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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-09-03T08:39:42Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E8%8F%A9%E8%96%A9&amp;diff=2802</id>
		<title>観音菩薩</title>
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		<updated>2014-07-10T05:22:57Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;61.124.239.147: /* 古典小説における観音菩薩 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{統合文字|薩}}&lt;br /&gt;
{{Buddhism}}&lt;br /&gt;
[[image:Kano White-robed Kannon, Bodhisattva of Compassion.jpg|thumb|200px|白衣観音図（[[狩野元信]]・画）]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;観音菩薩&#039;&#039;&#039;（かんのんぼさつ、{{繁体字|觀音菩薩}}、{{lang-sa-short|Avalokiteśvara Bodhisattva}}, &#039;&#039;&#039;アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァ&#039;&#039;&#039;）は、[[仏教]]の[[菩薩]]の一尊であり、北伝仏教、特に日本や中国において[[古代]]より広く[[信仰]]を集めている尊格である。「&#039;&#039;&#039;観世音菩薩&#039;&#039;&#039;」（かんぜおんぼさつ）または「&#039;&#039;&#039;観自在菩薩&#039;&#039;&#039;」（かんじざいぼさつ）ともいう。「&#039;&#039;&#039;救世菩薩&#039;&#039;&#039;」（くせぼさつ・ぐせぼさつ）など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 起源 ==&lt;br /&gt;
「観音菩薩」という名称の由来は、後述のように[[サンスクリット]]（梵語）のアヴァローキテーシュヴァラの意訳から生じたとする説が有力である。しかし、[[エローラ石窟群]]、[[サルナート]]などインドの仏教遺跡においても観音菩薩像と思しき仏像が発掘されていることから、その起源は中国への仏教伝来よりも古いものとも考えられ、[[ゾロアスター教]]において[[アフラ・マズダー]]の娘とされる女神[[アナーヒター]]や[[スプンタ・アールマティ]]との関連が指摘されている&amp;lt;ref&amp;gt;関根俊一『仏尊の事典』の説。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;観音菩薩の起源は定説がない。[[岩本裕]]や[[スマナサーラ]]はインド土着の女神が仏教に取り入れられた可能性を示唆している。岩本『法華経』岩波文庫下巻の注釈、スマナサーラ『般若心経は間違い？』宝島社文庫等&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 名称の由来 ==&lt;br /&gt;
梵名のアヴァローキテーシュヴァラとは、{{IAST|ava}}（遍く）+{{IAST|lokita}}（見る、見た）+{{IAST|īśvara}}（自在者）という語の[[合成語]]との説が現在では優勢である。[[玄奘三蔵]]による訳「&#039;&#039;&#039;観自在&#039;&#039;&#039;菩薩」はそれを採用していることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[鳩摩羅什]]の旧訳では観世音菩薩と言い、当時の[[中国大陸]]での呼称も、観世音菩薩であった。これには、『&#039;&#039;&#039;[[観音経]]&#039;&#039;&#039;』（[[妙法蓮華経]]観世音菩薩普門品第二十五）の趣意を取って意訳したという説がある。また、中央アジアで発見された古い[[サンスクリット語]]の『法華経』では、「{{IAST|avalokit&#039;&#039;&#039;a&#039;&#039;&#039;svara}}」となっており、これに沿えば{{IAST|avalokit&#039;&#039;&#039;a&#039;&#039;&#039;}}(観)+ {{IAST|svara}}(音)と解され、また古訳では『光世音菩薩』の訳語もあることなどから、異なるテキストだった可能性は否定できない。なお、現在発見されている写本に記された名前としては、{{IAST|avalokitasvara}}がもっとも古形である&amp;lt;ref&amp;gt;[http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/soken17/SK017L115.pdf ガンダーラにおける阿弥陀信仰についての一考察]&amp;lt;/ref&amp;gt;。観音菩薩というのは、一般的には観世音菩薩の略号と解釈されている。&amp;lt;ref&amp;gt;大宮司朗『仏尊の図鑑』、松原泰道『観音経入門』。また、[[唐]]代に、「世」の文字が二代皇帝太宗[[李世民]]の名(諱)の一部であったため、[[避諱]]の原則により、唐代は「世」の文字は使用できなくなった。そのため、「観音菩薩」となり、唐滅亡後も、この名称が定着したという説もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[玄奘三蔵]]以降の新訳では観自在菩薩と訳しており、玄奘は「古く光世音、観世音、観世音自在などと漢訳しているのは、全てあやまりである」といっている。&amp;lt;ref&amp;gt;松原1999&amp;lt;/ref&amp;gt;「観自在」とは、智慧をもって観照することにより自在の妙果を得たるを意味する。また衆生に総てを畏れざる無畏心を施す意で&#039;&#039;&#039;施無畏者&#039;&#039;&#039;、世を救済するので&#039;&#039;&#039;救世大士&#039;&#039;&#039;ともいう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 信仰・位置づけ ==&lt;br /&gt;
『&#039;&#039;&#039;[[観音経]]&#039;&#039;&#039;』などに基づいて広く信仰・礼拝の対象となっている。また、『[[般若心経]]』の冒頭に登場する菩薩でもあり、[[般若]]の智慧の象徴ともなっている。[[浄土教]]では『[[観無量寿経]]』の説くところにより[[阿弥陀如来]]の脇侍として[[勢至菩薩]]と共に安置されることも多い。観音菩薩は大慈大悲を本誓とする。中国では[[六朝時代]]から霊験記（『[[観世音応験記]]』）が遺され、日本では[[飛鳥時代]]から造像例があり、[[現世利益]]と結びつけられて、時代・地域を問わず広く信仰されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
観音の在す住処・浄土は、ポータラカ（{{IAST|Potaraka}}、[[補陀落]]）といい、『[[華厳経]]』には、南インドの摩頼矩咤国の補怛落迦であると説かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
偽経『[[観世音菩薩往生浄土本縁経]]』によると、過去世において長邦（ちょうな）という[[バラモン]]の子・早離（そうり）であったとされる。彼には速離（そくり）という兄弟がおり、のちの勢至菩薩だという。早離と速離は騙されて無人島に捨てられ、餓死したが、早離は餓死する寸前に「生まれ変わったら自分たちのように苦しんでいる人たちを救いたい」と誓願を立てたため、観音菩薩になったという。&amp;lt;ref&amp;gt;無人島に捨てられた理由は、継母による育児放棄であるとか、誘拐犯によるものだとか、諸本により一定しない。[[平康頼]]の『[[宝物集]]』では、子供二人は生母と死別し、継母が二人の子供を殺害しようとして、海藻取りだと騙して連れ出し、無人島に置き去りにしたとしている。なお、松原泰道『般若心経入門』では、出典を南伝華厳経とする。&amp;lt;/ref&amp;gt;なお、父の長邦は未来に釈迦として生まれ変わった。&amp;lt;ref&amp;gt;『[[宝物集]]』では、子供二人の生母は阿弥陀如来の前世であり、阿弥陀三尊像の脇侍が観音・勢至なのはその因縁に依るという。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== チベット仏教における位置づけ ===&lt;br /&gt;
[[チベット仏教]]では、チベットの国土と衆生は「観音菩薩の所化」と位置づけられ、チベット仏教の四大宗派に数えられる[[ゲルグ派]]の高位に位置し、民間の信仰を集めている[[化身ラマ]]の[[ダライ・ラマ]]は観音菩薩（千手千眼観音&amp;lt;ref&amp;gt;日本の「千手観音」と「十一面観音」を一つにした尊格。曼荼羅の研究家として知られる[[田中公明]]によると、「千手観音」の千手を描く姿は中国で描かれたのが最初で、インドにはその作例は見られないとしている。&amp;lt;/ref&amp;gt;）の化身とされている。居城である[[ラサ]]の[[ポタラ宮]]の名は、観音の浄土である、ポータラカ（{{IAST|Potaraka}}、補陀落）に因む。チベットでは、観音菩薩は&#039;&#039;&#039;チェンレジー&#039;&#039;&#039;として知られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 性別 ==&lt;br /&gt;
[[File:Maruyama-kanon 丸山観音 DSCF2080.JPG|250px|thumb|right|[[古代]]より広く[[信仰]]を集め、日本では各地に建立されることが多い観音像]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
観世音菩薩は、本来男性であったと考えられる。例えば、[[松原哲明]]は、梵名のアヴァローキテーシュヴァラが男性名詞であること、華厳経に「勇猛なる男子（丈夫）、観世音菩薩」と書かれていることから、本来男性であったと述べている。&amp;lt;ref&amp;gt;松原1999&amp;lt;/ref&amp;gt;しかしながら、また中村元氏に依ればAvalokiteśvara、すなわち観音から発信されるイメージは男性名詞である、貴族・勇者を意味すると言う。&lt;br /&gt;
中国に於いて変換された様で「慈母観音」などという言葉から示されるように、俗に女性と見る向きが多い、これには則天武后の影響を指摘する声もある。これは、例えば[[地蔵菩薩]]が観音と同じ[[一闡提#大悲闡提|大悲闡提]]の一対として見る場合が多く、地蔵が男性の僧侶形の像容であるのに対し、観音は女性的な顔立ちの像容も多いことからそのように見る場合が多い。&amp;lt;ref&amp;gt;松原1999、松原によれば一般的には女性だと誤解されており、大正期の岡本かの子等は、各宗教の神々でミスコンを行った場合、観世音菩薩はミス仏教だろうと主張しているが、れっきとした男性だと念押ししている。ただし、岡本も観音が男性であることは確かだが、女性として見たいと主張している。&amp;lt;/ref&amp;gt;観音経では「婦女身得度者、即現婦女身而為説法」と、女性には女性に変身して説法するともあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになった。また後代に至ると観音を女性と見る傾向が多くなった。これは中国における観音信仰の一大聖地である[[補陀落|普陀落山]]（浙江省・[[舟山群島]]）から東シナ海域や黄海にまで広まったことで、その航海安全を祈念する民俗信仰や[[道教]]の[[媽祖]]信仰などの女神と結び付いたためと考えられている。したがって、観音の性別を法華経の「変成男子（へんじょうなんし）」と関連して論じる向きもあるが、これは関係ないとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所依経典（観音経） ==&lt;br /&gt;
観音について説かれた仏教経典は数多いが、最古かつ最も有名なのは[[妙法蓮華経]]観世音菩薩普門品第二十五、別名「観音経」である。&amp;lt;ref&amp;gt;岩本・坂本『法華経』1976、岩波書店。長行と偈文に分かれている。なお、松原泰道『観音経入門』1972のように、普門品偈文のみを取り出して「観音経」という場合もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;後述の三十三身普門示現もこの教典の長行に説かれている。この略本と考えられている[[十句観音経]]や、十一面観音について説かれた[[十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経]]がよく読誦される経典である。&amp;lt;ref&amp;gt;この他、変化観音関係でよく読誦される教典として、千手観音の陀羅尼である[[大悲心陀羅尼]]や、准胝観音経などがある。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの経典は、普門品偈文（観音経）に、「衆生、困厄を被りて、無量の苦、身に逼（せま）らんに、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。（観音は）神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸（もろもろ）の国土に。刹として身を現ぜざることなし。種々の諸の悪趣。地獄・鬼・畜生。生・老・病・死の苦は、以て漸く悉く滅せしむ。」&amp;lt;ref&amp;gt;書き下しは平田真純『大聖歓喜天礼拝作法』待乳山本龍院、2002に依った。句読はやや改めた。&amp;lt;/ref&amp;gt;とあるように、観音の慈悲が広く、優れた現世利益を持つことを述べている点が共通している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 普門示現 ==&lt;br /&gt;
[[File:Kuan-yan bodhisattva, Northern Sung dynasty, China, c. 1025, wood, Honolulu Academy of Arts.jpg|thumb|180px|中国の観音菩薩像（北宋時代）]]&lt;br /&gt;
観音が世を救済するに、広く衆生の[[機根]]（性格や仏の教えを聞ける器）に応じて、種々の形体を現じる。これを観音の普門示現（ふもんじげん）という。法華経「観世音菩薩普門品第二十五」（観音経）には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞（しょうもん）身」「梵王身」など、33の姿に変身すると説かれている。&amp;lt;ref&amp;gt;三十三身は法華経の鳩摩羅什訳で初めて出現しており、サンスクリット原文では数が少ない。なお、三十三身を仏像として造像する例もあり、鎌倉長谷寺に十一面観音像の脇侍として作られた三十三身像が現存しており、神奈川県の重要文化財に指定されている他、東京の護国寺、塩船観音寺に作例が残る。&amp;lt;/ref&amp;gt;なお、観音経とは別に、密教経典『摂無礙経』にも三十三身の記載があり、両者は細部が異なる。（下記参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[西国三十三所|西国三十三所観音霊場]]、[[三十三間堂]]などに見られる「33」という数字はここに由来する。なお「三十三観音」（後述）とは、この法華経の所説に基づき、中国及び近世の日本において信仰されるようになったものであって、法華経の中にこれら33種の観音の名称が登場するわけではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この普門示現の考え方から、六観音、七観音、十五尊観音、三十三観音など多様多種な別身を派生するに至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このため、観音像には基本となる&#039;&#039;&#039;聖観音（しょうかんのん）&#039;&#039;&#039;の他、密教の教義により作られた、[[十一面観音]]、[[千手観音]]など、&amp;lt;ref&amp;gt;東京国立博物館資料調査室長の石田尚豊の研究による。石田によれば、既に白鳳時代にかなりの密教経典が読まれていた記録があり、十一面観音や千手観音の登場する教典が招来されているという。&amp;lt;/ref&amp;gt;&#039;&#039;&#039;変化（へんげ）観音&#039;&#039;&#039;と呼ばれる様々な形の像がある。阿弥陀如来の脇侍としての観音と異なり、独尊として信仰される観音菩薩は、現世利益的な信仰が強い。そのため、あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえるという観点から、多面多臂の超人間的な姿に表されることが多い。&lt;br /&gt;
その元となったのが[[三十三応現身像]]と言われている。&lt;br /&gt;
応現身とは相手に応じて様々な姿に変わることをいう。&lt;br /&gt;
『観音経』の観音三十三応現身の種類及び、対応する仏尊、三十三観音を以下に図とする。&amp;lt;ref&amp;gt;三十三身の分け方は鎌田茂雄『観音経講話』及び大栗道栄『図説観音経入門』に従った。三十三観音との対応は土佐秀信『仏像図彙』より&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
! !! 『観音経』の観音三十三身の種類 !! 対応する仏尊 !! 三十三観音&amp;lt;ref&amp;gt;三十三身の分け方は鎌田茂雄『観音経講話』及び大栗道栄『図説観音経入門』に従った。三十三観音との対応は土佐秀信『仏像図彙』より&amp;lt;/ref&amp;gt; !! 『摂無礙経』の観音三十三身の種類&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 1&lt;br /&gt;
| 仏身 || [[阿弥陀如来]]（観自在王如来） || 青頸（しょうきょう）観音 || 仏身（ぶっしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 2&lt;br /&gt;
| 辟支仏(びゃくしぶつ)身 || || 水月観音 || 辟支仏身（びゃくしぶつしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 3&lt;br /&gt;
| 声聞(しょうもん)身 || || 持経（じきょう）観音 || 声聞身（しょうもんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 4&lt;br /&gt;
| 梵王身 || [[梵天]] || 徳王観音 || 大梵王身（だいぼんおうしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 5&lt;br /&gt;
| 帝釈(たいしゃく)身 || [[帝釈天]] || 葉衣（ようえ）観音 || 帝釈身（たいしゃくしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 6&lt;br /&gt;
| 自在天身 || [[他化自在天]] || 瑠璃観音 || 自在天身（じざいてんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 7&lt;br /&gt;
| 大自在天身 || [[大自在天]] || 普悲（ふひ）観音 || 大自在天身（だいじざいてんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 8&lt;br /&gt;
| 天大将軍身 || 不明&amp;lt;ref&amp;gt;この尊格は定説がない。大栗は帝釈天の命を受けて世間をパトロールし、賞罰を定める尊格だとするが、異説もある。&amp;lt;/ref&amp;gt; || 威徳（いとく）観音 || 天大将軍身（てんだいしょうぐんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 9&lt;br /&gt;
| 毘沙門身 || [[毘沙門天]] || 阿摩堤（あまだい）観音 || 毘沙門身（びしゃもんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 10&lt;br /&gt;
|| 小王身&amp;lt;ref&amp;gt;観音信者の国王や大名。鎌田茂雄は[[アショーカ王]]や[[楠木正成]]のような人物だとしている。&amp;lt;/ref&amp;gt; ||  || 蓮臥（れんが）観音 || 小王身（しょうおうしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 11&lt;br /&gt;
|| 長者身&amp;lt;ref&amp;gt;人格者の資産家で判断が正しく世間の役に立っている人のこと。大栗2001&amp;lt;/ref&amp;gt; ||  || 衆宝（しゅうほう）観音 || 長者身（ちょうじゃしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 12&lt;br /&gt;
|| 居士(こじ)身|| || 六時観音 || 居士身（こじしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 13&lt;br /&gt;
|| 宰官身|| || 一葉観音 || 宰官身（さいかんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 14&lt;br /&gt;
|| 婆羅門身|| || 合掌観音 || 婆羅門身（ばらもんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 15&lt;br /&gt;
|| 比丘(びく)身|| ||  || 比丘身（びくしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 16&lt;br /&gt;
|| 比丘尼身|| || １５，１６をまとめて白衣（びゃくい）観音 || 比丘尼身（びくにしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 17&lt;br /&gt;
