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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-09-01T06:04:28Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E5%85%AC%E7%90%86&amp;diff=5069</id>
		<title>公理</title>
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		<updated>2013-09-01T07:39:06Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;123.198.236.20: /* 歴史 */ 　第二公準の誤りを修正&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&#039;&#039;&#039;公理&#039;&#039;&#039;（こうり、Axiom）とは、その他の[[命題]]を導きだすための[[前提]]として導入される最も基本的な[[仮定]]のことである。一つの[[形式体系]]における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを&#039;&#039;&#039;公理系&#039;&#039;&#039;（Axiomatic system）という。公理を前提として演繹手続きによって導きだされる命題は[[定理]]とよばれる。多くの文脈で「公理」と同じ[[概念]]をさすものとして仮定や前提という言葉も並列して用いられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公理とは他の結果を導きだすための議論の前提となるべき論理的に定式化された（形式的な）言明であるにすぎず、真実であることが明らかな[[自明]]の理が採用されるとは限らない。知の体系の公理化は、いくつかの基本的でよく知られた事柄からその体系の主張が導きだせることを示すためになされることが多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[ユークリッド原論]]などの古典的な数学観では、最も自明（絶対的）な前提を&#039;&#039;&#039;公理&#039;&#039;&#039;（Axiom）、それに準じて要請される前提を&#039;&#039;&#039;公準&#039;&#039;&#039;（Postulate）として区別していたが、{{要出典範囲|date=2012年4月|19世紀以降、数学の形式化が進むにつれ、両者はあまり厳密には区別されなくなっている}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 公理の例 ==&lt;br /&gt;
以下にいくつかの公理の例を示す。&lt;br /&gt;
* 命題 P が成立するなら、命題「PまたはQ」も成立する。&lt;br /&gt;
* 2つの点が与えられたとき、その2点を通るような直線を引くことができる（[[ユークリッド幾何学]]）。&lt;br /&gt;
* &#039;&#039;a&#039;&#039;=&#039;&#039;b&#039;&#039; なら、&#039;&#039;a&#039;&#039;+&#039;&#039;c&#039;&#039; = &#039;&#039;b&#039;&#039;+&#039;&#039;c&#039;&#039;である（[[ユークリッド原論]]を参照）。&lt;br /&gt;
* どんな[[自然数]]に対しても、その数の「次の」自然数が存在する（[[ペアノの公理]]）。&lt;br /&gt;
* どんなものも含まないような[[集合]]（[[空集合]]）が存在する（[[公理的集合論]]）。&lt;br /&gt;
* 集合 &#039;&#039;S&#039;&#039; と条件式 &#039;&#039;P&#039;&#039; が与えられたとき、&#039;&#039;S&#039;&#039; の[[集合|元]]のうち、条件 &#039;&#039;P&#039;&#039;(&#039;&#039;x&#039;&#039;) を満たすような &#039;&#039;x&#039;&#039; だけからなる集合を作ることができる（[[公理的集合論]]）。&lt;br /&gt;
* すべての集合 &#039;&#039;x&#039;&#039; に対して、&#039;&#039;x&#039;&#039; &amp;lt;math&amp;gt;\in&amp;lt;/math&amp;gt; &#039;&#039;U&#039;&#039; のようなグロタンディーク宇宙 &#039;&#039;U&#039;&#039; が存在する（[[グロタンディーク宇宙]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公理にもとづいて証明される[[命題]]は[[定理]]という。&lt;br /&gt;
以下に定理の例を示す。&lt;br /&gt;
* [[三角形]]の[[内角]]の和は180度である（[[ユークリッド幾何学]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==公理の必要性==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{出典の明記|date=2013年6月26日 (水) 10:37 (UTC)|section=1}}&lt;br /&gt;
