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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-09-02T05:36:26Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>江戸川乱歩</title>
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		<updated>2014-08-24T00:05:07Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;58.98.209.103: /* 乱歩が登場するフィクション */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{出典の明記|date=2013年3月|ソートキー=人1965年没}}&lt;br /&gt;
{{Redirectlist|乱歩|不規則に決定される連続運動|ランダムウォーク|小惑星帯に位置する小惑星|乱歩 (小惑星)}}&lt;br /&gt;
{{Infobox 作家&lt;br /&gt;
| name          = 江戸川 乱歩&amp;lt;br/&amp;gt;（えどがわ らんぽ）&lt;br /&gt;
| image         = Ranpo Edogawa cropped.jpg&lt;br /&gt;
| imagesize     = &lt;br /&gt;
| caption       = 江戸川乱歩&lt;br /&gt;
| pseudonym     = &lt;br /&gt;
| birth_name    = 平井 太郎（ひらい たろう）&lt;br /&gt;
| birth_date    = [[1894年]][[10月21日]]&lt;br /&gt;
| birth_place   = {{JPN}}[[三重県]][[名賀郡]][[名張町]]（現・[[名張市]]）&lt;br /&gt;
| death_date    = {{死亡年月日と没年齢|1894|10|21|1965|7|28}}&lt;br /&gt;
| death_place   = &lt;br /&gt;
| occupation    = [[小説家]]&lt;br /&gt;
| language      = [[日本語]]&lt;br /&gt;
| nationality   = {{JPN}}&lt;br /&gt;
| education     = &amp;lt;!--受けた教育、習得した博士号など--&amp;gt;&lt;br /&gt;
| alma_mater    = [[早稲田大学]][[政治経済学部]]卒業&lt;br /&gt;
| period        = [[1923年]] - [[1965年]]&lt;br /&gt;
| subject       = [[推理小説]]&lt;br /&gt;
| movement      = &lt;br /&gt;
| notable_works = 『[[D坂の殺人事件]]』（1925年）&amp;lt;br /&amp;gt;『[[陰獣]]』（1928年）&amp;lt;br /&amp;gt;『[[孤島の鬼]]』（1930年）&amp;lt;br /&amp;gt;『[[怪人二十面相]]』（1936年 - 1962年）&amp;lt;br /&amp;gt;『[[幻影城 (評論集) |幻影城]]』（1951年、評論）&amp;lt;br /&amp;gt;『[[探偵小説四十年]]』(1961年、自伝)&lt;br /&gt;
| awards        = &lt;br /&gt;
| debut_works   = 『[[二銭銅貨]]』（1923年）&lt;br /&gt;
| spouse        = &lt;br /&gt;
| partner       = &lt;br /&gt;
| children      = [[平井隆太郎]]&lt;br /&gt;
| relations     = [[平井蒼太]] （次弟）、[[松村喜雄]]（従妹の息子）&lt;br /&gt;
| influences    = &lt;br /&gt;
| influenced    = &lt;br /&gt;
| signature     = &lt;br /&gt;
| website       = &lt;br /&gt;
&amp;lt;!--| footnotes     = --&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;江戸川 乱歩&#039;&#039;&#039;（えどがわ らんぽ、旧字体：江戶川 亂步、[[男性]]、[[1894年]]（[[明治]]27年）[[10月21日]] - [[1965年]]（[[昭和]]40年）[[7月28日]]）は、[[大正]]から[[昭和]]期にかけて主に[[推理小説]]を得意とした[[小説家]]・[[推理作家]]である。また、戦後は推理小説専門の[[評論家]]としても健筆を揮った。実際に探偵として、[[岩井三郎]]探偵事務所（ミリオン資料サービス）に勤務していた経歴を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本名は&#039;&#039;&#039;平井 太郎&#039;&#039;&#039;（ひらい たろう）。筆名は敬愛する[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の文豪[[エドガー・アラン・ポー]]をもじったものである&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110723/20110723027.html|title=江戸川乱歩　（上）&amp;lt;nowiki&amp;gt; [なにわ人物伝　－光彩を放つ－]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;|publisher=[[大阪日日新聞]]|accessdate=2011-12-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;{{refnest|group=※|2001年に発見された「二銭銅貨」の草稿には、「江戸川藍峯」(えどがわ らんぽう)と署名されていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://www.yomiuri.co.jp/04/20011121ic16.htm|title=Yomiuri On-Line/社会 - 乱歩の名作「二銭銅貨」、最初期の草稿見つかる|publisher=[[読売新聞社]]|archiveurl=http://web.archive.org/web/20011202030741/http://www.yomiuri.co.jp/04/20011121ic16.htm|archivedate=2001-12-02|accessdate=2011-07-10}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。}}。[[日本推理作家協会]]初代[[理事長]]。[[位階]]は[[正五位]]。[[勲等]]は[[勲三等]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
[[1894年]]（明治27年）[[三重県]][[名賀郡]][[名張町]]（現・[[名張市]]）に名賀郡役所書記の平井繁男・きくの[[長男]]として生まれる（[[本籍地]]は[[津市]]）。平井家は[[武士]]の[[家柄]]で、祖先は伊豆伊東（[[静岡県]]）の[[郷士]]だった。のちに[[津藩]]（三重県）の藤堂家に仕え、乱歩の[[祖父]]の代まで藤堂家の[[藩士]]として勤めつづけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2歳の頃父の転勤に伴い[[鈴鹿郡]][[亀山町]]（現・[[亀山市]]）、翌年[[名古屋市]]に移る。（以降、大人になっても点々と引越しを繰り返し、生涯引っ越した数は46件にも及ぶ）小学生のころに母に読みきかされた[[菊池幽芳]]訳『秘中の秘』が、[[推理小説|探偵小説]]に接した最初であった。中学では、[[押川春浪]]や[[黒岩涙香]]の[[小説]]を耽読した。旧制愛知県立第五中学校（現・[[愛知県立瑞陵高等学校]]）卒業後[[早稲田大学]][[政治経済学部]]に入学した。卒業後、貿易会社社員や[[古書店|古本屋]]、シナ蕎麦屋など多くの仕事を経る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1923年]]（[[大正]]12年）、[[森下雨村]]、[[小酒井不木]]に激賞され、『[[新青年 (日本)|新青年]]』に掲載された「[[二銭銅貨]]」でデビュー。初期は欧米の[[推理小説|探偵小説]]に強い影響を受けた本格探偵小説を送り出し、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残した。特筆すべきことに、[[衆道]]の[[少年愛]]・[[少女愛]]、男装・女装、人形愛、[[草双紙]]、[[サディズム]]やグロテスク、残虐趣味などの嗜好の強さがある。これらは[[岩田準一]]とともに研究していたという。これらを活かした通俗探偵小説は昭和初期から一般大衆に歓迎された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
乱歩は海外作品に通じ、翻案性の高い作品として『緑衣の鬼』、『三角館の恐怖』、『幽鬼の塔』などを残している。また、少年向けとして、[[明智小五郎]]と小林少年や[[少年探偵団]]が活躍する『[[怪人二十面相]]』などがある。このほか、探偵小説に関する評論（『[[幻影城 (評論集)|幻影城]]』など）を残している。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
戦後は主に評論家、プロデューサーとして活動するかたわら、探偵小説誌『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』の編集・経営に携わる。また、[[日本探偵作家クラブ]]の創立と財団法人化に尽力した。同クラブに寄付した私財100万円の使途として[[江戸川乱歩賞]]が制定され、同賞は第3回より長編推理小説の公募賞となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
晩年は[[高血圧]]、[[動脈硬化]]、[[副鼻腔炎]](蓄膿症)を患い、さらに[[パーキンソン病]]を患ったが&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110730/20110730032.html|title=江戸川乱歩　（下）&amp;lt;nowiki&amp;gt; [なにわ人物伝　－光彩を放つ－]&amp;lt;/nowiki&amp;gt;|publisher=[[大阪日日新聞]]|accessdate=2011-12-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、それでも家族に口述筆記させて評論・著作を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1965年（昭和40年）7月28日、[[くも膜下出血]]のため死去。享年70。戒名・智勝院幻城乱歩居士。31日、正五位勲三等瑞宝章を追贈さる。8月1日、推理作家協会葬。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作家歴及び業績 ==&lt;br /&gt;
===  作家として === &lt;br /&gt;
創作活動初期は、「[[D坂の殺人事件]]」、「[[心理試験]]」など、いわゆる本格派と呼称される短編を執筆し、日本人の創作による探偵小説（推理小説の意。1955年（昭和30年）頃まではこの呼称が一般的であった）の基礎を築いた。トリックや題材に欧米の諸作からの影響を感じさせるが、単なる模倣でなく乱歩の独創性が活かされている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
乱歩は探偵小説の本道というべき本格派を志向していたが、それらの作品は大衆からあまり評価されなかった。大衆は幻想・怪奇小説、犯罪小説に分類できる変格ものと称される作品が好んだ。「赤い部屋」「[[人間椅子 (江戸川乱歩)|人間椅子]]」「[[鏡地獄]]」などが代表的な変格ものといえる。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
1926年（大正15年）12月より1927年（昭和2年）2月までの約3ヶ月間、朝日新聞に『[[一寸法師  (江戸川乱歩)|一寸法師]]』を連載する。病欠の[[山本有三]]の代役だった。作品は評判がよく、映画化された。しかし乱歩は小説の出来に満足できず休筆宣言をし、各地を放浪したという（以後、戦前の乱歩は「休筆中に放浪」というパターンが多くなる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1928年（昭和3年）8月、14ヶ月の休筆のあと、乱歩は自己の総決算的中篇「[[陰獣]]」を発表する。これは変態性欲を題材にした作品で、不健康とみなされた一方、[[横溝正史]]（当時の探偵小説の雑誌「[[新青年 (日本)|新青年]]」の編集者）により「前代未聞のトリックを用いた探偵小説」と絶賛された。戦前の本格探偵小説の新時代を築いたといえる。「新青年」は「陰獣」を前後2回に渡り掲載したが、雑誌は増刷するほどで、当時の世評の高さがうかがえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通俗長編「[[蜘蛛男]]」を、かねてより執筆依頼のあった「[[講談倶楽部]]」に連載する。この作品は自身の趣向であった「エロ・グロ・猟奇・残虐趣味」を前面に押し出したものだった。作品は大好評で、これを契機として乱歩は続けざまにヒット作を連発させる。単行本は数十版を重ねた。これは探偵小説をポピュラーな地位に押し上げたといえる（通俗長編について乱歩は、[[黒岩涙香]]や[[モーリス・ルブラン]]、[[エドガー・アラン・ポー|ポー]]などから着想をえたと言っており、事実、そのような作品が多い）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
乱歩の通俗長編が大衆に歓迎された理由は、作品自体の面白さ以外に、時代的背景が影響していたといえる。[[金融恐慌]]の影響で、世間にはいわゆる「エロ・グロ・ナンセンス」といわれる退廃的気風が満ちていたのだ。&lt;br /&gt;
これらの通俗長編は、初期作品に比べると破綻があり（乱歩自身認めている）、これがミステリの低俗化を招いたとする批判がある。評論家の[[権田萬治]]は、著書「日本探偵作家論」において、乱歩の長編は翻案など一部を除きほとんどがプロットに破綻をきたしていると述べ、作品としての完成度を批判している。一方、乱歩と長年親交のあった評論家[[中島河太郎]]は、1974年刊の小学館万有百科事典（ジャンルジャポニカ）において、低俗性を認める一方で、市場拡大の貢献を言及している。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
1931年（昭和6年）5月、乱歩初の「江戸川乱歩全集」全13巻が平凡社より刊行開始された。総計約24万部の売り上げを記録し、経営の行き詰まっていた平凡社を建て直すきっかけになったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
乱歩は執筆に関して、長編小説のプロットをまとめることが苦手だったという。多くの長編連載を場当たりで執筆し、筋の展開に行き詰まってしまうことがあった。ストーリー展開の行き詰まりから休筆を繰り返すこととなった。また、長編を作り上げるにあたり、程度の低いものを書いているという意識に苛まれていた。これも休筆の要因といえる。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
とりわけ、探偵小説の本舞台である「新青年」に本格ものを書こうとして行き詰まった経緯がある。「[[悪霊 (江戸川乱歩)|悪霊]]」は1934年（昭和9年）1月号までに3回中断し、探偵文壇の不評をこうむった。これ以外に、[[木々高太郎]]、[[小栗虫太郎]]らの台頭により、乱歩は自分の時代が過ぎ去ったと感じ始める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1935年（昭和10年）頃より、乱歩は評論家として広く活躍し始める。評論集「鬼の言葉」は、その最初の成果である。その一方で、1936年（昭和11年）初めての少年ものを執筆する。のちにシリーズ化される「[[怪人二十面相 (小説)|怪人二十面相]]」を雑誌[[少年倶楽部]]に連載したのだ。この作品は少年読者の圧倒的支持を受け、乱歩のもとに多数のファンレターが来たという。以後、乱歩は創作レパートリーに少年ものを定期的に加わえるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本が戦争体制を強化していくにしたがい芸術への検閲が強まっていったが、1937年（昭和12年）頃より、その度合いは強くなった。探偵小説は[[内務省 (日本)|内務省]]図書検閲室によって検閲され、表現の自由を制限された。一説では、内務省のブラックリストに乱歩の名が載っていたという。1939年（昭和14年）以降は検閲が激化し、無茶な削除訂正が頻発し、「[[芋虫 (小説)|芋虫]]」が[[発禁]]になっている。1941年（昭和16年）に入ってからは原稿依頼が途絶え、旧著がほぼ絶版になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[太平洋戦争]]に突入すると、探偵小説は少年ものですら執筆不可能となり、乱歩は小松竜之介の名で子供向きの作品（科学読み物「知恵の一太郎」など）を書くようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
