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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E5%B3%B6%E7%94%B0%E7%B4%B3%E5%8A%A9&amp;diff=47367</id>
		<title>島田紳助</title>
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		<updated>2014-08-23T22:27:00Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;126.27.37.28: /* 身体 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox お笑い芸人&lt;br /&gt;
| 名前 = 島田 紳助&lt;br /&gt;
| 画像 =&lt;br /&gt;
| キャプション =&lt;br /&gt;
| 本名 = 長谷川 公彦（はせがわ きみひこ）&lt;br /&gt;
| ニックネーム =&lt;br /&gt;
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1956|3|24}}&lt;br /&gt;
| 没年月日 =&lt;br /&gt;
| 出身地 = {{JPN}} [[京都府]][[京都市]][[南区 (京都市)|南区]]&lt;br /&gt;
| 身長 = 170[[センチメートル|cm]]&lt;br /&gt;
| 方言 = [[京都弁]]&lt;br /&gt;
| 最終学歴 = [[京都学園大学]][[中退]]&lt;br /&gt;
| 師匠 = [[島田洋之介・今喜多代|島田洋之介]]&lt;br /&gt;
| 影響 = [[B&amp;amp;B (お笑いコンビ)|B&amp;amp;B]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[上岡龍太郎]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[和田アキ子]]（[[司会|司会者]]として）&lt;br /&gt;
| 出身 =&lt;br /&gt;
| コンビ名 = [[島田紳助・松本竜介|紳助・竜介]]（解散）&lt;br /&gt;
| トリオ名 =&lt;br /&gt;
| グループ名 =&lt;br /&gt;
| 相方 = [[松本竜助|松本竜介]]&lt;br /&gt;
| 芸種 = [[漫才]]（過去）&lt;br /&gt;
| 芸風 = [[ボケ]]（[[漫才師]]時代）&lt;br /&gt;
| 立ち位置 = 右（漫才師時代）&lt;br /&gt;
| 事務所 = [[よしもとクリエイティブ・エージェンシー|吉本興業]]（最終所属）&lt;br /&gt;
| 活動時期 = [[1974年]] - [[2011年]]&lt;br /&gt;
| 同期 = [[明石家さんま]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[関根勤]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[オール阪神・巨人|オール巨人]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[桂小枝]]&lt;br /&gt;
| 現在の代表番組= &lt;br /&gt;
| 過去の代表番組= [[オレたちひょうきん族]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[行列のできる法律相談所]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[クイズ!ヘキサゴンII]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[開運!なんでも鑑定団]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[クイズ!紳助くん]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[サンデープロジェクト]] ほか多数&lt;br /&gt;
| 作品 = [[映画]]『[[風、スローダウン]]』&lt;br /&gt;
| 他の活動 = [[ディンプス]][[相談役]]（過去）&amp;lt;br /&amp;gt;[[京都市]]特別[[観光大使]]（過去）&lt;br /&gt;
| 配偶者 = 既婚&lt;br /&gt;
| 親族 =&lt;br /&gt;
| 弟子 = [[島田まさし]] ほか&lt;br /&gt;
| 公式サイト =&lt;br /&gt;
| 受賞歴 = &lt;br /&gt;
*[[1984年]] 花月大賞 マンスリーよしもと賞&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[1991年]] 日本映画批評家賞 特別賞&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[2011年]] 「日経エンタテインメント!」嫌いな芸人ランキング 第1位}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;島田 紳助&#039;&#039;&#039;（しまだ しんすけ、[[1956年]]〈[[昭和]]31年〉[[3月24日]] - ）は、元[[お笑いタレント]]、[[実業家]]。コンビ時代は[[島田紳助・松本竜介|紳助・竜介]]の[[漫才#ボケとツッコミ|ボケ]]担当。本名、長谷川 公彦（はせがわ きみひこ）。[[京都府]][[京都市]][[南区 (京都市)|南区]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1974年]]から[[吉本興業]]（[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]）に所属。[[2011年]]に芸能界を引退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
=== 芸能界入りまで ===&lt;br /&gt;
父親が[[日本国有鉄道|国鉄]]職員（[[南満州鉄道]]の職員歴もある）の家庭に生まれ育つ。「[[松紳|松本紳助]]」で紳助本人が語ったところによると「鳩みたいに真面目で温厚な性格で、自分が警察に[[補導]]されても『話し合いで解決できる』と言って一度も激怒しなかった」とのこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学生の時は学校の窓ガラスを割ったり、教室で盗品を売りさばいたりしており、高校生の頃に[[車上荒らし]]で補導されて[[少年鑑別所]]に[[送致]]された経験がある。10代頃から[[広島]][[ヤクザ]]・[[波谷守之]]に憧れていたという&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.news-postseven.com/archives/20110904_30100.html|title= 紳助 旧国鉄職員の真面目な父に反発し伝説のヤクザに憧れる|publisher= [[週刊ポスト|NEWポストセブン]]|date= 2011年9月4日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。少年時代は[[暴走族]]であったと語っており、現在も当時の話をしばしばネタにしている。高校のとき教師から叱責されたのを機会に「おもろい不良になろう」と改心（?）する。高校時代のあだ名は、泣きながら熱く語ることから「泣き虫みー君」。高校の三者面談で「公彦君はこの学校のゴミです」と言われたことがあった。また、高校時代に[[生徒会長]]に立候補しようとしたところ、教職員一同に「頼むからやめてくれ」と言われたという。後年、芸能界で大成した後に学校へ行くと「君はこの学校の誇りだ」と言われ、それに対して、「ゴミと誇り（埃）やったら変わらへん」と冗談めかして話している。高校時代の担任は宗教の教諭であり、注意する時に叱り付けるのではなく、「インドの偉いお坊さんはな・・・・」と諭されていた。その一方で、「大学を出ないと人生のスタートラインに遅れる」と考えていて、勉強はやっていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
10代の頃は[[大場政夫]]に憧れ、[[ボクシングジム]]に通っていた。[[1973年]]には京都府高校フライ級1位を獲得（ただし紳助いわく出場者は3人）また、[[料亭]]に勤めていたことがあり、将来は[[寿司屋]]か[[競艇]]選手か[[漫才|漫才師]]かと考えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 18歳で芸能界入り ===&lt;br /&gt;
18歳の時、[[B&amp;amp;B (お笑いコンビ)|B&amp;amp;B]]に憧れ、B&amp;amp;Bの師匠である[[島田洋之介・今喜多代]]（現・今日喜多代）に弟子入り。同期に[[明石家さんま]]、[[オール巨人]]、[[桂小枝]]などがいる。「[[島田洋七]]を倒すことに俺の青春を賭けよう」と誓った。その後、洋七を前にしたり洋七の話になった際は、「結局何もしてないのに勝手に倒れた」と得意の毒舌で当時を振り返っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「島田紳助」という芸名の由来は、「島田」は師匠の島田洋之介一門から、「紳助」という名前はいくつかの芸名候補の中から、師匠の島田洋之介が「『紳助』でいいやん」という一言で決まった。（他の芸名の候補に、「洋太」、「洋洋」、「洋福」、「洋慣」、「洋吾」などがあった。本人の談）。&lt;br /&gt;
:紳助本人は数ある芸名候補の中で「けんじ」という芸名にしたいと思っていたが、反対に「紳助」が一番嫌だと思っていたという。理由は、子供の頃に同じ「しんすけ」という名前の友達がおり、その友達があまり良い印象ではなかったためだという。ちなみに、同期の杉本高文に「島田紳助」という芸名が決まった時に「その名前じゃ絶対に売れない」とからかわれ、紳助は落ち込んだが、逆に杉本が「[[明石家さんま]]」という芸名をもらったと聞いた時、紳助は「こいつ（芸能人として）終わった」と大笑いしたというエピソードがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弟子入りしてから竜介に出会うまでの2年間は別の芸人と2回コンビを組んでいるがどれも全く上手くいかず、すぐに解散している。この2年間にキャバレーの呼び込みのバイトをしたり、緻密な研究ノートを書いたり、[[海原千里・万里]]、[[夢路いとし・喜味こいし]]、[[B&amp;amp;B]]らすでにテレビで活躍している漫才コンビのレギュラーの本数の推移のグラフなどを書き、部屋いっぱいに貼っていた。[[トップホットシアター]]などの劇場に通い漫才を生で研究していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 20歳代 ===&lt;br /&gt;
[[1977年]]9月にうめだ花月で進行をしていた松本竜介（解散後[[松本竜助]]に改名）と漫才コンビ[[紳助・竜介]]結成。[[明石家さんま]]にコンビを組もうとして断られた結果、さんまが紹介したのが竜介だった。つなぎ作業着風の衣装を着て[[リーゼント]]姿の紳助が竜介と絡む芸風は「ツッパリ漫才」と呼ばれ、若い男性を中心に爆発的人気を得る。1980年頃からの[[漫才ブーム]]では、関西の雄として一翼を担った他、後輩のダウンタウンにも大きな影響を与えた（詳細は紳助・竜介の項目を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]]には、『[[ガキ帝国]]』（[[井筒和幸]]の監督作品）で竜介とともに映画初主演を果たした。&lt;br /&gt;
同年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[オレたちひょうきん族]]』にコンビ揃ってレギュラー出演。この番組で紳助は、[[TBSテレビ|TBS]]『[[ザ・ベストテン]]』のパロディコーナー「ひょうきんベストテン」の司会を務めたり、同期のさんまの恋人役で女装をしてコントを演じたりなど、竜介とのコンビにとらわれない形での出演が増え、紳助個人の才能を見せるようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
漫才ブームが次第に沈静化する中、[[1985年]][[5月]]、紳助・竜介は解散。その際、「このままでは[[太平サブロー・シロー|サブロー・シロー]]や[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]には勝てない」と発言した&amp;lt;ref group=&amp;quot;注&amp;quot;&amp;gt;しかしダウンタウンは当時全くの無名だったため、[[スポーツ新聞]]などには「紳助・竜介解散!このままでは&#039;&#039;&#039;サブロー・シローら&#039;&#039;&#039;に勝てない」と書かれていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 30歳代 ===&lt;br /&gt;
1987年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[歌のトップテン]]』で[[和田アキ子]]とともに2代目司会者を担当。この番組で紳助は和田から司会術を学び、先述の「ひょうきんベストテン」や[[ABCテレビ|ABC]]『ヤングプラザ』、[[MBSテレビ|MBS]]『[[ヤングおー!おー!]]』、そしてこの『歌のトップテン』で司会者としての礎を築いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
40・50代（引退前）は司会者としての活動が中心であり、パネラーとしての出演は滅多になかったが、この頃にはともにMBS『[[クイズ!!ひらめきパスワード]]』、TBS『[[わくわく動物ランド]]』、フジテレビ『[[アイ・アイゲーム]]』には解答者として出演していた。司会者以外で番組出演することは少なく、レギュラー番組では、[[広島テレビ放送|広島テレビ]]『[[松紳|松本紳助]]』、ゲスト出演した番組では、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]『[[ダウンタウンDX]]』、ABC『[[M-1グランプリ]]』の審査員（第1回大会のみ司会兼審査員）などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1990年代]]の紳助は、お笑いにとらわれない形での仕事が増えていく。特に[[1990年]]に、[[テレビ朝日]]・ABC『[[サンデープロジェクト]]』の司会に起用されたことは話題を呼び、[[2004年]]まで14年も続く仕事となり、その間にタレントとしてのイメージを大きく変えることになった。&lt;br /&gt;
以降、司会者としての出演が増え、司会を務めたいずれも日本テレビ『[[EXテレビ]]』、『[[嗚呼!バラ色の珍生!!]]』、TBS『[[ダウトをさがせ!]]』、[[テレビ東京]]『[[開運!なんでも鑑定団]]』などが人気番組となる。特に、1991年秋にはTBSで『[[オールスター感謝祭]]』がスタートし、毎回200人もの芸能人を3〜5時間半の長時間仕切り上げ、司会者としての地位を不動のものにする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした司会業の中で、若手の芸能人や素人の出演者をおもしろおかしく「いじる」才能が徐々に注目されるようになった。それまで[[バラエティ番組]]とは無縁だった[[歌手]]や[[俳優]]のバラエティ番組との相性を見抜いて自分が司会する番組に出演させることが多く、[[円広志]]や[[高木美保]]、[[misono]]、[[飯島愛]]のように、それをきっかけに人気を上昇させ、活動の幅を広げていく芸能人も多数存在した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 40歳代 ===&lt;br /&gt;
[[2000年代]]に入ってからはプロデュース業にも進出。[[関西テレビ放送|関西テレビ]]『[[紳助の人間マンダラ]]』では、[[吉本興業]]の[[お笑いコンビ]]である[[ランディーズ]]、[[ロザン]]、[[キングコング (お笑いコンビ)|キングコング]]の3組によるアイドルユニット「[[WEST SIDE]]」をプロデュース。関西圏では[[ジャニーズ事務所]]のアイドル達をも凌駕するほどの大人気グループに成長させた。後述の引退後のインタビューの際に、多くの[[タレント]]のプロデュースを行った理由について、「自分が出たから、僕が関わった人間が1人でも世に出ればという気持ちがあった」「芸能界で成功するのは1000分の1の可能性くらいであり、そんな中で自分の関わった奴らをなんとか世に出してあげたら、自分も幸せな気持ちになるから」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]]には吉本興業から「漫才復活のために知恵を貸してください」と頼まれ、漫才選手権大会（テレビ番組でもある）『[[M-1グランプリ]]』を企画。大会委員長として審査員も務めた。厳しい審査の中で[[ますだおかだ]]、[[フットボールアワー]]、[[ブラックマヨネーズ]]、[[チュートリアル (お笑いコンビ)|チュートリアル]]、[[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]]など数多くの若手漫才師を世に送り出す。[[おぎやはぎ]]、[[南海キャンディーズ]]、[[オードリー (お笑いコンビ)|オードリー]]など優勝には至らなかったもののこの大会をきっかけにブレイクしたコンビも多い。2008年度からは「国民的行事」と呼ばれるほどの注目度と人気が高まった（この年、[[近畿地方|関西地区]]での平均[[視聴率]]35%以上、瞬間視聴率は40%以上を記録した）。2010年で惜しまれつつ一旦終了したが、紳助は「惜しまれて終わるのが一番良い」と述べている（『M-1グランプリ』は[[2015年]]夏に復活）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]10月から[[2005年]]1月までの間は傷害事件（詳細後述）により一時、テレビから姿を消していたが、年明けに復帰。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]]、石垣島に喫茶店「[[TOMURU|TOMURU（トムル）]]」をオープン（130R経営）。同年、京都で料理店を営んでいた古塚健一と共同で株式会社はせ川を設立。11月に大阪・東心斎橋に「寿司 はせ川」をオープンし、[[2007年]][[9月]]には東京・西麻布にもオープン。その他、大阪・東心斎橋に「しゃぶしゃぶ チョモランマ はせ川」や「京風鉄板　はせ川」、「バー はせ川」などを展開する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 50歳代、芸能界引退へ ===&lt;br /&gt;
[[2005年]][[10月]]からのフジテレビ『[[クイズ!ヘキサゴンII]]』では[[Pabo]]や[[羞恥心 (ユニット)|羞恥心]]といったユニットをプロデュースし、ブームを巻き起こす。これをきっかけに&#039;&#039;&#039;カシアス島田&#039;&#039;&#039;名義で作詞活動を行なうようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]から[[2010年]]まで、国政選挙施行日における日本テレビの[[選挙特別番組]]『[[ZERO×選挙]]』でメインキャスターを務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[6月14日]]放送分の[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]『[[MUSIC JAPAN]]』に「カシアス島田」名義でコメント出演した。なお、[[日本放送協会|NHK]]へは『[[おとうさんの時間]]』（1993年 - 1994年）のほか、『[[バラエティ生活笑百科]]』（1985年。[[NHK大阪放送局]]制作）や『私と尾崎豊～マイベストソング』（2003年4月14日）など数番組に出演歴がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]と[[2010年]]には、フジテレビ『[[FNSの日]]』（[[2009年]]は『&#039;&#039;&#039;[[FNS26時間テレビ (2009年)|FNSの日26時間テレビ2009超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!]]&#039;&#039;&#039;』、[[2010年]]は『&#039;&#039;&#039;[[FNS26時間テレビ (2010年)|FNSの日26時間テレビ2010超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!]]&#039;&#039;&#039;』）の総合司会を2年連続で務めた。その中でFNS局対抗企画として2年連続で開催した三輪車12時間耐久レースで大会委員長を務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[オリコン]]調査による「好きな司会者ランキング」では2009年・2010年で2年連続1位を獲得した。一方2011年では、&lt;br /&gt;
日経BP社刊『[[日経エンタテインメント!]]』編集部調査による「お笑い芸人人気調査」において、「嫌いな芸人ランキング」の第1位を獲得した（これまで[[江頭2:50]]が9年連続トップに君臨していたが、紳助が江頭のV10を阻んだ。ちなみに、好きな芸人ランキング1位は同期の明石家さんま）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.narinari.com/Nd/20110715860.html|title= “嫌いな芸人”江頭が遂に陥落、V10阻みトップに立ったのは島田紳助。|publisher= [[Narinari.com]]|date= 2011年7月7日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
芸能人時代晩年ではNHK『[[NHK紅白歌合戦]]』の司会を目指していた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://npn.co.jp/article/detail/94525693/|title= あの大物芸人が紅白の司会を狙う?|publisher= [[内外タイムス|リアルライブ]]|date= 2010年7月8日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお実際、2008年前後にはマスコミ報道で紅白司会起用の可能性が幾度か取り沙汰された&amp;lt;ref&amp;gt;2008年の『[[第59回NHK紅白歌合戦]]』の司会発表前に『[[スポーツ報知]]』（2008年9月16日付）が紙上で行った同紅白の予想座談会において、紳助の司会起用の可能性が述べられた。また、翌2009年の『[[第60回NHK紅白歌合戦]]』の両軍司会発表直後に『[[東京スポーツ]]』が「司会の候補に紳助も挙がっていた」と報じていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。同じく日本テレビ『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』内チャリティーマラソンのランナー候補に挙がっていると報道されたこともある&amp;lt;ref&amp;gt;2007年5月下旬に『[[日刊ゲンダイ|ゲンダイネット]]』が、「紳助が同年の『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーに挑戦するという情報が行き交っている」と報じていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;（引退後、「紳助が同チャリティーマラソンに挑戦して芸能界復帰」との報道がされたこともある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2011年]]8月23日、最後のテレビ出演となった『開運!なんでも鑑定団』の放送終了直後、暴力団関係者との「黒い交際」を理由に引退を宣言し、この日を以って芸能界を引退した。警察では、深い交際があったのではないかと捜査を進められた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sanspo.com/geino/news/110830/gnd1108300519002-n1.htm |title= 警視庁、紳助引退で吉本に事情説明を求める|publisher= [[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]]|date= 2011年8月30日|archiveurl= http://web.archive.org/web/20111114194638/http://www.sanspo.com/geino/news/110830/gnd1108300519002-n1.htm|archivedate= 2011年11月14日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。（詳細後述）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、民事裁判で、暴力団交際報道の記事について講談社を名誉棄損で訴えた件では、複数の建設会社社員らに対する現代側の取材内容について「具体的かつ詳細で、内容に不自然な点はない」と指摘し、「少なくとも記事の重要部分を真実と信じる相当の理由があった」と認め、東京地裁は紳助側の主張を退けた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121030/trl12103019080003-n1.htm|title= 紳助さんの週刊現代への請求棄却 「信用性は高い」 暴力団交際報道で東京地裁|publisher= [[産経新聞|msn産経ニュース]]|date= 2012年10月30日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
引退となる2日前、『24時間テレビ34』『行列のできる法律相談所』の生放送に立て続けに出演しており、『24時間テレビ34』のチャリティーマラソンを完走した[[徳光和夫]]に対し、『行列のできる法律相談所』の生放送内で「今日でテレビは引退のようなものだから、今後は楽しんでテレビに出てほしい」と述べる場面があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 身体 ===&lt;br /&gt;
自称身長170[[センチメートル|cm]]、体重70[[キログラム|kg]]、血液型[[AB型]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 家族構成 ===&lt;br /&gt;
配偶者（妻）は一般女性で、娘が3人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 学歴 ===&lt;br /&gt;
京都市立唐橋小学校、[[京都市立八条中学校]]を経て[[大谷中学校・高等学校 (京都府)|大谷高校]]卒業。[[京都学園大学]]に入学したが、親が入学金を支払った直後に弟子入りしたため通学はしていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 職歴 ===&lt;br /&gt;
[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー|吉本興業]]に属しているが、別に「有限会社オフィス百三十アール」（通称 「130R」）という個人事務所を設けている。事務所の名前は[[鈴鹿サーキット]]にあるコーナーの名称に由来している。[[2011年]]3月末まで、[[京都市]]特別[[観光大使]]。同年8月23日に引退を表明。また、株式会社[[ディンプス]]の相談役を、芸能界引退に伴い2011年8月24日付けで引責辞任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 弟子 ===&lt;br /&gt;
紳助に弟子入りを申し込んで断られた[[板尾創路]]は前述の「[[130R]]」という名前を気に入り、紳助の了承を得て、「130R」という名前を[[ほんこん]]と自身のコンビ名にした。そのほか、島田半平太（引退）、[[島田まさし]]らが弟子である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 趣味・嗜好 ===&lt;br /&gt;
[[1986年]]から[[1995年]]までの10年間、レーシングチーム『[[チーム・シンスケ]]』の監督として、[[鈴鹿8時間耐久ロードレース]]や[[全日本ロードレース選手権]]に参戦した。[[日本放送協会|NHK]]のスポーツ番組でインタビューが放送されたこともある。[[1980年代]]後半は[[バブル景気]]の絶頂期であり、モータースポーツ界には各方面のタレントをお飾りで監督に仕立てた（つまりサーキットに来てもレース関係の仕事は何もしない）レーシングチームが2輪・4輪を問わず乱立していたが、紳助は自ら企画書を作成して[[スポンサー]]企業を回ったり、レース当日は自分で作戦を立ててライダーやスタッフに指示を出したりし、他のタレント監督とは完全に一線を画していた。その時の活動を書いた著書『[[風よ、鈴鹿へ]]』は、小説ではあるが[[ノンフィクション]]に限りなく近い作品である。また、[[1991年]]にはバイクレースをテーマとした映画『[[風、スローダウン]]』の監督をつとめている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自身も高校時代に経験しているためか[[ボクシング]]に対しての造詣が深く、他のスポーツに比べて世間的にマイナーなイメージがある事を遺憾に思い、先述の亀田一家のパフォーマンスや過去にも[[辰吉丈一郎]]の対戦相手を挑発する言動にもボクシングを世間にアピールするための言動と評している。自身もボクシングに対しての敬意があり、当時数度の防衛を行ないながらも格闘技ファン以外にはほとんど認知されていなかった[[長谷川穂積]]を自身の番組のゲストで呼び、幾度となく取り上げ、知名度を全国区に広げるなどボクシングと王者に対する敬意は余念がない。長谷川とは家族ぐるみで交流がある。また[[渡辺二郎]]との交友履歴が長かったが、これが後の芸能界引退の契機となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親が元国鉄職員だった影響からか、鉄道に関する知識もあり、[[東海道本線]]の東京から神戸間までの全駅名を暗唱する特技を彼が司会を務めた[[クイズヘキサゴン]]の番組内にて、披露したことがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[わたせせいぞう]]の作画で漫画原作を担当している。だが、本人は子供の頃から漫画を読まず、はまったアニメもないという。そのため、[[フジテレビ系アニメ]]『[[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]』のタイアップ曲である「[[風をさがして]]」の作詞を真面目にせず、ファンから酷評された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.j-cast.com/2009/11/19054269.html?p=all|title= 「ワンピース」オープニングが変 東映アニメ公式HPが炎上|publisher= [[ジェイ・キャスト|J-CASTニュース]]|date= 2009年11月19日}}&amp;lt;!--また、YouTubeなどに投稿された当該曲の関連動画にも、否定的な内容のコメントが多数残されている。--&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかしながら、ジブリ映画には、はまっており、中でも『[[耳をすませば]]』は、凄く良かったと著書で絶賛していた&amp;lt;ref&amp;gt;「いつも心に紳助をファイナル」よりP41参照&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[1990年]]に放送されたアニメ[[もーれつア太郎]]の主題歌を[[島田紳助&amp;amp;バスガス爆発楽団]]名義として、担当していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 傷害事件 ==&lt;br /&gt;
2004年10月25日、[[朝日放送]]社内にて『[[クイズ!紳助くん]]』収録前、[[勝谷誠彦]]の女性マネージャー（当時40歳）が、紳助の尊敬する会社の社長や先輩芸能人を呼捨てにして話すのを聞き、さらにその女性が会社に入って当時既に5年目と知り、その女性を別室に無理やり連れ込み説教をしたが、反省の様子が全くないと腹を立て、拳や物で殴る、髪を掴んで壁に打ちつける、顔に唾を吐きかけるなどの暴行を加え、全治一週間の頸椎捻挫を負わせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すぐさま被害女性は大阪府警[[大淀警察署]]に診断書を提出し、10月28日付で[[傷害罪|傷害]]容疑で告訴した。紳助は警察に訴えられたと知ると、同日に吉本興業の東京支社で記者会見を開き、暴行傷害の容疑を認め、テレビカメラの前で「100対0で僕が悪いです」「被害者が芸能界を辞めろと言うならすぐに辞めます」と言って泣きじゃくって反省している様子を見せた。だが、記者からの質問に対してはひたすら「僕が悪い」を繰り返すだけで、質問には全く答えなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを受けて吉本興業では[[11月4日]]まで紳助を謹慎処分とし、期間中のレギュラー番組については、各局ともテロップ（収録した日付など）を挿入して通常通り放送した。ただし[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[行列のできる法律相談所]]』については、[[法律]]をテーマに扱っているだけにテロップ挿入で放送というわけにはいかず、緊急[[生放送]]として事務所の後輩で準レギュラーの[[東野幸治]]を代理司会に立てて放送した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大阪府警大淀署は11月4日、紳助を「加害者」として[[傷害罪]]の疑いで[[書類送検]]、検察が[[略式手続|略式起訴]]を請求し、[[大阪簡易裁判所]]において、「罰金30万円」の[[略式手続#略式命令|略式命令]]が下され、正式裁判の請求がなされることがなかったため有罪が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、紳助は、当初の11月4日までの芸能活動自粛期間の無期限延期を表明し、[[11月8日]]の読売テレビ・日本テレビ『[[キスだけじゃイヤッ!]]』を最後にブラウン管から一時期姿を消した。被害者からは「芸能界を辞めて」と引退を要求されていたが、わずか2ヶ月程の謹慎の後、[[2005年]][[1月2日]]『行列のできる法律相談所』内の生放送にて復帰の挨拶と事件についての謝罪を改めて行って復帰した。先述の東野や[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]らが紳助のレギュラー司会の代理を務め、紳助の復帰まで繋いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害女性は事件後休職していたが、[[2006年]][[6月]]限りで休職期間満了として退職扱いとなった。しかし、同年[[8月4日]]には被害女性が加害者の紳助と吉本興業を相手取り、4400万円の損害賠償を求める民事訴訟を[[東京地方裁判所]]に起こした。また、仕事ができなくなったのは首の捻挫や[[PTSD]]などが原因であるとして、退職扱いの無効と雇用関係の確認も求めた。賠償請求訴訟は[[2010年]][[9月21日]]、原告主張が認められ1045万円の賠償命令が下ったが、退職扱いの無効と雇用関係の確認に関しては原告主張が認められず棄却となった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |url=http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092101000953.html|title= 紳助さん側に1千万円賠償命令 04年暴行事件で東京地裁|publisher= [[47NEWS]] &amp;gt; [[共同通信社|共同ニュース]]|date=2010-09-21 |accessdate=2011-09-22}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。本件の控訴審は[[2011年]][[9月22日]]、[[東京高等裁判所]]で和解が成立。これに関して吉本興業側は具体的な内容について「明かさない」としている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |url=http://www.47news.jp/CN/201109/CN2011092201000864.html |title=島田紳助さん、暴行事件で和解 東京高裁で被害女性と|publisher= 47NEWS &amp;gt; 共同ニュース |date=2011-09-22 |accessdate=2011-09-22}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 書類送検時のメディアの呼称 ====&lt;br /&gt;
