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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-10-13T04:54:19Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>勾玉</title>
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		<updated>2014-04-09T19:45:53Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;116.64.143.16: /* 概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[File:Magatama.png|thumb|8世紀頃のさまざまな勾玉]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Magatamas.JPG|thumb|right|古墳時代の勾玉（[[東京国立博物館]]）]]&lt;br /&gt;
[[File:Magatamarm.jpg|thumb|複数の勾玉と管玉で作られた[[ネックレス|首飾]]]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Baekje gogok.jpg|thumb|武寧王の墓から出土した勾玉。ガラス玉の勾玉や、金で装飾された勾玉などがある。]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;勾玉&#039;&#039;&#039;（まがたま、&#039;&#039;&#039;曲玉&#039;&#039;&#039;とも表記）は、[[先史]]・[[古代]]の[[日本]]における[[装身具]]の一つである。祭祀にも用いられたと言われるが、詳細は分からない。語の初出は『[[記紀]]』で、『[[古事記]]』には「曲玉」、『[[日本書紀]]』には「勾玉」の表記が見られる。語源は「曲っている玉」から来ているという説が有力である。&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
多くは、[[C]]の字形またはコの字形に湾曲した、玉から尾が出たような形をしている。丸く膨らんだ一端に穴を開けて紐を通し、首飾りとした。孔のある一端を頭、湾曲部の内側を腹、外側を背と呼ぶ。多くは[[ヒスイ|翡翠]]、[[メノウ|瑪瑙]]、[[石英|水晶]]、[[滑石]]、[[琥珀]]、[[鼈甲]]で作られ、[[土器]]製のものもある。[[青銅]]などの金属製も存在するが、数は非常に少なく、青銅製は2013年1月時点で4例しか存在しない&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=6世紀初め 最古の青銅製勾玉が出土 鳥取市の松原10号墳 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2013-1-25 |url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/130124/ttr13012402170000-n1.htm |accessdate=2013-2-15}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その形状は、元が動物の[[牙]]であったとする説や、母親の胎内にいる初期の[[胎児]]の形を表すとする説などがある。[[鈴木克彦]]は[[縄文時代]]極初期の{{lang|zh|玦}}状耳飾りが原型であるとの説&amp;lt;ref&amp;gt;鈴木克彦「縄文勾玉の起源に関する考証」（2006年、『玉文化』3号）&amp;lt;/ref&amp;gt;をとる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の縄文時代の[[遺跡]]から発見されるものが最も古い。[[朝鮮半島]]へも伝播し、[[紀元前6世紀]]から[[3世紀]]初頭の[[無文土器時代]]に[[微斜長石#天河石|アマゾナイト]]製の勾玉が見られる&amp;lt;ref&amp;gt;なお、多量の縄文系遺物が出土する[[大韓民国]]・[[東三洞貝塚]]からは縄文前期のものと同様のケツ状耳飾が出土している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。縄文時代早期末から前期初頭に滑石や[[ろう石|蝋石]]のものが出現し、縄文中期には&#039;&#039;&#039;C字形の勾玉&#039;&#039;&#039;が見られ、後期から晩期には複雑化し、材質も多様化する。縄文時代を通じて勾玉の大きさは、比較的小さかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[弥生時代]]中期に入ると、前期までの獣形勾玉、緒締形勾玉から洗練された定形勾玉と呼ばれる勾玉が作られ始め、[[古墳時代]]頃から威信財とされるようになった。[[1993年]]（[[平成]]5年）に[[東京都]][[板橋区]]四葉遺跡の弥生末期の方形周濠墓から長さ7.4センチメートルのヒスイの勾玉が出土している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[魏志倭人伝]]によれば、[[邪馬台国]]女王の[[台与|臺與]]から[[魏 (三国)|魏]]への進貢品に「孔青大句珠二枚（穴が空いて曲がった青い大きな玉2個）」があり、[[ヒスイ製勾玉]]であろうと推測されている（進貢時期は[[248年]]-[[266年]]の間）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古墳時代前期の[[古墳]]から硬玉ヒスイの勾玉が出土することが多い。[[大阪府]][[和泉市]][[和泉黄金塚古墳]]では、大小の勾玉が34個も見つかっている。この内にはヒスイの勾玉が26個が含まれている。