太平洋戦争中、抹殺されていた探偵文壇は、戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の占領政策のもと急速に復興し始める。乱歩は1949年（昭和24年）1月号より「[[青銅の魔人]]」（雑誌「少年」に連載）で少年ものを再開する。また、創作以外に活動の幅を広げ、評論や講演、探偵作家クラブ（後の[[日本推理作家協会]]）の結成を行う。特に評論の分野では、1947年（昭和22年）「随筆探偵小説」が上梓された。このほか1951年（昭和26年）に「[[幻影城 (評論集)|幻影城]]」、1954年（昭和29年）に「続・幻影城」、1958年（昭和33年）に「海外探偵小説作家と作品」が上梓される。これらの評論集は、乱歩の優れた批評眼と洞察力がうかがえる探偵小説論・探偵作家論といえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、乱歩の旧著に関して、大衆は「本格もの」の探偵小説よりも「変格もの」の通俗スリラーを支持した。乱歩の本意である本格ものはあまり反響がなかった。同時期に多数発表された長編探偵小説の中で、戦後継続して再刊されたのは乱歩の作品だけである（空前のリバイバルとなった横溝正史ですら、戦前長編は1,2作を除けば一時的に再刊されただけ）。また、ミステリの枠に留まらず、怪奇・幻想文学において存在意義がある。猟奇・異常性愛を描いた作品は後年の官能小説に多大な影響を残した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、戦後に再開した[[少年探偵団]]シリーズは子どもたちから絶大な支持を受け、昭和30年代ごろから映像化された。{{要出典範囲|この少年探偵団シリーズは、現在までの累計部数が1,500万部を超えている|date=2012年1月}}。戦後は雑誌「少年」の発行元だった光文社から「少年探偵江戸川乱歩全集」として全２３巻が刊行された。乱歩最晩年の昭和３９年頃から光文社は絶版となり、版権はポプラ社へ移動する。ポプラ社では、「少年探偵江戸川乱歩全集」として乱歩が児童向けとして書いた作品を全２６巻で刊行し、更に乱歩の大人向けの作品を代作者が児童向けに書き直したものを続けて２０巻刊行し合計全４６巻の大全集となった。シリーズのほとんどで敵役となっている[[怪人二十面相]]は、推理小説に登場する架空キャラクターとしては、[[シャーロック・ホームズ]]、[[アルセーヌ・ルパン]]、明智小五郎、[[金田一耕助]]らと並んで、広く親しまれている。なお、戦後に発表されたものについては、戦前に大人向けに書かれた推理小説・怪奇小説を子供向けに翻案したものがあり他者によって翻案なされた影響で、明智小五郎など登場人物の性格が、乱歩自身の設定と異なっていることがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===  プロデューサーとして === &lt;br /&gt;
戦後は、新人発掘にも熱心で、[[筒井康隆]]、[[大薮春彦]]など、乱歩に才能を見出された作家は少なくない。「[[宝石 (雑誌)|宝石]]」編集長時代には、多くの一般作家に[[推理小説]]発表の場を与えている。代表的な作家に、歌舞伎評論家の[[戸板康二]]がいる。また、[[小林信彦]]を宝石社にスカウトし、『ヒッチコック・マガジン』の編集長に推薦している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本国外の推理作家との交流にも積極的で、[[エラリー・クイーン]]と文通して[[アメリカ探偵作家クラブ]] (MWA) の会員にもなったほか、フランスの[[イゴール・B・マスロフスキー]]、オランダの[[ロバート・ファン・ヒューリック]]、[[W・G・キエルドルフ]] ([[:nl:Pim Hofdorp|nl]]) 、ソビエト連邦の[[ロマン・キム]] ([[:ru:Ким, Роман Николаевич|ru]]) 、韓国の[[金来成]]らと文通し、彼らを介して各国の推理小説事情を日本に紹介した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
晩年には、[[サイエンス・フィクション|空想科学小説]]に興味を持ち、筒井康隆、[[矢野徹]]等、黎明期の日本の[[サイエンス・フィクション|SF]]関係者に助力を与え、その商業出版に援助を惜しまなかった。[[1959年]]のインタビューでは、「推理物は一作目にいいものが多く、[[クリスティ]]を例外に、一般的に年を取るにつれ筆が鈍る。自分にはすでに創意がない。60歳の誕生日会のとき再び筆を取ると宣言したが、書いてみたら納得がいかなかった。代わりに今後は探偵小説史のようなものをまとめたい」と語ったが、その夢は実現されなかった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.nhk.or.jp/r2bunka/ch01/index.html　1959年7月31日の対談「文壇よもやま話」より。カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「江戸川乱歩」(3)]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生前・没後に各四度&amp;lt;ref group=&amp;quot;※&amp;quot;&amp;gt;『全集』は刊行順に、生前は[[平凡社]]全13巻（戦前）、[[春陽堂]]全16巻、[[光文社]]全23巻、桃源社全18巻（近年[[沖積舎]]で復刻）、没後は[[講談社]]で全15巻、増訂版が全25巻、さらに「文庫版全集」が二度、[[昭和]]末期に[[講談社文庫]]全66巻、[[平成]]（21世紀に入り）に[[光文社文庫]]全30巻&amp;lt;/ref&amp;gt;も全集・選集が刊行された作家は、日本では分野を問わず他に存在しない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内外から尊敬を込めて&#039;&#039;&#039;大乱歩&#039;&#039;&#039;とも呼ばれた。[[山田風太郎]]は、「『大乱歩』という言葉もある。ほかにも一世を風靡した作家や、大衆から敬意を表された作家や、芸術的にもっと高いものを書いた作家は多いのに、大の字を冠してこれほどおかしくない人も珍らしい」と書いている&amp;lt;ref&amp;gt;山田風太郎『風眼抄』p.152（六興出版、1979年）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 栄典 ==&lt;br /&gt;
* 1961年 - [[紫綬褒章]]受章&amp;lt;ref&amp;gt;[http://web.akikusa.ac.jp/web2010/45sakuhin/keireki.html 江戸川乱歩の世界]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 1965年 - [[勲三等]][[瑞宝章]]受章&lt;br /&gt;
* 1965年 - [[正五位]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族 ==&lt;br /&gt;
[[1919年]]に[[鳥羽造船所]]勤務時代に知り合った村山隆子と結婚。一人息子の[[平井隆太郎]]は[[心理学者]]で[[立教大学]][[教授]]（のち社会学部長、現在は[[名誉教授]]）。「少年探偵」シリーズの[[著作権]]継承者でもある。孫の平井憲太郎は鉄道雑誌『[[とれいん (雑誌)|とれいん]]』の元編集長である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作品一覧 ==&lt;br /&gt;
* 江戸川乱歩の小説は色々の形で出版され、又全集の類も戦前から何度も刊行されている。現在、小説を児童向けも含めて最も多く収めているのは光文社文庫の「江戸川乱歩全集」（全30巻）である。またこの全集は編集者が入手出来た限りの乱歩生前の各版のバリエーションを比較し主要なものや意味のあるものは校異として巻末に記載されている点でも便利である。&lt;br /&gt;
=== 小説 ===&lt;br /&gt;
* [[二銭銅貨]] （『[[新青年 (日本)|新青年]]』1923年4月）短編。 デビュー作。しかし、実質的な処女作は [[火縄銃 (江戸川乱歩)|火縄銃]]。&lt;br /&gt;
* [[一枚の切符]] （『新青年』1923年7月）&lt;br /&gt;
* [[恐ろしき錯誤]] （『新青年』1923年11月）&lt;br /&gt;
* [[二癈人]] （『新青年』1924年6月）&lt;br /&gt;
* [[双生児 (江戸川乱歩)|双生児]] （『新青年』1924年10月）&lt;br /&gt;
* [[D坂の殺人事件]] （『新青年』1925年1月） [[明智小五郎]]、初登場作品。但し、まだ[[名探偵]]明智小五郎ではなく、&#039;&#039;&#039;素人探偵&#039;&#039;&#039;明智小五郎である。&lt;br /&gt;
* [[心理試験]] （『新青年』1925年2月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[黒手組 (江戸川乱歩)|黒手組]] （『新青年』1925年3月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[赤い部屋]] （『新青年』1925年4月）&lt;br /&gt;
* [[日記帳]] （『[[写真報知]]』1925年4月）&lt;br /&gt;
* [[算盤が恋を語る話]] （『写真報知』1925年4月）&lt;br /&gt;
* [[幽霊(江戸川乱歩)|幽霊]] （『新青年』1925年5月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[盗難 (江戸川乱歩)|盗難]] （『写真報知』1925年5月）&lt;br /&gt;
* [[白昼夢 (江戸川乱歩)|白昼夢]] （『新青年』1925年7月）&lt;br /&gt;
* [[指環 (江戸川乱歩)|指環]] （『新青年』1925年7月）&lt;br /&gt;
* [[夢遊病者の死]] （『[[苦楽]]』1925年7月）&lt;br /&gt;
* [[百面相役者]] （『写真報知』1925年7月）&lt;br /&gt;
* [[屋根裏の散歩者]] （『新青年』1925年8月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[一人二役 (江戸川乱歩)|一人二役]] （『[[新小説]]』1925年9月）&lt;br /&gt;
* [[疑惑 (江戸川乱歩)|疑惑]] （『写真報知』1925年9月）&lt;br /&gt;
* [[人間椅子 (江戸川乱歩)|人間椅子]] （『苦楽』1925年10月）&lt;br /&gt;
* [[接吻 (江戸川乱歩)|接吻]] （『[[映画と探偵]]』1925年12月）&lt;br /&gt;
* [[闇に蠢く]] （『苦楽』1926年1月～11月で連載中絶） 1927年に完結&lt;br /&gt;
* [[湖畔亭事件]] （『[[サンデー毎日]]』1926年1月～5月）&lt;br /&gt;
* [[空気男 (江戸川乱歩)|空気男]] （原題：二人の探偵小説家）（『写真報知』1926年1月～2月で連載中絶） （未完）&lt;br /&gt;
* [[踊る一寸法師]] （『新青年』1926年1月）&lt;br /&gt;
* [[毒草 (江戸川乱歩)|毒草]] （『[[探偵文芸]]』1926年1月）&lt;br /&gt;
* [[覆面の舞踏者]] （『[[婦人之国]]』1926年1月～2月）&lt;br /&gt;
* [[灰神楽]] （『[[大衆文芸]]』1926年3月）&lt;br /&gt;
* [[火星の運河]] （『新青年』1926年4月）&lt;br /&gt;
* [[五階の窓]] （『新青年』1926年5月） リレー連作小説の第1回目を担当&lt;br /&gt;
* [[モノグラム (江戸川乱歩)|モノグラム]] （『新小説』1926年7月）&lt;br /&gt;
* [[お勢登場]] （『大衆文芸』1926年7月）リレー連作小説の第1回目を担当&lt;br /&gt;
* [[人でなしの恋]] （『サンデー毎日』1926年10月）&lt;br /&gt;
* [[パノラマ島奇談]] （別表記：パノラマ島綺譚）（『新青年』1926年10月～1927年4月）&lt;br /&gt;
* [[鏡地獄]] （『大衆文芸』1926年10月）&lt;br /&gt;
* [[木馬は廻る]] （『[[探偵趣味]]』1926年10月）&lt;br /&gt;
* [[一寸法師 (江戸川乱歩)|一寸法師]] （『[[朝日新聞]]』1926年12月～1927年2月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[空中紳士]] （原題：飛機睥睨）（『新青年』1928年2月～9月） 乱歩を含む5人の作家による合作&lt;br /&gt;
* [[陰獣]] （『新青年』1928年8月～10月）&lt;br /&gt;
* [[芋虫 (小説)|芋虫]] （原題：悪夢）（『新青年』1929年1月）&lt;br /&gt;
* [[孤島の鬼]] （『[[朝日 (雑誌)|朝日]]』1929年1月～1930年2月）&lt;br /&gt;
* [[押絵と旅する男]] （『新青年』1929年6月）&lt;br /&gt;
* [[蟲 (江戸川乱歩)|蟲]] （『[[改造 (雑誌)|改造]]』1929年9月～10月）&lt;br /&gt;
* [[蜘蛛男]] （『[[講談倶楽部]]』1929年8月～1930年6月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[何者]] （『[[時事新報]]』1929年11月～12月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[猟奇の果]] （『文芸倶楽部』1930年1月～12月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[魔術師 (江戸川乱歩)|魔術師]] （『講談倶楽部』1930年7月～1931年5月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[黄金仮面]] （『[[キング (雑誌)|キング]]』1930年9月～1931年10月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[吸血鬼 (江戸川乱歩)|吸血鬼]] （『[[報知新聞]]』1930年9月～1931年3月） 明智小五郎登場作品。小林少年、初登場。&lt;br /&gt;
* [[江川蘭子]] （『新青年』1930年9月） リレー連作小説の第1回目を担当&lt;br /&gt;
* [[盲獣]] （『朝日』1931年2月～1932年3月）&lt;br /&gt;
* [[白髪鬼]] （『[[キング (雑誌)|富士]]』1931年4月～1932年4月」） [[黒岩涙香]]「白髪鬼」を乱歩流に書き改めた作。&lt;br /&gt;
* [[目羅博士]] （原題：目羅博士の不思議な犯罪）（『文芸倶楽部』1931年4月）&lt;br /&gt;
* [[地獄風景]] （『[[平凡社]]版江戸川乱歩全集』1931年5月～1932年4月） 全集付録冊子への連載&lt;br /&gt;
* [[恐怖王]] （『講談倶楽部』1931年6月～1932年5月）&lt;br /&gt;
* [[鬼 (江戸川乱歩)|鬼]] （『キング』1931年11月～1932年2月）&lt;br /&gt;
* [[火縄銃 (江戸川乱歩)|火縄銃]] （『平凡社版江戸川乱歩全集』1932年4月） 学生時代（1916年以前）の習作&lt;br /&gt;
* [[殺人迷路]] （『[[探偵倶楽部]]』1932年10月） 全集の付録冊子に連載されたリレー連作小説の第5回目を担当&lt;br /&gt;
* [[悪霊 (江戸川乱歩)|悪霊]] （『新青年』1933年11月～1934年1月で連載中絶） （未完）&amp;lt;ref group=&amp;quot;※&amp;quot;&amp;gt;途中で話が続けられなくなり中断した。乱歩本人が掲載誌にお詫びとして読者へ謝罪し、中断を発表している。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[妖虫]] （『キング』1933年12月～1934年10月）&lt;br /&gt;
* [[黒い虹]] （『[[婦人公論]]』1934年1月） リレー連作小説の第1回目を担当&lt;br /&gt;
* [[黒蜥蜴]] （『[[日の出]]』1934年1月～11月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[人間豹]] （『講談倶楽部』1934年1月～1935年5月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[石榴 (江戸川乱歩)|石榴]] （『[[中央公論]]』1934年9月）&lt;br /&gt;
* [[緑衣の鬼]] （『講談倶楽部』1936年1月～） [[イーデン・フィルポッツ]]「赤毛のレドメイン家」の翻案。&lt;br /&gt;
* [[大暗室]] （『キング』1936年12月～）&lt;br /&gt;
* [[幽霊塔]] （『講談倶楽部』1936年12月～） 黒岩涙香「幽霊塔」を乱歩流に書き改めた作。&lt;br /&gt;
* [[悪魔の紋章]] （『日の出』1937年9月～） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[暗黒星]] （『講談倶楽部』1939年1月～） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[地獄の道化師 (江戸川乱歩)|地獄の道化師]] （『富士』1939年1月～） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[幽鬼の塔]] （『日の出』1936年4月～） [[ジョルジュ・シムノン]]「聖フォリアン寺院の首吊男」の翻案。&lt;br /&gt;
* [[新宝島 (江戸川乱歩)|新宝島]] （『[[少年倶楽部]]』1940年4月～1941年3月）&lt;br /&gt;
* [[智恵の一太郎]] （『少年倶楽部』1942年1月～）&lt;br /&gt;
* [[偉大なる夢]] （『日の出』1943年11月～）&lt;br /&gt;
* [[断崖 (江戸川乱歩)|断崖]] （『報知新聞』1950年3月～）&lt;br /&gt;
* [[三角館の恐怖]] （『[[面白倶楽部]]』1951年1月～） [[ロジャー・スカーレット]]「エンジェル家の殺人」の翻案。&lt;br /&gt;
* [[畸形の天女]] （『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』1953年10月～）&lt;br /&gt;
