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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-10-29T04:47:17Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E6%8A%9E%E6%8D%89%E5%B3%B6&amp;diff=13873</id>
		<title>択捉島</title>
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		<updated>2014-07-23T13:54:50Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;124.147.109.254: /* 空港・飛行場 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Pathnav|世界|アジア|東アジア|frame=1}}&lt;br /&gt;
{{Infobox 島&lt;br /&gt;
|島名=択捉島（イトゥルップ島）&lt;br /&gt;
|画像=[[ファイル:Demis-Iturup.png|300px]]&lt;br /&gt;
| 緯度度 = 45|緯度分 = 3|緯度秒 = 53.5|N(北緯)及びS(南緯) = N&lt;br /&gt;
| 経度度 = 147|経度分 = 50|経度秒 = 25.04|E(東経)及びW(西経) = E&lt;br /&gt;
| 地図国コード =&lt;br /&gt;
|面積=3185.65&lt;br /&gt;
|周囲=&lt;br /&gt;
|標高=1,634&lt;br /&gt;
|最高峰=単冠山&lt;br /&gt;
|最大都市=[[クリリスク]]（[[紗那村]]）&lt;br /&gt;
|諸島=[[千島列島]]南千島&lt;br /&gt;
|海域=[[オホーツク海]]&lt;br /&gt;
|国=[[領土問題]]あり&amp;lt;br/&amp;gt;{{RUS}}（[[サハリン州]]） 領有権主張、実効支配&amp;lt;br/&amp;gt;{{JPN}}（[[北海道]]） 領有権主張}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;択捉島&#039;&#039;&#039;（えとろふとう）は、[[千島列島]]南部に位置する島。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地名の由来は、[[アイヌ語]]の「エトゥ・オロ・&amp;lt;small&amp;gt;プ&amp;lt;/small&amp;gt;（岬の・ある・所）」から。ロシア名は&#039;&#039;&#039;イトゥルップ島&#039;&#039;&#039;（[[ロシア語]]: {{lang|ru|Итуруп}}）、[[英語]]表記は Iturup。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 地理 ==&lt;br /&gt;
面積3185.65km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;、長さは約214kmに及ぶ細長い島であり、千島列島で最大の面積を誇る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[国後島]]の北東にある&#039;&#039;&#039;[[国後水道]]&#039;&#039;&#039;（[[ロシア語|露]]: エカチェリーナ海峡 {{lang|ru|пролив Екатерины}}）を隔てて位置し、択捉島の北東にある&#039;&#039;&#039;[[択捉海峡]]&#039;&#039;&#039;（露: フリーズ海峡 {{lang|ru|пр. Фриза}}）を隔てて[[得撫島]]（露: ウルップ島 {{lang|ru|остров Уруп}}）へと連なっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人口6,739人&amp;lt;ref&amp;gt;2006年（[[平成]]18年）現在、ロシア統計より。&amp;lt;/ref&amp;gt;。中心集落は、[[紗那村|紗那]]（露: [[クリリスク]] {{lang|ru|Курильск}} - 「千島の町」の意）、2006年（平成18年）の人口は2,005人）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いわゆる「[[北方領土問題|北方領土]]」の中で最大の[[島]]であり、その面積は全体の63.4%である。[[日本]]の主な島では最大の大きさをもつ&amp;lt;ref&amp;gt;国立天文台（編）2007年（平成19年） 理科年表 p.565 ISBN 4621077635&amp;lt;/ref&amp;gt;。日本の領土としては、[[北海道]][[根室振興局]]管内に所属する日本最北端の島であり、島の大きさは、[[本州]]・[[北海道]]本島・[[九州]]・[[四国]]に次ぐ。[[国後島]]の2.1倍強、[[沖縄本島]]のおよそ2.7倍ある（四島以下の大きさは、大きな方から順番に、択捉島-国後島-沖縄本島-[[佐渡島]]-[[奄美大島]]-[[対馬]]-[[淡路島]]-）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
