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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-10-28T20:01:13Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>安倍氏 (奥州)</title>
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		<updated>2014-06-08T14:07:27Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;59.139.51.12: /* 前九年の役と安倍氏の滅亡 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&#039;&#039;&#039;安倍氏&#039;&#039;&#039;（あべ し）は[[平安時代]]の[[陸奥国]]（後の[[陸中国]]）の[[豪族]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出自 ==&lt;br /&gt;
そのルーツは明らかでない。&lt;br /&gt;
#[[神武天皇]]に殺された畿内の王[[長脛彦]]の兄[[安日彦]]をその始祖とする説。『平泉雑記』が伝える安倍氏自身の家伝によれば、安日彦の[[津軽]]亡命をもって安倍氏の発祥としている。「藤崎系図」にも同様の記述が見られ&amp;lt;ref&amp;gt;「藤崎系図」（『[[続群書類従]]』巻第170所収）&amp;lt;/ref&amp;gt;、真偽は別にして安倍氏の後裔はそのような自己意識を持っていたことは確かである。ただし、長脛彦を出自に関連づけているのは、[[平将門]]・[[藤原純友]]の後裔と称した[[武家]]が多数発生したのと同様に、武勇を尊んでの仮冒の結果とも考えられる&amp;lt;ref name=&amp;quot;a&amp;quot;&amp;gt;太田亮『姓氏家系大辞典』[[角川書店]]、1963年&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
#奥州に下った中央豪族である[[安倍氏]]のいずれかが任地で子孫を残したとの説。[[秋田県|秋田]]の[[蝦夷]]の帰順を得た[[阿倍比羅夫]]につながる系図もある&amp;lt;ref&amp;gt;「安藤系図」（『続群書類従』巻第170所収）&amp;lt;/ref&amp;gt;。これを受けて、明治期に編纂された[[華族類別録]]で安倍氏の子孫は、[[土御門家]]等阿倍氏と同じ[[孝元天皇]]の皇子[[大彦命]]の後裔であると位置づけられている。また、[[鎮守府将軍]][[安倍比高]]の後裔とする説がある&amp;lt;ref name=higuchi&amp;gt;[[樋口知志]]『前九年・後三年合戦と奥州藤原氏』高志書院 2011年 ISBN 4862150888&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
#[[奈良時代]]に[[陸奥国]]に勢力を広げた阿倍氏から、陸奥南部の諸豪族が阿倍を冠した複姓（阿倍陸奥臣・阿倍安積臣、ほか）を賜与され支配関係を築かれたが、その子孫との説。ただし復姓下賜が奥州南部にとどまり奥六郡のような北部に及んだ例がないこと、奥州の安倍氏にはこのような復姓を称した伝承が全く伝わっていないことをもって否定する見解もある&amp;lt;ref name=&amp;quot;a&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
#朝廷に従った蝦夷（[[俘囚]]）とする説。後世の研究では、蝦夷を[[アイヌ]]の祖先と同一視する立場からabeをapeと読み替えて完全な土着の[[先住民]]とみる説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「俘囚長」を巡る議論 ===&lt;br /&gt;
安倍氏は俘囚長（俘囚の中から大和朝廷の権力によって選出された有力者）であったとの説が広く流布しているが、文献上では安倍氏を俘囚長とする記述は存在しておらず、康平7年の太政官符に「故俘囚首[[安倍頼時]]」との記載があるのみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 軍事貴族としての安倍氏 ===&lt;br /&gt;
従来、安倍氏を東北地方の在地の[[土豪]]と捉え、[[前九年の役]]を中央による辺境支配への反乱と見る解釈が主流であった。しかし近年の[[軍事貴族]]研究の進展とともに、安倍氏を[[王朝国家]]特有の「兵(つわもの)」&amp;lt;ref&amp;gt;律令制には規定されていない軍事力で、地方で頻発する騒擾事件の鎮圧の為に用いられた一種の傭兵団。中世の武士とは異なり、土地の所有と支配にはさほどこだわらない集団であったとされる。&amp;lt;/ref&amp;gt;と見る考え方が登場している。関幸彦は、平氏や源氏、[[藤原秀郷|秀郷流藤原氏]]のような中央の貴族の末流の軍事貴族とは別にして、在地の土豪が中央の権力に従って軍事貴族したものも存在したであろうと指摘し、安倍氏もこの中に含まれるのではないかと論じている。その傍証として関は、『[[陸奥話記]]』において安倍頼時が「大夫（五位の官位を持つ者の通称）」と呼ばれていることを指摘している。一方で、[[安倍忠良]]が陸奥権守に任命された記録を理由に、中央官人末流とする説もある&amp;lt;ref name=higuchi /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[[川尻秋生]]『揺れ動く貴族社会（全集日本の歴史4）』小学館2008年 ISBN 409622104X&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、元々は京都から下向した官人出身である安倍氏の祖先が現地の有力者（俘囚の末裔）の婿となってその勢力を引き継いだのが奥州の安倍氏の始まりで、在庁官人であった[[平永衡]]・[[藤原経清]]が安倍氏の婿となってその勢力基盤を築いたのもそれと同じ構図であるとする説もある&amp;lt;ref&amp;gt;入間田宣夫「系図の裏面にさぐる中世武士団の成立過程」峰岸純夫 他編『中世武家系図の史料論』上巻 高志書院、2007年 ISBN 978-4-86215-029-5&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 前九年の役と安倍氏の滅亡 ==&lt;br /&gt;