* [[女妖 (江戸川乱歩)|女妖]] （『[[探偵実話]]』1954年1月～）&lt;br /&gt;
* [[兇器 (江戸川乱歩)|兇器]] （『[[大阪産業経済新聞]]』1954年6月） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[悪霊物語]] （『講談倶楽部』1954年8月～）&lt;br /&gt;
* [[化人幻戯]] （『[[別冊宝石]]』～『宝石』1954年11月～） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[影男]] （『面白倶楽部』1955年1月～） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[月と手袋]] （『[[オール讀物]]』1955年4月～） 明智小五郎登場作品。&lt;br /&gt;
* [[探偵少年]] （『[[読売新聞]]』1955年9月～）&lt;br /&gt;
* [[防空壕 (江戸川乱歩)|防空壕]] （『[[文芸]]』1955年7月～）&lt;br /&gt;
* [[大江戸怪物団]] （『面白倶楽部』1955年7月）&lt;br /&gt;
* [[十字路 (江戸川乱歩)|十字路]] （講談社、1955年11月、書き下ろし） [[渡辺剣次]]による第一稿をリライト。トリック、プロットも渡辺剣次の案出。&lt;br /&gt;
* [[堀越捜査一課長殿]] （『オール讀物』1956年4月）&lt;br /&gt;
* [[妻に失恋した男]] （『[[産経新聞|産経時事]]』1957年10月～11月）&lt;br /&gt;
* [[ぺてん師と空気男]] （[[桃源社]]、1959年11月、書き下ろし）&lt;br /&gt;
* [[指 (江戸川乱歩)|指]] （『[[ヒッチコック・マガジン]]』1960年1月）&lt;br /&gt;
* [[薔薇夫人]]（未収録作品）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 怪人二十面相/明智小五郎/少年探偵団 ===&lt;br /&gt;
1936年1月から1962年12月にかけて発表された少年向けの小説。[[少年探偵団]]や[[怪人二十面相]]が登場するもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[怪人二十面相 (小説)|怪人二十面相]] （『[[少年倶楽部]]』1936年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[少年探偵団 (小説)|少年探偵団]] （『少年倶楽部』1937年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[妖怪博士]] （『少年倶楽部』1938年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[大金塊]] （『少年倶楽部』1939年1月～1940年2月）&lt;br /&gt;
* [[青銅の魔人]] （『[[少年 (雑誌)|少年]]』1949年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[地底の魔術王|虎の牙]] （『少年』1950年1月～12月）＊ポプラ社版では「地底の魔術王」&lt;br /&gt;
* [[透明怪人]] （『少年』1951年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[怪奇四十面相]] （『少年』1952年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[宇宙怪人]] （『少年』1953年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[鉄塔の怪人]] （『少年』1954年1月～12月）＊ポプラ社版では「鉄塔王国の恐怖」&lt;br /&gt;
* [[黄金の虎]] （「探偵少年」改題 『[[読売新聞]]』1955年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[灰色の巨人]] （『[[少年倶楽部|少年クラブ]]』1955年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[海底の魔術師]] （『少年』1955年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[黄金豹]] （『少年クラブ』1956年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[魔法博士]] （『少年』1956年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[天空の魔人]] （『少年クラブ増刊』1956年1月15日）&lt;br /&gt;
* [[サーカスの怪人]] （『少年クラブ』1957年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[妖人ゴング]] （『少年』1957年1月～12月）＊ポプラ社版では「魔人ゴング」&lt;br /&gt;
* [[魔法人形]] （『[[少女倶楽部|少女クラブ]]』1957年1月～12月）＊ポプラ社版では「悪魔人形」&lt;br /&gt;
* [[まほうやしき]] （『[[たのしい三年生]]』1957年1月～3月）&lt;br /&gt;
* [[赤いかぶとむし]] （『たのしい三年生』1957年4月～1958年3月）&lt;br /&gt;
* [[奇面城の秘密]] （『少年クラブ』1958年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[夜光人間]] （『少年』1958年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[塔上の奇術師]] （『少女クラブ』1958年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[鉄人Q]] （『[[小学館の学年別学習雑誌|小学四年生]]』～『[[小学館の学年別学習雑誌|小学五年生]]』1958年4月～1960年3月）&lt;br /&gt;
* [[ふしぎな人]] （『[[たのしい二年生]]』1958年8月～1959年3月）&lt;br /&gt;
* [[仮面の恐怖王]] （『少年』1959年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[名たんていと二十めんそう]] （『たのしい三年生』1959年4月～12月）&lt;br /&gt;
* [[怪人二十面相|かいじん二十めんそう]] （『[[たのしい一年生]]』～『たのしい二年生』1959年11月～1960年12月）&lt;br /&gt;
* [[電人M]] （『少年』1960年1月～12月）&lt;br /&gt;
* [[おれは二十面相だ!!]] （『[[小学館の学年別学習雑誌|小学六年生]]』1960年4月～1961年3月）＊ポプラ社版では「二十面相の呪い」&lt;br /&gt;
* [[怪人と少年探偵]] （『[[こども家の光]]』1960年9月～1961年9月）&lt;br /&gt;
* [[妖星人R]] （『少年』1961年1月～12月）＊ポプラ社版では「空飛ぶ二十面相」&lt;br /&gt;
* [[超人ニコラ]] （『少年』1962年1月～12月）＊ポプラ社版では「黄金の怪獣」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 随筆・評論 ===&lt;br /&gt;
* [[悪人志願]]（1929年）&lt;br /&gt;
* [[鬼の言葉]]（1936年）&lt;br /&gt;
* [[幻影の城主]]（1947年）&lt;br /&gt;
* [[随筆探偵小説]]（1947年）&lt;br /&gt;
* [[幻影城 (評論集)|幻影城]]（1951年。評論集）&lt;br /&gt;
* [[続・幻影城]]（1954年。評論集。[[類別トリック集成]]を含む）&lt;br /&gt;
* [[探偵小説三十年]]（1954年）&lt;br /&gt;
* [[探偵小説四十年]]（1961年。乱歩の自伝的回想録。乱歩の目を通して描かれた初期日本探偵文壇史とでも称すべきものであり、貴重な文献資料でもある）&lt;br /&gt;
* [[探偵小説の「謎」]]（1956年）&lt;br /&gt;
* [[海外探偵小説作家と作品]]（1957年。評論集）&lt;br /&gt;
* [[わが夢と真実]]（1957年。それまでの随筆のうち、乱歩自身にかかわるものを収録したもの）&lt;br /&gt;
* [[乱歩随筆]]（1960年）&lt;br /&gt;
* 「彼・幻影の城」（1963年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 翻案・リライト ===&lt;br /&gt;
作品一覧に掲載した作品を含めて、翻案、リライト作品。&lt;br /&gt;
* [[白髪鬼]] （1931年） - [[メアリ・コレリ]]（[[:en:Marie Corelli|Marie Corelli]]）作 「ヴェンデッタ」（&#039;&#039;Vendetta, A Story of One Forgotten&#039;&#039;）の[[黒岩涙香]]による翻案小説「白髪鬼」をリライトしたもの。&lt;br /&gt;
* [[緑衣の鬼]] （1936年） - [[イーデン・フィルポッツ]]（[[:en:Eden Phillpotts|Eden Phillpotts]]）作 「[[赤毛のレドメイン家]]」（&#039;&#039;The Red Redmaynes&#039;&#039;）の翻案小説。&lt;br /&gt;
* [[幽霊塔]] （1937年） - [[アリス・マリエル・ウィリアムソン]]（[[:en:Alice Muriel Williamson|Alice Muriel Williamson]]）作 「灰色の女」（&#039;&#039;A Woman in Grey&#039;&#039;）の黒岩涙香による翻案小説「幽霊塔」をリライトしたもの。&lt;br /&gt;
* [[鉄仮面]] （[[講談社]]、1938年） - 世界名作物語5→少国民名作文庫→世界名作物語→世界名作全集5 黒岩涙香による翻案小説「鉄仮面」を小中学生向けにリライトしたもの。&lt;br /&gt;
* [[幽鬼の塔]] （1939年） - [[ジョルジュ・シムノン]]（[[:fr:Georges Simenon|Georges Simenonlli]]）作 「聖フォリアン寺院の首吊男」（&#039;&#039;Le Pendu de Sant-Phollien&#039;&#039;）の翻案小説。&lt;br /&gt;
* [[三角館の恐怖]] （1951年） - [[ロジャー・スカーレット]]（[[:en:Roger Scarlett|Roger Scarlett]]）作 「エンジェル家の殺人」（&#039;&#039;Murder Among the Angells&#039;&#039;）の翻案小説。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 派生作品 ==&lt;br /&gt;
=== 映画化 ===&lt;br /&gt;
多数あり。「[[明智小五郎]]」も参照のこと。以下はその一部である。&lt;br /&gt;
* 一寸法師（1927年）&lt;br /&gt;
* パレットナイフの殺人 （1946年）&lt;br /&gt;
* 一寸法師（1948年）&lt;br /&gt;
* 氷柱の美女 （1950年）&lt;br /&gt;
* 怪人二十面相（1954年）&lt;br /&gt;
* 青銅の魔人 (1955年)&amp;lt;!--四部作。厳密には第一部は1954年12/29公開。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 一寸法師 (江戸川乱歩の一寸法師)（1955年）&lt;br /&gt;
* 少年探偵団／妖怪博士（1956年）&lt;br /&gt;
* 少年探偵団／二十面相の悪魔（1956年）&lt;br /&gt;
* 死の十字路（1956年）&lt;br /&gt;
* 少年探偵団／かぶと虫の妖奇（1957年）&lt;br /&gt;
* 少年探偵団／鉄塔の怪人（1957年）&lt;br /&gt;
* 少年探偵団／二十面相の復讐（1957年）&lt;br /&gt;
* 少年探偵団／夜光の魔人（1957年）&lt;br /&gt;
* 少年探偵団／透明怪人（1958年）&lt;br /&gt;
* 少年探偵団／首なし男（1958年)&lt;br /&gt;
* 少年探偵団／敵は原子潜航艇(1959年)&lt;br /&gt;
* [[蜘蛛男]]（1958年）&lt;br /&gt;
* [[黒蜥蜴]]（1962年）&lt;br /&gt;
* 黒蜥蜴（1968年）&lt;br /&gt;
* [[盲獣]]（1969年）&lt;br /&gt;
* [[江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間]]（1969年）&lt;br /&gt;
* [[屋根裏の散歩者]]（1970年）&lt;br /&gt;
* 江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者（1976年）&lt;br /&gt;
* [[江戸川乱歩の陰獣]]（1977年）&lt;br /&gt;
* [[押繪と旅する男]]（1994年）&lt;br /&gt;
* 屋根裏の散歩者（1994年）&lt;br /&gt;
* [[RAMPO]]（1994年）&lt;br /&gt;
* [[人でなしの恋]]（1995年）&lt;br /&gt;
* [[人間椅子 (江戸川乱歩)#1997年版|人間椅子]]（1997年）&lt;br /&gt;
* [[D坂の殺人事件]]（1998年）&lt;br /&gt;
* [[双生児 (映画)|双生児 -GEMINI-]]（1999年）&lt;br /&gt;
* [[盲獣vs一寸法師]]（2001年、公開は2004年）&lt;br /&gt;
* [[乱歩地獄]]（2005年）&lt;br /&gt;
* 人間椅子（2006年）&lt;br /&gt;
* 屋根裏の散歩者（2007年）&lt;br /&gt;
* 陰獣（フランス映画　2009年）&lt;br /&gt;
* [[失恋殺人]]（2010年）&lt;br /&gt;
* [[キャタピラー (映画)|キャタピラー]]（2010年）※乱歩の『芋虫』をモチーフとしているが、製作者側は公式には乱歩原作としていない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 漫画化 ===&lt;br /&gt;
乱歩作品の漫画化は、[[藤子不二雄]]による子供向けの『少年探偵団』ものが1959年（昭和34年）に発表されている。初の成人向け作品の漫画化としては、昭和45年に少年誌『[[週刊少年キング]]』が「江戸川乱歩恐怖シリーズ」と銘打ち、エロ・グロ物を含む乱歩作品を[[横山光輝]]、[[桑田次郎]]、[[古賀新一]]、[[石川球太]]の四者に競作させている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[怪人二十面相]]（[[藤子不二雄]]　1959年）&lt;br /&gt;
* [[白髪鬼]]（[[横山光輝]]　1970年）&lt;br /&gt;
* 地獄風景（[[桑田次郎]]　1970年）&lt;br /&gt;
* 屋根裏の散歩者（[[古賀新一]]　1970年）&lt;br /&gt;
* 人間椅子、芋虫、白昼夢、お勢地獄（お勢登場）（[[石川球太]]　1970年）&lt;br /&gt;
* 黒とかげ（[[高階良子]] 1971年4月～8月 原題『[[黒蜥蜴]]』）&lt;br /&gt;
* 血とばらの悪魔（[[高階良子]] 1971年11月～1972年2月 原題『[[パノラマ島奇談]]』）&lt;br /&gt;
* ドクターGの島（[[高階良子]] 1974年4月～1974年8月 原題『[[孤島の鬼]]』）&lt;br /&gt;
* 陰獣（古賀新一　1984年）&lt;br /&gt;
* 江戸川乱歩　屋根裏の散歩者（長田ノオト　1994年）&lt;br /&gt;
* 大暗室（[[山田貴敏]]　1997年）&lt;br /&gt;
* 妖怪博士（山田貴敏　1997年）&lt;br /&gt;
* 人間椅子（[[有沢遼]]　1997年）&lt;br /&gt;
* 江戸川乱歩のパノラマ島奇談（長田ノオト　1999年）&lt;br /&gt;
* パノラマ島綺譚（[[丸尾末広]]　2007年）&lt;br /&gt;
* 百面相役者（[[東元]]　2007年）&lt;br /&gt;
* 双生児（[[東元]]　2007年）&lt;br /&gt;
* 人間椅子（[[東元]]　2007年）&lt;br /&gt;
* 鏡地獄（[[東元]]　2008年）&lt;br /&gt;
* [[人でなしの恋]]（[[東元]]　2008年）&lt;br /&gt;
* 赤い部屋（[[東元]]　2008年）&lt;br /&gt;
* [[怪人二十面相]]（山田貴敏）&lt;br /&gt;
* 大金塊（山田貴敏）&lt;br /&gt;
* 江戸川乱歩の押絵と旅する男（長田ノオト）&lt;br /&gt;
* 江戸川乱歩の[[孤島の鬼]]（長田ノオト）&lt;br /&gt;
* 芋虫（[[丸尾末広]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
※代表的な書目の一部で、品切・絶版も含んでいる。&lt;br /&gt;
*入門書・図版本・小著&lt;br /&gt;
** [[鈴木貞美]]編 『江戸川乱歩』 ＜新潮日本文学アルバム41＞[[新潮社]] 1993年&lt;br /&gt;
** 太陽編集部編 『江戸川乱歩』 ＜コロナ・ブックス46＞、[[平凡社]] 1998年&lt;br /&gt;
** 『江戸川乱歩 誰もが憧れた少年探偵団』＜KAWADE夢ムック 文藝別冊＞ 河出書房新社 2003年&lt;br /&gt;
** 堀江あき子編 『江戸川乱歩と少年探偵団』 ＜らんぷの本＞[[河出書房新社]] 2003年&lt;br /&gt;
** [[小林信彦]] 『回想の江戸川乱歩』 メタローグ 1994年／[[文春文庫]]、[[光文社文庫]]で再刊&lt;br /&gt;
** 仁賀克雄監修『江戸川乱歩99の謎-生誕百年・探偵小説の[[大御所]]』（『二見wai wai文庫』）[[二見書房]]、1994年11月。ISBN 4-576-94168-2&lt;br /&gt;
* 伝記研究&lt;br /&gt;
