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	<title>Wikippe - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=17%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=3184</id>
		<title>17世紀</title>
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		<updated>2014-08-16T11:49:36Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;111.87.58.207: /* 西アジア・中央アジア世界 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{centurybox|&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
 世紀=17 |&lt;br /&gt;
 次世紀=18 |&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
 前世紀=16 |&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Prefecture_yvelines_versailles.jpg|right|thumb|250px|&#039;&#039;&#039;絶対王政&#039;&#039;&#039;　壮麗なヴェルサイユ宮殿。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Las Meninas, by Diego Velázquez, from Prado in Google Earth.jpg|right|thumb|220px|スペインの没落。国王フェリペ4世の時代に国勢は傾いた。国王夫妻とマルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「[[ラス・メニーナス]]」。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:René Descartes i samtal med Sveriges drottning, Kristina.jpg||right|thumb|220px|哲学者ルネ・デカルト『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:The Anatomy Lesson.jpg|right|thumb|220px|[[レンブラント・ファン・レイン]]の「[[テュルプ博士の解剖学講義]]」。この時代は[[オランダ黄金時代の絵画|オランダの黄金時代]]であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Westfaelischer Friede in Muenster (Gerard Terborch 1648).jpg|right|thumb|220px|[[三十年戦争]]の終結のために開かれた[[ミュンスター]]での会議の様子。以後ヨーロッパの国際関係は[[ヴェストファーレン体制]]と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Battle of Vienna 1683 11.PNG|right|thumb|250px|第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。]]&lt;br /&gt;
[[File:Estasi di Santa Teresa.jpg|thumb|right|200px|[[バロック]]の栄光。対抗宗教改革でカトリック教会は宗教的感情に訴える総合芸術「バロック」を作り出した。画像はローマの[[サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会]]コルナロ礼拝堂に置かれた[[ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ|ベルニーニ]]の「[[聖テレジアの法悦]]」。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Sheikh-Lotf-Allah mosque wall and ceiling 2.jpg|right|thumb|250px|シェイク・ロトフォラー・モスクの内部。[[シャー]]・[[アッバース1世]]が[[サファヴィー朝]]の新都[[イスファハーン]]に建てた。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Taj Mahal, Agra, India edit3.jpg|right|thumb|250px|ムガル帝国の繁栄。皇帝[[シャー・ジャハーン]]が愛妃ムムターズ・マハルを偲んで建てた[[タージ・マハル]]。]]&lt;br /&gt;
[[File:Ricci Guangqi 2.jpg|right|thumb|200px|『幾何原本』に描かれた[[マテオ・リッチ]]と[[徐光啓]]。[[イエズス会]]宣教師の活躍は東西文化の交流を促進した。]]&lt;br /&gt;
[[File:Hall of Supreme Harmony.JPG|right|thumb|250px|[[紫禁城]][[太和殿]]。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。]]&lt;br /&gt;
[[File:Tokugawa Ieyasu2.JPG|right|thumb|200px|徳川家康の肖像。関ヶ原の戦いで勝利して征夷大将軍となり、以後260年余にわたる徳川幕府の基礎を固めた。]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;17世紀&#039;&#039;&#039;（じゅうしちせいき、じゅうななせいき）は、[[西暦]][[1601年]]から西暦[[1700年]]までの100年間を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 17世紀の歴史 ==&lt;br /&gt;
この時代の[[ヨーロッパ]]では小氷河期による世界レベルでの寒冷化が原因で&#039;&#039;&#039;[[17世紀の危機]]&#039;&#039;&#039;と呼ばれる混乱が生じ各国で飢饉、戦争、内乱が相次いだ。この結果、[[イギリス]]では&#039;&#039;&#039;[[清教徒革命]]&#039;&#039;&#039;と&#039;&#039;&#039;[[名誉革命]]&#039;&#039;&#039;が起きて[[議会|議会政治]]が、[[フランス]]では[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]によって、[[絶対王政]]が確立された。この混乱を免れた[[オランダ]]は自由貿易により大いに栄えた。[[ロシア帝国]]は本格的に[[シベリア]]で世界最大の版図を築いた。[[東欧]]は[[西欧]]とロシアの従属的な地位に転落していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヨーロッパから現在における[[北アメリカ大陸]]への永久[[移民]]が入植した。また、[[西インド諸島]]での[[プランテーション]]経営に多くの労働力を必要としたことから、[[北アフリカ]]諸地域から[[ネグロイド|黒人]][[奴隷]]が盛んに連れて来られるようになった（[[奴隷貿易]]、[[三角貿易]]）。さらに、イギリス・オランダなどが[[東インド会社]]を設立するなど、ヨーロッパ諸国は[[アジア]]、[[新大陸]]である現南北米地域との間で交易を活発にした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アジアでは西アジアの[[オスマン帝国]]、[[インド]]の[[ムガル帝国]]と大帝国が繁栄、[[中国]]では[[明]]から[[清]]へ王朝が交代し17世紀後半には[[康熙帝]]の登場により最盛期を迎えた。[[日本]]では16世紀末の[[関ヶ原の戦い]]で勝利した[[徳川家康]]による[[江戸幕府]]が開かれ、第2代将軍[[徳川秀忠|秀忠]]の頃になると&#039;&#039;&#039;[[鎖国|鎖国政策]]&#039;&#039;&#039;がとられるようになった。この政策は約240年に渡り続くことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 17世紀の科学革命 ===&lt;br /&gt;
[[微分積分学]]と[[光学]]、[[万有引力]]などの諸法則・定理を発見した[[アイザック・ニュートン]]、[[望遠鏡]]を使用して[[月]]の表面に[[凸凹]]があることや[[木星]]に[[衛星]]があること、[[天の川]]が無数の[[星]]の集合であることなど[[天体]]に関する様々な発見により[[天文学]]に大きく貢献した[[ガリレオ・ガリレイ]]、[[惑星]]の[[軌道 (力学)|軌道]]が[[楕円]]であることなど天体の運行法則に関する[[ケプラーの法則]]の提唱や[[ルドルフ表]]を作り[[地動説]]のほうが精密に惑星の運行を計算できることを明示した[[ヨハネス・ケプラー]]など[[科学]]的な発見が相次ぎ、科学哲学上にも大きな影響を与えたことから&#039;&#039;&#039;[[科学革命]]&#039;&#039;&#039;と呼ばれている。&lt;br /&gt;
誰にでも[[検証]]可能な方法によって自説の正しさを証明するという、[[科学的方法]]が用いられるようになったのもこの時期からである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 魔女狩りのピークと衰退 ===&lt;br /&gt;
ヨーロッパで[[15世紀]]から広がり始めた[[魔女狩り]]が、16世紀の終わりから17世紀の中頃にかけて[[ピーク]]を迎えた。一方で、17世紀末には急速に衰退しており、魔女裁判で[[極刑]]を科すケースもほとんど見られなくなっている。魔女狩りにより、ヨーロッパ全体で15世紀から18世紀までの間に最大4万人が[[処刑]]されたものと考えられている。その他の地域では、北アメリカの[[植民地]]でも数は少ないが魔女狩りの例がある（[[セイラム魔女裁判]]など）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
*日本では[[江戸時代]]の初期・前期にあたる。&lt;br /&gt;
*中国では明清時代（17世紀前半が明朝・中盤から後半が清朝）、また[[モンゴル帝国]]の[[皇帝]]位として存続していた[[北元]]が消滅した。&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 1601年 &lt;br /&gt;
** [[海禁]]政策をとっていた[[明]]王朝下で、[[マテオ・リッチ]]が[[北京市|北京]]入城を果たし住居を得る。&lt;br /&gt;
** イングランド女王エリザベス1世の寵臣[[ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯)|エセックス伯]]が反逆罪で死刑に処せられる。&lt;br /&gt;
** 織傭の変。&lt;br /&gt;
* 1602年 - [[オランダ]]が[[オランダ東インド会社|東インド会社]]を設立（[[オランダ東インド会社]]）。&lt;br /&gt;
* 1603年&lt;br /&gt;
** [[スコットランド]]王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世]]が[[イングランド]]王ジェームズ1世として即位し、両国の[[同君連合]]が成立。&lt;br /&gt;
** ロシアで帝位僭称者[[偽ドミトリー1世]]が出現。&lt;br /&gt;
** [[江戸幕府]]成立。[[徳川家康]]が[[征夷大将軍|将軍]]となる。&lt;br /&gt;
* 1605年&lt;br /&gt;
** [[イングランド]]の[[ガイ・フォークス]]らが、国王ジェームズ1世らの爆殺を企てるも失敗（[[火薬陰謀事件]]）。&lt;br /&gt;
** [[徳川秀忠]]が江戸幕府第2代将軍となる。&lt;br /&gt;
* 1607年 - イングランドが[[北アメリカ大陸]]の[[ジェームズタウン (バージニア州)|ジェームズタウン]]に入植成功。&lt;br /&gt;
* 1609年&lt;br /&gt;
** [[己酉約条]]。 &lt;br /&gt;
** [[島津氏]]による[[琉球王国]]侵攻（[[島津侵入事件]]）。&lt;br /&gt;
** スペインでのイスラム教徒（[[モリスコ]]）追放令。&lt;br /&gt;
** [[ヘンリー・ハドソン]]による[[ニューアムステルダム]]（現[[ニューヨーク]]）の発見。&lt;br /&gt;
* 1610年 - フランス国王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]暗殺、息子の[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]が即位。&lt;br /&gt;
* 1611年&lt;br /&gt;
** [[後陽成天皇]]が譲位し、第108代[[後水尾天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
** [[スウェーデン]]王[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ・アドルフ（獅子王）]]が17歳で即位。&lt;br /&gt;
** イングランドで『[[欽定訳聖書]]』（ジェームズ王訳）が出される。&lt;br /&gt;
* 1613年&lt;br /&gt;
** [[ロシア帝国]]皇帝に[[ミハイル・ロマノフ]]が推戴され、[[ロマノフ朝]]が成立。&lt;br /&gt;
** [[大久保長安事件]]。&lt;br /&gt;
* 1614年 - [[大坂の役|大坂冬の陣]]。　&lt;br /&gt;
* 1615年 &lt;br /&gt;
** [[大坂の役|大坂夏の陣]]、徳川家康が[[豊臣氏]]を滅ぼす。&lt;br /&gt;
** [[慶長遣欧使節]]がスペイン王フェリペ3世や、ローマ教皇パウルス5世と謁見。&lt;br /&gt;
* 1616年&lt;br /&gt;
** [[ヌルハチ]]が[[後金]]（[[清]]の前身）を建国し、初代皇帝となる。&lt;br /&gt;
** 徳川家康死去。[[久能山]]に葬られるが、翌1617年に[[日光東照宮|日光]]に改葬される。&lt;br /&gt;
* 1617年 - フランス元帥[[コンチーノ・コンチーニ]]暗殺、ルイ13世の母后[[マリー・ド・メディシス]]の失脚。&lt;br /&gt;
* 1618年 &lt;br /&gt;
** [[ベーメン]]で[[プラハ窓外投擲事件]]。この事件をきっかけに[[三十年戦争]]が始まる（ - 1648年）。&lt;br /&gt;
** [[ヨーハン・ジギスムント]]のもとで[[プロイセン公国]]と[[ブランデンブルク選帝侯]]国が同君連合となる。&lt;br /&gt;
** 探検家[[ウォルター・ローリー]]の処刑。&lt;br /&gt;
* 1619年&lt;br /&gt;
** サルフの戦いで、後金のヌルハチが明に勝利する。&lt;br /&gt;
** 董氏の奴変。&lt;br /&gt;
** オランダ東インド会社が[[バンテン王国]]から[[ジャカルタ]]を獲得し[[バタヴィア]]要塞を建設。&lt;br /&gt;
* 1620年&lt;br /&gt;
** [[ピルグリム・ファーザーズ]]が[[メイフラワー号]]でイングランドから北米のニューイングランド地方へ永久移民。&lt;br /&gt;
** 明の[[泰昌帝]]が第15代皇帝に即位するが1か月で死去したため、[[天啓帝]]が第16代皇帝に即位。&lt;br /&gt;
* 1622年&lt;br /&gt;
** [[長崎市|長崎]]で[[キリシタン]]55名が[[処刑]]される（[[元和の大殉教]]）。&lt;br /&gt;
** サファヴィー朝のアッバース1世が[[ホルムズ島]]をポルトガルから奪回する。&lt;br /&gt;
* 1623年 &lt;br /&gt;
** [[徳川家光]]が江戸幕府第3代将軍となる。&lt;br /&gt;
** [[アンボイナ事件]]。&lt;br /&gt;
* 1624年&lt;br /&gt;
** [[リシュリュー]]がフランスの宰相となる。&lt;br /&gt;
* 1625年&lt;br /&gt;
** [[ブレダの開城]]。&lt;br /&gt;
* 1626年  &lt;br /&gt;
** 開読の変。&lt;br /&gt;
** 王恭廠の大爆発。&lt;br /&gt;
** 寧遠城の戦いで明が後金に勝利、ヌルハチが死去し、[[ホンタイジ]]が第2代皇帝として即位。&lt;br /&gt;
** 教皇ウルバヌス8世が[[サン・ピエトロ大聖堂]]の献堂式を行う。&lt;br /&gt;
* 1627年 &lt;br /&gt;
** [[丁卯胡乱]]。&lt;br /&gt;
** 明の天啓帝が死去し、宦官[[魏忠賢]]が処刑される。&lt;br /&gt;
** フランスで[[ラ・ロシェル包囲戦]]（ - 1628年）。&lt;br /&gt;
** [[マントヴァ]]継承戦争（ - 1632年）。&lt;br /&gt;
* 1628年&lt;br /&gt;
** イングランド議会が[[権利の請願]]を採択。&lt;br /&gt;
** 明の[[崇禎帝]]が第17代皇帝に即位。&lt;br /&gt;
* 1629年&lt;br /&gt;
** 後水尾天皇が譲位し、第109代[[明正天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
** イングランド王チャールズ1世が議会を解散し、以後11年間議会は開催されず（ - 1640年）。&lt;br /&gt;
* 1630年 &lt;br /&gt;
** [[マクデブルクの戦い]]（マクデブルクの惨劇）。&lt;br /&gt;
** オランダがポルトガル領ブラジルの[[レシフェ]]を占領（ - [[1654年]]）。&lt;br /&gt;
** 明の崇禎帝の命で袁崇煥が処刑される。&lt;br /&gt;
* 1631年 &lt;br /&gt;
** フランスの「欺かれし者の日」事件で、母后マリー・ド・メディシスが再失脚。&lt;br /&gt;
** [[ベールヴァルデ条約]]が結ばれ、フランスとスウェーデンの軍事同盟成立。&lt;br /&gt;
* 1632年 - [[リュッツェンの戦い]]で、スウェーデン国王[[グスタフ・アドルフ]]が戦死。&lt;br /&gt;
* 1633年&lt;br /&gt;
** ガリレオ・ガリレイがローマ教皇庁から有罪の判決を受け終身刑を言い渡される。&lt;br /&gt;
** [[ハイルブロン同盟]]結成。&lt;br /&gt;
* 1634年&lt;br /&gt;
** [[長崎市|長崎]]に[[出島]]造成。&lt;br /&gt;
** 神聖ローマ帝国軍総司令官[[ヴァレンシュタイン]]が暗殺される。&lt;br /&gt;
** [[ネルトリンゲンの戦い (1634年)|ネルトリンゲンの戦い]]で皇帝軍がスウェーデン軍らハイルブロン同盟に勝利。&lt;br /&gt;
* 1635年&lt;br /&gt;
** [[アカデミー・フランセーズ]]創設。&lt;br /&gt;
** モンゴル帝国（[[チャハル部]]）のエジェイが後金に降伏。元朝伝来の玉璽が後金にわたる。&lt;br /&gt;
* 1636年 &lt;br /&gt;
** [[ホンタイジ]]が国号を後金から大清に改める。&lt;br /&gt;
** [[丙子胡乱]]。これで清に敗北した朝鮮は翌1637年[[三田渡の盟約]]を締結。&lt;br /&gt;
** [[ハーバード大学]]がアメリカ最古の大学として創立される。&lt;br /&gt;
* 1637年&lt;br /&gt;
** [[島原の乱]]（ - 1638年）。&lt;br /&gt;
** オランダで[[チューリップ・バブル]]事件。&lt;br /&gt;
** ルネ・デカルト『方法序説』刊行。&lt;br /&gt;
* 1640年&lt;br /&gt;
** [[ポルトガル独立戦争]]（ - 1668年）。&lt;br /&gt;
** カタルーニャで[[収穫人戦争]]（ - 1659年）。&lt;br /&gt;
** イングランドで[[短期議会]]、[[長期議会]]。&lt;br /&gt;
* 1641年&lt;br /&gt;
** イングランドで[[議会の大諫奏]]。&lt;br /&gt;
* 1642年&lt;br /&gt;
** [[清教徒革命]]（ - 1649年）。&lt;br /&gt;
** [[グーシ・ハーン]]が[[チベット]]を再統一し、[[ダライ・ラマ5世]]との協力関係を樹立。&lt;br /&gt;
** フランスで[[サン＝マール侯爵アンリ・コワフィエ・ド・リュゼ|サン・マール侯爵]]の陰謀事件。フランス宰相リシュリュー死去。&lt;br /&gt;
* 1643年&lt;br /&gt;
** 明正天皇が譲位し、第110代[[後光明天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
** 清のホンタイジが没し、[[順治帝]]が第3代皇帝として即位。&lt;br /&gt;
** フランス国王ルイ13世死去。ルイ14世が即位する。&lt;br /&gt;
* 1644年&lt;br /&gt;
** [[李自成]]が北京を陥落させる。崇禎帝が自殺し明朝滅亡。&lt;br /&gt;
** 清の摂政王ドルゴンと続いて順治帝が北京に入城。清軍が逃亡した李自成軍を滅ぼす。&lt;br /&gt;
** 越前国の廻船船員竹内藤右衛門・国田兵右衛門らが満州（韃靼）に漂着、清朝支配の北京に連行される（『韃靼漂流記』）。&lt;br /&gt;
* 1645年 &lt;br /&gt;
** [[ネイズビーの戦い]]。&lt;br /&gt;
** [[オスマン帝国]]と[[ヴェネツィア共和国]]との[[クレタ]]戦争（ - [[1669年]]）。&lt;br /&gt;
** ダライラマ5世が[[ラサ]]の[[ポタラ宮殿]]建設に着手（ - [[1695年]]）。&lt;br /&gt;
* 1647年 - ナポリでマサニエッロの反乱。&lt;br /&gt;
* 1648年&lt;br /&gt;
** ムガル帝国で[[タージ・マハル]]竣工（1632年 - ）。&lt;br /&gt;
** フランスで[[フロンドの乱]]（ - 1653年）&lt;br /&gt;
** [[ヴェストファーレン条約]]により三十年戦争終結（[[ヴェストファーレン体制]]）。&lt;br /&gt;
* 1649年&lt;br /&gt;
** [[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]][[処刑]]。イングランドは共和国になる（ - 1660年）。&lt;br /&gt;
** [[クロムウェルのアイルランド侵略|オリバー・クロムウェルのアイルランド侵略]]。&lt;br /&gt;
* 1651年&lt;br /&gt;
** [[慶安の変]]。&lt;br /&gt;
** [[徳川家綱]]が江戸幕府第4代将軍となる。&lt;br /&gt;
** イングランドが[[航海条例]]を制定。&lt;br /&gt;
* 1652年 - [[英蘭戦争|第一次英蘭戦争]]（ - 1654年）。&lt;br /&gt;
* 1653年&lt;br /&gt;
** 「統治章典」が制定され、[[オリヴァー・クロムウェル]]が[[護国卿]]に就任。&lt;br /&gt;
** モスクワ総主教ニーコンの教会改革が始まる。&lt;br /&gt;
* 1654年 - 後光明天皇が没し、第111代[[後西天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
* 1655年 &lt;br /&gt;
** 北東欧の覇権をめぐる[[北方戦争]]が起こる（ - 1661年）。&lt;br /&gt;
** 前スウェーデン女王[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]がカトリックに改宗。&lt;br /&gt;
* 1657年 - [[明暦の大火]]。&lt;br /&gt;
* 1658年&lt;br /&gt;
** ムガル皇帝[[シャー・ジャハーン]]が幽閉され、帝位継承争いに勝利した[[アウラングゼーブ]]が即位。&lt;br /&gt;
** [[ポルトガル領セイロン]]をオランダが占領（[[オランダ領セイロン]]）。&lt;br /&gt;
* 1659年 - [[ピレネー条約]]の締結でスペインの没落が決定的となる。&lt;br /&gt;
* 1660年&lt;br /&gt;
** イングランドで[[王政復古 (ヨーロッパ)|王政復古]]により、国王チャールズ2世が即位。&lt;br /&gt;
** フランス王ルイ14世とスペイン王女[[マリー・テレーズ・ドートリッシュ|マリー・テレーズ]]の結婚。&lt;br /&gt;
* 1661年 &lt;br /&gt;
** 清の[[康熙帝]]が第4代皇帝に即位。[[遷界令]]を出す。&lt;br /&gt;
** ビルマに逃れた南明の永暦帝が捕縛され処刑される。&lt;br /&gt;
** フランス宰相マザラン死去、国王ルイ14世の親政始まる。&lt;br /&gt;
* 1662年&lt;br /&gt;
** [[ゼーランディア城包囲戦]]に勝利した[[鄭成功]]がオランダ人を駆逐し[[台湾]]を占領。&lt;br /&gt;
** イングランド王チャールズ2世とポルトガル王女[[キャサリン・オブ・ブラガンザ|キャサリン]]の結婚。&lt;br /&gt;
*** この結婚でインドの[[ボンベイ]]・北アフリカの[[タンジール]]がイングランド領になる。&lt;br /&gt;
* 1663年 - 後西天皇が譲位し、第112代[[霊元天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
* 1665年&lt;br /&gt;
** [[英蘭戦争|第二次英蘭戦争]]（ - 1667年）。&lt;br /&gt;
** ポルトガルが[[コンゴ王国]]に侵攻しアンブイラの戦いで勝利。&lt;br /&gt;
** [[アイザック・ニュートン]]が[[万有引力]]を発見。[[古典力学]]の創始。&lt;br /&gt;
* 1666年 &lt;br /&gt;
** イングランドで[[ロンドン大火]]・[[ペスト]]流行・ノースフォアランド沖の海戦（第二次英蘭戦争）。&lt;br /&gt;
*** この年は事件が続発したのでイングランドでは「驚異の年（[[アヌスミラビリス]]）」と呼ばれる。&lt;br /&gt;
* 1667年&lt;br /&gt;
** [[ネーデルラント継承戦争]]（ - 1668年）。&lt;br /&gt;
** [[ブレダの和約]]でオランダからイングランドは北米の[[ニューネーデルラント]]を獲得。&lt;br /&gt;
** [[アンドルソヴォ条約]]で、ウクライナのコサック国家は[[ドニエプル川]]を軸に分割され、ロシアはキエフと左岸ウクライナを獲得。&lt;br /&gt;
* 1668年 - 世界最古の[[中央銀行]]である[[スウェーデン国立銀行]]が設立される。&lt;br /&gt;
* 1669年 &lt;br /&gt;
** [[シャクシャインの戦い]]。&lt;br /&gt;
** 清で[[オボイ]]が失脚し、[[康熙帝]]の親政が始まる。&lt;br /&gt;
* 1670年&lt;br /&gt;
** フランス王ルイ14世とイングランド王チャールズ2世の[[ドーヴァーの密約|ドーヴァー密約]]。&lt;br /&gt;
** ロシアで[[ステンカ・ラージン]]（スチェパン・ラージン）の反乱（ - 1671年）。&lt;br /&gt;
* 1672年 &lt;br /&gt;
** [[英蘭戦争|第三次英蘭戦争]]（ - 1674年）。[[オランダ侵略戦争]]（ - 1678年）。&lt;br /&gt;
** オランダの政治指導者[[コルネリス・デ・ウィット|デ・ウィット兄]][[ヨハン・デ・ウィット|弟]]が民衆に虐殺される。&lt;br /&gt;
** オスマン帝国が[[ウクライナ]]の[[ポドリア]]（ポディーリャ）を占領。&lt;br /&gt;
** [[エルサレム公会 (1672年)|エルサレム公会議]]で、[[東方正教会]]がプロテスタントの教理を否定。&lt;br /&gt;
* 1673年 - 清で[[三藩の乱]]が起こる（ - 1681年）。&lt;br /&gt;
* 1674年&lt;br /&gt;
** [[寛永通宝]]4貫＝金一[[両]]と定め、古銭の通用を停止する。[[江戸]]市中の[[非人]]を改める。&lt;br /&gt;
** [[シヴァージー]]が[[マラータ王国]]を建国。&lt;br /&gt;
* 1675年 - [[スコーネ戦争]]（ - 1679年）。&lt;br /&gt;
* 1677年 - [[美濃国|美濃]][[郡上藩]]の農民、江戸に越訴。[[郡上藩]]、増徴派と減租派の家中騒動始まる（[[延宝郡上一揆]]）。&lt;br /&gt;
* 1679年 - ムガル皇帝アウラングゼーブが非イスラム教徒に対する人頭税[[ジズヤ]]を復活させる。&lt;br /&gt;
* 1680年 - [[徳川綱吉]]が江戸幕府第5代将軍となる。&lt;br /&gt;
* 1682年&lt;br /&gt;
** [[ヴェルサイユ宮殿|宮殿]]の完成に伴いフランスの宮廷と政府がヴェルサイユに移動する（ - [[1789年]]）。&lt;br /&gt;
** [[ストレリツィ]]（銃兵隊）の蜂起により[[ソフィア・アレクセーエヴナ]]がロシアの摂政となる。&lt;br /&gt;
* 1683年&lt;br /&gt;
** [[第二次ウィーン包囲]]。&lt;br /&gt;
** 清が[[鄭氏政権]]を降伏させ、台湾を占領。&lt;br /&gt;
* 1684年 - 江戸城内で[[大老]][[堀田正俊]]が[[若年寄]][[稲葉正休]]に刺殺される。&lt;br /&gt;
* 1685年&lt;br /&gt;
** フランスで[[ナントの勅令]]廃止（フォンテーヌブロー勅令）。&lt;br /&gt;
** ブランデンブルクで亡命フランス人プロテスタントを受け入れる[[ポツダム勅令]]が出される。&lt;br /&gt;
** イングランド王チャールズ2世の死去、弟のジェームズ2世が即位。[[モンマスの反乱|モンマス公の反乱]]が起こる。&lt;br /&gt;
* 1686年 - [[服忌令]]を改訂（ - 1693年）。&lt;br /&gt;
* 1687年&lt;br /&gt;
** [[生類憐れみの令]]（この後、1708年まで繰り返し出される）が出され、[[田畑永代売買禁止令]]も再び出される。&lt;br /&gt;
** 後西天皇が譲位し、第113代[[東山天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
** アイザック・ニュートン、『[[自然哲学の数学的諸原理|プリンキピア]]』にて[[ニュートン力学]]を発表。&lt;br /&gt;
** [[シャルル・ペロー]]の頌詩「ルイ大王の世紀」をきっかけに「[[新旧論争]]」が始まる。&lt;br /&gt;
* 1688年&lt;br /&gt;
** イングランド国王ジェームズ2世が逃亡、オラニエ公ウィレムが招かれ国王ウィリアム3世として即位（[[名誉革命]]）。&lt;br /&gt;
** [[大同盟戦争]]（ファルツ継承戦争）が起こる（ - 1697年）&lt;br /&gt;
* 1689年&lt;br /&gt;
** イングランド王ウィリアム3世・メアリ2世が「権利の宣言」に署名。これをもとに「[[権利章典]]」が発布される。&lt;br /&gt;
** 清と[[ロシア]]の国境が[[ネルチンスク条約]]で定まる。&lt;br /&gt;
** ロシアの摂政[[ソフィア・アレクセーエヴナ]]が失脚する。&lt;br /&gt;
* 1690年 - この頃、[[浮世草子]]盛行する。&lt;br /&gt;
* 1692年 - [[セイラム魔女裁判]]。&lt;br /&gt;
* 1693年 - ポルトガル領ブラジルの[[ミナス・ジェライス]]で金鉱が発見され、[[ゴールド・ラッシュ]]が起こる。&lt;br /&gt;
* 1694年 - [[イングランド銀行]]設立。&lt;br /&gt;
* 1695年 - [[北京]][[紫禁城]][[太和殿]]が再建される。&lt;br /&gt;
* 1696年 &lt;br /&gt;
** [[イヴァン5世]]の死により[[ピョートル1世]]が単独のロシア皇帝となる。&lt;br /&gt;
** ロシアのピョートル1世がオスマン朝から[[アゾフ海]]を獲得。&lt;br /&gt;
** ジョーン・モドの戦いで清の康熙帝が[[ジュンガル部]]の[[ガルダン・ハーン]]を敗走させる。&lt;br /&gt;
* 1697年&lt;br /&gt;
** ピョートル1世によりヨーロッパに向けてのロシア大使節団が派遣される（ - 1698年）。&lt;br /&gt;
** ザクセン選帝侯[[アウグスト2世 (ポーランド王)|アウグスト2世]]が[[ポーランド王]]に選出される。&lt;br /&gt;
* 1699年&lt;br /&gt;
** 長崎奉行を4名に増員する。&lt;br /&gt;
** [[カルロヴィッツ条約]]でによりオスマン朝がハンガリーを放棄。&lt;br /&gt;
* 1700年&lt;br /&gt;
** 金銀銭三貨の比価（[[小判|金]]一両＝[[丁銀|銀]]六十[[匁]]＝[[銭]]四[[貫文]]）を定める。&lt;br /&gt;
** [[大北方戦争]]で、スウェーデンとロシアが戦う（ - [[1721年]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== ヨーロッパ世界 ===&lt;br /&gt;
==== スペイン・ポルトガル ====&lt;br /&gt;
* [[ミゲル・デ・セルバンテス]]（[[1547年]] - [[1616年]]） - [[スペイン黄金世紀|スペインの黄金世紀]]の作家・『[[ドン・キホーテ]]』を著す&lt;br /&gt;
* [[ルイス・デ・ゴンゴラ]]（[[1561年]] - [[1627年]]） - スペイン黄金世紀の詩人・難解な修辞による「ゴンゴリスモ」の作風で知られる&lt;br /&gt;
* [[ロペ・デ・ベガ]]（[[1562年]] - [[1635年]]） - スペインの黄金世紀の劇作家・詩人・『[[バレンシアの寡婦]]』『オルメードの騎士』がある &lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・デ・ケベード]]（[[1580年]] - [[1645年]]） - スペインの黄金世紀の作家・『ぺてん師 ドン・パブロスの生涯』などを著す&lt;br /&gt;
* オリバレス伯爵[[ガスパール・デ・グスマン]]（[[1587年]] - [[1645年]]） - スペインの首席大臣・国王[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]の治世下でスペインの再建に努力&lt;br /&gt;
* [[ホセ・デ・リベーラ]]（[[1591年]] - [[1652年]]） - スペイン出身でナポリで活躍した画家・厳格な写実の「えび足の少年」「聖バルトロマイの殉教」がある&lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・デ・スルバラン]]（[[1598年]] - [[1664年]]） - スペインのバロックの画家・[[セビリア]]を中心に活躍し聖人画や静物画に優れる&lt;br /&gt;
* [[ディエゴ・ベラスケス]]（[[1599年]] - [[1660年]]） - スペインのバロックの宮廷画家・国王[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]の宮廷を描く・代表作に「[[ラス・メニーナス]]」&lt;br /&gt;
* [[ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ]]（[[1600年]] - [[1681年]]） - スペインの黄金世紀の劇作家・修辞を駆使した作風で『人生は夢』などを著す&lt;br /&gt;
* [[バルタサル・グラシアン|バルタサール・グラシアン]]（[[1601年]] - [[1658年]]） - スペインの黄金世紀の哲学者・神学者・イエズス会士・主著に『エル・クリティコン』がある&lt;br /&gt;
* [[ジョアン4世 (ポルトガル王)|ジョアン4世]]（再興王）（[[1604年]] - [[1656年]]） - [[ブラガンサ王朝|ブラガンサ朝]]の初代 [[ポルトガル]]王（在位[[1640年]] - [[1656年]]）・[[ポルトガル王政復古戦争|王政復古戦争]]で勝利&lt;br /&gt;
* [[バルトロメ・エステバン・ムリーリョ]]（[[1617年]] - [[1682年]]） - スペインのバロックの画家・[[セビリャ]]で活躍し「無原罪の御宿り」などを描く　&lt;br /&gt;
* [[カルロス2世 (スペイン王)|カルロス2世]]（[[1661年]] - [[1700年]]） - スペインの[[ハプスブルク|アブスブルゴ家]]最後の国王（在位[[1665年]] - [[1700年]]）・その死で[[スペイン継承戦争]]勃発&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イングランド・スコットランド ====&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ネイピア]]（[[1550年]] - [[1617年]]） - [[スコットランド]]の数学者・[[対数]]の概念を発見し「対数表」を作成・「[[ネイピアの骨]]」でも知られる&lt;br /&gt;
* [[エドワード・コーク]]（[[1552年]] - [[1634年]]） - [[イングランド]]の法律家・政治家・「[[権利の請願]]」の起草者の一人&lt;br /&gt;
* [[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベーコン]]（[[1561年]] - [[1626年]]） - イングランドの政治家（国璽尚書・大法官）・哲学者（[[経験論]]）として『学問の進歩』がある&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・シェイクスピア]]（[[1564年]] - [[1616年]]） - イングランドの劇作家・詩人・エリザベス時代に続いてジェームズ時代でも活躍&lt;br /&gt;
* [[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]（[[1566年]] - [[1625年]]） - [[スコットランド]]王・[[スチュアート朝]]の初代イングランド王（在位[[1603年]] - [[1625年]]）&lt;br /&gt;
* [[ガイ・フォークス]]（[[1570年]] - [[1606年]]） - イングランドでの国王暗殺の[[火薬陰謀事件]]の計画犯&lt;br /&gt;
* [[トーマス・マン (経済学者)|トーマス・マン]]（[[1571年]] - [[1641年]]） - イングランドの実業家・経済学者（[[重商主義]]）・『外国貿易によるイングランドの財宝』を執筆&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ダン]]（[[1572年]] - [[1631年]]） - イングランドの聖職者（[[セントポール大聖堂]]首席司祭）・詩人（[[形而上詩人]]）として「日の出」「蚤」がある&lt;br /&gt;
* [[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンソン]]（[[1572年]] - [[1637年]]） - イングランドの劇作家・代表作に『錬金術師』『エピシーン』がある・[[桂冠詩人]]でもある&lt;br /&gt;
* ロバート・フラッド（[[1574年]] - [[1637年]]） - イングランドの神秘主義者・[[薔薇十字団]]や[[錬金術]]を擁護しメルセンヌと対立・著作に『両世界誌』がある&lt;br /&gt;
* ロバート・バートン（[[1577年]] - [[1640年]]） - イングランドの聖職者・著述家・古典文学と医学に通じ『憂鬱の解剖学』を執筆する&lt;br /&gt;
* [[ウイリアム・ハーベー|ウィリアム・ハーヴェー]]（[[1578年]] - [[1657年]]） - イングランドの解剖学者・国王チャールズ1世の侍医・[[血液循環説]]を唱える&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ウェブスター]]（[[1580年]]？ - [[1634年]]？） - イングランドの劇作家・代表作に『[[白い悪魔]]』『アマルフィ侯爵夫人』がある&lt;br /&gt;
* [[トマス・ホッブズ]]（[[1588年]] - [[1679年]]） - イングランドの哲学者（経験論）・主著『[[リヴァイアサン (ホッブズ)|リヴァイアサン]]』で[[社会契約|社会契約説]]を唱える&lt;br /&gt;
* [[アイザック・ウォルトン]]（[[1593年]] - [[1683年]]） - イングランドの文筆家・伝記として『ジョン・ダン伝』、随筆として『釣魚大全』がある&lt;br /&gt;
* [[オリバー・クロムウェル]]（[[1599年]] - [[1658年]]） - イングランドの軍人・政治家・[[清教徒革命]]で国王勢力を倒し[[護国卿]]となる&lt;br /&gt;
* [[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]（[[1600年]] - [[1649年]]） - イングランド王（在位[[1625年]] - [[1649年]]）・清教徒革命で処刑される&lt;br /&gt;
* [[トーマス・ブラウン (作家)|トマス・ブラウン]]（[[1605年]] - [[1682年]]） - イングランドの医師・『俗信論』で迷信的医療を批判・『医師の宗教』『骨葬論』などの著作がある&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ミルトン]]（[[1608年]] - [[1674年]]） - イングランドの詩人・清教徒革命を支持・[[王政復古]]で不遇となり『[[失楽園]]』を執筆&lt;br /&gt;
* [[ジョージ・フォックス]]（[[1624年]] - [[1691年]]） - イングランドの宗教家・[[クエーカー]]の名で知られる「キリスト友会」の創始者&lt;br /&gt;
* [[ロバート・ボイル]]（[[1627年]] - [[1691年]]） - アイルランド出身の化学者・王立協会協議員・[[ボイルの法則]]で知られる&lt;br /&gt;
* [[ジョン・バニヤン]]（[[1628年]] - [[1688年]]） - イングランドのバプテスト教会の執事・文学者としては『[[天路歴程]]』の著者として知られる&lt;br /&gt;
* [[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]（[[1630年]] - [[1685年]]） - [[ステュアート朝]]のイングランド王（在位[[1660年]] - [[1685年]]）・王政復古を果たす&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ドライデン]]（[[1631年]] - [[1700年]]） - イングランドの[[桂冠詩人]]・文芸評論家・劇作家・「驚異の年」などの作品がある&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ロック]]（[[1632年]] - [[1704年]]） - イングランドの哲学者（経験論）・医者・『[[統治二論]]』の[[社会契約論]]で[[名誉革命]]に影響する&lt;br /&gt;
* [[クリストファー・レン]]（[[1632年]] - [[1723年]]） - イングランドの建築家・[[ロンドン大火]]の後の復興建築を行う・代表作は[[セント・ポール大聖堂]]&lt;br /&gt;
* [[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]（[[1633年]] - [[1701年]]） - ステュアート朝のイングランド王（在位[[1685年]] - [[1688年]]）・名誉革命で国を追われる&lt;br /&gt;
* [[サミュエル・ピープス]]（[[1633年]] - [[1703年]]） - イングランドの政治家・平民から海軍の実力者になり「海軍の父」と称される・日記も有名&lt;br /&gt;
* [[ロバート・フック]]（[[1635年]] - [[1703年]]） - イングランドの科学者・『[[顕微鏡図譜]]』で細胞の概念をまとめる・[[王立協会]]の実験監督でもある&lt;br /&gt;
* [[アイザック・ニュートン]]（[[1642年]] - [[1727年]]） - イングランドの[[物理学者]]・数学者・『[[自然哲学の数学的諸原理|プリンキピア]]』で[[ニュートン力学]]を体系化&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ウィルモット (第2代ロチェスター伯)|ロチェスター伯ジョン・ウィルモット]]（[[1647年]] - [[1660年]]） - イングランドの詩人・「人類に対する風刺」「チャールズ2世の風刺」がある&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]（[[1650年]] - [[1702年]]） - [[オラニエ＝ナッサウ家|オラニエ公]]・オランダ共和国統領・[[名誉革命]]でイングランド王（在位[[1689年]] - [[1702年]]）になる&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー・パーセル]]（[[1659年]] - [[1695年]]） - イングランドの作曲家・宮廷音楽家・代表作に[[歌劇]]「[[ディドとエネアス]]」がある&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イタリア ====&lt;br /&gt;
* [[アンニーバレ・カラッチ]]（[[1560年]] - [[1609年]]） - [[イタリア]]の初期[[バロック]]の画家・カラッチ一族の中心として古典主義を復権する&lt;br /&gt;
* [[ガリレオ・ガリレイ]]（[[1564年]] - [[1642年]]） - イタリアの物理学者・天文学者・『天文対話』などで[[地動説]]を擁護し[[宗教裁判]]を受ける&lt;br /&gt;
* [[クラウディオ・モンテヴェルディ]]（[[1567年]] - [[1643年]]） - イタリアの初期バロックの作曲家・[[オペラ]]の発展に寄与し「オルフェオ」を作曲&lt;br /&gt;
* [[ウルバヌス8世 (ローマ教皇)|ウルバヌス8世]]（[[1568年]] - [[1644年]]） - ローマ教皇（在位[[1623年]] - [[1644年]]）・[[サン・ピエトロ大聖堂]]の献堂式を行う・ガリレイ裁判でも知られる&lt;br /&gt;
* [[トンマーゾ・カンパネッラ]] （[[1568年]] - [[1639年]]） - イタリアの[[ドミニコ会]]士・教皇庁から異端とされ牢獄生活を送る・主著は『太陽の都』&lt;br /&gt;
* [[ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ]]（[[1571年]] - [[1610年]]） - イタリアの初期バロックの画家・代表作に「聖マタイの召命」がある&lt;br /&gt;
* [[ピエトロ・ダ・コルトーナ]]（[[1596年]] - [[1669年]]） - イタリアの盛期バロックの画家・建築家・代表作にローマの[[バルベリーニ宮殿]]天井壁画がある&lt;br /&gt;
* [[ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ]]（[[1598年]] - [[1680年]]） - イタリアの盛期バロックの彫刻家・建築家・代表作は[[サン・ピエトロ広場]]&lt;br /&gt;
* [[フランチェスコ・ボッロミーニ]]（[[1599年]] - [[1667年]]） - イタリアの盛期バロックの建築家・同時代の建築家ベルニーニのライバル&lt;br /&gt;
* [[エヴァンジェリスタ・トリチェリ]]（[[1608年]] - [[1647年]]） - イタリアの物理学者・ガリレイの弟子・[[水銀]]柱を用いて[[真空]]を発見（トリチェリの真空）&lt;br /&gt;
* ジョヴァンニ・ピエトロ・ベローリ（[[1613年]] - [[1696年]]） - イタリアの美術評論家・マニエリスムを否定・『現代画家・彫刻家・建築家列伝』がある&lt;br /&gt;
* [[ジョヴァンニ・カッシーニ]]（[[1625年]] - [[1712年]]） - イタリアの天文学者・木星の4つの衛星を発見・後に[[パリ天文台]]の初代台長ともなった&lt;br /&gt;
* [[マルチェロ・マルピーギ]]（[[1628年]] - [[1694年]]） - イタリアの解剖学者・生理学者・解剖に顕微鏡用いて「[[マルピーギ小体]]」「[[マルピーギ管]]」を発見&lt;br /&gt;
* [[ルカ・ジョルダーノ]]（[[1634年]] - [[1705年]]） - イタリアの後期バロックの画家（ナポリ派）・スペインのマドリード王宮ほか各地の宮殿壁画を制作&lt;br /&gt;
* アンドレア・ポッツォ（[[1642年]] - [[1709年]]） - イタリアの後期バロックの画家・イエズス会士・ローマのサン・ティニャーツィオ聖堂壁画を制作&lt;br /&gt;
* [[アレッサンドロ・スカルラッティ]]（[[1660年]] - [[1725年]]） - イタリアのバロックの作曲家・[[オペラ]]の発展に尽くし[[ナポリ楽派]]の祖となる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 神聖ローマ帝国とドイツ領邦 ====&lt;br /&gt;
* [[ティリー伯ヨハン・セルクラエス]]（[[1559年]] - [[1632年]]） - 三十年戦争での神聖ローマ皇帝側の傭兵隊長・[[マクデブルク]]劫掠などで活躍&lt;br /&gt;
* [[ヨハネス・ケプラー]]（[[1571年]] - [[1630年]]） -[[ドイツ]]の天文学者・天体の運行法則に関する「[[ケプラーの法則]]」を発見&lt;br /&gt;
* [[マクシミリアン1世 (バイエルン選帝侯)|マクシミリアン1世]]（[[1573年]] - [[1651年]]） - 初代バイエルン選帝侯・三十年戦争でカトリック連盟を率いて奮戦し[[選帝侯]]位を獲得&lt;br /&gt;
* [[ヤーコプ・ベーメ]]（[[1575年]] - [[1624年]]） - ドイツの[[ルター派]]の神秘主義者・もとは靴職人・主著は『[[アウローラ]]』『キリストへの道』&lt;br /&gt;
* [[フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント2世]]（[[1578年]] - [[1637年]]） - [[ハプスブルク家]]の[[神聖ローマ皇帝]]（在位[[1619年]] - [[1637年]]）・[[三十年戦争]]を引き起こす&lt;br /&gt;
* [[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン]]（[[1583年]] - [[1634年]]） - 三十年戦争での神聖ローマ皇帝側の傭兵隊長・戦功を誇るが後に暗殺される&lt;br /&gt;
* [[フリードリヒ5世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ5世]]（[[1596年]] - [[1632年]]） - プファルツ選帝侯・ボヘミア王に選出されるが[[白山の戦い]]で敗北し廃位される・「冬の王」と呼ばれた&lt;br /&gt;
* [[アタナシウス・キルヒャー]]（[[1601年]] - [[1680年]]） - ドイツ出身のイエズス会士・博識多才を誇り「遅れてきたルネサンス人」と称される&lt;br /&gt;
* [[オットー・フォン・ゲーリケ]]（[[1602年]] - [[1686年]]） - ドイツの科学者・「[[マクデブルクの半球]]」実験で[[真空]]の存在を証明・同市の市長でもあった&lt;br /&gt;
* [[フリードリヒ・ヴィルヘルム (ブランデンブルク選帝侯)|フリードリヒ・ヴィルヘルム]]（[[1620年]] - [[1688年]]） - [[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]]・[[プロイセン統治者の一覧|プロイセン公]]として[[ポーランド]]から自立・大選帝侯と呼ぶ&lt;br /&gt;
* [[ハンス・ヤーコプ・クリストッフェル・フォン・グリンメルスハウゼン]]（[[1621年]]/[[1622年]] - [[1676年]]） - ドイツの作家・『[[阿呆物語]]』を書く&lt;br /&gt;
* アンゲルス・シレジウス（[[1624年]] - [[1677年]]） - ドイツの神秘主義詩人・[[ヴュルテンベルク]]公の侍医・詩集に『ケルビムのような巡礼者』がある&lt;br /&gt;
* [[エルンスト・アウグスト (ハノーファー選帝侯)|エルンスト・アウグスト]]（[[1629年]] - [[1698年]]） - 初代[[ハノーファー王国|ハノーファー選帝侯]]・息子ゲオルク・ルートヴィヒ（ジョージ1世）はイングランド王になる&lt;br /&gt;
* [[ザミュエル・フォン・プーフェンドルフ]]（[[1632年]] - [[1694年]]）・ドイツの法学者・[[ハイデルベルク大学]]教授・三十年戦争後の[[自然法論]]の世俗化を推進&lt;br /&gt;
* [[フィリップ・シュペーナー]]（[[1635年]] - [[1705年]]） - [[ルター派]]の牧師・ドイツ[[敬虔主義]]の創始者・[[ハレ大学]]を中心に教会刷新を行う&lt;br /&gt;
* [[レオポルト1世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト1世]]（[[1640年]] - [[1705年]]） - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝（在位[[1658年]] - [[1705年]]）・[[ハンガリー]]を[[トルコ]]から奪還&lt;br /&gt;
* [[ゴットフリート・ライプニッツ]]（[[1646年]] - [[1710年]]） - ドイツの哲学者（合理論）・数学者・万学に通じ[[プロイセン科学アカデミー|ベルリン科学アカデミー]]を創設・主著は『[[モナド論]]』&lt;br /&gt;
* [[ヨハン・パッヘルベル]]（[[1653年]] - [[1706年]]） - ドイツの作曲家・オルガン楽派の最盛期を現出・「[[パッヘルベルのカノン]]」他を作曲する&lt;br /&gt;
* [[クリスティアン・トマジウス]]（[[1655年]] - [[1728年]]） - ドイツの法学者・『神法学提要』が代表作・[[ハレ大学]]を創設し「ドイツ啓蒙主義の父」と呼ばれる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== フランス ====&lt;br /&gt;
* シュリー公マクシミリアン・ド・ベテュヌ（[[1559年]] - [[1641年]]） - フランス宰相・国王アンリ4世を補佐し宗教戦争後のフランス産業を復興させる&lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・サレジオ|フランソワ・ド・サール]]（[[1567年]] - [[1622年]]） - フランス出身の[[ジュネーヴ]]司教・カトリック改革の旗手・[[教会博士]]・『信仰生活入門』がある&lt;br /&gt;
* [[マリー・ド・メディシス]]（[[1575年]] - [[1642年]]） - フランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の2番目の王妃・[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]の母后として[[摂政]]となる&lt;br /&gt;
* [[リシュリュー]]（[[1585年]] - [[1642年]]） - [[枢機卿]]・フランス宰相・[[ハプスブルク家]]打倒のために三十年戦争に参加&lt;br /&gt;
* [[マラン・メルセンヌ]]（[[1588年]] - [[1648年]]） - フランスの神学者・数学では「[[メルセンヌ数]]」を発見し音楽では[[12平均律]]を確立&lt;br /&gt;
* [[ピエール・ガッサンディ]]（[[1592年]] - [[1655年]]） - フランスの物理学者・哲学者・[[エピクロス]]の[[唯物論]]を復権しデカルト哲学と対決&lt;br /&gt;
* [[ジョルジュ・ド・ラ・トゥール]]（[[1593年]] - [[1652年]]） - フランスの画家・明暗表現と静謐な画面構成が特徴・「大工の聖ヨセフ」などがある&lt;br /&gt;
