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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-10-15T06:02:29Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E8%A7%92%E7%9B%88%E7%94%B7&amp;diff=192787</id>
		<title>角盈男</title>
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		<updated>2014-06-22T05:06:34Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;218.42.153.39: /* タイトル */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox baseball player&lt;br /&gt;
|選手名             = 角 盈男&lt;br /&gt;
|本名               = 角 三男&lt;br /&gt;
|所属球団           = &lt;br /&gt;
|背番号             = &lt;br /&gt;
|選手写真ファイル名 = &lt;br /&gt;
|写真サイズ         = &lt;br /&gt;
|写真のコメント     = &lt;br /&gt;
|国籍               = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|出身地             = [[鳥取県]][[米子市]]&lt;br /&gt;
|生年月日           = {{生年月日と年齢|1956|6|26}}&lt;br /&gt;
|没年月日           = &lt;br /&gt;
|身長               = 183&lt;br /&gt;
|体重               = 86&lt;br /&gt;
|利き腕             = 左&lt;br /&gt;
|打席               = 左&lt;br /&gt;
|守備位置           = [[投手]]&lt;br /&gt;
|プロ入り年度       = {{NPBドラフト|1976}}&lt;br /&gt;
|ドラフト順位       = ドラフト3位&lt;br /&gt;
|初出場             = 1978年4月4日&lt;br /&gt;
|最終出場           = 1992年10月1日&lt;br /&gt;
|年俸               = &lt;br /&gt;
|経歴               = &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[鳥取県立米子工業高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[三菱重工三原硬式野球部|三菱重工三原]]&lt;br /&gt;
* [[読売ジャイアンツ]] (1978 - 1989)&lt;br /&gt;
* [[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]] (1989 - 1991)&lt;br /&gt;
* [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]] (1992)&lt;br /&gt;
|経歴補足題         = コーチ歴&lt;br /&gt;
|経歴補足           = &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
* ヤクルトスワローズ (1995)&lt;br /&gt;
* 読売ジャイアンツ (1997)&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;角 盈男&#039;&#039;&#039;（すみ みつお、本名：&#039;&#039;&#039;角 三男&#039;&#039;&#039;、[[1956年]][[6月26日]] - ）は、[[鳥取県]][[米子市]]出身の元[[プロ野球選手]]・プロ野球指導者、[[野球解説者]]、[[タレント]]。[[パシフィックボイス]]所属。[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]]日本担当スカウト。巨人時代の[[登録名]]は&#039;&#039;&#039;角 三男&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;角 光雄&#039;&#039;&#039;（一時期）。長男は元野球選手の[[角一晃]]、次男はプロ野球ロッテ所属選手の[[角晃多]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴・人物 ==&lt;br /&gt;
[[米子市立美保中学校]]、[[鳥取県立米子工業高等学校|米子工業高校]]から[[三菱重工三原硬式野球部|三菱重工三原]]に入社。[[1976年]]の[[第47回都市対抗野球大会|都市対抗野球大会]]では、[[マツダ|広島マツダ]]の補強選手としてチームの準決勝進出に貢献する。翌年の[[第48回都市対抗野球大会|大会]]でも[[NTT西日本中国野球クラブ|電電中国]]に補強され活躍。[[1976年]]のドラフト3位で[[読売ジャイアンツ]]から指名を受け、翌年に入団する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1年目の[[1978年]]に5勝7[[セーブ]]で[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]を獲得。翌年は制球の悪さが顕在化し不調に陥ったが、[[1980年]]に[[オーバースロー]]を[[サイドスロー]]に改造して才能が開花した。球速こそ落ちたものの、課題だったコントロールが向上したことから頭角を現す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
制球に課題があるため完投が期待できず、先発投手としては難があったものの、変則的なフォームでタイミングが取りづらいことや地肩が強く連投が利く特長を生かして、早くから抑えのエースとして活躍、[[1981年]]には8勝20セーブで[[最多セーブ投手|最優秀救援投手]]のタイトルを獲得して、チームのリーグ優勝にも貢献した。しかし、[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]との日本シリーズでは、第1戦で同点の9回裏にリリーフで登板するも[[井上弘昭]]にサヨナラヒットを許し、[[敗戦投手]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他方、リリーフとしての長きにわたる貢献により、他球団からのマークにあって研究され、また自身の制球難からの救援失敗などもあり、次第にリリーフエースの座を[[鹿取義隆]]に譲る。右サイドハンドの鹿取に対し、左サイドハンドの角はセットアッパーやワンポイントリリーフとして重用され、長く巨人の[[リリーフ]]陣の核として活躍した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
巨人時代初期の背番号変遷は目まぐるしく、また珍しいものがある。入団当初は「11」を与えられ、1978年のキャンプ時は同番号で参加していたものの、[[横浜ベイスターズ|大洋ホエールズ]]から[[ジョン・シピン]]が移籍してくるのに伴い、公式戦前に同選手に番号を譲り「45」に変更。翌[[1979年]]から2年間は当初の番号と1番違いの「12」を背負った後、シピン退団翌年の1981年に当初の「11」に戻ったもので、元の番号に戻ると共に、ストッパーとしても開眼した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]]のシーズン途中に左投手不足に悩む[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]に無償トレードで移籍（このトレードは日本ハムの[[近藤貞雄]]監督が巨人の[[藤田元司]]監督に駄目元で直接頼み実現した。）。移籍後は先発投手を務めたため423試合連続リリーフ登板の日本記録（当時）が途絶えた。通算では40試合に先発、3[[完投]]の成績を残した。[[1990年]][[6月6日]]の[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]戦では[[ラルフ・ブライアント]]に[[東京ドーム]]の天井スピーカーを直撃する[[本塁打]]（推定飛距離170m）を打たれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1992年]]に[[小川淳司]]との交換トレードで[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]に移籍し、再びリリーフとしてチーム14年ぶりのリーグ優勝に貢献。通算99Sで同年引退（当時監督だった[[野村克也]]は、同年の活躍から角がまさか引退するとは思っていなかったため「引退するなら通算100Sを取らせてあげればよかった」と後悔していた。本人は通算100SPを上げているので気にはしていなかったという）。引退後は[[1995年]]にヤクルト、[[1997年]]は古巣の巨人で投手コーチを務め、退団後は[[ニッポン放送]]の野球解説者を務めた。上記のとおりかつての登録名は戸籍上の名前である三男であったが、本人いわく「三男（さんなん）だから三男（みつお）とつけられたのが嫌」で、[[1988年]]からは「-光雄」、1990年から「-盈男」と度々登録名を変更したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在は、[[野球評論家]]活動のかたわら、タレントとしても活動している。また[[東京メトロポリタンテレビジョン|東京MXテレビ]]の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦中継の解説者でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2人の息子も野球選手となり、長男・一晃は[[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大相模高校]]の野球部出身で{{by|2005年}}の[[第77回選抜高等学校野球大会]]に出場。また次男・晃多も東海大相模高校の野球部で内野手として活躍。{{by|2008年}}夏の[[全国高等学校野球選手権神奈川大会|北神奈川大会]]決勝まで進んだ。晃多は2008年10月の[[2008年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[千葉ロッテマリーンズ]]から育成選手枠3位で指名された。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