** [[中島河太郎]] 『江戸川乱歩 評論と研究』 [[講談社]] 1980年 - 乱歩研究の代表作&lt;br /&gt;
** 中島河太郎責任編集 平井隆太郎ほか 『江戸川乱歩ワンダーランド』 沖積舎 2003年&lt;br /&gt;
** [[平井隆太郎]] 『うつし世の乱歩 父江戸川乱歩の憶い出』 河出書房新社 2006年&lt;br /&gt;
** 平井隆太郎 『乱歩の軌跡 父の貼雑帖から』 [[東京創元社]] 2008年 - 自作の年代記『貼雑年譜』（[[講談社]]、新版2004年ほか）を読み込んだ評伝。&lt;br /&gt;
** [[新保博久]] [[山前譲]]編 『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』 [[河出書房新社]] 1996年&lt;br /&gt;
** 平井隆太郎・新保博久編 『江戸川乱歩アルバム』 河出書房新社 1994年&lt;br /&gt;
* 作品研究&lt;br /&gt;
** 『別冊文藝 江戸川乱歩』 河出書房新社 2003年&lt;br /&gt;
** 『新文芸読本 江戸川乱歩』 河出書房新社 1992年&lt;br /&gt;
** 『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』 [[藤井淑禎]]編、「国文学解釈と鑑賞」別冊：[[至文堂]] 2003年&lt;br /&gt;
**『[[幻想文学 (雑誌)|幻想文学]]42号 RAMPOMANIA』（[[幻想文学]]出版局、1994年）&lt;br /&gt;
**『江戸川乱歩徹底追跡』（志村有弘編、[[勉誠出版]]、2009年）&lt;br /&gt;
* 書誌研究&lt;br /&gt;
** 平井隆太郎監修・中相作編『江戸川乱歩著書目録』【江戸川乱歩リファレンスブック3】、[[名張市]]立図書館、2003年3月[http://www.e-net.or.jp/user/stako/ED1/E01-pr1.html]（1は『乱歩文献データブック』、2は『江戸川乱歩執筆年譜』）。&lt;br /&gt;
** 新保博久 山前譲編 『幻影の蔵 江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』 [[東京書籍]] CD-ROM1枚付 2002年&lt;br /&gt;
** 平山雄一、新保・山前編 『江戸川乱歩小説キーワード辞典』 東京書籍 CD-ROM1枚付 2007年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 乱歩が登場するフィクション ==&lt;br /&gt;
* [[陰獣]]：乱歩作。自身をパロディした作家「大江春泥」が登場。春泥の本名「平田一郎」&amp;lt;!--←実はこれも偽名だというのはおいといて--&amp;gt;も乱歩の本名「平井太郎」をもじっている。&lt;br /&gt;
*呪いの塔：[[横溝正史]]作。上記「陰獣」をさらに捻った推理パロディ長編。意外性を狙っているため、乱歩に相当する人物は、親友の横溝以外には困難だったであろう遠慮会釈のない造形となっている。&lt;br /&gt;
*乱歩幻想譜：[[斎藤栄]]作。乱歩を主人公にして、作品世界と関連した事件に次々と遭遇する連作短編。&lt;br /&gt;
* [[加納一朗]]「浅草ロック殺人事件」1985年 - 乱歩をモデルとした探偵作家「香川幻夢」が登場。&lt;br /&gt;
* 映画「[[まぼろし探偵#映画版|まぼろし探偵 地底人襲来]]」1960年 - 乱歩のパロディである作家「江戸山散歩」がキャラクターとして登場。&lt;br /&gt;
*『[[コズミック]]』 - [[清涼院流水]]作。&lt;br /&gt;
* 映画「[[シルバー假面]]」2006年 - 作家になる前の「平井太郎」として登場。&lt;br /&gt;
* 映画「[[ゴーストライターホテル]]」2012年 - 著名な作家たちが執筆のために宿泊したというホテル「本天堂」に現れる作家の霊のひとつとして。乱歩役は[[カンニング竹山]]。&lt;br /&gt;
* 舞台「[http://www.caramelbox.com/stage/santa2010/index.html サンタクロースが歌ってくれた]」（[[演劇集団キャラメルボックス]]） - 作家になる前の「平井太郎」として劇中映画「ハイカラ探偵物語」に[[芥川龍之介]]と共に黒蜥蜴を追い詰める探偵役として登場し、スクリーンから飛び出した黒蜥蜴を追って芥川と共にスクリーンから飛び出す。太郎役は[[上川隆也]]と[[岡田達也]]（2010年10日限定公演のみ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
*乱歩が住んでいた屋敷は、立教大学と隣接していた。その縁で現在は立教大学によって「旧江戸川乱歩邸」として公開保存されている。&lt;br /&gt;
*乱歩は、ファンにサインを求められると必ず色紙に「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」あるいは「晝〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」と書き添えた。&lt;br /&gt;
*昭和55年（[[1980年]]）1月になって、大正13年（[[1924年]]）9月から東京へ転居する大正15年（[[1926年]]）1月まで2階を書斎にしていた、当時「守口町外島694番地」であった[[大阪府]][[守口市]]八島町の家が今も残っていることが判明した。この家は一時期一般開放されていたが、平成22年([[2010年]]）に解体された。「江戸川乱歩寓居の跡」と書かれた看板が掲げられていた&amp;lt;ref group=&amp;quot;※&amp;quot;&amp;gt;「心理試験」や「[[人間椅子 (江戸川乱歩)|人間椅子]]」「屋根裏の散歩者」などの初期の作品を含む21作品がこの家で執筆されており、そのほとんどが大正14年（[[1925年]]）に創作された。[[明智小五郎]]が初登場する「[[D坂の殺人事件]]」もこの家で創作された。また乱歩はこの家に住んでいた当時、床の間の天井板を外して踏み台に載り、首だけを出して[[屋根裏]]を覗いてみて、その捨てがたい眺めに陶然とした。その経験を元に「屋根裏の散歩者」が書かれた&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*乱歩にはお[[稚児]]趣味があり、若い[[歌舞伎]]役者を可愛がり、ただのファンを超えた関係があった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.nhk.or.jp/r2bunka/ch01/index.html　カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「江戸川乱歩」(3)　元編集者[[大村彦次郎]]談]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;references group=&amp;quot;※&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Edogawa Ranpo}}&lt;br /&gt;
* [[平井蒼太]] - 乱歩の次弟&lt;br /&gt;
* [[平井隆太郎]] - 乱歩の一人息子&lt;br /&gt;
* [[松村喜雄]] - 乱歩の従妹の息子&lt;br /&gt;
* [[黒岩涙香]] - 乱歩に大きな影響を与えた作家の一人&lt;br /&gt;
* [[光石介太郎]] - 一時期、乱歩の弟子のような立場にあった小説家。『新青年』に乱歩の文体模写小説「類人鬼」を発表している。&lt;br /&gt;
* [[J・B・ハリス]] - 乱歩の最初の英訳単行本の翻訳を担当&lt;br /&gt;
* [[美輪明宏]] - [[三島由紀夫]]脚色の舞台[[黒蜥蜴]]はライフワーク&lt;br /&gt;
* [[杉原千畝]] - 高校、大学とも同窓で知人の外交官&lt;br /&gt;
* [[江戸川乱歩賞]]&lt;br /&gt;
* [[江戸川乱歩の美女シリーズ]] -　1977年～1985年 テレビ朝日系 [[土曜ワイド劇場]]は25作、[[明智小五郎]]役は[[天知茂]]&lt;br /&gt;
* [[RAMPO]]　映画&lt;br /&gt;
* [[乱歩R]] - 日本テレビ放送網系列のテレビドラマ&lt;br /&gt;
* [[FC鈴鹿ランポーレ]] - [[鈴鹿市]]を本拠地とするサッカークラブ。前身は[[名張市]]を本拠地にした[[三重FCランポーレ]]。同市出身の乱歩の名前にちなんで命名。&lt;br /&gt;
* [[乱歩 (小惑星)]]&lt;br /&gt;
* [[横溝正史]] - 乱歩の生涯に亘る親友。探偵小説家。名探偵金田一耕助の生みの親として有名。&lt;br /&gt;
* [[ワセダミステリクラブ]] - 乱歩が初代顧問を務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/profile/facilities/edogawaranpo/index.html 旧江戸川乱歩邸] - 立教大学サイト&lt;br /&gt;
* [http://www.city.nabari.lg.jp/hp/menu000000700/hpg000000680.htm 江戸川乱歩（名張市）]&lt;br /&gt;
* 江戸川乱歩を歩く - [http://www.tokyo-kurenaidan.com/ranpo1.htm 1]・[http://www.tokyo-kurenaidan.com/ranpo2.htm 2]&lt;br /&gt;
*[http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=8101.000 江戸川乱歩 少年探偵シリーズ 全26巻 ポプラ文庫クラシック版] - ポプラ社の商品情報&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{江戸川乱歩}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Normdaten|TYP=p|GND=120811332|LCCN=n/85/129038|NDL=00005076|VIAF=76350116}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:えとかわ らんほ}}&lt;br /&gt;
[[Category:江戸川乱歩|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の小説家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の推理作家]]&lt;br /&gt;
[[Category:早稲田大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:三重県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:紫綬褒章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1894年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1965年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>58.98.209.103</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC%E6%A9%9F%E6%A7%8B&amp;diff=82886</id>
		<title>日本ゴルフツアー機構</title>
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		<updated>2014-08-14T11:08:24Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;58.98.209.103: /* オフィシャルスポンサー */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{基礎情報 非営利団体&lt;br /&gt;
|名称=日本ゴルフツアー機構&amp;lt;br /&amp;gt;&#039;&#039;Japan Golf Tour Organization&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|ロゴ=&lt;br /&gt;
|創立者=&lt;br /&gt;
|団体種類=[[社団法人|一般社団法人]]&lt;br /&gt;
|設立=[[2005年]][[7月28日]]&lt;br /&gt;
|所在地=&lt;br /&gt;
|起源=&lt;br /&gt;
|主要人物=会長 [[海老沢勝二]]&lt;br /&gt;
|活動地域={{JPN}}&lt;br /&gt;
|製品=&lt;br /&gt;
|主眼=&lt;br /&gt;
|活動内容=プロ[[ゴルフ]]ツアーの主催&lt;br /&gt;
|活動手段=&lt;br /&gt;
|収入=&lt;br /&gt;
|基本財産=&lt;br /&gt;
|ボランティア人数=&lt;br /&gt;
|従業員数=&lt;br /&gt;
|会員数=&lt;br /&gt;
|子団体=&lt;br /&gt;
|標語=&lt;br /&gt;
|ウェブサイト= http://www.jgto.org/&lt;br /&gt;
|解散=&lt;br /&gt;
|特記事項= &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;一般社団法人日本ゴルフツアー機構&#039;&#039;&#039;（にっほんゴルフツアーきこう、JGTO;&#039;&#039;Japan Golf Tour Organization&#039;&#039;）とは、[[1999年]]度から[[日本]]のプロ[[ゴルフ]]ツアーの試合について主催・主管を行っている組織である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
シーズンは4月の「[[東建ホームメイトカップ]]」が新年度の最初の試合となり、12月まで25前後の試合を開催している。基本的には1大会4日間競技で開催している。なお、一部の大会では当ツアーと[[ワンアジアツアー]]が共同で主催する国外での大会があり、[[2014年]]（2試合。&amp;lt;ref&amp;gt;日本開催・[[アジアンツアー]]共催の「ダイヤモンドカップ」を含むと3試合&amp;lt;/ref&amp;gt;）の実質的な当ツアーの[[開幕戦]]は「インドネシアPGA選手権」である&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jgto.org/pc/OtherTopicsDetail.do?year=2014&amp;amp;tournaKbnCd=0&amp;amp;conferenceCd=000&amp;amp;languageKbn=0&amp;amp;administerNo=944 いよいよ２０１４年の初戦、インドネシアPGA選手権]（日本ゴルフツアー機構。当初は[[タイランドオープン]]が実質的な開幕戦の予定だったが、[[タイ王国]]の政治的な内紛が起こっているという事情により延期となった）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、当初3年間（[[2001年]]まで）は[[パーソナルコンピュータ|パソコン]][[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]メーカーの[[iiyama|イーヤマ]]が特別協賛スポンサーとなっていた関係で「イーヤマツアー」と冠されていた。現在はツアーそのものの冠はノースポンサーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ツアー開始当初は[[権利能力なき社団|任意団体]]だったが、[[2005年]]に社団法人化（[[文部科学省]]所管）。[[2013年]]1月に[[社団法人|一般社団法人]]に移行した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://jgto.org/jgto/WO02070200Init.do?year=2013&amp;amp;tournaKbnCd=0&amp;amp;conferenceCd=000&amp;amp;languageKbn=0&amp;amp;topicsType=2&amp;amp;administerNo=995 一般社団法人日本ゴルフツアー機構　会長　海老沢勝二より新年のご挨拶] - 日本ゴルフツアー機構・2013年1月4日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== シード枠・ツアー出場できる優先順位 ==&lt;br /&gt;
# [[永久シード (プロゴルフ)|永久シード]]所持者&lt;br /&gt;
# 過去5年間のツアー賞金ランキング1位の者&lt;br /&gt;
# メジャータイトル優勝者に対する1大会につき5年間のシード枠&lt;br /&gt;
#* 対象試合：[[日本プロゴルフ選手権大会]]、[[日本ゴルフツアー選手権]]、[[日本オープンゴルフ選手権競技]] ※過去には[[PGAフィランソロピートーナメント]]もメジャーと位置づけられたことがあった&lt;br /&gt;