択捉島最北端の[[カモイワッカ岬]]（露: コリツキー岬 {{lang|ru|М. Корицкий}}）は、{{ウィキ座標度分秒|45|33|28|N|148|45|14|E|name=カモイワッカ岬}}の位置にあり、日本政府が領有権を主張する領域内で最北端の地である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[第二次世界大戦]]末期に[[日ソ中立条約]]を一方的に破棄した[[赤軍|ソ連軍]]により武力占領され、現在は[[ロシア|ロシア連邦]]の[[実効支配]]下にある。ロシア側行政区においては、国後島や[[色丹島]]とは別の行政単位である[[サハリン州]][[クリル管区]]に位置付けされている。日本政府の見解では、上記は[[国際法]]違反であるとし、不法占拠下にあるとしている（[[北方領土問題]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Chirippu.jpg|right|350px|thumb|散布山（1,585m）、北散布山（1,563m）]]&lt;br /&gt;
北東から南西方向に伸びる細長い島であり、幅は約20-30kmであるの対し、長さは約214kmとなっている。北東端は[[ラッキベツ岬]]、南西端は[[ベルタルベ岬]]である。島の北側には[[散布半島]]が突き出している。また、中部には[[単冠湾]]（ひとかっぷわん、露: カサトカ湾 {{lang|ru|Зал. Касатка}}）、南部には[[内保湾]]&amp;lt;small&amp;gt;（ないぼわん）&amp;lt;/small&amp;gt;がある。平地は少なく、[[火山]]が多い。[[火口湖]]の[[得茂別湖]]&amp;lt;small&amp;gt;（うるもんべつこ）&amp;lt;/small&amp;gt;も島の南部に位置している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主な活火山は次のとおりである。&lt;br /&gt;
* [[散布山]]（ちりっぷやま、露: ボクダン・フメリニツキー火山、{{lang|ru|Богдан Хмельницкий}}&amp;lt;!-- ? - user:A5b --&amp;gt;、英: Chirip）1,585m - [[1843年]]に噴火したが、[[1860年]]は不明。択捉島の最高峰。&lt;br /&gt;
* [[神威岳 (択捉島)|神威岳]]（かむいだけ、英: Demon）1,322m&lt;br /&gt;
* [[茂世路岳]]（もよろだけ、1,124m、露: クドリャブイ火山 {{lang|ru|Влк. Кудрявый}}、英: Medvezhia）- 先史時代から噴火していた可能性があり、[[1778年]]、[[1883年]]、[[1946年]]、[[1958年]]、[[1999年]]に噴火が確認されている。&lt;br /&gt;
* [[指臼岳]]（さしうすだけ、英: Baransky）1,125m - [[1460年]]と[[1570年]]の噴火は30年ほど&amp;lt;!--続いた？--&amp;gt;、[[1951年]]に噴火。&lt;br /&gt;
* [[小田萌山]]（おだもいやま、露: {{lang|ru|Грозный}}、英: Grozny ）1,208m - [[1968年]]、[[1970年]]、[[1973年]]に2回、[[1989年]]に噴火。&lt;br /&gt;
* [[焼山 (択捉島)|焼山]]（やけやま）1,158m - 名称や噴火の歴史は上に同じ。&lt;br /&gt;
* [[阿登佐岳]]（あとさだけ、露: {{lang|ru|Атсонупури}}、英: Atsonupuri）1,206m - [[1812年]]、[[1932年]]に噴火。&lt;br /&gt;
* [[単冠山]]（ひとかっぷさん、露: {{lang|ru|Богатырь}}、英: Bogatyr ）1,566m&lt;br /&gt;
* [[西単冠岳]]（にしひとかっぷだけ、他は上に同じ）&lt;br /&gt;
