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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>マーガレット</title>
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		<updated>2014-08-17T11:29:01Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.237.196: /* 王侯貴族 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&#039;&#039;&#039;マーガレット&#039;&#039;&#039;（{{lang-en|Margaret, Marguerite}}）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人名 ==&lt;br /&gt;
英語圏の女性名。原型に当たるマルガリテス（Margarites, {{lang-el|Μαργαρίτης}}）はペルシャからギリシャまで広く分布する印欧語由来の人名で、「真珠」を意味する。異形に[[マージョリー]]、[[英語人名の短縮形|短縮形]]に[[マーゴ]]、[[マギー]]、[[マッジ]]、[[メグ]]、[[ペグ]]、[[ペギー]]がある。英語以外の人名では、[[マルゲリータ]]、[[マルグレーテ]]、[[マルグリット]]、[[マルガリータ (曖昧さ回避)|マルガリータ]]、[[マルギト]]、[[マルケータ]]、[[マウゴジャータ]]などに対応する。[[聖女]][[アンティオキアのマルガリタ]]にあやかって広まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 王侯貴族 ===&lt;br /&gt;
*[[マーガレット (スコットランド女王)]] （1283年 - 1290年）- 13世紀スコットランドの女王。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット (スノードン伯爵夫人)]] （1930年 - 2002年） - イギリス国王ジョージ6世の娘。エリザベス2世の妹。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・オブ・アンジュー]]（1429年 - 1482年） - ナポリ王・ロレーヌ公ルネ1世の娘、イングランド王ヘンリー6世の妃。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・オブ・イングランド]]（1240年 - 1275年） - イングランド王ヘンリー3世の娘。スコットランド王アレグザンダー3世の妃。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・オブ・イングランド (1275-1333)]] - イングランド王エドワード1世の娘。ブラバント公ジャン2世の妃。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・オブ・コノート]]（1882年 - 1920年） - イギリス王エドワード7世の弟コノート公アーサーの娘。スウェーデン王グスタフ6世アドルフの最初の妃。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・オブ・スコットランド]]（1045年頃 - 1093年） - イングランド王エドマンド2世の孫娘。スコットランド王マルカム3世の妃。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・オブ・スコットランド (ノルウェー王妃)]] （1261年 - 1283年）- スコットランド王アレグザンダー3世とマーガレット・オブ・イングランドの娘。ノルウェー王エイリーク2世の妃。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・オブ・デンマーク]]（1456年 - 1486年） - デンマーク・ノルウェー・スウェーデン王クリスチャン1世の娘。スコットランド王ジェームズ3世の妃。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・オブ・ハンティングダン]]（1145年 - 1201年） - スコットランド王マルカム4世とウィリアム1世の姉。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・オブ・フランス]]（? - 1318年） - フランス王フィリップ3世の娘。イングランド王[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]]の2番目の妃。&lt;br /&gt;
*[[マルグリット・ド・フランス (1158-1197)]] （マーガレット・オブ・フランス） - フランス王ルイ7世の娘。イングランド王[[若ヘンリー王|若ヘンリー]]（[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]の嗣子）の妃。のちハンガリー王ベーラ3世の妃。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・オブ・ヨーク]]（1446年 - 1503年） - イングランド王エドワード4世とリチャード3世の妹、ブルゴーニュ公シャルルの3番目の妃。マーガレット・オブ・バーガンディとも呼ばれる。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・ステュアート]]（1424年 - 1445年） - スコットランド王ジェームズ1世の娘、のちのフランス王ルイ11世の妃。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・テューダー]]（1489年 - 1541年） - イングランド王ヘンリー7世の娘、スコットランド王ジェームズ4世の妃でジェームズ5世の母。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット・ボーフォート]]（1443年 - 1509年） - イングランド王ヘンリー7世の母。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他の人物 ===&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・アデオイエ]] - イギリスの陸上競技選手。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・オズボーン・デュポン]] - アメリカの女子テニス選手。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・サザーランド]] - オーストラリアの作曲家。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・サッチャー]] - イギリスの元首相。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・サンガー]] - アメリカの産児制限活動家。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・スミス・コート]] - オーストラリア出身の女子テニス選手。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・チョー]] - 韓国系アメリカ人のコメディアン・女優・ファッションデザイナー。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・ドラブル]] - イギリスの作家、文芸評論家。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・バーク＝ホワイト]] - アメリカの報道写真家。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・バービッジ]] - イギリスの宇宙物理学者。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・ベケット]] - イギリスの政治家。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・マーヒー]]（メイヒー、マヘイ） - ニュージーランドのファンタジー作家、児童文学作家。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・マーラー]] - ハンガリーの精神分析家、児童心理学者。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・ミッチェル]] - アメリカの作家。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・ミード]] - アメリカの文化人類学者。&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・ローシュ]] - アメリカのテレビプロデューサー&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・ワイス]] - アメリカの作家。マーガレット・ボールドウィンの名義も持つ。&lt;br /&gt;
* [[エミー・マーガレット]] - [[1960年代]]から[[1970年代]]に[[寺内タケシ]]のプロデュースで日本で活動した[[ハーフ]]の歌手。デビュー当時は単に「マーガレット」という芸名だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== キャラクター ===&lt;br /&gt;
*マーガレット・マーチ - 小説『[[若草物語]]』の登場人物。主役の四姉妹の長女。&lt;br /&gt;
*マーガレット・ホワイト - [[サンリオ]]のキャラクター「[[ハローキティ]]」のキティの祖母。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 楽曲 ==&lt;br /&gt;
*[[マーガレット (サクラメリーメンの曲)]] - [[サクラメリーメン]]のシングル曲。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット (Chiaki &amp;amp; Fruits Flowersの曲)]] - [[ポケットビスケッツ]]のシングル曲。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット (綾瀬はるかの曲)]] - [[綾瀬はるか]]のシングル曲。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他の事物 ==&lt;br /&gt;
*[[マーガレット (植物)]] - 観賞用植物。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット (雑誌)]] - 日本の少女向け漫画雑誌。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット (衛星)]] - 天王星の衛星。&lt;br /&gt;
*[[マーガレット (映画)]] - 2011年のアメリカ映画。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{aimai}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まあかれつと}}&lt;br /&gt;
[[Category:英語の女性名]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.237.196</name></author>
	</entry>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E9%8F%A1%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9&amp;diff=22294</id>
		<title>鏡の国のアリス</title>
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		<updated>2014-08-17T10:56:23Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.237.196: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{基礎情報 書籍&lt;br /&gt;
|title = 『鏡の国のアリス』&lt;br /&gt;
|orig_title = Through the Looking-Glass, and What Alice Found There&lt;br /&gt;
|image = Through the Looking-Glass, and What Alice Found There.djvu&lt;br /&gt;
|image_size = 150px&lt;br /&gt;
|image_caption = 初版本の表紙&lt;br /&gt;
|author = [[ルイス・キャロル]]&lt;br /&gt;
|translator = &lt;br /&gt;
|illustrator = [[ジョン・テニエル]]&lt;br /&gt;
|published = [[1871年]]12月24日&lt;br /&gt;
|publisher = マクミラン社&lt;br /&gt;
|genre = [[児童文学]]、[[ファンタジー]]&lt;br /&gt;
|country = [[イギリス]]&lt;br /&gt;
|language = [[英語]]&lt;br /&gt;
|preceded_by = 『[[不思議の国のアリス]]』&lt;br /&gt;
|followed_by = &lt;br /&gt;
|website = &amp;lt;!-- 公式サイト --&amp;gt;&lt;br /&gt;
|portal1 = 文学&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
『&#039;&#039;&#039;鏡の国のアリス&#039;&#039;&#039;』（かがみのくにのアリス、{{lang-en-short|&#039;&#039;Through the Looking-Glass, and What Alice Found There&#039;&#039;}}）は、[[1871年]]に発表された[[ルイス・キャロル]]の児童小説。『[[不思議の国のアリス]]』（[[1865年]]）の続編であり、前作では不思議の国を冒険した少女[[アリス (不思議の国のアリス)|アリス]]が、今作では[[鏡]]を通り抜けて異世界に迷い込む。前作と同様、文中には様々な言葉遊びやパロディがちりばめられているが、即興で作られた話がもととなっている前作とは異なり、はじめから出版を意図して作られた今作の物語はより知的な構成がとられており&amp;lt;ref&amp;gt;ルイス・キャロル 『鏡の国のアリス』 脇明子訳、岩波少年文庫、2000年、269頁（訳者あとがき）。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=Gardner1994280&amp;gt;ガードナー (1994), 280頁（訳者あとがき）。&amp;lt;/ref&amp;gt;、アリスをはじめとする登場人物たちは[[チェス]]のルールに従って、桝目で区切られた鏡の国の中を行き来する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また今作では[[ハンプティ・ダンプティ]]や[[トウィードルダムとトウィードルディー]]といった、[[マザー・グース]]に由来するキャラクターが登場するほか、ナンセンス詩の代表作として知られる「[[ジャバウォックの詩]]」が作中作として登場する。前作同様、ほかにも多くの詩と童謡が作中に挿入されており、挿絵も引き続き[[ジョン・テニエル]]が手がけている。『不思議の国のアリス』と対になる作品として、前作とともに様々な言語に翻訳されて世界中で読まれており、前作と組み合わせた映像化をはじめとして様々な翻案や派生作品を生んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作品背景 ==&lt;br /&gt;
[[File:Liddell, Alice Pleasance in profile (Lewis Carroll, Summer 1858).jpg|thumb|180px|アリス・リデル（キャロルの撮影、1858年）]]&lt;br /&gt;
前作と同じく、『鏡の国のアリス』もまた[[アリス・リデル]]をはじめとするリデル姉妹との交流が着想のもとになっており、今作では特に[[1863年]]の間の出来事が物語に大きな影響を与えている。この年の[[3月10日]]、キャロルとリデル家の所属する[[オックスフォード大学]]の学寮[[クライスト・チャーチ (オックスフォード大学)|クライストチャーチ]]の出身である皇太子（のちの[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]）の結婚式があり、その日に至る数日間盛大なお祭り騒ぎがあった。キャロルも結婚式の前日、自分の弟エドウィンとともにアリスに付き添い、イルミネーションで飾られたオックスフォードの町を練り歩き祝祭を愉しんだ&amp;lt;ref&amp;gt;コーエン、171-173頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。同年の6月にも皇太子夫妻のオックスフォード再訪問があり、このときは祝典に合わせてバザーが開かれ、リデル家の姉妹は皇太子妃に白い子猫を売った&amp;lt;ref&amp;gt;コーエン、177-181頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。アリスが女王になるまでの道のりという『鏡の国のアリス』のテーマや、作中冒頭のアリスと子猫とのやりとり、[[ライオンとユニコーン]]の挿話などは、この王室の祝典から着想を得ているものと考えられる&amp;lt;ref&amp;gt;コーエン、240-241頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=KASAI3334&amp;gt;笠井勝子 「アリス―物語の誕生」 『不思議の国の&amp;quot;アリス&amp;quot;』 33-34頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにこの二つの祝典の間の1863年4月、キャロルはチャールストン・キングズに滞在していたリデル姉妹に招かれて、この地で数日間姉妹とともに過ごしている。同地にはリデル姉妹の祖父母の住むヘトン・ローン館があり、リデル夫人が出産間近となっていたために、姉妹はこの田舎の家に一時預けられていたのである。ヘトン・ローン館の客間の暖炉の上には部屋全体が映る大きな鏡がしつらえられており、これが鏡を通り抜けて別の世界に行くというアイディアの元になったものと考えられる&amp;lt;ref&amp;gt;コーエン、176頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=KASAI3334/&amp;gt;{{refnest|group=&amp;quot;注釈&amp;quot;|鏡のモチーフに関するエピソードとして、キャロルと「もう一人のアリス」アリス・シオドア・レイクスとのやり取りが知られている。アリス・レイクスはキャロルの遠い親戚にあたる、当時9歳の少女で、キャロルと彼女はキャロルの叔父スケフィントンの家で出会い仲良くなった。このときキャロルはアリスにオレンジを持たせて、現実のアリスは右手にオレンジを持っているのに、鏡に映っているアリスは左手にオレンジを持っているのはなぜだろうかと訊いた。答えに困ったアリスが「もし私が鏡の中に入ったら、オレンジは右手にあるんじゃない？ 」と答えた。キャロルはこれを聞いて「今までで一番いい答えだ」と喜んだという。ただし日記によればこれは『鏡の国のアリス』の原稿がすでに完成していた1871年の出来事である&amp;lt;ref name=KASAI3334/&amp;gt;。}}。そして昼食後、キャロルが姉妹とともに馬車で散歩に行き、丘から[[グロスターシャー]]の平野を眺めると、ちょうどチェス盤のような田園風景が広がっていた&amp;lt;ref name=KASAI3334/&amp;gt;。また本作第3章の客車の場面は、同年6月25日に学寮関係者でニューナムへ遠足に行き、その帰りにキャロルとアリス、その妹のイーディスの3人だけが鉄道を使って帰ってきたときの出来事を再構成したものである&amp;lt;ref&amp;gt;コーエン、181-182頁・242頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出版まで ==&lt;br /&gt;
[[1865年]]に『[[不思議の国のアリス]]』を刊行して一躍有名人となったルイス・キャロルは、この作品の好評を受けて続編の構想を始めた。キャロルが『アリス』の出版者であるアレグザンダー・マクミランに宛てた1866年8月24日の手紙の中では、まだ明確な形をとっていないものの、続編を書く考えを抱き始めていることが記されており、そしてその年の暮れまでには実際に執筆に着手した&amp;lt;ref name=COHEN233&amp;gt;コーエン、233頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。原題の『鏡を通り抜け、そしてアリスがそこで見たもの』というタイトルをキャロルに提案したのは、オックスフォード大学の同僚であった友人ヘンリー・リドンであったらしい&amp;lt;ref name=COHEN233/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
物語の執筆の傍らで難航したのが挿絵の依頼であった。キャロルはおそらく、前作の挿絵を担当した[[ジョン・テニエル]]にまず依頼を行ったと考えられるが、テニエルは多忙を理由にこの仕事を断ったのである。このためキャロルは挿絵画家を探し回らねばならず、テニエルの推薦を受けて{{仮リンク|リチャード・ドイル|en|Richard Doyle (illustrator)}}やキングスリーの『水の子』の挿絵を担当した{{仮リンク|ジョゼフ・ノエル・ペイトン|label=ノエル・ペイトン卿|en|Joseph Noel Paton}}などに当たったが、いずれも都合が合わなかった。結局、キャロルはテニエルに、彼が現在仕事を引き受けている出版者すべてに対して、向こう5か月分の違約金を代わりに支払うという条件を提示し、1868年6月にさらに「暇を見つけては」という条件のもとでこの仕事を引き受けさせることになった&amp;lt;ref&amp;gt;ハンチャー、179-180頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:Alice Red Queen White Queen.jpg|250px|thumb|テニエルの描いた女王アリス（中央）。初案ではちょうどチェスの駒に形状が似るクリノリンを着せられていた（画像は修正後）]]&lt;br /&gt;
前作と同じく、今回もキャロルは挿絵に対しこと細かに注文をつけテニエルをうんざりさせた。例えば物語の後半で女王となるアリスに、テニエルははじめ[[クリノリン]]を履かせていたのだが、クリノリンを毛嫌いしていたキャロルはこのシーンをすべて普通の正装に書き直させている&amp;lt;ref name=HANCHER181182&amp;gt;ハンチャー、181-182頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。その一方でテニエルもキャロルの文章に注文をつけており、作中の詩に出てくる「大工とセイウチ」の組み合わせに抗議するなどした。さらにテニエルは、「かつらをかぶった雀蜂」が登場する作中の一挿話に対し不満を表明し、キャロルもこれを受け入れてこの挿話を丸ごと削除している&amp;lt;ref&amp;gt;ハンチャー、183-186頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この削除された挿話は1974年になって初めて発見された（後述[[#削除された挿話]]を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1869年の1月には、キャロルはマクミランに最初の一章の原稿を送っている。しかしテニエルがあらかじめ忠告していた通り挿絵の仕事は遅れ、1871年1月に最後の校正刷りをテニエルに送ったキャロルは、すべての挿絵を受け取って『鏡の国のアリス』を刊行するまで1年近い時間待たされることになった&amp;lt;ref name=HANCHER181182/&amp;gt;。こうして1871年12月24日のクリスマスに刊行された『鏡の国のアリス』はすぐにベストセラーになり、各紙の書評で前作に劣らない賛辞が送られた。刊行から1年の間に2万5000部ほどを売り、その後も一度も途切れることなく版を重ね続け、キャロルが死去した1898年までに10万部以上の『鏡の国のアリス』が刷られている&amp;lt;ref&amp;gt;コーエン、236-237頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 削除された挿話 ==&lt;br /&gt;
[[File:Galley proof of The Wasp in a wig.jpg|thumb|left|210px|発見された校正ゲラ刷りの一部。校正の指示はキャロルの自筆。]]&lt;br /&gt;
