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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E6%9D%B1%E8%89%A6&amp;diff=191075</id>
		<title>東艦</title>
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		<updated>2014-08-07T07:09:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;116.70.231.114: /* 概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;clear:right; float:right; margin: 0em 0em 1em 1em; width: 300px; background:#ffffff&amp;quot;&lt;br /&gt;
|colspan=&amp;quot;2&amp;quot;|[[File:Stonewall-Kotetsu.jpg|300px|東艦]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;background: #f0f0f0&amp;quot;|艦歴&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|発注&lt;br /&gt;
|アルマン・ブラザース社[[ボルドー]]造船所&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|起工&lt;br /&gt;
|[[1863年]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|進水&lt;br /&gt;
|[[1864年]][[6月21日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|就役&lt;br /&gt;
|[[1864年]][[10月25日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|退役&lt;br /&gt;
|[[1888年]][[1月28日]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|その後&lt;br /&gt;
|スクラップ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|後級&lt;br /&gt;
|[[扶桑 (甲鉄艦)|扶桑]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!colspan=&amp;quot;2&amp;quot; style=&amp;quot;background: #f0f0f0&amp;quot;|性能諸元&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;white-space:nowrap;&amp;quot; |[[排水量]]&lt;br /&gt;
|常備：1,358[[トン数|トン]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|全長&lt;br /&gt;
|193.5 [[フィート|ft]] （58.97 [[メートル|m]]）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|全幅&lt;br /&gt;
|31.5 ft （9.6 m）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|吃水&lt;br /&gt;
|14 ft 3 in (4.3 m)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|機関&lt;br /&gt;
|マゼリン式[[ボイラー|石炭専焼缶]]2基&amp;lt;br /&amp;gt;+マゼリン式水平直動[[蒸気機関|レシプロエンジン]]2基2軸推進&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|最大出力&lt;br /&gt;
|1,200[[馬力|hp]]&amp;lt;ref&amp;gt;図示馬力（IHP）　元綱　11頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|最大速力&lt;br /&gt;
|常用：10.5 [[ノット]] （15 km/h）&amp;lt;br /&amp;gt;公試時：10.8ノット&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|航続性能&lt;br /&gt;
