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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-10-29T05:16:30Z</updated>
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		<title>マサ斎藤</title>
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		<updated>2014-08-16T09:19:22Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;240F:A:1BEB:1:6D63:9871:B82:9885: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|プロレスラー|[[ゲームミュージック]]作曲家|斎藤学 (作曲家)}}&lt;br /&gt;
{{Infobox プロレスラー&lt;br /&gt;
| 名前 = マサ斎藤&lt;br /&gt;
| 画像 = Replace this image JA.svg&lt;br /&gt;
| リングネーム = &#039;&#039;&#039;マサ斎藤&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br /&amp;gt;斎藤昌典&amp;lt;br /&amp;gt;ミスター・サイトー&amp;lt;br /&amp;gt;マサ・サイトー&lt;br /&gt;
| 本名 = 斎藤 昌典&lt;br /&gt;
| ニックネーム = 獄門鬼&amp;lt;br /&amp;gt;監獄レスラー&lt;br /&gt;
| 身長 = 公称180cm&lt;br /&gt;
| 体重 = 120kg&lt;br /&gt;
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1942|8|7}}&lt;br /&gt;
| 死亡日 = &lt;br /&gt;
| 出身地 = {{Flagicon|JPN}}[[東京都]][[中野区]]&lt;br /&gt;
| スポーツ歴 = [[アマチュアレスリング|レスリング]]&lt;br /&gt;
| トレーナー = [[豊登道春|豊登]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[ヒロ・マツダ]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[キンジ渋谷]]&lt;br /&gt;
| デビュー = 1965年6月3日&lt;br /&gt;
| 引退 = 1999年2月14日&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;マサ斎藤&#039;&#039;&#039;（マサさいとう、[[1942年]][[8月7日]] - ）は、元[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手、元[[プロレスラー]]、[[健介office|健介オフィス]]スーパーバイザーである。本名・旧リングネーム：&#039;&#039;&#039;斎藤 昌典&#039;&#039;&#039;（さいとう まさのり）。[[東京都]][[中野区]]出身。信条は「[[第442連隊戦闘団|Go for broke]]」（当たって砕けろ）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== オリンピック出場 ===&lt;br /&gt;
[[明治大学]]在学中の[[1963年]]のレスリング全日本選手権にて、フリースタイル、グレコローマンのヘビー級で優勝し、翌年日本代表として1964年[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]に出場（フリースタイル・ヘビー級、3回戦で敗退）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== プロレスデビュー ===&lt;br /&gt;
大学卒業後の[[1965年]]4月に[[日本プロレス]]に入門した。同年6月3日に、[[北沢幹之|高崎山猿吉]]戦でデビュー。翌[[1966年]]6月、日本プロレスを離脱し、[[豊登道春|豊登]]が興した[[東京プロレス]]に参加する。[[アントニオ猪木]]、豊登に次ぐ三番手のポジションで戦い、一時は社長も務めた。しかし東京プロレスは翌年あえなく崩壊、猪木らを除く大半の所属レスラーは[[国際プロレス]]に移籍するが、マサは渡米を選択した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アメリカへ ===&lt;br /&gt;
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では[[フリーランス]]の[[ヒール (プロレス)|ヒール]]レスラーとして活動する。レスリングの地力を下敷きにした悪党ファイトが高評価を受け、西海岸で長くトップヒールとして活躍した。その後は[[フロリダ州]]をはじめとする南部各州、[[WWE|WWF]]、[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]と全米各地の繁栄マーケットを転戦、常にトップとして数々のタイトルを獲得し、アメリカで長期に渡り最も成功した日本人レスラーとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では[[1972年]]に古巣の[[日本プロレス]]に参加した後、[[1974年]]4月からは[[新日本プロレス]]に日本側として断続的に参戦した。[[1978年]]暮れに[[ヒロ・マツダ]]や[[上田馬之助 (プロレスラー)|上田馬之助]]らと狼軍団を結成し、日本でもヒールに転向、マツダとのタッグで[[坂口征二]]＆[[ストロング小林]]組から[[北米タッグ王座]]を奪取し、日本での初戴冠を果たした。また上田と共に国際プロレスにも参戦した。その後[[1980年]]初めまで新日で外人サイドの参謀格を務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 維新軍参加とアメリカ遠征 ===&lt;br /&gt;