|| 優婆塞(うばそく)身|| ||  || 優婆塞身（うばそくしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 18&lt;br /&gt;
|| 優婆夷(うばい)身|| ||  || 優婆夷身（うばいしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 19&lt;br /&gt;
|| 長者婦女身|| || 馬郎婦（ばろうふ）観音 || 人身（じんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 20&lt;br /&gt;
|| 居士婦女身|| ||  || 非人身（ひじんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 21&lt;br /&gt;
|| 宰官婦女身|| ||  || 婦女身（ふじょしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 22&lt;br /&gt;
|| 婆羅門婦女身|| ||  || 童目天女身（どうもくてんにょしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 23&lt;br /&gt;
|| 童男身|| ||  || 童男身（どうなんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 24&lt;br /&gt;
|| 童女身|| || ２３，２４まとめて持蓮（じれん）観音 || 童女身（どうにょしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 25&lt;br /&gt;
|| 天身 || いわゆる[[天龍八部衆]] || 天身（てんしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 26&lt;br /&gt;
| 竜身|| ||  || 龍身（りゅうしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 27&lt;br /&gt;
| 夜叉(やしゃ)身|| || ２５～２７をまとめて龍頭（りゅうず）観音に配当 || 夜叉身（やしゃしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 28&lt;br /&gt;
| 乾闥婆(けんだつば)身|| ||  || 乾闥婆身（けんだつばしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 29&lt;br /&gt;
| 阿修羅身|| ||  || 阿修羅身（あしゅらしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 30&lt;br /&gt;
| 迦楼羅(かるら)身|| ||  || 迦樓羅身（かるらしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 31&lt;br /&gt;
| 緊那羅(きんなら)身|| ||  || 緊那羅身（きんならしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 32&lt;br /&gt;
| 摩睺羅迦(まごらか)身|| ||  || 摩睺羅迦身（まごらかしん）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 33&lt;br /&gt;
| 執金剛身 || [[執金剛神]]&amp;lt;ref&amp;gt;[[不動明王]]と同じ尊格とする。大栗2001&amp;lt;/ref&amp;gt; || 不二（ふに）観音 || 執金剛身（しゅうこんごうしん）&lt;br /&gt;
|} &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 六観音 ===&lt;br /&gt;
真言系では[[聖観音]]、[[十一面観音]]、[[千手観音]]、[[馬頭観音]]、[[如意輪観音]]、[[准胝観音]]を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに[[不空羂索観音]]を加えて六観音とする。六観音は[[六道|六道輪廻]]（ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする）の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道－聖観音、餓鬼道－千手観音、畜生道－馬頭観音、修羅道－十一面観音、人道－准胝観音、天道－如意輪観音という組み合わせになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、千手観音は経典においては千本の手を有し、それぞれの手に一眼をもつとされているが、実際に千本の手を表現することは造形上困難であるために、[[唐招提寺]]金堂像などわずかな例外を除いて、42本の手で「千手」を表す像が多い。観世音菩薩が千の手を得た謂われとしては、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の最後に置かれた[[大悲心陀羅尼]]は現在でも中国や日本の禅宗寺院で読誦されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 七観音 ===&lt;br /&gt;
観音が衆生教化のために変じ給える七身。真言系の六観音に天台系の不空羂索観音を加える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 十五尊観音 ===&lt;br /&gt;
三十三観音（次項参照）のうち、白衣、葉衣、水月、楊柳、阿摩提、多羅、青頸、琉璃、龍頭、持経、円光、遊戯、蓮臥、瀧見、施薬の15の変化身をいう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 三十三観音 ===&lt;br /&gt;
以下に列挙した三十三観音の名称は、天明3年（1783年）に刊行された絵師の土佐秀信が著した『仏像図彙』（ぶつぞうずい）という書物に所載のものである。この中には白衣（びゃくえ）観音、多羅尊観音のようにインド起源のものもあるが、中国や日本で独自に発達したものもあり、その起源は様々である。白衣観音、楊柳観音のように、禅宗系の仏画や水墨画の好画題としてしばしば描かれるものもあるが、大部分の観音は単独での造像はまれである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三十三観音の名称&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*(1)[[楊柳観音|楊柳]]（ようりゅう）&lt;br /&gt;
:*(4)[[円光観音|円光]]（えんこう）&lt;br /&gt;
:*(7)[[蓮臥観音|蓮臥]]（れんが）&lt;br /&gt;
:*(10)[[魚籃観音|魚籃]]（ぎょらん）&lt;br /&gt;
:*(13)[[一葉観音|一葉]]（いちよう）&amp;lt;ref&amp;gt;[[道元]]が感得した尊格とされる。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*(16)[[延命観音|延命]]（えんめい）&lt;br /&gt;
:*(19)[[能静観音|能静]]（のうじょう）&lt;br /&gt;
:*(22)[[葉衣観音|葉衣]]（ようえ）&lt;br /&gt;
:*(25)[[蛤蜊観音|蛤蜊]]（こうり、はまぐり）&lt;br /&gt;
:*(28)[[馬郎婦観音|馬郎婦]]（めろうふ）&amp;lt;ref&amp;gt;読みは「ばろうふ」とも。魚籃観音と同一説もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:*(31)[[不二観音|不二]]（ふに）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
*(2)[[龍頭観音|龍頭]]（りゅうず）&lt;br /&gt;
*(5)[[遊戯観音|遊戯]]（ゆげ）&lt;br /&gt;
*(8)[[滝見観音|滝見]]（たきみ）&lt;br /&gt;
*(11)[[徳王観音|徳王]]（とくおう）&lt;br /&gt;
*(14)[[青頚観音|青頚]]（しょうけい）&lt;br /&gt;
*(17)[[衆宝観音|衆宝]]（しゅうほう）&lt;br /&gt;
*(20)[[阿耨観音|阿耨]]（あのく）&lt;br /&gt;
*(23)[[瑠璃観音|瑠璃]]（るり）&lt;br /&gt;
*(26)[[六時観音|六時]]（ろくじ）&lt;br /&gt;
*(29)[[合掌観音|合掌]]（がっしょう）&lt;br /&gt;
*(32)[[持蓮観音|持蓮]]（じれん）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
*(3)[[持経観音|持経]]（じきょう）&lt;br /&gt;
*(6)[[白衣観音|白衣]]（びゃくえ）&lt;br /&gt;
*(9)[[施薬観音|施薬]]（せやく）&lt;br /&gt;
*(12)[[水月観音|水月]]（すいげつ）&lt;br /&gt;
*(15)[[威徳観音|威徳]]（いとく）&lt;br /&gt;
*(18)[[岩戸観音|岩戸]]（いわと）&lt;br /&gt;
*(21)[[阿摩提観音|阿摩提]]（あまだい）&lt;br /&gt;
*(24)[[多羅尊観音|多羅尊]]（たらそん）&lt;br /&gt;
*(27)[[普悲観音|普悲]]（ふひ）&lt;br /&gt;
*(30)[[一如観音|一如]]（いちにょ）&lt;br /&gt;
*(33)[[灑水観音|灑水]]（しゃすい）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;br style=&amp;quot;clear: left;&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== スリランカにおける八示現 ==&lt;br /&gt;
現在[[スリランカの仏教]]は[[上座部仏教]]で占められているが、かつては大乗仏教が勢力を持っていたこともあり、ナータ（観音菩薩）やサマン（[[普賢菩薩]]）への信仰がある。なお、観音菩薩や普賢菩薩は[[パーリ語経典]]には全く登場しない。スリランカにおけるナータには以下の示現がある&amp;lt;ref&amp;gt;[http://artsrilanka.org/essays/bodhisattva/index.html BODHISATTVA AVALOKITESVARA FROM VEHERAGALA]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* (1)[[シヴァ]]・ナータ&lt;br /&gt;
* (2)[[ブラフマー]]・ナータ&lt;br /&gt;
* (3)[[ヴィシュヌ]]・ナータ&lt;br /&gt;
* (4)[[パールヴァティー|ガウリー]]・ナータ&lt;br /&gt;
* (5)マツェンドラ・ナータ&lt;br /&gt;
* (6)バドラ・ナータ&lt;br /&gt;
* (7)[[ブッダ|バウッダ]]・ナータ&lt;br /&gt;
* (8)[[ガネーシャ|ガナ]]・ナータ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 真言 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--真言のカタカナ表記や発音は宗派・寺院によって多少の違いはある。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[聖観音]]－&#039;&#039;&#039;オン・アロリキャ・ソワカ&#039;&#039;&#039;　oṃ arolik svāhā&lt;br /&gt;
*[[十一面観音]]－&#039;&#039;&#039;オン・ロケイ・ジンバ・ラ・キリク・ソワカ&#039;&#039;&#039; / &#039;&#039;&#039;オン・マカ・キャロニキャ・ソワカ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
*[[千手観音]]－&#039;&#039;&#039;オン・バザラ・タラマ・キリク&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
*[[如意輪観音]]－&#039;&#039;&#039;オン・ハンドメイ・シンダ・マニ・ジンバ・ラ・ウン&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
*[[准胝観音]]－&#039;&#039;&#039;オン・シャレイ・ソレイ・ソンデイ・ソワカ&#039;&#039;&#039;　om cale cuule cundii svaahaa&lt;br /&gt;
*[[不空羂索観音]]－&#039;&#039;&#039;オン・アボキャ・ビジャシャ・ウン・ハッタ&#039;&#039;&#039; / &#039;&#039;&#039;オン・ハンドマダラ・アボキャ・ジャヤデイ・ソロソロ・ソワカ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
*[[馬頭観音]]－&#039;&#039;&#039;オン・アミリト・ドハンバ・ウン・ハッタ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
*[[白衣観音]]－&#039;&#039;&#039;オン・シベイテイ・シベイテイ・ハンダラ・バシニ・ソワカ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
*[[楊柳観音]]－&#039;&#039;&#039;オン・バザラダラマ・ベイサジャ・ラジャヤ・ソワカ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
*[[六字大明呪]]－&#039;&#039;&#039;オン・マニ・ペメ・フム&#039;&#039;&#039;　oṃ maṇi padme hūṃ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 観音菩薩を祀る主な寺院 ==&lt;br /&gt;
*栃木・[[中禅寺 (日光市)|中禅寺]]（立木観音堂） ― 千手観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*栃木・[[大谷寺 (宇都宮市)|大谷寺]] ― 千手観音（大谷磨崖仏）（特別史跡、重要文化財）&lt;br /&gt;
*栃木・[[寺山観音寺]] ― 千手観音及両脇侍像（重要文化財）&lt;br /&gt;
*東京・[[浅草寺]] ― 聖観音（秘仏の像など複数、うち一体台東区指定文化財）&amp;lt;ref&amp;gt;本尊の聖観音像は絶対秘仏。この他千手観音像を含め複数の観音像があり、本尊と同じ形の「裏観音像」は開堂中は拝観可能。露座の聖観音坐像が台東区指定文化財。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*東京・[[護国寺]] ― 如意輪観音&lt;br /&gt;
*東京・[[品川寺]] ― 水月観音、聖観音&lt;br /&gt;
*東京・[[塩船観音寺]] ― 千手観音（[[東京都指定有形文化財]]）&lt;br /&gt;
*神奈川・[[長谷寺 (鎌倉市)|長谷寺]] ― 十一面観音（神奈川県指定重要文化財）&lt;br /&gt;
*神奈川・[[弘明寺]]― 十一面観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*神奈川・[[大船観音寺]] ― [[白衣観音]]&lt;br /&gt;
*福井・[[羽賀寺]] ― 十一面観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*福井・[[馬居寺]] ― 馬頭観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*滋賀・[[石山寺]] ― 如意輪観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*滋賀・[[向源寺]]（渡岸寺） ― 十一面観音（国宝）&lt;br /&gt;
*滋賀・[[櫟野寺]] ― 十一面観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*京都・[[松尾寺 (舞鶴市)|松尾寺]] ― 馬頭観音&lt;br /&gt;
*京都・[[広隆寺]] ― 不空羂索観音（国宝）、千手観音（立像）（国宝）、聖観音（重要文化財）、如意輪観音（重要文化財）、千手観音（坐像）（重要文化財）&lt;br /&gt;
*京都・[[清水寺]]― 千手観音（本堂）、千手観音（奥の院）（重要文化財）&lt;br /&gt;
*京都・[[三十三間堂]] ― 千手観音（国宝・[[湛慶]]作）、千手観音1,001躯（重要文化財）&lt;br /&gt;
*京都・[[六波羅蜜寺]] ― 十一面観音（国宝）&lt;br /&gt;
*京都・[[観音寺 (京田辺市)|観音寺]] ― 十一面観音（国宝）&lt;br /&gt;
*京都・[[醍醐寺]]（上醍醐） ― 如意輪観音（重要文化財）、准胝観音&lt;br /&gt;
*大阪・[[大聖観音寺]]（あびこ観音） ― 聖観音&lt;br /&gt;
*大阪・[[四天王寺]] ― 救世観音&lt;br /&gt;
*大阪・[[観心寺]] ― 如意輪観音（国宝）&lt;br /&gt;
*大阪・[[葛井寺]] ― 千手観音（国宝）&lt;br /&gt;
*大阪・[[道明寺 (藤井寺市)|道明寺]] ― 十一面観音（国宝）&lt;br /&gt;
*兵庫・[[神呪寺]] ― 如意輪観音（重要文化財）、聖観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*兵庫・[[斑鳩寺 (兵庫県太子町)|斑鳩寺]] ― 如意輪観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*兵庫・[[須磨寺]] ― 聖観音&lt;br /&gt;
*奈良・[[法隆寺]] ― [[百済観音]]（国宝）、夢違観音（国宝）、救世観音（国宝）、九面観音（国宝）&lt;br /&gt;
*奈良・[[興福寺]] ― 千手観音（旧食堂本尊、国宝）&lt;br /&gt;
*奈良・[[薬師寺]] ― 聖観音（国宝）&lt;br /&gt;
*奈良・[[唐招提寺]] ― 千手観音（国宝）&lt;br /&gt;
*奈良・[[法華寺]] ― 十一面観音（国宝）&lt;br /&gt;
*奈良・[[長谷寺]] ― 十一面観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*奈良・[[室生寺]] ― 十一面観音（国宝）&lt;br /&gt;
*奈良・[[東大寺]] ― 十一面観音（[[東大寺二月堂|二月堂]]）、不空羂索観音（[[東大寺法華堂|法華堂]]（三月堂）、国宝）、如意輪観音（[[東大寺大仏殿|金堂]]、重要文化財）&lt;br /&gt;
*奈良・[[大安寺]] ― 十一面観音、馬頭観音、楊柳観音、聖観音、不空羂索観音（以上全て重要文化財）　&lt;br /&gt;
*奈良・[[聖林寺]] ― 十一面観音（国宝）&lt;br /&gt;
*和歌山・[[道成寺]] ― 千手観音（国宝）&lt;br /&gt;
*和歌山・[[金剛三昧院]] ― 十一面観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*和歌山・[[補陀洛山寺]] ― 千手観音（重要文化財）&lt;br /&gt;
*福岡・[[観世音寺]] ― 聖観音、十一面観音、馬頭観音、不空羂索観音（以上重要文化財）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 古典小説における観音菩薩 ==&lt;br /&gt;
*『[[西遊記]]』&lt;br /&gt;
*:ストーリー全般にわたって、[[釈迦如来]]の命を受けて[[三蔵法師]]守護のため何回も登場する。これは三蔵法師のモデルである[[玄奘三蔵]]が[[般若心経]]を携えて西方に旅したという伝説からヒントを得たものされる。&lt;br /&gt;
*『[[封神演義]]』&lt;br /&gt;
*:仏教の観音菩薩が[[明]]代に[[道教]]に取り込まれて[[慈航道人|慈航真人]]となったのであるが、ほぼ同じ時代に完成された小説『封神演義』には&#039;&#039;&#039;慈航道人&#039;&#039;&#039;なるキャラクターが登場し、後に観音菩薩になったとしている（作中では[[殷]]の滅亡から1000年後の事としている）。普陀山落伽洞に住み、観音菩薩の持物である水瓶の様な宝貝「瑠璃瓶」を使う。後に観音菩薩の乗り物となる金毛犼の金光仙を捕えている。さらに、この小説では[[文殊菩薩]]、[[普賢菩薩]]も[[仙人]]として登場し（それぞれ作中では、[[文殊広法天尊]]と[[普賢真人]]）、後に仏教の菩薩になったなどとしており、中国人の想像力の旺盛さを示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
{{Cite journal |和書&lt;br /&gt;
 |author = 山中行雄&lt;br /&gt;
 |authorlink = &lt;br /&gt;
 |title = ガンダーラにおける阿弥陀信仰についての一考察&lt;br /&gt;
 |date = 2010-03&lt;br /&gt;
 |publisher = 佛教大学  &lt;br /&gt;
 |journal = 佛教大学総合研究所紀要 &lt;br /&gt;
 |volume =  &lt;br /&gt;
 |number = 17 &lt;br /&gt;
 |naid = 110007974172 &lt;br /&gt;
 |pages = 115-126 &lt;br /&gt;
 |ref = }}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Cite journal |和書&lt;br /&gt;
 |author = 石田尚豊&lt;br /&gt;
 |authorlink = &lt;br /&gt;
 |title = 日本の密教美術の展開&lt;br /&gt;
 |date = 1975&lt;br /&gt;
 |publisher = 平河出版  &lt;br /&gt;
 |journal = 月刊密教講座第１巻第３号 &lt;br /&gt;
 |volume =  &lt;br /&gt;
 |number =  &lt;br /&gt;