安倍氏は婚姻などによって勢力を拡大し、忠良の子、安倍頼時の代に最も勢力を広げた。安倍氏は北上川流域の[[奥六郡]]（現在の[[岩手県]]内陸部）を拠点として糠部（現在の[[青森県]]東部）から亘理・伊具（現在の[[宮城県]]南部）にいたる広大な地域に影響力を発揮していた。しかし後に頼時が朝廷と対立し、[[源頼義]]率いる討伐軍との間で[[前九年の役]]と呼ばれる戦いを繰り広げる。頼時は途中で戦死したものの、その後を継いだ子の[[安倍貞任]]は頼義に対し終始優勢のうちに戦いを続けた。だが秋田仙北の俘囚主[[出羽清原氏|清原氏]]が度重なる頼義の要請に応えて参戦すると、これを支えきれず貞任は敗北。安倍氏の勢力は失われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
頼時の三男・[[安倍宗任]]、五男・[[安倍正任]]はそれぞれ、[[伊予国|伊予]]（のちに[[筑前国|筑前]]の[[宗像]]）、[[肥後国|肥後]]に配流された。また、亘理（[[宮城県]][[亘理町]]）の豪族[[藤原経清]]の妻となっていた頼時の娘は[[清原武貞]]の妻となり、息子（後の[[藤原清衡]]）も武貞に引き取られ、養子となった。清原氏は安倍氏の地位を受け継いだが、[[後三年の役]]で滅亡し、藤原清衡がその地位を継承して[[奥州藤原氏]]による黄金時代を築き上げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 末裔 ==&lt;br /&gt;
前九年の役で一旦滅亡したが、その子孫を称する人々が現れ繁栄して現在に至っている。安倍貞任の子孫を名乗る津軽[[安東氏]]・[[安藤氏]]、その後裔で戦国大名として活躍した[[秋田氏]]、安倍宗任の子孫を名乗る九州[[松浦党]]とその後裔である平成時代の総理大臣[[安倍晋三]]が特に有名である。また昭和初期に総理大臣・海軍大臣として活躍した[[米内光政]]も安倍貞任の末裔であると自負していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系譜 ==&lt;br /&gt;
 &#039;&#039;&#039;凡例&#039;&#039;&#039;　太線は実子。横二重線は婚姻関係。なお、兄弟の順番などについては異説あり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　[[安倍忠良|忠良]]&lt;br /&gt;
 　　 ┣━━┓&lt;br /&gt;
 　　[[安倍頼時|頼時]]　[[安倍良照|良照]]&lt;br /&gt;
 　　 ┣━━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━┳━━━━━━━━━━┓&lt;br /&gt;
 　　[[安倍貞任|貞任]]　　[[安倍宗任|宗任]]　[[安倍則任|則任]]　[[安倍正任|正任]]　[[安倍重任|重任]]　[[安倍家任|家任]]　[[安倍行任|行任]] 娘＝[[平永衡]]　[[藤原経清]]＝娘＝[[清原武貞]]&lt;br /&gt;
 　　 ┃　　　┣━━┳━━┳━━┓　　┃　　　　　　　　　　　 ┃　　　　　　┃&lt;br /&gt;
 　　[[安倍高星|高星]]　　[[安倍宗良|宗良]]　[[安倍仲任|仲任]]　[[松浦実任|実任]]　 ┃　 [[安倍秀任|秀任]]　　　　　　　　　 [[藤原清衡]]　　　[[清原家衡]]&lt;br /&gt;
 （[[安東氏]]へ）　　　　　　　　　 ┃　　 ┏━━━━━━━━━━━┛&lt;br /&gt;
 　　　　　　　　　　　　　　　 娘＝[[藤原基衡]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*高橋崇『蝦夷の末裔：前九年・後三年の役の実像』中公新書、1991年&lt;br /&gt;
*[[関幸彦]]『東北の争乱と奥州合戦』吉川弘文館、2006年&lt;br /&gt;
*樋口知志『前九年・後三年合戦と奥州藤原氏』高志書院 2011年 ISBN 4862150888&lt;br /&gt;
*川尻秋生『揺れ動く貴族社会（全集日本の歴史4）』小学館2008年 ISBN 409622104X&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01208a.htm 日本の苗字7000傑 姓氏類別大観　安倍氏／那須国造／膳氏【２】]&lt;br /&gt;
*[http://bonfa.hp.infoseek.co.jp/literature/yoshi_hi1.htm 司馬遼太郎を歩く・取材レポート・義経(奥州歴史編・上)]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あへし}}&lt;br /&gt;
[[Category:奥州安倍氏|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の氏族]]&lt;br /&gt;
[[Category:氏]]&lt;br /&gt;
[[Category:武士]]&lt;br /&gt;
[[Category:東北地方の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:平安時代]]&lt;br /&gt;
[[Category:陸奥国]]&lt;br /&gt;
[[Category:奥六郡]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>59.139.51.12</name></author>
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