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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-09-06T22:59:16Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%8F%B2&amp;diff=48680</id>
		<title>岡田武史</title>
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		<updated>2014-08-22T16:28:57Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;27.140.72.201: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{サッカー選手&lt;br /&gt;
|名前=岡田 武史&lt;br /&gt;
|画像=&lt;br /&gt;
|画像サイズ=&lt;br /&gt;
|愛称=岡ちゃん&lt;br /&gt;
|カタカナ表記=オカダ タケシ&lt;br /&gt;
|アルファベット表記=OKADA Takeshi&lt;br /&gt;
|原語名=&lt;br /&gt;
|原語表記=&lt;br /&gt;
|国={{JPN}}&lt;br /&gt;
|誕生日={{生年月日と年齢|1956|8|25}}&lt;br /&gt;
|出身地={{Flagicon|JPN}} [[大阪府]][[大阪市]]&lt;br /&gt;
|身長=175cm&lt;br /&gt;
|体重=70kg&lt;br /&gt;
|所属チーム名=&lt;br /&gt;
|ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|DF]]&lt;br /&gt;
|背番号=&lt;br /&gt;
|利き足=&lt;br /&gt;
|クラブ={{Flagicon|JPN}} [[古河電気工業サッカー部|古河電工]]&lt;br /&gt;
|年=1980-1990&lt;br /&gt;
|出場（得点）={{0}}189 (9)&lt;br /&gt;
|クラブ成績更新日=2008年4月12日&lt;br /&gt;
|代表国={{JPNf}}&lt;br /&gt;
|代表年=1980-1985&amp;lt;ref name=daihyo&amp;gt;{{Cite news|title=岡田　武史|work=サッカー日本代表データベース|url=http://www.japannationalfootballteam.com/players_a/takeshi_okada.html}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|代表出場（得点）={{0}}24 (1)&lt;br /&gt;
|代表成績更新日=2010年7月3日&lt;br /&gt;
|監督年=1997-1998&amp;lt;br&amp;gt;1999-2001&amp;lt;br&amp;gt;2003-2006&amp;lt;br&amp;gt;2007-2010&amp;lt;br&amp;gt;2012-2013&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
|監督チーム={{Flagicon|JPN}} [[サッカー日本代表|日本代表]]&amp;lt;br&amp;gt;{{Flagicon|JPN}} [[コンサドーレ札幌]]&amp;lt;br&amp;gt;{{Flagicon|JPN}} [[横浜F・マリノス]]&amp;lt;br&amp;gt;{{Flagicon|JPN}} [[サッカー日本代表|日本代表]]&amp;lt;br&amp;gt;{{Flagicon|CHN}} [[杭州緑城足球倶楽部|杭州緑城]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;岡田 武史&#039;&#039;&#039;（おかだ たけし、[[1956年]][[8月25日]] - ）は[[日本]]の元[[サッカー選手]]、[[指導者]]。[[2007年]][[8月24日]]より2007年12月14日まで[[日本エンタープライズ]]の[[社外取締役]]。[[城西国際大学]]特任教授&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=講演会:岡田武史さんがサッカーを語る−−城西国際大　／千葉 |newspaper=毎日jp |date=2012-12-09 |url=http://mainichi.jp/area/chiba/news/20121209ddlk12040082000c.html |accessdate=2012-12-18}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。「&#039;&#039;&#039;岡ちゃん&#039;&#039;&#039;」の愛称で知られる。[[眼鏡|メガネ]]がトレードマークで、現役時代にはメガネを外さずプレーしていたほどである&amp;lt;ref name=&amp;quot;jiji&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|url=http://www.jiji.com/jc/v?p=so-ima-column&amp;amp;rel=y&amp;amp;g=spo |title=岡田さん、ごめんなさい |author=[[長田浩一]] |publisher=[[時事通信]] |date=2010-06-25 |accessdate=2010-06-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 幼年期〜ユース時代、大学での「復活」 ===&lt;br /&gt;
大阪市生まれ、父は産婦人科医。[[帝塚山学院小学校]]時代はホークス子供会に入会して野球に明け暮れ、[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]を応援しに[[大阪スタヂアム|大阪球場]]へ通う野球少年だった。ホークスではファースト、学校のクラブではピッチャーであった。（ホークス子供会では一学年下に[[岡田彰布]]も所属していた。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学に進学すると、野球部の上下関係の厳しさを目の当たりにして「自分には向いていない」と考え、当時[[メキシコオリンピック]]での代表チームの活躍で脚光を浴びたサッカーに熱中するようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[大阪府立天王寺高等学校|天王寺高校]]入学後もサッカーを続け、その才能を嘱望されるプレーヤーとして名を馳せるようになる。3年生の時にはユース代表に抜擢され（高校生で選出された者は岡田を含め3名のみ）、[[クウェート]]で開かれた[[AFC U-19選手権|AFCユース選手権]]に出場した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 古河電工への就職、日本代表選出 ===&lt;br /&gt;
