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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>インド</title>
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		<updated>2014-08-15T08:57:30Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;27.84.208.19: /* インド人民党政権 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses}}&lt;br /&gt;
{{インド系文字}}&lt;br /&gt;
{{基礎情報 国&lt;br /&gt;
|略名 =インド&lt;br /&gt;
|日本語国名 =インド共和国&lt;br /&gt;
|公式国名 ={{lang|hi|&#039;&#039;&#039;भारत गणराज्य&#039;&#039;&#039;}} {{smaller|（ヒンディー語）}}&amp;lt;br/&amp;gt;{{lang|en|&#039;&#039;&#039;Republic of India&#039;&#039;&#039;}} {{smaller|（英語）}}&lt;br /&gt;
|国旗画像 =Flag_of_India.svg&lt;br /&gt;
|国章画像 =[[ファイル:Emblem of India.svg|80px|インドの国章]]&lt;br /&gt;
|国章リンク =（[[インドの国章|国章]]）&lt;br /&gt;
|標語 ={{lang|sa|&#039;&#039;&#039;सत्यमेव जयते&#039;&#039;&#039;}}&amp;lt;br/&amp;gt;ラテン文字転写: &amp;quot;satyam eva jayate&amp;quot;&amp;lt;br/&amp;gt;（サンスクリット語: まさに真理は自ずと勝利する）&lt;br /&gt;
|位置画像 =India (orthographic projection).svg&lt;br /&gt;
|公用語 =[[ヒンディー語]]（連邦公用語）&amp;lt;br/&amp;gt;[[英語]]（連邦準公用語）&amp;lt;br/&amp;gt;その他[[#インドの公用語|複数の各州公用語]]&lt;br /&gt;
|首都 =[[ニューデリー]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/data.html 各国地域情勢 インド] 外務省(Ministry of Foreign Affairs of Japan)&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|最大都市 =[[ムンバイ]]&lt;br /&gt;
|元首等肩書 =[[インドの大統領|大統領]]&lt;br /&gt;
|元首等氏名 =[[プラナブ・ムカルジー]]&lt;br /&gt;
|首相等肩書 =[[インドの歴代首相|首相]]&lt;br /&gt;
|首相等氏名 =[[ナレンドラ・モディ]]&lt;br /&gt;
|面積順位 =7&lt;br /&gt;
|面積大きさ =1 E12&lt;br /&gt;
|面積値 =3,287,590&lt;br /&gt;
|水面積率 =9.6%&lt;br /&gt;
|人口統計年 =2011&lt;br /&gt;
|人口順位 =2&lt;br /&gt;
|人口大きさ =1 E9&lt;br /&gt;
|人口値 =12億1000万&lt;br /&gt;
|人口密度値 =368&lt;br /&gt;
|GDP統計年元 =2013&lt;br /&gt;
|GDP値元 =110兆4,768億&amp;lt;ref name=&amp;quot;economy&amp;quot;&amp;gt;IMF Data and Statistics 2014年5月19日閲覧（[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2013/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=38&amp;amp;pr.y=13&amp;amp;sy=2011&amp;amp;ey=2018&amp;amp;scsm=1&amp;amp;ssd=1&amp;amp;sort=country&amp;amp;ds=.&amp;amp;br=1&amp;amp;c=534&amp;amp;s=NGDP_RPCH%2CNGDPD%2CNGDPDPC%2CPPPGDP%2CPPPPC&amp;amp;grp=0&amp;amp;a=]）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|GDP統計年MER =2013&lt;br /&gt;
|GDP順位MER =10&lt;br /&gt;
|GDP値MER =1兆9,728億&amp;lt;ref name=&amp;quot;economy&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
|GDP統計年 =2013&lt;br /&gt;
|GDP順位 =3&lt;br /&gt;
|GDP値 =5兆3,020億&amp;lt;ref name=&amp;quot;economy&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
|GDP/人 =4,060&amp;lt;ref name=&amp;quot;economy&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
|建国形態 =[[独立]]&amp;lt;br/&amp;gt;&amp;amp;nbsp;-&amp;amp;nbsp;日付&lt;br /&gt;
|建国年月日 =[[イギリス]]より&amp;lt;br/&amp;gt;[[1947年]][[8月15日]]&lt;br /&gt;
|通貨 =[[インド・ルピー]]&lt;br /&gt;
|通貨コード =INR&lt;br /&gt;
|時間帯 =(+5:30)&lt;br /&gt;
|夏時間 =なし&lt;br /&gt;
|国歌 =[[ジャナ・ガナ・マナ]]&lt;br /&gt;
|ISO 3166-1 = IN / IND&lt;br /&gt;
|ccTLD =[[.in]]&lt;br /&gt;
|国際電話番号 =91&lt;br /&gt;
|注記 =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;インド共和国&#039;&#039;&#039;（インドきょうわこく、{{lang-hi|भारत गणराज्य}}、{{lang-en|Republic of India}}、ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ）、通称&#039;&#039;&#039;インド&#039;&#039;&#039;（India）は、[[南アジア]]に位置し、[[インド亜大陸]]を占める[[連邦]][[共和制]][[国家]]である。[[パキスタン]]、[[中華人民共和国]]、[[ネパール]]、[[ブータン]]、[[バングラデシュ]]、[[ミャンマー]]とは陸上で、[[スリランカ]]、[[モルディブ]]、[[インドネシア]]とは海上で[[国境]]を接する。[[インド憲法]]には[[社会主義]]が明文化されているものの、[[一党制]]の[[共産主義]]（[[マルクス＝レーニン主義]]）国ではない。[[イギリス連邦]]加盟国。インドの[[有権者]]は約8億人を超え、世界最大の[[民主主義]]国と言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[File:Mumbai Skyline at Night.jpg|thumb|right|インド最大の都市[[ムンバイ]]。ビジネス、人的資本、文化などを総合評価した[[世界都市#世界都市指数|世界都市格付け]]で世界41位、[[南アジア]]1位の都市と評価された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.atkearney.com/documents/10192/4461492/Global+Cities+Present+and+Future-GCI+2014.pdf/3628fd7d-70be-41bf-99d6-4c8eaf984cd5 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook] (2014年4月公表)&amp;lt;/ref&amp;gt;。]]&lt;br /&gt;
[[南アジア]]随一の面積と世界第2位の人口を持つ[[大国]]である。12億人を超える[[国民]]は、多様な[[民族]]、[[言語]]、[[宗教]]によって構成されている。州境を越えるとまったく違う言語が話され、それぞれの文化芸術があるため欧米ではよく「&#039;&#039;&#039;インドは国と言うより大陸である&#039;&#039;&#039;」と表現される。連邦公用語はヒンディー語、他に[[インド憲法]]で公認されている州の言語が21である。また、識字率は74.04％である。中央政府とは別に各州に政府があり大臣がいる。主な言語だけで15を超えるためインド政府が発行する紙幣には17の言語が印刷されている。[[ヒンドゥー教]]徒が最も多く、ヒンドゥー教にまつわる[[カースト制度]]による差別は憲法で禁止しており、都市部での影響は薄まっているが、農村部では今でも影響は残っている。2004年から高度成長期に入り2010年には2億4千万人と増加した反面、1日65ルピー未満で暮らす[[貧困|貧困人口]]&amp;lt;ref&amp;gt;インド中央政府は一定のカロリー摂取を可能とする支出額（農村部では一人一日12ルピー程度、都市部では18ルピー程度、日本円にして農村部で36円、都市部で54円ほど）を基準にした貧困線（Poverty Line）を設定し、それより消費支出の低い人々を貧困者（BPL:Below Poverty line）と定義している（2004/05年度）。（カロリー摂取は農村一人一日2,400キロカロリ－、都市部2,100キロカロリー）（須田敏彦「依然として深刻な貧困問題」 / 広瀬崇子・近藤正規・井上恭子・南埜猛『現代インドを知るための60章』明石書店 2007年 168ページ）&amp;lt;/ref&amp;gt;は3億人を超えており&amp;lt;ref name=&amp;quot;H&amp;quot;&amp;gt;[http://www.adb.org/sites/default/files/pub/2011/Economics-WP267.pdf アジア開発銀行の貧困人口統計]&amp;lt;/ref&amp;gt;、貧困に苦しむ人が多い国ではあるものの&amp;lt;ref&amp;gt;[http://web.archive.org/web/20081003031713/http://news.indochannel.jp/column/clm0000126.html インドチャンネル インドニュース【コラム】変わりつつあるインド 拡大する貧富の差!［アショク・チャウラ ］]（2008年10月3日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]]）&amp;lt;/ref&amp;gt;、2004/05年度を対象とした調査の結果では、経済自由化後、貧困者比率が一貫して低下していることが確認されている&amp;lt;ref&amp;gt;須田敏彦「依然として深刻な貧困問題」 / 広瀬崇子・近藤正規・井上恭子・南埜猛『現代インドを知るための60章』明石書店 2007年 169ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[アジア開発銀行]]（ADB）が2011年に発表した予想によれば、インドの中間層が向こう15年間で人口の７割に達するとの見方もある。&lt;br /&gt;
[[1947年]]の[[イギリス]]の[[植民地]]からの[[独立]]の際、それまでのインドは、インドとパキスタンに分裂した。その後、パキスタンの[[飛地|飛び地]]となっていた「東パキスタン」が[[1971年]]に[[バングラデシュ]]として独立している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==名称==&lt;br /&gt;
[[インド憲法]]によれば正式名称はヒンディー語の {{Audio|Hi-Bharat.ogg||hi|भारत}} (ラテン文字転写: Bhārat, バーラト) であり、英語による国名は {{lang|en|India}} （インディア）である。政体名を付け加えたヒンディー語の {{lang|hi|भारत गणराज्य}} (ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ) 、英語の {{lang|en|Republic of India}} を正式名称とする資料もあるが、[[憲法]]その他の法的根拠に基づくものではない。漢字表記は&#039;&#039;&#039;印度&#039;&#039;&#039;。印度の語は7世紀以降中国で使用が始まったもので、その以前は&#039;&#039;&#039;[[天竺]]&#039;&#039;&#039;、また&#039;&#039;&#039;身毒&#039;&#039;&#039;という表記もある。[[サンスクリット語]]の&amp;quot;Sindhu&amp;quot;を音写した「印度」の表記を提唱したのは三蔵[[玄奘]]という&amp;lt;ref&amp;gt;世界大百科事典&amp;lt;/ref&amp;gt;。歴史的に[[哲学]]が盛んな国であり、多くの優れた哲学者を生んだ。そのため聖賢の国とも呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在の国名の&#039;&#039;&#039;インド&#039;&#039;&#039;(英文名　India)は、教科書には、インダス川から由来し、現在の国を流れる大河となっているが、これは、パキスタンとの分離する前のインド帝国についたものである。ちなみに、インダス川の本流の大半は、パキスタン側に流れていて、インド側には、上流の地域にしか流れていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
{{Main|インドの歴史|南アジア史}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヴェーダ時代からラージプート時代まで ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Nalanda University India ruins.jpg|thumb|left|[[ナーランダ大学|ナーランダ僧院跡]]]]&lt;br /&gt;
紀元前2600年頃から前1800年頃までの間に[[インダス川]]流域に[[インダス文明]]が栄えた。前1500年頃に[[インド・アーリア人]]（[[トリツ族]]、[[バラタ族]]、[[プール族]]等。ここでの[[アーリア人]]とは、現[[ヘラート]]を中心とする{{仮リンク|アレイヴァ|en|Haraiva&amp;lt;!-- リダイレクト先の「[[:en:Herat]]」は、[[:ja:ヘラート]] とリンク --&amp;gt;}}人のラテン語表記で[[アフガニスタン]]人の古称であり、[[アーリアン学説]]とは無関係である。）が[[パンジャーブ]]地方に移住（[[:en:Indo-Aryan migration]]）。後に[[ガンジス川]]流域の先住民を支配して定住生活に入った。インド・アーリア人は、司祭階級（[[バラモン]]）を頂点とした身分制度社会（[[カースト制度]]）に基づく社会を形成し、それが今日に至るまでのインド社会を規定している。インド・アーリア人の中でも特にバラタ族の名称「バーラタ（भारत）」は、インドの正式名称（[[ヒンディー語]]：भारत गणराज्य, バーラト共和国）に使われており、インドは「バラタ族の国」を正統とする歴史観を表明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前6世紀には[[十六大国]]が栄えたが、[[紀元前521年]]頃に始まった[[アケメネス朝]]の[[ダレイオス1世]]によるインド遠征（[[:en:Iranian invasion of Indus Valley]]）で敗れ、[[パンジャブ]]・[[シンド]]・[[ガンダーラ]]を失った。[[紀元前330年]]頃、[[アレクサンドロス3世]]の{{仮リンク|アレキサンダー大王の戦争|en|Wars of Alexander the Great|label=東方遠征}}では、インド北西部の[[パンジャーブ]]で行なわれた[[ヒュダスペス河畔の戦い]]で{{仮リンク|パウラヴァ族|en|Pauravas}}が敗北したものの、アレクサンドロス軍の損害も大きく、[[マケドニア王国]]は撤退していった。[[紀元前317年]]、[[チャンドラグプタ (マウリヤ朝)|チャンドラグプタ]]によって[[パータリプトラ]]（{{lang-sa|पाटलिपुत्रः}}、現在の[[パトナ]]）を都とする最初の統一国家である[[マウリヤ朝]][[マガダ国]]が成立し（{{仮リンク|ナンダ朝の滅亡|en|Conquest of the Nanda Empire|}}）、[[紀元前305年]]頃に[[ディアドコイ戦争]]中の[[セレウコス朝]]の[[セレウコス1世]]から[[インダス川]]流域や[[バクトリア]]南部の領土を取り戻した（{{仮リンク|セレウコス・マウリヤ戦争|en|Seleucid-Mauryan War|}}）。[[紀元前265年]]頃、[[カリンガ戦争]]で[[カリンガ国]]（現[[オリッサ州]]）を併合。この頃、[[初期仏教#根本分裂|初期仏教の根本分裂]]が起った。[[紀元前232年]]頃、[[アショーカ王]]が死去すると、マウリヤ朝は分裂し、北インドは混乱期に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ギリシア系エジプト人商人が著した『[[エリュトゥラー海案内記]]』によれば、1世紀には[[デカン高原]]に[[サータヴァーハナ朝]]が[[ローマ帝国]]との[[モンスーン#モンスーンによる貿易|季節風交易]]で繁栄（[[シルクロード#海のシルクロード|海のシルクロード]]）。3世紀後半に[[タミル]]系の[[パッラヴァ朝]]、4世紀に[[デカン高原]]の{{仮リンク|カダンバ朝|en|Kadamba Dynasty}}が興り、インドネシアの[[クタイ王国]]や[[タルマヌガラ王国]]に影響を及ぼした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの古代王朝の後、5世紀に、[[グプタ朝]]が[[北インド]]を統一した。[[サンスクリット]][[文学]]がさかんになる一方、[[アジャンター石窟]]や[[エローラ石窟群]]などの優れた仏教美術が生み出された。5世紀から始まった[[エフタル]]のインド北西部への侵入は、{{仮リンク|ミヒラクラ|en|Mihirakula}}の治世に最高潮に達し、[[インドにおける仏教の弾圧|仏教弾圧]]が行なわれたことによってグプタ朝は衰退し、[[550年]]頃に滅亡した。7世紀前半頃、[[玄奘三蔵]]が[[ヴァルダナ朝]]及び[[前期チャールキヤ朝]]を訪れ、[[ナーランダ大学]]で学び、657部の経典を中国（[[唐]]）へ持ち帰った。7世紀後半にヴァルダナ朝が滅ぶと、8世紀後半からはデカンの[[ラージプート]]王朝の[[ラーシュトラクータ朝]]、北西インドの[[プラティーハーラ朝]]と[[ベンガル地方|ベンガル]]・[[ビハール州|ビハール]]地方の[[パーラ朝]]が分立した。パーラ朝が仏教を保護して[[パハルプールの仏教寺院遺跡群|パハルプールの仏教寺院]]（現[[バングラデシュ]]）が建設され、近隣諸国の[[パガン王朝|パガン仏教寺院]]・[[アンコール遺跡|アンコール仏教寺院]]・[[ボロブドゥール遺跡|ボロブドゥール仏教寺院]]の建設に影響を与えた。日本でも同時期に[[東大寺]]が建立された。10世紀からラージプート王朝の[[チャンデーラ朝]]が[[カジュラーホー]]を建設した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 北インドのイスラーム化と南インドのヒンドゥー王朝 ===&lt;br /&gt;
11世紀初めより、[[ガズナ朝]]、[[ゴール朝]]などの[[イスラーム]]の諸王朝が[[北インド]]を支配するようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、南インドでは、10世紀後半ころから[[タミル]]系の[[チョーラ朝]]が貿易で繁栄し、11世紀には[[北宋]]との海洋貿易の[[制海権]]を確保する目的で[[東南アジア]]の[[シュリーヴィジャヤ王国]]に2度の遠征を敢行し、衰退させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
13世紀にゴール朝で内紛が続き、[[クトゥブッディーン・アイバク|アイバク]]が[[デリー・スルターン朝]]（[[奴隷王朝]]）を興して[[デリー]]に都を置き北インドを支配した。[[ギヤースッディーン・バルバン|バルバン]]の治世から[[モンゴル帝国]]の圧力が始まった。14世紀初頭に[[デリー・スルタン朝]]（[[ハルジー朝]]）がデカン、南インド遠征を行い、一時は全インドを統一するほどの勢いを誇った。[[アラー・ウッディーン・ハルジー]]の治世には[[チャガタイ・ハン国]]が度々侵攻してきた（{{仮リンク|モンゴルのインド侵攻|en|Mongol invasions of India}}）。[[デリー・スルターン朝]]（[[トゥグルク朝]]）は、内紛と[[1398年]]の[[ティムール]]による[[ティムールの征服戦争#インド遠征|インド北部侵攻]]で衰退し、独立した[[ヴィジャヤナガル王国]]や[[バフマニー朝]]（その後{{仮リンク|デカン5王国|en|Deccan sultanates|label=ムスリム5王国}}に分裂した）へと覇権が移った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヴィジャヤナガル王国 ===&lt;br /&gt;
14世紀前半から17世紀半にかけてデリー・スルターン朝から独立した[[ヴィジャヤナガル王国]]が南インドで栄え、16世紀前半[[クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ]]王の統治のもと、王国は最盛期を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、[[1565年]]に[[ターリコータの戦い]]で{{仮リンク|デカン・スルターン朝|en|Deccan sultanates|label=デカン・スルターン朝}}に負け、ヴィジャヤナガル朝は衰退していき、王国最後の名君[[ヴェンカタ2世]]（位1586～1614）の奮闘もむなしく、その没後王国は滅亡した。デカン・スルターン朝も、その後はお互いに争うようになり、ムガル帝国がムスリム5王国全域を支配した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ムガル帝国 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Mughal.png|thumb|[[ムガル帝国]]の版図の変遷]]&lt;br /&gt;
16世紀、[[ティムール帝国]]の末裔であった[[バーブル]]が[[北インド]]へ南下し、[[デリー・スルターン朝]]（[[ローディー朝]]）を倒して1526年[[ムガル帝国]]を立てた。ムガルはモンゴルを意味する。ムガル帝国は、インドにおける最後にして最大のイスラーム帝国であった。3代皇帝の[[アクバル]]は、インドの諸地方の統合と諸民族・諸宗教との融和を図るとともに統治機構の整備に努めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、6代皇帝の[[アウラングゼーブ]]は、従来の宗教的寛容策を改めて厳格なイスラーム教[[スンナ派]]のイスラーム法[[シャーリア]]に基づく統治を行ったために各地で[[反乱]]が勃発した。彼は反乱を起こした[[シーク教徒]]や、[[ヒンドゥー教]]の[[ラージプート]]族（[[マールワール王国]]・[[メーワール王国]]）や、[[シヴァージー]]率いる新興のマラーター王国（後に[[マラーター同盟]]の中心となる）を討伐し、ムスリム5王国の残る2王国[[ビジャープル王国]]（[[1686年]]滅亡）・[[ゴールコンダ王国]]（[[1687年]]滅亡）を滅ぼして帝国の最大版図を築いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、アウラングゼーブの死後、無理な膨張政策の反動で帝国は急激に衰退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インドの植民地化 ===&lt;br /&gt;
[[File:Map BEIC 1837.jpg|thumb|left|[[1837年]]のインド]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1498年]]に[[ヴァスコ・ダ・ガマ]]が[[カリカット]]へ来訪し、[[1509年]]に{{仮リンク|ディーウの戦い (1509年)|en|Battle of Diu (1509)|label=ディーウ沖海戦}}で[[オスマン帝国]]から[[ディーウ]]を占領し、[[1511年]]に[[マラッカ王国]]を占領して{{仮リンク|ポルトガル領マラッカ|en|Portuguese Malacca}}を要塞化することによって、ポルトガルは[[インド洋]]の[[制海権]]を得た。このことを契機に、[[ポルトガル海上帝国]]は沿岸部[[ゴア州|ゴア]]に拠点を置く[[ポルトガル領インド]]（[[1510年]]-[[1961年]]）を築いた。[[1620年]]、[[デンマーク東インド会社]]が{{仮リンク|タランガンバディ|en|Tharangambadi|label=トランケバル}}に{{仮リンク|デンマーク領インド|en|Danish India}}（[[1620年]] - [[1869年]]）を獲得。[[1623年]]の[[インドネシア]]で起きた[[アンボイナ事件]]でイギリスはオランダに敗れ、東南アジアでの貿易拠点と制海権を失い、アジアで他の貿易先を探っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのような状況で、ムガル帝国が没落し[[イギリス東インド会社]]と[[フランス東インド会社]]が南インドの東海岸に進出することになり、貿易拠点[[ポンディシェリ]]をめぐる[[カーナティック戦争]]が勃発した。[[1757年]]6月の[[プラッシーの戦い]]でムガル帝国とフランス東インド会社の連合軍が敗れた。同年8月には[[マラーター同盟]]が[[デリー]]を占領し、{{仮リンク|マラータ同盟のインド北西部侵攻|en|Maratha conquest of North-west India|label=インド北西部侵攻}}（[[1757年]] - [[1758年]]）でインド全域を占領する勢いを見せた。[[1760年]]の{{仮リンク|ヴァンデヴァッシュの戦い|en|Battle of Wandiwash}}でフランス東インド会社がイギリス東インド会社に敗れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、翌[[1761年]]に[[第三次パーニーパットの戦い]]で[[マラーター同盟]]は、[[ドゥッラーニー朝|ドゥッラーニー朝アフガニスタン]]に敗北していた。[[1764年]]の{{仮リンク|ブクサールの戦い|en|Battle of Buxar}}でムガル帝国に勝利したイギリス東インド会社は、[[1765年]]に{{仮リンク|アラーハーバード条約|en|Treaty of Allahabad}}を締結し、[[ベンガル地方]]の[[ディーワーニー]]（行政徴税権, [[:en:Diwan (title)#Title|Diwani Rights]]）を獲得したことを皮切りに、イギリス東インド会社主導の植民地化を推進した。イギリス東インド会社は一連のインドを蚕食する戦争（[[マイソール戦争]]・{{仮リンク|アングロ・マラーター戦争|en|Anglo-Maratha Wars|label=マラーター戦争}}・{{仮リンク|アングロ・シク戦争|en|Anglo-Sikh wars|label=シク戦争}}）を開始し、実質的にインドはイギリス東インド会社の植民地となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
19世紀前半にはイギリスの対インド貿易は自由化されると同時に、[[産業革命]]の影響でイギリスから機械製綿織物がインドへ流入し、インドの伝統的な綿織物産業は破壊された。さらに、[[1824年]]の[[英蘭協約]]でイギリスがマラッカ海峡の制海権を確立。{{仮リンク|第一次英緬戦争|en|First Anglo-Burmese War}}（[[1824年]]-[[1826年]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1833年]]、[[インドの総督#ベンガル総督|ベンガル総督]][[ウィリアム・キャヴェンディッシュ＝ベンティンク (インド総督)|ウィリアム・キャヴェンディッシュ＝ベンティンク]]のもとで[[インドの総督#インド総督|インド総督]]に改称。[[1835年]]から{{仮リンク|ウィリアム・ヘンリー・スリーマン|en|William Henry Sleeman}}が[[カーリー]]を崇拝する殺人教団「[[タギー|サギー教]]」の掃討戦（[[1835年]] - [[1853年]]）を開始。&lt;br /&gt;