前述のように、テニエルは「かつらをかぶった雀蜂」の挿話に対して不満を表明し、結果的にキャロルにこの部分を削除させている。そんなものをどうやって絵に描けばよいのかわからないし、そもそも話としても全く面白くない、というのが、キャロル宛の書簡で表明されたテニエルの主張であった&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994), 242頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。このやりとりはキャロルの甥のスチュワート・ドジソン・コリングウッドが記したキャロルの伝記（1898年）で触れられているだけで、その削除された本文がどのようなものであったのかは長らく誰にも知られないままであった。しかし1974年になって、この削除部分の校正刷りが[[サザビーズ]]のオークションに出品され、これによって初めて世に出された&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994), 238-239頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。売り手は匿名の人物であり何者か不明だが、原稿はドジソン家の年長の人物の誰かからその売り手に手渡されたものであるという&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994), 240-241頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。この原稿はその後書籍にも収録され出版されている（日本語版では高山宏訳『新注 鏡の国のアリス』に所収）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この挿話はテニエルの手紙の内容からして、第3章の汽車のシーンの前後にあったものと推測されていたが、現物の発見によって、実際には第8章の最後に入っていたものであることがわかった&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994), 246-247頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。テニエルとコリングウッドは「章」と表現していたが（そのため既存の12章とは別にもう1章あったのだと誤解されてきた）、実際には独立した章となるような長いものではない。アリスが白の騎士と別れたのち、次の桝目に進もうとする直前の場面で、「スズメバチ」の深いため息を聞いたアリスが引き返し、彼の話を聞いてやるという内容で、問題の「かつら」は派手な黄色をした、海藻のかたまりのようなかたちをしたものと表現されている（当初はハンカチで隠されている）。またパロディ詩とおぼしき詩（原詩は不明）も一篇差し挟まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「白の騎士」が登場する第8章はそうでなくとも長い章であり、キャロルがテニエルの提案を受け入れたのは、この章を短くする意図もあったと推測できる&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994), 247頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。発見された挿話はテニエルが判断したとおり、『鏡の国のアリス』の他の部分に比べて生彩を欠いている、というのが読者のおおむね一致した見解であるが、しかしそれはキャロルが本腰を入れて推敲を行う前であったためであるとも考えられる&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994), 248-250頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== あらすじ ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--キャラクターに関する細かい注釈は別項の一覧記事に--&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[File:Aliceroom2.jpg|180px|right]]&lt;br /&gt;
[[ガイ・フォークスの日]]の前日、暖炉の前で糸を繰っていたアリスは、毛糸玉を解いてしまった子猫のキティをしかり、そのまま子猫を相手に空想ごっこを始める。その延長で鏡の中の世界を空想しているうちに、アリスは実際に鏡を通り抜けて鏡の世界に入り込んでしまう。鏡の中の暖炉の前では、チェスの駒が意思を持って動き回っているが、はじめ彼らにはアリスの姿が見えず、アリスは彼らを持ち上げたりして驚かせる。アリスは鏡文字で書かれた本の中の詩（ジャバウォックの詩）を鏡に映すことによって読みとったあと、戸外に出かけてゆく（第1章 鏡の向こうの家）。アリスは丘に上ろうとするが、道がアリスの意思に逆らって何度もアリスを家の前に戻してしまう。そのうちにアリスは喋る花々が植えられた花壇に行き当たり、オニユリやバラなどと言葉を交わす。そこにアリスくらいの背丈になった赤の女王が通りかかり、アリスはあえて逆方向に進むことによって女王に追いつく。丘に着いたアリスは小川と垣根でチェス盤のように区切られた景色を眺めてこの世界全体がチェスゲームになっていることを知り、赤の女王の助言で自分も駒として参加することを決める（第2章 生きた花園）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:Alice guard.jpg|left|250px]]&lt;br /&gt;
白の歩（ポーン）となったアリスは、最初の一手で2マス進むために自分でも知らないうちに列車に乗りこみ、紙を着た紳士、ヤギ、カブトムシ、ひっきりなしに駄洒落を言う声（姿は見えないが、後で巨大な蚊とわかる）と相席する。やはり知らないうちに再び列車の外に出たアリスは、巨大な蚊と二人きりになり、彼から様々な鏡の国の虫を紹介される。その後一人になったアリスは、そこに入ると物の名前がわからなくなる「名無しの森」に入り、そこで仔鹿と道連れになるが、森を出た途端にアリスが「人間」であることを思い出した仔鹿は逃げていってしまう（第3章 鏡の国の虫たち）。再び一人になったアリスは、次の章でマザー・グースのキャラクターである[[トウィードルダムとトウィードルディー]]に出会う。彼らはアリスに眠り込んでいる赤の王を見せ、アリスは王の夢の中の人物に過ぎないのだと教えたあと、唄の通りに壊れたがらがらをめぐって決闘の準備をはじめ、やはり唄のとおりに、飛来してきた巨大な鴉を恐れて逃げていってしまう（第4章 トウィードルダムとトウィードルディー）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:John Tenniel Alice and the Knitting Sheep.jpeg|200px|right]]&lt;br /&gt;
そこに、大鴉のはばたきによって女王のショールが飛ばされてくる。アリスはやってきた白の女王の身だしなみを整えてやり、彼女から、自分は時間を逆方向に生きていて未来のことを記憶しているのだといった不条理な話を聞かされる。しかし二人がいっしょに小川を越えると、不意に女王はヒツジに姿を変え、あたりは雑貨店の店内になる。その不思議な店では、アリスが棚にあるものを見ようとすると決まってそこだけ空っぽになる。アリスはいつの間にかヒツジを乗せてボートを漕いでいる自分に気づき、ヒツジに言われるままにボートを漕いだり、花を摘んだりしたあと、再び知らないうちにもとの店内にもどる。アリスは卵を買うことにし、逃げていく卵を追って知らないうちに戸外に出る（第5章 毛糸と水）。その卵は塀の上に座り、マザー・グースのキャラクターであるハンプティ・ダンプティに変わる。彼は尊大な態度でアリスに自慢話をし、自分は言葉に好きな意味をこめて使うことができるのだといったことを語る。アリスは「ジャバウォックの詩」を彼に解説してもらうが、彼のもとを去ると、その背後で大きな落下音が起こる（第6章 ハンプティ・ダンプティ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Lion and Unicorn.jpg|270px|left]]&lt;br /&gt;
落下音が起こった途端、森の奥から白の王の大軍勢が現われる。アリスと白の王は、使者の一人（ヘイヤ）からの知らせを受けてもう一人の使者（ハッタ）が待つ町に向かい、そこで王冠をめぐって争っている[[ライオンとユニコーン]]を見物する。ライオンとユニコーンはマザー・グースの唄の通りに町中を追いかけまわったあとプラムケーキを注文し、アリスがそれを切る役目を言い渡されるが、あたりに大きな太鼓の音が響き始め、アリスはその音から逃れて次の桝目に出る（第7章 ライオンとユニコーン）。音がやむとアリスのもとに赤の騎士と白の騎士がやってきて、アリスをめぐって決闘をはじめる。勝利した白の騎士はアリスを次の桝目まで送り届けようと申し出、上下逆さの小箱や円錐形の兜といった自身の様々な珍奇な発明を披露しながら森のはずれに案内し、そこで長い歌を贈ってアリスと別れる（第8章 拙者の発明にござる）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:Servant.jpg|190px|right]]&lt;br /&gt;
次の桝に入ったアリスは、自分の頭に王冠が載っていることに気づき、自分が女王になれたことを知る。するといつの間にか自分の両側に赤の女王と白の女王が座っており、二人は女王の資格を問うために、「犬から骨を引くと答えは何か」といった不条理な質問を続けざまにアリスに行う。二人が疲れて眠ると不意にアーチが現われ、アリスがそれをくぐるとアリスのためのディナーパーティがはじまる。しかし運ばれてきた料理はどれも紹介が済むとそのまま下げられていき、アリスはなにも食べることができない。アリスがスピーチをはじめようとすると、食器や女王たちが変形しはじめあたりは大混乱に陥る。かんしゃくを起したアリスは、小さくなった赤の女王を捕まえる（第9章 アリス女王）。そして女王をゆすぶると、その姿は不意に子猫のキティに変わる（第10章 ゆすぶると/第11章 めざめると&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;この二つの章はどちらもわずかな文章と同じ構図の挿絵からなっており、ページをめくるとアリスがつかみ上げていた赤の女王が黒猫のキティに変わるという仕掛けになっている。&amp;lt;/ref&amp;gt;）。アリスはどうやら夢を見ていたらしいと悟り、子猫たちにあれこれ問いかけたあと、この夢ははたして自分の夢だったのか、それとも赤の王の夢だったのかと自問する（第12章 どちらの夢だった？）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== チェス ==&lt;br /&gt;
[[File:Alice Chess Puzzle.jpg|thumb|キャロルが登場人物の行動を説明するために記載した棋譜]]&lt;br /&gt;
「鏡の国」におけるアリスの行動は[[チェス]]のルールに沿ったものとして描かれており、本作の冒頭にはその点を明示する、キャロルによる棋譜と指し手の解説が掲載されている。これによれば、白の歩（[[ポーン]]）であるアリスは、初期配置（白側から見て左より4列目、下から2列目）で赤の女王と出会い、次の手でルールに従って2枡分（作中では汽車に乗ることによって）進む。そこから様々なキャラクターと出会いながら1手ずつ進んでいき、8桝目に至って[[クイーン (チェス)|クイーン]]に昇進（プロモート）したのち、11手目で赤の女王を取り勝利するということになる。なおこの説明では白の10手目でアリスが「入場」（キャスリング）するとなっているが、実際のチェスのルールにそうした指し手があるわけではない&amp;lt;ref name=Gardner19948&amp;gt;ガードナー (1994), 8頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もともとはこの棋譜とともに、チェスの駒の配置に対応させたキャラクターの一覧表が掲載されていたが、かえって混乱のもととなるためか1896年の版から割愛され、入れ代わりにキャロルの序文が掲載されるようになった&amp;lt;ref name=Gardner19948/&amp;gt;。この序文で言明されているように、チェスのルールにある程度沿っているのは駒の動きだけで、白と赤の指し手の交代などは厳密に守られてはいない。このチェスのモチーフは、白と赤（黒）の駒が必ず対になるという点で、鏡という本作のもうひとつのモチーフとも合致していると考えられる&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 7頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== キャラクター ==&lt;br /&gt;
{{main|鏡の国のアリスのキャラクター}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:Tennieldumdee.jpg|thumb|240px|トウィードルダムとトウィードルディー]]&lt;br /&gt;
前作では年齢が明示されなかった主人公[[アリス (不思議の国のアリス)|アリス]]は、本作では作中の会話の中で「7歳とちょうど半分」と明言しており、おそらく前作から半年分の歳をとっているものと見られる&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 13頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。前作から引き続き登場するキャラクターとしては、他にハッタとヘイヤと名を変えた[[帽子屋]]と[[三月ウサギ]]がいるが、本文中でそれと示されているわけではなく、アリスも彼らとの再会には気がつかない&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994)、154頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
チェスをモチーフとした本作には、それぞれ赤と白の女王および王、また白の騎士といった、チェスの駒にそのまま人格を与えたキャラクターが登場する。作品の冒頭と最後に出てくるアリスの黒猫（キティ）と白猫（スノードロップ）のペアもまた、二色からなるチェスのモチーフに対応したものである&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994), 14頁。&amp;lt;/reF&amp;gt;。他方の鏡のモチーフは、[[トウィードルダムとトウィードルディー]]、[[ライオンとユニコーン]]など、対になって登場するキャラクターが多い点に見出すことができる&amp;lt;ref&amp;gt;高橋康也 「不思議な鏡の国のキャロル」 『別冊現代詩手帖』 16頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。彼らと[[ハンプティ・ダンプティ]]はいずれも[[マザー・グース]]に基づくキャラクターであり、キャロルの創作というわけではないが、個性的に描かれたテニエルの挿絵によって本作品は後世の彼らのイメージ形成に強い影響を与えているものと見られる&amp;lt;ref&amp;gt;平野敬一 「アリスの世界とマザーグースの世界」 『別冊現代詩手帖』 78頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前作『不思議の国のアリス』と同様、今作のキャラクターのうちのいくつかも、キャロルとアリス・リデルの周辺の身近な人物をモデルにしたり暗示したものと推測されている。例えば第2章に登場する「物言う花」のうちのバラ（ローズ）とスミレ（ヴィオレット）は、アリス・リデルの下の妹ローダとヴィオレッタを暗示していると見られる&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 41頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。アリスに献身的な、発明好きの白の騎士は、一般にルイス・キャロル自身をモデルにしたキャラクターと考えられており&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 147-149頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、「赤の女王」はリデル姉妹の家庭教師プリケット嬢をモデルにしているのではないかと言われている&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 45頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 詩と童謡 ==&lt;br /&gt;
[[File:Jabberwocky.jpg|thumb|170px|「ジャバウォックの詩」]]&lt;br /&gt;
作中に挿入されている詩や童謡。特にタイトルのないものは書き出しを示す。&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;純粋で曇りのない表情の･･･&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;Child of the pure unclouded brow ...&#039;&#039;) ：巻頭に掲げられている献呈詩。アリスの物語成立の発端となったアリス・リデルとの舟遊びを思い返し、時の流れが二人の間を隔てはじめたことを嘆きながら、ひとときの物語に耳を傾けて欲しいと訴える内容。&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;[[ジャバウォックの詩]]&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;Jabberwocky&#039;&#039;) ：第1章で、鏡の国に入り込んだアリスが本の中から読み取る6連からなる詩。キャロルの自作であり、このうちの第一連は1855年、キャロルが23歳のときに、幼い弟妹たちのために作っていた家庭内回覧誌のなかに既に現われている。[[かばん語]]を多用した一見難解な詩で、アリスは字句を読み取ったものの意味が解読できず、第6章でハンプティ・ダンプティにその解釈を依頼することになる。内容は森に棲んでいるらしい得体の知れない怪物「[[ジャバウォック]]」を騎士が討伐するというような筋で、英雄叙事詩のパロディであるが、特定の原詩は見つかっていない。ナンセンス詩の傑作として知られており、様々な言語に巧みに翻訳され、またパロディも多く作られている。&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 27-36頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;[[トウィードルダムとトウィードルディー]]&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;Tweedledum and Tweedledee&#039;&#039;)：第4章で引用されるマザー・グース。トウィードルダムとトウィードルディーという双子らしき二人ががらがらをめぐって決闘をすることになるが、そこに巨大な鴉がやってきたためにうやむやになる、という内容で、作中でもこの唄に沿って物語が展開する。この詩の文献登場は19世紀のはじめまでさかのぼるが、キャロルが本作に使用したことで広く知られるようになった&amp;lt;ref&amp;gt;藤野紀男・夏目康子 『マザー・グースコレクション100』 ミネルヴァ書房、2004年、37-39頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
[[File:Briny Beach.jpg|thumb|「セイウチと大工」]]&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;セイウチと大工&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;The Walrus and the Carpenter&#039;&#039;) ：第4章でトウィードルディーがアリスに暗誦してみせる詩。なぜか太陽の沈まない夜に、嘆き悲しみながら歩く大工とセイウチが、浜辺の牡蠣たちに一緒にくるように誘っておきながら、その牡蠣たちをふたりで全部食べてしまう、という内容のナンセンス詩。韻律は{{仮リンク|トーマス・フッド|en|Thomas Hood}}の詩「ユージン・アラムの夢」をまねたもの。ジョン・テニエルはこの詩のセイウチと大工という組み合わせに抗議し、そのためキャロルは大工の変わりに（韻律的に代替可能な）蝶か准男爵にするという別案を提示したが、テニエルは結局大工を選んだ。&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 74頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;[[ハンプティ・ダンプティ]]&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;Humpty Dumpty&#039;&#039;) ：第6章で引用されるもので、非常によく知られている短いマザー・グース。「ハンプティ・ダンプティ」が塀から落ちて元にもどらなくなる、という内容で、もともとは「卵」を正解とする謎かけ唄の一種であった。本作中でも卵を擬人化したハンプティ・ダンプティが塀の上に座り、章の最後に大きな音を立てて落下する。&lt;br /&gt;
[[File:Humpty Dumpty.jpg|thumb|160px|「野の白くなる冬に･･･」]]&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;野の白くなる冬に･･･&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;In Winter when the fields are white...&#039;&#039;) ：第6章でハンプティ・ダンプティが別れ際にアリスに聞かせる詩。海辺の生き物に対して用事を書き付けて送るが彼らが意に沿おうとせず、使者までがつっけんどんな口を利くので自分で出向いていく、というよくわからない内容で、ドアの取っ手に手をかけたところで突然ぷっつり詩行が切れて終わる。キャロルの伝記作者リチャード・ケリーは、この詩が二つのアリスの物語中で最低の作と評している&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994), 147頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。マーティン・ガードナーは、この詩に影響を与えている可能性があるものとして、ヴィクトリア朝の詩人ウェイセン・マーク・ウィルクス・コールの「夏の日」を紹介している&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994), 142-144頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。またこの詩の唐突な終わり方は、ハンプティ・ダンプティのぶっきらぼうな別れの言葉や、アリスの独白の中断で終わるこの章自体の終わり方に対応しているとの指摘がある&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1994), 147-148頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;[[ライオンとユニコーン]]&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;The Lion and The Unicorn&#039;&#039;) ：第7章で引用されるマザー・グース。ライオンとユニコーンが王冠をかけて町中で戦い、パンやプラムケーキを与えられて太鼓で追い出された、という内容で、本作中でもその通りに物語が展開し、プラムケーキを切る役をアリスが務めることになる。この唄は17世紀はじめのイングランドとスコットランドの統合のことを唄ったものと言われている（ライオンはイングランドの、ユニコーンはスコットランドの紋章を支える動物）&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 136頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