 |naid = &lt;br /&gt;
 |pages =  &lt;br /&gt;
 |ref = }}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*松原泰道『観音経入門』祥伝社、1972、のち祥伝社新書、2010&lt;br /&gt;
*鎌田茂雄『観音経講話』講談社学術文庫、1991&lt;br /&gt;
*松原哲明『やさしい仏像入門』新星出版社、1999&lt;br /&gt;
*大栗道栄『図説観音経入門』鈴木出版、2001、のち『ポケット観音さまの教え』と改題、中経文庫&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Guanyin}}&lt;br /&gt;
*[[仏の一覧]]&lt;br /&gt;
*[[観音経]]&lt;br /&gt;
*[[十句観音経]]&lt;br /&gt;
*[[真言]]&lt;br /&gt;
*[[大観音]]&lt;br /&gt;
*[[日本三大観音]]&lt;br /&gt;
*[[西国三十三所|西国三十三所観音霊場]]&lt;br /&gt;
*[[新西国三十三箇所|新西国三十三所観音霊場]]&lt;br /&gt;
*[[和歌山西国三十三箇所|和歌山西国三十三所観音霊場]]&lt;br /&gt;
*[[播磨西国三十三箇所|播磨西国三十三所観音霊場]]&lt;br /&gt;
*[[四国八十八箇所|四国八十八箇所霊場]]&lt;br /&gt;
*[[島四国|島四国八十八箇所]]&lt;br /&gt;
*[[四国別格二十霊場]]&lt;br /&gt;
*[[中国三十三観音霊場]]&lt;br /&gt;
*[[篠栗四国八十八箇所]]&lt;br /&gt;
*[[坂東三十三箇所|坂東三十三箇所観音霊場]]&lt;br /&gt;
*[[猿島坂東三十三観音霊場]]&lt;br /&gt;
*[[秩父三十四箇所|秩父三十四箇所観音霊場]]&lt;br /&gt;
*[[摂津国八十八箇所]]&lt;br /&gt;
*[[信達三十三観音]]&lt;br /&gt;
*[[遠州三十三観音霊場]]&lt;br /&gt;
*[[普陀山]] - 中国の観音菩薩の霊場&lt;br /&gt;
*[[台湾三十三観音霊場]]&lt;br /&gt;
*[[修二会]]&lt;br /&gt;
*[[キヤノン]]（社名は観音菩薩にちなんでいる）&lt;br /&gt;
*[[ダライ・ラマ]]（観音菩薩の化身とされている）&lt;br /&gt;
*[[観音寺]]&lt;br /&gt;
*[[観音院 (曖昧さ回避)]]&lt;br /&gt;
*[[たのもしい顔]] - [[藤子不二雄A]]『[[笑ゥせぇるすまん]]』の一作品。観音菩薩が作中で重要な役割を果たす。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{-}}&lt;br /&gt;
{{西遊記}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かんのんほさつ}}&lt;br /&gt;
[[Category:観音菩薩|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:菩薩]]&lt;br /&gt;
[[Category:浄土教]]&lt;br /&gt;
[[Category:浄土三部経]]&lt;br /&gt;
[[Category:西遊記]]&lt;br /&gt;
[[Category:路傍の神仏]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.124.239.147</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E9%9E%86%E3%81%AE%E6%B5%A6&amp;diff=118118</id>
		<title>鞆の浦</title>
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		<updated>2014-07-10T05:20:01Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;61.124.239.147: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|福山市鞆地区にある景勝地|福山市の鞆地区および広島県にかつてあった自治体|鞆町}}&lt;br /&gt;
{{Coord|34|22|51.173|N|133|22|46.878|E|region:JP|display=title}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;鞆の浦&#039;&#039;&#039;（とものうら）は、[[広島県]][[福山市]]鞆地区の[[沼隈半島]]南端にある[[港湾]]およびその周辺[[海域]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在は鞆港の[[港町|港周辺の市街]]を含めた範囲も「鞆の浦」と呼ぶことも多いが、本来「鞆の浦」とは「鞆にある入り江」という意味であり鞆港を中心とした海域のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
沿岸部と沖の島々一帯は「&#039;&#039;&#039;鞆公園&#039;&#039;&#039;」として国の[[名勝]]および[[国立公園]]に指定されている。&lt;br /&gt;
[[ファイル:Sensuizima.jpg|thumb|280px|医王寺太子殿から望む鞆の浦]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Setostamp1939.JPG|thumb|220px|瀬戸内海国立公園指定時に発行された記念郵便切手（1939年）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
鞆の浦周辺は[[1925年]]に[[名勝]]･[[鞆の浦|鞆公園]]の指定を受け、さらに[[1931年]]に制定された[[国立公園法]]において国立公園として最初に指定された地区のひとつである（[[瀬戸内海国立公園]]）。そのため[[1934年]]の国立公園指定当時の[[記念切手]]や絵葉書には鞆の風景が描かれているものがある。&lt;br /&gt;
なお鞆の浦に含まれる島には[[仙酔島]]、つつじ島、皇后島、弁天島、玉津島、津軽島がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
瀬戸内海の海流は[[満潮]]時に[[豊後水道]]や[[紀伊水道]]から[[瀬戸内海]]に流れ込み瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦沖でぶつかり、逆に[[干潮]]時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出してゆく。つまり鞆の浦を境にして潮の流れが逆転する。「地乗り」と呼ばれる陸地を目印とした沿岸航海が主流の時代に、沼隈半島沖の瀬戸内海を横断するには鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならなかった。このような地理的条件から[[大伴旅人]]などによる[[万葉集]]に詠まれるように、古代より&#039;&#039;&#039;潮待ちの港&#039;&#039;&#039;として知られていた。また、鞆は[[魏志倭人伝]]に書かれる「[[投馬国]]」の推定地の一つともなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鞆の浦の[[港町]]である鞆には古い町並みが残り、[[1992年]]には[[都市景観100選]]に、[[2007年]]には[[美しい日本の歴史的風土100選]]にも選ばれた。江戸時代の港湾施設である「[[常夜燈]]」、「[[雁木 (港湾)|雁木]]」、「[[波止場]]」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみである。[[江戸時代]]中期と後期の町絵図に描かれた[[街路]]もほぼすべて現存し、当時の町絵図が現代の地図としても通用する。そのような町は港町に限らず、全国でも鞆の浦以外には例がない&amp;lt;ref&amp;gt;[http://tabisanpo.com/MENU/sannichi2010/20100514a.htm 広島大学大学院文学研究科教授三浦正幸氏「日本の宝 鞆の浦を歩く」]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]公開された『[[崖の上のポニョ]]』で、[[宮崎駿]]監督が構想を練った地として有名になり、[[映画]]の[[ロケ]]が増えている&amp;lt;ref name=loca&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/otona/travelwriter/09/hiroshima/20130815-OYT8T00759.htm 秋公開米映画に鞆の浦　福山市「世界ＰＲの好機」]、[http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news2/20130626-OYT8T00654.htm?from=popin 秋公開米映画に鞆の浦　福山市「世界ＰＲの好機」]、[http://www.jiji.com/jc/c?g=etm_30&amp;amp;k=2013082800741 ウルヴァリンが「観光大使」に＝新作ロケ地の広島県福山市]、[http://www.chiikikassei.co.jp/Lj/newss/20130821_news/ 映画『ウルヴァリン：SAMURAI』を鞆の浦（広島）ロケ地マップでひと先にチェック！]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 古代 ===&lt;br /&gt;
「吾妹子（わぎもこ）が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき（[[大伴旅人]]）」や「鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも （大伴旅人）」等、[[759年]]に編纂された[[万葉集]]には鞆の浦を詠んだ歌が八首残されている。それ以前の鞆の成り立ちがどのようなものであったかは、はっきりしないが、遺跡の分布状況などから、弥生時代にはすでにある程度の集落が成立していた可能性が高いと考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[平安時代]]初期には鞆近郊に&amp;lt;!--[[最澄]]により--&amp;gt;静観寺、&amp;lt;!--[[空海]]により--&amp;gt;医王寺が創建され、備後国南部における布教の拠点となった。京都の[[八坂神社]]の本社である[[沼名前神社]]は平安時代の法令「[[延喜式]]」にも記載されている。これらを含め江戸時代までに狭い町並みに由緒ある寺が19か寺・神社大小あわせ数十社も建ち並んでおり、その繁栄ぶりが窺える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中世 ===&lt;br /&gt;
一体は[[山田渡辺氏|渡辺氏]]の支配下にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1336年]]（[[建武 (日本)|建武]]3年）には[[多々良浜の戦い]]に勝利した[[足利尊氏]]が京に上る途中この地で[[光厳天皇]]より[[新田義貞]]追討の[[院宣]]を賜る。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には鞆の浦沖から鞆にかけての地域で[[北朝 (日本)|北朝]]と[[南朝 (日本)|南朝]]との合戦（鞆合戦）が幾度もあり、静観寺五重塔などの貴重な文化財が失われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]には[[毛利氏]]によって鞆中心部に「鞆要害」（現在の[[鞆城]]）が築かれるなど備後国の拠点の一つとなっていた。[[室町幕府]]15代将軍[[足利義昭]]は[[織田信長]]により京を追放された後、毛利氏などの支援のもと[[山田渡辺氏|渡辺氏]]の援助で鞆に拠点を移し信長打倒の機会を窺った。[[伊勢氏]]や[[上野氏]]・[[大館氏]]など幕府を構成していた名家の子弟も義昭を頼り鞆に下向していたとされる。このことから「&#039;&#039;&#039;鞆幕府&#039;&#039;&#039;」と呼ばれることもある&amp;lt;ref&amp;gt;福山商工会議所「鞆幕府　戦国史をななめに斬る」1983年、川西利衛&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、前述のように[[足利尊氏]]が室町幕府成立のきっかけになる[[院宣]]を受け取った場所でもあるため、幕末の歴史家[[頼山陽]]は“足利（室町幕府）は鞆で興り鞆で滅びた”と喩えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尼子氏滅亡に際しては[[播磨国]][[上月城]]より移送途中に誅殺された[[山中幸盛|山中鹿之助]]の首級が鞆に届けられ足利義昭や[[毛利輝元]]により実検が行われた。この遺構として首塚が現在も残されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 近世 ===&lt;br /&gt;
[[江戸時代]]になると[[備後国]]を領有した[[福島正則]]によって鞆要害を中心に市街地を取り囲む大規模な城郭「[[鞆城]]」の築城が始まるが、これが[[徳川家康]]の逆鱗に触れ工事は中止された。その後、福島氏に代わり、[[徳川家康]]の従弟[[水野勝成]]が[[備後福山藩]]の領主となり、鞆城跡には奉行所（鞆奉行所）が設置された。このとき勝成の息子で2代藩主である[[水野勝俊]]は鞆に住んでいたため「鞆殿」と呼ばれた。また、[[朝鮮通信使]]の寄航地にも度々指定され、[[1711年]]（正徳元年）の第8回通信使では従事官の李邦彦が宿泊した[[福禅寺]]から見た鞆の浦の景色を「日東第一形勝」（朝鮮より東の世界で一番風光明媚な場所の意）と賞賛した（この文を額にしたものが福禅寺対潮楼内に掲げられている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、航海技術が発達し「地乗り」から「沖乗り」が主流になったことにより鞆の浦で潮待ちをする必要性は薄れていったことなどから、備後地方の港湾拠点は[[尾道市|尾道]]に大きく傾いていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 近代 ===&lt;br /&gt;
近代になると鞆の浦の拠点性はますます低下していき、[[1913年]]（[[大正]]3年）の[[鞆鉄道線|鞆軽便鉄道]]開通により陸上交通の利便性は向上したものの、半島の先端という孤立した環境や開発可能な平野部が少ないことなどから近代化の波に取り残された。鞆軽便鉄道（鞆鉄道）の利用も太平洋戦争直後をピークに減少し[[1954年]]（[[昭和]]29年）には採算悪化などから廃止された。この鉄道跡が概ね[[広島県道22号福山鞆線|県道22号線]]福山鞆線である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方で景勝地としては、明治時代より天皇・皇后を始めとする皇族が好んで訪問してきた[[仙酔島]]や[[弁天島 (福山市)|弁天島]]を含む東岸の景観が、沼隈半島の西部に隣接する[[磐台寺観音堂]]（[[阿伏兎観音]]）と並んで高い評価を受け、いち早く[[国立公園]]に指定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在では鞆港への商船の出入りはほとんどなく、連絡船、観光船、港内にある造船所（[[本瓦造船]]）への修理船を除けば、ほぼ[[漁港]]として用いられるのみである。しかし、こうしたことが開発の波に呑まれることなく古寺が数多く点在する古い街並みをとどめる要因になった。&lt;br /&gt;
{{main|鞆町}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 港 ==&lt;br /&gt;
=== 鞆港 ===&lt;br /&gt;
鞆の浦で最大の港。&#039;&#039;&#039;鞆の津&#039;&#039;&#039;とも呼ばれる。円形港湾で近世の港湾施設がよく残されている。港湾法上は1961年に福山港へ編入され[[福山港]]の一地区として扱われる。江戸時代に大きく整備され、この時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」の全てが全国で唯一残されている。県営桟橋から走島まで1日5往復の定期連絡船が発着している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 原港 ===&lt;br /&gt;
鞆町の東側にある漁港。鞆の浦の港では最も小規模。方形の港で東側に防波堤が設置されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 平港 ===&lt;br /&gt;
鞆港の南に隣接する港。方形の港で防波堤は南側に設置され玉津島まで延ばされている。規模としては鞆港に次ぐ。港内に[[本瓦造船]]の本社工場がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 島嶼 ==&lt;br /&gt;
===仙酔島===&lt;br /&gt;
鞆の浦で最大の島であり鞆の浦のシンボル的な島である。[[仙人]]も酔ってしまうほど美しいことから、仙酔島と名付けられたといわれる。外周約5キロの無人島であるが、島内にはホテルや国民宿舎、キャンプ場、海水浴場などがあり、本土とは渡船で往来することができる。&lt;br /&gt;
:{{main|仙酔島}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大可島 ===&lt;br /&gt;
鞆港の東側に隣接する島。慶長年間の鞆城築城により埋め立てられ陸続きとなっている。南北朝時代には大可島城が築かれ、合戦も行われた。頂部には円通寺が建てられている。江戸時代には船の出入りを見張る遠見番所が置かれた。また、大可島の麓には遊廓が栄え1678年に記された「色道大鑑」には国内を代表する25の遊郭のひとつにも挙げられていて遊郭建築の遺構も残っている。&lt;br /&gt;
{{main|鞆城}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== つつじ島 ===&lt;br /&gt;
仙酔島の東に位置する無人島。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 皇后島 ===&lt;br /&gt;
弁天島の先、大可島の東に位置する無人島。[[神功皇后]]が当地へ立ち寄った際に船をつないだことから、皇后島と名付けられたといわれる。山頂には鞆奉行荻濃重富の妻の墓が建てられている。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
=== 弁天島 ===&lt;br /&gt;
鞆町と仙酔島の間にある無人島。島内に弁天堂が建てられていることから弁天島と呼ばれているが、正式名称は百貫島である。&lt;br /&gt;
{{main|弁天島 (福山市)}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 玉津島 ===&lt;br /&gt;
鞆港の南に位置する無人島。現在は鞆港を囲む防波堤で繋がれ本土と陸続きとなっている。鞆港の天然の堤防となっていた。かつては「ふく島」と呼ばれていたが領主となった福島正則により「玉津島」に改名されたといわれる。また、現在はネズミのような形状から「ねずみ島」と呼ばれることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山頂には玉津島神社祀られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 津軽島 ===&lt;br /&gt;
玉津島のさらに南に位置する無人島。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;Gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
ファイル:Sensuizima.jpg|医王寺太子殿から望む鞆町と[[仙酔島]]&lt;br /&gt;
ファイル:Tomonoura08bs3200.jpg|医王寺太子殿から望む大可島、[[仙酔島]]、弁天島、皇后島&lt;br /&gt;
ファイル:Tomonoura07s1800.jpg|鞆城跡付近から望む大可島&lt;br /&gt;
ファイル:Benten Island Fukuyama01s2048.jpg|渡船場沖から望む[[弁天島 (福山市)|弁天島]]&lt;br /&gt;
ファイル:Fukuzenji Sensuijima&amp;amp;Bentenjima.JPG|福禅寺対潮楼から望む[[仙酔島]]、弁天島、皇后島（日東第一形勝）&lt;br /&gt;
ファイル:Fukuzenji Fukuyama07nt3200.jpg|福禅寺対潮楼から望む皇后島&lt;br /&gt;
ファイル:Tomonoura12bt3200.jpg|常夜燈と玉津島（左手）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/Gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 市街部 ==&lt;br /&gt;
鞆町の市街部は古代から「鞆」と呼ばれる港町として栄え、「鞆の浦」の名称の由来ともなった街である。現在では逆に鞆が鞆の浦と呼ばれることも多くなっている。ここでは鞆の通称としての鞆の浦について説明する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「鞆」は古代から近代まで沼隈半島の中心的な都市である。明治時代には沼隈郡の郡役所が置かれ昭和時代までは自治体（旧[[鞆町]]）であったが、1956年に福山市に編入され現在の「鞆町」、すなわち福山市鞆町となった。ちなみに、かつての鞆町役場が現在の福山市役所鞆支所である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の行政区画としては、沿岸の中心部が鞆町鞆、それ以外の沿岸部および山間部が鞆町後地であり、島嶼部は弁天島が鞆、仙酔島などその他の島は後地に含まれる。なお、どの区域が鞆の浦と呼ばれているかは厳密には定まっているわけではないが、旧鞆町に含まれていた田尻町および走島町については鞆の浦と呼ばれることはない。&lt;br /&gt;
