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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>ネロ</title>
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		<updated>2014-06-27T22:46:20Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;126.64.123.107: /* 関連作品 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Otheruses|ローマ皇帝}}&lt;br /&gt;
{{基礎情報 君主&lt;br /&gt;
| 人名       = ネロ&lt;br /&gt;
| 各国語表記 = Nero&lt;br /&gt;
| 君主号     = ローマ皇帝&lt;br /&gt;
| 画像       = Nero pushkin.jpg&lt;br /&gt;
| 画像サイズ = 200px&lt;br /&gt;
| 画像説明   = ネロの頭像&lt;br /&gt;
| 在位       = [[54年]][[10月13日]] - [[68年]][[6月9日]]&lt;br /&gt;
| 戴冠日     = &lt;br /&gt;
| 別号       = &lt;br /&gt;
| 全名       = Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus&lt;br /&gt;
| 出生日     = [[37年]][[12月15日]]&lt;br /&gt;
| 生地       = [[アンツィオ]]&lt;br /&gt;
| 死亡日     = {{死亡年月日と没年齢|37|12|15|68|6|9}}&lt;br /&gt;
| 没地       = [[ローマ]]&lt;br /&gt;
| 埋葬日     = &lt;br /&gt;
| 埋葬地     = [[ローマ]]&lt;br /&gt;
| 継承者     = [[ガルバ]]&lt;br /&gt;
| 継承形式   = 反乱&lt;br /&gt;
| 配偶者1    = [[クラウディア・オクタウィア]]&lt;br /&gt;
| 配偶者2    = [[ポッパエア・サビナ]]&lt;br /&gt;
| 配偶者3    = スタティリア・メッサリナ&lt;br /&gt;
| 子女       = &lt;br /&gt;
| 王家       = &lt;br /&gt;
| 王朝       = [[ユリウス・クラウディウス朝]]&lt;br /&gt;
| 王室歌     = &lt;br /&gt;
| 父親       = [[グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス]]&lt;br /&gt;
| 母親       = [[小アグリッピナ]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[Image:As-Nero-Ara pacis-RIC 0562.jpg|thumb|250px|ネロ帝のアス硬貨（裏面は[[アラ・パキス]]）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス&#039;&#039;&#039;（{{Lang-la-short|Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus}}、[[37年]][[12月15日]] - [[68年]][[6月9日]]）または&#039;&#039;&#039;ネロ・クラウディウス・カエサル・ドルスス・ゲルマニクス&#039;&#039;&#039; (Nero Claudius Caesar Drusus Germanicus) は[[ローマ帝国]]の第5代[[ローマ皇帝|皇帝]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 誕生から即位まで ===&lt;br /&gt;
[[37年]]、[[小アグリッピナ]]と[[グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス]]の息子として生まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父は[[マルクス・アントニウス]]と[[小オクタウィア]]の娘[[大アントニア]]と[[ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前16年の執政官)|ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス]]の息子であり、母は初代皇帝[[アウグストゥス]]の孫[[大アグリッピナ]]と[[ゲルマニクス]]の娘であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生まれた時の名前は&#039;&#039;&#039;ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス&#039;&#039;&#039; (Lucius Domitius Ahenobarbus) である（しかしながら、以下混同を避けるため「ネロ」の名称で通す）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父グナエウスが40年に死去。41年に[[カリグラ]]が帝位に就くが、間も無く、カリグラによって母[[小アグリッピナ]]は[[ユリア・リウィッラ]]と共に追放される。父グナエウスの遺産はカリグラに没収され、ネロは叔母の[[ドミティア・レピダ]]のもとで育てられた。その3年後カリグラ暗殺により、伯父の[[クラウディウス]]が擁立され第4代ローマ皇帝となると、彼によって小アグリッピナはローマに戻る事を許された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