* 美保中学の先輩に[[米田哲也]]がいる。&lt;br /&gt;
* 左サイドスロー投手というのは珍しく、[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]の人気ゲームソフト[[ファミスタシリーズ]]の[[ナムコスターズ]]で登場する左アンダースロー投手のきやらはちは角投手を真似てつくったとされている{{要出典}}。&lt;br /&gt;
* ヤクルトの投手コーチ時代、登板前日にもかかわらずタレントの神田うのとの密会のために宿舎を無断で抜け出して行方不明になった[[石井一久]]を追跡し取り押さえた。この時石井の部屋に残されていたメモから現場を割り出すなど探偵顔負けの推理力を発揮した。この出来事は著書のほかTV番組でもしばしばネタにしている。&lt;br /&gt;
* 角が巨人の投手コーチ（[[ブルペン]]担当）の契約を終え、当時の[[長嶋茂雄]]監督のその当時の印象を[[テレビ番組]]で聞かれた時に、「何故かは知らないが、監督とは1シーズンで一度も会話をする事がなかった。（それも私生活はもちろん、投手コーチはもう一人いたこともあってか）自軍の投手状況等にまつわる会話すら会話をする事がなかった」と振り返っていた。&lt;br /&gt;
* 郷里である鳥取県は角が誕生してから現在に至るまで、[[市]]が四つしか存在しない（[[鳥取市]]、[[倉吉市]]、[[米子市]]、[[境港市]]）にもかかわらず、『[[関口宏の東京フレンドパークII]]』に出演した際、[[クイズ!ボディ&amp;amp;ブレイン]]で「鳥取県の市を全部答えなさい」という出題に対して三つしか答えられず、不正解になった事がある。&lt;br /&gt;
: （ちなみに唯一出なかった境港市は、角の出身地である米子市のすぐ隣であり、父親も小学校教師としてかつて勤務していた土地である）&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==詳細情報==&lt;br /&gt;
=== 年度別投手成績 ===&lt;br /&gt;
{| {{投手成績|リーグ=日本プロ野球}}&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1978}}&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;12&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|[[読売ジャイアンツ|巨人]]&lt;br /&gt;
|60||6||0||0||0||5||7||7||--||.417||477||112.2||76||6||77||3||6||89||1||0||38||36||2.87||1.36&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1979}}&lt;br /&gt;
||45||1||0||0||0||2||5||6||--||.286||288||65.1||52||3||39||2||2||61||3||0||39||29||4.02||1.39&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1980}}&lt;br /&gt;
||&#039;&#039;&#039;56&#039;&#039;&#039;||0||0||0||0||1||5||11||--||.167||315||79.0||48||5||35||3||3||110||0||0||21||20||2.28||1.05&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1981}}&lt;br /&gt;
||51||0||0||0||0||8||5||&#039;&#039;&#039;20&#039;&#039;&#039;||--||.615||397||104.1||55||9||33||1||2||121||1||0||19||17||1.47||0.84&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1982}}&lt;br /&gt;
||40||0||0||0||0||2||3||9||--||.400||250||63.0||36||4||24||2||5||71||1||0||14||14||2.00||0.95&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1983}}&lt;br /&gt;
||37||0||0||0||0||3||5||18||--||.375||252||56.0||53||4||32||4||3||55||1||0||23||21||3.38||1.52&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1984}}&lt;br /&gt;
||49||0||0||0||0||3||4||14||--||.429||251||58.2||44||7||31||2||4||51||3||1||22||21||3.22||1.28&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1985}}&lt;br /&gt;
||42||0||0||0||0||1||2||5||--||.333||186||42.1||37||6||24||3||2||40||0||1||22||22||4.68||1.44&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1986}}&lt;br /&gt;
||54||0||0||0||0||2||3||2||--||.400||233||58.1||40||6||19||6||1||70||1||0||20||18||2.78||1.01&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1987}}&lt;br /&gt;
||57||0||0||0||0||2||1||1||--||.667||154||37.2||34||5||8||1||1||37||1||0||16||14||3.35||1.12&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1988}}&lt;br /&gt;
||25||0||0||0||0||0||1||0||--||.000||63||13.1||16||1||7||1||0||10||0||0||7||7||4.73||1.73&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1989}}&lt;br /&gt;
|1||0||0||0||0||0||0||0||--||----||2||0.1||0||0||0||0||1||0||0||0||0||0||0.00||0.00&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;4&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap;&amp;quot;|[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]&lt;br /&gt;
|15||10||2||0||0||3||4||0||--||.429||293||66.1||63||6||40||2||2||35||0||0||28||25||3.39||1.55&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background-color:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|&#039;89計&lt;br /&gt;
|16||10||2||0||0||3||4||0||--||.429||295||66.2||63||6||40||2||3||35||0||0||28||25||3.38||1.55&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1990}}&lt;br /&gt;
||23||12||0||0||0||1||4||1||--||.200||348||79.2||69||15||44||2||5||60||3||0||36||32||3.62||1.42&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1991}}&lt;br /&gt;
||17||14||1||0||0||3||7||0||--||.300||376||85.1||82||6||51||3||4||41||1||0||38||37||3.90||1.56&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1992}}&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center; white-space:nowrap;&amp;quot;|[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]&lt;br /&gt;
|46||0||0||0||0||2||4||5||--||.333||171||39.1||29||4||24||7||2||37||3||0||15||14||3.20||1.35&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|通算：15年&lt;br /&gt;
|618||43||3||0||0||38||60||99||--||.388||4056||961.2||734||87||488||42||43||888||19||2||358||327||3.06||1.27&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
* 各年度の&#039;&#039;&#039;太字&#039;&#039;&#039;はリーグ最高&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== タイトル ===&lt;br /&gt;
