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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-10-29T00:50:26Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E7%A4%BE%E5%85%B1%E5%85%B1%E9%97%98&amp;diff=157413</id>
		<title>社共共闘</title>
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		<updated>2014-02-10T09:16:25Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;202.91.208.124: /* 2000年代以降における社民党と共産党の関係 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&#039;&#039;&#039;社共共闘&#039;&#039;&#039;（しゃきょうきょうとう）とは、1960年代から70年代にかけて日本で、[[日本社会党]]（現在の社会民主党）と[[日本共産党]]の共闘により[[革新]]政権を目指そうとした政治方針である。より幅広く「革新共闘」「[[革新統一]]」とも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
基本的に[[首長]][[選挙]]における協力で、組織協定、候補者協定、政策協定の3本の合意が基本であった。また、妨害勢力を参加させないことを協定のなかで明確にする場合もあった。そのため、[[新左翼]]からは、[[既成左翼]]の呼称で批判された。支持者の量的拡大を目指し、妨害勢力の排除を明記し、突出した闘争を自粛したためである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
目標は、原則として首長選挙の勝利や[[議会]]で多数派を占めることに置かれ、[[武装闘争]]を志向する者は、体制側の挑発者として共闘の対象とはしなかった。たとえば[[成田闘争]]でも、社会党は[[千葉県]][[知事]]と[[紳士協定]]を結び、共産党は[[ニセ「左翼」暴力集団|トロツキスト]]批判をすることで、[[1978年]]の管制塔占拠にいたる闘争からは一線を画していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国政選挙における協力は進まず、[[参議院]][[沖縄県選挙区]]と、[[第11回参議院議員通常選挙|1977年の参議院選挙]]における宮城県選挙区以外は、統一候補はできなかった。そこには、社会党のなかでの、[[社公民路線]]を志向し、共産党との共闘に消極的な流れの存在と、[[向坂逸郎]]を理論的リーダーとする[[社会主義協会]]が共産党と論争をつづけていたことが影響している。社会主義協会は全野党共闘を主張し実質的に社共共闘推進派でもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1977年]]の協会規制により社会党内で右派勢力が台頭したこと、[[1979年]]の[[東京都]][[知事]]選挙で、社共推薦の[[太田薫]]・[[日本労働組合総評議会|総評]]議長が落選したこと、[[1980年]]の社会党と公明党との合意文書のなかで共産党を協議の対象からはずすと明言したことにより、社共共闘は事実上終焉したと言われる。社会党にとって、野党の共闘は[[民社党]]・[[公明党]]を排除するものではなく、両党を併せた&#039;&#039;&#039;全野党共闘&#039;&#039;&#039;を掲げていた。しかし、民社党・公明党は共産排除を求め、また共産党にとっても、[[反共主義|反共]]を掲げる民社党は敵であり、やはり同党の排除を要求していた（共産党は、公明党の母体の[[創価学会]]とは協調を試みた時期もあるが、失敗している。[[日本共産党と創価学会との合意についての協定|創共協定]]参照）。結果、社会党が公民両党の要求を呑んで1980年1月に「[[社公合意]]」が成立し、自社公民[[相乗り]][[オール与党]]体制が確立した後、両者の対立は決定的となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2000年代以降における社民党と共産党の関係 ==&lt;br /&gt;
21世紀にはいり、[[憲法改正論議]]が盛んになっており、社会党の後身である[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]と共産党はいずれも[[日本国憲法第9条]]等の改憲反対を訴えているが、両党とも、国会での議席が単独での[[党首討論]]ができない議席数にとどまっているので、[[護憲]]勢力は不利に陥っている。そのため、同じ護憲派である共社が協力して選挙に臨むべきだとの声が善意の共産党支持者のあいだからも上がっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その中で、[[2006年]][[1月20日]]に共産党の新執行部が社民党に挨拶に行った際に、[[志位和夫]]委員長が「憲法擁護をすすめるうえで両党の協力関係を発展させることを願っている」と発言。これに対し、社民党の[[福島瑞穂]]党首が「院内外での両党の共闘について躊躇いは一切ない」と返答した。こうした経緯で[[1月23日]]、志位委員長は福島党首宛に社共共闘に関する会談の申入書を提出、社民党もこれを歓迎する姿勢を示した。