岡田は[[報道機関|マスコミ]]業界への就職を志望していたが叶わず、[[1980年]]、[[早稲田大学]][[政治経済学部]]卒業と同時に[[古河電気工業|古河電工]]に入社。社員として働く傍ら、[[古河電気工業サッカー部]]（[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド千葉]]の前身）に入団。大学時代と変わらず頭脳派のディフェンダーとして日本リーグで活躍し&amp;lt;ref name=&amp;quot;jiji&amp;quot;/&amp;gt;、[[1986年]]の[[AFCチャンピオンズリーグ|アジアクラブ選手権]]優勝にも貢献した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また1982年、インド・ニューデリーで開催されたアジア大会に[[サッカー日本代表|A代表]]として出場。当初発表された代表メンバーに岡田の名は無かったが、当時の代表主将・[[前田秀樹]]の負傷・参加辞退により岡田が追加招集された。背番号は前田の9をそのまま背負った。この大会で準々決勝にまで駒を進めた日本代表は0-1で[[サッカーイラク代表|イラク代表]]に破れたものの、岡田自身は2試合に起用され、1次リーグの対[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]では代表初にして代表時代唯一のゴールまで決めている&amp;lt;ref name=&amp;quot;jiji&amp;quot;/&amp;gt;。その後も日本代表に選出され続け、[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]予選、メキシコワールドカップ予選などに出場。最終的に[[国際Aマッチ]]のキャップは21を数えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1990年]]の時には34歳と、キャリアの晩年に差し掛かっていた岡田の転機となった試合が古河電工が[[バイエルン・ミュンヘン]]と行った親善試合である。その向上心の強さ、現役続行への固い意志は衰えることなく、この試合でも活躍した彼だったが試合は善戦の末1-2で破れる。「海外トップチームとの対戦」を通じてその埋めがたい差を身を以て実感した岡田は現役引退を決意。指導者として、&#039;&#039;&#039;「日本人がこのような海外のチームを相手にどうしたら勝てるようになるのか」&#039;&#039;&#039;と模索し続ける現在の彼のスタートラインともなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 指導者としての再出発、代表監督へのスクランブル登板 ===&lt;br /&gt;
古河電工のコーチに就任し、指導者としてのキャリアをスタートさせた彼は[[1992年]]に[[ドイツ]]へとコーチ留学する。[[1993年]]に帰国後は[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]発足に沸く日本サッカー界に戻り（岡田は後に「浦島太郎になったようだった」と述懐している）、古巣・古河が母体となった[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフ市原]]でコーチを務めた。[[清雲栄純]]監督の下で主にサテライトチームに携わる。この年に行われた[[ドーハの悲劇|アメリカワールドカップ・アジア最終予選イラク戦]]の、[[NHK衛星第1テレビジョン|NHK BS1]]でのスタジオ解説を[[田嶋幸三]]とともに務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]]には[[サッカー日本代表]]コーチに抜擢される。[[1994年]]に[[加茂周]]が日本代表チーム監督に就任した際、加茂は前任の[[パウロ・ロベルト・ファルカン|ファルカン]]のチーム計画を一旦白紙に戻し、前々任である[[ハンス・オフト]]が行ったチーム作りを継承すべく人材を集めていた。オフトの下でコーチをしていた経験のある清雲にもコーチの話があったが清雲は断り、その代わりに岡田を推薦。しかし加茂と岡田はほぼ面識がなく、また岡田は指導者としての経験が浅いので、やりがいを感じていたジェフでのコーチ業を優先すべくこの話を当初固辞していたが、清雲に熱心に薦められて代表のコーチに就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== W杯フランス大会 ===&lt;br /&gt;
岡田の一大転機は[[1997年]]10月、[[1998 FIFAワールドカップ|フランスW杯]]最終予選にて代表チームがアジア予選で敗退濃厚の窮地に陥り、[[加茂周]]監督が更迭された事から始まる。岡田は「その時点でのチームを把握していること」が重視された結果として、まず代理監督として指名され1997年10月、対ウズベキスタン戦で指揮。終了直前に1ゴールを決めてドロー発進するも岡田は内心ある程度の確信を持つ。加茂更迭直後、急場でコーチからの監督起用でウズベキスタン戦のみの就任であり岡田もこれを了承したものだったが日本に帰国後、加茂に挨拶をして話し合い「現状を鑑みて、他の者に監督を任せるのはリスクが高い」と判断して監督続行を申し出る。コーチの枠は空席のまま代替として[[小野剛 (サッカー指導者)|小野剛]]強化委員がチームに帯同。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最初の1試合を乗り切った岡田は監督へと昇格を果たしたものの、当初は「急場凌ぎ」との見方が大勢を占めていた。しかし加茂によって代表から外されていた[[中山雅史]]らをチームに再招集するなどのテコ入れも功を奏し、日本代表は息を吹き返す。最終的に[[サッカーイラン代表|イラン代表]]との第3代表決定戦の末、予選を突破し土壇場から日本代表初の本選出場を果たした（[[ジョホールバルの歓喜]]）。この歴史的な結果を受け、本選に向けての正式に監督に任命される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1998年]]の本戦直前に不振だった[[三浦知良]]や[[北澤豪]]をメンバーから外した事では当時その是非が議論を呼んだ&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=カズ切り、俊輔切り…岡田監督　鬼に徹して勝利つかんだ |newspaper=スポーツニッポン |date=2010-06-15 |url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100615022.html |accessdate=2011-02-13|archiveurl=http://web.archive.org/20100618113329/www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100615022.html|archivedate=2010-06-18}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。本選では「グループリーグ1勝1分1敗の勝点4で決勝トーナメント入りを目指す」と表明したが、3戦全敗、得点も中山雅史による1ゴールのみでグループリーグ敗退。大会終了後のテクニカルレポート(FIFAや各国サッカー協会が独自に作成する大会分析レポートのこと。指導改善に役立てる)作成を最後の仕事とし代表監督を退任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Jクラブの監督、解説者として ===&lt;br /&gt;
監督退任後、半年あまりの期間は衛星放送[[WOWOW]]にてイタリア・セリエA中継の解説を担当、取材で当時ユベントスを指揮していた[[マルチェロ・リッピ]]監督と対談し、サッカー観、戦術面での影響を受ける。また後に横浜FMにてJ1優勝を果たした際にリッピから祝電が届くなど交流を生むきっかけとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]]にJ2に降格した[[コンサドーレ札幌]]の監督に就任。自身初となるJリーグの監督として、さらに前・日本代表監督ということもあり注目度・期待度が高かったが、就任1年目は5位に終わった。シーズン終了後、札幌監督就任から続いた采配時のスーツ着用をやめてジャージ着用に変え、自身の発想も転換した以外にも、チームの戦術、選手の意識、さらにはフロントに至るまで大胆な改革に着手。スカウティングも自分で行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2年目の[[2000年]]にはこれらの努力が結実し、2位の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]に勝ち点12差をつけてJ2優勝・2年での1部復帰を果たす。チームとしてもJ2発足後初のJ1、自らも監督として初のJ1となった[[2001年]]は年間11位&amp;lt;ref&amp;gt;1stステージ:8位（勝ち点21、6勝3分6敗）、2ndステージ:14位（勝ち点13、4勝2分9敗）の成績だった。&amp;lt;/ref&amp;gt;の成績を収めてJ1残留に成功。ここを区切りに監督を辞任し、解説者の視点からサッカーを見つめなおすこととなる。札幌を指揮した期間に[[マルシオ・エメルソン・パッソス|エメルソン]]や[[播戸竜二]]、[[山瀬功治]]&amp;lt;ref&amp;gt;特に、この年のJリーグ新人王に選ばれるなど大活躍を果たす。