* [[最多セーブ投手 (日本プロ野球)|最優秀救援投手]]：1回 （1981年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 表彰 ===&lt;br /&gt;
* [[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]] （1978年）&lt;br /&gt;
* [[ファイアマン賞]]：1回 （1981年）&lt;br /&gt;
* [[東京ドーム#東京ドームMVP賞|後楽園MVP賞]]：1回 （1981年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 記録 ===&lt;br /&gt;
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場：2回 （1981年、1983年）&lt;br /&gt;
;初記録&lt;br /&gt;
*初登板：1978年4月4日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]1回戦（[[横浜スタジアム]]）、7回裏に3番手で救援登板・完了、2回無失点&lt;br /&gt;
*初奪三振：同上、7回裏に[[高木由一|高木嘉一]]から&lt;br /&gt;
*初先発：1978年4月16日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]2回戦（[[後楽園球場]]）、1回1/3を2失点&lt;br /&gt;
*初セーブ：1978年4月29日、対ヤクルトスワローズ5回戦（[[明治神宮野球場]]）、7回裏2死に2番手で救援登板・完了、2回1/3を無失点&lt;br /&gt;
*初勝利：1978年5月30日、対横浜大洋ホエールズ8回戦（後楽園球場）、7回表無死に2番手で救援登板、2回2失点&lt;br /&gt;
*初先発勝利：1978年6月23日、対[[広島東洋カープ]]12回戦（[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]）、6回0/3を1失点&lt;br /&gt;
*初完投勝利：1989年8月15日、対[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]19回戦（[[川崎球場]]）、9回2失点&lt;br /&gt;
;節目の記録&lt;br /&gt;
*500試合登板：1988年5月11日、対横浜大洋ホエールズ4回戦（横浜スタジアム）、8回裏に3番手で救援登板、1/3回無失点　※史上60人目&lt;br /&gt;
*600試合登板：1992年8月5日、対[[阪神タイガース]]15回戦（明治神宮野球場）、7回表2死に3番手で救援登板、1/3回無失点　※史上28人目&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 背番号 ===&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;11&#039;&#039;&#039; （1978年、1981年 - 1989年途中）&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;45&#039;&#039;&#039; （1978年、1992年）&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;12&#039;&#039;&#039; （1979年 - 1980年）&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;23&#039;&#039;&#039; （1989年途中 - 1991年）&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;76&#039;&#039;&#039; （1995年）&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;&#039;72&#039;&#039;&#039; （1997年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 登録名 ===&lt;br /&gt;
*&#039;&#039;&#039;角 三男&#039;&#039;&#039; （すみ みつお、1978年 - 1987年）&lt;br /&gt;
*&#039;&#039;&#039;角 光雄&#039;&#039;&#039; （すみ みつお、1988年 - 1989年）&lt;br /&gt;
*&#039;&#039;&#039;角 盈男&#039;&#039;&#039; （すみ みつお、1990年 - ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連情報 ==&lt;br /&gt;
=== 出演 ===&lt;br /&gt;
; CM&lt;br /&gt;
* アクタス・スポーツドリンク（[[明治乳業]]、1983年頃）&lt;br /&gt;
* [[サンテオレ|明治サンテオレ]]&lt;br /&gt;
; ラジオ&lt;br /&gt;
* [[ニッポン放送ショウアップナイター]]（[[ニッポン放送]] - 専属解説者）&lt;br /&gt;
* [[スポーツミュージアム]]（[[かしわプロダクション]]）&lt;br /&gt;
; テレビ&lt;br /&gt;
* [[かりん (テレビドラマ)|かりん]]（[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]）&lt;br /&gt;
* [[MXスタジアム]]（[[東京メトロポリタンテレビジョン|東京MXテレビ]] - 解説者）&lt;br /&gt;
* [[午後は○○おもいッきりテレビ]]（[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]）&lt;br /&gt;
* [[土曜スペシャル]]（[[テレビ東京]] - [[妻]]と出演。）&lt;br /&gt;
* [[ラーメンスタジアム (テレビ番組)|ラーメンスタジアム]]（[[テレビ埼玉|テレ玉]] - 全国の[[ラーメン]]店を巡る[[食通|グルメ]]番組。[[レギュラー]]出演。）&lt;br /&gt;
* [[徳光のTVコロンブス]]（テレビ東京）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[鳥取県出身の人物一覧]]&lt;br /&gt;
* [[読売ジャイアンツの選手一覧]]&lt;br /&gt;
* [[北海道日本ハムファイターズの選手一覧]]&lt;br /&gt;
* [[東京ヤクルトスワローズの選手一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.sumimitsuo.com/index.php 角 盈男 オフィシャルサイト]&lt;br /&gt;
* [http://sumimitsuo.cocolog-nifty.com/ 角 盈男 オフィシャルブログ 和]&lt;br /&gt;
* [http://www.sumikw.com/ SUMI健康ワールド]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{太田プロダクション}}&lt;br /&gt;
{{Navboxes|title=業績&lt;br /&gt;
|list1=&lt;br /&gt;
&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{セントラル・リーグ新人王}}&lt;br /&gt;
{{セントラル・リーグ最多セーブ投手|最優秀救援投手}}&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{読売ジャイアンツ1976年ドラフト指名選手}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:すみ みつお}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の野球選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:三菱重工三原硬式野球部の選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:最多セーブ投手及び最優秀救援投手 (NPB)]]&lt;br /&gt;
[[Category:セントラル・リーグ最優秀新人 (NPB)]]&lt;br /&gt;
[[Category:野球指導者]]&lt;br /&gt;
[[Category:野球解説者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロサンゼルス・エンゼルス関連人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のタレント]]&lt;br /&gt;
[[Category:太田プロダクション]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去の浅井企画所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:鳥取県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1956年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>218.42.153.39</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0&amp;diff=99428</id>
		<title>カート・シリング</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0&amp;diff=99428"/>
		<updated>2014-02-06T13:27:45Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;218.42.153.39: /* 獲得タイトル・表彰・記録 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox baseball player&lt;br /&gt;
|選手名             = カート・シリング&lt;br /&gt;
|英語表記           = Curt Schilling&lt;br /&gt;