* [[ベルタルベ山]]（ベルタルベざん、英: Berutarube）1,221m - [[1812年]]に噴火があったかどうか、はっきりしていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湖沼：[[蘂取沼]]（しべとろぬま、露: {{lang|ru|Озеро Славное}}、2.71km²）、[[トウロ沼]]（露: {{lang|ru|Озеро Сопочное}}、1.31km²）、瀬石沼（露: {{lang|ru|Рейдово озеро}}）、[[紗那沼]]（しゃなぬま、露: {{lang|ru|Озеро Лебединое}}、1.02km²）、[[ラウス沼]]（露: {{lang|ru|Озеро Куйбышевское}}、1.41km²）、[[年萌湖]]（としもいこ、露: {{lang|ru|Благодатное озеро}}、4.25km²）、キモン沼（露: {{lang|ru|Озеро Касатка}}）、ヤンケ沼（露: {{lang|ru|Озеро Октябрьское}}）、レブン沼（露: {{lang|ru|Озеро Среднее}}）、[[キモンマ沼]]（露: {{lang|ru|Лесозаводское озеро}}、1.45km²）、[[内保沼]]（ないぼぬま、露: {{lang|ru|Доброе озеро}}、2.56km²）、[[得茂別湖]]（うるもんべつこ、露: {{lang|ru|Озеро Красивое}}、5.71km²）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 行政区分 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 中立性を帰すため国際基準の国コード（日本＝JP→ロシア＝RU）を用いたアルファベット順に並べています。並び替えはしないでください。 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[ファイル:Hoppo.png|500px|thumb|right|A.歯舞諸島（歯舞群島）、B.色丹島、C.国後島、&#039;&#039;&#039;&#039;&#039;D.択捉島&#039;&#039;&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br/&amp;gt;1.色丹村、2.泊村、3.留夜別村、&#039;&#039;&#039;4.留別村&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;5.紗那村&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;6.蘂取村&#039;&#039;&#039;]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
* [[北海道]][[根室振興局]]&lt;br /&gt;
** [[択捉郡]] - [[留別村]]&lt;br /&gt;
** [[紗那郡]] - [[紗那村]]&lt;br /&gt;
** [[蘂取郡]] - [[蘂取村]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ロシア ===&lt;br /&gt;
* [[サハリン州]]&lt;br /&gt;
** [[クリル管区]]&lt;br /&gt;
*** [[クリリスク]]&lt;br /&gt;
*** [[ブレヴェスニク]]&lt;br /&gt;
*** スラブノエ&lt;br /&gt;
*** [[ゴリャチエ・クリュチ村]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 第二次大戦終結まで ===&lt;br /&gt;
[[アイヌ]]が先住しており、[[17世紀]]後半には[[メナシクル]]の勢力がのびた。&lt;br /&gt;
* [[1635年]]（[[寛永]]12年）、[[松前藩]]は藩士に命じ国後・択捉などを含む[[蝦夷地]]の地図を作成。&lt;br /&gt;
* [[1643年]]（寛永20年）、オランダの[[マルチン・ゲルリッツエン・フリース|フリース]]は、ウルップ島に上陸し、十字架を立て「コンパニースラント」（[[オランダ東インド会社|東インド会社]]の土地）と命名して、領土宣言をした。エトロフ島には「スターテンライト」（オランダ国の島）と名付け、クナシリ島に上陸した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.city.nemuro.hokkaido.jp/dcitynd.nsf/doc/D2A176198CF3A59C49257108001851D7?OpenDocument 「最初の千島探検」根室市公式HP]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1644年]]（[[正保]]元年）、『[[正保御国絵図]]』にエトロホと記された島があり、択捉島が日本地図に記載された最初とされている。&lt;br /&gt;