{{main|鞆町}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 名所・史跡等 ===&lt;br /&gt;
*大可島城跡 - 福山市指定史跡&lt;br /&gt;
*[[常夜灯]] - 通称「とうろどう」&lt;br /&gt;
*[[太田家住宅 (福山市)|太田家住宅]]・朝宗亭 - 国の[[重要文化財]]、鞆七卿落遺跡として広島県指定史跡。&lt;br /&gt;
*[[いろは丸展示館]]&lt;br /&gt;
*[[いろは丸]]事件談判跡&lt;br /&gt;
*[[坂本龍馬]]宿泊跡&lt;br /&gt;
*[[鞆の津の商家]] - 福山市指定重要文化財&lt;br /&gt;
*[[平野屋資料館]] - 江戸時代の船宿を活用した歴史資料館。&lt;br /&gt;
*[[雁木 (港湾)|雁木]]（がんぎ）&lt;br /&gt;
*御膳山&lt;br /&gt;
*ささやき橋&lt;br /&gt;
*[[平賀源内]][[生祠]] - [[広島県指定文化財一覧|広島県指定史跡]]&lt;br /&gt;
*岡本亀太郎本店の門構 - [[福山城 (備後国)|福山城]]の長屋門を移築。福山市指定重要文化財。&lt;br /&gt;
*[[力石]] - 福山市指定重要文化財&lt;br /&gt;
*[[鞆城]]跡 - 福山市指定史跡&lt;br /&gt;
*小鳥城 - 古戦場跡&lt;br /&gt;
*[[対潮楼]] - [[朝鮮通信使]]の迎賓施設として使われた。&lt;br /&gt;
*対仙酔楼&lt;br /&gt;
*医王寺太子殿 - 医王寺本堂から山道を約15分ほど登る。仙酔島や瀬戸内海が一望ができる。&lt;br /&gt;
*[[山中幸盛|山中鹿之助]]首塚（静観寺山門前）&lt;br /&gt;
*[[鞆の浦温泉]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;Gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
ファイル:Tomonoura08bs3200.jpg|医王寺太子殿から望む[[大可島]]（中央の丘陵部）&lt;br /&gt;
ファイル:Tomonoura12bt3200.jpg|常夜燈（とうろどう）&lt;br /&gt;
ファイル:Ota house Tomo01n4592.jpg|[[太田家住宅 (福山市)|太田家住宅（鞆七卿落遺跡）]]&lt;br /&gt;
ファイル:Irohamaru tenjikan03b4592.jpg|[[いろは丸展示館]]&lt;br /&gt;
ファイル:Inn of Ryoma Sakamoto stay.jpg|[[坂本龍馬]]宿泊跡&lt;br /&gt;
ファイル:Tomonoura29s4592.jpg|[[鞆の津の商家]]&lt;br /&gt;
ファイル:Tomonoura32bs3200.jpg|[[平野屋資料館]]&lt;br /&gt;
ファイル:Tomonoura Gangi.jpg|[[雁木 (港湾)|雁木]]（がんぎ）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/Gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 社寺 ===&lt;br /&gt;
*阿弥陀寺&lt;br /&gt;
*[[安国寺 (福山市)|安国寺]] - 釈迦堂、阿弥陀三尊像などが国の[[重要文化財]]、境内は広島県指定史跡。&lt;br /&gt;
*静観寺 - [[最澄]]により806年創建と伝える鞆最古の寺院。&lt;br /&gt;
*[[医王寺 (福山市鞆町後地)|医王寺]] - [[空海]]により826年創建と伝える。&lt;br /&gt;
*[[円福寺 (福山市)|円福寺]] - 大可島城跡に建てられている。[[いろは丸]]事件時の和歌山藩士の宿舎。&lt;br /&gt;
*顕政寺&lt;br /&gt;
*小松寺 - 境内に琉球使節碑がある。平重盛手植えの松があった。&lt;br /&gt;
*地蔵院 - 中国地蔵尊霊場第8番&lt;br /&gt;
*慈徳院&lt;br /&gt;
*浄泉寺&lt;br /&gt;
*[[常国寺]] - [[鞆幕府]]の所在地である一乗山城の領主[[山田渡辺氏|渡辺氏]]の菩提寺&lt;br /&gt;
*正法寺&lt;br /&gt;
*善行寺&lt;br /&gt;
*大観寺&lt;br /&gt;
*[[南禅坊]] - [[宮城道雄]]の祖父母の墓がある。中国風建築の[[鐘楼門]]がある。&lt;br /&gt;
*[[福禅寺 (福山市)|福禅寺]] - 境内は「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内」として国の[[史跡]]に指定。&amp;lt;!--[[空也]]上人が創建。--&amp;gt;[[対潮楼]]には「日東第一形勝」の額が掲げられている。&lt;br /&gt;
*福寿堂&lt;br /&gt;
*[[法宣寺]] - [[大覚]]大僧正による手植え・境内に生育していた[[法宣寺の天蓋マツ|天蓋マツ]]は国の元[[天然記念物]]。&lt;br /&gt;
*本願寺&lt;br /&gt;
*[[沼名前神社]] - [[延喜式内社]]。&amp;lt;!--伏見城から移築の--&amp;gt;能舞台は国の重要文化財、石鳥居は広島県指定重要文化財。&lt;br /&gt;
*明円寺&lt;br /&gt;
*妙蓮寺&lt;br /&gt;
*淀姫神社&lt;br /&gt;
&amp;lt;Gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
ファイル:Ankokuji01s2040.jpg|安国寺 釈迦堂&lt;br /&gt;
ファイル:Ioji Fukuyama Hiroshima pref02n3200.jpg|医王寺&lt;br /&gt;
ファイル:Housenji01 1024.jpg|法宣寺 天蓋マツ、奥は大法華堂&lt;br /&gt;
ファイル:Enpukuji Fukuyama06bs3200.jpg|円福寺&lt;br /&gt;
ファイル:Fukuzenji Fukuyama01s4592.jpg|福禅寺&lt;br /&gt;
ファイル:Nunakumajinja05s1980.jpg|沼名前神社&lt;br /&gt;
ファイル:Jizoin01s1890.jpg|地蔵院&lt;br /&gt;
ファイル:Meien temple.jpg|明円寺&lt;br /&gt;
&amp;lt;/Gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 文化施設 ===&lt;br /&gt;
*[[鞆の浦歴史民俗資料館]]&lt;br /&gt;
*[[いろは丸展示館]] - 登録有形文化財&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 祭事・催事 ===&lt;br /&gt;
*鞆の浦観光鯛網 - 毎年5月    &lt;br /&gt;
*鞆の浦弁天島花火大会 - 毎年5月最終土曜日&lt;br /&gt;
*[[瀬戸内クルージング]] - 期間限定3月下旬～11月下旬　鞆港と尾道港を結ぶ観光クルージング&lt;br /&gt;
*お手火まつり - 旧暦6月7日に近い土曜日&lt;br /&gt;
*八朔の馬出し- 旧暦8月1日に近い日曜日&lt;br /&gt;
*[[鞆町並ひな祭]] - 2月～3月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 名産品 ===&lt;br /&gt;
*[[保命酒]]&lt;br /&gt;
*[[花びら餅]]&lt;br /&gt;
*[[天ぷら]] - [[阿藻珍味]]社のものが有名&lt;br /&gt;
*[[竹輪]]・[[蒲鉾]]&lt;br /&gt;
*[[魚介]]料理&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 鞆の浦埋立て架橋計画問題 ==&lt;br /&gt;
{{main|鞆の浦埋立て架橋計画問題}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 交通アクセス ==&lt;br /&gt;
*[[西日本旅客鉄道|JR]][[山陽新幹線]]および[[山陽本線]]・[[福塩線]] [[福山駅]]南口から[[鞆鉄バス]]（11番のりば）「鞆港」行きで約30分、「鞆の浦」下車。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1954年]]（昭和29年）までは、[[鞆鉄道線]]が福山駅から発着していたが昭和29年に廃止。現在の“県道福山鞆線”がほぼその軌道跡である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 鞆の浦を舞台とした作品 ==&lt;br /&gt;
*[[万葉集]]（[[7世紀]]後半から[[8世紀]]後半）&lt;br /&gt;
*:吾妹子（わぎもこ）が　見し鞆の浦の　むろの木は　常世にあれど　見し人ぞなき　（[[大伴旅人]]）&amp;lt;br /&amp;gt;鞆の浦の　礒のむろの木　見むごとに　相見し妹は　忘られめやも　（[[大伴旅人]]）など全八首。&lt;br /&gt;
*[[春の海]]（[[1929年]]）&lt;br /&gt;
*:音楽家で箏曲者の[[宮城道雄]]は8才で失明する前、父親の故郷である鞆の浦で祖父母に育てられた。[[宮城道雄]]が目に焼き付けた鞆の浦の海をイメージして作曲したのが箏曲『[[春の海]]』である。なお、宮城は[[随筆]]集『春の海』の一篇「鞆の津」の中で「私の家は、先祖から広島県の鞆であった。父と母が[[神戸]]へ出て来て間もなく私が生れたので、私は神戸生れとなっているが、自分としてはやはり先祖からの鞆を故郷のように思っている」と述べている。&lt;br /&gt;
*[[剣 (映画)|剣]]（[[1964年]]）&lt;br /&gt;
*:[[三島由紀夫]]原作、[[市川雷蔵]]主演、[[三隅研次]]監督の[[大映|大映映画]]&amp;lt;ref name=chugoku20134523&amp;gt;中国新聞 2013年4月5日 23面&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*鞆の津茶会記（[[1986年]]）&lt;br /&gt;
*:茶会を記録する形をとって[[豊臣秀吉]]の台頭から朝鮮出兵、秀吉の死までの世相を描いたフィクション。[[井伏鱒二]]晩年の著作。[[福武書店]]刊。&lt;br /&gt;
*鞆の浦殺人事件（[[1988年]]）&lt;br /&gt;
*:[[内田康夫]]作の[[推理小説]]。[[光文社]]刊。&lt;br /&gt;
*写真展・「[[尾道]]への旅」（[[2006年]]）&lt;br /&gt;
*:[[表参道ヒルズ]]、[[ドイツの映画]]監督・[[ヴィム・ヴェンダース]]の[[紀行]]写真展&lt;br /&gt;
*[[白椿]]（[[2007年]]）&lt;br /&gt;
*:[[夢野久作]]原作、[[畑野ひろ子]]主演、監督・[[秋原正俊]]のデジタル映画。鞆を舞台にし、家族の分散を描いた映画。&lt;br /&gt;
*[[崖の上のポニョ]]（[[2008年]]）&lt;br /&gt;
*:[[宮崎駿]]が、[[2004年]]11月に社員旅行で訪れた鞆の浦を気に入り、[[2005年]]春、一軒家を借り切って2か月間滞在し、さらに[[2006年]]夏、自炊生活をしながら散策する毎日をおくり、『[[崖の上のポニョ]]』として映画化&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_ponyo_20090929a.htm 読売新聞 2009年9月21日 24面]（新聞記事と内容は同じ）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[ウルヴァリン: SAMURAI]]（[[2013年]]）&lt;br /&gt;
*:『[[X-メン]]』シリーズ6作目、[[ヒュー・ジャックマン]]主演、[[ジェームズ・マンゴールド]]監督&amp;lt;ref name=loca/&amp;gt;&amp;lt;ref name=chugoku20134523/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news&lt;br /&gt;
|last = Jackman&lt;br /&gt;
|first = Hugh&lt;br /&gt;
|authorlink = ヒュー・ジャックマン&lt;br /&gt;
|date = 2012-09-11&lt;br /&gt;
|url = http://twitter.com/RealHughJackman/status/245662795570479104&lt;br /&gt;
|title = Thanks to all the fans in ...&lt;br /&gt;
|publisher = [[Twitter]]&lt;br /&gt;
|accessdate = 2012-10-17&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[潔く柔く#映画|潔く柔く]]（[[2013年]]）&lt;br /&gt;
*:[[いくえみ綾]]原作、[[長澤まさみ]]・[[岡田将生]]主演の[[東宝|東宝映画]]&amp;lt;ref name=chugoku20134523/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*[[鞆の浦慕情]]（[[2014年]]）&lt;br /&gt;
*:[[岩佐美咲]] ([[AKB48]]) のシングル曲。[[秋元康]]作詞。[[オリコン]]シングルCDランキング初登場1位を記録（デイリー、ウィークリーともに初登場1位）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 周辺 ==&lt;br /&gt;
*[[磐台寺観音堂]]（阿伏兎観音）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==参照==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
埋立て架橋関連のリンクは別記事の「[[鞆の浦埋立て架橋計画問題]]」へお願いします。&lt;br /&gt;
{{Commons|Category:Tomonoura}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*{{国指定文化財等データベース|401|2317|鞆公園}}&lt;br /&gt;
*[http://www.sawasen.jp/tomonoura/ 鞆の浦　澤村船具店]-観光案内、ライブカメラなど&lt;br /&gt;
*[http://www.tomo-rekimin.org/ 福山市鞆の浦歴史民俗資料館]-公式ホームページ&lt;br /&gt;
*[http://yozan-lab.net/?p=296 足利義昭と&amp;quot;幻の鞆幕府&amp;quot; -戦国繚乱録]&lt;br /&gt;
*[http://tomo-gionsan.com/ 鞆の祇園さん　沼名前神社のホームページ]&lt;br /&gt;
*[http://tomomonogatari.com/ 鞆物語 - 鞆の浦  日本でもっとも癒される港町] - 鞆の浦ポータルサイト&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:とものうら}}&lt;br /&gt;
[[Category:瀬戸内海国立公園]]&lt;br /&gt;
[[Category:広島県の自然景勝地]]&lt;br /&gt;
[[Category:広島県にある国指定の名勝]]&lt;br /&gt;
[[Category:福山市の地理]]&lt;br /&gt;
[[Category:福山市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:備後福山藩]]&lt;br /&gt;
[[Category:備後国]]&lt;br /&gt;
[[Category:朝鮮通信使]]&lt;br /&gt;
[[Category:港町]]&lt;br /&gt;
[[category:日本の海岸景勝地]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の歴史的港湾]]&lt;br /&gt;
{{japan-geo-stub}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.124.239.147</name></author>
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	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E5%B1%9E&amp;diff=43344</id>
		<title>スイセン属</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E5%B1%9E&amp;diff=43344"/>
		<updated>2014-07-10T04:43:10Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;61.124.239.147: /* 文化 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|植物の水仙|[[中国茶]]の銘柄である水仙|烏龍茶#水仙}}&lt;br /&gt;
{{生物分類表&lt;br /&gt;
|色 = lightgreen&lt;br /&gt;
|名称 = スイセン属&lt;br /&gt;
|画像 = [[ファイル:Narcissus 2005 spring 001.jpg|250px|&#039;&#039;Narcissus&#039;&#039;]]&lt;br /&gt;
|画像キャプション = {{Snamei|Narcissus}}&amp;lt;br /&amp;gt;（2005年5月）&lt;br /&gt;
|分類体系 = [[APG III]]&lt;br /&gt;
|界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}}&lt;br /&gt;
|門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||Angiosperms}}&lt;br /&gt;
|綱階級なし = [[単子葉類]] {{Sname||Monocots}}&lt;br /&gt;
|目 = [[クサスギカズラ目]] {{Sname||Asparagales}}&lt;br /&gt;
|科 = [[ヒガンバナ科]] {{Sname||Amaryllidaceae}}&lt;br /&gt;
|亜科 = [[ヒガンバナ亜科]] {{Sname||Amaryllidoideae}}&lt;br /&gt;
|連 = [[スイセン連]] {{Sname||Narcisseae}}&lt;br /&gt;
|属 = &#039;&#039;&#039;スイセン属&#039;&#039;&#039; {{Snamei||Narcissus}}&lt;br /&gt;
|学名 = {{Snamei||Narcissus}}&amp;lt;br /&amp;gt; {{AUY|L.|1753|bio=bot}}&lt;br /&gt;
|タイプ種 = {{Snamei||N. poeticus}} {{AU|L.}}&lt;br /&gt;
|シノニム = &amp;lt;!-- {{Snamei||}}&amp;lt;br /&amp;gt; {{AU|}} --&amp;gt;&lt;br /&gt;
|和名 = &lt;br /&gt;
|英名 = &amp;lt;!-- [[:en:|]] --&amp;gt;&lt;br /&gt;
|下位分類名 = [[亜属]]&lt;br /&gt;
|下位分類 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;スイセン属&#039;&#039;&#039;（スイセンぞく、[[学名]]: {{Snamei|Narcissus}}）は、[[ヒガンバナ科]]（[[クロンキスト体系]]では[[ユリ科]]）の[[属 (分類学)|属]]のひとつ。この属には&#039;&#039;&#039;ニホンズイセン&#039;&#039;&#039;や[[ラッパズイセン]]など色や形の異なる[[種 (分類学)|種]]や[[品種]]が多くあるが、この属に含まれるものを総称して&#039;&#039;&#039;スイセン&#039;&#039;&#039;と呼んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
狭義には、学名 {{Snamei||Narcissus tazetta}} や、その[[変種]]である&#039;&#039;&#039;ニホンズイセン&#039;&#039;&#039;（{{Snamei|Narcissus tazetta}} var. {{Snamei|chinensis}}）を&#039;&#039;&#039;スイセン&#039;&#039;&#039;ということも多い。しかし、本記事では特に明記しない限り「スイセン」をスイセン属の総称の意味で用いる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 形態・生態 ==&lt;br /&gt;
[[多年草]]で、[[冬]]から[[春]]にかけて白や黄の[[花]]を咲かせるものが多い。草丈は、品種・環境によるが、15 - 50cm程度である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[茎]]は、黒い外皮に包まれた[[球根#球根の分類|鱗茎]]の内部にある。そのため切断しない限り人の目に触れることはない。[[葉身]]は、若干厚みがあり扁平で細長く、つや消しのような表面をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
葉の間から[[つぼみ]]をつけた[[花茎]]が伸び、伸びきるとつぼみが横向きになり、成熟するとつぼみを覆っていた[[包]]を破って花が開く。典型的なスイセンの花の場合、[[雌蕊]]（しずい）は1本、[[雄蕊]]（ゆうずい）は6本。6枚に分かれた花びらと、中心に筒状の花びらを持つが、6枚に分かれている花びらのうち、外側3枚は[[萼]]（がく）であり、内側3枚のみが[[花弁]]である。二つをあわせて[[花被片]]（かひへん）と呼ぶ。一方、中心にある筒状の部分は[[副花冠]]（ふくかかん）という。花被片・副花冠の形状と花の着き方により、品種を区分する。&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
