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[[ファイル:Ингушка в традиционном костюме. Фотограф Д. А. Никитин. 1881 г.jpg|thumb|right|250px|イングーシ人の女性衣装]] '''イングーシ人'''(<!--いんぐーしじん-->[[ロシア語]]:'''Ингуш'''; Ingush)は、[[北カフカース]]の[[民族]]。[[ロシア|ロシア連邦]]に属する[[イングーシ共和国]](旧チェチェン・イングーシ自治共和国西部)を中心に居住しており、人口はおよそ15万人である。 民族名のイングーシは彼らの居住地にあるアングシトという村の名前に由来する他称で、[[イングーシ語]]による自称はガルガイ(ГІалгІай)という。 主に[[イスラム教]]を信仰しているイングーシ人は、東に住む[[チェチェン人]]と民族的に非常に近しい関係にあり、話す言語も[[チェチェン語]]と同じ[[カフカス諸語]]のナフ諸語というグループに属する親縁言語であると考えられている。 北東カフカスの[[テレク川]]以東に住んでいたチェチェン人とイングーシ人は、[[17世紀]]以降に[[ロシア帝国]]の侵攻を受け、イスラム指導者を中心にして激しく抵抗した。しかし、テレク川河畔のチェチェン人・イングーシ人居住地帯のすぐ近くに[[ウラジカフカス]]が建設された[[18世紀]]の末頃からロシアの圧力に抗しきれなくなり、[[19世紀]]にウラジカフカスに近い現在の[[北オセチア共和国]]東部からイングーシ共和国にかけての地域の人々がロシアの支配下に入った。ロシア人はこうして支配下に入った北東カフカス人をイングーシ人と呼び、なおも抵抗を続けるそれより東の山岳民[[チェチェン人]]と区別した。言語的にいってもともとイングーシ人とチェチェン人は未分化なひとつの集団であったらしく、このような[[ロシア人]]による外からの枠の当てはめによってひとつの民族であったチェチェン人とイングーシ人は2つの民族に分裂させられたのだと結論付ける人もいる。 {{DEFAULTSORT:いくうし}} [[Category:アジアの民族]] [[Category:ロシアの民族]] [[Category:カフカス]] [[Category:イングーシ共和国]]
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