** [[1661年]]（[[寛文]]元年）『[[勢州船北海漂着記]]』にはに[[伊勢国]]松坂の七郎兵衛の船が漂流の末に同島に到達していたこと、『[[恵渡路部漂流記]]』には[[1712年]]（[[正徳 (日本)|正徳]]2年）に薩摩国大隅の船が同島に漂着していることについての記述がある&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.mctv.ne.jp/~takase/E18.htm 伊勢国松坂の船北海を漂流する]&amp;lt;/ref&amp;gt;。よって、「択捉島には、日本人よりも先にロシア人が到達した」という説明が見受けれられたが、誤りである。&lt;br /&gt;
* [[1715年]]（[[正徳 (日本)|正徳]]5年）、松前藩主は[[江戸幕府|幕府]]に「[[北海道]]本島、[[樺太]]、[[千島列島]]、[[カムチャツカ半島|勘察加]]は自藩領」と報告。&lt;br /&gt;
* [[1731年]]（[[享保]]16年）、国後・択捉の首長らが松前藩主のもとを訪れ献上品を贈る。&lt;br /&gt;
* [[1754年]]（[[宝暦]]4年）松前藩によって家臣の[[知行#知行概念の変質|知行地]]として開かれた[[場所請負制|国後場所]]に属する。（当初、国後場所の領域には択捉島や[[得撫島]]も含まれていた。）&lt;br /&gt;
** ロシア人の足跡としては、[[1766年]]（[[明和]]3年）にウルップ島のイワン・チョールヌイ（{{lang|ru|Иван Черный}}）が、同島アイヌからサヤーク（毛皮税）を取り立てているのが、文献上でのロシア人最初のものである。さらに、その10年後には、ロシア商人シャパーリンも同島アイヌからサヤークを受け取っている。&lt;br /&gt;
** [[1786年]]（[[天明]]6年）に[[最上徳内]]が同島を探検した際、上陸時に3名のロシア人が居住し、アイヌの中には[[正教会|正教]]を信仰するものもあったことが確認されている（ロシアでは、国家に帰属し納税意識をもたせるため、進出した地で正教の[[宣教|布教]]がなされていた）。&lt;br /&gt;
* [[1798年]]（[[寛政]]10年）、同島を影響下に置く意図をもつロシアに対抗するため、[[近藤重蔵]]がアイヌのエカシ（首長）の了承のもと、「大日本恵土呂府」の木柱を立て日本領を主張した。その翌年には[[蝦夷地]]を幕府の直轄地（[[天領]]）にし、[[高田屋嘉兵衛]]に航路を運営させる。&lt;br /&gt;
* [[1800年]]（寛政12年）には国後場所から新たに択捉場所が分立し、「エトロフ[[会所 (近世)|会所]]」を[[振別郡|振別]]に開設したほか、ほとんどがアイヌである当時の同島住民1,118人の人別帳を作成した。さらに高田屋は老門に番屋を建て、漁場10ヶ所を開き和人による漁業・越年を始めるなど、各村の礎が築かれていった&amp;lt;ref&amp;gt; [http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00482165&amp;amp;TYPE=PRINT_FILE&amp;amp;POS=2 根室管内視察記(大正2年、北海タイムス)] 新聞記事文庫 神戸大学電子図書館&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1807年]]（[[文化 (元号)|文化]]4年）4月、紗那と内保（留別村）の集落が、ロシア海軍大尉の{{仮リンク|ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・フヴォストフ|ru|Хвостов, Николай Александрович|label=フヴォストフ}}（{{lang|ru|Хвостов}}）率いる[[露米会社]]の武装集団によって襲撃されるという「[[文化露寇|シャナ事件]]」が発生。&lt;br /&gt;
** 紗那は、[[弘前藩]]と[[盛岡藩]]が警固を行っていたが、火力の差に圧されて奥地へ退避している。なお、会所に赴任中だった[[間宮林蔵]]も参戦し、徹底抗戦を主張している&amp;lt;ref&amp;gt;吉村昭、間宮林蔵&amp;lt;/ref&amp;gt;。この時、日本側に動員されたアイヌもいる中で、日本側を攻撃してきたアイヌもいた。その後も、盛岡藩など東北諸藩が警備にあたった。&lt;br /&gt;
* [[1816年]]（文化13年）、日本人の漂流民を乗せたロシア船パヴェル号が択捉島に来航、このとき督乗丸の[[小栗重吉]]、音吉、半兵衛の3名が帰国。&lt;br /&gt;
* [[1855年]]（[[安政]]2年）、[[日露和親条約]]が締結される。この時日本はアイヌを日本国民としたうえで、アイヌの生活圏が日本領であると主張し、同島の領有をロシアに認めさせた。&lt;br /&gt;
** 開国後は、同島は[[仙台藩]]の領地となり、仙台藩兵が駐留し警固した。&lt;br /&gt;
[[ファイル:Shana Village in Etorofu Island.JPG|戦前の紗那|250px|thumb]]&lt;br /&gt;