インドで栽培された[[アヘン]]を[[中国]]へ輸出するための[[アヘン戦争]]（[[1840年]]）が行われて[[三角貿易]]体制が形成された。近代的な地税制度を導入してインドの民衆を困窮させた一方で、[[タタ・グループ|タタ財閥]]等が誕生するなどした。{{仮リンク|第二次英緬戦争|en|Second Anglo-Burmese War}}（[[1852年]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[インド大反乱]](1857 - 1858)をきっかけにして、イギリス政府は{{仮リンク|1858年インド統治法|en|Government of India Act 1858}}を成立させてインドの藩王国による間接統治体制に入り、[[バハードゥル・シャー2世]]を[[ミャンマー|ビルマ]]に追放してムガル帝国を滅亡（[[1858年]]）させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、旱魃による[[オリッサ飢饉 (1866年)|オリッサ飢饉]]・[[ラージプーターナー飢饉 (1869年)|ラージプーターナー飢饉]]・{{仮リンク|ビハール飢饉 (1873年 - 1874年)|en|Bihar famine of 1873–1874|label=ビハール飢饉}}・{{仮リンク|大飢饉 (1876年 - 1878年)|en|Great Famine of 1876–1878|label=大飢饉}}（{{仮リンク|イギリス統治期間のインド主要飢饉の時系列|en|Timeline of major famines in India during British rule}}）が続けて発生し、藩王国からイギリス直轄領に人々が移動したため支援に多額の費用を出費する事態になった。藩王国の統治能力を見限ったイギリス政府はインドの直接統治体制に切り替えることになり、[[1877年]]に[[イギリス領インド帝国]]が成立した。&lt;br /&gt;
{{Clearleft}}&lt;br /&gt;
=== イギリス統治時代 ===&lt;br /&gt;
{{see also|{{仮リンク|インド独立運動|en|Indian independence movement}}}}&lt;br /&gt;
{{仮リンク|第三次英緬戦争|en|Third Anglo-Burmese War}}（[[1885年]]11月）。インド人知識人層を懐柔するため、[[1885年]]12月には諮問機関として[[インド国民会議]]を設けた。[[1896年]]にボンベイ（現[[ムンバイ]]）で[[ペスト]]の{{仮リンク|ボンベイ感染爆発|en|Bombay plague epidemic|label=感染爆発}}が発生した際に強硬な住民疎開を実施したイギリスの伝染病対策官が翌年に暗殺された。この時、関与を疑われた[[バール・ガンガーダル・ティラク|ロークマンニャ・ティラク]]が逮捕され、出所後に「{{仮リンク|スワラージ|en|Swaraj}}」（{{lang-hi|स्वराज}}）を唱えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリスはインド統治に際して民族の[[分割統治]]を狙って[[1905年]]に[[ベンガル分割令]]を発令したが、かえって分割への憤りなどから反英機運が一層強まった。イギリスはさらに独立運動の宗教的分断を図って[[1906年]]に親英的組織として[[全インド・ムスリム連盟]]を発足させたものの、[[1911年]]には[[バール・ガンガーダル・ティラク|ロークマンニャ・ティラク]]などのインド国民会議の強硬な反対によってベンガル分割令の撤回を余儀なくされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日露戦争]]における[[日本]]の勝利（非白人国家による白人国家に対する勝利）などの影響を受けたこと、民族自決の理念が高まったことに影響され、[[ビルラ|ビルラ財閥]]などの民族資本家の形成に伴い[[インドの財閥]]が台頭し民族運動家を支援したことから、インドではさらに民族運動が高揚した。[[第一次世界大戦]]ではインド帝国は[[イギリス帝国]]内の自治領の一つとして参戦した。[[挙国一致内閣 (イギリス)|挙国一致内閣]]のインド相は戦後のインド人による自治権を約束し、多くのインド人が戦った。[[1916年]]には[[ムハンマド・アリー・ジンナー]]ら若手が主導権を握った全インド・ムスリム連盟がインド国民会議との間に{{仮リンク|ラクナウ協定|en|Lucknow Pact}}を締結し、「{{仮リンク|全インド自治同盟|en|Indian Home Rule Movement}}」（{{lang|en|Indian Home Rule Movement}}）が設立された。第一次世界大戦に[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]は勝利したものの、[[インド統治法]]によってインドにあたえられた自治権はほとんど名ばかりのものであった。このためインド独立運動はより活発化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1919年]][[4月6日]]から[[マハトマ・ガンディー]]が主導していた非暴力独立運動（{{仮リンク|サティヤーグラハ|en|Satyagraha}}）は、[[1919年]][[4月13日]]の[[アムリットサル事件]]を契機に、それに抗議する形でそれまで知識人主導であったインドの民族運動を、幅広く大衆運動にまで深化させ、[[1930年]]には[[塩の行進]]が行なわれた。ガンディーの登場はイギリスのインド支配を今まで以上に動揺させた。[[第二次世界大戦]]においてはインド帝国は再び[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]として参戦したが、国民会議派はこれに対して非協力的であった。また国民会議派から決裂した[[スバス・チャンドラ・ボース|チャンドラ・ボース]]が日本の援助で[[インド国民軍]]を結成するなど、[[枢軸国]]に協力して独立をめざす動きも存在した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 独立 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Nehru Gandhi 1937 touchup.jpg|thumb|left|インド初代首相[[ジャワハルラール・ネルー]]（左）と、インド独立の父[[マハトマ・ガンディー]]（右）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1945年]][[7月5日]]にイギリスで[[1945年イギリス総選挙|総選挙]]が行なわれ[[クレメント・アトリー|アトリー]]内閣が誕生。戦後、インド国民軍の将兵を国王に対する反逆罪で裁判にかけたが、これが大きな反発を呼び各地で暴動が勃発した。[[1946年]][[8月16日]]、[[ムハンマド・アリー・ジンナー]]が{{仮リンク|直接行動の日|en|Direct Action Day}}を定めると、[[カルカッタの虐殺]]（Great Calcutta Killings）が起こった。この暴動を受けて、イギリス本国が第二次世界大戦により国力が低下していた為、アトリー内閣はインドをこれ以上植民地下に置くことはできないと判断し独立を容認することとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初代首相（外相兼任）には[[ジャワハルラール・ネルー]]が、副首相兼内相には[[ヴァッラバーイ・パテール|サルダール・V.J.パーテル]]が就任し、この新内閣が行政権を行使した。また、1946年12月から1950年まで[[憲法制定議会]]が[[立法権]]を行使し、それは[[インド憲法]]の施行後、総選挙で成立したインド連邦議会に継承された。司法権は新設置のインド最高裁判所に移行した。さらに憲法制定議会議長の[[ラージェーンドラ・プラサード|R.プラサード]]が大統領に、不可触賎民出身で憲法起草委員長の[[ビームラーオ・アンベードカル|B.R.アンベードカル]]が法務大臣に就任した。こうして憲法施行とともに政治の大権は国民の側に移された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
独立当初は[[イギリス国王]]を[[君主]]に戴く[[英連邦王国]]（[[インド連邦 (ドミニオン)|インド連邦]]）であったが、インド内のヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の争いは収拾されず、1947年8月15日、[[イスラーム教]]国家の[[パキスタン (ドミニオン)|パキスタン]]との[[インド・パキスタン分離独立|分離独立]]となった。前日には、インドを東西から挟むパキスタンが誕生していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1948年]][[1月30日]]、マハトマ・ガンディーは、ムスリムに対するガンディーの「妥協的」な言動に敵意を抱いていた、かつてヒンドゥー教の[[マラータ同盟]]のあった[[マハーラーシュトラ州]]出身の[[ヒンドゥー・ナショナリズム|ヒンドゥー至上主義]]『[[民族義勇団]]』（RSS）の活動家の{{仮リンク|ナートゥーラーム・ゴードセー|en|Nathuram Godse}}によって、同じヒンドゥー教の{{仮リンク|マールワール|en|Marwar}}商人[[ビルラ]]の邸で射殺された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1948年]][[9月13日]]、{{仮リンク|ポロ作戦|en|Operation Polo}}でインドが[[ニザーム王国]]を併合。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政教分離の&#039;&#039;&#039;[[世俗主義]]&#039;&#039;&#039;という柱で国の統一を図ることになり、[[1949年]][[11月26日]]に[[インド憲法]]が成立し、[[1950年]][[1月26日]]に共和制に移行した。憲法施行後、1951年10月から翌年2月にかけて連邦と州の両議会議員の第一回総選挙が行われた。結果は会議派が勝利し、首相にネルーが就任した。独立後は他の[[社会主義国]]ほど[[義務教育]]の完全普及や身分差別廃止の徹底はうまくいかず、近年においても小学校さえ行けない子も多く貧富の差も激しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1954年]]、{{仮リンク|フランス領インド|en|French India}}が返還され[[ポンディシェリ連邦直轄領]]となった。&lt;br /&gt;
[[1961年]]12月、{{仮リンク|インドのゴア併合 (1961年)|en|1961 Indian annexation of Goa|label=インドのゴア軍事侵攻}}が起き、[[1961年]][[12月19日]]に[[ポルトガル領インド]]がインド共和国に併合された。[[1962年]]、[[中印国境紛争]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インド国民会議政権 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1966年]]から長期にわたってジャワハルラール・ネルーの娘、[[インディラ・ガンディー]]の[[国民会議派]]が政権を担った。東西冷戦時代は、[[非同盟]]運動に重要な役割を果した国であったが、[[カシミール#カシミール問題|カシミール問題]]と、3度の[[印パ戦争]]が勃発し、長く対立が続いた。特に[[第三次印パ戦争]]（[[1971年]][[12月3日]] - [[12月16日]]）には[[ソ連]]とインドが共に{{仮リンク|東パキスタン (パキスタン)|en|East Pakistan|label=東パキスタン}}を支援して軍事介入し、[[パキスタン]]を支援する[[中華人民共和国]]と対立した。インドとソ連の関係が親密化したことは、[[中ソ対立]]や[[ニクソン大統領の中国訪問]]（[[1972年]][[2月21日]]）へも大きな影響を与えた。[[1972年]][[7月2日]]、{{仮リンク|シムラー協定|en|Simla Agreement}}で[[バングラデシュ]]独立をパキスタンが承認。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1974年]][[5月18日]]、コードネーム『[[インドの核実験 (1974年)|Smiling Buddha]]』が成功し、世界で6番目の核保有国となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1976年]][[11月2日]]、[[:en:Forty-second Amendment of the Constitution of India]]において[[:en:Preamble to the Constitution of India]]に書かれた正式国名が「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」に修正され、&#039;&#039;&#039;社会主義共和国&#039;&#039;&#039;を標榜している&amp;lt;ref name=&amp;quot;42amend&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|title=The Constitution (Forty-Second Amendment) Act, 1976|url=http://indiacode.nic.in/coiweb/amend/amend42.htm|publisher=Government of India|accessdate=1 December 2010}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1984年]][[6月3日]]に[[ブルースター作戦]]、[[10月31日]]にインディラ・ガンディーが暗殺。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1983年]][[7月23日]]、隣国[[スリランカ]]で{{仮リンク|黒い7月|en|Black July}}が発生、[[スリランカ内戦]]が勃発。[[1987年]]、{{仮リンク|インド平和維持軍|en|Indian Peace Keeping Force}} (IPKF、[[1987年]] - [[1990年]]) を派遣し、スリランカ内戦に介入。[[1991年]][[5月21日]]、[[ラジーヴ・ガンディー]]が[[タミル・イーラム解放のトラ]]の自爆テロで暗殺された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後任の[[ナラシンハ・ラーオ]]政権では、[[1991年]][[7月24日]]から始まった{{仮リンク|インドの経済自由化|en|Economic liberalisation in India|label=経済自由化}}によってIT分野で急成長を遂げた。&lt;br /&gt;
[[1992年]][[12月6日]]、[[アヨーディヤー]]の[[バーブリー・マスジド]]で{{仮リンク|バーブリー・マスジド倒壊事件|en|Demolition of Babri Masjid}}が起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インド人民党政権 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1996年]]の総選挙で[[インド人民党]]が勢力を伸ばし[[アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー]]政権が誕生した。ルック・イースト政策を掲げてアジア諸国との関係も重視。[[1997年]][[6月25日]]、初の不可触賎民出身の大統領、[[コチェリル・ラーマン・ナラヤナン]]が就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1998年]][[5月11日]]と13日、ヴァージペーイー政権がコードネーム『[[インドの核実験 (1998年)|Shakti]]』を突如実施。「核保有国」であることを世界に宣言した。実は、[[インディラ・ガンディー]]政権下の1974年に最初の[[地下核実験]]を成功させていた&amp;lt;ref&amp;gt;伊藤融「核兵器保有を誇るインド」 / 広瀬崇子・近藤正規・井上恭子・南埜猛『現代インドを知るための60章』明石書店 2007年 294ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
[[5月28日]]と[[5月30日]]にはパキスタンによる初の[[パキスタンの核実験 (1998年)|核実験]]が成功し、日米がインド・パキスタン両国に[[経済制裁]]を課した。&lt;br /&gt;
[[1999年]]5月、パキスタンとの[[カシミール]]領有権をめぐる国境紛争が{{仮リンク|カルギル戦争|en|Kargil War|label=カルギル紛争}}に発展し、核兵器の実戦使用が懸念された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]][[9月11日]]、[[アメリカ同時多発テロ事件]]が発生し、[[アフガニスタン]]に潜伏する[[ターリバーン]]への[[対テロ戦争]]が優先される形で、インド・パキスタン両国への[[経済制裁]]が解除される。以後は[[情報技術|IT]]サービス業を中心に経済成長を続け、[[ロシア]]、[[ブラジル]]、中国とともに[[BRICs]]の一角として注目を集める存在となり、IT分野においてはその技術力が欠かせない存在となっている。中立非同盟とはいえ、アメリカ、イギリスとも友好な関係をとっている。一方で、[[中華人民共和国|中国]]、[[パキスタン]]とは、緊張関係にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年]][[2月27日]]、{{仮リンク|ゴドラ列車襲撃事件|en|Godhra train burning}}。{{仮リンク|グジャラート動乱 (2002年)|en|2002 Gujarat violence|label=グジャラート動乱}}（2月 - 6月）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インド国民会議政権 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]の下院選挙は、[[4月20日]]に第1回の投票が行われ、[[5月13日]]に開票された。[[2004年]][[12月26日]]、[[スマトラ島沖地震 (2004年)|スマトラ島沖地震]]では震源地に近い[[アンダマン・ニコバル諸島]]を中心とした地域で、死者12,407人・行方不明1万人以上という激甚災害が発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[11月26日]]、[[デカン・ムジャーヒディーン]]による[[ムンバイ同時多発テロ]]では、死者172人、負傷者239人を出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インド下院（定数545）の議員を選ぶ総選挙が[[2009年]][[4月16日]]にはじまり、5月13日まで5回に分けて実施された。有権者は約7億1400万人。選挙結果は5月16日に一斉開票され、国民会議派は206議席を獲得して政権を維持した。一方最大野党インド人民党 (BJP) は116議席に止まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]8月、インド北部[[ジャンムー・カシミール州]]で洪水が起きた。州東部の[[レー (ラダック)|レー町]]の当局者は、死者が165人に達したと発表した。一方、軍当局者は9日洪水の行方不明者は外国人も含めて500人に達したと発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]]、[[2012年インド集団強姦事件|インド集団強姦事件]]が発生。この事件を受けて、性犯罪に関する刑法が厳罰化された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://jp.reuters.com/article/kyodoMainNews/idJP2013032201001085 インド、レイプ犯に死刑適用も]ロイター 2013年3月22日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2013年]][[5月25日]]、[[:en:2013 Naxal attack in Darbha valley]]。[[7月7日]]、[[ブッダガヤ爆弾テロ事件]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インド人民党政権 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2014年]][[5月]]開票の総選挙で[[インド人民党]]が大勝して、10年ぶりに政権交代が実現。5月26日、[[ナレンドラ・モディ]]が第18代首相に就任し、人民党政権が発足した。&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0E61SW20140526 インドでモディ政権発足、集権的な内閣目指すと表明]ロイター 2014年5月27日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地理 ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:India Geographic Map.jpg|thumb|インドの地形図]]&lt;br /&gt;
{{Main|インドの地理}}&lt;br /&gt;
インドの陸地はほとんどが[[インド洋]]に突き出した[[南アジア]]の[[半島]]上にあり、南西を[[アラビア海]]に、南東を[[ベンガル湾]]に区切られて7000kmの[[海岸|海岸線]]をもつ。多くの地域では雨期が存在し、三つの季節、夏、雨期、冬に分けられ、雨期を除いてほとんど雨の降らない地域も多い。[[北インド]]・中央インドはほぼ全域に肥沃な[[ヒンドスタン平野]]がひろがり、[[南インド]]のほぼ全域は[[デカン高原]]が占める。国土の西部には岩と砂の[[タール砂漠]]があり、東部と北東部の国境地帯は峻険な[[ヒマラヤ山脈]]が占める。インドが主張するインド最高点は[[パキスタン]]と[[領土紛争|係争中]]の[[カシミール地方]]にある[[K2]]峰（[[標高]]8,611m）である。確定した[[領土]]の最高点は[[カンチェンジュンガ]]峰（同8,598m）である。気候は南端の[[赤道]]地帯から[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]の[[山|高山地帯]]まで多様性に富む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治 ==&lt;br /&gt;
{{Main|インドの政治|インド憲法}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:NorthBlock.jpg|thumb|[[ノース・ブロック政府合同庁舎]]]]&lt;br /&gt;
[[インドの政治]]の大要は[[憲法]]に規定されている。[[インド憲法]]は[[1949年]]に制定、[[1976年]]に改正され、以後修正を加えながら現在に至っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国家[[元首]]は[[インドの大統領|大統領]]。実権は無く、[[内閣]]の助言に従い国務を行う。議会の上下両院と州議会議員で構成される選挙会によって選出される。任期5年。&lt;br /&gt;
{{See also|インドの大統領}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
副大統領は議会で選出される。大統領が任期満了、死亡、解職で欠ける場合は、副大統領の地位のままその職務を行う。任期は大統領と同じ5年だが、就任時期をずらすことで地位の空白が生ずることを防止する。また、副大統領は上院の議長を兼任する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[行政機関|行政府]]の長は[[首相]]であり、下院議員の総選挙後に大統領が任命する。内閣は下院議員の過半数を獲得した政党が組閣を行う。閣僚は首相の指名に基づき大統領が任命する。内閣は下院に対して連帯して責任を負う（[[議院内閣制]]）。また、連邦議会の議事運営、重要問題の審議・立法化と国家予算の審議・決定を行う。&lt;br /&gt;
{{See also|インドの歴代首相}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[議会]]は、[[両院制]]で、州代表の上院（[[ラージヤ・サバー]]）と、国民代表の下院（[[ローク・サバー]]）の二院により構成される。&lt;br /&gt;
{{See also|インドの国会}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上院250議席のうち12議席を大統領が有識者の中から指名する。任期は6年で、2年ごとに3分の1ずつ改選。大統領任命枠以外は、各州の議会によって選出される。&lt;br /&gt;
下院は、545議席で、543議席を18歳以上の国民による[[小選挙区制]]選挙で選出し、2議席を大統領がアングロ・インディアン（イギリス系インド人:植民地時代にイギリス人とインド人との間に生まれた混血のインド人、もしくはその子孫の人々）から指名する。任期は5年だが、任期途中で解散される場合がある。有権者の人口が多いため、選挙の投票は、5回にわけて行われる。選挙は小選挙区制で、投票は用紙に印刷された政党マークに印を付ける方式であり、今日まで行われている。&lt;br /&gt;
{{See also|インドの政党}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 軍事=== &lt;br /&gt;
[[ファイル:INS Viraat (R22) Malabar 07.jpg|right|thumb|[[インド海軍]]の空母[[ヴィラート (空母)|ヴィラート]]]]&lt;br /&gt;
{{main|インド軍}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドの政治を軍事の面から見てみると、インドの軍事制度は非常に安定している。特に、[[シビリアン・コントロール]]がアジアでも有数と言えるほどに徹底されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドは[[核拡散防止条約]]（NPT）に加盟しておらず、[[1974年]]に[[インドの核実験 (1974年)|最初の核実験]]を行った後、[[1998年]]の[[インドの核実験 (1998年)]]によって[[核兵器]]保有国となった。&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 行政区分 ===&lt;br /&gt;
{{main|インドの地方行政区画}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドは29の州と6つの[[インドの地方行政区画|連邦直轄領]]と、[[デリー首都圏]] (National capital territory of Delhi) から構成される。ただし、[[ジャンムー・カシミール州]]はその全域を[[パキスタン]]との間で、またジャンムー・カシミール州の一部と[[アルナーチャル・プラデーシュ州]]のほとんどを[[中華人民共和国|中国]]との間で、それぞれ[[領有権]]をめぐって外交・国際政治の場で激しく争われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;主要都市&lt;br /&gt;
{{Main|インドの都市圏人口の順位}}{{Main|インドの都市の一覧}}&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;infobox&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center; width:97%; margin-right:10px; font-size:90%&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! align=center style=&amp;quot;background:#f5f5f5;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
! align=center style=&amp;quot;background:#f5f5f5;&amp;quot; | 都市&lt;br /&gt;
! align=center style=&amp;quot;background:#f5f5f5;&amp;quot; | [[インドの地方行政区画|行政区分]]&lt;br /&gt;
! align=center style=&amp;quot;background:#f5f5f5;&amp;quot; | 人口&lt;br /&gt;
! align=center style=&amp;quot;background:#f5f5f5;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
! align=center style=&amp;quot;background:#f5f5f5;&amp;quot; | 都市&lt;br /&gt;
! align=center style=&amp;quot;background:#f5f5f5;&amp;quot; | [[インドの地方行政区画|行政区分]]&lt;br /&gt;