|9ノット/1,200[[海里]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|燃料：石炭&lt;br /&gt;
|常備：95トン&amp;lt;ref&amp;gt;西村30頁&amp;lt;/ref&amp;gt;満載：200トン&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|乗員&lt;br /&gt;
|135名&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|兵装&lt;br /&gt;
|就役時&amp;lt;br /&amp;gt;アームストロング 27.9cm（300ポンド）前装填式[[滑腔砲]]単装1基&amp;lt;br /&amp;gt;アームストロング 12.7cm（70ポンド）[[前装式]][[ライフル砲|単装ライフル砲]]2基&amp;lt;ref&amp;gt;元綱数道　幕末の蒸気船物語　139頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
||1871年&lt;br /&gt;
|27.9cm（300ポンド）前装填式滑腔砲1基&amp;lt;br /&amp;gt;パロット 16.5cm前装式ライフル砲4基&amp;lt;br /&amp;gt;口径不明6連装[[ガトリング砲]]1基&amp;lt;ref&amp;gt;1871年12月改装以降の備砲については泉　江三　「軍艦メカニズム図鑑　日本の戦艦　上巻」18頁参照&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|装甲（錬鉄製）&lt;br /&gt;
|舷側： 32 mm+90～125 mm（水線部）&amp;lt;br /&amp;gt;甲板：なし&amp;lt;br /&amp;gt;砲郭部：102～140 mm（側盾）&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;東艦&#039;&#039;&#039;（あずまかん、旧名&#039;&#039;&#039;ストーンウォール（甲鉄艦）&#039;&#039;&#039;（CSS Stonewall））は、外洋航行能力を持ちながら装甲で覆われた日本の軍艦で、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の草創期の艦である。種類では[[マスト]]2本のいわゆる[[ブリッグ]]と呼ばれる船である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本艦を指すことが多い呼称で&#039;&#039;&#039;[[甲鉄艦]]&#039;&#039;&#039;（こうてつかん）があり、一般には鋼鉄製装甲の軍艦（[[装甲艦]]、Ironclad）を指す言葉で[[固有名詞]]ではないが、[[幕末]]から[[明治]]にかけての日本史でこれが用いられる時は本艦を指す事が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[File:Azumakan.jpg|thumb|left|200px|竣工当時の本艦を右舷から描いた絵。]]&lt;br /&gt;
[[File:PrinzAdalbertBordeaux.jpg|thumb|left|200px|プロシア（ドイツ）に売却された姉妹艦「プリンツ・アダルベルト」]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本艦は[[南北戦争]]中に[[アメリカ連合国|アメリカ南部連合]]の同盟国だった[[フランス]]で建造された。もともとは南部連合が[[ボルドー]]にあったアルマン・ブラザース社造船所に発注したコードネーム「スフィンクス（Sphinx）」と呼ばれていた装甲艦で、同型艦には「キーオプス（Cheops）」があった。本艦の設計者はM・アルマンで、1863年に起工され、翌1864年6月に進水式を行い、建造途中に「ストーンウォール（CSS STONEWALL）」と名付けられ同年中に竣工した。本艦は当時の南軍において数少ない有力艦としてアメリカへの到着が心待ちにされていたが、[[アメリカ合衆国|アメリカ北部合衆国]]からフランス政府へクレームが付いて引渡し契約が破棄されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで2艦は売りに出され、当時戦争中であったプロイセンとデンマークに渡った。デンマークに売却されたのが本艦で「スタークデル（Staerkodder）」と命名されるも、デンマーク到着前に戦争が終結。受け取りを拒否された艦は「オリンダ」となりフランスへ戻された。だが、その途中の1865年1月24日にアメリカ南軍がこれを奪取。「ストーンウォール」となるもハバナ入港後北軍に包囲されたためキューバに売却されてしまった。戦後、アメリカはそれを買い戻すも、繋留状態に置かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大きな欠陥としてイギリス純正の[[アームストロング砲]]の性能が悪く、敵艦を沈没に至らしめる力はなかったようである。