ファイル:Starr 001018-9001 Narcissus sp..jpg|[[鱗茎]]と[[葉]]&lt;br /&gt;
ファイル:Narzisse 1779.JPG|[[花]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ファイル:|[[種子]] --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 分布 ==&lt;br /&gt;
[[File:Narcissus bulbocodium bulbocodium0.jpg|thumb|right|240px|{{Snamei|Narcissus bulbocodium bulbocodium}} 原種の一つ]]&lt;br /&gt;
原産地は主に[[スペイン]]、[[ポルトガル]]を中心に[[地中海]]沿岸地域、[[アフリカ]]北部まで広がり、[[原種]]は30種類ほど知られている。また、[[園芸]]用に[[品種改良]]されたものが広く[[栽培]]されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本]]においては、ニホンズイセンが古くに[[中国]]を経由して渡来したといわれている。分布は、[[本州]]以南の比較的暖かい[[海岸]]近くで[[野生化]]し、[[群生]]が見られる。[[越前海岸]]の群落が有名であり、[[福井県]]の[[県花]]ともなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 群生地 ===&lt;br /&gt;
* をくづれ水仙郷・江月水仙ロード（[[千葉県]][[安房郡]][[鋸南町]]） - 12月下旬から2月初旬&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.town.kyonan.chiba.jp/kyonan/sp/unit/brd/pub_idx_msg.jsp?mode=dtl&amp;amp;grp_id=33&amp;amp;brd_id=90&amp;amp;msg_id=1 南房総 鋸南町]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 越前海岸（福井県） - 1月下旬から2月下旬&amp;lt;!--群落面積70~100ha--&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.fuku-e.com/special/0911/content/daffodil/index.html （社）福井県観光連盟]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[爪木崎]]（[[静岡県]][[下田市]]須崎） - 12月下旬から1月下旬&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.shimoda-city.info/eve02.html 下田市観光協会]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[灘黒岩水仙郷]]（[[兵庫県]][[南あわじ市]]） - 1月中旬から2月中旬&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/soshiki/shoukou/suisenkyou.html 南あわじ市役所]・{{ウィキ座標|34|13|34|N|134|50|4|E|region:JP|name=灘黒岩水仙郷|地図}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[立川水仙郷]]（兵庫県[[洲本市]]） - 1月中旬から2月中旬&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.awaji-navi.jp/kanko_taizen_contents.php?id=170 淡路島観光協会]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
File:Narcissus tazetta L. var chinensis Roemer.jpg|灘黒岩水仙郷のニホンズイセン&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人間との関わり ==&lt;br /&gt;
=== 毒性 ===&lt;br /&gt;
[[有毒植物]]で[[毒]]成分は[[リコリン]] ({{Lang|en|lycorine}}) と[[シュウ酸カルシウム]] ({{Lang|en|calcium oxalate}}) など。全草が有毒だが、鱗茎に特に毒成分が多い。スイセンの[[致死量]]は10gである。[[食中毒]]症状と[[接触性皮膚炎]]症状を起こす。中毒は初期に強い[[嘔吐]]があり摂取物の大半が吐き出されるため症状が重篤に到ることは稀であるが、鱗茎を[[アサツキ|浅葱]]（あさつき）と間違えて食べ死亡した例がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
葉が[[ニラ]]ととてもよく似ており、ニラと間違えて食べ中毒症状を起こすという事件がときどき報告・報道される&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/news/111206/bdy11120621010004-n1.htm ニラと誤りスイセンをギョーザの具に　徳島の小学校で児童ら集団食中毒]msn 産経ニュース&amp;lt;/ref&amp;gt;。ニラとの大きな違いは次の通りである。&lt;br /&gt;
* 葉からの臭いがない（ニラは葉からニラ独特の強い臭いを放つ）。&lt;br /&gt;
* 鱗茎がある（ニラは髭（ひげ）根で鱗茎はない）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 品種改良 ===&lt;br /&gt;
原種は花弁が細くねじれており、それを平たい花弁にするのに50年ほどかかった。その後、[[八重咲き]]などの花容の品種改良、および、白と黄色以外の色を出すための品種改良がなされ、副花冠が赤、ピンクのものが加わった。品種改良の中心地は栽培に気候が適している[[イギリス]]が草分けである。現在では[[オランダ]]、日本がそれに続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 増え方と育て方 ===&lt;br /&gt;
[[チューリップ]]や[[ヒヤシンス]]などと同様に典型的な球根植物。市販の球根を買って花壇や鉢に植えて育てる。一定の寒さに当たらないと開花しない性質を有する。晩秋に球根が市場に出回るのでそれを植えて育てる。ニホンズイセンだと初春には開花するが、西洋スイセンは4月ごろに開花する。春先には開花株が出回り、それを観賞することもできる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開花後は葉と茎が枯れるまで切らずに置いておくと、球根が太る。チューリップと異なり、子株が育っても親株も残る（チューリップは子株が育つと、親株が衰える）。[[被子植物]]である以上、結果し、種でも増えるが、開花までには数年かかるため、育種(品種改良)を目的とする場合を除けば一般には行われない。球根を分球させて増やす。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スイセンは日本の気候と相性が良いので、植え放しでも勝手に増える。球根が細分化するばかりで、開花しない場合は、土壌の窒素過多か、植え付けが浅すぎることが原因である。夏場は地表面を別の植物で覆うと、温度が上がり過ぎず、地中の球根に適した環境を維持できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 文化 ===&lt;br /&gt;
[[File:Suisen Maru inverted.png|thumb|right|120px|水仙紋]]&lt;br /&gt;
{{Snamei|Narcissus}} という学名は、[[ギリシャ神話]]に登場する美少年[[ナルキッソス]]に由来する。神話によると、ナルキッソスは、その美しさにさまざまな相手から言い寄られたものの、高慢にはねつけ恨みを買った。ついには、そんな彼への呪いを聞き入れた復讐の女神[[ネメシス]]により、水鏡に映った自分自身に恋してしまった。水面の中の像は、ナルキッソスの想いに決して応えることはなく、彼はそのまま憔悴して死ぬ。そして、その体は水辺でうつむきがちに咲くスイセンに変わった、というものである。だからこそスイセンは水辺であたかも自分の姿を覗き込むかのように咲くのである。&lt;br /&gt;
{{See also|エーコー}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「スイセン」という名は、中国での呼び名「水仙」を音読みしたもの。「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典に由来する。水辺で咲く姿を[[仙人]]にたとえたのであろう。&lt;br /&gt;
別名に雪中花、雅客。方言ではチチロ、キンデバナ、キンデ、シイセン、ハルダマなどの呼び名がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[ラッパスイセン]] ({{Lang|en|Daffodil}}) は[[ウェールズ]]の[[国章]]であり、ウェールズでは3月1日の聖[[ダビデ]]の日 ({{Lang|en|[[:en:Saint David&#039;s Day|Saint David&#039;s Day]]}}) に、ラッパスイセンか[[リーキ]]を身につける習慣がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ウイリアム・[[ワーズワース]]は &amp;quot;I Wandered Lonely as a Cloud&amp;quot; という著名な[[詩]]を、また[[E・E・カミングス]]は &amp;quot;in a time of daffodils&amp;quot; という詩をそれぞれ遺している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
海外では水仙は「希望」の象徴であり、ガン患者をサポートする団体の多くで、春の訪れと共に咲くこの水仙が「希望」のシンボルとして募金活動のキャンペーンに用いられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 地方公共団体などの花 ===&lt;br /&gt;
* 都道府県&lt;br /&gt;
** [[福井県]]&lt;br /&gt;
* 市区町村&lt;br /&gt;
** [[北海道]]：[[せたな町]]&lt;br /&gt;
** [[宮城県]]：[[泉区 (仙台市)|泉区（仙台市）]]&lt;br /&gt;
** [[群馬県]]：[[伊勢崎市]]、[[東吾妻町]]&lt;br /&gt;
** [[千葉県]]：[[酒々井町]]、[[鋸南町]]&lt;br /&gt;
** [[神奈川県]]：[[西区 (横浜市)|西区（横浜市）]]、[[高津区|高津区（川崎市）]]、[[寒川町]]、[[大井町]]&lt;br /&gt;
** [[新潟県]]：[[小千谷市]]&lt;br /&gt;
** [[福井県]]：[[越前町]]&lt;br /&gt;
** [[岐阜県]]：[[安八町]]、[[北方町]]&lt;br /&gt;
** [[静岡県]]：[[大井川町]]&lt;br /&gt;
** [[愛知県]]：[[中村区|中村区（名古屋市）]]、[[南知多町]]、[[豊根村]]&lt;br /&gt;
** [[三重県]]：[[木曽岬町]]、[[川越町]]、[[紀宝町]]&lt;br /&gt;
** [[大阪府]]：[[和泉市]]&lt;br /&gt;
** [[兵庫県]]：[[洲本市]]、[[南あわじ市]]&lt;br /&gt;
** [[奈良県]]：[[田原本町]]&lt;br /&gt;
** [[和歌山県]]：[[由良町]]&lt;br /&gt;
** [[島根県]]：[[益田市]]&lt;br /&gt;
** [[香川県]]：[[綾川町]]&lt;br /&gt;
** [[愛媛県]]：[[八幡浜市]]&lt;br /&gt;
** [[福岡県]]：[[直方市]]、[[遠賀町]]&lt;br /&gt;
** [[長崎県]]：[[小値賀町]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 下位分類 ==&lt;br /&gt;
; &#039;&#039;&#039;スイセン&#039;&#039;&#039; {{Snamei||Narcissus tazetta}}&lt;br /&gt;
; &#039;&#039;&#039;ニホンズイセン&#039;&#039;&#039; {{Snamei|Narcissus tazetta}} var. {{Snamei|chinensis}}&lt;br /&gt;
: 和名はニホンズイセン（日本水仙）であるが、原産地は地中海沿岸。[[室町時代]]以前に、[[中国]]を経由して日本に入ったと考えられている。園芸作家の[[柳宗民]]はニホンズイセンは中国から球根が[[海流]]にのって漂着したものが、野生化していったのではないかとの説をとっている。&lt;br /&gt;
; [[ラッパズイセン]] {{Snamei||Narcissus pseudonarcissus}}&lt;br /&gt;
: &lt;br /&gt;
; [[クチベニズイセン]] {{Snamei||Narcissus poeticus}}&lt;br /&gt;
: ギリシア神話では、学名の由来ともなっている[[ナルキッソス]]の生まれ変わりといわれている。&lt;br /&gt;
; [[キズイセン]] {{Snamei||Narcissus jonquilla}}&lt;br /&gt;
: &lt;br /&gt;
; [[カンランズイセン]] {{Snamei|Narcissus x odorus}}&lt;br /&gt;
: キズイセンとラッパズイセンとの[[雑種]]。&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
File:Narcissus tazetta var chinensis1.jpg|ニホンズイセン {{Snamei|Narcissus tazetta}} var. {{Snamei|chinensis}}&lt;br /&gt;
File:Narcissus pseudonarcissus0.jpg|ラッパズイセン {{Snamei|Narcissus pseudonarcissus}}&lt;br /&gt;
File:Narcisă (Narcissus poeticus) în Poiana Narciselor, județul Brașov.JPG|クチベニズイセン {{Snamei|Narcissus poeticus}}&lt;br /&gt;
File:Narcissus jonquilla 3.jpg|キズイセン {{Snamei|Narcissus jonquilla}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 花の形による分類 ===&lt;br /&gt;
ここでは西洋スイセンの花容の説明をする。&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;ラッパ咲き&#039;&#039;&#039; - 副冠の長さが花弁の長さと同じかそれ以上のもの。&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;カップ咲き&#039;&#039;&#039; - 副冠の長さが花弁の長さより1/3より長く花弁全体より短いもの。&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;小カップ咲き&#039;&#039;&#039; - 副冠の長さが花弁の長さより1/3より短く花弁全体より短いもの。&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;八重咲き&#039;&#039;&#039; - 花弁や副冠が八重咲きになるもの。&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;トリアンドロス咲き&#039;&#039;&#039; - 下向きに咲くもの。&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;シクラメネウス咲き&#039;&#039;&#039; - 花弁が[[シクラメン]]の花のように反転するもの。&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;スプリットコロナ咲き&#039;&#039;&#039; - 副冠が1/3以上裂けているもの。&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
ファイル:ポンダ宮　スイセン.JPG|品種ロマンス　ラッパ咲きの代表種&lt;br /&gt;
ファイル:スイセン 八重咲き 20080423.JPG|八重咲きのスイセン&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 画像集 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
File:Akashi-Sumiyoshi_jinja_Narcissus.jpg|明石魚住・住吉神社のスイセン&lt;br /&gt;
ファイル:Hokuto Yamanashi Jissoji Narcissus Field And Cherry Tree 1.JPG|実相寺境内の水仙畑&lt;br /&gt;
ファイル:Narcissus01.jpg|日本寒水仙&lt;br /&gt;
ファイル:Yellow_Narcissus_002.jpg‎|黄色いスイセン（3本）&lt;br /&gt;
ファイル:Yellow_Narcissus_001.jpg|半逆光に輝くスイセンの花びら&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- == 参考文献 == --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Wikispecies|Narcissus}}&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Narcissus}}&lt;br /&gt;
* [[花の一覧‎]]&lt;br /&gt;
* [[季語一覧]]&lt;br /&gt;
* [[ナルキッソス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* {{ITIS&lt;br /&gt;
|ID = 500435&lt;br /&gt;
|taxon = &#039;&#039;Narcissus&#039;&#039;  L.&lt;br /&gt;
|accessdate = 2013-03-23&lt;br /&gt;
}} {{En icon}}&lt;br /&gt;
* {{NCBI|4697|&#039;&#039;Narcissus&#039;&#039;}} {{En icon}}&lt;br /&gt;
* {{EOL|29121|&#039;&#039;Narcissus&#039;&#039;}} {{En icon}}&lt;br /&gt;
* {{Cite web&lt;br /&gt;
|author = 米倉浩司&lt;br /&gt;
|coauthors = 梶田忠&lt;br /&gt;
|year = 2003-&lt;br /&gt;
|url = http://bean.bio.chiba-u.jp/bgplants/ylist_srch_easy.php?any_field=Narcissus&amp;amp;family=&amp;amp;species=&amp;amp;capital=0&amp;amp;family_order=0&amp;amp;family_disp_type=1&amp;amp;spec_order=0&amp;amp;list_type=0&amp;amp;search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lt;br /&gt;
|title = 「BG Plants 和名−学名インデックス」（YList）&lt;br /&gt;
|work = &lt;br /&gt;
|publisher = &lt;br /&gt;
|accessdate = 2013-03-23&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
* [http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shokuhin/dokusou/09.html 間違えやすい有毒植物 ＞ スイセン] [[東京都福祉保健局]]&lt;br /&gt;
* [http://www.drugsinfo.jp/2008/04/07-213517 「水仙（Narcissus）の毒性」] 医薬品情報21&lt;br /&gt;
* [http://www.tokyo-eiken.go.jp/lb_iyaku/plant/suisen/ ニラとスイセン（有毒）] 東京都健康安全研究センター&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--* [http://www.agora.crosemont.qc.ca/urinesediments/doceng/doc_025.htm Calcium oxalates] Bienvenue sur le nouveau serveur Agora (Canada) シュウ酸カルシウムは当該記事への内部リンクで充分--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:すいせんそく}}&lt;br /&gt;
[[Category:ヒガンバナ科]]&lt;br /&gt;
[[Category:有毒植物]]&lt;br /&gt;
[[Category:花卉]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Link FA|de}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.124.239.147</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E5%AD%AB%E6%82%9F%E7%A9%BA&amp;diff=3995</id>