# 前々年度までの、WGC/ワールドカップ日本代表&lt;br /&gt;
# [[1973年]]ツアー制度施行後、ツアー競技で25勝以上挙げた者（永久シード）&lt;br /&gt;
# 前年度までの、ダイナスティーカップ日本代表&lt;br /&gt;
# [[ゴルフ日本シリーズ]]、[[日本プロゴルフマッチプレー選手権|日本マッチプレー]]の過去5年間の優勝者&lt;br /&gt;
# 過去2年間のツアートーナメントの優勝者（規定試合数に出場している者）&lt;br /&gt;
# 過去2年間の本ツアートーナメントの優勝者&lt;br /&gt;
# 前年度の当該ツアートーナメントで、成績上位10位以内の者&lt;br /&gt;
# 直近ツアートーナメント（基本的には、前週のツアートーナメント）で、上位5位以内の者&lt;br /&gt;
# JGTO会長が推薦する者&lt;br /&gt;
# 前年度ツアー賞金ランキング70位以内の者（規定試合数に出場している者）&lt;br /&gt;
# 特別保障制度適用者&lt;br /&gt;
# ツアートーナメント複数競技優勝者（年間2勝した者はその年と翌年から3年間、年間3勝した者はその年と翌年から4年間 規定試合数に出場している者）&lt;br /&gt;
# 1973年ツアー制度施行後、通算賞金獲得ランキング25位以内の選手（前年度末時点）&lt;br /&gt;
# 前年度アジアンツアー賞金ランキング1位の者&lt;br /&gt;
# JGTOが指定するチャレンジトーナメント優勝者（JGTOが指定するツアートーナメントに出場できる）&lt;br /&gt;
# 前年度チャレンジトーナメント賞金ランキング上位5位以内の者（当該年度第1回リランキングまで出場可能）&lt;br /&gt;
# 前年度第2回リランキング後のクオリファイングトーナメント（QT）上位者&lt;br /&gt;
# 主催者の推薦のある者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== プロ選手の資格を得るには ==&lt;br /&gt;
* [[1998年]]までは[[日本プロゴルフ協会]]（JPGA）のプロテストに合格しないとツアー競技の正式メンバー（「トーナメント・プレイヤー」）とはなれなかった。&lt;br /&gt;
* 1999年以降は[[クオリファイングトーナメント]]（以下「QT」）といわれる予選会に出場し一定の成績を挙げればJPGAのプロ資格がなくても事実上のプロ選手として出場できる権利が与えられる。&lt;br /&gt;
** 参加者は事前の申し込み（過去のQT参加者や各種ゴルフ競技団体の推薦者などに資格あり）をしてから、7月から8月にかけてのファーストQT（1次予選：3ラウンド54ホールズ）からスタート。これは全国各地で開催され、各会場につき100人程度出場し上位選手（出場選手総数によって勝ち抜き者数が異なる）がセカンドQT（2次予選）に進む。&lt;br /&gt;
** セカンドQTはファーストQTの勝ち抜き選手に加え過去のサードQT（3次予選）までの出場者、海外のプロツアーで活躍する選手で日本ツアーの出場資格を持っていない選手など総数1400人程度、1会場あたり110人程度が出場し9～10月に4ラウンド72ホールズで競技を行い上位選手（選出方法は前述と同じ）がサードQTに進出する。この時点で合格した選手には最大5試合の主催推薦枠出場権利が与えられる。&lt;br /&gt;
** サードQTはセカンドQTの勝ち抜き選手、前年度のファイナルQT（最終予選）出場者、直近5年間のツアー競技優勝者、賞金シードを1年以上保有したことがある選手、その他オーストラリア、南アフリカ、アジアの各ツアーで賞金ランキング上位に入っている選手（ファイナルQTシード保有者は除く）で出場意思のある者、チャレンジツアーの前年度賞金上位者で当該年度の前半戦シード（いわゆるリランキング）の上位選手ら総数600人程度、1会場あたり100人程度が出場する。&lt;br /&gt;
** サードQTもセカンドと同じく4ラウンド72ホールズで、成績上位選手（選出方法は前述と同じ）がファイナルQTの出場資格を獲得できる。&lt;br /&gt;
** ファイナルQTはサードQTの勝ち抜き選手、本年度の賞金ランキングによるシードから脱落した選手（シード落ち）、チャレンジ競技の上位選手の中から1年間シード獲得者以外の翌年度の前半戦シード（リランキング）を得ている選手、その他海外ツアーの賞金ランキングで上位に入っており出場の意思がある選手など200人前後が出場し予選4ラウンド、決勝2ラウンドの6ラウンド108ホールズで争う。&lt;br /&gt;
** 予選は4ラウンド72ホールズで行い、上位90位タイまでの選手が決勝にコマを進める。&lt;br /&gt;
** 決勝は2ラウンド36ホールズで、その成績に応じて出場できる試合が確定する。上位選手は概ねほぼ全試合に出場できる。&lt;br /&gt;
* 例外として、アマチュアのままツアーで優勝すれば、プロ宣言を行うとQT免除となる（例：[[石川遼]]、[[松山英樹]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 出場できる試合数 ===&lt;br /&gt;
2012年度の実績において、QTトーナメントで優勝からベストテン以内は同年のツアー大会21試合中18試合、11-20位だと13試合というように上位に行くほど出場できる試合数が増え、40位以下だと自動出場できる試合はなく、マンデートーナメントや、大会主催推薦などに頼らないといけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方チャレンジトーナメントだと、上位130位までならば同年の12試合中9試合、131-140位でも8試合と、こちらも上位にいくほど出場できる試合数が増えるが、ツアー大会に比べると、ほぼ全試合自動出場できる選手の数が多めである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただしこれはあくまでも目安で、シーズンの途中でその年の賞金ランキングなどを反映したリランキングをすることがあるため若干の変動がある&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jgto-qt.jp/about_qt.html 日本ゴルフツアー「クオリファイングトーナメントとは」]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴代賞金王 ==&lt;br /&gt;
1973年のツアー制度以降後の歴代の賞金王は以下の通りである。なお賞金額は[[ゴルフ#メジャートーナメント|海外メジャー]]で獲得した賞金額を加算したもので、2009年以前はチーム戦を除く[[世界ゴルフ選手権]]の獲得賞金額を含む&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://www.jgto.org/jgto/WO03010100Init.do?year=2011&amp;amp;tournaKbnCd=0 |title=賞金ランキング（海外メジャー含む）|publisher=日本ゴルフツアー機構 |accessdate=2012-12-2}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=wikitable&lt;br /&gt;
!年 !! 氏名 !! 賞金額（[[円 (通貨)|¥]]）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1973 || rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[尾崎将司]] || align=right|43,814,000&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1974 || align=right|41,846,908&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1975 || [[村上隆 (ゴルファー)|村上隆]] || align=right|38,705,551&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1976 || [[青木功]] || align=right|40,985,801&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1977 || 尾崎将司 || align=right|35,932,608&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1978 || rowspan=&amp;quot;4&amp;quot;|青木功 || align=right|62,987,200&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1979 || align=right|45,554,211&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1980 || align=right|60,532,660&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1981 || align=right|57,262,941&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1982 || rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[中島常幸]] || align=right|68,220,640 &lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1983 || align=right|85,514,183&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1984 || [[前田新作]] || align=right|57,040,357&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1985 || rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|中島常幸 || align=right|101,609,333&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1986 || align=right|90,202,066&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1987 || {{flagicon|USA}} [[デビッド・イシイ]] || align=right|86,554,421&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1988 || rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|尾崎将司 || align=right|125,162,540&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1989 || align=right|108,715,733&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1990 || align=right|129,060,500&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1991 || [[尾崎直道]] || align=right|119,507,974&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1992 || 尾崎将司 || align=right|186,816,466&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1993 || [[飯合肇]] || align=right|148,718,200&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1994 || rowspan=&amp;quot;5&amp;quot;|尾崎将司 || align=right|215,468,000&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1995 || align=right|192,319,800&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1996 || align=right|209,646,746&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1997 || align=right|170,847,633&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1998 || align=right|179,627,400&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1999 || 尾崎直道 || align=right|137,641,796&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2000 || [[片山晋呉]] || align=right|177,116,489&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2001 || [[伊沢利光]] || align=right|217,934,583&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2002 || [[谷口徹]] || align=right|145,440,341&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2003 || 伊沢利光 || align=right|135,454,300&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2004 || rowspan=&amp;quot;3&amp;quot;|片山晋呉 || align=right|119,512,374&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2005 || align=right|134,075,280&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2006 || align=right|178,402,190&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2007 || 谷口徹 || align=right|171,744,498&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2008 || 片山晋呉 || align=right|180,094,895&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2009 || [[石川遼]] || align=right|183,524,051&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2010 || {{flagicon|KOR}} [[金庚泰]] || align=right|181,103,799&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2011 || {{flagicon|KOR}} [[ベ相文|裵相文]] || align=right|151,078,958&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2012 || [[藤田寛之]] || align=right|175,159,972&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2013 || [[松山英樹]] || align=right|201,076,781&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 賞金王獲得回数 ===&lt;br /&gt;
2012年まで、賞金王のタイトルを複数回獲得した選手は以下の6人である。&lt;br /&gt;
*12回: [[尾崎将司]]&lt;br /&gt;
*5回: [[青木功]]、[[片山晋呉]]&lt;br /&gt;
*4回: [[中島常幸]]&lt;br /&gt;
*2回: [[伊沢利光]]、[[尾崎直道]]、[[谷口徹]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== チャレンジツアー ==&lt;br /&gt;
{{see also|JGTOチャレンジトーナメント}}&lt;br /&gt;
JGTOのレギュラーツアーの出場権がない選手（新人選手やシード外の選手）らを対象として行う「2軍戦」で、若手選手の育成とゴルフの発展を目的として行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== オフィシャルスポンサー ==&lt;br /&gt;
*[[日本ユニシス]]&lt;br /&gt;
*[[全日本空輸]]&lt;br /&gt;
*[[デサント]]&lt;br /&gt;
*[[セントラルスポーツ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[日本ゴルフツアーの主な優勝者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://jgto.org/index.html 日本ゴルフツアー機構]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{世界のゴルフツアー}}&lt;br /&gt;
{{日本ゴルフツアー}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:にほんこるふつあきこう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本ゴルフツアー|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:ゴルフに関する日本の組織|こるふつあきこう]]&lt;br /&gt;
[[Category:一般社団法人 (スポーツ関係)]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都港区の一般社団法人]]&lt;br /&gt;
[[Category:2005年設立]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>58.98.209.103</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E8%AA%AD%E6%9B%B8&amp;diff=2462</id>