しかし、本艦の防御は排水量を考えれば対15インチ防御を持っており、当時の[[フランス海軍]]の主力艦「[[ラ・グロワール]]」や[[イギリス海軍]]の主力艦「[[ウォーリア (装甲艦)|ウォーリア]]」のどちらに対しても耐えられる防御を持っており、日本で就役後に武装を、アメリカで買い付けてきた最新の物に換装したことで欠陥の少ない艦となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、プロイセンに売却された姉妹艦の「キーオプス」は、「[[プリンツ・アダルベルト (装甲艦)|プリンツ・アダルベルト（Prinz Adalbert）]]」と改名されプロイセン海軍の戦艦第一号として就役した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 艦形 ==&lt;br /&gt;
[[File:CSS Stonewall (1864) Side.jpg|thumb|left|200px|竣工当時の本艦の装甲配置を斜線で示した図。艦首水面下に突出した衝角が特徴的である。]]&lt;br /&gt;
左は本艦の装甲配置を示した図である。本艦の基本構造は艦首に鋭い形状の[[衝角|&#039;&#039;&#039;衝角&#039;&#039;&#039;（ラム）]]を持つ木造船体に2本の帆走用[[マスト]]と一本[[煙突]]を持つ装甲[[ブリッグ]]である。船体上の2本のマストには本格的な帆走設備が整えられており、蒸気機関が発明されたとは言え機関技術の信頼性がこの時期では未知数で、長期航海時には帆走を行うのが普通であり、本艦の帆の総面積は750平方メートルもあった。艦首水面下の衝角はコードネームの「スフィンクス（Sphinx）」の名の通り、スフィンクスの顎のように艦首の水線面から、先端部を鉄で皮膜した衝角が水中に7mも突出していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは、後の「[[リッサ海戦|リッサ沖海戦]]」でも行われた「衝角攻撃（ラミング）」を行うために特化した設計である。衝角攻撃とは、大砲が発明されていない時代に敵艦の船体を効果的に破壊するために舳先を相手の舷側に突っ込ませて破壊する攻撃方法で、追突した時の衝撃よりも自艦をバックさせて舳先を引き抜いた時に出来る大破口からの浸水により短時間で相手を撃沈できる戦法である。大型の大砲が開発されたとは言え、この時期の砲弾は性能が低く、効果的に敵艦を無力化するには衝角攻撃が主流であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他に船体形状で他にも目を引く艦尾形状も特徴的で、当時としては非常に珍しかったクルーザースターン（巡洋艦型船尾）を採用していた。当時の主力艦の艦尾は外観を重視して優美にすぼめられた形状を持っていることが多く、角のみを丸くして艦尾を短く纏めたクルーザースターン形状は時代を先取りしていた。だが、水面下はもっと特異で、舵と推進軸の周辺形状には&#039;&#039;&#039;ツイン・スケグ&#039;&#039;&#039;を採用していた。ツイン・スケグとは、船底部からスクリュー軸を伝うように垂直に伸ばされた鰭状の構造物を設け、そのまま[[スクリュープロペラ]]の背後に[[舵|主舵]]を配置する形式の事で、スクリューで生じた水流の真後ろに舵が配置されるために舵効きが良く、また、スケグがスクリュー軸を囲って守るのでスクリューに異物が巻きついて行動不能になるのを防ぐ効果も有った。船体に大砲や装甲板などの重量物を搭載するために安定性を重視してずんぐりとした船体形状になるために運動性が低くなりやすい装甲艦には必須のアイディアであったが、船体形状の複雑化によるコストの問題もあり、この形式を積極的に採用したのは[[第一次世界大戦]]後のアメリカ[[新戦艦]]くらいで、この時代の主力艦に採用されたのはまさに&#039;&#039;&#039;時代を先取りした&#039;&#039;&#039;としか言い様の無い意欲的な設計である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 武装 ==&lt;br /&gt;
[[File:CSS Stonewall Plan.jpg|left|thumb|200px|竣工当時の本艦の武装配置を示した図。ピポッティング・スライド・キャリッジの配置を示している。船体断面図の前述の艦尾のダブル・スケグが特徴的である。]]&lt;br /&gt;