[[File:Knight2.jpg|thumb|「柵の上に腰掛けて」]]&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;柵の上に腰掛けて&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;A-sitting on a gate&#039;&#039;) ：第8章で、白の騎士が別れ際にアリスに贈る長い唄&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;唄う前に、この唄の題名は「タラの目」と呼ばれているが、題名自体は「老いた男」であり、唄自体は「方法と手段」と呼ばれているが、唄そのものは「柵の上に腰掛けて」である、というくだくだしい説明が入る。&amp;lt;/ref&amp;gt;。内容は、柵の上に腰掛けた老いた男に彼の生計の手段を尋ねて、男は蝶で羊のパイを作るだとか、野山に火をつけて髪油をつくるといったおかしな話をするが、聞き手のほうは自分の発明のことに気を奪われていて何度も聞き返さねばならず、その都度老いた男は違う返答をするというもの。この詩はキャロルが1856年に『汽車』という雑誌に匿名で寄稿した「人気のない荒野で」という詩を改訂したものになっており、もともとは[[ワーズワース]]の詩「決断と独立」の主題のパロディであった&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 160-162頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。白の騎士が独自に考案したと吹聴するこの歌の節回しを、アリスは「わがすべてを君に奉げん」という歌の節回しそのままだと気づくが、この歌は{{仮リンク|トマス・ムーア|en|Thomas Moore}}の詩「わが心の琴」に[[ヘンリー・ローリー・ビショップ]]が曲をつけたもので、「柵の上に･･･」の韻律の組み立てと押韻構成もムーアの詩によっている&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 164頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;ハッシャバイ・レイディ、アリスの膝で！･･･&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;Hush-a-by lady, in Alice&#039;s lap! ...&#039;&#039;) ：第9章で、赤の女王がアリスの代わりに白の女王の子守唄として唄う短い唄。子守唄としてよく知られているマザーグース「{{仮リンク|ハッシャバイ、ベイビー|en|Rock-a-bye Baby}}」のパロディで、原詩は木の上のゆりかごが赤ちゃんごと落っこちたというもの&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 180頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;鏡の国に対してアリスは言った･･･&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;To the Looking-Glass world it was Alice that said...&#039;&#039;) ： 第9章で、女王となったアリスがアーチをくぐると中から聞こえてくる歌で、女王アリスのディナーへの呼びかけにコーラスが盛大に答えるというもの。この歌は[[ウォルター・スコット]]の戯曲『デヴァーゴイルの運命』に登場する「ボニー・ダンディ」という詩のパロディになっている。{{仮リンク|ボニー・ダンディ|en|Bonnie Dundee}}は名誉革命時に王党派として戦った{{仮リンク|ジョン・グレアム・オブ・クラヴァーハウス|en|John Graham, 1st Viscount Dundee}}のことで、この詩は彼の戦功を讃える内容である。&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 183頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;はじめに、それを捕まえなければ。･･･&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;First, the fish must be caught. ...&#039;&#039;) ：第9章にて、女王となったアリスのためのディナーパーティ上で白の女王が出すなぞなぞ歌。赤子でも捕まえられ、1ペニーで買うことができ、1分もかからず料理ができ、皿に受けるまでもなくすでに皿に乗っているが、その皿蓋は容易に開けることができない、というもので、本作中では提示されないが答えは[[牡蠣]]である。この詩の答えは、1878年の『面白半分』という雑誌の10月30日号に、なぞなぞのほうと同じ韻律による詩の形で掲載された。この答えの詩は一般読者の寄稿したものをキャロルが添削したものである。&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 189頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「&#039;&#039;&#039;晴れわたる空の下で舟は･･･&#039;&#039;&#039;」 (&#039;&#039;A boat beneath a sunny sky, ...&#039;&#039;) ：巻末に置かれている跋詩。かつての舟遊びのことをもう一度思い返しつつ、それがすでに遠い昔となり、アリスもすでに幻としてしか現われなくなったと嘆きながら、最後に「現実は夢でなくてなんであろうか」(&#039;&#039;Life, what is it but a dream ?&#039;&#039;)  と締めくくる。この詩は踏冠詩（アクロスティック）であり、それぞれの詩行の最初の一字をつなげていくとアリス・リデルのフルネーム「アリス・プレザンス・リデル」 (Alice Pleasance Liddell) となる&amp;lt;ref&amp;gt;ガードナー (1980), 200頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 影響・翻案 ==&lt;br /&gt;
[[宮沢賢治]]は『[[注文の多い料理店]]』（1924年）の広告文の中で、自身の作品の舞台である[[イーハトーヴ]]について「強（しい）て、その地点を求むるならばそれは、（略）少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中」と記しており、『鏡の国のアリス』を読んでいたことを伺わせる&amp;lt;ref&amp;gt;天沢退二郎 「宮沢賢治と『鏡の国のアリス』」『別冊現代詩手帖』 136頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。賢治研究者でもある詩人の[[天沢退二郎]]は、これと同じ時期に書かれた『[[銀河鉄道の夜]]』の中の、少年ジョバンニが気づかないうちに汽車の中にいるというような場面などに『鏡の国のアリス』との共通点を見いだしている&amp;lt;ref&amp;gt;前掲 天沢退二郎 「宮沢賢治と『鏡の国のアリス』」『別冊現代詩手帖』 136-142頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[シュルレアリスム|シュルレアリスト]]の[[アントナン・アルトー]]は1945年ころ、アンリ・パリゾーの勧めにしたがって『鏡の国のアリス』の第6章「ハンプティ・ダンプティ」を訳出している。しかしこの章で扱われている「ジャバウォックの詩」に対してアルトーは「魂を欠いている」としてはっきり嫌いであると述べ、パリゾー宛ての手紙のなかで、精神的苦悩を知らない表層の詩であるとして酷評した&amp;lt;ref&amp;gt;高橋、309-310頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。のちの[[ポストモダニズム]]の思想家[[ジル・ドゥルーズ]]は、『[[意味の論理学]]』（1969年）第13章においてこのアルトーによる「ジャバウォックの詩」の訳を扱っており、この中でドゥルーズは訳語に見られるアルトーの言語が「深層のノンセンス」に属する「[[統合失調症|精神分裂病者]]の言語」であると分析し、キャロルの「（いわば表層の）ノンセンス」との差異を論じている&amp;lt;ref&amp;gt;高橋、312-314頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『鏡の国のアリス』は、映像化においては『不思議の国のアリス』にその要素を組み合わせたり、『不思議の国のアリス』との前後編の構成が取られたりといったことも行われている。例えば[[ディズニー]]のアニメ映画『[[ふしぎの国のアリス]]』は、ベースは『不思議の国のアリス』だが、『鏡の国のアリス』のトウィードルダムとトウィードルディーが登場するほか、[[ハートの女王]]の言動に赤の女王のそれが用いられるなどしている。『鏡の国のアリス』単独の映像化の例としては、[[ジョン・ヘンダーソン]]監督の1998年のテレビ映画『[[アリス・イン・ミラーランド]]』などがある。また1936年のディズニーの短編映画「[[ミッキーの夢物語]]」は、[[ミッキーマウス]]のキャラクターで『鏡の国のアリス』の物語を辿ったものである。ただしこの作品ではチェスではなくトランプをモチーフにしている（[[不思議の国のアリスの映像作品]]も参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に『鏡の国のアリス』に関わる後世の創作には以下のようなものがある。ただし引用・言及のみのものや題名のみのパロディなどは除く。前作を含めた「アリス」全般が関わるものについては[[不思議の国のアリス#翻案]]を参照。&lt;br /&gt;
*[[ディームズ・テイラー]]の管弦楽曲（作品12）「鏡の国のアリス」（1918年）&lt;br /&gt;
*[[ザ・ビートルズ]]の楽曲「[[アイ・アム・ザ・ウォルラス]]」（[[1967年]]） - [[ジョン・レノン]]作による歌詞は本作中の詩「セイウチと大工」から着想を得ており、「ウォルラス(セイウチ)」「エッグマン(ハンプティ・ダンプティ)」などの登場キャラクターが歌詞に登場する。&lt;br /&gt;
*[[広瀬正]]のSF小説『鏡の国のアリス』（[[1972年]]） - 本作を題材にした同題の長編SF小説で、左右が逆転した世界を扱った。この作品内では、キャロルの元作品への言及も行われている。&lt;br /&gt;
*[[アイザック・アシモフ]]の短編小説「不思議な省略」（『[[黒後家蜘蛛の会]] 1』所収、1972年） - 『鏡の国のアリス』第1章でチェスの駒が登場する場面で、キャロルの本文に[[ビショップ]]の駒だけが言及されていない謎をテーマにしたもの。&lt;br /&gt;
*[[木下牧子]]の混声合唱組曲「三つの不思議な物語」（[[1993年]]） - 海外の詩の日本語訳による全3曲からなる組曲で、第3曲が「セイウチと大工」（[[吉田映子]]訳）。&lt;br /&gt;
*[[緒方恵美]]のアルバム 『[[鏡の国のアリス (緒方恵美のアルバム)|鏡の国のアリス]]』（2004年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本語訳 ==&lt;br /&gt;
{{see also|不思議の国のアリス#日本語訳}}&lt;br /&gt;
日本語への初の翻訳は、わかっている限りでは[[1899年]]（[[明治]]32年）、『少年世界』（博文館）に掲載された[[長谷川天渓]]訳「鏡世界―西洋お伽噺」が最初で、『不思議の国のアリス』の初訳（須磨子訳『アリス物語』1908年）よりも早い。長谷川の訳は原著に忠実な訳ではなく、長谷川の創作がかなりの程度混じった翻案・パロディに近いもので、主人公の名前も「美（みい）ちゃん」に変えられている&amp;lt;ref&amp;gt;楠本、20-28頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[西條八十]]はこの天渓訳に触発され、[[1921年]]（[[大正]]10年）より自身の訳「鏡國めぐり」を『金の船』（キンノツノ社）に1年間にわたって連載し、翌年『西條八十童話集』の第一編として刊行している。西條の訳もやはり忠実な翻訳ではなく、原作の8章までの内容に西條が自由に肉付けした内容になっている&amp;lt;ref&amp;gt;楠本、52-60頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。主人公の名前も「アリス」ではなく「あやちゃん」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前年の[[1920年]]（大正9年）には[[楠山正雄]]が『不思議の國 第一部アリスの夢、第二部鏡のうら』として、正編続編を合わせた訳を家庭読物刊行会から出版しており、『鏡の国のアリス』の本格的な翻訳はこの楠山訳が初と思われる&amp;lt;ref&amp;gt;楠本、67頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。物語の訳題に『鏡の国のアリス』を用いたのも、楠山がこの訳を改題して[[1948年]]に小峰青山文庫より『ふしぎの国のアリス』『かがみの国のアリス』としてそれぞれ出版したのがおそらく初である。ただし、これより前の1928年に、[[長澤才助]]が『アリス』の翻案劇の訳題として『鏡の国のアリス』を用いた例がある&amp;lt;ref&amp;gt;楠本、181-182頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後も『不思議の国のアリス』と並んでたびたび日本語への翻訳が行われており、戦後以降も[[矢川澄子]]、[[北村太郎]]、[[高山宏]]、[[柳瀬尚紀]]、[[脇明子]]、[[河合祥一郎]]、[[安井泉]]、[[多田幸蔵]]、[[生野幸吉]]、[[山形浩生]]ほか多くの訳者の訳が、様々なイラストレーターと組み合わされて刊行されている。もっとも『不思議の国のアリス』のみが訳される場合も多いため、『不思議の国』と比べればその数は少ない&amp;lt;ref name=Gardner1994280/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;注釈&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&amp;lt;references group=&amp;quot;注釈&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;出典&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
{{reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*マーチン・ガードナー注釈 ルイス・キャロル 『鏡の国のアリス』 高山宏訳、東京図書、1980年&lt;br /&gt;
*マーティン・ガードナー注釈 ルイス・キャロル 『新注 鏡の国のアリス』 高山宏訳、東京図書、1994年&lt;br /&gt;
*モートン・N.コーエン 『ルイス・キャロル伝 （上）』 高橋康也ほか訳、河出書房新社、1999年&lt;br /&gt;
*マイケル・ハンチャー 『アリスとテニエル』 石毛雅章訳、東京図書、1997年&lt;br /&gt;
*舟崎克彦 『不思議の国の&amp;quot;アリス&amp;quot;』 求龍堂グラフィックス、1991年&lt;br /&gt;
*楠本君恵 『翻訳の国のアリス』 未知谷、2001年&lt;br /&gt;
*高橋康也 『ノンセンス大全』 晶文社、1977年&lt;br /&gt;
*『別冊現代詩手帖』 第1巻巻第2号（ルイス・キャロル特集号） 思潮社、1972年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[赤の女王仮説]] - [[1973年]]に提唱された生物の進化における仮説の1つ。常に進化しないと生存競争に負けるという内容が、「同じところに留まるためには全速力で駆けなければならない」という赤の女王の言葉を連想させるために、このような名前が付けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{wikisourcelang|en|Through the Looking-Glass, and What Alice Found There|{{PAGENAME}}}}&lt;br /&gt;
{{commonscat|Through the Looking-Glass and What Alice Found There}}&lt;br /&gt;
* [http://www.gutenberg.org/etext/12 Through the Looking-Glass by Lewis Carroll - Project Gutenberg](en)&lt;br /&gt;
* [http://www.sabian.org/Alice/lgchap01.htm HTML version with Tenniel Illustrations](en)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アリス}}&lt;br /&gt;
{{チェス}}&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:かかみのくにのありす}}&lt;br /&gt;
[[Category:不思議の国のアリス|*2]]&lt;br /&gt;
[[Category:イギリスの児童文学]]&lt;br /&gt;
[[Category:イギリスの小説]]&amp;lt;!--ファンタジーや児童文学としてのみ認識されているわけではない--&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:イギリスのファンタジー小説]]&lt;br /&gt;
[[Category:1870年代の小説]]&lt;br /&gt;
[[Category:チェスを題材とした作品]]&lt;br /&gt;
[[Category:マザー・グースを題材にした作品]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.237.196</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E6%96%B0%E5%AD%97%E4%BD%93&amp;diff=103204</id>
		<title>新字体</title>
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		<updated>2014-08-17T10:47:02Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.237.196: /* 字体の統一と使い分け */ 作品発表年順&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{特殊文字|説明=[[JIS X 0213]]、[[CJK統合漢字|CJK統合漢字拡張A]]など}}&lt;br /&gt;
{{漢字}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;新字体&#039;&#039;&#039;（しんじたい）は、[[日本]]において、[[1923年]]の『[[常用漢字|常用漢字表]]』に示された略字制定以降、[[1946年]]告示された『[[当用漢字|当用漢字表]]』を経て現在まで使用されている[[漢字]]の[[字体]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
新字体は、もともと、[[1949年]]の『当用漢字字体表』で提示された標準字体に対する呼称であり、印刷字体と筆写字体をできるだけ一致させることを建前として[[活字]]のもととなる形で示されていた。一方、[[1981年]]制定の『常用漢字表』は主として印刷文字の面から検討され[[明朝体]]活字の一種をもちいて字体例を示し、これを「&#039;&#039;&#039;現代の通用字体&#039;&#039;&#039;」と呼んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対し、[[康熙字典]]に基づく従来の字体は、旧字体・正字体、本字体、（いわゆる）康煕字典体などとよばれる。新字体は、旧字体の[[旁]]（つくり）を同音の[[画数]]の少ない文字に差し替える、複雑な部分を省略した記号に置き換えるなどの手法で簡略化したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公文書や新聞・書籍などでは[[第二次世界大戦]]前から一部字体が使われ、[[1950年代]]以後に全面的に新字体に切り替えられた。しかし、固有名詞は別扱いであることから人名・地名などでは旧字体や異体字の使用が継続されており、[[JIS X 0208|JIS漢字]]も[[Unicode]]も新字体とその他の字体が並存して混乱が生じていることがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;例&lt;br /&gt;
:來→来、鐵→鉄、與→与、學→学、臺→台、氣→気、國→国、關→関、眞→真、澤→沢、鹽→塩、櫻→桜、廣→広、邊→辺、濱→浜、寶→宝、惠→恵、齒→歯、縣→県&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 簡略化のしかた ==&lt;br /&gt;
新字体は明治期から続く文字改革の流れで誕生した。しかし、このときにすべて新しく考案されたのではなく、それ以前から広く手書きに使われていた[[誤字|誤字・譌字]]・[[略字]]を正式な字に昇格させたものが多い&amp;lt;ref&amp;gt;『漢字と日本人』 214頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。漢字は字形が繁雑なため、第二次世界大戦前から筆記時には多くの略字が通用していた。現在、「門」、「第」がしばしば略字「[[画像:Japanese abbreviation kanji mon.png|17px]]」「{{拡張漢字|A|㐧}}」で書かれるのと同様である。また、個別に簡略をおこなったため、「[[しんにょう]]」を例とした部首の省略は「道」・「通」は簡略化されているが、「遜」・「逕」など画数が多い、あまり使われないような漢字は簡略化がなされていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 行草書の楷書化 ===&lt;br /&gt;
漢字の[[行書体]]及び[[草書体]]を活字体として[[楷書体]]化し、新字体にしたもの。圖→図、觀→観、晝→昼など。「門」の略字（[[画像:Japanese abbreviation kanji mon.png|17px]]）も書き順は違うが行書に由来する。[[中国大陸]]の簡体字では[[略字]]・「{{Lang|zh|门}}」を採用しているが、日本ではふつう活字においては使わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 字体の統一と使い分け ===&lt;br /&gt;
2通り以上の字体が使われていた漢字を統一したもの。「島」の字には「嶋」、「嶌」という字体もあったが「島」に統一された（「{{JIS2004フォント|㠀}}」は本字）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
手書きの形に合わせたものもある。「道」などの「しんにょう」は活字では点が2つ、筆記では1つで書かれていたため、1つに原則的に統一。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「青」は「月」の部分が活字では「円」、筆記では「月」と書かれていたため「月」に統一（「円」の場合は圓と書かれていたので、月と紛れてしまうことはない）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「葛」の字は{{JIS2004フォント|[[葛飾区]]}}における字体が「[[ファイル:Katsushika-Katsu.png|16px]]」（人葛）であるが、{{JIS90フォント|[[葛城市]]}}の字体は「[[ファイル:u845b.svg|17px]]」（ヒ葛）である。[[JIS X 0208|JIS漢字]]の例示字体は「[[ファイル:u845b.svg|17px]]」であるが、[[Microsoft Windows Vista]]において「[[ファイル:Katsushika-Katsu.png|16px]]」に変更されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「半」「尊」「平」などは「ソ」の部分が活字では逆の「ハ」となっていたが「ソ」に原則統一された。「絆」「鮃」などは現在も「ハ」の形のままであるが、筆記でこれにならう必要はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただし、これは徹底したものではなく、固有名詞ではある程度許容されている。「しんにょう」の「点の数」は人名など「司馬&amp;amp;#xf9c3;太郎」の「&amp;amp;#xf9c3;」や「{{JIS2004フォント|辻}}邦生」の「{{JIS2004フォント|辻}}」は二つ点である。また、「半」「平」が「ハ（{{lang|ko|半}}、{{lang|ko|平}}）」か「ソ（半、平）」かについても、「佐藤」や「加藤」の「藤」は「ハ藤（藤）」、「ソ藤（{{lang|ko|藤}}）」といって戸籍では区別されている（藤については草冠の「+&amp;amp;nbsp;+」形や月の点が斜めにうたれているケースもある）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、新字体導入後に旧字体を意図的に使用する例もある。[[大相撲]]の元[[横綱]][[曙太郎]]の[[四股名]]「曙」は、当初は旁の「署」に点がなかったが「『点』は『天』に通じ天下を取ってから点をつける」といい、大関に昇進と同時に「点のある『{{lang|ko|曙}}』」に改められた。[[眞子内親王]]の名前「眞子」は新字体では「真子」であるが、新字体による表記はマスコミなどではみられない。映像作家の[[手塚眞]]の本名は新字体で「真」であるが、旧字体の「眞」で活動している。その他、グループ名では[[氣志團]]、作品名では『[[活動寫眞の女]]』『[[東京魔人學園伝奇]]』『[[恋愛寫眞]]』『[[惡の華]]』『[[聲の形]]』などで旧字体が使用されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 音符の交換 ===&lt;br /&gt;
漢字の大半は[[形声|形声文字]]である（[[指事|指事文字]]や[[象形|象形文字]]、[[会意|会意文字]]など形声文字以外の漢字もあるが、全体の10%にも満たない）。形声文字には事物の類型を表す[[意符]]と発音を表す[[偏旁|音符]]がある。「青」、「清」、「晴」、「静」、「精」、「蜻」、「睛」がみなセイの音をもつのは音符が「青」であるためであり、「清」の場合、[[部首]]の「[[さんずい]]」が意味を、「青」が音を表している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
繁雑な音符をもつ漢字を、同じ音を持つ別の音符に置き換えてつくられた新字体がある。たとえば、「囲」はもともと「圍」であったが、「韋」も「井」も同じイと読む（ただし、「井」は訓）ため簡単な井に変更された。竊→窃、廳（廰）→庁、擔→担、證→証、釋→釈なども同様。なお、「魔」や「摩」を「广+マ」、「慶」・「應」を「广+K」・「广+O」、「藤」を「くさかんむり」にト、「機」を「木キ」と書く人がいるが{{要出典|date=2010年11月}}、それもこれを応用した略字といえよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 繁雑部位の削除 ===&lt;br /&gt;
漢字の一部分を削る。「応」は「應」と書いたが「イ隹」を削除、「芸」は「藝」であったが中間にある「{{JIS2004フォント|埶}}」部分を削除、「県」は「縣」から「系」を削除、「糸」は「絲」であったのをひとつにし、「虫」は「蟲」をひとつにした。だが、これにより、後述の通りもとあった別字と重複したり、本来の部首まで削られたがために部首が変更されたりした漢字も数多く存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 筆画の増加 ===&lt;br /&gt;
なかには筆画が増えたものがある。「歩」がそうであり、旧字では右下の点のない「{{JIS2004フォント|步}}」であった。このため、「{{JIS2004フォント|&amp;amp;#xfa6a;}}」や「{{JIS2004フォント|涉}}」といった字も「頻」、「渉」というように1画増やされている。「卑」「免」（四角の中から外へ線がつながるか否か）、「致」（旁が夊から攵に）、「雅」「緯」（「ヰ」の部分の左下をつなげるか否か）なども増加している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 部首の変更 ===&lt;br /&gt;
簡略化のために部首が変わった字もある。「闘」がそれであり、もともと、部首は「門（もんがまえ）」ではなく「鬥（とうがまえ）」で、もとの字体は「{{JIS2004フォント|鬭}}」である。この部首の文字には「鬨」や「鬩」などがある。現在、多くの辞書が「門」の部に「闘」を掲載している。&lt;br /&gt;