{{seealso|報道におけるタブー#芸能プロダクションタブー}}&lt;br /&gt;
先述の書類送検時、メディアがこれを報じた際、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]は「島田紳助[[被疑者|容疑者]]」、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]は「島田紳助さん」、[[日本放送協会|NHK]]は「島田紳助所属[[タレント]]」、[[TBSテレビ|TBS]]・[[テレビ朝日]]・[[テレビ東京]]は「島田紳助司会者」、[[共同通信社]]は「島田紳助タレント」、[[讀賣新聞|読売新聞]]・[[朝日新聞]]は「島田紳助容疑者」、[[毎日新聞]]は「島田紳助（呼び捨て）→島田紳助容疑者」、[[産経新聞]]は「島田紳助さん→島田紳助容疑者」、[[スポーツ新聞]]各紙（『[[スポーツニッポン]]』、『[[日刊スポーツ]]』、『[[スポーツ報知]]』、『[[デイリースポーツ]]』、『[[サンケイスポーツ]]』：大阪版）は「島田紳助（呼び捨て）」とそれぞれ呼称が分かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民放在京キー局で唯一「容疑者」呼称をしたフジテレビは「（逮捕ではなく）書類送検ではあるが、紳助が記者会見で罪を認めたため、容疑者扱いとした」としている&amp;lt;ref group=&amp;quot;注&amp;quot;&amp;gt;『[[情報プレゼンター とくダネ!]]』でこの件が取り上げられた際、当時フジテレビ[[日本のアナウンサー|アナウンサー]]の[[長谷川豊]]が旨を説明。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、フジテレビを含め「容疑者」呼称をしたメディアも「島田紳助（芸名）容疑者」とし、「長谷川公彦（本名）容疑者」とはしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 芸能界引退 ==&lt;br /&gt;
=== 記者会見 ===&lt;br /&gt;
2011年8月23日19時頃、所属する吉本興業から「島田紳助に関する緊急記者会見開催」がマスコミ各社に通知され、22時00分より吉本興業東京本部で紳助本人および吉本興業社長の[[大崎洋]]などによる記者会見の席にて同日付にて島田紳助が芸能界を引退するという発表が行われた。引退事由は、紳助と[[暴力団]]関係者との交際が発覚し、けじめを付けるためであるとした。紳助はあらかじめ軽い言い方で申し訳ないと前置きしながらも「僕の中では『この程度』なんです。頻繁に密着しているわけではない。『この程度』でも引退になるんだと、後輩に同じ過ちを繰り返させたくない」「自分の中ではセーフと思っていたが、芸能界のルールとしてはアウトだった（指摘されるまで気づかなかった）」「（[[週刊誌]]による不法カジノ入店を否定した際）嘘を言っていたら、皆さんの前で腹を切る」と語った。時折、涙を交えながらの記者会見は50分程に及んだ。また涙の理由に関しては「引退を決意した際、慰めてくれたり本気で叱ってくれた人の優しさを思い出し涙を流したのであって引退に対する後悔の涙ではなく引退を決意してから一度もぶれることがなかった」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
紳助は後述の引退後のインタビューの際、「引退は以前から別の理由で考えていて、暴力団との交際発覚はそのきっかけの1つに過ぎない」と語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
吉本興業側は、警察から吉本興業に暴力団関係者のメールの中に、紳助とのやりとりがあったという情報が寄せられたことから&amp;lt;ref&amp;gt;[http://zasshi-journalismsyo.jp/pdf/12_wadai_shinsuke.pdf 島田紳助“黒い携帯メール”106通全文入手]『週刊朝日』2011年9月9日号&amp;lt;/ref&amp;gt;、8月21日のいずれも[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ34]]』、『[[行列のできる法律相談所]]』生放送終了直後に紳助を呼び事実確認をしたところ、紳助が事実であることを認めたため引退を決定した。法的には問題はないが、芸能界のモラルとして社会的影響力の高いテレビ等に出演しているタレントとしては許されない。社としては厳しい態度で臨むべきだと判断したと説明した。また会見では、暴力団関係者の氏名・団体名は非公表とされ、記者団にもそれに関する質問の自粛を求めた。質問の内容も「芸能界での思い出について」など当たり障りのない内容であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
各メディアは紳助引退の第一報を会見終了後に行い、テレビ・ラジオで会見の生中継もなかった（これも吉本興業側の通達によるものとされる）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://digital.asahi.com/articles/TKY201108290489.html?id1=2&amp;amp;id2=cabbaida|title= 生中継認めぬ―しばり会見、メディア大半受け入れ|publisher= [[朝日新聞デジタル]]|date= 2011年8月30日|archiveurl= http://web.archive.org/web/20110927031835/http://digital.asahi.com/articles/TKY201108290489.html?id1=2&amp;amp;id2=cabbaida|archivedate= 2011月9月27日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、[[ニコニコ生放送]]では唯一会見を生中継で行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その後の報道 ===&lt;br /&gt;
会見翌日以降、芸能ニュースだけでなく一般ニュースとしても大きく取り上げられた。関係を持っているとされた暴力団関係者は、1人は[[渡辺二郎]]、もう1人は、[[山口組]]ナンバー4・筆頭若頭補佐で、山口組系[[極心連合会]]会長の[[橋本弘文]]であると報道された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://megalodon.jp/2012-1206-0644-58/gendai.ismedia.jp/articles/-/17120|title= 島田紳助「早過ぎる芸能界引退」の裏側に「暴力団幹部との親密関係」に重大関心を示した捜査当局の動き「セーフ」はなぜアウトになったのか|publisher= 現代ビジネス|date= 2011年8月25日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://sankei.jp.msn.com/region/news/121203/osk12120315000006-n1.htm|title= 紳助さんが交際認めた山口組最高幹部の関連先捜索 詐欺容疑で大阪府警|publisher= msn産経ニュース|date= 2012年12月3日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、渡辺は極心連合会相談役であるとも報じられた。[[関西テレビ放送|関西テレビ]]『[[紳助の人間マンダラ]]』担当中の1998年、番組内で行った発言が右翼団体の癪に障り、関西テレビ本社に頻繁に街宣がかけられ、引退を考えるまでに精神的に追い詰められていた。しかし、渡辺が橋本にそれを鎮めるよう依頼し、右翼団体の街宣は収まった。以来、それを鎮めた橋本との交流が始まった。25日には、橋本に送った手紙や同席写真が、暴力団関係者の警察の家宅捜索の際に見つかっていたことが報道された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201108250032.html|title= 番組発言巡り街宣車 十数年前、関テレに 紳助さん|publisher= [[朝日新聞]]関西|date= 2011年8月25日}}{{リンク切れ|date=2013年5月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.asahi.com/special/playback/OSK201108240176.html|title= 紳助さん出演局に街宣車　山口組系組長がトラブル解決|publisher= [[朝日新聞デジタル|asahi.com]]|date= 2011年8月25日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後にはさらに、別の山口組大幹部―山口組のナンバー2と目される[[弘道会]]会長・[[高山清司]]と見られる人物と肩を寄せ合って写った写真が『[[フライデー]]』に掲載されるに至っている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111006-00000509-sanspo-ent|title= 紳助さん、新たな写真…暴力団の大幹部と肩寄せ合い（サンケイスポーツ）|publisher= [[Yahoo!ニュース]]|date= 2011年10月6日|archiveurl= http://web.archive.org/web/20111007081300/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111006-00000509-sanspo-ent|archivedate= 2011年10月7日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。紳助は後述のインタビューの際、これらの写真に関して、「自分のミスだった」「昔に撮った写真で存在を忘れていた」と釈明した上、改めて自身が暴力団と深い関係がないことを強調し、その証拠として「もし深い関係があるなら、自分は逮捕されている」と主張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年1月4日に吉本興業社長の大崎が記者会見を開き、「いつの日か、私達吉本興業に戻ってきてもらえるものだと信じております」「私達は彼の才能を惜しむものであります」「これは吉本興業の全社員、全タレント、全芸人の思いです」と紳助の芸能界復帰を希望する発言を行った。『[[週刊ポスト]]』2012年5月25日号によると、この会見翌日、吉本興業には抗議の電話が殺到し、大崎自身にも世間から厳しい批判の目が向けられたという。吉本興業側が紳助の復帰を熱望する理由については、「紳助の抜けた穴が想像以上に大きく、若手芸人で埋めるのは無理だったことに加え、経営状態も決して盤石とは言えず、“稼ぎ頭”に早く戻ってきてほしいという切実なる本音」としている。ただし大崎の発言後、週刊誌等のメディアは紳助の芸能界復帰説を書き立てるようになった。2012年春以降は、具体的な復帰プランについて報じる週刊誌なども出ている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://news.nicovideo.jp/watch/nw260035|title= 島田紳助　復帰に向けドキュメンタリー仕立ての撮影が進行中|publisher= [[ニコニコニュース]]|date= 2012年5月14日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊大衆]]』2012年4月23日号&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『週刊ポスト』2012年5月25日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、2012年8月に紳助は大崎と会談し、復帰について胸中を語っていたことが判明している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130413/ent13041314260008-n1.htm 吉本興業社長、島田紳助さん復帰への胸中明かす] [[産経新聞]]2013年4月13日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 芸能関係者・政界その他各界からのコメント ===&lt;br /&gt;
紳助は[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の登場が自らに漫才を諦めさせ、紳竜解散を決意するきっかけとなったため、自分が芸能界を辞める際はまず友人関係にある[[松本人志]]に話をすると予てから心に決めていた。そのため今回の引退決意に際して紳助は松本に電話および電子メールにて自身の引退を伝え、それを受け取った松本は「辞めないでください、漫才だけは辞めないでください」と慰留するも紳助の意思は固く、「自分のわがまま、美学を通させてください」と返されたという&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/08/24/kiji/K20110824001473270.html|title= 松本人志“やめないで”に「美学を通させて…」と|publisher= [[スポーツニッポン|Sponichi Annex]]|date= 2011年8月24日|accessdate= 2011年8月24日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。松本自身はその後、コメントを発表せずインタビューでも一定の沈黙を保ったが、[[ワイドナショー]]において、2013年10月21日に「僕は全然戻ってきてもいいと思う」、2014年5月4日には「僕はずっと言ってるんですけど、紳助さんに戻ってきてほしいんですよ。」と紳助の復帰を望む発言を繰り返している。また紳助は[[和田アキ子]]にも引退を報告しようとしたが、和田が海外旅行中で出なかったため、報告は松本のみになった。和田は帰国後、「弟のように可愛がっていたのに残念」と語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ロンドンブーツ1号2号]]・[[田村淳]]は「吉本興業の尊敬する先輩の1人が引退されること、ただただ残念でなりません。僕が司会の仕事をするようになった時に紳助さんの番組を沢山見て、勝手に学ばせてもらってました…中々一緒に仕事をする機会が少なかったですが、まだまだ勉強させてもらいたかったです」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.j-cast.com/tv/2011/08/25105273.html|title= ロンブー田村淳　紳助の引退「まだまだ勉強させてもらいたかった」|publisher= J-CASTテレビウォッチ|date= 2011年8月25日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。病気休養中だった[[ナインティナイン]]の[[岡村隆史]]に毎日メールで連絡をしていた先輩が紳助であり、引退に際しては「常に自分を気にかけてくれた、ただただ熱く後輩想いの良き先輩、戻ってきて欲しい」とコメントした。また、任命された『[[THE MANZAI (お笑いのコンテスト)|THE MANZAI 2011]]』の司会をやり遂げたいと決意を露わにし、やり遂げた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://news.nicovideo.jp/watch/nw105626|title= 島田紳助さん引退に、ナイナイ岡村「戻ってきて頂きたい」|publisher= ニコニコニュース|date= 2011年8月26日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
紳助の番組をきっかけにブレイクした、[[上地雄輔]]は自身の公式ブログで、「しんすけさんは、誰がなんと言おうと、何を言われようとオイラの父ちゃんです。「お父ちゃん」なんて書いてまた不謹慎て書かれても報道されても、間違いなく大事な大事なオイラの父ちゃんは父ちゃんです。あの人はそんなすごいスーパーマンです。ただオイラはオイラの大好きな人の笑顔と、きれいな涙を何があろうと、守ると決めたらズェッテーに守ります。文句があんならどーかほっといて(;_;)」とコメントした&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://ameblo.jp/kamijiyusuke/entry-10996865827.html|title= ふぅ～。書きます。|publisher= 上地雄輔オフィシャルブログ「神児遊助」|date= 2011年8月25日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.rbbtoday.com/article/2011/08/25/80268.html|title= 上地雄輔が島田紳助さんへの思いつづる「誰がなんと言おうとオイラの父ちゃん|publisher= RBB TODAY|date= 2011年8月25日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。それ以外にも紳助の番組に出演した芸能人はブログやテレビ番組で引退を惜しむを出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明石家さんま]]は紳助の引退に理解を示し、「帰ってきたって良いんですよ」「引退する気持ちは物凄い分かる。疲れてくるんですよ。いろんなことに。僕も何度もやめようと思った」とコメント&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/08/28/kiji/K20110828001501070.html|title= さんま 同期紳助さんに「帰ってきたっていい」|publisher= Sponichi Annex|date= 2011年8月28日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。紳助とは同期であり親友の間柄だが本人から連絡は来ず会社からの報告で引退を知ったと語った。また、一番の友達というイメージであろう自分に記者が詰めかけるだろうと予想していたが、1人たりとも取材が来ず落胆したという。本人は紳助に「やめないでくれ」と泣いたり、面白コメントを残す用意をしていたらしく、記者会見まで開くつもりだった。公には「（仕事が増えて）嬉しいわ」「本人とは連絡とっていない。あいつは法律で決まっているかのように大事な話は一切せえへんねんな」「あいつが辞めたことで、仕事が増えるやろ。（引退の真相を）俺が調べてラジオで言うわ」とコメントしている。紳助引退後の『[[行列のできる法律相談所]]』のスペシャルの回では特別ゲストとして登場し司会を務めている（その際、紳助の名前を出し笑いを取ることもある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で[[ビートたけし]]は自らの暴力団との関わりを語り、過去にトラブル解決の申し出があっても全て断ってきたと紳助との違いを強調した上で、「タレントとしてそういうのを上手くやって逃げるのも本人の“芸”だって言ってるんだけど、紳助は“芸”がなかった」と語った&amp;lt;ref&amp;gt;『週刊文春』2011年9月29日号「ビートたけし「暴力団との交際」すべて語った」&amp;lt;/ref&amp;gt;（詳しくは当該記事を参照のこと）。しかし、たけしは、引退報道直後に放送した、[[たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5〜6個のこと]]其のⅡの冒頭において、引退問題について、紳助を半年間、謹慎にして、その復帰後に暴力団に関するネタを話していけば良いのではないかと提案していた。前述のインタビューにおいて、その後、マスコミに追い掛け回されたことについて、たけしは、紳助の気持ちがわかったと吐露していた。また[[やしきたかじん]]は「歯切れが悪い。メールくらいでは吉本は切らない」と記者会見で語られた以上の事実があるのではないかとの見方を示した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110824/ent11082411470012-n1.htm|title= 【紳助さん引退】「歯切れ悪いですね」 親友やしきたかじんさん、ツイッターで発言|publisher= MSN産経ニュース|date= 2011年8月23日|archiveurl= http://web.archive.org/web/20110907233743/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110824/ent11082411470012-n1.htm|archivedate= 2011年9月7日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[大橋巨泉]]は「カナダで、限られた情報しか手に入らない」「[[反社会的勢力]]との交際は、公人としてはまずい」とした上で、「『引退』には反対」「『1年間の謹慎、休養』くらいが妥当ではないのか」「これからが面白いと思っていたのに、残念でならない」と過去に自らが才能を見出した紳助の引退を惜しんだ&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url=http://www.kyosen.com/column/?p=608|title= 今週の遺言 » 第138回 島田紳助の引退に思う。どこからがアウトなのかハッキリさせるべきでは!?|publisher= [[大橋巨泉|KYOSEN.com]]|date= |accessdate= 2011-10-24}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政界その他各界からもコメントが多数寄せられた。『行列のできる法律相談所』への出演から[[政治家]]へ転身した者のうち、当時[[大阪府知事一覧|大阪府知事]]の[[橋下徹]]（現：[[大阪市長]]）は「紳助さんの番組がなければ知事になれなかった」としつつも「暴力団追放の旗振りを僕がしている以上、寛容にはなれない」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.asahi.com/special/08002/OSK201108240075.html|title= 橋下知事、紳助さんに「お疲れさま」メールであいさつ|publisher= asahi.com|date= 2011年8月23日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。同様に現在、[[参議院|参議院議員]]の[[丸山和也]]は「綺麗事で腑に落ちない。響かないワンマンショーだった」「『どこが悪いんですか』と突っ張って開き直るべきだった。」「そうしないから『他に理由があるのかな』『先手を打ったのかな』と思ってしまう」「『後輩に示しがつかない』『僕の美学』と、お涙頂戴の世界にするのは逆にカッコ悪い」と評した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20110824-OHT1T00302.htm|title= 丸山参院議員、お涙頂戴は「カッコ悪い」…紳助さん引退|publisher= [[スポーツ報知]]|date= 2011年8月24日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[枝野幸男]]は「政府は企業活動からの暴力団排除に向けた取り組みを推進しており、引退はやむを得ない。天才的で国民に広く親しまれていただけに残念」とコメントした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それ以外には[[麻生千晶]]は「番組で人の顔の造作や体型についてまであれこれ言い、“突っ込み”と称する『いじり』と『いじめ』を繰り返していた。そんな彼の手法を真似（まね）する子供も増えたと聞き、彼が女性マネジャーへの傷害事件を起こした後も、各テレビ局の対応は甘く、彼を使い続けたテレビ局や[[吉本興業]]にも責任がある」と評した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110825/ent11082511450015-n1.htm|title= 【紳助さん引退】テレビ局の責任は大きい 麻生千晶さん＋（1-2ページ）|publisher= MSN産経ニュース|date= 2011年8月25日|archiveurl= http://web.archive.org/web/20111110064034/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110825/ent11082511450015-n1.htm|archivedate= 2011年11月10日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他に海外メディアも引退を伝えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テレビ各局への影響 ===&lt;br /&gt;
紳助の引退で、出演番組の放送についての対応はテレビ局毎に分かれた。共通していることは、引退後に収録された番組でトーク、ナレーターなどで紳助に関連する内容に触れる場合、紳助の実名を伏せて「&#039;&#039;&#039;あの人&#039;&#039;&#039;」「&#039;&#039;&#039;前任者&#039;&#039;&#039;」「&#039;&#039;&#039;大物司会者&#039;&#039;&#039;」などに言い換えて放送した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.j-cast.com/tv/2011/10/04108998.html|title= ヘキサゴンファミリー恩知らず!?紳助のしの字もなかった最終回|publisher= J-CASTニュース|date= 2011年10月4日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;注&amp;quot;&amp;gt;ただし、『行列のできる法律相談所』や『オールスター感謝祭』では「紳助（さん）」「島田（さん）」「紳ちゃん」などと実名を出されている。2012年春の『オールスター感謝祭』では[[爆笑問題]]の[[太田光]]が「&#039;&#039;&#039;島田さんはどうされたんですか。&#039;&#039;&#039;」と言い、司会の[[今田耕司]]は「&#039;&#039;&#039;海外でのんびりされています&#039;&#039;&#039;」と答えた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。在京局・在阪局制作の紳助出演番組を購入して放送（[[再放送]]含む）する[[ローカル局]]も該当番組を差し替えるなど対応に追われた。また、石橋貴明や松本人志、今田耕司、岡村隆史らが紳助を連想させる言葉として、「&#039;&#039;&#039;素敵やん&#039;&#039;&#039;&amp;lt;ref group=&amp;quot;注&amp;quot;&amp;gt;テロップではカタカナ表記の「ステキやん」の場合もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;」を用いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
詳細な情報に関しては、各番組の記事を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 放送継続 ====&lt;br /&gt;
;[[開運!なんでも鑑定団]]&lt;br /&gt;
: 「番組内容に問題があったわけではない。お宝の鑑定自体が番組のメインで、紳助さんありきの番組ではない」と放送継続を早期に決定。同月27日には、代理司会として先述謹慎時にも起用された[[今田耕司]]を起用し9月13日放送分までの3回分が収録された。それ以降の放送での司会進行役は未定とされていたが&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/08/28/0004412048.shtml|title= 今田 完璧！紳助さんの代役初収録|publisher= [[デイリースポーツ|デイリースポーツonline]]|date= 2011年8月28日|accessdate= 2011年8月28日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、2011年9月14日にテレビ東京より今田を後任の正司会者にすることが発表された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/09/15/kiji/K20110915001623550.html|title= 「ヘキサゴン」打ち切り 「鑑定団」は今田に正式決定|publisher= Sponichi Annex|date= 2011年9月15日|accessdate= 2011年9月19日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;[[行列のできる法律相談所]]&lt;br /&gt;
: 8月最終週分の放送を中止し、[[つなぎ番組|代替番組]]（直前番組『[[世界の果てまでイッテQ!]]』の特別編）が放送された。その後、同月29日に番組の存続が[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]から発表された。9月以降は司会者を変え、9月4日放送分の代理司会を[[東野幸治]]に決定し収録が行われた。その後は東野と[[宮迫博之]]、[[後藤輝基]]（[[フットボールアワー]]）が交代で司会を務めている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/09/01/kiji/K20110901001530730.html|title= 紳助さん代役 「行列…」司会は東野＆宮迫が１週間交代で|publisher= Sponichi Annex|date= 2011年9月1日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。その他、12月4日は[[綾部祐二]]（[[ピース (お笑いコンビ)|ピース]]）が、2012年1月15日のスペシャル・22日・10月21日のスペシャルは[[明石家さんま]]が、3月4日は[[ベッキー]]が司会を務めた。2012年1月から再放送が再開されている。&lt;br /&gt;
;[[人生が変わる1分間の深イイ話]]&lt;br /&gt;
: 『行列』同様8月最終週は代替番組（直後番組『[[しゃべくり007]]』の特別編）が放送され、その後は引き続き[[羽鳥慎一]]（同じ誕生日）の司会で放送された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://mantan-web.jp/2011/08/29/20110829dog00m200029000c.html|title= 行列のできる法律相談所：次回の司会は東野幸治 その後は未定|publisher= [[毎日新聞|MANTANWEB]]|date= 2011年8月29日|accessdate= 2011年8月30日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。さらに、紳助の番組での肩書きだった「スペシャルコメンテーター」は週代わりゲストで対応して放送を続行すると報じており、実際にその体裁で番組が続行されていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2011082602000088.html|title= 紳助さんの代役に羽鳥アナ 日テレ系「～深イイ話」の顔に|publisher= [[中日スポーツ]]|date= 2011年8月26日|accessdate= 2011年8月28日 |archiveurl=http://megalodon.jp/2011-0826-2036-39/www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2011082602000088.html |archivedate=2011年8月26日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。2012年10月から今田耕司が「スペシャルコメンテーター」に固定され、放送が続いている。&lt;br /&gt;
;[[オールスター感謝祭]]&lt;br /&gt;
: 引退から約1か月後の2011年10月1日に放送が予定されていたが、引退直後は放送自体が一旦白紙となった&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/08/31/kiji/K20110831001525070.html|title= 止まっているTBS 紳助さん番組「一刻も早く決めたいんですが…」|publisher= Sponichi Annex|date= 2011年8月31日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後リレーによる司会で開催することが決定したが、当日の放送まではメンバーを発表せず、その状況を逆手にとって「MC不在で番組最大のピンチ」「新司会者は誰なのか!?」といった番組宣伝CMを流し、当日の事前番組でも[[島崎和歌子]]が新司会者について打ち合わせをする模様を放送した。そして、本編の放送内で登場とともに発表され、今田耕司・田村淳・東野幸治が交替で司会を務めた。2012年春からは今田が正式な2代目の総合司会に就任している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 放送打ち切り ====&lt;br /&gt;
;[[紳助社長のプロデュース大作戦!]]&lt;br /&gt;