* [[ニコラ・プッサン]]（[[1594年]] - [[1665年]]） - イタリアで活躍したフランス人[[画家]]・その端整で荘重な様式は[[古典主義]]と呼ばれる&lt;br /&gt;
* [[ルネ・デカルト]]（[[1596年]] - [[1650年]]） - フランスの[[哲学者]]（[[合理論]]）・[[数学者]]・『[[方法序説]]』で近代哲学の基礎を築く&lt;br /&gt;
* [[クロード・ロラン]]（[[1600年]]頃 - [[1682年]]） - イタリアで活躍したフランス人[[画家]]・理想風景を追求する画風で知られる&lt;br /&gt;
* [[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]（[[1601年]] - [[1643年]]） - フランス王（在位[[1610年]] - [[1643年]]）・宰相[[リシュリュー]]を重用して王権の強化を進める&lt;br /&gt;
* [[アンヌ・ドートリッシュ]]（[[1601年]] - [[1666年]]） - フランス王ルイ13世の王妃・ルイ14世の母・夫君の死後に摂政となりマザランを抜擢する&lt;br /&gt;
* [[ジュール・マザラン]]（[[1602年]] - [[1661年]]） - イタリア出身の枢機卿・フランス宰相・[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]を支え[[フロンドの乱]]を鎮圧する&lt;br /&gt;
* [[ピエール・コルネイユ]]（[[1606年]] - [[1684年]]） - フランスの悲劇作家・古典主義の三大作家の一人・『ル・シッド』『オラース』で知られる&lt;br /&gt;
* [[ピエール・ド・フェルマー]]（[[1607年]]/[[1608年]] - [[1665年]]） - フランスの数学者・「数論の父」とも呼ばれ「[[フェルマーの最終定理]]」で有名&lt;br /&gt;
* [[アントワーヌ・アルノー]]（[[1612年]] - [[1694年]]） - フランスの神学者でジャンセニズムの中心人物・哲学者・数学者としてデカルトと交流&lt;br /&gt;
* [[フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー]]（[[1613年]] - [[1680年]]） - フランスの貴族・[[モラリスト]]文学者・辛辣で機知に富んだ『箴言集』を執筆&lt;br /&gt;
* ルイ・ル・ヴォー（[[1612年]] - [[1670年]]） - フランスの建築家・画家[[シャルル・ルブラン]]や庭師[[アンドレ・ル・ノートル]]と協力し[[ヴェルサイユ宮殿]]の中核を建設&lt;br /&gt;
* [[ジャン＝バティスト・コルベール]]（[[1619年]] - [[1683年]]） - フランスの[[財務総監]]・ルイ14世に仕え[[重商主義]]の立場から産業育成を行う&lt;br /&gt;
* [[シラノ・ド・ベルジュラック]] （[[1619年]] - [[1655年]]） - フランスの作家・『日月両世界旅行記』を執筆・[[エドモン・ロスタン|ロスタン]]の戯曲の主人公でもある&lt;br /&gt;
* [[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ]]（[[1621年]] - [[1695年]]） - フランスの作家・[[イソップ寓話]]をもとにした「寓話詩」で知られる &lt;br /&gt;
* [[モリエール]]（[[1622年]] - [[1673年]]） - フランスの喜劇作家・古典主義の三大作家の一人・『人間嫌い』『[[タルチェフ]]』などで知られる&lt;br /&gt;
* [[ブレーズ・パスカル]]（[[1623年]] - [[1662年]]） - フランスの哲学者・数学者・物理学者・[[ジャンセニスム]]を支持し『[[パンセ]]』を執筆&lt;br /&gt;
* [[ジャック＝ベニーニュ・ボシュエ|ジャック・ベニーニュ・ボシュエ]]（[[1627年]] - [[1704年]]） - フランスのキリスト教聖職者・神学者・著書『世界史叙説』で[[王権神授説]]を擁護&lt;br /&gt;
* [[シャルル・ペロー]]（[[1628年]] - [[1703年]]）・フランスの詩人・新旧論争では近代派につき[[ニコラ・ボアロー＝デプレオー|ボワロー]]と対決・『ペロー童話集』がある&lt;br /&gt;
* [[ジャン＝バティスト・リュリ]]（[[1632年]] - [[1687年]]） - フランスで活躍した盛期バロックの作曲家・ルイ14世の[[宮廷楽長]]および寵臣&lt;br /&gt;
* [[ラファイエット夫人|ラ・ファイエット伯爵夫人]]（[[1634年]] - [[1693年]]） - フランスの女流作家・[[サロン]]で活躍し『[[クレーヴの奥方]]』を執筆&lt;br /&gt;
* [[マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ|マントノン侯爵夫人]]（[[1635年]] - [[1719年]]） - フランス王ルイ14世の晩年の妻・秘密結婚のため王妃ではないが王に影響力があった&lt;br /&gt;
* [[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]（太陽王）（[[1638年]] - [[1715年]]） - フランス王（在位[[1643年]] - [[1715年]]）・[[ブルボン朝]]の[[絶対王政]]の最盛期を実現&lt;br /&gt;
* [[ニコラ・ド・マルブランシュ]]（[[1638年]] - [[1715年]]） - フランスの哲学者・オラトリオ会士・『真理の探究』でデカルト哲学と神学を総合&lt;br /&gt;
* [[ジャン・ラシーヌ]]（[[1639年]] - [[1699年]]） - フランスの悲劇作家・古典主義の三大作家の一人・『アンドロマック』『ベレニス』で知られる&lt;br /&gt;
* [[フランソワ＝ミシェル・ル・テリエ]]（[[1641年]] - [[1691年]]） - フランスの政治家・[[ルイ14世]]のもとで陸軍大臣となり欧州随一の[[常備軍]]を育成&lt;br /&gt;
* [[ジュール・アルドゥアン＝マンサール]]（[[1646年]] - [[1708年]]） - フランスの建築家・ヴェルサイユ宮殿を増築し「鏡の間」を建設&lt;br /&gt;
* [[ピエール・ベール]]（[[1647年]] - [[1706年]]） - フランスの哲学者・思想家・『歴史批評辞典』などを著し[[啓蒙思想]]の先駆けとなる&lt;br /&gt;
* [[ギュイヨン夫人]]（[[1648年]] - [[1717年]]） - フランスの神秘主義者・[[キエティスム]]（静寂主義）の一人・カトリック教会により異端とされ投獄される&lt;br /&gt;
* フランソワ・フェヌロン（[[1651年]] - [[1715年]]）  - フランスの聖職者・ルイ14世の孫の教育係・『テレマックの冒険』を執筆・[[ジャック＝ベニーニュ・ボシュエ]]は論敵&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== フランドル・オランダ ====&lt;br /&gt;
* [[ヤーコブス・アルミニウス]]（[[1560年]] - [[1609年]]） - オランダの神学者・従来のカルヴァン説よりも自由意志を重視した[[アルミニウス主義|アルミニウス説]]を唱える&lt;br /&gt;
* [[ピーテル・パウル・ルーベンス]]（[[1577年]] - [[1640年]]） - [[フランドル]]のバロックの画家・代表作に「[[マリー・ド・メディシス]]の生涯」&lt;br /&gt;
* [[フランス・ハルス]]（[[1581年]]/[[1585年]]頃 - [[1666年]]） - [[オランダ黄金時代の絵画|オランダ絵画の黄金時代]]の画家・「陽気な酒飲み」など軽妙な写実的肖像画に優れる&lt;br /&gt;
* [[フーゴー・グローティウス]]（[[1583年]] - [[1645年]]） - [[オランダ]]の法学者・[[自然法]]に基づく[[国際法]]の基礎を定め「国際法の父」と称される &lt;br /&gt;
* [[コルネリウス・ヤンセン]]（[[1585年]] - [[1638年]]） - フランドルの[[イーペル]]司教・『アウグスティヌス』で神の恩寵を重視しジャンセニスムの嚆矢となる&lt;br /&gt;
* [[アンソニー・ヴァン・ダイク]]（[[1599年]] - [[1641年]]） - フランドルのバロックの画家・ルーベンスの協力者で後にイングランドで活躍&lt;br /&gt;
* [[レンブラント・ファン・レイン]]（[[1606年]] - [[1669年]]） - オランダ絵画の黄金時代を代表する画家・「[[夜警 (絵画)|夜警]]」など光と闇の表現に優れる&lt;br /&gt;
* [[ヨハン・デ・ウィット]]（[[1625年]] - [[1672年]]） - オランダ共和政の指導者・[[英蘭戦争]]を指揮するが[[オランダ侵略戦争]]で追い詰められオランダ市民に虐殺される&lt;br /&gt;
* [[クリスティアーン・ホイヘンス]]（[[1629年]] - [[1695年]]） - オランダの物理学者・天文学者・「[[土星の環]]」の発見や[[振り子時計]]の発明で有名&lt;br /&gt;
* [[ヨハネス・フェルメール]]（[[1632年]] - [[1675年]]） - オランダ絵画の黄金時代を代表する画家・市井の人々の生活を精妙な光で描いた&lt;br /&gt;
* [[バールーフ・デ・スピノザ]]（[[1632年]] - [[1677年]]） - オランダの哲学者（合理論）・[[ユダヤ人]]共同体から[[破門]]される・主著は『[[エチカ (スピノザ) |エチカ]]』&lt;br /&gt;
* [[アントニ・ファン・レーウェンフック]]（[[1632年]] - [[1723年]]） - オランダの科学者・顕微鏡で微生物の観察を行い「微生物学の父」と呼ばれる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 北欧 ====&lt;br /&gt;
* [[クリスチャン4世 (デンマーク王)|クリスチャン4世]]（[[1578年]] - [[1648年]]） -  [[デンマーク]]王・三十年戦争に参加・[[スウェーデン]]との戦いで敗北&lt;br /&gt;
* [[アクセル・オクセンシェルナ]]（[[1585年]] - [[1654年]]） - スウェーデン宰相・[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世]]から[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ女王]]までの国王を補佐&lt;br /&gt;
* [[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世アドルフ]] （獅子王）（[[1594年]] - [[1632年]]） - スウェーデン王（在位[[1611年]] - [[1632年]]）・[[リュッツェンの戦い (1632年) |リュッツェンの戦い]]で戦死&lt;br /&gt;
* [[フレデリク3世 (デンマーク王)|フレデリク3世]]（[[1609年]] - [[1670年]]） - デンマーク王（[[1648年]] - [[1670年]]）・[[カール・グスタフ戦争]]で多くの領土を喪失する&lt;br /&gt;
* [[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]（[[1626年]] - [[1689年]]） - スウェーデン女王（在位[[1632年]] - [[1654年]]）・[[ルネ・デカルト|デカルト]]を招聘・後に[[カトリック教会|カトリック]]に改宗&lt;br /&gt;
* [[カール10世 (スウェーデン王)|カール10世]]（[[1622年]] - [[1660年]]） - スウェーデン王（在位[[1654年]] - [[1660年]]）・[[北方戦争]]に勝利し「[[バルト帝国]]」を建設&lt;br /&gt;
* [[オーレ・レーマー]]（[[1644年]] – [[1710年]]） - デンマークの天文学者・[[コペンハーゲン大学]]教授・[[光速度]]の値を世界で初めて算出した&lt;br /&gt;
* [[クリスチャン5世 (デンマーク王)|クリスチャン5世]]（[[1646年]] - [[1699年]]） - デンマーク王（在位[[1670年]] - [[1699年]]）・法典整備や税制の改革を行う&lt;br /&gt;
* [[カール11世 (スウェーデン王)|カール11世]]（[[1655年]] - [[1697年]]） - スウェーデン王（在位[[1660年]] - [[1697年]]）・オランダ侵略戦争や[[スコーネ戦争]]に介入&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 東欧 ====&lt;br /&gt;
* [[コメニウス]]（[[1592年]] - [[1670年]]） - モラヴィア出身の教育思想家・三十年戦争の混乱で諸国を遍歴し百科事典『[[世界図絵]]』などを残す&lt;br /&gt;
* [[ボフダン・フメリニツキー]]（[[1595年]] - [[1657年]]） - ポーランドの貴族・[[ウクライナ・コサック]]の[[ヘーチマン]]・[[フメリニツキーの乱]]を起こす&lt;br /&gt;
* [[ヤン3世 (ポーランド王)|ヤン3世]] （[[1629年]] - [[1696年]]） - ポーランド王（在位[[1674年]] - [[1696年]]）・[[大洪水時代]]後の混乱を収拾・[[第二次ウィーン包囲]]に勝利&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ロシア ====&lt;br /&gt;
* [[ボリス・ゴドゥノフ]]（[[1551年]] - [[1605年]]） - ロシアのツァーリ（在位[[1598年]] - [[1605年]]）・リューリク朝断絶に伴う[[動乱時代]]を招来&lt;br /&gt;
* [[偽ドミトリー1世]]（[[1581年]] - [[1606年]]） - ロシアのツァーリ（在位[[1605年]] - [[1606年]]）・動乱時代に相次いで出現した帝位僭称者の最初&lt;br /&gt;
* [[クジマ・ミーニン]]（16世紀後半 - [[1616年]]） - ロシアのニジニ・ノヴゴロドの商人・ポジャルスキー公とともに義勇軍を結成しモスクワを解放する &lt;br /&gt;
* [[ミハイル・ロマノフ]]（[[1596年]] - [[1645年]]） - [[ロシア]]の[[ツァーリ]]で[[ロマノフ朝]]最初の君主（在位[[1613年]] - [[1645年]]）・[[ゼムスキー・ソボル]]にて選出&lt;br /&gt;
* ニーコン（[[1605年]] - [[1681年]]） - [[モスクワ総主教]]・[[ロシア正教会]]の典礼改革を行う・これにより[[古儀式派]]が正教会から離脱&lt;br /&gt;
* [[セミョン・デジニョフ]]（[[1605年]]頃 - [[1673年]]） - ロシアの探検家・[[ユーラシア大陸]]の最東端を回航しアメリカ大陸とは陸続きでないことを発見&lt;br /&gt;
* [[アヴァクーム]]（[[1620年]]/[[1621年]] - [[1682年]]） - ロシアの司祭・古儀式派の最初期の指導者・ニーコンの改革に反対し追放され焚刑にされる&lt;br /&gt;
* [[アレクセイ (モスクワ大公)|アレクセイ]]（[[1629年]] - [[1676年]]） - ロシアのツァーリ（在位[[1645年]] - [[1676年]]）・[[ウクライナ]]東部を獲得し[[ヘーチマン国家]]を併合&lt;br /&gt;
* [[スチェパン・ラージン]]（[[1630年]] - [[1671年]]） - ロシアの[[ドン・コサック軍]]の指導者・政府に対して反乱を起こすが敗北し処刑される&lt;br /&gt;
* フェオドシア・モロゾーヴァ（[[1632年]] - [[1675年]]） - ロシア貴族の女性・ニーコンの改革に反対し古儀式派の中心となるが捕縛され餓死する&lt;br /&gt;
* [[ソフィア・アレクセーエヴナ]]（[[1657年]] - [[1704年]]） - イヴァン5世とピョートル1世の姉・摂政（在任[[1682年]] - [[1689年]]）・事実上の女性君主&lt;br /&gt;
* [[ピョートル1世]]（[[1671年]] - [[1725年]]） - ロシアのツァーリ（在位[[1682年]] - [[1725年]]）・西欧大使節団を派遣・[[大北方戦争]]でスウェーデンに勝利&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 南北アメリカ ===&lt;br /&gt;
* [[インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ]]（[[1539年]] - [[1616年]]） - ペルー出身の歴史家・母はインカ皇女・『{{仮リンク|インカ皇統記|es|Comentarios reales de los incas|en|Comentarios Reales de los Incas}}』『ペルー征服史』がある&lt;br /&gt;
* [[ワマン・ポマ|グァマン・ポマ]]（[[1550年]]？ - [[1616年]]？） - ペルー出身の原住民の記録者・多くの挿絵を含む『新しい記録と良き統治』を執筆&lt;br /&gt;
* [[ウォルター・ローリー]]（[[1552年]]/[[1554年]] - [[1618年]]） - イングランドの探検家・[[アメリカ大陸]]で最初のイングランド植民地を築くが失敗&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー・ハドソン]]（[[1560年]]-[[1570年|70年]]代 - [[1611年]]？） - イングランドの探検家・[[北アメリカ]]を探検し[[ハドソン湾]]や[[ハドソン川]]に名を残す&lt;br /&gt;
* [[サミュエル・ド・シャンプラン]]（[[1567年]]/[[1570年]] - [[1635年]]） - フランスの探検家・地理学者・[[ケベック州|ケベック]]植民地を築く&lt;br /&gt;
* [[ジョン・スミス (探検家)|ジョン・スミス]]（[[1580年]] - [[1631年]]） - イングランドの軍人・探検家・植民者・永住植民地[[ヴァージニア]]を築く&lt;br /&gt;
* ウィリアム・ブラッドフォード（[[1590年]] - [[1657年]]） - イングランド出身の[[ピルグリム・ファーザーズ]]の指導者・[[プリマス]]植民地を築く&lt;br /&gt;
* [[アン・ハッチンソン]]（[[1591年]] - [[1643年]]） - イングランド出身の女性の聖書研究者・[[マサチューセッツ]]の[[ピューリタン]]と対立し追放される&lt;br /&gt;
* [[ポカホンタス]]（[[1595年]]頃 - [[1617年]]) - アメリカ[[インディアン]]・[[ポウハタン|ポウハタン族]]の女性・[[大西洋]]を越えてイングランドに招かれる&lt;br /&gt;
* [[ピーター・ストイフェサント]]（[[1612年]] - [[1672年]]） - オランダの最後の[[ニューネーデルラント]]植民地総督・[[英蘭戦争]]後にここを放棄&lt;br /&gt;
* [[メタコメット]]（[[1639年]] - [[1676年]]） - アメリカインディアンの[[ワンパノアグ|ワンパノアグ族]]の酋長・フィリップ王とも呼ばれ[[フィリップ王戦争]]を起こす&lt;br /&gt;
* [[ロベール＝カブリエ・ド・ラ・サール]]（[[1643年]] - [[1687年]]） - フランスの探検家・[[ミシシッピ川]]流域をフランス領とし[[ルイジアナ]]と名付ける&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・ペン]]（[[1644年]] - [[1718年]]） - イングランド出身の[[クエーカー教]]徒・[[フィラデルフィア]]市を建設し[[ペンシルベニア州]]を整備&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・キッド]]（[[1645年]] - [[1701年]]） - スコットランド出身の[[海賊]]船船長・「キャプテン・キッド」の名で知られている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 北アフリカ・西アジア・中央アジア世界 ===&lt;br /&gt;
* リザー･アッバーシー（[[1565年]]頃 - [[1635年]]） - サファビー朝の画家・アッバース1世の宮廷工房で活躍しイスファハーン画派を大成する&lt;br /&gt;
* [[アッバース1世]]（[[1571年]] - [[1629年]]） - サファヴィー朝第5代シャー（在位[[1588年]] - [[1629年]]）・最盛期のシャー・オスマン帝国から[[イラク]]奪還&lt;br /&gt;
* [[モッラー・サドラー]]（[[1572年]] - [[1640年]]） - サファヴィー朝のシーア派のイスラム哲学者・実存を重視した超越論的神智学を提唱&lt;br /&gt;
* キョプリュリュ・メフメト・パシャ（[[1583年]] - [[1661年]]） - [[オスマン帝国]]大宰相・[[キョプリュリュ家|キョプリュリュ]]時代の基礎を築く &lt;br /&gt;
* キョセム・スルタン（[[1590年]] - [[1651年]]） - オスマン帝国カリフの[[アフメト1世]]の后・[[ムラト4世]]および[[イブラヒム (オスマン帝国)|イブラヒム]]の母后&lt;br /&gt;
* [[キャーティプ・チェレビー|キャーティプ・チェレビ]]（[[1609年]] - [[1657年]]） - オスマン帝国最大の博物学者・書誌学の『書誌総覧』や地理学の『世界の鏡』がある&lt;br /&gt;
* [[ヘザルフェン・アフメト・チェレビ]]（[[1609年]] - [[1640年]]） - オスマン帝国の発明家・[[イスタンブル]]で人力飛行（グライダー）に成功した？&lt;br /&gt;
* [[ラガリ・ハサン・チェレビ]]（？ - [[1640年]]頃） - オスマン帝国の発明家・[[ヘザルフェン・アフメト・チェレビ|ヘザルフェン]]の兄弟・火薬を用いたロケット飛行に成功？&lt;br /&gt;
* [[エヴリヤ・チェレビ]]（[[1611年]]？ - [[1682年]]) - オスマン帝国の旅行家・40年間にわたって帝国内を記録し『旅行記』10巻を執筆&lt;br /&gt;
* [[シャブタイ・ツヴィ|サバタイ・ツヴィ]]（[[1626年]] - [[1676年]]） - オスマン帝国[[イズミル]]出身のユダヤ教の宗教家・人々を熱狂させた偽メシアとして知られる&lt;br /&gt;
* セリム・ギレイ1世（[[1631年]] - [[1704年]]） - [[クリミア・ハン国]]の君主（在位[[1671年]] - [[1704年]]で断続的に4度）・オスマンに与し西欧と戦う &lt;br /&gt;
* [[キョプリュリュ・アフメト・パシャ]]（[[1635年]] - [[1676年]]） - オスマン帝国大宰相・父のメフメトを継いでオスマン帝国最大領土を保持&lt;br /&gt;
* [[カラ・ムスタファ・パシャ]]（[[1635年]]？ - [[1683年]]） - オスマン帝国大宰相・キョプリュリュ家の娘婿・第二次ウィーン包囲を敢行&lt;br /&gt;
* [[キョプリュリュ・ムスタファ・パシャ]]（[[1637年]] - [[1691年]]） - オスマン帝国大宰相・第二次ウィーン包囲後の混乱を収拾する&lt;br /&gt;
* [[ジャン・シャルダン]]（[[1643年]] - [[1713年]]） - フランス出身の商人・サファヴィー朝で貿易に従事し『ペルシア紀行』を出版・後にイギリスへ亡命&lt;br /&gt;
* キョプリュリュ・ヒュセイン・パシャ（[[1644年]] - [[1702年]]）  - オスマン帝国大宰相・カルロヴィッツ条約を締結しハンガリーを放棄&lt;br /&gt;
* [[ムーレイ・イスマーイール]]（[[1645年]] - [[1727年]]） - アラウィー朝[[モロッコ]]の君主（在位[[1672年]] - [[1727年]]）・半世紀の治世でメクネス宮殿を建設&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インド・東南アジア世界 ===&lt;br /&gt;
* [[ヤン・ピーテルスゾーン・クーン]] （[[1587年]] - [[1629年]]） - [[オランダ東インド会社]]第4代総督・[[バタヴィア]]を築き[[アンボイナ事件]]を起こす&lt;br /&gt;
* [[ジャハーンギール]]（[[1569年]] - [[1627年]]） - [[ムガル帝国]]第4代皇帝（在位[[1605年]] - [[1627年]]）・[[アクバル]]に続き寛容政策を行う&lt;br /&gt;
* [[シャー・ジャハーン]]（[[1592年]] - [[1666年]]） - ムガル帝国第5代皇帝（在位[[1628年]] - [[1658年]]）・愛妃を偲んで[[タージ・マハル]]を建立&lt;br /&gt;
* [[ムムターズ・マハル]]（[[1595年]] - [[1631年]]） - ムガル皇帝[[シャー・ジャハーン]]の第1皇妃・その死後[[タージ・マハル]]霊廟に葬られる&lt;br /&gt;
* [[フランソワ・カロン]]（[[1600年]] - [[1673年]]） - オランダ東インド会社のもと日本ほかで勤務・後年[[フランス東インド会社]]長官に転じる&lt;br /&gt;
* [[ダーラー・シコー]]（[[1615年]] - [[1658年]]） - ムガル帝国の皇族・哲学者として「[[ウパニシャッド]]」の翻訳を行う・弟アウラングゼーブに処刑される&lt;br /&gt;
* [[アウラングゼーブ]]（[[1618年]] - [[1707年]]） - ムガル帝国第6代皇帝（在位[[1658年]] - [[1707年]]）・ムガル帝国の最大領土を実現&lt;br /&gt;
* フランソワ・ベルニエ（[[1620年]] - [[1688年]]） - フランス出身の医師・旅行家・ムガル帝国を旅行し『ムガル帝国誌』を執筆&lt;br /&gt;
* [[シヴァージー]]（[[1627年]] - [[1680年]]） - [[インド]]の[[マラータ王国]]の建国者・マラータ族を糾合しムガル帝国[[アウラングゼーブ]]に敵対&lt;br /&gt;
* [[ナーラーイ]]（[[1633年]] - [[1688年]]） - アユタヤ朝タイ王国国王（在位[[1656年]] - [[1688年]]）・フランスと外交関係を結ぶ・文芸も奨励&lt;br /&gt;
* フランソワ・マルタン（[[1634年]] - [[1706年]]） - フランス東インド会社長官・[[フランソワ・カロン]]に続き[[ポンディシェリ]]に商館を設置&lt;br /&gt;
* [[グル・ゴービンド・シング]]（[[1666年]] - [[1708年]]） - [[シク教]]第10代教主（グル）（在位[[1675年]] - [[1708年]]）・以後は経典が教主とされる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オセアニア ===&lt;br /&gt;
* [[アベル・タスマン]]（[[1603年]] - [[1659年]]） - オランダの探検家・オランダ東インド会社のもとで太平洋各地を探検・[[タスマニア島]]に名がつく&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・ダンピア]]（[[1651年]] - [[1715年]]） - イギリスの探検家・[[海賊]]（[[バッカニア]]）・オーストラリア他を調査し『最新世界周航記』を残す&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東アジア ===&lt;br /&gt;
==== 明・清 ====&lt;br /&gt;
* [[顧憲成]]（[[1550年]] - [[1612年]]） -  [[明]]の官僚・儒学者として故郷の[[無錫市|無錫]]に[[東林学院|東林書院]]を再興・この学派が明末に[[東林党]]に成長する&lt;br /&gt;
* [[マテオ・リッチ]]（利瑪竇）（[[1552年]] - [[1610年]]） - イタリア人の[[イエズス会]]士・明の官僚である[[徐光啓]]らに洗礼を授け宣教につとめる&lt;br /&gt;
* [[董其昌]]（[[1555年]] - [[1636年]]） - 明の官僚・文人・書画に優れ[[文人画]]（南宗画）の優位を説く・明末の「邢張米董」の一人&lt;br /&gt;
* 鄭貴妃（？ - [[1630年]]） - 明の[[万暦帝]]の妃で福王の母・帝位継承をめぐる疑獄事件の「三案（梃撃・紅丸・移宮）」の黒幕か？ &lt;br /&gt;
* [[ヌルハチ]]（[[1559年]] - [[1626年]]） - [[清]]の初代皇帝（太祖）（在位[[1616年]] - [[1626年]]）・[[サルフの戦い]]で明に勝利&lt;br /&gt;
* [[徐光啓]]（[[1562年]] - [[1633年]]） - 明の官僚・暦数学者・[[マテオ・リッチ]]の影響でキリスト教徒となり『[[農政全書]]』『崇禎暦書』を残す&lt;br /&gt;
* [[魏忠賢]]（[[1568年]] - [[1627年]]） - 明末の[[宦官]]で[[東廠]]の長官・東林党を弾圧するなど専横を極める・[[崇禎帝]]に死を命じられる&lt;br /&gt;
* [[馮夢竜]]（[[1574年]] - [[1646年]]） - 明末の官僚・陽明学者として『王陽明靖乱録』を、著述家として『[[平妖伝]]』『[[笑府]]』などを残す&lt;br /&gt;
* [[袁崇煥]]（[[1584年]] - [[1630年]]） - 明末の武官・寧遠城の戦いでは大砲を用いてヌルハチを退ける・後に謀反の疑いにより処刑される&lt;br /&gt;
* 黄道周（[[1585年]] - [[1646年]]） - 明末の官僚・北京陥落後も[[南明]]政権を支える・書家として「明末三大家」の一人とされる&lt;br /&gt;
* [[宋応星]]（[[1590年]]頃 - [[1650年]]頃） - 明末清初に活躍した地方官吏・技術者・『[[天工開物]]』の著者として知られる&lt;br /&gt;
* [[アダム・シャール]]（湯若望）（[[1591年]] - [[1666年]]） - ドイツ人のイエズス会士・天文学に優れ明では『崇禎暦書』を清では「時憲暦」を作成&lt;br /&gt;
* [[ホンタイジ]]（[[1592年]] - [[1643年]]） - 清の第2代皇帝（太宗）（在位[[1626年]] - [[1643年]]）・国号を[[後金]]から清とし国家体制を整える&lt;br /&gt;
* [[隠元隆き|隠元隆琦]]（[[1592年]] - [[1673年]]） - 明末清初の禅僧・中国の動乱を避けて日本に渡来し[[黄檗宗]]を伝える・[[宇治]]の黄檗山[[萬福寺]]開山&lt;br /&gt;
* [[王鐸]]（[[1592年]] - [[1652年]]） - 明末清初の官僚・黄道周や倪元璐と異なり国に殉ぜず・書家として「明末三大家」の一人とされる&lt;br /&gt;
* 倪元璐（[[1593年]] - [[1644年]]） - 明末の官僚・北京陥落に合わせて殉死・書家として「明末三大家」の一人とされる&lt;br /&gt;
* 張岱（[[1597年]] - [[1684年]]） - 明末清初の文人・江南の風俗や人物を回顧的に語る随筆集『陶庵夢憶』を著す&lt;br /&gt;
* [[朱舜水]]（[[1600年]] - [[1682年]]） - 明末清初の儒学者・反清復明運動に参加するが成功せず日本に亡命・[[徳川光圀]]の庇護を受ける&lt;br /&gt;
* [[李自成]]（[[1606年]] - [[1645年]]） - 明末の農民反乱指導者・明の崇禎帝を倒し[[北京]]を奪取・皇帝を名乗るが清軍に滅ぼされる&lt;br /&gt;
* [[張献忠]]（[[1606年]] - [[1646年]]） - 明末の農民反乱指導者・[[四川]]の[[成都]]で皇帝を名乗るが清軍に滅ぼされる&lt;br /&gt;
* [[黄宗羲]]（[[1610年]] - [[1695年]]） - 明末清初の儒学者（[[考証学]]）で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『明夷待訪録』の著者&lt;br /&gt;
* [[オボイ]]（[[1610年]]？ - [[1669年]]） - 清の軍人・政治家・ホンタイジ以後の諸帝に仕えるがやがて独裁化・康熙帝に失脚させられる&lt;br /&gt;
* [[崇禎帝]]（[[1611年]] - [[1644年]]）  - 明の最後の第17代皇帝（在位[[1628年]] - [[1644年]]）・[[李自成]]の乱で北京を包囲され縊死する&lt;br /&gt;
* [[李漁]]（[[1611年]] - [[1680年]]） - 明末清初の劇作家・著作家・戯曲『笠翁十種曲』や小説『十二楼』を書く・好色文学『[[肉蒲団]]』の作者とも &lt;br /&gt;
* [[呉三桂]]（[[1612年]] - [[1678年]]） - 明末清初の軍人・北京陥落の報を聞き清軍に投降・[[雲南省|雲南]]を支配するが清に背き[[三藩の乱]]を起こす&lt;br /&gt;
* [[ドルゴン]]（[[1612年]] - [[1650年]]） - 清の皇族・幼い[[順治帝]]の叔父として摂政となり北京入城後の清軍を指揮&lt;br /&gt;
* [[顧炎武]]（[[1613年]] - [[1682年]]） - 明末清初の儒学者（考証学）で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『[[日知録]]』の著者&lt;br /&gt;
* [[王夫之]]（[[1619年]] - [[1692年]]） - 明末清初の儒学者（考証学）で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『読通鑑論』の著者&lt;br /&gt;
* [[永暦帝]]（[[1623年]] - [[1662年]]） - [[南明]]政権の最後の皇帝・崇禎帝の従弟・[[ビルマ]]まで落ち延びて抗戦するが[[呉三桂]]に殺害される&lt;br /&gt;
* [[フェルディナント・フェルビースト]]（南懐仁）（[[1623年]] - [[1688年]]） - フランドル人のイエズス会士・アダム・シャールを補佐して宣教する&lt;br /&gt;
* [[鄭成功]]（[[1624年]] - [[1662年]]） - 明末清初の政治家・明の亡命政権を支援し[[台湾]]で抵抗運動を続ける・[[鄭氏政権]]の祖・俗称は国姓爺&lt;br /&gt;
* [[八大山人]]（[[1626年]]？ - [[1705年]]？） - 明末清初の画家・書家・詩人・明の皇族の一人だが明滅亡後は世間を避けて生活する&lt;br /&gt;
* [[順治帝]]（[[1638年]] - [[1661年]]） - 清の第3代皇帝（在位[[1643年]] - [[1661年]]）・[[山海関]]を越えて[[北京]]に入城・中国支配を始める&lt;br /&gt;
* [[蒲松齢]]（[[1640年]] - [[1715年]]） - 清の文学者・官僚にはなれず家塾などを営む・[[志怪小説]]『[[聊斎志異]]』の作者&lt;br /&gt;
* [[石濤]]（[[1642年]] - [[1707年]]） - 清の画家・明の皇族の末裔で同じ境遇の八大山人とも交流する・黄山派に属す&lt;br /&gt;
* 洪昇（[[1645年]] - [[1704年]]） - 清の劇作家・戯曲「長生殿」の作者・孔尚任とともに「曲苑双星」「南洪北孔」と称される&lt;br /&gt;
* 孔尚任（[[1648年]] - [[1718年]]） - 清の劇作家・戯曲「桃花扇」の作者・洪昇とともに「曲苑双星」「南洪北孔」と称される&lt;br /&gt;
* [[康熙帝]]（[[1654年]] - [[1722年]]） - 清の第4代皇帝（在位[[1661年]] - [[1722年]]）・中国屈指の名君・在位60年で「三世の春」時代を迎える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ジュンガル ====&lt;br /&gt;
* [[ガルダン・ハーン]]（[[1644年]] - [[1697年]]）・オイラト系[[ジュンガル部]]の第4代部族長（在位[[1671年]] - [[1697年]]）・清の康熙帝と対決&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== チベット ====&lt;br /&gt;
* [[ダライ・ラマ5世]]（[[1617年]] - [[1682年]]） - チベット仏教の教主（在位[[1642年]] - [[1682年]]）・[[ラサ]]に遷都し[[ポタラ宮殿]]を営む&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
* [[天海]]（[[1536年]]? - [[1643年]]） - [[比叡山]]探題の僧・[[江戸]]の[[上野]][[寛永寺]]開山・[[徳川家康]]の側近・諡号は慈眼大師&lt;br /&gt;
* [[本多正信]]（[[1538年]] - [[1616年]]） -[[大名]]（[[相模国|相模]][[玉縄藩]]藩主）・[[老中]]・徳川家康の重臣として幕政を牛耳る&lt;br /&gt;
* [[徳川家康]]（[[1543年]] - [[1616年]]） - [[江戸幕府]]初代[[征夷大将軍]]（在任[[1603年]] - [[1605年]]） ・[[大阪の陣|大阪夏の陣]]で[[豊臣氏]]を滅ぼす&lt;br /&gt;
* [[大久保長安]]（[[1545年]] - [[1613年]]） - [[勘定奉行]]として全国の金銀山を統轄・その死後は不正の疑いで子弟は処刑される（[[大久保長安事件]]）&lt;br /&gt;
* [[高山右近]]（[[1552年]] - [[1615年]]） - [[キリシタン大名]]・キリスト教禁令で領地を放棄・キリシタン国外追放令により[[マニラ]]で死去&lt;br /&gt;
* [[安楽庵策伝]]（[[1554年]] - [[1642年]]） - [[浄土宗]]西山深草派の僧・説教に優れた才を生かし[[笑話集]]『[[醒睡笑]]』をまとめ[[落語]]の祖と呼ばれる&lt;br /&gt;
* [[片桐且元]]（[[1556年]] - [[1615年]]） - 大名（[[摂津国|摂津]][[茨木藩]]藩主）・[[賤ヶ岳の戦い#賤ヶ岳の七本槍|賤ヶ岳の七本槍]]の一人・豊臣と徳川の和平に尽くす &lt;br /&gt;
* [[藤堂高虎]]（[[1556年]] - [[1630年]]） - 大名（[[伊勢国|伊勢]][[津藩]]藩主）・徳川家康に[[外様大名|外様]]でありながら[[譜代大名|譜代]]格として重用される&lt;br /&gt;
* [[ヤン・ヨーステン|ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン]]（[[1556年]]？ - [[1623年]]） - オランダ人航海士・徳川家康の外交顧問・日本名は耶楊子&lt;br /&gt;
* [[本阿弥光悦]]（[[1558年]] - [[1637年]]） - 刀剣鑑定家・陶芸家・漆芸家・書家としては「[[三筆|寛永の三筆]]」の一人と称される&lt;br /&gt;
* [[俵屋宗達]]（生没年不詳） - 画家・[[本阿弥光悦]]の協力者でいわゆる[[琳派]]の祖・「[[風神雷神図屏風]]」ほかがある&lt;br /&gt;
* [[藤原惺窩]]（[[1561年]] - [[1619年]]） - 儒学者（[[朱子学]]）・[[朝鮮]]人[[姜コウ|姜沆]]との交流を経て儒学を体系化・[[林羅山]]や[[松永尺五]]は弟子&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・アダムス]]（[[1564年]] - [[1620年]]） - イギリス人航海士・徳川家康の外交顧問・日本名は三浦按針&lt;br /&gt;
* [[ハビアン|不干斎ハビアン]]（[[1565年]] - [[1621年]]） - イエズス会士として護教論『妙貞問答』を執筆・後に棄教して反キリスト教論『破提宇子』を執筆&lt;br /&gt;
* [[坂崎直盛]]（[[1565年]]? - [[1616年]]） - 大名（[[石見国|石見]][[津和野藩]]藩主）・大阪落城の際に[[千姫]]を救出・千姫再婚で事件を起こす&lt;br /&gt;
* [[真田信繁]]（幸村）（[[1567年]] - [[1615年]]） - [[信濃国]]の武将・[[関ヶ原の戦い]]で浪人・[[豊臣秀頼]]に招かれ大阪夏の陣で奮戦するも戦死&lt;br /&gt;
* [[淀殿]]（[[1567年]]? - [[1615年]]） - [[豊臣秀吉]]側室で豊臣秀頼の母・[[浅井三姉妹]]の長女・大阪夏の陣に敗北し自殺&lt;br /&gt;
* [[伊達政宗]]（[[1567年]] - [[1636年]]） - 大名（[[陸奥国|陸奥]][[仙台藩]]藩主）・徳川家康から[[徳川家光]]までの将軍に仕える・[[慶長遣欧使節団]]を送る&lt;br /&gt;
* [[崇伝]]（[[1569年]] - [[1633年]]） - [[南禅寺]]（[[金地院]]）住持・寺社行政に携わり[[キリスト教]]の禁止や寺社諸法度ほかの法制を整備&lt;br /&gt;
* [[柳生宗矩]]（[[1571年]] - [[1646年]]） - 大名（[[大和国|大和]][[柳生藩]]藩主）・[[柳生新陰流]]（江戸柳生）の剣術家で徳川将軍家の剣術師範&lt;br /&gt;
* [[支倉常長]]（[[1571年]] - [[1622年]]） - 仙台藩士・[[伊達政宗]]の家臣・慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航&lt;br /&gt;
* [[松永貞徳]]（[[1571年]] - [[1654年]]） - 俳人・歌人・歌学者・[[貞門派]][[俳諧]]の祖として『新増犬筑波集』『俳諧御傘』を残す&lt;br /&gt;
* [[沢庵宗彭]]（[[1573年]] - [[1645年]]） - [[大徳寺]]住持・[[紫衣事件]]で流罪となるが後に将軍[[徳川家光]]の帰依を受ける・江戸の[[東海寺]]開山&lt;br /&gt;
* [[岩佐又兵衛]]（[[1578年]] - [[1650年]]） - 画家・「浮世又兵衛」とも呼ばれる[[浮世絵]]の遠祖・[[荒木村重]]の遺児&lt;br /&gt;
* [[徳川秀忠]]（[[1579年]] - [[1632年]]） -江戸幕府2代征夷大将軍（在任[[1605年]] - [[1623年]]）・大名統制を強化し幕府の体制を固める&lt;br /&gt;
* [[八条宮智仁親王]]（[[1579年]] - [[1629年]]） - 皇族（八条宮初代）・[[後陽成天皇]]の弟で後水尾天皇の叔父・[[桂離宮]]の造営で知られる&lt;br /&gt;
* [[春日局]]（[[1579年]] - [[1643年]]） - 江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母・[[江戸城]][[大奥]]の礎を築く&lt;br /&gt;
* [[小堀遠州]]（[[1579年]] - [[1647年]]） - 大名（[[近江国|近江]][[小室藩]]藩主）・茶人（[[遠州流]]）・建築家・作庭家として知られる&lt;br /&gt;
* [[林羅山]]（[[1583年]] - [[1657年]]） - 儒学者（[[朱子学]]）・後に幕府の学問を司ることになる[[大学頭]]の林家の祖&lt;br /&gt;
* [[宮本武蔵]]（[[1584年]] - [[1645年]]） - 剣豪・兵法者（[[二天一流]]兵法の祖）としては『[[五輪書]]』を著す・書画にも優れる&lt;br /&gt;
* [[豊臣秀頼]]（[[1593年]] - [[1615年]]） - 豊臣秀吉の嫡男・[[右大臣]]・大阪夏の陣で敗北し母の[[淀殿]]とともに自殺&lt;br /&gt;
* [[後水尾天皇]]（[[1596年]] - [[1680年]]） - 第108代天皇（在位[[1611年]] - [[1629年]]）・中宮は[[徳川秀忠]]の娘[[東福門院]]・[[寛永文化]]の中心&lt;br /&gt;
* [[松平信綱]]（[[1596年]] - [[1662年]]） - 大名（[[武蔵国|武蔵]][[川越藩]]藩主）・老中・官職名の伊豆守から「知恵伊豆」と呼ばれ将軍[[徳川家綱]]を補佐&lt;br /&gt;
* [[酒井田柿右衛門|初代酒井田柿右衛門]]（[[1596年]] - [[1666年]]） - [[肥前国]][[有田]]の陶工・赤絵[[磁器]]の焼成に成功・「柿右衛門様式」は[[マイセン]]磁器などにも影響&lt;br /&gt;
* [[千姫]]（[[1597年]] - [[1666年]]） - 徳川秀忠の娘・豊臣秀頼の正室・大阪夏の陣では落城間際に脱出・後に[[本多忠刻]]に嫁す&lt;br /&gt;
* 徳川[[御三家]]の祖&lt;br /&gt;
** [[徳川義直]]（[[1600年]] - [[1650年]]） - [[尾張徳川家]]初代藩主・徳川家康の九男&lt;br /&gt;
** [[徳川頼宣]]（[[1602年]] - [[1671年]]） - [[紀州徳川家]]初代藩主・徳川家康の十男&lt;br /&gt;
** [[徳川頼房]]（[[1603年]] - [[1661年]]） - [[水戸徳川家]]初代藩主・徳川家康の十一男&lt;br /&gt;
* [[狩野探幽]]（[[1602年]] - [[1674年]]） - [[狩野派]]の画家・[[狩野永徳]]の孫・江戸鍛冶橋狩野家の祖・江戸城や諸寺の障壁画を担当&lt;br /&gt;
* [[徳川家光]]（[[1604年]] - [[1651年]]） - 江戸幕府3代征夷大将軍（在任[[1623年]] - [[1651年]]）・[[鎖国]]や[[キリスト教]]禁令などを行う&lt;br /&gt;
* [[由井正雪]]（[[1605年]] - [[1651年]]） - 軍学者・[[浪人]]らを募り[[丸橋忠弥]]らとともに反乱を計画するが発覚し自決（[[慶安の変]]）&lt;br /&gt;
* [[西山宗因]]（[[1605年]] - [[1682年]]） - 俳人・連歌師・[[談林派]][[俳諧]]の祖・大坂天満宮の連歌所宗匠となり『蚊柱百句』などを残す&lt;br /&gt;
* [[中江藤樹]]（[[1608年]] - [[1648年]]） - 儒学者（[[陽明学]]）・[[伊予国|伊予]][[大洲藩]]藩士であったが脱藩・母に孝養を尽くし「近江聖人」と称えられた&lt;br /&gt;
* [[保科正之]]（[[1611年]] - [[1673年]]） - 大名（[[陸奥国|陸奥]][[会津藩]]藩主）・将軍徳川家光の異母弟・兄家光と甥の家綱を補佐し幕閣に重きをなす&lt;br /&gt;
* [[河村瑞賢]]（[[1617年]]? - [[1699年]]） - 豪商・材木商として幕府の公共事業を請け負う・[[東廻海運]]や[[西廻海運]]の開発でも知られる&lt;br /&gt;
* [[菱川師宣]]（[[1618年]] - [[1694年]]） - 画家・浮世絵の創始者・肉筆浮世絵「[[見返り美人図]]」で知られる&lt;br /&gt;
* [[熊沢蕃山]]（[[1619年]] - [[1691年]]） - 儒学者（陽明学）・[[中江藤樹]]の弟子・[[岡山藩]]藩主[[池田光政]]の藩政改革を促す&lt;br /&gt;
* [[山崎闇斎]]（[[1619年]] - [[1682年]]） - 儒学者（朱子学）・[[垂加神道]]を体系化し[[会津藩]]藩主[[保科正之]]の藩政改革を促す&lt;br /&gt;
* [[木下順庵]]（[[1621年]] - [[1699年]]） - 儒学者（朱子学）・木門十哲（[[新井白石]]・[[室鳩巣]]・[[雨森芳洲]]ら）ほか優れた弟子を育てる&lt;br /&gt;
* [[天草四郎]]（[[1621年]] - [[1638年]]） - [[島原の乱]]の指導者・[[松平信綱]]率いる幕府軍に徹底的に鎮圧され討ち取られる&lt;br /&gt;
* [[山鹿素行]]（[[1622年]] - [[1685年]]） - 儒学者（[[古学派]]の祖）・軍学者（[[山鹿流]]兵法の祖）・[[赤穂藩]][[家老]]の[[大石良雄]]は門弟&lt;br /&gt;
* [[三井高利]]（[[1622年]] - [[1694年]]） - 商人・呉服商から両替商まで事業を拡大・[[三井家]]（のちの[[三井財閥]]）の基礎を築く&lt;br /&gt;
* [[酒井忠清]]（[[1624年]] - [[1681年]]） - 大名（[[上野国|上野]][[厩橋藩]]藩主）・[[大老]]・将軍[[徳川家綱|家綱]]のもと権力を握るが続く将軍[[徳川綱吉|綱吉]]に解任される&lt;br /&gt;
* [[北村季吟]]（[[1625年]] - [[1705年]]） - 歌人・俳人・古典研究者として『[[源氏物語湖月抄]]』『[[伊勢物語拾穂抄]]』を著し古典注釈学を大成する&lt;br /&gt;
* [[伊藤仁斎]]（[[1627年]] - [[1705年]]） - 儒学者（古義学派の祖）・[[京都]][[堀川通|堀川]]で私塾[[古義堂]]を開く・息子[[伊藤東涯]]らも学者となる&lt;br /&gt;
* [[徳川光圀]]（[[1628年]] - [[1701年]]） - 水戸徳川家第2代藩主・[[彰考館]]を開き『[[大日本史]]』の編纂を開始・[[水戸黄門]]としても知られる&lt;br /&gt;
* [[貝原益軒]]（[[1630年]] - [[1714年]]） - 福岡藩士・[[本草学者]]として『[[大和本草]]』を、教育者として『[[養生訓]]』を著す&lt;br /&gt;
* [[円空]]（[[1632年]] - [[1695年]]） - [[天台宗]]の僧侶・[[仏師]]として日本各地に「円空仏」と呼ばれる木造仏を残す&lt;br /&gt;
* [[堀田正俊]]（[[1634年]] - [[1684年]]） - 大名（[[下総国|下総]][[古河藩]]藩主）・大老・将軍家綱から[[徳川綱吉|綱吉]]まで仕える・江戸城で暗殺される&lt;br /&gt;
* [[渋川春海]]（[[1639年]] - [[1715年]]） - 天文暦学者・800年近く用いられてきた[[宣明暦]]に代わる[[貞享暦]]を作成&lt;br /&gt;
* [[契沖]]（[[1640年]] - [[1701年]]） - 真言宗の僧・古典学者（[[国学者]]）・『[[万葉代匠記]]』などで優れた実証主義的研究を行う&lt;br /&gt;
* [[徳川家綱]]（[[1641年]] - [[1680年]]） - 江戸幕府4代征夷大将軍（在任[[1651年]] - [[1680年]]）・[[武断政治]]から[[文治政治]]へ政策が転換される&lt;br /&gt;
* [[関孝和]]（[[1642年]] - [[1708年]]） - 数学者（[[和算]]家）・著書『発微算法』で筆算による代数計算法（点竄術）を開拓し和算の基礎を築く&lt;br /&gt;
* [[井原西鶴]]（[[1642年]] - [[1693年]]） - 俳諧師・[[浮世草子]]作者・『[[好色一代男]]』『世間胸算用』『[[日本永代蔵]]』の著者&lt;br /&gt;
* [[松尾芭蕉]]（[[1644年]] - [[1694年]]） - 俳諧師・『[[奥の細道]]』の著者・「俳聖」とも呼ばれ俳句を芸術の域まで高める&lt;br /&gt;
* [[徳川綱吉]]（[[1646年]] - [[1709年]]） - 江戸幕府5代征夷大将軍（在任[[1680年]] - [[1709年]]）・[[元禄時代]]の文治政治を推進&lt;br /&gt;
* [[エンゲルベルト・ケンペル]]（[[1651年]] - [[1716年]]） - ドイツ人医師・博物学者・将軍綱吉に謁見・日本を紹介した『[[日本誌]]』をまとめる&lt;br /&gt;
* [[尾形光琳]]（[[1658年]] - [[1716年]]） - 琳派の画家・「紅白梅図屏風」や「燕子図屏風」などの作品で知られる・陶芸家[[尾形乾山]]は弟&lt;br /&gt;
* [[市川團十郎 (初代)|初代市川團十郎]]（[[1660年]] - [[1704年]]） - 役者・[[元禄]]の[[江戸]][[歌舞伎]]を代表し荒事芸を歌舞伎に導入した&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 10年紀と各年 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
[[Category:17世紀|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>111.87.58.207</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=4%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=3622</id>
		<title>4世紀</title>
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		<updated>2014-08-15T16:07:37Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;111.87.58.207: /* できごと */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{centurybox|&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
 世紀=4 |&lt;br /&gt;
 次世紀=5 |&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
 前世紀=3 |&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[File:Prêtre de Sérapis, Musée de Cluny.jpg|.jpg|right|thumb|225px|背教者[[ユリアヌス]]帝の像（クリュニー美術館）。ローマ帝国のキリスト教化が進む中で古来の神々の復興を意図するも早すぎる死によりその計画は挫折した。]]&lt;br /&gt;
[[File:Disco o Missorium Teodosio MPLdC.jpg|right|thumb|250px|最後の統一ローマの皇帝[[テオドシウス1世]]の銀皿（Missorium Theodosii）。画像はスペインの[[メリダ (スペイン)|メリダ]]国立ローマ博物館所蔵品のレプリカ。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Histoire de femme Gu Kai Zhi.jpg|right|thumb|295px|「女史箴図」（[[大英博物館]]所蔵）。[[東晋]]の画家で「画聖」とも呼ばれた[[顧ガイ之|顧愷之]]の代表作。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Isonokami.jpg|right|thumb|295px|[[七支刀]]が所蔵されている[[石上神宮]]。ここの七支刀が『日本書紀』神功記に記載のある百済から献上されたものだと推定されている。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:ChandraguptaIIOnHorse.jpg|thumb|right|240px|[[チャンドラグプタ2世]]の金貨。チャンドラグプタ2世はインド・グプタ朝の領土を最大に広げ、繁栄をもたらした。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;4世紀&#039;&#039;&#039;（よんせいき）とは、[[西暦]][[301年]]から西暦[[400年]]までの100年間を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
* 日本では[[古墳時代]]にあたる。&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 4世紀の初め頃から[[福岡県]][[沖ノ島]]で盛んに[[祭祀]]が行われる（[[平安時代]]初期頃まで続いた）。&lt;br /&gt;
* 301年 - [[9月3日]]に[[サンマリノ]]が独立。&lt;br /&gt;
* 301年 - [[アルメニア]]が世界初のキリスト教国となる。&lt;br /&gt;
* 303年 - [[ディオクレティアヌス]]による最後のキリスト教徒大迫害。&lt;br /&gt;
* 304年 - [[匈奴]]の[[劉淵]]が大単于を自称。中国北部は[[五胡十六国時代]]の戦乱に入る。&lt;br /&gt;
* 305年 - ディオクレティアヌスが退位し[[サロナ]]近郊に引退する。&lt;br /&gt;
* 306年 - [[コンスタンティヌス1世|コンスタンティヌス]]が[[ガリア]]で[[ローマ帝国]][[皇帝]]を称す。&lt;br /&gt;
* 310年 - [[クチャ]]出身の[[仏図澄]]が[[洛陽]]に来て[[仏教]]を布教。&lt;br /&gt;
* 311年 - [[中国]]で[[永嘉の乱]]。西晋への異民族侵入が激化し洛陽が陥落。&lt;br /&gt;
* 312年 - [[ミルウィウス橋の戦い]]で、[[コンスタンティヌス1世]]が[[マクセンティウス]]に勝利し、帝国西部唯一の皇帝となる。&lt;br /&gt;
* 313年 - ローマ皇帝コンスタンティヌス1世と[[リキニウス]]が[[ミラノ勅令]]で[[キリスト教]]を公認する。&lt;br /&gt;