|所属球団           = &lt;br /&gt;
|背番号             = &lt;br /&gt;
|選手写真ファイル名 = SchillingNew.JPG&lt;br /&gt;
|写真サイズ         = 250&lt;br /&gt;
|写真のコメント     = &lt;br /&gt;
|国籍               = {{USA}}&lt;br /&gt;
|出身地             = [[アラスカ州]][[アンカレッジ]]&lt;br /&gt;
|生年月日           = {{生年月日と年齢|1966|11|14}}&lt;br /&gt;
|没年月日           = &lt;br /&gt;
|身長               = {{フィートとcm (身長用変換)|6|5}}&lt;br /&gt;
|体重               = {{ポンドとkg (体重用変換)|235}}&lt;br /&gt;
|利き腕             = 右&lt;br /&gt;
|打席               = 右&lt;br /&gt;
|守備位置           = [[投手]]&lt;br /&gt;
|プロ入り年度       = 1986年&lt;br /&gt;
|ドラフト順位       = ドラフト2巡目&lt;br /&gt;
|初出場             = 1988年9月8日&lt;br /&gt;
|最終出場           = 2007年9月25日&lt;br /&gt;
|年俸               =&lt;br /&gt;
|経歴               = &amp;lt;nowiki&amp;gt;&amp;lt;/nowiki&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[ボルティモア・オリオールズ]]（1988 - 1990）&lt;br /&gt;
*[[ヒューストン・アストロズ]]（1991）&lt;br /&gt;
*[[フィラデルフィア・フィリーズ]]（1992 - 2000）&lt;br /&gt;
*[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]（2000 - 2003）&lt;br /&gt;
*[[ボストン・レッドソックス]]（2004 - 2007）&lt;br /&gt;
|選出国 = &lt;br /&gt;
|選出年 = &lt;br /&gt;
|得票率 = &lt;br /&gt;
|選出方法 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;カーティス・モンタギュー・シリング&#039;&#039;&#039;（&#039;&#039;&#039;Curtis Montague Schilling&#039;&#039;&#039;, [[1966年]][[11月14日]] - ）は、[[MLB]]の元選手。ポジションは[[投手]]。[[アメリカ合衆国]][[アラスカ州]][[アンカレッジ]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
シャドウ・マウンテン高校を卒業後、[[アリゾナ州]][[プレスコット (アリゾナ州)|プレスコット]]のヤバパイ短期大学に進学。1985年のJUCOワールドシリーズ制覇に貢献した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== キャリア初期 ===&lt;br /&gt;
{{by|1986年}}1月の[[MLBドラフト]]で[[ボストン・レッドソックス]]から2巡目に指名を受け入団。{{by|1988年}}[[7月29日]]に[[マイク・ボディッカー]]との交換トレードで、[[ブレイディ・アンダーソン]]と共に[[ボルティモア・オリオールズ]]に移籍し、[[9月7日]]の古巣レッドソックス戦でメジャーデビュー。目立った成績は残せず、ブロンドの髪に青いラインを入れたため保守的な[[フランク・ロビンソン]]監督を怒らせた、ということ位でしか知られていない存在だった&amp;lt;ref name=slugger&amp;gt;Tyler Kepner / [[ニューヨーク・タイムズ|New York Times]] 「カート・シリング&amp;amp;ジョシュ・ベケットの師弟関係 &amp;quot;悪ガキ&amp;quot; から &amp;quot;エース&amp;quot; へ」 [[吉藤宗弘]]訳、『月刊スラッガー』99号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2006年、雑誌15509-7、10-13頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{by|1990年}}は6月末にメジャーに昇格。リリーフとして登板し初勝利も挙げるが、セーブ失敗が6度もあった。{{by|1991年}}[[1月10日]]に[[グレン・デービス (野球)|グレン・デイヴィス]]との交換トレードで、[[スティーヴ・フィンリー]]らと共に[[ヒューストン・アストロズ]]に移籍。オフに[[ロジャー・クレメンス]]から「君は時間を無駄にしている」と2時間に及ぶ大説教を受けた。今までのやり方ではダメだと気付き、それまでとは「全く違うアプローチ、視点、態度でゲームに臨む」ようになった&amp;lt;ref name=slugger/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== フィラデルフィア・フィリーズ ===&lt;br /&gt;
{{by|1992年}}[[4月2日]]にトレードで[[フィラデルフィア・フィリーズ]]に移籍。当初はリリーフでの起用だったが、5月途中から先発に転向し、[[6月8日]]の[[ピッツバーグ・パイレーツ]]戦でメジャー初完封を記録。14勝11敗・防御率2.35、リーグトップのWHIP0.99を記録するなど飛躍。{{by|1993年}}は前半戦で5連敗を喫したが、終盤にかけて7連勝を記録するなど16勝7敗・防御率4.02・186奪三振を記録し、チームの地区優勝に大きく貢献。[[アトランタ・ブレーヴス]]との[[1993年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では第1戦と第5戦に先発し好投するが、共に[[クローザー]]の[[ミッチ・ウィリアムズ]]がセーブに失敗し勝利は付かなかった。チームは4勝2敗で13年ぶりのリーグ優勝を果たし、防御率1.69・19奪三振の活躍が評価されて[[リーグチャンピオンシップシリーズ最優秀選手|シリーズMVP]]に選出された。[[トロント・ブルージェイズ]]との[[1993年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では第1戦に先発し7失点で敗戦投手となるが、第5戦で5安打完封勝利を挙げる。しかし第6戦でウィリアムズが[[ジョー・カーター]]に逆転サヨナラの3点本塁打を浴び、2勝4敗で敗退した。ウィリアムズがマウンドにいる間、白いタオルで顔を覆う姿（これが更にチームメイトの不安を煽った）を何度もカメラに撮られるなど、終始落ち着かない様子だった。{{by|1994年}}は初の[[開幕投手]]を務めるが、勝利なしの7連敗と不調に陥り5月に離脱。7月下旬に復帰後は持ち直したものの[[1994年から1995年のMLBストライキ]]でシーズンが打ち切られ、2勝に終わった。{{by|1995年}}は開幕4連勝を記録するが、[[7月18日]]を最後に故障で離脱し、7勝に留まる。オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となるが再契約。{{by|1996年}}は開幕に間に合わず、5月中旬に復帰。打線の援護がなく9勝10敗だったが防御率3.19、8・9月で2完封を含む7完投を記録するなどリーグ最多の8完投の成績で復活の兆しを見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{by|1997年}}は自身初の[[1997年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に選出される。[[9月1日]]の[[ニューヨーク・ヤンキース]]戦で自己最多の16奪三振を記録。17勝11敗・防御率2.97・319奪三振を記録し、[[最多奪三振 (MLB)|最多奪三振]]のタイトルを獲得。[[サイ・ヤング賞]]の投票では4位に入った。{{by|1998年}}は15勝14敗・防御率3.25・300奪三振・共にリーグ最多の268.2イニング・15完投を記録し、2年連続で最多奪三振を獲得した。{{by|1999年}}は前半戦で13勝4敗・防御率3.13・7完投を記録し、3年連続で[[1999年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に選出されて先発投手を務めた。後半戦は故障もあって2勝に留まり、15勝6敗・防御率3.54の成績だった。自身の活躍とは裏腹にチームは低迷し、次第に不甲斐ないフロントへの不満を口にするようになった。{{by|2000年}}[[7月26日]]に[[ビセンテ・パディーヤ]]他3選手との交換トレードで[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]に移籍。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アリゾナ・ダイヤモンドバックス ===&lt;br /&gt;