[[1982年]]から[[長州力]]が結成した革命軍、そして維新軍（後の[[ジャパンプロレス]]）の参謀格として活躍したが、[[1985年]]4月に[[ウィスコンシン州]]で[[ケン・パテラ]]が起こした警官暴行事件に巻き込まれ、部屋に押し入った十数人（4人という証言もある）の警官をなぎ倒してしまったため有罪判決を受け、[[永住帰国]]を選ばずに現地で1年半の刑務所暮らしを送った（実は罪状のうちほとんどが無罪だったのだが唯一、女性警官の大腿骨を骨折させた行為のみ有罪だった、という説がある）。しかし、自身はこれを良い休息と考え、刑務所内で肉体改造に成功。のちに[[監獄固め]]という技を開発した。[[1986年]]末に出所し、AWA地区で海外武者修行中の[[高野拳磁|高野俊二]]の面倒を見た後、[[1987年]]3月、INOKI闘魂LIVE Part2での猪木とシングル戦に合わせ、日本に帰国。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 巌流島 ===&lt;br /&gt;
[[1987年]]10月4日、[[巌流島]]で行われた[[アントニオ猪木]]との時間無制限ノーレフェリー・ノールール・無観客マッチは「&#039;&#039;&#039;[[巌流島の戦い (プロレス)|巌流島の戦い]]&#039;&#039;&#039;」と呼ばれ、2時間5分14秒の死闘を繰り広げた。その後[[たけしプロレス軍団]]に参謀役という形で参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1990年]]2月10日、[[東京ドーム]]における[[AWA世界ヘビー級王座]]戦で[[ラリー・ズビスコ]]を破り王座を獲得している。47歳での戴冠劇は快挙と称えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 引退 ===&lt;br /&gt;
第一線を退いた後は、「[[ワールドプロレスリング]]」の解説者を務めた。[[1999年]]2月14日、[[日本武道館]]において自らが発掘した[[スコット・ノートン]]と引退試合を行った。この引退試合でも巨体のノートンをバックドロップで投げるなど往年のパワーを見せつけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]に[[新日本プロレス]]を離脱し、[[長州力]]らと[[WJプロレス]]旗揚げに参加する。WJプロレス時代、記者会見の席に現れたマサは体の震えや、言葉の発音に難がある状態になっており、以降マサの身体的不調が知られるようになる。WJプロレスはその後1年余りで崩壊する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 健介オフィス入り ===&lt;br /&gt;
[[2005年]]、マサを慕っている[[佐々木健介]]が「ファンにマサさんのことを忘れてもらいたくない」として[[健介office|健介オフィス]]株式会社化の際、マサを&#039;&#039;&#039;アドバイザー&#039;&#039;&#039;として招聘。記者会見にはマサも姿を現している。マサは寮が無かった[[ジャパンプロレス]]に入門した当時の健介を自宅マンションに居候させ、「身長がない分、横に筋肉をつけろ」とアドバイスするなど、師匠格の存在であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]にはAWA時代のタッグパートナーであった[[ニック・ボックウィンクル]]との対談が雑誌掲載されるなど、長年の激闘の後遺症はあるがまずまず健在なところを見せている。現在は健介夫婦の住む埼玉県[[吉川市]]に住居を移しており、[[中嶋勝彦]]らと食事をしている写真が同社のブログに掲載されることもある。また[[週刊プロレス]]の[[北斗晶]]の対談コーナーにも登場している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]には、健介オフィスの新人らに[[バックドロップ]]の技術を教授している姿が、[[FIGHTING TV サムライ]]の[[Sアリーナ]]で放送された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2011年]]頃からは、若手の[[西川潤 (プロレスラー)|西川潤]]がマサ斎藤をとても慕っており、ブログでは一緒に食事するなど近況が知ることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== トレーニングへのこだわり ==&lt;br /&gt;
プロレスラーとしては背が高くない。その体格のハンデを埋めるため、[[ウエイトトレーニング]]を熱心に行っていた。その結果、50歳を過ぎても現役のプロレスラーとして活躍し続け、おなかは出ているが、分厚い胸板や太い腕をした身体を披露していた。若手レスラーに、熱心にトレーニングの指導を行っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