! align=center style=&amp;quot;background:#f5f5f5;&amp;quot; | 人口&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 1&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[ムンバイ]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[マハーラーシュトラ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 13,662,885&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 11&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[ジャイプル]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[ラージャスターン州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 2,997,114&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 2&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[デリー]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[デリー]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 11,954,217&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 11&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[ラクナウ]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[ウッタル・プラデーシュ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 2,621,063&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 3&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[バンガロール]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[カルナータカ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 5,180,533&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 12&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[ナーグプル]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[マハーラーシュトラ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 2,359,331&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 4&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[コルカタ]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[西ベンガル州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 5,021,458&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 14&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[インドール (インド)|インドール]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[マディヤ・プラデーシュ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 1,768,303&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 5&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[チェンナイ]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[タミル・ナードゥ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 4,562,843&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 15&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[パトナ]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[ビハール州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 1,753,543&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 6&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[ハイデラバード]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[アーンドラ・プラデーシュ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 3,980,938&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 16&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[ボーパール]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[マディヤ・プラデーシュ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 1,742,375&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 7&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[アフマダーバード]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[グジャラート州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 3,867,336&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 17&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[ターネー]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[マハーラーシュトラ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 1,673,465&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 8&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[プネー]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[マハーラーシュトラ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 3,230,322&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 18&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[ルディヤーナー]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[パンジャーブ州 (インド)|パンジャーブ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 1,662,325&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 9&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[スーラト]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[グジャラート州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 3,124,249&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 19&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[アーグラ]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[ウッタル・プラデーシュ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 1,590,073&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 10&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[カーンプル]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[ウッタル・プラデーシュ州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 3,067,663&lt;br /&gt;
!align=&amp;quot;center&amp;quot;| 20&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| &#039;&#039;&#039;[[ヴァドーダラー]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;center&amp;quot;| [[グジャラート州]]&lt;br /&gt;
|align=&amp;quot;right&amp;quot;| 1,487,956&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| colspan=&amp;quot;8&amp;quot; align=center style=&amp;quot;background:#f5f5f5;&amp;quot; | 1991年・2001年実施の国勢調査データを元にした2008年時点の推定予測値&amp;lt;ref name=&amp;quot;gazetteer&amp;quot;&amp;gt; &amp;quot;[http://www.webcitation.org/query?url=http://www.world-gazetteer.com/wg.php?x=%26men=gcis%26lng=en%26dat=80%26geo=-104%26srt=pnan%26col=aohdq%26msz=1500%26va=%26pt=a&amp;amp;date=2010-02-28+18:24:37 World Gazetteer: India - Metropolitan areas 2008 calculation]&amp;quot;, [[2008年]]9月28日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
{{-}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 国際関係 ==&lt;br /&gt;
[[File:Diplomatic missions of India.PNG|thumb|520px|インドが外交使節を派遣している諸国の一覧図（青）。]]&lt;br /&gt;
[[File:Dmitry Medvedev at the 34th G8 Summit 7-9 July 2008-61.jpg|thumb|[[ロシア]]の[[ドミートリー・メドヴェージェフ|メドヴェージェフ]]大統領と会談する[[マンモハン・シン|シン]]首相（2008年当時）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
独立後、重要な国際会議がインドで開かれ、国際的な条約や協約が締結されている。&lt;br /&gt;
* 1947年3月、デリーでアジア問題会議が開催され、新生のアジア諸国が直面視する諸問題が討議された。&lt;br /&gt;
* 1949年2月、デリーでアジア19カ国会議が開催され、オランダのインドネシア再植民地化が、批判すべき緊急の政治課題として討議された。&lt;br /&gt;
* 1949年11月、コルカタでインド平和擁護大会が開催された。&lt;br /&gt;
* 1949年12月、ビルマ（ミャンマー）に続いて中華人民共和国を承認した。&lt;br /&gt;
* 1950年10月、北インドのラクナウーで太平洋問題調査会の第11回国際大会が開催された。ネルーが「アジアの理解のために」と題して基調演説を行った。&lt;br /&gt;
* 1954年4月、北京で中印双方は「中印両国の中国チベット地方とインドとの間の通商と交通に関する協定」に調印し、そこで平和五原則（パンチャ・シーラ）を確定した。それは領土・主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和的共存からなっていた。&lt;br /&gt;
* 1955年4月、バンドン（インドネシア）でアジア・アフリカ会議が開催された。14億の諸民族を代表する29カ国の指導者が参加した。平和五原則に基づく諸原則を承認した。スカルノ、周恩来、ネルー、ナセルなどが参加していた。&lt;br /&gt;
* 1961年9月、ベオグラード（ユーゴスラビア）で第1回[[非同盟諸国首脳会議]]が開催された。チトー、ナセル、ネルーなどがアジアとアフリカの25カ国代表が参加した。戦争の危機回避を求めるアピールが採択された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 領土紛争 ===&lt;br /&gt;
{{main|カシミール|アクサイチン|印パ戦争|中印国境紛争}}&lt;br /&gt;
[[カシミール]]地方のインドと[[パキスタン]]・[[中国]]との間で領土紛争があり、特にパキスタンとは激しい戦闘が繰り返され（[[印パ戦争]]）現在は停戦状態にある。インドの主張するカシミール地方は、[[ジャンムー・カシミール州]]となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これとは別に、インド東部[[アッサム州]]北部の[[ヒマラヤ山脈]]南壁は中国との間で領土紛争があったが中国側が自主的に撤退し、現在はインドの[[アルナーチャル・プラデーシュ州]]となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== パキスタンとの関係 ===&lt;br /&gt;
宗教の違いや国境紛争で伝統的に隣国パキスタンとはかなり関係が悪い。&lt;br /&gt;
[[ムンバイ同時多発テロ]]以降、関係は悪化していたが、2011年には二国間貿易の規制緩和やインドからパキスタンへの石油製品輸出解禁が打ち出され、11年7月には両国の外相が1年ぶりに会談した。&lt;br /&gt;
2012年9月8日、イスラマバードで会談をして、ビザ発給条件の緩和について合意した他、農業、保険、教育、環境、科学技術などの分野での相互協力などが話し合われた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news&lt;br /&gt;
|url=http://www.emeye.jp/disp%2FOWA%2F2012%2F0911%2Fstockname_0911_007%2F0%2F1/&lt;br /&gt;
|title=インド・パキスタン外相会談、二国間ビザ緩和などで合意&lt;br /&gt;
|work=&lt;br /&gt;
|newspaper=&lt;br /&gt;
|date=2012-09-11&lt;br /&gt;
|accessdate=2012-09-17&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本との関係 ===&lt;br /&gt;
{{main|日印関係}}&lt;br /&gt;
近代以前の日本では、中国経由で伝わった[[仏教]]に関わる形で、インドが知られた（当時はインドのことを[[天竺]]と呼んでいた）。[[東大寺]]の大仏の[[開眼供養]]を行った[[菩提僊那]]が中国を経由して渡来したり、[[高岳親王]]のように、日本からインドへ渡航することを試みた者もいたが、数は少なく、情報は非常に限られていた。日本・[[震旦]]（[[中国]]）・天竺（インド）をあわせて&#039;&#039;&#039;三国&#039;&#039;&#039;と呼ぶこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次世界大戦では、インド国民会議から分派した独立運動家の[[スバス・チャンドラ・ボース|チャンドラ・ボース]]が日本軍の援助の下で[[インド国民軍]]を結成し、日本軍とともに[[インパール作戦]]を行ったが、失敗に終わった。チャンドラ・ボース以前に、日本を基盤として独立運動を行った人物に[[ラース・ビハーリー・ボース]]（中村屋のボース）や[[A.M.ナイル]]らがいる。ラース・ビハーリー・ボースとA.M.ナイルの名前は、現在ではむしろ、日本に本格的なインド式[[カレー]]を伝えたことでよく知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1948年]]、[[東京裁判]]（[[極東国際軍事裁判]]）において、インド代表判事パール判事（[[ラダ・ビノード・パール]]、[[1885年]][[1月27日]] - [[1957年]][[1月10日]]）は、「イギリスやアメリカが無罪なら、日本も無罪である」と主張した。またインドは[[1951年]]の[[サンフランシスコ講和条約#講和会議|サンフランシスコで開かれた講和会議]]に欠席。&amp;lt;!--し、{{要出典範囲|これについて国会演説においてインド初代首相ネルーは「彼ら（日本）は謝罪が必要なことなど我々には何一つしていない。それ故に、インドは（サンフランシスコ）講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない」と述べた|date=2011年9月}}。--&amp;gt;[[1952年]]4月に2国間の[[国交]]が回復し、同年[[6月9日]]に[[日本国とインドとの間の平和条約|平和条約]]が締結された。インドは比較的親日国であり、日本人の親印感情も高いと考えられているのは、こうした歴史によるものである。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://pmindia.nic.in/speech/content.asp?id=114 Dr. Manmohan Singh&#039;s banquet speech in honour of Japanese Prime Minister] National Informatics Centre Contents Provided By Prime Minister&#039;s Office&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;!--*[[1966年]]7月2月? - 日印経済委員会、日本側は[[日本商工会議所]]。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[広島市|広島]]の[[広島市への原子爆弾投下|原爆記念日]]である毎年[[8月6日]]に国会が会期中の際は黙祷を捧げているほか、[[昭和天皇]]崩御の際には3日間[[喪]]に服したほどで、インドは極めて親日的な国家である。しかし、インド人の日本への留学者は毎年1000人以下と、他のアジアの国の留学生の数に比べて極端に少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2001年の[[インド西部地震]]では日本は[[自衛隊インド派遣]]を行い支援活動を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本政府は「[[価値観外交]]」を進め[[2008年]]10月22日には、[[麻生太郎]]、シン両首相により[[日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言|日印安全保障宣言]]が締結された&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/visit/0810_ahks.html&amp;lt;/ref&amp;gt;。日本の閣僚としては、[[2000年]]に[[森喜朗]]総理大臣（[[8月18日]]～[[8月26日|26日]]の[[東南アジア]]訪問の一貫）、[[2005年]]に[[小泉純一郎]]総理大臣（[[デリー]]）、[[2006年]]1月に[[麻生太郎]]外務大臣（[[デリー]]）、[[2006年]][[アジア開発銀行]]年次総会の際に[[谷垣禎一]]財務大臣（[[ハイデラバード]]）、[[2007年]]1月に[[菅義偉]]総務大臣（[[デリー]]と[[チェンナイ]]）、[[2007年]]8月に[[安倍晋三]]総理大臣（[[ニューデリー]]と[[コルカタ]]）、[[2009年]]12月に[[鳩山由紀夫]]総理大臣（[[ムンバイ]]と[[デリー]]）がそれぞれ訪問している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2011年]][[8月1日]]に[[日本・インド経済連携協定]]が発効した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]]4月に日印国交樹立60周年を迎え、日本とインドで様々な記念行事が実施された&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/ji60/index.html 外務省:日インド国交樹立60周年&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;中国との関係&lt;br /&gt;
国境紛争を行った中華人民共和国とも関係は悪い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経済 ==&lt;br /&gt;
{{main|インドの経済}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bombay Stock Exchange.jpg|thumb|upright|[[ボンベイ証券取引所]]、アジア最古の証券取引所]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[国際通貨基金|IMF]]によると、[[2013年]]のインドの[[GDP]]は1兆8706億ドル(約190兆円)であり、世界第10位である&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2014/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=28&amp;amp;pr.y=7&amp;amp;sy=2013&amp;amp;ey=2019&amp;amp;scsm=1&amp;amp;ssd=1&amp;amp;sort=country&amp;amp;ds=.&amp;amp;br=1&amp;amp;c=534&amp;amp;s=NGDPD%2CNGDPDPC&amp;amp;grp=0&amp;amp;a= IMF: World Economic Outlook Database]&amp;lt;/ref&amp;gt;。1人当たりのGDPは1,504ドル。2012年には[[GDP]]購買力平価[[購買力平価説|PPP]]ベースで、日本を抜いて世界3位なった。&lt;br /&gt;
就業人口比率が第一次産業49％、第二次産業20％、第三次産業31％（2012推計値）。2004年から高度成長期に入り2010年には中間層が2億4千万人と増加した反面、1日65ルピー未満で暮らす貧困人口は3億人を超えており、貧困に苦しむ人が多い国であるもの、[[アジア開発銀行]]が2011年に発表した予想によれば、インドの中間層が向こう15年間で人口の７割に達するとの見方もある。09〜10年の国立研究所調査では都市部で中間層世帯が初めて貧困層を上回った。インド政府は年成長率9％を目標に2012年からの第12次5ヵ年計画で約1兆ドルのインフラ整備計画を打ち出しており、発電所、鉄道、飛行場、港湾、都市交通道路の設備投資も急速に進めると同時に、貧困層を10％削減する予定です。 &lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;[planningcommission.gov.in/plans/planrel/12thplan/welcome.html]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
独立以降、[[重工業]]の育成を図り、国内産業保護を政策としていた。冷戦が終わり、[[1991年]]に通貨危機をきっかけとして&#039;&#039;&#039;インド型社会主義&#039;&#039;&#039;の実験を終え、経済自由化に政策を転換した。外資の導入、財政出動などにより、経済は成長を遂げた。&amp;lt;ref&amp;gt;経済成長率は、1991年自由化以後平均して年6％を超え、中国に次いで高い。近年も加速しており、2005年の経済成長率は9.0％、2006年は9.4％であった。2007年から始まった第11次5か年計画では9％という高目標が掲げられている。（近藤正規「世界が注目するインド経済」/ 広瀬崇子・近藤正規・井上恭子・南埜猛編著『現代インドを知るための60章』明石書店 2007年 17ページ）&amp;lt;/ref&amp;gt;。外貨解放政策の進展で、自動車や通信、ITなどに始まった外国系企業の投資は、半導体や鉄鋼業にも広がってきており、今後は小売りや金融などの分野に進むと予想されている&amp;lt;ref&amp;gt;近藤正規「世界が注目するインド経済」/ 広瀬崇子・近藤正規・井上恭子・南埜猛編著『現代インドを知るための60章』明石書店 2007年 19ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。2001年には[[ゴールドマン・サックス]]がレポートで、中国や[[ロシア]]とともに[[BRICs]]と呼び成長を続ける新興国として注目されるようになる。2007年には同じくゴールドマン・サックスが「インド経済が今世紀半ばに米国を追い抜き、中国に次ぐ世界2位の経済大国に成長する」とのレポートを出した&amp;lt;ref&amp;gt;『フジサンケイビジネスアイ』 2007年1月27日付配信&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、2008年には世界的な経済減速に加え、政府が経済政策に手をこまねいていた（政府債務の増加、進まない経済特区、過度の補助金による市場の歪みと生産性の低さ）ために、経済成長の減速と外資の流出を招いた&amp;lt;ref name=&amp;quot;20080710nikkeibo&amp;quot;&amp;gt;[http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20080709/164906/ Manjeet Kripalani「インド経済、壁にぶち当たる 経済成長率は下降し、株価は4割低下、外国人投資家も…」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年7月10日付配信]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--後述の「課題」との兼ね合いは、もうちょっと情勢が固まってから（例えば2008年度後半とかに）記載してもいいと思います--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
産業構造は、[[農業]]、[[サービス業]]の比率が高いが、農業が減少しサービス業が伸長する傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
貿易については、産業保護政策をとっていたため貿易が[[国内総生産|GDP]]に与える影響は少なかったが、経済自由化後は[[関税]]が引き下げられるなどされ、貿易額が増加、GDPに与える影響力が大きくなっている。主な貿易品目は、[[輸出]]が[[宝石]]や[[医薬品]]、[[輸入]]は[[宝飾製品]]や[[原油]]など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;通貨&lt;br /&gt;
[[インド・ルピー|ルピー]] (Rs, Rupee) とパイサ（Paisa、複数形はPaise）。1ルピーは100パイサ。25パイサ未満の通貨はほとんど出回っていない。&lt;br /&gt;