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[今野泰幸]]など若く有能な選手を発掘・起用した。さらにこの年、当時J2だった[[大分トリニータ]]から獲得した[[ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ|ウィル]]（24得点）が得点王に輝くなど、監督としての才能を十分発揮させた。[[2002年]]はサッカー解説者として活動。FIFAワールドカップ日韓大会ではNHKの解説者を務め、[[フィリップ・トルシエ]]退任後の次期日本代表監督候補にも噂された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]、[[横浜F・マリノス]]監督に就任。Jリーグで常勝チームとなりえる規模を持つクラブの監督就任は彼の念願だった。充実した戦力を率いた1年目の1stステージからいきなり優勝を飾り、その余勢を駆って2ndステージも優勝。就任1年目にして完全優勝の栄冠を手にした。[[2004年]]も1stステージを制し、Jリーグ史上初の3ステージ連覇の偉業を成し遂げる。浦和と争った[[サントリーチャンピオンシップ]]では1勝1敗で迎えたPK戦を制して、2年連続の年間王者に輝く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]]も優勝候補の一角に挙げられていたが、[[AFCチャンピオンズリーグ]]や[[A3チャンピオンズカップ]]との過密日程、また代表戦における主力の離脱により順位は低迷。結局、9位という期待外れの成績に終わる。成績低迷の責任を取り監督を辞任するとの観測も流れる中、[[2006年]]以降も横浜FMで監督を続投することが公式に発表された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
復活を期して臨んだ[[2006年]]は開幕4連勝を飾ったものの、その後急激にチームコンディションが悪化。再浮上の切っ掛けが掴めないまま18節終了時点で自力優勝が消滅し、19節の[[大宮アルディージャ|大宮]]戦終了後に辞意を表明。翌8月24日に辞任し、3年半に渡った横浜での指揮にピリオドを打った。表面上は家族を亡くしたこと&amp;lt;ref name=&amp;quot;itmedia&amp;quot;&amp;gt;{{cite web |url= http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0912/14/news010.html |publisher= ITmedia |title= Business Media 誠：岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは (1/7)|accessdate= 2010-07-07}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、および成績不振によるものとされているが、真の理由は強化方針を巡るフロントとの確執にあるとも言われている。岡田は後に「俺は自分の指導者としての限界を感じていたのではないか」と語っている&amp;lt;ref name=&amp;quot;itmedia&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 再びのスクランブル、日本代表監督への復帰 ===&lt;br /&gt;
[[日本サッカー協会]]の特任理事として活動中、次期日本代表の日本人監督として名も挙がっていた中、[[2007年]]11月に日本代表の[[イビチャ・オシム]]監督が急性[[脳梗塞]]で緊急入院し、[[2008年]]2月のW杯予選で指揮を執ることが困難になり、[[小野剛 (サッカー指導者)|小野剛]]日本サッカー協会技術委員長（当時）から後継監督として打診を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その際、小野剛は、元浦和監督の[[ホルガー・オジェック]]らがオシムの後任日本代表監督候補に上がる中、岡田に打診した理由として、(1) オシムが築いてきた土台の上に新しい色、個性を積み上げられる、(2) 強烈なリーダーシップ、求心力を持っている、(3) 翌年2月6日の予選まで与えられた時間が少ないためにコミュニケーション能力がある監督としての3点を挙げている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=オシム監督の後任、岡田武史氏に要請 |newspaper=スポーツニッポン |date=2007-11-28 |url=http://www.nikkansports.com/soccer/japan/p-sc-tp2-20071128-288662.html |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]12月7日、日本代表監督再就任が当時[[日本サッカー協会]]会長だった[[川淵三郎]]（現同協会名誉会長）によって正式に発表され&amp;lt;ref&amp;gt;[http://megalodon.jp/2010-0329-1518-04/www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00058271.html 【日本代表チーム　新監督就任記者会見】岡田武史監督のコメント] J&#039;sGOALニュース（2007年12月7日）&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[2008年]]から指揮を執るようになった。なお、ワールドカップで通算成績が0勝3敗の監督が再度同じ国の代表監督をするのは史上初であった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=岡田ジャパン救世主は…全敗監督の不名誉記録阻止なる？ |newspaper=夕刊フジ |date=2010-05-10 |url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/soccer/389216/ |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。前回の在任時はコーチ陣と同じ[[ジャージー (衣類)|ジャージ]]姿での采配が話題となったが、再就任後は2008年7月に日本サッカー協会会長に就任した[[犬飼基昭]]の指示で[[背広|スーツ]]姿で指揮を執ることが多くなった（悪天候時はジャージまたはグラウンドコート姿で指揮を執ることもあった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== W杯南アフリカ大会 ===&lt;br /&gt;
[[File:Flickr - tpower1978 - World Cup Qualifiers (1).jpg|240px|thumb|right|本大会出場を決めて歓喜する日本代表チーム（中央のスーツ姿が岡田）]]&lt;br /&gt;
[[2009年]]6月6日、[[2010 FIFAワールドカップ|W杯南アフリカ大会]][[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選#最終予選|アジア最終予選]]の第6戦。アウェーでの[[サッカーウズベキスタン代表|ウズベキスタン]]戦を1-0で勝利。グループAを[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア代表]]に次ぐ2位で通過し、日本代表を4大会連続4度目の本大会出場に導いた。なお、この試合の終了直前に審判に異議を唱えたとして監督生活初の退席処分を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国内組で臨んだ2010年[[東アジアサッカー選手権]]では4チーム中で3位&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=岡田監督、解任論噴出！