移籍後は途中5連敗もあったが、シーズン通算で11勝、リーグ最多の8完投を記録した。{{by|2001年}}は開幕5連勝を記録するなど6月までに12勝を挙げる。[[5月26日]]の[[サンディエゴ・パドレス]]戦では8回途中までパーフェクトに抑えたが、[[ベン・デイヴィス (野球)|ベン・デイヴィス]]がバント安打で出塁し快挙を逃した&amp;lt;ref&amp;gt;この行為が「Unwritten Rules（[[野球の不文律]]）」を破ったとして騒動になった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。22勝6敗・防御率2.98・293奪三振、いずれもリーグ最多の256.2イニング・6完投・37被本塁打を記録し、[[最多勝利 (MLB)|最多勝]]のタイトルを獲得。チームメイトの[[ランディ・ジョンソン]]と合わせて43勝・665奪三振を記録し、チームの地区優勝の原動力となる。ポストシーズンでも活躍は続き、[[セントルイス・カーディナルス]]との[[2001年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第1戦に先発して3安打完封勝利、最終第5戦でも1失点完投勝利を挙げる。ブレーヴスとの[[2001年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では第3戦で12奪三振で1失点完投勝利を挙げ、チームは球団創設4年目でリーグ優勝を果たす。ヤンキースとの[[2001年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では第1戦に先発し、7回1失点で勝利投手。第4戦でも7回1失点と好投するが、クローザーの[[金炳賢]]がセーブに失敗し勝利は付かなかった。最終第7戦では6回まで無失点に抑えるが、その後リードを許し8回途中で降板。チームは9回裏に[[ルイス・ゴンザレス]]のサヨナラ安打で勝利し、史上最速の創設4年目でのワールドチャンピオンとなった。ジョンソンと共に[[ワールドシリーズ最優秀選手|シリーズMVP]]を受賞し、[[スポーツ・イラストレイテッド]]誌の2001年度 &amp;quot;スポーツマン・オブ・ザ・イヤー&amp;quot; にも選ばれた。サイ・ヤング賞の投票ではジョンソンに次ぐ2位。{{by|2002年}}[[4月7日]]の[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]戦では自己最多で毎回の17三振を奪い1安打完封勝利。[[4月23日]]から9連勝を記録するなど前半戦で14勝を挙げ、[[2002年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]で先発投手を務めた。終盤に打ち込まれたが、いずれもジョンソンに次ぐリーグ2位の23勝（7敗）・316奪三振・259.1イニングを記録し、チームは2年連続地区優勝。カーディナルスとの[[2002年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第2戦に先発して7回1失点と好投するが勝敗は付かず、チームは3連敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票では前年に続いてジョンソンに次ぐ2位に入る。{{by|2003年}}は[[虫垂炎]]を患い[[4月19日]]に手術、[[5月30日]]のパドレス戦で打球を右手に受けて骨折。7月に復帰後も左膝の痛みを抱えながらプレイする等故障に泣いた。6月末には審判技術向上のため導入されていた[[クエステック・システム]]の監視カメラを[[バット (野球)|バット]]で破壊。これは非難されるべき行為には違いないが、「あんなカメラに左右されるなんて、冗談じゃない。これまでストライクとコールされた球が、ボールになる。しかもスタジアムにカメラが有る無しでコールも変わる。最悪のシステムだ」という主張は、同システムに不満を感じていた一部のメジャーリーグ関係者から強い支持を集めた&amp;lt;ref&amp;gt;[[木本大志]] 「[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/column/200306/0617kimo_01.html 『ICHIRO REPORT 3年目の真実』 VOL.7 Ques Tec System　メジャーが導入を急ぐ判定監視システムとは？]」 『[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/ スポーツナビ]』、2003年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。防御率2.95・194奪三振を記録したものの8勝9敗に終わった。オフに球団との契約延長交渉が財政難のため決裂し、球団は移籍を容認&amp;lt;ref name=&amp;quot;maj200402a&amp;quot;&amp;gt;[[ナガオ勝司]] 「カート・シリング／37歳エースの男気。」『[[月刊メジャー・リーグ]]』2004年2月号、[[ベースボールマガジン]]社、2004年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-2、8 - 13項。&amp;lt;/ref&amp;gt;。当初はフィリーズかヤンキースへ移籍と言われたが、フィリーズ時代に絶大な信頼関係を築いた[[テリー・フランコーナ]]がレッドソックス新監督の有力候補となってからは事態が一転し&amp;lt;ref&amp;gt;[[嶋田剛司]] 「テリー・フランコーナ／新監督の十字架。」『[[月刊メジャー・リーグ]]』2004年2月号、[[ベースボールマガジン]]社、2004年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-2、20 - 23項。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;maj200402a&amp;quot;/&amp;gt;、[[11月28日]]に[[ブランドン・ライオン]]、[[ケイシー・フォッサム]]、[[ホルヘ・デラロサ]]他1選手との交換トレードで移籍。ダイヤモンドバックスとの契約が2004年まで残っていたが、{{by|2005年}}から2年2500万ドル（3年目は1300万ドルのオプション）で契約を延長した&amp;lt;ref name=&amp;quot;maj200402a&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ボストン・レッドソックス ===&lt;br /&gt;
移籍1年目の{{by|2004年}}は前半戦で11勝を挙げ、2年ぶりに[[2004年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に選出される。[[9月16日]]の[[タンパベイ・デヴィルレイズ]]戦で勝利投手となり、{{by|1978年}}の[[デニス・エカーズリー]]以来、球団史上5人目の入団初年度での20勝を達成。21勝6敗・防御率3.26・203奪三振を記録し、チームの[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]獲得に貢献。[[アナハイム・エンゼルス]]との[[2004年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第1戦に先発し勝利投手となるが、右足首の腱を断裂する怪我を負う。ヤンキースとの[[2004年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では第1戦に先発するが、痛みから本来の投球ができず、3回6失点で敗戦投手となる。球団の医療スタッフは、痛めた足首の周囲の皮膚を縫い付けて断裂した腱が動かないようにする[[応急処置]]を敢行する。当時の報道によればこのような処置はそれまで誰もやったことがなく、有効性を確かめるために医療解剖用の死体を使ってリハーサルを行ったという。第6戦では7回1失点と好投して勝利投手となり、史上初めて3連敗からタイに持ち込んだが、試合終盤には縫合部分から出血し、靴下が血に染まった。以後は先発の前日に足の皮膚を縫い合わせ、登板が終わったら抜糸、を繰り返した（縫い付けたままでは患部が化膿する恐れがあるため）&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2004-10-20|url=http://www.redorbit.com/news/oddities/95850/cadaver_used_to_help_fix_schillings_ankle/|title=Cadaver used to help fix Schillings ankle|language=英語|accessdate=2008-05-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。チームは最終第7戦も勝利して18年ぶりのリーグ優勝を果たす。カーディナルスとの[[2004年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では第2戦に先発し、靴下を血に染めながら7回を4安打1失点と好投して勝利投手。チームは4連勝で{{by|1918年}}以来86年ぶりのワールドチャンピオンとなり、[[ボストン・レッドソックス#バンビーノの呪い|バンビーノの呪い]]を打ち破った。シリングの&#039;&#039;&#039;血染めのソックス&#039;&#039;&#039;は[[アメリカ野球殿堂|野球殿堂]]に展示されることになった。サイ・ヤング賞の投票では満票で受賞した[[ヨハン・サンタナ]]に次ぐ2位に入り、チーム全体でスポーツ・イラストレイテッド誌の2004年度スポーツマン・オブ・ザ・イヤーを受賞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{by|2005年}}は前年の故障の影響で開幕に間に合わず、復帰後も不本意な投球で再び[[故障者リスト]]入り。7月に復帰した後はクローザーとして9セーブを記録し、8月下旬からは先発に戻る。チームは惜しくも地区優勝を逃すがワイルドカードを獲得。[[シカゴ・ホワイトソックス]]との[[2004年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では3連敗で敗退。第4戦で先発予定だったため登板機会は無かった。{{by|2006年}}は開幕から4試合で4勝・防御率1.61を記録し、引退が近いのではという声も退けた。[[5月27日]]のデヴィルレイズ戦で史上104人目の通算200勝を達成。[[8月30日]]の[[オークランド・アスレティックス]]戦では[[ニック・スウィッシャー]]から三振を奪い、通算[[3000奪三振クラブ|3000奪三振]]に到達。与四球1000以下での達成は[[ファーガソン・ジェンキンス]]、[[グレッグ・マダックス]]に次ぐ史上3人目となった。直後に故障で離脱するが15勝7敗・防御率3.97・183奪三振を記録した。{{by|2007年}}1月にデニス・アンド・カラハンというラジオ番組に出演し、2007年シーズンで引退する意思がないことを表明した。契約延長を申し出るも、球団は年齢、体調などを理由にシーズンの終了まで交渉を拒否。それに対し、球団が独占交渉権を持つワールドシリーズ終了後の15日間に交渉を行うつもりはないと発言した。{{by|2007年}}[[6月7日]]のアスレティックス戦では9回2死まで失策の走者1人に抑えるも、[[シャノン・スチュワート]]に95マイルの速球をライトへ打たれ、後一歩でノーヒットノーランを逃した。その後2度の先発で打ち込まれ、[[7月20日]]に肩のMRI検査を受けて故障者リスト入り。9勝に留まるが、チームは12年ぶりの地区優勝を果たす。エンゼルスとの[[2007年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第3戦に先発し、7回無失点で勝利投手。