本艦の主砲には大砲技術の本場イギリスの[[アームストロング]]社の砲を採用している。艦首砲郭部には「アームストロング 27.9cm（300ポンド）前装填式[[滑空砲]]」を単装砲架で1基を配置し、重量136㎏の砲弾を撃つ事が出来た。船体中央砲郭部に「アームストロング 12.7cm（70ポンド）前装填式ライフル砲」を単装砲架で片舷1基ずつ計2基を装備し、重量32kgの砲弾を撃つ事が出来た。しかし、砲弾の性能が良くなく、火薬庫等に命中しないかぎり敵艦を大破させるのは難しかった。&amp;lt;ref&amp;gt;新選組　128頁&amp;lt;/ref&amp;gt;この事もあってか、後に[[米国]]製の[[パロット砲]]に備砲を換装されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:CSSStonewallBow.jpg|thumb|200px|ドックで整備を受ける竣工当時の本艦を艦首から撮影した写真。男性が座っている砲門部により艦首方向への砲撃を可能とした。]]&lt;br /&gt;
砲廓部の床面には、ピポッティング・スライド・キャリッジ（Pivotting Slide Calliage）と呼ばれる円弧状の[[レール]]が敷設され、その上に置かれた砲架を旋回・移動させる事により、砲郭から大砲を出した砲身を出した際に砲門を支点として砲尾部を扇状に動かすことにより広い射界が得られた。これにより少ない門数でも迅速に火砲を敵艦に向けられる工夫であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:CSSStonewall3.jpg|thumb|200px|ドックで整備を受ける竣工当時の本艦の艦首を後方から撮影した写真。砲を使用しない時は砲門は蓋で閉じられた。]]&lt;br /&gt;
更に砲架の設計も新型で、従来の砲架の仰角は10度程度であったが、本艦の物はスライド・キャリッジと呼ばれる形式の砲架により、仰角は一挙に倍以上の25度が可能となり射程の延伸が可能となった。また、砲廓に設けられた砲門には戦闘時に開口部から敵弾が飛び込むのを防ぐために装甲板と同じ材質の蓋が取り付けられ、装填時に開口部を塞いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 防御 ==&lt;br /&gt;
本艦の防御要求は対15インチ砲防御を目標として設計され、北軍の持つあらゆる種類の艦砲に対して貫通されない防御力が要求された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
砲郭部の形状は前後ともに横方向に広い楕円形をしており、当時の低い工作技術で複雑な曲線の船体に装甲板を満遍なく貼り付けるフランスの建艦技術の高さが伺える。船体甲板上の艦首側と中央部に主砲を収める楕円筒形の砲郭（ケースメイト）が設けられた。砲郭部には船体構造部とは別個に装甲板を装着するためのコーキングと呼ばれる緩衝材が構造材から上に貼り付け、その上にアーマーパッキング（砲弾が命中した際にショックを和らげるための緩衝材）として厚さ80mmの[[チーク]]材が更に貼り付けられた。このアーマーパッキングに装甲板を専用のボルトで螺子止めして装着される。本艦の砲郭部には装甲板の材質は粘り気のある[[錬鉄]]製で前述のアーマーパッキングの上から厚さ102mmから140mmの装甲を貼った。同時期のデンマーク海軍の装甲艦「[[ペダー・スクラム (装甲艦)|ペダー・スクラム（1866年竣工、3,300トン）]]」の砲廓部の装甲が120mmであることを考えれば本艦は排水量が2倍の艦と同等の装甲厚を持っていた事が判る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この当時の艦体の防御様式は水線部は装甲板を舷側の全周に装着する全体防御方式が主流であった。本艦は高さ2.7mの装甲板を水線部を0として上方向に1.5m、水線下に1.2mもの範囲で舷側を覆っていた。防御厚は船体中央部は125mmで艦首と艦尾の水線末端部に向かって90mmにテーパーした。さらに、その装甲板の上から厚さ約32mm（1.25インチ）の装甲を貼る複合装甲を採用していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後に北部合衆国軍が開発した[[モニター艦]]「[[モニター (装甲艦)|モニター (USS Monitor)]]」の搭載砲は11インチ（279 mm）砲でしかない事を考えれば、本艦の防御能力は高い物であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 機関 ==&lt;br /&gt;
本艦の主機関は[[ル・アーヴル]]のマゼリン鉄工所で[[ボイラー]]とレシプロ機関が共に製造されて搭載された。マゼリン式チューブラーボイラー2基とマゼリン式水平型レシプロ機関2基2軸が組み合わせられ、推進機関であるレシプロ機関は1基あたり600馬力の出力があり、それを2基搭載されたので最大出力は1,200馬力を発揮できた。推進軸に取り付けられた[[スクリュープロペラ]]は一枚が推進軸に対して斜め45度に傾けられた長方形の板状の4枚プロペラで直径は約3.6mであった。本艦は公試において最高速力10.8ノットを発揮し実用速力は10.5ノットとした。同時に燃料消費量から計算して石炭200トンを満載して9ノットで1,200海里を航行できると計算された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 艦歴 ==&lt;br /&gt;