: 当初は番組内では紳助以外では最高位の役職「部長（司会補佐）」の[[陣内智則]]が「社長（司会進行）」に昇格して放送継続するとの報道があったものの&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sanspo.com/geino/news/110831/gnd1108310503002-n1.htm|title= 陣内智則“新社長”で続行案急浮上|publisher= SANSPO.COM|date= 2011年8月31日|archiveurl= http://web.archive.org/web/20120321081902/http://www.sanspo.com/geino/news/110831/gnd1108310503002-n1.htm|archivedate= 2012年3月21日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、その後9月中の放送休止および10月以降の放送は未定であるとの発表を経て&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.oricon.co.jp/news/rankingnews/2001289/|title= 『紳助社長』“進退”決まらず 9月中は放送休止|publisher= ORICON STYLE|date= 2011年8月31日|accessdate= 2011年9月2日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;同年9月7日に、『サンケイスポーツ』のTBSへの取材で、「紳助が企画を立てるという番組の特性上継続はできない」として、番組打ち切りを認め、同年8月16日放送分&amp;lt;ref group=&amp;quot;注&amp;quot;&amp;gt;同年8月23日は『[[教科書にのせたい!]]』のスペシャルが放送されていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;を以って終了。また、当時[[赤坂サカス]]で開催されていたイベント『[[夏サカス]]2011〜笑顔の扉〜』の番組ブースは同年8月28日の会期終了を前に8月24日で閉鎖となり&amp;lt;ref name=&amp;quot;event&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|url= http://www.asahi.com/culture/update/0824/TKY201108240160.html|title= 番組差し替え、テレビ各局対応に追われる 紳助さん引退|publisher= asahi.com|date= 2011年8月24日|archiveurl= http://web.archive.org/web/20120525042527/http://www.asahi.com/culture/update/0824/TKY201108240160.html|archivedate= 2012年5月25日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、番組内のプロジェクトとして[[宮古島]]で経営していた[[民宿]]も9月25日で営業を終了した。&lt;br /&gt;
: 民宿の支配人として宮古島に滞在していた[[デンジャラス]]・[[ノッチ (お笑い芸人)|ノッチ]]夫妻の動向に関しては『[[中居正広の金曜日のスマたちへ]]』9月30日分「夫婦波乱万丈」において、放送された。2011年11月1日からは[[ナインティナイン]]を起用した『[[もてもてナインティナイン]]』がスタートした&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/09/29/kiji/K20110929001717400.html|title= 「紳助社長」後番組はナイナイ司会のバラエティー番組|publisher= Sponichi Annex|date= 2011年9月28日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/10/25/kiji/K20111025001888160.html|title= ナイナイ岡村 矢部の結婚発表を示唆? 「いろいろ発表できたら」|publisher= Sponichi Annex|date= 2011年10月25日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。番組内企画の1つであった「お見合い大作戦」もその番組に移して続行している。&lt;br /&gt;
;[[クイズ!ヘキサゴンII]]&lt;br /&gt;
: 引退発表翌日の同年8月24日およびその翌週の8月31日は代替番組が放送された。また、当時開催中であった『[[お台場合衆国]]』の番組イベントは同年8月31日の会期終了を前に8月24日を以って中止となった&amp;lt;ref name=&amp;quot;event&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: そして同年9月2日にフジテレビから、同月7日は[[藤本敏史]]（[[FUJIWARA]]）と[[つるの剛士]]で、14日は[[品川祐]]（[[品川庄司]]）と[[上地雄輔]]の代理司会で放送することが明かされ&amp;lt;ref name=&amp;quot;hexagon&amp;quot;&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/09/02/kiji/K20110902001539320.html|title= フジ「ヘキサゴン」継続は五分五分 ファミリーは「紳助さんと切り離して」|publisher= Sponichi Annex|date= 2011年9月2日|accessdate= 2011年9月2日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、翌3日に収録が行われた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2011090402000064.html|title= 「ヘキサゴンII」藤本ら緊張収録|publisher= 中日スポーツ|date= 2011年9月4日 |archiveurl=http://megalodon.jp/2011-0904-0925-02/www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2011090402000064.html |archivedate=2011年9月4日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。それ以降の放送に関しては、放送の継続に関しても五分五分としていたが&amp;lt;ref name=&amp;quot;hexagon&amp;quot;/&amp;gt;、2011年9月14日の『日刊スポーツ』の報道において、『プロデュース大作戦!』と同様に紳助抜きで番組を維持するのが難しいと判断され、9月28日放送の「卒業式」特番を以って終了した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110914-834611.html|title= 紳助さん番組2本目 ヘキサゴン今月終了|publisher= [[日刊スポーツ|nikkansports.com]]|date= 2011年9月14日|accessdate= 2011年9月14日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。紳助の冠番組以外で打ち切られた唯一の番組ということにもなった。2011年いっぱいは特番および代替番組を放送し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110929-842425.html|title= ヘキサゴン穴はバレーと特番… 後継は来年|publisher= nikkansports.com|date= 2011年9月28日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、2012年1月から新番組として代替番組としても数回放送された『[[おじゃマップ]]』を開始した。なお、元々発売が決定していた番組発[[アルバム]]『[[WE LOVE ヘキサゴン 2011]]』は同年11月23日に発売されたが、同アルバム購入者による投票という形式で企画予定していた、[[ヘキサゴンファミリー]]による総選挙（[[AKB48]]選抜総選挙のパロディ）は中止となった。&lt;br /&gt;
;[[クイズ!紳助くん]]&lt;br /&gt;
: 2011年8月29日放送分からレポーター集団「なにわ突撃隊」を前面に出し、「熱血!なにわ突撃隊スペシャル」として放送されていた。収録済みだった8月29日・9月5日・9月12日放送分はロケパートのみに編集し、9月19日・26日放送分に関しては名場面集となっている。騒動発生早々に「打ち切り内定第一号」とする報道もあったが&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&amp;amp;d=0828&amp;amp;f=entertainment_0828_002.shtml|title= 「クイズ!紳助くん」打ち切り第1号か、各番組も調整に難航|publisher= [[サーチナ]]|date= 2011年8月28日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、局側は放送継続に関して2011年8月30日時点では検討中としていた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.oricon.co.jp/news/movie/2001182/full/|title= 紳助さん引退で『クイズ!紳助くん』が番組差し替え 今後の編成は検討中|publisher= ORICON STYLE|date= 2011年8月28日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/08/31/kiji/K20110831001522420.html|title= 苦肉のカットと編集 「クイズ!紳助くん」番組名と内容差し替え 存続は…|publisher= Sponichi Annex|date= 2011年8月31日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。しかしABCは2011年9月20日に打ち切りを正式決定し&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sanspo.com/geino/news/110920/gnd1109201632000-n1.htm|title= 「クイズ！紳助くん」3本目の打ち切りへ|publisher= SANSPO.COM|date= 2011年9月20日|archiveurl= http://web.archive.org/web/20110923170655/http://www.sanspo.com/geino/news/110920/gnd1109201632000-n1.htm|archivedate= 2011年9月23日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、特番は9月26日に終了した。後番組には『[[ナイトinナイト]]』火曜に放送されていた『[[ごきげん!ブランニュ]]』が2011年10月31日から移動して放送されているほか、同番組枠は火曜日に移動し、2011年11月1日から[[雨上がり決死隊]]が司会を務める『[[雨上がりのやまとナゼ?しこ]]』&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sanspo.com/geino/news/111021/gnf1110211112001-n1.htm|title= 深夜の人気番組、ゴールデンでアツ～い対決|publisher= SANSPO.COM|date= 2011年10月21日|archiveurl= http://web.archive.org/web/20111023145720/http://www.sanspo.com/geino/news/111021/gnf1110211112001-n1.htm|archivedate= 2011年10月23日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;が開始した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これ以外に紳助が出演予定だった特別番組が多数あったが、いずれも放送中止もしくは代替出演者を立てるなどの対応が行われた。例えば『THE MANZAI 2011』は計画の白紙が一時報じられたものの&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |url=http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201108240067.html|title=「THE MANZAI」にも影響… |publisher= asahi.com|date=2011-08-24|accessdate=2011-08-24}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、その後予定通り開催された&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/09/03/0004431446.shtml|title= THE MANZAI開催へ 紳助さん抜きで|publisher= デイリースポーツonline|date= 2011年9月3日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、紳助が務める予定だった「大会審査委員長」は代役を置かず空席となった（紳助に代わる番組の顔としてビートたけしが「大会最高顧問」として出演）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
CS放送では『[[オレたちひょうきん族]]』の再放送（[[フジテレビONE]]）や『クイズ!紳助くん』（[[スカイ・エー]]）も終了となった。しかし、過去に紳助が出演していた、[[人形劇三国志]]（[[NHK]]）のNHKオンデマンドの配信は、[[2014年]][[4月30日]]まで、特に問題がなく、配信されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
引退時点で唯一のCMであり、主に『行列のできる法律相談所』の枠で放送されていた、[[三浦工業]]のCMは引退後の24日に放送打ち切りを決定した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.47news.jp/news/2011/08/post_20110824163435.html|title= 島田紳助さん引退でCM中止へ ボイラー製品の三浦工業|publisher= 47NEWS|date= 2011年8月24日|accessdate= 2011年8月28日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 引退後の本人の動向 ===&lt;br /&gt;
2012年1月、本人役として声のみの出演をした映画『犬の首輪とコロッケと』（引退前に撮影）が公開され、エンドロールに名を連ねた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120107-OHT1T00002.htm|title= 紳助さんが“復帰”! 映画で本人役の声出演…引退前に収録|publisher= スポーツ報知|date= 2012年1月7日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[週刊文春]]』2012年4月26日号（2012年4月19日発売）に、8ヶ月の沈黙を破る形でインタビューが掲載され、紳助は「僕は芸能界に未練はない」「沖縄での隠棲生活は『精神的にギリギリの苦しさ』やった」などと振り返り、最後に「これからは世界を旅したい。人間生きてるだけで幸せだと思う」と語ると同時に芸能界復帰や政治家転身を否定した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://www.sanspo.com/geino/news/20120419/owa12041905060000-n1.html|title= 紳助「芸能界に未練ない、もう仕事しない」|publisher= SANSPO.COM|date= 2012年4月19日||archiveurl= http://web.archive.org/web/20121001121726/http://www.sanspo.com/geino/news/20120419/owa12041905060000-n1.html|archivedate= 2012年10月1日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方、「いつか『テレビに出れる人』になりたい」とも語っており、自身の突然の引退で迷惑をかけた人達（番組スタッフ等）への償いをしたいという気持ちがあるとし、（『行列のできる法律相談所』のスタッフを指して）「彼らから『特番やろう』『[[衛星放送|BS]]（の番組）やろう』と言われたなら『1回だけやりたい』」とも述べている（レギュラー番組を持つなど完全な芸能界復帰は否定）&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|url= http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/menscyzo_19Apr2012_9946|title= 島田紳助、引退後初の独占告白! その真意と芸能界への未練|publisher= [[楽天|楽天Woman]]|date= 2012年4月19日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[やしきたかじん]]が病気療養中だった時にたかじんと紳助が会っていたことを、たかじん自身が『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』（[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]）内で明らかにしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年8月に亡くなった高校の同級生である[[土建屋よしゆき]]の葬儀に報道陣を避けて参列（法要後の報道陣の退去後、土建屋と最後の対面をしたという）したことが、明らかになっている。その時、献花の名札は、紳助の本名である「長谷川公彦」名義となっていた。なお、告別式には参列しなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 演じた俳優 ==&lt;br /&gt;
* [[高山トモヒロ]]（舞台「[[吉本百年物語]] アンチ吉本・お笑いレボリューション」2013年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 引退時点での出演番組 ==&lt;br /&gt;
引退後の動きは[[#テレビ各局への影響|テレビ各局への影響]]を参照。&lt;br /&gt;
=== レギュラー番組 ===&lt;br /&gt;
* 行列のできる法律相談所（[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]/2002年 -）&lt;br /&gt;
* 人生が変わる1分間の深イイ話（日本テレビ/2008年 -）&lt;br /&gt;
* クイズ!紳助くん（[[ABCテレビ|ABC]]/1993年 - 2011年）&lt;br /&gt;
* 紳助社長のプロデュース大作戦!（[[TBSテレビ|TBS]]/2010年 - 2011年）&lt;br /&gt;
* 開運!なんでも鑑定団（[[テレビ東京]]/1994年-）&lt;br /&gt;
* クイズ!ヘキサゴンII（[[フジテレビジョン|フジテレビ]]/2005年 - 2011年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 単発・不定期番組 ===&lt;br /&gt;
*オールスター感謝祭（TBS/春・秋の年2回特番）&lt;br /&gt;
* [[ZERO×選挙]]（日本テレビ/[[選挙]]実施時に放送）&lt;br /&gt;
* [[行列のできる芸能人通販王決定戦]]（日本テレビ/不定期特番）&lt;br /&gt;
* [[世界1のSHOWタイム〜ギャラを決めるのはアナタ〜]]（日本テレビ/不定期特番）&lt;br /&gt;
* [[ザ・爆笑王 2010春 激突!夢のベストテン]]（日本テレビ/2010年3月16日放送）&lt;br /&gt;
* [[FNSの日]]（フジテレビ/1987年 - 1989年、2005年 - 2011年/2009年・2010年は総合司会、それ以外はゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[THE MANZAI (お笑いのコンテスト)|THE MANZAI 2011]]（フジテレビ/不定期特番）&lt;br /&gt;
* [[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]（日本テレビ/2005年・2007年・2009年・2011年/ゲスト出演）&lt;br /&gt;
*紳助・徳光の一枚の写真（[[九州朝日放送]]/不定期特番）&lt;br /&gt;
* [[お坊さんがズバリ!解決!紳助の駆け込み寺]]（TBS/「[[スパモク!!]]」枠にて不定期特番）&lt;br /&gt;
*沖縄のすべらない話&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== CM ===&lt;br /&gt;
* 三浦工業（2001年 - 2011年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 引退より前に終了した出演番組 ==&lt;br /&gt;
※コンビでの出演作は[[島田紳助・松本竜介]]の項を参照のこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== バラエティ番組 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[ひょうきんミニ放送局]]（フジテレビ）&lt;br /&gt;
* [[ひょうきん予備校]]（フジテレビ）&lt;br /&gt;
* [[紳竜・さんまのスクープ一直線]]（関西テレビ/1983年）&lt;br /&gt;
* [[紳助・ケントの世界がお呼びです!]]（[[MBSテレビ|MBS]]/1988年4月-1990年9月）&lt;br /&gt;
* 紳助のMTV倶楽部→[[CLUB紳助]]（ABC/1988年4月12日 -1996年9月）&lt;br /&gt;
* [[クイズ仕事人]]（ABC/1988年10月-1991年3月/『クイズ!紳助くん』の前身番組）&lt;br /&gt;
* [[サンデープロジェクト]]（テレビ朝日/1990年4月-[[2004年]][[3月]]まで出演。番組は2010年3月まで続いた）&lt;br /&gt;
* [[新伍・紳助のあぶない話]]（関西テレビ/1990年-1996年）&lt;br /&gt;
* [[EXテレビ]] 火曜日（[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]/1990年4月-1994年4月）&lt;br /&gt;
**[[紳助のサルでもわかるニュース]]（読売テレビ/1994年4月-1997年9月）&lt;br /&gt;
**[[キスだけじゃイヤッ!]]（読売テレビ/1997年10月-2006年3月）⇒以後はスペシャル番組として放送。&lt;br /&gt;
**[[芸恋リアル]]（読売テレビ/2006年4月-2007年7月）&lt;br /&gt;
**[[今夜はシャンパリーノ]]（読売テレビ/2007年7月-2008年2月）&lt;br /&gt;
* [[紳助の人間マンダラ]]（関西テレビ/1991年4月-2002年3月）&lt;br /&gt;
** [[太っ腹!紳助ファンど]]（関西テレビ）&lt;br /&gt;
* [[クイズ!当たって25%]]（TBS/1991年10月 - 1992年3月/『オールスター感謝祭』の原型番組）&lt;br /&gt;
* [[ダウトをさがせ!]]（MBS/1992年4月-1993年9月）&lt;br /&gt;
** ダウトをさがせII → ダウトをさがせR（MBS/1994年10月-1995年6月）&lt;br /&gt;
* [[クイズ どんなMONだい?!]]（日本テレビ/1992年4月-1994年3月）&lt;br /&gt;
* [[嗚呼!バラ色の珍生!!]]（日本テレビ/[[1994年]][[10月]] - [[2001年]]3月）&lt;br /&gt;
* [[メトロポリタンジャーニー]]（フジテレビ/1996年4月-1997年3月）&lt;br /&gt;
* [[コロンブスのゆで卵]]（TBS/1996年4月-1997年9月）&lt;br /&gt;
* [[カジノザウルス]]（関西テレビ/1996年7月-1997年3月）&lt;br /&gt;
* [[特捜!芸能ポリスくん]]（TBS/1998年4月-1999年3月）&lt;br /&gt;
* [[ウォンテッド!!]]（フジテレビ/1998年4月-1999年3月）&lt;br /&gt;
** [[走れ!!しあわせ建設]]（フジテレビ/1999年4月- 8月）&lt;br /&gt;
* [[松紳]]（[[広島テレビ放送|広島テレビ]]/2000年10月-2006年3月/[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[松本人志]]と共演）&lt;br /&gt;
* [[ザ! キャッシュマン]]（フジテレビ/2001年4月-8月）&lt;br /&gt;
** [[B.C.ビューティー・コロシアム]]（フジテレビ/2001年-2003年。2004年から放送開始したスペシャル版には第1回のみ出演し、以後は降板した）&lt;br /&gt;
* ジョン万次郎（TBS、2002年10月-2003年3月）&lt;br /&gt;
* [[クイズ!ヘキサゴン]]（フジテレビ/2003年4月-2005年10月）&lt;br /&gt;
* [[世界バリバリ★バリュー]]（MBS/2003年4月-2008年3月）&lt;br /&gt;
** [[明日使える心理学!テッパンノート]]（MBS/2008年4月-9月）&lt;br /&gt;
* [[謎を解け!まさかのミステリー]]（日本テレビ/2003年10月-2006年3月）&lt;br /&gt;
* [[島田検定!! 国民的潜在能力テスト]]→[[島田検定!! 国民的潜在能力テスト|島田検定SUPER!!]]（TBS/2005年4月-2006年2月）&lt;br /&gt;
** [[アスリート応援TV! ニッポン!チャ×3]]（TBS/2006年4月-2007年2月）&lt;br /&gt;
* [[美味紳助]]（テレビ朝日/2007年4月-2007年9月）&lt;br /&gt;
** [[女神のアンテナ]]（[[テレビ朝日]]/2007年11月-2008年8月）&lt;br /&gt;
* [[一攫千金!日本ルー列島]]（フジテレビ/2008年4月-2009年2月）&lt;br /&gt;
* [[ホンネの殿堂!!紳助にはわかるまいっ]]（フジテレビ/2009年4月-2010年9月）&lt;br /&gt;
* [[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!]]（日本テレビ/[[逸見政孝]]の代理司会・解答席）&lt;br /&gt;
* [[歌のトップテン]] （日本テレビ）&lt;br /&gt;
* [[クイズ!!体にいいTV]]（日本テレビ）&lt;br /&gt;
* [[全国高等学校クイズ選手権]] 事前番組（日本テレビ/1987年-1996年）&lt;br /&gt;
* [[クイズ三角関係]] （TBS）&lt;br /&gt;
* [[わくわく動物ランド]] （TBS）&lt;br /&gt;
* [[ムーブ]]・[[島田弁護協会]]（TBS/1992年10月-1993年3月/『沼島の春よふたたび!お見合い大作戦』はこの番組から誕生）&lt;br /&gt;
**ムーブ・[[テレビ進学塾]]（TBS/1993年5月- 9月）&lt;br /&gt;
* 青春!島田学校（TBS/1990年）&lt;br /&gt;
* [[海岸物語 昔みたいに…]]（TBS/1988年）- 郷原進 役&lt;br /&gt;
* TV-JACK（朝日放送）&lt;br /&gt;
* [[誰がカバやねんロックンロールショー]]（関西テレビ）&lt;br /&gt;
* 夢々夢中組（毎日放送）&lt;br /&gt;
* 紳助の狼が来た〜（読売テレビ）&lt;br /&gt;
* [[クイズ!!ひらめきパスワード]]（毎日放送）&lt;br /&gt;
* [[スーパークイズスペシャル]]（日本テレビ）&lt;br /&gt;
* おとうさんの時間（[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]）&lt;br /&gt;
* [[プロ野球珍プレー・好プレー大賞]]（フジテレビ）&lt;br /&gt;
* [[熱血!島田塾〜おれたちホンキ宣言〜]]（テレビ朝日）&lt;br /&gt;
* [[HEARTに聞け]]（TBS）&lt;br /&gt;
* [[ザ・ディール]]（TBS/不定期特番）&lt;br /&gt;
* [[恐怖の食卓]]（フジテレビ/不定期特番）&lt;br /&gt;
* [[しゃべくり007]]（日本テレビ/ゲスト出演）&lt;br /&gt;
* [[行列のできる芸能人通販王決定戦]]（日本テレビ）&lt;br /&gt;
* [[島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!]]（読売テレビ）&lt;br /&gt;
* [[M-1グランプリ]]（[[ABCテレビ|ABC]] / 年1回特番、2001年 - 2010年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テレビドラマ ===&lt;br /&gt;
* [[あっちこっち丁稚]]（1975年4月6日～1983年9月18日放送、ABC）&lt;br /&gt;
* [[花の駐在さん]]（1976年～1984年10月7日放送、ABC）&lt;br /&gt;
* 恋のかけら－大阪物語－（1980年3月9日放送、KTV） &amp;lt;small&amp;gt;※主演&amp;lt;/small&amp;gt;&amp;lt;ref group=&amp;quot;注&amp;quot;&amp;gt;本作の演出を担当した[[井筒和幸]]との縁で映画『[[ガキ帝国]]』に主演する。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 春の訪問者 ミセスとぼくとセニョールと!～夢飛行～（1980年9月17日～1981年2月11日放送、MBS）&lt;br /&gt;
* [[影の軍団II]]（1981年10月6日～1982年3月30日放送、KTV）&lt;br /&gt;
** 第22話「甲賀忍法・必殺の賭け」（1982年3月2日放送）&lt;br /&gt;
* [[幕末青春グラフィティ 坂本竜馬]]（1982年11月16日放送、NTV）- 沢村惣之丞 役&lt;br /&gt;
* [[木曜ファミリーワイド]]&lt;br /&gt;
** マザコン刑事の事件簿 湖の幽霊ホテル・「お客さん今晩は…」娘たちはまた消えた！（1983年3月3日放送、フジテレビ）&lt;br /&gt;
* [[鉄矢のとんからりん]]（1983年4月3日～9月放送、ANB）&lt;br /&gt;
* 赤い足音（1983年6月22日～7月27日放送、MBS）&lt;br /&gt;
* [[花王名人劇場]]&lt;br /&gt;
** 現代夫婦事情(2) たそがれなんて恐くない!（1984年9月23日放送、KTV）&lt;br /&gt;
* [[女殺油地獄]] （1984年9月29日放送、NHK）&lt;br /&gt;
* [[幕末青春グラフィティ 福沢諭吉]]（1985年2月11日放送、TBS）- 岡っ引き黒崎 役&lt;br /&gt;
* [[月曜ワイド劇場]]&lt;br /&gt;
** 酔いどれカラオケ女医者 ネオン街の診療室、母がわが娘の妊娠中絶!（1985年3月11日放送、ANB）&lt;br /&gt;
* [[月曜ドラマランド]]&lt;br /&gt;
** おさわがせ剣士 赤胴鈴之助（1985年7月8日放送、フジテレビ）&lt;br /&gt;
* 好色一代男 世之介の愛して愛して物語（1986年1月1日放送、TBS）&lt;br /&gt;
* [[アナウンサーぷっつん物語]]（1987年4月6日～5月11日放送、フジテレビ）&lt;br /&gt;
** 第5話「女性の美しさと友情」（1987年5月4日放送）&lt;br /&gt;
* 子連れ家政婦アッコさん（1988年3月25日放送）&lt;br /&gt;
* [[海岸物語 昔みたいに…|海岸物語☆昔みたいに]]（1988年4月6日～6月22日放送、TBS）- 郷原進 役&lt;br /&gt;
* [[土曜ドラマスペシャル]]&lt;br /&gt;
** [[風よ、鈴鹿へ]]（1988年11月5日放送、TBS）&amp;lt;small&amp;gt;※自伝小説をドラマ化。チーム・シンスケが「8耐」に挑戦する話で紳助も実名で登場。第28回日本テレビ技術賞奨励賞受賞（録音）作品。&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[ドラマ23]]&lt;br /&gt;
** [[ビートたけし殺人事件]]（1989年1月16日～1月19日放送、TBS）&lt;br /&gt;
** 紳助・[[渡辺典子 (女優)|典子]]の新婚物語（1989年4月3日～4月6日放送、TBS）&lt;br /&gt;
* [[火曜スーパーワイド]]&lt;br /&gt;
** [[くどき屋ジョー]]（1989年6月6日放送、ANB）&lt;br /&gt;
* [[花王ファミリースペシャル]]&lt;br /&gt;
** 花のお江戸探偵団！（1990年4月29日放送、KTV）&lt;br /&gt;
* 吉本最後の日!? （1992年10月8日放送、YTV）&lt;br /&gt;
* [[部長刑事アーバンポリス24|新・部長刑事アーバンポリス24]]（ABC）&lt;br /&gt;
** 第247回「消えた浪花のモーツァルト」（1995年10月14日放送）&lt;br /&gt;
** 第426回「愛と哀しみの果てに…」（2000年1月8日放送）&lt;br /&gt;
* [[佐賀のがばいばあちゃん]]（2007年1月4日放送、フジテレビ）&lt;br /&gt;
* [[金曜プレステージ]]&lt;br /&gt;
** [[和田アキ子物語|実録！和田アキ子物語]]（2008年6月20日放送、フジテレビ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テレビアニメ ===&lt;br /&gt;
* [[サザエさん]]（フジテレビ）&lt;br /&gt;
** 作品No.6204「おんせん宿は花ざかり」（2009年7月26日放送）&amp;lt;small&amp;gt;※26時間テレビのスペシャル企画。民宿の主人役でゲスト出演。&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== CM ===&lt;br /&gt;
* [[ブルーレット]]（1986年/[[小林製薬]]）&lt;br /&gt;
* [[ナムコ]]『[[さんまの名探偵]]』&lt;br /&gt;
* ナムコ『[[デジタル・デビル物語 女神転生]]』&lt;br /&gt;
* 1988年、[[アシックス]]&lt;br /&gt;
* [[日清焼そばU.F.O.]]（1989年）&lt;br /&gt;
* 誌上対談（1989年/[[日産自動車]]）&lt;br /&gt;
* ラガービール（1990年/[[麒麟麦酒]]）&lt;br /&gt;
* C1000タケダ（1990年/[[武田薬品工業]]）&lt;br /&gt;
* [[1991年]]-[[1992年]]/大信販（現：[[アプラス]]）&lt;br /&gt;
* 吟生（1992年/[[サントリー]]）&lt;br /&gt;
* 不老林（メイグイファ/1994-1995年/[[資生堂]]）&lt;br /&gt;
* アーモンド・チョコレート（1994-1995年/[[江崎グリコ]]）&lt;br /&gt;
* 中央出版（1994年 - 2009年）&lt;br /&gt;
* 関西風味（1995-1996年/[[麒麟麦酒]]）&lt;br /&gt;
* [[マツダ・ボンゴフレンディ|ボンゴ・フレンディ]]（1995年/[[マツダ]]）&lt;br /&gt;
* NEXT（1998年/[[フィリップモリス]]）&lt;br /&gt;
* [[NTTパーソナル]]関西&lt;br /&gt;
* [[伊藤ハム]]（2005年）&lt;br /&gt;
* [[ジョージア (缶コーヒー)|ジョージア]]（2006年1月）&lt;br /&gt;
* [[大塚食品]]「マンナンヒカリ」（2009年10月 -  時期不明）&lt;br /&gt;
* [[毛髪クリニックリーブ21]]（2006年12月 - 時期不明）：和田アキ子と共演。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ラジオ番組===&lt;br /&gt;
* [[MBSヤングタウン]]木曜（[[MBSラジオ]]/1984年4月-1987年7月）&lt;br /&gt;
* [[ハイヤングKYOTO (第一期)|ハイヤングKYOTO]]土曜（[[京都放送]]/1982年4月 - 1985年9月、1985年10月 - 1986年10月（パート1〔前半〕担当））&lt;br /&gt;
