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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-09-05T02:17:50Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>38度線</title>
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		<updated>2014-07-14T02:20:30Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;36.244.174.208: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruseslist|朝鮮半島の分割占領ラインとしての北緯38度線|基準となった緯線|北緯38度線|国連が設定した現在の南北朝鮮の境界線|軍事境界線 (朝鮮半島)}}&lt;br /&gt;
{{Otheruses2||他の38度線|南緯38度線|東経38度線|西経38度線}}&lt;br /&gt;
{{朝鮮の事物|&lt;br /&gt;
| title=38度線&lt;br /&gt;
| picture=[[ファイル:Korean war 1950-1953.gif|center|150px]]&lt;br /&gt;
| caption=&lt;br /&gt;
| hangeul=38도선 / 38선（삼팔선）&lt;br /&gt;
| hanja=三十八度線 / 三八線&lt;br /&gt;
| hiragana=さんじゅうはちどせん / さんはちせん&lt;br /&gt;
| katakana=サンパルソン&lt;br /&gt;
| alphabet-type=[[英語]]表記&lt;br /&gt;
| alphabet=38th parallel north&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;38度線&#039;&#039;&#039;（38どせん、{{lang-en-short|&#039;&#039;38th parallel north&#039;&#039;}}）は、本来は、[[第二次世界大戦]]末期に[[朝鮮半島]]を横切る[[北緯38度線]]に引かれた[[アメリカ軍]]と[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]の分割占領ラインである。北緯38度線上に定められたことから、こう呼ばれる。[[大韓民国]]（韓国）では&#039;&#039;&#039;38線&#039;&#039;&#039;（{{lang|ko|38선}}、三八線）と呼んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
韓国と[[朝鮮民主主義人民共和国]]（北朝鮮）の[[独立]]から[[朝鮮戦争]]勃発までは、それらの国の境界線（[[国境]]）となっていた。朝鮮戦争後の[[軍事境界線 (朝鮮半島)|軍事境界線]]もやはり38度線と呼ばれることがあるが、正確には一致しない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北緯38度線と軍事境界線の交差座標：{{ウィキ座標度分秒|38|0|0|N|126|47|13.20|E}}&lt;br /&gt;
== 38度線の成立と朝鮮半島分断 ==&lt;br /&gt;
1945年8月9日、[[大日本帝国]]に[[宣戦布告]]した[[ソビエト連邦|ソ連]]は[[満州]]と朝鮮半島北部に侵攻を開始した。この状況を受けて[[アメリカ合衆国|アメリカ]]は対応を検討し、ソ連軍が単独で朝鮮半島を[[占領]]する事態を防ぐため、ソ連に対し半島の分割占領案を提示する事が決まった。8月10日から11日にかけて[[国務・陸軍・海軍調整委員会]]において「北緯38度線で分割する」という案が画定され、[[ハリー・S・トルーマン]]大統領の承認を受けた{{sfn|李圭泰|1992|pp=405}}。この案はソ連側に提示され、8月16日にソ連はこれに同意する{{sfn|李圭泰|1992|pp=405}}。8月17日には{{仮リンク|一般命令第一号|en|General Order No. 1}}によって38度線以北の日本軍はソ連に、以南はアメリカ軍に降伏することが決定された。この命令は[[ポツダム宣言]]を受諾した日本に伝達され、9月2日の[[日本の降伏文書|降伏文書]]調印後に[[大本営]]によってこの方針が指令された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
38度線が境界となった理由には諸説がある。一つはアメリカ軍が軍事的な便宜の面から、暫定的な境界線として提示したというものである{{sfn|李圭泰|1992|pp=393}}。8月10日から11日の会議の最中、[[ペンタゴン]]において陸軍次官補{{仮リンク|ジョン・マクロイ|en|John J. McCloy}}は、アメリカ軍の明白な進駐限界線の画定を[[ディーン・ラスク]]と[[チャールズ・H・ボーンスティール3世]]大佐に命じた{{sfn|李圭泰|1992|pp=405}}。二人は手元にあった小さな壁掛けの地図を参考にして限界線を北緯38度と決めた{{sfn|李圭泰|1992|pp=405-406}}。二人は朝鮮半島の首都をアメリカ軍の占領区域に設定することが望ましいと考えており、38度線は朝鮮半島をちょうど二分する上に、[[ソウル特別市|ソウル]]が南半分に含まれるという理想的なものであった{{sfn|李圭泰|1992|pp=406}}。二人がこの作業にかけたのわずか30分であった{{sfn|李圭泰|1992|pp=406}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ほかには日本軍が[[関東軍]]と[[大本営]]の管轄を38度線付近で分けており、管轄毎にソ連とアメリカに降伏したため、両国の占領区域が38度線となったという説もある&amp;lt;ref&amp;gt;[[関寛治]]「分断の責任－米ソ冷戦は何をもたらしたのかー」、『世界』一九八四年八月号、四九頁&amp;lt;/ref&amp;gt;{{sfn|李圭泰|1992|pp=393}}。