その他にも「單」（口部）が「単」に、「學」が「学」になった例などがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、「声」、「医」などは本来の部首を取り除いた（「声」は「聲」から「耳」、「医」は「醫」から「酉」がそれぞれ部首である）ため辞書での扱いが変わった。多くの辞書では、「声」は「士（[[士部|さむらい]]）」の部、「医」は「匸（[[匸部|かくしがまえ]]）」（「匚（[[匚部|はこがまえ]]）」と統合されていることもある）の部に掲載されている（が、旧字体の部首から「声」を「[[耳部]]」、「医」を「[[酉部]]」に分類する辞書も存在する）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 既存の字との衝突 ==&lt;br /&gt;
主に上記のように簡略化されているが、既にある別の字と重なってしまったものもある。&lt;br /&gt;
;藝と芸&lt;br /&gt;
:「藝」は新字体において「芸」になったが、もともと、「芸」（ウン）という漢字があったため、意味も音も異なる2つの字の形が一致してしまった。多くの場合、一致してしまう既存の漢字はほとんど使われない死字であり支障はない。しかし、芸の場合、奈良時代末期に[[石上宅嗣]]が設けた公開[[図書館]]の[[芸亭]]（うんてい）がある。[[日本史]]や[[図書館学]]の教科書などでは芸亭の芸のくさかんむり「{{JIS2004フォント|艹}}」を4画のくさかんむり「{{JIS2004フォント|&amp;amp;#xfa5e;}} (+&amp;amp;nbsp;+)」にして区別をすることが多い。ただし、本来、「芸」（ゲイ）と「芸」（ウン）の字体は全く同じである。なお、芸（ウン）は「書物の防虫に使用される薬草」を意味し、転じて中国では「文学、教養」を想起させる文字として人名などに使われる。簡体字では上述した音符の交換により、[[北京語]]で「藝」と同音の「乙」を使って「{{Lang|zh|艺}}」と略す。&lt;br /&gt;
;豫と予、餘と余&lt;br /&gt;
:「豫定」、「豫告」の「豫（あらかじめ）」は「予」と略され、「餘剰」、「餘分」の「餘（あまり）」は「余」と略された。しかし、「予」、「余」はどちらも「わたし」という一人称 &#039;&#039;*yu&#039;&#039;を表す文字である。&lt;br /&gt;
;蟲と虫&lt;br /&gt;
:本来、「虫」（キ）は爬虫類を、「蟲」（チュウ）は昆虫などの小さな虫を表す別の字であった。「蟲」を「虫」と略したため、虫の字は本来の意味と蟲の字の意味の両方を持っていることになる。&lt;br /&gt;
;絲と糸&lt;br /&gt;
:「[[糸部|糸]]」（ベキ）は細い糸を表し「絲」（シ）が糸全般を表す別の字であったが、「絲」を「糸」と略したため「糸」が糸全般を表すようになった。ただし、中国大陸の簡体字では「絲」は「{{zh|丝}}」であり「糸」でないため、中華料理の[[青椒肉絲]]は日本でも「絲」のままで書かれることが多い。&lt;br /&gt;
;豐と豊&lt;br /&gt;
:「豐」は「ゆたか」という意味であり、音は「ホウ」。「{{JIS2004フォント|丰}}」が音符となっている形声文字である（中国では「{{JIS2004フォント|丰}}」が「豐」の簡体字になっている）。「豊」は「れいぎ」という意味で音は「レイ」。「礼」の旧字体「禮」の旁になっている。「豐」が「豊」に変更されたため両者が衝突することになり、音が「レイ」かでそうでないかで区別する（後述する「體」も「タイ」の音は「豊」にちなむ転音である）。が、「豊」は単独の漢字で使用されることがほとんどないので問題はほとんど起こっていない。なお、「艶」の旧字体の偏は「豐」で音は「エン」であるが、「艶」は純粋な[[会意|会意文字]]なので、「エン」の音は「豐」にちなんでいない。&lt;br /&gt;
;缺と欠&lt;br /&gt;
:「缺乏」の「缺（ケツ）」は「欠」となったが、「欠」は「ケン」と読み、「あくび」の意味がある。なお、「欠」の字にももともと「かける」の字義がある。「[[欠缺]]（ケンケツ）」という[[法律用語]]は2字目の「缺」を新字体にしてしまうと「欠欠」となってしまう。また、当用漢字では「ケン」の音読みは採用されなかったため、厳密に当用漢字に従うと交ぜ書きで「けん欠」となってしまう。このため、法律用語では現在でも例外的に旧字体を使用して「欠缺」と書かれる。本文に新字体を採用している『[[広辞苑]]』、『[[大辞林]]』などの国語辞典でも、この語に限っては表記欄に「欠缺」の表記を採用している。&lt;br /&gt;
;罐と缶&lt;br /&gt;
:「[[缶部|缶]]」（フ）は「素焼きのかめ」を表す字で、「罐」（カン）が旁に「歡」（新字体は「歓」）の偏と同じ音符を持つ形声文字で、[[英語]]・canの音訳で「金属製の缶」を表す字であった。常用漢字に「缶」が追加されたときには、既に「缶」は本来の意味を失って「罐」の略字として用いられていたため、「缶」が採用されて「罐」が旧字体となった。ほかの旧字体に比べて比較的遅くまで「罐」が正式だったため、「[http://www.jsda.gr.jp/ ドラム缶工業会]」が[[1987年]]まで「ドラム&#039;&#039;&#039;罐&#039;&#039;&#039;工業会」の表記を採用していたほか、「[[やかん]]」は「薬缶」ではなく「薬罐」という表記でないと味気がないと考える人がいたりする。また、社名に「罐」のつく企業は[[東洋製罐]]、[[北海製罐]]、[[日本製罐]]ほか多数存在し、その多くが[[製缶]]業者である。&lt;br /&gt;
;體と体&lt;br /&gt;
:「體」は[[骨部|骨偏]]に属し、音は「タイ」、「肉体、からだ」を意味している。一方、「体」は[[人部|人偏]]を部首とし、音は「ホン」、「あらい、そまつな」という意味を持っている。つまり、もともとは「體」と「体」は全くの別字であった。だが、「体」が「體」の略字として古くから混用されていたため新字体に採用され、中国でも簡体字に入れられている。ちなみに、「体」を本来の音である「ホン」と読む熟語には「体夫」がある。これは「ホンプ」と読み、棺を担ぐ人足を意味している。&lt;br /&gt;
;旧と臼と舊&lt;br /&gt;
:現在、「旧」は「舊」（意味は「ふるい」）の新字体として用いられている。しかし、かつては、「旧」は「臼」（意味は「うすという道具」）の異体字であった。つまり、「臼」の異体字が別字の「舊」の新字体として用いられているのである。これは「舊」の音符に「臼」が用いられていることからきている（音はともに「キュウ」）。「旧」は「臼」の異体字であったが、時代が下るにつれ「舊」の略字として混用されるようになっていった。また、「稻」を「稲」、「兒」を「児」と書くように、「臼」の部分を「旧」に置き換えた漢字も多くみられるようになった。つまり、「旧」は、音は同じだが意味のまったく異なる2つの漢字の略字に用いられるようになっていったのである。結果、新字体採用に当たって「旧」を「舊」の新字体とすると同時に、字のなかの「臼」の部分を「旧」に置き換えた漢字もいくつか新字体に採用された（例字として「稲」「児」）。なお、中国では「旧」を「舊」の簡体字としているが、「旧」は「臼」の簡体字にはなっておらず、「臼」を略した簡体字は存在しない。大抵は「稻」のようにそのまま[[繁体字]]で用いられるが、「兒」を「儿」と略すように、日本の新字体と異なる簡体字になって用いられている漢字もある。&lt;br /&gt;
;亙と亘&lt;br /&gt;
:「亙」はコウ、わたる、「亘」はセン、のべるの音義をもっている。しかし、楷書では昔から「亙」を書きやすい「亘」に書いてきたため、両者は、現在、同一字種とされている。なお、この字種は常用漢字ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 拡張新字体 ==&lt;br /&gt;
{{main|拡張新字体}}&lt;br /&gt;
新字体は、本来、[[当用漢字]]ないし[[常用漢字]]のみに適用されるものであるから表外字（常用漢字でない漢字）では今も旧字体が正式である。たとえば、「擧」は「挙」に簡略化されたが、「欅」は同じ「擧」の部分を含んでいながらも常用漢字外であるため簡略化されない。しかし、[[JIS X 0208|JIS漢字]]では表外字も広く常用漢字にならって簡略化され、「﨔」という字体もある。また、『[[朝日新聞]]』は独自に表外字の簡略化を徹底した字体に作った時期があった（[[朝日文字]]を参照）。また、灘はさんずい以外の部分が難と同じように略されていたが、JIS X 0213ではくさかんむり状の部品が「廿」の形となったものへ改められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 批判 ==&lt;br /&gt;
中国文学者の[[高島俊男]]は、筆写字（手書き文字）は文章の中の文字であり文脈で読まれるものだから他の文字と類似してもかまわないが&amp;lt;ref&amp;gt;『漢字と日本人』 217-219頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;、印刷字は一つ一つが独立してその字でなければならず、印刷字を筆写字と同じようにした新字体は間違いだったと主張している&amp;lt;ref&amp;gt;『漢字と日本人』 216頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、高島は、印刷字を筆写字にあわせてしまったために、例えば、專は専、傳・轉は伝・転、團は団となってしまい、「專」の部分が持っていた「まるい」・「まるい運動」という共通義をもった家族（ワードファミリー）の縁が切れてしまったと指摘している&amp;lt;ref&amp;gt;『漢字と日本人』 219頁。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* {{Cite book|和書|author=高島俊男|title=[[漢字と日本人]]|origdate=2001-10-20|accessdate=2009-05-18|edition=第6版|date=2001-12-15|publisher=[[文藝春秋]]|series=[[文春新書]]|isbn=4166601989}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[簡体字]] - [[中華人民共和国]]での画一的な簡略化漢字&lt;br /&gt;
* [[新字形]] - 中華人民共和国での標準印刷字体&lt;br /&gt;
* [[拡張新字体]]&lt;br /&gt;
* [[日本における漢字]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しんしたい}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の漢字]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.237.196</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E6%B0%B4%E3%81%AE%E6%88%AF%E3%82%8C&amp;diff=81632</id>
		<title>水の戯れ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E6%B0%B4%E3%81%AE%E6%88%AF%E3%82%8C&amp;diff=81632"/>
		<updated>2014-08-05T10:47:15Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.237.196: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Portal クラシック音楽}}&lt;br /&gt;
『&#039;&#039;&#039;水の戯れ&#039;&#039;&#039;』（みずのたわむれ、{{lang-fr-short|&#039;&#039;Jeux d&#039;eau&#039;&#039;}}）は、フランスの作曲家[[モーリス・ラヴェル]]が[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]在学中の[[1901年]]に作曲した[[ピアノ]]曲。当時の作曲の師である[[ガブリエル・フォーレ]]&amp;lt;ref&amp;gt;ラヴェルは[[1898年]]からフォーレの作曲のクラスに在籍したが、音楽院のフーガのコンクールで入賞できなかったために[[1900年]]にクラスを除籍、その後[[1901年]]から聴講生として再びフォーレに師事していた。&amp;lt;/ref&amp;gt;に献呈された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 初演 ==&lt;br /&gt;
[[1902年]][[4月5日]]、サル・プレイエルで行われた[[国民音楽協会]]主催の[[リカルド・ビニェス]]のピアノ・リサイタルにおいて、『[[亡き王女のためのパヴァーヌ]]』とともに初演された&amp;lt;ref&amp;gt;アービー・オレンシュタイン、井上さつき訳『ラヴェル 生涯と作品』音楽之友社、2006年&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 曲の特徴 ==&lt;br /&gt;
[[ホ長調]]、4分の4拍子、八分音符＝144、きわめて優しく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ラヴェルは「テンポ、リズムも一定なのが望ましい」と述べており、楽譜の冒頭に、「水にくすぐられて笑う河神」という[[アンリ・ド・レニエ]]の詩&amp;lt;ref&amp;gt;「水の祭典」（詩集『水の都市』に収録）からの引用（オレンシュタイン、前掲書、198ページ）。&amp;lt;/ref&amp;gt;の一節を題辞として掲げている。曲の構成は[[ソナタ形式]]。また、七の和音、九の和音、並行和声が多用されており、初演当時としてはきわめて斬新な響きのする作品だったと思われる。そのためか、「不協和音に満ちた作品」という[[カミーユ・サン＝サーンス]]の酷評をも招いた。しかし、今日では「水の運動と様態を描いてこれほど見事な作品はあるまい」（[[三善晃]]）という評価もあるように、ラヴェルのピアニスティックで精巧な書法が本格的に開花した作品として、高い評価を得ている。また、ピアノ音楽における[[印象主義音楽|印象主義]]の幕開けを告げた作品として、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の[[版画 (ドビュッシー)|組曲『版画』]]（[[1903年]])に先んじていることも特筆すべきことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この曲は[[フランツ・リスト|リスト]]の『[[エステ荘の噴水]]』（&#039;&#039;Les Jeux d&#039;Eaux à la Villa d&#039;Este&#039;&#039;）から影響を受けていると言われるが、ラヴェルは、かねてよりピアノ音楽におけるリストの超絶技巧や、ショパンの詩情あふれる書法などに強く惹かれていたのであった。また、よく比較される作品に、同じく水を題材にしたピアノ曲、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の[[映像 (ドビュッシー)|『映像』第1集]]の第1曲「水に映る影」（または「水の反映」とも訳される）がある。ラヴェルの『水の戯れ』は、制御された噴水のような美しい水の動きを古典的なソナタ形式を用いて描いているのに対し、ドビュッシーの「水に映る影」は、水そのものよりも｢水に映った風物の輝き、ゆらめき」をより自由な形式で描いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、ラヴェルは他にも組曲『[[鏡 (ラヴェル)|鏡]]』（[[1905年]]）の第3曲「海原の小舟」、『[[夜のガスパール]]』（[[1908年]]）の第1曲「オンディーヌ（水の精）」など、水を題材にしたピアノ曲を残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 備考 ==&lt;br /&gt;
曲名の日本語訳『水の戯れ』は逐語訳であり、フランス語の原題 &#039;&#039;&amp;quot;Jeux d&#039;eau&amp;quot;&#039;&#039; は通常は噴水のことを指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*　{{IMSLP2|id=Jeux_d&#039;Eau_(Ravel%2C_Maurice)|cname=『水の戯れ』}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:みすのたわむれ}}&lt;br /&gt;
[[Category:ラヴェルのピアノ独奏曲]]&lt;br /&gt;
[[Category:1901年の楽曲]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.237.196</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC8%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88)&amp;diff=142103</id>
		<title>交響曲第8番 (シューベルト)</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC8%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88)&amp;diff=142103"/>
		<updated>2014-08-05T10:41:38Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.237.196: /* 解説 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{otheruses|「ザ・グレート」と呼ばれる交響曲|「未完成」と呼ばれる交響曲|交響曲第7番 (シューベルト)}}&lt;br /&gt;
{{Portal クラシック音楽}}&lt;br /&gt;
[[フランツ・シューベルト]]の&#039;&#039;&#039;交響曲第8番[[ハ長調]]&#039;&#039;&#039;は、[[1825年]]から[[1826年]]にかけて作曲された、4楽章からなる[[交響曲]]である&amp;lt;ref&amp;gt;[[w:Neue Schubert-Ausgabe|Neue Schubert-Ausgabe]]（新シューベルト版）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;lt;!-- http://www.schubert-ausgabe.de/index.php?article_id=8&amp;amp;clang=1&amp;amp;FORM[order]=titel&amp;amp;FORM[genre]=&amp;amp;FORM[genre2]=&amp;amp;FORM[seite]=100 tinyurl.com等でも表示させてくれないためコメントアウト--&amp;gt; [http://www.schubert-ausgabe.de/index.php?article_id=8&amp;amp;clang=0 Musikwissenschaftliches Institut, Neue Schubert-Ausgabe, Schubert-Datenbank]. 2013-04-03 閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。歌曲王にふさわしい魅力ある歌唱的旋律にあふれた大曲である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 解説 ==&lt;br /&gt;
=== 概要 ===&lt;br /&gt;
本記事で扱うシューベルトの交響曲は、古くより番号が様々に呼ばれ、20世紀初頭までは「未完のものを除いて7番目」なので&#039;&#039;&#039;第7番&#039;&#039;&#039;と呼ばれることが多かった。次いで、[[1951年]]に[[オットー・エーリヒ・ドイチュ]]がシューベルトの作品目録を作成し[[ドイッチュ番号]]を振って以降は、未完ながら演奏される2曲（D729のホ長調のもの、および、D759のロ短調の「[[未完成交響曲]]」）を含めて&#039;&#039;&#039;第9番&#039;&#039;&#039;と呼ばれるようになった。その後ドイチュの死後の1978年にヴァルター・デュル[[:de:Walther Dürr|Walther Dürr（独語版）]]、アルノルト・ファイル[[:de:Arnold Feil|Arnold Feil（独語版）]]らによってドイチュ番号の改定が行われ、自筆譜のままで演奏できるという意味で完成されていると認められる交響曲の8番目のものであることから&#039;&#039;&#039;第8番&#039;&#039;&#039;とし、[[テュービンゲン]]の「国際シューベルト協会」（Internationale Schubert-Gesellschaft e.V.）をはじめ多くの楽譜出版社がこれに従ったため、第8番とすることも多くなってきている。ただし、そういう場合でも混乱を招かないように、&#039;&#039;&#039;第8（9）番&#039;&#039;&#039;と紹介することも少なくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本記事の交響曲は「ザ・グレート」（[[英語|英]]：&#039;&#039;The Great&#039;&#039;、[[ドイツ語|独]]：&#039;&#039;Die große C-Dur&#039;&#039;）と通称されているが、この呼び名はシューベルトの交響曲のうちハ長調の作品に[[交響曲第6番 (シューベルト)|第6番]]と第8番の2曲があり、第6番の方が小規模であるため「小ハ長調」と呼ばれ、第8番が「&#039;&#039;&#039;大&#039;&#039;&#039;ハ長調」と呼ばれることに由来する。この「ザ・グレート」はイギリスの楽譜出版社によって付けられたものであるが、本来はそのように「大きい方（の交響曲）」といった程度の意味合いしか持たない。しかしそのスケールや楽想、規模は（本来意図したものではないにせよ、偉大と言うニュアンスでも）「ザ・グレート」の名に相応しく、現在ではこの曲の通称として定着している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
指示通りに演奏してもゆうに60分以上かかる大曲であり、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]は曲を[[ジャン・パウル]]の小説にたとえ、「すばらしい長さ （天国的な長さ）」&amp;lt;ref&amp;gt;himmlische Länge. [http://www.raptusassociation.org/shubshum_g.htm &#039;&#039;Robert Schumanns Artikel zu Schuberts C-Dur Symphonie&#039;&#039;] 参照。日本では「&#039;&#039;&#039;天国的な長さ&#039;&#039;&#039;」として紹介されていることが多いが、「天国 Himmel」の形容詞形 himmlisch は「素晴らしい」という賞賛の表現でもある（現代英語の heavenly にも同種の意味がある）。また、当時、婚約者であった[[クララ・シューマン|クララ]]に宛てた私信にもこの表現が使われている。両者の前後の文脈を見ても、字義通りに天国に喩えたと読むのは唐突で不自然であり、議論の余地がある。 &amp;lt;/ref&amp;gt;と賞賛している。[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の大規模交響曲と力強さとを受け継ぎ、彼独自のロマン性を加えて完成された作品となっており、後の[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]、[[20世紀]]の[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]]などの交響曲につながっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== シューマンによる再確認 ===&lt;br /&gt;
完成直後の[[1826年]]、シューベルトは同曲の楽譜を[[ウィーン楽友協会]]へ献辞を添えて提出したが、わずかな謝礼こそ得たものの、演奏困難との理由で演奏されることはなかった。[[1828年]]にも同協会に提出したが、同様に演奏されることはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この作品は、シューベルトの死後、[[1839年]]にシューマンが自筆譜を確認して世に知られるようになった。前年にシューベルトの墓を訪れていたシューマンは、同年1月1日にウィーンのシューベルト宅を訪れるまでは、シューベルトはあくまで歌曲や小規模な室内楽、ピアノ曲などを演奏する、気心知れた仲間内の演奏会「シューベルティアーデ」の作曲家という認識しか持っていなかった。彼の部屋を管理していた兄フェルディナントはシューベルトの死後そのままに仕事机を保管していた。シューマンは、その机の上にあった長大な交響曲を発見し、シューベルトを歌曲の作曲家と見ていた自らの認識を覆すその作品に驚愕した。シューマンはぜひこれを演奏したい、楽譜を[[ライプツィヒ]]の盟友[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]に送りたいとシューベルトの兄に懇願し、ようやく許可を取り付けてメンデルスゾーンのもとに楽譜が届けられたという。そしてメンデルスゾーン指揮[[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]演奏によって、この交響曲は初演された。ただしシューマンは初演には立ち会えず、翌年の再演でようやく聴くことが出来た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== グムンデン・ガスタイン交響曲 ===&lt;br /&gt;