クラウディウスには皇后[[メッサリナ]]と後継者の[[ブリタンニクス]]がいたが、[[48年]]にメッサリナが[[ガイウス・シリウス]]との重婚及び反逆罪に問われると、その後妻として[[小アグリッピナ]]がクラウディウスの皇妃の座に納まった。母の計略により、ネロはクラウディウスの継子から養子となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時点で名前が&#039;&#039;&#039;ネロ・クラウディウス・カエサル・ドルースス&#039;&#039;&#039;となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
皇帝クラウディウスの側近パッラスや母の采配により、クラウディウスの娘オクタヴィアとの婚姻が成立。ブリタンニクスは徐々に疎外され、ネロの存在が際立つようになる。そして年少のブリタンニクスよりも後継者に相応しいとさえ見られるようになり、ブリタンニクスの先に王位につける確約を得た。[[54年]]にクラウディウスが死ぬと、ネロが皇帝に即位した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 皇帝ネロ ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Neroandseneca.jpg|thumb|240px|セネカとネロ（左）。コルドバの像]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Nero 1.JPG|thumb|150px|ネロ]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- [[ファイル:Château de Versailles, galerie des glaces, buste d&#039;empereur romain 05 (Néron ?).jpg|reft|150px|left|ネロ]] ファイル名が「Néron ?」（ネロ？）とされているので、コメントアウトします。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[ファイル:RemorsodeNero.jpg|thumb|『The Remorse of the Emperor Nero after the Murder of his Mother』[[ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス]]作（1878年）。母を謀殺した後の皇帝ネロ。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネロの治世初期は、[[家庭教師]]でもあった哲学者[[ルキウス・アンナエウス・セネカ]]や[[プラエフェクトゥス・プラエトリオ|近衛長官]]であった[[セクストゥス・アフラニウス・ブッルス]]の補佐を受け、名君の誉れが高かった。しかし数年後にはネロとその周囲の人間（母と側近2人）との間に微妙な緊張関係が見られるようになり、それがネロの影響力に現れてくる。例えばネロが席につくとアグリッピナは隣に座っていたが、セネカがそれを諌めている。ネロの友人もアグリッピナに不信感を抱きネロ本人に忠告してくる。またネロは妻[[クラウディア・オクタウィア|オクタウィア]]には不満で、[[解放奴隷]]の{{仮リンク|クラウディア・アクテ|label=アクテ|en|Claudia Acte}}を寵愛していたが、アグリッピナの命でネロから離されそうになったところ、セネカの助けで事なきを得るということもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネロが母親の干渉を疎ましく思うようになると、アグリッピナはかつて自らが退けたブリタンニクスに注目するようになる。この時点でもブリタンニクスは帝位継承権を有しており、その意味ではネロに代わりうる存在であった。また彼は成人式がせまっており、大人の仲間入り、すなわち帝位継承権を行使できる立場に近付いていた。そのブリタンニクスは成人の儀式目前で[[55年]]に急死した。[[タキトゥス]]によれば、ネロが毒殺したと言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネロとアグリッピナは一触即発状態となったが、セネカやブッルスが仲裁に入り、事無きを得た。この頃、パエトゥスなる男がブッルスや母親の取り巻きの解放奴隷[[マルクス・アントニウス・パッラス]]が[[ファウストゥス・コルネリウス・スッラ・フェリクス]]の皇帝擁立を謀っていると告発したが、セネカが両名の弁護を担当し、パエトゥスは追放刑となった。しかし、[[カッシウス・ディオ]]によれば、セネカもブッルスもこの事件以降、保身に努めるようになったと言う。そしてネロが妻オクタウィアと離縁し、[[ポッパエア・サビナ]]と結婚しようとするとアグリッピナと対立することとなり、[[59年]]にはアグリッピナを殺害した。[[62年]]にブッルスが死去、同年セネカが再び横領の咎で告発される。ここに至ってセネカは引退をネロに申し出る。こうしてネロは妻オクタウィアと離縁、そしてボッパエア・サビナと結婚する。ポッパエアは既に結婚していたが、夫[[オト]]（後の皇帝）は離婚させられた上、[[ルシタニア]]に左遷された。その年の6月、オクタウィアが不倫の罪で自殺させられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネロの暴君ぶりは元老院議員の生死まで左右した。[[62年]]に[[プラエトル]]（法務官職）にあった者が宴席でネロの悪口を言った咎で死刑される事から始まり、[[マルクス・アントニウス・パッラス|パッラス]]を含む多くの元老院議員が処刑された。[[65年]]に元老院議員{{仮リンク|ガイウス・カルプルニウス・ピソ|en|Gaius Calpurnius Piso}}を皇帝に擁立する計画が発覚し、ピソに連座してセネカが自殺を命ぜられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして[[55年]]のブリタンニクスの殺害に始まり、[[59年]]に母（アグリッピナ）、[[62年]]に妻（オクタウィア）、[[65年]]にセネカを殺害、加えて[[64年]]に発生した[[ローマ大火]]の犯人として[[キリスト教徒]]を迫害したことから、後世からは暴君として知られるようになる。ただ、ネロの後半生の悪行は、親友[[オト]]の前妻で再婚相手の皇妃[[ポッパエア・サビナ]]によるものとする説も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス]]が『皇帝伝』に載せた話から、よく母親に[[近親相姦|近親姦]]をされた例として引き合いに出される。&lt;br /&gt;