韓国に惨敗３位 |newspaper=デイリースポーツ |date=2010-02-15 |url=http://www.daily.co.jp/soccer/2010/02/15/0002713547.shtml |accessdate=2011-02-13|archiveurl=http://web.archive.org/20100218105252/www.daily.co.jp/soccer/2010/02/15/0002713547.shtml|archivedate=2010-02-18}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、その後同年4月7日のキリンチャレンジ杯[[サッカーセルビア代表|セルビア代表]]（監督は代行監督、ワールドカップ予選に参加していた選手はベンチメンバー1名のみの、国内選抜チーム）戦では0-3で敗れ、4月26日に[[サポーター]]から日本サッカー協会へおよそ1000人による解任の署名が提出された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/04/27/05.html |title=サポーター4人 岡田監督の解任求め署名提出 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=2010-04-27 |accessdate=2010-05-01|archiveurl=http://web.archive.org/20100430111801/www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/04/27/05.html|archivedate=2010-04-30}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[5月24日]]に行われたキリンチャレンジ杯の[[サッカー韓国代表|韓国代表]]戦に0-2で敗退した後に、[[犬飼基昭]]日本サッカー協会会長に対して「進退伺い」ともとれる発言をしたとされることや&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=岡田監督が進退伺…完敗後に放り投げ発言 |newspaper=デイリースポーツ |date=2010-05-25 |url=http://www.daily.co.jp/soccer/2010/05/25/0003018902.shtml |accessdate=2011-02-13|archiveurl=http://web.archive.org/20100528093307/www.daily.co.jp/soccer/2010/05/25/0003018902.shtml|archivedate=2010-05-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[5月30日]]の[[サッカーイングランド代表|イングランド戦]]にも敗退し、[[6月4日]]の[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール代表]]戦まで4連敗を喫し決定力の低さを解消できないことなどを受けて、国内のサポーターやマスコミからは岡田の監督連投や選手の起用法に批判が集中し、[[ヤフー]]が行った[[インターネット]]調査ではサポーターからの支持率がわずか16%という低さであった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sponichi0630&amp;quot;&amp;gt;{{cite news |title=支持率90％ それでも岡田監督は「もうやらない」 |newspaper=スポーツニッポン |date=2010-06-30 |url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100630022.html |accessdate=2011-02-13|archiveurl=http://web.archive.org/20100703030632/www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100630022.html|archivedate=2010-07-03}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ため、ワールドカップ中の解任すらマスコミ上で取り沙汰された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=岡田ジャパン末期…初戦敗れれば監督途中“解任”も |newspaper=夕刊フジ |date=2010-06-11 |url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/soccer/402448/ |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
岡田は今大会における目標を「ベスト4入り」と表明していたが、強化試合で結果が出せなかったことから、その目標は「非現実的」だとして国内外のマスコミに酷評され続けた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=屈辱 岡田監督 英紙に酷評された ベスト4目標は「間抜け」 |newspaper=スポーツニッポン |date=2010-06-07 |url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100607003.html |accessdate=2011-02-13|archiveurl=http://web.archive.org/20100608150628/www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100607003.html|archivedate=2010-06-08}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ほか、グループリーグの対戦相手発表を受けて、[[セルジオ越後]]や[[釜本邦茂]]、[[杉山茂樹 (スポーツライター)|杉山茂樹]]などのサッカー評論家が1勝もせぬままのグループステージ敗退を予想するなど&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|author=杉山茂樹|date=2010-06-10|url=http://voiceplus-php.jp/archive/detail.jsp?id=315|title=Ｗ杯日本代表は正々堂々と全敗せよ|publisher=Voice|accessdate=2011-02-13|archiveurl=https://archive.is/sj3F|archivedate=2012-07-23}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、サポーターやマスコミに渦巻く不信感と低評価の中ワールドカップ本戦に臨んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、格上と見られていた[[サッカーカメルーン代表|カメルーン代表]]と[[6月14日]]に行われた初戦では、前半に入れた1点を守り抜き、1-0で勝利した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|author=元川悦子|date=2010-06-15|url=http://www.jsports.co.jp/press/column/article/N2010061511492302.html|title=【日本代表】岡田監督の真骨頂。「守り倒すサッカー」でカメルーンに勝利|publisher=JSPORTS|accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なおこの勝利は、ワールドカップの国外開催大会での初勝利であった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=開き直りこそ真骨頂 “火事場のばか力”持つ岡田監督 |newspaper=産経新聞 |date=2010-06-15 |url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/soccer/403753/ |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後[[6月19日]]に行われた[[サッカーオランダ代表|オランダ代表]]との第2戦は0-1で負けたものの、[[6月24日]]に行われた[[サッカーデンマーク代表|デンマーク代表]]との第3戦では、前半に2点を入れた後も終始リードを保ったまま3-1で勝利を収め&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/world-cup-2010/news/7849325/Denmark-1-Japan-3-match-report.html Denmark 1 Japan 3: match report] Daily Telegraph（2010年6月24日）&amp;lt;/ref&amp;gt;グループリーグを2勝1敗の勝ち点6とし、国外開催大会で初めてのワールドカップ決勝トーナメント進出を果たした&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=岡田監督、驚かせた！