{{Cleanup|date=2013年6月26日 (水) 10:37 (UTC)|section=1}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
広く一般に言われる「数学は何でもかんでも証明する学問である」という考えは間違いである。&lt;br /&gt;
AはBから証明でき、BはCから証明でき、CはDから証明でき…と原因をさかのぼっていくとき、どこまでも無限にさかのぼる事はできない。&lt;br /&gt;
なぜなら人間は有限時間しか生きる事ができないので、無限に長い証明を全て読む事はできないからである。([[有限の立場]])。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この為さかのぼるのをどこかであきらめ、幾つかの命題を無批判に認めざるをえない。&lt;br /&gt;
この無批判に認める命題が「公理」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＊１　数学において，証明項を「原因」と呼ぶのは誤りである.　「原因」は「結果」との対比において事物的（通俗的に了解された限りでの科学的の意と解してほぼ構わない）因果関係について用いられる概念（語）であるのに対し，数学の証明がそれに属する論理関係における証明項と被証明項の対比においては，後者が「結論」と呼ばれ前者すなわち証明項は「理由」と呼ばれるからである.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＊２　この説明は誤りに思われる.　仮に人間が無限の時間を生き得ようと，あるいは無限の時間にわたって推論可能な思惟存在によってであろうと，最終的には幾つかの命題（　とその適用規則　）とは証明なしに存在するのでなければ，数学的証明行為それ自体が成立しえないからである.　言い換えれば，およそ証明が行われるためには，なんらかの（諸）前提が証明なし（という意味で無根拠）に受け入れられていなければならないのである――但し，証明によってではなく，直観・叡智的認識等々といった他の手段によってであれば数学において公理は根拠付けられる，という考え方は歴史的に存在してきた.　この，数学において証明なしに受け入れられる前提の内のあるものが「公理」である．（　他に論理等も証明なしに受け入れられる事なしには数学的推論が行われる事は不可能である）.　よって，数学において有限主義は公理の無根拠性（乃至証明不可能性）を帰結せしめる理由ではない，と考えられる.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
axiomという言葉の語源はギリシャ語の{{lang|grc|αξιωμα}} (axioma、&#039;&#039;価値があり適切と考えられるもの&#039;&#039;あるいは&#039;&#039;それ自身明らかなもの&#039;&#039;)である。公理の概念が明確に記述された現存する文書のうちで最も古いものは、紀元前300年頃にギリシアで書かれた[[ユークリッド]]の[[原論]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Main|平行線公準}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
原論には以下の5つの公準（注：原論が書かれた当時は「公理」と「公準」を区別している）&amp;lt;ref&amp;gt;ユークリッドはこれら5つに「公理」という言葉を用いず「公準」という言葉を用いており、他の命題を「公理」と記している。{{要出典範囲|date=2012年4月|しかし現在の視点から見れば「公理」と「公準」とは同一概念である}}為、現在では「公準」という言葉は使われない。&amp;lt;/ref&amp;gt;が挙げられている：&lt;br /&gt;
# 第1公準 ： 点と点を直線で結ぶ事ができる&lt;br /&gt;
# 第2公準 ： 線分は両側に延長して直線にできる&lt;br /&gt;
# 第3公準 ： 1点を中心にして任意の半径の円を描く事ができる&lt;br /&gt;
# 第4公準 ： 全ての直角は等しい（角度である）&lt;br /&gt;
# 第5公準 ： 1つの直線が2つの直線に交わり、同じ側の内角の和を2つの直角より小さくするならば、この2つの直線は限りなく延長されると、2つの直角より小さい角のある側において交わる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがてこれらの公準は公理として認識されるが、最後の第5公準（[[平行線公準]]とも呼ばれる）は他の公準ほど自明ではない。このため平行線公準は公準ではなく、他の4つの公理から導ける定理なのではないかという疑問が生じ（平行線問題）、証明が試みられたがいずれもうまくはいかなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
19世紀に[[カール・フリードリヒ・ガウス|ガウス]]、[[ボーヤイ・ヤーノシュ|ボヤイ]]、[[ニコライ・ロバチェフスキー|ロバチェフスキー]]らによって、最初の4つの公理が成立しかつ平行線公準が成立していないような幾何学の体系（[[楕円幾何学]]、[[双曲幾何学]]）が構成された事によって平行線問題は否定的に解決された。もし最初の4つの公理から平行線公理が導けるのであればこのような幾何学は存在するはずがなく、よって平行線公準は他の4つの公理からは導けないのである。