ただし、8月9日の大陸命1389号で[[済州島]]をふくむ南朝鮮駐屯の[[第17方面軍 (日本軍)|第17方面軍]]の指揮権は8月10日午前6時より関東軍に移管されており&amp;lt;ref&amp;gt;{{アジア歴史資料センター|C13070054900|「ソ」連は対日宣戦を布告し９日零時以降日「ソ」及満「ソ」国境方面諸所に於て戦闘行動を開始せるも未だ其規模大ならずの件　大陸命第１３７４号　昭和２０年８月９日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、事実ではないと見られている{{sfn|李圭泰|1992|pp=393}}。また古い研究では38度線は米ソが事前に合意していた線であるという主張もあるが、[[ポツダム会談]]などの連合国会談でそのような合意が成された事はない{{sfn|李圭泰|1992|pp=393-294}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、[[呂運亨]]を代表とした「[[朝鮮建国準備委員会]]」（建準）、[[チョ晩植|曺晩植]]を代表とした「五道中央行政委員会」が発足するなど、[[朝鮮民族|朝鮮人]]による建国の動きが高まっていた。しかし統一政府の代表選挙の立候補資格を巡って、両組織の後ろ盾であるアメリカやソ連の利害対立が激化。南北が別々に統一選挙を行う異常事態となり、結果として[[1948年]]、[[金日成]]を首班とする朝鮮民主主義人民共和国と[[李承晩]]を[[大統領 (大韓民国)|大統領]]とする大韓民国という2つの国家が、北緯38度線を境にして朝鮮半島に建国された。&lt;br /&gt;
[[ファイル:Map korea without labels.png|thumb|朝鮮戦争後の境界線。陸上部分が軍事境界線。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 朝鮮戦争と停戦ライン ==&lt;br /&gt;
{{Main|軍事境界線 (朝鮮半島)|北方限界線}}&lt;br /&gt;
[[1950年]][[6月25日]]に[[朝鮮戦争]]が勃発し、[[1953年]]に[[板門店]]で[[朝鮮戦争休戦協定|休戦協定]]が結ばれた。この際、休戦協定直前の最前線が停戦ラインとされ、停戦ラインから南北2キロメートルずつを&#039;&#039;&#039;非武装地帯&#039;&#039;&#039;（DMZ, Demilitarized zone）と呼ばれる緩衝地帯として設置し、朝鮮半島を横切る無人の地域となっている。また南北双方は侵入を防ぐ目的で、非武装地帯を何重にも[[鉄条網]]や高圧[[電線]]で囲い、幅4キロメートルの帯状のこの地域に多くの[[地雷]]を敷設している。以後この停戦ラインは軍事境界線として、2010年現在も南北の事実上の境界線（国境）となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[占領行政|占領政策]]の過程で北緯38度線上に1本の境界線が引かれたこと、そして、その後に南北に異なる[[イデオロギー]][[政権]]が生まれたことが3年間の朝鮮戦争の原因となり、各方面へ多くの犠牲をもたらした。しかし、南北の境界線は、戦争中に南へ北へと移動しても消えることはなく、結局、戦争をもたらした北緯38度線の付近に、停戦ラインを引く結果となってしまったため、朝鮮戦争は「意義のない戦争」であると言われることがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、&#039;&#039;&#039;38度線&#039;&#039;&#039;と言えば、この停戦ラインを指すことが多い。ただし、停戦ラインの38度線はあくまでも「付近」であり、実際には西南西から東北東へと向かう歪な線となった。そのため、第二次世界大戦後から朝鮮戦争勃発までは南側であった[[黄海道]]の海岸部や[[京畿道]]の[[開城市|開城]]は朝鮮戦争停戦後には北側となり（ただし、北側になってからの開城は京畿道ではなく、直轄市あるいは特別工業地区などとして統治された）、逆に[[江原道 (南)|江原道]]の一部（[[束草市]]など）は北側から南側となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[韓国鉄道公社]]（KORAIL）の路線では、[[京元線]]がこの38度線を跨いで運行されている。同線が北緯38度線を越す位置（[[哨城里駅|哨城里]] - [[漢灘江駅|漢灘江]]間）には、それを現す標柱なども建てられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 北緯38度線が横断する国 ==&lt;br /&gt;
{{Main|北緯38度線}}&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
==参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 李圭泰「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110000315675 連合国の朝鮮戦後構想と三八度線]」(1992年)&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[板門店]]&lt;br /&gt;
* [[軍事境界線 (朝鮮半島)|軍事境界線]]&lt;br /&gt;
* [[分断国家]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.korea-dmz.com/jp/ Korea-DMZ] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さんしゆうはちとせん}}&lt;br /&gt;
[[Category:朝鮮半島の南北関係]]&lt;br /&gt;
[[Category:朝鮮の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:朝鮮戦争]]&lt;br /&gt;
[[Category:冷戦]]&lt;br /&gt;
[[Category:緯線]]&lt;br /&gt;
[[Category:政治地理学]]&lt;br /&gt;
[[Category:国境]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>36.244.174.208</name></author>
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