* [[スーパーギャング|島田紳助のスーパーギャング]]（[[TBSラジオ&amp;amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]/1988年4月-1989年3月）&lt;br /&gt;
* [[島田紳助のおっと危ない!東京ばくだん小僧]]（[[ニッポン放送]]/1985年10月-1986年4月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ゲーム ===&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
* [[さんまの名探偵]] （1987年/[[ナムコ]]）本人役&lt;br /&gt;
:劇中で&#039;&#039;&#039;「紳助言うたらやくざや。どつきかえされるで」&#039;&#039;&#039;と言われている。&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;[[ニンテンドーDS]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
* クイズ!ヘキサゴンII（2010年/[[バンダイナムコゲームス]]）本人役&lt;br /&gt;
* 行列のできる法律相談所（〃年/[[〃]]）本人役&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書籍 ==&lt;br /&gt;
* 紳助の青春の叫び PART5（1980年11月、[[レオ企画]]）&lt;br /&gt;
* [[風よ、鈴鹿へ]]（1991年7月、 [[小学館]]） ISBN 978-4-09-363291-1&lt;br /&gt;
* 風が、止まる時（1990年9月、小学館）ISBN 978-4-09-363292-8&lt;br /&gt;
* こんな僕でよかったら（[[毎日新聞社]]）&lt;br /&gt;
* 「いつも心に紳助を」シリーズ（毎日新聞社）&lt;br /&gt;
** いつも心に紳助を（1994年10月、[[小池書院]]）ISBN 978-4-620-31030-5、ISBN 978-4-88315-737-2&lt;br /&gt;
** 新 いつも心に紳助を（1996年11月）ISBN 978-4-62-031144-9&lt;br /&gt;
** いつも心に紳助を ファイナル（1997年5月）ISBN 978-46-2031174-6&lt;br /&gt;
* ラスト・ラン～おっさんたちの青春が終わった～（1995年8月、小学館） ISBN 978-4-09-363293-5&lt;br /&gt;
* 紳助のH・愛・ジョーク（1995年9月、毎日新聞社） ISBN 978-4-620-31076-3, 1998年4月 小池書院 ISBN 978-4-88315-781-5&lt;br /&gt;
* メッセージ（1996年3月、毎日新聞社）ISBN 978-4-620-31106-7&lt;br /&gt;
** 紳助の「メッセージ」 たった一回の人生やもん!（同上の本、1999年4月、小池書院）ISBN 978-4-88315-789-1&lt;br /&gt;
* えせ田舎暮らし（1997年9月、[[KTC中央出版]]）ISBN 978-4-87758-053-7&lt;br /&gt;
* 知識ゼロからの金儲け（2000年6月、[[幻冬舎]]）ISBN 978-4-87728-970-6&lt;br /&gt;
* ぼくの生きかた（2001年3月、KTC中央出版）ISBN 978-4-87758-205-0&lt;br /&gt;
* 天下の廻りモノオカネの正体（2001年6月、幻冬舎）ISBN 978-4-344-40115-0&lt;br /&gt;
* いつも風を感じて（2004年11月、KTC中央出版） ISBN 978-4-87758-335-4&lt;br /&gt;
* ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する -絶対に失敗しないビジネス経営哲学-（2007年5月、[[幻冬舎新書]]）ISBN 978-4-344-98038-9&lt;br /&gt;
* ニッポンを繁盛させる方法』（共著：[[東国原英夫]]、2007年11月、[[角川書店]]）ISBN 978-4-04-710121-0&lt;br /&gt;
* 自己プロデュース力（2009年9月、[[ワニブックス]]） ISBN 978-4-84-701819-0&lt;br /&gt;
* 島田紳助100の言葉（2011年2月、ヨシモトブックス）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 写真集『日本の美しい女子高生』（撮影：戦場カメラマン[[渡部陽一]]、2010年12月15日、ヨシモトブックス/ワニブックス）ISBN 4847043413&lt;br /&gt;
* 南の島（[[わたせせいぞう]]、2010年7月22日、[[講談社]]）ISBN-13 978-4063648355&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 松本人志と共著&lt;br /&gt;
: 松本紳助（2002年1月、[[ワニブックス]]） ISBN 978-4-8470-1415-4&lt;br /&gt;
: 裏松本紳助（2002年11月、ワニブックス）ISBN 978-4-8470-1473-4&lt;br /&gt;
: 哲学（2003年3月、幻冬舎）ISBN 978-4-344-40332-1&lt;br /&gt;
: 松紳（2004年7月、ワニブックス）ISBN 978-4-8470-1559-5&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
* [[じゃりン子チエ]]（1981年4月11日公開/東宝＝東京ムービー新社）- マサル 役(声の出演)&lt;br /&gt;
* ガキ帝国 （1981年7月14日公開/ATG）- リュウ役 &amp;lt;small&amp;gt;※映画初出演、スクリプター&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
* ガキ帝国 悪たれ戦争（1981年9月12日公開/東映）&amp;lt;small&amp;gt;※友情出演&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
* マンザイ太閤記（1981年11月28日公開/松竹＝東京ムービー新社）- 織田信長 役(声の出演)&lt;br /&gt;
* 次郎長青春篇 つっぱり清水港 （1982年12月28日公開/松竹）- 森の石松 役&lt;br /&gt;
* [[逃がれの街]]（1983年10月15日公開 /東宝＝日本テレビ、田中プロ）- 米倉 役&lt;br /&gt;
* [[唐獅子株式会社]]（1983年12月17日公開 /東映）-赤いネクタイの男 役&lt;br /&gt;
* [[瀬戸内少年野球団]]（1984年6月23日公開/ヘラルド・エース）- 正木二郎 役&lt;br /&gt;
* [[櫂 (小説)|櫂]]（1985年1月15日公開 /東映）- 竹市 役&lt;br /&gt;
* [[ビッグマグナム黒岩先生|ビッグ・マグナム 黒岩先生]]（1985年4月13日公開/東映）- 天堂大吾郎 役&lt;br /&gt;
* [[星くず兄弟の伝説 (映画)|星くず兄弟の伝説]]（1985年6月15日公開 /「星くず伝説」プロジェクト）-「ひょうきんベストテン」司会&lt;br /&gt;
* 童貞物語(1986)（1986年2月15日公開/東映）- トラック運転手 役&lt;br /&gt;
* [[ゴルフ夜明け前]]（1987年12月5日公開/東宝）- 桂小五郎 役&lt;br /&gt;
* 死霊の罠（1988年5月14日公開/ジョイパックフィルム）- 原田 役&lt;br /&gt;
* [[現代仁侠伝]]（1997年11月8日公開/東映）- 佐々木 役&lt;br /&gt;
* [[佐賀のがばいばあちゃん]]（2006年6月3日公開/ティ・ジョイ）- スポーツ用品店店主 役 &amp;lt;small&amp;gt;※友情出演&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん（2009年4月25日公開/ジョリー・ロジャー）- 長谷川先生 役 &amp;lt;small&amp;gt;※友情出演&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 脚本・監督 ===&lt;br /&gt;
* [[風、スローダウン]]（1991年11月23日公開 /東映/[[石田靖]]主演）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Vシネマ ===&lt;br /&gt;
* 新・童貞物語2 Close to you あなたのそばに （1991年/バンダイビジュアル）&lt;br /&gt;
* 殺しやPAZUZU （2000年/ミュージアム）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 受賞歴 ==&lt;br /&gt;
* 第1回 日本映画批評家賞 特別賞（映画「風、スローダウン」）&lt;br /&gt;
* 第17回おおさか映画祭 新人監督賞（映画「風、スローダウン」）&lt;br /&gt;
* 卒煙大賞（2004年、過去に[[the brilliant green]]や[[aiko]]らが受賞した賞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 音楽活動 ==&lt;br /&gt;
* 1981年頃、自身がボーカルを務める「[[SHINSUKE-BAND]]」（ギターを弾けない[[村上ショージ]]、ベース・[[Mr.オクレ]]）として活動。&lt;br /&gt;
** 「[[時間だけがロックンロール]]」（1981年。作詞も）&lt;br /&gt;
** 「[[東京コミュニケーション]]」（作詞。紳助バンド）&lt;br /&gt;
* 1982年 「[[い・け・な・いルージュマジック|い・け・な・い・お化粧マジック]]」（明石家さんまとデュエット）&lt;br /&gt;
* 1990年には「[[島田紳助&amp;amp;バスガス爆発楽団]]」を結成&lt;br /&gt;
*「[[がってん承知ノ介]]」（「[[もーれつア太郎]]」オープニングテーマ）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[サンプラザ中野くん|山口のばら]]、作曲・編曲：[[つのごうじ]]&lt;br /&gt;
*「[[ニャロメのROCK]]」（「もーれつア太郎」エンディングテーマ）&lt;br /&gt;
*:作詞：[[里乃塚玲央|園部和典]]、作曲：[[古田喜昭]]、編曲：つのごうじ &lt;br /&gt;
* 1991年、ダウンタウンが紳助作詞・作曲の「えっ!さよなら」（自身が1983年に自主制作盤で発表）をカバー。シングル「生きろ・ベンジャミン」のカップリングおよびアルバム『[[万力の国 (アルバム)|万力の国]]』に収録。&lt;br /&gt;
* 『[[クイズ!ヘキサゴンII]]』による音楽ユニットなど、様々な歌手・ユニットに楽曲提供を行っている。『ヘキサゴンII』発ユニットの楽曲に関しては「&#039;&#039;[[ヘキサゴンファミリー]]&#039;&#039;」を参照。&lt;br /&gt;
* [[WEST SIDE]] - [[ランディーズ]]、[[ロザン]]、[[キングコング (お笑いコンビ)|キングコング]]&lt;br /&gt;
*: 2001年デビュー。『紳助の人間マンダラ』の企画から。&lt;br /&gt;
* [[RYOEI]]&lt;br /&gt;
*: インディーズ時代からバックアップを続け、2009年にメジャーデビュー。&lt;br /&gt;
* [[新選組リアン]]&lt;br /&gt;
*: 2009年デビュー。『人生が変わる1分間の深イイ話』の企画から。&lt;br /&gt;
* [[ビーチボーイズ (曲)#「ビーチボーイズ」メンバー|ビーチボーイズ]]&lt;br /&gt;
*: 2011年デビュー。『紳助社長のプロデュース大作戦!』の企画から。&lt;br /&gt;
* [[高原兄]]「風よ、鈴鹿へ」（1988年）&lt;br /&gt;
* [[オール巨人]]・[[緒方かな子|中條かな子]]「FURIN」（1994年）&lt;br /&gt;
* [[島谷ひとみ]]「[[大阪の女 (島谷ひとみの曲)|大阪の女]]」（1999年）&lt;br /&gt;
* [[香田晋]]「[[おかあさん (香田晋の曲)|おかあさん]]」「南の島〜友へ〜」（2006年）&lt;br /&gt;
* [[ユウキ (シンガーソングライター)|ユウキ]]「アブラゼミ」（2008年）&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--* [[misono]]「[[家族の日/アブラゼミ♀(大阪バージョン)-ピアノ・バージョン-|アブラゼミ♀(大阪バージョン)-ピアノ・バージョン-]]」（2008年）--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--* [[つるの剛士]]「[[つるのうた|何もかもが君だった]]」（2009年）--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 上記2作はあくまでも「カバー」 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[崎本大海]]「[[サヨナラ (崎本大海の曲)|サヨナラ]]」（2010年）&lt;br /&gt;
* [[レギュラー (お笑い)|レギュラー]]「[[島風〜夢来人の唄〜|信じる気持ち]]」（2010年）&lt;br /&gt;
* [[渡り廊下走り隊7|渡り廊下走り隊]]「[[ギュッ]]」「手のひら」「ゴメンナサイ」（2010年） - [[AKB48]]の派生ユニットで、[[秋元康]]と共同プロデュース。秋元が紳助の番組にゲスト出演した際に秋元からの依頼により実現。&lt;br /&gt;
* [[アグネス・チャン]]「あの丘で」「[[僕らには翼がある〜大空へ〜]]」（2010年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[月刊現代]] ([[講談社]])&lt;br /&gt;
** 2005年9月号 - 本誌〔現代〕独占!120分 復帰から7ヶ月--吉本女性社員「暴行事件」を初めて語った 島田紳助 涙!--あの事件のこと、芸人とは、そして僕の未来 (共著：[[中田カウス]]・増田 晶文)&lt;br /&gt;
* [[週刊文春]] ([[文藝春秋]])&lt;br /&gt;
** 2008年8月14日・21日夏の特大号(2490号) - ［独占告白］スキあらばエッチするという姿勢は一パーセントでも持ち続けたい 独占告白 島田紳助「視聴率王」の苦しみ--「羞恥心」成功から、株、不動産、&amp;quot;黒い交際&amp;quot;まで、すべてを語った&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=&amp;quot;注&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[京都府出身の人物一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{島田紳助}}&lt;br /&gt;
{{ヘキサゴンファミリー (関連記事)}}&lt;br /&gt;
{{FNSの日}}&lt;br /&gt;
{{サンデープロジェクト司会}}&lt;br /&gt;
{{ベストヒット歌謡祭歴代司会者|全日本有線放送大賞}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:しまた しんすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:島田紳助|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去の吉本興業所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:お笑い芸人]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のタレント]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の司会者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の作詞家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の音楽プロデューサー]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の実業家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の映画監督]]&lt;br /&gt;
[[Category:漫画原作者]]&lt;br /&gt;
[[Category:京都市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:NHK紅白歌合戦歌唱楽曲・作詞者・作曲者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1956年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>126.27.37.28</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E5%B0%8F%E9%8C%A6%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%90%89_(6%E4%BB%A3)&amp;diff=70998</id>
		<title>小錦八十吉 (6代)</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E5%B0%8F%E9%8C%A6%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%90%89_(6%E4%BB%A3)&amp;diff=70998"/>
		<updated>2014-08-21T10:44:05Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;126.27.37.28: /* 大関昇進後 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{出典の明記|date=2009年10月}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:Konishiki 2005.jpg|frame|KONISHIKI（2006年・減量前）]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;小錦 八十吉&#039;&#039;&#039;（&#039;&#039;&#039;こにしき やそきち&#039;&#039;&#039;、本名同じ、[[1963年]][[12月31日]] - ）は、[[アメリカ合衆国]][[ハワイ州]][[オアフ島]]出身で現在は日本国籍（帰化）の元[[大相撲力士]]（[[高砂部屋]]所属）、株式会社KP所属の[[タレント]]。現在は&#039;&#039;&#039;KONISHIKI&#039;&#039;&#039;（コニシキ）の芸名でタレント活動を行っている。他に子供向け教育番組などで&#039;&#039;&#039;コニちゃん&#039;&#039;&#039;の芸名を使用することもある。本名の旧姓は塩田、米国籍時代の本名はサレバ・ファウリ・アティサノエ（Saleva&#039;a Fuauli Atisano&#039;e）。帰化以前の大相撲時代にはサレバ・アティサノエと記載されたこともある。愛称はサリー、コニチャン。現在の体格は身長184cm、体重153kg。[[血液型]]はAB型、[[星座]]は山羊座。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[関取]]時代のプロフィールは、身長187cm、体重275kg（最重量時は285kg）。ロンドン巡業では大相撲史上最重量の巨体を形容する「ダンプトラック」の異名が与えられた。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://news.mynavi.jp/c_career/level1/yoko/2013/02/post_3169.html 知ったら笑う関取の異名] マイナビニュース　2013/02/24 &amp;lt;/ref&amp;gt;得意手は突き、押し。最高位は東[[大関]]（外国人初）。[[横綱]]を含む[[幕内]]力士としては3人目の小錦、[[十両]]以下を含めては6人目の小錦である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生粋のハワイアンではなく、両親は[[サモア]]からの[[移民]]（ただし[[ポリネシア|ポリネシア人]]の身体形質・言語上の同質性は極めて高い）。10人兄弟姉妹の8番目（上から6人はサモア生まれ、小錦含め下の4人はハワイ生まれ、そのうち1人は従姉妹）。兄に[[アントニオ猪木]]と格闘技戦で戦ったこともある[[アノアロ・アティサノエ]]。親族の中にアメリカの[[ヒップホップ]]グループ、[[ブーヤー・トライブ|Boo Yaa T.R.I.B.E.]]のメンバーがいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
{{Infobox 力士&lt;br /&gt;
|名前=小錦八十吉&lt;br /&gt;
|画像=[[File:Konishiki.jpg|180px]]&lt;br /&gt;
|説明=1996年5月場所、場所入りする小錦&lt;br /&gt;
|四股名=小錦 八十吉&lt;br /&gt;
|本名=小錦 八十吉&amp;lt;br /&amp;gt;塩田 八十吉（旧姓）&lt;br /&gt;
（米国名：サレバ・ファウリ・アティサノエ）&lt;br /&gt;
|愛称=サリー、コニチャン、黒船&lt;br /&gt;
|生年月日={{生年月日と年齢|1963|12|31}}&lt;br /&gt;
|没年月日=&lt;br /&gt;
|出身=[[ハワイ州]]・[[オアフ島]]&lt;br /&gt;
|身長=187cm&lt;br /&gt;
|体重=275kg&lt;br /&gt;
|BMI=78.64&lt;br /&gt;
|血液型=AB型&lt;br /&gt;
|所属部屋=[[高砂部屋]]&lt;br /&gt;
|得意技=突き、押し&lt;br /&gt;
|現在の番付=引退&lt;br /&gt;
|最高の番付=東[[大関]]&lt;br /&gt;
|生涯戦歴=733勝498敗95休（93場所）&lt;br /&gt;
|幕内戦歴=649勝476敗89休（81場所）&lt;br /&gt;
|優勝=幕内最高優勝3回&amp;lt;br /&amp;gt;十両優勝2回&amp;lt;br /&amp;gt;序二段優勝1回&amp;lt;br /&amp;gt;序ノ口優勝1回&lt;br /&gt;
|賞=[[殊勲賞]]4回&amp;lt;br&amp;gt;[[敢闘賞]]5回&amp;lt;br&amp;gt;[[技能賞]]1回&lt;br /&gt;
|初土俵=[[1982年]]7月場所&lt;br /&gt;
|入幕=[[1984年]]7月場所&lt;br /&gt;
|引退=[[1997年]]11月場所&lt;br /&gt;
|引退後=[[佐ノ山]]親方&lt;br /&gt;
|他の活動=[[タレント]]&lt;br /&gt;
|趣味=雑誌読み&lt;br /&gt;
|備考=金星2個（[[千代の富士貢|千代の富士]]1個、[[隆の里俊英|隆の里]]1個）&lt;br /&gt;
|作成日時=[[2012年]][[12月28日]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
元大関で現役引退後は当初、[[年寄]]・[[佐ノ山]]を襲名し[[高砂部屋]]の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、人気者だったため、タレントに転向。旧[[芸名]]は[[四股名]]をローマ字にした&#039;&#039;&#039;「KONISHIKI」&#039;&#039;&#039;であった。「[[小錦八十吉]]」は[[高砂部屋]]の由緒ある四股名であり芸名としての使用は許可されなかった&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;大相撲時代にはハワイ人の新生児(男児)に四股名をそっくり命名したこともあるが、問題にはならなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。その代わり、ローマ字の「KONISHIKIは?」と聞かれて、ローマ字ならOKと許可が下りた。なお、この時点での名字は「塩田」であり、「小錦」と改姓した時期はその後、前妻と離婚し再婚した後である。芸名としては認められなかったが本名としては認められた。株式会社KP（Konisiki Powerの略）を設立して活動し、特にCMで好評を博した。歌手としてもアルバム「Konishiki KMS」「Konishiki Simply」を出した。2003年5月には東京ドームシティでレストラン「あんばらんす」を出店した。しかし、2010年5月に今後は[[ハワイの音楽|ハワイアン]]歌手としての活動を除き、本名の小錦八十吉名義で活動することを自身のブログで公表した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://gree.jp/konishiki/blog/entry/447490525 小錦八十吉の『ドスコイ・ダンシング』2010年5月27日] KONISHIKI 公式ブログ&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.konishiki.net/diary/ 皆さん、ありがとう・・・2010年5月29日] Konishikiオフィシャルサイト Konishiki日記&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 入門〜「ハワイの黒船」 ===&lt;br /&gt;
サモア系移民の家庭に生まれ、貧しいながらも敬虔なクリスチャンである厳格な両親の元で育てられた。小学校から運動万能で水泳・陸上・バスケットボールで楽しんだ。私立高校に入ると真面目だった素行が悪化して毎日喧嘩に明け暮れ、兄と2人で親戚の救援に駆け附けて、バットで右眼が見えなくなる程に殴られたにも関わらず20人を倒したり、教会の賛美歌の練習を怠けて遊びに行ったのが父に知られて背中をホースで滅多打ちにされ、2日間は横になって寝られずに椅子に座って寝た。心配した父にハワイ大学附属高校へ転校させられると素行が元に戻り、スポーツと学業に身を入れ始めた。アメリカンフットボールではオフェンスラインマンとして活躍し、4年生では主将を務めてハワイ州高校オールスターにも選ばれ、パワーリフティングではスーパーヘビー級選手としてハワイ州のチャンピオンになるほど活躍した。学業では特に数学が得意で、将来はシュラキュース大学へ進学しての弁護士を志していた。他にも吹奏楽団でサックス担当として本土へ演奏旅行に出かけたりもした。以前から知人の元プロレスラーに入門を勧誘されていたが、高見山とも親しい人だったので、1982年（昭和57年）5月末にホノルルで完成した「高見山記念土俵」の土俵開きと墓参りで訪ねて来た高見山に紹介されて熱心に勧誘され、家計の苦しさも知っていたので入門を決意し、泣いて反対する母を説得して1982年（昭和57年）6月に入門した。[[初土俵]]は同年7月場所。新弟子検査では[[体重計]]の目盛を振り切ってしまい、急遽もう1台用意して脚を片方ずつ乗せて測定（1台では150kgまでしか測れなかった、105kg+70kgと記録されている。）&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;後年[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]の相撲の項目で「最も体重の重いプロスポーツ選手」と紹介された。&amp;lt;/ref&amp;gt;したり腕が太すぎて[[血圧計]]が使えないなどの破格振りを示した。足のサイズは35センチあった。[[国技館]]に常設されている力士専用トイレの個室便器は、彼が使用すると小さすぎたために、後に陶器メーカーに特注することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入門すると[[高砂 (相撲)|高砂]]親方（元横綱[[朝潮太郎 (3代)|朝潮]]）に押し相撲の基礎を教え込まれる。入門当初は兄弟子から[[いじめ]]を受けたこともあった。兄弟子たちからの暴行や、身の回りの物を頻繁に隠されたり、故郷の親や友人から届いた手紙を捨てられたこともあったが、例え嫌がらせを受けても、その場で仕返しすることはしなかった。稽古で土俵に上がった時に相手を思い切り打ち負かすことで、兄弟子たちへの「復讐」をしていたという。それ以来部屋内で彼をいじめる者は誰もいなくなった。若い頃は[[高見山大五郎|髙見山]]に稽古をつけられ言葉や習慣の違いについても相談相手になってもらうなどいろいろと世話になったという。また、[[水戸泉政人|水戸泉]]もよき理解者で、水戸泉が優勝した場所では自ら優勝旗手を務めた。小錦も昇進後は後輩の外国出身力士の面倒をよく見たといい、部屋の後輩[[南海龍太郎|南海龍]]の酒癖を大層心配して、飲みに行った際南海龍が席を立った隙に酒と[[烏龍茶|ウーロン茶]]をすり替えてしまったという[[逸話|エピソード]]などが伝わっている。後の横綱[[武蔵丸光洋|武蔵丸]]は入門当初から目をかけられており、[[ウエイトトレーニング]]器具を買ってもらうなどしたこともあるといい、私生活でも上下関係を廃して接する間柄だったという。&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref10&amp;quot;&amp;gt;[http://www.musashimaru.net/talk/rival.html KONISHIKIから見た武蔵丸]　武蔵丸光洋公式ウェブサイト&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入幕2場所目、[[蔵前国技館]]での本場所開催が最後だった[[1984年]]（昭和59年）9月場所、[[前頭]]6枚目の地位で初顔合わせの[[千代の富士貢|千代の富士]]&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;この場所で小錦に一方的に敗れたことに発奮した千代の富士は稽古に励んで低迷を脱しており、千代の富士が優勝31回の大横綱となる上で小錦が与えた衝撃は大きな役割を果たしている。その後の取り組みでは千代の富士の躍動感ある相撲にまるでついていけていない場面が目立ち、最終的な対戦成績は小錦の9勝20敗と大きく負け越し、横綱との実力差を見せつけられた恰好となった。特に昭和60年春場所に華麗な[[下手捻り|下手ひねり]]で敗れた際は悔しさを露わにしていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[隆の里俊英|隆の里]]の両横綱からそれぞれ初[[金星 (相撲)|金星]]を奪い、千代の富士には完勝、さらに横綱昇進を目指した大関[[若嶋津六夫|若嶋津]]も倒すなど上位陣をなぎ倒し12勝3敗、[[三賞# 殊勲賞|殊勲賞]]と[[三賞# 敢闘賞|敢闘賞]]を獲得し「[[黒船]]来航（別名：襲来）」「小錦旋風（別名：[[台風]]）」と恐れられた&amp;lt;ref&amp;gt;[[千秋楽]]で大関[[琴風豪規|琴風]]に敗れたため13勝2敗の平幕[[多賀竜昇司|多賀竜]]が優勝。&amp;lt;/ref&amp;gt;。印象的な「逆くの字」の守りに加え、この頃は「足腰も高見山とは全然違う」と評されるほどに足腰が良く、猪突猛進の攻めのみならず琴風のがぶり寄りをこらえることができるなど守りも非常に堅かった。この時代が最強だったという見方は根強い。しかし最大の苦手[[北天佑勝彦|北天佑]]には初顔以来6連敗を喫するなど壁も多かった。実力の反面猪突猛進な取り口や地元紙のインタビューで発言したとされる「相撲は喧嘩だ」発言（「相撲はファイト」と言ったことが誤解されたという）等の過激な発言が「品格に欠ける」として一部で物議を醸し、[[小坂秀二]]に至っては「小錦は二場所連続優勝でも横綱にすべきではない」と雑誌の連載で表明していたほどであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1986年]]（昭和61年）1月場所[[小結]]で10勝、3月場所同じく小結で12勝を挙げた。特に3月場所は12番全ての決まり手が基本技であったことから前に出る相撲に徹したことが認められた形で技能賞を獲得した。関脇に復帰し大関昇進を懸けた5月場所（この場所は[[関脇]]）だったが7日目まで3勝4敗と不調、さらに8日目では当時大関の[[北尾光司|北尾]]（のち第60代横綱・双羽黒）との対戦で、[[取り直し]]の一番で小錦がつり上げようとした所で北尾が[[鯖折り]]をかけ、両者合わせて400kg以上の体重が小錦の右膝に集中、耐えきれずにじん帯を損傷・[[骨折]]という大怪我を負ってしまう。この負傷により2場所連続休場（当時は[[公傷制度|公傷]]が適用された）を余儀なくされ再び平幕の地位に転落、大関獲りも一旦振り出しとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後も右膝のケガはついに完治することなく、現役時代はこの[[後遺症]]に苦しんで好不調の波が大きくなり、大相撲史上最重量のその身体（当時約240kg）をむしろ持てあますことが多くなった。プッシュ戦法がツボにはまれば無敵であるが、一歩間違うと驚くほどもろいという土俵の繰り返しだった。膝の故障でどうしても稽古を減らさざるを得ず、それが体重を増やし余計に膝を悪化させる悪循環になったという。後年小錦は「筋肉の質が硬かった。武蔵丸の方が柔軟で僕より全然頑丈だった」と自身の体質について述懐している。&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref10&amp;quot;&amp;gt;[http://www.musashimaru.net/talk/rival.html KONISHIKIから見た武蔵丸]　武蔵丸光洋公式ウェブサイト&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、それから一年後の[[1987年]]（昭和62年）3月場所8日目には、当時気鋭の大関であった[[北天佑勝彦|北天佑]]との対戦で、皮肉にも北天佑の膝に小錦の全体重がのしかかる形で致命的な負傷を負わせてしまう。取り直しの一番では、北天佑が膝のケガを痛がっていることを察した小錦が、ケガを庇いながらそっと[[寄り切り|寄り切る]]という内容で勝利するも、翌9日目から北天佑は2場所連続休場（公傷適用）となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 外国出身力士初の大関誕生 ===&lt;br /&gt;
前頭4枚目から出直しとなった休場明けの1986年9月場所は12勝3敗の好成績で、翌11月場所は関脇に復帰。1987年1月場所で10勝、同年3月場所で11勝、そして再び大関昇進を懸けた同年5月場所では12勝を挙げ、3場所関脇の地位で合計33勝12敗を挙げ、5月場所後に小錦は念願だった大関昇進を果たす。さらに外国出身力士としては史上初めての大関誕生ともなった（同時に大関・[[北勝海信芳|北勝海]]も第61代横綱に昇進した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大関昇進後 ===&lt;br /&gt;