堂々の2位通過 |newspaper=デイリースポーツ |date=2010-06-25 |url=http://www.daily.co.jp/soccer/2010/06/25/0003130363.shtml |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このサポーターやマスコミの多くが予想していなかった快進撃に、国内外のマスコミはこれまでの批判的な姿勢を一転し、岡田の采配を絶賛する論調ばかりとなっただけでなく&amp;lt;ref&amp;gt;[http://archiviostorico.gazzetta.it/2010/giugno/25/Super_Honda_Giappone_promosso_ga_10_100625009.shtml Super Honda Il Giappone è promosso]Gazetta dello Sport（2010年6月25日）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100625-00000059-jij_van-socc 道開いた大胆な決断＝岡田ジャパン快進撃] 時事通信（2010年6月25日）&amp;lt;/ref&amp;gt;、グループステージでみせた日本代表の堅い守りを、[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]の「[[カテナチオ]]」をもじって「オカナチオ」と呼ぶ記事すら現れた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=伊「オカナチオ」絶賛 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2010-06-25 |url=http://www.sanspo.com/soccer/news/100625/scc1006251209023-n1.htm |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。大会前の4連敗も、あえて格上と戦ったことが決勝トーナメント進出という結果として現れたと評価を一転させた。さらに[[インターネット]]掲示板や[[ツイッター]]上を中心に、かつて岡田に対する非難や不信感を表明していた者からの「謝罪」の表明が相次ぐ事態となり&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=南アＷ杯：岡田監督ごめんなさい…ネットは批判一転、謝罪 |newspaper=毎日新聞 |date=2010-06-25 |url=http://mainichi.jp/enta/sports/soccer/10fwc/archive/news/2010/06/20100626k0000m040043000c.html |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=「岡ちゃんごめん」「総懺悔」ツイッターに書き込み殺到 |newspaper=朝日新聞 |date=2010-06-26 |url=http://www.asahi.com/worldcup/japan/TKY201006250568.html |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、「岡ちゃん、ごめんね」という言葉は[[2010年]]の[[新語・流行語大賞]]にもノミネートされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本サッカー界史上初のベスト8進出をかけた[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ代表]]との決勝トーナメント1回戦は、90分では決着がつかず0-0のまま延長戦に突入した。しかし延長戦でも決着がつかず、日本代表史上初めてワールドカップでのPK戦に突入したものの結果的に3-5で敗北&amp;lt;ref&amp;gt;FIFAの規約上では決勝トーナメント延長戦（PK含む）による勝敗は引き分け扱い。&amp;lt;/ref&amp;gt;した。しかし、日本代表としての様々な記録を残したチームを作り上げた手腕に対し、開幕前との評価とは一転して「名将」、「感謝」と称賛する評価が相次いだ&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=評価一変「岡ちゃんありがとう」　名将に拍手 |newspaper=産経新聞 |date=2010-06-30 |url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/soccer/409875/ |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。日本代表監督としての契約が同大会を最後に切れる&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jfa.or.jp/archive/jfa/organisation/report/2007/riji_kyogi/pdf071211/kyogi071211.pdf 平成19年度 第8回理事会 協議事項] - 日本サッカー協会・2007年12月11日&amp;lt;/ref&amp;gt;ことになっていたが、試合後の会見で改めて今大会を最後に退任する意向を表明した&amp;lt;ref name=&amp;quot;sponichi0630&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=南アＷ杯：岡田監督が退任の意向表明 |newspaper=毎日新聞 |date=2010-06-30 |url=http://mainichi.jp/enta/sports/soccer/10fwc/archive/news/2010/06/20100630k0000m050133000c.html |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、一部ネットニュースでは人望の厚さや人脈の豊富さから「将来の[[日本サッカー協会]]会長へ」という声も出た&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=本人“農家に”も…岡田監督、将来の会長候補に浮上 |newspaper=スポーツニッポン |date=2010-06-25 |url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/06/25/08.html |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== JFA理事へ ===&lt;br /&gt;