1万円は約5500ルピー（2009年2月現在）&amp;lt;ref&amp;gt;http://quote.yahoo.co.jp/m5?a=10000&amp;amp;s=JPY&amp;amp;t=INR&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
=== 主な産業 ===&lt;br /&gt;
==== 第一次産業 ====&lt;br /&gt;
[[File:Major crop areas India.png|thumb|主な農産物の生産地域]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生産量は多いものの、[[インフラ]]の未整備や中間搾取などがネックとなっている。食料自給率は100%を超えている。また、生産物のうち約30%は廃棄されてしまうという&amp;lt;ref name=&amp;quot;20070410nikkeibo&amp;quot;&amp;gt;[http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20070405/122259/ 『農業再構築がインド経済の決め手に』2007年4月10日 日経ビジネスオンライン]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした中、政府は農業政策として法律の改正や商品取引所の整備、大規模な予算措置をとるなど、農業改革に乗り出している&amp;lt;ref name=&amp;quot;20070410nikkeibo&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;主な農産物&lt;br /&gt;
[[1960年]]代から[[穀物]]の増産に成功し、[[緑の革命]]と呼ばれる。&lt;br /&gt;
* [[米]] [[パンジャブ]]地方、[[ガンジス川]]中下流域で盛ん。 世界生産量第2位&lt;br /&gt;
* [[綿花]] [[デカン高原]]で盛ん。 世界生産量第3位&lt;br /&gt;
* [[コムギ|小麦]] 北部で盛ん。 世界生産量第2位&lt;br /&gt;
* [[コウマ|ジュート]] 世界生産量の60%以上を占める。 世界生産量第1位&lt;br /&gt;
* [[茶]] [[アッサム]]地方で盛ん。アッサムティーと呼ばれる。 世界生産量第1位&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 第二次産業 ====&lt;br /&gt;
製造業は、他の産業に比べ立ち後れていたが、政府の後押しもあり成長を始めた&amp;lt;ref name=&amp;quot;20071023nikkeibo&amp;quot;&amp;gt;[http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20071019/137943/ 『インド、次の「世界の工場」に』2007年10月23日 日経ビジネスオンライン]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、同業種の工場が集まってクラスターを作る動きもある。[[津田義和]]教授（[[立教大学]]）の提案を元に生まれたクラスターは、品質管理、生産性の向上に一役買っているという&amp;lt;ref name=&amp;quot;20071030nikkeibo&amp;quot;&amp;gt;[http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20071029/138630/ 『インド製造業が急成長 品質と生産性を日本から学び、クラスターで力を結集』2007年10月30日 日経ビジネスオンライン]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、成長を続けるインドの製造業だが、課題も多い（[[#課題]]を参照）。また、品質についても先進諸国に比べるとまだ高いとは言い難いところがあり、「インド品質」とも呼ばれている。機能は問題が無くても、見た目や細かい部分でまだ品質に劣る。これは[[原材料]]の質に加えて、労働者の意識が品質について十分ではないことが要因としてあげられる&amp;lt;ref&amp;gt;[http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20070111/116738/ 『「インド品質」からの脱却 ～インド自動車業界の現地レポート』2007年1月16日付配信 日経ビジネスオンライン]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;自動車産業&lt;br /&gt;
[[ファイル:Tata Nano Std.JPG|thumb|[[タタ・モーターズ]]の[[タタ・ナノ|ナノ]]]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ヒンドゥスタン・モーターズ]]や[[タタ・モーターズ]]、[[マヒンドラ]]などの地場資本の自動車メーカーの他、[[スズキ (企業)|スズキ]]や[[ルノー]]、[[三菱自動車]]などが[[1991年]]まであった[[:en:Licence_Raj|ライセンス・ラージ]]のためインドの地場資本と提携する形で進出している。自動車生産は1994年が24.5万台であったが、2010年には200万台規模へと急速に拡大する見通しで、原油高の流れにも乗って小型車輸出も順調に拡大している。業界第2位のタタが2008年に30万円程度の超低価格車を生産すると発表したことは、インドの技術力の一定の進歩と低廉な労働市場を世界へ改めて認識させる結果となった&amp;lt;ref&amp;gt;『外資に揉まれ品質向上 世界の小型車供給拠点に』2007年12月17日号 日経ビジネス&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;バイオテクノロジー&lt;br /&gt;
インドというとITが有名だが、[[バイオテクノロジー]]の分野にも力を入れている。[[1986年]]にはバイオテクノロジー庁が設立された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;石油・エネルギー産業&lt;br /&gt;
{{main|:en:Energy policy of India|ONGC|アッサム州|グジャラート州|マハーラーシュトラ州|アーンドラ・プラデーシュ州|タミル・ナードゥ州}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;主な産業&lt;br /&gt;
* [[綿]]工業（現在は衰退）、[[ジュート]]工業: [[ムンバイ]]&lt;br /&gt;
* [[鉄鋼]]業: [[ジャムシェードプル]]（[[:en:Mining in India]]）&lt;br /&gt;
* [[集積回路]]: [[バンガロール]]、[[プネー]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 第三次産業 ====&lt;br /&gt;
;情報サービス業&lt;br /&gt;
[[File:ITPL11.jpg|thumb|IT企業の集まる[[バンガロール]]の国際テクノロジー・パーク]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1990年代から2000年代にかけてインド経済を牽引していると言われていた[[情報技術|IT]]など[[情報サービス]]業は、2000年代後半には優位性が揺らいできている。また、インド国外だけでなくインド国内にも情報サービス業の大きな市場があるにもかかわらず、インド企業は国外ばかりに目を向けているため、国内市場への欧米企業進出を許している&amp;lt;ref name=&amp;quot;20070824nikkeibo&amp;quot;&amp;gt;[http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20070823/132945/ 『アウトソーシング大国、インドの岐路』2007年8月24日付配信 日経ビジネスオンライン]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当初、インド企業の強みであった低[[コスト]]は、[[為替]]変動と国内の人材不足により優位性を失いつつある。加えて、インド企業に仕事を奪われた欧米企業は、インド国内に拠点を設け、技術者を雇うことによって劣勢であったコストの問題を挽回した。同時に、単なる業務の[[アウトソーシング]]に留まらず、[[ビジネス]][[コンサルティング]]等の高度なサービス提供によって[[差別化]]を図っている&amp;lt;ref name=&amp;quot;20070824nikkeibo&amp;quot;/&amp;gt;。特に[[IBM]]の動きは活発で、企業買収を繰り返しわずか2年でインド国内でも最大規模の拠点を築いた。インド国内市場にも積極的に営業を行っており、市場シェアトップとなっている&amp;lt;ref name=&amp;quot;20070824nikkeibo&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした状況に、インド国内からは情報サービス業企業の革新を求める声があがり始めたが、上述の通りインド企業の経営陣は海外にばかり目を向け国内市場には長い間目を向けておらず、エリート意識からインド企業の優位を信じて革新に対する意識は低い状況にあるという&amp;lt;ref name=&amp;quot;20070824nikkeibo&amp;quot;/&amp;gt;。また、ギルフォード証券の[[証券アナリスト|アナリスト]]、アシシュ・サダニはインド企業は25%という高い利益率となっていることを述べた上で、「それほど高い利益率を維持できるのは、未来のための投資を怠っているということの表れなのだ」と評し、今後の成長のためには目先の利益だけでなく、将来へ向けた投資をしなければならないと指摘している&amp;lt;ref name=&amp;quot;20070824nikkeibo&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;ハイテク関連&lt;br /&gt;
大学や研究機関などには直径十数メートルから数十メートルの[[パラボラアンテナ]]が地上や屋上に設えてあり、[[人工衛星]]を用いて[[インターネット]]接続ができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インド国内にはこのようなパラボラアンテナを備えた施設が国全体を取り囲むように州ごとに存在し、周辺地域へは[[光ケーブル]]を用いてサービスされている。しかし、建設工事の近代化は遅れており、STPI (Software Technology Parks of India) から周辺に敷設中の[[光ファイバー]]の工事現場では、建設重機が見当たらず、殆どが手掘りであった（2002年2月現在）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;小売業&lt;br /&gt;
規模は2000年代半ばで3000億ドル超となっており、2017年には1兆ドルに迫ることが予想される&amp;lt;ref name=&amp;quot;20071026nikkeibo&amp;quot;&amp;gt;[http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20071025/138557/ 『「ウォルマートは出ていけ!」インドで大規模小売り店に反対する最大級のデモ集会』2007年10月26日 日経ビジネスオンライン]&amp;lt;/ref&amp;gt;。外国企業も進出を行っているが、出店に対しては政府による法規制が行われている。背景には、多数の零細個人商店、行商人が職を失うのではないかという問題がある。これら既存の小売業者は、大規模スーパーをインドへ進出させようとしている外国企業（[[カルフール]]や[[ウォルマート]]など）に対し抗議運動を活発化させている&amp;lt;ref name=&amp;quot;20071026nikkeibo&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;医療ビジネス&lt;br /&gt;
インドの医療レベルは飛躍的に進歩し、欧米で研修をした医師が帰国している。英語が第二公用語であるために、医療関係でも英語圏との結び付きが強い。インドでは海外からの医療ツアーのPRが行われており、「アポロホスピタルグループ」はインド内外で38の病院を経営し、4000人の医師を抱えるインド最大の病院チェーンで、特に心臓手術では施術例55000人・成功率99.6%という実績があり、心臓手術では世界五指に入るという。先進国より破格に治療費が安い事が魅力であり、医療費が高いアメリカとインドの手術費用を比較するとアメリカではおよそ350万円かかる心臓手術がインドでは80万円程度という4分の1以下の安さである。&lt;br /&gt;
計画委員会のレポートによると、インドには約60万人の医師と100万人の看護師、200万人の歯科医がおり、そのうち5%が先進国での医療経験を持つ。現在、6万人のインド人医師がアメリカやイギリス、カナダ、オーストラリアの医療機関で働いているという。世界的に見て医師と弁護士の水準が高く各国で活躍するインド人医師の数は6万人に上り、イギリスでは外科医の40%がインド人医師で占められ、アメリカに於いても10%を超える外科医がインド人医師である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 各国との関係・比較 ===&lt;br /&gt;
==== イギリスとの関係 ====&lt;br /&gt;
17世紀、アジア海域世界への進出をイギリスとオランダが推進し、インド産の手織り綿布（[[キャラコ]]）がヨーロッパに持ち込まれると大流行となり、各国は対インド貿易を重視したが、その過程で3次にわたる[[英蘭戦争]]が起こり、[[フランス東インド会社]]の連合軍を打ち破り（[[プラッシーの戦い]]）、植民地抗争におけるイギリス覇権が確立した。1765年に[[ベンガル地方]]の徴税権（ディーワーニー）を獲得したことを皮切りに[[イギリス東インド会社]]主導の植民地化が進み、[[パリ条約 (1763年)|1763年のパリ条約]]によってフランス勢力をインドから駆逐すると、[[マイソール戦争]]・マラータ戦争・シク戦争などを経てインド支配を確立した。イギリス東インド会社は茶、[[アヘン]]、[[インディゴ]]などの[[プランテーション]]を拡大し、19世紀後半にはインドでの鉄道建設を推進した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリス支配に対する不満は各地で高まり、[[インド大反乱]]（セポイの反乱、シパーヒーの反乱、第一次インド独立戦争）となった。イギリスは、翌年にムガル皇帝を廃し、東インド会社がもっていた統治権を譲り受け、[[インドの総督|インド総督]]を派遣して直接統治下においた。1877年には、イギリス女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]がインド女帝を兼任する[[イギリス領インド帝国]]が成立した。第一次世界大戦で、イギリスは植民地インドから100万人以上の兵力を西部戦線に動員し、食糧はじめ軍事物資や戦費の一部も負担させた。しかし、イギリスはインドに対して戦後に自治をあたえるという公約を守らず、[[ウッドロウ・ウィルソン]]らの唱えた民族自決の理念の高まりにも影響を受けて民族運動はさらに高揚したが、[[アムリットサル事件]]が起きた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし[[非暴力]]を唱える[[マハトマ・ガンディー]]、[[ジャワハルラール・ネルー]]により反英・独立運動が展開された。ガンディーは「[[塩の行進]]」を開始したが成功しなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次世界大戦では日本に亡命した[[スバス・チャンドラ・ボース|チャンドラ・ボース]]が日本の援助によって[[インド国民軍]]を結成し、インド人兵士は多くが志願した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドは念願の独立後の1950年代以降も、多くのインド人が就職や結婚など様々な理由で、景気の見通しが上向きであった英国に移住した。当時、英国政府は移民の管理に懸命に務めたものの、61年にはすでに10万人以上のインド人や隣国のパキスタン人が定住していた、と記録に残っている。彼らの多くは英国にすでに移住している同郷人が親族を呼び寄せるという「連鎖移住」の制度を利用した。現在、英国に住むインド出身の人々は西ロンドンのサウソール、[[ウェンブリー]]、ハウンズロー、バーネット、[[クロイドン・ロンドン特別区|クロイドン]]、郊外では東西ミッドランズ、[[マンチェスター]]そして[[レスター]]にコミュニティーを作っている。またイギリスでは医師の3割がインド人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドは歴史的に反英感情が強いものの、旧宗主国が普及させた世界共通語である英語を使い、英語圏中心に商売をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== アメリカ合衆国との関係 ====&lt;br /&gt;
冷戦期は中立非同盟路線のインドとパキスタンを軍事パートナーとしていたアメリカとの関係はよくなかった。冷戦終結を契機に印米関係は改善を見せ始め、現在では経済軍事交流を初めとして良好な関係を築いてる。インドでは[[ソフトウェア]]産業の優秀な人材が揃っており、英語を話せる人材が多いためアメリカへの人材の引き抜きや現地でのソフトウェア産業の設立が盛んになっている。そのため、ハイテク産業でのアメリカとのつながりが大きく、アメリカで就職したり、インターネットを通じてインド国内での開発、運営などが行われたりしている。[[NHKスペシャル]]の「インドの衝撃」では、[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]のエンジニアの1割はインド人（[[在外インド人]]）だと伝えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、アメリカとインドは地球の反対側に位置するため、アメリカの終業時刻がインドの始業時刻に相当し、終業時刻にインドへ仕事を依頼すると翌日の始業時刻には成果品が届くことからもインドの優位性が評価されるようになった（→[[オフショアリング]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一時期、[[シリコンバレー]]は“IC”でもつと言われたことがあるが{{誰2|date=2009年5月}}、この場合のICは[[集積回路]]の&#039;&#039;I&#039;&#039;ntegrated &#039;&#039;C&#039;&#039;ircuitsを指すのではなくインド人と中国人を意味する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
英語の運用能力が高く人件費も低廉な為、近年アメリカ国内の顧客を対象にした[[コールセンター]]業務はインドの会社に委託（[[アウトソーシング]]）されている場合が多い。多くのアメリカ人の顧客にとってインド人の名前は区別し難いため、電話応対の際インド人オペレーターはそれぞれ付与された（アングロサクソン系）アメリカ人風の名前を名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカとの時差は12時間で、アメリカで夜にITの発注をかけてもインドでは朝。そのためにアメリカで発注かけた側が就寝して朝目覚めれば、インドから完成品がオンラインで届けられている場合もあるとのこと。この言語と時差の特性を利用しインドにコールセンターを置く企業も増えつつあるといわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカの科学者の12%、医師の38%、NASAの科学者の36%、マイクロソフトの従業員の34%、IBMの従業員の28%、インテルの従業員の17%、ゼロックスの従業員の13%が[[インド系アメリカ人]]であり、インド系アメリカ人は100万～200万人台いると言われている。印僑の9人に1人が年収1億円以上、人口は0.5%ながら、全米の億万長者の10%を占める。彼らはアメリカのITの中枢を担っているためシリコンバレーに多く住んでおり、シリコンバレーにはインド料理店が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、アイビー・リーグ等のアメリカの大学側はインドに代表団を派遣して学生を集めるための事務所を構えたり、優秀なインド人学生をスカウトするなどの活動もあり、アメリカに留学するインド人学生は多く、移民税関捜査局（ICE）調査によれば、中国人学生に次に、インド人学生が多い。インド人学生の4分の3以上が科学、技術、 工学、数学（STEM）分野を学んでる模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また後述するようにアメリカ国内ではインド人に対する嫌がらせは基本的に見られず、強いて言うならば[[アメリカ同時多発テロ]]の時に[[アラブ系アメリカ人|アラブ系]]と勘違いされインド系が襲われる事件があった程度である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== オーストラリアとの関係 ====&lt;br /&gt;
インドはオーストラリアにとっての重要な輸出市場であり、オーストラリアは市場競争力と付加価値がある専門技術と技術的ソリューションを、さまざまな分野にわたって提供しているという。インド工業連盟 (CII) は、「オーストラリアとのビジネス」と題したセミナーを主催、その開会の場でラーマンは、オーストラリアの専門技術と技術的ソリューションは、インドのあらゆる分野のビジネスで重要視されているとし、資源開発、鉱業、エネルギー、インフラ、建築、飲食、農業関連産業、情報通信技術、映画、メディア、エンターテインメント、小売り、金融、と活用されている分野を挙げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オーストラリアは移民政策としてアジア人を受け入れており、特にインド人は英語が話せるために多くが留学また移民として来ている。アメリカと同様にオーストラリアには多数のインド人が移民して、距離が近い分、アメリカに行くよりオーストラリアに行く事を選んだインド人も多い。オーストラリアにおけるインド系企業は浸透し、オーストラリアの金融機関のシステム開発は当時から、インド系ソフトウエア会社の存在なしには成り立たなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2005年頃からオーストラリアの若者たちがレバノン人が暴行される事件が相次ぎ、2007年頃からインド人留学生を狙う暴力事件が相次いで発生した。&lt;br /&gt;
インド人学生に対する暴行は、主にメルボルンやシドニーなどオーストラリアの都市部であり、地元の若者がグループで襲い物を奪ったり、ドライバーで刺したりする事件が相次いだ。オーストラリアの地元警察によると、大半が「愉快犯」といい、合言葉は「レッツゴー・カレー・バッシング」だった。 &lt;br /&gt;
相次ぐインド人襲撃を受けて、オーストラリアのインド人学生ら数千人は抗議の座り込みをし、インド国内でも抗議する大規模デモが行われ、外交問題にまで発展した。 &lt;br /&gt;
ボリウッドの大物俳優[[アミターブ・バッチャン]]は、クイーンズランド大学から授与されるはずだった名誉博士号を辞退したほか、ブリスベンで行われる映画祭への出席も見合わせた。インドのシン首相は「分別のない暴力と犯罪には身の毛がよだつ。 その一部は人種的動機から、オーストラリアにいるわが国の学生に向けられている」と抗議した。&lt;br /&gt;
[[ケビン・ラッド]]首相はシン首相との会談の際に、事件の背景に人種差別があるわけではないと強調、オーストラリアは今でも世界有数の安全な国だとして平静を呼びかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 中華人民共和国との比較 ====&lt;br /&gt;
ともにアジアの地域新興大国、そして[[BRICs]]の一角として、インドと中華人民共和国は様々な面で比較されることが多い。しかし国境問題等もあって両国とも相手国への好感が低く、関係は悪い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
産業構造では、中華人民共和国は単純製造業の比率が高く、これが成長を牽引したといわれており、インドは製造業の比率が低いことがマイナス要因となっていた。両国ともに製造業は[[労働集約型]]である。しかし中華人民共和国は設計、開発が国外で行われた[[組み立て型]]が中心であるのに対し、インドは自国で設計、開発を行う[[知識集約型]]が主力商品に含まれている。また、中国よりもインドの[[情報技術|IT]]関連技術者の英語能力の方が高く、同一のIT知識を有している技術者でも、アメリカをはじめとする先進諸国のIT産業の下請けとしては、インド人の英語能力に優位性が認められ、高く評価されている。またインド人自らもこれを自負している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ともに移民（[[インド系移民と在外インド人|印僑]]、[[華僑]]）が多く、移民先で経済的成功を収め大きな影響力を発揮することが多い。印僑は、全世界110カ国以上に約2000万人以上いるとされ、アメリカの科学者の12%、医師の38%、NASAの科学者の36%がインド人、また英国では医師の40％以上がインド出身とも言われ、東南アジアを中心とした華僑に比べワールドワイドである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在は経済自由化が早かった中国がインドよりも海外からの投資、外国人観光客数、経済成長率、都市整備でリードしてるが、英ナイトフランクと米シティプライベートバンクがまとめた、世界の富の配分に関する報告書（2012年版）によれば、インドが2050年までに中国を抜いて、世界一の経済大国になると予想した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドと中国は両者共々古い文明を持つが、訪問外国人数ではインドは近年、政府も観光に力を入れ650万人に伸びてるが、70年代から観光に力を入れてる中国は5000万人で差がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
冷戦期は共産主義国家の中国は東側陣営につき、中ソは蜜月時代を築いた。[[社会主義]][[計画経済]]政策を推進。これは上推進記の移民の原因の一つとなった。現在は[[市場経済]]を導入しているにもかかわらず、「[[社会主義国|社会主義の国]]」と今も憲法で謳っている。インドは、冷戦のさなかの1961年にインドのネルー首相等の呼びかけで始まった東側の共産主義陣営、西側の資本主義陣営に属さない非同盟国または非同盟運動のメンバー国である。 1947年の独立以降、混合経済体制下で国家主導の輸入代替工業化による経済開発を進めてきたが、91年7月にラオ政権が発表した経済改革政策で、市場原理と競争重の、インド経済自由化に転換した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
建国以来、一貫して[[中国共産党|共産党]]の一党独裁体制の続く中華人民共和国に対して、インドは国民一人ひとりが選挙を通じて国の指導者を選ぶ「民主主義」の国であり、また、立法、司法、行政の三権分立も確立しており、[[複数政党制|多党制]]で[[普通選挙]]が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両国間のかつての貿易は並々ならぬものであった。例えば、[[タタ・グループ|タタ財閥]]（[[ジャムシェトジー・タタ]]）は[[清|清国]]との交易から始まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中華人民共和国が近い将来[[少子高齢化]]社会となるのに比べ、インドは[[少子化]]問題の懸念がずっと少ない。2011年版「世界人口白書」によれば、インドは2021年までに、中国を抜いて世界一の人口大国になる可能性とも。&lt;br /&gt;
中印両国とも経済成長が著しく、[[G20]]のメンバーであり、G14に加盟する可能性がある。&lt;br /&gt;
現在[[常任理事国]]である中国は日本の常任理事国入りは不支持であるのに対し、犬猿の仲とも言われるインドの常任理事国入りは支持している。&lt;br /&gt;
インドにとって中国は米国と並ぶ主要な貿易国の一つである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 課題 ===&lt;br /&gt;
インドの経済については、以下の課題が指摘されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== インフラ ====&lt;br /&gt;
[[File:Trafficjamdelhi.jpg|thumb|デリーの交通渋滞&amp;lt;!--ただしいつ頃のものか不明--&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[インフラ]]整備等（電力不足、湾港施設のお粗末さなど）の事業環境に、各都市間で格差がある。[[世界銀行]]のレポートによれば、首都であってもインフラ整備は十分ではないという。首都デリーを含むインド全土で毎日停電が頻発しているため大きな工場やオフィスは自家発電設備を備えている。また大都市近辺では車両の増加に道路整備が追いつかず、定常的に渋滞が発生している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それに対して、行政府は外国企業の誘致をさらに進める意向であるとともに、事業環境が十分ではない状況を改善する意向を持っている。&lt;br /&gt;