それから横綱を期待されたものの、最大の苦手北天佑に苦杯を嘗めさせられたり、膝の故障の影響で勝ち越しても8・9勝止まりの成績が続いたり、[[1988年]]（昭和63年）9月場所は3勝12敗という、15日制における大関皆勤最多敗タイ記録（現在は[[千代大海龍二|千代大海]]（現・[[佐ノ山]]）の2勝13敗が大関皆勤最多敗記録）の大敗を喫してしまう。また同年9月場所直後には、面倒を見ていた弟弟子の元幕内・[[南海龍太郎|南海龍]]が飲酒をめぐるトラブルから突如廃業し、さらに数日後師匠の高砂親方が心労の影響からか[[脳溢血]]で急死するなど身辺でも不幸が相次いだ。[[元号]]が[[昭和]]から[[平成]]に変わった[[1989年]]（平成元年）1月場所は3勝8敗と負け越してから途中休場、同年9月場所も皆勤ながら5勝10敗と[[負け越し]]たりで、勝ち越しても最後まで優勝争いに加わる成績はほとんど残していなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし次の11月場所、小錦は通算4度目の大関[[角番]]ながら絶好調、初日からストレートの8連勝で角番脱出。12日目に北勝海に敗戦となり連勝は11でストップしたが、最後まで優勝を争った千代の富士には、13日目の直接対決で勝利する。そして千秋楽では[[琴ヶ梅剛史|琴ヶ梅]]に勝って14勝1敗、ようやく悲願だった[[幕内]]初優勝を果たした。小錦は髙見山に次いで、史上2人目の外国出身の優勝力士となった。なお初優勝を決めた瞬間、小錦は勝ち残りの[[土俵]]下で思わず涙を流している。当時のマスコミはその小錦の涙を「歓喜にむせぶ男泣き」と報道したが、実はそれは嬉し泣きではなかった。小錦は引退後に「なぜもっと早く優勝できなかったのか」と、余りの悔しさで思わず泣いてしまったのだ、と説明していた。このコメントは有名なエピソードである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
千代の富士が引退した[[1991年]]（平成3年）から安定期を迎え、同年5月場所から翌[[1992年]]（平成4年）3月場所にかけて6場所で75勝15敗の好記録を残した。1991年11月場所は13勝2敗で2回目の幕内優勝。翌[[1992年]]（平成4年）1月場所は12勝3敗（幕内初優勝した貴花田の14勝・準優勝した曙の13勝に次ぐ3位の成績）、さらに次の3月場所は13勝2敗で3回目の幕内優勝を果たした（しかしこれが小錦の最後の優勝となった）。かつてはこの成績なら当然横綱になれたが、「大関で2場所連続優勝」の内規を満たしていないとの判断により、日本相撲協会から横綱審議委員会への諮問はことごとく却下され、不運にも横綱にはなれなかった。その3月場所後、小錦自ら&#039;&#039;&#039;「自分が横綱になれないのは[[人種差別]]があるからだ、もし日本人ならとっくに横綱になっているはずだ」&#039;&#039;&#039;と語ったという趣旨の記事が[[ニューヨーク・タイムズ]]に掲載された。また[[日本経済新聞]]にも&#039;&#039;&#039;「小錦が横綱になれないのは、人種差別のせいだ」&#039;&#039;&#039;といった趣旨の記事が掲載された。これらの件に関し、小錦はニューヨーク・タイムズの記事については小錦自身ではなく、自身の付き人である幕下力士・[[高竜]]（ハワイ出身）が（小錦に）成り済まして電話で答えたものであり、日本経済新聞の記事についても「人種差別とはいっていない」と弁明した。しかし、これらの新聞記事の掲載対象となった発言が小錦自身によるものではないかという疑惑からバッシングが発生し、師弟揃って協会に詫び状を提出する騒動に至った。高砂親方からも責められて誰も信用できなくなり、誰も知らない所で自殺しようと考えて航空会社に電話しようとしたが、当時の妻（のち離婚）に電話線を引き千切られて止められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌5月場所直前、一人横綱の北勝海が現役引退し、横綱空位となる。同5月場所に小錦は再度綱獲りに挑んだが、その騒動によるショックの影響もあったのか9勝6敗に終わり又しても失敗。この5月場所以降成績は徐々に下降、最高でも10勝がやっとで、終盤まで優勝争いに加わる事は無くなった。[[1993年]]（平成5年）5月場所で7勝8敗と皆勤負け越しを喫したが、翌7月場所は9勝6敗と勝ち越して6回目の大関角番脱出。しかし9月場所では、[[蜂窩織炎]]による[[高熱]]のため0勝2敗13休と途中休場。そして同年11月場所、通算7回目の大関角番（当時角番数の最多記録&amp;lt;ref&amp;gt;現在大関角番数の最多記録は千代大海（現・佐ノ山）の通算14回。&amp;lt;/ref&amp;gt;）を迎えたが6勝9敗、2場所連続で負け越したために、ついに在位39場所で大関の座から[[陥落]]してしまう。その大関陥落が決まった同場所13日目の対戦相手は、奇しくも同じハワイ出身の後輩だった当時横綱の[[曙太郎|曙]]であった。のちに曙は「先輩の大関陥落が決まる日に正直当たりたくなかった。とても辛い[[恩返し (相撲)|恩返し]]です。」と語っている。一方小錦本人は「仕方がない。いつかはこういう日が来ると思っていた。」と曙とは全く対照的に淡々とコメントしていた。なお大関の晩年時代は突っ張ろうにも足が出なくなっていたため、威力がなく前に落ちやすいので、相手を捕まえて自分の正面に固定して少しずつ運ぶという取り口になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小錦が大関時代の1987年11月場所後、横綱・双羽黒は師匠らと衝突の末廃業してしまう。これを機に「原則として『横綱昇進は大関の地位で2場所連続優勝』が絶対条件」となったため&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;平成時代以降、第63代横綱・旭富士から第70代横綱・日馬富士まで8力士全員「大関で2場所連続優勝」で横綱に昇進したが、第71代横綱・鶴竜は優勝同点（14勝1敗）・優勝（14勝1敗）と平成初の大関2連覇ならずで横綱となっている。しかも鶴竜の場合は年6場所制定着以降唯一「直前3場所前が1ケタ白星でなおかつ連覇無し」でありながら横綱になった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、上述の関脇時代鯖折りの大怪我もきっかけに「双羽黒は小錦の横綱昇進を阻んだ最大の加害者」と見る好角家も多かった。しかし小錦は双羽黒を恨んではおらず&amp;lt;ref&amp;gt;現役時代の双羽黒は頻繁に高砂部屋で出稽古を行っており、小錦と双羽黒は互いに稽古相手を務め合う仲であった。その双羽黒は廃業から10ヶ月後に死去した高砂の葬儀に「事件の際迷惑をかけ、責任を感じている」という理由で出席していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;、逆に「あのケガがあったから大関になれた」とコメントしている。また小錦は、体重が余りに重すぎて大関時代の安定期は短く、仮に横綱になれたとしても地位を長く守れる程の実力があったかは大いに疑問視されており、むしろ「横綱になれなかったからこそ『名大関』として名を残せたのではないか」という意見が一般的である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尚小錦の10勝以上の場所は32場所と、最高位が大関の力士としては[[魁皇博之|魁皇]]（現・[[浅香山 (相撲)|浅香山]]）の35場所、千代大海の33場所に次ぎ、歴代横綱と比しても中位に位置する。優勝3回で何度も「綱獲り」に手をかけるなど、戦後大関の中でも「最強大関」の一人に数えられる。しかし膝の負傷以降万全でない場所での大負けがあり、大関時代の勝率では小錦の.637に対して、同時代の[[霧島一博|霧島]]の方が大関在位は短い（16場所）ながら.647とわずかに上回っている。また後年、通算1047勝・幕内879勝など大相撲史上1位の記録を塗り替えた魁皇は、大関在位65場所・幕内優勝5回など大多数が小錦の成績を上回っているものの、大関時代の勝率は.615と小錦を下回っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大関陥落後 ===&lt;br /&gt;
翌[[1994年]]（平成6年）1月場所、関脇の地位で10勝以上の成績を挙げれば大関特例復帰となったが、初日から8連敗でストレートの負け越し決定、結局2勝13敗に終わり皆勤場所では自己ワーストの成績となった。次の同年3月場所は、1986年9月場所以来7年半ぶりの[[平幕]]（東前頭9枚目）に下がったが、8勝7敗と4場所振りに勝ち越しを決めた。その後平幕上位に復活することは何度かあったものの、三役（関脇・小結）以上への復帰は果たせなかった。それでも「[[三賞]]候補？そんなのいらないよ、目標は1000万円だよ」と言ったりしていた（1000万円は幕内最高優勝の賞金額）。1995年1月場所9日目の貴闘力戦で水入りの相撲を経験するなど、四つ相撲で持久力のある部分を見せつけることがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それまで大関時代の小錦はどちらかと言えば、[[花田虎上|若]][[貴乃花光司|貴]]兄弟、[[琴錦功宗|琴錦]]ら後進（特に大関候補）に対する憎まれ役を演じ続けていた。しかし大関を陥落してからその後、さらに幕尻近くまで落ちても現役に執着するその姿は、最盛期にも勝る人気を得た。特に同じく大関から陥落していた霧島との平幕対決は、小錦の突っ張りか霧島の投げか目が離せないほどのライバル関係にあり、それは[[北の湖敏満|北の湖]]と[[輪島大士|輪島]]に似たものがあった。その良きライバルの霧島との幕内成績は、38回対戦して19勝19敗の全くの五分であった。また土俵上だけでなく悩みがあったときには、この2人は励まし合っていたという。今でも霧島（現・[[陸奥 (相撲)|陸奥]]親方）とは大の仲良しである。また、ハワイ出身の後輩であり横綱に昇進した曙と武蔵丸は、新弟子時代から小錦を大変尊敬していたそうである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、[[舞の海秀平|舞の海]]との体重差約200kgの異色対戦も、大きな話題になった。初対決は小錦が前頭9枚目だった1994年3月場所で、小錦が勝利した。その2年後、[[1996年]]（平成8年）7月場所の対戦では、舞の海が勝ちながらも膝に小錦の体重がまともに圧し掛かり、大ケガをしてしまった。その後、舞の海は2場所連続休場して平幕から十両に陥落するも、[[1997年]]（平成9年）5月場所で舞の海が幕内に復帰した時、ずっと心配していた小錦は自分のことのように喜んだという。尚、舞の海とは12回対戦して5勝7敗と負け越している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sh90210.web.fc2.com/taisen/ka9.htm 舞の道（元小結・舞の海と大相撲に関するサイト）-舞の部屋&amp;gt;&amp;gt;　対戦成績表 &amp;gt;&amp;gt; か行より]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前頭2枚目まで復帰した[[1997年]]（平成9年）9月場所の11日目横綱貴乃花戦では、その場所全敗（蜂窩織炎による5日間の途中[[休場]]分も含む）していたものの、[[立合い]]と同時に貴乃花を押し込み、土俵際まで追い詰めた。しかし貴乃花の土俵際からの[[上手投げ]]に小錦は思わず横転し、惜しくも金星獲得を逃したものの、館内は敗れ去った小錦に万雷の喝采を送っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
引退前には怪我のため[[非ステロイド性抗炎症薬|痛み止め薬]]を一日10錠も飲んでいたが、これが災いし出血性[[胃潰瘍]]を発症、巡業先のホテルで大量に[[下血]]。体内の[[血液]]を40％も失う危険な状態であったが何とか一命をとりとめた。痛み止めのため発症には気付かず、入院中も厚い脂肪のため外科手術ができない上に、これ以上の投薬は危険と判断され、激痛に耐えながら自然回復による治癒を待つしかない状態だった。なお、この時は風邪による体調不良のため休場と公表していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[廻し]]の色は当初は水色、後に黒であったが、後年は水色に戻していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 現役引退 ===&lt;br /&gt;
そして幕尻に近い東前頭14枚目で迎えた1997年11月場所、本人はこの場所限りで[[勝ち越し]]ても引退することを決め、千秋楽にはハワイにいる家族を呼び寄せる予定でいたという。13日目に[[琴ノ若晴將|琴の若]]に敗れて負け越しが決まると、取組後に高砂親方（元小結[[富士錦猛光|富士錦]]）の所に報道陣が殺到したため、親方が今場所限りでの小錦の現役引退を示唆してしまう。小錦本人は千秋楽まで土俵に上がる意向だったものの、「死に体で土俵に上がることは許されない」という当時の[[境川 (相撲)|境川]]理事長（元横綱[[佐田の山晋松|佐田の山]]）の意見&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20140122/plt1401221208002-n1.htm 舞の海秀平氏、都知事選に苦言「担ぐ方も担ぐ方だし、担がれる方も担がれる方」] ZAKZAK 2014.01.22 &lt;br /&gt;
: 元小結・[[舞の海秀平]]はそれについて「千秋楽前に引退届を提出した」と真相を語っている。&amp;lt;/ref&amp;gt;により、千秋楽を待たず14日目・[[三杉里公似|三杉里]]戦の不戦敗を最後に[[引退]]することになった。元大関の[[栃東大裕|栃東]]は小錦が千秋楽の土俵に上がった時に花束を渡そうと考えていたことをスポーツ紙に明かしたが前述の理由より実現できなかった。千秋楽の対戦は寺尾との予定で組まれていたが、先述通り境川理事長の「死に体で土俵には上がれない」という理由により、結局同場所千秋楽の寺尾戦は割り返されて幻となってしまった。その後小錦は、[[1998年]]（平成10年）5月場所後の引退相撲で寺尾と最後の対戦を申し入れ、心残りだった寺尾も快く承諾。取組では小錦が寺尾を[[押し出し (相撲)|押し出し]]ての勝利となったが、取組後土俵上で小錦と寺尾はがっちりと握手を交わしていた（それ以前にも寺尾は、北勝海と琴ヶ梅の引退相撲で二人共に、最後の取組相手として指名されて勝負していた）。尚小錦は、大関陥落後も関脇以下の地位で24場所取り続けたが、これは当時の歴代最長記録だった（現在は2001年11月場所に大関から関脇へ転落、2013年3月場所で引退した[[雅山哲士|雅山]]の68場所）。&lt;br /&gt;
現役引退後は、取得していた[[年寄名跡|年寄株]]を使用して[[年寄]]「佐ノ山」&amp;lt;ref&amp;gt;後年になって年寄名跡の取得に際して2億円もの資金提供を受けたことを本人が明かしており『解禁！暴露ナイト』2013年1月24日放送分でその詳細が語られた。&amp;lt;/ref&amp;gt;を襲名、しばらく高砂部屋付きの親方として相撲協会に残ったが、1998年7月場所を以て短期間で退職した。2007年6月まで、[[東京新聞]][[夕刊]]紙上にて「この道」を執筆、横綱昇進問題や[[南海龍太郎|南海龍]]事件など現役時代のエピソードを含めた自分史を自ら語り、今後の進路として音楽プロデューサーの道を歩むことを明かした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現役中から[[ボランティア]]活動にも積極的に取り組み、[[阪神・淡路大震災]]の復興支援などを行った。1997年には「KONISHIKI基金」を設立し、ハワイの子どもへの就学援助や日本との文化交流に力を注いでいる。横綱にはなれなかったが、その存在感・人気は横綱クラスで、人格者として角界の人気・地位を向上させた。実際に横綱空位が要因となって1992年4月から曙が横綱昇進を果たした1993年2月まで最高位が大関の力士としては唯一となる力士会の会長を務めた&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;大関として同会長をつとめた例は他に初代会長の[[玉錦三右エ門]]がいる。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、初めて外国人大関となった小錦の存在が、外国人力士の評価を高める上で大きく役立ったことも高く評価されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
* 幕内に昇進した当時、小錦よりは体格が小柄な[[大錦一徹|大錦]]という力士がおり、平幕時代の対戦時には「大きな小錦と小さな大錦」等と紹介されることもあった（ただし身長は大錦が186センチと小錦より2センチ大きい）。&lt;br /&gt;
* 現役時代からそのキャラクターは際立っており、[[ナショナル]][[アルカリ乾電池]]のCMに出演する&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;特典としてオリジナルテレホンカード5種類が作られ、[[1987年]]7月1日から8月31日まで抽選で毎週3000人にプレゼントされた。&amp;lt;/ref&amp;gt;などしてTVへの露出は多かった（なお、大関時代に力士のCM出演が禁止されており、それがなければもっと露出は多くなっていたとされている）。&lt;br /&gt;
* 現役時、[[エアロスミス]]のアルバム『Big Ones』の裏ジャケットに小錦の取り組み前の姿を正面から撮影した写真が使用され、[[日本相撲協会]]から事情を聴取されたことがある。&lt;br /&gt;
* [[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城|風雲たけし城]]の「コニシキ君」、漫画『[[スクラップ三太夫]]』の「スモウロボ」、『[[武天のカイト]]』の「ビッグ・ダディ」、『[[ああ播磨灘]]』の「富嶽」など小錦をモデルとする、モデルとすると思われるキャラクターは多い。&lt;br /&gt;
* [[藤波辰爾]]や[[加藤博一]]と親交があり、藤波の影響で（現役中から）ハワイの青少年育成活動に取り組むようになった。&lt;br /&gt;
* 2002年6月28日、『[[徹子の部屋]]』に出演した際は現夫人との結婚が囁かれていたことから「アメリカの[[ETV]]というワイドショーでは結婚報道を数秒で済ませるが日本では数週間もしつこく報道する。」と批判する一幕もあった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-6-28.html 徹子の部屋辞典] 『徹子の部屋』のファンサイトに収録されたKONISHIKI出演時の会話&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 北天佑が死去した際、その[[弔問]]に[[アロハシャツ]]姿で現れた。なお、アロハは出身地のハワイの正装であるが、日本では「[[リゾート]]着」として着用されることが多いために、「礼儀を欠く」と勘違いするものも多かったが、[[日本相撲協会]]退職後ということや、ハワイの正装であるということが伝わったこともあり批判は起きなかった&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;ちなみにハワイでの[[葬儀]]の習慣は男性はアロハ、女性は[[ムームー (衣服)|ムームー]]が一般的で、黒い[[喪服]]は皆無ではないがそれほど使われない。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[中央競馬]]の馬券の券種である拡大馬番連勝複式の愛称が「[[投票券 (公営競技)# 拡大二連勝複式|ワイド]]」に決まった際に、その体型にちなんでCMキャラクターとして採用される。&lt;br /&gt;
* 同郷のプロ野球選手[[ベニー・アグバヤニ]]（元[[千葉ロッテマリーンズ]]）と親交がある。&lt;br /&gt;
* いとこのチャールトン・ビル・モアナヌは旧[[富山商船高専]]の英語教員で2002年2月10日に[[新湊市]]中央文化会館で開かれたＮＨＫ[[のど自慢]]大会で「[[桜坂]]」を歌ってチャンピオンになったが、いとこだと知ったアナウンサーが「小錦さん、見てますか？」とカメラ目線で叫んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 減量 ==&lt;br /&gt;
相撲協会退職後はたびたびテレビ番組の企画で[[ダイエット]]に挑戦したが、減量とリバウンドの繰り返しであった。ついに体重が300kgを超え、現役時代に傷めた膝を手術するにも支障がでることから、半年間の食習慣改善および講習の末に2008年2月、胃の縮小手術を受け&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;[[メタボリックシンドローム]]の原因となる内臓脂肪の量は少なかったために、手術そのものは平均的な所要時間よりはるかに短く終わった。&amp;lt;/ref&amp;gt;、3か月で70kg減量し230kgになった&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;[[日本テレビ放送網|NTV]]で2008年6月に放送した『[[Touch! eco 2008 明日のために…55の挑戦?スペシャル]]』内で、300kg台の時には腹部がじゃまになり自分で靴を履くことができず他の人に履かせてもらっていたが230kgになり自分で靴を履けるようになった様子が放送された。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2009年7月には174kgまで減量し&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/07/24/02.html 世界変わる？KONISHIKI 129キロ減量]スポーツニッポン2009年7月24日、2009年8月4日閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;、それまでは座って行っていたコンサートでの歌唱も立って行うことが可能になった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/07/27/06.html KONISHIKI初めて立って歌った！]スポーツニッポン2009年7月27日、2009年8月4日閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;。さらに、減量によって余剰となった皮膚の切除を決意するものの、脈が1分間に38しかない[[スポーツ心臓]]の持ち主だったため、術中術後管理の困難さから手術を承諾する病院捜しに難航するも、結局10時間を費やす大手術によって21kg分を切除したことによって体重は153kgとなり、既製服も着ることができるようになった。また、この減量により、複数回に渡る膝の手術も行い、歩行も改善されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
減量がここまで成功した背景には外科手術のみならず、これまでにない食事制限が関係している。2013年10月15日に都内で行われたオスター『マイブレンダー』の記者発表会に出席した際には「2年くらい食べ方を変えてて、普段は目玉焼き一つにご飯と納豆くらい」と本人が食事量の変化を証言しており、「ほとんど食べ物も置いていない。うちに帰ると刑務所です」とその苛酷さを語った上で「奥さんは世界一の人です」と協力に対する感謝を大いに力説した。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.oricon.co.jp/news/video/2029727/ KONISHIKIが150キロ減量成功　食事制限中で「刑務所みたい」] ORICONSTYLE 2013年10月15日 12時39分&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最終目標は130kgに設定している（医師が設定した理想体重は135kg前後）。現在本人は至って健康体であるが、結果としてあまりにも急激な減量に成功したためか、詳細を知らぬ人物から「どこか具合でも悪いのですか？」と心配される声も多いという。後妻との結婚により、長生きをしたいと思ったことが、この減量を支える決意になったと語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 2008年3月 … 300kg&lt;br /&gt;
* 2008年6月 … 230kg&lt;br /&gt;
* 2009年7月 … 174kg&lt;br /&gt;
* 2009年末頃 … 153kg&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
* [[1982年]]7月場所 - 髙砂部屋入門、初土俵。&lt;br /&gt;
* [[1983年]]11月場所 - 新十両。&lt;br /&gt;
* [[1984年]]7月場所 - 新入幕。&lt;br /&gt;
* 1984年9月場所 - 初の金星（隆の里・千代の富士）、初の三賞（殊勲賞、敢闘賞）受賞。&lt;br /&gt;
* 1984年11月場所 - 新三役（小結を飛び越えて関脇に昇進）。&lt;br /&gt;
* [[1987年]]7月場所 - 大関昇進。&lt;br /&gt;
* [[1989年]]11月場所 - 初の幕内最高優勝（14勝1敗）。&lt;br /&gt;
* [[1991年]]11月場所 - 2度目の幕内最高優勝（13勝2敗）。&lt;br /&gt;
* [[1992年]]3月場所 - 4人による優勝争い、千秋楽に2敗同士の大関霧島との[[相星]]決戦を[[寄り倒し]]で下して3度目の幕内最高優勝（13勝2敗）。&lt;br /&gt;
* [[1993年]]11月場所 - 大関陥落。&lt;br /&gt;
* [[1997年]]11月場所 - 現役引退、[[年寄]]・[[佐ノ山]]を襲名。&lt;br /&gt;
* [[1998年]]5月 - 小錦引退佐ノ山襲名大相撲（[[断髪式]]）。&lt;br /&gt;
* 1998年9月 - 日本相撲協会を退職、タレントへ転向。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大相撲時代の成績 ==&lt;br /&gt;
=== 通算成績 ===&lt;br /&gt;
* 通算成績：733勝498敗95休 勝率.595&lt;br /&gt;
* 幕内成績：649勝476敗89休 勝率.577&lt;br /&gt;
* 大関成績：345勝197敗43休 勝率.637&lt;br /&gt;
* 幕内在位：81場所(当時歴代3位タイ、現在7位）&lt;br /&gt;
* 大関在位：39場所（当時歴代3位、現在6位）&lt;br /&gt;
* 三役在位：12場所（関脇9場所、小結3場所）&lt;br /&gt;
* 連続6場所勝利：75 (1991年5月場所〜1992年3月場所)&lt;br /&gt;
* 通算（幕内）連続勝ち越し記録：12場所（1986年9月場所～1988年7月場所）&lt;br /&gt;
* 幕内2桁連続勝利記録：6場所（1991年5月場所～1992年3月場所）&lt;br /&gt;
* 連勝記録：22（1982年7月場所4日日～1983年3月場所10日目・前相撲→三段目時代）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 各段優勝 ===&lt;br /&gt;
* 幕内最高優勝：3回（1989年11月場所、1991年11月場所、1992年3月場所）&lt;br /&gt;
* 十両優勝：2回（1984年3月場所、1984年5月場所）&lt;br /&gt;
* 序二段優勝：1回（1982年11月場所）&lt;br /&gt;
* 序ノ口優勝：1回（1982年9月場所）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 三賞・金星 ===&lt;br /&gt;
* [[三賞]]：10回&lt;br /&gt;
** 殊勲賞：4回（1984年9月場所、1986年9月場所、1986年11月場所、1987年1月場所）&lt;br /&gt;
** 敢闘賞：5回（1984年9月場所、1985年5月場所、1985年11月場所、1986年3月場所、1987年5月場所）&lt;br /&gt;
** 技能賞：1回（1986年3月場所）&lt;br /&gt;
* 金星：2個&lt;br /&gt;
** [[千代の富士貢|千代の富士]]：1個、[[隆の里俊英|隆の里]]：1個&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 場所別成績 ===&lt;br /&gt;
  {{Sumo record box start|小錦八十吉}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1982}}&lt;br /&gt;
    {{Basho}}&lt;br /&gt;
    {{Basho}}&lt;br /&gt;
    {{Basho}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|maezumou}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|YUSHO|rank=jk|r-no=32|tozai=e|win=7|loss=0}}&lt;br /&gt;
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  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
    {{Sumo record year start|1983}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|sa|50|w|6|1}}&lt;br /&gt;
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    {{Basho|ma|6|e|6|1}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|j|12|w|11|4}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1984}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|j|3|e|4|5|6&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki11&amp;quot;&amp;gt;途中休場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|YUSHO|rank=j|r-no=10|tozai=w|win=13|loss=2}}&lt;br /&gt;
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    {{Basho|M|11|E|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|6|W|12|3|||F|O|*|*}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|S||W|5|6|4&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki11&amp;quot; /&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1985}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|1|W|6|9}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|3|W|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|K||W|12|3|||F}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|S||W|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|rank=s|r-no=|tozai=E|KYUJO}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|9|W|11|4|||F}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1986}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|K||W|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|K||E|12|3|||F|T}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|S||W|3|6|6&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki11&amp;quot; /&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|KYUJO|rank=m|r-no=4|tozai=E|&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot; name=&amp;quot;Kotokaze2&amp;quot;&amp;gt;公傷&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|4|E|12|3|||O}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|S||W|10|5|||O}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1987}}&lt;br /&gt;
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  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1988}}&lt;br /&gt;