2010年7月25日に行われた日本サッカー協会（JFA）の役員改選で、JFA理事に就任した。これはJFAの新会長となった[[小倉純二]]の推挙によるもので、小倉は今後岡田がどこかのクラブの監督となった場合も「兼務で理事をやらせる」と語った。当時は主に環境問題を担当したが&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=岡田監督らが新理事に就任 |newspaper=スポーツニッポン |date=2010-07-25 |url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100725085.html |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、2012年6月の役員改選で理事を退任している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また2010年8月には[[WOWOW]]の専属サッカー解説者となることが発表され、以後同局の[[リーガ・エスパニョーラ]]中継の解説を担当した。解説者就任に伴い開かれた記者会見では、海外から代表監督（本人は具体的な国名は挙げなかったが、メディアでは[[サッカーカタール代表|カタール代表]]と伝えられた）のオファーを受けていたものの断っていたことも明らかにされた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/japan/news/20100817-OHT1T00210.htm 岡田監督、カタール代表監督オファー断っていた] スポーツ報知（2010年8月17日）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=岡ちゃん、カタール代表監督断っていた |newspaper=サンケイスポーツ |date=2010-08-18 |url=http://www.sanspo.com/soccer/news/100818/scg1008180503001-n1.htm |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年11月、[[アジアサッカー連盟]]（AFC）より、日本人では[[桑原隆]]（1998年）、[[西野朗]]（2008年）以来3人目となるAFC最優秀監督賞を受賞。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本人初の中国プロサッカーリーグ監督に ===&lt;br /&gt;
2012年から[[中国サッカー・スーパーリーグ]]の[[杭州緑城足球倶楽部]]にて指導者に復帰する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年11月6日契約を1年残し退任を発表した。また当面は監督に就かない事も発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年2月、デロイトトーマツコンサルティング、特任上級顧問役就任&amp;lt;!--http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140227-00000005-asahi-bus_all.view-000 岡田元監督、コンサル顧問に 「若手としがらみなく」朝日新聞デジタル--&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属クラブ ==&lt;br /&gt;
* [[1972年]] - [[1974年]] [[大阪府立天王寺高等学校|天王寺高校]]&lt;br /&gt;
* [[1976年]] - [[1979年]] [[早稲田大学ア式蹴球部|早稲田大学]]&lt;br /&gt;
* [[1980年]] - [[1990年]] [[古河電気工業サッカー部|古河電工]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 代表歴 ===&lt;br /&gt;
* 国際Aマッチ 24試合 1得点(1980-1985)&amp;lt;ref name=daihyo/&amp;gt;&lt;br /&gt;
** [[アジア競技大会]](1982)&lt;br /&gt;
** [[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]予選&lt;br /&gt;
** [[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]メキシコ大会予選&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{サッカー代表個人成績|日本|2}}&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1980||3||0||5||0||8||0&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1981||5||0||7||0||12||0&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1982||2||1||0||0||2||1&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1983||7||0||10||0||17||0&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1984||4||0||6||0||10||0&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1985||3||0||6||0||9||0&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!通算&lt;br /&gt;
|24||1||34||0||58||1&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 個人成績 ===&lt;br /&gt;
{{サッカー選手国内成績表 top|yy}}&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;4&amp;quot;|日本!!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|リーグ戦!!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[JSLカップ|JSL杯]]!!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]!!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|期間通算&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1980年のJSL|1980]]||[[古河電気工業サッカー部|古河]]||||[[日本サッカーリーグ|JSL1部]]||14||0||||||||||||&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1981年のJSL|1981]]||古河||||JSL1部||17||0||||||||||||&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1982年のJSL|1982]]||古河||||JSL1部||18||0||||||||||||&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1983年のJSL|1983]]||古河||||JSL1部||15||1||||||||||||&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1984年のJSL|1984]]||古河||||JSL1部||17||0||||||||||||&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1985年のJSL|1985]]||古河||||JSL1部||22||4||||||||||||&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1986年-1987年のJSL|1986-87]]||古河||||JSL1部||21||1||||||||||||&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1987年-1988年のJSL|1987-88]]||古河||||JSL1部||22||1||||||||||||&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1988年-1989年のJSL|1988-89]]||古河||||JSL1部||21||1||||||||||||&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1989年-1990年のJSL|1989-90]]||古河||2||JSL1部||22||1||2||0||||||||&lt;br /&gt;