* [[マンモハン・シン]][[首相]]は「外国企業の誘致に向け、インフラ整備や税制の簡素化、関税の削減、申請手続きの迅速化を進めてきたが、「まだ十分ではない」と述べ、改善を急ぐ考えを明らかにしている。&lt;br /&gt;
* [[P・チダンバラム]][[財務大臣]]は「民間企業による投資が、年率9%成長の維持に不可欠とみており、「国内外を問わず民間企業が投資できる環境を整備する必要がある」と述べた。&lt;br /&gt;
2007年度予算案では、インフラ整備への予算配分を増加。投資額は前年度40%増の1兆3400億ルピーとなっている。また、経済成長持続に向けてさらなる投資が必要としている。「インドは今後5年間で道路や空港、港、鉄道などのインフラ整備に向けて14兆5000億ルピー規模の投資が必要としている」&amp;lt;ref name=&amp;quot;20070301fujisankei&amp;quot;&amp;gt;2007年3月1日付配信 フジサンケイビジネスアイ&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[経済特区]]を設置し、障害が最小限のレベルですむようにすることによって、海外企業の工場進出を促した。2007年現在、約300の経済特区がある&amp;lt;ref name=&amp;quot;20071023nikkeibo&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 土地問題 ====&lt;br /&gt;
インドでは、7億人が農業に従事しているため多くの土地が農地となっており、大規模な工場を建設する余地が乏しいという。そのため、各地で工場を建てたりなどで土地が必要な企業と、農地を奪われる形となる農民との間でデモや衝突が起こっている&amp;lt;ref name=&amp;quot;20080915nikkeibis&amp;quot;&amp;gt;「インドは「農民vs工場」」『日経ビジネス』2008年9月15日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。以下に一例を挙げる。&lt;br /&gt;
* [[タタ・モーターズ]] - [[タタ・ナノ]]の生産工場を巡り対立。&lt;br /&gt;
* [[ポスコ]] - [[オリッサ州]]で製鉄所建設を巡り3年間対立（2008年時点）&amp;lt;ref name=&amp;quot;20080915nikkeibis&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 環境問題 ====&lt;br /&gt;
;大気汚染&lt;br /&gt;
主要都市の大気汚染については森林環境省の環境専門研究機関CSE（Centre for Science and Environment）がカバーしている。CSEは2006年後半から、スモッグが頻発していると注意を促している。1996年～2005年までの10年間に自動車の登録台数が157％にものぼり、自動車燃料のディーゼル油がガソリン価格より低廉で燃費の点からもディーゼル車の方が販売台数も伸び、排ガスでの大気汚染に大きく影響している。その対策として、地下鉄や公共輸送機関の整備拡大、商用ディーゼル車の使用期間の制限15年、排ガス規制の徹底、天然ガス車への転化などを上げている。さらに気管支系のガンや慢性的な疾病となる兆候について警告している。&amp;lt;ref&amp;gt;藤森浩樹「インドの環境問題」 / 広瀬崇子・近藤正規・井上恭子・南埜猛『現代インドを知るための60章』明石書店 2007年 160-161ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
健康被害をもたらす大気中の[[粒子状物質#PM2.5（微小粒子状物質）|微粒子状物質]]の濃度が首都[[ニューデリー]]で、400マイクログラムを記録している。インド最高裁が1998年、タクシーやバスの燃料をディーゼルから天然ガスに転換するよう命じた後、[[大気汚染]]は改善したが、その後の自家用車の普及で再び悪化の一途を辿っている。ニューデリーでは、視界不良で信号が見えず、交通事故が多発している&amp;lt;ref&amp;gt;北京よりひどい？インドの大気汚染 サマンサ・スタインバーン、ジェーソン・オーバードーフ &#039;&#039;Newsweekニューズウィーク日本版&#039;&#039; 2013年2月12日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。アメリカのNPO、健康影響研究所によると、インドの大気汚染が原因とみられる年間死者数は2010年に67万7000人となり、2000年から6倍に増加した。死因別では高血圧、石炭や薪など固形燃料使用による屋内の空気汚染、喫煙、栄養不足に続く5番目だという。インド政府機関の科学環境センターは、大気汚染測定時の指標となる微小粒子状物質、PM10の測定値が国内の全都市の78％に当たる141都市で国の環境基準を上回っており、うち26都市は基準の3倍以上に達する「危機的状況」にあるとしている。政府機関のインド医療研究評議会幹部は、2011年の政府調査で67％の家庭が固形燃料を使用していると指摘。「屋内の空気汚染による死者数も年100万人を超えている恐れがある」と警告を発している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news&lt;br /&gt;
|url=http://www.sankeibiz.jp/macro/news/130321/mcb1303210800026-n1.htm&lt;br /&gt;
|title=インドの大気汚染問題が深刻化　１０年の死者６７万人超&lt;br /&gt;
|work=Sankei Biz&lt;br /&gt;
|date=2013-03-21&lt;br /&gt;
|accessdate=2012-04-15&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;河川の汚染&lt;br /&gt;
{{See also|インダス川}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 交通 ==&lt;br /&gt;
=== 道路 ===&lt;br /&gt;
[[File:Mumbai Pune ExpresswayDec2007.jpg|thumb|{{仮リンク|ムンバイ・プネー高速道路|en|Mumbai Pune Expressway}}]]&lt;br /&gt;
イギリス領だった影響から、[[左側通行]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[高速道路]]などは計画・建設中の段階である。[[デリー]]・[[コルカタ]]・[[チェンナイ]]・[[ムンバイ]]を結ぶ延長約5800kmの道路（通称「黄金の四角形」）が[[2006年]]中に完成した。また、国内を東西方向・南北方向に結ぶ+型の延長約7300kmの道路（通称「東西南北回廊」）も[[2007年]]末に完成する予定である。これらの高速道路は通行料金(Toll)が必要な有料道路(Toll way)であり、所々に料金所があるが、一般道と完全に分離しているわけではない。大都市では片道3車線以上で立体交差であるが、数十km郊外に行けば片道2車線で一般道と平面交差し、近所の馬車や自転車も走る。これ以外の道路も舗装はされているが、メンテナンスが十分でなく路面は凸凹が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 鉄道 ===&lt;br /&gt;
{{main|インドの鉄道}}&lt;br /&gt;
現在では[[鉄道]]が移動の主体となっている。貧富の差が激しいのにあわせて、使う乗物によってかかる費用が大きく違う。例）ムンバイ、デリー間。飛行機の外国人料金: 6000ルピー。二等の寝台: 400ルピー。また[[日本]]の[[新幹線]]を基にした[[高速鉄道]]や[[貨物鉄道]]も計画されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 航空 ===&lt;br /&gt;
[[Image:Mumbai Airport.jpg|thumb|[[ムンバイ]]の[[チャットラパティー・シヴァージー国際空港]]]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつて[[旅客機]]は一部の富裕層でしか使われていなかったが、[[2000年代]]に入り国内大手資本により[[格安航空会社]]が多数設立され、それに併せて航空運賃が下がったこともあり中流階級層を中心に利用者が増加している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
航空会社としては以下のものがある。&lt;br /&gt;
* [[エア・インディア]]（国営の[[フラッグ・キャリア]]）&lt;br /&gt;
* [[キングフィッシャー航空]]&lt;br /&gt;
* [[ジェットエアウェイズ]]&lt;br /&gt;
* [[スパイスジェット]]（格安航空会社）&lt;br /&gt;
* [[ジェットライト]]（格安航空会社）&lt;br /&gt;
* [[IndiGo]]（格安航空会社）&lt;br /&gt;
* [[GoAir]]&lt;br /&gt;
* [[:en:Paramount Airways|Paramount Airways]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首都・ニューデリーには[[インディラ・ガンディー国際空港]]がある。その他の空港については[[インドの空港の一覧]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人口 ==&lt;br /&gt;
[[File:Indian Railways Network Connectivity Map with cities and population density.png|thumb|250px|インドの鉄道網と人口密度を示した地図。北部に特に人口が集まっている。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年の人口は1,131,043,000人。2011年の人口は12億1,000万人以上で人口増加率17.64%。 2013年、現在は12億3900万人。&amp;lt;ref&amp;gt;http://ecodb.net/country/IN/imf_persons.html&amp;lt;/ref&amp;gt;インドの人口は1950年以降、毎年&#039;&#039;&#039;1,000万&#039;&#039;&#039;～&#039;&#039;&#039;1,500万人&#039;&#039;&#039;の勢いで増加し続け、2005年には11億人を突破した。国連の予測では今後もこのペースで増加し、2030年代に中華人民共和国を追い抜く可能性が高い。中華人民共和国が[[一人っ子政策]]を見直さない限り2030年代で人口が頭打ちになるのと比べ驚異的な伸びといえる。ただし2030年代以降は毎年500~700万人増と人口増加はやや鈍化する。とはいえ2050年には16億人に達し、その後も増加し続け、2100年には18.2億人近くになるというのが大方の専門家の見方だ。またインドは人口構成が若いのが特徴で、2000年の[[中位年齢]]は23歳、2050年でも38歳と言われている{{誰2|date=2009年5月}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+インドの人口の推移と予測&lt;br /&gt;
!年 !! 人口（万人） !!増加率 (%)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!1950&lt;br /&gt;
|3億5756||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|×&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!1960&lt;br /&gt;
|4億4234||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|2.2&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!1970&lt;br /&gt;
|5億5491||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|2.3&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!1980&lt;br /&gt;
|6億8885||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|2.2&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!1990&lt;br /&gt;
|8億4641||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|2.1&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!2000&lt;br /&gt;
|10億0169||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|1.9&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!2005&lt;br /&gt;
|11億0337||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|×&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!2007&lt;br /&gt;
|11億3104||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|×&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!2010&lt;br /&gt;
|11億7380||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|1.4&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!2020&lt;br /&gt;
|13億1221||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|1.1&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!2030&lt;br /&gt;
|14億1657||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|0.8&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!2040&lt;br /&gt;
|14億8571||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|0.5&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!2050&lt;br /&gt;
|15億9000||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|0.3&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!2100&lt;br /&gt;
|17億9000||style=&amp;quot;text-align:right&amp;quot;|0.3&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インド全体の人口増加率は、1971年から2001年まで、2％台から1％台の1.97％に落ちた&amp;lt;ref&amp;gt;井上恭子「人口増加率・識字率・男女比の地域差が示すもの」/ 広瀬崇子・近藤正規・井上恭子・南埜猛編著『現代インドを知るための60章』明石書店 2007年 213ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==健康と医療==&lt;br /&gt;
{{main|インドの医療}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 国民 ==&lt;br /&gt;
[[パンジャーブ地方]]に暮らす一部の民族は、起源をヨーロッパの[[ロマ]]（ジプシー）と同じにする。そのほか、民族によって服装や生活様式の違いがはっきりと分かれていることが多い。またロマは先住民の[[ドラヴィダ人]]ではないかという説も浮上している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 人種・民族 ===&lt;br /&gt;
インド亜大陸の民族については、インド・アーリア語族、ドラヴィダ語族、オーストロアジア語族、モンゴロイド系のシナ・チベット語族の４つに大別されるが、人種的には約4000年前から混血している。&lt;br /&gt;
大半がインド・アーリア語系の分布で、南はドラヴィダ族が分布し、オーストロアジア語族、シナ・チベット語系は少数な分布となっている。&lt;br /&gt;
[[Y染色体]]や[[MtDNA]]の研究結果によると、インド人の大半は&#039;&#039;&#039;南アジア固有&#039;&#039;&#039;の[[ハプログループ]]を有している。&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=1380230&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=516768&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
[[ミャンマー]]と国境が接している北東部は、[[チベット・ビルマ語族]]の民族がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 言語 ===&lt;br /&gt;
{{main|インドの言語|インドの公用語の一覧|インドの言語の話者数一覧}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Ms-Languages-of-India-600w-01.jpg|thumb|left|250px|インドの言語の地理的分布]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドは[[ヒンディー語]]を連邦[[公用語]]とする。ヒンディー語圏以外では各地方の[[言語]]が日常的に話されている。インドで最も多くの人に日常話されている言葉はヒンディー語で、約4億人の話者がいると言われ、インドの人口の約40%を占める。方言を含むと800種類以上の言語が話されているインドでは、地域が異なればインド人同士でも意思疎通ができない場合がある。植民地時代に家では英語だけで子供を育てたことなどから、英語しか話せない人もいる。しかし一方で、地域や階級によっては英語がまったく通じないこともしばしばである。1991年の国勢調査によると、178,598人（調査対象者の0.021%）が英語を母語にしており、9000万人以上（同11%）が英語を第一、第二、ないし第三の言語として話すとしている。インド社会は国内コミュニケーションの必要上から第二公用語の英語を非常に重視しており、結果として国民の英語能力は総じて高い。インドの大学では全て英語で講義を受けるため、インド人学生の留学先にアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどの英語圏が圧倒的に人気が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[インド憲法]]には1950年の憲法施行後15年で英語を公用語から除外するとしている。現在、憲法はヒンディー語で翻訳され、正文とされているが、15年を経過しても英語を除外することができず、公用語法において英語の使用を無期限延長することとしている。ただし地名に関しては英語離れとでも言うべき動きが進んでおり、ボンベイ、カルカッタ、マドラスという大都市は、それぞれ[[ムンバイ]]、[[コルカタ]]、[[チェンナイ]]という現地語の名称へと公式に改められた。こうした傾向はインド国内での[[ナショナリズム]]の拡大・浸透が続く限り進むものと見られるが、連邦公用語のヒンディー語は未だ全国に浸透していない。特にインド南部[[タミル・ナードゥ州]]などではヒンディー語を連邦公用語とすることへの反発が強い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドの言語は北部の[[インド・ヨーロッパ語族]]インド語派と南部の[[ドラヴィダ語族]]に大きく分かれる。ドラヴィダ語族の言語は主に南部の[[アーンドラ・プラデーシュ州]]、[[カルナータカ州]]、[[ケーララ州]]、[[タミル・ナードゥ州]]で話され、それ以外の地域がインド・ヨーロッパ語族に含まれる。この様に北部と南部とで言語が大きく異なっているため、インド・ヨーロッパ語族に含まれるヒンディー語がドラヴィダ語族の人々への浸透の遅れる原因ともなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1980年代以降の[[ヒンドゥー・ナショナリズム]]の高まりと共に、[[サンスクリット]]を公用語にしようという動きも一部で高まっている。もともと中世以前においてはインド圏の[[共通語]]であったと考えられているサンスクリットは、各地方語の力が強まりその役割が果たされなくなった後も、上位[[カースト]]である[[ブラフミン]]の間では基礎教養として身に付けられてきたという経緯がある。しかし古い言語であるだけに、現在（学者・研究者による会議の席上や特殊なコミュニティー等を除けば）日常語として話している人はほとんど居らず、またその複雑さ故に同言語の学習に多年を要することなどもあり、実際の普及は滞っているのが現状である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 連邦公用語 ====&lt;br /&gt;
連邦[[公用語]]は[[ヒンディー語]]。多言語社会であるインドにおいて、国家が国民統合を推し進める上で、また実際に行政運営を行う上で言語は常に重要な位置を占めており、現在は当初独立運動の過程では、植民地の行政言語（[[公用語]]）であった英語に代わって、北インドを中心に広く通用する[[ヒンドゥスターニー語]]を新たに独立インドの象徴として積極的に採用していこうという[[マハトマ・ガンディー|ガンディー]]らの意見があった。その流れを受けて、独立後制定された[[インド憲法]][http://indiacode.nic.in/coiweb/welcome.html]の第343条では、ヒンドゥスターニー語の流れを汲む[[ヒンディー語]]が連邦[[公用語]]として規定されている。これに対しては憲法起草段階から現在に至るまで南部の[[タミル・ナードゥ州]]を中心に反対意見が根強いが、連邦政府はおりにつけ各地でヒンディー語の普及を推し進めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それ以外にもインド憲法条文（第8付則[http://www.constitution.org/cons/india/shed08.htm]、および憲法修正第92法[http://indiacode.nic.in/coiweb/amend/amend92.htm]を参照）には以下列挙する「22の言語」が明記されている。しかし、これら22言語（通称「第8付則言語」）は、憲法によって「公用語」として規定されているわけではなく、あくまで「公的に認定された言語」という曖昧な位置づけに留まっている。例えば、[[サンスクリット|サンスクリット語]]や[[シンディー語]]などはいずれの州でも公用語として採用されておらず、また逆に[[ミゾラム州]]の公用語の一つである[[ミゾ語]]などは、この22言語の中に含まれていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;公的に認定された言語&lt;br /&gt;
* [[アッサム語]]&lt;br /&gt;
* [[ウルドゥー語]]&lt;br /&gt;
* [[オリヤー語]]&lt;br /&gt;
* [[カシミール語]] （[[ジャンム・カシミール州]]に話者がいるが、州の公用語とはしていない）&lt;br /&gt;
* [[カンナダ語]]&lt;br /&gt;
* [[グジャラート語]]&lt;br /&gt;
* [[コーンカニー語]]&lt;br /&gt;
* [[サンスクリット語]] （古典言語であるため日常語としての話者はほとんどいない）&lt;br /&gt;
* [[サンタル語]]&lt;br /&gt;
* [[シンディー語]] （[[グジャラート州]]に話者がいるが、州の公用語とはしていない）&lt;br /&gt;
* [[タミル語]]&lt;br /&gt;
* [[テルグ語]]&lt;br /&gt;
* [[ドグリ語]]&lt;br /&gt;
* [[ネパール語]]&lt;br /&gt;
* [[パンジャーブ語]]&lt;br /&gt;
* [[ヒンディー語]]&lt;br /&gt;
* [[ベンガル語]]&lt;br /&gt;
* [[ボド語]]&lt;br /&gt;
* [[マイティリー語]]&lt;br /&gt;
* [[マニプリ語]] （[[マニプル州]]の第二公用語としてのみ使用されている）&lt;br /&gt;
* [[マラーティー語]]&lt;br /&gt;
* [[マラヤーラム語]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====州・連邦首都圏・連邦直轄領の公用語====&lt;br /&gt;
　（第二公用語は除く。憲法第8附則に明記されている言語、および連邦公用語は&#039;&#039;&#039;太字&#039;&#039;&#039;で示す。）&lt;br /&gt;
:英語は全ての地方の公用語となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[アッサム州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[アッサム語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[アルナーチャル・プラデーシュ州]] （英語）&lt;br /&gt;
* [[アーンドラ・プラデーシュ州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[テルグ語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ウッタラーカンド州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ウッタル・プラデーシュ州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[オリッサ州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[オリヤー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[カルナータカ州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[カンナダ語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[グジャラート州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[グジャラート語]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ケーララ州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[マラヤーラム語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ゴア州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[コーンカニー語]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[マラーティー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[シッキム州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ネパール語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ジャールカンド州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ジャンムー・カシミール州]] （英語、簡易&#039;&#039;&#039;[[ウルドゥー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[タミル・ナードゥ州]] （英語、&#039;&#039;[[タミル語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[チャッティースガル州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[トリプラ州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ベンガル語]]&#039;&#039;&#039;、[[コクバラ語]]）&lt;br /&gt;
* [[ナガランド州]] （英語）&lt;br /&gt;