古墳出土の勾玉の大きなもので3～4センチメートルであるが、[[1912年]]（[[明治]]45年）{{年代要検証|date=2010年11月|元号|1912}}発掘の大阪府[[堺市]]の塚周り古墳（[[大山古墳]]の陪墳か）出土の大勾玉は、長さ約6センチメートルである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[奈良時代]]には寺院の芯礎に納められたり、仏像の装飾に使用されることはあったが、あくまでも古来の伝世品で、新規に製作されたものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本本土では、現在まで神社等でお守りとして販売されているが、[[沖縄県|沖縄]]では[[ノロ]]（祝女）の祭具として使用され、現代もその伝統が受け継がれている。[[古琉球]]時代（[[14世紀]] - [[16世紀]]）の遺構からは、玉製以外にも金製や陶製の勾玉が出土している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 弥生時代の環濠集落である[[唐古・鍵遺跡]]で、[[2003年]]（[[平成]]15年）に[[褐鉄鉱]]（鳴石）容器に入った勾玉が出土した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.47news.jp/CN/200309/CN2003091801000474.html 弥生で最大級のひすい製品 唐古・鍵遺跡出土の勾玉]（共同通信 2003年9月18日閲覧）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/town_cultural_asset/hisui.html 翡翠製勾玉と鳴石容器: 田原本町]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 古墳時代前期の[[博労町遺跡]]から、全国初の2個が背中合わせになった&#039;&#039;&#039;X字形の勾玉&#039;&#039;&#039;が発掘された。[[鳥取県]][[米子市]]の博労町遺跡から発掘（[[産経新聞]] [[2008年]]（[[平成]]20年）[[4月4日]]付より）。&lt;br /&gt;
* [[島根県]][[松江市]]の[[西川津遺跡]]で、[[弥生時代]]後期の約1800年前に作られたとみられる&#039;&#039;&#039;J字形のガラス製勾玉&#039;&#039;&#039;が発掘された（[[産経新聞]] [[2010年]]（[[平成]]22年）[[2月25日]]付より）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[皇室]]に伝わる[[三種の神器]]の一つに、[[八尺瓊勾玉]]が数えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また[[武寧王]]陵など[[大韓民国|韓国]]内の王墓からも発掘されており、これらは日本から伝来したものであるが、韓国歴史学会では反対に古代の韓国から日本へ伝わったとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 形の由来 ==&lt;br /&gt;
{{出典の明記|section=1|date=2013年3月3日 (日) 03:00 (UTC)}}&lt;br /&gt;
｢形の由来｣の説として、以下のものがある。他にも幾つかの説があり、なにが由来となっているか、そもそも一つのものを由来とするのかもよくわかっていない。&lt;br /&gt;
* 動物の牙で作った[[牙玉]]を基とする説&lt;br /&gt;
* 胎児の形を模したとする説&lt;br /&gt;
* 魂の姿を象ったとする説&lt;br /&gt;
* 巴形を模したとする説&lt;br /&gt;
* 月の形を模したとする説&lt;br /&gt;
* 形そのものに意味があったとする説&lt;br /&gt;
* 破損した耳飾を再利用したとする説&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 画像 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
ファイル:Magatama40.JPG|[[メノウ|瑪瑙]]の勾玉&lt;br /&gt;
ファイル:Tamatsukuri-inari-jinja museum.jpeg|難波玉造資料館&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 藤田富士夫「玉」（1989年、ニュー・サイエンス社）&lt;br /&gt;
* 小林美元「古神道入門」（1998年11月、評言社）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Magatamas}}&lt;br /&gt;
* [[宝石]]&lt;br /&gt;
* [[玉]]（ギョク）&lt;br /&gt;
* [[ヒスイ製勾玉]]&lt;br /&gt;
* [[玉作湯神社]]&lt;br /&gt;
* [[神道]]&lt;br /&gt;
* [[お守り]]&lt;br /&gt;
* [[管玉]]&lt;br /&gt;
* [[日本における装身具の歴史]]&lt;br /&gt;
* [[埼玉県旗]]は、勾玉を丸く並べ、図案化したものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Japanese-history-stub}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まかたま}}&lt;br /&gt;
[[Category:ビーズ細工]]&lt;br /&gt;
[[Category:縄文時代]]&lt;br /&gt;
[[Category:弥生時代]]&lt;br /&gt;
[[Category:古墳時代]]&lt;br /&gt;
[[Category:神祭具]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>116.64.143.16</name></author>
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