{{サッカー選手国内成績表 通算始|1|日本|JSL1部}}189||9||||||||||||&lt;br /&gt;
{{サッカー選手国内成績表 通算終}}189||9||||||||||||&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==指導経歴==&lt;br /&gt;
{{wikinews|サッカー日本代表の次期監督は岡田氏}}&lt;br /&gt;
* 1990年 - 1994年 [[古河電気工業サッカー部|古河電工]]/[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]]：コーチ&lt;br /&gt;
* 1995年 - 1998年7月 [[サッカー日本代表|日本代表]]&lt;br /&gt;
** 1995年 - 1997年10月：コーチ&lt;br /&gt;
** 1997年10月 - 1998年7月：&#039;&#039;&#039;監督&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
* 1999年 - 2001年 [[コンサドーレ札幌]]：&#039;&#039;&#039;監督&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
* 2003年 - 2006年8月 [[横浜F・マリノス]]：&#039;&#039;&#039;監督&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
* 2007年12月 - 2010年7月 日本代表：&#039;&#039;&#039;監督&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
* 2012年1月 - [[杭州緑城足球倶楽部]]：&#039;&#039;&#039;監督&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===関連項目===&lt;br /&gt;
* [[ジョホールバルの歓喜]]（1997年 ワールドカップフランス大会アジア地区最終予選）&lt;br /&gt;
* [[1998 FIFAワールドカップ日本代表]]&lt;br /&gt;
* [[2010 FIFAワールドカップ日本代表]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===監督成績===&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#DDDDDD&amp;quot;&lt;br /&gt;
! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |年度!! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |所属!! rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; |クラブ!! colspan=&amp;quot;6&amp;quot; |リーグ戦!! colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|カップ戦&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#dddddd&amp;quot;&lt;br /&gt;
!順位!!試合!!勝点!!勝利!!引分!!敗戦!![[Jリーグカップ|ナビスコ杯]]!![[天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[1999年のJリーグ|1999]]||[[日本プロサッカーリーグ|J2]]||[[コンサドーレ札幌|札幌]]||5位||36||55||17||6||13||1回戦||3回戦&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2000年のJリーグ|2000]]||J2||札幌||優勝||40||96||31||5||4||1回戦||4回戦&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2001年のJリーグ|2001]]||[[日本プロサッカーリーグ|J1]]||札幌||11位||30||35||10||5||15||1回戦||3回戦&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2003年のJリーグ|2003]]||J1||[[横浜F・マリノス|横浜FM]]||&#039;&#039;&#039;完全優勝&#039;&#039;&#039;||30||58||17||7||6||準々決勝||準々決勝&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2004年のJリーグ|2004]]||J1||横浜FM||&#039;&#039;&#039;優勝&#039;&#039;&#039;||30||59||17||8||5||準々決勝||5回戦&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2005年のJリーグ|2005]]||J1||横浜FM||9位||34||48||12||12||10||準決勝||5回戦&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[2006年のJリーグ|2006]]||J1||横浜FM||12位||19||23||6||5||8||-||-&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
*2006年は成績不振で引責辞任。順位は辞任当時のもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===監督表彰===&lt;br /&gt;
* [[Jリーグアウォーズ#最優秀監督賞|Jリーグ最優秀監督賞]]：2回（2003年、2004年） &lt;br /&gt;
* AFC最優秀監督賞：1回（2010年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 指導者としてのスタイル・エピソード ==&lt;br /&gt;
* 1998年フランスＷ杯最終選考時にて幾度にも渡り戦術を推敲した結果、三浦知良、北澤豪、市川大祐の3人が戦術上、起用が無い事になり代表から外された。この時、岡田が直接三浦に落選を告げており、三浦は当時の事を「他選手に落選を告げる代理として呼び出されたと思ったら、ドアを開けて顔を見た瞬間に『代表から外されるのは自分』と分かった」と回想している。この選考は結果的に三浦を代表から外したという面が強調され、賛否が分かれる論議の的となった。&lt;br /&gt;
*2008年、国内組で組んだ日本代表を率いた大学生との練習試合にて、[[流通経済大学サッカー部|流通経済大学]]に0－1で負けている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=「史上最弱」「バラバラ」スポーツ紙に酷評された岡田ジャパン |newspaper=J-CASTニュース |date=2008-09-02 |url=http://www.j-cast.com/2008/09/02026136.html?p=2  |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、[[横浜F・マリノス]]時代には天皇杯の[[船橋市立船橋高等学校|市立船橋高校]]との試合で延長でも決着がつかず、PK戦まで追い込まれ辛勝したことがある&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/emp_cup/83rd/date/result03_index.html 高校生に大苦戦　PK戦で市船橋下す。] スポーツナビ（2003年12月14日）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*W杯南アフリカ大会抽選会会場にて、3ヶ月前に親善試合を行ったオランダのファンマルバイク監督と英語で話している時に、「ところで、日本の監督は誰だ?どこにいるの?」と言われ、まったく覚えられていないことが発覚&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=オランダ監督、日本眼中なし「監督誰？」 |newspaper=日刊スポーツ |date=2009-12-07 |url=http://southafrica2010.nikkansports.com/news/p-sc-tp2-20091207-573393.html |accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後、すぐに会場から去ったため、恒例である同グループリーグの代表監督の集合写真は日本の監督だけ写らなかった。報道陣から、そのことについて尋ねられると、二度目のW杯であるにも関わらず恒例であることを知らなかったとの返答。&lt;br /&gt;