* ネロの侍医[[アンドロマコス]]は、蜂蜜を使った膏薬テリアカを考案した。テリアカは[[狂犬病]]に罹った犬や毒蛇に噛まれた際の、さらには[[ペスト]]の治療薬として用いられた&amp;lt;ref&amp;gt;原淳 『ハチミツの話』 六興出版、1988年9月。ISBN 4-8453-6038-1。122-123頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、ネロの妻は蜂蜜とロバの乳を混ぜた[[化粧水|ローション]]を使っていたと伝えられている&amp;lt;ref name=&amp;quot;原1988-169&amp;quot;&amp;gt;[[#原1988|原1988]]、169頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* なお、[[鉛中毒]]によって暴君に豹変したという説が語られる事がある。というのもローマでは食器、コップ、水道管など広範囲にわたって鉛が使用されており、また、ローマ人（ネロとは別）の頭髪から大量の鉛が検出されているためである。また、少なくない素封家、政治家が若いころまともだったのに年を取るにつれて豹変しているのも根拠として挙げられることもある。しかしながら、古代ローマ人において特に鉛中毒の症状が顕著に発現したという有意の統計は得られておらず、また性格の変化は鉛中毒の一症状、それも他の諸症状に比べて目立たないものに過ぎず（鉛中毒による神経障害は、まず歩行困難などの症状に現れる）、そもそもネロの事績に関して言えば、名君が暴君に豹変したという性質のものではなく、善政を持続する能力に欠けていたというものであり（後世で悪政とされる行為の合間にも、善政的な行為をしている）、鉛中毒説は正規の学説ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政策 ===&lt;br /&gt;
ネロの政策は光と影がある。ローマの大火後にネロが陣頭指揮した被災者の救済やそのための迅速な政策実行、ローマ市の再建は市民に受けがよかった。ネロに批判的だったタキトゥスも、「人間の知恵の限りをつくした有効な施策であった」と記している。当時のローマ市内は木造建築がメインだったが、大火以降にネロが建築した[[ドムス・アウレア]]（黄金宮殿）は、[[ローマン・コンクリート]]の普及に一役買っている。また、ネロがローマの大火以降行った貨幣改鋳は、その後150年間も受け継がれた。&lt;br /&gt;
ただし、この大火もネロ自身が裏で暗躍し、自分好みの街を作りたかったという望みから起こされたとも言われている。&lt;br /&gt;
更に当時の文献がローマ博物館に寄贈されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
59年には南イタリアの[[ポンペイ]]の円形闘技場で興奮したポンペイの住民とヌケリアの住民との間で乱闘が起き、以後、10年間、闘技会の開催を禁止されている&amp;lt;ref&amp;gt;[[#本村 2011|本村 2011]], pp. 118-119; [[#ウィズダム 2002|ウィズダム 2002]], p. 88, 89.&amp;lt;/ref&amp;gt;。これは、市民の秩序と安全のためであり、この際に二人役（市長職）を辞職させている。市民に剣闘試合を禁じる事は、市民の支持を失う可能性もあった。結果、当時の后妃ポッパエアの計らいにより、剣闘試合の禁は数年後に解かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ブリタンニア]]で女王[[ブーディカ]]を首謀者とする反乱が起こったが、鎮圧に成功した。鎮圧後の戦後処理も適切だったため、[[ドミティアヌス]]帝の時代までブリタンニアは平穏であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また[[グナエウス・ドミティウス・コルブロ]]の奮戦もあり（[[インペリウム]]授与を躊躇ったために解決が遅れたが）、[[パルティア]]などオリエント諸国との外交政策も成功し、その後東方とは50年以上、[[トラヤヌス]]の時代まで平和を保つことができた。ネロの死後、パルティア国王は元老院に対して、「ネロは東方諸国にとって大恩ある人であり、今後も彼への感謝祭を続けることを認められたい」と申し出て受理されている。セネカ引退後も、善政と無縁ではなかったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、その一方で歌手の真似事や部下や親族の見目麗しい人物を男女問わず皇帝の権限で搾取をするなど、国家元首の振る舞いとしては明らかに問題だった。謀反を企てた者も、ネロの政治姿勢、政策より、このような振る舞いこそが皇帝にふさわしくないとしていた。また皇帝暗殺の陰謀に関連して、コルブロなど有能な将軍を確たる証拠もなく謀殺したことで、軍からも反感を買ってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 芸術の愛好家 ===&lt;br /&gt;
ネロには四頭立て戦車の騎手や竪琴の歌手という、当時の社会では蔑まれていた芸人になりたいという願望があった。歌が好きで、数千人に及ぶ観衆を集めコンサート（ワンマンショー）を開くのが趣味だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