		<title>読書</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E8%AA%AD%E6%9B%B8&amp;diff=2462"/>
		<updated>2014-08-13T05:58:06Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;58.98.209.103: /* 読書の様式 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{出典の明記|date=2010年3月}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;読書&#039;&#039;&#039; [[File:Woman Reading (Kuroda Seiki).jpg|thumb|250px|&amp;lt;div style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;&amp;gt;[[黒田清輝]]画 『読書』（[[1890年]]頃）&amp;lt;/div&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
*&#039;&#039;&#039;どくしょ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
** [[本]]を読むこと。本項で記す。&lt;br /&gt;
** [[印象派]]である[[黒田清輝]]の描いた絵。&lt;br /&gt;
*&#039;&#039;&#039;よみかき&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
** 読んだり書いたりすること。&lt;br /&gt;
** [[長野県]][[木曽郡]][[南木曽町]]の地名。[[読書村]]を参照。&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;読書&#039;&#039;&#039;（どくしょ）は、[[本]]を読むこと。特に好んで読む本を&#039;&#039;&#039;愛読書&#039;&#039;&#039;、また本を読む人は[[読者]]と呼ぶ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
読書の意味は「書を読む事」とされるが、[[活字]]の登場以前では、これらは主に裕福層や[[インテリ]]層にのみ許された行為であった。[[活版印刷]]技術の登場以降、書籍が[[大量生産]]されるようになって、[[大衆]]の[[識字率]]は格段に向上し、読書は大衆娯楽（[[趣味]]）としても広く受け容れられるようになっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では、[[江戸時代]]までは、主に[[四書五経]]など[[漢籍]]の&#039;&#039;&#039;[[音読]]&#039;&#039;&#039;（おんどく）が行われていたが、[[明治時代]]以降になると[[黙読]]（もくどく）が主となった。当初黙読がそれほど広まっていない頃には、黙読する人は「何を読んでいるのか分からない」ため気味悪がられ、また、黙読が広まっても、なかなか音読の習慣を止められない人もいたとされる。黙読している間も声を出さずに音読しているのと同じように読む人もいる。また、江戸時代には四書五経のような教養書の他に[[戯作]]本（『[[東海道中膝栗毛]]』等）が登場して出版業が成立、生活に余裕のある都市住民を中心に娯楽としての読書が広がっていた。当時、日本語の崩した文字に対応するために、[[木版印刷]]が広く用いられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[20世紀]]になると大衆の教育の広がりと向上により、かつてより書を読む人間が増えて、また出版技術の向上により大量出版の時代となった。日本においては、大正時代から昭和前期における[[円本]]の流行が「廉価な本を大量に発行する」という出版形態の発端とされる。しかし、20世紀後半になってテレビやインターネット等他メディアの爆発的な発達により、知識情報獲得手段としての読書の地位が相対的に低下していったため、若者が本を読まなくなったと嘆く人間の間で「[[活字離れ]]」「[[読書離れ]]」が語られることがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 読書の様式 ==&lt;br /&gt;
[[File:Japanese Reading.jpg|thumb|250px]]&lt;br /&gt;
他の読み方としては、要所をピックアップして行くなどして読書速度を上げる[[速読]]（そくどく）や、内容をよく理解して更にはその思想までもを汲み取ろうとする[[精読]]（せいどく）などがある。本を読まずに大量に積み上げることを、皮肉的に「積ん読」（つんどく）ともいう。（この「積ん読」という言葉を発案したのは[[田尻稲次郎]]である。）また、書籍に限らないがその[[原稿]]を関係者や第三者が読んで問題点を指摘することを[[査読]]（さどく）といい、更に問題点を修正したりすることを[[校正]]（こうせい）という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
読書にのめり込んで、終始活字を目で追わなければ気がすまないようになった人間は、「[[活字中毒]]」とされる。その一方で[[ビブリオマニア]]（書痴・愛書狂）のように、書籍それ自体をこよなく愛好する向きもあり、[[書店]]のみならず[[古書]]専門店も根強い人気を得ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20世紀末より、[[インターネット]]の普及などにより、[[プレーンテキスト]]データのみならず、様々な図表も入った書籍[[データ]]を[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]や[[携帯情報端末]] (PDA) 等に[[ダウンロード]]して、専用ビューワーを利用して読書するなど、その方法は多様化している（→[[電子書籍]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来、内向的な行為とされる読書だが[[書評]]や[[日記|読書日記]]などを通して自己表現として評価されることもある。読書のWebサイトでは、書評ページの「松岡正剛の千夜千冊」に見られるような、様々な[[書評]][[ウェブサイト|サイト]]がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 読書運動 ==&lt;br /&gt;
[[File:Kunitomo03s3200.jpg|thumb|right|180px|「読書する少女」像（[[長浜市]]）]]&lt;br /&gt;
読書を呼びかける運動を総称して、読書運動と呼ぶ。子どもの情操教育、リテラシー教育、活字離れ対策、出版産業の振興など、さまざまな視点から運動が展開されている。中でも[[青少年読書感想文全国コンクール]]は知名度と歴史において際だっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[読書感想文]]&lt;br /&gt;
* [[書見台]]&lt;br /&gt;
* [[教養]]&lt;br /&gt;
* [[図書館]]&lt;br /&gt;
* [[読書週間]]&lt;br /&gt;
* [[活字離れ]]&lt;br /&gt;
* [[読書マラソン]]&lt;br /&gt;
* [[ビブリオバトル]]&lt;br /&gt;
* [[読書会]]&lt;br /&gt;
* [[ブッククラブ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{commonscat|Reading}}&lt;br /&gt;
* [http://www.gakkai.ac/jra/ 日本読書学会]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:とくしよ}}&lt;br /&gt;
[[Category:読書|*とくしよ]]&lt;br /&gt;
[[Category:学校図書館]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>58.98.209.103</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%EF%BC%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9&amp;diff=62407</id>
		<title>クロード・レヴィ＝ストロース</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%EF%BC%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9&amp;diff=62407"/>
		<updated>2014-08-11T14:06:18Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;58.98.209.103: /* 主要著作 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox 哲学者&lt;br /&gt;
| region           = [[西洋哲学]]&lt;br /&gt;
| era              = 20世紀の哲学&amp;lt;br /&amp;gt;21世紀の哲学&lt;br /&gt;
| image_name       = Levi-strauss 260.jpg&lt;br /&gt;
| image_size       = 250px&lt;br /&gt;
| image_alt        = &lt;br /&gt;
| image_caption    = クロード・レヴィ＝ストロース&lt;br /&gt;
| name             = クロード・レヴィ＝ストロース&amp;lt;br /&amp;gt;Claude Lévi-Strauss&lt;br /&gt;
| other_names      = &lt;br /&gt;
| birth_date       = {{生年月日と年齢|1908|11|28|死去}}&lt;br /&gt;
| birth_place      = {{BEL}}・[[ブリュッセル]]&lt;br /&gt;
| death_date       = {{死亡年月日と没年齢|1908|11|28|2009|10|30}}&amp;lt;ref name=&amp;quot;leMonde-Necrologie&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web |date=2009-11-04 |url=http://www.lemonde.fr/carnet/article/2009/11/04/claude-levi-strauss-anthropologue-pere-du-structuralisme_1262637_3382.html#ens_id=1262333|title=Nécrologie: Claude Lévi-Strauss, anthropologue, père du structuralisme |publisher=Le Monde|accessdate=2009-11-12|quote=&amp;quot;30 octobre 2009 Mort à Paris.&amp;quot; }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
| death_place      = {{FRA}}・[[パリ]]&lt;br /&gt;
| school_tradition = [[大陸哲学]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[フランス現代思想]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[フランス社会学派]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[構造主義]]&lt;br /&gt;
| main_interests   = [[哲学]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[社会人類学]]、[[文化人類学]]、[[民族学]]、[[アメリカ先住民]]、[[親族関係]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[神話学]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[倫理学]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[言語哲学]]&lt;br /&gt;
| notable_ideas    = 二項対立、限定交換、一般交換、[[互酬性]]、[[構造]]、構造変換&lt;br /&gt;
| influences       = [[フェルディナン・ド・ソシュール]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ロマーン・ヤーコブソン]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[フランツ・ボアズ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[マルセル・モース]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ニコライ・トルベツコイ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ジャン＝ジャック・ルソー]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[カール・マルクス]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[エミール・デュルケーム]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[モーリス・メルロー＝ポンティ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ジークムント・フロイト]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ルネ・デカルト]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[セーレン・キェルケゴール]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[エトムント・フッサール]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[アルフレッド・ラドクリフ＝ブラウン]]&amp;lt;br /&amp;gt;その他多数&lt;br /&gt;
| influenced       = [[ミシェル・フーコー]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ジル・ドゥルーズ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ジャック・デリダ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ジャック・ラカン]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ジュディス・バトラー]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ジャン・ピアジェ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ジャン・ボードリヤール]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ピエール・ブルデュー]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ルイ・アルチュセール]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[エドマンド・リーチ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ロラン・バルト]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[スラヴォイ・ジジェク]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ウンベルト・エーコ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[フレドリック・ジェイムソン]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[マルセル・ドゥティエンヌ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ジャン＝ピエール・ヴェルナン]]&amp;lt;br /&amp;gt;その他多数&lt;br /&gt;
| signature        = &lt;br /&gt;
| signature_alt    = &lt;br /&gt;
| website          = &amp;lt;!-- {{URL|example.com}} --&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;クロード・レヴィ＝ストロース&#039;&#039;&#039;（&#039;&#039;&#039;Claude Lévi-Strauss&#039;&#039;&#039;, [[1908年]][[11月28日]] - [[2009年]][[10月30日]]&amp;lt;ref name=&amp;quot;leMonde-Necrologie&amp;quot; /&amp;gt;）は、[[フランス]]の[[社会人類学|社会人類学者]]、[[民族学者]]。出身は[[ベルギー]]の首都[[ブリュッセル]]。[[コレージュ・ド・フランス]]の[[社会人類学]]講座を1984年まで担当し、[[アメリカ先住民]]の神話研究を中心に研究を行った。[[アカデミー・フランセーズ]]会員。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