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    {{Basho|HO||W|10|5&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki12&amp;quot;&amp;gt;角番&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1989}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|HO||E|3|9|3&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki11&amp;quot; /&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|HO||W|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|HO||W|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|HO||W|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|HO||W|5|10}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|HO||W|14|1&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki12&amp;quot; /&amp;gt;||Y}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1990}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|13|2&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;[[北勝海信芳|北勝海]]・[[霧島一博|霧島]]と優勝決定戦&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|12|3}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|10|5}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1991}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|0|1|14&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;初日不戦敗・休場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|9|6&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki12&amp;quot; /&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|14|1&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;[[旭富士正也|旭富士]]と優勝決定戦&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|12|3}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|11|4}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|13|2||Y}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1992}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|12|3}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|13|2||Y}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||E|0|2|13&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki11&amp;quot; /&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1993}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|10|5&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki12&amp;quot; /&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|7|8}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|O||W|9|6&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki12&amp;quot; /&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|HO||E|0|2|13&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki11&amp;quot; /&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|HO||E|6|9&amp;lt;ref name=&amp;quot;Konishiki12&amp;quot; /&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1994}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|HS||W|2|13&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;関脇陥落&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|9|E|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|5|E|5|10}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|12|E|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|10|E|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|5|E|6|9}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1995}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|8|W|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|3|E|5|10}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|7|W|5|10}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|13|W|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|5|E|5|10}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|10|W|8|7}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1996}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|8|E|7|8}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|9|W|6|9}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|14|E|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|8|W|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|4|E|4|11}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|9|E|6|9}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|1997}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|13|E|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|10|W|6|7|2&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;初日より休場・3日目から途中出場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|14|E|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|9|W|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|M|2|W|0|11|4&amp;lt;ref group=&amp;quot;A&amp;quot;&amp;gt;4日目より途中休場・9日目から再出場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|INTAI|rank=M|r-no=14|tozai=E|win=5|loss=9}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record box end}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ミュージシャンとしての活動 ==&lt;br /&gt;
*[[2000年]]3月にデビューアルバムの『KMS』を発表。このタイトルは「King Master of Sumo」から名づけられている。このアルバムでは[[R&amp;amp;B]]・[[ヒップホップ]]のスタイルに則っており、歌詞は全曲英語である。アメリカの[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーヴランド]]を本拠地とする[[ラップ]]グループ、[[ボーン・サグズン・ハーモニー]]（[[:en:Bone Thugs n Harmony]]）のメンバー、[[レイジー・ボーン]]（Layzie Bone）を迎えた楽曲「リビン・ライク・キングス」では[[ラップ]]を披露している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[2002年]]3月に公開された映画『[[ドラえもん のび太とロボット王国]]』のエンディングテーマ「いっしょに歩こう〜Walking Into Sunshine〜」と挿入歌「ひとりじゃない〜I&#039;ll Be There〜」（こちらは「KONISHIKI with [[新山千春]]」名義）を担当した。2002年7月に[[サザンオールスターズ]]のベーシストの[[関口和之]]と共に「関口和之 featuring KONISHIKI」名義でマキシシングル『[[私の青空 (歌)|私の青空〜MY BLUE HEAVEN〜]]』を発売。スタンダード・ナンバーのカヴァーで、関口は[[ウクレレ]]を、KONISHIKIはヴォーカルを担当。また、[[2003年]]のアニメ『[[星のカービィ (アニメ)|星のカービィ]]』の後期エンディングテーマに「カービィ☆ステップ!」が起用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*2010年5月26日、小錦八十吉名義で『ドスコイ・ダンシング』を発売。曲自体は1985年頃の現役力士時代に作ったものであったが、相撲に専念するためお蔵入りになっていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テレビでの活動 ==&lt;br /&gt;
現在は、[[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]]の平日7:25-7:35・17:05-17:15に放送される小児向け教育番組『&#039;&#039;&#039;[[にほんごであそぼ]]&#039;&#039;&#039;』にも、『&#039;&#039;&#039;コニちゃん&#039;&#039;&#039;』の名で出演している。微笑ましい姿で子供たちからの人気も高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[その時歴史が動いた]]』（2006年8月23日放送）では、故郷[[ハワイ王国|ハワイ]]の英雄[[カラカウア|カラカウア王]]を演じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他の活動 ==&lt;br /&gt;
=== アニメ ===&lt;br /&gt;
* [[ドラえもん のび太とロボット王国]] - &#039;&#039;&#039;コニック&#039;&#039;&#039;役&lt;br /&gt;
* [[ドッとKONIちゃん]]（自身がキャラクターモデルとなったアニメ 2000年11月 - 2001年5月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===吹き替え===&lt;br /&gt;
*[[X-ファイル]] ディプスロート役（スカパーフェクTV！版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== CM ===&lt;br /&gt;
* [[サントリー]] - [[ウィスキー]]（I-suki you-suki Whiskeyシリーズ、さまざまなボトルと軽快な歌でヒットCMに [[1997年]]）&lt;br /&gt;
* [[三洋電機]] - 2000年頃、[[洗濯機]]や[[食器洗い機|食器洗い乾燥機]]、オーディオ製品（[[U4 (三洋電機)|MD-U4]]）などのCMに出演&lt;br /&gt;
* [[トヨタ自動車]] - [[トヨタ・コルサ]]&lt;br /&gt;
* [[ダイハツ]] - [[ダイハツ・ムーヴ]]&lt;br /&gt;
* [[ツムラ]] - [[バスクリン]]&lt;br /&gt;
* [[第二電電|DDI]]（現：[[KDDI]]） - 国際電話0078 相撲スタイルでもある（プッシュ、プッシュ）をCMで流していた。&lt;br /&gt;
* [[ユニデン]]&lt;br /&gt;
* [[ローソン]]&lt;br /&gt;
* [[セガ・エンタープライゼス]] - [[ドリームキャスト]]&lt;br /&gt;
* [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]] - [[PlayStation 2]]・[[EyeToy]]&lt;br /&gt;
* [[大鵬薬品工業]] - チオビタドリンク（[[2014年]]夏～）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ドラマ ===&lt;br /&gt;
* [[リモート]] - &#039;&#039;&#039;ボブ加藤&#039;&#039;&#039;役&lt;br /&gt;
* [[さくら (2002年のテレビドラマ)|さくら]] - 文化祭の特別ゲストに呼ばれたハワイアン歌手役。ドラマ内で[[ウクレレ]]と歌を披露した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 映画 ===&lt;br /&gt;
* [[チェケラッチョ!!]] - &#039;&#039;&#039;アンディ・クラレンス&#039;&#039;&#039;役&lt;br /&gt;
* [[ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT]] - &#039;&#039;&#039;熊の刺青の男&#039;&#039;&#039;役&lt;br /&gt;
* [[ヤバい経済学]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テレビ ===&lt;br /&gt;
*[[ここがヘンだよ日本人]] - [[TBSテレビ|TBS]]&lt;br /&gt;
*[[にほんごであそぼ]]－[[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]]（2003年－）　コニちゃん役&lt;br /&gt;
* まるごと知りたい!AtoZ「癒やしのハワイAtoZ」（[[NHK BSプレミアム]]、2013年1月1日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ネットムービー ===&lt;br /&gt;
*外人任侠伝〜東京事変 - 兄貴役&amp;lt;ref&amp;gt;[http://amass.jp/22522 ヴァン・ヘイレンのデイヴィッド・リー・ロスが主役を演じる、日本を舞台にしたショート・フィルム『外人任侠伝〜東京事変』が公開] amass 2013年5月23日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
=== ラジオ ===&lt;br /&gt;
* KONY ISLAND - [[横浜エフエム放送|FMヨコハマ]]&lt;br /&gt;
* KONISHIKI LEALEA SUNDAY - [[エフエムナックファイブ|FM NACK5]]&lt;br /&gt;
* [[全国こども電話相談室]] - [[TBSラジオ&amp;amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 著書 ===&lt;br /&gt;
* はだかの小錦 - [[読売新聞社]]&lt;br /&gt;
* 今日も快晴 KONISHIKI日記 - [[中央公論新社]]&lt;br /&gt;
* 裸百貫 - [[講談社]]&lt;br /&gt;
* みなみのしまからのおくりもの - [[心泉社]]&lt;br /&gt;
* KONISHIKI＋HuLa Hut ハワイアン・ダイニング - [[PARCO出版]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ケーピ－所属タレント ===&lt;br /&gt;
*小錦八十吉、[[武蔵丸光洋|武蔵丸]]、小錦千絵、[[火の竜清徳|火の竜]]、[[泉州山喜裕]]、攻勢力、[[戦闘竜]]、[[星誕期偉真智|星誕期]]、赤星賢志、タマ子&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==注記==&lt;br /&gt;
{{Reflist|group=A}}&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[大関一覧]]&lt;br /&gt;
* [[大相撲優勝力士一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.konishiki.net/ 公式ホームページ]&lt;br /&gt;
* [http://ameblo.jp/konishiki-power/ KONISHIKIオフィシャルブログ「KONY Island」]&lt;br /&gt;
{{sumodb|1287|小錦 八十吉}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{歴代大関|第222代|1987年7月-1993年11月}}&lt;br /&gt;
{{年間最優秀力士賞}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こにしき}}&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国出身の大相撲力士]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ先住民のスポーツ選手‎]]&lt;br /&gt;
[[Category:ハワイ州の先住民族]]&lt;br /&gt;
[[Category:帰化日本人の大相撲力士]]&lt;br /&gt;
[[Category:元大相撲力士のタレント]]&lt;br /&gt;
[[Category:高砂部屋]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のミュージシャン]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウクレレ奏者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ハワイ州の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ系日本人]]&lt;br /&gt;
[[Category:ドラえもん映画主題歌担当アーティスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:1963年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>126.27.37.28</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E7%90%B4%E6%AC%A7%E6%B4%B2%E5%8B%9D%E7%B4%80&amp;diff=138820</id>
		<title>琴欧洲勝紀</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E7%90%B4%E6%AC%A7%E6%B4%B2%E5%8B%9D%E7%B4%80&amp;diff=138820"/>
		<updated>2014-08-16T07:09:34Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;126.27.37.28: /* 念願の幕内初優勝 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox 力士|&lt;br /&gt;
|名前=琴欧洲勝紀&lt;br /&gt;
|画像=[[画像:Kotooshu.jpg|180px]]&lt;br /&gt;
|説明= &lt;br /&gt;
|四股名=琴欧州 勝紀 → 琴欧洲 勝紀&lt;br /&gt;
|本名=安藤カロヤン（旧名・カロヤン・ステファノフ・マハリャノフ&amp;lt;br/&amp;gt;{{lang|bg|Калоян Стефанов Махлянов}}）&lt;br /&gt;
|愛称=カロヤン&lt;br /&gt;
|生年月日={{生年月日と年齢|1983|2|19}}&lt;br /&gt;
|没年月日=&amp;lt;!-- {{死亡年月日と没年齢||||||}}テンプレートを使用 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
|出身=[[ブルガリア|ブルガリア共和国]][[ヴェリコ・タルノヴォ州]][[ヴェリコ・タルノヴォ|ヴェリコ・タルノヴォ市]]&lt;br /&gt;
|身長=202cm&lt;br /&gt;
|体重=155kg&lt;br /&gt;
|BMI=37.99&lt;br /&gt;
|所属部屋=[[佐渡ヶ嶽部屋]]&lt;br /&gt;
|得意技=右四つ・寄り・上手投げ&lt;br /&gt;
|現在の番付=引退&lt;br /&gt;
|最高位=東[[大関]]&lt;br /&gt;
|生涯戦歴=537勝337敗63休（68場所）&lt;br /&gt;
|幕内戦歴=466勝322敗63休（57場所）&lt;br /&gt;
|優勝=幕内最高優勝1回&amp;lt;br/&amp;gt;十両優勝1回&amp;lt;br/&amp;gt;幕下優勝1回&amp;lt;br/&amp;gt;序ノ口優勝1回&lt;br /&gt;
|賞=[[殊勲賞]]2回&amp;lt;br/&amp;gt;[[敢闘賞]]3回&lt;br /&gt;
|初土俵=[[2002年]]11月場所&lt;br /&gt;
|入幕=[[2004年]]9月場所&lt;br /&gt;
|引退=[[2014年]]3月場所&lt;br /&gt;
|引退後= &lt;br /&gt;
|他の活動= &lt;br /&gt;
|趣味=ゴルフ&lt;br /&gt;
|備考=[[ヨーロッパ]]出身力士初の大関&amp;lt;br /&amp;gt;元[[アマチュアレスリング]]欧州ジュニア王者&lt;br /&gt;
|作成日時=[[2014年]][[3月20日]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;琴欧洲 勝紀&#039;&#039;&#039;（ことおうしゅう かつのり、[[1983年]][[2月19日]] - ）は、[[ブルガリア|ブルガリア共和国]][[ヴェリコ・タルノヴォ州]][[ヴェリコ・タルノヴォ|ヴェリコ・タルノヴォ市]]出身で[[佐渡ヶ嶽部屋]]所属の元[[大相撲]][[力士]]。本名は安藤（あんどう）[[カロヤン]]&amp;lt;ref&amp;gt;苗字の方は「あまり変わったものにすると息子がかわいそう」、名前の方は「適当な当て字が見つからず、漢字の読み書きが難しい」という理由で現在のものに決めたという。[http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/sumou/233307/ ]　東スポWeb 2014年2月10日16時00分&amp;lt;/ref&amp;gt;。ブルガリア国籍時代の旧名は&#039;&#039;&#039;カロヤン・ステファノフ・マハリャノフ&#039;&#039;&#039;（[[ブルガリア語]]：&#039;&#039;&#039;{{lang|bg|Калоян Стефанов Махлянов}}&#039;&#039;&#039;、[[ラテン文字化|ラテン文字転写]]例：Kalojan Stefanov Mahljanov）、愛称はカロヤン。[[身長]]202cm、[[体重]]155kg、[[握力]]120kg、[[血液型]]はO型。得意手は右四つ・寄り・上手投げ。趣味は[[ゴルフ]]、好きな色は[[青]]、好物は[[ラーメン]]、好きなスポットは[[北海道]]・[[沖縄県]]。最高位は東[[大関]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
一般的な琴欧洲の人物評価は、肉体面においては極めて豊富な身体能力を持ち、その風貌もいわゆる「ハンサム」類型であるとされている。逆に、精神面においては、[[把瑠都凱斗|把瑠都]]に代表される[[陽]]性・[[躁病|躁]]性に対比して、「[[陰]]性」・「[[うつ病|鬱]]性」の典型であると評価されている。平時の気性は非常に穏やかで、妻が[[日本]]人であることも含め、日本に対して非常に理解ある印象を持っている。過去には[[朝青龍明徳|朝青龍]]に対するアンチ発言が複数あり、「（興業である本場所上での）荒々しい相撲」に否定的で、客に対しては「綺麗な相撲を見せるべき」であるとの所感を持つ美観主義者である&amp;lt;ref&amp;gt;引退したばかりの時期である2014年3月25日の朝日新聞には「ほとんど張り手を使わなかった」という内容の投書がファンから寄せられていた。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
入門以来、その長身と懐の深さ、抜群の格闘技センスを活かして[[番付]]を駆け上がり、[[初土俵]]から最速となる所要11場所で入幕（当時、幕下付け出しを除く）。[[2005年]]11月場所終了後に[[大関]]に昇進した。端正な顔立ちで人気も高く、一時期は「角界の[[デビッド・ベッカム|ベッカム]]」とも呼ばれた（因みにベッカムと最初に形容したのは[[大相撲中継]]にゲスト出演した[[大村崑]]である）。しかし琴欧洲の好きなサッカー選手は母国の英雄[[フリスト・ストイチコフ]]である。また、他の相撲部屋の同僚から「琴欧州はベッカムが嫌い」と本人はあまり好んでいない様子が『[[関口宏の東京フレンドパークII]]』にて放送されたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
得意は四つ相撲で、特に左上手を取ってからの強烈な投げや寄りが得意。左四つでも右上手を取れば十分相撲が取れた。懐の深さを活かして外四つで廻しを取って引きつける相撲も得意であった。相手が二本を差して肘を張った状態でも通常のように浅い位置の上手を取って引きつける相撲も見せたことがあり、関ノ戸（元小結・岩木山）は自身の対戦経験&amp;lt;ref&amp;gt;2004年11月場所千秋楽&amp;lt;/ref&amp;gt;を元に「嘘だろ、これはまずいと思って一気にがぶったんですよ」とその相撲ぶりを証言した。&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref97&amp;quot;&amp;gt;参考:相撲塾　関ノ戸（元小結・岩木山）との対談（両国国技館）　2014年5月10日&amp;lt;/ref&amp;gt;[[稀勢の里寛|稀勢の里]]のような脇が甘い相手には立合いで両差しにしての速攻の相撲も取る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
総じてプレッシャーに弱いところが弱点とされている。勢いで取っている面があり、調子が良い時には横綱をも負かすが、悪い時には平幕にもあっさり負ける面があった。大関昇進時には[[栃東大裕|栃東]]と共に当時無敵だった横綱朝青龍と互角に渡り合える力士として、優勝、綱取りを期待されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
概して[[とったり]]、[[腕捻り]]といった手繰り技に弱く、少しの手繰り技であっさりと負けてしまうことが多かった。特に[[魁皇博之|魁皇]]との対戦でその傾向がよく見られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何より右膝の不安が不振の主因となっていた。これは2006年3月場所前に朝青龍との申し合いで痛めた以前から慢性的に悪い状況にあり、三段目時代には右膝亜脱臼を経験している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
琴欧洲に改名後は、一貫して黒色の[[廻し]]を締めて、本場所の土俵に上がっている。大関昇進直後は深緑色の廻しだったが、現在この廻しは巡業などで使用している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
=== 入門から関脇 ===&lt;br /&gt;
2人兄弟の次男坊で4人家族。[[レスリング]]経験者で、欧州ジュニアチャンピオンの実績も持つ。大きな体は家系のようであり、自身を含めて実家の家族4人の体重の合計が400kgを超えたこともあったという。&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref97&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;少年時代には父からもレスリングの基礎の手ほどきを受けた。&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref222&amp;quot;&amp;gt;[http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/sumou/247290/ 「引退」琴欧洲 理想の″指導者像″は父親] 東スポWeb 2014年3月20日16時00分&amp;lt;/ref&amp;gt;当初はオリンピックを目指すが、レスリング競技において無差別級が廃止となった事もあってレスリングの道を断念。レスリングの練習の一環として行ったことが相撲との出会いとなっており&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref97&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;、これをきっかけとして[[佐渡ヶ嶽]]親方（当時＝元[[横綱]]・[[琴櫻傑將|琴櫻]]）の[[ドイツ]]在住の知人で実業家の中本氏（部屋の元[[床山]]）を介して来日。&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref97&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;[[四股名]]はヨーロッパ出身であることに由来し、下の名前の“勝紀”は師匠の現役時代の四股名である“ 琴櫻 傑將”の名前の読み（まさ&#039;&#039;&#039;かつ&#039;&#039;&#039;）の一部と本名“鎌谷 &#039;&#039;&#039;紀&#039;&#039;&#039;雄”から一文字ずつ取った。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20140510-1298802.html 琴欧洲親方が現役時代の秘話明かす] nikkansports.com 2014年5月10日16時24分 &lt;br /&gt;
: 引退後、大相撲の面白を紹介する「相撲塾」でファンに対して「何て大ざっぱな名前なのかと思った」と当時の感想を明かしている。&amp;lt;/ref&amp;gt;師匠の佐渡ヶ嶽は[[停年]]前、横綱昇進の際には自身の現役名（琴櫻）から櫻を譲り『琴櫻州（読み方はそのまま）』への改名を考え、[[横綱土俵入り|土俵入り]]の型も決めていたが、後に改名については撤回した。&lt;br /&gt;
新[[小結]]で迎えた2005年3月場所では4勝11敗に終わった（前場所前頭4枚目での9勝6敗による、やや幸運な昇進であったため致し方ない面もあった）。2005年7月場所で小結に復帰し12勝3敗の好成績を挙げたが、優勝争いの[[千秋楽]]で極度の緊張から自分を見失いあっけなく黒星を喫した。また、この場所は10日目の[[旭鷲山昇|旭鷲山]]戦で[[勝ち越し]]たが、相手の引きに手を付いたようにも見えた微妙な一番であった。&lt;br /&gt;
2005年9月場所には[[関脇]]昇進を果たし、それまで[[大鵬幸喜|大鵬]]、[[千代の富士貢|千代の富士]]が持っていた、年6場所制における新関脇での初日からの連勝記録（8連勝）を大幅に上回る12連勝の新記録を樹立した。しかし、13日目朝青龍に敗れ連勝はストップ。朝青龍に敗れ部屋に帰る際にマスコミに雪駄を踏まれ、それに怒って雪駄を地面に叩き付けた。その翌日の14日目には当時前頭16枚目ながら優勝争いに加わっていた[[稀勢の里寛|稀勢の里]]に呆気なく敗れ、12連勝の後2連敗。千秋楽は大関千代大海に勝ち13勝2敗の成績で朝青龍との[[優勝決定戦_(相撲)|優勝決定戦]]を行い、13日目の本割に続いて敗戦、史上最速での初優勝は成らなかった。しかし新関脇で13勝の勝ち星は史上最多タイの快記録である（過去に[[1940年]]5月場所の[[五ツ嶌名良男|五ツ嶌]]、[[1950年]]9月場所の[[吉葉山潤之輔|吉葉山]]が新関脇で13勝をあげている）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌場所は初日[[垣添徹|垣添]]に敗れたものの、横綱朝青龍と大関千代大海を破り11勝4敗の成績を挙げ、殊勲賞と敢闘賞を受賞。場所後に大関昇進。入門からわずか19場所での大関昇進は年6場所が定着した[[1958年]]以降では[[幕下付出]]を除き史上最速であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大関昇進後 ===&lt;br /&gt;
大関昇進伝達式においては、前師匠の元横綱琴櫻と現師匠の[[琴ノ若晴將|琴ノ若]]夫妻が同席する異例の事態となった。これは、同場所中に琴櫻が65歳停年を迎えたため、規定により佐渡ヶ嶽部屋の力士が千秋楽まで土俵に上がれるよう、琴ノ若が引退して部屋を継承したことに、協会側が配慮したもの。ちなみに、琴ノ若はいわゆる「婿入り婚」のため、琴櫻は退職後も亡くなる直前まで部屋での稽古に顔を出していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新大関の[[2006年]]1月場所は、初日に[[露鵬幸生|露鵬]]に敗れたが、順調に白星を積み上げて行き、一時は優勝争いにも加わったが終盤に負けが込み、10勝5敗とまずまずの成績だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幕内10場所目で大関2場所目だった翌3月場所は直前の稽古で右膝を痛め、一時は出場すら危ぶまれたが、本人の意思で何とか出場にこぎつけ、9勝6敗と勝ち越した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌5月場所も右膝と右足首が完治せず負け越しが危ぶまれたが、先代師匠の激励を受けて千秋楽にかろうじて勝ち越し8勝7敗で取り終えた。次の7月場所も1勝2敗から5連勝し6勝2敗としたものの、そこから崩れ再び負け越しの危機に直面したが、またしても千秋楽に勝ち越して8勝7敗。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その次の9月場所は序盤3連勝の好スタートを切ったが、中盤の3連敗が響いて10勝5敗に終わっている。場所後の[[2006年]][[9月27日]]、成績が伸び悩んでいたため、より良い画数を考え琴欧&#039;&#039;&#039;州&#039;&#039;&#039;から琴欧&#039;&#039;&#039;洲&#039;&#039;&#039;（読みは同じ）に四股名を改名した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その改名後の翌11月場所は序盤3連勝したものの、中盤での取りこぼしが響いて結局10勝5敗だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年1月場所は、稀勢の里戦に於いて大関であるにもかかわらず[[立合い]]の変化で勝利を収めたため、[[両国国技館|国技館]]内からブーイングが起こった。2007年5月場所は、中日に7勝1敗だったが、終盤崩れて9勝6敗であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]9月場所では新入幕の[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]の活躍で、大関という立場では対戦があるはずの大関・[[千代大海龍二|千代大海]]、横綱・[[白鵬翔|白鵬]]との取組が外されてしまった。横綱・朝青龍、大関・[[魁皇博之|魁皇]]が休場、大関・[[琴光喜啓司|琴光喜]]が同部屋所属のため、大関なのに大関以上との対戦がなかった。さらにそのような事態にもかかわらず下位力士に大きく取りこぼし、8勝7敗に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌11月場所には膝の古傷を痛めて、7日目に力士人生で初めての不戦敗・途中休場となる。そのため、2007年は一度も二桁勝利を挙げることが出来なかった。改名の効果が全く出ていない状態が続き、「大関に挙げない方が良かったのでは？」という声も囁かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌[[2008年]]1月場所は初の大関[[角番]]となったが、9勝6敗と勝ち越し角番を脱出した。3月場所では4日目の取組の際、左上腕部を負傷したため、9日目から通算2度目の休場に追い込まれ、悔しさのあまり思わず涙した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大関に上がるまでは、強烈な引き付けや投げを武器に優勝争いに加わる等の活躍を見せていたが、大関昇進後は怪我とそれに伴う大関陥落に対する精神的な重圧から、一転して長身を持て余すようなスケールの小さい取り口となった。琴櫻は生前この不振を「技術的なことよりも、精神的なことだよね」と語っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Kotooshu winning Emperor&#039;s Cup 2008 May.jpg|200px|thumb|2008年5月場所、[[北の湖敏満|北の湖]]理事長から天皇賜杯を授与される琴欧洲]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、体重を5キロ増やして臨んだ2008年5月場所では初日から絶好調をキープし、8連勝で角番を脱出。さらに11日目、12日目と朝青龍と白鵬の両横綱に寄り切りで勝利し、優勝目前となる&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sponichi.co.jp/sports/special//2008sumounatsu/KFullNormal20080523082.html ニッカニカ！琴欧洲ズバッと“変化急”] スポニチ 2008年05月23日&amp;lt;/ref&amp;gt;。翌13日目は苦手の安美錦に対し一方的に押し出しで敗れてしまったものの、援護射撃で同部屋の先輩大関である琴光喜が白鵬を寄り倒しで破り2差とし、更にその直後朝青龍が魁皇に上手出し投げで敗れて4敗目を喫したため優勝圏外に去った。そして翌14日目は平静さを取り戻し、安馬（当時、現横綱・[[日馬富士公平|日馬富士]]）を送り倒しで破り初優勝を決めた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sponichi.co.jp/sports/special//2008sumounatsu/KFullNormal20080525113.html 琴欧洲　涙の初Ｖ！名古屋で綱獲りだ ] スポニチ&lt;br /&gt;