* 316年 - 長安が陥落し[[西晋]]王朝滅亡。&lt;br /&gt;
* 317年 - [[元帝 (東晋)|司馬睿]]（元帝）が[[東晋]]を建国（- [[420年]]） 。&lt;br /&gt;
* 319年 - 前趙から自立した羯族の[[石勒]]が[[後趙]]を建国。&lt;br /&gt;
* 320年 - [[インド]]で[[チャンドラグプタ1世]]が[[グプタ朝]]を建国。&lt;br /&gt;
* 325年 - [[5月20日]]、[[第1回ニカイア公会議]]。[[ニカイア信条]]を採択、[[復活祭]]の日付を制定。&lt;br /&gt;
* 330年 - ローマ皇帝[[コンスタンティヌス1世]]が[[ビュザンティオン]]を新首都と定める（[[コンスタンティノポリス]]）。&lt;br /&gt;
* 330年 - [[前趙]]を滅ぼし華北の大半を併せた[[後趙]]の[[石勒]]が皇帝となる（高祖明帝）。&lt;br /&gt;
* 346年 - 朝鮮半島でツングース系夫余=徐族が[[馬韓]]を統一して[[百済]]を建国する。&lt;br /&gt;
* 350年 - [[アクスム王国]]（現在の[[エチオピア]]）がキリスト教を国教とする。&lt;br /&gt;
* 350年 - [[冉閔]]が後趙の石氏ら胡族を虐殺し、漢民族優位の冉魏を建国（冉閔の乱）。&lt;br /&gt;
* 353年 - 東晋の書家[[王羲之]]が[[曲水の宴]]を蘭亭で催し『[[蘭亭序]]』を書く。&lt;br /&gt;
* 356年 - 朝鮮半島で秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人達を中心に[[辰韓]]が統一され、多民族を纏め[[新羅]]が建国される。&lt;br /&gt;
* 357年 - 前燕が中原に進出する。これにより高句麗が再起する。&lt;br /&gt;
* 360年 - [[コンスタンティウス2世]]が[[コンスタンティノープル|コンスタンティノポリス]]に[[アヤソフィア|聖ソフィア大聖堂]]を建立。&lt;br /&gt;
* 360年 - 「背教者」[[フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス|ユリアヌス]]が[[ルテティア]]（現パリ）にてローマ皇帝に即位。&lt;br /&gt;
* 363年 - ユリアヌスが[[ペルシア]]遠征中に死去。&lt;br /&gt;
* 363年 - 東晋で[[桓温]]による「庚戌土断」が行われる。&lt;br /&gt;
* 366年 - 前秦支配下の[[敦煌]]鳴沙山の断崖に僧楽僔が石窟を掘る（敦煌莫高窟の始まり）。&lt;br /&gt;
* 369年 - 倭国が朝鮮半島南部に[[任那]]を建国、倭国の北限とする。&lt;br /&gt;
* 369年 - [[石上神宮]]に所蔵されている[[七支刀]]は銘文によるとこの年に作られたか。&lt;br /&gt;
* 369年 - 第287回[[古代オリンピック|オリンピック]]。記録に残る最後のオリンピック。&lt;br /&gt;
* 370年 - [[前秦]]が前燕を滅ぼし華北を統一。&lt;br /&gt;
* 373年 - シリアのキリスト教修道僧[[シリアのエフレム|エフレム]]死去。&lt;br /&gt;
* 375年 - [[フン族]]がゴート族を圧迫する。[[ゲルマン人|ゲルマン民族]]大移動の発端。&lt;br /&gt;
* 376年 - インドのグプタ朝で[[チャンドラグプタ2世]]が即位する。&lt;br /&gt;
* 376年 - 後の[[西ゴート族|西ゴート人]]の前身となる[[ゴート族|ゴート]]系難民集団、ローマ帝国領内に侵入を開始。&lt;br /&gt;
* 378年 - 皇帝[[ウァレンス]]が[[アドリアノープル]]の戦いで西ゴート人に敗れ戦死。&lt;br /&gt;
* 380年 - ローマ皇帝[[テオドシウス1世]]がキリスト教を[[国教]]と定める。&lt;br /&gt;
* 381年 - [[第1コンスタンティノポリス公会議]] - [[三位一体論]]の定義、[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]採択。&lt;br /&gt;
* 383年 - 中国で[[ヒ水の戦い|淝水の戦い]]。東晋が前秦に勝利する。前秦は求心力を失い、以後華北は分裂する。&lt;br /&gt;
* 384年 - [[慕容垂]]が自立し、[[後燕]]を建国。&lt;br /&gt;
* 385年 - エジプトの[[アレクサンドリア]]市のセラピウム（[[セラピス]]神殿）が破壊される。 &lt;br /&gt;
* 386年 - [[鮮卑]]の拓跋珪（[[道武帝]]）が自立し、[[北魏]]を建国。&lt;br /&gt;
* 391年 - [[倭]]軍、渡海して百済・新羅を破り、臣民とする（高句麗[[広開土王碑]]）。&lt;br /&gt;
* 392年 - [[ローマ]]がキリスト教を国教とする。&lt;br /&gt;
* 393年 - 第293回[[古代オリンピック|オリンピック]]。古代オリンピック最後の年といわれるが、記録には残っていない。&lt;br /&gt;
* 394年 - エジプトの[[フィラエ神殿|フィラエ島イシス神殿]]に現存する最後の[[ヒエログリフ]]が刻まれる。&lt;br /&gt;
* 395年 - テオドシウスが死去し、ローマ帝国が東西に分割相続される（東西分裂）。[[ローマ人]]が[[ブリタンニア]]より撤退。&lt;br /&gt;
* 396年 - 高句麗の談徳（広開土境好太王）、百済を攻め、その北部を領土とし、城下の誓いをさせる（広開土王碑）。&lt;br /&gt;
* 399年 - 中国の[[法顕]]が仏典を求めてインドに赴く。&lt;br /&gt;
* 399年 - 百済、3年前の誓いに背き、倭と連合して新羅に侵入したため、新羅は高句麗に援助を求める（広開土王碑）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 空白の4世紀 ==&lt;br /&gt;
中国の歴史[[文献資料 (歴史学)|文献]]において[[266年]]から[[413年]]にかけての[[倭国]]に関する記述がなく、[[ヤマト王権]]の成立過程などが把握できないため、日本において「&#039;&#039;&#039;空白の4世紀&#039;&#039;&#039;」とも呼ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化 ==&lt;br /&gt;
{{節スタブ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 地中海世界 ===&lt;br /&gt;
* [[コンスタンティヌス1世]]（[[274年]]？ - [[337年]]） - ローマ帝国皇帝（在位[[306年]] - [[337年]]）・[[ミラノ勅令]]でキリスト教を公認する&lt;br /&gt;
* [[フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス|ユリアヌス]]（[[331年]]/[[332年]] - [[363年]]） - ローマ帝国皇帝（在位[[361年]] - [[363年]]）・異教を擁護し「背教者」と呼ばれる&lt;br /&gt;
* [[ウァレンス]]（[[328年]] - [[378年]]） - ローマ帝国皇帝（在位[[364年]] - [[378年]]）・[[ハドリアノポリスの戦い]]でゴート族に敗死&lt;br /&gt;
* [[テオドシウス1世]]（[[346年]] - [[395年]]） - ローマ帝国皇帝（在位[[379年]] - [[395年]]）・その死後にローマ帝国は東西に分裂&lt;br /&gt;
* [[アルカディウス]]（[[377年]] - [[408年]]） - 東ローマ帝国最初の皇帝（在位[[395年]] - [[408年]]）・皇帝テオドシウス1世の長男&lt;br /&gt;
* [[ホノリウス]]（[[384年]] - [[423年]]） - 西ローマ帝国最初の皇帝（在位[[395年]] - [[423年]]）・皇帝テオドシウス1世の次男&lt;br /&gt;
* [[アンミアヌス・マルケリヌス]]（[[325年]]/[[330年]] - [[391年]]以後） - ローマ帝国の軍人・歴史家として帝政後期をまとめた『歴史』を著す&lt;br /&gt;
* [[ラクタンティウス]]（[[240年]]頃 - [[320年]]頃） - キリスト教[[神学者]]・『迫害者たちの死』『神の教程』の著作がある&lt;br /&gt;
* [[イアンブリコス]]（[[245年]] - [[325年]]） - 後期[[ネオプラトニズム]]（新プラトン主義）の代表とされる哲学者・[[ピタゴラス主義]]にも傾倒&lt;br /&gt;
* [[アレイオス]]（[[250年]] - [[336年]]） - キリスト教[[神学者]]で[[アレクサンドリア]]の司祭・[[アリウス派]]の祖&lt;br /&gt;
* [[大アントニオス]]（[[251年]]頃 - [[356年]]）- [[エジプト]]の隠修士で東方修道制の父・弟子に[[エジプトのマカリオス|マカリオス]]らがいる&lt;br /&gt;
* コルドバのホシウス（[[257年]]頃 - [[359年]]）-  キリスト神学者・ニカイア公会議の進行役となり[[ニカイア信条]]をまとめる&lt;br /&gt;
* 啓蒙者グレゴリオス（[[257年]]頃 - [[331年]]頃）-  キリスト教宣教者・[[アルメニア]]をキリスト教化する&lt;br /&gt;
* [[カイサリア]]の[[エウセビオス]]（[[263年]]頃 - [[339年]]）- キリスト教神学者で[[歴史家]]・『教会史』などの著作がある&lt;br /&gt;
* [[ニコメディア]]のエウセビオス（？ - [[341年]]）- [[コンスタンティノープル]][[主教]]で皇帝コンスタンティヌス1世の側近&lt;br /&gt;
* [[ミラのニコラオス]]（[[270年]]頃 - [[345年]]/[[352年]]） - キリスト教神学者・[[サンタクロース]]の原型となる&lt;br /&gt;
* [[パコミオス]]（[[290年]]頃 - [[346年]]） - エジプトの修道士・独居から発展した共住修道制の祖&lt;br /&gt;
* [[アレクサンドリアのアタナシオス|アタナシオス]] （[[298年]] - [[373年]]） - キリスト教神学者で[[アレクサンドリア]]主教・[[三位一体論]]を確立&lt;br /&gt;
* [[シリアのエフレム]]（[[306年]]頃 - [[373年]]） - キリスト教神学者・反アリウス派の立場からシリアで活躍・聖歌（祈祷文）作家でもある&lt;br /&gt;
* [[アウソニウス]]（[[310年]] - [[393年]]頃） - ガリア出身の著述家・詩人として『モゼラ』を執筆・皇帝[[グラティアヌス]]の宮廷に伺候し顕職を歴任&lt;br /&gt;
* [[ウルフィラ]]（[[311年]] - [[382年]]） - キリスト教神学者（アリウス派）・聖書をゴート語に訳しゲルマン人に宣教&lt;br /&gt;
* サラミスのエピファニオス（[[315年]] - [[403年]]） - キリスト教神学者・著書『パナリオン（薬籠）』で異端諸派を論駁する&lt;br /&gt;
* [[ポワティエのヒラリウス]]（[[315年]]頃 - [[368年]]頃） - キリスト教神学者・「西方のアタナシオス」と呼ばれアリウス派を論駁・教会博士&lt;br /&gt;
* [[トゥールのマルティヌス]]（[[316年]]頃 - [[397年]]/[[400年]]） - [[ガリア]]（[[フランス]]）の修道士・西方修道制の祖&lt;br /&gt;
* アウレリウス・ウィクトル（[[320年]]頃 - [[390年]]頃） - 政治家・属州総督・歴史家としては『皇帝たちについて』を残す&lt;br /&gt;
* [[アエリウス・ドナトゥス]]（生没年不詳） - 文法学者・ラテン教父[[ヒエロニムス]]の師・その著『大文法学』『小文法学』は後世の教科書となる&lt;br /&gt;
* [[ナジアンゾスのグレゴリオス]]（[[329年]] - [[389年]]） - キリスト教神学者・[[カッパドキア三教父]]の一人・[[三成聖者]]の一人&lt;br /&gt;
* [[カイサリアのバシレイオス]]（[[330年]]頃 - [[379年]]） - キリスト教神学者・[[カッパドキア三教父]]の一人・[[三成聖者]]の一人&lt;br /&gt;
* [[ニュッサのグレゴリオス]]（[[335年]]頃 - [[394年]]以降） - キリスト教神学者・[[カッパドキア三教父]]の一人&lt;br /&gt;
* [[アレクサンドリアのテオン]]（[[335年]]頃 - [[405年]]頃） - 天文学者・数学者・哲学者・[[アレクサンドリア図書館]]の最後の所長・[[ヒュパティア]]の父&lt;br /&gt;
* [[シュンマクス]]（[[340年]] - [[402年]]） - ローマ[[元老院]]議員・勝利女神の祭壇設置問題でアンブロシウスと対立し[[異教]]を擁護 &lt;br /&gt;
* [[アンブロジウス|アンブロシウス]]（[[340年]]？ - [[397年]]） - キリスト教神学者・[[ミラノ]]の司教・四大[[ラテン教父]]の一人・シュンマクスとは論敵&lt;br /&gt;
* [[ウェゲティウス]]（4世紀後半） - 軍事学者・ローマ帝国の軍団（[[レギオン]]）の組織や編成・戦略や戦術をまとめた『[[軍事論]]』を執筆&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アフリカ ===&lt;br /&gt;
* エザナ（？ - [[356年]]） - エチオピアの[[アクスム王国]]国王（在位[[303年]] - [[356年]]）・キリスト教を受容・「エザナ王の碑文」も有名&lt;br /&gt;
=== ペルシア ===&lt;br /&gt;
* [[シャープール2世]]（[[309年]] - [[379年]]） - サーサーン朝の第9代君主（在位[[309年]] - [[379年]]）・ローマ皇帝ユリアヌスを戦死させる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インド ===&lt;br /&gt;
* [[チャンドラグプタ1世]]（生没年不詳） - インド・グプタ朝の建国者（在位[[320年]]頃 - [[335年]]頃）・[[パータリプトラ]]を都とする&lt;br /&gt;
* [[サムドラグプタ]]（生没年不詳） - インド・グプタ朝第2代の王（在位[[335年]]頃 - [[376年]]頃）・南インドにまで勢力を拡大&lt;br /&gt;
* [[チャンドラグプタ2世]]（生没年不詳） - インド・グプタ朝第3代の王（在位[[376年]] - [[415年]]）・グプタ朝の最盛期&lt;br /&gt;
* [[カーリダーサ]]（生没年不詳） - インド・グプタ朝の詩人・劇作家・抒情詩『[[メーガ・ドゥータ]]』や戯曲『[[シャクンタラー]]』の作者&lt;br /&gt;
* ヴァーツヤーヤナ（生没年不詳） - インド・グプタ朝のニヤーヤ派の学者・宮廷詩人でもあり『[[カーマ・スートラ]]』を編纂したか&lt;br /&gt;
* [[アサンガ]]（無著）（[[310年]]頃 - [[390年]]頃） - インドの[[大乗仏教]]の僧侶・[[唯識派]]の祖で『[[摂大乗論]]』を執筆・ヴァスバンドゥは実弟&lt;br /&gt;
* [[ヴァスバンドゥ]]（世親）（[[310年]]頃 - [[390年]]頃） - インドの大乗仏教の僧侶・唯識派の祖で『[[唯識二十論]]』を執筆・アサンガは実兄&lt;br /&gt;
* スリー・メーガワンナ（？ - [[328年]]） - スリランカの王（在位[[301年]] - [[328年]]）・インドのカリンガから招来された仏歯をもとに[[仏歯寺]]を建立&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東アジア ===&lt;br /&gt;
==== 五胡十六国から北魏 ====&lt;br /&gt;
* [[仏図澄]]（[[232年]] - [[348年]]） - 五胡十六国時代の[[西域]]からの渡来僧・[[後趙]]の[[石勒]]・[[石虎]]に軍師として用いられる&lt;br /&gt;
* [[劉淵]]（[[251年]]？ - [[310年]]） - 五胡十六国時代の前趙の初代皇帝（高祖）（在位[[304年]] - [[310年]]）・西晋から自立し[[平陽]]に都を置く&lt;br /&gt;
* [[劉聡]]（？ - [[318年]]） - 五胡十六国時代の前趙の第3代皇帝（昭武帝）（在位[[310年]] - [[318年]]）・[[永嘉の乱]]に勝利し洛陽を占領&lt;br /&gt;
* [[石勒]]（[[274年]] - [[333]]年）- 五胡十六国時代の後趙の皇帝（高祖）（在位[[319年]] - [[333年]]）・[[張賓]]の補佐により官制を整備し仏教を保護した&lt;br /&gt;
* [[釈道安]]（[[314年]] - [[385年]]） - 五胡十六国時代の僧・[[仏図澄]]の弟子・[[格義仏教]]に反対し戒律を含む僧制を整備し中国仏教の基礎を築く&lt;br /&gt;
* [[王猛]]（[[325年]] - [[375年]]） - 五胡十六国時代の前秦の宰相・苻堅に仕え華北統一に貢献したが東晋との全面戦争には反対した&lt;br /&gt;
* [[苻堅]]（[[338年]] - [[385年]]） - 五胡十六国時代の前秦の第3代皇帝（世祖）（在位[[357年]] - [[385年]]）・華北を統一するが[[ヒ水の戦い|淝水の戦い]]で敗北&lt;br /&gt;
* [[道武帝|拓跋珪]]（[[371年]] - [[409年]]） - [[北朝 (中国)|北朝]]北魏の初代皇帝（道武帝）（在位[[398年]] - [[409年]]）・[[柔然]]や[[高車]]を征服して華北を平定&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 西晋・東晋 ====&lt;br /&gt;
* [[司馬越]]（？ - [[311年]]） - 西晋の皇族（東海王）・[[八王の乱]]を終結させ[[懐帝]]を擁し実権を握る・その死とともに永嘉の乱が始まる&lt;br /&gt;
* [[郭象]]（[[252年]] - [[312年]]） - 西晋の官僚・思想家・[[清談]]に優れ[[何晏]]や[[王弼]]の[[玄学]]に続き『[[荘子]]』に注をつける&lt;br /&gt;
* [[王衍 (西晋)|王衍]]（[[256年]] - [[311年]]） - 西晋の政治家・八王の乱後の西晋を[[司馬越|東海王越]]とともに支えるが[[石勒]]に捕縛され殺害される&lt;br /&gt;
* [[王敦]]（[[266年]] - [[324年]]） - 西晋から東晋の政治家・従弟の王導と共に東晋の建国に協力・後に王敦の乱を起こす&lt;br /&gt;
* [[元帝 (東晋)|司馬睿]]（[[276年]] - [[322年]]） - 東晋の初代皇帝（元帝）（在位[[318年]] - [[322年]]）&lt;br /&gt;
* [[王導]]（[[276年]] - [[339年]]） - 西晋から東晋の政治家・東晋の建国に協力し[[琅邪王氏]]の基礎を築く&lt;br /&gt;
* [[蘇峻]]（？ - [[329年]]） - 西晋から東晋の武将・王敦の乱の鎮圧に功があったが不満を持ち蘇峻の乱を起こす&lt;br /&gt;
* [[郭璞]]（[[276年]] - [[324年]]） - 西晋から東晋の文学者・卜者・王導に重用され『爾雅』『方言』『山海経』に注をつける&lt;br /&gt;
* [[葛洪]]（[[283年]] - [[343年]]） - 西晋から東晋の道教思想家・著作に『[[神仙伝]]』『[[抱朴子]]』がある&lt;br /&gt;
* [[干宝]]（？ - [[336年]]） - 東晋の史官・元帝に『晋紀』を上奏した・志怪小説集『[[捜神記]]』の著者でもある&lt;br /&gt;
* [[王羲之]]（[[303年]] - [[361年]]） - 東晋の政治家・書家で「書聖」とも呼ばれる・代表作に「[[蘭亭序]]」がある&lt;br /&gt;
* [[桓温]]（[[312年]] - [[373年]]） - 東晋の政治家・軍人・土断法の実施や軍事的成功により政権を掌握し禅譲を望むが失敗&lt;br /&gt;
* [[支遁]]（[[314年]] - [[366年]]） - 東晋の僧侶・[[老荘思想]]の概念で仏教を解釈する[[格義仏教]]の中心人物・著作に『文翰集』がある&lt;br /&gt;
* [[謝安]]（[[320年]] - [[385年]]） - 東晋の宰相・桓温の簒奪の阻止し[[ヒ水の戦い|淝水の戦い]]を勝利に導く&lt;br /&gt;
* [[顧愷之]]（[[344年]]？ - [[405年]]？） - 東晋の画家で「画聖」とも呼ばれる・代表作に「女史箴図」がある&lt;br /&gt;
* [[孫恩 (東晋)|孫恩]]（？ - [[402年]]) - 東晋の宗教家（五斗米道）・江南の信徒を集め[[孫恩の乱|反乱]]を起こし[[建康]]に迫るが敗走し自殺&lt;br /&gt;
* [[司馬道子]]（[[364年]] - [[402年]]） - 東晋の皇族・政治家・簡文帝の末子で孝武帝の末弟・政局を壟断するが[[桓玄]]の乱で殺害される&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 10年紀と各年 ==&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[300年代]]&#039;&#039;&#039; || [[300年|300]] || [[301年|301]]&lt;br /&gt;
| [[302年|302]] || [[303年|303]]&lt;br /&gt;
| [[304年|304]] || [[305年|305]] || [[306年|306]]&lt;br /&gt;
| [[307年|307]] || [[308年|308]] || [[309年|309]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[310年代]]&#039;&#039;&#039; || [[310年|310]] || [[311年|311]]&lt;br /&gt;
| [[312年|312]] || [[313年|313]]&lt;br /&gt;
| [[314年|314]] || [[315年|315]] || [[316年|316]]&lt;br /&gt;
| [[317年|317]] || [[318年|318]] || [[319年|319]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[320年代]]&#039;&#039;&#039; || [[320年|320]] || [[321年|321]]&lt;br /&gt;
| [[322年|322]] || [[323年|323]]&lt;br /&gt;
| [[324年|324]] || [[325年|325]] || [[326年|326]]&lt;br /&gt;
| [[327年|327]] || [[328年|328]] || [[329年|329]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[330年代]]&#039;&#039;&#039; || [[330年|330]] || [[331年|331]]&lt;br /&gt;
| [[332年|332]] || [[333年|333]]&lt;br /&gt;
| [[334年|334]] || [[335年|335]] || [[336年|336]]&lt;br /&gt;
| [[337年|337]] || [[338年|338]] || [[339年|339]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[340年代]]&#039;&#039;&#039; || [[340年|340]] || [[341年|341]]&lt;br /&gt;
| [[342年|342]] || [[343年|343]]&lt;br /&gt;
| [[344年|344]] || [[345年|345]] || [[346年|346]]&lt;br /&gt;
| [[347年|347]] || [[348年|348]] || [[349年|349]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[350年代]]&#039;&#039;&#039; || [[350年|350]] || [[351年|351]]&lt;br /&gt;
| [[352年|352]] || [[353年|353]]&lt;br /&gt;
| [[354年|354]] || [[355年|355]] || [[356年|356]]&lt;br /&gt;
| [[357年|357]] || [[358年|358]] || [[359年|359]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[360年代]]&#039;&#039;&#039; || [[360年|360]] || [[361年|361]]&lt;br /&gt;
| [[362年|362]] || [[363年|363]]&lt;br /&gt;
| [[364年|364]] || [[365年|365]] || [[366年|366]]&lt;br /&gt;
| [[367年|367]] || [[368年|368]] || [[369年|369]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[370年代]]&#039;&#039;&#039; || [[370年|370]] || [[371年|371]]&lt;br /&gt;
| [[372年|372]] || [[373年|373]]&lt;br /&gt;
| [[374年|374]] || [[375年|375]] || [[376年|376]]&lt;br /&gt;
| [[377年|377]] || [[378年|378]] || [[379年|379]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[380年代]]&#039;&#039;&#039; || [[380年|380]] || [[381年|381]]&lt;br /&gt;
| [[382年|382]] || [[383年|383]]&lt;br /&gt;
| [[384年|384]] || [[385年|385]] || [[386年|386]]&lt;br /&gt;
| [[387年|387]] || [[388年|388]] || [[389年|389]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[390年代]]&#039;&#039;&#039; || [[390年|390]] || [[391年|391]]&lt;br /&gt;
| [[392年|392]] || [[393年|393]]&lt;br /&gt;
| [[394年|394]] || [[395年|395]] || [[396年|396]]&lt;br /&gt;
| [[397年|397]] || [[398年|398]] || [[399年|399]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[400年代]]&#039;&#039;&#039; || [[400年|400]] || [[401年|401]]&lt;br /&gt;
| [[402年|402]] || [[403年|403]]&lt;br /&gt;
| [[404年|404]] || [[405年|405]] || [[406年|406]]&lt;br /&gt;
| [[407年|407]] || [[408年|408]] || [[409年|409]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:4世紀|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>111.87.58.207</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=3%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=1949</id>
		<title>3世紀</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=3%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=1949"/>
		<updated>2014-08-15T15:47:17Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;111.87.58.207: /* できごと */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{centurybox|&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
 世紀=3 |&lt;br /&gt;
 次世紀=4 |&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
 前世紀=2 |&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:Relief of Shapur I capturing Valerian.jpg|right|thumb|280px|平伏するローマ皇帝[[ウァレリアヌス]]と騎乗の[[サーサーン朝]]皇帝[[シャープール1世]]。[[ナグシェ・ロスタム|ナクシュ・イ・ルスタム]]の磨崖像より。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;3世紀&#039;&#039;&#039;（さんせいき）とは、[[西暦]][[201年]]から西暦[[300年]]までの100年間を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:Sanguo_map.jpg|right|thumb|280px|&#039;&#039;&#039;三国時代&#039;&#039;&#039;　今日でも人気の高い小説『[[三国志演義]]』の舞台として有名である。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Hashihaka kohun aerial.jpg|right|thumb|280px|[[箸墓古墳]]。日本最古級の古墳で[[倭迹迹日百襲姫命]]の墓との伝承がある。また[[邪馬台国]]畿内説では[[卑弥呼]]の墓に比定する考えもある。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Venice – The Tetrarchs 03.jpg|right|thumb|230px|[[ヴェネツィア]]にある[[テトラルキア]]（四分割統治）の像。[[ディオクレティアヌス]]によりローマ帝国は正帝2人と副帝2人の計4人で統治されることになった。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 日本では[[弥生時代]]末期から[[古墳時代]]初期にあたる。&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 204年 - [[遼東]]の[[公孫康]]が[[楽浪郡]]の南に[[帯方郡]]を設置。&lt;br /&gt;
* 208年 - [[中国]]で[[赤壁の戦い]]。[[劉備]]・[[孫権]]連合軍が[[曹操]]を破る。中国は三分の形勢となる。&lt;br /&gt;
* 212年 - [[カラカラ]]帝が[[ローマ帝国]]の全自由民にローマ市民権を与える（[[アントニヌス勅令]]）。&lt;br /&gt;
* 220年 - [[曹丕]]が[[後漢]]の[[献帝 (漢)|献帝]]を廃して[[魏 (三国)|魏]]王朝を立てる（- 265年）。&lt;br /&gt;
* 220年頃 - [[ゴート族]]、東西に分裂。&lt;br /&gt;
* 221年 - 劉備が[[蜀]]（蜀漢）を建てる（- 263年）。&lt;br /&gt;
* 222年 - 孫権が[[夷陵の戦い]]で蜀に勝利し、自立して[[呉 (三国)|呉]]を建てる（- 280年）。[[三国時代 (中国)|三国時代]]が始まる。&lt;br /&gt;
* 226年 - [[サーサーン朝]]ペルシアが[[パルティア]]を滅ぼす。&lt;br /&gt;
* 230年 - [[ゾロアスター教]]がサーサーン朝の国教となる。&lt;br /&gt;
* 235年 - [[アレクサンデル・セウェルス]]が暗殺され[[マクシミヌス・トラクス]]がローマ皇帝となる。[[軍人皇帝時代]]始まる（- 284年）  &lt;br /&gt;
* 238年 - [[遼隧の戦い]]で遼東の[[公孫淵]]が[[司馬懿]]に滅ぼされる。&lt;br /&gt;
* 239年 - [[倭]]の女王[[卑弥呼]]が帯方郡に使者を送り、魏の[[曹叡|明帝]]への奉献を願う。帯方郡の太守である[[劉夏]]は使者を魏の[[洛陽]]へ送る。明帝は詔して、卑弥呼を「[[親魏倭王]]」とし、金印紫綬・[[銅鏡]]100枚を授ける（魏の景初三年『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』魏書・東夷伝）。&lt;br /&gt;
* 243年 - 倭王が魏に使者を送り、生ロ・倭錦などを献じる（魏の正始4年、『三国志』魏書・小帝紀、同東夷伝）。&lt;br /&gt;
* 245年 - 魏の[[曹芳|少帝]]、倭の大夫に黄幢を授け、帯方郡を通じて伝授させることとする（魏の正始六年、『三国志』魏書・東夷伝）。&lt;br /&gt;
* 247年 - 倭の女王卑弥呼、倭の使者を帯方郡に遣わし、狗奴国との交戦を告げる。魏は、使者を倭に派遣し、詔書・黄幢を倭の大夫に与え、檄をつくって告喩する（魏の正始八年、『三国志』魏書・東夷伝）。&lt;br /&gt;
* 248年 - ローマ皇帝[[ピリップス・アラブス]]によるローマ建国一千年祭が行われる。&lt;br /&gt;
* 248年頃 - この頃、女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女[[壱与]]（または台与）が女王となる。&lt;br /&gt;
* 249年 - 魏の[[司馬懿]]がクーデターを起こし、[[曹爽]]らを誅殺（正始の政変）。&lt;br /&gt;
* 250年頃 - サーサーン朝・[[シャープール1世]]が[[インド]]の[[クシャーナ朝]]を破る。&lt;br /&gt;
* 251年 - [[アブリットゥスの戦い]]で、ローマ皇帝[[デキウス]]がゴート軍に殺害される。&lt;br /&gt;
* 257年 - サーサーン朝がユーフラテス川南岸のローマ帝国の要塞都市[[ドゥラ・エウロポス]]を征服。&lt;br /&gt;
* 260年 - シャープール1世が[[エデッサの戦い]]でローマ帝国の[[ウァレリアヌス]]帝を虜囚とする。&lt;br /&gt;
* 260年 - 魏皇帝の[[曹髦]]、[[司馬昭]]を殺そうとして逆に殺され、[[曹奐]]が皇帝となる。&lt;br /&gt;
* 261年 - [[鮮卑]]索頭部の[[拓跋力微]]が魏に入貢する。&lt;br /&gt;
* 263年 - 魏が蜀を滅ぼす。魏の司馬昭が晋公となる。&lt;br /&gt;
* 264年 - 魏の司馬昭が晋王となる。&lt;br /&gt;
* 265年 - [[司馬炎]]（武帝）が魏に代わって、[[西晋]]を立てる（- [[316年]]）。&lt;br /&gt;
* 266年 - 倭の女王が晋に使節を派遣する（『[[日本書紀]]』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年）。&lt;br /&gt;
* 267年 - [[パルミラ王国]]の実権を[[ゼノビア]]が掌握する。&lt;br /&gt;
* 268年 - 晋が泰始律令を公布する。これは、体系的な統一法典としての最初の[[律令]]。&lt;br /&gt;
* 269年 - ウァレンティアヌス（聖ヴァレンタイン）が[[クラウディウス・ゴティクス]]の迫害を受けて刑死。&lt;br /&gt;
* 271年 - サーサーン朝のシャープール1世が[[ジュンディーシャープール]]に医学教育のための学院を設置。&lt;br /&gt;
* 272年 - [[ローマ皇帝]][[ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス|アウレリアヌス]]がパルミラ王国（273年）、[[ガリア帝国]]（274年）を平定して、ローマ帝国の再統一を達成。&lt;br /&gt;
* 273年頃 - [[マニ教|マニ]]が刑死。&lt;br /&gt;
* 280年 - 晋が呉を滅ぼし中国を統一する。&lt;br /&gt;
* 284年 - [[ディオクレティアヌス]]がローマ皇帝に即位（- 305年）。専制君主制を導入する。&lt;br /&gt;
* 284年 - ローマ帝国の属州[[ガリア]]でバガウダエの反乱が起こる。&lt;br /&gt;
* 293年 - ディオクレティアヌスがローマ帝国の四分統治（[[テトラルキア]]）を始める。&lt;br /&gt;
* 300年 - 晋で[[八王の乱]]が起こる（- [[306年]]）。 &lt;br /&gt;
* この頃、日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘簿（首長墓）が現れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 以下は別記事に文章を移動させた方がよいと思う。 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
*238年 - 呉の「赤烏元年（238）」の紀年銘を持つ画面帯神獣鏡出土する（[[山梨県]]西八木郡鳥居原きつね塚古墳）。&lt;br /&gt;
*239年 - 「景初三年」の紀年銘を持つ神獣鏡が、[[大阪府]]和泉市の[[和泉黄金塚古墳]]と[[島根県]]大原郡の神原古墳から出土している。&lt;br /&gt;
*240年 - 「□始元年」の紀年銘を持つ三角縁神獣鏡が、出土する（[[群馬県]]高崎市の芝崎古墳と兵庫県豊岡市森尾古墳）。&lt;br /&gt;
*244年 - 「□烏七年」の紀年銘を持つ画文帯神獣鏡が、[[兵庫県]]宝塚市の安倉古墳から出土している（呉の赤烏七年）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*[[マヤ文明]]が興る&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化 ==&lt;br /&gt;
*[[建安の七子]] - [[孔融]]・[[陳琳]]・[[徐幹]]・[[王粲]]・[[応瑒]]・[[劉楨]]・[[阮瑀]]&lt;br /&gt;
*[[竹林の七賢]] - [[阮籍]]・[[ケイ康|嵆康]]・[[山濤]]・[[劉伶]]・[[阮咸]]・[[向秀]]・[[王戎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 地中海世界 ===&lt;br /&gt;
* [[セプティミウス・セウェルス]]（[[146年]] - [[211年]]） - ローマ皇帝（在位[[193年]] - [[211年]]）・[[セウェルス朝]]の創始者&lt;br /&gt;
* [[カラカラ]]（[[188年]] - [[217年]]） - ローマ皇帝（在位[[209年]] - [[217年]]）・[[アントニヌス勅令]]を発布・[[カラカラ浴場]]を建設&lt;br /&gt;
* [[ヘリオガバルス]]（[[203年]] - [[222年]]） - ローマ皇帝（在位[[218年]] - [[222年]]）・[[シリア]]の[[太陽神]]信仰をローマに導入・虐殺される&lt;br /&gt;
* [[アレクサンデル・セウェルス]]（[[208年]] - [[235年]]） - ローマ皇帝（在位[[222年]] - [[235年]]）・セウェルス朝の最後・以後は軍人皇帝時代に&lt;br /&gt;
* [[マクシミヌス・トラクス]]（[[173年]]頃 - [[238年]]） - ローマ皇帝（最初の[[軍人皇帝]]）（在位[[235年]] - [[238年]]）・[[ローマ内戦 (238年)|238年のローマ内戦]]を招来&lt;br /&gt;
* [[ピリップス・アラブス]]（[[204年]]頃 - [[249年]]） - ローマ皇帝（軍人皇帝）（在位[[244年]] - [[249年]]）・ローマ建国一千年祭を挙行&lt;br /&gt;
* [[デキウス]]（[[201年]] - [[251年]]） - ローマ皇帝（軍人皇帝）（在位[[249年]] - [[251年]]）・キリスト教を迫害・[[アブリットゥスの戦い]]で戦死 &lt;br /&gt;
* [[ウァレリアヌス]]（[[200年]]頃 - [[260年]]以降） - ローマ皇帝（軍人皇帝）（在位[[253年]] - [[259年]]）・[[エデッサの戦い]]で捕虜となる&lt;br /&gt;
* [[ガッリエヌス]]（[[218年]]頃 - [[268年]]） - ローマ皇帝（軍人皇帝）（在位[[253年]] - [[268年]]）・ガッリエヌス勅令で騎士身分を登用&lt;br /&gt;
* [[クラウディウス・ゴティクス]]（213年/214年 - 270年） - ローマ皇帝（軍人皇帝）（在位[[268年]] - [[270年]]）・[[ゴート族|ゴート人]]を制圧&lt;br /&gt;
* [[ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス|アウレリアヌス]]（[[214年]] - [[275年]]） - ローマ皇帝（軍人皇帝）（在位[[270年]] - [[275年]]）・ガリア帝国とパルミラ王国を滅ぼしローマを統一&lt;br /&gt;
* [[ポストゥムス]]（？ - [[268年]]） - ガリア帝国の初代皇帝（在位[[260年]] - [[268年]]）・皇帝を僭称しローマ帝国からの独立を図る&lt;br /&gt;
* [[ゼノビア]]（[[240年]]頃 - [[275年]]以降） - シリアのパルミラ王国の女王・ローマ帝国の東部属州に勢力拡大するが鎮圧される&lt;br /&gt;
* [[ディオクレティアヌス]]（[[244年]] - [[311年]]） - ローマ皇帝（在位[[284年]] - [[305年]]）・[[ドミナートゥス]]とテトラルキアを導入し帝国を再建する&lt;br /&gt;
* [[アレクサンドリアのクレメンス]]（[[150年]]？ - [[215年]]？） - キリスト教神学者・[[アレクサンドリア]]学派の[[ギリシア教父]]・[[オリゲネス]]の師&lt;br /&gt;
* [[ディオ・カッシウス]]（[[155年]]/[[163年]]/[[164年]] - [[229年]]以降） - ローマ帝国の[[政治家]]・歴史家・『ローマ史』を執筆&lt;br /&gt;
* [[テルトゥリアヌス]]（[[160年]]？ - [[220年]]？） - キリスト教神学者・最初期の[[ラテン教父]]の一人・著作に『護教論』がある&lt;br /&gt;
* [[ヘロディアヌス]]（[[170年]] - [[240年]]） - ローマ帝国の官僚・歴史家として『ローマ人の歴史』を残す&lt;br /&gt;
* [[ドミティウス・ウルピアヌス]]（[[170年]]頃？ - [[228年]]） - ローマ帝国の法学者・政治家・[[アレクサンデル・セウェルス]]帝の側近&lt;br /&gt;
* [[ヒッポリュトス]]（[[170年]]頃？ - [[235年]]） - [[対立教皇]]（在位[[217年]] - [[235年]]）・神学者・殉教し聖人とされる&lt;br /&gt;
* [[オリゲネス]]（[[182年]]？ - [[251年]]） - キリスト教神学者・アレクサンドリア学派の代表・『[[ヘクサプラ]]』の著者&lt;br /&gt;
* [[アレクサンドリアのディオファントス]]（生没年不詳） - 数学者・[[ディオファントス方程式]]を含む『[[算術 (書物)|算術]]』を残し「代数学の父」と呼ばれる&lt;br /&gt;
* [[ディオゲネス・ラエルティオス]]（生没年不詳） - 哲学史家・『ギリシャ哲学者列伝』は古代ギリシア・ローマ哲学についての貴重な資料&lt;br /&gt;
* [[キプリアヌス]] （3世紀初頭 - [[258年]]） - キリスト教神学者・[[カルタゴ]]司教・[[ウァレリアヌス]]帝時代に殉教&lt;br /&gt;
* [[ウァレンティヌス]]（？ - [[269年]]） - ローマの司教か？[[クラウディウス・ゴティクス]]帝時代に殉教・「[[バレンタインデー]]」の起源となる&lt;br /&gt;
* [[プロティノス]]（[[205年]]？ - [[270年]]） - [[ネオプラトニズム]]（新プラトン主義）の創始者とされる哲学者・主著は『エンネアデス』&lt;br /&gt;
* [[テュロスのポルピュリオス]]（[[234年]] - [[305年]]） - ネオプラトニズムの哲学者・プロティノスの弟子・主著は『[[エイサゴーゲー]]』&lt;br /&gt;
* パノポリスのゾシモス（3世紀 - 4世紀） - エジプトの [[錬金術|錬金術師]]・『真正なる覚え書き』などの著作の作者に帰せられている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ペルシア ===&lt;br /&gt;
* [[アルダシール1世]]（？ - [[241年]]？） - サーサーン朝ペルシア帝国の初代皇帝（在位[[226年]] - [[240年]]）・[[パルティア]]を滅ぼす&lt;br /&gt;
* [[シャープール1世]]（？ - [[272年]]？） - サーサーン朝ペルシア帝国の皇帝（在位[[241年]] - [[272年]]）・[[エデッサの戦い]]でローマ軍を破る&lt;br /&gt;
* [[マニ (預言者)|マニ]]（[[210年]] - [[276年]]） - サーサーン朝時代の宗教家・[[シャープール1世]]に重用されるが後に迫害され殉教死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インド ===&lt;br /&gt;
* [[ナーガールジュナ]]（竜樹）（[[150年]]頃 - [[250年]]頃） - インドの[[大乗仏教]]の僧侶・[[中観派]]の祖で『[[中論]]』を執筆&lt;br /&gt;
* ヴィシュヌ・シャルマー（3世紀前半） - インドの文人・[[サンスクリット語]]による児童向け説話集『[[パンチャタントラ]]』を編纂する&lt;br /&gt;
* ヴァースデーヴァ1世（3世紀前半） - クシャーナ朝の王・中国の魏に使節を送り「親魏大月氏王」の称号を得る&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東アジア ===&lt;br /&gt;
==== 後漢 ====&lt;br /&gt;
* [[孔融]]（[[153年]] - [[208年]]） - 後漢末の文人・[[孔子]]の子孫・「[[建安の七子]]」の一人&lt;br /&gt;
* [[曹操]]（[[155年]] - [[220年]]） - 後漢末の豪族・三国時代の魏の基礎を固める・赤壁の戦いでは敗北する&lt;br /&gt;
* [[荀イク|荀彧]]（[[163年]] - [[212年]]） - 後漢末の政治家・「王佐の才」を評価され曹操に献策を行うが後に対立する&lt;br /&gt;
* [[献帝]]（[[181年]] - [[234年]]） -  後漢最後の皇帝（在位[[189年]] - [[223年]]）・魏の曹丕に[[禅譲]]する&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 魏 ====&lt;br /&gt;
* [[曹丕]]（[[187年]] - [[226年]]） - 三国時代の魏の初代皇帝（文帝）（在位[[220年]] - [[226年]]）・文芸評論『[[典論]]』の著者&lt;br /&gt;
* [[鍾ヨウ|鍾繇]]（[[151年]] - [[230年]]） - 後漢末から魏の政治家（太傅）・政権の重鎮となる・書家として[[鍾繇体]]を用い「急就章」などを残す&lt;br /&gt;
* [[陳羣]]（？ - [[236年]]） - 三国時代の魏の政治家・[[郷挙里選]]に替わる官吏登用法として[[九品官人法|九品中正法]]を建議&lt;br /&gt;
* [[曹爽]]（？ - [[249年]]） - 三国時代の魏の曹一族の一人・[[大将軍]]・政敵であった司馬懿の正始の政変で殺害される&lt;br /&gt;
* [[何晏]]（？ - [[249年]]） - 後漢末から三国時代の魏の政治家・学者・[[王弼]]とともに[[清談]]の先駆者（[[正始の音]]）&lt;br /&gt;
* [[公孫淵]]（？ - [[238年]]） - 三国時代の遼東太守・遼東の地で自立し燕王と称したが魏の司馬懿によって追討され滅ぶ&lt;br /&gt;
* [[司馬懿]]（[[179年]] - [[251年]]） - 後漢末から三国時代の魏の武将・政治家・司馬一族を統率し西晋の礎を築く&lt;br /&gt;
* [[曹植]]（[[192年]] - [[232年]]） - 後漢末から三国時代の魏の文人・曹操の子で曹丕の弟・文才に恵まれ「洛神賦」などが有名&lt;br /&gt;
* [[山濤]]（[[205年]] - [[283年]]） - 三国時代の魏から西晋の官僚・[[竹林の七賢]]の一人&lt;br /&gt;
* [[司馬師]]（[[208年]] - [[255年]]） - 三国時代の魏の武将・政治家・司馬懿の長子で司馬昭らの兄・正始の政変で曹芳を退位させる&lt;br /&gt;
* [[阮籍]]（[[210年]] - [[263年]]） - 三国時代の魏から西晋の官僚・竹林の七賢の一人&lt;br /&gt;
* [[司馬昭]]（[[211年]] - [[265年]]） - 三国時代の魏の武将・政治家・司馬師の弟・皇帝曹髦を殺害し元帝を擁立・西晋の武帝の父&lt;br /&gt;
* [[嵆康]]（[[224年]] - [[262年]]/[[263年]]） - 三国時代の魏から西晋の官僚・竹林の七賢の一人&lt;br /&gt;
* [[鍾会]]（[[225年]] - [[264年]]） - 三国時代の魏の武将・政治家・[[蜀漢の滅亡|蜀を滅ぼした]]功労者・後に反乱を起こし戦死する&lt;br /&gt;
* [[王弼]]（[[226年]] - [[249年]]） - 三国時代の魏の学者･政治家・[[何晏]]とともに[[清談]]の先駆者（正始の音）&lt;br /&gt;
* [[王戎]]（[[234年]] - [[305年]]） - 三国時代の魏から西晋の官僚・竹林の七賢の一人&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 蜀 ====&lt;br /&gt;
* [[劉備]]（[[161年]] - [[223年]]） - 三国時代の蜀の初代皇帝（昭烈帝）（在位[[221年]] - [[223年]]）&lt;br /&gt;
* [[関羽]]（？ - [[219年]]） - 後漢末の劉備に仕えた武将・死後「関帝」と称され神とされる&lt;br /&gt;
* [[張飛]]（？ - [[221年]]） - 後漢末から三国時代の武将・劉備と蜀に仕える&lt;br /&gt;
* [[諸葛亮]]（[[181年]] - [[234年]]） - 三国時代の蜀の政治家・劉備に仕え[[軍師]]として「天下三分の計」を起こす&lt;br /&gt;
* [[姜維]]（[[202年]] - [[264年]]） - 三国時代の蜀の武将・諸葛亮亡き後の蜀を支え北伐を繰り返す・しかし蜀の滅亡は防げず&lt;br /&gt;
* [[陳寿]]（[[233年]] - [[297年]]） - 三国時代の蜀から西晋の官僚・『三国志』の著者&lt;br /&gt;
==== 呉 ====&lt;br /&gt;
* [[孫権]]（[[182年]] - [[252年]]） - 三国時代の呉の初代皇帝（大帝）（在位[[229年]] - [[252年]]）&lt;br /&gt;
* [[周瑜]]（[[175年]] - [[210年]]） - 後漢末の武将・孫権に仕える・劉備と結び赤壁の戦いで曹操軍に勝利する&lt;br /&gt;
* [[陸機]]（[[261年]] - [[303年]]） - 三国時代の呉から西晋の政治家・武将・文学者として「文賦」がある&lt;br /&gt;
==== 西晋 ====&lt;br /&gt;
* [[司馬炎]]（[[236年]] - [[297年]]） - 西晋の初代皇帝（武帝）（在位[[265年]] - [[290年]]）・司馬懿は祖父で司馬昭は父&lt;br /&gt;
* [[恵帝 (西晋)|恵帝]]（[[259年]] - [[306年]]） - 西晋の第2代皇帝（在位[[290年]] - [[306年]]）・[[賈南風|賈后]]らの容喙により八王の乱が起きる&lt;br /&gt;
* [[賈南風]]（[[257年]] - [[300年]]） - 西晋の恵帝の皇后（賈后）・汝南王[[司馬亮]]らと[[楊駿]]を殺害し八王の乱の始まりをなす&lt;br /&gt;
* [[杜預]]（[[222年]] - [[284年]]） - 魏から西晋の政治家・武将・呉を亡ぼし三国統一した時の功労者・「破竹の勢い」の故事でも有名&lt;br /&gt;
* [[左思]]（[[252年]] - [[307年]]頃） - 西晋の文学者・代表作「三都賦」は「洛陽の紙価を高からしむ」と高い評価を受けた&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 日本 ====&lt;br /&gt;
* [[卑弥呼]]（[[170年]]頃 - [[248年]]頃） - [[邪馬台国]]の[[女王]]（在位[[188年]]頃 - 248年頃）・魏と通交し「親魏倭王」の称を得る&lt;br /&gt;
* [[壱与]]（[[235年]]頃 - ？） - 邪馬台国の女王。卑弥呼の親族でその跡を継ぐ。西晋に遣使したと推定される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 10年紀と各年 ==&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[200年代]]&#039;&#039;&#039; || [[200年|200]] || [[201年|201]]&lt;br /&gt;
| [[202年|202]] || [[203年|203]]&lt;br /&gt;
| [[204年|204]] || [[205年|205]] || [[206年|206]]&lt;br /&gt;
| [[207年|207]] || [[208年|208]] || [[209年|209]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[210年代]]&#039;&#039;&#039; || [[210年|210]] || [[211年|211]]&lt;br /&gt;
| [[212年|212]] || [[213年|213]]&lt;br /&gt;
| [[214年|214]] || [[215年|215]] || [[216年|216]]&lt;br /&gt;
| [[217年|217]] || [[218年|218]] || [[219年|219]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[220年代]]&#039;&#039;&#039; || [[220年|220]] || [[221年|221]]&lt;br /&gt;
| [[222年|222]] || [[223年|223]]&lt;br /&gt;
| [[224年|224]] || [[225年|225]] || [[226年|226]]&lt;br /&gt;
| [[227年|227]] || [[228年|228]] || [[229年|229]]&lt;br /&gt;
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| &#039;&#039;&#039;[[230年代]]&#039;&#039;&#039; || [[230年|230]] || [[231年|231]]&lt;br /&gt;
| [[232年|232]] || [[233年|233]]&lt;br /&gt;
| [[234年|234]] || [[235年|235]] || [[236年|236]]&lt;br /&gt;
| [[237年|237]] || [[238年|238]] || [[239年|239]]&lt;br /&gt;
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| &#039;&#039;&#039;[[240年代]]&#039;&#039;&#039; || [[240年|240]] || [[241年|241]]&lt;br /&gt;
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| [[244年|244]] || [[245年|245]] || [[246年|246]]&lt;br /&gt;
| [[247年|247]] || [[248年|248]] || [[249年|249]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[250年代]]&#039;&#039;&#039; || [[250年|250]] || [[251年|251]]&lt;br /&gt;