専門分野である人類学、神話学における評価もさることながら、一般的な意味における[[構造主義]]の祖とされ、彼の影響を受けた人類学以外の一連の研究者たち、[[ジャック・ラカン]]、[[ミシェル・フーコー]]、[[ロラン・バルト]]、[[ルイ・アルチュセール]]らとともに、1960年代から1980年代にかけて、[[現代思想]]としての構造主義を担った中心人物のひとり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ちから学生時代まで 1908-1929 ===&lt;br /&gt;
1908年に両親が一時的に滞在していた[[ベルギー]]の[[ブリュッセル]]にて生まれる。両親とも[[アルザス]]出身の[[ユダヤ人]]の家系であり、また両親は[[イトコ]]同士であった。父親の職業は画家であり、その交友関係は芸術を通じてのものが多く、幼少期から、芸術に親しみやすい環境で育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少年期には、[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]や[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]などを同時代的に摂取しただけでなく、[[ジャポニスム]]期、[[印象派]]の時代からフランスへさかんに紹介されていた[[浮世絵]]を初めとする日本の文物にも触れており、日本の美術工芸への関心を持ち続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両親の友人らを通じて、比較的早くから[[マルクス主義]]にふれ、高校から大学時代にかけて社会主義運動に参加し学生組織の書記長を務め、ベルギー社会党の協同組合運動をフランスに紹介するなどの活動を行い、社会党代議士ジョルジュ・モネの秘書として法案作成に携わるなど、政治活動を行っていた。&lt;br /&gt;
[[パリ大学|ソルボンヌ大学]]を卒業し[[法学]]の学士号を取得するかたわら、[[哲学]]を学び、[[アグレガシオン]]（哲学教授資格試験）に合格する。合格後の教育実習の同期生たち、[[モーリス・メルロー＝ポンティ]]、[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]などがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
教授資格取得後、2つの[[リセ]]（フランスにおける中等教育機関、日本の高校相当）で哲学教師を経験する。資格取得試験のために中断していた政治活動を再開し、教師生活の傍ら赴任地の地方議会への立候補を企てるなどの活動を行うも、哲学教師としての生活にあきたらず、パリ大学での指導教授のひとりであった社会学者[[セレスタン・ブーグレ]]から、新設のブラジル、[[サンパウロ大学]]の社会学教授としての赴任の打診を受けたことをきっかけに、当時興味をもち始めていた民族学のフィールドワークへの期待を抱いて&amp;lt;ref&amp;gt;本人は民族学への転進にはアメリカの文化人類学者[[ロバート・ローウィ]]の著作『未開社会』を読んだことが大きな契機だったと語っている&amp;lt;/ref&amp;gt;、社会学の教授としてブラジルへと渡る&amp;lt;ref&amp;gt;このときのフランスからの派遣教授陣のなかには、後に大著『地中海』で有名になる[[アナール学派]]の歴史家、[[フェルナン・ブローデル]]もいた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ブラジルでの教師生活 1930-1939 ===&lt;br /&gt;
大学教授として、1932年の護憲革命後の新たな社会の担い手を自認する新興ブルジョワ層の学生相手に社会学を講じ、妻ディナとともにサンパウロ州の郊外を中心に民族学のフィールドワークに取り組んだ&amp;lt;ref&amp;gt;この最初の妻とは、ブラジルを離れる頃には離婚していたようであるが、ブラジルでの大小さまざまなフィールドワークは共同で行っていたらしく、例えば、彼らが撮影した[[ボロロ族]]の民族誌フィルムには2人の名前がクレジットされている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2年間の大学教授生活の間は、主に大学の休暇を利用して現地調査を行い、長期休暇の際には、パラグアイとの国境地帯に居住していた[[カデュヴェオ族]]や、ブラジル内陸のマトグロッソ地方に居住していた[[ボロロ族]]のもとでの調査を行った。これらの調査結果は、フランスへの一時帰国の際に、[[マルセル・モース]]らの後援のもとで、パリの[[人類博物館]]などで発表された。その後、大学からの任期延長を断り1936年からほぼ一年間を、ブラジルの内陸部を横断する長期調査に費やす。この調査の途上で、[[ナムビクワラ族]]や[[トゥピ＝カワイブ族]]など、アマゾン川の支流に暮らすいくつかの民族と接触している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ブラジルへと渡るまでの経緯や、ブラジルでの現地調査などのさまざまな体験、さらに後述の亡命を経て第二次大戦後フランスに帰国する頃までの体験のいくつかが、著書『悲しき熱帯』（1955年）のなかで印象的に回想されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ニューヨークにおける亡命生活 1940-1949 ===&lt;br /&gt;
ブラジルでの長期横断調査の後、[[第二次世界大戦]]前夜にフランスに帰国して応召、[[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線]]に従軍する。フランスの敗戦により兵役解除となり、いったん南仏に避難するも、ナチスによるユダヤ人迫害が迫るのを逃れて、[[マルセイユ]]から船でアメリカ合衆国へ亡命する。同じ船上には、[[シュルレアリスト]]詩人の[[アンドレ・ブルトン]]もいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
亡命先のニューヨークでは、ブルトンを初め、当時ニューヨークに集っていたシュルレアリストたちと親しく交際&amp;lt;ref&amp;gt;他には[[マックス・エルンスト]]、[[イヴ・タンギー]]ら&amp;lt;/ref&amp;gt;。彼らと連れ立って、アメリカ先住民の美術工芸品の収集を熱心に行っていた。社会人大学のニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチにて文化人類学を講じる。当時のニューヨークにはまたヨーロッパからのユダヤ系をはじめとする亡命知識人たちがおり、ニュースクールには彼らが教師として多数名を連ねていた&amp;lt;ref&amp;gt;ドイツからフランスを経て亡命してきた[[ハンナ・アーレント|ハンナ・アレント]]もそのひとりである。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この大学において同じく合衆国へと亡命してきていた[[言語学]]者・[[ロシア・フォルマリズム|民俗学]]者の[[ロマン・ヤコブソン]]と知り合う。二人はお互いの講義を聴講しあい、レヴィ＝ストロースは彼から、彼自身が主導してきた[[構造言語学]]の方法論、とりわけ[[音韻論]]（[[音素]]およびその[[二項対立]]的な組成、さらに[[ゼロ音素]]の概念など）の発想を学び、ブラジルでのフィールドワークにおいて漠然とした着想を得ていた、親族構造論の骨格として活用することを思いつく&amp;lt;ref&amp;gt;「南米のインディオにおける戦争と交易」という南米を主題にした親族交換論が1942年に発表されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1945年の論文『言語学と人類学における構造分析』において、音韻論的な二項対立を活用して親族組織を分類するための基礎的な方法論がテストされた後、第二次大戦の終結後も合衆国にとどまり、およそ2年間の執筆期間をかけて、デュルケム学派の親族論の批判的継承やモースの贈与論の着想の活用をはじめ、従来の人類学・社会学の[[近親相姦]]および親族関係の主題を網羅したうえで、女性の交換を親族構造の根本的機能であることを提起した序論および第1部と理論部と、それに続いて、[[ニューヨーク公共図書館]]に通いつめての所蔵文献資料の検討の結果である、オーストラリアから北東・東南アジア・古代中国・インドの親族構造を題材にそうした交換様態の存在を例証した第2部・第3部からなる大著『親族の基本構造』を、博士論文として完成させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 『親族の基本構造』の発表から社会人類学講座の創設 1950-1959 ===&lt;br /&gt;
1948年頃に完成した『親族の基本構造』を携えて、フランスへと帰国する。1949年に『親族の基本構造』は論文審査を通過し、フランスにおいて公刊される。神話学者[[ジョルジュ・デュメジル]]の紹介により、[[高等研究実習院]]に職を得て、未開社会における宗教をめぐるセミネールを、この後、コレージュ・ド・フランスへの社会人類学講座創設にともなってのこのセミネールが発展的に解消されるまで担当する&amp;lt;ref&amp;gt;講座新設後も数年間はコレージュの講義と並行して、高等研究実習院でも彼の講義が行われており、サルトルの『弁証法的理性批判』の講読はこの講座で行われている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この間、[[マルセル・モース]]の著作集『社会学と人類学』の編集にたずさわり、「浮遊するシニフィアン」の概念などを提起しつつ、モースを彼自身の構造人類学の先駆者として再読する長大な序文を執筆するなど、自身の方法論である構造人類学をいわばフランス社会学派の相続者のひとつとして認知させる方向で研究をすすめていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1951年、1952年の2度にわたってコレージュ教授選へと立候補するも、学閥間の争いの結果として落選する。1958年の再々度の立候補までの間、みずからの方法論を冠した初めての論文集『構造人類学』（1958年）に所収される民族学・社会人類学関連の諸論文を執筆し研究活動を続けるかたわら、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の反人種主義キャンペーンのための小冊子『人種と歴史』（1952年）を執筆したほか&amp;lt;ref&amp;gt;同キャンペーンに際して[[ミシェル・レリス]]も『人種と文明』という小冊子を執筆している。&amp;lt;/ref&amp;gt;）、[[メルロ＝ポンティ]]と[[サルトル]]が共同で編集していた論壇誌『タン・モデルヌ（現代）』誌でも「火あぶりにされるサンタクロース」をはじめとして幅広い論考を世に問うており、さらには1955年の自叙伝的色彩をもった民族誌風の著作『悲しき熱帯』の刊行によりセンセーショナルな評価を獲得する。『基本構造』によって学会内部で著名であった彼の名前は、一気に世間に知れ渡ることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
3度目の立候補で、親友の哲学者であるメルロ＝ポンティの尽力をはじめ&amp;lt;ref&amp;gt;『野生の思考』はこの選出後しばらくして急逝した、彼の記憶に捧げられている。&amp;lt;/ref&amp;gt;）、[[デュメジル]]や[[バンヴェニスト]]らの後押しもあって、1959年から[[コレージュ・ド・フランス]]の教授に選出される。この選出により彼が担当することになる講座は、新設の社会人類学講座であり、コレージュ・ド・フランスに人類学系の講座が設けられたのはこれが最初であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの社会人類学講座の創設と前後して、人類学のための学術雑誌『L&#039;Homme（人間）』が、彼の呼びかけのもと、言語学者バンヴェニストや先史学者[[アンドレ・ルロワ＝グーラン|ルロワ＝グーラン]]、さらに地理学者の[[ピエール・グルー]]らを編集同人に加えて発刊される。それまではフランスに存在しなかった、大英帝国の『王立人類学協会雑誌』、『マン』誌、アメリカ合衆国人類学会の学会誌『アメリカン・アンスロポロジスト』のような人類学専門誌の創刊により、前述の社会人類学講座と合わせて、フランスにおける人類学研究の拠点のひとつの軸が形成され、彼も自身の研究を勧めるとともに、この研究グループに指導的立場として関わっていくことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 『今日のトーテミスム』および『野生の思考』から『神話論理』へ 1960-1969 ===&lt;br /&gt;
コレージュ教授への就任と前後して、レヴィ＝ストロースの研究活動の中心は、拠点としてはコレージュにおける毎年度の講義に、主題としては高等研究実習院のセミネール担当以来取り組んできた、未開社会の宗教研究とりわけ未開社会の神話の研究へと移った。パリの人類博物館や高等研究実習院の人類学関連部門と連携しつつセミネールを運営しながら研究活動を行っていった。これ以降、1984年のコレージュ退職までに刊行された著作はすべて（および、1969年度講義をもとにして1992年に刊行された『大山猫の物語』）、まず講義において着想が練られ、聴講者との議論を経たのちに、著作として刊行されたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1962年には、前年度の講義「今日のトーテミスムおよび野生の思考」を下敷きにして、[[トーテミズム]]という人類学上の概念を批判的に検討し、従来の用法を徹底的に解体しつくした『今日のトーテミスム』、ならびに、その解体作業を踏まえて未開的分類論がもつある種の合理性を説得的に取り出し、『人種と歴史』において挑発的に提出した「冷たい社会」と「熱い社会」という理念的対比を念頭において、冷たい社会における社会像の産出とその秩序維持のメカニズムを現代社会にも残存する諸要素と通底させるかたちで例証してみせた『[[野生の思考]]』が発表された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 思想的特色 ==&lt;br /&gt;
彼の人類学におけるデータ分析の方法論において中心をなすのは、[[言語学]]とりわけ、[[フェルディナン・ド・ソシュール|ソシュール]]から[[ロマン・ヤコブソン|ヤコブソン]]へといたる構造言語学における[[音韻論]]および、フランス社会学年報派、とりわけ[[デュルケム]]の流れを汲む社会学者[[マルセル・モース]]の社会学＝人類学思想の2つであるといえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、さまざまな著作の随所で度々述べられているように、青年期に親しんだマルクス主義や、地質学への興味に見られる博物学的関心（こうした性向から、ときにゲーテが研究した自然学への親近感を表明することもある）に加え、芸術家の出入りが多い環境で育ったこともあり、西洋[[クラシック音楽]]におけるワーグナーやストラヴィンスキー、絵画におけるシュルレアリズムやキュビズムなど、同時代のアヴァンギャルド芸術思潮からの影響も多分に受けており、こうした多方面的な知識が、彼の著作を単なる人類学における論文や著書とは一線を画したものにしており、多くの言語に訳されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 親族構造の分析-『親族の基本構造』から『親族の複合構造』へ ===&lt;br /&gt;
未開社会の婚姻規則の体系、無文字社会を[[贈与]]の問題や、[[記号学]]的立場から分析した。オーストラリア先住民（[[アボリジニ]]）と東南アジア・古代中国・インド・北東アジアの婚姻規則の体系を構造言語学のインスピレーションをもとにして統一的観点からの分析をし、博士論文となった1949年の『親族の基本構造』において自らの基本的立場を明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この「構造」に、[[群論]]を使った数理的な解析を与えたのは、数学者の[[アンドレ・ヴェイユ]]（かの[[ブルバキ]]の結成メンバーであり、[[シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)|シモーヌ・ヴェイユ]]の兄である）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「未開社会」観の変革 ===&lt;br /&gt;
レヴィ＝ストロースは『野生の思考（パンセ・ソバージュ）』（1962年）などにおいて、従来の「[[野蛮]]（混沌）」から洗練された秩序が形作られたとする[[ヨーロッパ中心主義|西洋中心主義]]に対し、混沌の象徴と結びつけられた「未開社会」においても一定の秩序・構造が見いだせると主張し[[オリエンタリズム]]的見方に一石を投じた。これは後の[[ポストコロニアリズム]]で特に高く評価されている。なお『パンセ・ソバージュLa pensée sauvage』の題は[[ブレーズ・パスカル|パスカル]]の『[[パンセ]]』を元にしたといわれ「野生の三色すみれ」の意味もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関わった論争 ==&lt;br /&gt;
=== 『弁証法的理性批判』をめぐって-サルトルとの論争 ===&lt;br /&gt;