*南アフリカW杯予選中「誰かがいないとできないようなサッカーはしない」と公言してきたが、親善試合のセルビア戦の敗戦後、「正直、メンバーが欠けてしまうと、同じ戦い方はできないなと感じた」と語っており&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20100408-00000015-dal-socc.html スポーツナビ 2010年4月8日]&amp;lt;/ref&amp;gt;、固執していた戦術に関しても変更もありえると言及している。&lt;br /&gt;
*2008年に[[川口能活]]に対して、代表内で競争させることもせずサブで残るか代表を離れるかの選択を迫った&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|author=佐藤俊|date=2010-05-17|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/23510|title=なぜ加地亮は代表を引退したのか？消えぬ情熱とブラジルW杯への夢。|publisher=Number|accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*W杯南アフリカ大会の会見で起用法とシステムの変更について聞かれたときに、中心の選手がJリーグでも不調が続いており、コンディションが戻るんじゃないかと期待したが、踏ん切りをつけ変えたと答えている。&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2010-06-25|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00103080.html|title=【2010FIFAワールドカップ南アフリカ デンマーク vs 日本】岡田武史監督（日本）記者会見コメント（10.06.25）|accessdate=2011-03-29}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他のエピソード ==&lt;br /&gt;
* [[1995年]]ごろから[[神奈川県]][[逗子市]]に在住している。[[2010年]][[7月21日]]には逗子市民栄誉賞を授与された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | url=http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kanaloco-20100826-1008260049/1.htm | publisher=@nifty | title=岡ちゃんからのメッセージ、岡田武史さんのサイン入りボールと色紙を市役所に展示/神奈川・逗子 | accessdate= 2010-09-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | url=http://www.townnews.co.jp/0503/2010/08/06/62766.html | publisher=タウンニュース | title=岡田武史監督に市民栄誉賞 | accessdate= 2010-09-12}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* カブスカウト、[[ボーイスカウト]]に入っていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2010-08-05|url=http://www.15nj.org/ver2/topic/jamboree_arena_show/special_message/index.html|title=サッカー日本代表監督　岡田武史　スペシャルメッセージ|publisher=第15回日本ジャンボリー公式サイト|accessdate=2011-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== メディア出演 ==&lt;br /&gt;
=== テレビ ===&lt;br /&gt;
* 岡田武史の見る世界基準と日本の挑戦〜2014FIFAワールドカップ〜（2014年6月10日、NHK総合）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== CM ===&lt;br /&gt;
* [[エスエス製薬]]「ガストール」（2010年11月～ 「2010年最も胃の痛かった男?」と称し、日本代表の試合のインタビューをバックに流している）&lt;br /&gt;
* [[高橋書店]]「2011年版「手帳は高橋」年末広告」（2010年12月～）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]&lt;br /&gt;
* [[古河電気工業サッカー部]]&lt;br /&gt;
* [[野田大燈]] - [[メンター]]。同師の運営する社会福祉法人の役員も兼任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書籍 ==&lt;br /&gt;
* 『岡田武史 逆境をチャンスに変えよ &#039;&#039;強いリーダーになる15の実践&#039;&#039;』 (著)[[生島ヒロシ]] コスミックインターナショナル 1998年5月 ISBN 4885328233&lt;br /&gt;
* 『岡田武史の考えるサッカー』 小学館 1998年12月 ISBN 4092041101&lt;br /&gt;
* 『指揮官 岡田武史 &#039;&#039;アルマトイ、フランス、そして札幌&#039;&#039;』 (著)潮 智史 [[朝日新聞社]] 2001年4月 ISBN-10: 4022575867&lt;br /&gt;
* 『蹴球日記』 (著)岡田武史 講談社 2002年12月 ISBN 4063086518&lt;br /&gt;
* 『岡田武史監督と考えた「スポーツと感性」』 (著)[[志岐幸子]] [[日本経済新聞出版社]] 2008年2月 ISBN 4532166519&lt;br /&gt;
* 『勝利のチームメイク』 日本経済新聞出版社 2008年3月 ISBN 4532194415&lt;br /&gt;
* 『岡田監督 信念のリーダーシップ &#039;&#039;勝てる組織をどうつくるか&#039;&#039;』 (著)児玉 光雄 [[ダイヤモンド社]] 2008年5月16日 ISBN 4478005680&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
[http://www.nikkei.com/biz/skill/index/?uah=DF280920129174 杭州監督 岡田武史の「中国細見」コラム-日経新聞]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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[[Category:サッカー日本代表監督]]&lt;br /&gt;
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[[Category:早稲田大学出身の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
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