* [[西ベンガル州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ベンガル語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ハリヤーナー州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[パンジャーブ州 (インド)|パンジャーブ州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[パンジャーブ語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ビハール州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ヒマーチャル・プラデーシュ州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[マディヤ・プラデーシュ州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[マニプル州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[マニプリ語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[マハラシュトラ州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[マラーティー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ミゾラム州]] （英語、[[ミゾ語]]）&lt;br /&gt;
* [[メーガーラヤ州]] （英語）&lt;br /&gt;
* [[ラージャスターン州]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;連邦首都圏と連邦直轄領&lt;br /&gt;
* [[デリー首都圏]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[アンダマン・ニコバル諸島|アンダマン・ニコバル諸島連邦直轄領]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[ヒンディー語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ダードラー及びナガル・ハヴェーリー連邦直轄領]] （英語）&lt;br /&gt;
* [[ダマン・ディーウ連邦直轄領]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[グジャラート語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[チャンディーガル連邦直轄領]] （英語）&lt;br /&gt;
* [[ポンディシェリ連邦直轄領]] （英語、&#039;&#039;&#039;[[タミル語]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[テルグ語]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[マラヤーラム語]]&#039;&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
* [[ラクシャディープ諸島|ラクシャディープ連邦直轄領]] （英語）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 教育 ===&lt;br /&gt;
{{main|インドの教育}}&lt;br /&gt;
[[初等教育]]、[[中等教育]]は無償となっている。[[後期中等教育]]（日本の[[高校]]に相当）は2年制と4年制に分かれており、[[高等教育]]を受けるために[[大学]]へ進学するには、4年制の高校で学ばねばならない。インドの学校は日本と同じ4月[[入学]]を採用している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドの教育は現地の言語と[[英語]]で行われている。インドでは最近にかけて英語の授業が早く行われるようになった。ニューデリーの公立学校では[[初等教育]]から[[教授言語]]が英語である。インドの私立高校は既に初等教育から英語で教育が行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 印僑 ===&lt;br /&gt;
{{main|インド系移民と在外インド人}}&lt;br /&gt;
[[インド系移民と在外インド人|印僑]]は[[華僑]]・[[ユダヤ人]]・[[アルメニア人]]に並ぶ世界四大移民集団で、海外で成功を収めている。[[イギリス帝国|大英帝国]]の植民地時代から世界各国の国へ移民し、特にイギリスの支配下であった[[英語圏]]に圧倒的に多いのが特徴である。在外インド人（[http://www.nriol.com/ NRI]＝[[印僑]]）は、[[インド外務省]]によれば、2500万人以上と世界各地に存在しており、その一部は上祖の出身地たるインドへの投資にも積極的である。特にインド系移民の存在感が大きな諸国として[[東アフリカ]]の[[タンザニア]]や、[[ケニア]]、[[モーリシャス]]、[[南アメリカ]]の[[ガイアナ]]、[[西インド諸島]]の[[トリニダード・トバゴ]]、[[オセアニア]]の[[フィジー]]などが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第三の性 ===&lt;br /&gt;
2014年4月から、身体的な性と自己の性認識が一致しないトランスジェンダーが「第三の性」として法的に認められた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://time.com/69536/transgender-woman-running-for-indian-parliament/ A Transgender Candidate Is Running for Parliament In India For the First Time]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 宗教 ==&lt;br /&gt;
[[File:Birla Mandir Delhi.jpg|thumb|[[デリー]]の[[ラクシュミーナーラーヤン寺院]]（ヒンドゥー教）]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Qutab Minar mausoleum.jpg|thumb|デリーの[[クトゥブ・ミナール]]（イスラーム教）]]&lt;br /&gt;
{{Main|インドの宗教}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
多くのインド人は[[ヒンドゥー教]]徒で、それにまつわる身分差別である[[カースト制度]]の影響は今でも残っている。インド軍内においても出身地別の部隊であったり、士官学校に入学できるカーストが限定されているなど軍隊組織にもカースト制度の名残がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドの人口に占める各宗教の割合: ヒンドゥー教徒80.5%、イスラーム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、[[シク教]]徒1.9%、 仏教徒0.8%、[[ジャイナ教]]徒0.4%（2001年国勢調査）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/data.html 外務省：インド]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/in.html CIA – The World Factbook – India]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[ブリタニカ]]国際年鑑2007年版によれば、ヒンドゥー教徒73.72%、イスラーム教徒11.96%、キリスト教徒6.08%、シク教徒2.16%、仏教徒0.71%、ジャイナ教徒0.40%、[[アイヤーヴァリ]]教徒0.12%、[[ゾロアスター教]]徒0.02%、その他1.44%である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ヒンドゥー教 ====&lt;br /&gt;
ヒンドゥー教は最大の信徒数を誇る。そのため、牛や猿を神聖化&amp;lt;ref&amp;gt;[[シヴァ]]神の聖牛[[ナンディン]]やヴィシュヌ神の化身[[ラーマ]]に忠誠を尽くした猿神[[ハヌマーン]]への信仰に起因する。&amp;lt;/ref&amp;gt;する習慣やカースト制度などインド社会への影響は大きい。また、聖なる川、ガンジス川で身を清め、来世の存在を信じている。イスラーム原理主義やイスラム過激派・テロ、またイスラム国家のパキスタンとの対立に刺激されて、[[ヒンドゥー・ナショナリズム|ヒンドゥー教原理主義]]が登場している。インドでのヒンドゥー教徒の割合は1961年に83.4%であったが2001年には80.5%である&amp;lt;ref name=&amp;quot;religious stat&amp;quot;&amp;gt;http://web.archive.org/web/20050901164835/http://www.censusindia.net/religiondata/statement.pdf&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イスラーム教 ====&lt;br /&gt;
{{see|インドにおけるイスラーム}}&lt;br /&gt;
[[イスラーム教]]徒もインド国内に多数おり、インド国内では[[ヒンドゥー教]]に次ぐ第二位の勢力である。信徒人口はインドは世界第3位のイスラーム教国である（1位[[インドネシア]]、2位[[パキスタン]]）。ヒンドゥー教から一方的に迫害されることはないが、ヒンドゥー教徒の力が強いためにイスラーム教徒との勢力争いで、暴動が起きることもある。そのためイスラーム教徒がヒンドゥー教の寺院を破壊したり、その逆にヒンドゥー教徒がイスラム教のモスクを破壊したりといった事件も後を絶たない。&amp;lt;!-- パキスタンがイスラム教国としてインドより独立したのもこれらが原因である。←インド国内の話からいきなりこの記述は疑問。インドとパキスタンは同時にイギリスから分離独立したので表現がおかしいし、そのことは記事冒頭にあるのでそもそもここで必要かどうか。 --&amp;gt;近年は[[イスラーム主義]](過激派)による[[テロリズム|テロ]]も頻発している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== キリスト教 ====&lt;br /&gt;
{{main|トマス派|インドのキリスト教}}&lt;br /&gt;
インドのキリスト教徒の多くはローマ・カトリック教会に属しており、インド南部のゴア州やケーララ州などに集中している。これはイギリス統治時代以前のポルトガルの交易による影響が大きい。インドでは[[東方教会]]の一派である[[トマス派]]が存在しており、[[マイノリティ]]であるものの、一定の影響力を維持してきた。これとは断絶する形で、イギリスの植民地化以降はカトリックやプロテスタント諸派の布教が進み、トマス派を含めて他宗派の住民が改宗した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 仏教 ====&lt;br /&gt;
{{main|インドの仏教}}&lt;br /&gt;
[[仏教]]発祥の地であるが、5世紀から12世紀の間に衰退、[[1203年]]のイスラム教徒[[ムハンマド・バフティヤール・ハルジー]]将軍による[[ヴィクラマシーラ大学|ヴィクラマシーラ大僧院]]の破壊により、僧院組織は壊滅的打撃を受け、インド仏教は、[[ベンガル地方]]でベンガル仏教徒とよばれる小グループが細々と命脈を保つのみとなった。一説では[[東南アジア]]、[[東アジア]]に仏教が広まったのは、インドで弾圧された多くの仏教関係者が避難したことが理由としてあげられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;チベット仏教&lt;br /&gt;
[[カシミール州]]の[[ラダック]]地方、ヒマーチャルプラデーシュ州の北部、シッキム州など、チベット系住民が居住する地方では、[[チベット仏教]]が伝統的に信仰されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;新仏教運動&lt;br /&gt;
1956年、[[インド憲法]]の起草者の一人で初代法務大臣を務めた[[ビームラーオ・アンベードカル|アンベードカル]]が死の直前に、自らと同じ50万人の[[不可触民]]と共に仏教徒に改宗し、[[新仏教運動|インド仏教復興の運動]]が起こった。現在は日本人僧の[[佐々井秀嶺]]がアンベードカルの正式な後継者と認められ、インド仏教運動を継続している。近年、[[ヒンドゥー教]]の[[カースト]]を嫌う不可触民や下層階級の人々がヒンドゥー教から仏教に改宗する動きがあり、実質、5千万とも1億ともいわれるが、不可触民に与えられる保障や優先枠のため、選挙などの機会に作られる住民登録では不可触民として登録してしまうので、国勢調査の数字には表れていないとされる。公式統計では仏教徒は人口の0.7%（約700万人）に達している。インドでの仏教徒の割合は1961年に0.7%であったが2001年には0.8%である&amp;lt;ref name=&amp;quot;religious stat&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化 ==&lt;br /&gt;
{{main|インドの文化}}&lt;br /&gt;
一般的な日本人が持つインドのイメージは[[仏教]]発祥の地、食料品の[[カレー]]の地、暑い、カースト制と呼ばれる階層があり、男性は[[ターバン]]を、女性は[[サリー (民族衣装)|サリー]]を身に付けた人々が住む国だとの印象に帰着しがちである{{要出典|date=2013年8月}}。このようなイメージが生まれる理由は、インドを単純に南北に分けた場合、首都ニューデリーやガンジス川を含む[[北インド]]の情報が多く、[[南インド]]の情報が少ないことに帰因している{{要出典|date=2013年8月}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 食文化 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Thali meal-Before.jpg|thumb|220px|[[北インド]]の[[ターリー]]。]]&lt;br /&gt;
{{Main|インド料理}}&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 哲学 ===&lt;br /&gt;
{{main|インド哲学|インドの数学}}&lt;br /&gt;
インドにおいて発達した[[哲学]]、[[思想]]は、法（धर्म ダルマ）・利（अर्थ アルタ）・愛（काम カーマ）の三つ、あるいはこれらに[[解脱]]（मोक्ष モークシャ）を加えた四つを主題として展開してきた。法は主に『[[ヴェーダ]]』に述べられる祭式とそれにまつわる[[バラモン]]等の四つの[[ヴァルナ (種姓)|ヴァルナ]]の正しい生き方に関わり、利は主に[[クシャトリヤ]]の国王を中心とした国家の正しい運営方法あるいはあり方に関わり、愛は格好よさ・夫婦の生活・性交・遊女など広く男女の間柄についてのあり方に関わっている。また解脱とその前提となる[[輪廻]]（संसार サンサーラ）は、人間の死後のあり方に関わっており、インドにおけるほとんどすべての宗教思想や哲学と密接な関係にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 文学 ===&lt;br /&gt;
[[File:Lakshamana cuts Surpanaka&#039;s nose.jpg|thumb|220px|ヒンドゥー神話を題材にした[[叙事詩]]『[[ラーマーヤナ]]』の一局面を描いた[[グプタ朝]]時代の石刻。]]&lt;br /&gt;
{{main|インド文学}}&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
*『 [[ラーマーヤナ]]』&lt;br /&gt;
*『 [[マハーバーラタ]]』&lt;br /&gt;
* [[カーリダーサ]] - 『[[シャクンタラー]]』&lt;br /&gt;
* [[ラビンドラナート・タゴール]] - 『[[ギーターンジャリ]]』、[[1913年]]に[[ノーベル文学賞]]を授与された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 音楽 ===&lt;br /&gt;
{{main|インドの音楽|インドの伝統音楽}}&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
* [[ラーガ]]&lt;br /&gt;
* [[ヒンドゥスターニー音楽]]&lt;br /&gt;
* [[カルナータカ音楽]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 映画 ===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{main|インドの映画}}&lt;br /&gt;
インド国内では各地方の言語でそれぞれ独自に[[映画]]が制作されていることもあり、インドは世界で最も多くの年間映画制作本数を誇る国である。また同様に音楽も各言語ごとにアーティストがおり、独自のアルバムが制作される。各州、各言語ごとに音楽や映画の制作者が存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に北部を中心にインド全土で上映されるヒンディー語による娯楽映画は、その制作の中心地である[[ムンバイ]]の旧名ボンベイと[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ハリウッド]]をもじって「[[ボリウッド]]フィルム」と呼ばれている。様々なタイプの映画があるが、多くは[[ミュージカル]]要素を含んだ映画で、これらは日本で「[[マサラムービー]]」と呼ばれ親しまれている。インドだけではなく西アジア・アフリカ・東南アジア諸国で大変な人気があり、重要な輸出産業のひとつとなっている。欧米でもインド系住民が住む大都市部を中心に人気が広がっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[おしん]]』、『[[七人の侍]]』などの[[日本映画]]も知られている。[[日本テレビ]]系番組『[[ウッチャンナンチャンのウリナリ!!]]』にて[[インド映画]]が紹介されたり、番組出演者が自ら主演する企画があった。以後、日本で[[インド映画]]が上映される機会が多くなった{{要出典|date=2013年8月}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 世界遺産 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Taj Mahal, Agra, India edit3.jpg|thumb|[[タージ・マハル]]]]&lt;br /&gt;
{{main|インドの世界遺産}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インドは5000年の歴史があり、今に残る数々の歴史的遺跡の文化遺産や多様に富む自然と野生動物とさまざまで数は多い。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年インド国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が24件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が6件。なおインドには世界遺産候補リストが33件数ある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 祝祭日 ===&lt;br /&gt;
法律で決められ、全国一律に実施される祝日は下記3日。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+ style=&amp;quot;font-weight:bold; font-size:120%&amp;quot; | 祝日&lt;br /&gt;
! 日付!! 日本語表記 !! 現地語表記 !! 備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1月26日]] || [[共和国記念日 (インド)|共和国記念日]] || Republic Day गणतंत्र दिवस || 1950年の憲法発布を祝う日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[8月15日]] || [[独立記念日 (インド)|独立記念日]] || Independence Day स्वतंत्रता दिवस || 1947年にイギリスから独立した日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[10月2日]] || [[ガンディー生誕記念日]] || Gandhi Jayanti गांधी जयंती || &amp;amp;nbsp;&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
他に各州によって祝祭日が設けられている場合があり、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教の祭礼日がある。各企業では法律上の3日を含めて年間10日程度の休日を設けているが、どの日を休日にするかは一律でない。またヒンドゥー教に由来する祭日は太陽暦ではなく、インド特有の太陰太陽暦に基づいており、太陽暦上では2週間程度前後する。各地域で休日とされる日程のうち太陽暦に準拠する日は3回。&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+ style=&amp;quot;font-weight:bold; font-size:120%&amp;quot; | 祝祭日&lt;br /&gt;
! 日付!! 日本語表記 !! 現地語表記 !! 備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[1月1日]] || 元日 || New Year&#039;s Day || 日本と違って休みは1日のみ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[9月17日]] || ヴィッシュヴァカルマ祭 || Vishvakarman Pooja विश्वकर्मा पूजा || 各地の工場で物造りの神[[ヴィシュヴァカルマン]]を讃える祭り。ヒンドゥー教で唯一太陽暦に準拠（[[アーンドラ・プラデーシュ州]]など一部地域のみ）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| [[12月25日]] || [[クリスマス]] || Christmas || 全国的に休みとなる&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
太陰太陽暦に基づく祝祭日&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+ style=&amp;quot;font-weight:bold; font-size:120%&amp;quot; | 祝祭日&lt;br /&gt;
! 日付!! 日本語表記 !! 現地語表記 !! 備考&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 1月 || ポンガル（[[タミル・ナードゥ州]]など南部）/マカラ・サンクラーンティ（主に北インド全般）|| Pongal பொங்கல்/Makara Sankranti मकर संक्रांति || [[冬至]]の時期に行われる収穫祭。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 3月 || [[ホーリー祭|ホーリー]]|| Holi होली || インド3大祭りに上げられる春祭り&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 4月 || ラーマ降誕祭 || Ramnavmi रामनवमी || ラーマ神の誕生日を祝う&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 7～8月 || [[ラーキ|ラクシャー・バンダン]] || Raksha Bandhan रक्षाबंधन || 女性が兄弟の手首に飾り紐を巻きつけて加護を願う祭り&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 8月 || クリシュナ・ジャナマーシュタミー || Krishna Janamashtami कृष्ण जन्माष्टमी || [[クリシュナ]]神誕生日、北インドで盛大な祭り&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 8～9月 || [[ガネーシャ]]祭 || Ganesh Chaturthi गणेश चतुर्थी || 西部の[[マハーラーシュトラ州]]で盛んな祭り。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 10月 || ダシャーラー || Dassera दशहरा || インド3大祭りの一つ、[[ラーマ]]王子が悪魔に打ち勝った日を祝う&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 10～11月 || ディーワーリー || Diwali दीवाली || インド3大祭りの一つ、富と幸福の女神[[ラクシュミー]]を祭る&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| 11月 || グル・ナーナク生誕祭 || Guru Nanak Jayanti गुरु नानक जयंती || [[シク教]]の開祖グル・ナーナクの誕生日&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
またキリスト教の [[聖金曜日|Good Friday]]（3～4月）も休日として扱われる。この結果一つの会社内でも本社・支店・工場で休日が異なることが多い。8月のクリシュナ祭がデリー本社は休日だがムンバイ支店は営業日で、ガネーシャ祭は逆になるという事が起こる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== スポーツ ===&lt;br /&gt;
[[File:Chandigarh hockey stadium.JPG|thumb|[[フィールドホッケー]]の国際試合（[[2009年]]）]]&lt;br /&gt;
インドは[[デリー]]で、[[1951年アジア競技大会|1951年アジア大会]]と[[1982年アジア競技大会|1982年アジア大会]]を開催し、また[[2010年コモンウェルスゲームズ]]を開催している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== フィールドホッケー ====&lt;br /&gt;
インドの国民的スポーツはイギリス統治時代から盛んだった[[フィールドホッケー]]で、インドホッケー連盟がナショナルチームを初めとした国内組織を統轄している。[[ホッケー・ワールドカップ]]でも1975年大会の優勝実績があり、[[近代オリンピック|オリンピック]]では金が8個、銀1個、銅2個のメダルを獲得している。プロリーグとしては2005年より[[プレミア・ホッケーリーグ]]があり、テレビ中継が開始されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== クリケット ====&lt;br /&gt;
国民の人気と言うことでは[[クリケット]]の人気が高い。ナショナルチームが1983年[[クリケット・ワールドカップ]]での優勝などの実績を持つ。インド・クリケット協会 (Board of Control for Cricket in India, BCCI) が国内組織を統轄しており、国内大会はドゥリープ杯、デオダール杯などがあり、また[[トゥエンティ20]]ルールで運営する[[インディアン・プレミアリーグ]] (IPL) 、[[インド・クリケットリーグ]] (ICL) のプロリーグがある。クリケット・ワールドカップも1987年と1996年、2011年大会をインドで開催した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== テニス ====&lt;br /&gt;
近年[[テニス]]も[[デビスカップ]]インド代表の活躍もあり、急速に人気を博している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== サッカー ====&lt;br /&gt;
北東インド、[[ベンガル地方|ベンガル]]、[[ゴア州|ゴア]]、[[ケーララ州|ケララ]]では[[サッカー]]も大変人気で、[[サッカーインド代表|ナショナルチーム]]は[[南アジアサッカー選手権]]で何度も優勝している。2007年には、プロサッカーリーグの[[Iリーグ]]が発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== モータースポーツ ====&lt;br /&gt;