2008年05月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;。千秋楽の千代大海戦にも寄り切りで勝利し、最終的には14勝1敗の好成績でヨーロッパ出身力士では史上初となる自身念願の幕内最高優勝を果たした&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sponichi.co.jp/sports/special//2008sumounatsu/KFullNormal20080526064.html 琴欧洲１４勝締めも名古屋へ“全勝ノルマ”] スポニチ 2008年05月26日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次の[[2008年]]7月場所は本来綱取り場所となるところであったが、3月場所までは[[勝ち越し]]がやっとだったこともあり、綱と言うよりは大関としての真価を問われる場所となった。しかし初日に苦手の[[安美錦竜児|安美錦]]に敗れると&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sponichi.co.jp/sports/special/2008sumounagoya/KFullNormal20080714106.html 仕切り焦ってしまった琴欧洲もう負けた] スポニチ 2008年07月14日&amp;lt;/ref&amp;gt; 、7日目までに3敗を喫し結局9勝6敗に終わり、綱取りは白紙に戻った。その後の9月場所、11月場所は2場所ともに8勝7敗で[[千秋楽]]で勝ち越してはいるが、優勝した時の強さが全く見られない取り口となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]1月場所は中日までを7勝1敗とし、一時は優勝争いにも加わったが後半失速し、結局10勝5敗に終わった。第33回[[日本大相撲トーナメント]]では決勝戦まで勝ち進んだものの、決勝では白鵬に敗れ、準優勝だった。翌3月場所も10勝5敗、大関昇進後では14場所ぶりの連続二桁勝利となった。5月場所は9勝6敗で大関初の3場所連続二桁勝利はならなかったが、14日目に白鵬を破って連勝記録を止め、存在感を示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次の7月場所前には1日50番近い稽古をこなした。それが実り、7月場所では10連勝とし11日目に千代大海に敗れたものの、当時1敗だった琴光喜が全勝の白鵬を破り再び優勝争いのトップを守った。注目された13日目の白鵬との一敗同士の直接対決では完敗、優勝争いから一歩後退する。翌日の14日目には朝青龍、千秋楽には日馬富士を破り逆転優勝への望みを繋いだが、千秋楽に白鵬が朝青龍に勝利したため優勝決定戦に持ち込むことはできなかった。それでも最終的には13勝2敗の好成績を挙げ、久々に優勝争いを大きく盛り上げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌9月場所は初日から6連勝したものの、7日目に[[鶴竜力三郎|鶴竜]]に敗れると、10日目から5連敗を喫して9勝6敗に終わった。11月場所は9日目まで1敗を保持し優勝争いに加わっていたが、9月場所同様、10日目で魁皇に敗れてからは失速、10勝5敗に留まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年5月場所[[千秋楽]]の結び前の一番、[[大関]]・魁皇に右上手を許し[[寄り切り]]で敗れたが、この琴欧洲の敗戦で魁皇が大相撲史上二人目の「通算1000勝」の大記録を達成させるという、余りに皮肉な結果となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌7月場所は初日から7連勝と好スタートを切ったが、中日に好調の鶴竜に敗れると後半またも失速し10勝5敗に留まった。9月場所は2009年7月場所以来となる中日での勝ち越しを決め、[[横綱]]・白鵬を追う一番手として期待されたが、9日目に苦手の安美錦に敗れると、11日目から4連敗を喫して失速。結局7月場所同様、10勝5敗に留まった。11月場所は5日目までに3敗を喫し、その後6連勝して11日目に勝ち越しを決めたが終盤4連敗を喫し8勝7敗に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年1月場所は9日目まで8勝1敗とし、一時白鵬に星一つ差であったが、終盤に失速、10勝5敗に留まった。しかし大関陣の中では唯一の二桁勝利であった。5月技量審査場所は序盤から不調で、9日目に古傷を悪化させたこともあって11日目から休場した。これで幕内初優勝の2008年5月場所から続いた、連続勝ち越し記録は17場所でストップ。翌7月場所は3度目の大関[[角番]]だったが、10日目に魁皇を下し8勝2敗と勝ち越して角番を脱出した（なお魁皇はこの琴欧洲戦を最後に現役引退を表明）。しかし11日目以降は1勝のみで、結局9勝6敗に終わった。9月場所は5月技量審査場所と同様に序盤から1勝5敗と不調で、右膝と右肘を負傷したこともあり7日目から途中休場。しかし場所後の[[明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権大会]]には出場し、決勝で把瑠都を破って2005年以来6年ぶり2回目の優勝を果たした。11月場所は4度目の大関角番だったが、11日目に角番を脱出し9勝6敗。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年1月場所では2010月9月場所以来の初日からの6連勝と好スタートを切り、13日目に横綱白鵬を13場所ぶりに寄り切りで破った。（この一番で把瑠都の初優勝が決定。）&lt;br /&gt;
最終的には10勝5敗と2011年1月場所以来の二桁勝利を挙げた。5月場所14日目、同場所平幕優勝を果たした[[旭天鵬勝|旭天鵬]]戦で右足根骨靱帯を損傷したため、千秋楽の栃煌山戦を休場し、8勝7敗（千秋楽不戦敗）に終わった。この不戦敗で4敗力士の優勝が消滅し、館内からはブーイングが起こり、理事長の協会挨拶では琴欧洲に対する異例の名指し非難と謝罪があった&amp;lt;ref&amp;gt;琴欧洲が休場＝白鵬らの逆転優勝消える－大相撲夏場所千秋楽 時事通信 2012年5月20日&amp;lt;/ref&amp;gt;。怪我が完治しない中強行出場した翌7月場所は12日目に勝ち越しを決め、千秋楽に稀勢の里を破り9勝6敗で終えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年9月場所で大関在位数が40場所を迎え、[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]（現[[タレント]]・大関在位39場所）を超える歴代単独5位の記録となった（外国出身力士としての大関在位数は琴欧洲が史上最多）。しかし5日目、苦手の[[豊ノ島大樹|豊ノ島]]戦で[[掬い投げ]]で敗れた際右肩を痛め、翌6日目より途中休場（他大関陣は[[把瑠都凱斗|把瑠都]]と琴奨菊も4日目から途中休場、6大関の内3人が不在に）。次の同年11月場所は、自身5度目の角番となったが、11日目に横綱白鵬を下し勝ち越しを決め角番を脱出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2013年]]1月場所は序盤に3連敗したが12日目に横綱白鵬に連勝するなど存在感を見せ、千秋楽に稀勢の里を上手投げで下し、最終的には10勝5敗と一年ぶりの二桁勝利で取り終えた。しかし、3月場所は場所前から痛めていた左肘の負傷が悪化し5日目で1勝4敗と絶不調、左肘関節外側側副靱帯損傷により翌6日目から途中休場。翌5月場所は大関在位44場所と[[北天佑勝彦|北天佑]]と並び歴代4位タイ記録と同時に、6回目の角番（[[武双山正士|武双山]]と並び歴代5位タイ）を迎えることになった。同場所は初日から4連勝を達成したが5日目から3連敗するなど大きく崩れ、千秋楽に鶴竜を[[送り出し]]て8勝7敗と辛うじて勝ち越し、角番を脱出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年7月場所は大関在位45場所を迎え、歴代単独4位となった。同場所は14場所ぶりに9日目で早々勝ち越し、10日目まで9勝1敗と優勝争いに加わったが、その後横綱・大関戦は全敗（14日目は小結・松鳳山にも敗戦）を喫し、終盤5連敗の9勝6敗に終わった。翌9月場所は、初日から4連勝したが、5日目豪栄道に上手投げで敗れた際に左太股裏を負傷し、7日目から途中休場（一時は再出場する意向だったが、怪我が回復しないため断念した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌11月場所は2013年5月場所以来7度目の角番を迎えた（小錦と並び歴代4位タイ）。しかし1勝1敗で迎えた同場所の3日目、松鳳山戦で左肩を負傷し、「左肩鎖関節脱臼で全治4週間」の診断により4日目から途中休場&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/shimen/news/20131113dde035050037000c.html 大相撲九州場所:琴欧洲休場 大関陥落必至（毎日新聞）]&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後同場所9日目の時点で大関で2場所連続負け越しとなり、47場所務めた大関から陥落が決定した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20131116-1219228.html 琴欧洲は再出場せず、関脇陥落確実に（日刊スポーツ）]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 大関陥落後 ===&lt;br /&gt;
[[2014年]]1月7日に日本国籍を取得して、欧州出身力士としては初となる日本への[[帰化]]を果たした&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&amp;amp;k=2014011600642 琴欧洲と時天空、日本国籍取得＝大相撲（時事ドットコム）]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;平成26年1月7日法務省告示第3号。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;「告示」『[[官報]]』6203号、[[国立印刷局]]、[[2014年]][[1月7日]]、2面。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年1月場所では10勝以上を挙げれば、1場所で大関特例復帰だった。場所前の2013年冬巡業では取組を行わず土俵入りだけの参加としながら土俵外で四股を踏んで調整する様子が報じられた。&amp;lt;ref&amp;gt;『大相撲ジャーナル』2014年2月号39頁&amp;lt;/ref&amp;gt;その場所は序盤4勝1敗だったが、11日目の白鵬戦で5敗目と後がなくなり、13日目の[[遠藤聖大|遠藤]]戦でついに6敗目を喫し、大関特例復帰はならなかった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sanspo.com/sports/news/20140125/sum14012505010000-n1.html 琴欧洲、遠藤にぶん投げられた…大関返り咲き消滅／初場所（サンケイスポーツ）]&amp;lt;/ref&amp;gt;。14日目の玉鷲戦に勝って勝ち越しを決めたが、千秋楽の豪栄道戦は敗れて8勝7敗に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===現役引退===&lt;br /&gt;
2014年3月場所では初日こそ白星をあげたが、翌日から8連敗を喫し負け越しが決まった。1勝9敗で迎えた11日目、左肩鎖関節脱臼のため休場した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20140319-1272316.html 関脇琴欧洲が休場 2日目から9連敗] 日刊スポーツ 2014年3月19日10時59分&amp;lt;/ref&amp;gt;。翌日3月20日、引退を表明&amp;lt;ref name=&amp;quot;Hochi&amp;quot;&amp;gt;[http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20140320-OHT1T00067.htm 【春場所】琴欧洲が引退 史上4位の大関在位47場所] スポーツ報知 2014年3月20日閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;。元琴錦の[[中村 (相撲)|中村]]が「体だけで上がってきて、この試練を乗り越えなければ何も残らず、後進に教える事はない。」と現役続投を薦めた&amp;lt;ref&amp;gt;朝日新聞　2014年3月20日&amp;lt;/ref&amp;gt;が、結局それは叶わなかった。引退会見では思い出の一番として前相撲での取組を挙げ、「稽古して強くなって、早く次の場所で試したいと思って」と述懐していた。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20140320-1273062.html 琴欧洲が引退「賜杯重かった」一問一答] nikkansports.com 2014年3月20日18時57分&amp;lt;/ref&amp;gt;尚、琴欧洲は年寄名跡を現在所有していないものの、『大関経験力士が3年の期限付きで[[日本相撲協会]]に残留出来る』規定を行使し、琴欧洲親方として佐渡ヶ嶽部屋付き親方となり後進の指導に当たることになっている&amp;lt;ref name=&amp;quot;Hochi&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;「大関3年」は3年以内に年寄株を取得するよほどの確証が無い限り理事会で承認されることがなく、事実1998年5月1日に「大関3年」が制定されて以来[[栃東大裕|栃東]]と琴欧洲の2例しか存在しない。初めて承認された例である[[栃東大裕]]の場合は近親者でもある年寄（[[栃東知頼|先代玉ノ井]]）が3年以内に停年を迎える予定であったため承認された。琴欧洲の場合は空き名跡が10家あったため認められた（琴欧洲の引退時点）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。会見ではまた、指導者としての出発を迎えるにあたり「厳しく教えるだけでなく、競技の面白さや楽しさを教えなくては駄目。個人ごとの体格や体型によって教えることも変わってくる。その人にあった教え方をしないと」と力説していた。&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref222&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
* [[2002年]]11月場所 - 初土俵&lt;br /&gt;
* [[2004年]]5月場所 - 新[[十両]]&lt;br /&gt;
* 2004年9月場所 - 新入幕&lt;br /&gt;
* [[2005年]]3月場所 - 新[[小結]]&lt;br /&gt;
* 2005年9月場所 - 新[[関脇]]&lt;br /&gt;
* [[2006年]]1月場所 - 新[[大関]]&lt;br /&gt;
* [[2008年]]5月場所 - [[幕内]]初優勝&lt;br /&gt;
* [[2010年]][[2月7日]] - 第34回[[日本大相撲トーナメント]]準優勝&lt;br /&gt;
* [[2012年]]9月場所 - 大関在位40場所、小錦の39場所を抜き歴代単独5位に&lt;br /&gt;
* [[2013年]]5月場所 - 大関在位44場所（北天佑と並び歴代4位タイ）、及び6回目の大関角番（武双山と並び歴代5位タイ）&lt;br /&gt;
* 2013年7月場所 - 大関在位45場所、歴代単独4位に&lt;br /&gt;
* 2013年9月場所 - 左太股裏負傷のため7日目から途中休場&lt;br /&gt;
* 2013年11月場所 - 7回目の大関角番、左肩鎖関節脱臼のため4日目から途中休場、2場所連続負け越しで大関陥落&lt;br /&gt;
* [[2014年]]1月場所 - 48場所ぶりの関脇、大関特例復帰を目指したが13日目に6敗目を喫し、復帰に失敗&lt;br /&gt;
* [[2014年]][[2月9日]] - 第38回日本大相撲トーナメント準優勝&lt;br /&gt;
* [[2014年]][[3月20日]] - 現役引退&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
* 父は、[[1955年]]または[[1956年]]生まれ。母は、[[1960年]]または[[1961年]]生まれ。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://113.34.94.39/sports/special//2008sumounatsu/KFullNormal20080525077.html 父・ステファンさん「頭の中が真っ白」（相撲）]スポニチ Sponichi Annex スポーツ 大相撲　２００８年　夏場所、2014年1月23日閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 2004年9月、[[明治ブルガリアヨーグルト|出身国の名を冠したヨーグルト]]を販売する[[明治乳業]]（現・[[明治 (企業)|明治]]）から化粧まわしを贈られた。同社は特約を結び、自社製のヨーグルトを納入している。&lt;br /&gt;
* ブルガリアの実家にいた頃は毎日約2キロものヨーグルトを食べていた。&lt;br /&gt;
* CM出演の際に報道陣に日本のヨーグルトはどうかと質問された時は、「ブルガリアのとは違うけど、でも美味しい」と答えていた。&lt;br /&gt;
* 本名にちなんで[[第一三共ヘルスケア]]からも[[カロヤン (商標)|カロヤン]]のCMのオファーがあったが、こちらの方は断った。&lt;br /&gt;
* 故国の両親への仕送りをしているが、両親は「あの子（琴欧洲）には自分のために使ってほしい」と言っている。今まで母には洗濯乾燥機、父には腕時計、自動車（中古のフォード車、新車のトヨタ・ランドクルーザー）を贈っている孝行息子である。大相撲入門に至った理由の一つとして交通事故にあって働けなくなった父の代わりに家計を助けるという目的があり、後年琴欧洲は「親に仕送りするために相撲界に入ったのに、日本人はどうして入門してからも親に仕送りをしてもらうの。おかしいね」と日本人力士の現状に厳しい言葉を投げかけたことがある。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/sports/news/140403/mrt14040308350000-n1.htm 日本人横綱のいない土俵が映し出す「国柄」] msn産経ニュース　2014.4.3 08:33&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 入門時にはちゃんこにまるで馴染めず、腹を空かせたまま困っていた琴欧洲（当時、琴欧州）は先代佐渡ヶ嶽に別室へ呼び出されて「欧州、食べろ」と大きなパンを振る舞ってもらったのでこれに助かったという。&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref97&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;しかし来日以来、ご飯が苦手で食べられず、ラーメン党に転身。ただ、部屋の所在する千葉県松戸市から東京へ向かうまで約1時間かかる上に、部屋の近所にもラーメン屋があまり多くないのでラーメン屋巡りは趣味としていない。&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref97&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;ブルガリアでは米類はヨーグルトに混ぜて食べるお菓子であり、その感覚からかご飯を主食で食べる行為が気持ち悪く感じられ、どうしても苦手。体重が増えないために優勝をとり逃すことが多かった。だがその後、決心してご飯に牛乳、チーズをかけ大量に食し体重を増やし、ついには[[本場所]]で優勝できた。&lt;br /&gt;
* 優勝した2008年の5月より日本語でブログをスタート。漢字を使うのは苦手らしく、主にひらがなで文章を書いている。&lt;br /&gt;
* [[餅]]は食べられるらしく好物でもある。正月時に食するみぞれ餅、豆餅、きな粉餅、等はいける。だが「納豆餅だけはぜったい無理!!」とのことであった。暫く[[納豆]]は気持ち悪く苦手であったが、2012年頃から納豆嫌いを克服して現在では好き嫌いが全く無くなったという。&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref97&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 2005年11月場所、自身が解答者として出演した[[フジテレビジョン|フジテレビ]]「[[なるほど!ザ・ワールド]]」の[[懸賞 (相撲)|懸賞]]が懸けられた。テレビ番組の懸賞金は異例である。&lt;br /&gt;
[[Image:Flag_of_Europe.svg|thumb|150px|欧州連合（EU）の旗]]&lt;br /&gt;
* 2006年4月、[[欧州連合|EU]]より、[[欧州旗]]をベースにデザインされた化粧まわしを贈られ、夏場所より使用している。ちなみに同年の明治乳業のCMでは、以前の化粧まわしを締めている。当初は12の（白）星が描かれているため「12勝しかできない」意味で縁起が悪いと反発があったが、後に「残り3つの星は自分の力で勝ち取る」という激励の意味を付加することで受け取ることになった。&lt;br /&gt;
* 元[[サッカーブルガリア代表]]で[[日本プロサッカーリーグ]]（Jリーグ）でプレー経験のある[[イリアン・ストヤノフ]]とは友人であり、ストヤノフが以前所属していた[[ジェフユナイテッド千葉・市原]]の元監督である[[イビチャ・オシム]]・前[[サッカー日本代表|日本代表]]監督とも親交がある。&lt;br /&gt;
* [[TBSテレビ|TBS]]系の報道番組『[[ブロードキャスター]]』および『[[きょう発プラス!]]』で、高校時代に空腹から鳩を食べたという逸話が紹介された。その話をした高校時代のレスリング・コーチは伝聞で知ったのみである。ちなみに鳩は中国やフランスなどでは普通に食用にされる。&lt;br /&gt;
* 故郷ブルガリアでは、敵役となった朝青龍の知名度も急速にアップし「アサショーリュー憎し」の声が高まっていた。ブルガリアの新聞は連日、琴欧洲の結果とともに朝青龍の取組も紹介。また、実家のあるジュルニツァ村の村長ヤンコ・コレフ・ヤンコフが「アサショーリューは威張ったやつだ。顔も見たくない!」と話すと、一緒にいた何人かの村民も頷いた。&lt;br /&gt;
* [[2009年]][[5月5日]]に、5年間交際した3歳年上の日本人女性との婚約を発表。2010年2月14日に披露宴を行った。これにより日本国籍取得の手続きで優遇措置を受けやすくなり、日本国籍取得者に限られている親方株の取得も可能になった。実際に2014年3月場所中に引退して「大関3年」の形式で欧州出身力士初の年寄襲名を果たした。披露宴後の記者会見において、将来的に日本国籍を取得した後、年寄株を取得して部屋持ち親方となることを表明した（東アジアの[[モンゴル国|モンゴル]]出身で[[旭國斗雄|大島親方]]の養子になり、次期大島親方禅譲が内定している[[旭天鵬勝|旭天鵬]]とともに、外国出身親方就任が衆目より確実視され、それが果たされた）。その後実際に2014年1月に日本国籍を取得した。&amp;lt;ref&amp;gt;官報 平成26年1月7日&amp;lt;/ref&amp;gt;帰化に際して、それより1年以上前から帰化申請の準備をしていたがブルガリア政府から国籍離脱の証明書がなかなか届かず帰化問題が長期化していたという事情も伝えられた。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://npn.co.jp/article/detail/69783097/ 大関復帰ならなかった琴欧洲 日本国籍取得で引退へまっしぐら] リアルライブ 2014年01月25日 17時59分&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[2009年]][[7月28日]]、ブルガリアの知名度や文化を日本で広めた点が評価されブルガリアで最高位の勲章「[[スタラ・プラニナ章]]」（{{lang|bg|[[:bg:Стара планина (орден)|Стара планина]]}}、日本の国民栄誉賞に相当）を首都[[ソフィア (ブルガリア)|ソフィア]]の大統領府で授与された。&lt;br /&gt;
*元大関・[[魁皇博之|魁皇]]（現・[[浅香山 (相撲)|浅香山]]親方）とは幕内で28回対戦し、琴欧洲の16勝12敗。2010年5月場所千秋楽、魁皇が勝利して元横綱・[[千代の富士貢|千代の富士]]（現・[[九重 (相撲)|九重]]親方）以来史上2人目の通算1,000勝を達成したが、その対戦相手が琴欧洲だった。それから1年後、2011年7月場所10日目に琴欧洲は魁皇に勝利して勝ち越し、大関[[角番]]を脱出したが、取組後「今場所（の魁皇は）は良くない感じ。当たりがいつもより弱い」と複雑な心境を吐露していた。魁皇はこの琴欧洲との相撲を最後に現役引退を表明。琴欧洲は「びっくりした。ここで引退するとは感じなかった」と驚きながらも「（魁皇関からは）礼儀、考え方、真面目さなど多くのことを学んだ」と先輩大関への尊敬と感謝の言葉を述べていた。&lt;br /&gt;
* 大の賭博嫌いであり、2005年8月のラスベガス巡業中にカジノのスロットマシンに興じて10ドル負けただけで落胆して以来二度と賭博は行っていない。&amp;lt;ref&amp;gt;『相撲』2012年10月号&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*自身が紹介した地元ブルガリアの後輩・[[碧山亘右|碧山]]には何かと世話をしており、碧山が来日した際には日本語を覚えられるようにと幼児用の教養絵本を数冊プレゼントした。碧山は日本語を覚えた現在でもその絵本を大切にしている。&lt;br /&gt;
*2013年5月場所14日目の松鳳山戦は立合いから激しい突っ張りの応酬。突っ張りで距離を保とうとする松鳳山に対して何とか左上手を探ろうとする琴欧洲だったが、上手く足を送ることが出来ず、腰から崩れ落ちてしまった。この取組の勝負結果は腰砕けと発表されたが、大関が腰砕けによって敗れるのは、1955年に68手（2000年に現在の82手へ改定）の決まり手が制定されて以降初めてのことであった。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sanspo.com/sports/news/20130525/sum13052520250010-n1.html 琴欧洲、大関初の腰砕け／夏場所（サンスポ）]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*帰化の際、四股名を日本名にする力士が多い中、（例・[[武蔵丸光洋|武蔵丸]]（フィアマル・ペニタニ→武蔵丸光洋））旧名の「カロヤン」を日本名に用いている。&lt;br /&gt;
*2014年3月場所限りで現役引退を決意した際、自身のブログにて「ありがとう ございます」の題名から始まるひらがなと漢字を混ぜた文面を記載。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kotooshu.aspota.jp/2014/03/post_343.html ありがとう ございます（琴欧洲オフィシャルブログ・2014年3月25日付）]&amp;lt;/ref&amp;gt;後にこの綴った記事がネットを中心に「泣ける」「感動」と大きな反響を呼び、琴欧洲自身は「自分のブログがyahooトピックスのトップに出てビックリしている。優勝した時だってトップにならなかったのに…」と驚いたという。尚引退後も自身のブログを閉鎖せず、続けていく意向を示している。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/sumou/259229/ 琴欧洲親方の「泣けるブログ」存続（東スポweb・2014年4月24日付）]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===合い口===&lt;br /&gt;
*横綱[[白鵬翔|白鵬]]には相性が悪く、対戦成績は琴欧洲の10勝35敗と大差をつけられていた。しかし2012年11月場所、2013年1月場所で白鵬に連勝している。因みに白鵬からの勝ち星は日馬富士、朝青龍に次いで多く、稀勢の里と同じ勝ち星である。元横綱・朝青龍も苦手にしており、通算成績は7勝16敗だったが、2009年は3勝3敗で五分となり、苦手意識は無くなりつつあった。[[2010年]]1月場所は13日目の対戦で[[腕捻り]]で敗れるも、同場所後の2010年[[2月4日]]に朝青龍は度重なるトラブルにより突如現役[[引退]]を表明したため、これが朝青龍との現役最後の対戦となった。横綱・日馬富士には17勝23敗で6連敗中である（ただし日馬富士が横綱に上がるまでは互角だった）。&lt;br /&gt;
*平幕でも苦手力士が多い。特に[[安美錦竜児|安美錦]]に相性が悪く、18勝19敗（不戦敗による1敗を含む）と負け越している。また[[豊ノ島大樹|豊ノ島]]も苦手にしており、15勝15敗と互角で、2008年7月場所までは3勝5敗と負け越していた。その後は6連勝した事も有り苦手意識を克服されたかに見えたが、2011年9月場所以降は3勝7敗とかなり分が悪くなってしまった。[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]にも相性が悪く、対戦成績は10勝13敗と負け越しており、2011年1月場所から2012年5月場所にかけて6連敗（不戦敗による1敗を含む）を喫している。&lt;br /&gt;
*2011年からは[[隠岐の海歩|隠岐の海]]も苦手にしており、3勝7敗と対戦成績で負け越していた。&lt;br /&gt;
*[[若の里忍|若の里]]にも5勝9敗と負け越しており、2009年1月場所から2010年9月場所にかけて3連勝していたが、2011年9月場所では若の里の豪快な掬い投げで約3年振りに黒星を喫した。&lt;br /&gt;
*[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]には14勝11敗（不戦勝による1勝を含む）と勝ち越しているものの、2012年5月場所から翌1月場所にかけて5連敗したことがあった。しかし2013年5月場所2日目に久しぶりに勝利している。&lt;br /&gt;
*[[旭天鵬勝|旭天鵬]]には相性が良く、22勝5敗と大きく勝ち越している。逆に[[鶴竜力三郎|鶴竜]]には12勝18敗と負け越している。&lt;br /&gt;
*[[稀勢の里寛|稀勢の里]]には27勝15敗と大きく勝ち越しており、平幕時代は相性が悪かったが、大関に昇進してからは一転して相性が良くなり、2009年1月場所から2010年9月場所にかけて10連勝したことがあった。それ以降は2012年7月場所から2013年1月場所まで3連勝することもあったが、6勝8敗（不戦敗による1敗を含む）と負け越している。&lt;br /&gt;
*[[高見盛精彦|高見盛]]には6戦全勝で、勝率で朝青龍（10勝1敗）、白鵬（5勝1敗）の両横綱を上回っている。&lt;br /&gt;
*[[把瑠都凱斗|把瑠都]]、[[阿覧欧虎|阿覧]]、[[栃ノ心剛|栃ノ心]]、[[臥牙丸勝|臥牙丸]]などの同じヨーロッパ出身の力士にはそれぞれ17勝10敗、10勝1敗、12勝4敗、6戦全勝と対戦成績で大きく勝ち越している。&lt;br /&gt;
*[[松鳳山裕也|松鳳山]]には過去2勝8敗、2013年5月場所から誤審を含め6連敗を喫するなど相性が悪かった。特に同年11月場所では松鳳山戦で左肩の負傷により翌日から途中休場、2場所連続負け越しにより大関陥落が決定的となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==主な成績==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===通算成績===&lt;br /&gt;
*通算成績：537勝337敗63休 勝率.614&lt;br /&gt;
*幕内成績：466勝322敗63休 勝率.591&lt;br /&gt;
*大関成績：378勝264敗63休 勝率.589&lt;br /&gt;
*現役在位：68場所&lt;br /&gt;
*幕内在位：57場所&lt;br /&gt;
*大関在位：47場所（歴代4位）&lt;br /&gt;
*三役在位：6場所（関脇4場所、小結2場所）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===各段優勝===&lt;br /&gt;
*幕内最高優勝：1回（2008年5月場所）&lt;br /&gt;
*十両優勝：1回（2004年7月場所）&lt;br /&gt;
*幕下優勝：1回（2004年3月場所）&lt;br /&gt;
*序ノ口優勝：1回（2003年1月場所）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===三賞：金星===&lt;br /&gt;
*[[三賞]]：5回&lt;br /&gt;
**殊勲賞：2回（2005年7月場所、2005年11月場所）&lt;br /&gt;
**敢闘賞：3回（2004年11月場所、2005年9月場所、2005年11月場所）&lt;br /&gt;
*[[金星 (相撲)|金星]]：なし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===場所別成績===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Sumo record box start|琴欧洲勝紀}}&lt;br /&gt;
　{{Sumo record year start|2002}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|MAEZUMOU}}&lt;br /&gt;
　{{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