* [[1923年]]（[[大正]]12年） 、[[北海道一・二級町村制|北海道二級町村制]]が施行される。[[択捉郡]][[留別村]]、[[紗那郡]][[紗那村]]、[[蘂取郡]][[蘂取村]]の3郡3村が設置され、紗那村の中心地である紗那が同島の中心地となって、[[警察署]]、[[小学校]]、[[郵便局]]などの官公署が置かれた（現在も日本の制度上は、この3郡3村は存続している）。周辺は、[[親潮]]（千島海流）と[[黒潮]]（日本海流）とがぶつかる海域であって、水産資源が豊かである優良な漁場であったので、漁業が主たる産業となり、入植者が増加した。&lt;br /&gt;
* [[1940年]]（[[昭和]]15年）、[[大日本帝国海軍|海軍]]が飛行場を整備し始める。&lt;br /&gt;
* [[1941年]]（昭和16年）11月20日、海軍により突如、あらゆる船の島への入出港が禁じられ、また島唯一の紗那郵便局は通信業務を停止させられて電信機には常時、水兵の見張りがついた。そして情報統制下の[[単冠湾]]に[[南雲忠一]]中将率いる[[航空母艦]]6隻を含む軍艦30隻の[[機動部隊]]が秘密裏に集結、[[真珠湾攻撃]]のため11月26日に[[ハワイ]]へ向け出港していった。この島外との徹底した情報の遮断は[[太平洋戦争]]が開戦した[[12月8日]]まで続けられた。&lt;br /&gt;
* [[1944年]]（昭和19年）、千島方面防衛のため、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[第27軍 (日本軍)|第27軍]]司令部が新設され、[[海上機動旅団#海上機動第4旅団|海上機動第4旅団]]と[[第89師団 (日本軍)#沿革|独立混成第43旅団]]が編成される。&lt;br /&gt;
* [[1945年]]（昭和20年）に入ると本土決戦準備のため、海上機動第4旅団含め千島列島から多くの部隊が内地に転用される。終戦時には[[第89師団 (日本軍)|第89師団]]が配置されていた。&lt;br /&gt;
** [[8月15日]]当時、留別村2,258人 紗那村1,001人 蕊取村349人の合計3,608人の住人が、択捉島に居住していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ソビエト時代 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--高校の日本史教科書『詳説日本史』には戦争終結は9月2日となっている。高校生の標準知識と異なる知識を前提とした記述は止めてください。--&amp;gt;&amp;lt;!--[[大東亜戦争]]終結後、日本軍が武装解除し、--&amp;gt;*[[1945年]]（昭和20年）[[8月28日]]、[[太平洋戦争]]終戦間際に、降伏文書調印（[[9月2日]]）直前&amp;lt;!--(択捉島占領軍は北千島占領軍と異なっているので、この記述は誤解を与えるのでコメントにします。)[[8月18日]]、ソ連軍は千島列島への進軍を開始、--&amp;gt;に[[赤軍|ソ連軍]]が同島に上陸し占領した（この日は、米軍先遣隊が厚木に上陸し、本土の占領が開始されたのと同日である）。[[ポツダム宣言]]第7条により、日本国の諸地点は[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]に占領されたが、一般命令第1号により、同島を含む千島列島は、[[ソビエト連邦|ソ連]]占領地となった。&lt;br /&gt;
* [[1946年]]（昭和21年）[[1月29日]]、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]から[[SCAPIN]]-677が命令され、この結果、日本は同島を含む千島列島の[[領有|施政権]]を停止させられ、直後の[[2月2日]]、ソ連はこれらの地域を自国領に編入した（ただし、SCAPIN-677は領有権の放棄を命じたものではない）。それ以降、ソ連とその後継国家であるロシア連邦による実効支配が続いている。&lt;br /&gt;
** ソ連軍上陸後は、ソ連軍兵士による強盗・殺人・[[強姦]]や略奪行為などが横行した。また、1945年（昭和20年）9月以降しばらくの間は、日本人の本土引き揚げは禁止されていたにもかかわらず、北海道本島に渡航する人が続出した。しかしある時期から、ソ連軍兵士の略奪行為などに対して、死刑執行も含めた厳罰が下されるようになった。日本人とロシア人との混住状態が1年以上続いたが、同島からの日本人の本土引き揚げは、1946年（昭和21年）12月から本格的に始まり、1948年（昭和23年）までにおおむね終了した。&lt;br /&gt;
:* かつての中心地である紗那は、引き続き同島の中心地となっている。他の主要集落として、軍民兼用の飛行場がある[[天寧]]（露: ブレヴェスニク {{lang|ru|Буревестник}}、2006年（平成18年）の人口は3,105人）などがある。これより島の南部や、[[別飛村|別飛]]より北東部は、自然保護区域として地元のロシア人でさえも立入りが制限されている。