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カール・ワルサー
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'''カール・ワルサー'''('''Carl Walther''', [[1858年]][[11月22日]] - [[1915年]][[7月9日]])は、[[ドイツ]]の有名な銃技師で[[ワルサー|カール・ワルサー]]社の創始者。正式名は'''カール・ヴィルヘルム・フロイト・ヴァルター'''('''Carl Wilhelm Freund Walther''')。[[19世紀]]から[[20世紀]]を通して息子である[[フリッツ・ワルサー]]と共にドイツ国内における[[自動式拳銃]]及び[[半自動小銃]]の開発を行なってきた。 なお姓のWaltherは、日本語ではヴァルターあるいはワルターと表記されることが多い([[ヴァルター]]の記事を参照)が、銃砲関係の話題では「ワルサー」という表記が定着している。 == 歴史背景 == 19世紀の後半に入り、各国では軍の近代化が盛んになり、当時のドイツ国内でもこの流れに乗るかのように軍隊内における武器の近代化を図っていった。ワルサー家はドイツの[[テューリンゲン]]地方にある町[[ズール]]に渡り、そこで代々ドイツ軍内における銃器の開発を行なっていった。 == カール・ワルサーの登場 == [[1860年]]に[[テューリンゲン州]][[ズール]]市の近郊にあるツェラ・メーリス([[テューリンゲンの森]]付近)で誕生する。青年時から父親からは銃器開発におけるノウハウを教え込まれ、その頃から拳銃、特に自動式拳銃の発射機構や装弾方式に興味を持ち、調べるようになった。 その後、銃器開発者として独立したのち、[[1886年]]にカール・ワルサーは彼の長男である[[フリッツ・ワルサー]]と共に[[ワルサー|カール・ワルサー社]](通称ワルサー社)を設立する。ただ設立当初は開発機材も古く、従業員も見習い技師ばかりであったため銃器製造は苦労したという。だがカールの関心は自動式拳銃の発射機構と性能であった。この頃の拳銃は[[回転式拳銃]]が主であり、自動式拳銃はこの頃は未知の領域であったが、カールは銃弾の交換位置や発射機構、及び装填方法などを息子とともに研究を始めた。 その頃アメリカの[[ブローニング・アームズ|ブローニング]]社やドイツの[[ルガー]]など次々に半自動式拳銃が登場、ヨーロッパ各国では回転式拳銃から半自動式拳銃に切り替わろうとしていた。ワルサー社もこの流れに乗り[[1908年]]にワルサー社としては最初の自動式拳銃である'''ワルサーモデル1(口径 6.35 mm)'''を開発した。設計は主に息子であるフリッツが行ない、その後4種類のワルサーモデルが続けて開発された。発射機構の簡略化と小型化によりワルサー社はドイツ軍へのセールスに成功し、ワルサー製の拳銃が制式に採用されることとなった。 == カール・ワルサー社の躍進とその後 == カール・ワルサー社設立後、ドイツ軍部内で次々に自動式拳銃の採用が決まり、ワルサー社は急激に業績を伸ばすこととなる。従業員もこの頃になると500人を越し、ワルサー社は大企業へと変貌していった。その後、カール・ワルサーは会社の運営を息子のフリッツと次男のハンス・ワルサーに任せ引退する。 フリッツら兄弟はその後も士官用の携帯用拳銃を中心に開発を進め、[[ワルサーP38]]など代表的な拳銃を開発していき、ワルサー社をさらに躍進させていった。それを見届けるかのように[[1915年]]に51歳のカール・ワルサーはズールの近郊でこの世を去った。 {{DEFAULTSORT:わるさあ かある}} [[Category:1858年生]] [[Category:1915年没]] [[Category:ドイツの技術者]] [[Category:銃器設計者]]
カール・ワルサー
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