この交響曲は、かつては直筆譜の日付から[[1828年]]の作曲と考えられてきた。しかし用紙のすかし模様が25年ごろに用いられていたものと一致すること、28が25の読み間違いの可能性があることなどの理由から、現在では1825年から26年にかけての作曲であると考えられている。その後、[[シュトゥットガルト]]でD849にあたるホ長調の交響曲の筆写譜が発見されて、[[ギュンター・ノイホルト]]指揮の[[シュトゥットガルト放送交響楽団]]による演奏の録音が[[南西ドイツ放送|南ドイツ放送]]でFM放送され、また出版もされた。この作品が「未完成」の後に書かれた交響曲であり、「ザ・グレート」はグムンデン・ガスタイン交響曲の脱稿直後に取りかかった作品となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== データ ==&lt;br /&gt;
*[[ドイッチュ番号]]：944&lt;br /&gt;
*作曲時期：[[1825年]]から[[1826年]]&lt;br /&gt;
*初演：[[1839年]][[3月21日]]、[[ライプツィヒ]]にて、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]指揮[[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]。（[[遺作]]）&lt;br /&gt;
*演奏時間：すべて楽譜どおり繰り返すとほぼ60分。すべての提示部の繰り返しなしで約50分。&lt;br /&gt;
*楽器編成[[フルート]] 2、[[オーボエ]] 2、[[クラリネット]] 2、[[ファゴット]] 2、[[ホルン]] 2、[[トランペット]] 2、[[トロンボーン]] 3、[[ティンパニ]] 1対、[[弦楽合奏|弦五部]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 構成 ==&lt;br /&gt;
=== 第1楽章 ===&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Andante. Allegro ma non troppo&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハ長調、2/2拍子、序奏付き[[ソナタ形式]]。ホルンの[[伴奏]]を伴う[[ユニゾン]]でおおらかに始まる。この開始部分はシューマンの[[交響曲第1番 (シューマン)|交響曲第1番「春」]]やメンデルスゾーンの[[交響曲第2番 (メンデルスゾーン)|交響曲第2番]]、ブラームスの[[ピアノ協奏曲第2番 (ブラームス)|ピアノ協奏曲第2番]]のモデルとなっている。この序奏部分が楽章全体を構成する主要なモチーフを提示している点に大きな特徴がある。第1主題は音の大きく動く[[音符|付点]]のリズムと3連符に特徴がある。第2主題が5度上の[[属調]]である[[ト長調]]ではなく、3度上の[[ホ短調]]で書かれているのも大きな特徴。変イ短調に始まるトロンボーンの旋律が第3主題とされることもあるが、動機としては序奏の旋律の断片である。リズミカルなモチーフを主体として主題が構成されている点には、尊敬してやまなかったベートーヴェンの特に[[交響曲第7番 (ベートーヴェン)|交響曲第7番]]と多くの共通点を持つ一方で、大胆な転調や和声進行にはシューベルトらしさが満ちあふれている。第662小節から最終685小節にかけて、序奏の主題が、音価を2倍に引き伸ばされた形で（結果として序奏と同じテンポに聞こえる）2度力強く再現され、楽章を終える。なお、この手法をシューベルトは[[交響曲第1番 (シューベルト)|交響曲第1番]]第1楽章ですでに用いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、初版においては拍子が4/4拍子に改竄されていた。現在では、本来の自筆譜通り（2/2）に戻されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第2楽章 ===&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Andante con moto&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[イ短調]]、2/4拍子、展開部を欠く[[ソナタ形式]]。ABABAの形式となっている緩徐楽章。主としてオーボエが主旋律を担当するAは、スタッカートが特徴のリズミカルな動機を主体とし、かつ3つの異なる旋律から構成され、ピアノとフォルテシモの頻繁な交代を特徴としている。Bは[[ヘ長調]]で書かれ([[交響曲第7番 (シューベルト)|7番]]第一楽章と同じ調性関係）、Aとは対照的に息の長いレガートを主体とした下降旋律を特徴とする。シューベルトの面目躍如たる美しい旋律。対旋律の美しさも特筆に価する。第148小節から12小節に渡るホルンと弦との対話はシューマンが絶賛した。再現部では、Bは[[主調]]の同主長調である[[イ長調]]で再現する。第330小節からの[[コーダ (音楽)|コーダ]]ではAが短縮された形で再現する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第3楽章 ===&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Scherzo. Allegro vivace&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハ長調、[[複合三部形式]]、3/4拍子の大掛かりな[[スケルツォ]]。ベートーヴェンのスケルツォよりはメヌエットの性格を残している。後の[[ブルックナー]]の後期作品を思わせるような息せき切るような主部の旋律と、シューベルトらしい旋律に溢れた雄大な中間部トリオ（[[イ長調]]）の対照が効果的である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 第4楽章 ===&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;Finale. Allegro vivace&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハ長調、2/4拍子、自由なソナタ形式。1,155小節にも及ぶ長大なフィナーレ。第1楽章同様[[音符|付点]]のリズムと3連符、そしてこの楽章ならではの[[オスティナート]]と強弱のコントラスト、激しい転調に特徴があり非常に急速で息を付かせない。ところどころ同じ和音が数小節にわたって続くところを如何に聞かせるかが、演奏者の腕の見せ所である。シューベルトは[[ピアノソナタ第18番 (シューベルト)|ピアノソナタ第18番]]以降、同音連打を積極的に導入しており、このフィナーレでも存分にこれが展開される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開幕の付点音符を素材とするハ長調の第1主題は非常に躍動的で、確保された後ト長調で抒情的な第2主題が木管によって朗々と歌われる。劇的な展開の後に[[変ホ長調]]でこの曲の真の展開部。クラリネットが奏する第1・2主題と全く異なる旋律はベートーヴェンの[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第9番]]の「[[歓喜の歌|歓喜の主題]]」が改変されて引用されており、ベートーヴェンに対するオマージュと考えられる。歓喜の歌も含めた展開、やや変型された再現部の後、コーダでは2つの主題と歓喜の歌が組み合わさって堂々たる終結を迎える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==演奏上の問題==&lt;br /&gt;
第1楽章においては、序奏がコーダで再現されるところで、両者のテンポ設定をどうするかが問題となる。原則としてモダン楽器で演奏されることの多かった時代は、「自筆譜の拍子及びメトロノームに忠実に基づいてテンポ設定をすると、コーダが速すぎて楽章全体のクライマックスを破壊しかねない」という意見が一般的であった。これは、オーケストラの規模やモダン楽器の音色の特性上、どうしても奇異に聞こえる可能性があったため、多くの録音ではテンポを徐々に落としたりANDANTEに戻している。しかし、ピリオド楽器でコーダをそのままの速さで演奏すると、これが気にならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして上述のとおり、終楽章の同じ和音の連続をどう処理するかが問題となる。シューベルトの多くの作品で見られることだが、自筆譜に書かれた[[演奏記号|記号]]（(＞)だが、[[強弱法#その音だけ強いことを表すもの|アクセント]]にしては異様に長く、デクレッシェンドにしては短い）はアクセントなのか[[強弱法#強弱の変化を表すもの|デクレッシェンド]]なのか判然としない書き方も見られる。「どちらでもない」演奏が一般的だが、時に極端な解釈も見られる。特に最後の小節に関しては、それまでの楽曲の流れを重視して強奏で終わることが通例となっている。ピリオド楽器で手がけても、終楽章で弦楽器に要求される[[テンポ|BPM]]は一秒間に12パルスを超えており、現代人にとっても簡単ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==参考文献==&lt;br /&gt;
*「【新音楽鑑賞法】名曲に何を聞くか〜音楽理解のための分析的アプローチ〜」[[田村和紀夫]]著、[[音楽の友社]]、2004年　ISBN 4276101433&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*{{IMSLP2|id=Symphony No.9, D.944 (Schubert, Franz)|cname=Symphony No. 9}} {{en icon}}&lt;br /&gt;
*[http://www.kanzaki.com/norrington/note-schubert.html ノリントンのシューベルト演奏ノート] {{ja icon}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{シューベルトの交響曲}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こうきようきよく8しゆへると}}&lt;br /&gt;
[[Category:シューベルトの交響曲|*08]]&lt;br /&gt;
[[Category:1820年代の音楽|こうきようきよく8しゆへると]]&lt;br /&gt;
[[Category:ハ長調]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.237.196</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E9%83%A1_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD)&amp;diff=134133</id>
		<title>郡 (アメリカ合衆国)</title>
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		<updated>2014-07-01T10:35:51Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.237.196: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[File:Map_of_USA_with_county_outlines.png|right|thumb|400px|アメリカ合衆国の郡境（細線）]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;郡&#039;&#039;&#039;（ぐん、[[英語]]: {{en|county}}、{{IPA-en|ˈkaunti}} &#039;&#039;&#039;カ&#039;&#039;&#039;ウンティ）は、[[アメリカ合衆国]]で[[アメリカ合衆国の州|州]]と[[基礎自治体]]の間にある地方[[行政区分]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 機能 ==&lt;br /&gt;
名目的な存在になった日本の[[郡]]と異なり、アメリカ合衆国では通常、郡長、郡役所、郡議会、郡警察（もしくは郡[[保安官]]事務所）などを備えた実体的な地方行政組織である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
郡は[[アメリカ合衆国の州|州]]の下位行政区分である。また通常は、1つ以上の都市、郡区や町、さらにそれ以外の自治単位を域内に含んでいるが、これには例外もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
郡が持っている行政能力は、州ごとに異なっている。[[コネティカット州]]や[[ロードアイランド州]]では郡は地図上の名目的な区分にすぎない。一方、[[ハワイ州]]の郡は下位の行政単位がなく、相当な権限をもっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 種類と数 ==&lt;br /&gt;
50州中、48州が郡 {{en|county}} を置いている。その合計は3006郡である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2州（[[ルイジアナ州]]と[[アラスカ州]]）には {{en|county}} がなく、48州のなかにも {{en|county}} がない地域がある。ただし、それらの地域には、[[アメリカ合衆国国勢調査局|国勢調査局]]により、郡と同等に扱われる {{interlang|en|county-equivalent}}（国勢調査局の正式な用語では {{en|statistically equivalent entities}}）が認められており、アメリカ合衆国全土がいずれかの county か {{en|county-equivalent}} に属すようになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2州には {{en|county}} はないが、実質的に同じ行政単位として[[ルイジアナ州]]には64の {{en|parish}}、[[アラスカ州]]の一部には18の {{en|borough}} がある。これらは {{en|county-equivalent}} であり、また、日本語では {{en|county}} と区別せず郡と訳す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを含めると、アメリカ合衆国には3088郡があり、平均すると州あたり62郡である。最も郡の少ない[[デラウェア州]]は3郡、最も多い[[テキサス州]]は254郡である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この他にも、郡とはあまり訳されない {{en|county-equivalent}} がある。&lt;br /&gt;
*42の[[独立市]]は（日本の市と同様）郡に属さず直接に州に属すので、単独で {{en|county-equivalent}} となる。42独立市の内訳は、[[メリーランド州]][[ボルチモア|ボルチモア市]]、[[ネバダ州]][[カーソンシティ]]、[[ミズーリ州]][[セントルイス]]の3市と、[[バージニア州]]の39市である。バージニア州では法律により、全ての市が独立市となる。なお、似た制度の[[市郡]] {{enlink|consolidated city-county|s=off}} は、市でもあり郡でもある自治体で、独立市のような {{en|county-equivalent}} ではなく正規の郡である。&amp;lt;!--アンカレジはconsolidated city-county (厳密には city-borough) で、独立市ではないです--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*[[ワシントンD.C.]]は、連邦政府直轄の特別区であり、どの州にも属していない。当初は州のように2郡 ({{en|county}}) と2独立市に分かれていたが、現在は1つの {{en|county-equivalent}} である。&lt;br /&gt;
*[[アラスカ州]]には、自治権を持つ郡 ({{en|borough}}) のいずれにも属さない、広大で不連続な[[非自治郡 (アラスカ州)|非自治郡]] {{interlang|en|Unorganized Borough, Alaska|Unorganized Borough}} がある。そこでは国勢調査局が設定した11の[[統計上の市域]] ({{interlang|en|census area}}) が {{en|county-equivalent}} となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これら全てを含むと、3142の郡と {{en|county-equivalent}} がある。&amp;lt;!--英語版では3140となっていますが、2007年と2008年にできたアラスカの新しい郡が数えられていないようです--&amp;gt;平均すると1州あたり63である（コロンビア特別区は除外して計算）。最多・最少の州は郡のみの場合と同じである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
郡 ({{en|county}}) の数は、1920年代に[[フロリダ州]]が12郡を新設して以来、ほとんど増減していない。その後の増減は主に {{en|county-equivalent}} の増減であり、中でもバージニア州の市の増減と、アラスカ州の制度の変更である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{en|county-equivalent}} は[[アメリカ合衆国の海外領土|海外領土]]にも存在し、本土同様に全領土をカバーする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 郡と市の関係 ==&lt;br /&gt;
一般的に郡は複数の市町村を域内に含んでいるが、いくつかの例外がある。合併を通して、市が郡と同じ大きさになることがある。しかし、その場合でも郡と市の両方の行政単位を維持している。[[フロリダ州]][[ジャクソンビル (フロリダ州)|ジャクソンビル]]は合併を繰り返した結果、4つの小さな市を除き、[[デュバル郡 (フロリダ州)|デュヴァル郡]]のほとんどを占めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7つの郡は市と行政を合併し、効率化を図っている。[[カリフォルニア州]][[サンフランシスコ]]や[[コロラド州]][[デンバー (コロラド州)|デンバー]]、[[ハワイ州]][[ホノルル]]がその例である。いくつかの州では市町村は、郡境界線の変更無しに隣接する別の郡の市町村と合併を行うことができるようになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
郡ごとの行政サービスや選挙は、同じ市内であっても別々に行われる。ミシガン州では、歴史上実行されたことはほとんどないが、市は郡境界線の変更を請願することができるようになっている。また、複数の郡にまたがる市が存在する。例えば[[ニューヨーク]]市は、[[ブロンクス郡]]、[[ニューヨーク郡]]、[[クイーンズ郡]]、[[キングス郡 (ニューヨーク州)|キングス郡]]、[[リッチモンド郡 (ニューヨーク州)|リッチモンド郡]]を内包している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 統計 ==&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国内で面積最大の郡は、アラスカ州[[ノーススロープ郡 (アラスカ州)|ノーススロープ郡]]の24万5435km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;（8万4763平方マイル）である。最小の郡はハワイ州[[カラワオ郡 (ハワイ州)|カラワオ郡]]であり、34km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;（13平方マイル）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{en|county-equivalent}} を含むと、アラスカ州[[ユコン＝コユクック]]の統計上の市域が38万2912km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;（38万2912平方マイル、水域含む）で最大である。最小はバージニア州[[フォールズチャーチ (バージニア州)|フォールズチャーチ]]であり、わずか5km&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;（2.0平方マイル）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人口が最も多い郡はカリフォルニア州[[ロサンゼルス郡 (カリフォルニア州)|ロサンゼルス郡]]であり、2000年の統計で951万9338人である。最少の郡はテキサス州[[ラヴィング郡]]であり、2000年で67人である。これらは {{en|county-equivalent}} を含めても最多・最少である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 州ごとの郡一覧 ==   &lt;br /&gt;
以下の一覧には {{en|county-equivalent}} を含む。&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;vertical-align: top;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
* [[アラバマ州の郡一覧|アラバマ州]]&lt;br /&gt;
* [[アラスカ州の郡一覧|アラスカ州]]&lt;br /&gt;
* [[アリゾナ州の郡一覧|アリゾナ州]]&lt;br /&gt;
* [[アーカンソー州の郡一覧|アーカンソー州]]&lt;br /&gt;
* [[カリフォルニア州の郡一覧|カリフォルニア州]]&lt;br /&gt;
* [[コロラド州の郡一覧|コロラド州]]&lt;br /&gt;
* [[コネティカット州の郡一覧|コネティカット州]]&lt;br /&gt;
* [[デラウェア州の郡一覧|デラウェア州]]&lt;br /&gt;
* [[フロリダ州の郡一覧|フロリダ州]]&lt;br /&gt;
* [[ジョージア州の郡一覧|ジョージア州]]&lt;br /&gt;
* [[ハワイ州の郡一覧|ハワイ州]]&lt;br /&gt;
* [[アイダホ州の郡一覧|アイダホ州]]&lt;br /&gt;
* [[イリノイ州の郡一覧|イリノイ州]]&lt;br /&gt;
* [[インディアナ州の郡一覧|インディアナ州]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;vertical-align: top;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
* [[アイオワ州の郡一覧|アイオワ州]]&lt;br /&gt;
* [[カンザス州の郡一覧|カンザス州]]&lt;br /&gt;
* [[ケンタッキー州の郡一覧|ケンタッキー州]]&lt;br /&gt;
* [[ルイジアナ州の郡一覧|ルイジアナ州]]&lt;br /&gt;
* [[メイン州の郡一覧|メイン州]]&lt;br /&gt;
* [[メリーランド州の郡一覧|メリーランド州]]&lt;br /&gt;
* [[マサチューセッツ州の郡一覧|マサチューセッツ州]] &lt;br /&gt;
* [[ミシガン州の郡一覧|ミシガン州]]&lt;br /&gt;
* [[ミネソタ州の郡一覧|ミネソタ州]]&lt;br /&gt;
* [[ミシシッピ州の郡一覧|ミシシッピ州]]&lt;br /&gt;
* [[ミズーリ州の郡一覧|ミズーリ州]]&lt;br /&gt;
* [[モンタナ州の郡一覧|モンタナ州]]&lt;br /&gt;
* [[ネブラスカ州の郡一覧|ネブラスカ州]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;vertical-align: top;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
* [[ネバダ州の郡一覧|ネバダ州]]&lt;br /&gt;
* [[ニューハンプシャー州の郡一覧|ニューハンプシャー州]]&lt;br /&gt;
* [[ニュージャージー州の郡一覧|ニュージャージー州]]&lt;br /&gt;
* [[ニューメキシコ州の郡一覧|ニューメキシコ州]]&lt;br /&gt;
* [[ニューヨーク州の郡一覧|ニューヨーク州]]&lt;br /&gt;
* [[ノースカロライナ州の郡一覧|ノースカロライナ州]]&lt;br /&gt;
* [[ノースダコタ州の郡一覧|ノースダコタ州]]&lt;br /&gt;
* [[オハイオ州の郡一覧|オハイオ州]]&lt;br /&gt;
* [[オクラホマ州の郡一覧|オクラホマ州]]&lt;br /&gt;
* [[オレゴン州の郡一覧|オレゴン州]]&lt;br /&gt;
* [[ペンシルベニア州の郡一覧|ペンシルベニア州]]&lt;br /&gt;
* [[ロードアイランド州の郡一覧|ロードアイランド州]]&lt;br /&gt;
* [[サウスカロライナ州の郡一覧|サウスカロライナ州]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;vertical-align: top;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
* [[サウスダコタ州の郡一覧|サウスダコタ州]]&lt;br /&gt;
* [[テネシー州の郡一覧|テネシー州]]&lt;br /&gt;
* [[テキサス州の郡一覧|テキサス州]]&lt;br /&gt;
* [[ユタ州の郡一覧|ユタ州]]&lt;br /&gt;
* [[バーモント州の郡一覧|バーモント州]]&lt;br /&gt;
* [[バージニア州の郡一覧|バージニア州]]&lt;br /&gt;
* [[ワシントン州の郡一覧|ワシントン州]]&lt;br /&gt;
* [[ウェストバージニア州の郡一覧|ウェストバージニア州]]&lt;br /&gt;