[[留別村|留別]]（露: クイビシェフ {{lang|ru|Куйбышев}}）や[[蘂取村|蘂取]]（しべとろ、露: スラブノエ {{lang|ru|Слабное}}）はロシア人集落となったが、現在は両村とも廃村状態である。[[Google Earth]]の解析&amp;lt;ref&amp;gt;[[2006年]]（[[平成]]18年）に新バージョンとなり、写真の半分以上が高解像度画像となっている。&amp;lt;/ref&amp;gt;によれば、紗那から蘂取までの道路は、（途中の[[川]]に[[橋]]も架かっていないような悪路ではあるが）戦前に日本が作ったものが残っており、走行する[[自動車]]も認められる。また、蘂取には漁業施設と思われる建物が数軒認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ソ連崩壊後の択捉島 ===&lt;br /&gt;
[[1991年]]（[[平成]]3年）に、後に成立した[[ロシア連邦]]が[[実効支配]]を継承した。[[1994年]]（平成6年）秋に発生した[[北海道東方沖地震]]後、人口は減少傾向にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのような状態の中、ユダヤ系ロシア人の[[アレクサンドル・ベルホフスキー]]が創業した水産加工の[[ギドロストロイ]]（{{lang|ru|Гидрострой}}）社（本社は[[豊原市]]([[ユジノサハリンスク]])）が、周辺の豊富な水産資源と北米の冷凍食品市場とを結びつけて、[[1990年代]]後半以降瞬く間にめざましい成長を示し、同島の経済基盤は強固なものとなり現在に至る。なお、同社は現在、別飛（露: レイドヴォ {{lang|ru|Рейдово}}）に、米国製の機械を備えた日産400tの加工が可能な大工場をもつほか、蓄積した豊富な資本を元に[[択捉銀行]]（{{lang|ru|БАНК ИТУРУП}}）を設立し、金融業にも乗り出している。しかし、日本政府が領土問題に関連して取引きの規制を行っているので、日本企業はこのビジネスチャンスに公式には協力できていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地下資源もあり、北部の[[茂世路岳]]（1124m、露: クドリャブイ火山 {{lang|ru|Влк. Кудрявый}}、英: Medvezhia）は、その[[火山ガス]]に[[レアメタル]]である[[レニウム]]を大量に含有している。このため、[[ロシア科学アカデミー]]の[[科学者]]たちは、レニウムの世界有数の産出源になり得る[[火山]]と見なしている。また、金鉱開発の可能性も指摘されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2015年]]（平成27年）を目標年次とするロシア連邦政府の「クリル諸島社会経済発展計画」の目玉として、工費12億[[ルーブル]]（約55億円）の公共投資により、中心都市の紗那付近に全天候型、滑走路1,530mの[[国際空港]]が建設されている（2008年（平成20年）3月 ギドロストロイ社によって着工、2010年（平成22年）完成予定&amp;lt;ref&amp;gt;毎日新聞朝刊、2008年（平成20年）9月17日。&amp;lt;/ref&amp;gt;）。完成後はこの空港から、サハリン島やロシア本土の[[ウラジオストク]]および[[ハバロフスク]]、そして事情が許せば日本本土からの航路が就航する予定であり、これによって「発展計画」の柱の一つである観光開発に大きな弾みがつくことが期待されている。2012年（平成24年）5月、ギドロストロイ社が主導して[[クリリスク]]の近郊キタボエにて総額34億ルーブルを投じる港湾整備工事を着工したが、韓国の建設会社がロシア以外の企業として初めて北方領土の開発に参加することとなった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/news/20120530k0000m030049000c.html 北方領土:韓国企業が工事開始…択捉島の岸壁建設] - 毎日jp（毎日新聞社、2012年（平成24年）5月29日付）&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、同年11月には観光客誘致策の一環として択捉島中心部にリゾートホテルを建設し、2015年（平成27年）に開業予定であるとの報道もなされている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201211/2012112100962&amp;amp;g=ind 択捉島に温泉施設、来年着工＝韓国で泉質分析－ロシア企業] - 時事ドットコム（時事通信社、2012年（平成24年）11月21日付、2013年（平成25年）1月10日付）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在{{いつ|date=2013年9月}}ロシアは択捉島に[[MiG-31]]戦闘機を20機程度展開しており、[[ロシア防空軍]]の極東最東端の防空基地として機能している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 交通アクセス ==&lt;br /&gt;
