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キツネ目の男
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'''キツネ目の男'''(きつねめのおとこ)とは、[[グリコ・森永事件]]において、現金受け渡しの過程で2度目撃された男で、犯人グループの一員と目された男である。 == 概要 == [[1984年]][[6月28日]]夜、グリコ・森永事件の犯人グループによる[[丸大食品]]脅迫事件で指定された旧[[国鉄]]高槻 - 京都間で捜査員の動きを見張るような動きをしていた。不審に感じた捜査員は男を尾行したが、男は尾行をまくような不自然な動きを繰り返して、[[京都駅]]中央口付近で行方をくらませた<ref>朝日新聞大阪社会部『緊急報告グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、pp.133-134</ref>。 同じ犯人グループが起こした[[ハウス食品]]脅迫事件での1984年[[11月14日]]夜の現金受渡しでは、[[名神高速道路]][[大津サービスエリア]]で帽子を被り[[サングラス]]をかけた男が2人の捜査員によって目撃された。捜査員の1人は丸大事件でもこの男を目撃しており、同一人物と断定された<ref>朝日新聞大阪社会部『緊急報告グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p.273</ref>。なお、このとき捜査本部は現金受渡しで[[現行犯逮捕]]する方針を採用しており、捜査員2人は尾行や[[職務質問]]は禁じられており、警察無線で男を目撃したことと職務質問をかけたいと要請したが一網打尽したいとする本部によって拒絶され、男を目撃しただけにとどまった<ref>朝日新聞大阪社会部『緊急報告グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p.274</ref><ref>森下香枝『グリコ・森永事件「最終報告」 真犯人』朝日新聞社、2007年、pp.163-164</ref>。 犯人グループは[[1985年]][[4月3日]]の挑戦状でキツネ目の男が自分たちの一味であることを否定したが、2度にわたり計7人の大阪府警一課の特殊捜査員に目撃されたため、捜査本部は犯人グループの一員と断定している<ref name="hokoku">朝日新聞大阪社会部『緊急報告グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、pp.340-341</ref><ref>森下香枝『グリコ・森永事件「最終報告」 真犯人』朝日新聞社、2007年、p.132</ref>。 1984年[[6月29日]]に捜査資料として似顔絵が作成され、[[12月25日]]付夕刊で『[[朝日新聞]]』がこの男について報道、次いで[[12月31日]]にも『[[毎日新聞]]』が報じたため、大阪府警捜査本部が[[1985年]][[1月10日]]に似顔絵を一般公開した<ref name="hokoku" /><ref name="morishita119">森下香枝『グリコ・森永事件「最終報告」 真犯人』朝日新聞社、2007年、pp.119-120</ref>。 身元は不明であるが、推定年齢は35歳から45歳、身長は175センチから178センチ<ref name="hokoku" />。 キツネ目の男については、時効までに9千件以上の情報が寄せられて、目撃した7人の捜査員が捜査にあたった<ref name="morishita119" />。捜査員の間では英語でキツネを意味するFOXの頭文字からFと呼ばれていた<ref>『別冊宝島1188 戦後未解決事件史』宝島社、2005年、p.17</ref>。7人の捜査員を中心にした約20人のF情報捜査班が設置されて、情報が寄せられた人物や写真の確認作業が行われた。しかし、キツネ目の男を2度目撃した捜査員が再確認したいと思うような人物や情報はその中に皆無だったという<ref name="shincho">大阪府警捜査一課特殊犯元警部・松田大海「『キツネ目の男を追え!』 グリ森事件 『22年間の捜査員秘録』」『週刊新潮』2007年1月4日・11日合併号、pp.52-55</ref>。 事件を担当した大阪府警の本部長だった[[四方修]]は、目撃情報はあてにならないとして信頼性に疑問のある似顔絵の公開に消極的だったが、[[警察庁]]が積極的で公開されたという<ref>「本誌最後のスクープ! 真犯人は茨木市内の標準語の男 四方修・元大阪府警本部長インタビュー」『読売ウィークリー』2009年12月14日号、pp.13-17</ref>。捜査本部ではキツネ目の男を最重要視していたが、有力な情報があってもこの方針のもとで似ていないということで捜査打ち切りになることに警察内部で軋轢が生じたとも言われる <ref>一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮文庫、2000年、pp.406-409</ref>。 俗称として'''グリコ犯人'''、'''森永犯人'''と呼ばれていた(グリコ・森永犯人とも)。また、'''狐目の男'''や、'''キツネ目の長身男'''などとも呼ばれた。 == ビデオの男 == [[青酸ソーダ]]入り菓子が発見された[[コンビニエンスストア]]の[[防犯カメラ]]に写された「'''ジャイアンツマークの野球帽をかぶった防犯ビデオの男'''」とキツネ目の男が同一人物かどうかは定かではない。'''キツネ目の男'''は年齢35歳から45歳、身長は175cmから178cm、'''ビデオの男'''は、年齢が20代から30代、身長は約170cmと捜査本部は推測している。 == 宮崎学説 == 伝えられる外見や似顔絵は、当時解体業者で、その後[[地上げ]]などにも携わった[[小説家|作家]]の[[宮崎学]]によく似ていたとされる。当時39歳で身長178センチという風体もキツネ目の男と一致していた。さらに宮崎はかつて[[江崎グリコ]]の労働争議に関わっていた事実があった<ref>宮崎学、大谷昭宏『グリコ森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、pp.38-41</ref>。その他にもかつて経営していた会社の所在地が事件の現場に近くて土地勘があったこと、事件に使われていたのと似たタイプの車両を親族が所有していたこと、親族の会社の経営者が犯人グループの使用したのと同種の和文タイプライターを所有していたなどの結びつきがあった<ref>一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮文庫、2000年、pp.235-240</ref>。 1985年2月に宮崎の自宅マンションに2人の私服刑事が訪問して、宮崎に対して任意の事情聴取が行なわれた。しかし、宮崎に直接繋がる物証が何もなく、キツネ目の男が目撃された6月28日当日に宮崎が東京都内の音楽大学の[[労働組合]]会議に出席し、11月14日当日にも弁護士との打ち合わせという[[アリバイ]]があったことが決定打となった。宮崎本人への事情聴取は1度きりで、宮崎に対する捜査は1990年頃に打ち切られた<ref>宮崎学『突破者の痛快裏調書』徳間書店、2000年、pp.103-104</ref><ref>宮崎学、大谷昭宏『グリコ森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、pp.67-72</ref>。 1985年には『[[噂の眞相]]』誌でキツネ目の男と疑われたことを発表した<ref>「特集2: 私がキツネ目の男だった!!グリコ・森永事件の総括対論ー宮崎学vs朝倉喬司」、『噂の真相』1985年10月号</ref>。 宮崎が1996年に作家としてデビューしてからは「キツネ目の男」というフレーズは宮崎の[[代名詞]]として使われるようになり、本人も好んで用いている。後に宮崎は事件に対する見解を『突破者 戦後史の陰を駆け抜けた50年』『グリコ・森永事件 最重要参考人M』『突破者の痛快裏調書』に記した。 なお、丸大事件とハウス事件でキツネ目の男を2度にわたって目撃した唯一の捜査員は、「一時期話題になったM氏など論外です」と宮崎学説を一蹴している<ref name="shincho" />。 == 出典 == <references/> == 関連項目 == *[[グリコ・森永事件]] {{DEFAULTSORT:きつねめのおとこ}} [[Category:日本の誘拐事件]] [[Category:身元不明の人物]]
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