59年には「青年祭」という私的祭典で演奏した。翌[[60年]]には、4年に1度開かれる[[オリンピア]]祭に対抗し、5年に1度開かれる&#039;&#039;&#039;ネロ祭&#039;&#039;&#039;を創設した。音楽、体育、戦車の三部門からなる。その内、ネロは竪琴、詩、弁論の3種目に出場した。元老院は皇帝がそのような行動をするのを阻止しようと出場の有無を問わず優勝の栄誉を授けようとしたが、ネロは堂々と出場して勝利するとこれを拒否した。結局、優勝者が誰になったかは不明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、[[オリンピア]]競技にも出場し、優勝した。ただし、主催者側が大胆な出来レースとした。獲得した栄冠は1800にも及んだが、この勝利には不正が多くあった事から様々な批判が存在した。たとえ敗れても勝利とされ[[戦車競走|戦車競技]]では戦車から落下して競争から脱落しながらも優勝扱いになってさえいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
64年には詩人として、ナポリで初めて公式に舞台に立った。ナポリはネロの大好きなギリシャ文化が多くあり、劇場が小さすぎるとして、再建築を命じたほどである。ポンペイウス劇場では独唱会も開いた。1度目は運悪く地震で観客は皆逃げてしまった。2度目は出入り口に人員を配置して逃げられないようにした。しかし、あまりの退屈さに逃げる者が続出。出入り口が使えない為、塀をよじ登ったり死んだ振りをして棺桶で外に運び出された者も居たと言う。更には例外無く外に出ることを禁じたため、産気づき出産した女性も数人いたと伝えられる（親友の一人であった[[ウェスパシアヌス]]はネロの演奏中に退屈のあまり眠ってしまい、これが原因で絶交してしまう）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
65年の2度目の「ネロ祭」でも自ら詩を披露し竪琴を演奏した。66年には[[ユダヤ属州]]で大反乱が勃発（[[ユダヤ戦争]]）する中、9月から68年初までギリシアに武者修行に出ている。イタリア凱旋時には、娯楽に飢えていた民衆に大歓迎されている。ただし、この間、上流人士にも芸を強要したため[[元老院 (ローマ)|元老院]]議員や騎士の間ではネロに対する軽蔑や屈辱感が高まっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 自死 ===&lt;br /&gt;
68年3月、[[ガリア・ルグドゥネンシス]]の[[属州総督]]・[[ガイウス・ユリウス・ウィンデクス]]による反乱が勃発。属州総督のガルバ、オトがこれに同調した。ウィンディクスの反乱は高地ゲルマニア軍により4月には鎮圧される。ガルバは[[元老院]]から「国家の敵」決議を受け逃亡。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしその後、穀物の価格が高騰しているローマで、エジプトからの穀物輸送船が食料ではなく宮廷格闘士用の闘技場の砂を運搬してきたという事件が報じられ、ネロは市民の反感を買った。元首の支持率低下を機にネロと対立していた[[元老院]]は、ネロを「国家の敵」とし[[ガルバ]]を皇帝に擁立する。ネロは逃亡しローマ郊外の解放奴隷パオラの別荘に隠れたが、騎馬兵が近づく音が聞こえるに及び、自らの喉を剣で貫き自殺した。その際自分では死にきれず奴隷に切らせたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人の自殺後、その墓にはローマ市民から花や供物が絶えなかったという。ネロの死後皇帝となった[[ガルバ]]はネロ派の軍や都市と敵対し粛清した。しかしガルバから離反し皇帝になった[[オト]]はネロ派の復職を認めた。ネロの銅像や[[ドムス・アウレア]]の建設再開を許可し、ネロを裏切った護衛隊長[[ティゲリヌス]]を処刑し、民衆の人気を買った。オトの次の皇帝[[ウィテリウス]]はネロの慰霊祭を催して民衆を喜ばせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、真偽ははっきりしないが、死ぬ直前に言ったとされる「何と惜しい芸術家が、私の死によって失われることか」という言葉は有名。更にネロが自刃した直後に現れた追っ手の百人隊長が、すでに死んだ（と思われた）ネロに危害を加えるのは流石に人の道に反するので、遺体を丁重に扱うためにマントを掛けようとした。すると突如ネロが目を見開き「遅かったな。しかし、大儀である」と言い残し、目を見開いたまま絶命した。百人隊長はその死に様に恐怖したと言う。（ネロの死に関しては[[スエトニウス]]の伝記『皇帝伝』に詳しいが、あまりにドラマチックな内容の為、作家[[スエトニウス]]の創作という説が強い）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 死後 ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Nero-nancy.jpg|thumb|150px|この美術品では、死後に神格化したネロが描かれている。]]&lt;br /&gt;
死後にネロは元老院によって[[ダムナティオ・メモリアエ]]（記録抹殺刑）を課されたが、69年に皇帝となったアウルス・ウィテッリウスはネロの立派な葬儀を行った。ネロを含む幾人かの皇帝の像は死後に破壊されたが、後に作り直された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死後にネロは神格化された。皇帝[[ドミティアヌス]]に乗り移ったという伝説や、ネロがよみがえったとする伝説（[[:en:Nero Redivivus legend]]）がある。また、アカイアやアシアなどの属州及び[[パルティア]]において「&#039;&#039;&#039;偽ネロ&#039;&#039;&#039;」の出現が相次いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネロの死によって[[ユリウス・クラウディウス朝]]は5代94年の歴史に幕を下ろし、断絶。以後、軍が武力を背景に皇帝を擁立するようになり、[[ローマ内戦 (68年-70年)|ローマ内戦]]に突入することとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 建築事業 ==&lt;br /&gt;
