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'''オホーツク海縦貫線'''(オホーツクかいじゅうかんせん)とは、[[北海道]]の北東の[[オホーツク海]]沿岸、南稚内-網走間を[[鉄道路線]]で結ぼうとする構想である。'''オホーツク本線'''などと称されたが、現実化しなかった。 オホーツク海沿岸に断続的に敷設されていた鉄道路線の[[未成線|未成区間]]を建設して、網走と南稚内間約335キロメートルを一本の鉄道路線としようという構想である。1980年代の[[特定地方交通線]][[廃線|廃止]]の過程で鉄道路線廃止を食い止めるため、沿線自治体から提案された。 この構想が生まれた当時、オホーツク海沿岸には、以下の路線が敷設されていた。 *[[天北線]]の一部([[南稚内駅]] - [[浜頓別駅]]) *[[興浜北線]](浜頓別駅 - [[北見枝幸駅]]) *[[興浜南線]]([[雄武駅]] - [[興部駅]]) *[[名寄本線]]の一部(興部駅 - [[中湧別駅]]) *[[湧網線]](中湧別駅 - [[網走駅]]) いずれの路線も赤字で経営環境は厳しく特定地方交通線として廃止の俎上に上がっていた。北見枝幸と雄武の間は、[[興浜線]]の[[未成線|未成区間]]で、この区間が開通すれば網走から稚内までが鉄道でつながる。このことから、上記路線の沿線自治体は、未成区間を完成させることでオホーツク海側の鉄道を一本化し、直通運転の実施、アクセス向上、観光需要の掘り起こしなどによって経営を改善させ、国鉄路線としての存続もしくは[[第三セクター鉄道|第三セクター]]化の形での存続を構想した。 1982年10月には「オホーツク本線建設促進期成会」が既存鉄道と未成区間(雄武 - 北見枝幸間)を繋ぐバスを使って網走から稚内まで体験乗車デモを行うなどの活動も見られた。しかし、結果的には未成区間の工事が再開されることはなく、上記5路線は1985年から1989年にかけてすべて廃止された。 なお、構想路線には、網走―東釧路間の[[釧網本線]]や、[[根北線]]、[[標津線]]を含める見解もある。釧網本線は網走 - [[知床斜里駅|斜里]](現・知床斜里)間でオホーツク海沿岸を通る。根北線は斜里から内陸の根北峠を越えて標津線[[根室標津駅|根室標津]]へ至る予定線だった。 == 関連項目 == *[[北海道旅客鉄道]] *[[日本国有鉄道]] *[[美幸線]] *[[興浜線]] *[[日本海縦貫線]] - 海岸線沿いの複数路線の直通運転の例 == 脚注 == <div class="references-small"><references /></div> [[Category:未成線|おほつくかいしゆうかんせん]] [[Category:北海道の鉄道路線|未おほつくかいしゆうかんせん]]
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