[[クリーヴランド・インディアンズ]]との[[2007年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では第2戦に先発し5回途中5失点で降板するが、第6戦は7回2失点と好投して勝利投手となり、チームは3年ぶりのリーグ優勝。[[コロラド・ロッキーズ]]との[[2007年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では第3戦に先発し、6回途中1失点で勝利投手となり、3年ぶりのワールドチャンピオンに貢献した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オフにフリーエージェントとなり、2年3,000万ドルを提示した球団もあったが&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2008|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008|publisher=廣済堂出版|pages=39項|id=ISBN 978-4-331-51300-2}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、1年800万ドルで残留。{{by|2008年}}[[3月13日]]、状態の思わしくなかった右肩のリハビリのため、60日間の故障者リスト入りした。本人は手術を希望したが、球団はまずリハビリすることを望んだ。復帰はオールスター明けとみられていたが&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2008-03-13|url=http://www.sportsline.com/mlb/story/10706812|title=Red Sox&#039;s Schilling, out until All-Star break, goes on 60-day DL|language=英語|accessdate=2008-03-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;結局6月に手術を行い、終盤に復帰するのではと言われたが、1試合も登板することなくシーズンを終えた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sul200901&amp;quot;/&amp;gt;。チームはワイルドカードでポストシーズンに進出。[[タンパベイ・レイズ]]との[[2008年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]第5戦で[[始球式]]を務めたが、投球はホームベースのかなり手前でワンバウンド。レッドソックスファンのブログでは、「The 8 Million Dollar First Pitch（800万ドルの始球式）」と揶揄され&amp;lt;ref name=&amp;quot;sul200901&amp;quot;&amp;gt;「2008プレーオフ総集編 ALCS ア・リーグ・チャンピオンシップシリーズ レイズ対レッドソックス」『[[スラッガー (雑誌)|月刊スラッガー]]』2009年1月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2009年、雑誌15509-1、56頁&amp;lt;/ref&amp;gt;、チームは3勝4敗で敗退した。{{by|2009年}}[[3月23日]]に自身のブログで「パーティーは終わりだ。23年間のプロ生活で世界一のファンからいろんな場所で祝福を受けてきて、引退には何の後悔もない」と現役引退を表明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://bugsandcranks.com/38pitches/sports/boston/baseball/curt-schilling/general/calling-it-quits/ |title=Calling it quits |author= |publisher=38pitches  |accessdate=2009年3月24日 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20090323&amp;amp;content_id=4052274&amp;amp;vkey=news_mlb&amp;amp;fext=.jsp&amp;amp;c_id=mlb |title=Schilling announces his retirement Right-hander won Series games for Phillies, D-backs, Red Sox |author= |publisher=MLB.com  |accessdate=2009年3月24日 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 殿堂得票 ===&lt;br /&gt;
2013年に最初の得票が行われたが、1年目の得票率は38.8％で落選した&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.baseball-reference.com/awards/hof_2013.shtml&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 薬物使用勧誘告発 ===&lt;br /&gt;
2008年のレッドソックス在籍時に、球団関係者から禁止薬物の使用を勧められたとレッドソックスを告発した。本人は手術を希望し、球団はリハビリすることを望んだが（先述）、その際にリハビリの一環として運動能力向上薬の使用を勧められたという&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.sanspo.com/baseball/news/20130208/mlb13020815390003-n1.html&amp;lt;/ref&amp;gt;事実を2013年2月7日に[[ESPN]]が報じた。結果的には禁止薬物の使用を断り&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.sanspo.com/baseball/news/20130208/mlb13020815390003-n1.html&amp;lt;/ref&amp;gt;手術を受けたが、復帰できずに引退となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 選手としての特徴 ==&lt;br /&gt;
90mph台後半の[[フォーシーム・ファストボール|フォーシーム]]と[[スプリットフィンガード・ファストボール|スプリッター]]が最大の武器で、他にも鋭く落ちる[[カーブ (球種)#ドロップカーブ|縦のカーブ]]や[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[チェンジアップ]]を投げた。速球のスピードには幅があり、98mph（約158km/h）を計時することもあれば、特に左打者に対して88mph（約142km/h）程度の遅い球を投げる時もあった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sr200212&amp;quot;&amp;gt;スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2002年12月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、34-37頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。決め球のスプリッターは80mph台後半の球速を誇った&amp;lt;ref name=&amp;quot;sr200212&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;。30代中盤以降は抜群の制球力を身につけ、2001年からの通算与四球率は1.40と驚異的な数値を記録しており、どの球種でもコンスタントにストライクを取ることができた&amp;lt;ref name=&amp;quot;sr200212&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
若い頃は「君は頭が悪いんだってね」という問いに対し、「その通りだ」と答えるなど『パーティ・アニマル』と呼ばれるほど思慮が足りない選手であった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sr200203&amp;quot;&amp;gt;スペシャル・ストーリー/カート・シリング『月刊スラッガー』2002年3月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-3、34-39頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし30歳を越えた辺りから膨大なメモとノートパソコンに蓄積したデータを用いた打者の分析や、自軍の野手の守備位置の研究などの徹底した準備を行うようになり、試合前にはコーチや選手を集めて打者一人一人に対する守備位置の確認を行い、「この打者に対しては2ストライクで守備位置を変えてほしい」などという要求まで出し、試合中でもマウンドから守備位置変更の指示を出すこともあった&amp;lt;ref name=&amp;quot;sr200203&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;。ダイヤモンドバックス時代にチームメイトだった[[ルイス・ゴンザレス (外野手)|ルイス・ゴンザレス]]は「こっちには何のことだか…なんてことが多いが、彼は自分が何をやっているかをしっかりと分かっている。だから彼の言う通りにしたのにやられた、なんて時は側にやって来て『気にするな。間違ったのは俺だ』って言うんだよ」と語っている&amp;lt;ref name=&amp;quot;sr200203&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