| [[252年|252]] || [[253年|253]]&lt;br /&gt;
| [[254年|254]] || [[255年|255]] || [[256年|256]]&lt;br /&gt;
| [[257年|257]] || [[258年|258]] || [[259年|259]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[260年代]]&#039;&#039;&#039; || [[260年|260]] || [[261年|261]]&lt;br /&gt;
| [[262年|262]] || [[263年|263]]&lt;br /&gt;
| [[264年|264]] || [[265年|265]] || [[266年|266]]&lt;br /&gt;
| [[267年|267]] || [[268年|268]] || [[269年|269]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[270年代]]&#039;&#039;&#039; || [[270年|270]] || [[271年|271]]&lt;br /&gt;
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| [[274年|274]] || [[275年|275]] || [[276年|276]]&lt;br /&gt;
| [[277年|277]] || [[278年|278]] || [[279年|279]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[280年代]]&#039;&#039;&#039; || [[280年|280]] || [[281年|281]]&lt;br /&gt;
| [[282年|282]] || [[283年|283]]&lt;br /&gt;
| [[284年|284]] || [[285年|285]] || [[286年|286]]&lt;br /&gt;
| [[287年|287]] || [[288年|288]] || [[289年|289]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[290年代]]&#039;&#039;&#039; || [[290年|290]] || [[291年|291]]&lt;br /&gt;
| [[292年|292]] || [[293年|293]]&lt;br /&gt;
| [[294年|294]] || [[295年|295]] || [[296年|296]]&lt;br /&gt;
| [[297年|297]] || [[298年|298]] || [[299年|299]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[300年代]]&#039;&#039;&#039; || [[300年|300]] || [[301年|301]]&lt;br /&gt;
| [[302年|302]] || [[303年|303]]&lt;br /&gt;
| [[304年|304]] || [[305年|305]] || [[306年|306]]&lt;br /&gt;
| [[307年|307]] || [[308年|308]] || [[309年|309]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:3世紀|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>111.87.58.207</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=2%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=3802</id>
		<title>2世紀</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=2%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=3802"/>
		<updated>2014-08-15T15:40:25Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;111.87.58.207: /* できごと */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{centurybox|&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
 世紀=2 |&lt;br /&gt;
 次世紀=3 |&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
 前世紀=1 |&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
[[ファイル:Gandhara Buddha (tnm).jpeg|right|thumb|240px|[[クシャーナ朝]]の全盛期である[[カニシカ王]]の時代に[[ガンダーラ]]で多くの仏像が作られた。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Mexico SunMoonPyramid.jpg|right|thumb|270px|[[ティオティワカン]]の「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」。]]&lt;br /&gt;
[[File:Wu Family Shrine chariots and horses.jpg|right|thumb|240px|「武氏祠画像石」。2世紀半ばに建てられた[[山東省]][[嘉祥県]]の武宅山の麓にある豪族武氏一族の石祠の画像石。この時代の人々の世界観が表れている。]]&lt;br /&gt;
[[File:YoshinogariIseki.jpg|right|thumb|210px|[[倭国大乱]]。この時代には大規模な[[環濠集落]]が形成され軍事的な緊張があったと考えられる。紀元前3&lt;br /&gt;
世紀から紀元後3世紀まで継続した[[吉野ヶ里遺跡]]は環濠集落の遺跡の代表である。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;2世紀&#039;&#039;&#039;（にせいき）とは、[[西暦]][[101年]]から西暦[[200年]]までの100年間を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
* 2世紀初頭 - [[日本]]で石器が消滅し、鉄器が普及する（[[弥生時代]]後期）。&lt;br /&gt;
* 2世紀初頭 - [[ペルー]]で[[ナスカ文化]]がおこる。&lt;br /&gt;
* 2世紀初頭 - [[ティオティワカン]]の都市設計が行われる。&lt;br /&gt;
** 「月のピラミッド」「太陽のピラミッド」「死者の通り」が建設される。&lt;br /&gt;
* 101年頃 - [[カンボジア]]で[[扶南]]が建国される。&lt;br /&gt;
* 105年 - [[後漢]]の[[蔡倫]]が製紙法を改良する。 &lt;br /&gt;
* 106年 - [[ローマ皇帝]][[トラヤヌス]]が[[ダキア]]を征服し属州とする。&lt;br /&gt;
* 107年 - [[倭国]]王[[帥升]]ら、[[後漢]]の[[安帝 (漢)|安帝]]に生口160人を献上する。&lt;br /&gt;
** （後漢・[[永初 (漢)|永初]]元年、丁未；『[[後漢書]]』安帝紀、同東夷伝）。&lt;br /&gt;
** この頃、倭は朝鮮の[[弁韓]]・[[辰韓]]の鉄を盛んに輸入する（『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』魏書韓伝）。&lt;br /&gt;
* 117年 - ローマ皇帝トラヤヌスが[[パルティア]]に遠征し、ローマが最大版図となる。&lt;br /&gt;
* 122年 - [[ハドリアヌスの長城]]が着工される。&lt;br /&gt;
* 130年頃 - [[インド]]の[[クシャーナ朝]]で[[カニシカ王]]が即位する（- 170年ごろ）。&lt;br /&gt;
* 135年 - ローマ帝国が[[ユダヤ人]]の蜂起を鎮圧（[[バル・コクバの乱]]）。&lt;br /&gt;
** [[エルサレム]]は「[[アエリア・カピトリナ]]」と名前を変えられ、ユダヤ人の立ち入りが禁止された（[[ディアスポラ]]）。&lt;br /&gt;
* 142年 - [[アントニヌスの長城]]が着工される。&lt;br /&gt;
* 147年頃 - [[倭国大乱]]（- 189年ごろ）&lt;br /&gt;
* 156年 - [[鮮卑]]の[[檀石槐]]が北[[匈奴]]を破り、モンゴル高原を統一する。&lt;br /&gt;
* 166年 - 後漢で[[党錮の禁]]が起こり、宦官が儒学派の官僚を弾圧する。&lt;br /&gt;
* 166年 - [[日南郡]]（後漢）に大秦王安敦（[[マルクス・アウレリウス・アントニヌス]]）の使者が到着。&lt;br /&gt;
* 184年 - 後漢で[[黄巾の乱]]が起こる。&lt;br /&gt;
* 184年頃 - 倭国乱れ、互いに攻伐しあい（倭国大乱）、長い間盟主なし、と伝える（『[[魏志倭人伝]]』）。&lt;br /&gt;
** この後、[[卑弥呼]]が共立されて[[王]]となる（『魏志倭人伝』）。&lt;br /&gt;
** [[奈良県]][[天理市]]の[[東大寺山古墳]]より、「中平□年」（[[中平]]は184年〜189年）の紀年銘を持つ[[大刀]]が出土されている。&lt;br /&gt;
* 192年 - 後漢で権勢を振るっていた[[董卓]]、[[呂布]]に殺される。&lt;br /&gt;
** また、同じく日南郡の区連が蜂起し、独立して林邑（[[チャンパ王国]]）を建国。&lt;br /&gt;
* 192年 - ローマ皇帝[[コンモドゥス]]が暗殺されアントニヌス朝は断絶。&lt;br /&gt;
* 193年 - [[セプティミウス・セウェルス]]がローマ皇帝となる。&lt;br /&gt;
* 200年 - [[官渡の戦い]]で[[曹操]]が[[袁紹]]に勝利する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化 ==&lt;br /&gt;
105年 - 後漢の[[蔡倫]]が製紙法を改良する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 地中海世界 ===&lt;br /&gt;
* [[トラヤヌス]]（[[53年]] - [[117年]]） - [[ローマ皇帝]]（[[五賢帝]]の2人目）（在位[[98年]] - [[117年]]）・ローマ帝国の最大版図を実現した&lt;br /&gt;
* [[ハドリアヌス]]（[[76年]] - [[138年]]） - ローマ皇帝（五賢帝の3人目）（在位[[117年]] - [[138年]]）・先帝の領土拡大政策を放棄する&lt;br /&gt;
* [[アントニヌス・ピウス]]（[[86年]] - [[161年]]） - ローマ皇帝（五賢帝の4人目）（在位[[138年]] - [[161年]]）・先帝と同じく国内安定政策を継承&lt;br /&gt;
* [[マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス]]（[[121年]] - [[180年]]） - ローマ皇帝（五賢帝の最後）（在位[[161年]] - [[180年]]）・哲学者として『[[自省録]]』を残す&lt;br /&gt;
* [[コンモドゥス]]（[[161年]] - [[192年]]） - ローマ皇帝（在位[[180年]] - [[192年]]）・マルクス・アウレリウスの子・暗殺され血統は断絶&lt;br /&gt;
* [[セプティミウス・セウェルス]]（[[146年]] - [[211年]]） - ローマ皇帝（在位[[193年]] - [[211年]]）・[[セウェルス朝]]の創始者&lt;br /&gt;
* [[シメオン (クロパの子)|シメオン]]（？ - [[107年]]） - [[キリスト教]]の2代目[[エルサレム主教]]・イエスの従兄弟・トラヤヌス帝の治世に迫害で殉教したか&lt;br /&gt;
* [[デケバルス]]（？ - [[106年]]） - [[ダキア人|ダキア族]]の王（在位[[87年]] - [[106年]]）・[[トラヤヌス]]との[[ダキア戦争]]で敗北し自殺&lt;br /&gt;
* [[プルタルコス]]（[[46年]]/[[48年]]頃 - [[127年]]頃） - ローマ帝国のギリシア語著述家・著作に『[[対比列伝]]（英雄伝）』などがある&lt;br /&gt;
* [[エピクテトス]]（[[55年]] - [[135年]]） - ローマ帝国のギリシア語著述家・もとは奴隷だったが解放されストア派哲学者となる&lt;br /&gt;
* [[タキトゥス]]（[[55年]]頃 - [[120年]]頃） - ローマ帝国の政治家・歴史家・『[[ゲルマニア (書物)|ゲルマニア]]』や『同時代史』を著す&lt;br /&gt;
* [[アッリアノス]]（2世紀前半） - ローマ帝国のギリシア語著述家・政治家・歴史家として『アレクサンドロス東征記』を著す&lt;br /&gt;
* [[ユウェナリス]]（[[60年]] - [[130年]]） - ローマ帝国の風刺詩人・弁護士・『風刺詩集（サトゥラェ）』の著者&lt;br /&gt;
* [[バル・コクバ]]（？ - [[135年]]） - 属州ユダヤで[[バル・コクバの乱]]を指揮した革命指導者・[[ラビ・アキバ]]に[[救世主]]（メシア）とされる&lt;br /&gt;
* [[セクストゥス・ユリウス・セウェルス|ユリウス・セウェルス]]（2世紀半ば） - ローマ帝国の政治家・[[ハドリアヌスの長城]]を建設し[[バル・コクバの乱]]を鎮圧&lt;br /&gt;
* [[ポリュカルポス]]（[[69年]]頃 - [[155年]]頃） - キリスト教神学者・[[属州]][[アシア]]の[[スミルナ]]の主教・殉教者として死ぬ&lt;br /&gt;
* [[ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエトニウス]]（[[70年]]頃 - [[140年]]頃） - ローマ帝国の歴史家・政治家・『皇帝伝』の著者&lt;br /&gt;
* [[クラウディオス・プトレマイオス]]（[[83年]]頃 - [[168年]]頃） - ローマ帝国の天文学者・数学者・地理学者・『[[アルマゲスト]]』の著者&lt;br /&gt;
* [[バシレイデース|バシレイデス]]（[[85年]]頃 - [[145年]]頃） - 初期[[グノーシス主義]]の教師・バシレイデス派の祖&lt;br /&gt;
* [[ユスティノス]]（[[100年]]？ - [[162年]]？） - キリスト教神学者・ギリシア哲学の概念を用い護教家として『第一弁明』『第二弁明』を執筆&lt;br /&gt;
* [[マルキオン]]（[[100年]]？ - [[160年]]？） - ローマで活躍した属州アシアの[[シノペ]]出身のキリスト教徒・その教説は[[異端]]とされる&lt;br /&gt;
* [[パウサニアス]]（[[115年]]頃 - [[180年]]頃） - ローマ帝国のギリシア語著述家・旅行家・地理学者として『ギリシア案内記』を著す&lt;br /&gt;
* [[ルキアノス]]（[[120年]]頃 - [[180年]]以後） - ローマ帝国のギリシア語著述家・著作に『[[本当の話]]』『神々の対話』などがある&lt;br /&gt;
* [[アプレイウス]]（[[123年]]頃 - ？） - 属州[[アフリカ]]・マダウロス出身のラテン語著述家・『変身物語（黄金のロバ）』の作者&lt;br /&gt;
* [[アテナイオス]]（？ - [[192年]]以降） - 属州エジプト・[[ナウクラティス]]出身のギリシア語著述家・『[[食卓の賢人たち]]』の作者&lt;br /&gt;
* [[アルテミドロス]]（生没年不詳） - 属州アシア・[[エフェソス]]出身のギリシア語著述家・『夢判断の書』『鳥占い』『手相占い』がある&lt;br /&gt;
* [[ガレノス]]（[[129年]]頃 - [[200年]]頃） - ローマ帝国の医師・その学説は以後1000年以上にわたりヨーロッパで尊重された&lt;br /&gt;
* [[エイレナイオス]]（[[130年]]頃 - [[202年]]） - キリスト教神学者（護教家）・属州[[ガリア]]の[[リヨン]]の司教・『異端反駁』の著者&lt;br /&gt;
* [[ガイウス (法学者)|ガイウス]]（[[130年]]頃 - [[180年]]頃） - ローマ帝国の[[法学者]]で『法学提要』の著者&lt;br /&gt;
* [[アエミリウス・パーピニアーヌス|アエミリウス・パピニアヌス]]（[[150年]]頃 - [[212年]]） - ローマ帝国の法学者で『定義録』『解答録』の著者&lt;br /&gt;
* [[セクストス・エンペイリコス]]（[[160年]]頃 - [[210年]]頃） - 哲学者・医師・『ピュロン主義哲学の概要』で古典古代の[[懐疑論]]を大成する&lt;br /&gt;
* [[ロンゴス]]（2世紀 - 3世紀） - ローマ帝国のギリシア語著作家・レスボス島を舞台とした[[恋愛小説]]『[[ダフニスとクロエ (ロンゴス)|ダフニスとクロエ]]』を残す&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== パルティア ===&lt;br /&gt;
* [[オスロエス1世]]（？ - [[129年]]） - [[アルサケス朝パルティア]]（西部）の王（在位[[109年]] - [[129年]]）・[[トラヤヌス]]に[[バビロニア]]を奪われる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インド ===&lt;br /&gt;
* [[ガウタミープトラ・シャータカルニ]]（生没年不詳） - サータヴァーハナ朝の君主（在位[[106年]]頃 - [[130年]]頃）・王朝の最盛期を現出&lt;br /&gt;
* [[カニシカ1世]]（生没年不詳） - クシャーナ朝の第4代君主（在位2世紀半ば）・[[仏教]]やその他の宗教を保護し王朝の最盛期を現出&lt;br /&gt;
* [[馬鳴|アシュヴァゴーシャ]]（馬鳴）（[[80年]]頃 - [[150年]]頃） - クシャーナ朝の仏教僧侶・[[カニシカ1世]]に近侍・『ブッダ・チャリタ』の著者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東アジア ===&lt;br /&gt;
==== 後漢 ====&lt;br /&gt;
* 鄧隲（？ - [[121年]]） - 後漢の政治家・妹は鄧太后（[[和帝 (漢)|和帝]]皇后）・鄧太后の死に伴う[[安帝 (漢)|安帝]]の親政で一族は滅ぼされる&lt;br /&gt;
* [[蔡倫]]（[[50年]]？ - [[121年]]？） - 後漢の宦官・従来の製紙法を改良して作った「蔡侯紙」を[[和帝 (漢)|和帝]]に献上する&lt;br /&gt;
* [[楊震]]（[[52年]] - [[124年]]） - 後漢の政治家・「関西の孔子」・諫言が疎まれ讒言で自決・弘農楊氏「四世三公」の祖&lt;br /&gt;
* [[許慎]]（[[58年]]？ - [[147年]]？） - 後漢の儒学者・文字学者・最古の漢字字典『[[説文解字]]』の著者&lt;br /&gt;
* [[張衡]]（[[78年]] - [[139年]]） - 後漢の政治家・天文学者・数学者・地理学者・[[渾天儀]]や地動儀を発明&lt;br /&gt;
* [[馬融]]（[[79年]] - [[166年]]） - 後漢の学者・政治家・[[訓詁学]]の立場から経書に注釈をほどこす・[[鄭玄]]は弟子&lt;br /&gt;
* [[曹騰]]（生没年不詳） - 後漢の宦官・[[大長秋]]・[[順帝 (漢)|順帝]]から[[質帝]]に仕え宮中を支配・曹操の義理の祖父&lt;br /&gt;
* [[梁冀]]（？ - [[159年]]） - 後漢の政治家・外戚として順帝から[[桓帝 (漢)|桓帝]]までの政治を壟断し「跋扈将軍」と呼ばれる&lt;br /&gt;
* [[安世高]]（生没年不詳） - 後漢に西域から渡来した訳経僧・パルティアの王子とされる・諸国を遊歴して洛陽に来訪&lt;br /&gt;
* [[李膺]]（？ - [[169年]]） - 後漢の官僚・将軍・[[宦官]]の専権に対抗し名声を得たが党錮の禁で処刑される&lt;br /&gt;
* [[鄭玄]]（[[127年]] - [[200年]]） - 後漢末の学者・官吏・[[馬融]]の弟子・党錮の禁以後は著述に専念&lt;br /&gt;
* 魏伯陽（生没年不詳） - 後漢末の道士・最古の[[煉丹術]]の著作『周易参同契』を著す&lt;br /&gt;
* [[張角]]（？ - [[184年]]） - 後漢末の宗教家・[[太平道]]の教祖・黄巾の乱を起こす&lt;br /&gt;
* [[張陵]]（生没年不詳） - 後漢末の宗教家・[[五斗米道]]（天師道）の教祖・現在も残る[[正一教]]の遠祖&lt;br /&gt;
* [[皇甫嵩]]（？ - [[195年]]） - 後漢末の将軍・黄巾の乱を鎮圧・董卓と対立するが屈服する&lt;br /&gt;
* [[蔡ヨウ|蔡邕]]（[[132年]]/[[133年]] - [[192年]]） - 後漢末の政治家・儒者・書家として[[熹平石経]]の揮毫で知られる&lt;br /&gt;
* [[張譲]]（[[135年]]？ - [[189年]]） - 後漢末の宦官・[[十常侍]]として宮廷で権力を握るが[[袁紹]]に粛清される&lt;br /&gt;
* [[董卓]]（？ - [[192年]]） - 後漢末の武将・政治家・[[少帝弁|少帝]]を廃位し[[献帝]]を擁立して[[長安]]に遷都するなど専権を極める&lt;br /&gt;
* [[呂布]]（？ - [[198年]]） - 後漢末の武将・群雄の一人・董卓に重用され養子になる・後に裏切り董卓を暗殺&lt;br /&gt;
* [[王允]]（[[137年]] - [[192年]]） - 後漢末の政治家・呂布と共謀して董卓を殺害する・董卓の部下に殺害された&lt;br /&gt;
* [[華佗]]（？ - [[208年]]） - 後漢末の医師・薬学や鍼灸に才能を持ち[[曹操]]に侍医として仕える&lt;br /&gt;
* [[張仲景]]（[[150年]]？ - [[219年]]） - 後漢末の官僚・医師として『[[傷寒論]]』『[[金匱要略方論]]』を著す&lt;br /&gt;
* [[袁紹]]（[[154年]]以前？ - [[202年]]） - 後漢末の武将・政治家・宮廷の宦官勢力を殲滅・[[官渡の戦い]]で曹操に敗北&lt;br /&gt;
* [[曹操]]（[[155年]] - [[220年]]） - 後漢末の豪族・献帝を擁立して丞相となり[[魏 (三国)|魏]]の基礎を築く（追号は武帝）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 鮮卑 ====&lt;br /&gt;
* [[檀石槐]]（生没年不詳） - 鮮卑族の大人（部族長）・勢力の衰えた匈奴に代わりモンゴル高原を統一・後漢の懐柔策を拒否し翻弄する&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 日本 ====&lt;br /&gt;
* [[帥升]]（生没年不詳） - 中国の史書（『後漢書』）に記載された固有名を持つ最古の日本人&lt;br /&gt;
* [[卑弥呼]]（[[170年]]頃 - [[248年]]頃） - [[邪馬台国]]の女王（在位188年頃 - 248年頃）・倭国大乱の後に女王に推戴される&amp;lt;!-- 鬼道に仕え、夫なく、弟が政治を助けたという。（『魏志』倭人伝）--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- 壱与は3世紀の人物なので削除。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 10年紀と各年 ==&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[100年代]]&#039;&#039;&#039; || [[100年|100]] || [[101年|101]]&lt;br /&gt;
| [[102年|102]] || [[103年|103]]&lt;br /&gt;
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|-&lt;br /&gt;
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| [[202年|202]] || [[203年|203]]&lt;br /&gt;
| [[204年|204]] || [[205年|205]] || [[206年|206]]&lt;br /&gt;
| [[207年|207]] || [[208年|208]] || [[209年|209]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/table&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:2世紀|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>111.87.58.207</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D4%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=3771</id>
		<title>紀元前4世紀</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D4%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=3771"/>
		<updated>2014-08-15T11:36:02Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;111.87.58.207: /* 中国（周・戦国時代） */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{出典の明記|date=2013年5月}}&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;infobox&amp;quot; style=&amp;quot;font-size:80%&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;right&amp;quot; | &#039;&#039;&#039;[[ミレニアム|千年紀]]:&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;center&amp;quot; | &#039;&#039;&#039;[[紀元前1千年紀]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#f3f3f3&amp;quot;&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;right&amp;quot; | &#039;&#039;&#039;[[世紀]]:&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;center&amp;quot; | [[紀元前5世紀]] - [[{{PAGENAME}}]] - [[紀元前3世紀]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;right&amp;quot; | &#039;&#039;&#039;[[10年紀]]:&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;center&amp;quot; | [[紀元前390年代]] [[紀元前380年代]] [[紀元前370年代]] [[紀元前360年代]][[紀元前350年代]]&amp;lt;br /&amp;gt; [[紀元前340年代]] [[紀元前330年代]] [[紀元前320年代]] [[紀元前310年代]] [[紀元前300年代]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:BattleofIssus333BC-mosaic-detail1.jpg|thumb|300px|[[イッソスの戦い]]で[[アケメネス朝]]の[[ダレイオス3世]]と向かい合うマケドニアの[[アレクサンドロス大王]]（[[古代ローマ|ローマ]]時代の[[ポンペイ]]のモザイク壁画）。]]&lt;br /&gt;
[[File:Mosaique romaine.jpg|thumb|300PX|プラトンの[[アカデメイア]]学園。アカデメイア学園は古典古代を通じて教育機関の模範と見なされ、後世「アカデミー」の語源ともなった。（ローマ時代のポンペイのモザイク壁画）。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;紀元前4世紀&#039;&#039;&#039;（きげんぜんよんせいき）は、[[紀元前400年]]から[[紀元前301年]]までの100年間を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
*[[ケルト人]]、[[アイルランド島]]へ侵攻&lt;br /&gt;
*[[マケドニア王国]]、ギリシアを統一し、[[アケメネス朝]]を滅ぼす。&lt;br /&gt;
*[[ベトナム]]北部で青銅器文化の東山文化（[[ドンソン文化]]）栄える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*紀元前4世紀 - インドで[[シシュナーガ朝]]が興亡。この王朝のカーラーショーカ王の時代に[[結集|第2回仏典結集]]が行われたか。&lt;br /&gt;
**第2回仏典結集の後に仏教教団で[[根本分裂]]が起こり[[上座部]]と[[大衆部]]に別れたとされる。&lt;br /&gt;
*紀元前4世紀 - [[デンマーク]]のビェルスコウの[[ピート]]・[[ボグ]]（泥炭湿原）に埋められていた[[トーロンマン]]はこの時代の人物か。&lt;br /&gt;
*紀元前400年頃 - [[メキシコ]]の[[ポポカテペトル山]]噴火。&lt;br /&gt;
*紀元前396年 - [[エトルリア人]]の町[[ウェイイ]]、[[共和政ローマ]]の[[マルクス・フリウス・カミルス]]により陥落。&lt;br /&gt;
*紀元前395年 - [[コリントス戦争]]勃発。&lt;br /&gt;
*紀元前387年 - ケルト人、[[ローマ]]を攻略、ローマが滅亡寸前になる。&lt;br /&gt;
*紀元前387年 - 大王の和約（アンタルキダスの和約）によりコリントス戦争終結。&lt;br /&gt;
*紀元前387年 - [[プラトン]]、[[アカデメイア]]学園を創設。&lt;br /&gt;
*紀元前386年 - [[呂尚|太公望]]の子孫が公位を継承してきた[[斉 (春秋)|斉]]（姜斉）に代わり、[[太公 (田斉)|田和]]が新たに[[田斉]]を建て、[[周]]の[[安王 (周)|安王]]により諸侯と認められた。&lt;br /&gt;
*紀元前378年 - 最後の君主[[静公 (晋)|静公]]が退位を迫られ、[[晋 (春秋)|晋]]が滅亡する。&lt;br /&gt;
*紀元前375年 - [[韓 (戦国)|韓]]が[[鄭]]を滅ぼす。&lt;br /&gt;
*紀元前371年 - [[レウクトラの戦い]]で[[テーバイ]]が[[スパルタ]]に勝利しギリシアの覇権を握る。&lt;br /&gt;
*紀元前367年 - [[共和政ローマ]]で[[リキニウス・セクスティウス法]]成立。&lt;br /&gt;
*紀元前359年 - [[フィリッポス2世]]がマケドニア王に即位。&lt;br /&gt;
*紀元前356年 - [[ヘロストラトス]]、[[エフェソス]]の[[アルテミス]]神殿に放火。&lt;br /&gt;
*紀元前353年 - 田斉と[[趙 (戦国)|趙]]の連合軍が[[孫ピン|孫臏]]の計略により[[魏 (戦国)|魏]]と[[宋 (春秋)|宋]]と[[衛]]の連合軍を破る（桂陵の戦い）。&lt;br /&gt;
*紀元前343年 - アケメネス朝ペルシアが[[古代エジプト|エジプト]]を再征服。ファラオのネクタネボ2世は逃亡し[[エジプト第30王朝]]が滅亡。&lt;br /&gt;
*紀元前341年 - 田斉が孫臏の計略により魏を破る（[[馬陵の戦い]]）。&lt;br /&gt;
*紀元前338年 - [[カイロネイアの戦い]]でマケドニアが[[アテナイ]]・テーバイのギリシャ連合軍を破る。&lt;br /&gt;
*紀元前337年 - マケドニアを盟主とするコリントス同盟が結成される。&lt;br /&gt;
*紀元前336年 - [[アレクサンドロス3世]]（大王）がマケドニア王に即位。&lt;br /&gt;
*紀元前334年 - アレクサンドロス3世が東方遠征に出発する。&lt;br /&gt;
*紀元前334年 - [[楚 (春秋)|楚]]が[[越]]を滅ぼす。&lt;br /&gt;
*紀元前333年 - [[イッソスの戦い]]でアレクサンドロス3世がペルシア王[[ダレイオス3世]]の軍に勝利。&lt;br /&gt;
*紀元前331年 - [[ガウガメラの戦い]]でアレクサンドロス3世がペルシア王ダレイオス3世の軍に勝利。&lt;br /&gt;
**続いてアレクサンドロス3世は[[バビロン]]や[[スサ]]を攻略。[[ペルセポリス]]炎上によりアケメネス朝ペルシアは事実上の滅亡。&lt;br /&gt;
*紀元前329年 - アレクサンドロス3世による[[ソグディアナ]]・[[バクトリア]]の征服（ - 紀元前327年）。&lt;br /&gt;
*紀元前326年 - アレクサンドロス3世が[[ヒュダスペス河畔の戦い]]で[[ポロス]]王と戦う。インド中央への遠征は中止。&lt;br /&gt;
*紀元前324年 - スサでの合同結婚式。アレクサンドロス3世とダレイオス3世皇女[[スタテイラ]]の結婚。&lt;br /&gt;
*紀元前323年 - アレクサンドロス3世死去。[[バビロン会議]]の後に[[ディアドコイ戦争]]始まる。&lt;br /&gt;
*紀元前321年 - カウディウムの屈辱、共和政ローマが[[サムニウム人]]に敗北、屈辱的な和議を結ぶ。&lt;br /&gt;
*紀元前317年 - [[マガダ国]]の[[チャンドラグプタ (マウリヤ朝)|チャンドラグプタ]]が[[マウリヤ朝]]を建国。&lt;br /&gt;
*紀元前316年 - [[秦]]が[[古蜀|蜀]]を滅ぼす。&lt;br /&gt;
*紀元前312年 - [[セレウコス朝]][[シリア]]が開かれる。&lt;br /&gt;
*紀元前312年 - 古代ローマで[[ローマ街道]]の建設を開始。&lt;br /&gt;
*紀元前310年頃 - 河北省平山県上三汲郷の[[中山王サク|中山王]]墓が造営されたか。&lt;br /&gt;
*紀元前305年 - [[プトレマイオス朝]][[エジプト]]が開かれる。&lt;br /&gt;
*紀元前301年 - [[イプソスの戦い]]による[[アンティゴノス1世|アンティゴノス]]の没落。ディアドコイの領土配分がほぼ確定する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== 地中海世界 ===&lt;br /&gt;
==== ギリシア ====&lt;br /&gt;
* [[ソクラテス]]（[[紀元前469年|前469年]]頃 - [[紀元前399年|前399年]]） - [[哲学者]]・市井での対話を通じて「[[無知の知]]」を探求・弟子にプラトンや[[クセノポン]]・死刑にされる&lt;br /&gt;
* [[トラシュブロス]]（？ - [[紀元前388年|前388年]]） - アテナイの[[政治家]]・[[三十人政権]]の[[寡頭政]]を打倒・[[僭主]][[クリティアス (三十人僭主|クリティアス]]らを戦死させ民主派政権を樹立&lt;br /&gt;
* アニュトス（生没年不詳） - アテナイの政治家・三十人政権を打倒しこの政権と関わった[[ソクラテス]]を告発し刑死に追い込む&lt;br /&gt;
* アンタルキダス（？ - [[紀元前367年|前367年]]） - スパルタの外交官・ペルシアのアルタクセルクセス2世と同盟しコリントス戦争を終結させる&lt;br /&gt;
* [[アゲシラオス2世]]（[[紀元前444年|前444年]]頃 - [[紀元前360年|前360年]]） - スパルタ王（在位[[紀元前400年|前400年]]頃 - [[紀元前360年|前360年]]）・[[マンティネアの戦い]]に勝利するもスパルタは没落&lt;br /&gt;
* [[イソクラテス]]（[[紀元前436年|前436年]] - [[紀元前338年|前338年]]） - 修辞学者で[[アッティカ十大雄弁家]]の一人・後年は親マケドニア派となり[[デモステネス]]と対立&lt;br /&gt;
* [[ディオニュシオス1世]]（[[紀元前432年|前432年]]頃 - [[紀元前367年|前367年]]） - シチリア島の[[シュラクサイ]]の[[僭主]]・アドリア海に覇を唱える・暴君で有名&lt;br /&gt;
* [[プラトン]]（[[紀元前427年|前427年]] - [[紀元前347年|前347年]]） - 哲学者・ソクラテスの弟子で[[アリストテレス]]の師・アカデメイア学園を創設・著作に『[[饗宴]]』ほか&lt;br /&gt;
* [[クセノポン]]（[[紀元前427年|前427年]]？ - [[紀元前355年|前355年]]？） - 軍人・著述家として『[[ソクラテスの思い出]]』『[[アナバシス]]』『[[ギリシア史]]』がある&lt;br /&gt;
* [[エパメイノンダス]]（[[紀元前420年|前420年]]？ - [[紀元前362年|前362年]]） - テーバイの将軍・政治家・[[レウクトラの戦い]]で神聖隊を率いスパルタ軍を破る&lt;br /&gt;
* [[イフィクラテース|イフィクラテス]]（[[紀元前415年|前415年]]頃 - [[紀元前353年|前353年]]） - アテナイの将軍・[[軽装歩兵]]戦術でコリントス戦争でのレカイオンの戦いに勝利&lt;br /&gt;
* [[ディオゲネス (犬儒学派)|シノペのディオゲネス]]（[[紀元前412年|前412年]]？ - [[紀元前323年|前323年]]） - 哲学者・[[アンティステネス]]の弟子でソクラテスの孫弟子・[[キュニコス派]]の一人&lt;br /&gt;
* [[シュラクサイのディオン]]（[[紀元前408年|前408年]] - [[紀元前354年|前354年]]） - シュラクサイの政治家・プラトンを招き僭主打倒を訴えるが失敗し暗殺される&lt;br /&gt;
* [[プラクシテレス]]（生没年不詳） - アテナイの彫刻家・等身大女性裸像を最初に作ったか・「[[クニドスのアプロディーテー]]」他がある&lt;br /&gt;
* [[アリストテレス]]（[[紀元前384年|前384年]] - [[紀元前322年|前322年]]） - 哲学者・「万学の祖」・アレクサンドロス3世の家庭教師・著作に『[[形而上学]]』ほか&lt;br /&gt;
* [[デモステネス]]（[[紀元前384年|前384年]] - [[紀元前322年|前322年]]） - 政治家・弁論家・アテナイの指導者として[[ポリス]]の自立を訴え反マケドニア派を結集&lt;br /&gt;
* [[アペレス]]（生没年不詳） - 画家・アレクサンドロス大王の宮廷に仕える・[[大プリニウス]]『[[博物誌]]』では空前絶後の画家として評される&lt;br /&gt;
* [[テオプラストス]]（[[紀元前371年|前371年]] - [[紀元前287年|前287年]]） - 哲学者・植物学者としては『植物誌』『植物原因論』があり「植物学の祖」と呼ばれる&lt;br /&gt;
* [[ピュロン]]（[[紀元前360年|前360年]]頃 - [[紀元前270年|前270年]]頃） - 哲学者・古代の最初の[[懐疑論]]（[[不可知論]]）を唱えピュロン主義の起源となる&lt;br /&gt;
* [[メナンドロス (作家)|メナンドロス]]（[[紀元前342年|前342年]] - [[紀元前292年|前292年]]/[[紀元前91年|前291年]]） - 喜劇作家（新喜劇）・「サモスの女」「髪を切られる女」ほか断片が残る&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== アレクサンドロス帝国とヘレニズム国家 ====&lt;br /&gt;
* [[ピリッポス2世]]（[[紀元前382年|前382年]] - [[紀元前336年|前336年]]） - マケドニア国王（在位[[紀元前359年|前359年]] - [[紀元前336年|前336年]]）・[[カイロネイアの戦い|カイロネイア]]で勝利・アレクサンドロス3世の父&lt;br /&gt;
* [[アレクサンドロス3世]]（大王）([[紀元前356年|前356年]] - [[紀元前323年|前323年]]) - マケドニア国王（在位[[紀元前336年|前336年]] - [[紀元前323年|前323年]]）・東方遠征でアケメネス朝を滅ぼす&lt;br /&gt;
* [[ペルディッカス]]（？ - [[紀元前321年|前321年]]/[[紀元前320年|前320年]]） - マケドニアの将軍・アレクサンドロス3世死後に[[バビロン会議]]を主導・[[ディアドコイ]]の一人&lt;br /&gt;
* [[アンティパトロス]]（[[紀元前397年|前397年]] - [[紀元前319年|前319年]]） - マケドニアの将軍・[[ペルディッカス]]死後は帝国摂政となる・ディアドコイの一人&lt;br /&gt;
* [[アンティゴノス1世]]（[[紀元前382年|前382年]] - [[紀元前301年|前301年]]） - [[アンティゴノス朝]]マケドニアの初代国王（在位[[紀元前306年|前306年]] - [[紀元前301年|前301年]]）・ディアドコイの一人&lt;br /&gt;
* [[プトレマイオス1世]]（[[紀元前367年|前367年]]頃 - [[紀元前283年|前283年]]頃） - プトレマイオス朝エジプトの初代国王（在位[[紀元前323年|前323年]] - [[紀元前285年|前285年]]）・ディアドコイの一人&lt;br /&gt;
* [[リュシマコス]]（[[紀元前360年|前360年]] - [[紀元前281年|前281年]]） - トラキア・マケドニア国王（在位[[紀元前306年|前306年]] - [[紀元前281年|前281年]]）・ディアドコイの一人・[[コルペディオンの戦い]]で敗死&lt;br /&gt;
* [[セレウコス1世]]（[[紀元前358年|前358年]] - [[紀元前281年|前281年]]） - セレウコス朝シリアの初代国王（在位[[紀元前312年|前312年]] - [[紀元前281年|前281年]]）・ディアドコイの一人&lt;br /&gt;
* [[カッサンドロス]]（[[紀元前350年|前350年]] - [[紀元前297年|前297年]]） - マケドニア国王（在位[[紀元前305年|前305年]] - [[紀元前297年|前297年]]）・アレクサンドロス3世の遺族（母・妃・子）を滅ぼす&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 共和政ローマとその周辺 ====&lt;br /&gt;
* [[ブレンヌス]]（生没年不詳） - [[ケルト人|ケルト]]系セノネス族族長・[[アッリアの戦い]]でローマ軍に勝利しローマ市を占領する・後に[[マルクス・フリウス・カミルス|カミルス]]に敗北&lt;br /&gt;
* [[マルクス・フリウス・カミルス]]（[[紀元前446年|前446年]] - [[紀元前365年|前365年]]） - ローマの軍人・ケルト人を追い払い「ローマ第二の創建者」と呼ばれる&lt;br /&gt;
* ガイウス・リキニウス・ストロ（生没年不詳） - ローマの[[護民官]]（[[紀元前376年|前376年]] - [[紀元前367年|前367年]]）・リキニウス・セクスティウス法制定&lt;br /&gt;
* ルキウス・セクスティウス・ラテラヌス（生没年不詳） - ローマの護民官（[[紀元前375年|前375年]] - [[紀元前367年|前367年]]）・リキニウス・セクスティウス法制定&lt;br /&gt;
* [[マルクス・ウァレリウス・コルウス]]（[[紀元前370年|前370年]] - [[紀元前270年|前270年]]） - ローマの政治家・伝説的な英雄・農民出身で100歳まで生きたという&lt;br /&gt;
* [[アッピウス・クラウディウス・カエクス]]（[[紀元前340年|前340年]] - [[紀元前273年|前273年]]） - ローマの政治家・[[執政官]]・[[独裁官]]・[[アッピア街道]]や[[アッピア水道]]を整備&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 北アフリカ・西アジア・中央アジア ===&lt;br /&gt;
* [[アルタクセルクセス2世]]（[[紀元前430年|前430年]]頃 - [[紀元前358年|前358年]]頃） - アケメネス朝ペルシア王（在位：[[紀元前404年|前404年]] - [[紀元前358年|前358年]]）・「大王の和約」を締結&lt;br /&gt;
* [[マウソロス]]（？ - [[紀元前353年|前353年]]） - アケメネス朝支配下の[[カリア]]の[[サトラップ]]・死後に建てられた[[マウソロス霊廟]]は[[世界七不思議]]の一つ&lt;br /&gt;
* ネクタネボ2世（？ - [[紀元前343年|前343年]]以降） - エジプト第30王朝のファラオ（在位[[紀元前360年|前360年]] - [[紀元前343年|前343年]]）・アケメネス朝に追われた最後のファラオ&lt;br /&gt;
* [[ダレイオス3世]]（[[紀元前380年|前380年]]？ - [[紀元前330年|前330年]]） - アケメネス朝ペルシア最後の王（在位[[紀元前336年|前336年]] - [[紀元前330年|前330年]]）・アレクサンドロス3世に敗退&lt;br /&gt;
* [[ベッソス]]（？ - [[紀元前329年|前329年]]？） - アケメネス朝の[[バクトリア]]の総督・敗退したダレイオス3世を謀殺・アレクサンドロス3世に処刑される&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 南アジア ===&lt;br /&gt;
* ヴァールミーキ（紀元前4世紀？） - インドの聖仙（[[リシ]]）・[[叙事詩]]『[[ラーマーヤナ]]』（完成は紀元後[[4世紀]]か）の著者とされる&lt;br /&gt;
* [[ヴィヤーサ]]（紀元前4世紀？） - インドの聖仙（リシ）・叙事詩『[[マハーバーラタ]]』（完成は紀元後4世紀か）の著者とされる&lt;br /&gt;
* [[マハーパドマ]]（生没年不詳） - インドのマガダ国[[ナンダ朝]]の最初の王か・[[ヴェーダ]]の権威を認めない宗教家たちを保護したとも&lt;br /&gt;
* [[ポロス (古代インドの王)|ポロス]]（？ - [[紀元前317年|前317年]]） - インドの[[パンジャーブ]]東部の王・[[ヒュダスペス河畔の戦い]]では象部隊でアレクサンドロス3世と戦うが敗北&lt;br /&gt;
* [[チャンドラグプタ (マウリヤ朝)|チャンドラグプタ]]（生没年不明） - インドのマウリヤ朝の初代の王（在位[[紀元前340年|前340年]] - [[紀元前293年|前293年]]）・アレクサンドロス3世と親交あり？&lt;br /&gt;
* [[大天|マハーデーヴァ]]（生没年不詳）- インドの仏教の僧侶・[[阿羅漢]]を低く見る「大天の五事」により仏教教団の根本分裂を引き起こし大衆部の祖となる&lt;br /&gt;
* [[パーニニ]]（生没年不詳） - インドの文法学者・「アシュターディヤーイー（パーニニ文典）」の[[サンスクリット]]形態論で旧来の文法を刷新&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国（周・戦国時代）===&lt;br /&gt;
* [[扁鵲]]（生没年不明） - 春秋戦国時代の医師・半ば伝説的な人物で『[[難経]]（黄帝八十一難経）』の執筆者にも仮託される&lt;br /&gt;
* [[墨子]]（[[紀元前450年|前450年]] - [[紀元前390年|前390年]]頃？） - [[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の[[墨家]]の始祖で『墨子』の著者・「兼愛」「交利」「尚賢」「非攻」などの思想で有名&lt;br /&gt;
* [[列子]]（活躍時期は[[紀元前400年|前400年]]頃） - 戦国時代の[[道家]]の思想家・[[荘子]]に先立つ・『列子』が残るが実在を否定する説もある&lt;br /&gt;
* [[太公 (田斉)|田和]]（？ - [[紀元前385年|前385年]]） - 戦国時代の田斉の初代君主（太公）（在位[[紀元前386年|前386年]] - [[紀元前385年|前385年]]）・姜斉の康公を追放し自ら斉公を名乗る&lt;br /&gt;
* [[呉起]]（？ - [[紀元前381年|前381年]]） - 戦国時代の軍人・政治家・思想家（[[兵家]]）・[[魯]]の[[元公 (魯)|元公]]や魏の[[文侯 (魏)|文侯]]そして楚の[[悼王 (楚)|悼王]]に仕え国政改革を行う&lt;br /&gt;
* 静公（生没年不詳） - 戦国時代の[[晋 (春秋)|晋]]の最後の君主（在位[[紀元前377年|前377年]] - [[紀元前376年|前376年]]）・晋の三侯（韓哀侯・魏武侯・趙敬侯）に滅ぼされる &lt;br /&gt;
* [[威王 (斉)|威王]]（？ - [[紀元前343年|前343年]]） - 戦国時代の田斉の君主で初代王・暗君を装って数年間雌伏の後に斉を強国にしたことで知られる&lt;br /&gt;
* [[鄒忌]]（生没年不明） - 戦国時代の田斉の政治家・威王と宣王に宰相として仕え政敵の田忌を斥ける・美丈夫であったことも有名&lt;br /&gt;
* [[淳于コン|淳于髠]]（生没年不詳） - 戦国時代の田斉の[[威王]]に仕える・[[稷下の学士|稷下の学]]の中心人物で[[鄒衍]]や[[田駢]]らと交わる・「鳴かず飛ばず」の故事でも有名 &lt;br /&gt;
* [[孫ピン|孫臏]]（生没年不明） - 戦国時代の[[孫武]]の孫で[[兵法家]]・『[[孫臏兵法]]』の著者・斉の[[威王 (斉)|威王]]に仕え馬陵の戦いで魏の恵王を破る&lt;br /&gt;
* [[恵王 (魏)|恵王]]（[[紀元前400年|前400年]] - [[紀元前319年|前319年]]） - 戦国時代の魏の君主（在位[[紀元前369年|前369年]] - [[紀元前319年|前319年]]）・馬陵の戦いで敗北し秦の[[商鞅]]に攻撃され覇権喪失&lt;br /&gt;
* [[申不害]]（？ - [[紀元前337年|前337年]]） - 戦国時代の韓の政治家・[[釐侯 (韓)|昭侯]]に宰相として仕える・[[法家]]思想を援用し弱小国であった韓を安定させる&lt;br /&gt;
* [[孝公 (秦)|孝公]]（[[紀元前381年|前381年]] - [[紀元前338年|前338年]]） - 戦国時代の秦の君主（在位[[紀元前361年|前361年]] - [[紀元前338年|前338年]]）・商鞅の変法を支持し中央集権化策を推進&lt;br /&gt;
* [[商鞅]]（？ - [[紀元前338年|前338年]]） - 戦国時代の秦の政治家・法家思想による国政改革を進めるが反対派により車裂きの刑に処される&lt;br /&gt;
* [[恵文王 (秦)|恵文王]]（？ - [[紀元前311年|前311年]]） - 戦国時代の秦の君主で初代王（在位[[紀元前338年|前338年]] - [[紀元前311年|前311年]]）・孝公の子だが意に沿わぬ商鞅を粛清する&lt;br /&gt;
* [[樗里疾]]（？ - [[紀元前300年|前300年]]） - 戦国時代の秦の王族・[[恵文王 (秦)|恵文王]]の異母弟・韓・魏・趙・燕・斉連合軍を撃破・知者で「智嚢」と呼ばれる&lt;br /&gt;
* [[宣王 (斉)|宣王]]（？ - [[紀元前324年|前324年]]） - 戦国時代の田斉の君主で威王の子・稷下の学を保護し[[孟子]]らを招聘・弟の[[田嬰|靖郭君]]と甥[[孟嘗君]]を重用し全盛期を現出&lt;br /&gt;
* [[蘇秦]]（？ - [[紀元前317年|前317年]]？） - 戦国時代の[[縦横家]]・諸国を遊説し秦以外の燕・斉・趙・韓・魏・楚を同盟させた[[合従]]策で知られる&lt;br /&gt;
* [[張儀]]（？ - [[紀元前309年|前309年]]） - 戦国時代の縦横家・秦の恵文王に仕え宰相となる・[[蘇秦]]の[[合従]]策に対し[[連衡]]策で諸国を秦と同盟させる&lt;br /&gt;
* [[司馬錯]]（生没年不詳） - 戦国時代の秦の将軍・恵文王・[[武王 (秦)|武王]]・[[昭襄王 (秦)|昭襄王]]の3代に仕えた・張儀との論戦に勝ち蜀を併合する&lt;br /&gt;
* [[懐王]]（？ - [[紀元前299年|前299年]]） - 戦国時代の楚の王（在位[[紀元前329年|前329年]] - [[紀元前299年|前299年]]）・張儀の謀略で藍田で戦い秦に敗北・秦に幽閉され死去&lt;br /&gt;
* [[武霊王]]（？ - [[紀元前295年]]) - 戦国時代の趙の王（在位[[紀元前326年|前326年]] - [[紀元前298年|前298年]]）・[[胡服騎射]]を取り入れて趙を軍事強国とした&lt;br /&gt;
* [[孟子]]（[[紀元前372年|前372年]]？ - [[紀元前289年|前289年]]） - 戦国時代の[[儒家]]（[[性善説]]）・『孟子』を著し[[仁義]]に基づく王道政治を理想とする&lt;br /&gt;
* [[楊朱]]（[[紀元前370年|前370年]]頃？ - [[紀元前319年|前319年]]頃？） - 戦国時代の思想家・個人主義的な思想である為我説（自愛説）を主張・孟子と対立&lt;br /&gt;
* [[恵施]]（[[紀元前370年|前370年]]頃？ - [[紀元前310年|前310年]]頃？） - 戦国時代の思想家・政治家・[[名家 (諸子百家)|名家]]に属すが[[公孫竜]]とは立場が異なる・荘子と接点あり &lt;br /&gt;
* [[荘子]]（[[紀元前369年|前369年]]？ - [[紀元前286年|前286年]]？） - 戦国時代の道家の思想家・諸侯の招聘を拒否し隠棲・著作『[[荘子 (書物)|荘子]]』では[[万物斉同]]の思想を展開&lt;br /&gt;
* [[昭王 (燕)|昭王]]（[[紀元前335年|前335年]] - [[紀元前279年|前279年]]） - 戦国時代の燕の王（在位[[紀元前308年|前308年]] - [[紀元前279年|前279年]]）・斉への復讐のため[[楽毅]]らの賢才を募る&lt;br /&gt;
* 郭隗（生没年不詳） - 戦国時代の燕の学者・昭王に仕え「隗より始めよ」の故事で知られるよう楽毅・劇辛・鄒衍らの賢才を集める端緒となった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 発明・発見 ==&lt;br /&gt;
*[[ローマ人]]、[[水道橋]]を初めて建設。&lt;br /&gt;
*[[中国]]で[[ふいご]]の使用が始まる。&lt;br /&gt;
*[[アレクサンドリアの大灯台]]の建設が始まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フィクションのできごと ==&lt;br /&gt;
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=年世紀-04|date=2011年7月}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*紀元前382年 - オリバンダー杖店創業（[[ハリー・ポッターと賢者の石]]に登場する杖専門店）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 10年紀と各年 ==&lt;br /&gt;