=== 空港・飛行場 ===&lt;br /&gt;
* [[ブレヴェスニク空港]] (天寧飛行場) - [[留別村]]&lt;br /&gt;
* [[イトゥルップ空港]] - [[紗那村]] 2014年開港&lt;br /&gt;
* {{ru|Ветровое}} (Vetrovoye, 蘂取第一飛行場) - [[蘂取村]] {{ウィキ座標|45|15|4|N|148|18|40.8|E||地図}} 旧日本軍によって建設、[[ソビエト連邦|ソ連]]によって拡張&amp;lt;ref&amp;gt;[http://maps.aopa.ru/id/ZAX3 {{ru|Карта аэродромов России}}]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* {{ru|Сопочный}} (Sopochniy, 蘂取第三飛行場) - 蘂取村 {{ウィキ座標|45|18|20.8|N|148|23|32.8|E||地図}} 旧日本軍によって建設&amp;lt;ref&amp;gt;[http://maps.aopa.ru/id/ZAN1 {{ru|Карта аэродромов России}}]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 北海道本島から ===&lt;br /&gt;
戦前は、中心集落であった紗那まで定期の船便があったが、戦後は、北海道本島から択捉島への定期公共交通は、船便・航空便ともに存在しない。北海道本島から島に直接渡る場合は、「[[ビザなし交流]]」に参加し、[[チャーター船]]で根室港から出発、紗那に入港する。（「ビザなし交流」の場合であっても、チャーター船がロシアが主張する領海に入ると国際航路を通航する船舶の慣例によってロシア国旗をマストに掲げるほか、クリリスクに到着後はロシアの[[税関]]当局による入域審査を受ける。）なお、このチャーター船の利用は、旧島民とその子孫、返還運動を行う団体から推薦された者などに限定され、一般の日本人が自由に利用することはできない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== サハリン島（樺太）から ===&lt;br /&gt;
現在の択捉島にアクセスする定期公共交通は、[[ロシア]]が実効支配する南[[樺太]]を拠点に運航されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ユジノサハリンスク]]（[[豊原市|豊原]]）空港からは、[[サハリン航空]]のプロペラ機が週4便（月、水、木、金曜日の午前発）、択捉島留別村の[[ブレヴェスニク空港]]（旧：天寧飛行場）まで就航している。しかし、有視界飛行なので、霧がかかりやすい夏季には欠航となる率が高い。また、この空港は、戦前の日本の海軍飛行場を改装したロシア軍基地と共用になっており、中心都市の[[紗那村|紗那]]（[[クリリスク]]）から砂利道を自動車で片道2時間半かかる不便な場所にある。2010年（[[平成]]22年）ころから[[紗那村|紗那]]・[[別飛村|別飛]]付近に新空港を建設中である&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/hrn/rinjin2.pdf 北の隣人 2011] - 北海道北方領土対策根室地域本部&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[コルサコフ (サハリン州)|コルサコフ]]（[[大泊町|大泊]]）港からは、サハリンクリル海運の貨客船「イゴール・ファルハトディノフ」号が週2便就航している。この船は、月曜日にコルサコフを出港し、火曜日に択捉島、水曜日に[[色丹島]]および[[国後島]]に寄港したあと、木曜日にコルサコフに帰港し、金曜日に再びコルサコフを出港し、土曜日に国後島と色丹島、日曜日に択捉島に寄港したあと、月曜日にコルサコフに帰港するというスケジュールで、3〜12月に運航される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一般の[[日本人]]・外国人が択捉島を訪問するには、[[ロシア]]の[[査証]]を取得したあと、稚内または新千歳、あるいは函館からサハリンに渡り、ユジノサハリンスクで択捉島への入境許可証を取得し、空路または海路でアクセスすることになる。この方法は、北方領土においてロシアの主権に服する行為であるとして[[内閣]]が[[1989年]]（平成元年）以来自粛を要請しているが、この自粛要請に法的強制力は無く、ギドロストロイ社への技術支援のための入境のほか、多くの[[書籍]]や[[ホームページ]]などで、この方法によって同島に入境した日本人旅行者の体験記が確認できる。いうまでもなく、[[欧州連合|EU]]、[[アメリカ合衆国|米国]]、[[大韓民国|韓国]]はじめ、多くの外国人ビジネスマンや技術者は、ギドロストロイ社との取引・技術支援などのため、ごく普通にロシアの査証を取得し、同じ方法で同島に入域している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 通信 ==&lt;br /&gt;