気迫溢れるプレーを信条とし、[[日本]]のマスコミからは敬愛をこめて「マウンドの鬼」と称されたこともある一方で慈善事業にも積極的で、[[筋萎縮性側索硬化症]]（ALS）の研究を支援しており、奪三振数に応じて毎年寄付を行っている。人気クイズ番組「&#039;&#039;Jeopardy!&#039;&#039;」（2006年11月9日放送）に出演した際は獲得した25,000ドルをチャリティへ寄付し、2004年のプレイオフでは、足首の手術を受けた後（カメラが足によく向かうのを知りつつ）シューズに &amp;quot;K ALS&amp;quot; （Kは三振の意）と書いた。2006年オフにレッドソックス移籍が決まった[[岡島秀樹]]と[[松坂大輔]]のために[[日本語]]を少し学び始めた&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.boston.com/sports/baseball/redsox/articles/2006/12/10/francona_awaiting_more_gifts/&amp;lt;/ref&amp;gt;。海外での[[ウィンターリーグ]]の経験から、周りで全く分からない言葉を喋られる事がいかに気持ちの良くないものであるかを知っているため、少しでもそれを軽くするようにチームメートが努力をしてやるのが最高の解決方法だと語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ゲーム ===&lt;br /&gt;
ボードゲーム／コンピューターゲームのファンとして知られ、「nerd（オタク）」を自認している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.gametrailers.com/gametrailerstv_player.php?ep=8&amp;amp;ch=1&amp;amp;sd=0 ]&amp;lt;/ref&amp;gt;。特に戦術級ウォーゲーム[[アドバンスト・スコードリーダー]]（Advanced Squard Leader / ASL）の根強いファンである。例年開催されるASLオクトーバーフェストに参加出来なかった時には、その無念さから自らの資金でASLオープンを創設した。その第1回は1993年1月15日に[[テキサス州]][[ヒューストン]]で開催された。また同ゲームのための「Fire for Effect」というアマチュア隔月雑誌も刊行していた。発売元の[[アバロンヒル]]（Avalon Hill）が倒産して[[ハズブロ]]社に買収された際にはASL部門を買い取り、[[マルチマン・パブリッシング]]社を設立し、ゲームの再版や新シナリオの販売などを手がけている。また新雑誌「ASL Journal」を創刊し、記事やゲームシナリオを提供している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[エバークエスト]]、[[エバークエスト2]]の大ファンとしても広く知られている。エバークエスト2の開発者がシリングに特別のキャラクターを作成し、2006年6月5日から7日までの3日間、ファンはそのバーチャルのカート・シリングと対戦する事ができた。このバーチャル・シリングが倒されるごとに[[ソニーオンラインエンタテインメント]]社から5ドルがASL研究に寄付されたが、これもシリングの思いつきからである。その他PCゲーマー誌上で2つの拡張パックのレビューをしたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2006年にゲーム会社グリーンモンスターゲームズを創設した（のちに自身の背番号から38スタジオと改名）が、2012年6月に38スタジオは[[破産]]し、自身も無一文になってしまったという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://japan.cnet.com/news/offtopic/35018610/ 元メジャーリーグ投手、設立したゲーム会社38 Studiosの破産で一文無しに] [[CNET Japan]] [[2012年]][[6月29日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 獲得タイトル・表彰・記録 ==&lt;br /&gt;
*[[最多勝利 (MLB)|最多勝]] 2回：2001年, 2004年&lt;br /&gt;
*[[最多奪三振 (MLB)|最多奪三振]] 2回：1997年, 1998年&lt;br /&gt;
*[[リーグチャンピオンシップシリーズMVP]] 1回：1993年&lt;br /&gt;
*[[ワールドシリーズMVP]] 1回：2001年&lt;br /&gt;
*[[MLBオールスターゲーム]]選出 6回：1997年 - 1999年, 2001年, 2002年, 2004年&lt;br /&gt;
*[[ルー・ゲーリッグ賞]] 1回：1995年&lt;br /&gt;
*[[ロベルト・クレメンテ賞]] 1回：2001年&lt;br /&gt;
*[[ハッチ賞]] 1回：2001年&lt;br /&gt;
*[[ベーブ・ルース賞]] 1回：2001年&lt;br /&gt;
*[[プレイヤーズ・チョイス・アワーズ]]優秀投手 2回：2001年、2002年&lt;br /&gt;
*[[ピッチャー・オブ・ザ・マンス]] 4回：1999年5月、2001年5月、2002年5月・7月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 年度別投手成績 ==&lt;br /&gt;
{|{{投手成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1988}}&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;3&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|[[ボルチモア・オリオールズ|BAL]]&lt;br /&gt;
|4||4||0||0||0||0||3||0||--||.000||76||14.2||22||3||10||1||1||4||2||0||19||16||9.82||2.18&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1989}}&lt;br /&gt;
|5||1||0||0||0||0||1||0||--||.000||38||8.2||10||2||3||0||0||6||1||0||6||6||6.23||1.50&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1990}}&lt;br /&gt;
|35||0||0||0||0||1||2||3||--||.333||191||46.0||38||1||19||0||0||32||0||0||13||13||2.54||1.24&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1991}}&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|[[ヒューストン・アストロズ|HOU]]&lt;br /&gt;
|56||0||0||0||0||3||5||8||--||.375||336||75.2||79||2||39||7||0||71||4||1||35||32||3.81||1.56&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1992}}&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;9&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|[[フィラデルフィア・フィリーズ|PHI]]&lt;br /&gt;
|42||26||10||4||4||14||11||2||--||.560||895||226.1||165||11||59||4||1||147||4||0||67||59||2.35||&#039;&#039;&#039;0.99&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1993}}&lt;br /&gt;
|34||34||7||2||0||16||7||0||--||.696||982||235.1||234||23||57||6||4||186||9||3||114||105||4.02||1.24&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1994}}&lt;br /&gt;
|13||13||1||0||0||2||8||0||--||.200||360||82.1||87||10||28||3||3||58||3||1||42||41||4.48||1.40&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1995}}&lt;br /&gt;
|17||17||1||0||1||7||5||0||--||.583||473||116.0||96||12||26||2||3||114||0||1||52||46||3.57||1.05&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1996}}&lt;br /&gt;
|26||26||&#039;&#039;&#039;8&#039;&#039;&#039;||2||&#039;&#039;&#039;4&#039;&#039;&#039;||9||10||0||--||.474||732||183.1||149||16||50||5||3||182||5||0||69||65||3.19||1.09&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1997}}&lt;br /&gt;
|35||&#039;&#039;&#039;35&#039;&#039;&#039;||7||2||&#039;&#039;&#039;4&#039;&#039;&#039;||17||11||0||--||.607||1009||254.1||208||25||58||3||5||&#039;&#039;&#039;319&#039;&#039;&#039;||5||1||96||84||2.97||1.05&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1998}}&lt;br /&gt;
|35||&#039;&#039;&#039;35&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;15&#039;&#039;&#039;||2||1||15||14||0||--||.517||&#039;&#039;&#039;1089&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;268.2&#039;&#039;&#039;||236||23||61||3||6||&#039;&#039;&#039;300&#039;&#039;&#039;||12||0||101||97||3.25||1.11&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|1999}}&lt;br /&gt;
