマノ]]と[[ジョン・ベイル]]とよく一緒に行っていた)。広島時代には、遠征で[[栗原健太]]の実家の焼肉屋で山形牛を食べて、「美味い!」と絶賛した。練習中に焼肉について語る程の焼肉好き(偶然にもヤクルト時代の背番号が'''29'''(ニク)となっていた)。 2007年9月28日、オリックス球団を通じて日本[[二分脊椎症|二分脊椎]]・[[水頭症]]研究振興財団に100万円を寄付すると発表した。ラロッカ夫人が障害者教育を専攻しており、夫人の影響を受けて「日本のために恩返しがしたい」と寄付を申し出た経緯をラロッカ自身が明らかにした。 2008年の春季キャンプで、[[テリー・コリンズ (野球)|テリー・コリンズ]]監督と練習方法を巡って激しく口論した。ただ意見をぶつけ合うのはアメリカ人なら当然で、これが監督であっても同じで、双方ともシリアスな問題でなく、しこりはないと語っている。 本拠地である[[大阪ドーム|京セラドーム大阪]]、[[スカイマークスタジアム]]へは電車で通っているようで、両球場の最寄り駅やその周辺でファンにサインをする姿が度々見られる(ただし、2010年後半、二軍暮らしを余儀なくされていた際には、マイカーで[[あじさいスタジアム北神戸]]に通っていた。その際、[[フレディ・バイナム]]や[[フェルナンド・セギノール]]など、二軍にいる外国人選手を同乗させていた姿が度々目撃されている)。 == 詳細情報 == === 年度別打撃成績 === {| {{年度別打撃成績}} |- |style="text-align:center;"|{{by2|2000}} |style="text-align:center;"|[[サンディエゴ・パドレス|SD]] |13||30||27||1||6||2||0||0||8||2||0||0||2||0||1||0||0||4||1||.222||.250||.296||.546 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2002}} |rowspan="2" style="text-align:center;"|[[クリーブランド・インディアンス|CLE]] |21||60||52||12||14||3||1||0||19||4||1||0||0||0||6||0||2||6||1||.269||.367||.365||.732 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2003}} |5||10||9||3||3||1||0||0||4||0||0||0||0||0||1||0||0||1||0||.333||.400||.444||.844 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2004}} |rowspan="2" style="text-align:center;"|[[広島東洋カープ|広島]] |122||513||436||89||143||28||2||40||295||101||11||7||0||2||52||3||'''23'''||66||12||.328||'''.425'''||'''.677'''||'''1.102''' |- |style="text-align:center;"|{{by2|2005}} |80||296||267||40||81||12||1||18||149||56||0||0||0||1||18||0||10||30||8||.303||.368||.558||.926 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2006}} |style="text-align:center;"|[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]] |103||436||379||58||108||14||0||18||176||63||2||1||0||3||34||3||'''20'''||52||6||.285||.372||.464||.836 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2007}} |rowspan="4" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[オリックス・バファローズ|オリックス]] |136||576||503||79||144||29||0||27||254||79||2||1||0||6||39||4||{{Color|red|'''28'''}}||74||11||.286||.366||.505||.871 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2008}} |26||105||89||12||15||4||0||1||22||9||0||0||0||1||8||0||7||14||3||.169||.286||.247||.533 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2009}} |74||291||261||28||75||16||0||12||127||43||0||0||0||1||17||0||12||36||4||.287||.357||.487||.844 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2010}} |42||158||133||16||34||8||0||7||63||21||0||1||0||1||15||0||9||18||3||.256||.367||.474||.841 |- !colspan="2"|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:3年 |39||100||88||16||23||6||1||0||31||6||1||0||2||0||8||0||2||11||2||.261||.337||.352||.689 |- !colspan="2"|[[日本プロ野球|NPB]]:7年 |583||2375||2068||322||600||111||3||123||1086||372||15||10||0||15||183||10||109||290||47||.290||.376||.525||.901 |} * 2010年度シーズン終了時 * 各年度の{{color|red|'''赤太字'''}}はNPBにおける歴代最高、'''太字'''はリーグ最高 === 年度別守備成績 === {| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small" !rowspan="2"|年度!!colspan="6"|一塁!!colspan="6"|二塁!!colspan="6"|三塁 |- !