=== ドムス・アウレア（黄金宮殿） ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Statue Domus Aurea.jpg|left|thumb|ドムス・アウレアにある[[ムーサ|ミューズ]]像]]&lt;br /&gt;
{{Main|ドムス・アウレア}}&lt;br /&gt;
{{See also|ローマ建築|ローマン・コンクリート}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドムス・アウレア（黄金宮殿）は、ローマ市街を焦土と化した[[64年]]の大火災の後に建設された、誇大妄想的な巨大宮殿である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
帝政初期の[[ローマ建築]]にあって、皇帝ネロが造形に与えた影響はかなり大きい。ネロはローマ芸術の保護者を自認しており、今日、皇帝浴場と呼ばれている建築の先駆けとなるネロ浴場、そしてドムス・アウレア（黄金宮殿）を建設した。当時ローマ市は非常に密集した状態であったにもかかわらず、エスクイリヌスの丘（現[[エスクィリーノ]]の丘）の斜面に[[テラス]]を造り、人工池（現在コロッセオがある場所）とこれを囲む庭園を見下ろす、すばらしい景観を眺めることができた&amp;lt;ref&amp;gt;短い記述ではあるが、この宮殿の仕掛けの数々は、スエトニウスが記述している。スエトニウス（国原2007b p. 166）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。現在はトライアヌス浴場の地下に残された一部のみが残る。八角形を半分にしたような中庭を挟んで、方形の中庭を囲む食堂などがある部分と八角堂のある部分に分かれ、おおまかな構成は当時の海辺に建設された[[ヴィッラ]]そのものである。内部は大理石やモザイクを使った贅沢なもので、その装飾はルネサンス時代に[[グロテスク]]と呼ばれ、[[ラファエロ・サンティ]]らに影響を与えた&amp;lt;ref&amp;gt;小佐野 (1993) pp. 39-40。&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、この建物の真に革新的な部分は、ローマン・コンクリートによって構築された[[ヴォールト]]天井と[[ドーム]]が架けられた八角型の部屋である。八角堂の形式は他にみられないが、ドムス・アウレアではじめて採用されたとは考えにくいので、直接の原型があると考えられる。ドーム頂部からだけでなく、これに付随する部屋への採光を確保できるような造形は、オクタウィアヌスの時代から培われたローマン・コンクリートがあってはじめて成り立つもので、皇帝自らの邸宅に革新的な造形が採用されたことは、他の建築に新しい技術や意匠をもたらす契機となった&amp;lt;ref&amp;gt;パーキンズ (1979)（桐敷1996 pp. 80-83）およびSear (1983 pp. 98-102)。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネロの死後、104年に宮殿は火災に遭い、その敷地は次々と公共建築用地に転用された。宮殿の庭園にあった人工池の跡地にはコロッセウム（[[コロッセオ]]、コロシアム）が建設された。建設開始は75年で、利用開始は80年である。正式名称は「フラウィウス闘技場」（フラウィウス円形闘技場）だが、ネロの巨大な像（[[コロッスス]]）が傍らに立っていたため、コロッセウムと呼ばれるようになったといわれている&amp;lt;ref&amp;gt;Martialis, Marcus Valerius、Sullivan, John Patrick、Whigham, Peter、1987年『Epigrams of Martial - Englished by divers hands』カリフォルニア大学、ISBN 0-520-04240-9の51ページ目参照。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== コリントス運河 ===&lt;br /&gt;
{{Main|コリントス運河}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
67年にネロはコリントス運河の開削を開始。[[コリントス地峡]]に運河を掘る構想は[[古代ギリシア]]の時代からあり、[[古代ローマ時代]]にもカエサルや[[カリグラ]]も関心をもっていた。ネロは6000人の奴隷を動員して3.3kmあまりを掘ったが、途中、ローマで[[ガルバ]]らの反乱が起こりネロは自殺してしまう。死後、帝位についたガルバによって工事は中断された。ネロが計画した運河は、1893年に完成した現在のコリントス運河と同じルートである。古代ローマの土木建設技術の高さがうかがわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 年表 ==&lt;br /&gt;
* [[37年]]12月15日 - アンティウム（現在の[[アンツィオ]]）にて出生。&lt;br /&gt;
* [[50年]] - クラウディウス帝の養子となり、ネロ・クラウディウスと改名する。&lt;br /&gt;
* [[51年]] - 母アグリッピナの意向で通常より2、3年早く成人式を挙げる。&lt;br /&gt;
* [[54年]]10月13日 - [[クラウディウス]]の死により即位。&lt;br /&gt;
* [[55年]] - 義弟ブリタンニクス死去。&lt;br /&gt;
* [[57年]] - 元老院属州と皇帝属州を合わせ国庫を一本化する。&lt;br /&gt;
* [[59年]] - アグリッピナを殺害。&lt;br /&gt;
* [[62年]] - オクタウィア自殺。ポッパエア・サビナと再婚。&lt;br /&gt;
* [[64年]] - ローマの大火。その跡地に黄金宮殿（[[ドムス・アウレア]]）を建設。&lt;br /&gt;
