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'''ガリオア資金'''(ガリオアしきん)とは、 GARIOA (Government Appropriation for Relief in Occupied Area) 、占領地域救済政府資金のこと。 == 概要 == [[第二次世界大戦]]が終わると、アメリカ軍占領地の疾病や飢餓による社会不安を防止し、占領行政の円滑を図るためアメリカ政府がオーストリア等の占領地、そして旧敵国の占領地である日本と西側ドイツに対して陸軍省の軍事予算から支出した援助資金である。例外として朝鮮にも割り当てている。 この資金は、[[1947年]]度からは正式に陸軍省予算から計上され、[[1951年]]度まで続いた。一般的に、[[食糧]]・[[肥料]]・[[石油]]・[[医薬品]]など生活必要物資の緊急輸入という形で行われ、これらが国内で転売換金されることで資金としての性格を持った。 なお、[[1946年]]7月より[[SCAPIN]]による陸軍救済計画として実施された支出については、後に'''プレ・ガリオア資金'''と呼称され、返済等についてガリオア資金と同等の扱いをうけた。 [[西ドイツ]]では、[[1948年]][[7月]]のアメリカとの協定で[[見返り資金]]として利用することを義務付けられた。見返り資金とは、独立の勘定として計上され、利用にはアメリカ政府の承認が必要とされる資金のことである。特にガリオア資金の場合、別勘定とすることは資金を被援助国の債務として保全する意味も持った。一方日本では、当初は[[貿易資金特別会計]]に繰り入れられ、貿易の補助金として日本政府の裁量で運用されていたが、[[1949年]]からは[[ドッジ・ライン]]の枠組みの中で西ドイツと同様に見返り資金としての計上を義務付けられた。 対日援助額は、1946年度から[[1951年]]度までの累計で16億ドル弱であり、[[エロア資金|占領地域経済復興資金]] ([[EROA]], Economic Rehabilitation in Occupied Area) と合わせて18億ドルである。 西ドイツは、[[1953年]]に33.178%の返済率のもとで資金返済に関してアメリカと協定を調印した。日本は、アメリカとの断続的な交渉の上で、[[1962年]]に西ドイツの返済率にならって約5億ドルの返済協定を調印した。 == 参考文献 == * [[大蔵省]]財政史室編『[[昭和]]財政史-[[戦後|終戦]]から講和まで-』第13巻、[[東洋経済新報社]]、1983年、917-941頁・1092-1095頁。 * クリストフ・クレスマン『戦後ドイツ史1945-1955-二重の建国』[[石田勇治]]・[[木戸衛一]]訳、[[未來社]]、1995年、216頁。 * [[丸山静雄]]編『アメリカの援助政策』、[[アジア経済研究所]]、1966年、33-34頁。 * [[油井大三郎]]・[[中村政則]]・[[豊下楢彦]]編『占領改革の国際比較:日本・アジア・ヨーロッパ』、[[三省堂]]、1994年、162-192頁。 == 関連項目 == *[[エロア資金]] *[[ララ物資]] {{DEFAULTSORT:かりおあしきん}} [[Category:アメリカ合衆国の国際関係 (1945年-1989年)]] [[Category:占領下の日本]] [[Category:昭和時代戦後の経済]] [[Category:昭和時代戦後の外交]] [[Category:連合軍軍政期 (ドイツ)]] [[Category:ドイツの国際関係]] [[Category:国際援助]] [[Category:日米関係]] [[Category:米独関係]] [[Category:第二次世界大戦直後のアメリカ合衆国]]
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