コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
アルザス=ロレーヌのソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
アルザス=ロレーヌ
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
[[画像:Dienstflagge Elsaß-Lothringen Kaiserreich.svg|thumb|260px|ドイツ帝国下のアルザス=ロレーヌ地方の旗(1871–1918年)]] [[画像:Deutsches Reich (Karte) Elsaß-Lothringen.svg|thumb|225px|ドイツ帝国下のアルザス=ロレーヌ地方(グレー部分)]] [[画像:André Bas et Marthe Kuentz - 1919.jpg|thumb|190px|伝統的な衣装を着たアルザスの女性とフランスの将校(1919年)]] '''アルザス=ロレーヌ'''({{llang|fr|言語記事名=フランス語|Alsace-Lorraine}}、{{llang|de|言語記事名=ドイツ語|Elsaß-Lothringen}} '''エルザス=ロートリンゲン'''、{{llang|als|言語記事名=アレマン語|Elsäß-Lothringe}} エルゼス=ロートリンゲ)は、[[フランス共和国]]北東部の[[ドイツ]]国境に近い[[アルザス地域圏]](エルザス)と[[ロレーヌ地域圏]](ロートリンゲン)のうち[[モゼル県]]を合わせた地域。 [[鉄|鉄鉱石]]と[[石炭]]を産出するため、しばしばフランスとドイツとの間で係争地となったことで知られる。[[第二次世界大戦]]以降はフランス領となったが、中心都市である[[ストラスブール]]には、それ以後、欧州の主要な国際機関が多く設置され、国を超え、[[欧州統合]]の象徴的な地域となっている。 アルザス・ロレーヌは元々[[ドイツ語]][[文化圏]]に属し、特にアルザスで話される[[アルザス語]]は[[上部ドイツ語|南部ドイツ語]]の[[方言]]である[[アレマン語]]の一つ。元来はドイツの前身である[[神聖ローマ帝国]]の支配下にあり、住民の大多数は[[ドイツ人|ドイツ系]]の[[アルザス人]]([[アラマンニ人|アレマン系]])だが、『[[ツァーベルン事件]]』でドイツ人がアルザス人を侮辱する事件が起こったことをきっかけに、現在のアルザスの住民は「ドイツ人」という概念よりも、民族独自の「アルザス人」という意識が強くなった。 ==歴史== :<small>※本頁では便宜上、フランス語の「アルザス=ロレーヌ」で統一する。</small> アルザス=ロレーヌ地方は長年[[神聖ローマ帝国]]傘下の[[ロートリンゲン公国]]などの支配下にあった。しかし[[17世紀]]になると[[フランス王国]]が勢力を拡大してストラスブールなどを支配下に置いた。[[1736年]]にロートリンゲン公[[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ3世シュテファン]]が[[ハプスブルク家#オーストリア系ハプスブルク家|オーストリア系ハプスブルク家]]([[神聖ローマ皇帝]]家)の[[マリア・テレジア]]の婿に決定すると、[[フランス王国]]はロレーヌが実質的にオーストリア公領となるこの結婚に反対した。協議の結果、領土交換が行われ、一代限りのロレーヌ公となった[[スタニスワフ・レシチニスキ]]の死後には完全にフランス領に編入された。 [[1871年]]、[[プロイセン王国]]が[[普仏戦争]]でフランスを破ると、プロイセンはフランスとの講和条件としてアルザス=ロレーヌを国土の一部とした。プロイセン王国は「[[ドイツ帝国]]」の成立を宣言してこの地域を帝国の直轄統治下に置いた。ただし元々アルザスの一部であった[[テリトワール・ド・ベルフォール県|テリトワール・ド・ベルフォール]]は併合を拒んで激しく抵抗したためフランス領に留まった。アルザス=ロレーヌという地域名称は、この時期に存在した「エルザス=ロートリンゲン」(ドイツ帝国を構成する26連邦構成国の一つ)をさすものである。 [[1919年]]、ドイツが[[第一次世界大戦]]で敗れると、一時[[アルザス=ロレーヌ共和国]]が独立を宣言したが、フランスが領有権を主張して認められた。[[教育制度]]はフランス式に改められ、アルザス語の使用が禁止されてフランス語が[[公用語]]とされた。また[[ストラスブール大学]]に多くの研究者と教育予算があてられ、1929年に[[マルク・ブロック]]と[[リュシアン・フェーヴル]]の二人の教授により[[社会史]]の[[アナール学派]]が生まれた。[[1930年]]頃、[[自治]]を求める運動が活発化した。 [[1940年]]に[[ナチス・ドイツ]]が[[第二次世界大戦]]で再びフランスを破って、[[首都]][[パリ]]を占領すると、再度アルザス=ロレーヌを自国に編入した。だが、[[1944年]]にドイツに抵抗を続けていた[[自由フランス]]がパリを奪還して新政府を樹立すると、この地域から[[ドイツ軍]]を追って再びアルザス=ロレーヌを領有して現行の国境となった。 [[欧州連合]]はその主要機関である[[欧州議会]]({{lang|fr|[[:fr:Parlement européen|Parlement européen]]}})の本部を、[[欧州共同体]]時代の[[1979年]]に中心都市[[ストラスブール]]に置いた。また、[[欧州審議会]]({{lang|en|[[:en:Council of Europe|Council of Europe]]}}、欧州評議会、欧州会議とも訳される)はそれ以前の[[1949年]]に、そして[[欧州人権裁判所]]は[[1959年]]にストラスブールに置いている。 フランスとドイツとの国境地帯にあり、フランスおよびドイツそれぞれの国から見れば地理的には[[周辺]]であるのにもかかわらず、欧州の「[[中心]]」地域になっている。欧州統合を推進するフランスとドイツの中間点にあり、なおかつ欧州の中心ということは歴史をふりかえれば非常に象徴的である。 == 参考文献 == * 手塚章・呉羽正昭『ヨーロッパ統合時代のアルザスとロレーヌ』([[二宮書店]]、2008年) ISBN 978-4-8176-0327-2 ==関連項目== * [[アルザス地域圏]] * [[ロレーヌ地域圏]] * [[ヴェストファーレン条約]] * [[ヴェルサイユ条約]] * [[最後の授業]] * [[中部フランク王国]] * [[ツァーベルン事件]] * [[アルザス・ロレーヌ鉄道]] == 外部リンク == {{commons category|Alsace-Lorraine}} *[http://www.u-gakugei.ac.jp/~seminair/memoire/01/01okada.htm#1.3 アルザスの地域主義と言語政策] *[http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/edu/e37/e3712.pdf アルザスにおける言語の現状とその地域性] - pdfファイル *[http://www.dailymotion.com/elsaesser/video/x872c_Alsace-Moselle-Free/ Elsass-Lothringen video] {{ドイツ帝国の構成国}} {{France-stub}} {{Coord|48.67|7|display=title|format=dms}} {{DEFAULTSORT:あるさすろれぬ}} [[Category:アルザス・ロレーヌ|*あるさすろれぬ]] [[Category:アルザスの歴史]] [[Category:ロレーヌの歴史]] [[Category:フランスの地理]] [[Category:独仏関係]] [[Category:ドイツ帝国の構成国]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Commons category
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Coord
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:France-stub
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Lang
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Llang
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:ドイツ帝国の構成国
(
ソースを閲覧
)
アルザス=ロレーヌ
に戻る。
検索
検索
アルザス=ロレーヌのソースを表示
話題を追加