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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-08-31T06:28:36Z</updated>
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		<title>後藤治</title>
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		<updated>2014-07-20T07:15:43Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;122.132.30.87: /* フェラーリ */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Infobox 人物&lt;br /&gt;
 | name        = 後藤治&lt;br /&gt;
 | image       = &lt;br /&gt;
 | caption     = &lt;br /&gt;
 | birth_date  = {{生年月日と年齢|1948|11|27}}&lt;br /&gt;
 | birth_place = {{JPN}}、[[東京]]&lt;br /&gt;
 | death_date  = &lt;br /&gt;
 | death_place = &lt;br /&gt;
 | occupation  = GEO Techonology S.A.代表&lt;br /&gt;
 | salary      = &lt;br /&gt;
 | networth    = &lt;br /&gt;
 | spouse      = &lt;br /&gt;
 | website     =&lt;br /&gt;
 | footnotes   = &lt;br /&gt;
 }}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;後藤 治&#039;&#039;&#039;（ごとう おさむ、[[1948年]][[11月27日]] - ）は、[[日本]]の[[エンジニア]]、[[実業家]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[レーシングカー]][[エンジニア]]。[[ホンダ・レーシング・F1チーム|ホンダ]]の[[フォーミュラ1|F1]]プロジェクトリーダーを務めた後、[[マクラーレン]]、[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]など名門チームを渡り歩いた。その後[[ザウバー]]のエンジン開発責任者を長年に渡り務めたが、ザウバーが[[BMW]]に買収されたことに伴い独立し、現在は[[スイス]]で自らの企業を経営している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
===ホンダ===&lt;br /&gt;
[[1969年]]に[[東京都立航空工業高等専門学校]]を卒業して[[本田技研工業|ホンダ]]に入社。ホンダでは[[CVCC]]エンジンや[[ホンダ・シティ|シティ]]用の[[ターボチャージャー|ターボ]]エンジンの開発等に関わった後、[[1984年]]よりF1エンジンのプロジェクトチームに参加する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1988年]]には前任の[[桜井淑敏]]からF1エンジンのプロジェクトリーダーを受け継ぎ、以後[[1990年]]までホンダのF1プロジェクトリーダーとして1.5リッターターボ・[[V型6気筒|V6]]の[[ホンダ・RA168E|RA168E]]、3.5リッター[[自然吸気|NA]]・[[V型10気筒|V10]]のRA109E・RA100Eを開発。主にマクラーレンに供給されたこれらのエンジンは（1988年には[[チーム・ロータス|ロータス]]にも供給）[[アイルトン・セナ]]や[[アラン・プロスト]]、[[ゲルハルト・ベルガー]]らのドライブで圧倒的な強さを発揮し、マクラーレン・ホンダはこの間コンストラクターズ・ドライバーズの両タイトルを独占した。後藤も[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のF1中継において、[[古舘伊知郎]]から「ホンダの戦う係長」というニックネームを付けられたことで一気に有名になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===マクラーレン===&lt;br /&gt;
1990年一杯でホンダのF1プロジェクトを外れると一旦は市販車用エンジンの開発部門に異動するが、間もなくマクラーレンの総帥である[[ロン・デニス]]に請われる形でホンダを退社し、[[1991年]]の半ばにマクラーレンに移籍。マクラーレンではロン・デニスに次ぐナンバー2のポジションに当たる「エグゼクティブ・エンジニア」として、技術面のアドバイザー的役割を担うとともに、主にチームマネジメントの効率化などに取り組んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===フェラーリ===&lt;br /&gt;
[[1994年]]にはフェラーリへ移籍。当時フェラーリでは伝統の[[V型12気筒|V12]]エンジンを捨てて新たにV10エンジンを開発する計画が進んでおり、後藤はホンダ時代にV10エンジンの開発を指揮していた経験を買われ、そのV10エンジンプロジェクトの開発責任者となった。後藤らの開発したエンジンは[[1996年]]より[[フェラーリ・F310]]に搭載されて実戦に投入され、この年[[ミハエル・シューマッハ]]のドライブで3勝を挙げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===ザウバー===&lt;br /&gt;
[[1997年]]よりザウバーがフェラーリエンジンの供給を受けることが決定すると、後藤はそれに合わせる形でザウバーの関連会社であるザウバー・ペトロナス・エンジニアリング（SPE）に派遣される。「[[ペトロナス]]」の[[バッジネーム]]が付けられたフェラーリエンジンのチューニングを担当する一方で、独自のV10エンジンの開発プロジェクトをスタートさせるが、[[1998年]]にアジアを襲った経済危機（[[アジア通貨危機]]）のためこの計画は頓挫。以後ザウバーは[[2005年]]に至るまでフェラーリからエンジン供給を受け続けることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]]にはSPEが、翌年より[[ロードレース世界選手権]]のMotoGPクラスに参戦することを目標に3気筒・990ccのエンジンを搭載したマシンを開発し、後藤がエンジン開発責任者となるが、この計画も結局途中で頓挫してしまい、マシンは一応完成しテスト走行までこぎつけていたものの実戦投入されることはなかった（ただし、このとき開発されたマシンは、その後若干の改修を受け[[スーパーバイク世界選手権]]に参戦している）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===GEO===&lt;br /&gt;