{| style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot;&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前400年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前409年|前409]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前408年|前408]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前407年|前407]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前406年|前406]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前405年|前405]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前404年|前404]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前403年|前403]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前402年|前402]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前401年|前401]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前400年|前400]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前390年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前399年|前399]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前398年|前398]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前397年|前397]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前396年|前396]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前395年|前395]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前394年|前394]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前393年|前393]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前392年|前392]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前391年|前391]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前390年|前390]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前380年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前389年|前389]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前388年|前388]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前387年|前387]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前386年|前386]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前385年|前385]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前384年|前384]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前383年|前383]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前382年|前382]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前381年|前381]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前380年|前380]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前370年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前379年|前379]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前378年|前378]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前377年|前377]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前376年|前376]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前375年|前375]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前374年|前374]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前373年|前373]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前372年|前372]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前371年|前371]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前370年|前370]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前360年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前369年|前369]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前368年|前368]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前367年|前367]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前366年|前366]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前365年|前365]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前364年|前364]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前363年|前363]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前362年|前362]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前361年|前361]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前360年|前360]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前350年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前359年|前359]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前358年|前358]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前357年|前357]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前356年|前356]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前355年|前355]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前354年|前354]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前353年|前353]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前352年|前352]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前351年|前351]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前350年|前350]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前340年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前349年|前349]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前348年|前348]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前347年|前347]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前346年|前346]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前345年|前345]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前344年|前344]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前343年|前343]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前342年|前342]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前341年|前341]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前340年|前340]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前330年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前339年|前339]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前338年|前338]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前337年|前337]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前336年|前336]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前335年|前335]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前334年|前334]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前333年|前333]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前332年|前332]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前331年|前331]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前330年|前330]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前320年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前329年|前329]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前328年|前328]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前327年|前327]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前326年|前326]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前325年|前325]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前324年|前324]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前323年|前323]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前322年|前322]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前321年|前321]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前320年|前320]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前310年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前319年|前319]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前318年|前318]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前317年|前317]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前316年|前316]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前315年|前315]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前314年|前314]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前313年|前313]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前312年|前312]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前311年|前311]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前310年|前310]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前300年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前309年|前309]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前308年|前308]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前307年|前307]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前306年|前306]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前305年|前305]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前304年|前304]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前303年|前303]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前302年|前302]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前301年|前301]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前300年|前300]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;{{Reflist|group=†}}&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[年表]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:きけんせん04せいき}}&lt;br /&gt;
[[Category:紀元前4世紀|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>111.87.58.207</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=15%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=1811</id>
		<title>15世紀</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=15%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=1811"/>
		<updated>2014-08-15T11:06:25Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;111.87.58.207: /* できごと */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{centurybox|&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
 世紀=15 |&lt;br /&gt;
 次世紀=16 |&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
 前世紀=14 |&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Columbus_Taking_Possession.jpg|right|thumb|250px|&#039;&#039;&#039;大航海時代&#039;&#039;&#039;。[[新世界]]を発見したコロンブス。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:80 - Machu Picchu - Juin 2009 - edit.jpg|right|thumb|220px|[[マチュ・ピチュ]]の遺跡。15世紀に建造された[[インカ帝国]]の技術の高さを反映している。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Sun stone detail.JPG|right|thumb|220px|[[太陽の石]]。1476年に[[アステカ帝国]]皇帝[[アシャヤカトル]]が現[[メキシコシティ]]の中央広場の位置に奉献したもの。]]&lt;br /&gt;
[[File:Ulugh Beg observatory 3.JPG|right|thumb|220px|サマルカンド近郊の[[ウルグ・ベク天文台]]。ティムール朝君主ウルグ・ベクは天文学に造詣が深く「ズィージ・スルターニー」のような精緻な天文表も作成させた。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Benjamin-Constant-The Entry of Mahomet II into Constantinople-1876.jpg|right|thumb|210px|[[コンスタンティノープルの陥落|コンスタンティノポリスの陥落]]。オスマン帝国の[[メフメト2世]]の占領により、1000年以上続いてきた[[東ローマ帝国]]はここに滅亡した。]]&lt;br /&gt;
[[File:Joan of arc miniature graded.jpg|thumb|right|210px|オルレアンの乙女[[ジャンヌ・ダルク]]。劣勢のフランス軍を鼓舞し百年戦争の終結に大きな役割を果たしたが[[魔女裁判]]で火刑に処せられた。]]&lt;br /&gt;
[[File:Eyck madonna rolin.jpg|thumb|right|210px|『中世の秋』。歴史家[[ホイジンガ]]はこの題名でこの時代の[[ブルゴーニュ公国]]の歴史を描いた。画像はヤン・ファン・エイクの「[[宰相ロランの聖母]]」。ロランはこの国の宰相で、背後にはブルゴーニュの[[オータン]]の風景が広がる。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Botticelli-primavera.jpg|260px|right|thumb|[[ボッティチェリ]]の「春（[[プリマヴェーラ]]）」。[[メディチ家]]などの文化支援活動により[[フィレンツェ]]の[[ルネサンス]]文化が花開いた。]]&lt;br /&gt;
[[File:Detail of The Emperor&#039;s Approach, Xuande period.jpg|220px|right|thumb|明の宣宗宣徳帝の入城を描いた絵画。明はこの時代に「仁宣の治」と呼ばれる安定期を迎えた。]]&lt;br /&gt;
[[File:Ginkakuji-M1981.jpg|220px|right|thumb|慈照寺銀閣。室町将軍足利義政は[[応仁の乱]]を引き起こすなど政治的才覚に欠けたが、東山山荘に隠棲してわびさびの[[東山文化|文化]]を極めた。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;15世紀&#039;&#039;&#039;（じゅうごせいき）とは、[[西暦]][[1401年]]から西暦[[1500年]]までの100年間を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 15世紀の歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 世界 ===&lt;br /&gt;
ヨーロッパでは1453年、[[オスマン帝国]]により[[東ローマ帝国]]が滅ぼされ、[[古代]]から続いてきた[[ローマ帝国]]は完全に滅亡した（これを以て、「[[中世]]の終わり」とする場合がある）。オスマン帝国の勢力が拡大し[[地中海]]の交易を支配すると、15世紀中頃から新たな交易ルートの開拓を目指して、[[ポルトガル]]・[[スペイン]]を中心に[[航海]]ブームが起き、&#039;&#039;&#039;[[大航海時代]]&#039;&#039;&#039;に突入した。1492年、[[クリストファー・コロンブス]]が[[アメリカ大陸]]に到達すると大きな転機となり、ヨーロッパ諸国はしのぎを削って[[新大陸]]への進出を開始することとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[イタリア]]で始まった[[文化]]、[[哲学]]、[[科学]]、[[芸術]]などにおける[[ルネサンス]]が、[[アルプス山脈|アルプス]]以北の[[西ヨーロッパ]]諸国にも波及する（&#039;&#039;&#039;[[北方ルネサンス]]&#039;&#039;&#039;）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[石炭]]がエネルギー源、暖房用として大変重要になった&amp;lt;ref&amp;gt;サイモン・ウィンチェスター著、野中邦子訳『世界を変えた地図　－ウィリアム・スミスと地質学の誕生－』早川書房 2004年 65ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
[[室町時代]]の中期にあたる。[[応仁の乱]]（1467年）、または[[明応の政変]]（1493年）以後は&#039;&#039;&#039;[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]&#039;&#039;&#039;に区分される場合もある。戦国時代には[[室町幕府]]権力の著しい低下、幕府と[[守護]]の体制の崩壊などにより、[[戦国大名]]の乱立が起き全国動乱の時代に突入した。この動乱は約1世紀に渡り続くことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
* 1401年&lt;br /&gt;
** [[足利義満]]、[[肥富|肥富某]]・[[祖阿|僧祖阿]]らを[[明]]に派遣する。&lt;br /&gt;
** 土御門内裏の修繕が始まり、諸国に造内裏段銭を課する。&lt;br /&gt;
** 足利義満、[[李氏朝鮮]]に使いを派遣する。&lt;br /&gt;
** 李氏朝鮮の[[太宗 (朝鮮王)|太宗]]が中国の[[明]]朝より[[封号|朝鮮国王]]として[[冊封]]を授かり、王を名乗る事を正式に認められる。&lt;br /&gt;
** [[フィレンツェ]]の[[サン・ジョヴァンニ洗礼堂]]青銅扉の作成競技で[[ロレンツォ・ギベルティ|ギベルティ]]が優勝する。&lt;br /&gt;
* 1402年&lt;br /&gt;
**[[アンカラの戦い]]で[[ティムール]]が[[オスマン帝国]]を破る。&lt;br /&gt;
**明の燕王が[[建文帝]]を倒して第3代[[皇帝]]に即位（[[永楽帝|成祖永楽帝]]）。&lt;br /&gt;
**足利義満が中国の明朝より[[日本国王]]として[[冊封]]を授かり、王を名乗る事を正式に認められる。&lt;br /&gt;
** [[スマトラ島]]の[[シュリーヴィジャヤ王国|シュリーヴィジャヤ]]王室の[[パラメスワラ (マラッカ王)|パラメスワラ]]王子が[[マラッカ王国]]を建国。&lt;br /&gt;
* 1403年 - 明が首都・北平を[[北京市|北京]]と改名。&lt;br /&gt;
* 1404年 - [[冊封使]]が初めて[[琉球]]へ来琉。[[日明貿易]]（[[勘合貿易]]）始まる。&lt;br /&gt;
*1405年&lt;br /&gt;
** 明への遠征途上の[[オトラル]]で[[ティムール]]が病没。&lt;br /&gt;
** 明の成祖永楽帝が[[鄭和]]を南海遠征に派遣（ - 1433年）。&lt;br /&gt;
* 1406年&lt;br /&gt;
** [[ベトナム]]の[[胡朝]]が崩壊し明へ下る。&lt;br /&gt;
** [[紫禁城]]の建設始まる。&lt;br /&gt;
* 1407年&lt;br /&gt;
** [[フランス王国|フランス]]にて[[ルイ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|オルレアン公ルイ]]が[[ブルゴーニュ公]][[ジャン1世 (ブルゴーニュ公)|ジャン（無畏公）]]の配下によって[[暗殺]]される。&lt;br /&gt;
** 朝鮮で[[太宗 (朝鮮王)|太宗]]の仏教弾圧。&lt;br /&gt;
* 1408年 - 足利義満死去。&lt;br /&gt;
* 1409年 - [[ピサ公会議]]。&lt;br /&gt;
* 1410年&lt;br /&gt;
** [[タンネンベルクの戦い (1410年)|グルンヴァルド（タンネンベルク）の戦い]]、[[ポーランド王国]]が[[ドイツ騎士団]]を破る。&lt;br /&gt;
** 鄭和の艦隊と[[セイロン]]のライガマ王国軍が交戦、鄭和は国王アラカイスワラらを捕虜とする。&lt;br /&gt;
** [[周文]]の「[[芭蕉夜雨図]]」。&lt;br /&gt;
* 1411年 - 明使の入京拒否による国交断絶（ - 1432年）。&lt;br /&gt;
* 1412年 - [[後小松天皇]]が譲位し、第101代[[称光天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
* 1414年 - [[コンスタンツ公会議]]（ - 1418年）。&lt;br /&gt;
* 1415年 &lt;br /&gt;
** [[アジャンクールの戦い]]。&lt;br /&gt;
** ポルトガルの[[セウタ]]攻略。&lt;br /&gt;
** 宗教改革者[[ヤン・フス]]の火刑。 &lt;br /&gt;
* 1418年&lt;br /&gt;
** 鄭和の艦隊の分団が東アフリカの[[マリンディ]]に到達。&lt;br /&gt;
* 1419年&lt;br /&gt;
** [[応永の外寇]]。&lt;br /&gt;
** ポルトガルの[[マデイラ諸島]]発見。&lt;br /&gt;
** モントロー会議で、ブルゴーニュ公ジャンが暗殺される。&lt;br /&gt;
* 1420年 &lt;br /&gt;
** [[トロワ条約]]でイギリス王ヘンリ5世がフランス王位継承権を認められる。&lt;br /&gt;
** 明で宦官による特務警察の[[東廠]]が設置される。&lt;br /&gt;
* 1421年 - 明の永楽帝が首都を南京から北京に遷す。&lt;br /&gt;
* 1422年 - [[雲南]]地方で麓川の乱。&lt;br /&gt;
* 1423年 - [[足利義量]]が[[室町幕府]]第5代[[征夷大将軍|将軍]]となる。&lt;br /&gt;
* 1424年&lt;br /&gt;
** 明の[[洪熙帝]]が第4代皇帝に即位。&lt;br /&gt;
** 朝鮮で[[世宗 (朝鮮王)|世宗]]の仏教弾圧。&lt;br /&gt;
* 1425年 - 明の[[宣徳帝]]が第5代皇帝に即位。&lt;br /&gt;
* 1428年&lt;br /&gt;
** 称光天皇が没し、第102代[[後花園天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
** [[正長の土一揆]]。&lt;br /&gt;
** ベトナムで[[黎朝]]成立。&lt;br /&gt;
* 1429年 &lt;br /&gt;
** [[足利義教]]が室町幕府第6代将軍となる。&lt;br /&gt;
** ティムール朝君主[[ウルグ・ベク]]が[[サマルカンド]]に天文台を建設。&lt;br /&gt;
** [[ジャンヌ・ダルク]]が[[オルレアン]]を解放。フランス王[[シャルル7世]]の戴冠。&lt;br /&gt;
* 1430年 &lt;br /&gt;
** [[コンピエーニュ]]の戦いで、ジャンヌ・ダルクが捕虜となる。&lt;br /&gt;
** ブルゴーニュ公フィリップにより[[金羊毛騎士団]]が設立される。&lt;br /&gt;
* 1431年&lt;br /&gt;
** [[バーゼル公会議]]。&lt;br /&gt;
** [[アゾレス諸島]]発見。&lt;br /&gt;
** [[ルーアン]]にてジャンヌ・ダルクが処刑される。&lt;br /&gt;
** [[アユタヤ朝]]により[[クメール王朝|クメール朝]]の都[[アンコール遺跡|アンコール]]が陥落する。&lt;br /&gt;
* 1434年&lt;br /&gt;
** [[コジモ・デ・メディチ]]が[[フィレンツェ]]における支配権を確立（ - 1494年）。&lt;br /&gt;
** ポルトガル艦隊がボジャドル岬（ボハドル岬）を通過。&lt;br /&gt;
* 1435年&lt;br /&gt;
** [[スウェーデン]]、一時的に[[カルマル同盟]]を脱する（[[議会]]の開始）。&lt;br /&gt;
** [[アラス]]の和約でフランス王とブルゴーニュ公が和解。&lt;br /&gt;
** 明の[[英宗 (明)|英宗正統帝]]が第6代皇帝に即位。&lt;br /&gt;
* 1437年 - [[フィレンツェ公会議|フェラーラ公会議]]。&lt;br /&gt;
* 1438年 - パチャクテク即位によって[[インカ帝国]]は国家として再編する。&lt;br /&gt;
* 1439年 &lt;br /&gt;
** [[フィレンツェ公会議]]。&lt;br /&gt;
** フランス議会、[[ブールジュ]]の[[国本勅諚]]を採択。&lt;br /&gt;
* 1441年 - [[嘉吉の乱]]。&lt;br /&gt;
* 1442年 - [[足利義勝]]が室町幕府第7代将軍となる。&lt;br /&gt;
* 1443年 - [[禁闕の変]]。&lt;br /&gt;
* 1444年 - [[ヴァルナの戦い]]。&lt;br /&gt;
* 1446年 - 朝鮮の世宗のもとで「[[訓民正音]]」が公布される。&lt;br /&gt;
* 1448年 - 鄧茂七の乱。&lt;br /&gt;
* 1449年&lt;br /&gt;
** 明で[[土木の変]]。皇帝[[英宗 (明)|英宗正統帝]]が[[オイラート]]の[[エセン・ハーン]]の捕虜となる。[[景泰帝]]が第7代皇帝に即位。&lt;br /&gt;
** ティムール朝の君主[[ウルグ・ベク]]が暗殺される。&lt;br /&gt;
** [[足利義政]]が室町幕府第8代将軍となる。&lt;br /&gt;
* 1450年 - [[フランチェスコ・スフォルツァ]]がミラノ公となる。&lt;br /&gt;
* 1453年&lt;br /&gt;
** オスマン帝国が[[コンスタンティノープルの陥落|コンスタンティノポリスを陥落]]させ、[[東ローマ帝国]]滅亡。&lt;br /&gt;
** [[カスティヨンの戦い]]により[[百年戦争|英仏百年戦争]]が終結。&lt;br /&gt;
** エセン・ハーンがモンゴルのハーンとして即位するが、反発が強く翌1454年に殺害される。&lt;br /&gt;
* 1454年&lt;br /&gt;
** [[享禄の土一揆]]が徳政を要求する。&lt;br /&gt;
** [[ローディの和]]で、[[イタリア]]の五[[大国]]による和平協定が結ばれる。&lt;br /&gt;
** ブルゴーニュ公フィリップが[[リール (フランス)|リール]]にて「雉の誓いの祝宴」を行う。&lt;br /&gt;
* 1455年&lt;br /&gt;
** [[イングランド]]で、ヨーク家とランカスター家による王位争い（[[薔薇戦争]]）始まる。&lt;br /&gt;
** [[ヨハネス・グーテンベルク]]が[[活版印刷]]で[[聖書]]を印刷（[[グーテンベルク聖書]]）。&lt;br /&gt;
* 1457年 - 明で[[奪門の変]]により、[[英宗 (明)|英宗天順帝]]が第8代皇帝に[[重祚]]。&lt;br /&gt;
* 1461年&lt;br /&gt;
** [[曹欽]]の乱が鎮圧され、[[曹吉祥]]が自殺する。&lt;br /&gt;
** [[長禄・寛正の飢饉|寛正の大飢饉]]。&lt;br /&gt;
* 1464年&lt;br /&gt;
** 後花園天皇が譲位し、第103代[[後土御門天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
** 明の[[成化帝]]が第9代皇帝に即位。&lt;br /&gt;
* 1467年 - [[応仁の乱]]（-1477年）。室町幕府が衰退し、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]へ。&lt;br /&gt;
* 1469年 - ティムール朝がサマルカンド政権とヘラート政権に分裂する。&lt;br /&gt;
* 1471年&lt;br /&gt;
** [[黎聖宗]]が[[チャンパ王国]]の[[ヴィジャヤ王朝]]を滅ぼし領土を併合する。&lt;br /&gt;
** チャンパ王国の王子シャー・パウ・リン（後のアリ・ムハヤット・シャー）が亡命し[[スマトラ島]]に[[アチェ王国]]を建国。&lt;br /&gt;
* 1472年 - モスクワ大公[[イヴァン3世]]が東ローマ帝国の皇女[[ゾイ・パレオロギナ|ソフィヤ]]と結婚。&lt;br /&gt;
* 1473年 - [[足利義尚]]が室町幕府第9代将軍となる。&lt;br /&gt;
* 1474年 - [[越前一向一揆]]。&lt;br /&gt;
* 1476年 - [[青松寺]]開創。&lt;br /&gt;
* 1477年 &lt;br /&gt;
** [[ナンシーの戦い]]でブルゴーニュ公シャルル（突進公）がロレーヌ公ルネ2世に敗北し戦死。&lt;br /&gt;
*** ブルゴーニュ公国のうちネーデルラントは娘のマリー女公とその夫君であるマクシミリアン1世（のちの神聖ローマ皇帝）が継承。&lt;br /&gt;
* 1478年&lt;br /&gt;
** [[パッツィ家の陰謀]]事件。&lt;br /&gt;
** モスクワ大公[[イヴァン3世]]が[[ノヴゴロド公国]]を併合。&lt;br /&gt;
* 1479年  &lt;br /&gt;
** [[スペイン|スペイン王国]]成立。&lt;br /&gt;
** アルカソヴァス条約。&lt;br /&gt;
** [[オロモウツの和約]]で[[ハプスブルク家]]は[[オーストリア]]の支配権を失う（ - 1490年）。　&lt;br /&gt;
* 1480年&lt;br /&gt;
** [[モスクワ大公国]]の[[イヴァン3世]]、[[キプチャク・ハン国]]から自立。[[ロシア帝国]]のおこり。&lt;br /&gt;
** [[越中一向一揆]]。&lt;br /&gt;
* 1483年&lt;br /&gt;
** イングランド王エドワード4世が急死。息子のエドワード5世が即位するも、叔父グロスター公により退位させられる。&lt;br /&gt;
** グロスター公が[[リチャード3世]]として即位する。&lt;br /&gt;
* 1484年&lt;br /&gt;
** バニョーロの和議。&lt;br /&gt;
* 1485年&lt;br /&gt;
** [[ボズワースの戦い]]でヘンリー・テューダーがリチャード3世を倒す。&lt;br /&gt;
** ヘンリー・テューダーがイングランド王[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]として即位。[[テューダー朝]]始まる。&lt;br /&gt;
** [[山城国一揆]]。&lt;br /&gt;
* 1487年&lt;br /&gt;
** 明の[[弘治帝]]が第10代皇帝に即位。&lt;br /&gt;
** 六角征伐の[[長享・延徳の乱|鈎の陣]]（ - [[1489年]]）。&lt;br /&gt;
* 1488年&lt;br /&gt;
** ポルトガル人[[バルトロメウ・ディアス]]が[[喜望峰]]に到達する。&lt;br /&gt;
** [[加賀一向一揆]]。&lt;br /&gt;
* 1490年 - [[足利義稙|足利義材]]が室町幕府第10代将軍となる。&lt;br /&gt;
* 1492年 &lt;br /&gt;
** [[ナスル朝]]が滅亡し[[レコンキスタ]]完了。&lt;br /&gt;
** [[クリストファー・コロンブス]]が[[カリブ海]]の島々に航海。いわゆる新大陸の発見。&lt;br /&gt;
** スペインからのユダヤ教徒追放令。&lt;br /&gt;
* 1493年&lt;br /&gt;
** [[明応の政変]]により足利義材が将軍職から追放される（[[戦国時代 (日本)|日本の戦国時代]]の幕開けとされる）。&lt;br /&gt;
** 教皇[[アレクサンデル6世]]により[[教皇子午線]]が決定される。&lt;br /&gt;
** サンリスの和約により、ブルゴーニュ公遺領の正式分割が決定。&lt;br /&gt;
* 1494年&lt;br /&gt;
** スペインとポルトガルが[[トルデシリャス条約]]を締結。&lt;br /&gt;
** フランス王[[シャルル8世]]のイタリア遠征（[[イタリア戦争]]の始まり）。その途上、[[フィレンツェ]]で[[メディチ家]]が追放される。&lt;br /&gt;
** [[足利義澄]]が室町幕府第11代将軍となる。&lt;br /&gt;
* 1495年&lt;br /&gt;
** 神聖ローマ帝国の[[ヴォルムス]]帝国議会。&lt;br /&gt;
*** 皇帝マクシミリアン1世による「帝国改造」として「永久[[ラント平和令]]」が布告され、帝国最高法院が設置される。 &lt;br /&gt;
* 1498年&lt;br /&gt;
** [[南アメリカ]]大陸発見。[[ヴァスコ・ダ・ガマ]]が[[インド]]まで航海。&lt;br /&gt;
** フィレンツェで[[サヴォナローラ]]が処刑される。&lt;br /&gt;
* 1499年&lt;br /&gt;
** [[シュヴァーベン]]戦争での勝利によりスイスは神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取る。&lt;br /&gt;
* 1500年&lt;br /&gt;
** [[ペドロ・アルヴァレス・カブラル]]が[[ブラジル]]に到着。&lt;br /&gt;
** 神聖ローマ帝国の[[アウクスブルク]]帝国議会。&lt;br /&gt;
** [[シャイバーニー朝]]によりティムール朝[[サマルカンド]]政権が崩壊。&lt;br /&gt;
** 後土御門天皇が没し、第104代[[後柏原天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== キリスト教世界 ===&lt;br /&gt;
==== フランス・フランドル ====&lt;br /&gt;
* [[ピエール・ダイイ]]（[[1351年]] - [[1420年]]） - [[枢機卿]]・[[パリ大学]]総長・[[コンスタンツ公会議]]で主導的な役割を果たす・著作に『世界像』がある&lt;br /&gt;
* [[ジャン・ジェルソン]]（[[1363年]] - [[1429年]]） - パリ大学総長・ピエール・ダイイと並びコンスタンツ公会議を主導・著作に『神学の慰め』がある&lt;br /&gt;
* ファン・エイク兄弟（兄[[フーベルト・ファン・エイク|フーベルト]]（[[1366年]]頃 - [[1426年]]）、弟[[ヤン・ファン・エイク|ヤン]]（[[1395年]]頃 - [[1441年]]）） - [[初期フランドル派]]の画家で油彩技法を大成&lt;br /&gt;
* [[ジャン1世 (ブルゴーニュ公)|ジャン1世]]（無畏公）（[[1371年]] - [[1419年]]） - [[ブルゴーニュ公]]・オルレアン公らアルマニャック派と対立・王太子シャルルによって暗殺される&lt;br /&gt;
* [[ジャック・クール]]（[[1395年]] - [[1456年]]） - フランスの財政家・シャルル7世の貨幣鋳造や戦費調達を担当・後年に不正が発覚し財産没収の上で亡命&lt;br /&gt;
* [[フィリップ3世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ3世]]（善良公）（[[1396年]] - [[1467年]]） - [[ブルゴーニュ公]]・百年戦争で[[イングランド王国|イングランド]]側に接近・[[北方ルネサンス]]のパトロン&lt;br /&gt;
* [[ギヨーム・デュファイ]]（[[1397年]] - [[1474年]]） - [[ブルゴーニュ楽派]]の作曲家・ミサ曲「アヴェ・レジーナ・チェロールム」他がある&lt;br /&gt;
* [[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]（勝利王）（[[1403年]] - [[1461年]]） - [[ヴァロワ朝]][[フランス王国|フランス]]の第5代国王（在位[[1422年]] - [[1461年]]）・[[百年戦争]]で最終的に勝利&lt;br /&gt;
* [[ジル・ド・レ]]（[[1404年]] - [[1440年]]） - フランスの貴族・百年戦争で活躍しフランス元帥となる・のちに多数の少年殺害の嫌疑で逮捕処刑される&lt;br /&gt;
* [[ジャンヌ・ダルク]]（[[1412年]] - [[1431年]]） - フランスの農民の娘・「オルレアンの乙女」・[[百年戦争]]でフランス軍を鼓舞・[[魔女裁判]]で火刑&lt;br /&gt;
* [[フランソワ・ヴィヨン]]（[[1431年]]？ - [[1463年]]以降） - フランスの詩人・放浪無頼の生活を送り「泥棒詩人」として有名・代表作に『遺言詩集』&lt;br /&gt;
* [[ジョスカン・デ・プレ]]（[[1440年]]？ - [[1521年]]） -  フランスの作曲家・フランス王や教皇庁などに仕える・ミサ曲「めでたし海の星」などがある&lt;br /&gt;
* [[ヒエロニムス・ボス]]（[[1450年]]頃 - [[1516年]]） - 初期フランドル派の画家・寓意を暗示する幻想的な画風・代表作に「[[快楽の園]]」がある&lt;br /&gt;
* [[シャルル8世 (フランス王)|シャルル8世]]（温厚王）（[[1470年]] - [[1498年]]） - [[ヴァロワ朝]]フランスの第7代国王（在位[[1483年]] - [[1498年]]）・[[イタリア戦争]]を始める&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イングランド ====&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]（[[1387年]] - [[1422年]]） - [[ランカスター朝]]の[[イングランド]]王（在位[[1413年]] - [[1422年]]）・[[トロワ条約]]でフランス王位継承者となる&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]（[[1421年]] - [[1471年]]） - ランカスター朝のイングランド王（在位[[1422年]] - [[1461年]]、[[1470年]] - [[1471年]]）・狂疾から[[薔薇戦争]]勃発&lt;br /&gt;
* [[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]（[[1442年]] - [[1483年]]） - ヨーク朝のイングランド王（在位[[1461年]] - [[1483年]]）・[[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]を退位させ[[ヨーク朝]]の祖となる&lt;br /&gt;
* [[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]（[[1452年]] - [[1485年]]） - ヨーク朝のイングランド王（在位[[1483年]] - [[1485年]]）・[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]に敗北・[[シェークスピア]]劇では悪役&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]（[[1457年]] - [[1509年]]） - イングランド王（在位[[1485年]] - [[1509年]]）・[[薔薇戦争]]に勝利し[[テューダー朝]]を開く&lt;br /&gt;
* [[エリザベス・オブ・ヨーク]]（[[1466年]] - [[1503年]]） - [[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]の娘でヘンリー7世の妻・[[ランカスター家]]と[[ヨーク家]]を結びつける&lt;br /&gt;
* [[トマス・マロリー]]（[[1399年]]頃 - [[1471年]]） - イングランドの作家・伝説をもとに『[[アーサー王の死]]』をまとめる&lt;br /&gt;
* [[ジョン・カボット]]（[[1450年]]頃 - [[1498年]]） - イタリア出身の探検家・ヘンリー7世の特許状で大西洋を渡り[[北アメリカ大陸]]を発見&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 神聖ローマ帝国 ====&lt;br /&gt;
* [[ジギスムント (神聖ローマ皇帝)|ジギスムント]]（[[1368年]] - [[1437年]]） - [[ルクセンブルク家]]の[[神聖ローマ皇帝]]（在位[[1410年]] - [[1437年]]）・コンスタンツ公会議を招集&lt;br /&gt;
* [[トマス・ア・ケンピス]]（[[1380年]] - [[1471年]]） - ドイツ生まれの神秘思想家・聖書に次いで読まれた『[[キリストに倣いて]]』の著者&lt;br /&gt;
* ヨハネス・ニーダー（[[1380年]]頃 - [[1438年]]） - ドイツのドミニコ会士・異端審問や教会刷新で活躍・著作『蟻塚』は魔術の研究としても重要&lt;br /&gt;
* [[ヨハネス・グーテンベルク]]（[[1398年]]頃 - [[1468年]]） - [[ドイツ]]の[[マインツ]]出身の金属加工職人・[[活版印刷]]術を発明&lt;br /&gt;
* [[ニコラウス・クザーヌス]]（[[1401年]] - [[1464年]]） - ドイツの枢機卿・神学者・哲学者・[[フィレンツェ公会議]]で東西教会合同を推進&lt;br /&gt;
* [[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世]]（[[1415年]] - [[1493年]]） - [[ハプスブルク家]]の[[神聖ローマ皇帝]]（在位[[1452年]] - [[1493年]]）・婚姻政策で帝位を世襲化&lt;br /&gt;
* ハインリヒ・クランマー（[[1430年]]頃 - [[1505年]]） - ドイツのドミニコ会士・異端審問官・『[[魔女に与える鉄槌]]』を執筆し[[魔女裁判]]に影響を与える&lt;br /&gt;
* セバスチャン・ブラント（[[1457年]] - [[1521年]]） - ドイツの風刺作家・[[バーゼル大学]]教授・この当時の世相を風刺した『[[阿呆船]]』で知られる&lt;br /&gt;
* [[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]（[[1459年]] - [[1519年]]） - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝（在位[[1493年]] - [[1519年]]）・「中世最後の騎士」と呼ばれる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ローマ教皇・イタリア ====&lt;br /&gt;
* [[マルティヌス5世 (ローマ教皇)|マルティヌス5世]]（[[1368年]] - [[1431年]]） - [[教皇|ローマ教皇]]（在位[[1417年]] - [[1431年]]）・コンスタンツ公会議で選出され[[教会大分裂]]は終結&lt;br /&gt;
* [[フィリッポ・ブルネッレスキ]]（[[1377年]] - [[1436年]]） - [[フィレンツェ共和国|フィレンツェ]]の建築家・[[ルネサンス様式]]の[[フィレンツェ大聖堂]]を建立&lt;br /&gt;
* [[ポッジョ・ブラッチョリーニ]]（[[1380年]] - [[1459年]]） - イタリアの人文主義者・[[ルクレティウス]]をはじめ古代ラテン語文献を発見したことで知られる&lt;br /&gt;
* [[ロレンツォ・ギベルティ]]（[[1381年]]頃 - [[1455年]]） - フィレンツェの彫刻家・金細工師・[[サン・ジョヴァンニ洗礼堂]]門扉の製作競技で優勝する&lt;br /&gt;
* [[ドナテッロ]]（[[1386年]] - [[1466年]]） - フィレンツェの彫刻家・代表作に「ダヴィデ像」「カントリア」「ガッタメラータ像」がある&lt;br /&gt;
* [[コジモ・デ・メディチ]]（[[1389年]] - [[1464年]]） - フィレンツェの銀行家・[[メディチ家]]のフィレンツェ支配を確立・パトロンとしても有名&lt;br /&gt;
* [[フラ・アンジェリコ]]（[[1390年]]/[[1395年]]頃 - [[1455年]]） - フィレンツェの画家・ドミニコ会士でサン・マルコ修道院に所属・｢[[受胎告知]]｣などが有名&lt;br /&gt;
* [[パオロ・ウッチェロ]]（[[1397年]] - [[1475年]]） - フィレンツェの画家・代表作に「サン・ロマーノの戦い」「ジョン・ホークウッド像」がある&lt;br /&gt;
* [[パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ|トスカネリ]]（[[1397年]] - [[1482年]]） - フィレンツェの地理学者・数学者・天文学者・実際よりも小さく[[地球]]の[[周長]]を見積りコロンブスに影響&lt;br /&gt;
* [[フランチェスコ・スフォルツァ]]（[[1401年]] - [[1466年]]） - [[スフォルツァ家]]最初のミラノ公（在位[[1450年]] - [[1466年]]）・ローディの和に協力&lt;br /&gt;
* [[マサッチオ]]（[[1401年]] - [[1428年]]） - フィレンツェの画家・[[遠近法|透視遠近法]]を大成しブランカッチ礼拝堂フレスコ画などを手がける&lt;br /&gt;
* [[レオン・バッティスタ・アルベルティ]]（[[1404年]] - [[1472年]]） - フィレンツェの人文主義者・建築家・他の学芸にも秀で「万能人」の典型とされる&lt;br /&gt;
* [[ピウス2世 (ローマ教皇)|ピウス2世]]（[[1405年]] - [[1464年]]） - ローマ教皇（在位[[1458年]] - [[1464年]]）・もとは[[人文主義者]]・オスマン朝に対する[[十字軍]]提唱&lt;br /&gt;
* [[ロレンツォ・ヴァッラ]]（[[1407年]] - [[1457年]]） - ローマ出身の人文主義者・文献調査から『[[コンスタンティヌスの寄進状]]』を偽書と指摘&lt;br /&gt;
* [[ピエロ・デラ・フランチェスカ]]（[[1412年]] - [[1492年]]） - [[ウルビーノ]]で活躍した画家・[[遠近法]]や[[幾何学]]に優れ代表作に「聖十字架伝説」がある&lt;br /&gt;
* [[フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ]]（[[1422年]] - [[1482年]]） - ウルビーノ公・傭兵隊長・パトロンとしてウルビーノ宮廷で文化を保護育成する&lt;br /&gt;
* [[ジョヴァンニ・ベッリーニ]]（[[1430年]]頃 - [[1516年]]） - [[ヴェネツィア派]]の画家・油彩技法をこの地で拡げる・「[[レオナルド・ロレダン]]の肖像」がある&lt;br /&gt;
* [[アンドレア・マンテーニャ]]（[[1431年]] - [[1506年]]） - [[マントヴァ]]で活躍した画家・遠近法や人体描写に優れ代表作に「死せるキリスト」がある&lt;br /&gt;
* [[マルシリオ・フィチーノ]]（[[1433年]] - [[1499年]]） - フィレンツェの人文主義者・哲学者・神学者・[[プラトン]]の著作を翻訳・代表作は『プラトン神学』&lt;br /&gt;
* [[アンドレア・デル・ヴェロッキオ]]（[[1435年]]頃 - [[1488年]]） - フィレンツェの画家・彫刻家・建築家・[[レオナルド・ダ・ヴィンチ|レオナルド]]の師としても有名&lt;br /&gt;
* [[サンドロ・ボッティチェッリ]]（[[1445年]]? - [[1510年]]） - フィレンツェ出身の画家でルネサンスを代表する「[[プリマヴェーラ|春]]」「[[ヴィーナスの誕生]]」を描く&lt;br /&gt;
* [[ロレンツォ・デ・メディチ]]（イル・マニフィコ）（[[1449年]] - [[1492年]]） - フィレンツェの銀行家・[[コジモ・デ・メディチ|コジモ]]の孫・事実上のフィレンツェの[[僭主]]&lt;br /&gt;
* [[ジロラモ・サヴォナローラ]]（[[1452年]] - [[1498年]]） - フィレンツェの修道院長・メディチ家が失脚してフィレンツェを支配・火刑に処される&lt;br /&gt;
* [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]（[[1452年]] - [[1519年]]） - フィレンツェの画家・[[彫刻家]]・[[建築家]]など「万能の天才」・「[[モナリザ]]」他がある&lt;br /&gt;
* [[ピコ・デラ・ミランドラ]]（[[1463年]] - [[1494年]]） - フィレンツェの[[プラトン・アカデミー]]の中心人物・『人間の尊厳について』を著す&lt;br /&gt;
* [[ミケランジェロ・ブオナローティ|ミケランジェロ]]（[[1475年]] - [[1564年]]） - フィレンツェの画家・彫刻家・「ダヴィデ像」「ピエタ」・「最後の審判」などの作品で知られる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イベリア半島 ====&lt;br /&gt;
* [[エンリケ航海王子]]（[[1394年]] - [[1460年]]） - [[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]の王子・航海者の育成を支援し[[大航海時代]]を準備する&lt;br /&gt;
* [[トマス・デ・トルケマダ]]（[[1420年]] - [[1498年]]） - スペインの[[異端審問]]所長官・[[ドミニコ会]]士・[[カトリック両王]]に仕え激しい異端審問を行う&lt;br /&gt;
* [[バルトロメウ・ディアス]]（[[1450年]]頃 - [[1500年]]） - ポルトガルの航海者でヨーロッパ人として初めて[[喜望峰]]に到達した&lt;br /&gt;
* [[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]（[[1451年]] - [[1504年]]） - [[トラスタマラ家]]の[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]女王（在位[[1474年]] - [[1504年]]）・夫[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド]]との結婚で[[スペイン王国]]成立&lt;br /&gt;
* [[クリストファー・コロンブス]]（[[1451年]]頃 - [[1506年]]） - [[ジェノヴァ]]出身の探検家・[[スペイン]]王の支援でいわゆる「[[アメリカ大陸]]を発見」&lt;br /&gt;