1962年の『野生の思考』の最終章「歴史と弁証法」においてレヴィ=ストロースは、[[ジャン＝ポール・サルトル|サルトル]]の[[実存主義]]を強烈に批判した。このことから、実存主義に対立し、それを乗り越えるものとしての構造主義という思潮が、ときには過剰なまでにもてはやされる契機となった。本人はその後も、センセーショナルな流行からはつねに距離をとり、10年もの歳月をかけて、ライフワークとなった4巻に及ぶ『神話論理』（『生のものと火にかけたもの』、『蜜から灰へ』、『テーブルマナーの起源』、『裸の人』）を完成させ、神話研究において不滅の業績を残した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼の問題意識はサルトルの実存主義という主体偏重を批判し、西洋社会における、西洋中心主義に対する批判的意識から出発している。前者に対しては、主体ではなく、主体間の構造こそが重要だと主張し（主体が使う言語は共同体社会によって生み出された構造主義的なものなので、絶対的な主体ではありえない）、後者に対しては、どのような民族においてもその民族独自の構造を持つもので、西洋側の構造でその他の構造に対して優劣をつけることなど無意味だと主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== デリダによる批判 ===&lt;br /&gt;
[[橋爪大三郎]]の分析によると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[ジャック・デリダ]]は従来のパロール（話し言葉）中心の言語分析（ロゴス中心主義、音声中心主義と称される）に反対し、エクリチュール（文字）を重視せよと主張していた。&lt;br /&gt;
* そのデリダから見ると、レヴィ＝ストロースは音韻論を人類学に持ち込み、なおかつ社会が出来てから文字が出来るという後成説を採っているので、デリダの批判するロゴス中心主義者と映る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのためデリダはレヴィ＝ストロースを批判したとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし同じく橋爪大三郎の指摘によれば、レヴィ＝ストロースの主張とデリダの批判の間には噛み合っていない部分が多く、またレヴィ＝ストロースの専門（人類学）とデリダの専門（言語分析）は必ずしも矛盾しないとされ、すなわちデリダによる批判という見解にはやや的外れな点があるとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== リーチによる批判 ===&lt;br /&gt;
英国の[[社会人類学|社会人類学者]][[エドマンド・リーチ]]は、レヴィ＝ストロースの親族研究を多岐に渡って批判している。しかし[[小田亮 (文化人類学者)|小田亮]]の分析によると、これはリーチ自身、「基本構造」という語が、交叉イトコ婚（[[いとこ婚#文化人類学におけるいとこ婚]]）による[[婚姻]]体系ではインセスト・タブーと外婚制が裏表となっているという意味で「基本」構造と呼ばれていることを理解していないためであり、また経済的に何の利益もない「交換のための交換」が社会生成に関係するということを捉え損なっているためであるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
詳しくは、小田亮『レヴィ＝ストロース入門』（[[ちくま新書]]、2000年）と、エドマンド・リーチ、吉田禎吾訳『レヴィ＝ストロース』（[[ちくま学芸文庫]]、2000年）を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード・来日ほか==&lt;br /&gt;
* レヴィ＝ストロース（Lévi-Strauss）が姓である。[[リーバイス]]の創業者[[リーヴァイ・ストラウス]]（Straussが姓）と似ているので、両者は遠縁関係であると一部に誤解されている。実際にリーバイス社が日本で紹介され始めた際には「レヴィ・ストロース社」とされることもあり、この点に関しては、合衆国に出張した際、[[カリフォルニア]]のレストランで名前を告げると「pants or books?（ズボン、それとも本？）」と尋ねられたという逸話を本人が語っている。&lt;br /&gt;
* 1955年に代表作『悲しき熱帯』を刊行し、センセーショナルに評価受容された際、[[ゴンクール賞]]を選定するアカデミー・[[ゴンクール]]から、小説でないために『悲しき熱帯』を受賞作にできないのは、非常に残念だという旨の[[コミュニケ]]が発表された。なおアカデミー・フランセーズ選出者は、賞を返上するという慣行があるらしく、仮にレヴィ＝ストロースが受賞した場合、この慣行が行われていた可能性がある。&lt;br /&gt;
* 1973年に[[エラスムス賞]]を受賞。同年[[アカデミー・フランセーズ]]正会員に選ばれた。&lt;br /&gt;
* 1977年10月から11月、1986年4月の他に数度来日し、講演・[[シンポジウム]]や日本の学者らとの交流を行っている。[[日本文化]]を高く評価する[[親日家]]であり、1993年春の外国人[[叙勲]]で[[勲等|勲二等]][[旭日章|旭日重光章]]が授与されている。&lt;br /&gt;
* 1993年4月14－15日、[[日本放送協会|NHK]]「[[ETV特集]]」で、弟子の[[川田順造]]によるロング・インタビュー「第1回 自然・人間・構造」、「第2回 日本への眼差し」を放映。のち[[白水社]]でビデオ化（別冊付）されたが絶版、未[[DVD]]。&lt;br /&gt;
* [[2008年]]11月28日に100歳の誕生日を迎え、フランスでは記念行事が行われ、また政府はフランスで活動する人文社会科学者を対象とする「レヴィ＝ストロース賞」の創設を発表。&lt;br /&gt;
* [[2009年]]10月30日深夜にフランス東部リニュロール村の別荘で死去した。遺言により親族による密葬を経て、11月3日に代理人でもある出版社が公表した。最後の様子は、川田順造『文化を交叉させる　人類学者の眼』（[[青土社]]、[[2010年]]5月、序文レヴィ＝ストロース）の著者あとがきに詳しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 指導を受けた研究者たち ==&lt;br /&gt;
* [[ピエール・クラストル]]&lt;br /&gt;
* [[フランソワーズ・エリティエ＝オジェ]]&lt;br /&gt;
* [[フィリップ・デスコーラ]]&lt;br /&gt;
* [[モーリス・ゴドリエ]]&lt;br /&gt;
* [[ピエール・ブルデュー]]&lt;br /&gt;
* [[ミシェル・ペラン]]&lt;br /&gt;
* [[川田順造]] 関連著書多数&lt;br /&gt;
* [[渡辺公三]] 関連著書多数&lt;br /&gt;
* [[吉田禎吾]] 『レヴィ＝ストロース　人と思想』（入門書で共著、[[清水書院]]、1991年）がある。&lt;br /&gt;
* [[夏刈康男]] [[社会学者]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主要著作 ==&lt;br /&gt;
他の「構造主義者」と異なり、レヴィ・ストロースの文章は明晰であると評価されている。難解な言い回しを用いず、また彼の構造主義という発想の基点の一つである数学的知識に関しても誤った理解をすることなく受け入れたことで、後に[[フランス現代思想]]界を揺るがす[[アラン・ソーカル]]による一連の批判（[[ソーカル事件]]）の対象外に置かれることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;Les structures élémentaires de la parenté,&#039;&#039; (Paris, Presses Universitaires de France, 1949)&lt;br /&gt;
** 『親族の基本構造』 [[青弓社]]&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;Tristes tropiques&#039;&#039; (Paris, Plon(Terre humaine), 1955)&lt;br /&gt;
** 『[[悲しき熱帯 (レヴィ・ストロース)|悲しき熱帯]]』 [[中央公論新社]]、[[中公クラシックス]]（新版）、各全2巻&lt;br /&gt;
** 『悲しき南回帰線』 [[講談社学術文庫]]、全2巻&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;Anthropologie structurale&#039;&#039; (Paris, Plon, 1958)&lt;br /&gt;
** 『構造人類学』 [[みすず書房]]&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;La pensée sauvage&#039;&#039; (Paris, Plon, 1962)&lt;br /&gt;
** 『[[野生の思考]]』 みすず書房&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;Les mythologiques&#039;&#039; (Paris, Plon, 1964 - 71)&lt;br /&gt;
** 『神話論理』 みすず書房 全4巻、第4巻は2分冊につき全5冊、2006年-2010年刊&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;Le regard éloigné&#039;&#039; (Paris, Plon, 1983)&lt;br /&gt;
** 『はるかなる視線』 みすず書房 全2巻&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;Paroles données&#039;&#039; (Paris, Plon, 1984)&lt;br /&gt;
** 『パロール・ドネ』 講談社選書メチエ&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;La potière jalouse&#039;&#039; (Paris, Plon, 1985)&lt;br /&gt;
** 『やきもち焼きの土器作り』 みすず書房&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;De près et de loin&#039;&#039; (Paris, Odile Jacob, 1988)&lt;br /&gt;
** 『遠近の回想』（ディディエ・エリボンとの共著） みすず書房&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;Saudades do Brasil&#039;&#039; (Paris, Plon, 1994)&lt;br /&gt;
** 『ブラジルへの郷愁』 みすず書房／普及版・中央公論新社　写真が主。 &lt;br /&gt;
* &#039;&#039;Saudades de São Paulo&#039;&#039; (São Paulo, Companhia das letras, 1996)&lt;br /&gt;
** 『サンパウロへの[[サウダージ]]』 みすず書房、2008年　写真が主。&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;L&#039;autre face de la lune. Écrits sur le Japon&#039;&#039; (Paris, Seuil, 2011)&lt;br /&gt;
** 『月の裏側　日本文化への視角』 中央公論新社、2014年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[ポスト構造主義]]&lt;br /&gt;
* [[インセスト・タブー]]&lt;br /&gt;
* [[ブリコラージュ]]&lt;br /&gt;
* [[オクタビオ・パス]] - 『クロード・レヴィ＝ストロース あるいはアイソーポスの新たな饗宴』がある。[[鼓直]]・木村栄一訳（叢書ウニベルシタス・[[法政大学出版局]]、1988年）&lt;br /&gt;
* [[中沢新一]] - 『パロール・ドネ』を訳した。（[[講談社選書メチエ]]、2009年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* 書誌[http://www.lib.hit-u.ac.jp/pr/reading/tz/html/levistrauss.html]&lt;br /&gt;
* [http://www.documen.tv/asset/About_Tristes_Tropiques.html Documentaire 52&#039;: About &amp;quot;Tristes Tropiques&amp;quot;] 1991 - Film Super 16 &amp;lt;!-- 有料コンテンツのようです。WP:EL? --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アカデミー・フランセーズ|29|18|1973|2009|アンリ・ド・モンテラン|アミン・マアルーフ|れういすとろおす くろおと}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:れういすとろおす くろおと}}&lt;br /&gt;
[[Category:フランスの文化人類学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:フランスの哲学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の文化人類学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:20世紀の哲学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:21世紀の哲学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ポストモダン哲学]]&lt;br /&gt;
[[Category:エラスムス賞]]&lt;br /&gt;
[[Category:構造主義]]&lt;br /&gt;
[[Category:神話学者]]&lt;br /&gt;
[[Category:コレージュ・ド・フランスの教員]]&lt;br /&gt;
[[Category:高等研究実習院の教員]]&lt;br /&gt;
[[Category:サンパウロ大学の教員]]&lt;br /&gt;
[[Category:第二次世界大戦期フランスの軍人]]&lt;br /&gt;
[[Category:フランスの亡命者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユダヤ系フランス人]]&lt;br /&gt;
[[Category:ブリュッセル出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:レジオンドヌール勲章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1908年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2009年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:長寿の人物]]&lt;br /&gt;
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		<title>交響曲第5番</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;58.98.209.103: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Portal クラシック音楽}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (ヴォーン・ウィリアムズ)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (オネゲル)]]『3つのレ』&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (グラズノフ)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (シベリウス)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (シューベルト)]]&lt;br /&gt;
* [[弦楽のための交響曲 (ウィリアム・シューマン)|交響曲第5番 (ウィリアム・シューマン)]]『弦楽の為の交響曲』&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (ショスタコーヴィチ)]]『革命』&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (スクリャービン)]]『プロメテウス』&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (團伊玖磨)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (チャイコフスキー)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (ドヴォルザーク)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (ニールセン)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (バックス)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (ブルックナー)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (プロコフィエフ)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (ベートーヴェン)]]『運命』&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (マーラー)]]&lt;br /&gt;
* [[交響曲第5番 (メンデルスゾーン)]]『宗教改革』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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		<author><name>58.98.209.103</name></author>
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