択捉島の居住者は衛星を通じて送られてくるロシアのテレビ番組を見ているものと思われる（SECAM方式 ロシアチャンネル）日本のBS放送を除き、距離的に日本の地上波テレビの受信は難しい地域とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ラジオ放送についてはクリルスク中継局 1602KHz 1Kw 70.64MHz 放送時間は日本時間で4:00-23:00とされているが確認は出来ていない。放送系統はRadio Mayakとのこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
携帯電話はロシアの携帯電話会社（MegaFan MTS）が参入し、方式はGSMである。&lt;br /&gt;
日本の携帯電話はローミング可能機であれば接続可能と推定されるが、確認はされていない。&lt;br /&gt;
エリアはクリルスクとBurevestnikの周囲とされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 電力 ==&lt;br /&gt;
択捉島は2007年（平成19年）から地熱発電を始め、全電力を地熱発電で供給している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 択捉島を題材にした著作物・映画・テレビ番組 ==&lt;br /&gt;
* [[エトロフ発緊急電]]（新潮文庫刊） - [[佐々木譲]]の小説。第3回[[山本周五郎賞]]、[[日本推理作家協会賞]]他受賞作。[[第二次世界大戦]]は、日米間では、[[大日本帝国海軍]][[機動部隊]]による真珠湾奇襲で幕を開けた。そのとき、大日本帝国海軍は択捉島の単冠湾に集結してから出撃した。この史実を踏まえ、日本に潜入し日本側の動向を探っていたスパイが択捉島に潜入し、機動部隊の出撃を報じる緊急電を打っていたとする物語。[[日本放送協会|NHK]]で「[[エトロフ遥かなり]]」としてドラマ化され、1993年（平成5年）11月13日から全4話が放映された。&lt;br /&gt;
* [[もの食う人びと]]（共同通信社刊） - [[辺見庸]]の[[ルポルタージュ]]集。同著中に収められている「美しき風の島にて」の章は、択捉島を舞台としている。&lt;br /&gt;
* [[イノセンス]] - [[押井守]]監督の[[アニメ]]作品。舞台の一つに「エトロフ経済特区」がある。&lt;br /&gt;
* [[エトロフの恋]] - [[島田雅彦]]の近未来小説。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[北方領土問題]]&lt;br /&gt;
* [[外務省]]&lt;br /&gt;
* [[スターリニズム]]&lt;br /&gt;
* [[択捉型海防艦]] - 日本海軍が保有した[[海防艦]]の艦級。名称は本島にちなむ。&lt;br /&gt;
* [[中田重治]] - [[日本ホーリネス教会]]初代監督、若いとき[[メソジスト]]派の伝道者として択捉島で伝道していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{commonscat|Iturup}}&lt;br /&gt;
* [http://www.kashmir3d.com/panorama/etorofu/etrpanorama.html 択捉島の山岳展望図] - [[カシミール3D]]のウェブサイト&lt;br /&gt;
* [http://www.hoppou.go.jp/gakusyu/history/index.html 松前藩の千島統治]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本の極地}}&lt;br /&gt;
{{千島列島}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:えとろふとう}}&lt;br /&gt;
[[Category:択捉島|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:北方領土]]&lt;br /&gt;
[[Category:千島列島]]&lt;br /&gt;
[[Category:北海道の島]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロシア連邦の島]]&lt;/div&gt;</summary>
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