トレーニングや肉体に対して信仰にも近い拘りを持っており、病気で入院していた時にトレーニングができないことを嘆いて、「見てよ! 身体が縮んじゃったよ!」と看護師にぼやいたというエピソードがある。ただし、それを聞かされた看護師からは「こんな大きな身体してて、どこが縮んだって言うの？」と返され、取り合ってもらえなかったそうである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ある時、プロレスライターの[[門馬忠雄]]がマサに「腕に贅肉がついてきた」と、からかったら徹底的に否定した。それでも門馬が繰り返しからかったところ、納得せぬままその場を去った。そして2週間後、「どうだいモンちゃん、きっちり締まったろ！」と、筋肉痛になった腕をさすりながら、門馬に力瘤を見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
既に60歳を過ぎているにもかかわらず肉体に対する信奉は依然強く、最近までトレーニングジムなどで無謀とも思える高重量のバーベルに挑む姿が目撃されている。プロレスラーとしての長い現役生活で、身体のあちこちに怪我を抱えつつも、トレーニングを継続している。全盛期は[[ベンチプレス]]で200kg以上、インクラインベンチプレスで180kgを挙げていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
=== カルピス愛 ===&lt;br /&gt;
プロレスラーとしてのマサ斎藤は一貫して荒々しいキャラクターであったが、[[カルピス]]が大好きという愛嬌のある一面や、解説者時代に見せた天然ボケとも言えるキャラクターも知られている。カルピスについては「あんなに美味しい飲み物はないよな」と自他共に認める大好物である。これがマサ自身の豪快なイメージと相まってか「原液をそのまま飲んでいる」という伝説まで生まれた。ただし本人は「薄めないと飲めない」「ちゃんと薄めないと美味しくない」と否定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 解説者として ===&lt;br /&gt;
解説者時代のマサ斎藤は、言い間違いや、素頓狂なコメントをすることが多かった。例えば、当時、正体を公式には明らかにしていなかったマスクマンの試合を実名で解説してしまったことも多い（[[獣神サンダー・ライガー]]、[[ブラック・タイガー (プロレスラー)|ブラック・タイガー]]、[[エル・サムライ]]など複数）。また正体が明らかであるが、あくまで別キャラクターとしてリングに上がっている選手（[[武藤敬司|グレート・ムタ]]、[[佐々木健介|パワー・ウォリアー]]など）も本名で呼んでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[蝶野正洋]]と[[小原道由]]の試合で小原が&#039;&#039;&#039;犬の首輪&#039;&#039;&#039;をはめられた場面では「イヌワですイヌワ！」と連呼。また「nWoの狙いは世界制覇」と言おうとして「世界平和」と発言したこともある。この種の言い間違いは枚挙に暇がなく、「G1（ジーワン）のことを&#039;&#039;&#039;ジーアイ&#039;&#039;&#039;と言った」「G1の優勝候補選手予想で、&#039;&#039;&#039;レフェリー&#039;&#039;&#039;の[[タイガー服部]]の腕っ節の強さを熱く語った」「アナウンサーが『受身の取れない[[バックドロップ]]！』と実況すると『いや、（受身を）取ってます』と返した」「[[TEAM 2000]]（チーム・トゥーサウザンド）を頑なに『ティーにせん』と発音」「[[辻よしなり]]がノートン出演CMにひっかけて『[[スコット・ノートン]]は和の精神を理解しています』と煽ったところ『それはCMだけでしょ』と無粋な突っ込みをした」などなど、武勇伝は数知れない。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--あまり些細なエピソードをこと細かに書くのはいかがなものかと--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカでの活動が長かったこともあり、英語力に長けている。ノートンなどの外国人レスラーに、流暢な英語でインタビューすることもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アメリカでの評価 ===&lt;br /&gt;
アメリカでは、しっかりしたレスリングができるヒールとして各地で大活躍。後にミネソタ州知事となる[[ジェシー・ベンチュラ]]と[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]でタッグを組んでいたこともあり、彼の名を冠した[[カクテル]]が存在するほどである。特にAWA圏での「悪党人気」は絶大であった。理由の一つとして、[[1980年代]]当初、日本車の輸出により斜陽を迎えていたUSA自動車産業の総本山であったデトロイトで、[[リック・マーテル]]らベビーフェイスに対する反則攻撃の際に「トヨター、ニッサンー、ホンダー」と、日本の自動車メーカーの名を叫んで観客のヒートを買ったことが挙げられる。関係者からの評価も高く、警官暴行事件の際には、裁判で[[ニック・ボックウィンクル]]や[[バーン・ガニア]]らが陳述に立ち、マサの弁護につとめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== フクちゃん ===&lt;br /&gt;