* [[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]（[[1452年]] - [[1516年]]） - [[トラスタマラ家]]の[[アラゴン王国|アラゴン王]]（在位[[1479年]] - [[1516年]]）・妻[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル]]との結婚で[[スペイン|スペイン王国]]成立&lt;br /&gt;
* [[ディオゴ・カン]]（[[1452年]]頃 - [[1486年]]頃） - ポルトガルの航海者・コンゴ川を遡り[[コンゴ王国]]との通商を始める・現[[ナミビア]]にまで到達したか&lt;br /&gt;
* [[ジョアン2世 (ポルトガル王)|ジョアン2世]]（無欠王）（[[1455年]] - [[1495年]]） - [[アヴィス王朝|アヴィス朝]]のポルトガル王（在位[[1481年]]  -[[1495年]]）・ポルトガル最盛期の王&lt;br /&gt;
* [[ペドロ・アルヴァレス・カブラル]]（[[1467年]]/[[1468年]] - [[1520年]]） - ポルトガルの航海者・探検家・ヨーロッパ人で初めて[[ブラジル]]に到着&lt;br /&gt;
* [[ヴァスコ・ダ・ガマ]]（[[1469年]]頃 - [[1524年]]） - ポルトガルの航海者・探検家・[[喜望峰]]を経て[[インド洋]]から[[インド]]（[[カリカット]]）に到着&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 東ローマ帝国 ====&lt;br /&gt;
* [[ゲオルギオス・ゲミストス・プレトン]]（[[1360年]]？ - [[1452年]]） - 東ローマ帝国末期の[[プラトン]]学者・「[[パレオロゴス朝ルネサンス]]」を代表する&lt;br /&gt;
* [[ヨハンネス・ベッサリオン]]（[[1399年]]？ - [[1472年]]） - 東ローマ帝国から亡命した[[人文主義者]]・[[正教会]]から[[カトリック教会|カトリック]]に転じ枢機卿となる&lt;br /&gt;
* [[コンスタンティノス11世]]（[[1409年]] - [[1453年]]） - [[東ローマ帝国]]最後の皇帝（在位[[1448年]] - [[1453年]]）・オスマン朝との[[コンスタンティノープルの陥落|帝都攻防戦]]で戦死&lt;br /&gt;
* [[ゲンナディオス2世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|ゲンナディオス2世]]（[[1400年]] - [[1468年]]？） - 東ローマ帝国滅亡後で最初のコンスタンティノポリス総主教・東西教会合同には反対&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 東欧 ====&lt;br /&gt;
* [[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ2世]]（[[1351年]] - [[1434年]]） - [[ヤギェウォ朝]]の君主・[[タンネンベルクの戦い (1410年)|タンネンベルクの戦い]]で[[ドイツ騎士団]]に勝利&lt;br /&gt;
* [[ヤン・フス]]（[[1369年]] - [[1415年]]） - [[ベーメン]]の[[カレル大学]]学長・[[宗教改革]]の先駆者とされる・コンスタンツ公会議で火刑に処される&lt;br /&gt;
* [[ヤン・ジシュカ]]（[[1374年]] - [[1424年]]） - ベーメンの軍人・ターボル派（急進フス支持派）を率い[[フス戦争]]で活躍する&lt;br /&gt;
* [[スカンデルベグ]]（[[1405年]] - [[1468年]]） - [[アルバニア]]の君主・オスマン帝国に一時臣従するも反逆・アルバニアの民族的英雄&lt;br /&gt;
* [[フニャディ・ヤーノシュ]]（[[1409年]]？ - [[1456年]]） - [[ハンガリー]]の政治家（摂政）・オスマン帝国とたびたび交戦・[[ヴァルナの戦い]]では敗北 &lt;br /&gt;
* [[ヴラド・ツェペシュ]]（[[1431年]] - [[1476年]]） - [[ルーマニア]]の[[ワラキア]]公・通称ドラキュラ公または串刺し公・トルコから国を救った英雄&lt;br /&gt;
* [[マーチャーシュ1世]]（正義王）（[[1443年]] - [[1490年]]） - ハンガリー王（在位[[1458年]] - [[1490年]]）・[[ルネサンス]]文化をハンガリーに広げる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ロシア ====&lt;br /&gt;
* [[アンドレイ・ルブリョフ]]（[[1360年]]頃 - [[1430年]]） - ロシアの修道士・モスクワ派（ルブリョフ派）のイコン画家・代表作に「[[至聖三者]]」がある&lt;br /&gt;
* イシドール（[[1385年]]頃 - [[1464年]]） - モスクワ府主教・ギリシア人・フィレンツェ公会議に出席し東西教会合同宣言に署名・後に追放される&lt;br /&gt;
* [[イヴァン3世]]（[[1440年]] - [[1505年]]） - [[モスクワ大公]]（在位[[1462年]] - [[1505年]]）・[[ゾイ・パレオロギナ]]と結婚し「[[ツァーリ]]」の称号を用いる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== イスラム世界 ===&lt;br /&gt;
* [[ティムール]]（[[1336年]] - [[1405年]]） - 中央アジアの征服者で[[ティムール朝]]の建設者（在位[[1370年]] - [[1405年]]）・[[アンカラの戦い]]で勝利&lt;br /&gt;
* [[ルイ・ゴンザレス・デ・クラビホ]]（？ - [[1412年]]） - カスティリャ王エンリケ3世がティムール朝へ派遣した外交官・『ティムール帝国紀行』を残す&lt;br /&gt;
* ムハンマド・イブン・ムハンマド・アル・ナフザウィ（活躍時期[[1410年]] - [[1434年]]） - [[ハフス朝]]に仕えた文筆家・性愛文学『[[匂える園]]』を残す&lt;br /&gt;
* [[ヒズル・ハーン]]（？ - [[1421年]]） - [[サイイド朝]]の初代君主（在位[[1414年]] - [[1421年]]）・もともとはティムール朝に仕えた軍人&lt;br /&gt;
* カラ・ユースフ（？ - [[1420年]]）- [[アナトリア半島|アナトリア]]の[[黒羊朝]]（カラ・コユンル朝）の第3代君主（在位[[1389年]]/[[1390年]] - [[1400年]]、[[1406年]] - [[1420年]]） &lt;br /&gt;
* [[カラ・ユルク・オスマン]]（？ - [[1435年]]） - アナトリアの[[白羊朝]]（アク・コユンル朝）の初代君主（在位[[1378年]] - [[1435年]]）&lt;br /&gt;
* [[アル＝マクリーズィー]]（[[1364年]]頃 - [[1435年]]） - マムルーク朝の地理歴史学者。『エジプト地誌』『エジプト社会救済の書』などがある&lt;br /&gt;
* [[シャー・ルフ]]（[[1377年]] - [[1447年]]） - ティムール朝の第3代君主（在位[[1409年]] - [[1447年]]）・[[サマルカンド]]から[[ヘラート]]に都を遷す&lt;br /&gt;
* ハーフェズ・アブルー（？ - [[1430年]]） - ティムール朝の[[シャー・ルフ]]に命じられ『歴史集成』を撰述&lt;br /&gt;
* [[アシュラフ・バルスバーイ]]（？ - [[1438年]]） - [[マムルーク朝]]の[[スルターン]]（在位[[1422年]] - [[1438年]]）・マムルーク朝の中興の祖&lt;br /&gt;
* [[ウルグ・ベク]]（[[1394年]] - [[1449年]]） - ティムール朝の第4代君主（在位[[1447年]] - [[1449年]]）・天文学者・歴史家としても知られる&lt;br /&gt;
* [[ムラト2世]]（[[1404年]] - [[1451年]]） - [[オスマン帝国|オスマン朝]]の第6代スルタン（在位[[1421年]] - [[1444年]]、[[1446年]] - [[1451年]]）・[[ヴァルナの戦い]]で勝利&lt;br /&gt;
* [[ジャーミー]]（[[1414年]] - [[1492年]]） - ヘラートで活躍した神秘主義詩人・ペルシア語の恋愛詩「ユースフとズライハ」などの作品で知られる&lt;br /&gt;
* [[ウズン・ハサン]]（[[1423年]] - [[1478年]]） - 白羊朝の君主（在位[[1453年]] - [[1478年]]）・黒羊朝を滅ぼしイラン西部まで領土を拡大&lt;br /&gt;
* [[アブー・サイード (ティムール朝)|アブー・サイード]]（[[1424年]] - [[1469年]]） - ティムール朝の第7代君主（在位[[1451年]] - [[1469年]]）・ティムール朝再統一・[[バーブル]]の祖父&lt;br /&gt;
* [[メフメト2世]]（征服王）（[[1432年]] - [[1481年]]） - オスマン朝のスルタン（在位[[1451年]] - [[1481年]]）・[[東ローマ帝国]]を滅ぼしバルカンを平定&lt;br /&gt;
* [[バフルール・ローディー]]（？ - [[1489年]]） - [[ローディー朝]]の初代君主（在位[[1451年]] - [[1489年]]）・アフガン系ローディー族の[[サルダール]]（指導者）&lt;br /&gt;
* ミールホーンド（[[1433年]] - [[1498年]]） - ティムール朝の歴史家・天地創造からティムール朝までの歴史書『[[清浄の園]]』を著す&lt;br /&gt;
* [[フサイン・バイカラ]]（[[1438年]] - [[1506年]]） - ティムール朝[[ヘラート]]政権の君主（在位[[1470年]] - [[1506年]]）・最盛期の君主&lt;br /&gt;
* [[ミール・アリー・シール・ナヴァーイー]]（[[1441年]] - [[1501年]]） - ティムール朝の政治家・詩集『諸思想の宝庫』や思想書『敬虔な信者の困惑』がある&lt;br /&gt;
* [[ボアブディル]]（ムハンマド12世）（[[1460年]]？ - [[1527年]]） - [[ナスル朝]]（[[グラナダ王国]]）の最後の君主（在位[[1482年]] - [[1492年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 南アジア ===&lt;br /&gt;
* [[ラーマーナンダ]]（[[1400年]]頃 - [[1470年]]頃） - インドの宗教家・[[ワーラーナシー]]で活躍し[[カースト制度]]を否定・[[カビール]]に影響を与える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東南アジア ===&lt;br /&gt;
* パラメスワラ（？ - [[1414年]]） - マラッカ王国の初代国王（在位[[1402年]] - [[1414年]]）・もとはシュリーヴィジャヤ王国の王子 &lt;br /&gt;
* [[ボーロマトライローカナート]]（[[1431年]] - [[1488年]]） - タイのアユタヤ朝の国王（在位[[1448年]] - [[1488年]]）・[[サックディナー制度]]を完成させる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東アジア ===&lt;br /&gt;
==== 明 ====&lt;br /&gt;
* [[姚広孝]]（[[1335年]] - [[1418年]]） - [[明]]の政治家・軍師・法名は道衍・[[靖難の変]]で永楽帝に挙兵を進言・第一の功臣とされる&lt;br /&gt;
* [[永楽帝]]（[[1360年]] - [[1424年]]） - 明の第3代皇帝（成祖）（在位[[1402年]] - [[1424年]]）・靖難の変に勝利し[[北京]]に都を遷す&lt;br /&gt;
* 楊士奇（[[1365年]] - [[1444年]]） - 明の政治家・[[洪熙帝]]と[[宣徳帝]]の治世（[[仁宣の治]]）を支えた「三楊」の一人（他に楊栄・楊溥） &lt;br /&gt;
* [[陳誠 (明朝)|陳誠]]（[[1365年]] - [[1457年]]） - 明の外交官・探検家・陸路からティムール朝を訪れその記録を『[[西域番国志]]』に残す&lt;br /&gt;
* [[鄭和]]（[[1371年]] - [[1434年]]） - 明の[[宦官]]（太監）・探検家・永楽帝の命で南海大遠征を指揮し東南アジア・インド・アラビアなどに赴く&lt;br /&gt;
* 亦失哈（イシハ）（生没年不詳） - 明の宦官（女真族）・探検家・[[黒竜江]]流域に赴き奴児干都司を設置・石碑「奴児干永寧寺碑記」が残る&lt;br /&gt;
* [[朱高煦]]（[[1380年]] - [[1426年]]） - 明の皇族（漢王）・永楽帝の子で洪熙帝の弟・甥の宣徳帝から帝位簒奪を謀るが失敗し処刑される&lt;br /&gt;
* [[宣徳帝]]（[[1398年]] - [[1435年]]） - 明の第5代皇帝（在位[[1425年]] - [[1435年]]）・その治世が[[仁宣の治]]・[[鄭和]]の最後の南海大遠征を派遣&lt;br /&gt;
* [[于謙]]（[[1398年]] - [[1457年]]） - 明の政治家・[[土木の変]]で[[正統帝]]が捕虜になると弟の[[景泰帝]]を擁立し[[北京]]に迫った[[オイラト]]軍を撃退&lt;br /&gt;
* [[王振]]（？ - [[1449年]]） - 明の[[宦官]]・正統帝の教育係としてオイラト遠征を勧め土木の変にて戦死する&lt;br /&gt;
* 鄧茂七（？ - [[1449年]]） - 明の農民反乱指導者・[[福建省]]で小作料や徭役の減免を要求して蜂起（抗租）・[[曹吉祥]]の軍に鎮圧される&lt;br /&gt;
* [[曹吉祥]]（？ - [[1461年]]） - 明の宦官・石亨と共謀して[[奪門の変]]を起こし天順帝を重祚させる・于謙らも粛清し権勢を誇るが処刑される&lt;br /&gt;
* [[李賢 (明)|李賢]]（[[1408年]] - [[1466年]]） - 明の政治家・奪門の変で権勢を振るった石亨や曹吉祥を倒し天順帝の信任を得る&lt;br /&gt;
* [[英宗 (明)|正統・天順帝]]（[[1427年]] - [[1464年]]） - 明の第6代・第8代皇帝（英宗）（在位[[1435年]] - [[1449年]]、[[1457年]] - [[1464年]]）&lt;br /&gt;
* [[沈周]]（[[1427年]] - [[1509年]]） - 明の[[文人]]・画家で[[呉派]]の中心人物・[[唐寅]]や[[祝允明]]や[[文徴明]]らは弟子&lt;br /&gt;
* [[万貴妃]]（[[1430年]] - [[1487年]]） -  明の第9代皇帝[[成化帝]]の寵姫・後宮を支配し皇帝の後継者問題に容喙した&lt;br /&gt;
* [[弘治帝]]（[[1470年]] - [[1505年]]） -  明の第10代皇帝（在位[[1487年]] - [[1505年]]）・先帝までの弊を改め明の[[中興の祖]]と呼ばれる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 大越 ====&lt;br /&gt;
* [[黎利]]（[[1385年]] - [[1433年]]） - [[ベトナム]]（大越国）の[[後黎朝]]の初代皇帝（太祖）（在位[[1428年]] - [[1433年]]）・明から独立を果たす&lt;br /&gt;
* [[黎聖宗]]（[[1442年]] - [[1497年]]） -  ベトナム（大越国）の後黎朝の第5代皇帝（在位[[1460年]] - [[1497年]]）・[[チャンパ]]を屈服させ「光順中興」を現出&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== モンゴル ====&lt;br /&gt;
* [[エセン・ハーン]]（？ - [[1454年]]） - [[オイラト]]部の部族長・土木の変で明の正統帝を捕虜とする・後にハーンとなるが反対が多く殺される&lt;br /&gt;
* [[ダヤン・ハーン]]（[[1464年]] - [[1524年]]） - [[モンゴル]]のハーン・長らく分裂状態にあったモンゴル諸部を再統一&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 朝鮮 ====&lt;br /&gt;
* 宋希璟（[[1376年]] - [[1446年]]） - [[李氏朝鮮]]の官僚・[[応永の外寇]]の処理のため派遣され来日・『老松堂日本行録』がある&lt;br /&gt;
* [[世宗 (朝鮮王)|世宗]]（大王）（[[1397年]] - [[1450年]]） - 李氏朝鮮の第4代国王（在位[[1418年]] - [[1450年]]）・[[ハングル]]（[[訓民正音]]）を制定する&lt;br /&gt;
* [[世祖 (朝鮮王)|世祖]]（[[1417年]] - [[1468年]]） - 李氏朝鮮の第7代国王（在位[[1455年]] - [[1468年]]）・[[癸酉靖難]]後に甥の[[端宗 (朝鮮王)|端宗]]を倒し即位する&lt;br /&gt;
* [[申叔舟]]（[[1417年]] - [[1475年]]） - 李氏朝鮮の官僚・癸酉靖難では首陽大君（世祖）に協力・来日した記録に『[[海東諸国紀]]』がある&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
* [[満済]]（[[1378年]] - [[1435年]]） - [[真言宗]]の僧・[[醍醐寺]]中興の祖・[[准后]]として将軍[[足利義教]]の選出に尽力&lt;br /&gt;
* [[赤松満祐]]（[[1381年]]？ - [[1441年]]） - [[守護大名]]・[[嘉吉の乱]]で将軍足利義教を暗殺・幕府軍に追討され自殺&lt;br /&gt;
* [[正徹]]（[[1381年]] - [[1459年]]） - 臨済宗の僧・歌人であり古典学者・『[[正徹物語]]』がある&lt;br /&gt;
* [[上杉禅秀]]（？ - [[1417年]]） - 室町時代[[関東管領]]・[[鎌倉公方]][[足利持氏]]と対立し反乱を起こすが鎮圧される（[[上杉禅秀の乱]]）&lt;br /&gt;
* [[足利義持]]（[[1386年]] - [[1428年]]） - [[室町幕府]]第4代将軍（在任[[1394年]] - [[1423年]]）・父の[[足利義満]]の政策を否定&lt;br /&gt;
* [[善阿弥]]（[[1386年]]？ - [[1482年]]？） - 庭師・[[河原者]]という身分ながら将軍[[足利義政]]に重用される・[[花の御所]]庭園などを造営&lt;br /&gt;
* [[瑞渓周鳳]]（[[1392年]] - [[1473年]]） - 臨済宗五山派の禅僧・[[相国寺]]住持・外交に関与し日本初の外交資料集『[[善隣国宝記]]』を編纂&lt;br /&gt;
* [[足利義教]]（[[1394年]] - [[1441年]]） - 室町幕府第6代将軍（在任[[1429年]] - [[1441年]]）・「万人恐怖」と呼ばれる強権政治を行う&lt;br /&gt;
* [[一休宗純]]（[[1394年]] - [[1481年]]） - [[臨済宗]][[大徳寺]]派の禅僧・漢詩人として『[[狂雲集]]』がある・[[一休さん]]の[[頓智話|頓知話]]でも知られる&lt;br /&gt;
* [[能阿弥]]（[[1397年]] - [[1471年]]） - 室町幕府の同朋衆・水墨画家・鑑定家として[[東山御物]]を選定・子に芸阿弥・孫に相阿弥がいる&lt;br /&gt;
* [[周文]]（生没年不詳） - [[水墨画]]家・禅僧・「水色巒光図」「竹斎読書図」が残る&lt;br /&gt;
* [[如拙]]（生没年不詳） - 水墨画家・禅僧・将軍[[足利義持]]の命で書いた「[[瓢鮎図]]」が残る&lt;br /&gt;
* [[足利持氏]]（[[1398年]] - [[1439年]]） - 室町幕府の[[鎌倉公方]]・[[永享の乱]]で室町将軍と対立し滅ぼされる&lt;br /&gt;
* [[一条兼良]]（[[1402年]] - [[1481年]]） - [[公卿]]・[[摂政]]・[[関白]]・古典学者で『[[花鳥余情]]』などの著者&lt;br /&gt;
* [[結城氏朝]]（[[1402年]] - [[1441年]]） - 守護大名・永享の乱後に足利持氏の遺児を擁して幕府と戦う（[[結城合戦]]）&lt;br /&gt;
* [[山名宗全]]（[[1404年]] - [[1473年]]） - 室町幕府[[侍所]]頭人・守護大名・[[応仁の乱]]では西軍の総大将を務める&lt;br /&gt;
* [[日親]]（[[1407年]] - [[1488年]]） - 日蓮宗の僧・京都[[本法寺 (京都市)|本法寺]]開山・将軍足利義教に拷問を受けた「鍋かぶり日親」の話が有名&lt;br /&gt;
* [[足利義量]]（[[1407年]] - [[1425年]]） - 室町幕府第5代将軍（在任[[1423年]] - [[1425年]]）&lt;br /&gt;
* [[上杉憲実]]（[[1410年]]？ - [[1466年]]？） - 室町幕府[[関東管領]]・[[鎌倉公方]][[足利持氏]]と対立・[[足利学校]]を再興&lt;br /&gt;
* [[蓮如]]（[[1415年]] - [[1499年]]） - [[本願寺]]第8世・北陸地方で信者を開拓し[[一向一揆]]を指導する&lt;br /&gt;
* [[雪舟等楊]]（[[1420年]] - [[1506年]]？） - 水墨画家・禅僧・渡明して技法を学ぶ・「秋冬山水図」や「天橋立図」で知られる &lt;br /&gt;
* [[宗祇]]（[[1421年]] - [[1502年]]） - [[連歌]]師・[[東常縁]]より[[古今伝授]]を受ける・『[[新撰菟玖波集]]』を撰集&lt;br /&gt;
* [[村田珠光]]（[[1422年]]/[[1423年]] - [[1502年]]） - [[茶人]]・[[一休宗純]]に参禅・[[唐物]]を賞玩する茶を否定し[[わび茶]]を創始&lt;br /&gt;
* [[池坊専慶]]（活躍時期[[1457年]]頃 - [[1466年]]頃） - 京都[[頂法寺]]（六角堂）の僧・[[池坊]][[華道]]の元祖とされ『[[碧山日録]]』に記録が残る&lt;br /&gt;
* [[朝倉孝景 (7代当主)|朝倉孝景]]（[[1428年]] - [[1481年]]） - 守護大名・[[斯波義廉]]と組んで応仁の乱では西軍に属すが後に裏切る&lt;br /&gt;
* [[日野勝光]]（[[1429年]] - [[1476年]]） - 公卿（左大臣）・妹に日野富子がおり足利義尚は甥・「押大臣」と呼ばれ権勢を誇った&lt;br /&gt;
* [[細川勝元]]（[[1430年]] - [[1473年]]） - 室町幕府[[管領]]・守護大名・応仁の乱では東軍の総大将を務める&lt;br /&gt;
* [[骨皮道賢]]（？ - [[1468年]]） - [[足軽]]大将・応仁の乱では[[細川勝元]]の東軍に属す・略奪放火を繰り返し乱の被害を拡大させる&lt;br /&gt;
* [[太田道灌]]（[[1432年]] - [[1486年]]） - 関東管領上杉氏の一族（[[扇谷上杉家]]）の家宰・[[江戸城]]を築く&lt;br /&gt;
* [[足利義勝]]（[[1434年]] - [[1443年]]） - 室町幕府第7代将軍（在任[[1442年]] - [[1443年]]）&lt;br /&gt;
* [[狩野正信]]（[[1434年]]？ - [[1530年]]？） - 室町幕府[[御用絵師]]・[[狩野派]]の祖・「周茂叔愛蓮図」などがある&lt;br /&gt;
* [[斯波義敏]]（[[1435年]] - [[1508年]]） - 守護大名・[[武衛騒動]]で[[斯波義廉]]と家督を争う・後に応仁の乱では東軍に属す&lt;br /&gt;
* [[吉田兼倶]]（[[1435年]] - [[1511年]]） - 神道家・[[吉田神道]]（唯一神道）の事実上の創始者として全国の神社を統括・著作に『[[神道大意]]』ほか&lt;br /&gt;
* [[足利義政]]（[[1436年]] - [[1490年]]） - 室町幕府第8代将軍（在任[[1449年]] - [[1473年]]）・[[東山文化]]を代表する[[慈照寺]]銀閣を建てる&lt;br /&gt;
* [[足利成氏]]（[[1438年]] - [[1497年]]） - 室町幕府の[[鎌倉公方]]・足利持氏の遺児・[[享徳の乱]]で鎌倉を出奔し初代[[古河公方]]となる&lt;br /&gt;
* [[足利義視]]（[[1439年]] - [[1491年]]） -  足利義政の弟で将軍候補の一人・後に子の[[足利義稙]]が10代将軍となる&lt;br /&gt;
* [[日野富子]]（[[1440年]] - [[1496年]]） - 足利義政の正室・将軍後継をめぐり実子の[[足利義尚]]を推し応仁の乱の原因をなす&lt;br /&gt;
* [[畠山政長]]（[[1442年]] - [[1493年]]） - 守護大名・室町幕府管領・応仁の乱では東軍に属す・[[畠山義就]]との家督争いから[[山城国一揆]]を招く&lt;br /&gt;
* [[真盛]]（[[1443年]] - [[1495年]]） - 天台宗の僧・天台宗真盛派の祖・[[近江国|近江]][[西教寺]]を再興する・諡号は慈摂大師&lt;br /&gt;
* [[大内政弘]]（[[1446年]] - [[1495年]]） - 守護大名・応仁の乱では西軍に属し動向を左右する・本拠地[[山口市|山口]]で[[大内文化]]を育む&lt;br /&gt;
* [[三条西実隆]]（[[1455年]] - [[1537年]]） - 公卿・[[内大臣]]・[[宗祇]]から[[古今伝授]]を受ける・『[[実隆公記]]』を残す&lt;br /&gt;
* [[足利義尚]]（[[1465年]] - [[1489年]]） - 室町幕府第9代将軍（在任[[1473年]] - [[1489年]]）・[[六角征伐]]の[[鈎の陣]]で病没&lt;br /&gt;
* [[足利義稙]]（[[1466年]] - [[1523年]]） - 室町幕府第10代将軍（在任[[1490年]] - [[1493年]]、[[1508年]] - [[1521年]]）・通称「流れ公方」&lt;br /&gt;
* [[足利義澄]]（[[1480年]] - [[1511年]]） - 室町幕府第11代将軍（在任[[1493年]] - [[1508年]]）・[[明応の政変]]で擁立される&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フィクションのできごと ==&lt;br /&gt;
* [[1482年]] - パリの[[ノートルダム大聖堂]][[助祭]]長フロロが[[ジプシー]]の踊り子エスメラルダを魔女裁判で処刑。大聖堂の鐘つきカジモドがそれに反発しフロロを殺害する（[[ヴィクトル・ユーゴー]]『[[ノートルダム・ド・パリ]]』）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 10年紀と各年 ==&lt;br /&gt;
: &lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1400年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1400年|1400]] || [[1401年|1401]]&lt;br /&gt;
| [[1402年|1402]] || [[1403年|1403]]&lt;br /&gt;
| [[1404年|1404]] || [[1405年|1405]] || [[1406年|1406]]&lt;br /&gt;
| [[1407年|1407]] || [[1408年|1408]] || [[1409年|1409]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1410年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1410年|1410]] || [[1411年|1411]]&lt;br /&gt;
| [[1412年|1412]] || [[1413年|1413]]&lt;br /&gt;
| [[1414年|1414]] || [[1415年|1415]] || [[1416年|1416]]&lt;br /&gt;
| [[1417年|1417]] || [[1418年|1418]] || [[1419年|1419]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1420年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1420年|1420]] || [[1421年|1421]]&lt;br /&gt;
| [[1422年|1422]] || [[1423年|1423]]&lt;br /&gt;
| [[1424年|1424]] || [[1425年|1425]] || [[1426年|1426]]&lt;br /&gt;
| [[1427年|1427]] || [[1428年|1428]] || [[1429年|1429]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1430年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1430年|1430]] || [[1431年|1431]]&lt;br /&gt;
| [[1432年|1432]] || [[1433年|1433]]&lt;br /&gt;
| [[1434年|1434]] || [[1435年|1435]] || [[1436年|1436]]&lt;br /&gt;
| [[1437年|1437]] || [[1438年|1438]] || [[1439年|1439]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1440年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1440年|1440]] || [[1441年|1441]]&lt;br /&gt;
| [[1442年|1442]] || [[1443年|1443]]&lt;br /&gt;
| [[1444年|1444]] || [[1445年|1445]] || [[1446年|1446]]&lt;br /&gt;
| [[1447年|1447]] || [[1448年|1448]] || [[1449年|1449]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1450年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1450年|1450]] || [[1451年|1451]]&lt;br /&gt;
| [[1452年|1452]] || [[1453年|1453]]&lt;br /&gt;
| [[1454年|1454]] || [[1455年|1455]] || [[1456年|1456]]&lt;br /&gt;
| [[1457年|1457]] || [[1458年|1458]] || [[1459年|1459]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1460年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1460年|1460]] || [[1461年|1461]]&lt;br /&gt;
| [[1462年|1462]] || [[1463年|1463]]&lt;br /&gt;
| [[1464年|1464]] || [[1465年|1465]] || [[1466年|1466]]&lt;br /&gt;
| [[1467年|1467]] || [[1468年|1468]] || [[1469年|1469]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1470年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1470年|1470]] || [[1471年|1471]]&lt;br /&gt;
| [[1472年|1472]] || [[1473年|1473]]&lt;br /&gt;
| [[1474年|1474]] || [[1475年|1475]] || [[1476年|1476]]&lt;br /&gt;
| [[1477年|1477]] || [[1478年|1478]] || [[1479年|1479]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1480年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1480年|1480]] || [[1481年|1481]]&lt;br /&gt;
| [[1482年|1482]] || [[1483年|1483]]&lt;br /&gt;
| [[1484年|1484]] || [[1485年|1485]] || [[1486年|1486]]&lt;br /&gt;
| [[1487年|1487]] || [[1488年|1488]] || [[1489年|1489]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1490年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1490年|1490]] || [[1491年|1491]]&lt;br /&gt;
| [[1492年|1492]] || [[1493年|1493]]&lt;br /&gt;
| [[1494年|1494]] || [[1495年|1495]] || [[1496年|1496]]&lt;br /&gt;
| [[1497年|1497]] || [[1498年|1498]] || [[1499年|1499]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1500年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1500年|1500]] || [[1501年|1501]]&lt;br /&gt;
| [[1502年|1502]] || [[1503年|1503]]&lt;br /&gt;
| [[1504年|1504]] || [[1505年|1505]] || [[1506年|1506]]&lt;br /&gt;
| [[1507年|1507]] || [[1508年|1508]] || [[1509年|1509]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:15世紀|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>111.87.58.207</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D2%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=8989</id>
		<title>紀元前2世紀</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D2%E4%B8%96%E7%B4%80&amp;diff=8989"/>
		<updated>2014-08-15T10:56:45Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;111.87.58.207: /* 中国と周辺諸国 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{出典の明記|date=2013年5月}}&lt;br /&gt;
{| class=&amp;quot;infobox&amp;quot; style=&amp;quot;font-size:80%&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;right&amp;quot; | &#039;&#039;&#039;[[ミレニアム|千年紀]]:&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;center&amp;quot; | &#039;&#039;&#039;[[紀元前1千年紀]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
|- style=&amp;quot;background-color:#f3f3f3&amp;quot;&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;right&amp;quot; | &#039;&#039;&#039;[[世紀]]:&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;center&amp;quot; | [[紀元前3世紀]] - [[{{PAGENAME}}]] - [[紀元前1世紀]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;right&amp;quot; | &#039;&#039;&#039;[[10年紀]]:&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| align=&amp;quot;center&amp;quot; | [[紀元前190年代]] [[紀元前180年代]] [[紀元前170年代]] [[紀元前160年代]] [[紀元前150年代]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[紀元前140年代]] [[紀元前130年代]] [[紀元前120年代]] [[紀元前110年代]] [[紀元前100年代]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Image:Zhang Qian.jpg|thumb|300px|[[前漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]の命により[[月氏|大月氏]]へと赴く[[張騫]]使節団。[[西域]]との交流と、いわゆる[[シルクロード]]（絲綢之路）の発展を促す。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Pergamonmuseum Pergamonaltar.jpg|thumb|300px|ペルガモンのゼウス大祭壇。ドイツの発掘調査と遺物の移送により「神々と巨人族との戦い（ギガントマキア）」の浮彫を含む往時の姿が[[ベルリン]]の[[ペルガモン博物館]]で再現されている。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;紀元前2世紀&#039;&#039;&#039;（きげんぜんにせいき）とは、[[紀元前200年]]から[[紀元前101年]]までの100年間を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
===東アジア===&lt;br /&gt;
* 紀元前200年 - [[匈奴]]の[[冒頓単于]]が[[前漢]]の[[劉邦]]を破る。&lt;br /&gt;
* 紀元前195年 - 前漢で[[恵帝 (漢)|恵帝]]が即位（- [[紀元前188年]]）。[[呂雉|呂后]]の専横が始まる。&lt;br /&gt;
* 紀元前195年 - 燕の[[衛満]]が[[箕子朝鮮]]を滅ぼし、[[衛氏朝鮮]]を建てる。（-[[108年]]）&lt;br /&gt;
* 紀元前180年 - 前漢で呂后死去。呂氏一族が誅殺され、[[文帝 (漢)|文帝]]が即位（- [[紀元前157年]]）&lt;br /&gt;
* 紀元前157年 - 前漢で[[景帝 (漢)|景帝]]が即位（- [[紀元前141年]]）&lt;br /&gt;
* 紀元前154年 - 前漢で[[呉楚七国の乱]]。&lt;br /&gt;
* 紀元前141年 - 前漢で[[武帝 (漢)|武帝]]が即位（- [[紀元前87年]]）&lt;br /&gt;
* 紀元前139年 - 前漢の[[張騫]]が[[月氏|大月氏]]に派遣される。&lt;br /&gt;
* 紀元前136年 - 前漢は[[五経博士]]を置き[[儒教]]を重用する。&lt;br /&gt;
* 紀元前121年 - 河西の匈奴が前漢の[[霍去病]]に討たれる。&lt;br /&gt;
* 紀元前111年 - 前漢の武帝が[[南越]]を滅ぼす。&lt;br /&gt;
* 紀元前110年 - 前漢の武帝が[[泰山]]で[[封禅]]の儀を執行する。&lt;br /&gt;
* 紀元前108年 - 前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼし[[楽浪郡]]・[[真番郡]]・[[臨屯郡]]・[[玄菟郡]]の[[漢四郡]]を設置する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===地中海世界===&lt;br /&gt;
* 紀元前200 - 190年頃 - [[ヘレニズム時代]]の彫刻「[[サモトラケのニケ]]（[[ルーブル美術館]]蔵）」が作られたか。&lt;br /&gt;
* 紀元前192年 - [[共和政ローマ]]と[[セレウコス朝]]の[[アンティオコス3世]]が[[ローマ・シリア戦争|戦争]]（‐紀元前188年）。&lt;br /&gt;
* 紀元前190年 - [[バクトリア]]が西北インドに進出。 &lt;br /&gt;
* 紀元前188年 - アパメアの和約。セレウコス朝、ヨーロッパから撤退する。&lt;br /&gt;
* 紀元前167年頃 - [[ユダ・マカバイ]]が[[エルサレム神殿]]を回復。ハスモン王家によるユダヤ支配のはじまり。&lt;br /&gt;
* 紀元前150 - 100年頃 - ギリシアで[[アンティキティラ島の機械]]が製作される。現在確認できる世界最古の歯車式[[アナログコンピュータ]]。&lt;br /&gt;
* 紀元前148年 - ローマが[[マケドニア属州|マケドニア]]を属州にする。&lt;br /&gt;
* 紀元前146年 - [[第3次ポエニ戦争]]により[[カルタゴ]]がローマに滅ぼされる。&lt;br /&gt;
* 紀元前146年 - [[コリントスの戦い]]により[[コリントス]]がローマに滅ぼされる。[[古代ギリシア|ギリシア]]各都市は属州アカエアに編入される。&lt;br /&gt;
* 紀元前130 - 100年頃 - ヘレニズム時代の彫刻「[[ミロのヴィーナス]]（ルーブル美術館蔵）」が作られたか。&lt;br /&gt;
* 紀元前133年 - ローマで[[ティベリウス・グラックス]]が[[護民官]]となる。&lt;br /&gt;
* 紀元前129年頃 - [[パルティア]]が[[クテシフォン]]を首都とする。&lt;br /&gt;
* 紀元前123年 - ローマで[[ガイウス・グラックス]]が護民官となる。&lt;br /&gt;
* 紀元前113年 - [[キンブリ・テウトニ戦争]]（‐紀元前101年）&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ここから下は、紀元前2世紀に起こったことであるが、東アジアと地中海世界以外で年がはっきりしていない事柄である。 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
* この頃、テーラワーダ仏教が[[スリランカ]]に伝わる。&lt;br /&gt;
* [[メキシコ]]で[[テオティワカン]]が築かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 紀元前2世紀 - 紀元後1世紀 - 日本では青銅器の使用が広がる（[[出雲]]地方の[[荒神谷遺跡]]や[[加茂岩倉遺跡]]で大量の青銅器が出土）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
===地中海世界===&lt;br /&gt;
==== 共和政ローマ ====&lt;br /&gt;
{{main|:Category:紀元前2世紀の古代ローマ人}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== カルタゴ・ヌミディア ====&lt;br /&gt;
* [[ハンニバル・バルカ]]（[[紀元前247年|前247年]] - [[紀元前183年|前183年]]） - カルタゴの[[政治家]]・[[将軍]]・[[第二次ポエニ戦争]]でローマを翻弄する&lt;br /&gt;
* [[マシニッサ]]（[[紀元前238年|前238年]] - [[紀元前148年|前148年]]） - [[ヌミディア]]の王（[[紀元前202年|前202年]] - [[紀元前148年|前148年]]）・第二次と[[第三次ポエニ戦争|第三次]]のポエニ戦争でローマに協力&lt;br /&gt;
* [[ユグルタ]]（[[紀元前160年|前160年]] - [[紀元前104年|前104年]]） - ヌミディア王（在位[[紀元前118年|前118年]] - [[紀元前106年|前106年]]）・[[マシニッサ]]の孫・[[ユグルタ戦争]]でローマと戦う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ギリシアとヘレニズム諸国 ====&lt;br /&gt;
* [[ナビス]]（？ - [[紀元前192年|前192年]]） - 最後の[[スパルタ]]王（在位[[紀元前206年|前206年]] - [[紀元前192年|前192年]]）・スパルタの再興を目指すが[[アカイア同盟]]とローマに敗北&lt;br /&gt;
* [[アンティオコス3世]]（[[紀元前241年|前241年]] - [[紀元前187年|前187年]]） - セレウコス朝の王（在位[[紀元前223年|前223年]] - [[紀元前187年|前187年]]）・[[ローマ・シリア戦争]]で敗北&lt;br /&gt;
* [[エウメネス2世]]（？ - [[紀元前159年|前159年]]） - [[アッタロス朝]][[ペルガモン]]の王（[[紀元前197年|前197年]] - 在位[[紀元前159年|前159年]]）・ペルガモンの大図書館を充実させる&lt;br /&gt;
* [[アンティオコス4世エピファネス|アンティオコス4世]]（[[紀元前215年|前215年]]？ - [[紀元前163年|前163年]]） - セレウコス朝の王（在位[[紀元前175年|前175年]] - [[紀元前163年|前163年]]）・[[マカバイ戦争]]を誘発&lt;br /&gt;
* [[ユダ・マカバイ]]（？-　[[紀元前160年|前160年]]） - セレウコス朝支配下にあったユダヤでマカバイ戦争を指揮し[[ハスモン朝]]の基礎を築く&lt;br /&gt;
* [[ペルセウス (マケドニア王)|ペルセウス]]（[[紀元前212年|前212年]]頃 - [[紀元前166年|前166年]]） - [[アンティゴノス朝]][[マケドニア]]最後の王（在位[[紀元前179年|前179年]] - [[紀元前168年|前168年]]）・[[ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]で敗北&lt;br /&gt;
* [[ポリュビオス]]（[[紀元前204年|前204年]]？ - [[紀元前125年|前125年]]？） - ギリシアの歴史家で『[[歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』の著者・[[ピュドナの戦い (紀元前168年)|ピュドナの戦い]]で捕虜となりローマに送られる&lt;br /&gt;
* [[ヒッパルコス]]（[[紀元前190年|前190年]]頃 - [[紀元前120年|前120年]]頃） - ギリシアの天文学者・46星座を決定し[[視等級]]や[[歳差運動]]などの分野で業績を残す&lt;br /&gt;
* [[アレクサンドリアのヘロン]]（生没年不詳） - エジプトの工学者・数学者・[[クテシビオス]]の弟子か・「[[ヘロンの公式]]」や「[[ヘロンの噴水]]」で有名&lt;br /&gt;
* [[アッタロス3世]]（[[紀元前170年|前170年]]頃 - [[紀元前133年|前133年]]） - アッタロス朝ペルガモンの最後の王（在位[[紀元前138年|前138年]] - [[紀元前133年|前133年]]）・ローマにペルガモンを遺贈&lt;br /&gt;
* [[ミトラダテス2世]]（[[紀元前123年|前123年]] - [[紀元前88年|前88年]]/[[紀元前87年|87年]]） - [[アルサケス朝]][[パルティア]]の王・[[クテシフォン]]に遷都し「諸王の王」と呼ばれる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===中央アジア・インド===&lt;br /&gt;
* [[デメトリオス1世 (バクトリア王)|デメトリオス1世]]（在位[[紀元前200年|前200年]]頃 - [[紀元前180年|前180年]]頃） - ギリシア系[[バクトリア王国]]の国王・[[ガンダーラ]]を制圧し最盛期をもたらす&lt;br /&gt;
* [[プシャヤミトラ]]（在位[[紀元前180年|前180年]]頃 - [[紀元前144年|前144年]]頃） - インドの国王・[[マウリヤ朝]]を滅ぼし[[シュンガ朝]]を立てる&lt;br /&gt;
* [[パタンジャリ]]（生没年不詳） - インド（シュンガ朝時代）の文法学者・[[ヨーガ学派]]の重要文献である『[[ヨーガ・スートラ]]』の編纂者&lt;br /&gt;
* [[メナンドロス1世]]（在位[[紀元前155年|前155年]]頃 - [[紀元前130年|前130年]]頃） - 西北インドのギリシア系王国の国王・仏典の『[[ミリンダ王の問い]]』でも有名&lt;br /&gt;
* [[ナーガセーナ]]（生没年不詳） - インドの仏教僧（比丘）・『ミリンダ王の問い』では王と問答し仏教に帰依させたと伝えられる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===中国と周辺諸国===&lt;br /&gt;
* [[叔孫通]]（生没年不詳） - 前漢の儒者・博士・太常・[[劉邦|高祖劉邦]]のもとで廃絶された儀礼を組織し儒教の振興に尽くす&lt;br /&gt;
* [[衛満]]（生没年不詳） - [[衛氏朝鮮]]の建国者・燕王[[盧綰]]が呂后政権を恐れ匈奴に出奔した後に朝鮮北部で自立する&lt;br /&gt;
* [[利蒼]]（？ - [[紀元前186年|前186年]]） - 前漢の政治家・[[長沙国]]の相をつとめ初代軑侯となる・発掘された[[馬王堆漢墓]]にその妻子と葬られていた&lt;br /&gt;
* [[呂雉]]（？ - [[紀元前180年|前180年]]） - 前漢の高祖劉邦の皇后・恵帝の母・劉邦の死後に政権を恣にし呂氏一族を登用する&lt;br /&gt;
* [[冒頓単于]]（？ - [[紀元前174年|前174年]]） - 匈奴の[[単于]]（在位[[紀元前209年|前209年]] - [[紀元前174年|前174年]]）・[[月氏]]や[[東胡]]を討ち国家統一・[[秦]]から前漢の中国を圧倒する&lt;br /&gt;
* [[趙佗]]（？ - [[紀元前137年|前137年]]） - 南越の初代王（武帝）（在位[[紀元前203年|前203年]] - [[紀元前137年|前137年]]）・[[楚漢戦争]]で独立・60余年在位で100余歳で逝去？&lt;br /&gt;
* [[陳平]]（？ - [[紀元前178年|前178年]]）- 前漢の政治家・丞相・呂雉没後に[[周勃]]らとともに政変を起こし呂氏一族を粛清した&lt;br /&gt;
* [[周勃]]（？ - [[紀元前169年|前169年]]） - 前漢の武将・丞相・呂雉没後に[[陳平]]らとともに政変を起こし呂氏一族を粛清した&lt;br /&gt;
* [[劉濞]]（[[紀元前215年|前215年]] - [[紀元前154年|前154年]]） - 前漢の皇族・劉邦の甥で呉王となる・景帝時代に楚王[[劉戊]]らと呉楚七国の乱を起こす&lt;br /&gt;
* [[文帝 (漢)|文帝]]（[[紀元前203年|前203年]] - [[紀元前157年|前157年]]） - 前漢の第5代皇帝（在位[[紀元前180年|前180年]] - [[紀元前157年|前157年]]）・呂氏一族が誅滅された後に即位・「[[文景の治]]」を現出&lt;br /&gt;
* 河上公（生没年不詳） - 前漢の隠者・文帝に『老子』の注釈書である『老子道徳経章句』を開示したと伝わる&lt;br /&gt;
* [[公孫弘]]（[[紀元前200年|前200年]] - [[紀元前121年|前121年]]） - 前漢の学者・丞相・武帝の治世を補佐する一方で[[主父偃]]や[[董仲舒]]を失脚させる&lt;br /&gt;
* [[景帝 (漢)|景帝]]（[[紀元前188年|前188年]] - [[紀元前141年|前141年]]） - 前漢の第6代皇帝（在位[[紀元前156年|前156年]] - [[紀元前141年|前141年]]）・諸侯への領土削減策から呉楚七国の乱を招く&lt;br /&gt;
* [[鼂錯]]（？ - [[紀元前154年|前154年]]） - 前漢の政治家・諸侯の勢力削減策を進め呉楚七国の乱を招く・反乱鎮圧のためと称して殺される&lt;br /&gt;
* [[袁盎]]（生没年不詳） - 前漢の政治家・文帝から景帝に仕える・呉楚七国の乱に際し政敵であった鼂錯の処刑を進言する&lt;br /&gt;
* [[周亜夫]]（？ - [[紀元前143年|前143年]]） - 前漢の将軍・政治家・周勃の子・呉楚七国の乱を鎮圧したが景帝と不和になり餓死する&lt;br /&gt;
* [[劉安]]（[[紀元前179年|前179年]] - [[紀元前122年|前122年]]） - 前漢の皇族・劉邦の孫で淮南王となる・『[[淮南子]]』の著者・武帝に叛意を疑われ自害&lt;br /&gt;
* [[主父偃]]（生没年不詳） - 前漢の政治家・諸侯の領土を細分化する「推恩の令」を建策・諸侯に憎まれ武帝に誅殺される&lt;br /&gt;
* [[司馬相如]]（[[紀元前179年|前179年]] - [[紀元前117年|前117年]]） - 前漢の文章家・武帝に仕え「天子游獵賦」など賦で知られる&lt;br /&gt;
* [[董仲舒]]（[[紀元前176年|前176年]]？ - [[紀元前104年|前104年]]？） - 前漢の[[儒学者]]・五経博士の設置などでいわゆる儒教の官学化に貢献&lt;br /&gt;
* [[劉勝]]（？ - [[紀元前113年|前113年]]） - 前漢の皇族・武帝の庶兄で中山王（靖王）となる・埋葬した墓地から金縷玉衣が出土・[[蜀]]の[[劉備]]の遠祖&lt;br /&gt;
* [[武帝 (漢)|武帝]]（[[紀元前156年|前156年]] - [[紀元前87年|前87年]]） - 前漢の第7代皇帝（在位[[紀元前141年|前141年]] - [[紀元前87年|前87年]]）・匈奴に対する外征を行い[[西域]]に勢力を拡大&lt;br /&gt;
* [[張騫]]（？ - [[紀元前114年|前114年]]） - 前漢の政治家・外交官・武帝の命で匈奴に対する同盟のため大月氏へと赴き西域を踏破する&lt;br /&gt;
* [[衛青]]（？ - [[紀元前106年|前106年]]） - 前漢の武将・大将軍大司馬・甥の霍去病とともに匈奴征討に大きく貢献・姉の[[衛子夫]]は武帝の皇后&lt;br /&gt;
* [[東方朔]]（[[紀元前154年|前154年]] - [[紀元前92年|前92年]]） - 前漢の政治家・文人・その滑稽と機知で武帝に愛された・死後は伝説化し[[仙人]]とされる &lt;br /&gt;
* [[司馬遷]]（[[紀元前145年|前145年]] - [[紀元前87年|前87年]]） - 前漢の[[歴史家]]・『[[史記]]』の著者・武帝の前で[[李陵]]を弁護して怒りを買い[[宮刑]]に処せられる&lt;br /&gt;
* [[霍去病]]（[[紀元前140年|前140年]] - [[紀元前117年|前117年]]） - 前漢の武将・大司馬・叔父の[[衛青]]とともに匈奴征討に大きく貢献・[[霍光]]は異母弟&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 10年紀と各年 ==&lt;br /&gt;