* [[65年]] - ピソの陰謀。セネカが自死。&lt;br /&gt;
* [[67年]] - [[コリントス運河]]の開削を試みるも成功せず。&lt;br /&gt;
* [[68年]]6月8日 - 反乱を受けて自殺。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== キリスト教聖書学における暴君としての評価 ==&lt;br /&gt;
[[ローマ大火]]にかこつけて、人類史上初めて[[キリスト教徒]]を迫害した挙句、「人類（ローマ国民）全体に対する罪」を罪状として科したため、キリスト教文化圏を中心にネロに対する評価は低い。さらに、初代の[[ローマ教皇]]・[[ペテロ]]はネロの迫害下で逆さ十字架にかけられ殉教したとされる。だが当時のローマ帝国内では、ローマ伝統の[[多神教]]を否定するキリスト教を嫌悪している者が圧倒的に多数派であった。ネロを糾弾した[[タキトゥス]]をはじめとする後世のローマの[[歴史家]]達も、この事についてはむしろネロに近い立場を取った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ただし、タキトゥスはもとよりキリスト教会の資料でも、この頃のキリスト教を迫害したのはネロではなくポッパエアがネロを動かしていたとするものもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上の[[キリスト教徒]]迫害のため、ネロは悪魔（獣の数字）や堕落した女（大淫婦バビロン）で暗喩される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 獣の数字「666」（悪魔として） ===&lt;br /&gt;
[[ファイル:Neronkesar.png|right|thumb|[[獣の数字]]「[[666]]」。「皇帝ネロ」を意味する。]]&lt;br /&gt;
{{Main|獣の数字}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[新約聖書]]』の『[[ヨハネの黙示録]]』に[[獣の数字]]「[[666]]」について記述がある。この数字は「皇帝ネロ」を指すとされるもので、[[自由主義神学]]の[[高等批評]]による[[聖書学]]で最も支持されている説である&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;Cory, Catherine A. (2006). The Book of Revelation. Collegeville, Minn.: Liturgical Press. ISBN 978-0-8146-2885-0。61頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;Garrow, A.J.P. (1997). Revelation. London.: Routledge. ISBN 978-0-415-14641-8。86頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite book|last=sources|first=translated from the original languages with critical use of all the ancient|title=The Catholic youth Bible: New American Bible including the revised Psalms and the revised New Testament|year=2005|publisher=[[Saint Mary&#039;s Press]]|location=Winona, Minn.|isbn=978-0-88489-798-9|url=http://books.google.com/books?id=SnORJqkR7qsC&amp;amp;pg=RA7-PT1423|edition=Rev. ed.}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref name=&amp;quot;just&amp;quot;&amp;gt;{{cite web|first=Felix |last=Just |url=http://catholic-resources.org/Bible/666.htm#Academic |title=666: The Number of the Beast |date=2 February 2002 |accessdate=6 June 2006 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite journal|last=Hillers |first=D.R. |title=Revelation 13:18 and a Scroll from Murabba&#039;at |journal=[[Bulletin of the American Schools of Oriental Research]] |volume=170 |year=1963 |page=65 |curly=yes |doi=10.2307/1355990|jstor=1355990|issue=170}} &#039;&#039;Note: website requires subscription.The New Jerome Biblical Commentary. Ed. Raymond E. Brown, Joseph A. Fitzmyer, and Roland E. Murphy. Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall, 1990. 