* [[ウィスコンシン州の郡一覧|ウイスコンシン州]]&lt;br /&gt;
* [[ワイオミング州の郡一覧|ワイオミング州]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==州ごとの郡の数==&lt;br /&gt;
[[アメリカ合衆国南部|アメリカ南部]]や[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]は多くの郡を州内に抱えており、逆に[[アメリカ合衆国西部|西部]]は州の面積の割には郡の数が少ない傾向にある。[[ニューイングランド]]諸州や[[ニュージャージー州]]、[[メリーランド州]]、[[デラウェア州]]は、州の面積が小さいため、郡の数が少ない。下の数は、郡と同等の行政区画の数も含んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{| style=&amp;quot;vertical-align: top;&amp;quot;&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;vertical-align: top;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
* 254 - [[テキサス州]]&lt;br /&gt;
* 159 - [[ジョージア州]]&lt;br /&gt;
* 134 - [[バージニア州]]&lt;br /&gt;
* 120 - [[ケンタッキー州]]&lt;br /&gt;
* 115 - [[ミズーリ州]]&lt;br /&gt;
* 105 - [[カンザス州]]&lt;br /&gt;
* 102 - [[イリノイ州]]&lt;br /&gt;
* 100 - [[ノースカロライナ州]]&lt;br /&gt;
* 99 - [[アイオワ州]]&lt;br /&gt;
* 95 - [[テネシー州]]&lt;br /&gt;
* 93 - [[ネブラスカ州]]&lt;br /&gt;
* 92 - [[インディアナ州]]&lt;br /&gt;
* 88 - [[オハイオ州]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;vertical-align: top;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
* 87 - [[ミネソタ州]]&lt;br /&gt;
* 83 - [[ミシガン州]]&lt;br /&gt;
* 82 - [[ミシシッピ州]]&lt;br /&gt;
* 77 - [[オクラホマ州]]&lt;br /&gt;
* 75 - [[アーカンソー州]]&lt;br /&gt;
* 72 - [[ウィスコンシン州]]&lt;br /&gt;
* 67 - [[ペンシルベニア州]]&lt;br /&gt;
* 67 - [[フロリダ州]]&lt;br /&gt;
* 67 - [[アラバマ州]]&lt;br /&gt;
* 66 - [[サウスダコタ州]]&lt;br /&gt;
* 64 - [[ルイジアナ州]]&lt;br /&gt;
* 64 - [[コロラド州]]&lt;br /&gt;
* 62 - [[ニューヨーク州]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;vertical-align: top;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
* 58 - [[カリフォルニア州]]&lt;br /&gt;
* 56 - [[モンタナ州]]&lt;br /&gt;
* 55 - [[ウェストバージニア州]]&lt;br /&gt;
* 53 - [[ノースダコタ州]]&lt;br /&gt;
* 46 - [[サウスダコタ州]]&lt;br /&gt;
* 44 - [[アイダホ州]]&lt;br /&gt;
* 39 - [[ワシントン州]]&lt;br /&gt;
* 36 - [[オレゴン州]]&lt;br /&gt;
* 33 - [[ニューメキシコ州]]&lt;br /&gt;
* 29 - [[ユタ州]]&lt;br /&gt;
* 29 - [[アラスカ州]]&amp;lt;!--英語版では27となっていますが、2007年と2008年にできた新しい郡が数えられていないようです--&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 24 - [[メリーランド州]]&lt;br /&gt;
* 23 - [[ワイオミング州]]&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;vertical-align: top;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
* 21 - [[ニュージャージー州]]&lt;br /&gt;
* 17 - [[ネバダ州]]&lt;br /&gt;
* 16 - [[メイン州]]&lt;br /&gt;
* 15 - [[アリゾナ州]]&lt;br /&gt;
* 14 - [[バーモント州]]&lt;br /&gt;
* 14 - [[マサチューセッツ州]]&lt;br /&gt;
* 10 - [[ニューハンプシャー州]]&lt;br /&gt;
*  8 - [[コネティカット州]]&lt;br /&gt;
*  5 - [[ハワイ州]]&lt;br /&gt;
*  5 - [[ロードアイランド州]]&lt;br /&gt;
*  3 - [[デラウェア州]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[非法人地域]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[http://www.census.gov/geo/www/GARM/Ch4GARM.pdf States, Counties, and Statistically Equivalent Entities] 国勢調査局&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アメリカ合衆国}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の郡|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:アメリカ合衆国の地方区分|*くん]]&lt;br /&gt;
[[Category:カウンティ|あめりかのくん]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.237.196</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC&amp;diff=81232</id>
		<title>キャサリン・パー</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC&amp;diff=81232"/>
		<updated>2014-05-14T10:18:54Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.237.196: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{基礎情報 皇族・貴族&lt;br /&gt;
|人名=キャサリン・パー&lt;br /&gt;
|各国語表記={{lang|en|Catharine Parr}}&lt;br /&gt;
|家名・爵位=パー家&lt;br /&gt;
|画像=Catherine Parr from NPG.jpg&lt;br /&gt;
|画像サイズ=&lt;br /&gt;
|画像説明=&lt;br /&gt;
|続柄=&lt;br /&gt;
|称号=[[イングランド王国|イングランド]]王妃&lt;br /&gt;
|全名=&lt;br /&gt;
|身位=&lt;br /&gt;
|敬称=&lt;br /&gt;
|出生日=[[1512年]]&lt;br /&gt;
|生地={{ENG927}}、[[カンブリア (イングランド)|カンブリア]]、ケンダル城&lt;br /&gt;
|死亡日=[[1548年]][[9月5日]]&lt;br /&gt;
|没地={{ENG927}}、[[グロスターシャー]]、シュードリー城&lt;br /&gt;
|埋葬日={{ENG927}}、グロスターシャー、シュードリー城内聖メアリー礼拝堂&lt;br /&gt;
|埋葬地=&lt;br /&gt;
|配偶者1=エドワード・ボロー&lt;br /&gt;
|配偶者2=ジョン・ネヴィル&lt;br /&gt;
|配偶者3=[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]&lt;br /&gt;
|配偶者4=[[トマス・シーモア]]&lt;br /&gt;
|子女=メアリー・シーモア&lt;br /&gt;
|父親=トマス・パー&lt;br /&gt;
|母親=モード・グリーン&lt;br /&gt;
|役職=&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;キャサリン・パー&#039;&#039;&#039;（{{lang-en|Katharine / Catharine Parr}}, [[1512年]] - [[1548年]][[9月7日]]）は、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の6人目かつ最後の王妃（[[1543年]]結婚、[[1547年]]死別）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==生涯==&lt;br /&gt;
16歳で最初の結婚、21歳で2度目の結婚をしたものの、いずれの夫も病死している。2人目の夫ジョン・ネヴィルの死後、王の3人目の妃[[ジェーン・シーモア]]の次兄[[トマス・シーモア|トマス]]と交際を始めたが、51歳のヘンリー8世に見初められ、トマスは公務で海外に送られてしまい、結局1543年に31歳で王と結婚した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キャサリンは、当時[[私生児]]の身分に落とされていたメアリー（後の[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]）とエリザベス（後の[[エリザベス1世]]）の姉妹を王女の地位に戻すことを王に嘆願して、許された。少年時代から[[デジデリウス・エラスムス|エラスムス]]と文通するほどの教養の持ち主だったヘンリーと対等に学術談義ができるだけの知性をキャサリンは持ち、特に[[神学]]についての造詣が深かった。まだ幼いエドワード（後の[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]）とエリザベスの養育を任されたため、彼らへの教育環境を整えてやったほか、音楽などの芸術についての関心も導き出していた。王の子女たちも優しい継母を敬愛しており、メアリーも[[プロテスタント]]の義母を深く慕っていたといい、エリザベスがキャサリンを「大好きなお母様」と呼んでいる手紙も残っている。子女たちが王族としての深い教養を身に着けけられたのも、聡明な王妃が勉学環境に心を砕いていた賜物であるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
晩年の王は肥満であった他、怪我が元でできた脚の[[腫瘍]]とひどい頭痛に苦しんで寝込むことが多く、激昂すると手の付けられない状態であった。しかし、キャサリンは王の看護にも熱心であったため王の信頼を獲得し、[[1544年]]に王が[[フランス王国|フランス]]遠征をした3ヶ月間、君主代理を任されるほどであった。また、イングランド女王・王妃として初めて著書を上梓したのもキャサリン・パーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[宗教改革]]により[[カトリック教会]]と[[イングランド国教会]]の対立が止まない時代、キャサリンの身にも危険が及んだことが1度だけある。キャサリンが神学への興味から[[マルティン・ルター]]による[[福音主義]]の教義を勉強していたことから、カトリック司祭らの怒りを買い、キャサリンが[[異端]]者であるという報告が王にもたらされた。「貴族の女性が聖書を読む際は一人で読むこと。また聖書について討論してはならない」という法律が策定され、何とか危機を回避したかに見えたが、[[1546年]]に異端の追求が厳しくなった。宮廷に出入りしていた[[アン・アスキュー]]という女性が逮捕され、拷問にかけられて同志の名前を明かすよう迫られたものの、結局彼女は王妃との関係について何も述べないまま[[火刑]]に処せられた。それでもなお[[枢密院 (イギリス)|枢密院]]の調査が進み、王妃逮捕も近いと思われたが、キャサリンはすでに証拠となりうる書物を処分しており、王に対して自らの信仰の潔白を説いていた。実際、捕吏が夫妻の元へ赴いていたが、ヘンリーがそれを追い払ってキャサリンは救われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1547年]][[1月28日]]、ヘンリー8世が55歳で崩御した。キャサリンは周囲の動揺と反対を押し切るように、5月にはかつての恋人、海軍司令長官[[トマス・シーモア]]と再婚し、11月に妊娠がわかった。トマスの兄[[エドワード・シーモア (初代サマセット公)|エドワード・シーモア]]がエドワード6世の摂政となって宮廷に残り、エリザベスはキャサリンとトマスの元に引き取られた。ところが野心家のトマス・シーモアは、キャサリンの妊娠中に王女エリザベスの寝室に出入りしているところを見られ、結局エリザベスはシーモア家から出ざるを得なくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1548年]]8月30日に女児が誕生し、メアリーと名づけられた。しかしキャサリンは産褥感染症にかかり、[[9月5日]]に世を去った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
{{Commons|Catherine Parr}}&lt;br /&gt;
*http://englishhistory.net/tudor/monarchs/parr.html&lt;br /&gt;
*http://tudorhistory.org/parr/gallery.html&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:はあ きやさりん}}&lt;br /&gt;
[[Category:ヘンリー8世の王妃|きやさりん はあ]]&lt;br /&gt;
[[Category:イングランドの摂政|きやさりん はあ]]&lt;br /&gt;
[[Category:女性摂政]]&lt;br /&gt;
[[Category:1512年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1548年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Link FA|sv}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.237.196</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E5%AE%B6&amp;diff=48498</id>
		<title>サヴォイア家</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E5%AE%B6&amp;diff=48498"/>
		<updated>2014-04-19T13:25:25Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.237.196: /* イタリア王家 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[ファイル:Lesser_coat_of_arms_of_the_Kingdom_of_Italy_(1890).svg|thumb|200px|サヴォイア家の紋章]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;サヴォイア家&#039;&#039;&#039;（{{lang-it-short|Casa di &#039;&#039;&#039;Savoia&#039;&#039;&#039;}} &amp;lt;small&amp;gt;カーサ・ディ・サヴォイアもしくはサヴォイヤ&amp;lt;/small&amp;gt;）は、かつて[[イタリア]]の[[ピエモンテ]]と[[フランス]]及び[[フランス語圏]][[スイス]]にまたがる[[サヴォワ]]一帯を支配していた[[辺境伯]][[貴族]]であった家系。[[1713年]]、[[スペイン継承戦争]]の結果[[シチリア王国]]の王位を獲得、[[1720年]]に[[ハプスブルク家]]と[[シチリア島]]、[[サルデーニャ島]]の交換を行い、[[サルデーニャ王国]]の王位を代わりに得た。[[イタリア統一]]運動時に核となり、統一後は[[イタリア王国]]の王家となった。[[フランス語]]名から&#039;&#039;&#039;サヴォワ家&#039;&#039;&#039;（Maison de &#039;&#039;&#039;Savoie&#039;&#039;&#039; &amp;lt;small&amp;gt;サヴワ&amp;lt;/small&amp;gt;）と呼ばれることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[サヴォイア伯国|サヴォイア伯]][[ウンベルト1世 (サヴォイア伯)|ウンベルト1世]]から始まるサヴォイア本家の他、[[サヴォイア公国|サヴォイア公]][[ヴィットーリオ・アメデーオ1世]]の弟[[トンマーゾ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア|トンマーゾ・フランチェスコ]]を祖とする[[サヴォイア＝カリニャーノ家]]などが分家として成立した。 1831年にサヴォイア本家の男系子孫が途絶えるとサヴォイア＝カリニャーノ家が全ての爵位を継承、勢力を発展させて[[イタリア王国]]を成立させた。王家となって以後のサヴォイア＝カリニャーノ家の分家には、初代[[イタリア王]][[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]]の弟[[フェルディナンド・アルベルト・アメデーオ・ディ・サヴォイア|フェルディナンド]]を始祖とする[[サヴォイア＝ジェノヴァ家]]、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の次男でスペイン王位にも就いたアオスタ公[[アマデオ1世 (スペイン王)|アメデーオ]]に始まる[[サヴォイア＝アオスタ家]]がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次世界大戦後の1946年6月、[[1946年王政廃止に関するイタリアの国民投票|王制の是非を問う国民投票]]により王制廃止が決定して共和制となると、一族は国外退去を余儀なくされた。帰国さえも[[イタリア共和国憲法|イタリア憲法]]により[[2002年]]まで禁じられていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年時点で、ウンベルト2世の子たち（長男[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア|ヴィットーリオ・エマヌエーレ]]、旧[[ユーゴスラビア王国|ユーゴスラビア]]王族と結婚した長女マリーア・ピア、次女マリーア・ガブリエラ、三女マリーア・ベアトリーチェ）などが健在である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サヴォイア家は欧州でも屈指の名家であり、権威ある貴族の一族だった。家祖[[ウンベルト1世 (サヴォイア伯)|ウンベルト1世ビアンカマーノ]]は[[ラテン民族]]と[[ケルト民族]]からなる[[北イタリア]]の血筋に加え、[[オック人]]や[[サクソン人]]の大貴族とも縁戚にあった。特に後者に関しては[[フランク族]]の[[カール大帝]]に敗れた英雄[[ウィドゥキント]]の血も引いていると言われ、[[ザクセン朝]]からの庇護を受けるきっかけともなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[13世紀]]の[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]は、王妃[[エリナー・オブ・プロヴァンス]]の母方の縁戚であるサヴォイア伯トンマーゾ1世の息子たちを重用し、彼らに[[リッチモンド伯]]の爵位や[[カンタベリー大司教]]の位を与えている。サヴォイ宮殿{{enlink|Savoy Palace}}はリッチモンド伯ピーター（のちのサヴォイア伯[[ピエトロ2世・ディ・サヴォイア|ピエトロ2世]]）によって建てられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== サヴォイア家の君主 ==&lt;br /&gt;
=== イタリア・フランス・その他西欧 ===&lt;br /&gt;
*[[サヴォイア伯国|サヴォイア伯]]&lt;br /&gt;
**[[ウンベルト1世 (サヴォイア伯)|ウンベルト1世ビアンカマーノ]]&lt;br /&gt;
**[[アメデーオ1世・ディ・サヴォイア|アメデーオ1世コーダ]]&lt;br /&gt;
**[[オッドーネ・ディ・サヴォイア|オッドーネ]]&lt;br /&gt;
**[[ピエトロ1世・ディ・サヴォイア|ピエトロ1世]]&lt;br /&gt;
**[[アメデーオ2世・ディ・サヴォイア|アメデーオ2世]]&lt;br /&gt;
**[[ウンベルト2世・ディ・サヴォイア|ウンベルト2世]]&lt;br /&gt;
**[[アメデーオ3世・ディ・サヴォイア|アメデーオ3世]]&lt;br /&gt;
**[[ウンベルト3世・ディ・サヴォイア|ウンベルト3世]]&lt;br /&gt;
**[[トンマーゾ1世・ディ・サヴォイア|トンマーゾ1世]]&lt;br /&gt;
**[[アメデーオ4世・ディ・サヴォイア|アメデーオ4世]]&lt;br /&gt;
**[[ボニファーチオ・ディ・サヴォイア|ボニファーチオ]]&lt;br /&gt;
**[[トンマーゾ2世・ディ・サヴォイア|トンマーゾ2世]]&lt;br /&gt;
**[[ピエトロ2世・ディ・サヴォイア|ピエトロ2世]]&lt;br /&gt;
**[[フィリッポ1世・ディ・サヴォイア|フィリッポ1世]]&lt;br /&gt;
**[[アメデーオ5世・ディ・サヴォイア|アメデーオ5世]]&lt;br /&gt;
**[[エドアルド・ディ・サヴォイア|エドアルド]]&lt;br /&gt;
**[[アイモーネ・ディ・サヴォイア|アイモーネ]]&lt;br /&gt;
**[[アメデーオ6世・ディ・サヴォイア|アメデーオ6世]]&lt;br /&gt;
**[[アメデーオ7世・ディ・サヴォイア|アメデーオ7世]]&lt;br /&gt;
**[[フェリクス5世_(対立教皇)|アメデーオ8世]]&lt;br /&gt;
*[[サヴォイア公国|サヴォイア公]]&lt;br /&gt;
**[[フェリクス5世_(対立教皇)|アメデーオ8世]]&lt;br /&gt;
**[[ルドヴィーコ・ディ・サヴォイア|ルドヴィーコ]]&lt;br /&gt;
**[[アメデーオ9世・ディ・サヴォイア|アメデーオ9世]]&lt;br /&gt;
**[[フィリベルト1世・ディ・サヴォイア|フィリベルト1世]]&lt;br /&gt;
**[[カルロ1世・ディ・サヴォイア|カルロ1世]]&lt;br /&gt;
**[[カルロ・ジョヴァンニ・アメデーオ・ディ・サヴォイア|カルロ・ジョヴァンニ・アメデーオ]]（カルロ2世）&lt;br /&gt;
**[[フィリッポ2世・ディ・サヴォイア|フィリッポ2世]]&lt;br /&gt;
**[[フィリベルト2世・ディ・サヴォイア|フィリベルト2世]]&lt;br /&gt;
**[[カルロ3世・ディ・サヴォイア|カルロ3世]]&lt;br /&gt;
**[[エマヌエーレ・フィリベルト (サヴォイア公)|エマヌエーレ・フィリベルト]]&lt;br /&gt;
**[[カルロ・エマヌエーレ1世]]&lt;br /&gt;
**[[ヴィットーリオ・アメデーオ1世]]&lt;br /&gt;
**[[フランチェスコ・ジャチント・ディ・サヴォイア|フランチェスコ・ジャチント]]&lt;br /&gt;
**[[カルロ・エマヌエーレ2世]]&lt;br /&gt;
**[[ヴィットーリオ・アメデーオ2世]]&lt;br /&gt;
*[[サルデーニャ王国|サルデーニャ王]]（サヴォイア公を兼ねた）&lt;br /&gt;
**[[ヴィットーリオ・アメデーオ2世]]&lt;br /&gt;
**[[カルロ・エマヌエーレ3世]]&lt;br /&gt;
**[[ヴィットーリオ・アメデーオ3世]]&lt;br /&gt;
**[[カルロ・エマヌエーレ4世]]&lt;br /&gt;
**[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世]]&lt;br /&gt;
**[[カルロ・フェリーチェ・ディ・サヴォイア|カルロ・フェリーチェ]]&lt;br /&gt;
**[[カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア|カルロ・アルベルト]]&lt;br /&gt;
**[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]]&lt;br /&gt;
*[[イタリア王国|イタリア王]]&lt;br /&gt;
**ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世&lt;br /&gt;
**[[ウンベルト1世]]&lt;br /&gt;
**[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]]&lt;br /&gt;
**[[ウンベルト2世]]&lt;br /&gt;
*[[対立教皇]]&lt;br /&gt;
**[[フェリクス5世_(対立教皇)|フェリクス5世]]（アメデーオ8世）&lt;br /&gt;
*[[ブルゴーニュ伯]]&lt;br /&gt;
**[[フィリッポ1世・ディ・サヴォイア|フィリップ]]（フィリッポ1世・ディ・サヴォイア）&lt;br /&gt;
*[[フランドル伯]]&lt;br /&gt;