|24||24||8||1||1||15||6||0||0||.714||735||180.1||159||25||44||0||5||152||4||0||74||71||3.54||1.13&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|2000}}&lt;br /&gt;
|16||16||4||1||0||6||6||0||0||.500||474||112.2||110||17||32||4||1||96||4||0||49||49||3.91||1.26&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;5&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス|ARI]]&lt;br /&gt;
|13||13||4||1||1||5||6||0||0||.455||388||97.2||94||10||13||0||0||72||0||0||41||40||3.69||1.10&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;background-color:#f2f2f2&amp;quot;&lt;br /&gt;
!style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|&#039;00計&lt;br /&gt;
|29||29||&#039;&#039;&#039;8&#039;&#039;&#039;||2||1||11||12||0||0||.478||862||210.1||204||27||45||4||1||168||4||0||90||89||3.81||1.18&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|2001}}&lt;br /&gt;
|35||&#039;&#039;&#039;35&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;6&#039;&#039;&#039;||1||&#039;&#039;&#039;2&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;22&#039;&#039;&#039;||6||0||0||.786||&#039;&#039;&#039;1021&#039;&#039;&#039;||&#039;&#039;&#039;256.2&#039;&#039;&#039;||237||&#039;&#039;&#039;37&#039;&#039;&#039;||39||0||1||293||4||0||86||85||2.98||1.08&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|2002}}&lt;br /&gt;
|36||35||5||1||&#039;&#039;&#039;2&#039;&#039;&#039;||23||7||0||0||.767||1017||259.1||218||29||33||1||3||316||6||0||95||93||3.23||&#039;&#039;&#039;0.97&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|2003}}&lt;br /&gt;
|24||24||3||2||&#039;&#039;&#039;2&#039;&#039;&#039;||8||9||0||0||.471||673||168.0||144||17||32||2||3||194||4||0||58||55||2.95||1.05&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|2004}}&lt;br /&gt;
|rowspan=&amp;quot;4&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|[[ボストン・レッドソックス|BOS]]&lt;br /&gt;
|32||32||3||0||1||&#039;&#039;&#039;21&#039;&#039;&#039;||6||0||0||&#039;&#039;&#039;.778&#039;&#039;&#039;||910||226.2||206||23||35||0||5||203||3||0||84||82||3.26||1.06&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|2005}}&lt;br /&gt;
|32||11||0||0||0||8||8||9||0||.500||418||93.1||121||12||22||0||3||87||1||1||59||59||5.69||1.53&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|2006}}&lt;br /&gt;
|31||31||0||0||0||15||7||0||0||.682||834||204.0||220||28||28||1||3||183||1||0||90||90||3.97||1.22&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;|{{by2|2007}}&lt;br /&gt;
|24||24||1||1||1||9||8||0||0||.529||633||151.0||165||21||23||1||2||101||0||0||68||65||3.87||1.25&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|通算：20年&lt;br /&gt;
|569||436||83||20||24||216||146||22||0||.597||13284||3261.0||2998||347||711||43||52||3116||72||8||1318||1253||3.46||1.14&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
* 2008年度シーズン終了時&lt;br /&gt;
* 各年度の&#039;&#039;&#039;太字&#039;&#039;&#039;はリーグ最高&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{Reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Curt Schilling}}&lt;br /&gt;
* [http://www.38pitches.com/ カート・シリング公式ブログ（英語）]&lt;br /&gt;
{{MLBstats |mlb=121811 |espn=2112 |br=s/schilcu01 |fangraphs=73&amp;amp;position=P |cube=S/Curt-Schilling}}&lt;br /&gt;
* [http://www.multimanpublishing.com/index1.php Multi-Man Publishing company website]&lt;br /&gt;
{{Navboxes|title=獲得タイトル・記録&lt;br /&gt;
|list1=&lt;br /&gt;
&amp;lt;/span&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{ナショナルリーグ最多勝投手}}&lt;br /&gt;
{{アメリカンリーグ最多勝投手}}&lt;br /&gt;
{{ナショナルリーグ最多奪三振}}&lt;br /&gt;
{{ワールドシリーズMVP}}&lt;br /&gt;
{{ナショナルリーグチャンピオンシップシリーズMVP}}&lt;br /&gt;
{{ベーブ・ルース賞}}&lt;br /&gt;
{{ルー・ゲーリッグ賞}}&lt;br /&gt;
{{ロベルト・クレメンテ賞}}&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{3000奪三振クラブ}}&lt;br /&gt;
{{2001 アリゾナ・ダイヤモンドバックス}}&lt;br /&gt;
{{2004 ボストン・レッドソックス}}&lt;br /&gt;
{{2007 ボストン・レッドソックス}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しりんく かと}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:ドイツ系アメリカ人の野球選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:ボルチモア・オリオールズの選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヒューストン・アストロズの選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:フィラデルフィア・フィリーズの選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:アリゾナ・ダイヤモンドバックスの選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:ボストン・レッドソックスの選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:最多勝利 (MLB)]]&lt;br /&gt;
[[Category:最多奪三振 (MLB)]]&lt;br /&gt;
[[Category:MLBオールスターゲーム選出選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:ワールドシリーズMVP]] &lt;br /&gt;
[[Category:オランダ系アメリカ人]]&lt;br /&gt;
[[CAtegory:アンカレッジ出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1966年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>218.42.153.39</name></author>
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