しかし、10月の統一補欠選挙の際に、社民党の[[辻元清美]]代議士は、政策協定も結ばないまま民主党候補の応援にたち、共産党との共闘の意思を示さなかった。また、民主党との憲法問題に対する態度を棚上げにした選挙協力も行われており、護憲の共同は困難であるという見方もある。2007年新年のNHKインタビューで福島党首は、「民主党を右にいかせないため」と、1980年代に公明党と共闘するときに使った言い回しを使用して民主党との選挙協力を推進する意思を示していることも、その見方の根拠になっている。民主党が参議院で第1党となった[[第21回参議院議員通常選挙|2007年の参議院選挙]]の結果をうけて、社民党が呼びかけた野党の会談も、民主党・国民新党との3党の会談であり、最初から共産党は対象に入っていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年に執行された[[第45回衆議院議員総選挙]]において、社民党は民主党との連立を主張して選挙戦に入った。いくつかの小選挙区では、社民党候補を民主党が推し、民主党候補を社民党が推すケースが見られた。選挙の結果、自民党は歴史的な敗北に終わり、民主党主導の政権交代が実現した。これを受け、民主党と社民党は国民新党も加えて正式に連立政権（[[民社国連立政権]]）を発足させた。共産党はこの政権交代に対して、建設的野党の立場を主張し、与党となった社民党とは異なる方向で護憲の立場を貫くことになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近年で共産党が社民党系候補を支援した例は[[徳島県]][[知事]]選での[[大田正]]と[[沖縄市]]長選での[[東門美津子]]のみであり、社民党が共産党系候補を支援した例は党としては無く、[[保坂展人]]が個人的に[[狛江市]]長選で[[矢野裕]]を応援したのみである（組織としては自主投票、社民党支持者として知られる[[石坂啓]]などは[[河西信美|自公民推薦の対立候補]]を支援）。ただし[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]や[[地域政党]]の[[生活者ネットワーク]]などが共産党と共闘する場合、その中間に位置する社民党も（主導権は大きくないものの）加わる場合が多い（東京都の市部に多い。[[武蔵野市]]、[[西東京市]]、[[小平市]]、[[調布市]]など）。この場合は民主党内の旧社会党・[[社会民主連合|社民連]]系の候補を共産党が支援する場合が多く、形を変えた社共共闘とも考えられる。[[2012年東京都知事選挙]]では、共社が共に[[宇都宮健児]]を支持し、都知事選では29年ぶりに共社が同一候補を支援したが、[[猪瀬直樹]]に大敗した。[[2014年東京都知事選挙]]では、共産党はいち早く宇都宮の推薦を決め、社民党は[[細川護熙]]の支援も模索したが、引き続き宇都宮を推薦した。結果は前回より微増したが、やはり[[舛添要一]]に敗れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、かねてより[[新社会党]]から送られていた選挙共闘での窓口設置の申し入れに対して、共産党は、新社会党が党の基本文書のなかで共産党を名指しで批判の対象としていることを理由に[[2006年]][[1月7日]]に「共闘の条件は存在しない」と拒否している。但し、地方の首長選挙においては関西（[[東大阪市]]長選での[[長尾淳三]]、[[大阪府]]知事選での[[梅田章二]]など）を中心に両党が同一の候補を推薦・支持する事例は多い。また、[[長生村]]においては、共産党は新社会党員である[[石井俊雄]]村長への支持を表明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[革新統一]]&lt;br /&gt;
*[[自公民路線]]&lt;br /&gt;
*[[社公民路線]]&lt;br /&gt;
*[[革新自治体]]&lt;br /&gt;
*[[左翼]]&lt;br /&gt;
*[[革新]]&lt;br /&gt;
*[[平和・民主・革新の日本をめざす全国の会]]&lt;br /&gt;
*[[自共共闘]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_123.htm 東京都知事選挙の社会・共産両党「共同闘争の体制についての協定」]&lt;br /&gt;
*[http://www.kakusinkon.org/ 全国革新懇]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{社会民主党}}&lt;br /&gt;
{{日本共産党}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しやきようきようとう}}&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代戦後の政治]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の政治]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本社会党]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本共産党]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>202.91.208.124</name></author>
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