**[[トンマーゾ2世・ディ・サヴォイア|トマ]]（トンマーゾ2世・ディ・サヴォイア）&lt;br /&gt;
*[[スペイン|スペイン王]]&lt;br /&gt;
**[[アマデオ1世 (スペイン王)|アマデオ1世]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== バルカン ===&lt;br /&gt;
*[[アカイア公国|アカイア公]]&lt;br /&gt;
**[[フィリッポ1世・ディ・サヴォイア＝アカイア|フィリッポ1世]]&lt;br /&gt;
*[[アルバニア王国|アルバニア王]]&lt;br /&gt;
**[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]]&lt;br /&gt;
*[[クロアチア独立国|クロアチア王]]&lt;br /&gt;
**[[トミスラヴ2世]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
*[[ジャコバイト王位継承者の一覧|ジャコバイトの王]]&lt;br /&gt;
**[[カルロ・エマヌエーレ4世|チャールズ4世]]（カルロ・エマヌエーレ4世）&lt;br /&gt;
**[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世|ヴィクター1世]]（ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世）&lt;br /&gt;
**[[マリーア・ベアトリーチェ・ディ・サヴォイア|メアリー3世/2世]]（マリーア・ベアトリーチェ・ディ・サヴォイア）&lt;br /&gt;
*[[エチオピア帝国|エチオピア皇帝]]&lt;br /&gt;
**[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 系図 ==&lt;br /&gt;
=== サヴォイア伯 ===&lt;br /&gt;
主要な分家についても併せて記載する。&lt;br /&gt;
* ピエモンテ領主の家系 - サヴォイア＝ピエモンテ家（アメデーオ5世はこの家系出身）&lt;br /&gt;
* [[アカイア公国|アカイア公]]（1代限りでその後は名目のみ）の家系 - サヴォイア＝アカイア家&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{familytree/start|style=font-size:80%;}}&lt;br /&gt;
{{familytree | UB1 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |UB1=[[ウンベルト1世 (サヴォイア伯)|ウンベルト1世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |)|-|-|-|.| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | AM1 | | ODO | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |AM1=[[アメデーオ1世・ディ・サヴォイア|アメデーオ1世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯|ODO=[[オッドーネ・ディ・サヴォイア|オッドーネ]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | |)|-|-|-|.| | | | | | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | PT1 | | AM2 | | | | | | | | | | | | | | | | |PT1=[[ピエトロ1世・ディ・サヴォイア|ピエトロ1世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯|AM2=[[アメデーオ2世・ディ・サヴォイア|アメデーオ2世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | |!| | | | | | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | UB2 | | | | | | | | | | | | | | | | |UB2=[[:en:Humbert II, Count of Savoy|ウンベルト2世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | |)|-|-|-|.| | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | AM3 | | ADL | | | | | | | | | | | | |AM3=[[アメデーオ3世・ディ・サヴォイア|アメデーオ3世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯|ADL=[[アデル・ド・サヴォワ|アデル]]&amp;lt;br&amp;gt;フランス王妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | |)|-|-|-|.| | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | UB3 | | MFL | | | | | | | | | | | | |UB3=[[:en:Humbert III, Count of Savoy|ウンベルト3世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯|MFL=[[マファルダ・デ・サボイア (ポルトガル王妃)|マファルダ]]&amp;lt;br&amp;gt;ポルトガル王妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | |!| | | | | | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | TM1 | | | | | | | | | | | | | | | | |TM1=[[:en:Thomas I, Count of Savoy|トンマーゾ1世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |,|-|-|-|-|-|-|-|+|-|-|-|v|-|-|-|v|-|-|-|v|-|-|-|.| | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | AM4 | | | | | | T2P | | PT2 | | FL1 | | BNF | | BTR |AM4=[[:en:Amadeus IV, Count of Savoy|アメデーオ4世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯|T2P=[[:en:Thomas II of Piedmont|トンマーゾ2世]]&amp;lt;br&amp;gt;摂政&amp;lt;br&amp;gt;ピエモンテ領主&amp;lt;br&amp;gt;フランドル伯|PT2=[[:en:Peter II, Count of Savoy|ピエトロ2世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯&amp;lt;br&amp;gt;[[リッチモンド伯]]|FL1=[[:en:Philip I, Count of Savoy|フィリッポ1世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯&amp;lt;br&amp;gt;[[ブルゴーニュ伯]]&amp;lt;br&amp;gt;リヨン大司教|BNF=[[:en:Boniface of Savoy (bishop)|ボニファス]]&amp;lt;br&amp;gt;[[カンタベリー大司教]]|BTR=[[:en:Beatrice of Savoy|ベアトリス]]&amp;lt;br&amp;gt;プロヴァンス伯妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |)|-|-|-|.| | | |)|-|-|-|.| | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | BNF | | BTR | | T3P | | AM5 | | | | | | | | | | | | |BNF=[[:en:Boniface, Count of Savoy|ボニファーチオ]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯|T3P=[[:en:Thomas III of Piedmont|トンマーゾ3世]]&amp;lt;br&amp;gt;ピエモンテ領主|AM5=[[:en:Amadeus V, Count of Savoy|アメデーオ5世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯|BTR=[[:en:Beatrice of Savoy, Marchioness of Saluzzo|ベアトリーチェ]]&amp;lt;br&amp;gt;シチリア王妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | |!| | | |)|-|-|-|.| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | F1P | | EDO | | AIM | | | | | | | | |F1P=[[:en:Philip I of Piedmont|フィリッポ1世]]&amp;lt;br&amp;gt;ピエモンテ領主&amp;lt;br&amp;gt;アカイア公|EDO=[[:en:Edward, Count of Savoy|エドアルド]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯|AIM=[[アイモーネ・ディ・サヴォイア|アイモーネ]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | |!| | | | | | | |!| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | GCP | | | | | | AM6 | | | | | | | | |GCP=[[:en:James of Piedmont|ジャコモ]]&amp;lt;br&amp;gt;ピエモンテ領主|AM6=[[:en:Amadeus VI, Count of Savoy|アメデーオ6世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |,|-|-|-|v|-|-|-|(| | | | | | | |!| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | F2P | | AMP | | LGP |7| | | | | AM7 | | | | | | | | |F2P=[[:en:Philip II of Piedmont|フィリッポ2世]]&amp;lt;br&amp;gt;ピエモンテ領主|AMP=[[:en:Amadeo, Prince of Achaea|アメデーオ]]&amp;lt;br&amp;gt;ピエモンテ領主|LGP=[[:en:Louis of Piedmont|ルドヴィーコ]]&amp;lt;br&amp;gt;ピエモンテ領主|AM7=[[:en:Amadeus VII, Count of Savoy|アメデーオ7世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | |!| | | | | |:| |,|-|-|-|(| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | MRG | | | | |L| BNA | | AM8 | | | | | | | | |AM8=[[フェリクス5世 (対立教皇)|アメデーオ8世]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア伯|BNA=[[:it:Bona di Savoia (1388-1432)|ボーナ]]|MRG=[[マルゲリータ・ディ・サヴォイア (1390-1464)|マルゲリータ]]&amp;lt;br&amp;gt;福者 }}&lt;br /&gt;
{{familytree/end}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== サヴォイア公、サルデーニャ王 ===&lt;br /&gt;
サヴォイア公[[フィリッポ2世・ディ・サヴォイア|フィリッポ2世]]の系統を特に[[サヴォイア＝ブレッセ家]]という。その他、主要な分家についても併せて記載する。&lt;br /&gt;
* ヌムール公の家系 - サヴォワ＝ヌムール家&lt;br /&gt;
* カリニャーノ公の家系 - [[サヴォイア＝カリニャーノ家]]（サルデーニャ王家を継いだ）&lt;br /&gt;
* ソワソン伯の家系 - サヴォワ＝ソワソン家&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{familytree/start|style=font-size:80%;}}&lt;br /&gt;
{{familytree | AM8 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |AM8=&#039;&#039;&#039;[[フェリクス5世 (対立教皇)|アメデーオ8世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |!| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | LDV | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |LDV=&#039;&#039;&#039;[[ルドヴィーコ・ディ・サヴォイア|ルドヴィーコ]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |)|-|-|-|v|-|-|-|-|-|-|-|v|-|-|-|.| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | AM9 | | LDG | | | | | | FL2 | | CHR | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |AM9=&#039;&#039;&#039;[[アメデーオ9世・ディ・サヴォイア|アメデーオ9世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|LDG=[[ルイ・ド・サヴォワ (ジュネーヴ伯)|ルイ]]&amp;lt;br&amp;gt;ジュネーヴ伯&amp;lt;br&amp;gt;キプロス王|FL2=&#039;&#039;&#039;[[フィリッポ2世・ディ・サヴォイア|フィリッポ2世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|CHR=[[シャルロット・ド・サヴォワ|シャルロット]]&amp;lt;br&amp;gt;フランス王妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |)|-|-|-|.| | | |,|-|-|-|+|-|-|-|v|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|.| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | FB1 | | CL1 | | LUI |F| FB2 | | CL3 | | | | | | | | | | PLN | | | | | | | | |FB1=&#039;&#039;&#039;[[フィリベルト1世・ディ・サヴォイア|フィリベルト1世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|CL1=&#039;&#039;&#039;[[カルロ1世・ディ・サヴォイア|カルロ1世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|FB2=&#039;&#039;&#039;[[フィリベルト2世・ディ・サヴォイア|フィリベルト2世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|CL3=&#039;&#039;&#039;[[カルロ3世・ディ・サヴォイア|カルロ3世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|PLN=[[:en:Philippe de Savoie, 1st Duc de Nemours|フィリップ]]&amp;lt;br&amp;gt;ヌムール公|LUI=[[ルイーズ・ド・サヴォワ|ルイーズ]]&amp;lt;br&amp;gt;フランス王太后 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | |)|-|-|-|.| |:| | | | | |!| | | | | | | | | | | |!| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | CL2 | | ILD |J| | | | | EMF | | | | | | | | | | JCN | | | | | | | | |CL2=&#039;&#039;&#039;[[カルロ・ジョヴァンニ・アメデーオ・ディ・サヴォイア|カルロ2世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|EMF=&#039;&#039;&#039;[[エマヌエーレ・フィリベルト (サヴォイア公)|エマヌエーレ・フィリベルト]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|JCN=[[ジャック・ド・サヴォワ＝ヌムール|ジャック]]&amp;lt;br&amp;gt;ヌムール公|ILD=[[:en:Yolande Louise of Savoy|ヨランダ]] }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |,|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|&#039;| | | | | | | | | | | |!| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | CE1 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | CEN | | | | | | | | |CE1=&#039;&#039;&#039;[[カルロ・エマヌエーレ1世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|CEN=[[:en:Charles Emmanuel de Savoie, 3rd Duc de Nemours|シャルル＝エマニュエル]]&amp;lt;br&amp;gt;ヌムール公 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |)|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|.| | | | | | | |!| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | VA1 | | | | | | | | | | | | | | | | | | TFC | | | | | | H1N | | | | | | | | |VA1=&#039;&#039;&#039;[[ヴィットーリオ・アメデーオ1世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|TFC=[[トンマーゾ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア|トンマーゾ・フランチェスコ]]&amp;lt;br&amp;gt;カリニャーノ公|H1N=[[:en:Henry of Savoy, 4th Duke of Nemours|アンリ1世]]&amp;lt;br&amp;gt;ヌムール公 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |)|-|-|-|v|-|-|-|-|.| | | | | | | | | | |)|-|-|-|.| | | |)|-|-|-|v|-|-|-|.| | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | FRG | | CE2 |y|7| HNA | | | | | | | | | EFC | | EMS | | LUN | | CAN | | H2N |FRG=&#039;&#039;&#039;[[フランチェスコ・ジャチント・ディ・サヴォイア|フランチェスコ・ジャチント]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|CE2=&#039;&#039;&#039;[[カルロ・エマヌエーレ2世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公|LUN=[[:en:Louis of Savoy, 5th Duke of Nemours|ルイ]]&amp;lt;br&amp;gt;ヌムール公|CAN=[[:en:Charles Amadeus of Savoy, 6th Duke of Nemours|シャルル・アメデ]]&amp;lt;br&amp;gt;ヌムール公|H2N=[[:en:Henri de Savoie, 7th Duc de Nemours|アンリ2世]]&amp;lt;br&amp;gt;ヌムール公|HNA=[[ヘンリエッテ・アーデルハイト・フォン・サヴォイエン|ヘンリエッテ・アーデルハイト]]&amp;lt;br&amp;gt;バイエルン選帝侯妃|EFC=[[エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア＝カリニャーノ|エマヌエーレ・フィリベルト]]&amp;lt;br&amp;gt;カリニャーノ公|EMS=[[ウジェーヌ・モーリス・ド・サヴォワ＝ソワソン|ウジェーヌ・モーリス]]&amp;lt;br&amp;gt;ソワソン伯 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |,|-|-|-|-|-|&#039;|L|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|!|~|~|~|!|~|~|~|~|~|7| |!| | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |!| | | | | | | | | | | | | | | | | | | |!| | | |)|-|-|-|.| |:| |)|-|-|-|.| | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | VA2 | | | | | | | | | | | | |F|~|~|~|y| V1C | | LTS | | EUG |L| MJN | | MRF |VA2=&#039;&#039;&#039;[[ヴィットーリオ・アメデーオ2世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サルデーニャ王|V1C=[[ヴィットーリオ・アメデーオ1世・ディ・サヴォイア＝カリニャーノ|ヴィットーリオ・アメデーオ1世]]&amp;lt;br&amp;gt;カリニャーノ公|LTS=[[:en:Prince Louis Thomas of Savoy-Carignan|ルイ＝トマ]]&amp;lt;br&amp;gt;ソワソン伯|EUG=[[オイゲン・フォン・ザヴォイエン|プリンツ・オイゲン]]|MJN=[[マリー・ジャンヌ・ド・サヴォワ＝ヌムール|マリー・ジャンヌ]]|MRF=[[マリー・フランソワーズ・ド・サヴォワ＝ヌムール|マリー・フランソワーズ]]&amp;lt;br&amp;gt;ポルトガル王妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |)|-|-|-|v|-|-|-|v|-|-|-|.| |:| | | |`|-|.| | | |!| | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | CE3 | | MRA | | MRL | | MVF |J| | | | | LVC | | ETS | | | | | | | | | | | | |CE3=&#039;&#039;&#039;[[カルロ・エマヌエーレ3世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サルデーニャ王|MVF=[[:en:Maria Vittoria of Savoy|マリア・ヴィットーリア・フランチェスカ]]|MRL=[[マリア・ルイーザ・ディ・サヴォイア|マリア・ルイーザ]]&amp;lt;br&amp;gt;スペイン王妃|MRA=[[マリー・アデライード・ド・サヴォワ|マリー・アデライード]]&amp;lt;br&amp;gt;フランス王太子妃|LVC=[[ルイージ・ヴィットーリオ・ディ・サヴォイア＝カリニャーノ|ルイージ・ヴィットーリオ]]&amp;lt;br&amp;gt;カリニャーノ公|ETS=[[:fr:Emmanuel-Thomas de Savoie-Carignan|エマニュエル＝トマ]]&amp;lt;br&amp;gt;ソワソン伯 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |!| | | | | | | | | | | | | | | |,|-|-|-|(| | | |!| | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | VA3 | | | | | | | | | | | | | | MTL | | V2C | | EJS | | | | | | | | | | | | |VA3=&#039;&#039;&#039;[[ヴィットーリオ・アメデーオ3世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サルデーニャ王|V2C=[[ヴィットーリオ・アメデーオ2世・ディ・サヴォイア＝カリニャーノ|ヴィットーリオ・アメデーオ2世]]&amp;lt;br&amp;gt;カリニャーノ公|EJS=[[:fr:Eugène-Jean-François de Savoie-Carignan|ウジェーヌ＝ジャン＝フランソワ]]&amp;lt;br&amp;gt;ソワソン伯|MTL=[[ランバル公妃マリー・ルイーズ|マリー・テレーズ・ルイーズ]]&amp;lt;br&amp;gt;ランバル公妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |)|-|-|-|v|-|-|-|v|-|-|-|v|-|-|-|.| | | |!| | | | | | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | CE4 | | VE1 | | CFL | | MRJ | | MRT | | CEC | | | | | | | | | | | | | | | | |CE4=&#039;&#039;&#039;[[カルロ・エマヌエーレ4世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サルデーニャ王|VE1=&#039;&#039;&#039;[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サルデーニャ王|CFL=&#039;&#039;&#039;[[カルロ・フェリーチェ・ディ・サヴォイア|カルロ・フェリーチェ]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サルデーニャ王|MRJ=[[マリー・ジョゼフィーヌ・ド・サヴォワ|マリー・ジョゼフィーヌ]]&amp;lt;br&amp;gt;フランス王妃（名目上）|MRT=[[マリー・テレーズ・ド・サルデーニュ|マリー・テレーズ]]&amp;lt;br&amp;gt;[[シャルル10世 (フランス王)|シャルル10世]]の王子時代の妃|CEC=[[カルロ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア＝カリニャーノ|カルロ・エマヌエーレ]]&amp;lt;br&amp;gt;カリニャーノ公 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |,|-|-|-|+|-|-|-|v|-|-|-|.| | | | | | | |)|-|-|-|.| | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | MRB | | MRA | | MRT | | MRC | | | | | | CLA | | MRE | | | | | | | | | | | | |MRB=[[マリーア・ベアトリーチェ・ディ・サヴォイア|マリア・ベアトリーチェ]]&amp;lt;br&amp;gt;モデナ公妃|MRA=[[マリア・アンナ・フォン・サヴォイエン|マリア・アンナ]]&amp;lt;br&amp;gt;オーストリア皇后|MRT=[[マリーア・テレーザ・ディ・サヴォイア (パルマ公妃)|マリア・テレーザ]]&amp;lt;br&amp;gt;パルマ公妃|MRC=[[マリーア・クリスティーナ・ディ・サヴォイア|マリア・クリスティーナ]]&amp;lt;br&amp;gt;両シチリア王妃|CLA=&#039;&#039;&#039;[[カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア|カルロ・アルベルト]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サルデーニャ王|MRE=[[マリーア・エリザベッタ・ディ・サヴォイア＝カリニャーノ|マリーア・エリザベッタ]]&amp;lt;br&amp;gt;オーストリア大公妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |)|-|-|-|.| | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | VE2 | | FRG | | | | | | | | | | | | |VE2=&#039;&#039;&#039;[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;サルデーニャ王&amp;lt;br&amp;gt;イタリア王|FRG=[[フェルディナンド・アルベルト・アメデーオ・ディ・サヴォイア|フェルディナンド]]&amp;lt;br&amp;gt;ジェノヴァ公 }}&lt;br /&gt;
{{familytree/end}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== イタリア王家 ===&lt;br /&gt;
{{familytree/start|style=font-size:75%;}}&lt;br /&gt;
{{familytree | |,|-|-|-|.| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | }} &lt;br /&gt;
{{familytree | CLA | | MRE | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |CLA=[[カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア|カルロ・アルベルト]]&amp;lt;br&amp;gt;サルデーニャ王|MRE=[[マリーア・エリザベッタ・ディ・サヴォイア＝カリニャーノ|マリーア・エリザベッタ]]&amp;lt;br&amp;gt;オーストリア大公妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |)|-|-|-|*|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|.| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | VE2 |y| MAD | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | FRG | | | | | | | | |VE2=&#039;&#039;&#039;[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;イタリア王|FRG=[[フェルディナンド・アルベルト・アメデーオ・ディ・サヴォイア|フェルディナンド]]&amp;lt;br&amp;gt;ジェノヴァ公|MAD=([[マリーア・アデライデ・ダズブルゴ＝ロレーナ|マリーア・アデライデ]]) }}&lt;br /&gt;
{{familytree | | | |!| |,|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|-|(| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |,|-|^|-|*|-|-|-|v|-|-|-|-|-|-|-|v|-|-|-|.| | | | | | | |!| | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | UB1 |y| MRG | | MRC |F|~|y|~|~| AMS | | MRP | | | | | | TMG | | | | | | | | |UB1=&#039;&#039;&#039;[[ウンベルト1世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;イタリア王|MRG=[[マルゲリータ・ディ・サヴォイア＝ジェノヴァ|マルゲリータ]]&amp;lt;br&amp;gt;イタリア王妃|AMS=[[アマデオ1世 (スペイン王)|アマデオ1世]]&amp;lt;br&amp;gt;スペイン王&amp;lt;br&amp;gt;アオスタ公|TMG=[[トンマーゾ・アルベルト・ディ・サヴォイア＝ジェノヴァ |トンマーゾ]]&amp;lt;br&amp;gt;ジェノヴァ公|MRC=[[マリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイア|マリア・クロティルデ]]&amp;lt;br&amp;gt;ナポレオン公妃|MRP=[[マリア・ピア・デ・サボイア|マリア・ピア]]&amp;lt;br&amp;gt;ポルトガル王妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |,|-|&#039;| | | | | |!| |:| |!| | | |)|-|-|-|v|-|-|-|.| | | |)|-|-|-|v|-|-|-|.| | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | VE3 | | | | | | MLB |J| UBA | | EFA | | VEA | | LGA | | FRG | | FLG | | EUG |VE3=&#039;&#039;&#039;[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;イタリア王&amp;lt;br&amp;gt;アルバニア王&amp;lt;br&amp;gt;エチオピア皇帝|EFA=[[エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア＝アオスタ|エマヌエーレ・フィリベルト]]&amp;lt;br&amp;gt;アオスタ公|VEA=[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア＝アオスタ|ヴィットーリオ・エマヌエーレ]]&amp;lt;br&amp;gt;トリノ伯|LGA=[[ルイージ・アメデーオ・ディ・サヴォイア＝アオスタ|ルイージ・アメデーオ]]&amp;lt;br&amp;gt;アブルッツィ公|UBA=[[ウンベルト・ディ・サヴォイア＝アオスタ|ウンベルト]]&amp;lt;br&amp;gt;サレーミ伯|FRG=[[フェルディナンド・ディ・サヴォイア＝ジェノヴァ (1884-1963)|フェルディナンド]]&amp;lt;br&amp;gt;ジェノヴァ公|FLG=[[フィリベルト・ディ・サヴォイア＝ジェノヴァ|フィリベルト]]&amp;lt;br&amp;gt;ジェノヴァ公|EUG=[[エウジェーニオ・ディ・サヴォイア＝ジェノヴァ|エウジェーニオ]]&amp;lt;br&amp;gt;ジェノヴァ公|MLB=([[マリー・レティシア・ボナパルト|マリー・レティシア]]) }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |)|-|-|-|v|-|-|-|.| | | | | | | |)|-|-|-|.| | | | | | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | UB2 | | MAF | | GVB | | | | | | A2A | | TMS | | | | | | | | | | | | | | | | |UB2=&#039;&#039;&#039;[[ウンベルト2世]]&#039;&#039;&#039;&amp;lt;br&amp;gt;イタリア王|A2A=[[アメデーオ・ディ・サヴォイア＝アオスタ (1898-1942)|アメデーオ]]&amp;lt;br&amp;gt;アオスタ公|TMS=アイモーネ&amp;lt;br&amp;gt;（[[トミスラヴ2世]]）&amp;lt;br&amp;gt;アオスタ公&amp;lt;br&amp;gt;クロアチア王|MAF=[[マファルダ・ディ・サヴォイア|マファルダ]]|GVB=[[ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア|ジョヴァンナ]]&amp;lt;br&amp;gt;ブルガリア王妃 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |!| | | | | | | | | | | | | | | | | | | |!| | | | | | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | VEN | | | | | | | | | | | | | | | | | | A3A | | | | | | | | | | | | | | | | |VEN=[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア|ヴィットーリオ・エマヌエーレ]]&amp;lt;br&amp;gt;ナポリ公|A3A=[[アメデーオ・ディ・サヴォイア＝アオスタ (1943-)|アメデーオ]]&amp;lt;br&amp;gt;サヴォイア公&amp;lt;br&amp;gt;アオスタ公 }}&lt;br /&gt;
{{familytree | |!| | | | | | | | | | | | | | | | | | | |!| | | | | | | | | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree | EFP | | | | | | | | | | | | | | | | | | AIM | | | | | | | | | | | | | | | | |EFP=[[エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア (1972-)|エマヌエーレ・フィリベルト]]&amp;lt;br&amp;gt;ピエモンテ＝ヴェネツィア公|AIM=[[アイモーネ・ディ・サヴォイア＝アオスタ (1967-)|アイモーネ]]&amp;lt;br&amp;gt;プッリャ公 }}&lt;br /&gt;
{{familytree/end}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[サヴォイア王家の王宮群]] - [[世界遺産]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さうおいあけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:サヴォイア家|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.237.196</name></author>
	</entry>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC&amp;diff=201747</id>
		<title>ターナー</title>
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		<updated>2014-04-19T13:00:46Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.237.196: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&#039;&#039;&#039;ターナー&#039;&#039;&#039;（Turner）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 普通名詞 ==&lt;br /&gt;
* [[調理器具]]の一種。[[フライ返し]]とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 姓 ==&lt;br /&gt;
英語圏で一般的な姓の一つである。&lt;br /&gt;
* [[アイク・ターナー]] - アメリカのミュージシャン。&lt;br /&gt;
* [[アンドリュー・ターナー]] - イギリスの政治家。&lt;br /&gt;
* [[ヴィクター・ターナー]] - スコットランド出身の人類学者。&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・ターナー]] - イギリスの鳥類学者、植物学者。&lt;br /&gt;
* [[エイダン・ターナー]] - アイルランドの俳優。&lt;br /&gt;
* [[キム・ターナー]] - アメリカの陸上競技選手。&lt;br /&gt;
* [[キャスリーン・ターナー]] - アメリカの女優。&lt;br /&gt;
* [[サイモン・フィッシャー・ターナー]] - イギリスのミュージシャン、作曲家。&lt;br /&gt;
* [[ジェイコブ・ターナー]] - アメリカの野球選手。&lt;br /&gt;
* [[ジョー・リン・ターナー]] - アメリカ出身のハードロック歌手。&lt;br /&gt;
* [[ジョージ・ターナー (画家)]] - イギリスの画家。&lt;br /&gt;
* [[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー]] - イギリスの画家。&lt;br /&gt;
** [[ターナー賞]] - イギリスの美術賞。&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ターナー]] - カナダの政治家。1984年に短期間首相を務めた。&lt;br /&gt;
* [[ジョン・モーズリー・ターナー]] - 1966年1月から長寿世界一であったイギリス人。&lt;br /&gt;
* [[タック・ターナー]] - アメリカの野球選手。&lt;br /&gt;
* [[ティナ・ターナー]] - アメリカの歌手。&lt;br /&gt;
* [[テッド・ターナー]] - アメリカの実業家。[[CNN]]の創業者。&lt;br /&gt;
** [[ターナー・ブロードキャスティング・システム]]&lt;br /&gt;
** [[ターナー・クラシック・ムービーズ]]&lt;br /&gt;
** [[ターナー・ネットワーク・テレビジョン]]&lt;br /&gt;
** [[ターナージャパン]]&lt;br /&gt;
* [[ナット・ターナー]] - アメリカの黒人奴隷。奴隷反乱を指揮した。&lt;br /&gt;
* [[ハーバート・ターナー]] - イギリスの天文学者、地震学者。&lt;br /&gt;
* [[ビッグ・ジョー・ターナー]] - アメリカのブルース・シンガー。&lt;br /&gt;
* [[フレデリック・ターナー]] - アメリカ合衆国の歴史家。&lt;br /&gt;
* [[マイケル・ターナー (サッカー選手)]] - イングランドのサッカー選手。&lt;br /&gt;
* [[メーガン・ウェイレン・ターナー]] - アメリカのファンタジー作家。&lt;br /&gt;
* [[ラナ・ターナー]] - アメリカ出身の女優。&lt;br /&gt;
* [[リッチモンド・K・ターナー]] - アメリカの軍人、海軍大将。&lt;br /&gt;
* [[レスリー・ターナー]] - オーストラリア出身のテニス選手。&lt;br /&gt;
* [[ロスコー・ターナー]] - アメリカのパイロット。飛行機レースで活躍した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 架空の人名 ===&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・ターナー・ジュニア]]（ウィル・ターナー） - 映画『[[パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち|パイレーツ・オブ・カリビアン]]』シリーズの登場人物。オーランド・ブルームが演じる。&lt;br /&gt;
* キャサリン・ターナー - 山村美紗の推理小説『[[キャサリンシリーズ]]』の登場人物。&lt;br /&gt;
* [[ジャック・ターナー (龍虎の拳)]] - 『[[龍虎の拳]]』シリーズの登場人物。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==地名 ==&lt;br /&gt;
* [[ターナー郡 (サウスダコタ州)]] - アメリカ・[[サウスダコタ州]]にある郡。&lt;br /&gt;
* [[ターナー郡 (ジョージア州)]] - アメリカ・[[ジョージア州]]にある郡。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 異なる綴り ==&lt;br /&gt;
* [[ターナー・ホール]] (Tanner Hall) - アメリカ出身のスキー選手。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
* [[ターナー色彩]] - 絵具メーカー。　&lt;br /&gt;
* [[ターナー症候群]] - 染色体異常の一つ。&lt;br /&gt;
* [[ターナー・フィールド]] - [[アトランタ・ブレーブス]]のホーム球場。&lt;br /&gt;
* [[夏目漱石]]の小説『[[坊っちゃん]]』で[[青島 (愛媛県)|青島]]につけられた名称。&lt;br /&gt;
* ターナー・ザ・インサート - プロレスラー[[棚橋弘至]]（[[新日本プロレス]]）の大学時代（[[立命館大学]]プロレス同好会）のリングネーム。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Aimai}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:たあなあ}}&lt;br /&gt;
[[Category:英語の姓]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.237.196</name></author>
	</entry>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%83%81%E3%82%BF%E5%B7%9E&amp;diff=139769</id>
		<title>チタ州</title>
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		<updated>2014-03-29T13:59:08Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;118.238.237.196: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:RussiaChita2007-07.png|right|チタ州]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;チタ州&#039;&#039;&#039;（{{Lang|ru|Читинская область}}; Chita Oblast）は、[[ロシア連邦]]にあった州。州都は[[チタ]]。[[シベリア連邦管区]]に属する。その一部でありながら別個の連邦構成体であった[[アガ・ブリヤート自治管区]]と合併して[[ザバイカリエ地方]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
*[[面積]] 412,300km²&lt;br /&gt;
*[[人口]] 1,011,000人&lt;br /&gt;
*[[人口密度]] 2.5人/km²&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 標準時 ==&lt;br /&gt;
[[File:Map of Russia - Yakutsk time zone.svg|left|75px]]&lt;br /&gt;
この地域は、[[ヤクーツク時間|ヤクーツク時間帯]]の[[標準時]]を使用している。時差は[[UTC+10]]時間で、[[夏時間]]はない。（2011年3月までは標準時が[[UTC+9]]で夏時間が[[UTC+10]]であった）&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;clear:left&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==地理==&lt;br /&gt;
[[シベリア]]南部に位置し、[[中華人民共和国|中国]]（国境線は998km）と[[モンゴル国|モンゴル]]（同868km）に接する。ロシア国内では[[イルクーツク州]]、[[アムール州]]、[[ブリヤート共和国]]、[[サハ共和国]]と隣り合う。主要な河川は、中国との国境線を形成する[[アルグン川]]と、[[シルカ川]]。[[ヤブロノイ山脈]]の東部が含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
面積の約60%を森林が占める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[石炭]]、[[銅]]、[[鉄鉱石]]などを産し、貴金属類が豊富。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
ピョートル・ベケトフに率いられた[[コサック]]が[[1653年]]に探検し、[[17世紀]]ごろから[[ロシア人]]の入植が始められた。チタは[[19世紀]]中ごろまでは流刑地として機能していた小さな集落に過ぎなかったが、[[20世紀]]初頭に[[シベリア鉄道]]が開通して以後、発展した。中国やモンゴルとの国境地方の強化のために入植が強化され、[[1920年]]にチタは[[極東共和国]]の[[首都]]とされたが、[[1922年]][[11月]]にロシアに併合された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==経済==&lt;br /&gt;
主要な産業は金属加工、木材加工、軽工業、食品加工など。[[ウシ|牛]]、[[ヒツジ|羊]]、[[トナカイ]]の飼育が盛ん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{ロシア連邦の地方区分}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ちたしゆう}}&lt;br /&gt;
[[Category:ロシア連邦の州 (廃止)]]&lt;br /&gt;
[[Category:ザバイカリエ地方]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>118.238.237.196</name></author>
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