平行線公理を仮定して展開される[[ユークリッド幾何学]]に対し、双曲幾何学のように最初の4つの公理は満たすが平行線公理のみは満たさないような幾何学を[[非ユークリッド幾何学]]という。非ユークリッド幾何学の発見により、互いに相容れない前提にもとづく様々な数学の体系がありうる事が認識されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20世紀はじめには[[ダフィット・ヒルベルト|ヒルベルト]]を中心とした数学の抽象化・形式化の運動の中で、公理にもとづき理論を展開するという立場が強調された。公理系に求めるべき[[妥当性]]として、[[矛盾]]が導かれないことや、必ず成立するような[[命題]]は全て証明可能であることがあげられる。ヒルベルトは有限のデータによって定まり（有限の立場）このような妥当性を満たす公理系をもとにして数学を展開することを目指した（[[ヒルベルト・プログラム]]）。この考え方は[[フェリックス・ハウスドルフ|ハウスドルフ]]らによる[[位相空間]]論、[[ニコラ・ブルバキ|ブルバキ]]による数学の再編成などを通じて20世紀の数学に大きな影響を与えた。しかし[[ゲーデルの不完全性定理]]によって「普通の数学」(自然数論)を展開できるような公理系では（体系が無矛盾である限り）その無矛盾性を与えられた公理系だけからは証明できないことが示され、ヒルベルトが思い描いた形でのヒルベルト・プログラムは実現不可能であることが明らかになってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 公理の形式性 ==&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
公理にもとづく数学の定式化は、記述の定式化を促し、さらに数学をものの内在的な意味からはなれた形式的な記号の操作だと見なす考え方を導いた。公理とは前提として任意に選ばれた論理式にすぎず、その論理式から単なる記号操作で得られる論理式が定理であるという立場をとる論理学者や数学者もいる。このような考え方にたてば、ユークリッド幾何学における点や直線、平面はによって指定される性質を満たすに限りの抽象的な対象にすぎず、現実世界におけるいかなる物体を表しているわけでもないことになる。現実世界における点や直線、平面の形をしたものやそれらの間の関係性を調べることは、ユークリッド幾何学の意味([[セマンティックス]])を推察する助けにはなるが、公理にもとづく定理の推論（ユークリッド幾何の[[シンタックス]]&amp;lt;!-- もっといい言葉あらまほし --&amp;gt;）がそこから直ちに従うわけではないことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような立場に立てば、「点」、「直線」、「平面」といった言葉の選択はまったく任意なものであり、別の用語を選んだとしてもそれらの間にユークリッド幾何学の関係性を仮定するならばまったくおなじ体系が得られることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような「公理は論理式にすぎない」という考え方は（しばしば揶揄を込めて）「[[ビールジョッキ思想]]」と呼ばれている。上のような置き換えを行うと例えば「２直線は１点で交わる」という命題は「２つの机は１つのビールジョッキで交わる」という、みかけ上全く意味の無い命題になるが満たしている論理式は置き換え前と同じものなので頓着しない。&lt;br /&gt;
これは丁度「2(x+y)=2x+2y」という命題の「x」と「y」を「u」と「v」に置き換えて「2(u+v)=2u+2v」としても数式としては差異がないのと似ている。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コメントアウト：数理モデル化の話は別に公理とは関係ないのでは？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際の点、直線、平面が数学で扱う「点」、「直線」、「平面」とは別物であるという考えは、後に[[数理モデル]]の考え方を生んだ。&lt;br /&gt;
例えば経済数学では金、株、財産など数式化して経済法則を探る。&lt;br /&gt;
この際出てくる「金」、「株」、「財産」等は「数理モデル」と呼ばれるもので、あくまでたんなる数字にすぎず、実際の金、株、財産とは別物である。&lt;br /&gt;
経済数学に出てくる「金」、「株」、「財産」は数字なので紙幣や株券といった実態を持たない。&lt;br /&gt;
経済数学で扱うのは数理モデル版の「金」、「株」、「財産」であるので、&lt;br /&gt;
経済数学で得られた成果が実際の金、株、財産の性質とはずれてしまう事もありうる。&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
ビールジョッキ思想で問題となっている言葉・記号の選択の任意性はすでに19世紀の論理学者たちの間で問題になっており、その議論の一端は[[ルイス・キャロル]]による『[[鏡の国のアリス]]』にも反映されている。『アリス』の登場人物[[ハンプティ・ダンプティ]]は勝手に新しい単語を作ったり、既存の単語を別の意味に用いたりして主人公のアリスを混乱させる。つまりハンプティ・ダンプティは英語ならぬ「ハンプティ・ダンプティ語」を作ってそれを話しているのである。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
ビールジョッキ思想もこれに似ている。「点」、「直線」、「平面」は日本語であるが、ビールジョッキ思想ではこれを「ビールジョッキ」、「机」、「椅子」に置き換えた「ビールジョッキ語」を作っているのである。&lt;br /&gt;