{|style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot;&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前200年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前209年|前209]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前208年|前208]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前207年|前207]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前206年|前206]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前205年|前205]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前204年|前204]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前203年|前203]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前202年|前202]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前201年|前201]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前200年|前200]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前190年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前199年|前199]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前198年|前198]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前197年|前197]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前196年|前196]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前195年|前195]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前194年|前194]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前193年|前193]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前192年|前192]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前191年|前191]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前190年|前190]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前180年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前189年|前189]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前188年|前188]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前187年|前187]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前186年|前186]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前185年|前185]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前184年|前184]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前183年|前183]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前182年|前182]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前181年|前181]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前180年|前180]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前170年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前179年|前179]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前178年|前178]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前177年|前177]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前176年|前176]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前175年|前175]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前174年|前174]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前173年|前173]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前172年|前172]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前171年|前171]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前170年|前170]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前160年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前169年|前169]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前168年|前168]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前167年|前167]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前166年|前166]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前165年|前165]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前164年|前164]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前163年|前163]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前162年|前162]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前161年|前161]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前160年|前160]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前150年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前159年|前159]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前158年|前158]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前157年|前157]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前156年|前156]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前155年|前155]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前154年|前154]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前153年|前153]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前152年|前152]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前151年|前151]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前150年|前150]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前140年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前149年|前149]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前148年|前148]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前147年|前147]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前146年|前146]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前145年|前145]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前144年|前144]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前143年|前143]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前142年|前142]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前141年|前141]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前140年|前140]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前130年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前139年|前139]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前138年|前138]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前137年|前137]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前136年|前136]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前135年|前135]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前134年|前134]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前133年|前133]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前132年|前132]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前131年|前131]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前130年|前130]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前120年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前129年|前129]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前128年|前128]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前127年|前127]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前126年|前126]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前125年|前125]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前124年|前124]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前123年|前123]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前122年|前122]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前121年|前121]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前120年|前120]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前110年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前119年|前119]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前118年|前118]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前117年|前117]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前116年|前116]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前115年|前115]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前114年|前114]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前113年|前113]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前112年|前112]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前111年|前111]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前110年|前110]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[紀元前100年代]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
| [[紀元前109年|前109]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前108年|前108]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前107年|前107]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前106年|前106]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前105年|前105]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前104年|前104]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前103年|前103]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前102年|前102]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前101年|前101]]&lt;br /&gt;
| [[紀元前100年|前100]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;{{Reflist|group=†}}&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:きけんせん02せいき}}&lt;br /&gt;
[[Category:紀元前2世紀|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>111.87.58.207</name></author>
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		<title>16世紀</title>
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		<updated>2014-08-15T09:40:20Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;111.87.58.207: /* 北アフリカ・西アジア・中央アジア */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{centurybox|&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
 世紀=16 |&lt;br /&gt;
 次世紀=17 |&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
 前世紀=15 |&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Lightmatter stpeterscathedral vatican.jpg|thumb|200px|&#039;&#039;&#039;ルネサンス&#039;&#039;&#039;（サン・ピエトロ大聖堂内部）]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:The Spanish Armada.jpg|thumb|300px|[[アルマダ海戦]]（グラヴリンヌ沖海戦）。この戦いでスペインを打ち破ったイングランドは強国としてのしあがることになる。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Namban-13.jpg|thumb|210px|伝[[狩野内膳]]の「南蛮屏風」（[[リスボン]][[国立古美術館]]蔵）の一部。ヨーロッパ人の来訪は日本にまで及んだ。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Lisboa Lisbon Lissabon.jpg|thumb|right|210px|[[ベレンの塔]]。ポルトガル最盛期を代表するマヌエル1世幸運王がマゼラン（マガリャンイス)の世界周航を記念して建造した要塞。]]&lt;br /&gt;
[[File:Guaman Poma - Ataw Wallpa.jpg|thumb|right|180px|インカ皇帝アタワルパ。スペイン人に処刑され事実上の最後の皇帝となった。画像はグァマン・ポマの『新しい記録と良き統治』の挿絵。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Francois Dubois 001.jpg|thumb|230px|サン・バルテルミの虐殺。プロテスタンとカトリックの対立はフランスでは王権をめぐる内戦となり、この混乱からブルボン朝が生まれることになる。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:St Basils CathedralR.jpg|thumb|right|200px|モスクワの[[聖ワシリイ大聖堂]]。ロシアのイヴァン4世（雷帝）が[[カザン]]征服を記念して建てたビザンティン様式の教会。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Hunername 257b.jpg|thumb|200px|[[第一次ウィーン包囲]]。壮麗王とも呼ばれた[[スレイマン1世]]の時代にオスマン帝国の領土は最大に広がり、ヨーロッパ諸国の脅威となった。]]&lt;br /&gt;
[[File:Ikhlas 001.jpg|thumb|200px|戦象に乗って戦う[[ムガル帝国]]のアクバル大帝。イスラーム教徒とヒンドゥー教徒の融和に尽くした賢君とされている。]]&lt;br /&gt;
[[ファイル:Chinese - Faceted Vase - Walters 49737 - Profile.jpg|thumb|210px|「五彩竜仙人文尊形瓶」。明の中期から後期には五彩など華やかな意匠の陶磁器が発展しそれらは「[[万暦赤絵]]」と呼ばれた。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;16世紀&#039;&#039;&#039;（じゅうろくせいき）は、[[西暦]][[1501年]]から西暦[[1600年]]までの100年間を指す。&lt;br /&gt;
== 16世紀の歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 世界 ===&lt;br /&gt;
[[ヨーロッパ]]では&#039;&#039;&#039;[[ルネサンス]]&#039;&#039;&#039;と&#039;&#039;&#039;[[宗教改革]]&#039;&#039;&#039;の嵐により[[中世]]的な世界観にかわり、[[近世]]的な新しい世界観が生まれた。また、これまで[[天動説]]の体系が長らく信じられてきたが、[[ニコラウス・コペルニクス]]により&#039;&#039;&#039;[[地動説]]&#039;&#039;&#039;が発表された。当初はなかなか支持を得られず、明確に賛同する[[天文学者]]も[[ヨハネス・ケプラー]]や[[ガリレオ・ガリレイ]]の登場まで現れなかった。[[暦]]では、[[ローマ教皇]][[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]が[[ユリウス暦]]を改良して[[新暦]]となる&#039;&#039;&#039;[[グレゴリオ暦]]&#039;&#039;&#039;を制定すると、まずは[[カトリック教会|カトリック]]国家で使われ始めたが、世界中に浸透するまでにはまだ時間を要することとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[スペイン]]が送り込んだ[[コンキスタドール]]やヨーロッパからもたらされた[[伝染病]]などにより、[[新大陸]]の既存の文明である[[インカ文明]]（[[アンデス文明]]）、[[アステカ文明]]は滅亡、[[マヤ文明]]も大きく衰退（[[17世紀]]に滅亡）し、[[大航海時代]]における「冒険の時代」から「&#039;&#039;&#039;征服の時代&#039;&#039;&#039;」へと移行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[アジア]]各国では新たな繁栄の時代となり、国内[[政治]]が充実し、[[文化]]、[[経済]]が発展した。新大陸や[[日本]]から流れた大量の[[銀]]が世界的な[[バブル経済]]をおこし、[[西欧]]、アジアの経済が急速に拡大した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
[[室町時代]]後期（[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]）、[[安土桃山時代]]にあたる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[戦国大名]]の乱立により戦乱が約1世紀に渡り続いていたが、[[天下統一]]を目前に[[本能寺の変]]で倒れた[[織田信長]]に代わり、[[家臣]]の[[豊臣秀吉]]が統一を果たした。しかし、秀吉の死後には[[豊臣政権]]内の対立が表面化、&#039;&#039;&#039;[[関ヶ原の戦い]]&#039;&#039;&#039;により[[徳川家康]]率いる東軍が政権擁護派の[[石田三成]]ら西軍に勝利を収め、家康の[[覇権]]を決定的なものとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
* [[西洋史]]では、[[ルネサンス]]・[[宗教改革]]以降を[[近世]]と区分する。&lt;br /&gt;
* [[中国]]では明朝時代中期から後期にあたる。&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* 1503年 - チェリニョーラの戦いで、スペインがナポリを征服。&lt;br /&gt;
* 1503年&lt;br /&gt;
** 教皇アレクサンデル6世死去。後継教皇としてピウス3世、続いてユリウス2世が即位。&lt;br /&gt;
*** 教皇アレクサンデル6世の息子[[チェーザレ・ボルジア]]の没落。&lt;br /&gt;
* 1504年 - [[立河原の戦い]]。&lt;br /&gt;
* 1505年 - [[明]]の[[正徳帝]]が第11代皇帝に即位。&lt;br /&gt;
* 1507年  &lt;br /&gt;
** [[細川政元]]が[[暗殺]]される。&lt;br /&gt;
** [[シャイバーニー朝]]によりティムール朝[[ヘラート]]政権が崩壊。&lt;br /&gt;
* 1508年 - 亡命していた[[室町幕府]]第10代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義稙]]が上洛し将軍に復帰。&lt;br /&gt;
* 1509年 - ポルトガルがディウ沖海戦でイスラム勢力に勝利しインド洋の覇権を握る。&lt;br /&gt;
* 1510年&lt;br /&gt;
** [[レオ10世 (ローマ教皇)|レオ10世]]が[[教皇]]になる。&lt;br /&gt;
** [[ダヤン・ハーン]]がモンゴルを再統一。&lt;br /&gt;
** 明で[[安化王の乱]]。&lt;br /&gt;
** [[朝鮮]]で[[三浦の乱]]が起こる。&lt;br /&gt;
* 1511年 - [[ポルトガル]]が[[マラッカ]]を占領。&lt;br /&gt;
* 1512年 - ティムール朝の[[バーブル]]が[[サマルカンド]]を放棄。以後、中央アジアからインドに進出。&lt;br /&gt;
* 1514年 - [[チャルディラーンの戦い]]で[[オスマン朝]]が[[サファヴィー朝]]に勝利。&lt;br /&gt;
* 1516年 - [[ヴェネツィア]]に[[ヴェネツィア・ゲットー|ゲットー]]が設置される。&lt;br /&gt;
* 1517年 &lt;br /&gt;
** [[マルティン・ルター]]の「95ヶ条の論題」（[[宗教改革]]の発端）。&lt;br /&gt;
** [[オスマン帝国]]の[[セリム1世]]が[[マムルーク朝]]を滅ぼす。&lt;br /&gt;
* 1519年 &lt;br /&gt;
** [[神聖ローマ皇帝]][[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]即位。&lt;br /&gt;
** 明で[[寧王の乱]]。&lt;br /&gt;
* 1520年 &lt;br /&gt;
** オスマン帝国で[[スレイマン1世]]即位。オスマン帝国の全盛期。&lt;br /&gt;
** イングランド王ヘンリー8世とフランス王フランソワ1世の会見（[[金襴の陣]]）。&lt;br /&gt;
** [[デンマーク]]による[[ストックホルムの血浴]]。&lt;br /&gt;
* 1521年 &lt;br /&gt;
** [[フェルディナンド・マゼラン]]が太平洋経由でフィリピンへ到達、世界一周を成し遂げるもイスラムの部族長ラプラプ率いる軍に敗れ死亡。&lt;br /&gt;
** [[アステカ帝国]]が[[エルナン・コルテス]]により征服される。&lt;br /&gt;
** [[ヴォルムス国会]]でマルティン・ルターがカトリック教会との決別を宣言。&lt;br /&gt;
** ルターがザクセン選帝侯により[[ヴァルトブルク城]]にかくまわれ、[[新約聖書]]を[[ドイツ語]]に翻訳。 &lt;br /&gt;
** [[後柏原天皇]]が即位22年目にして、ようやく即位の礼を行う。&lt;br /&gt;
** [[足利義晴]]が室町幕府第12代将軍となる。&lt;br /&gt;
** 明の[[嘉靖帝]]が第12代皇帝に即位。[[大礼の議]]の論争が起こる。&lt;br /&gt;
* 1522年&lt;br /&gt;
** [[ドイツ騎士戦争]]。&lt;br /&gt;
** [[ロードス島]]包囲戦でオスマン帝国が勝利。&lt;br /&gt;
* 1523年 &lt;br /&gt;
** [[スウェーデン]]が[[カルマル同盟]]を脱し独立（[[ヴァーサ朝]] - [[1654年]]）。国王は[[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]。&lt;br /&gt;
** [[フルドリッヒ・ツヴィングリ|ツヴィングリ]]の「67ヶ条の論題」。[[チューリッヒ]]での宗教改革の始まり。&lt;br /&gt;
** [[寧波の乱]]。&lt;br /&gt;
* 1524年 - [[ドイツ農民戦争]]。&lt;br /&gt;
* 1525年 - [[パヴィアの戦い]]でフランス王フランソワ1世が神聖ローマ皇帝カール5世により捕虜になる&lt;br /&gt;
* 1526年&lt;br /&gt;
** 後柏原天皇が没し、第105代[[後奈良天皇]]が[[践祚]]。&lt;br /&gt;
** [[石見銀山]]が[[博多]]の豪商神屋寿禎によって発見される。&lt;br /&gt;
*** 続く1533年の灰吹き法の導入により世界的な銀生産地に発展。&lt;br /&gt;
** [[インド]]で[[バーブル]]が[[ムガル朝]]を建国する。&lt;br /&gt;
** [[モハーチの戦い]]で、ハンガリー国王[[ラヨシュ2世]]が戦死する。&lt;br /&gt;
* 1527年 &lt;br /&gt;
** [[ローマの略奪]]により教皇[[クレメンス7世 (ローマ教皇)|クレメンス7世]]が神聖ローマ皇帝カール5世に屈服。&lt;br /&gt;
*** 事実上のイタリアでの盛期ルネサンスの終了。技巧と奇想にあふれるマニエリスム様式が広がる。&lt;br /&gt;
** [[黎朝]]の王位が[[莫登庸]]によって簒奪される。&lt;br /&gt;
* 1529年&lt;br /&gt;
** [[貴婦人の和約]]（カンブレーの和約）。 &lt;br /&gt;
** [[神聖ローマ帝国]]の[[首都]][[ウイーン]]がオスマン帝国に包囲される（[[第一次ウィーン包囲]]）。&lt;br /&gt;
** [[サラゴサ条約]]。&lt;br /&gt;
* 1530年 &lt;br /&gt;
** [[フィリップ・メランヒトン]]が「[[アウクスブルク信仰告白]]」を起草する。&lt;br /&gt;
** [[聖ヨハネ騎士団]]が[[マルタ島]]を領有する（[[マルタ騎士団]]）。&lt;br /&gt;
* 1532年&lt;br /&gt;
** [[享禄・天文の乱]]により[[三好元長]]の堺政権（[[堺幕府]]）崩壊、この混乱で畿内各地を[[一向一揆]]が攻撃。&lt;br /&gt;
* 1533年&lt;br /&gt;
** [[インカ帝国]]が[[フランシスコ・ピサロ]]により征服される。&lt;br /&gt;
** フランス王子[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ（後のアンリ2世）]]と[[カトリーヌ・ド・メディシス]]の婚姻。&lt;br /&gt;
** イングランド王ヘンリー8世が[[キャサリン・オブ・アラゴン]]と離婚、[[アン・ブーリン]]と再婚。&lt;br /&gt;
* 1534年&lt;br /&gt;
** 教皇クレメンス7世が[[イングランド]]王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]を[[破門]]。&lt;br /&gt;
** [[イギリス国教会]]が[[カトリック教会]]から分離。&lt;br /&gt;
** [[ジャック・カルティエ]]第1回探検行。&lt;br /&gt;
** [[イグナチオ・デ・ロヨラ]]ら[[イエズス会]]を結成。&lt;br /&gt;
** フランスで[[檄文事件]]。&lt;br /&gt;
* 1535年 &lt;br /&gt;
** ジャック・カルティエ第2回探検行。イロコイ族の村落オシュラガの山を[[モントリオール|モンロワイヤル]]と命名。&lt;br /&gt;
** ミラノの[[スフォルツァ家]]断絶。ミラノはハプスブルク家に支配される。&lt;br /&gt;
** スペインが[[チュニス]]を占領し、[[ハフス朝]]を保護下に置く。&lt;br /&gt;
* 1536年&lt;br /&gt;
** イングランド王ヘンリー8世が[[ウェールズ]]を併合。&lt;br /&gt;
** [[ジャン・カルヴァン]]の宗教改革。&lt;br /&gt;
** [[天文法華の乱]]。&lt;br /&gt;
* 1538年&lt;br /&gt;
** [[プレヴェザの海戦]]で、オスマン帝国艦隊が[[スペイン]]・[[ヴェネツィア]]艦隊に勝利し、[[地中海]]の制海権を握る。&lt;br /&gt;
** [[ディーウ]]沖海戦で、ポルトガル艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利、インド洋の制海権を握る。&lt;br /&gt;
* 1540年&lt;br /&gt;
** イエズス会がローマ教皇[[パウルス3世 (ローマ教皇)|パウルス3世]]より正式に[[修道会]]として認可される。&lt;br /&gt;
** [[シェール・シャー]]が[[カナウジ]]の戦いでムガル朝を破り[[デリー]]と[[アーグラ]]を占領。北インドでの[[スール朝]]の覇権を確立。&lt;br /&gt;
* 1541年&lt;br /&gt;
** [[ジャック・カルティエ]]第3回探検行。&lt;br /&gt;
** イングランド王ヘンリー8世が[[アイルランド王国]]国王を名乗る。&lt;br /&gt;
** ミケランジェロによる[[システィーナ礼拝堂]]祭壇壁画「[[最後の審判 (ミケランジェロ)|最後の審判]]」が完成する。&lt;br /&gt;
* 1542年&lt;br /&gt;
** 明で嘉靖帝暗殺未遂事件（壬寅宮変または宮婢の変）。&lt;br /&gt;
** この年までにイングランドの全ての修道院が解散され、王室による財産没収が完了。&lt;br /&gt;
** [[ラス・カサス]]の「インディアスの破壊における簡潔な報告」が公表され、インディアス新法が制定される。&lt;br /&gt;
* 1543年&lt;br /&gt;
** [[日本]]へ[[鉄砲伝来]]。&lt;br /&gt;
** [[ニコラウス・コペルニクス]]が『[[天体の回転について]]』で[[地動説]]・[[太陽]]中心説を発表。&lt;br /&gt;
** ムガル朝の[[フマーユーン]]がシンドから逃亡し、サファヴィー朝の[[タフマースブ1世]]のもとに亡命。&lt;br /&gt;
* 1544年 - ルター訳聖書（新約聖書・[[旧約聖書]]全巻）の刊行。&lt;br /&gt;
* 1545年 - スペイン人により[[ポトシ銀山]]が発見される。&lt;br /&gt;
* 1546年&lt;br /&gt;
** 教皇パウルス3世により[[トリエント公会議]]が召集される。&lt;br /&gt;
** [[シュマルカルデン戦争]]。&lt;br /&gt;
** [[足利義輝]]が室町幕府第13代将軍となる。&lt;br /&gt;
* 1547年&lt;br /&gt;
** イングランドが[[スコットランド]]を攻撃して破る。&lt;br /&gt;
** イヴァン4世がロシア皇帝（ツァーリ）として即位。&lt;br /&gt;
* 1548年 - スコットランド女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]が[[フランス]]へ亡命。&lt;br /&gt;
* 1549年&lt;br /&gt;
** [[フランシスコ・ザビエル]]により日本に[[キリスト教]]が伝来。&lt;br /&gt;
** 国王エドワード6世のもとイングランドで[[聖公会祈祷書|一般祈祷書]]が制定される。&lt;br /&gt;
* 1550年 &lt;br /&gt;
** 庚戌の変で[[アルタン・ハーン]]が北京を包囲。&lt;br /&gt;
** ラス・カサスと[[フアン・ヒネス・デ・セプルベダ]]の[[バリャドリード論争]]。&lt;br /&gt;
* 1552年&lt;br /&gt;
** ロシアのイヴァン4世が[[カザン・ハン国]]を征服。&lt;br /&gt;
* 1553年&lt;br /&gt;
** 嘉靖の大倭寇始まる。&lt;br /&gt;
** イングランド王エドワード6世死去。[[ジェーン・グレイ]]の即位を阻み、女王[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]が即位。&lt;br /&gt;
* 1555年&lt;br /&gt;
** [[アウクスブルクの和議]]。[[ルター派]]信仰認められる。&lt;br /&gt;
** [[毛利元就]]が[[陶晴賢]]を滅ぼす（[[厳島の戦い]]）。&lt;br /&gt;
** ムガル朝のフマーユーンがスール朝を倒し、デリーを奪回する。&lt;br /&gt;
* 1556年&lt;br /&gt;
** 明で[[華県地震]]。&lt;br /&gt;
** ロシアのイヴァン4世が[[アストラハン・ハン国]]を征服。&lt;br /&gt;
** [[ムガル帝国]]で[[アクバル]]即位。[[第二次パーニーパットの戦い]]で[[スール朝]]残党軍を破る。&lt;br /&gt;
** カール5世の退位により、息子フェリペ2世がスペイン王を、弟フェルディナント1世が神聖ローマ皇帝を分割して継承。&lt;br /&gt;
* 1557年&lt;br /&gt;
** 後奈良天皇が没し、第106代[[正親町天皇]]が践祚。&lt;br /&gt;
** ポルトガルの[[マカオ]]永久居留権が明に認められる。&lt;br /&gt;
** スペインで第1回目の国家破産（国庫支払い停止宣言:バンカロータ）。&lt;br /&gt;
*** スペインの国家破産は国王フェリペ2世在世中の1557年、1560年、1575年、1596年4回起きる。&lt;br /&gt;
* 1558年&lt;br /&gt;
** フランスがイングランドから[[カレー (フランス)|カレー]]を奪回。&lt;br /&gt;
** [[エリザベス1世]]がイングランド女王に即位。&lt;br /&gt;
** [[リヴォニア戦争]]で、[[ポーランド王国|ポーランド]]・スウェーデンと[[ロシア帝国]]（[[モスクワ大公国]]）とが戦う（ - [[1583年]]）。&lt;br /&gt;
* 1559年 &lt;br /&gt;
** [[カトー・カンブレジ条約]]の締結により[[イタリア戦争]]が終結。&lt;br /&gt;
** 教皇パウルス4世の命によりローマ宗教裁判所から『[[禁書目録]]』が刊行される。&lt;br /&gt;
** 嘉靖の大倭寇の中心人物だった[[王直]]が処刑される。&lt;br /&gt;
* 1560年 - [[桶狭間の戦い]]。&lt;br /&gt;
* 1561年 - スペイン国王フェリペ2世が[[バリャドリッド]]から[[マドリード]]に宮廷を遷す。&lt;br /&gt;
* 1562年 - ヴァシーの虐殺から[[ユグノー戦争]]が始まる。&lt;br /&gt;
* 1565年&lt;br /&gt;
** ロシア皇帝イヴァン4世が[[オプリーチニナ]]制度を導入。&lt;br /&gt;
** アルタン・ハーンが[[フフホト]]（帰化城）を建設。&lt;br /&gt;
** [[永禄の変]]で将軍足利義輝が殺害される。&lt;br /&gt;
* 1566年 - 明の[[隆慶帝]]が第13代皇帝に即位。&lt;br /&gt;
* 1567年 &lt;br /&gt;
** [[東大寺大仏殿の戦い]]で大仏殿が炎上する。&lt;br /&gt;
** スコットランド女王メアリが廃位され、息子ジェームズ6世が即位。翌1568年にメアリはイングランドに亡命。&lt;br /&gt;
* 1568年&lt;br /&gt;
** [[足利義栄]]が室町幕府第14代将軍となる。&lt;br /&gt;
** [[織田信長]]が[[足利義昭]]を奉じて京に入り、足利義昭が室町幕府第15代将軍となる。&lt;br /&gt;
* 1569年 - メディチ家の[[コジモ1世]]が[[トスカーナ大公]]となる（[[トスカーナ大公国]]）。&lt;br /&gt;
* 1570年&lt;br /&gt;
** ローマ教皇ピウス5世がイングランド女王エリザベス1世を破門（「[[レグナンス・イン・エクスケルシス]]」）。&lt;br /&gt;
** [[石山合戦]]が始まる。&lt;br /&gt;
* 1571年&lt;br /&gt;
** [[レパントの海戦]]で、[[ヨーロッパ]]連合艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利。&lt;br /&gt;
** 隆慶和議により明とモンゴルの和平がなる。&lt;br /&gt;
* 1572年&lt;br /&gt;
** 明の[[万暦帝]]が第14代皇帝に即位。[[張居正]]の改革始まる。&lt;br /&gt;
** [[サンバルテルミの虐殺]]。&lt;br /&gt;
** ポーランド・リトアニア国王[[ジグムント2世]]が男系嗣子なくして死去、[[ヤギェウォ朝]]断絶。&lt;br /&gt;
* 1573年&lt;br /&gt;
** [[三方ヶ原の戦い]]。&lt;br /&gt;
** 室町幕府滅亡。&lt;br /&gt;
* 1574年&lt;br /&gt;
** オスマン帝国が[[ハフス朝]]を滅ぼし[[チュニジア]]を併合。 &lt;br /&gt;
** [[越前一向一揆]]蜂起する。&lt;br /&gt;
* 1575年&lt;br /&gt;
** [[長篠の戦い]]。&lt;br /&gt;
** 織田信長が越前一向一揆を鎮圧する。&lt;br /&gt;
* 1576年 - 織田信長が[[安土城]]を築く。&lt;br /&gt;
* 1577年&lt;br /&gt;
** 信長、紀伊雑賀一揆を攻める。安土城下を[[楽市楽座|楽市]]とする。&lt;br /&gt;
** [[手取川の戦い]]で[[上杉謙信]]が信長に大勝。&lt;br /&gt;
* 1578年 &lt;br /&gt;
** [[アルカセル・キビールの戦い]]。&lt;br /&gt;
** [[アルタン・ハーン]]がソェナムギャツォを招聘し「[[ダライラマ]]（3世）」の称号を贈る。&lt;br /&gt;
* 1579年&lt;br /&gt;
** オスマン帝国大宰相[[ソコルル・メフメト・パシャ]]が暗殺される。&lt;br /&gt;
** ネーデルラント南部10州がスペインに帰順しアラス同盟を結成。北部7州は反発し[[ユトレヒト同盟]]を結成。&lt;br /&gt;
* 1580年&lt;br /&gt;
** 石山合戦終結。&lt;br /&gt;
** スペインがポルトガルを併合し、アジア航路も支配下に置く。&lt;br /&gt;
* 1581年 - [[スペイン]]の領土であった[[オランダ]]が[[独立宣言]]。&lt;br /&gt;
* 1582年&lt;br /&gt;
** [[本能寺の変]]。&lt;br /&gt;
** [[山崎の戦い]]。&lt;br /&gt;
** [[清洲会議]]。&lt;br /&gt;
** [[天正遣欧少年使節]]が[[長崎]]を出港。&lt;br /&gt;
** 教皇[[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]が[[グレゴリオ暦]]を発布。&lt;br /&gt;
* 1583年&lt;br /&gt;
** [[賤ヶ岳の戦い]]。&lt;br /&gt;
** 神聖ローマ皇帝[[ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ2世]]が[[プラハ]]に遷都。&lt;br /&gt;
* 1584年&lt;br /&gt;
** [[小牧・長久手の戦い]]。&lt;br /&gt;
** スペインの[[エル・エスコリアル修道院|エル・エスコリアル宮殿]]が完成する（ - [[1563年]]）。&lt;br /&gt;
** スペイン王フェリペ2世が天正遣欧少年使節を歓待する。&lt;br /&gt;
* 1585年 &lt;br /&gt;
** [[四国征伐]]。&lt;br /&gt;
** パルマ公のスペイン軍が[[アントウェルペン]]を制圧。アントウェルペンの繁栄の終焉。&lt;br /&gt;
* 1586年&lt;br /&gt;
** 正親町天皇が譲位し、第107代[[後陽成天皇]]が即位。&lt;br /&gt;
** [[徳川家康]]が[[豊臣秀吉]]に臣従する。&lt;br /&gt;
* 1587年&lt;br /&gt;
** [[九州征伐]]。&lt;br /&gt;
** 前スコットランド女王メアリ・スチュアートがエリザベス1世[[暗殺]]未遂容疑で[[処刑]]される。&lt;br /&gt;
* 1588年&lt;br /&gt;
** 豊臣秀吉が[[刀狩令]]を出す。&lt;br /&gt;
** [[アルマダの海戦]]。[[スペイン]]無敵艦隊がイングランドに敗北。&lt;br /&gt;
* 1589年&lt;br /&gt;
** [[摺上原の戦い]] 。&lt;br /&gt;
** フランス国王[[アンリ3世]]が暗殺され[[ヴァロワ朝]]が断絶。[[アンリ4世]]が即位し[[ブルボン朝]]を開く。&lt;br /&gt;
** [[モスクワ総主教]]座が設置される。&lt;br /&gt;
* 1590年&lt;br /&gt;
** [[小田原征伐]]による後北条氏滅亡。[[奥州仕置]]により東北諸大名を帰順させる。&lt;br /&gt;
** 豊臣秀吉による全国統一が完成。以後、関東や東北にも[[太閤検地]]が進む。&lt;br /&gt;
* 1592年&lt;br /&gt;
** [[文禄・慶長の役#文禄の役|文禄の役]]（ - 1593年）。&lt;br /&gt;
** 江戸駿河台の[[吉祥寺]]内に学寮（[[旃檀林]]）創立。&lt;br /&gt;
** [[寧夏]]で[[ボハイの乱]]（哱拝の乱）が起こる。&lt;br /&gt;
** [[播州]]で[[楊応龍の乱]]が起こる。&lt;br /&gt;
* 1595年 - [[豊臣秀次]]が謀叛の疑いにより、切腹を命じられる。&lt;br /&gt;
* 1596年&lt;br /&gt;
** [[浅間山]]大[[噴火]]。&lt;br /&gt;
** 明で鉱税の害（礦税の禍）。 &lt;br /&gt;
** [[ブレスト合同]]。&lt;br /&gt;
* 1597年&lt;br /&gt;
** [[長崎県|長崎]]で[[日本二十六聖人]]が[[殉教]]。&lt;br /&gt;
** [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]（ - 1598年）。&lt;br /&gt;
** [[ヤコポ・ペーリ]]らによって最初の[[オペラ]]「ダフネ」が作られる。&lt;br /&gt;
* 1598年&lt;br /&gt;
** フランス王アンリ4世による[[ナントの勅令]]。&lt;br /&gt;
** [[サファヴィー朝]]の[[アッバース1世]]が[[イスファハーン]]に遷都。&lt;br /&gt;
** ロシア皇帝[[フョードル1世]]死去により[[リューリク朝]]断絶。義兄[[ボリス・ゴドゥノフ]]が皇帝となるが[[動乱時代]]を招来。&lt;br /&gt;
** [[シビル・ハン国]]がロシアに滅ぼされる。&lt;br /&gt;
** 豊臣秀吉死去。朝鮮から日本軍が撤兵、その際に[[李舜臣]]が戦死。&lt;br /&gt;
* 1600年&lt;br /&gt;
** [[関ヶ原の戦い]]。&lt;br /&gt;
** [[ジョルダーノ・ブルーノ]]刑死。&lt;br /&gt;
** [[イギリス東インド会社]]設立。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 年月不詳&lt;br /&gt;
** [[西遊記]]成立。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== ヨーロッパ ===&lt;br /&gt;
==== イタリア ====&lt;br /&gt;
* [[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]（[[1431年]] - [[1503年]]） -  [[ローマ教皇]]（在位[[1492年]] - [[1503年]]）・[[ボルジア家]]出身の[[ルネサンス教皇]]&lt;br /&gt;
* [[ユリウス2世 (ローマ教皇)|ユリウス2世]]（[[1443年]] - [[1513年]]） - ローマ教皇（在位[[1503年]] - [[1513年]]）・ルネサンス教皇・[[サン・ピエトロ大聖堂]]の改修を始める&lt;br /&gt;
* [[ドナト・ブラマンテ]]（[[1444年]]頃 - [[1514年]]） - ローマで活躍した建築家・教皇[[ユリウス2世 (ローマ教皇)|ユリウス2世]]の依頼でサン・ピエトロ大聖堂の建築主任となる&lt;br /&gt;
* [[アメリゴ・ヴェスプッチ]]（[[1451年]] - [[1512年]]） - [[フィレンツェ]]出身の探検家・「[[アメリカ]]」の名の由来となる&lt;br /&gt;
* [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]（[[1452年]] - [[1519年]]） - フィレンツェ派の[[画家]]・[[彫刻家]]・[[建築家]]など「万能の天才」・「[[モナリザ]]」他がある&lt;br /&gt;
* ピエトロ・ポンポナッツィ（[[1462年]] - [[1525年]]） - [[パドヴァ大学]]教授・『霊魂不滅論』を執筆して人間霊魂の不滅を否定し論争を引き起こす&lt;br /&gt;
* [[パウルス3世 (ローマ教皇)|パウルス3世]]（[[1468年]] - [[1549年]]） - ローマ教皇（在位[[1534年]] - [[1549年]]）・[[宗教改革]]に対抗すべく[[トリエント公会議]]を召集&lt;br /&gt;
* [[ニッコロ・マキャヴェッリ]]（[[1469年]] - [[1527年]]） - フィレンツェの外交官・政治思想家・『[[君主論]]』『[[ディスコルシ]]』の著者&lt;br /&gt;
* [[イザベラ・デステ]]（[[1474年]] - [[1539年]]） - [[エステ家]]出身の[[マントヴァ侯]][[フランチェスコ2世・ゴンザーガ|フランチェスコ2世]]の妃・文芸支援者として名高い&lt;br /&gt;
* [[ルドヴィーコ・アリオスト]]（[[1474年]] - [[1533年]]） - イタリアの詩人・フェラーラ公に仕える・『[[狂えるオルランド]]』を執筆&lt;br /&gt;
* [[チェーザレ・ボルジア]] （[[1475年]] - [[1507年]]） -  [[イタリア]]の軍人・政治家・父の教皇[[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]の援助でイタリア統一を目指す&lt;br /&gt;
* [[ミケランジェロ・ブオナローティ]]（[[1475年]] - [[1564年]]） - フィレンツェ出身の画家・彫刻家・「[[ダビデ像 (ミケランジェロ)|ダヴィデ像]]」「[[ピエタ (ミケランジェロ)|ピエタ]]」「[[最後の審判 (ミケランジェロ)|最後の審判]]」がある &lt;br /&gt;
* [[レオ10世 (ローマ教皇)|レオ10世]]（[[1475年]] - [[1521年]]） - ローマ教皇（在位[[1513年]] - [[1521年]]）・[[メディチ家]]出身・最盛期のルネサンス教皇・ルターの宗教改革を招く&lt;br /&gt;
* [[ジョルジョーネ]]（[[1477年]]/[[1478年]]頃 - [[1510年]]） - 盛期ルネサンスの[[ヴェネツィア派]]の画家・「嵐」「三人の哲学者」などがある&lt;br /&gt;
* [[クレメンス7世 (ローマ教皇)|クレメンス7世]]（[[1478年]] - [[1534年]]） - ローマ教皇（在位[[1523年]] - [[1534年]]）・メディチ家出身・[[ローマ略奪]]により皇帝[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]に屈服&lt;br /&gt;
* [[バルダッサーレ・カスティリオーネ]]（[[1478年]] - [[1529年]]） - イタリアの外交官・ヨーロッパ宮廷人の模範となった『宮廷人（廷臣論）』を執筆&lt;br /&gt;
* [[ラファエロ・サンティ]]（[[1483年]] - [[1520年]]） - [[盛期ルネサンス]]の[[ウルビーノ]]出身の画家・建築家・代表作に「[[アテナイの学堂]]」がある&lt;br /&gt;
* [[フランチェスコ・グイチャルディーニ]]（[[1483年]] - [[1540年]]） - フィレンツェの政治家・歴史家として『フィレンツェ史』『イタリア史』を執筆&lt;br /&gt;
* [[ユリウス3世 (ローマ教皇)|ユリウス3世]]（[[1487年]] - [[1555年]]） - ローマ教皇（在位[[1550年]] - [[1555年]]）・[[トリエント公会議]]を指導する&lt;br /&gt;
* [[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]（[[1488年]]/[[1490年]]頃 - [[1576年]]） - 盛期ルネサンスのヴェネツィア派の画家・「聖母被昇天」「聖愛と俗愛」がある&lt;br /&gt;
* [[コレッジョ|アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ]]（[[1489年]]頃 – [[1534年]]） - 盛期ルネサンスの[[パルマ]]派の画家・「神々の愛」の連作が有名&lt;br /&gt;
* [[ヤコポ・ダ・ポントルモ]]（[[1494年]] - [[1557年]]） - マニエリスムのフィレンツェの画家・サンタ・フェリチタ聖堂「十字架降架」が有名・『日記』もある&lt;br /&gt;
* [[ベンヴェヌート・チェッリーニ]]（[[1500年]] - [[1571年]]） - マニエリスムのフィレンツェの彫刻家・「サリエラ（黄金の塩入れ）」が有名・『自伝』もある&lt;br /&gt;
* [[ジェロラモ・カルダーノ]]（[[1501年]] - [[1576年]]） - [[ミラノ]]出身の数学者・『偉大なる術（アルス・マグナ）』で[[三次方程式]]の根の公式などを紹介&lt;br /&gt;
* [[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]（[[1502年]] - [[1585年]]） - ローマ教皇（在位[[1572年]] - [[1585年]]）・[[ユリウス暦]]を廃し新規に[[グレゴリオ暦]]を採用&lt;br /&gt;
* [[アーニョロ・ブロンズィーノ]]（[[1503年]] - [[1572年]]） - マニエリスムのフィレンツェ派の画家・複雑な寓意をめぐらした「愛のアレゴリー」がある&lt;br /&gt;
* [[アンドレーア・パッラーディオ]]（[[1508年]] - [[1580年]]） - [[パドヴァ]]出身の建築家・マニエリスム建築を大成・「[[ヴィラ・アルメリコ・カプラ|ヴィラ・アルメリコ]]」がある&lt;br /&gt;
* [[ジョルジョ・ヴァザーリ]]（[[1511年]] - [[1574年]]） - マニエリスムのフィレンツェ派の画家・建築家・伝記作家として『[[画家・彫刻家・建築家列伝]]』を残す&lt;br /&gt;
* [[フィリッポ・ネリ]]（[[1515年]] - [[1595年]]） - フィレンツェ出身の司祭・[[オラトリオ会]]の創始者・聖歌[[オラトリオ]]の発展を促し「喜びの聖人」とされる&lt;br /&gt;
* [[ティントレット]]（[[1518年]] - [[1594年]]） - 後期ルネサンスのヴェネツィア派の画家・ドゥカーレ宮殿壁画「天国」などが有名&lt;br /&gt;
* [[コジモ1世]]（[[1519年]] - [[1574年]]） - メディチ家（弟脈）の初代[[トスカーナ大公]]（在位[[1537年]] - [[1574年]]）・マニエリスム芸術の支援者&lt;br /&gt;
* [[シクストゥス5世 (ローマ教皇)|シクストゥス5世]]（[[1520年]] - [[1590年]]） - ローマ教皇（在位[[1585年]] - [[1590年]]）・公共事業として都市ローマの壮大な整備を実施&lt;br /&gt;
* [[ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ]]（[[1525年]]？ - [[1594年]]） - ローマの音楽家・「教会音楽の父」・「[[教皇マルチェルスのミサ曲]]」などが有名&lt;br /&gt;
* [[パオロ・ヴェロネーゼ]]（[[1528年]] - [[1588年]]） - 後期ルネサンスのヴェネツィア派の画家・「[[カナの婚礼]]」「レヴィ家の饗宴」などが有名&lt;br /&gt;
* フランチェスコ・パトリッツィ（[[1529年]] - [[1597年]]） - ローマ・サピエンツァ大学教授・『新普遍哲学』などでアリストテレス哲学を全面的に批判する&lt;br /&gt;
* [[ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ]]（[[1538年]] - [[1615年]]） - ナポリの博物学者・医師・自然科学の最初の学会を結成・『自然魔術』などの著作がある&lt;br /&gt;