[[File:CSSStonewall2.jpg|thumb|left|200px|「ストーンウォール（CSS STONEWALL）」時代の写真。]]&lt;br /&gt;
[[慶応]]3年（[[1867年]]）に[[小野友五郎]]を代表とする[[江戸幕府]]の訪米使節がアメリカに「ストーンウォール（CSS STONEWALL）」買取を約束したが、翌慶応4年（[[1868年]]）に[[戊辰戦争]]が勃発して幕府が瓦解すると、新政府側でもストーンウォールを買い取りたいと言い出した。旧幕府側はこれに反発。[[横浜市|横浜]]に至ったアメリカ側は、戦争の決着がつくまでストーンウォールをどちらにも売る気はないと、局外[[中立]]を宣言した。しかし[[奥羽越列藩同盟]]が崩壊し、[[榎本武揚]]ら旧[[幕府海軍]]が[[蝦夷地]]へ渡って所謂「[[蝦夷共和国]]」を樹立させた頃には、[[明治政府]]が新たなる政府であることを認めて局外中立を撤廃。まだまだ財政が厳しかった明治政府は躊躇したが、明治2年（[[1869年]]）[[2月3日]]ストーンウォール（甲鉄艦）購入に踏み切った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
旧幕府海軍は旗艦の[[開陽丸]]を座礁で失った上、明治政府のストーンウォール（甲鉄艦）購入の知らせが[[箱館]]に届き危機を感じた榎本らは軍議の上、同艦の奪取作戦を計画（アボルダージュ作戦）、[[宮古湾海戦]]が起こった。榎本らは甲鉄艦の装甲を貫ける新型砲弾を開発しており、船に積んでいたと言われるが、天候などの不運も重なりその威力は試せないまま奪取に失敗した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[File:Naval Battle of Hakodate.jpg|thumb|200px|函館湾海戦時の東]]&lt;br /&gt;
本艦は宮古湾海戦で旧幕府軍艦を追撃した後、[[青森]]に待機し、同年[[4月9日]]の新政府軍上陸に際して[[箱館湾]]に出撃。[[箱館湾海戦]]を経て旧幕府軍の降伏に至った。[[箱館戦争]]後、[[1871年]][[12月7日]]甲鉄艦は名を「&#039;&#039;&#039;東艦&#039;&#039;&#039;」と改められた。その後、[[佐賀の乱]]、[[台湾出兵]]に出動。[[1874年]][[8月19日]]に長崎港に停泊中に台風により沈没したが、程なく浮揚されて横須賀海軍工廠で復旧修理の上海軍に復帰し、[[西南戦争]]では瀬戸内海の警備任務についた。購入から17年後の[[1888年]]に除籍された。解体のため民間に売却された東艦の装甲板は上質であったので[[浅草火力発電所]]の[[変圧器]]の鉄芯に再利用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
なお、本艦と混同されることがあるストーンウォール・ジャクソン号（CSS Stonewall Jackson）は1862年に配備され、同年自焼した南軍の[[外輪船|外輪式]]河川砲艦である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==艦長==&lt;br /&gt;
*（代理）福島敬典 大尉：明治4年5月17日（1871年7月4日） - 明治4年6月&lt;br /&gt;
*[[伊東祐亨]] 少佐：1872年12月14日 - 1875年11月10日&lt;br /&gt;
*[[井上良馨]] 中佐：1879年8月19日 - 1880年6月14日&lt;br /&gt;
*山崎景則 少佐：1880年6月14日 - 1881年7月7日&lt;br /&gt;
*瀧野直俊 中佐：1883年8月16日 - 1885年11月7日&lt;br /&gt;
*国友次郎 中佐：1885年11月7日 - 1886年6月23日&lt;br /&gt;
*伊地知弘一 大佐：1887年4月19日 - 1887年6月11日&lt;br /&gt;
*国友次郎 大佐：1887年10月27日 - 1888年1月28日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[中村彰彦]]『軍艦「甲鉄」始末』（[[新人物往来社]]、2005年） ISBN 4-404-03288-9&lt;br /&gt;
* 泉　江三　「軍艦メカニズム図鑑　日本の戦艦　上巻」グランプリ出版 ISBN 4-87687-221-X　c2053&lt;br /&gt;
* 元綱　数道　幕末の蒸気船物語　成山堂書店　　2004年　ISBN 4425302516 &lt;br /&gt;
* 中名生正己「幕末軍艦史話」最終話　甲 鐵&lt;br /&gt;
* 図説・新選組幕末斬闘賦 　[[学研]]　2010年　ISBN 978-4-05-605775-1&lt;br /&gt;
* 西村誠ほか　日本海軍　艦艇発達ガイド　[[双葉社]]　2010年　ISBN 978-4575451337 &lt;br /&gt;
: 海人社『[[世界の艦船]]』2007年12月号 No.683　p156～p161&lt;br /&gt;