		<title>孫悟空</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E5%AD%AB%E6%82%9F%E7%A9%BA&amp;diff=3995"/>
		<updated>2014-07-10T02:57:44Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;61.124.239.147: /* 概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses}}&lt;br /&gt;
[[File:Xiyou.PNG|thumb|西遊原旨の挿絵より]]&lt;br /&gt;
[[File:Sun Wukong and Jade Rabbit.jpg|thumb|『玉兎』（[[月岡芳年]]『月百姿』）孫悟空と月の妖精]]&lt;br /&gt;
[[File:Sun Wukong at Beijing opera - Journey to the West.jpg|thumb|[[京劇]]『西遊記』の孫悟空]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;孫 悟空&#039;&#039;&#039;（そん ごくう、{{zh2 | t=孫悟空| s=孙悟空| hp=Sūn Wùkōng| w=Sun1 Wu4-k&#039;ung1|j =syun1 ng6 hung1  | first=t}}）は、中国の[[四大奇書]]小説『[[西遊記]]』の主要登場[[キャラクター]]&amp;lt;ref&amp;gt;大鬧天宮の話などでは主人公であり、京劇などでは最も重要な役とされる&amp;lt;/ref&amp;gt;の一人である上仙。今も崇拝される[[道教]]の神でもあり、香港をはじめ、台湾や東南アジアでは一般に{{ルビ|&#039;&#039;&#039;[[斉天大聖]]&#039;&#039;&#039;|せいてんたいせい}}の号で呼ばれ、信仰されている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web&lt;br /&gt;
|url=http://tw.myblog.yahoo.com/jw!d0GiVJ6BBAAQKGZHarobbSTMY6Cp9Q--/archive?l=f&amp;amp;id=24&lt;br /&gt;
|title=齊天大聖&lt;br /&gt;
|language=中国語（[[繁体字]]）&lt;br /&gt;
|accessdate=2009-07-23 &lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。別名は&#039;&#039;&#039;孫行者&#039;&#039;&#039;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元代の『西遊記』（最古とされる）のあらすじを収録した朝鮮の書『朴通事諺解』（1677年）には&#039;&#039;&#039;孫吾空&#039;&#039;&#039;として登場する。また、齊天大聖の登場する主な[[雑劇]]（説話）は以下のとおり。これら先行する各種作品をうけて[[明]]代に100回本としてまとめられ集大成したもの&amp;lt;ref&amp;gt;100回本の作者として、中国では[[魯迅]]による呉承恩説があるが、日本の研究者（太田辰夫・[[中野美代子]]ら）は根拠に乏しいとして否定的である。中野は100回本を成立させた「作者」が複数存在する可能性も指摘している。&amp;lt;/ref&amp;gt;が分量が多すぎたため、[[清]]代には整理簡略された簡本のうち[[康熙]]33年（[[1694年]]）刊行の『西遊真詮』が比較的よくみられる『西遊記』である。&lt;br /&gt;
* 西遊雑劇（戯曲）&lt;br /&gt;
* 斉天大聖（戯曲）&lt;br /&gt;
* 八仙過海&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin-bottom:0.8em;&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
『西遊記』の雑劇などの書作品での通称は&#039;&#039;&#039;猴行者&#039;&#039;&#039;、あるいは&#039;&#039;&#039;通天大聖&#039;&#039;&#039;などさまざまな名前で呼ばれているが、&#039;&#039;&#039;孫行者&#039;&#039;&#039;の名に落ち着いた。日本でよく知られた&#039;&#039;&#039;孫悟空&#039;&#039;&#039;は[[諱]]であり[[避諱]]により当時の中国では一般には使用されない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下、明、清の刊本の『西遊記』に基づく概略を記す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
昔々、東勝神州&amp;lt;ref name=&amp;quot;tr&amp;quot;&amp;gt;『西遊記』における世界観では、世界は「{{ルビ|&#039;&#039;&#039;東勝神州&#039;&#039;&#039;|とうしょうしんしゅう}}」「{{ルビ|&#039;&#039;&#039;西午賀州&#039;&#039;&#039;|せいごがしゅう}}」「{{ルビ|&#039;&#039;&#039;南贍部州&#039;&#039;&#039;|なんせんぶしゅう}}」「{{ルビ|&#039;&#039;&#039;北倶蘆州&#039;&#039;&#039;|ほくぐろしゅう}}」の四大陸に分かれているとされている。なお、これは仏教の[[四天王]]の統治する世界である。孫悟空の出身地・花果山は東勝神州の近海に、中国（作中では[[唐]]）は南贍部州にあるとされている。また、[[三蔵]]一行の目的地である[[天竺]]は西午賀州にあるとされており、中国からすると文字通り「西方浄土」ということになる&amp;lt;/ref&amp;gt;は{{ルビ|傲来国|ごうらいこく}}の沖合にうかぶ火山島である花果山&amp;lt;ref&amp;gt;ただの山ではなく神仙の棲む特別な霊山である&amp;lt;/ref&amp;gt;の頂に一塊の仙石があった。この石が割れて卵を産み、卵は風にさらされて一匹の石猿が孵った&amp;lt;ref&amp;gt;孫悟空が生まれたのが、岩から生まれた卵であったことは有名。誕生まもなくその目から金色の光がほとばしって天界まで達したので、天帝を驚かせた&amp;lt;/ref&amp;gt;。この石猿は、島に住む猿たちが谷川の水源を見つけたら王様にするというので、勇気を示して滝壺に飛び込み、水簾洞という住み処を見つけてきたので、猿たちに崇められ{{ルビ|&#039;&#039;&#039;美猴王&#039;&#039;&#039;|びこうおう}}と名乗ることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ある時、限りある命にはかなさを感じたことから[[不老不死]]の術を求めて旅に出て、十年以上かけて西午賀洲&amp;lt;ref name=&amp;quot;tr&amp;quot; /&amp;gt;に住む{{ルビ|[[須菩提]]祖師|すぼだいそし}}という[[仙人]]を探し出して弟子入りした。祖師は、姓を持たぬという美猴王に孫という姓を与え、&#039;&#039;&#039;孫悟空&#039;&#039;&#039;の法名を授ける。7年後、兄弟子を差し置いて、念願の長寿の妙道を密かに教わり、さらに3年後に{{ルビ|地煞数|ちさつすう}}という72般の{{ルビ|変化|へんげ}}の術&amp;lt;ref&amp;gt;これは72個の命を意味する&amp;lt;/ref&amp;gt;をことごとく会得した。さらに{{ルビ|&#039;&#039;&#039;[[キン斗雲|觔斗雲]]&#039;&#039;&#039;|きんとうん}}の法も教わって自在に雲に乗れるようになる&amp;lt;ref&amp;gt;他には分身する術など。身外身の術という、にこ毛を噛み砕いて吹いた物を多数の猿に変化させて使役する術はよく使われる&amp;lt;/ref&amp;gt;。ところが、他の弟子に術&amp;lt;ref&amp;gt;[[仙術]]はすべて秘伝の技であり、術を見せれば見た者は自分も習いたくなってきっと邪心を起こすので、みだりに見せたりしてはならなかった&amp;lt;/ref&amp;gt;を見せびらかしたことから、祖師に怒られ故郷に帰るように命じられた&amp;lt;ref&amp;gt;祖師は、悟空がきっと禍を引き起こすだろうと予測し、決して誰から術を教わったか口外するなときつく言い渡した&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
花果山に帰郷すると、[[混世魔王]]という化け物が水簾洞を荒らしていたので身外身の術で退治したが、これをきっかけに傲来国に出かけて大量の武器を強奪して配下の猿たちに配って守りを固めさせ、配下の猿を軍隊にまとめ上げた。そうすると自分の武器も欲しくなり、海中の[[四海竜王|東海竜王]]敖廣の宮殿である[[龍宮]]にいき、[[如意金箍棒]]&amp;lt;ref&amp;gt;これは重さ一万三千五百[[斤]]の「天河鎮定神珍鐵」とう名で、両端に金のたががはまった黒い棒で、伸縮自在、すなわちまたの名を&#039;&#039;&#039;[[如意棒|如意金箍棒]]&#039;&#039;&#039;である&amp;lt;/ref&amp;gt;を無理矢理譲ってもらう。さらに長く居すわって残りの三海の竜王たちからも武具を要求し、金の冠、金の鎧、歩雲履の防具一式&amp;lt;ref&amp;gt;南海の敖欽は鳳翅飾りの紫金冠を、西海の敖閏は黄金の鎖編みの鎧を、北海の敖順は{{ルビ|藕糸|はすいと}}で編んだ歩雲履を持ってきた&amp;lt;/ref&amp;gt;をもってこさせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[牛魔王]]を含む6大魔王&amp;lt;ref&amp;gt;残りは、{{ルビ|蛟魔王|こうまおう}}、{{ルビ|鵬魔王|ほうまおう}}、{{ルビ|獅駝王|しだおう}}、{{ルビ|獮猴王|びこうおう}}、{{ルビ|𤟹狨王|ぐしゅうおう}}（犭に禺で一字）。悟空を加えた7兄弟は、七大聖と呼ばれ、牛魔王が長兄。詳しくは[[斉天大聖]]で説明&amp;lt;/ref&amp;gt;の妖仙と義兄弟となり、宴席で酔いつぶれていると、[[地獄|幽冥界]]から使いが2人きて魂を連れ去り、「寿命が尽きた」という。しかしそんなはずはないと抗弁して暴れ、[[鬼籍|閻魔帳]]を持ってこさせると、なるほど孫悟空の寿命342歳とあるので、自分の名を墨で塗りつぶし、ついでに仲間の猿の名前もいくつか消した。もうお前らの厄介にはならんと冥界十王&amp;lt;ref&amp;gt;冥途の十人の王のことで、十殿冥王ともいう。秦広王、楚江王、宋帝王、忤官王、閻羅王、平等王、泰山王、都市王、卞城王、転輪王の十人&amp;lt;/ref&amp;gt;を殴って帰ってきたところで、目が覚めたが、以後、悟空以外の山猿にも不老のものがふえたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== {{ルビ|大鬧天宮|だいどうてんぐう}} ===&lt;br /&gt;
こうして死籍を消すに至ったことから、天界からも危険視される存在になった。[[天帝]]は石猿を討伐しようとするが、[[太白]]の意見で思い直し、官吏として天界に召すことで懐柔することにした&amp;lt;ref&amp;gt;太白は穏健派で、外交官の神としても知られる。&amp;lt;/ref&amp;gt;。悟空は、天界の使者に喜び、&#039;&#039;&#039;弼馬温&#039;&#039;&#039;&amp;lt;ref&amp;gt;&#039;&#039;&#039;弼馬温&#039;&#039;&#039;は中国語で「ピーマーウェン」と読み、日本語音は「ひつぱおん」。職務は天界の[[厩舎]]の管理人で、馬の飼育係という賤職であったので、のちのち悟空を罵倒する言葉としても使われる。なお、猿を厩の管理人とするとされたのは、弼馬温と同音の避馬瘟という[[サル]]はウマを守るものとの伝承がインドから中国に伝来したことによる。&amp;lt;br /&amp;gt;*[http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-144.htm 水神の話：「河童駒引」をめぐる動物考―馬・牛・猿(3)]&amp;lt;br /&amp;gt;同様の伝承は日本に伝わり、日本でも武家屋敷の厩でサルが飼育されていた様子が、鎌倉末期の[[13世紀]]末ころの絵巻である『男衾三郎絵詞』の図に見られる&amp;lt;/ref&amp;gt;の[[官職]]に任命されたが、半月後にその身分が低いと知ってへそを曲げ、不意に脱走してしまう。地上ではすでに十数年&amp;lt;ref&amp;gt;天界の一日は地上の一年に相当するため&amp;lt;/ref&amp;gt;経っていたが、帰還した美猴王を神としてかしずく猿たちに囲まれて気分がいいところに、独角鬼王という妖怪が訪ねてきて臣下となり、さらに褒めそやして煽てたので、有頂天になった悟空は&#039;&#039;&#039;斉天大聖&#039;&#039;&#039;&amp;lt;ref&amp;gt;「天にもひとしい大聖人」の意&amp;lt;/ref&amp;gt;と自ら号するようになった。これを聞いた天帝は身の程知らずの石猿だと怒り、{{ルビ|[[托塔李天王]]|たくとうりてんおう}}を大将にする討伐軍に派遣したが、先鋒の巨霊神と{{ルビ|[[ナタ (中国神話)|{{lang|zh-hant|哪吒太子}}]]|なたたいし}}が敗れて歯が立たないと、悟空の神通力に恐れをなして退却した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
力で抑えるのが難しいとわかると、再び太白の意見で懐柔策をとることになり、二度目は悟空の希望通りの待遇とすることにして、新官職「斉天大聖」が創設され、正式に任命された。これは職務のない名目だけの官職であった。これでしばらくは悟空も満足していたが、天界では暇をもてあましていたので、新たに{{ルビ|蟠桃園|ばんとうえん}}&amp;lt;ref&amp;gt;天界で供される桃を栽培する果樹園。蟠桃をはじめ数種類の桃が作られているが、いずれも食べることで不老長生を得ることのできる神聖な桃（仙桃）である&amp;lt;/ref&amp;gt;の管理を任されることになる。ところが、不老長寿は悟空の最も好むところであり、栽培されている仙桃が熟れるのを待って食べ尽くした。そこに仙女たちが桃をつみにきて宴会があるというので、宴席に忍び込んで酒番を眠らせ、仙酒仙肴を食べ荒らし、さらに酔ったはずみで兜率天宮に迷い込んだので、ついでに[[太上老君]]の金丹の全部を頬張って、再び天界を逃げ出した&amp;lt;ref&amp;gt;二度目の逃走はかなり確信犯的で、はっきりと悪事を働いた自覚を持って逃げ行く&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悟空が戻ると地上では百年経過していた。天帝は烈火のごとく怒り、天兵10万を派遣して包囲し、諸将を総動員して攻めかからせた。悟空の側は、七十二洞の妖怪たちと独角鬼王は生け捕られたが、猿たちはすべて逃げ延び、悟空は{{lang|zh-hant|哪吒太子}}と[[四天王|四大天王]]、恵岸を打ち負かした。ところが恵岸がその師である[[観音菩薩]]に苦戦を報告したところ、菩薩は天帝に[[顕聖二郎真君]]を推薦する。二郎真君は梅山の六兄弟と共に悟空を追い詰め、太上老君の投げた{{ルビ|金剛琢|こんごうたく}}で悟空が脳天を打たれてふらふらのところを捕まえた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天帝は、悟空を斬妖台にひきだして八つ裂きの刑にするというが、悟空は仙丹の力で無敵の体となっていたので刀も斧も歯が立たず、火も効果がなかった。太上老君の[[八卦]]炉に押し込めて熔かそうとするも、いぶされて目が真っ赤になって「{{ルビ|火眼金睛|あかめ}}」となったのみで、八卦炉から飛び出す&amp;lt;ref&amp;gt;この時割れて地上に落ちた八卦炉の破片が[[火焔山]]となった。&amp;lt;/ref&amp;gt;と大暴れして手が付けられない。困った天帝は、雷音寺の[[釈迦如来]]に助けを求めた。如来は悟空に身の程をわきまえさせるために賭けを持ちかけ、如来の手のひらから飛び出せなかった悟空を取り押さえて、&#039;&#039;&#039;五行山&#039;&#039;&#039;&amp;lt;ref&amp;gt;別名「両界山」。この山が中国の国境であり、ここから先は妖仙の住む領域。&amp;lt;/ref&amp;gt;に封印してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 取経の旅へ ===&lt;br /&gt;
5百年後、[[観音菩薩|観世音菩薩]]の救済によって[[玄奘三蔵|三蔵法師]]の弟子となって功徳を積むことを許され、[[天竺]]までの取経の旅&amp;lt;ref&amp;gt;三蔵法師の旅は、大乗仏教の経典を授かることが目的であったため、「取経の旅」といった表現がなされる。&amp;lt;/ref&amp;gt;を助けることになる。三蔵法師からはおもに{{ルビ|&#039;&#039;&#039;孫行者&#039;&#039;&#039;|そんぎょうじゃ}}&amp;lt;ref&amp;gt;風貌が小坊主に似ているという理由である。このことから悟空は猿のなかでも毛の短い猿であることがわかる&amp;lt;/ref&amp;gt;と呼ばれている。&lt;br /&gt;
弟子になってからも初めはかなり反抗的で、納得できない時は相手が如来だろうと菩薩だろうと平気で文句を言う。しかし仁義や礼儀に精通しており、その他で無礼を働くことはない。初め三蔵法師に反発して脱走も試み、その後もいわれのない罪で破門されたりしているが、観世音菩薩や釈迦如来の導きもあり&amp;lt;ref&amp;gt;最初の脱走の際に、以後の脱走を防ぐ抑止力として頭にはめられたのが「&#039;&#039;&#039;緊箍児&#039;&#039;&#039;」（きんこじ、別称「金剛圏」）と呼ばれる輪っかである。これは「緊箍呪」という呪文をとなえることで輪が収縮し、頭が締めつけられるというものである。しかしこの後に三蔵法師は緊箍児によって直接的に脱走をふせごうとすることはほとんどなかった&amp;lt;/ref&amp;gt;、結局はいつも三蔵法師のもとに戻ってくる。旅では失敗を繰り返して学習し、次第に行いが改まっていくが、かなり粗暴である。三蔵との関係は師匠と弟子というよりも、無力な人間を庇う守護者のような役回りで、人使いの荒い三蔵には困らされることが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ついに取経の旅に成功すると、その魔を降して善を広めたという抜群の功績が認められて仏になることができた&amp;lt;ref&amp;gt;仏としての名前は{{ルビ|&#039;&#039;&#039;闘戦勝仏&#039;&#039;&#039;|とうせんしょうぶつ}}。なお、仏となったのちには緊箍児は消えていた&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、ここで書いたとおり孫悟空は本篇や漢詩中で、各種の名前や肩書きで呼ばれている。ここに書いたほかにも、大聖翁、猴仔公、心猿などと呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 孫悟空のモデル ==&lt;br /&gt;
{{main|西遊記の成立史#孫悟空}}&lt;br /&gt;
[[中華人民共和国|中国]]西部の[[陝西省]]や[[チベット]]などに生息する[[キンシコウ]]を研究する[[日本モンキーセンター]]世界サル類動物園長の小寺重孝が、[[日本放送協会|NHK]]の動物の生態を紹介するテレビ番組『[[ウォッチング]]』で、「美猴王」を名乗った孫悟空のモデルにふさわしい美しいサルであり、もしかしたらこれがモデルなのかもしれないと紹介した。後に『アサヒグラフ』1985年3月29日号にて、小寺重孝本人も勘違いと認めているが世間に広まったためひっこみがつかなくなっているという談話が掲載されている。『西遊記』そのものを研究している中国文学研究者は、作中描写から判断すると[[マカク属]]の[[アカゲザル]]である可能性が高いとする説を提唱しており、例えばニホンザルと異なり水泳を好むアカゲザルの生態などが巧みに『西遊記』の中に描写されていることなどを指摘している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これとはまた別に、インドの有名な[[叙事詩]]『[[ラーマーヤナ]]』の猿の神として登場する[[ハヌマーン]]も黄金の肌と真紅の顔面そして長い尾っぽを持つ姿として描かれているところから、ハヌマーンが孫悟空のモデルとする説も唱えられている。インドの[[ヒンドゥー教]]寺院ではハヌマンラングールがハヌマーン神の使いとして手厚く扱われ、参詣者から餌などを与えられて闊歩している。ハヌマーンもまた孫悟空と同様に、超常的な[[神通力]]を使用し、空を飛んだり、体の大きさを変えたりした。また、場面によって猿軍団を率いる、山を持ち上げるなどの行為を行ったとされる。『ラーマーヤナ』の物語中で[[ヴィシュヌ]]の化身とされる[[ラーマ]]を助けて様々な局面で活躍する猿神の姿は、『西遊記』において猿妖である孫悟空が三蔵法師を護衛して活躍する姿と相似ている部分も多々見受けられ、『西遊記』の物語形成過程に『ラーマーヤナ』が少なからず影響を与えたことも考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[中華人民共和国]]の安西地方に存在する[[楡林窟]]や[[東千仏洞]]などで発見された[[唐僧取経図]]には、玄奘三蔵の[[インド]]への旅の様子が描かれているとされ、その中に出てくる案内人が孫悟空などの原型となっているのではないかともよく言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名の「悟空」については、唐代に実在し、インドまで赴いた僧侶・[[悟空]]（[[731年]] - ?）の名をとったものではないかとする説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 泉州開元寺西塔浮彫 ===&lt;br /&gt;