日本人のほとんどは日本語を話すのに対しビールジョッキ語を話している民族はいないので、日本語の方がビールジョッキ語よりもコミュニケーション・ツールとしては優れている。しかし純粋に論理的に言えば日本語とビールジョッキ語のどちらが偉いわけでもない。これは英語と日本語のどちらが偉いわけでもなく、異なる言語であるに過ぎないのと同じである。&lt;br /&gt;
よってビールジョッキ思想では日本語で記述した数学とビールジョッキ語で記述した数学を等価だと考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本語で「点」、「直線」、「平面」と言って数学を構築しても英語で「Point」、「Line」、「Plain」と言って数学を構築しても同じものができあがる。&lt;br /&gt;
同様にビールジョッキ語で数学を構築しても同じだとビールジョッキ思想では考えるのである。&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 公理の直観的歴史的妥当性 ==&lt;br /&gt;
{{節stub}}&lt;br /&gt;
公理は記号で書かれたただの論理式の集まりなので、理屈の上ではナンセンスな公理のもとに全く内在的な意味の無い数学理論を構築してもよいことになるが、多くの数学者はナンセンスな公理系ではなく、何らかの直観的・歴史的な意味や[[妥当性]]にもとづいた公理系を研究の対象にしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だがどういう公理系が「直観的歴史的妥当性がある」ものであるのかについては必ずしも数学者全員の合意が得られているとは限らない。&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
多くの数学者達は同じ公理のもと成立する数学を研究しているが、[[数学基礎論]]を研究している研究者の中にはあえて普通とは違う公理を研究する人々もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--&amp;gt;例えば[[直観主義論理]]の立場では[[排中律]]は認められない。&lt;br /&gt;
排中律とは任意の命題Aに対しA自身かAの否定のどちらかが成立する、という要請で一つのモデルの中では命題の真偽は確定的なものであるという立場の推論規則である。&lt;br /&gt;
通常の数学では排中律を認めるが、直観主義論理の立場に立った研究者たちは命題の真偽について実際に証明できる手続きが与えられることを要請する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同様に妥当性が問題になるタイプの公理に集合論の[[選択公理]]など[[無限]]を取り扱ったものがある。これは「無限個の（空でない）集合の列から一個ずつ元を選ぶことができる」という趣旨の公理である。&lt;br /&gt;
選択公理は（集合論のそれ以外の公理が矛盾していない限り）矛盾を導かず（ゲーデル）、さらに選択公理の否定からも矛盾が導かれない（コーヘン）ことが知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
選択公理を認めることで様々な強力な定理(帰納的順序集合における極大元の存在、ベクトル空間の基底の存在、[[代数的閉包]]の存在、従順群上の不変汎関数の存在など)が証明できる。いっぽうで選択公理を認めてしまうと一見直観に反していて逆理であるかのような定理（[[バナッハ・タルスキの逆理]]、非可測集合の存在）が成立してしまう。ほとんどの数学者は選択公理を認めた数学体系を研究しているが、おもに[[数学基礎論]]の研究において、選択公理を認めない数学の可能性を追求している数学者もいる。&lt;br /&gt;
これは選択公理が「無限回の選択」を許す公理なのに対し彼らが『（選択公理を認めても論理的には矛盾しないかも知れないが）、「無限回選択」することは有限時間の寿命しかない我々にはできないので、できもしないものを公理として認めると無意味な数学ができてしまう』と考えている為である。{{要出典|date=2007年4月}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[形式主義]]&lt;br /&gt;
* [[公理的集合論]]&lt;br /&gt;
* [[ダフィット・ヒルベルト]]&lt;br /&gt;
* [[ヒルベルト・プログラム]]&lt;br /&gt;
* [[演繹]]&lt;br /&gt;
* [[ルイス・キャロルのパラドックス]]&lt;br /&gt;
* [[科学哲学]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こうり}}&lt;br /&gt;
[[Category:公理|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:論理学]]&lt;br /&gt;
[[Category:数学基礎論]]&lt;br /&gt;
[[Category:方法論]]&lt;br /&gt;
[[Category:数学に関する記事]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>123.198.236.20</name></author>
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