[[2011年]]からは、インド国内としては初めての[[フォーミュラ1|F1]]開催である[[インドグランプリ|インドGP]]を開催している。ただ、これまでサーキット用地買収や運営する国内モータースポーツ連盟の分裂・混乱などの問題が発生、開催時期は当初の[[2009年]]から[[2010年]]、そして[[2011年]]と延期が続いた。インドにとってのF1は[[2005年]]より関係が深まってゆき、その年に[[ジョーダン・グランプリ]]から参戦し[[2006年]]と[[2007年]]は[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]のテストドライバーを担当していた[[ナレイン・カーティケヤン]]が初のインド人ドライバーとなった。その後、2008年より[[キングフィッシャー航空]]の創業者で[[:en:United Breweries Group|ユナイテッド・ブリュワリーズ・グループ]]の会長を務めるインド人実業家の[[ビジェイ・マリヤ]]がインド初のF1チームである[[フォース・インディア]]を設立。2010年にはインド人2人目のF1ドライバーである[[カルン・チャンドック]]が[[ヒスパニア・レーシング・F1チーム]]よりデビューした為、インド国内でのF1への関心は高まりつつあり、インドGPのF1初開催が2011年に現実のものとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== その他 ====&lt;br /&gt;
インドの伝統的なスポーツである[[カバディ]]、[[コーコー]] (kho kho) 、[[ギリ・ダンダ]] (Gilli-danda) なども全国で広く競技されている。またインド南部ケララ地方古来の[[武術]]{{要曖昧さ回避|date=2014年6月17日}}である[[カラリパヤット]]や、[[ヴァルマ・カライ]]も行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年に開かれた[[北京オリンピック]]・男子[[エアライフル]]で[[アビナブ・ビンドラー]]が優勝、個人競技で初めての金メダルを獲得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[インド国定暦]] - [[ヒンドゥー暦]]&lt;br /&gt;
* [[インドの歴史]]&lt;br /&gt;
* [[インド文化圏]]&lt;br /&gt;
* [[インドの言語]]・[[インドの公用語の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[インドの言語の話者数一覧]]&lt;br /&gt;
* [[インド哲学]]&lt;br /&gt;
* [[インドのナショナリズム]]&lt;br /&gt;
* [[インドの数学]]&lt;br /&gt;
* [[インド料理]]&lt;br /&gt;
* [[インド人の名前]]&lt;br /&gt;
* [[分野・時代別のインド人の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[マハトマ・ガンディー]]&lt;br /&gt;
* [[インドの財閥]]&lt;br /&gt;
* [[インド工科大学]]&lt;br /&gt;
* [[インドの観光地の一覧]]&lt;br /&gt;
* [[BRICs]]&lt;br /&gt;
* [[南インド]]&lt;br /&gt;
* [[インド系移民と在外インド人]]&lt;br /&gt;
* [[インドにおける性に関する問題]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Commons&amp;amp;cat|India|India}}&lt;br /&gt;
* インド政府&lt;br /&gt;
** [http://india.gov.in/ インド共和国政府] {{en icon}}&lt;br /&gt;
** [http://presidentofindia.nic.in/ インド大統領府] {{en icon}}&lt;br /&gt;
** [http://pmindia.nic.in/ インド首相府] {{en icon}}&lt;br /&gt;
** [http://www.indembassy-tokyo.gov.in/ 在日インド大使館] {{en icon}}&lt;br /&gt;
* 日本政府&lt;br /&gt;
** [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/ 日本外務省 - インド] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
** [http://www.in.emb-japan.go.jp/index-j.html 在インド日本国大使館] {{ja icon}}{{en icon}}&lt;br /&gt;
* その他&lt;br /&gt;
** [http://www.jetro.go.jp/world/asia/in/ JETRO - インド] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アジア}}&lt;br /&gt;
{{イギリス連邦}}&lt;br /&gt;
{{上海協力機構}}&lt;br /&gt;
{{G8}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Link FA|bn}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|de}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|dv}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|en}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|km}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|lv}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|pt}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|simple}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|sk}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|ta}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|tl}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|tt}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|yo}}&lt;br /&gt;
{{Link GA|es}}&lt;br /&gt;
{{Link GA|simple}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いんと}}&lt;br /&gt;
[[Category:インド|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:共和国]]&lt;br /&gt;
[[Category:イギリス連邦]]&lt;br /&gt;
[[Category:連邦制国家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>27.84.208.19</name></author>
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	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%9A&amp;diff=60260</id>
		<title>インド人民党</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%9A&amp;diff=60260"/>
		<updated>2014-08-15T08:51:10Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;27.84.208.19: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政党&lt;br /&gt;
|国名 ={{IND}}&lt;br /&gt;
|党名 = インド人民党&lt;br /&gt;
|公用語名 = {{Lang|ne|भारतीय जनता पार्टी }}&lt;br /&gt;
|画像 = &lt;br /&gt;
|画像説明 =&lt;br /&gt;
|党首職名 = 総裁&lt;br /&gt;
|党首氏名 = ラージナート・シン&lt;br /&gt;
|副党首職名 = &lt;br /&gt;
|副党首氏名 = &lt;br /&gt;
|議院代表職名 = &lt;br /&gt;
|議院代表氏名 = &lt;br /&gt;
|成立年月日 = 1980年&lt;br /&gt;
|郵便番号 = &lt;br /&gt;
|本部所在地 =&lt;br /&gt;
|上院 = [[ラージヤ・サバー]]&lt;br /&gt;
|上院議員数 = 42&lt;br /&gt;
|上院議員定数 = 245&lt;br /&gt;
|上院議員集計年月日 =  &lt;br /&gt;
|下院 = [[ローク・サバー]]&lt;br /&gt;
|下院議員数 = 282&lt;br /&gt;
|下院議員定数 = 543&lt;br /&gt;
|下院議員集計年月日 = &lt;br /&gt;
|党員・党友数 = &lt;br /&gt;
|党員・党友数集計年月日 = &lt;br /&gt;
|政治的思想・立場 = [[ヒンドゥー至上主義]]&lt;br /&gt;
|機関紙 = &lt;br /&gt;
|ウェブサイト = http://www.bjp.org/ &lt;br /&gt;
|サイトタイトル = Bharatiya Janata Party&lt;br /&gt;
|シンボル =&lt;br /&gt;
|国際組織 =世界ヒンドゥー協会 &lt;br /&gt;
|その他 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;インド人民党&#039;&#039;&#039;（インドじんみんとう、[[英語]]：Bhāratīya Janatā Party [略称：BJP], [[ヒンディー語]]：भारतीय जनता पार्टी [略称：भाजपा]、英語訳:Indian People&#039;s Party）は、[[インド]]の[[政党]]。1998年から2004年まで[[アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー]]（バジパイ）を首相に同党中軸の[[国民民主同盟 (インド)|国民民主同盟]]（National Democratic Alliance：NDA）[[連立政権]]を率いた。2014年から[[ナレンドラ・モディ]]政権の与党。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 基本姿勢 ==&lt;br /&gt;
[[ヒンドゥトヴァ]]と{{仮リンク|インテグラル・ヒューマニズム|en|Integral humanism}}を掲げている[[ヒンドゥー至上主義]]政党で[[イスラム教]]や[[キリスト教]]をインドの価値観に合致しないとして批判するが、[[シヴ・セーナー]]に比べ穏健である。[[保守]]政党であるが、[[政教分離]]や[[カースト]]解消などには基本的に賛成である。[[インド共産党]]とはヒンドゥットゥヴァの創始者にして[[ウラジミール・レーニン]]の親友で共産党を運動に参加させた{{仮リンク|ヴィナヤック・ダモダル・サーヴァルカル|en|Vinayak Damodar Savarkar}}が両党から尊敬されていることもあり、[[汚職]]・外資・米印原子力合意問題で連携している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
外交では[[インド国民会議|国民会議派]]より[[非同盟]]色が強く、政権担当中に[[中華人民共和国|中国]]との関係改善にのりだして戦略的パートナーシップを結び、[[イラク戦争]]には反対した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
BJPの支援団体として、2つのヒンドゥー至上主義組織、[[民族義勇団|ラーシュトリーヤ・スワヤンセーヴァク・サング]]（[[民族義勇団]]：RSS）と{{仮リンク|ヴィシュヴァ・ヒンドゥー・パリシャド|en|Vishva Hindu Parishad}}（世界ヒンドゥー協会：VHP）と[[スワデーシー]]運動の団体{{仮リンク|スワデーシー・ジャガラン・マンチ|en|Swadeshi Jagaran Manch}}（SJM）がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 発足まで ===&lt;br /&gt;
インドでは独立以来[[インド国民会議|インド国民会議派]]（コングレス）が[[一党優位制]]を維持していたが、一方で[[民族義勇団]]に代表される[[ヒンドゥー至上主義]]の流れも根強く[[1951年]]に{{仮リンク|インド大衆連盟|en|Bharatiya Jana Sangh}}を結成。[[ラージャスターン州]]・[[マハーラーシュトラ州]]・[[マディヤ・プラデーシュ州]]・[[ウッタル・プラデーシュ州]]など主に北西部で支持を集めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方で1970年代から、各地での[[地域政党]]の勃興や会議派内の汚職、[[インディラ・ガンディー|インディラー・ガーンディー]]時代の強権政治への不信感などにより会議派政権の支持が揺らぎ始めていた。1977年の[[ローク・サバー]]（[[下院]]）総選挙を前に大衆連盟は、会議派の反主流派や[[地方分権]]主義者・[[社会主義]]者の集合体だった{{仮リンク|ローク・ダル|en|Bharatiya Lok Dal}}と急きょ合体して[[ジャナタ党]]（人民党の意）を結成。ジャナタ党は選挙に勝利し{{仮リンク|モラルジー・デーサーイー|en|Morarji Desai}}政権を樹立したが、野合した政党だったため政権獲得後に分裂し崩壊した。そこでヒンドゥー至上主義を明確にし「ヒンドゥットゥヴァに基づくジャナタ党」として再建されたのが、現在の&#039;&#039;&#039;インド人民党&#039;&#039;&#039;である。こうした経緯からまれに&#039;&#039;&#039;インド・ジャナタ党&#039;&#039;&#039;と日本語訳されることがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 党勢の急伸 ===&lt;br /&gt;
[[1984年]]のローク・サバー総選挙では2議席にとどまったが、[[1989年]]には[[ラール・クリシュナ・アードヴァーニー]]総裁の下で一挙に85議席を獲得し躍進、旧ジャナタ党の[[中道左派|中道・左派]]を源流とする[[ジャナタ・ダル]]主導の連立政権に共産党などと連携して[[閣外協力]]。[[1991年]]の総選挙でも120議席に前進、[[1996年]]総選挙ではついに161議席を獲得して第一党となり、ジャナタ党政権で外相だった党の有力者アタル・ビハーリー・ヴァージペーイーが大統領から組閣を要請され首相に就任。だが、この時は反対勢力の結束・抵抗によってローク・サバーの信任を受けられず、わずか13日の束の間の政権に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政権樹立 ===&lt;br /&gt;
しかし[[1998年]]の総選挙で再び最多議席となる182議席を獲得し、今度は他の政党と連立に成功、ヴァージペーイー首相のもと新たに形成した国民民主同盟連立政権の中核として中央政治のトップに上り詰めた。また政権掌握直後に[[核実験]]を実施し世界中を驚かせた。[[1999年]]の総選挙でも183議席（国民民主同盟各党派の合計では303議席）を獲得し政権維持に成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このBJP主導の連立政権下で、それ以前の[[1991年]]、[[ナラスィンハ・ラーオ]]国民会議政権時代から当時の[[マンモハン・シン|マンモーハン・シン]]財務相の下で本格的に開始された[[経済]]自由化政策が積極的に推し進められた。また[[中華人民共和国]]を戦略的パートナーと呼んで初の合同軍事演習やヴァージペーイー首相の訪中などを実現させ、[[シッキム]]をインド領と認めさせることと引き換えに[[チベット]]を中国領と明記。敵視しているイスラーム圏であるにも関わらず、[[イラク戦争]]には反対するなど[[アメリカ合衆国|米国]]の外交政策を牽制するむきがあった。いっぽうで経済政策面ではIT（[[情報技術]]）産業の急成長を軸にアメリカ主導の[[グローバリゼーション]]を推進する傾向が強かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 下野 ===&lt;br /&gt;
だが[[2004年]]のローク・サバー総選挙では経済発展に沸くインドを謳った&amp;quot;India Shining&amp;quot;をスローガンに大々的な選挙キャンペーンを行ったものの、大方の予想に反し138議席の獲得に留まり第2党に後退、[[ソニア・ガンディー|ソーニヤー・ガーンディー]]率いるインド国民会議を中心とした[[統一進歩同盟]]（United Progressive Alliance：UPA）に政権を奪われ、[[マンモハン・シン|マンモーハン・シン]]首相の誕生を許すに至った。自由化の恩恵が未だ行き渡らないまま&amp;quot;India Shining&amp;quot;のようなキャンペーンを展開したことで、かつてBJP支持層であった国民の予想以上の支持離れを招いたものとみられている。[[2009年]]のローク・サバー総選挙でも議席を減少させ116議席にとどまり、政権奪還はならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年の党総裁は{{仮リンク|ラージナート・シン|en|Rajnath Singh}}（[[2013年]][[1月]]就任）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===2014年インド総選挙===&lt;br /&gt;
2014年の総選挙前に、[[ナレンドラ・モディ]]がインド人民党選挙運動委員会会長就任。選挙後の党指導者の座を確実にした。選挙ではインド国民会議を向こうに回し、インド人民党が圧勝。久々の政権奪取を確実なものとしたが、上院の議席保有率は2割程度しかないため法案を単独で通す能力は無く、他党の協力が模索されている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0DW1TI20140516|title=インド次期首相候補モディ氏が融和姿勢強調、イスラム教徒へ配慮|work=ロイター|publisher=ロイター通信社|date=2014-05-17|accessdate=2014-05-17}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出典==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[ジャナタ・ダル]]&lt;br /&gt;
* [[民族義勇団]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.bjp.org/ BJP公式サイト]（英語）&lt;br /&gt;
* [[田中宇]]の国際ニュース解説 世界はどう動いているか&lt;br /&gt;
** [http://tanakanews.com/081202Mumbai.htm ムンバイテロの背景]&lt;br /&gt;
** [http://www.tanakanews.com/980608hindu.htm 暴れ出すアジアの古代宗教]&lt;br /&gt;
** [http://tanakanews.com/980517india.htm インド核実験を支える危険な民族主義]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{インドの政党}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いんとしんみんとう}}&lt;br /&gt;
{{poli-stub}}&lt;br /&gt;
{{india-stub|しんみんとう}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:インドの政党|しんみんとう]]&lt;br /&gt;
[[Category:宗教政党]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>27.84.208.19</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%8F%E3%82%B8%E3%82%A2&amp;diff=129434</id>
		<title>アブハジア</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%8F%E3%82%B8%E3%82%A2&amp;diff=129434"/>
		<updated>2014-07-06T17:31:59Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;27.84.208.19: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{基礎情報 国&lt;br /&gt;
| 略名 =アブハジア&lt;br /&gt;
| 日本語国名 =アブハジア共和国&lt;br /&gt;
| 公式国名 =&#039;&#039;&#039;{{Lang|ab|Аҧсны}}&#039;&#039;&#039;&amp;lt;small&amp;gt;（アブハズ語）&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;br/&amp;gt;&#039;&#039;&#039;{{Lang|ka|აფხაზეთი}}&#039;&#039;&#039;&amp;lt;small&amp;gt;（グルジア語）&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;br/&amp;gt;&#039;&#039;&#039;{{Lang|ru|Абхазия}}&#039;&#039;&#039;&amp;lt;small&amp;gt;（ロシア語）&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| 国旗画像 =Flag of Abkhazia.svg&lt;br /&gt;
| 国章画像 =[[ファイル:Coat of arms of Abkhazia.svg|80px|アブハジアの国章]]&lt;br /&gt;
| 国章リンク =（[[アブハジアの国章|国章]]）&lt;br /&gt;
| 標語 =なし&lt;br /&gt;
| 国歌名 =Aiaaira&lt;br /&gt;
| 位置画像 =Europe-Abkhazia.svg&lt;br /&gt;
| 公用語 =[[アブハズ語]]、[[ロシア語]]&lt;br /&gt;
| 首都 =[[スフミ]]&lt;br /&gt;
| 最大都市 =スフミ&lt;br /&gt;
| 元首等肩書 =[[アブハジアの大統領一覧|大統領]]&lt;br /&gt;
| 元首等氏名 =[[バレリ・ブガンバ]]&lt;br /&gt;
| 首相等肩書 =[[アブハジアの首相一覧|首相]]&lt;br /&gt;
| 首相等氏名 =[[レオニード・ラケルバヤ]]&lt;br /&gt;
| 面積順位 =???&lt;br /&gt;
| 面積大きさ =1 E9&lt;br /&gt;
| 面積値 =8,600&lt;br /&gt;
| 水面積率 =&lt;br /&gt;
| 人口統計年 =2012&lt;br /&gt;
| 人口順位 =???&lt;br /&gt;
| 人口大きさ =1 E5&lt;br /&gt;
| 人口値 =242,862&lt;br /&gt;
| 人口密度値 =28&lt;br /&gt;
| GDP統計年 =&lt;br /&gt;
| GDP順位 =???&lt;br /&gt;
| GDP値 = 推定5億 &lt;br /&gt;
| GDP/人 =&lt;br /&gt;
| 建国形態 =[[独立]]&amp;lt;br/&amp;gt;&amp;amp;nbsp;- 宣言&amp;lt;br /&amp;gt;-[[ロシア]]より承認(最初の承認国)&lt;br /&gt;
| 建国年月日 =[[グルジア]]より&amp;lt;br/&amp;gt;[[1992年]][[7月23日]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[2008年]][[8月26日]]&lt;br /&gt;
| 通貨 =[[ルーブル]]&lt;br /&gt;
| 通貨コード =RUB&lt;br /&gt;
| 時間帯 =+3&lt;br /&gt;
| 夏時間 =&lt;br /&gt;
| ccTLD =&lt;br /&gt;
| 国際電話番号 =&lt;br /&gt;
| 注記 =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[image:Europe location ABX.png|thumb|300px|アブハジアの位置（オレンジ色）。グルジアを灰色で示す。]]&lt;br /&gt;
[[File:Ridge view from pitsunda cape.jpg|thumb|right|300px|黒海沿岸のリゾート地・[[ピツンダ]]]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;アブハジア&#039;&#039;&#039;（Abkhazia）は、[[カフカース]]の一地域。[[グルジア]]は&#039;&#039;&#039;アブハジア自治共和国&#039;&#039;&#039;として自国に属すると主張しているが、事実上、&#039;&#039;&#039;アブハジア共和国&#039;&#039;&#039;として[[独立]]状態にある。その独立は[[国家の承認|国際的には認知]]されていなかったが、[[2008年]][[8月26日]]に[[ロシア]]が承認を発表した。また、2008年9月に[[ニカラグア]]が、[[2009年]]9月に[[ベネズエラ]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2009-09-11|url=http://www.rferl.org/content/tuvalu_recognizes_abkhazia_south_ossetia/24338019.html|title=Tuvalu &#039;Recognizes Abkhazia, South Ossetia&#039;|publisher=CNN|language=日本語|accessdate=2009-09-19}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、12月には[[ナウル]]、[[2011年]][[9月]]に[[ツバル]]&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2011-09-23|url=http://www.rferl.org/content/tuvalu_recognizes_abkhazia_south_ossetia/24338019.html|title=Tuvalu &#039;Recognizes Abkhazia, South Ossetia&#039;|publisher=Radio Free Europe|accessdate=2011-09-26}}&amp;lt;/ref&amp;gt;が独立を承認している。[[首都]]は[[スフミ]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地理 ==&lt;br /&gt;
アブハジアはグルジアの最西端に位置し、[[黒海]]北岸に面する。北の[[カフカス山脈]]を[[ロシア|ロシア連邦]]との国境とする。山がちな地域であり、居住地は黒海沿岸やいくつかの峡谷に限られている。気候は温暖で、[[ロシア帝国]]・[[ソビエト連邦]]時代には[[ガグラ]]などのリゾート都市が国内屈指の保養地として知られた。[[茶]]や[[タバコ]]、[[ワイン]]、[[果実]]などを産する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 住民 ==&lt;br /&gt;