　{{Sumo record year start|2003}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|YUSHO|rank=JK|r-no=30|tozai=W|win=7|loss=0}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|JO|25|W|6|1}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|SA|62|W|6|1}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|SA|8|E|6|1}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|MA|33|E|5|2}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|MA|21|W|5|2}}&lt;br /&gt;
　{{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
　{{Sumo record year start|2004}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|MA|8|E|6|1}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|YUSHO|rank=MA|r-no=2|tozai=E|win=7|loss=0}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|J|10|E|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|YUSHO|rank=J|r-no=3|tozai=E|win=13|loss=2}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|m|14|e|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|m|10|w|11|4|||f|}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|2005}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|m|4|e|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|k||w|4|11}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|m|5|e|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|k||e|12|3|||o|}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|s||e|13|2&amp;lt;ref&amp;gt;[[朝青龍明徳|朝青龍]]と優勝決定戦&amp;lt;/ref&amp;gt;|||f|}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|s||e|11|4|||o|f|}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|2006}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|2|w|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|w|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|w|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|2|w|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|2|w|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|w|10|5}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|2007}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|e|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|2|e|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|w|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|2|e|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|w|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|2|e|2|5|8&amp;lt;ref&amp;gt;右膝関節捻挫及び内側側副靱帯損傷により7日目から途中休場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|2008}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|2|w|9|6&amp;lt;ref name=&amp;quot;kotoousyuu1&amp;quot;&amp;gt;角番（全6回）&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|e|2|7|6&amp;lt;ref&amp;gt;左上腕二頭筋挫傷により9日目から途中休場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|2|w|14|1&amp;lt;ref name=&amp;quot;kotoousyuu1&amp;quot;/&amp;gt;||y}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|e|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|w|8|7}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|2|w|8|7}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record year start|2009}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|2|e|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|e|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|e|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|w|13|2}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|e|9|6}}&lt;br /&gt;
    {{Basho|o|1|e|10|5}}&lt;br /&gt;
　{{Sumo record year end}}&lt;br /&gt;
　{{sumo record year start|2010}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|1|e|9|6}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|1|w|10|5}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|1|w|9|6}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|1|e|10|5}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|1|w|10|5}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|1|e|8|7}}&lt;br /&gt;
　{{sumo record year end}}&lt;br /&gt;
　{{sumo record year start|2011}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|2|e|10|5}}&lt;br /&gt;
　　&amp;lt;td style=&amp;quot;background-color:#CCC&amp;quot;&amp;gt;&#039;&#039;&#039;八百長問題&amp;lt;br /&amp;gt;により中止&#039;&#039;&#039;&amp;lt;/td&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|1|e|3|8|4&amp;lt;ref&amp;gt;右膝内側側副帯損傷・右膝蓋大腿関節症により11日目から途中休場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|2|w|9|6&amp;lt;ref name=&amp;quot;kotoousyuu1&amp;quot;/&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|2|w|1|6|8&amp;lt;ref&amp;gt;右肘内側側副靱帯損傷・右膝蓋大腿関節症により7日目から途中休場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|2|e|9|6&amp;lt;ref name=&amp;quot;kotoousyuu1&amp;quot;/&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　{{sumo record year end}}&lt;br /&gt;
{{sumo record year start|2012}}&lt;br /&gt;
　　{{basho|o|2|e|10|5}}&lt;br /&gt;
　　{{Basho|o|2|w|8|7}}&lt;br /&gt;
　　{{Basho|o|3|e|8|7&amp;lt;ref&amp;gt;右足根骨靱帯損傷により千秋楽不戦敗&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　{{Basho|o|3|e|9|6}}&lt;br /&gt;
　　{{Basho|o|3|e|2|4|9&amp;lt;ref&amp;gt;右肩甲下筋挫傷により6日目から途中休場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　{{Basho|o|2|w|9|6&amp;lt;ref name=&amp;quot;kotoousyuu1&amp;quot;/&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
{{sumo record year start|2013}}&lt;br /&gt;
    {{basho|o|2|e|10|5}}&lt;br /&gt;
    {{basho|o|1|w|1|5|9&amp;lt;ref&amp;gt;左肘関節外側側副靱帯損傷により6日目から途中休場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　 {{Basho|o|2|w|8|7&amp;lt;ref name=&amp;quot;kotoousyuu1&amp;quot;/&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　 {{Basho|o|2|w|9|6}}&lt;br /&gt;
　　 {{Basho|o|2|e|4|3|8&amp;lt;ref&amp;gt;左大腿二頭筋挫傷により7日目から途中休場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　 {{Basho|o|2|w|1|3|11&amp;lt;ref name=&amp;quot;kotoousyuu1&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;左肩鎖関節脱臼により4日目から途中休場&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　{{sumo record year end}}&lt;br /&gt;
{{sumo record year start|2014}}&lt;br /&gt;
    {{basho|s||w|8|7&amp;lt;ref&amp;gt;関脇陥落&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　 {{basho|intai|rank=s||tozai=w|win=1|loss=10|absent=0&amp;lt;ref&amp;gt;左肩鎖関節脱臼により11日目から途中休場、12日目に引退&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
　　 {{basho|||||}}&lt;br /&gt;
　　 {{basho|||||}}&lt;br /&gt;
　　 {{basho|||||}}&lt;br /&gt;
　　 {{basho|||||}}&lt;br /&gt;
  {{Sumo record box end}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===主な力士との幕内対戦成績===&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align: center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! 力士名 !! 勝数 !! 負数 !! 力士名 !! 勝数 || 負数 !! 力士名 !! 勝数 || 負数&lt;br /&gt;
|- &lt;br /&gt;
|&#039;&#039;&#039;[[豊ノ島大樹|豊ノ島]]&#039;&#039;&#039;|| 15 || 15 || [[千代大海龍二|千代大海]] || 16 || 7 || [[追風海英飛人|追風海]] || 2 || 1&lt;br /&gt;
|- &lt;br /&gt;
|[[旭鷲山昇|旭鷲山]]|| 4 || 2 || [[栃東大裕|栃東]] || 6 || 5 ||[[尾崎勇気|隆乃若]]|| 1 || 1&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|&#039;&#039;&#039;[[安美錦竜児|安美錦]]&#039;&#039;&#039;|| 18 || 19(1) || [[魁皇博之|魁皇]] || 16 || 12 ||&#039;&#039;&#039;[[栃ノ心剛|栃ノ心]]&#039;&#039;&#039; || 12 || 4(1)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[玉春日良二|玉春日]]|| 2 || 0 ||[[黒海太|黒海]]|| 9 || 4 ||[[阿覧欧虎|阿覧]]|| 10 || 1&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[露鵬幸生|露鵬]]|| 5 || 6 ||[[栃乃洋泰一|栃乃洋]]|| 4 || 2 ||&#039;&#039;&#039;[[土佐豊祐哉|土佐豊]]&#039;&#039;&#039;|| 1 || 1&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[普天王水|普天王]]|| 9(1) || 2 ||[[出島武春|出島]]|| 9 || 5 ||&#039;&#039;&#039;[[玉鷲一朗|玉鷲]]&#039;&#039;&#039;|| 3 || 1(1)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|&#039;&#039;&#039;[[豪風旭|豪風]]&#039;&#039;&#039;|| 17 || 5 ||&#039;&#039;&#039;[[朝赤龍太郎|朝赤龍]]&#039;&#039;&#039;|| 8|| 6 ||&#039;&#039;&#039;[[北太樹明義|北太樹]]&#039;&#039;&#039;|| 4 || 1&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[高見盛精彦|高見盛]]|| 6 || 0 ||[[玉乃島新|玉乃島]]|| 8 || 2||[[白馬毅|白馬]]|| 2 || 2&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[土佐ノ海敏生|土佐ノ海]]|| 2 || 1 || [[白露山佑太|白露山]] || 1 || 1||[[徳瀬川正直|徳瀬川]]|| 1 || 1&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[北勝力英樹|北勝力]]|| 13 || 0 ||[[把瑠都凱斗|把瑠都]]|| 17(1) || 10 ||&#039;&#039;&#039;[[隠岐の海歩|隠岐の海]]&#039;&#039;&#039;|| 3 || 7&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|&#039;&#039;&#039;[[時天空慶晃|時天空]]&#039;&#039;&#039;|| 12 || 8 ||&#039;&#039;&#039;[[豊真将紀行|豊真将]]&#039;&#039;&#039;|| 11 || 7 ||&#039;&#039;&#039;[[妙義龍泰成|妙義龍]]&#039;&#039;&#039;|| 6 || 4(2)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|&#039;&#039;&#039;[[稀勢の里寛|稀勢の里]]&#039;&#039;&#039;|| 27 || 15(1) ||&#039;&#039;&#039;[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]&#039;&#039;&#039;|| 10 || 13(1) ||&#039;&#039;&#039;[[若荒雄匡也|若荒雄]]&#039;&#039;&#039;|| 2 || 1&lt;br /&gt;
|- &lt;br /&gt;
|&#039;&#039;&#039;[[白鵬翔|白鵬]]&#039;&#039;&#039;|| 10 || 35 ||&#039;&#039;&#039;[[鶴竜力三郎|鶴竜]]&#039;&#039;&#039;|| 12 || 18 ||&#039;&#039;&#039;[[栃乃若導大|栃乃若]]&#039;&#039;&#039;|| 2 || 0&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|&#039;&#039;&#039;[[日馬富士公平|日馬富士]]&#039;&#039;&#039;|| 17 || 23 ||[[隆の鶴伸一|隆の鶴]]|| 2 || 0 ||&#039;&#039;&#039;[[臥牙丸勝|臥牙丸]]&#039;&#039;&#039;|| 6 || 0&lt;br /&gt;
|- &lt;br /&gt;
|[[岩木山竜太|岩木山]]|| 8 || 1 ||[[海鵬涼至|海鵬]]|| 2 || 1 ||&#039;&#039;&#039;[[松鳳山裕也|松鳳山]]&#039;&#039;&#039;|| 2 || 8&lt;br /&gt;
|- &lt;br /&gt;
|[[垣添徹|垣添]]|| 7 || 4 ||[[十文字友和|十文字]]|| 3 || 0 ||&#039;&#039;&#039;[[魁聖一郎|魁聖]]&#039;&#039;&#039;|| 2 || 1(1)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|&#039;&#039;&#039;[[若の里忍|若の里]]&#039;&#039;&#039;|| 5 || 9 ||&#039;&#039;&#039;[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]&#039;&#039;&#039;|| 14 || 11(1) ||&#039;&#039;&#039;[[遠藤聖大|遠藤]]&#039;&#039;&#039;|| 0 || 2&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|&#039;&#039;&#039;[[旭天鵬勝|旭天鵬]]&#039;&#039;&#039;|| 22 || 5 ||[[若ノ鵬寿則|若ノ鵬]]|| 2 || 1(1) ||&#039;&#039;&#039;[[勢翔太|勢]]&#039;&#039;&#039;|| 0 || 1&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[雅山哲士|雅山]]|| 22 || 5 ||&#039;&#039;&#039;[[豊響隆太|豊響]]&#039;&#039;&#039;|| 4 || 1 ||||||&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|[[朝青龍明徳|朝青龍]]|| 7 || 16(1)  ||&#039;&#039;&#039;[[嘉風雅継|嘉風]]&#039;&#039;&#039;|| 5 || 2 ||||||&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、&#039;&#039;&#039;太字&#039;&#039;&#039;は2014年7月場所終了現在、現役力士）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 改名歴 ==&lt;br /&gt;
*琴欧州 勝紀（ことおうしゅう かつのり）2002年11月場所 - 2006年9月場所&lt;br /&gt;
*琴欧洲 勝紀（ことおうしゅう -）2006年11月場所 - 2014年3月場所  &lt;br /&gt;
:右膝と足首の怪我の影響で不本意な相撲が続いていたので、字画を考えて付けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
* [[テルマエ・ロマエII]] - コトオウシュヌス 役&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== CM・TV ==&lt;br /&gt;
=== CM出演 ===&lt;br /&gt;
*[[スカパーJSAT|スカイパーフェクト・コミュニケーションズ]]「[[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]]よくばりパック」「スカパー!えらべる15」&lt;br /&gt;
*[[明治乳業]]「ブルガリアヨーグルト」「おいしい牛乳」「ターボカップ」&lt;br /&gt;
*[[日清食品]]「ラ王」「ごんぶと」「ごん太」「日清のごんぶと」&lt;br /&gt;
*[[ACジャパン]]（当時の団体名は公共広告機構）「はっけよいエコライフ」（[[2006年]]7月‐[[2007年]]6月）&lt;br /&gt;
*[[アサヒビール]]「本生」（[[把瑠都凱斗|把瑠都]]と共演）&lt;br /&gt;
*[[日本郵船]]&lt;br /&gt;
*[[ソフトバンク]]「スマ放題 焼肉篇」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== TV・ラジオ出演 ===&lt;br /&gt;
*2005年[[12月14日]]放送の『[[松浦亜弥のオールナイトニッポン]]』（[[ニッポン放送]]ほか全国36局）では、彼女からの電話で質問に答えた。&lt;br /&gt;
*2005年12月31日、[[第56回NHK紅白歌合戦]]にゲスト審査員として出演。&lt;br /&gt;
*2006年1月、大関に昇進した直後の2006年元旦に放送された『[[世の中どこ見てんのよ!?ジャリバラ!|ジャリバラ]]』（[[青木さやか]]ら出演）で、本物のブルガリアのヨーグルトを当てるクイズに挑戦した。&lt;br /&gt;
*2006年4月、『[[いい旅・夢気分]]』に[[琴ノ若晴將|佐渡ヶ嶽親方]]（元関脇琴ノ若）、[[琴光喜啓司|琴光喜]]、[[琴奨菊和弘|琴奨菊]]とともに出演した。&lt;br /&gt;
*2006年某月、[[テレビ朝日]]系列で放送された『[[『ぷっ』すま]]』に登場。コーナー「芸能界ビビリ王決定戦」に参加した。&lt;br /&gt;
*2007年4月28日放送の『[[世界ふしぎ発見!]]』に、力士としては千代大海に続きゲスト出演した。&lt;br /&gt;
*2008年9月6日放送の『[[オーラの泉]]』に、現役力士としては千代大海に続きゲスト出演した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[スタニスラブ・ネドコフ]]&lt;br /&gt;
* [[大相撲力士一覧]]&lt;br /&gt;
* [[大関一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://kotooshu.aspota.jp/ 琴欧洲公式ブログ 現役ブルガリア人力士琴欧洲が語る『ちゃんこ鍋とヨーグルトって意外と合うんです』]&lt;br /&gt;
* [http://sadogatake.net/ 佐渡ケ嶽部屋]&lt;br /&gt;
* [http://www.kotooshu.net 琴欧州勝紀]&lt;br /&gt;
{{goo-sumo|2510|琴欧洲 勝紀}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{佐渡ヶ嶽部屋}}&lt;br /&gt;
{{現役年寄}}&lt;br /&gt;
{{歴代大関|第237代|2006年1月-2013年11月}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ことおうしゅう かつのり}}&lt;br /&gt;
[[Category:ブルガリア出身の大相撲力士]]&lt;br /&gt;
[[Category:ブルガリアのレスリング選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:帰化日本人の大相撲力士]]&lt;br /&gt;
[[Category:ブルガリア系日本人]]&lt;br /&gt;
[[Category:1983年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:佐渡ヶ嶽部屋]]&lt;br /&gt;
{{Sumo-stub}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>126.27.37.28</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=WAGE&amp;diff=178813</id>
		<title>WAGE</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=WAGE&amp;diff=178813"/>
		<updated>2014-08-14T11:51:13Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;126.27.37.28: /* メンバー */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&#039;&#039;&#039;WAGE&#039;&#039;&#039;（ワゲ）とは[[アミューズ]]に所属していた[[コント]]グループである。[[2006年]][[3月31日]]より活動休止し、後に解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== メンバー ==&lt;br /&gt;
*&#039;&#039;&#039;[[森ハヤシ|森迅史]]&#039;&#039;&#039;（もり はやし） - [[1978年]][[2月12日]]生まれ。[[神奈川県]][[川崎市]]出身。リーダー。&lt;br /&gt;
*&#039;&#039;&#039;[[岩崎う大|岩崎宇内]]&#039;&#039;&#039;（いわさき うだい） - 1978年[[9月18日]]生まれ。[[東京都]][[西東京市]]出身。&lt;br /&gt;
*&#039;&#039;&#039;[[手賀沼ジュン|野中淳]]&#039;&#039;&#039;（のなか じゅん） - [[1979年]][[7月24日]]生まれ。[[ネパール]]出身。&lt;br /&gt;
*&#039;&#039;&#039;[[小島よしお|小島義雄]]&#039;&#039;&#039;（こじま よしお） - [[1980年]][[11月16日]]生まれ。[[沖縄県]]出身。&lt;br /&gt;
*&#039;&#039;&#039;[[槙尾ユースケ|槙尾祐介]]&#039;&#039;&#039;（まきお ゆうすけ） - 1980年[[12月5日]]生まれ。[[広島県]][[安芸郡]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
メンバーは全員、[[早稲田大学]]の学生数十人が在籍したお笑いサークル「WAGE」に在籍していた。学年は、森と岩崎が4年生の時、野中が3年生、槙尾が2年生、小島が1年生であった。（小島と槙尾は同い年ではあるが、小島は1年[[浪人]]しているため、学年は槙尾の1年後輩となる。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]]1月に開催された「ギャグ大学偏差値2000」3位入賞を機に[[アミューズ]]に所属。サークルの名前をそのままグループ名に使用した。5人という人数を生かしたスタイリッシュで作り込んだ[[コント]]が特徴だった。グループでの活動にとどまらず、メンバーそれぞれが路上[[ライブ]]を始め、[[テレビ]]・[[ラジオ]]などで活躍していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし当時のメンバー内では、「方向性の違い」があった。森は「[[脚本家]]」、野中は「[[ミュージシャン]]」、岩崎と小島は「[[芸人]]」、槙尾は「[[俳優]]」への進路を希望していた。そんな中、事務所との契約が切れるタイミングで岩崎が活動休止を提案し、メンバー内で話し合いが行われた。その結果、[[2006年]][[3月31日]]を持って活動を休止し、そのまま解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]][[10月2日]]に6年ぶりにメンバーが再結集し、[[杉並区立杉並芸術会館|座・高円寺2]]にて単独ライブ「サイカイ」が開催された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 解散後の活動 ==&lt;br /&gt;
*森はメンバーで唯一アミューズに残り、「[[森ハヤシ]]」名義で[[脚本家]]としての活動や、[[ラジオ]]の[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティー]]として活動している。&lt;br /&gt;
*野中は「[[手賀沼ジュン]]」名義で[[ミュージシャン]]として活動。また、『[[R-1ぐらんぷり]]2012』に挑戦し準決勝まで進出している。&lt;br /&gt;
*岩崎と槙尾はお笑いコンビ「[[かもめんたる]]」（前・劇団イワサキマキオ）を結成。岩崎は「[[岩崎う大]]」、槙尾は「[[槙尾ユースケ]]」の芸名で活動。[[キングオブコント]]2013に挑戦し、優勝を果たした。&lt;br /&gt;
*小島は[[ピン芸人]]「[[小島よしお]]」として活動。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 早稲田大学お笑いサークル「WAGE」について ==&lt;br /&gt;
WAGEの名称の由来は、「&#039;&#039;&#039;W&#039;&#039;&#039;aseda &#039;&#039;&#039;A&#039;&#039;&#039;cademic &#039;&#039;&#039;G&#039;&#039;&#039;ag &#039;&#039;&#039;E&#039;&#039;&#039;ssence」の頭文字を取ったもの。[[1997年]]の文学部に所属していた学生二人が授業前にコントを始めたのがその始まりという。その後サークルとして発展、人数は増加し、[[1999年]]からは月1で渋谷のライブハウスでライブを行うなどマニアックながら独特の笑いを求める学生の中で徐々に知名度を上げていった。名物の集団コントをはじめ、二人・三人ネタ、ピン芸などネタによって組み合わせが変わる面白さから、一部では熱狂的なWAGEマニアまでいたとされる。現在WAGE卒業生はTV、広告業界、ビジネスと多方面で活躍している模様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== DVD ==&lt;br /&gt;
*「[[下妻物語]] スタンダード★エディション」（[[2004年]][[11月26日]]、[[東宝]]）：小島&lt;br /&gt;
*「白と黒 -kuro to shiro-」（[[2005年]][[4月12日]]、[[TOKYO FM出版]]）&lt;br /&gt;
*「[[エンタの神様]] ベストセレクションVol.6」（2005年[[5月25日]]、[[バップ]]）&lt;br /&gt;
*「[[マジ☆ワラ]] vol.5」（2005年[[7月25日]]、[[フォーサイド・ドット・コム]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出演番組 ==&lt;br /&gt;
*[[クチ×コミ]]（[[RKB毎日放送]]・[[Japan Radio Network|JRN]]系）&lt;br /&gt;
*[[超V.I.P]]（[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系・月1回）&lt;br /&gt;
*[[三宅裕司のドシロウト]]（[[山口放送]]、[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系]]）&lt;br /&gt;
*[[ゼベック・オンライン]]（[[東京メトロポリタンテレビジョン|東京MXテレビ]]・月曜のみ、2004年11月8日）&lt;br /&gt;
*[[エンタの神様]]（[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・キャッチコピーは「新感覚の笑劇場」）&lt;br /&gt;
*[[笑林寺2]]（[[TBSテレビ|TBS]]系）&lt;br /&gt;
*[[登龍門F]]（フジテレビ、2004年5月4日）&lt;br /&gt;
*[[やりすぎコージー]]　売れっ子芸人の元・相方は今？ （テレビ東京、2009年3月2日）&lt;br /&gt;
*[[はなまるマーケット]]（TBS系・サブレギュラー）：森&lt;br /&gt;
*[[めざましテレビ]]（フジテレビ系・木曜のみ）：槙尾&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[クラブ活動]]&lt;br /&gt;
* [[ポルノグラフィティ]]&lt;br /&gt;
** [[岡野昭仁]]&lt;br /&gt;
** [[新藤晴一]]&lt;br /&gt;
* [[鬼頭輝]]&lt;br /&gt;
* [[Perfume]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:わけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本のお笑いグループ]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去のアミューズ所属者]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>126.27.37.28</name></author>
	</entry>
</feed>