*海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。&lt;br /&gt;
*『[[官報]]』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Commons|Category:Azuma (ship, 1864)}}&lt;br /&gt;
* [[大日本帝国海軍艦艇一覧]]&lt;br /&gt;
* [[ストーンウォール・ジャクソン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://battleships.ru/warships/sphinx_1863_ammalkov/ship_rsmalkov.html &#039;Sphinx&#039; (1863)] 南部連合「スフィンクス」時代の本艦のスペックがあるページ。（英語）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{アメリカ連合国海軍装甲艦}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あすまかん}}&lt;br /&gt;
[[Category:幕府海軍の艦船]]&lt;br /&gt;
[[Category:戊辰戦争の艦船]]&lt;br /&gt;
[[Category:台湾出兵の艦船]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本海軍の艦船]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の装甲艦]]&lt;br /&gt;
[[Category:戦艦]]&lt;br /&gt;
[[Category:1864年竣工船]]&lt;br /&gt;
[[Category:幕末の日米関係]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>116.70.231.114</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%BF%E3%82%B1%E7%A7%91&amp;diff=205886</id>
		<title>テングタケ科</title>
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		<updated>2014-08-05T07:44:50Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;116.70.231.114: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{生物分類表&lt;br /&gt;
| 色 = lightblue&lt;br /&gt;
| 画像 = [[File:Amanita pantherina 2013 G1.jpg|250px]]&lt;br /&gt;
| 画像キャプション = [[テングタケ]] {{snamei|Amanita pantherina}}&lt;br /&gt;
| 名称 = テングタケ科&lt;br /&gt;
| 界 = [[菌界]] {{sname||Fungi}}&lt;br /&gt;
| 門 = [[担子菌門]] {{sname||Basidiomycota}}&lt;br /&gt;
| 亜門 = [[菌蕈亜門]] {{sname||Hymenomycotina}}&lt;br /&gt;
| 綱 = [[真正担子菌綱]] {{sname||Homobasidiomycetes}}&lt;br /&gt;
| 目 = [[ハラタケ目]] {{sname||Agaricales}}&lt;br /&gt;
| 科 = &#039;&#039;&#039;テングタケ科 {{sname||Amanitaceae}}&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| 下位分類名 = 下位分類（属）&lt;br /&gt;
| 下位分類 = * [[テングタケ属]] {{snamei||Amanita}}&lt;br /&gt;
* [[ヌメリカラカサタケ属]] {{snamei||Limacella}}&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;テングタケ科&#039;&#039;&#039;（Amanitaceae）は[[ハラタケ目]]に分類される[[キノコ]]の科のひとつ。そのほとんどが[[菌根菌]]であるため、単生、もしくは散生で発生する。[[キノコの部位#傘|傘]]は円形で、条線があるものやイボ状の突起があるものもある。[[胞子紋]]は白色。[[キノコの部位#柄|柄]]はまっすぐ伸び、傘の中心に付く。傘と柄は容易に分離し、成菌の多くは明確な[[キノコの部位#つば|つば]]と[[キノコの部位#つぼ|つぼ]]を持つ。食用となるものは美味だが、本科のキノコには[[毒]]を持つものが多く、中には猛毒菌もある。近年では[[ウラベニガサ科]]と統合し、ウラベニガサ科にしてしまう場合もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 下位分類 ==&lt;br /&gt;