泉州開元寺の仁壽塔（西塔、嘉元年[[1237年]]完成）浮彫は梁武帝、「唐三藏」、東海火龍太子、猴行者の4種あり、『西遊記』の孫悟空となる前の姿がかいまみえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*『西遊記の秘密　[[道教|タオ]]と[[錬丹術|煉丹術]]のシンボリズム』[[中野美代子]]　[[岩波書店]]　ISBN 978-4-00-602070-5&lt;br /&gt;
*『西遊記 孫悟空編』実吉達郎 /東山鈴鹿 メタモル出版 1991　ISBN 978-4-895-95026-8 &lt;br /&gt;
*『孫悟空はサルかな？』中野美代子　日本文芸社  ISBN 978-4-537-05013-4&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{commonscat|Journey to the West|孫悟空}}&lt;br /&gt;
* [http://www.china-on-site.com/pages/comic/comiccatalog1.php Story of Sun Wukong with manhua]&lt;br /&gt;
* [http://www.innerjourneytothewest.com/jp/jp-monkey.html 孫悟空の内的な意味を説明するウェブページ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{西遊記}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:そんこくう}}&lt;br /&gt;
[[Category:西遊記]]&lt;br /&gt;
[[Category:道教の神]]&lt;br /&gt;
[[Category:仙人]]&lt;br /&gt;
[[Category:神話・伝説の猿]]&lt;br /&gt;
[[Category:妖怪]]&lt;br /&gt;
[[Category:架空のサル]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>61.124.239.147</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6&amp;diff=19403</id>
		<title>タンチョウ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6&amp;diff=19403"/>
		<updated>2014-07-10T01:42:42Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;61.124.239.147: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|種&#039;&#039;Grus japonensis&#039;&#039;|金魚の品種|タンチョウ (キンギョ)|錦鯉の品種|錦鯉}}&lt;br /&gt;
{{生物分類表&lt;br /&gt;
|省略 = 鳥綱&lt;br /&gt;
|名称 = タンチョウ&lt;br /&gt;
|画像=[[ファイル:Grus_japonensis_QiQiHaEr.jpg|250px|タンチョウ]]&lt;br /&gt;
|画像キャプション = &#039;&#039;&#039;タンチョウ&#039;&#039;&#039; &#039;&#039;Grus japonensis&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|status = EN&lt;br /&gt;
|status_ref = &amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;cites&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
[http://www.cites.org/ CITES homepage]&lt;br /&gt;
* [http://www.cites.org/eng/app/appendices.shtml Appendices I, II and III]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;iucn&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
[http://www.iucnredlist.org/ The IUCN Red List of Threatened Species]&lt;br /&gt;
* BirdLife International 2008. [http://www.iucnredlist.org/apps/redlist/details/143784/0 &#039;&#039;Grus japonensis&#039;&#039;]. In: IUCN 2011. IUCN Red List of Threatened Species. Version 2011.1. &lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt; &lt;br /&gt;
|status_text = [[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約|ワシントン条約]]附属書I&lt;br /&gt;
|目 = [[ツル目]] {{Sname||Gruiformes}}&lt;br /&gt;
|亜目 = [[ツル亜目]] {{Sname||Grues}}&lt;br /&gt;
|科 = [[ツル科]] {{Sname||Crane_(bird)|Gruidae}}&lt;br /&gt;
|属 = [[ツル属]] {{Snamei||Grus(genus)|Grus}}&lt;br /&gt;
|種 = &#039;&#039;&#039;タンチョウ&#039;&#039;&#039; &#039;&#039;G. japonensis&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|学名 = &#039;&#039;Grus japonensis&#039;&#039;　([[w:Philipp_Ludwig_Statius_Muller|Muller]], [[1766年|1766]])&lt;br /&gt;
|和名 = タンチョウ&lt;br /&gt;
|英名 = [[w:Red-crowned_Crane|Japanese crane&amp;lt;br /&amp;gt;Manchurian crane&amp;lt;br /&amp;gt;Red-crowned crane]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;タンチョウ&#039;&#039;&#039;（丹頂&amp;lt;ref&amp;gt;『[[広辞苑]] 第5版』 岩波書店。「たんちょう」&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn1&amp;quot;&amp;gt;安部直哉 『山溪名前図鑑 野鳥の名前』、[[山と渓谷|山と渓谷社]]、[[2008年]]、218-219頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、&#039;&#039;Grus japonensis&#039;&#039;）は、[[ツル目]] [[ツル科]] [[ツル属]]に分類されるツル。&lt;br /&gt;
その美しさから、[[日本]]や[[中国]]では古来深く親しまれてきた鳥である。&amp;lt;ref name=&amp;quot;edoors&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;okan&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
種小名&#039;&#039;japonensis&#039;&#039;は「日本産の」という意味であり、頭部の赤い部分が日章旗に似ている、折鶴、千円札、昔話などで身近なことから、&lt;br /&gt;
鶴（タンチョウ）は日本を象徴する鳥になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 分布 ==&lt;br /&gt;
[[日本]]（[[北海道]]東部）、[[ロシア]]南東部、[[中華人民共和国]]、[[大韓民国]]北部、[[朝鮮民主主義人民共和国]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
種小名&#039;&#039;japonensis&#039;&#039;は「日本産の」の意。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
夏季に中華人民共和国北東部、アムール川やウスリー川中流域で繁殖し、冬季になると朝鮮半島、長江下流域ヘ南下し越冬する&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;&amp;gt;小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著 『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』、[[講談社]]、[[2000年]]、88-91、191頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;&amp;gt;加藤陸奥雄、沼田眞、渡辺景隆、畑正憲監修 『日本の天然記念物』、[[講談社]]、[[1995年]]、636-641、806、808頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn4&amp;quot;&amp;gt;桐原政志 『日本の鳥550 水辺の鳥』、文一総合出版、[[2000年]]、159頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;&amp;gt;[[黒田長久]]監修 C.M.ペリンズ、A.L.A.ミドルトン編 『動物大百科7 鳥類I』、[[平凡社]]、[[1986年]]、184頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;&amp;gt;[[黒田長久]]、森岡弘之監修 『世界の動物 分類と飼育10-II (ツル目)』、東京動物園協会、[[1989年]]、26-28、37、121-124、159頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn7&amp;quot;&amp;gt;高野伸二 『フィールドガイド 日本の野鳥 増補改訂版』、[[日本野鳥の会]]、[[2007年]]、120-121頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;bio&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
[http://www.biodic.go.jp/index.html 環境省 自然環境局 生物多様性センター]&lt;br /&gt;
* [http://www.biodic.go.jp/rdb_fts/2000/73-012.html 絶滅危惧種情報（動物）- タンチョウ -] &lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
日本では周年生息（留鳥）する&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn4&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;bio&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 形態 ==&lt;br /&gt;
全長125-152センチメートル&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;。翼開張240センチメートル&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn7&amp;quot;/&amp;gt;。[[体重]]6.3-9キログラム&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;。全身の羽衣は白い&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn4&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn7&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;bio&amp;quot;/&amp;gt;。眼先から喉、頸部にかけての羽衣は黒い&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn4&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;bio&amp;quot;/&amp;gt;。次列風切や三列風切は黒い&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn4&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn7&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;bio&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
頭頂には羽毛がなく、赤い皮膚が裸出する&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn1&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn4&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;bio&amp;quot;/&amp;gt;。タン（丹）は「赤い」の意で、頭頂に露出した皮膚に由来する&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn1&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;。[[虹彩]]は黒や暗褐色&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;。嘴は長く、色彩は黄色や黄褐色&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn4&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn7&amp;quot;/&amp;gt;。後肢は黒い&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn4&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;。気管は[[胸骨]]（竜骨突起）の間を曲がりくねる&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幼鳥は頭部から後頸などの羽衣が黄褐色で、雨覆や初列風切の先端、次列風切や三列風切が黒褐色&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn4&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{-}}&lt;br /&gt;
== 生態 ==&lt;br /&gt;
[[File:Grus japonensis in flight at Akan International Crane Center.jpg|thumb|タンチョウ（2007年）]]&lt;br /&gt;
[[湿原]]、[[湖]][[沼]]、[[川|河川]]などに生息する&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;。冬季には家族群もしくは家族群が合流した群れを形成する&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;。オスが長く1回鳴いたあとに、メスが短く2-3回鳴くことを繰り返し、これにより縄張りを主張したりペアを維持するのに役立つと考えられている&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn4&amp;quot;/&amp;gt;。日本の個体群と大陸産の個体群は鳴き交わしに差異がある&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
食性は[[雑食]]で、[[昆虫]]、[[甲殻類]]、[[貝類]]、[[魚類]]、[[カエル]]、植物の茎、[[種子]]などを食べる&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
繁殖形態は卵生。繁殖期に1-7[[平方キロメートル]]の縄張りを形成する&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;。湿原（北海道の個体群は塩性湿原で繁殖した例もあり）や浅瀬に草や木の枝などを積み上げた直径150センチメートル、高さ30センチメートルに達する皿状の巣を作り、日本では3-5月に1-2個の卵を産む&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;bio&amp;quot;/&amp;gt;。雌雄交代で抱卵し&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;、抱卵期間は31-36日&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;。雛は孵化してから約100日で飛翔できるようになる&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn5&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生息数、保護状況 ==&lt;br /&gt;
[[1964年]]に北海道の道鳥に指定されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
農作物を食害する害鳥とみなされることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[野焼き|野火]]や開発による生息地の破壊、狩猟などにより生息数は減少している&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;。北海道では地方自治体や自然保護団体による土地の買い上げ（[[ナショナルトラスト運動]]）や、冬季に穀物を給餌している&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;。一方で人間への依存度が高くなり生息数増加に伴う繁殖地の不足&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;/&amp;gt;、農作物の食害、電柱による感電死、交通事故の増加などの問題も発生している&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;bio&amp;quot;/&amp;gt;。日本では[[1935年]]に繁殖地も含めて国の[[天然記念物]]、[[1952年]]に「釧路のタンチョウ」として特別天然記念物、[[1967年]]に地域を定めずに種として特別天然記念物、[[1921年]]に[[出水ツル渡来地]]が「鹿児島県のツルおよびその渡来地」として越冬地（本種が飛来することはまれ）が国の特別天然記念物に指定されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;。[[1993年]]に[[絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律|種の保存法]]施行に伴い国内[[希少野生動植物種]]に指定されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;env&amp;quot;&amp;gt;[http://www.env.go.jp/index.html 環境省]&lt;br /&gt;
* [http://www.env.go.jp/nature/yasei/hozonho/list_domestic.pdf 国内希少野生動植物種]&amp;lt;/ref&amp;gt;。北海道での[[1952年|1952]]-[[1953年]]における生息数は33羽&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn2&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;、[[1962年]]における生息数は172羽、[[1988年]]における生息数は424羽&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn6&amp;quot;/&amp;gt;、[[2000年]]における生息数は740羽&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;bio&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
{{絶滅危惧II類|ref=&amp;lt;ref group=&amp;quot;a&amp;quot; name=&amp;quot;bio&amp;quot;/&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 江戸のタンチョウ ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:100 views edo 102.jpg|thumb|220px|[[広重]]は『[[名所江戸百景]]』の中で江戸に飛来していたタンチョウを描いている。葉題「蓑輪金杉三河島」。]]&lt;br /&gt;
{{see also|鶴御成}}&lt;br /&gt;
江戸時代には、江戸近郊の三河島村（現在の[[荒川 (荒川区)|荒川区荒川]]近辺）にタンチョウの飛来地があり、手厚く保護されていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;miyao&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