試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率 |- |2004||47||352||24||5||30||.987||84||155||232||4||52||.990||colspan="6" style="text-align:center"|- |- |2005||colspan="6" style="text-align:center"|-||51||97||134||11||32||.955||8||2||5||3||1||.700 |- |2006||colspan="6" style="text-align:center"|-||96||202||240||10||47||.978||9||4||13||0||1||1.000 |- |2007||2||15||2||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center"|-||115||74||212||9||11||.969 |- |2008||1||9||0||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center"|-||25||16||46||4||5||.939 |- |2009||22||156||7||0||17||1.000||colspan="6" style="text-align:center"|-||52||27||67||8||6||.922 |- |2010||1||3||0||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center"|-||21||16||33||6||5||.891 |- |通算||73||535||33||5||37||.991||231||454||606||25||131||.977||230||139||376||30||29||.945 |} === タイトル === * [[最高出塁率 (日本プロ野球)|最高出塁率]]:1回 (2004年) === 表彰 === * [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:2回 (2004年:二塁手<ref>[[中日ドラゴンズ|中日]]・[[荒木雅博]]と同時受賞</ref>、2007年:三塁手) === 記録 === ; NPB初記録 * 初出場・初先発出場:2004年4月2日、対[[中日ドラゴンズ]]1回戦([[ナゴヤドーム]])、3番・[[二塁手]]で先発出場 * 初安打・初打点:同上、9回表に[[岩瀬仁紀]]から中前適時打 * 初盗塁:2004年4月9日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]1回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、1回裏に二盗(投手:[[ピート・ウォーカー]]、捕手:[[相川亮二]]) * 初本塁打:同上、3回裏にピート・ウォーカーから右越2ラン * 初死球:2004年4月14日、対[[阪神タイガース]]2回戦([[阪神甲子園球場]])、3回表に[[前川勝彦]]から ;NPB節目の記録 * 100本塁打:2007年8月28日、対[[福岡ソフトバンクホークス]]16回戦([[神戸総合運動公園野球場|スカイマークスタジアム]])、4回裏に[[和田毅]]から左越ソロ ※史上251人目 * 100死球:2009年7月28日、対福岡ソフトバンクホークス12回戦([[長崎県営野球場|長崎ビッグNスタジアム]])、8回表に[[森福允彦]]から ※史上13人目(史上最速) ;NPBその他の記録 * シーズン最多死球28個(2007年) *1イニング2本塁打:2006年5月11日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]2回戦([[明治神宮野球場]])、4回裏に[[帆足和幸]]から左越3ラン、1死後[[正津英志]]から左越ソロ ※史上17人目(19度目) * [[全球団から本塁打]]:2007年4月5日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]3回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、8回裏に[[薮田安彦]]から左越逆転決勝2ラン ※史上7人目 === 背番号 === * '''20''' (2000年) * '''62''' (2002年 - 2003年) * '''43''' (2004年 - 2005年) * '''29''' (2006年) * '''30''' (2007年 - 2010年) == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[ニューヨーク州出身の人物一覧]] * [[広島東洋カープの選手一覧]] * [[東京ヤクルトスワローズの選手一覧]] * [[オリックス・バファローズの選手一覧]] == 外部リンク == * [http://greg-larocca.com/ Authorized website of LaRocca] {{MLBstats |mlb= |espn= 4537 |br= l/larocgr01 |fangraphs= 1582 |cube= L/greg-larocca}} {{Navboxes|title= 業績 |list1= </span> {{セントラル・リーグ最高出塁率}} {{セントラル・リーグ ベストナイン (二塁手)}} {{パシフィック・リーグ ベストナイン (三塁手)}} }} {{デフォルトソート:らろつか くれつく}} [[Category:アメリカ合衆国の野球選手]] [[Category:イタリア系アメリカ人の野球選手]] [[Category:ニューヨーク州の人物]] [[Category:サンディエゴ・パドレスの選手]] [[Category:クリーブランド・インディアンスの選手]] [[Category:広島東洋カープ及び広島カープの選手]] [[Category:東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手]] [[Category:オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手]] [[Category:1972年生]] [[Category:存命人物]]
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