1009&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;[http://98.131.162.170//tynbul/library/TynBull_2000_51_1_01_Head_OxyrhynchusPapyri.pdf Some Recently Published NT Papyri from Oxyrhynchus: An Overview and Preliminary Assessment] by Peter M. Head, &#039;&#039;Tyndale Bulletin&#039;&#039; 51 (2000), pp. 1–16 http://www.tyndale.cam.ac.uk/Tyndale/staff/Head/NTOxyPap.htm#_ftn39&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;(whose name, written in Aramaic, can be valued at 666, using the Hebrew numerology of gematria), a manner of speaking against the emperor without the Roman authorities knowing. Also &amp;quot;Nero Caesar&amp;quot; in the Hebrew alphabet is נרון קסר &#039;&#039;NRON QSR&#039;&#039;, which when [[Hebrew alphabet#Numeric values of letters|used as numbers]] represent 50 200 6 50 100 60 200, which add to 666.&lt;br /&gt;
The Greek term χάραγμα (&#039;&#039;charagma&#039;&#039;, &amp;quot;mark&amp;quot; in Revelation 13:16) was most commonly used for imprints on documents or coins.&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- [[:en:Number of the Beast]]より、出典を転記。ただし、「自由主義神学の高等批評による聖書学」は、「過去主義」(Preterism) と記載されていました。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまり、皇帝ネロ ({{lang|en|&#039;&#039;Nero Caesar&#039;&#039;}}) のギリシア語表記 ({{lang|el|Νέρων Καίσαρ}}, Nerōn Kaisar) を[[ヘブライ文字]]に置き換え ({{lang|he|נרון קסר}}, Nrwn Ksr)、これを[[ゲマトリア]]（[[カバラ]]的な数値化）したその和が666になるというものである。この一説は直前の皇帝崇拝らしき記述とも意味的に整合するとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大淫婦バビロン（堕落した女として） ===&lt;br /&gt;
{{Main|大淫婦バビロン}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:Whorebab.jpg|left|thumb|大淫婦バビロン。きらびやかな装身具を身につけた女だが、手に持つ金杯は姦淫による汚れに穢されているという。ネロはこの堕落しきった女で暗喩されている。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キリスト教の聖書『[[黙示録]]』の[[アレゴリー]]の一つに、[[大淫婦バビロン]]（大いなるバビロン）がある。きらびやかな装身具を身につけた女で、手に金杯を持つが、その杯は姦淫による汚れに穢されているという。この堕落しきった女として暗喩されているのは古代ローマである。彼女が乗る7つの首の獣はローマ帝国の7つの丘（もしくは7人の皇帝）を示しているとされる。この時期には[[カリグラ]]、ネロなど暴君の存在によりローマが退廃したといわれる時期でもある。特にネロは人類史上初めて[[キリスト教徒]]を迫害したために、このように暗喩されるようになった。[[ユダヤ]]庶民の俗信によれば、アンチクリスト（[[反キリスト]]）はネロ、もしくはネロの姿で現れるといわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人格 ==&lt;br /&gt;
[[File:Piranesi-3014.jpg|thumb|right|]]&lt;br /&gt;
[[File:Siemiradzki Christian Dirce.jpg|thumb|right|]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 花嫁衣裳を着て解放奴隷のピュータゴラースあるいはドリュポルスと結婚式をあげたという話が残っている。また、スポルスという美少年を去勢させ妻に迎え歴代の皇后の装身具で着飾らせたという。&lt;br /&gt;
* 宝石趣味があるとされ、おびただしい宝石で身の回りを飾り立てる嗜好があったと言われている{{誰2|date=2009年5月}}。中でも[[蛍石]]が大好きで気に入ったものはどんな手段を使っても手に入れていた。そのためある[[執政官]]は、ネロに取られたくないばかりに蛍石製の柄杓を死の直前に叩き壊してしまったと伝えられている。&lt;br /&gt;
* [[プリニウス]]によると、ネロは無類の鳥類マニアで特にオウムやインコの類に目が無かった。もっとも、金に飽かして集めたオウムやインコの殆どは天寿を全うする事無く、幾許かの日数飼育された後、飽きてしまったネロによって殺され、食べられてしまったと伝えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系図 ==&lt;br /&gt;
{{ユリウス・クラウディウス朝系図}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連作品 ==&lt;br /&gt;
; 文学作品&lt;br /&gt;