『東京 昔と今 II』 宮尾しげを、保育社カラーブックス、1963年、69ページ&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
タンチョウは毎年10月から3月にかけて見られたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;miyao&amp;quot;/&amp;gt;。幕府は一帯を[[竹矢来]]で囲み、「鳥見名主」、給餌係、野犬を見張る「犬番」を置いた&amp;lt;ref name=&amp;quot;miyao&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
給餌の際は[[ささら]]を鳴らしてタンチョウを呼んだが、タンチョウが来ないときは荒川の向こうや西新井方面にまで探しに行ったという&amp;lt;ref name=&amp;quot;miyao&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
タンチョウは午後6時頃から朝6時頃まではどこかへ飛び去るので、その間は矢来内に入ることを許された&amp;lt;ref name=&amp;quot;miyao&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
近郷の根岸、金杉あたりではタンチョウを驚かさないように凧揚げも禁止されていたという&amp;lt;ref name=&amp;quot;miyao&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした“鶴御飼附場”では将軍が[[鷹狩]]によって鶴を捕らえる行事も行われた。これについては[[鶴御成]]を参照されたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化の中のタンチョウ ==&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
東アジアにおいては古くから、タンチョウはその清楚な体色と気品のある体つきにより特に神聖視され、瑞鳥とされ&amp;lt;ref name=&amp;quot;edoors&amp;quot;/&amp;gt;、ひいては縁起のよい意匠として、文学や美術のモチーフに多用されてきた&amp;lt;ref name=&amp;quot;edoors&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
[http://forum.edoors.com/showthread.php?t=398749&amp;amp;langid=2 翱翔一萬里，來去幾千年----中華鶴文化解讀] （[http://www.edoors.com/zh-tw/ 世界之門]）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
また、「皇太子の乗る車」を指して「鶴駕（かくが）」と呼ぶ&amp;lt;ref name=&amp;quot;koj&amp;quot;/&amp;gt;ように、高貴の象徴ともされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[道教]]的世界観の中ではとくに[[仙人]]、[[仙道]]と結びつけられ、タンチョウ自体がたいへんな長寿であると考えられた&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[淮南子]]・說林訓に「鶴寿千歲、以極其遊。蜉蝣朝生而暮死、而尽其楽」とある。[http://ctext.org/huainanzi/shuo-lin-xun/zh] （[http://ctext.org/zh 中国哲学書電子化計画]）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;ほか、[[福禄寿|寿星老人]]が仙鶴に乗って飛来するとか&amp;lt;ref name=&amp;quot;okan&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
岡登貞治 『文様の事典』 東京堂出版、1989年。203ページ&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[霊王 (周)|周の霊王]]の太子晋が仙人となって白鶴に乗って去った&amp;lt;ref name=&amp;quot;koj&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
『広辞苑 第5版』 岩波書店。「かくが」&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;といった説話が伝えられている。&lt;br /&gt;
[[舞楽]]の曲に『崑崙八仙』（ころばせ）と呼ばれるものがあり、[[奈良国立博物館]]には同名の舞楽面が伝わっているが、この舞は崑崙山に住む八人の仙人“崑崙八仙”（こんろんはっせん）が鶴の姿になって舞い踊る様を表すという&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
[http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=211216 舞楽面　崑崙八仙] （[http://bunka.nii.ac.jp 文化遺産オンライン]）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、古来の日本で「花」といえば[[ウメ|梅]]を指したのと同じように、伝統的には、中国や日本で単に「鶴」と言えばタンチョウを指しているのが通常である&amp;lt;ref name=&amp;quot;edoors&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『広辞苑 第5版』 岩波書店。「つる］&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
また古くは鶴を指して「たづ」とも呼んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{quotation|難波潟　潮満ちくらし　雨衣　たみのの島に　たづ鳴き渡る　（詠み人知らず、[[古今和歌集]] ⑰雑上 #913）}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
8世紀の皇族・[[長屋王]]の邸宅跡地からはタンチョウらしき鶴の描かれた土器が出土しており、これが現在知られている中で最古のタンチョウを描いた文物である&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
1989年2月 読売新聞「長屋王邸跡から『ツルの舞う』土器片出土　正倉院宝物のツルの絵同様最古」&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。平安時代から室町時代にかけては鏡の装飾に鶴文（つるもん）が多く使われた&amp;lt;ref name=&amp;quot;okan&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鶴ほど広範囲にさまざまな意匠に用いられているモチーフは他に例がなく&amp;lt;ref name=&amp;quot;okan&amp;quot;/&amp;gt;、鎌倉時代の[[太刀]]や[[笈]]（おい）、[[紀貫之]]の用いた和歌料紙、[[厳島神社]]の蒔絵小唐櫃、[[日光東照宮]]陽明門の丸柱、[[仁阿弥]]の陶器、海の長者の[[万祝|大漁祝い着]]、沖縄の[[紅型]]染め、[[久留米絣|久留米の絵絣]]、[[修学院離宮]]の茶室に見られる羽子板形の七宝引手、[[光琳]]の群鶴文蒔絵硯箱、江戸の釜師・[[名越善正]]の鋳た鶴に亀甲菊文蓋の茶釜など、その実例を挙げるにおよんでは枚挙にいとまがないという&amp;lt;ref name=&amp;quot;okan&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[室町時代]]に入る前後から[[宋 (王朝)|宋]]・[[元 (王朝)|元]]時代の中国から[[花鳥画]]の習俗が日本へ入ってくると、優美な姿のタンチョウは好んで描かれるモチーフのひとつとなり、[[伊藤若冲]]のような画風の異なるものも含め、多くの画家によって現在まで多数の作品が描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通俗的には、「亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん」と能曲『[[鶴亀]]』や[[地唄]]にも謡われるように、鶴と亀はいずれも長寿のシンボルとされ、往々にしてセットで描かれてきたほか、また花鳥画以来の伝統として[[松竹梅]]などとあわせて描かれることも多い。[[花札]]の役札「松に鶴」などもこうした流れのものであるということができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[アイヌ語]]では「サロルンカムイ」と呼ばれ&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;、これは「[[ヨシ|葦]]原にいる神」を意味する&amp;lt;ref group=&amp;quot;*&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{lang|ain|sarorunkamuy}} &amp;amp;lt; {{lang|ain|sar-or-un-kamuy}} 「葦原-のところ-にいる-神」。{{lang|ain|sar}} は「葦原」、{{lang|ain|kamuy}} は「神」の意。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[アイヌ]]民族の間にはタンチョウの舞をモチーフにした舞踊なども伝えられている&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
[http://www.museum-obihiro.jp/shizen/yatyou1.html タンチョウ] （[http://www.museum-obihiro.jp/ 帯広百年記念館 アイヌ民族文化情報センター「リウカ」]）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年の文化上の事例としては、[[1964年]]（昭和39年）、北海道の道鳥に指定されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;fn3&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
[http://www.jspb.org/mametisiki/kentori.html 都道府県の鳥について] （[http://www.jspb.org/ 公益財団法人日本鳥類保護連盟]）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;ほか、[[1984年]]（昭和59年）に発行された[[千円紙幣]]は裏面にタンチョウの意匠を用いている。&lt;br /&gt;
[[日本航空]]のシンボルマークはいわゆる「[[日本航空の歴史#「鶴丸」|鶴丸]]」だが、これはタンチョウのイメージに乗せて用いられている&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
[http://www.jal.co.jp/domtour/tsurumaru/ 新・鶴丸ロゴ機お披露目フライト 北海道・たんちょう釧路空港へ空散歩] （[http://www.jal.co.jp 日本航空]）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。&amp;lt;!--なお日本航空はこれとは別にかつて運航していた[[MD-11]]において&amp;quot;J Bird&amp;quot;と称して日本の絶滅危惧種とされている野鳥の名前を1機ごとにつけていたが、最後まで運航された3号機JA8582が「タンチョウ」と名づけられていた。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery widths=&amp;quot;140&amp;quot; heights=&amp;quot;140&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
ファイル:Cranes Watanabe Shuseki Hanging scroll color on silk.jpg|[[渡辺秀石]]『双鶴図』（17世紀）。中国風の、いわゆる[[花鳥画]]の作風。 &lt;br /&gt;
ファイル:Yūhi A pair of Cranes.jpg|[[熊代熊斐]]『双鶴図』（18世紀）。&lt;br /&gt;
File:Ōtomo Gekko A Pair of Cranes.jpg|[[大友月湖]]『双鶴図』（18世紀）。&lt;br /&gt;
File:Jakuchu - Cranes (1) - Google Art Project.jpg|[[伊藤若冲]]『双鶴図』（18世紀、右隻）。若冲はタンチョウをモチーフに多数描いているが、この絵では創意により嘴に歯を描き加えている。&lt;br /&gt;
File:Brooklyn Museum - Crane with Setting Sun - Totoya Hokkei.jpg|[[北斎]]の門人・[[魚屋北渓]]による木版画、初日に鶴図。&lt;br /&gt;
File:Brooklyn Museum - Cranes and Pines - Yokoyama Kazan.jpg|[[横山華山]]『松鶴図』、19世紀。&lt;br /&gt;
File:Japanese - Three Cranes Flying in a Misty Landscape - Walters 3573.jpg|[[狩野養信]]筆（19世紀）。モチーフとしては非常によく描かれた定番的なものである。&lt;br /&gt;
File:Sano Naoyoshi - Tsuba with a Crane in Flight - Walters 51308.jpg|江戸末期の[[鍔]]。なお、[[:File:Sano Naoyoshi - Tsuba with a Crane in Flight - Walters 51308 - Back.jpg|裏面]]にはタンチョウの脚部が大きく描かれている。&lt;br /&gt;
File:Ikkei - Inro with Cranes Soaring by Mount Fuji, and Netsuke of a Turtle - Walters 67388.jpg|富士に鶴をあしらった[[印籠]]と、亀にかたどった[[根付]]。19世紀。&lt;br /&gt;
File:Akatsuka Jitoku - Box for Documents and Papers (ryoshi bako) with Cranes in Flight - Walters 67121 - Top.jpg|[[赤塚自得]]による[[蒔絵]]の料紙箱。明治時代。&lt;br /&gt;
File:Curtain of &amp;quot;A cloud and the crane which fly&amp;quot;,Miroku-cho,Sakura-city,Japan.jpg|明治初期に制作された山車の四方幕。千葉県[[佐倉市]]。&lt;br /&gt;
ファイル:Long stick of red and white candy sold at children&#039;s festivals,chitose-ame,katori-city,japan.JPG|[[千歳飴]]の袋。吉祥をあらわす伝統的なデザインで、鶴亀、[[松竹梅]]、[[高砂 (能)#背景と大衆化したモチーフ|高砂の尉（じょう）・姥（うば）]]が総登場している。鶴は[[様式]]化して、いわゆる「舞鶴」の姿勢をとっている。&lt;br /&gt;
ファイル:Ume-zuru inverted.png|様式化を前提として生まれた派生デザインで、[[家紋]]のひとつ「梅鶴」。類例として、[[:ファイル:Kiku_Tsuru_inverted.png|菊鶴]]、[[:ファイル:Omodaka Zuru inverted.png|沢瀉鶴]]、[[:ファイル:Ichō-zuru inverted.jpg|銀杏鶴]]、稲鶴、柏鶴などの紋もあった。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国 ===&lt;br /&gt;
中国で最も初期の鶴を象った文物といえば[[春秋戦国時代]]の青銅器「{{仮リンク|蓮鶴方壺|zh|莲鹤方壶}}」がよく知られているが、さらに古い[[殷|殷商]]時代にも墳墓から鶴を象った彫刻が出土しているという&amp;lt;ref&amp;gt;中国語版より。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[道教]]では、前述のとおり、タンチョウは仙人の象徴、不老長寿の象徴とされ珍重された&amp;lt;ref name=&amp;quot;edoors&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
いっぽう俗信としては、タンチョウの頭頂部からは猛毒の物質が採れるとされ、「鶴頂紅」「丹毒」などと呼ばれることがあった&amp;lt;ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
[http://news.xinhuanet.com/st/2005-12/14/content_3919384_1.htm 斷腸草、鶴頂紅……解讀中國古代九大毒藥] （[http://www.xinhuanet.com/ 新華網]） / 実際にはこれらの名で扱われていた物質は“紅信石”（[[三酸化二ヒ素]]を主体とする鉱石）であったという。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年に中華人民共和国&amp;lt;!--Wikipedia:記事どうしをつなぐ#連続した単語へのリンクは避ける を参照--&amp;gt;[[国家林業局]]が、同国の[[国鳥]]にタンチョウの選定を提案し、[[中華人民共和国国務院|国務院]]も受け入れたが、タンチョウの学名、英名ともに「日本の鶴」を意味することから、後に議論を呼ぶこととなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;080904serchina&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
2008年9月4日 サーチナ「[[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&amp;amp;d=0904&amp;amp;f=national_0904_007.shtml タンチョウの中国国鳥化に異議、「学名が“日本鶴”！」]]」&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
中国では先述のとおり、古くからタンチョウが親しまれ愛されてきた経緯がある。選定の際にはインターネットでのアンケートを参考にしており、全510万票のうち65%を獲得するという圧倒的な得票率であったという&amp;lt;ref name=&amp;quot;080904serchina&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery widths=&amp;quot;140&amp;quot; heights=&amp;quot;140&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
File:河南博物院藏莲鹤方壶.jpg|鶴と蓮をモチーフに象った“蓮鶴方壺”（春秋戦国時代）。{{仮リンク|河南博物院|zh|河南博物院}}蔵。[[故宮博物院]]にも同様のものがある。&lt;br /&gt;
File:Songhuizong5.jpg|1112（政和2）年のある日、皇宮の上に忽然と祥雲生じ、群鶴が舞い、衆人みなこれを目撃したという。この作品は、文人として知られる皇帝・[[徽宗]]が、これを記念して描き、詩を添えたもの。&lt;br /&gt;
ファイル:Bian Jingzhao-Bamboo and Cranes.jpg|{{仮リンク|辺景昭|en|Bian Jingzhao}}『竹鶴図』、15世紀。&lt;br /&gt;
File:Pine, Plum and Cranes.jpg|[[沈南蘋|沈銓]]『松梅双鶴図』、18世紀。&lt;br /&gt;
File:Pine Tree and Crane by Xu Gu.jpg|{{仮リンク|虚谷|zh|虚谷}}『松鶴延年図』、19世紀。頸の折り曲がり具合などやや実際と異なるようにも見える。&lt;br /&gt;
ファイル:SummerPalace2.jpg|[[頤和園]]・楽寿堂の鶴像&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=&amp;quot;*&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献・資料 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Commons|Grus_japonensis}}&lt;br /&gt;
{{Wikispecies|Grus_japonensis}}&lt;br /&gt;
* [[ツル科]]&lt;br /&gt;
** [[ツル属]]&lt;br /&gt;
* [[鳥類レッドリスト (環境省)]]&lt;br /&gt;
* [[山崎定次郎]] - タンチョウの保護に努めた人物&lt;br /&gt;
* [[井口萬喜男]] - タンチョウの放鳥研究をした人物&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=&amp;quot;a&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:たんちよう}}&lt;br /&gt;
[[Category:ツル科]]&lt;br /&gt;
[[Category:ワシントン条約附属書I]]&lt;br /&gt;
[[Category:特別天然記念物]]&lt;br /&gt;
[[Category:鳥類天然記念物]]&lt;br /&gt;
[[Category:国内希少野生動植物種]]&lt;br /&gt;
[[Category:中国国家一級重点保護野生動物]]&lt;/div&gt;</summary>
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