若手時代、漫画のキャラクターに似ていたことから「&#039;&#039;&#039;[[フクちゃん]]&#039;&#039;&#039;」と呼ばれていた。出獄後マスコミから「&#039;&#039;&#039;獄門鬼&#039;&#039;&#039;」というニックネームがつけられたが、マサ本人が嫌がったためすぐお蔵入りとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東京プロレス社長 ===&lt;br /&gt;
東京プロレス設立の際、[[豊登道春|豊登]]はそのドンブリ勘定な性格から周囲より忌避され、また、猪木も帰国していなかった状況だったため、レスリングオリンピック代表の経歴および父親が某電器会社の重役という信用性により、マサが初代の代表取締役社長として登記された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 新日本プロレスでのマサ ===&lt;br /&gt;
明治大学の同窓ということで若手の頃から[[坂口征二]]と交流があり、1972年、東京プロレス時代の縁を通じて新日本プロレスから参戦オファーがあったのを断り、日本プロレスに参戦したのは坂口がエースだから、とプロレス雑誌の坂口との対談で明かしている。またその際に、馬場・猪木離脱後の日本プロレスの集客の惨状を見て、「このままではダメだ」と坂口に進言し、西麻布の某焼肉店での猪木・坂口会談を実現させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長州力の参謀についた頃〜現在に至るまでも、大学レスリング部出身およびオリンピック代表という両人の経歴のため、参謀につく以前から師弟関係が存在していたと見る向きがあるが、1982年末に長州力がマサ斎藤に会いに渡米するまでそれほど接点はなかったそうである。マット上では[[北米タッグ王座|北米タッグ]]（長州は坂口のパートナーとして）やプレ日本選手権等でのシングルマッチ対戦経験はあったが、当時は「ほとんど喋ったことがなかった」と、プロレス雑誌のインタビューで語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 獲得タイトル ==&lt;br /&gt;
* [[NWA世界タッグ王座]]（サンフランシスコ版）：2回（パートナーは[[キンジ渋谷|キンジ・シブヤ]]）&lt;br /&gt;
* [[NWAアメリカス・タッグ王座]]：6回（パートナーはキンジ・シブヤ）&lt;br /&gt;
* [[NWAカナディアン・タッグ王座]]（バンクーバー版）：2回（パートナーは[[ジン・キニスキー]]、デール・ルイス）&lt;br /&gt;
* [[NWA USタッグ王座]]（フロリダ版）：2回（パートナーは[[ザ・グレート・カブキ|ミスター・サトー]]）&lt;br /&gt;
* [[NWAフロリダ・タッグ王座]]：5回（パートナーは[[イワン・コロフ]]×3、ミスター・サトー×2）&lt;br /&gt;
* [[NWAフロリダ・ヘビー級王座]]：1回&lt;br /&gt;
* [[NWAアラバマ・ヘビー級王座]]：2回&lt;br /&gt;
* [[北米タッグ王座|NWA北米タッグ王座]]（日本版）：1回（パートナーは[[ヒロ・マツダ]]）&lt;br /&gt;
* [[WWE・世界タッグチーム王座|WWFタッグ王座]]：2回（パートナーは[[ハリー藤原|ミスター・フジ]]）&lt;br /&gt;
* [[AWA世界ヘビー級王座]]：1回&lt;br /&gt;
* [[IWGPタッグ王座]]：2回（パートナーは[[長州力]]、[[橋本真也]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 得意技 ==&lt;br /&gt;
解説時のユーモラスな一面とは違いリング上では鬼気迫る表情で、どんな大型選手相手でも決して退かないファイトスタイルが特徴であった。&lt;br /&gt;
; [[バックドロップ|捻り式バックドロップ]]&lt;br /&gt;
: 猪木との対戦では3連発してピンフォール勝ち出来なかったので4連発・5連発と回数を増やしていった。ちなみに5連発喰らった猪木は半分意識を失いながらも本能で戦い、普段は使うことがない回転エビ固めで勝利するという珍事を誘発している。なお、ヒールとして活躍していたAWA地区では、この技をバックドロップとは別物と扱い&#039;&#039;&#039;サイトー・スープレックス&#039;&#039;&#039;と呼んでいた。&lt;br /&gt;
; [[水車落とし|ダックアンダースープレックス]]&lt;br /&gt;
: 相手の右腕を貫抜の形で決めて[[ブレーンバスター]]と同じ形で投げる技。マサはダックアンダースープレックスを1979年頃に多用していて、1979年6月に[[ロサンゼルス]]で[[ヒロ・マツダ]]とのコンビで[[坂口征二]]＆[[長州力]]が保持していた[[北米タッグ王座|NWA北米タッグ王座（ロサンゼルス版/日本版）]]に挑戦した際、マサが長州にダックアンダースープレックスを掛けている映像が現存する&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.youtube.com/watch?v=UxvRO34U928 坂口＆長州　vs　ヒロ・マツダ＆マサ斎藤 ] Youtube&amp;lt;/ref&amp;gt;。尚、[[古舘伊知郎]]はこの技を[[バックフリップ]]と言っていた。&lt;br /&gt;
; [[監獄固め]]&lt;br /&gt;