* 偽セネカ『[[オクタウィア (悲劇)|オクタウィア]]』&lt;br /&gt;
* [[ジャン・ラシーヌ]]『[[ブリタニキュス]]』　[[渡辺守章]]訳、[[岩波文庫]]&lt;br /&gt;
* [[ヘンリク・シェンキェヴィチ]]『[[クォ・ヴァディス]]』　岩波文庫全3巻ほか&lt;br /&gt;
* [[ユベール・モンテイエ]]『[[ネロポリス―ネロの時代の物語]]』（全2巻：[[中央公論社]]のち[[中公文庫]]）&lt;br /&gt;
* [[塩野七生]]『[[ローマ人の物語]]VII 悪名高き皇帝たち』（[[新潮社]]、1998年）。のち[[新潮文庫]]でも4分冊刊行。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 音楽&lt;br /&gt;
* [[クラウディオ・モンテヴェルディ]]『[[ポッペーアの戴冠]]』…ネロが周囲の反対者を排除して、寵愛するポッパエア・サビナを皇后とする物語。1642年に[[ヴェネツィア]]で初演された。悲劇的な場面や抒情的な場面のみならず、コミカルな場面も含まれ、登場人物の写実的な描写が特徴。従来の作品にくらべ暖かい旋律であり、彼の最高傑作と言われる。ネロ役は、当時はかつてソプラノ[[カストラート]]、現在では女性の[[ソプラノ]]か[[メゾソプラノ]]、[[テノール]]で歌われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 漫画&lt;br /&gt;
* [[安彦良和]]『[[我が名はネロ]]』&lt;br /&gt;
* [[技来静也]]『[[拳闘暗黒伝セスタス]]』（[[白泉社]]） ネロが主人公の一人として登場する歴史[[格闘漫画]]。&lt;br /&gt;
* [[さかもと未明]]『マンガ ローマ帝国の歴史3 カリグラ、ネロ、ユリウス朝の崩壊』 [[講談社]] 2007年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 小佐野重利・姜雄編 『ラファエッロと古代ローマ建築』 [[中央公論美術出版]] 1993年 ISBN 9784805502730&lt;br /&gt;
*{{Cite book|和書|author=ステファン・ウィズダム|translator=斎藤潤子|editor=|year=2002|chapter=|title=グラディエイター―古代ローマ剣闘士の世界|series=オスプレイ戦史シリーズ|publisher=[[新紀元社]]|isbn= 978-4775300909|ref=ウィズダム 2002}}&lt;br /&gt;
*{{Cite book|和書|author=[[本村凌二]]|translator=|editor=|year=2011|chapter=|title=帝国を魅せる剣闘士―血と汗のローマ社会史|series=歴史のフロンティア|publisher=[[山川出版社]] |isbn=978-4634482210 |ref=本村 2011}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Wikiquote}}&lt;br /&gt;
* [[ネロ指令]] - 第二次世界大戦末期に[[ナチス・ドイツ]]で出された自国施設破壊命令&lt;br /&gt;
* [[アグリッピーナコンプレックス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Nero}}&lt;br /&gt;
* [http://www.noctes-gallicanae.org/Rome/empire1_1_neron.htm Abrégé d&#039;Histoire romaine, Néron]&lt;br /&gt;
* [http://www.empereurs-romains.net/emp06.htm Biographie de Néron]&lt;br /&gt;
* [http://www.fredericweber.com/cotations_neron.htm Monnaies de Néron]&lt;br /&gt;
* [http://bcs.fltr.ucl.ac.be/fe/02/TacitLav.html Néron et la persécution des Chrétiens]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ローマ皇帝}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:ねろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:ローマ皇帝]]&lt;br /&gt;
[[Category:幼君]]&lt;br /&gt;
[[Category:ユリウス・クラウディウス家]]&lt;br /&gt;
[[Category:インセスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:両性愛の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1世紀の古代ローマ人]]&lt;br /&gt;
[[Category:37年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:68年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:自殺した人物]]&lt;br /&gt;
{{Link FA|es}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|tr}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Link GA|en}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|bg}}&lt;br /&gt;
{{Link GA|ru}}&lt;/div&gt;</summary>
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