アブハジアの人口については、紛争の続く地域であるため正式な統計は存在しないが、2003年に行われた国勢調査では人口は215,972人であった&amp;lt;ref name=censuses&amp;gt;[http://www.ethno-kavkaz.narod.ru/rnabkhazia.html Population censuses in Abkhazia: 1886, 1926, 1939, 1959, 1970, 1979, 1989, 2003] {{Ru icon}}グルジア人の多くはグルジア系の[[ミングレル人|メグレル人]] &amp;lt;/ref&amp;gt;。だがこの結果についてはグルジア当局が異議を唱えており、グルジア統計局の推計したアブハジアの人口は2003年179,000人、2005年178,000人である&amp;lt;ref name=yb2005&amp;gt;&#039;&#039;Statistical Yearbook of Georgia 2005&#039;&#039;: Population, Table 2.1, p. 33, Department for Statistics, Tbilisi (2005)&amp;lt;/ref&amp;gt; &amp;lt;!--THIS LINK IS NOW DEAD[http://www.statistics.ge/Main/Yearbook/2005/05Population_05.doc Statistical Yearbook of Georgia, 2005: Population] (607kb, &#039;&#039;[[Microsoft Word|Microsoft Word Document]]&#039;&#039;). The State Department of Statistics of Georgia. Retrieved on 30 April 2007.--&amp;gt;。2007年の段階ではおおよそ18万人程度ではないかと見られている&amp;lt;ref name=bri&amp;gt;{{Cite web|url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/1358/Abkhazia |title=Abkhazia |publisher=[[ブリタニカ百科事典]]オンライン |accessdate=2012-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。またアブハジア国営通信社&amp;quot;アプスニイプレス（[[:en:Apsnypress|Apsnypress]]）&amp;quot;の報道によると、2011年2月の国勢調査でのアブハジアの人口は240,075人である&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=THE POPULATION OF ABKHAZIA STANDS AT 240,705 |newspaper=Apsnypress |date=2011-12-28 |url=http://apsnypress.info/en/news/338.html |accessdate=2012-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ソビエト連邦時代における最後の国勢調査（1989年）では、人口は約52万人、そのうちの48%が[[グルジア人]]（その多くはグルジア系の[[ミングレル人|メグレル人]]）、17%が[[アブハズ人]]（アブハジア人）であり、その他少数民族として[[ロシア人]]、[[アルメニア人]]、[[ギリシャ人]]などが居住していた&amp;lt;ref name=censuses/&amp;gt;。[[1990年代]]始めにグルジアからの独立を求める紛争（[[アブハジア紛争]]）が起こり、その過程で80%以上のグルジア系住民が国外へ脱出したほか、アブハジア人等の流出も発生し、人口は半分以下に減少した。なお、グルジア系住民減少の原因として、[[民族浄化]]の存在を指摘する声も存在する&amp;lt;ref name=bri/&amp;gt;。&amp;lt;!--紛争は未だ解決を見ておらず、アブハジアの人口減少は現在も続いている。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==宗教==&lt;br /&gt;
アブハジアに居住する人の中では主に[[キリスト教]]（[[東方正教会]]および[[アルメニア使徒教会]]）、[[イスラム教]][[スンニ派]]を信仰する人、または[[無宗教]]の人が多いが、調査でキリスト教やイスラム教を信仰すると答えた人の中でも、礼拝など宗教儀式に参加すると答えた人は少数である&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite book |title= The Abkhazians: a handbook|last= Hewitt|first= George|year= 1998|publisher= Palgrave Macmillan|isbn= 978-0-312-21975-8|page= 205}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&amp;lt;!--アブハジアの伝統的宗教の影響はキリスト教徒、イスラム教徒また信仰をもたない人の間で大きい。--&amp;gt;また極少数ながら[[ユダヤ教]]、[[エホバの証人]]また他の[[新宗教]]の信者もいる&amp;lt;ref name=portal-credo&amp;gt;[http://www.portal-credo.ru/site/print.php?act=fresh&amp;amp;id=188 Александр Крылов. ЕДИНАЯ ВЕРА АБХАЗСКИХ &amp;quot;ХРИСТИАН&amp;quot; И &amp;quot;МУСУЛЬМАН&amp;quot;. Особенности религиозного сознания в современной Абхазии]. Portal-credo.ru (2004-03-17). Retrieved on 2011-05-30.&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお「エホバの証人」は1995年に制定された法令によって禁止されたが、当該法令は施行されておらず、2005年の報告によると約1500人の信者がいる&amp;lt;ref name=&amp;quot;state&amp;quot;&amp;gt;[http://www.state.gov/g/drl/rls/irf/2005/51553.htm Georgia: International Religious Freedom Report 2005.] [[アメリカ合衆国国務省]]. Retrieved May 24, 2007.&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アブハジアおよびグルジアの憲法では、あらゆる宗教の信仰者は（無神論者も同じく）、法の下に平等であると定められている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://dp.abhazia.com/konstitut.html Constitution of the Republic of Abkhazia, art. 12] {{ru icon}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2003年にアブハジアに居住する人に対して行われた調査によると、60%はキリスト教徒、16%はイスラム教徒、8%は無神論者（無宗教）、8%はアブハジアの伝統的な宗教（[[ペイガニズム|ペイガン]]、異教）を信仰すると答えている&amp;lt;ref name=portal-credo/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
{{main|{{仮リンク|アブハジアの歴史|en|History of Abkhazia}}}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 古代からロシアによる征服まで ===&lt;br /&gt;
カフカース西部に人が最初に住み着いたのは、[[紀元前4000年]]から[[紀元前3000年]]頃のことである。[[紀元前9世紀]]から[[紀元前6世紀]]にかけて、現在のアブハジアは古代コルヒダ王国（古代[[コルキス]]王国、[[グルジア語]]：{{lang|ka|კოლხეთი}}、ラテン語転写：Colchis）の一部であった。[[紀元前63年]]には{{仮リンク|ラジカ|en|Lazica|label=エグリシ王国}}に組み込まれる。アブハジアの首都スフミは、この時代に[[ギリシア人]]によって黒海沿岸に建設された交易港の一つ&#039;&#039;&#039;ディオスクリア ({{lang|el|Διοσκουριάς}})&#039;&#039;&#039; を起源としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エグリシ王国は[[1世紀]]に[[ローマ帝国]]によって征服され、[[4世紀]]までその支配を受けた。その後は独立を回復したが、[[東ローマ帝国]]の影響下に置かれ続けた。[[6世紀]]半ばにはアブハズ人たちは[[キリスト教]]を奉じるようになった。[[7世紀]]から[[9世紀]]まで、アブハジアは、[[東ローマ帝国]]に服属しながらも、半ば独立した地位を保った。9世紀には、グルジア系の{{仮リンク|イメレティ王国|en|Kingdom of Imereti}}（[[1260年]]–[[1810年]]）に編入される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[16世紀]]、アブハジアを含む西グルジアは[[オスマン帝国]]に征服され、アブハズ人たちは一部[[イスラム]]に改宗した。[[18世紀]]半ば、オスマン勢力は駆逐され、グルジア系の独立国家が建設された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ロシアの支配・ソビエト連邦 ===&lt;br /&gt;
ロシア帝国のカフカースへの進出は、住民の激しい抵抗に遭った。[[1801年]]から[[1864年]]にかけて、グルジアの国土は段階的にロシアに編入されていった。[[1829年]]から[[1842年]]の間に、アブハジアもロシアの保護下に置かれるようになり、[[1864年]]には主権が剥奪された。その過程で、ロシア帝国による[[ムスリム]]の迫害を恐れ、多くのアブハズ人がオスマン帝国に逃れた。アブハジア側の主張では、このときに残された土地に多くの[[アルメニア人]]やグルジア人、[[ロシア人]]が住み着いたことで、アブハズ人は少数派になった。[[ブリタニカ百科事典]]によれば、[[1911年]]のスフミの人口43,000人のうち、3分の2はグルジア系メグレル人、3分の1がアブハズ人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ロシア革命]]後、アブハジアは[[ボリシェヴィキ]]政権から文化的・政治的な自治を与えられた。[[1931年]]には[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]によってグルジア・ソビエト共和国に属する[[自治共和国]]とされた。実際には自治はほとんど機能せず、グルジア化が強く進められた。[[アブハズ語]]が禁止されるとともに[[グルジア語]]が[[公用語]]として強制され、多くのアブハズ人が粛清で命を落とした。グルジア人のアブハジアへの移住も奨励された。スターリンの死後になって、アブハジアの自治は回復された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アブハジア紛争 ===&lt;br /&gt;
{{main|アブハジア紛争}}&lt;br /&gt;
[[1980年代]]末期にソビエト連邦の結束が崩れ始めると、グルジアの独立をめぐってアブハズ人とグルジア人の間に緊張が生まれた。すでに[[1989年]]には、独立グルジアへのアブハジアの統合が、グルジアの民族主義者たちによって声高に主張されていた。多くのアブハズ人たちは、新たな「グルジア化」につながるとの考えからこれに反対し、その代わりに、独立の共和国としてのアブハジアの建設を考え始めた。両者の論争は熱を帯び、[[1989年]][[7月16日]]には、大学の学生の受け入れをめぐって、スフミで暴動が起こった。このとき、16人が死亡し、137人が負傷したと言われている。暴動は数日間続いた後、ソビエト軍によって鎮圧された。　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1991年]][[4月9日]]、グルジアが独立を宣言する。初代大統領[[ズヴィアド・ガムサフルディア]]は、1991年12月から[[1992年]]1月にかけての軍事クーデターで追放された。その後、1992年3月、ソビエト連邦の外務大臣であった[[エドゥアルド・シェワルナゼ]]が最高権力者に就任する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1992年[[2月21日]]、グルジアの軍事評議会は、ソビエト連邦期の[[憲法]]を廃止し、[[1921年]]に制定された[[グルジア民主共和国]]の憲法を復活させることを宣言。これを、アブハズ人たちは、自治権の廃止ととらえた。これに応えて、1992年[[7月23日]]にはアブハジア自治政府が独立を宣言したが、国際的な認知は得られなかった。グルジア政府は3000人の部隊をアブハジアに送り、スフミにおいて、アブハジアの分離主義武装グループとの間で激しい戦闘が起こった。1週間の戦闘で双方に多くの犠牲者を出した末、グルジア政府はアブハジア自治政府を廃した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アブハジア側の敗北の後、[[北コーカサス]]地方の諸共和国からやってきた義勇軍がアブハジアの分離主義グループに合流し、再びグルジア政府軍との交戦が始まった。1992年9月の反乱軍は攻勢によって、グルジア軍は劣勢に立った。シェワルナゼ政権は、アブハジアの分離主義者に対して密かに軍事的な支援を行っているとしてロシアを非難した。1992年から[[1993年]]にかけて、過激派指導者[[シャミル・バサエフ]]はアブハジア紛争に武装勢力「チェチェン大隊」を率いて介入し、義勇軍を称してアブハジア独立を阻止する立場の[[グルジア]]政府軍と戦った。裏には、[[ロシア連邦軍参謀本部情報総局]]（GRU）の工作があったとされ、バサエフ麾下の武装勢力は、GRUによって直接訓練を受け、アブハジアに介入するように指示されたという。1992年末には、反乱軍がスフミ以西のアブハジアの大部分を掌握した。「民族浄化」が双方に起こり、この段階で約3000人が殺されたとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1993年7月、アブハジア軍は、スフミを管理していたグルジア軍に対する攻撃に出た。町は包囲され、シェワルナゼも町中に幽閉される事態となった。7月末に停戦合意が成ったが、9月半ばにアブハジア軍が攻撃を再開したことで停戦は破られた。10日間の激しい戦闘を経て、1993年[[9月27日]]にスフミはアブハジア軍の手に落ちた。新たに大統領に指名されて間もないシェワルナゼはこのとき、何事が起ころうともスフミに留まると宣言していたが、滞在していたホテルが狙撃手によって攻撃され、ロシア海軍に助けられてスフミから脱出した。1993年10月、[[国際連合安全保障理事会|国連安保理]]はアブハジアの軍事行動、民族浄化を非難。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
折りしも[[サメグレロ]]地方で高まっていたズヴィアド・ガムサフルディア前大統領の支持者たちの騒乱に乗じて、アブハジア軍はアブハジアの大部分を手中に収めた。ここに至るまでに、ほぼすべての非アブハズ人の住民が陸路や海路で脱出し、その過程で約1万人が命を落としたと考えられている。25万人から30万人ほどの[[難民]]が発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1994年]][[5月15日]]に[[停戦]]合意が成立し、[[国際連合]]の[[平和維持軍]]が停戦の監視に当たっている。以後、戦闘は起こっていないが、その代わり、繰り返し行われている交渉による事態の大きな進展もない。グルジアの難民問題は深刻である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アブハジア政府はグルジア政府の承認がないまま、1994年11月4日に新しい憲法を採択し、主権を宣言した。また、[[1996年]][[11月23日]]には選挙が行われ、[[2004年]][[10月]]にも再び大統領選挙が行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[8月8日]]、アブハジアと同じくグルジアからの分離を求めて事実上独立状態にある[[南オセチア|南オセチア自治州]]にグルジア軍が侵攻。これに対してロシア軍がロシア人の保護を名目に同自治州に侵攻し、グルジアと戦争状態に突入した。これと呼応してロシア軍とアブハジア軍が、アブハジアの一部であるコドリ渓谷を実効支配するグルジア軍を攻撃し、戦争がアブハジアにまで拡大した。結果、グルジア軍はコドリ渓谷から駆逐された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[2月17日]]の[[コソボ]]独立宣言や[[南オセチア紛争 (2008年)|南オセチア紛争]]を受け、ロシアなど[[独立国家共同体|独立国家共同体(CIS)]]、国際連合に対し、近くグルジアからの独立承認を求める方針を明らかにしたと報道された。[[8月20日]]、アブハジア議会はロシアに対する独立承認要請採択を承認した。[[8月26日]]、ロシアの[[ドミートリー・メドヴェージェフ|メドヴェージェフ]]大統領が[[南オセチア]]と共にアブハジアのグルジアからの独立を認める大統領令に署名したことで、ロシアにグルジアの領土保全の意思がないことが明らかになった。コーカサス研究の[[廣瀬陽子]]によれば、アブハジアはロシアによる[[ロシア化]]が進められていると指摘されている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2168?page=4 プーチンがメドヴェージェフを切る？ ロシア指導部に「亀裂」] wedge.ismedia.jp, 2012年9月15日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治 ==&lt;br /&gt;
{{seealso|アブハジアの大統領一覧}}&lt;br /&gt;
アブハジアの国家元首は、大統領であり、行政府の長も兼ねる。大統領の任期は5年で、再選は2期までである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内閣は、大統領に直属し、大統領の任期中に活動し、新大統領の選出とともに総辞職する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議会は、一院制。任期5年、定数35人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外交 ===&lt;br /&gt;
2006年6月14日、国際的に未承認のアブハジア、[[南オセチア]]、[[沿ドニエストル共和国]]の3カ国の大統領が、スフミで会談を行い、共同声明の形で&#039;&#039;&#039;民主主義と民族の権利のための共同体&#039;&#039;&#039;の設立を宣言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年8月26日、ロシア連邦のメドヴェージェフ大統領は、アブハジアの[[独立]]を承認する大統領令に署名した&amp;lt;ref&amp;gt;{{lang|ru|[http://www.kremlin.ru/text/docs/2008/08/205759.shtml Президент России &amp;lt;nowiki&amp;gt;|&amp;lt;/nowiki&amp;gt; Указ «О признании Республики Абхазия»]}}（ロシア政府公式サイト、2008年8月26日。2008年8月27日確認）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{lang|en|[http://news.bbc.co.uk/2/hi/7582181.stm BBC NEWS &amp;lt;nowiki&amp;gt;|&amp;lt;/nowiki&amp;gt; Europe &amp;lt;nowiki&amp;gt;|&amp;lt;/nowiki&amp;gt; Russia recognises Georgian rebels]}}（[[BBCニュース]]、2008年8月26日。2008年8月27日確認）&amp;lt;/ref&amp;gt;。9月には、[[ニカラグア]]の[[ダニエル・オルテガ]]大統領が独立を承認した。2008年9月17日、ロシア連邦はアブハジアとの友好協力条約に調印した。なお、[[ナゴルノ・カラバフ共和国]]を承認している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 国家承認している国 ====&lt;br /&gt;
* {{RUS}}&lt;br /&gt;
* {{NIC}}&lt;br /&gt;
* {{VEN}}&lt;br /&gt;
* {{NRU}}&lt;br /&gt;
* {{TUV}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※{{BLR}}は承認していないが、独立の支持をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 国家承認している事実上独立した地域 ====&lt;br /&gt;
* {{flagicon|Transnistria}} [[沿ドニエストル共和国]]&lt;br /&gt;
* {{flagicon|South Ossetia}} [[南オセチア|南オセチア共和国]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== かつて承認していた国 ====&lt;br /&gt;
*{{VAN}}は[[2011年]][[5月]]に承認したが&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2011-05-31|url=http://rian.ru/world/20110531/382434264.html|title=Островное государство Вануату признало независимость Абхазии - МИД|publisher=РИА Новость|language=ロシア語|accessdate=2011-09-26}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[2013年]][[5月]]に[[グルジア]]との関係から撤回している&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.globalpost.com/dispatch/news/afp/130520/vanuatu-scraps-recognition-georgia-breakaway-region#1|title=Vanuatu scraps recognition of Georgia breakaway region|date=2013-05-20|accessdate=2013-05-21}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|url=http://www.bloomberg.com/news/2013-05-20/georgia-says-vanuatu-has-withdrawn-recognition-of-abkhazia.html|title=Georgia Says Vanuatu Has Withdrawn Recognition of Abkhazia|date=2013-05-20|accessdate=2013-07-12|publisher=[[Bloomberg]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 軍事 ===&lt;br /&gt;
詳細は、[[アブハジア共和国軍]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地方行政区分 ==&lt;br /&gt;
[[File:AdmAskhazia.jpg|thumb|アブハジアの地方行政区分]]&lt;br /&gt;
{{seealso|アブハジアの行政区画}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アブハジア共和国は以下の7つの地区（[[ラヨン]]）に分かれ、それぞれの地区の名称はその中心都市の名前となっている。それぞれの地区は1995年にオチャムチラ及びガル地区の一部を分割併合して設立されたトクアルチャル地区を除いて、ソビエト連邦時代と同じものとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
共和国大統領は、地区議会が選出した者を地区の首長として任命する。村の首長は議会により選出された者が地区の首長から任命される&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.crisisgroup.org/home/index.cfm?l=1&amp;amp;id=4377 Abkhazia Today.] &#039;&#039;[[国際危機グループ]] Europe Report N°176, 15 September 2006,&#039;&#039;, page 10. 2007年5月30日. &#039;&#039;Free registration needed to view full report&#039;&#039;&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
グルジアで使用されるアブハジア自治共和国の地方行政区分は新しいトクアルチャル地区を除いて同じものとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
# ガグラ([[:en:Gagra District|Gagra]])地区&lt;br /&gt;
# [[グダウタ]](Gudauta)地区&lt;br /&gt;
# スフミ([[:en:Sukhumi District|Sukhumi]])地区&lt;br /&gt;
# グリリプシュ([[:en:Gulripsh District|Gulripsh]])地区&lt;br /&gt;
# オチャムチラ([[:en:Ochamchira District|Ochamchira]])地区&lt;br /&gt;
# トクアルチャル([[:en:Tquarchal District|Tquarchal (Tkvarcheli)]])地区&lt;br /&gt;
# ガル([[:en:Gali District, Abkhazia|Gali (Gal)]])地区&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 郵便切手 ==&lt;br /&gt;
アブハジアは、以前は珍しい[[郵便切手]]を発行することでコレクターに知られており、例えば[[1998年]]にはアメリカの[[ビル・クリントン]]大統領と[[モニカ・ルインスキー]]の不倫疑惑を皮肉った郵便切手を数回に分けて発行している。&lt;br /&gt;
しかし、これらの切手はアブハジア政府によって公認されたものではなく、実際に郵便に使用された例は確認されていない。&lt;br /&gt;
これらとは別に、実際にアブハジア政府によって発行された「正当な」切手もあるが、アブハジアを承認する国がわずかで、[[万国郵便連合]]にも加盟していないため、海外郵便のやりとりは主にロシアを経由して行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[事実上独立した地域一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Commons&amp;amp;cat|Abkhazia|Abkhazia}}&lt;br /&gt;
; 政府&lt;br /&gt;
* [http://www.abkhazia.gov.ge/ アブハジア自治共和国政府] （南オセチア紛争後、グルジア政府の実効支配地域に「亡命」）{{ka icon}}{{en icon}}{{ru icon}}&lt;br /&gt;
* [http://www.abkhaziagov.org/ab/news/ アブハジア共和国大統領府] {{ab icon}}{{en icon}}{{ru icon}}&lt;br /&gt;
* [http://anyha.org/ アブハジアの聖都の公式サイト] {{en icon}}{{ru icon}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 日本政府&lt;br /&gt;
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/georgia/armed_conflict/index.html 日本外務省 - 南オセチア・アブハジア] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アジア}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あふはしあ}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|es}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|sv}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:グルジア]]&lt;br /&gt;
[[Category:カフカス]]&lt;br /&gt;
[[Category:アブハジア|*]]&lt;br /&gt;
{{Link GA|sv}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>27.84.208.19</name></author>
	</entry>
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