;テングタケ属（Amanita）&lt;br /&gt;
:代表的なものに[[テングタケ]]や[[ベニテングタケ]]、[[タマゴタケ]]などがある。中でも特に有名なベニテングタケは、その派手な色彩から猛毒と考えられがちだが、同属の[[ドクツルタケ]]や[[タマゴテングタケ]]に比べてその毒性ははるかに弱く、少量の摂取なら重篤な中毒に陥ることはまずない。が、非常に毒性の強い[[α-アマニチン]]はやはり含まれるので、安易に摂食すべきではない。テングタケの傘表面には多量の[[イボテン酸]]（旨味成分でもある）が含まれており、乾燥すると脱炭酸して[[ムッシモール]]となる。これらを摂取すると双方が[[中枢神経]]系の抑制伝達物質である[[γアミノ酪酸]]（GABA）の機能を阻害し、結果、GABA[[受容体]]に作用して精神錯乱や譫妄症状を引き起こす。テングタケの10～15％程度であるが、ベニテングタケにもイボテン酸が含まれる。テングタケ属の亜属には、テングタケ亜属とマツカサモドキ亜属がある。&lt;br /&gt;
:;テングタケ亜属&lt;br /&gt;
::[[ベニテングタケ]]（有毒）、[[タマゴタケ]]（食用）、[[カバイロツルタケ]]（食用）など&lt;br /&gt;
:;マツカサモドキ亜属のキノコ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
::[[タマゴテングタケ]]（猛毒）、[[ドクツルタケ]]（猛毒）、[[ガンタケ]]（微毒）など&lt;br /&gt;
;ヌメリカラカサタケ属（Limacella）&lt;br /&gt;
:[[ヌメリカラカサタケ]]と[[チャヌメリカラカサタケ]]は、日本でも秋の[[落葉樹林]]でしばしば観察できる。テングタケ属と違い、つば、つぼが両方ともはっきりしない。鱗片状にささくれ立った傘には粘性がある。毒はなく食用にもなるが、粉臭くて旨くない。近年でも数種の再分類がなされるなど、未だ不確定な要素が多い分類群である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== ギャラリー ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:Agaricales.jpg|[[ベニテングタケ]]（有毒）&lt;br /&gt;
画像:W tamagotake4081.jpg|[[タマゴタケ]]（食用）&lt;br /&gt;
画像:Amanita fulva lowpx.jpg|[[カバイロツルタケ]]（食用）&lt;br /&gt;
画像:Amanita phalloides.jpg|[[タマゴテングタケ]]（猛毒）&lt;br /&gt;
画像:Amanita virosa 02.jpg|[[ドクツルタケ]]（猛毒）&lt;br /&gt;
画像:Amanita rubescens.JPG|[[ガンタケ]]（微毒）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
テングダケの成長過程と細部&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
画像:Tengdake 20080829 01.jpg|土から顔を出した状態&lt;br /&gt;
画像:Tengdake 20080829 02.jpg|成長初期段階&lt;br /&gt;
画像:Tengdake 20080829 03.jpg|キノコらしい形になった&lt;br /&gt;
画像:Tengdake 20080829 04.jpg|傘が開ききった状態&lt;br /&gt;
画像:Tengdake 20080829 05.jpg|傘を真上から見たところ&lt;br /&gt;
画像:Tengdake 20080829 06.jpg|傘の裏&lt;br /&gt;
画像:Tengdake 20080829 07.jpg|根元付近&lt;br /&gt;
画像:Tengdake 20080829 08.jpg|土から抜いてみた状態&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*『北陸のきのこ図鑑』 著者：池田良幸／監修：[[本郷次雄]] （橋本確文堂／2005年） ISBN 4893790927&lt;br /&gt;
*『きのこ博物館』 著者：根田仁 （[[八坂書房]]／2003年） ISBN 489694819X &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:テングタケ科|*]]&lt;/div&gt;</summary>
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