: [[アマチュアレスリング|レスリング]]フリースタイルで相手の動きを制する際に使われる変形の[[足4の字固め]]だが、相手に返されにくいようにするため足部分に重心をかける点が独特。全盛期のマサはこの技をかける際、中継用のテレビカメラを探してカメラ映りのいい方角に体を持っていってから仕掛けていた。なおこの技は刑務所生活の間に獄中の受刑者と開発したという[[ギミック (プロレス)|ギミック]]が一般的だが、本人曰く獄中で開発した技ではなく、レスリング技の改良で、[[佐々木健介]]と一緒に開発しているとのこと。レスリング由来の技ゆえに、不完全ではあったが[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]でレスリング出身の[[藤田和之]]が同型の技で相手の動きを制している。相手がうつ伏せの状態から仕掛ける入り方は&#039;&#039;&#039;トルコ刈り式監獄固め&#039;&#039;&#039;と呼ばれることもある。&lt;br /&gt;
; [[サソリ固め]]&lt;br /&gt;
: 長州と行動を共にする様になってから使用。&lt;br /&gt;
; [[ラリアット]]&lt;br /&gt;
; [[ドラゴンスクリュー]]&lt;br /&gt;
: [[藤波辰爾|藤波辰巳]]がヘビー級転向してからあまり使わなくなり、[[武藤敬司]]が足4の字固めに移行する必殺パターンを作るまでの間、ほぼ唯一の使い手として、主にタッグマッチの繋ぎ技として使用していた。&lt;br /&gt;
; [[フォール技#スモール・パッケージ・ホールド|スモール・パッケージ・ホールド]]&lt;br /&gt;
: 滅多に見せることはなかったが、[[ラリー・ズビスコ]]をこの技で破り、第36代AWA世界ヘビー級王者に輝いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== マネージャー ==&lt;br /&gt;
* [[タイガー服部]]（NWAフロリダ）&lt;br /&gt;
* [[ルー・アルバーノ|キャプテン・ルー・アルバーノ]]（WWF）&lt;br /&gt;
* [[アドナン・アル＝ケイシー|シーク・アドナン・アル＝ケイシー]]（AWA）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 入場曲 ==&lt;br /&gt;
ザ・ファイト（映画『[[オーバー・ザ・トップ]]』サウンドトラックより）&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*プロレス「監獄固め」血風録（1999年、[[講談社]]）&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/m/mr-saito.html Profile - Online World of Wrestling]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{AWA世界ヘビー級王座}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さいとう まさ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のプロレスラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:アマチュアレスリング出身のプロレスラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:オリンピック出場経験があるプロレスラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本プロレスに所属したプロレスラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京プロレスに所属したプロレスラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:新日本プロレスに所属したプロレスラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャパンプロレスに所属したプロレスラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の実業家]]&lt;br /&gt;
[[Category:ダイヤモンド・リングの関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のレスリング選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:オリンピックレスリング日本代表選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:国際プロレスの関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:NWAに参戦したプロレスラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:AWAに参戦したプロレスラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:WWEに参戦したプロレスラー]]&lt;br /&gt;
[[Category:プロレス・エグゼクティブ]]&lt;br /&gt;
[[Category:プロレス・マネージャー]]&lt;br /&gt;
[[Category:プロレス・トレーナー]]&lt;br /&gt;
[[Category:プロレス解説者]]&lt;br /&gt;
[[Category:明治大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1942年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
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