[[2005年]]にはザウバーがBMWに買収されたことから、後藤はSPEを離脱して独立。その後スイスでエンジン開発等のコンサルタントを手がけるベンチャー企業として「GEO Technology S.A.」を設立し、現在は同社の代表を務めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同社は[[2010年]]より行われているロードレース世界選手権の[[Moto2]]クラス（2009年までのGP250クラスの後継）で、[[ワンメイク]]となるホンダエンジンのメンテナンスを担当していた（2012年まで）。また[[2011年]]には[[ゴードン・マレー]]らと共に、[[東レ]]が開発した[[電気自動車]]『TEEWAVE AR1』の技術コンサルタントを務めた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.neostreet.co.jp/event/110917/event_110917.htm 東レ先端材料展2011：TEEWAVE AR1を発表] - NeoStreet・2011年9月17日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ワールドチャンピオンへの評価 ==&lt;br /&gt;
後藤は上記の通り、プロジェクトリーダーとして3人のワールドチャンピオンと一緒に仕事しているが&amp;lt;ref&amp;gt;プロジェクトリーダー就任前には[[ネルソン・ピケ]]、[[ケケ・ロズベルグ]]といったワールドチャンピオン経験者や、後にワールドチャンピオンを獲得する[[ナイジェル・マンセル]]とも関わりがある。&amp;lt;/ref&amp;gt;、3人について以下のように語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[アラン・プロスト]]&lt;br /&gt;
:「“プロフェッサー（教授）”と呼ばれていましたが、あれほど実像からかけ離れたニックネームも珍しいですよ。プロストは若い時からいいクルマに乗り続け、いい体験をいっぱいしてきたから、どういう方向にセットアップすればいいかが経験的にわかっている。それがプロストの財産でね。1989年にプロストは加速でセナに負けたから、[[ホンダ・レーシング・F1チーム|ホンダ]]を“エンジン操作している”と批判してきた。でも、データを見るとセナが高回転まで使っているのに対してプロストは使っていない。この時はもう[[自然吸気|NA]]になっていて、燃費は関係ないから回転を抑えて走っても全く意味がない。でもプロストは理屈を分からずに走ってるから、[[ターボ]]時代同様に回転を抑えて走っていた。ホンダが技術的なことを説明しようとしても聞こうとしないし、興味がない。我々も困って、あの当時はまだ[[アナログ]]の[[タコメーター]]でしたから、“この回転数まで必ず引っ張るように”という目盛り代わりのステッカーを貼ってあげたんです。もちろん、非常に速いドライバーですよ。タイヤの使い方も抜群だし。でも、今の時代ならチャンピオンになれないでしょうね&amp;lt;ref name=&amp;quot;og1&amp;quot;&amp;gt;[[柴田久仁夫]]　「究極のドライバー比較論-元ホンダF1プロジェクトリーダー後藤治が10年たった今、語る」『[[オートスポーツ|AUTO SPORT]]－アイルトンセナ没後10年特別企画』　[[三栄書房]]、50頁-55頁、2004年。&amp;lt;/ref&amp;gt;。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[アイルトン・セナ]]&lt;br /&gt;
:「とにかく意志の強い人。どうすれば自分のやりたいことが成功するかをいつも考えていましたね。[[チーム・ロータス|ロータス]]へのエンジン供給もまずロータスと交渉したのではなく、セナと話しているなかで進展していった。[[モータースポーツ]]は道具を使うスポーツだから、道具が悪かったら勝てない。だから、チームの運営までシステムそのものに入り込んでいく。そのようなことをしたのは、僕が関わったドライバーではセナと[[ミハエル・シューマッハ]]だけですね。あと、セナは理詰めで走るドライバー。1988年に[[ヘレス・サーキット|ヘレス]]でセナは4位だったんですが、どうしてプロストより自分が燃費に厳しかったのか、次の[[日本グランプリ (4輪)|日本GP]]迄分析して欲しいと言ってきた。セナが高回転まで回し、エンジンパワーを引き出していたが、燃費となると効率ですからね。回転数をあまり上げずに、ブーストを上げた方が[[馬力]]をあげるのにいい。当時はターボでしたから。それを説明したら、効率的な走り方をものにした。また、ドライバーによっては[[テレメトリー]]のデータと、走り終わってから言ってることの食い違いがあって、エンジニアは方向性が見つからなくて困ってしまうけど、セナにはそういうところは全くなかった&amp;lt;ref name=&amp;quot;og1&amp;quot;/&amp;gt;。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;ミハエル・シューマッハ&lt;br /&gt;
:「上述の通り、自分のやりたい目標をどう達成するかというアプローチはセナと非常に似ている。その他には、体力作りをきちんとするところは、シューマッハのほうがセナより一生懸命でしたね。最終的にはセナが生きていても、年齢的なものもあるし、体力的な衰えや特に視力が落ちるでしょうし、世代交代はあったでしょうね&amp;lt;ref name=&amp;quot;og1&amp;quot;/&amp;gt;。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 快走F1メモ（[[マガジンハウス]]）- [[週刊朝日]]での連載をまとめたもの。&lt;br /&gt;
* F1解剖講座～データで見るF1グランプリ～（[[二玄社]]）- 1990年の[[日本機械学会]]での特別講演内容に加筆したもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.geo-technology.ch/ GEO Technology S.A.]&lt;br /&gt;
* [https://www.facebook.com/GeoTechnologySA GEO Technology S.A.] - facebook&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:ことうおさむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:1948年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:F1関係者]]&lt;br /&gt;
[[Category:技術コンサルタント]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の自動車技術者]]&lt;br /&gt;
[[Category:本田技研工業の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>122.132.30.87</name></author>
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