* [[ロベルト・ベラルミーノ]]（[[1542年]] - [[1621年]]） - イタリアのイエズス会士・枢機卿・カトリック改革を指揮し『異端反駁信仰論争』を執筆・教会博士&lt;br /&gt;
* [[トルクァート・タッソ]]（[[1544年]] - [[1595年]]） - イタリアの詩人・フェラーラ公に仕え『[[解放されたエルサレム]]』ほかを執筆&lt;br /&gt;
* [[ジョルダーノ・ブルーノ]]（[[1548年]] - [[1600年]]） - イタリアのドミニコ会士・哲学者・[[地動説]]を擁護し無限宇宙論を提唱・[[異端]]判決で火刑&lt;br /&gt;
* [[ガリレオ・ガリレイ]]（[[1564年]] - [[1642年]]） - イタリアの物理学者・天文学者・『天文対話』などで[[地動説]]を擁護し[[宗教裁判]]を受ける&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポルトガル ====&lt;br /&gt;
* [[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]]（幸運王）（[[1469年]] - [[1521年]]） -  [[ポルトガル]]王（在位[[1495年]] - [[1521年]]）・[[ポルトガル海上帝国]]の最盛期の王&lt;br /&gt;
* [[ルイス・デ・カモンイス]]（[[1524年]]頃 - [[1580年]]） - ポルトガルの詩人・大航海時代でのポルトガルの海外覇権を『[[ウズ・ルジアダス]]』に描く&amp;lt;ref name=&amp;quot;WDL2&amp;quot;&amp;gt;{{cite web |url = http://www.wdl.org/en/item/11198/ |title = The Lusiads |website = [[World Digital Library]] |date = 1800-1882 |accessdate = 2013-09-01 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[セバスティアン1世]]（熱望王）（[[1554年]] - [[1578年]]） - ポルトガル王（在位[[1557年]] - [[1578年]]）・[[アルカセル・キビールの戦い]]で戦死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== スペイン ====&lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス]]（[[1436年]] - [[1517年]]） - スペインの[[摂政]]・[[トレド]]大司教・枢機卿・異端審問や多言語対訳聖書編集で活躍&lt;br /&gt;
* [[フェルディナンド・マゼラン]]（[[1480年]]？ - [[1521年]]） - スペイン王に仕えた探検家・世界周航を目指し[[マゼラン海峡]]などを発見・[[フィリピン]]で戦死&lt;br /&gt;
* [[イグナチオ・デ・ロヨラ]]（[[1491年]] - [[1556年]]） - スペインの[[イエズス会]]創立者・会の初代総長として[[フランシスコ・ザビエル]]らを世界宣教に遣わす&lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・デ・ビトリア]]（[[1492年]]頃 - [[1546年]]） - スペインの神学者・哲学者・法学者・[[トマス・アクィナス|トマス]]神学の導入で[[サラマンカ学派]]の祖となる&lt;br /&gt;
* [[ドミンゴ・デ・ソト]]（[[1494年]] - [[1560年]]） - スペインのサラマンカ学派の神学者・哲学者・法学者・代表作は『公正と法』・インディオ問題にも関与&lt;br /&gt;
* [[アビラのテレサ]]（[[1515年]] - [[1582年]]） - スペインの女性神秘家・[[カルメル会]]で改革に取り組む・著作に『完徳の道』などがある&lt;br /&gt;
* [[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]（[[1527年]] - [[1598年]]） - スペイン王（在位[[1556年]] - [[1598年]]）・ポルトガル王も兼務し「太陽の沈まない帝国」を実現&lt;br /&gt;
* [[エル・グレコ]]（[[1541年]] - [[1614年]]） - [[ギリシャ]]の[[クレタ島]]出身の画家・[[ヴェネツィア]]の[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]の弟子・スペインに移住し活躍&lt;br /&gt;
* [[十字架のヨハネ]]（[[1542年]] - [[1591年]]） - スペインの神秘家・アビラのテレサに影響を受けカルメル会で改革に取り組む・著作に『暗夜』など&lt;br /&gt;
* ファン・ゴンザレス・デ・メンドーサ（[[1545年]] - [[1618年]]） - スペインの[[アウグスティノ会]]士・最も古い[[中国学]]の書『シナ大王国誌』を執筆&lt;br /&gt;
* [[ドン・フアン・デ・アウストリア]]（[[1547年]] - [[1578年]]） - スペイン王フェリペ2世の異母弟・総司令官として[[レパントの海戦]]を勝利に導く&lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・スアレス]]（[[1548年]] - [[1617年]]） - スペインの[[イエズス会]]士・サラマンカ学派の哲学者・『形而上学論考』がある&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ネーデルラント ====&lt;br /&gt;
* [[デジデリウス・エラスムス]]（[[1466年]] - [[1536年]]） - [[ネーデルラント]]の人文主義者・神学者・『[[痴愚神礼讃]]』でカトリック教会を批判&lt;br /&gt;
* [[メノ・シモンズ]]（[[1496年]] - [[1561年]]） - [[フリースラント]]出身の牧師・[[アナバプテスト]]（再洗礼派）の指導者でその派をメノナイトと呼ぶ&lt;br /&gt;
* [[フェルナンド・アルバレス・デ・トレド]]（[[1507年]] - [[1582年]]） - [[アルバ公]]・スペインのネーデルラント総督・「血の審判所」で圧政を行う&lt;br /&gt;
* [[ゲラルドゥス・メルカトル]]（[[1512年]] - [[1594年]]） -  ネーデルラントの地理学者・[[地図]]の[[投影法]]である[[メルカトル図法]]で知られる&lt;br /&gt;
* [[アンドレアス・ヴェサリウス]]（[[1514年]] - [[1564年]]） - ネーデルラント出身の医師・解剖学者・[[パドヴァ大学]]教授・『人体の構造』を出版&lt;br /&gt;
* [[ヨーハン・ヴァイヤー]]（[[1515年]] - [[1588年]]） - ネーデルラント出身の医師・[[魔女裁判]]に反対した最初期の人物・『[[悪魔の偽王国]]』などがある&lt;br /&gt;
* [[ピーテル・ブリューゲル]]（[[1525年]]/[[1530年]] - [[1569年]]） - ネーデルラントの画家・民衆を題材にした絵画を残す・「子供の遊び」など&lt;br /&gt;
* [[ウィレム1世 (オラニエ公)|オラニエ公ウィレム1世]]（沈黙公）（[[1533年]] - [[1584年]]） - [[オランダ]]独立の指導者で[[八十年戦争]]初期に活躍するが暗殺される&lt;br /&gt;
* [[アレッサンドロ・ファルネーゼ (パルマ公)|アレッサンドロ・ファルネーゼ]]（[[1545年]] - [[1592年]]） - [[パルマ公]]・スペインのネーデルラント総督・独立派に対し南北離間策を実施&lt;br /&gt;
* [[シモン・ステヴィン]]（[[1548年]] - [[1620年]]） - ネーデルラントの物理学者・数学者・落下の法則や[[十進法]]による[[小数]]の導入などで知られる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 神聖ローマ帝国 ====&lt;br /&gt;
* ヨハネス・ロイヒリン（[[1455年]] - [[1522年]]） - ドイツの人文主義者・古典学者・メランヒトンの大伯父・[[ヘブライ語]]研究と聖書研究を結びつける&lt;br /&gt;
* ヤーコプ・フッガー（[[1459年]] - [[1525年]]） - ドイツの[[アウクスブルク]]の豪商・銀山や金融で巨利を得て神聖ローマ皇帝選挙にも関与する&lt;br /&gt;
* [[フリードリヒ3世 (ザクセン選帝侯)|フリードリヒ3世]]（[[1463年]] - [[1525年]]） - [[ザクセン選帝侯]]（在位[[1486年]] - [[1525年]]）・マルティン・ルターを保護し宗教改革に協力する &lt;br /&gt;
* [[マティアス・グリューネヴァルト]]（[[1470年]]/[[1475年]]頃 - [[1528年]]） - ドイツの末期[[ゴシック]]の画家・「イーゼンハイムの祭壇画」が有名&lt;br /&gt;
* [[アルブレヒト・デューラー]]（[[1471年]] - [[1528年]]） - ドイツの[[ルネサンス]]期の画家・版画家・「[[メランコリア I]]」などが有名&lt;br /&gt;
* [[ルーカス・クラナッハ]]（[[1472年]] - [[1553年]]） - ドイツのルネサンス期の画家・宗教改革を支持し「マルティン・ルターの肖像」を残す&lt;br /&gt;
* [[マルティン・ルター]]（[[1483年]] - [[1546年]]） - ドイツの[[宗教改革]]者・「[[95ヶ条の論題]]」から[[カトリック教会]]と対決し[[ルター派]]教会を結成&lt;br /&gt;
* [[ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ]]（[[1486年]] - [[1535年]]） - ドイツの人文主義者・神秘哲学者・[[カバラ]]研究や『隠秘哲学』で知られる &lt;br /&gt;
* [[ウルリヒ・フォン・フッテン]]（[[1488年]] - [[1523年]]） - ドイツの人文主義者・桂冠詩人・宗教改革に共鳴し[[騎士戦争|ドイツ騎士戦争]]に参加するが敗北&lt;br /&gt;
* [[トマス・ミュンツァー]]（[[1489年]] - [[1525年]]） - ドイツの宗教改革者・[[ドイツ農民戦争]]の指導者となるが捕らえられ斬首にされる&lt;br /&gt;
* [[アルブレヒト (プロイセン公)|アルブレヒト]]（[[1490年]] - [[1568年]]） - [[ドイツ騎士団]]総長・後にルター派に改宗して初代[[プロイセン公]]となる（在位[[1525年]] - [[1568年]]）&lt;br /&gt;
* [[ハンス・ザックス]]（[[1494年]] - [[1576年]]） - ドイツの[[マイスタージンガー]]（職匠歌人）・ルターに共感し「ヴィッテンベルクの鶯」などを歌う&lt;br /&gt;
* [[フィリップ・メランヒトン]]（[[1497年]] - [[1560年]]） - ドイツのキリスト教神学者・ルターの思想を「[[アウクスブルク信仰告白]]」で体系化&lt;br /&gt;
* [[ハンス・ホルバイン]]（[[1497年]]/[[1498年]] - [[1543年]]） - ドイツのルネサンス期の画家・「エラスムス像」などで知られ後年はイングランドで活躍 &lt;br /&gt;
* [[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]（[[1500年]] - [[1558年]]） - [[ハプスブルク家]]のスペイン国王（在位[[1516年]] - [[1556年]]）・神聖ローマ皇帝（在位[[1519年]] - [[1556年]]）&lt;br /&gt;
* [[フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント1世]]（[[1503年]] - [[1564年]]） - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝（在位[[1556年]] - [[1564年]]）・カール5世の弟でオーストリア系の祖&lt;br /&gt;
* [[モーリッツ (ザクセン選帝侯)|モーリッツ]]（[[1521年]] - [[1553年]]） - [[ザクセン選帝侯]]（在位[[1547年]] - [[1553年]]）・シュマルカルデン戦争で皇帝に味方し「マイセンのユダ」と呼ばれる&lt;br /&gt;
* ペトルス・カニシウス（[[1521年]] - [[1597年]]） - ネーデルラント出身のイエズス会士・「ドイツ第二の使徒」・カトリック教会の巻き返しの中心となる&lt;br /&gt;
* [[ジュゼッペ・アルチンボルド]]（[[1527年]] - [[1593年]]） - イタリアのミラノ出身のマニエリスムの画家・歴代皇帝に仕え奇抜な作品を残す・20世紀に再評価&lt;br /&gt;
* [[ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ2世]]（[[1552年]] - [[1612年]]） - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝（在位[[1576年]] - [[1612年]]）・[[プラハ]]での[[マニエリスム]]文化の支援者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== スイス ====&lt;br /&gt;
* [[フルドリッヒ・ツヴィングリ]]（[[1484年]] - [[1531年]]） - [[スイス]]の宗教改革者・[[チューリッヒ]]に[[改革派教会]]を設立・{{仮リンク|第2次カッペル戦争|de|Zweiter Kappelerkrieg|en|Second War of Kappel}}で戦死&lt;br /&gt;
* [[パラケルスス]]（[[1493年]]/[[1494年]] - [[1541年]]） - スイスの医師・[[バーゼル大学]]教授・医学での[[ガレノス]]の権威を否定・[[錬金術師]]でもある&lt;br /&gt;
* [[ジャン・カルヴァン]]（[[1509年]] - [[1564年]]） - フランス出身の宗教改革者・[[ジュネーヴ]]で神権政治を行う・『[[キリスト教綱要]]』が主著&lt;br /&gt;
* [[ミシェル・セルヴェ]]（[[1511年]] - [[1553年]]） - スペイン出身の医師・神学者・三位一体説を批判したことで異端者とされジュネーブで火刑に処される&lt;br /&gt;
* [[コンラート・ゲスナー]]（[[1516年]] – [[1565年]]） - スイスの博物学者・動物学の『動物誌』、植物学の『植物名目録』、 書誌学の『世界書誌』を残す&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== フランス ====&lt;br /&gt;
* [[ジャック・ルフェーヴル・デタープル]]（[[1450年]]？ - [[1536年]]） - フランスの神学者・人文主義者・聖書をフランス語に訳したことで知られる&lt;br /&gt;
* [[フランソワ・ラブレー]]（[[1483年]]？ - [[1553年]]） -  [[フランス]]の医師・作家として『[[ガルガンチュワとパンタグリュエル]]』を残す&lt;br /&gt;
* [[マルグリット・ド・ナヴァル]]（[[1492年]] - [[1549年]]） - ナバラ王[[エンリケ2世]]の妃・文芸の庇護者であり『[[エプタメロン]]』を執筆・フランソワ1世の姉&lt;br /&gt;
* [[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]（[[1494年]] - [[1547年]]） - [[ヴァロワ朝]]のフランス王（在位[[1515年]] - [[1547年]]）・[[イタリア戦争]]でカール5世と戦う&lt;br /&gt;
* [[ノストラダムス]]（[[1503年]] - [[1566年]]） - フランスの医師・[[占星術]]師として王妃カトリーヌに引見され『[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集|予言集]]』を残す&lt;br /&gt;
* [[アンブロワーズ・パレ]]（[[1510年]] - [[1590年]]） - フランスの王室付き外科医・銃創治療での軟膏の使用や血管結紮法を工夫・『大外科学全集』を執筆&lt;br /&gt;
* [[カトリーヌ・ド・メディシス]]（[[1519年]] - [[1589年]]） - フランス王[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]の王妃・[[フランソワ2世 (フランス王)|フランソワ2世]]と[[シャルル9世 (フランス王)|シャルル9世]]と[[アンリ3世 (フランス王) |アンリ3世]]の三代の母后&lt;br /&gt;
* [[ピエール・ド・ロンサール]]（[[1524年]] - [[1585年]]） - フランスの詩人・[[プレイヤード派]]の中心で「詩人たちの君主」と呼ばれる・代表作は『オード』&lt;br /&gt;
* [[ジャン・ボダン]]（[[1530年]] - [[1596年]]） - フランスの経済学者・法学者・宗教戦争の混乱から国家主権を検討した『国家論』を執筆&lt;br /&gt;
* [[ミシェル・ド・モンテーニュ]]（[[1533年]] - [[1592年]]） - フランスの哲学者・[[モラリスト]]・[[懐疑主義|懐疑論]]者・主著は『[[エセー|エセー（随想録）]]』&lt;br /&gt;
* [[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]（[[1553年]] - [[1610年]]） - [[ブルボン朝]]初代のフランス国王（在位[[1589年]] - [[1610年]]）・宗教戦争をおさえ[[ナントの勅令]]を発布&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== イングランド ====&lt;br /&gt;
* [[トマス・モア]]（[[1478年]] - [[1535年]]） - [[イングランド]]の思想家・『[[ユートピア (本) |ユートピア]]』の著者・[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の離婚問題で処刑される&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]（[[1491年]] - [[1547年]]） - イングランド王（在位[[1509年]] - [[1547年]]）・離婚問題から[[イギリス国教会]]を独立させる&lt;br /&gt;
* [[アン・ブーリン]]（[[1507年]]頃 - [[1536年]]） - イングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃・エリザベス1世の母・イングランドの宗教問題に影響&lt;br /&gt;
* [[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]（[[1537年]] - [[1553年]]） - イングランド王（在位[[1547年]] - [[1553年]]）・ヘンリー8世唯一の男子・一般祈祷書を制定&lt;br /&gt;
* [[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]（[[1516年]] - [[1558年]]） - イングランド女王（在位[[1553年]] - [[1558年]]）・イングランドで[[カトリック教会|カトリック]]を復活させる&lt;br /&gt;
* [[トーマス・グレシャム]]（[[1519年]] - [[1579年]]） - イングランドの財政家・貿易商・「[[悪貨は良貨を駆逐する]]」のグレシャムの法則で有名&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ディー]]（[[1527年]] - [[1608年]]/[[1609年]]） - イングランドの数学者・錬金術師・占星術師・著作に『象形文字の単子』がある&lt;br /&gt;
* [[エリザベス1世]]（処女王）（[[1533年]] - [[1603年]]） - イングランド女王（在位[[1558年]] - [[1603年]]）・[[エリザベス朝]]の最盛期を現出&lt;br /&gt;
* [[フランシス・ドレーク]] （[[1543年]]？ - [[1596年]]） - イングランドの[[海賊]]・[[私掠船]]船長・後に海軍提督となり[[アルマダの海戦]]で活躍&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・ギルバート (物理学者)|ウィリアム・ギルバート]]（[[1544年]] - [[1603年]]） - イングランドの医師・物理学者・磁石や静電気の研究から「電気」の概念を構築&lt;br /&gt;
* [[エドマンド・スペンサー]]（[[1552年]]頃 – [[1599年]]） - イングランドの詩人・女王エリザベス1世に捧げられた『[[妖精の女王]]』で有名&lt;br /&gt;
* [[クリストファ・マーロウ]]（[[1564年]] - [[1593年]]） - イングランドの[[イギリス・ルネサンス演劇|エリザベス朝演劇]]の劇作家・代表作に『フォースタス博士』がある&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・シェイクスピア]]（[[1564年]] - [[1616年]]） - イングランドのエリザベス朝演劇の劇作家・代表作に『[[ハムレット]]』『[[リア王]]』他がある&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== スコットランド ====&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ノックス]]（[[1510年]] - [[1572年]]） - スコットランドの牧師・宗教改革を指導し[[長老派教会]]を創立・女王メアリーとは対立&lt;br /&gt;
* [[メアリー (スコットランド女王)|メアリー・ステュアート]]（[[1542年]] - [[1587年]]） - スコットランド女王（在位[[1542年]] - [[1567年]]）・亡命したイングランドで処刑される&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 北欧 ====&lt;br /&gt;
*[[クリスチャン2世 (デンマーク王)|クリスチャン2世]]（[[1481年]] - [[1559年]]） - [[デンマーク王]]（在位[[1513年]] - [[1523年]]）・[[ストックホルムの血浴]]でスウェーデン独立派を弾圧&lt;br /&gt;
* [[グスタフ1世|グスタフ・ヴァーサ]]（[[1496年]] - [[1560年]]） - [[ヴァーサ朝]]初代のスウェーデン王（在位[[1523年]] - [[1560年]]）・ルター派の教義を受け入れる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ポーランド ====&lt;br /&gt;
* [[ステファン・バートリ (ポーランド王)|ステファン・バートリ]]（[[1533年]] - [[1586年]]） - ポーランド国王（在位[[1576年]] - [[1586年]]）・もとは[[トランシルヴァニア公]]・最も優れた[[選挙王]]&lt;br /&gt;
* [[ジグムント3世]]（[[1566年]] - [[1632年]]） - ポーランド国王（在位[[1587年]] - [[1632年]]）・スウェーデン王位も兼任・[[ブレスト合同]]を推進&lt;br /&gt;
* [[ニコラウス・コペルニクス]]（[[1473年]] - [[1543年]]） - [[ポーランド]]の天文学者・[[カトリック教会|カトリック]]司祭・『天球回転論』で[[地動説]]を唱える&lt;br /&gt;
* [[ファウスト・ソッツィーニ]]（[[1539年]] - [[1604年]]） - イタリア出身の反三位一体論の神学者・[[ユニテリアン教会]]の[[ソッツィーニ派|ポーランド兄弟団]]の創設者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== ロシア ====&lt;br /&gt;
* フィロテウス（フィロフェイ）（[[1465年]] - [[1542年]]） - [[プスコフ]]のイェリツァロフ修道院[[典院]]・「[[モスクワ]]第3のローマ説」を提唱&lt;br /&gt;
* [[マクシム・グレク]]（[[1475年]]頃 - [[1556年]]） - [[アトス山]]出身の修道士・翻訳活動に従事し異端説を論駁・非所有派を支持・正教会の聖人（[[克肖者]]）&lt;br /&gt;
* [[フィリップ2世 (モスクワ府主教)|フィリップ2世]]（[[1507年]] - [[1569年]]） - [[モスクワ府主教]]・[[イヴァン雷帝]]に諫言し粛清される・正教会の聖人（[[神品致命者]]・[[奇蹟者]]・[[成聖者]]）&lt;br /&gt;
* [[イヴァン4世]]（雷帝）（[[1530年]] - [[1584年]]） - [[モスクワ大公]]・初代のロシア・[[ツァーリ]]（在位[[1547年]] - [[1574年]]、[[1576年]] - [[1584年]]）&lt;br /&gt;
* [[イェルマーク|イェルマーク・チモフェーイェヴィチ]]（[[1532年]]/[[1542年]] - [[1585年]]） - [[コサック]]の[[アタマン|頭領]]・[[シビル・ハン国]]と戦い[[シベリア]]各地を探検する&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 南北アメリカ ===&lt;br /&gt;
* [[フアン・ポンセ・デ・レオン]]（[[1460年]] - [[1521年]]） - スペイン出身の征服者（[[コンキスタドール]]）・[[フロリダ]]を発見する&lt;br /&gt;
* [[モクテスマ2世]]（[[1466年]] - [[1520年]]） - [[アステカ帝国]]第9代君主（在位[[1502年]] - [[1520年]]）・[[エルナン・コルテス]]と接触後に混乱で事故死&lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・ピサロ]]（[[1470年]]頃 - [[1541年]]） - スペイン出身の征服者（コンキスタドール）・[[インカ帝国]]を滅ぼす・[[リマ]]市を建設&lt;br /&gt;
* ホアン・ディエゴ（[[1474年]] - [[1548年]]） - メキシコ先住民で[[カトリック教会|カトリック]]改宗者・[[グアダルーペの聖母]]の[[聖母の出現|出現]]に立ち会い[[聖人]]とされる&lt;br /&gt;
* [[バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア]]（[[1475年]] - [[1519年]]） - スペイン出身の探検家・植民地政治家・ヨーロッパ人として初めて[[太平洋]]に到達&lt;br /&gt;
* [[バルトロメ・デ・ラス・カサス|ラス・カサス]]（[[1484年]] - [[1566年]]） - スペイン出身の[[ドミニコ会]]士・チャパス[[司教]]・『インディアスの破壊についての簡潔な報告』で有名&amp;lt;ref name=&amp;quot;WDL&amp;quot;&amp;gt;{{cite web |url = http://www.wdl.org/en/item/515/ |title = Mirror of the Cruel and Horrible Spanish Tyranny Perpetrated in the Netherlands, by the Tyrant, the Duke of Alba, and Other Commanders of King Philip II |website = [[World Digital Library]] |date = 1620 |accessdate = 2013-08-27 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[エルナン・コルテス]]（[[1485年]] - [[1547年]]） - スペイン出身の征服者（コンキスタドール）・アステカ帝国を滅ぼす・[[メキシコ]]市を建設&lt;br /&gt;
* [[ジャック・カルティエ]]（[[1491年]] - [[1557年]]） - フランス出身の探検家・[[セントローレンス湾]]沿いを探検し[[カナダ]]と名づけ領有を宣言&lt;br /&gt;
* [[クアウテモック]]（[[1495年]]頃 - [[1525年]]） - アステカ帝国最後の第11代君主（在位[[1520年]] - [[1521年]]）・[[モクテスマ2世]]の従兄弟&lt;br /&gt;
* [[エルナンド・デ・ソト]]（[[1496年]]/[[1497年]] - [[1542年]]） - スペイン人出身の征服者（コンキスドール）・北アメリカ各地を探検し[[ミシシッピ川]]を発見&lt;br /&gt;
* [[アタワルパ]]（[[1502年]]頃 - [[1533年]]） - [[インカ帝国]]第13代君主（在位[[1532年]] - [[1533年]]）・[[フランシスコ・ピサロ]]に処刑される&lt;br /&gt;
* [[トゥパク・アマル (初代)|トゥパク・アマル]]（？ - [[1572年]]） - インカ帝国最後の君主（在位[[1571年]] - [[1572年]]）・[[アタワルパ]]の甥でスペインの支配に抵抗&lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・デ・オレリャーナ]]（[[1511年]] - [[1546年]]） - スペイン出身の征服者（コンキスタドール）・[[アマゾン川]]を発見し河口までを航海する&lt;br /&gt;
* シエサ・デ・レオン（[[1521年]]頃 - [[1554年]]） - スペイン出身の探検家・著述家・ピサロの征服後のペルー各地を遍歴し『ペルー記』を執筆&lt;br /&gt;
* [[ディエゴ・デ・ランダ]]（[[1524年]] - [[1579年]]） - スペイン出身の[[フランシスコ会]]士・[[ユカタン]]司教・『ユカタン事物記』を残す&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 北アフリカ・西アジア・中央アジア ===&lt;br /&gt;
* イブン・イヤース（[[1448年]] - [[1522年]]） - [[マムルーク朝]]エジプトの歴史家・古代からのエジプトの歴史をまとめた大著『花の驚異』で知られる&lt;br /&gt;
* [[ムハンマド・シャイバーニー・ハーン]]（[[1451年]] - [[1510年]]） - [[シャイバーニー朝]]ウズベク・ハン国の初代[[ハーン]]・[[ティムール朝]]を滅ぼす&lt;br /&gt;
* [[ビフザード]]（[[1455年]]? - [[1530年]]代） - [[ヘラート]]で活躍した画家・[[ティムール朝]]から[[サファヴィー朝]]に仕え[[ミニアチュール]]を大成する&lt;br /&gt;
* [[ピーリー・レイース]]（[[1465年]]？ - [[1554年]]） - オスマン帝国海軍提督・[[アデン]]征服などで活躍・『海洋の書』や[[ピーリー・レイースの地図|地図]]の作成でも有名&lt;br /&gt;
* [[セリム1世]]（冷酷者）（[[1470年]] - [[1520年]]） - [[オスマン帝国]]第9代[[スルタン]]（在位[[1512年]] - [[1520年]]）・マムルーク朝を滅ぼす&lt;br /&gt;
* [[バルバロス・ハイレッディン]]（[[1475年]] - [[1546年]]） - [[アルジェ]]の[[海賊]]からオスマン帝国[[提督]]となる・[[プレヴェザの海戦]]で[[スペイン]]に勝利&lt;br /&gt;
* [[フズーリー]]（[[1483年]]頃 - [[1556年]]） - オスマン帝国の詩人・トルコ語やペルシャ語やアラビア語など多言語を通じて詩作&lt;br /&gt;
* [[イスマーイール1世]]（[[1487年]] - [[1524年]]） - [[サファヴィー朝]]初代[[シャー]]（在位[[1501年]] - [[1524年]]）・[[白羊朝]]を滅ぼして建国&lt;br /&gt;
* [[ミマール・スィナン]]（[[1489年]]？ - [[1588年]]） - オスマン帝国の建築家・[[スレイマニエ・モスク]]などを手がけトルコ最高の建築家とされる&lt;br /&gt;
* [[ムタワッキル3世]]（？ - [[1543年]]） - マムルーク朝に庇護されていた[[アッバース朝|アッバース家]]最後のカリフ（在位[[1508年]] - [[1517年]]）&lt;br /&gt;
* [[スレイマン1世]]（大帝）（[[1494年]] - [[1566年]]） - オスマン帝国第10代スルタン（在位[[1520年]] - [[1566年]]）・「立法者」「壮麗者」とも呼ぶ&lt;br /&gt;
* [[ロクセラーナ]]（？ - [[1557年]]） - オスマン帝国カリフの[[スレイマン1世]]の寵妃・[[セリム2世]]の母・もとはロシアの司祭の娘&lt;br /&gt;
* [[ソコルル・メフメト・パシャ]]（[[1506年]] - [[1579年]]） - オスマン帝国の大宰相・スレイマン1世からセリム2世そして[[ムラト3世]]に仕える&lt;br /&gt;
* ウルグ・アリ（クルチ・アリ）（[[1519年]] - [[1587年]]） - オスマン帝国の提督・キリスト教徒の奴隷からアルジェ総督に昇進・[[レパントの海戦]]でも活躍&lt;br /&gt;
* [[ヌール・バヌ]]（[[1525年]] - [[1587年]]） - オスマン帝国カリフのムラト3世の母・もとはヴェネツィア貴族の娘・「母后」の称号を得て[[摂政]]となる&lt;br /&gt;
* バーキー（[[1526年]] - [[1600年]]）- オスマン帝国の宮廷詩人・スレイマン1世に仕え戦勝での賛歌などを捧げる・別名は「詩人たちのスルタン」&lt;br /&gt;
* アブドゥッラーフ2世（[[1533年]] - [[1598年]]） -  シャイバーニー朝[[ブハラ・ハン国]]のハーン（在位[[1583年]] - [[1598年]]）・[[ブハラ]]に遷都&lt;br /&gt;
* アフマド・アル・マンスール（勝利者）（[[1549年]] - [[1603年]]） - [[サアド朝]]の君主（在位[[1578年]] - [[1603年]]）・[[ソンガイ王国]]を滅ぼし塩交易を独占&lt;br /&gt;
* [[サフィエ・スルタン]]（[[1550年]] - [[1618年]]）- オスマン帝国カリフの[[メフメト3世]]の母・[[ヌール・バヌ]]の親戚・「母后」の称号を得る&lt;br /&gt;
* [[アッバース1世]]（[[1571年]] - [[1629年]]） - サファヴィー朝第5代シャー（在位[[1588年]] - [[1629年]]）・最盛期のシャー・[[イスファハーン]]に遷都&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 南アジア ===&lt;br /&gt;
* [[カビール]]（[[1440年]] - [[1518年]]） -  [[インド]]の宗教改革者・もとは織物職人・[[グル・ナーナク]]に影響・「ビージャク」という教典をまとめる&lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・デ・アルメイダ]]（[[1450年]] - [[1510年]]） - ポルトガルの初代インド総督・[[ディーウ]]沖海戦に勝利しインドの[[コチン]]を占領する&lt;br /&gt;
* [[アフォンソ・デ・アルブケルケ]]（[[1453年]] - [[1515年]]） - ポルトガルの第2代インド総督・インドの[[ゴア]]を占領する&lt;br /&gt;
* [[グル・ナーナク]]（[[1469年]] - [[1539年]]） - [[シク教]]教祖にして初代グル（尊師）・[[カビール]]や[[スーフィズム|イスラーム神秘主義者]]に影響を受ける&lt;br /&gt;
* [[クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ]]（[[1471年]] - [[1529年]]） - [[ヴィジャヤナガル王国]]（[[トゥルヴァ朝]]）の王（在位[[1509年]] - [[1529年]]）・最盛期を現出&lt;br /&gt;
* [[イブラーヒーム・ローディー]]（？ - [[1526年]]） - [[ローディー朝]]（[[デリー・スルターン朝]]）最後の君主（在位[[1517年]] - [[1526年]]）・[[第一次パーニーパットの戦い]]に敗北して死亡する &lt;br /&gt;
* [[バーブル]]（[[1483年]] - [[1530年]]） - ムガル帝国の建国者（在位[[1526年]] - [[1530年]]）・ティムール朝の末裔・ローディー朝を滅ぼす&lt;br /&gt;
* [[シェール・シャー]]（[[1486年]] - [[1545年]]） - [[スール朝]]の建国者（在位[[1539年]] - [[1545年]]）・一時[[フマーユーン]]を[[デリー]]から追い払う&lt;br /&gt;
* [[フマーユーン]]（[[1508年]] - [[1556年]]） - ムガル帝国の第2代皇帝（在位[[1530年]] - [[1540年]]、[[1555年]] - [[1556年]]）・バーブルの子&lt;br /&gt;
* [[アクバル]]（[[1542年]] - [[1605年]]） - ムガル帝国の第3代皇帝（在位[[1556年]] - [[1605年]]）・[[ジズヤ]]を廃止し諸宗教の融和を進める&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東南アジア ===&lt;br /&gt;
* [[ラプ＝ラプ]]（[[1491年]] - [[1542年]]） - [[フィリピン]]のマクタン島の部族長・スペイン人探検家[[フェルディナンド・マゼラン]]の上陸に抵抗した・フィリピンの英雄&lt;br /&gt;
* [[ミゲル・ロペス・デ・レガスピ]]（[[1502年]] - [[1572年]]） - スペインの初代フィリピン総督・[[マニラ]]を占領しフィリピン諸島を制圧&lt;br /&gt;
* [[バインナウン]]（[[1517年]] - [[1581年]]） - [[ビルマ]]の[[タウングー王朝|タウングー朝]]の王（在位[[1551年]] - [[1581年]]）・隣国[[アユタヤ朝]]の都[[アユタヤ]]を征服&lt;br /&gt;
* [[ナレースワン]]（大王）（[[1555年]] - [[1605年]]） - [[タイ王国|タイ]]のアユタヤ朝の21代目の王（在位[[1590年]] - [[1605年]]）・ビルマから独立回復する&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東アジア ===&lt;br /&gt;
==== 明 ====&lt;br /&gt;
* [[劉瑾]]（？ - [[1510年]]） - [[明]]の[[宦官]]・[[正徳帝]]の寵愛を受け政治に介入・後に帝位簒奪の陰謀が露見し凌遅刑に処される&lt;br /&gt;
* 朱眞鐇（？ - [[1511年]]） - 明の王族（安化王）・[[劉瑾]]に対する反乱（[[安化王の乱]]）を起こし鎮圧される&lt;br /&gt;
* 朱宸濠（？ - [[1521年]]） - 明の王族（寧王）・[[正徳帝]]に対する反乱（[[寧王の乱]]）を起こし鎮圧される&lt;br /&gt;
* [[楊廷和]]（[[1459年]] - [[1529年]]） - 明の政治家（[[内閣大学士]]）・[[嘉靖帝]]を擁立し「救時宰相」と呼ばれるが大礼の儀問題に巻き込まれる&lt;br /&gt;
* [[祝允明]]（[[1460年]] - [[1526年]]） - 明の官僚・文人・[[呉派]]に属し「呉中の四才子」の一人 &lt;br /&gt;
* [[文徴明]]（[[1470年]] - [[1559年]]） - 明の官僚・文人・呉派に属し「呉中の四才子」の一人・子の[[文彭]]や[[文嘉]]も書画で有名&lt;br /&gt;
* [[唐寅]]（[[1470年]] - [[1523年]]） - 明の文人・呉派に属し「呉中の四才子」の一人・事件に巻き込まれ官人になれず在野で活躍&lt;br /&gt;
* [[王陽明]]（[[1472年]] - [[1528年]]） - 明の政治家・思想家（[[陽明学]]）・[[寧王の乱]]ほかを鎮圧・主著に『[[伝習録]]』&lt;br /&gt;
* [[厳嵩]]（[[1480年]] - [[1567年]]） - 明の政治家（内閣大学士）・息子厳世蕃とともに嘉靖年間後半の政治を壟断・「青祠宰相」の別名がある&lt;br /&gt;
* [[徐階]]（[[1494年]] - [[1574年]]） - 明の政治家（内閣大学士）・嘉靖帝死後に[[隆慶帝]]を擁立し内廷粛正を図る&lt;br /&gt;
* 仇英（[[1494年]]？ - [[1552年]]） - 明の画家・漆工から身を起こし模写を重ね花鳥や人物を得意とした・特に美人画でよく知られる &lt;br /&gt;
* [[呉承恩]]（[[1504年]]頃 - [[1582年]]頃） - 明代の官僚・文人・『[[西遊記]]』の編者か？&lt;br /&gt;
* [[王直]]（？ - [[1559年]]） - 明の海賊・嘉靖の大[[倭寇]]の中心人物・日本の[[五島列島]]に本拠地を持つ・[[胡宗憲]]に捕縛され処刑される&lt;br /&gt;
* [[鄭舜功]]（生没年不詳） - 明の外交官・倭寇禁圧の要請のため訪日・日本の国情を記した『[[日本一鑑]]』を残す&lt;br /&gt;
* [[嘉靖帝]]（[[1507年]] - [[1566年]]） - 明の第12代皇帝（世宗）（在位[[1521年]] - [[1566年]]）・40年に及ぶ治世で北虜南倭に苦しむ&lt;br /&gt;
* [[海瑞]]（[[1514年]] - [[1587年]]） - 明の官僚・嘉靖帝に対して厳しい直諫を行い投獄されるが後に復権・歴史戯曲『[[海瑞罷官]]』でも有名&lt;br /&gt;
* [[李時珍]]（[[1518年]] - [[1593年]]） - 明の医師で[[本草学]]者・中国本草学の集大成である『[[本草綱目]]』を編纂&lt;br /&gt;
* [[徐渭]]（[[1521年]] - [[1593年]]） - 明の文人・書画や詩文や戯曲など多様な分野で天才性を発揮・一方で精神を病み妻を殺害する&lt;br /&gt;
* [[張居正]]（[[1525年]] - [[1582年]]） - 明の政治家（[[内閣大学士]]）・幼い[[万暦帝]]の補佐をして[[一条鞭法]]の導入などの政治改革を行う&lt;br /&gt;
* [[戚継光]]（[[1528年]] - [[1587年]]） - 明の武将・倭寇と[[モンゴル]]とそれぞれ戦ってともに戦果を挙げた&lt;br /&gt;
* [[李卓吾]]（[[1527年]] - [[1602年]]） - 明の官僚・思想家（陽明学左派）・『焚書』の著者・世に入れられずに獄中で自殺&lt;br /&gt;
* [[蘭陵笑笑生]]（生没年不詳） - 明の小説家・万暦年間成立の[[四大奇書]]『[[金瓶梅]]』の作者？（[[王世貞]]・徐渭・厳嵩ら別名説もある）&lt;br /&gt;
* 袁黄（袁了凡）（[[1533年]] - [[1606年]]） - 明の官僚・儒学者（陽明学左派の王龍溪の門人)・『了凡四訓』（『[[陰騭録]]』）がある&lt;br /&gt;
* [[呂坤]]（呂新吾）（[[1536年]] - [[1618年]]） - 明の官僚・儒学者・『[[呻吟語]]』その他の著作がある&lt;br /&gt;
* 洪自誠（洪応明）（活躍時期[[1572年]] - [[1620年]]） - 明の文人・処世訓を記した随筆集『[[菜根譚]]』がある&lt;br /&gt;
* [[李如松]]（[[1549年]] - [[1598年]]） - 明の武将・朝鮮援兵（文禄・慶長の役）で明側の指揮官として日本の豊臣秀吉軍と戦う&lt;br /&gt;
* [[湯顯祖]]（[[1550年]] - [[1616年]]） - 明の劇作家・「中国のシェイクスピア」とも言われる・「[[牡丹亭|牡丹亭還魂記]]」の作者&lt;br /&gt;
* [[万暦帝]]（[[1563年]] - [[1620年]]） - 明の第14代皇帝（在位[[1572年]] - [[1620年]]）・[[張居正]]死後に親政・放漫な政治で[[万暦の三征]]が発生&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 越南 ====&lt;br /&gt;
* [[莫登庸]]（[[1483年]]？ - [[1541年]]） - 越南莫朝の初代皇帝（莫太祖）（在位[[1527年]] - [[1529年]]）・[[黎朝|前期黎朝]]を滅ぼす&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== モンゴル ====&lt;br /&gt;
* [[アルタン・ハーン]]（[[1507年]] - [[1582年]]） - [[モンゴル]]のハーン（在位[[1551年]] - [[1582年]]）・[[ダヤン・ハーン]]の孫・[[庚戌の変]]で[[北京]]を包囲&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== チベット ====&lt;br /&gt;
* [[ダライ・ラマ3世]]（[[1543年]] - [[1588年]]） - [[チベット]]の教主・[[アルタン・ハーン]]より正式に「ダライ・ラマ」に推戴される&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 朝鮮 ====&lt;br /&gt;
* [[燕山君]]（[[1476年]] - [[1506年]]） - [[李氏朝鮮]]の第10代国王（在位[[1494年]] - [[1506年]]）・[[戊午士禍]]や[[甲子士禍]]を招いた暗君とされ廃位される&lt;br /&gt;
* [[李滉]]（[[1501年]] - [[1570年]]） - 李氏朝鮮の儒学者（[[朱子学]]）・「東方の小朱子」と呼ばれ[[李栗谷]]と二派を形成・日本儒学にも影響&lt;br /&gt;
* [[李栗谷]]（[[1536年]] - [[1584年]]） - 李氏朝鮮の儒学者（[[朱子学]]）・[[李滉]]の主理説に対し主気説を唱え別派を形成&lt;br /&gt;
* [[柳成龍]]（[[1542年]] - [[1607年]] - 李氏朝鮮の政治家・壬辰・丁酉倭乱（[[文禄・慶長の役]]）で李舜臣を抜擢・『[[懲毖録]]』を記録として残す&lt;br /&gt;
* [[李舜臣]]（[[1545年]] - [[1598年]]） - 李氏朝鮮の将軍・壬辰・丁酉倭乱で[[日本]]の[[豊臣秀吉]]軍と戦うが[[露梁海戦]]で戦死・[[韓国]]の英雄&lt;br /&gt;
* [[姜沆]]（[[1567年]] - [[1618年]]） - 李氏朝鮮の官人・丁酉の倭乱で日本に連行され『看羊録』を残す・藤原惺窩に朱子学を伝えたとされる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
* [[雪舟等楊]]（[[1420年]] - [[1506年]]？） - [[水墨画家]]・禅僧・渡明して技法を学ぶ・「秋冬山水図」や「天橋立図」で知られる &lt;br /&gt;
* [[北条早雲]]（[[1432年]] - [[1519年]]） - 武将・[[相模国|相模]][[伊豆国|伊豆]]の[[戦国大名]]・[[伊勢氏]]の流れを汲み[[後北条氏]]の祖となる&lt;br /&gt;
* [[山崎宗鑑]]（[[1465年]]？ - [[1554年]]？） - 連歌師・俳諧作者・自由奔放で滑稽味のある句風の作品を集めた俳諧撰集『[[犬筑波集]]』で知られる&lt;br /&gt;
* [[細川政元]]（[[1466年]] - [[1507年]]） - [[室町幕府]][[管領]]・[[明応の政変]]で将軍[[足利義稙]]を追放し[[細川政権 (戦国時代)|細川政権]]を樹立・[[永正の錯乱]]で暗殺される&lt;br /&gt;
* [[足利義稙]]（[[1466年]] - [[1523年]]） - 室町幕府第10代[[征夷大将軍]]（在任[[1490年]] - [[1494年]]・[[1508年]] - [[1521年]]）・[[明応の政変]]で廃されるが、10年以上の亡命生活を経て将軍に復帰&lt;br /&gt;
* [[清原宣賢]]（[[1475年]] - [[1550年]]） - 公卿・儒学者・古典学者・『日本書紀神代巻抄』『伊勢物語惟清抄』ほか研究を残す&lt;br /&gt;
* [[細川高国]]（[[1484年]] - [[1531年]]） - 室町幕府管領・[[細川政元]]の養子・[[畿内]]を支配するが[[大物崩れ]]で殺害される&lt;br /&gt;
* [[斎藤道三]]（[[1494年]] - [[1556年]]） - 武将・[[美濃国|美濃]]の戦国大名・[[土岐頼芸]]を追放し美濃を征服する&lt;br /&gt;
* [[毛利元就]]（[[1497年]] - [[1571年]]） - 武将・[[安芸国|安芸]]の戦国大名・[[厳島の戦い]]で[[陶晴賢]]を破り[[中国地方]]を統一&lt;br /&gt;
* [[雪村周継]]（[[1504年]]？ - [[1589年]]頃） - [[水墨画家]]・戦国時代の[[関東地方|関東]]画壇の中心人物になる&lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・ザビエル]]（[[1506年]] - [[1552年]]） - [[スペイン]]出身の[[イエズス会]]宣教師・[[鹿児島市|鹿児島]]や[[山口市|山口]]で布教&lt;br /&gt;
* [[大内義隆]]（[[1507年]] - [[1551年]]） - 武将・[[周防国|周防]]・[[長門国|長門]]の戦国大名・家臣陶晴賢に殺害される・[[山口市|山口]]の[[大内文化]]を育む&lt;br /&gt;
* [[松永久秀]]（[[1510年]] - [[1577年]]） - 武将・[[三好家]][[家宰]]・[[大和国|大和]]の戦国大名・[[永禄の変]]で将軍[[足利義輝]]を殺害&lt;br /&gt;
* [[足利義晴]]（[[1511年]] - [[1550年]]） - 室町幕府第12代征夷大将軍（在任[[1521年]] - [[1546年]]）&lt;br /&gt;
* [[細川晴元]]（[[1514年]] - [[1563年]]） - 室町幕府管領・[[細川高国]]を滅ぼすが畿内で[[一向一揆]]や[[法華一揆]]に翻弄される&lt;br /&gt;
* [[北条氏康]]（[[1515年]] - [[1571年]]） - 武将・[[相模国|相模]]の戦国大名・[[河越城の戦い]]で関東での覇権を確立・[[甲相駿三国同盟]]を締結&lt;br /&gt;
* [[今川義元]]（[[1519年]] - [[1560年]]） - 武将・[[駿河国|駿河]]の戦国大名・「海道一の弓取り」・[[桶狭間の戦い]]で[[織田信長]]に滅ぼされる&lt;br /&gt;
* [[武田信玄]]（[[1521年]] - [[1573年]]） - 武将・[[甲斐国|甲斐]]の戦国大名・[[川中島の戦い]]で[[上杉謙信]]と激突&lt;br /&gt;
* [[三好長慶]]（[[1522年]] - [[1564年]]） - 武将・畿内の戦国大名・細川政権（[[細川晴元]]）を倒し[[三好政権]]を樹立&lt;br /&gt;
* [[千利休]]（[[1522年]] - [[1591年]]） - 茶人・[[堺]]の商人・[[豊臣秀吉]]に茶頭として近侍し[[豊臣政権]]を支える・後に秀吉の怒りで[[切腹]]を命じられる&lt;br /&gt;
* [[柴田勝家]]（[[1522年]] - [[1583年]]） - 武将・織田信長の重臣・[[清州会議]]で[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]の優位を許し[[賤ヶ岳の戦い]]で滅ぼされる&lt;br /&gt;
* [[明智光秀]]（[[1528年]] - [[1582年]]） - 武将・織田信長の重臣・[[本能寺の変]]で織田信長を倒すが[[山崎の戦い]]で羽柴秀吉に滅ぼされる&lt;br /&gt;
* [[上杉謙信]]（[[1530年]] - [[1578年]]） - 武将・[[関東管領]]・[[越後国|越後]]の戦国大名・川中島の戦いで[[武田信玄]]と激突&lt;br /&gt;
* [[大友義鎮|大友宗麟]]（[[1530年]] - [[1587年]]） - 武将・[[豊後国|豊後]]の戦国大名（[[キリシタン大名]]）・[[伊東マンショ]]は縁者&lt;br /&gt;
* [[大村純忠]]（[[1533年]] - [[1587年]]） - 武将・[[肥前国|肥前]]の戦国大名（キリシタン大名）・[[長崎港]]を開港する&lt;br /&gt;
* [[織田信長]]（[[1534年]] - [[1582年]]） - 武将・[[尾張国|尾張]]の戦国大名・室町幕府を倒し[[織田政権]]を樹立・本能寺の変で[[明智光秀]]に滅ぼされる&lt;br /&gt;
* [[細川幽斎]]（[[1534年]] - [[1610年]]） - 武将・[[細川氏]]一族で[[足利義昭]]・織田信長・豊臣秀吉に仕える・歌人として[[古今伝授]]を行う&lt;br /&gt;
* [[島津義弘]]（[[1535年]] - [[1619年]]） - 武将・[[薩摩国|薩摩]]の戦国大名・九州に覇を唱えるがやがて豊臣秀吉の[[九州平定]]に従う &lt;br /&gt;
* [[足利義輝]]（[[1536年]] - [[1565年]]） - 室町幕府第13代征夷大将軍（在任[[1546年]] - [[1565年]]）・永禄の変で[[松永久秀]]らに殺害される&lt;br /&gt;
* [[豊臣秀吉]]（[[1536年]] - [[1598年]]） - 武将・[[関白]]（在任[[1585年]] - [[1591年]]）・後に[[太閤]]と呼ばれる・豊臣政権を樹立し天下統一&lt;br /&gt;
* [[足利義栄]]（[[1538年]] - [[1568年]]） - 室町幕府第14代征夷大将軍（在任[[1568年]]）・松永久秀と[[三好三人衆]]に擁立される&lt;br /&gt;
* [[足利義昭]]（[[1537年]] - [[1597年]]） - 室町幕府最後の第15代征夷大将軍（在任[[1568年]] - [[1573年]]）・織田信長に擁立されるが後に反目&lt;br /&gt;
* [[前田利家]]（[[1538年]] - [[1599年]]） - 武将・豊臣政権の[[五大老]]の一人・後の[[加賀国|加賀]][[前田家]]の基礎を築く&lt;br /&gt;
* [[長宗我部元親]]（[[1539年]] - [[1599年]]） - 武将・[[土佐国|土佐]]の戦国大名・四国を統一するがやがて豊臣秀吉の[[四国平定]]に従う&lt;br /&gt;
* [[長谷川等伯]]（[[1539年]] - [[1610年]]） - 長谷川派の画家・[[京都]][[智積院]]「金碧障壁画」や「[[松林図屏風]]」で知られる&lt;br /&gt;
* [[顕如]]（[[1543年]] - [[1592年]]） - [[浄土真宗]][[本願寺]]第11世法主・[[石山本願寺]]から[[一向一揆]]を指揮して[[信長包囲網]]に参加&lt;br /&gt;
* [[狩野永徳]]（[[1543年]] - [[1590年]]） - [[狩野派]]の画家・「唐獅子図屏風」や「[[洛中洛外図屏風]]」で知られる&lt;br /&gt;
* [[徳川家康]]（[[1543年]] - [[1616年]]） - 武将・[[三河国|三河]]の戦国大名・豊臣政権の五大老の一人・[[江戸幕府]]初代征夷大将軍（在任[[1603年]] - [[1605年]]）&lt;br /&gt;
* [[古田重然|古田織部]]（[[1544年]] - [[1615年]]） - 武将・茶人で利休七哲の一人・豊臣秀吉や[[徳川家康]]の茶頭となる・[[大阪の陣]]後に[[切腹]]&lt;br /&gt;
* [[黒田孝高]]（[[1546年]] - [[1604年]]） - 武将・豊後の大名・軍師として豊臣秀吉に献策を行う・息子の[[黒田長政|長政]]は福岡藩初代藩主となる&lt;br /&gt;
* [[毛利輝元]]（[[1553年]] - [[1625年]]） - 武将・周防の戦国大名・豊臣政権の[[五大老]]の一人・[[関ヶ原の戦い]]後に領土を削られる&lt;br /&gt;
* [[小西行長]]（[[1555年]]？ - [[1600年]]） - 武将・キリシタン大名・朝鮮出兵の交渉役・関ヶ原の戦いでは西軍に属し敗北の後に斬首される&lt;br /&gt;
* [[上杉景勝]]（[[1556年]] - [[1623年]]）  - 武将・越後の戦国大名・豊臣政権の五大老の一人・[[会津征伐]]を受け領土を削られる&lt;br /&gt;
* [[石田三成]]（[[1560年]] - [[1600年]]） - 武将・豊臣政権の[[五奉行]]の一人・関ヶ原の戦いでは西軍を率いるが敗北し処刑される&lt;br /&gt;
* [[福島正則]]（[[1561年]] - [[1624年]]） - 武将・安芸[[広島市|広島]]の大名・賤ヶ岳の七本槍の一人・朝鮮出兵で活躍・関ヶ原の戦いでは東軍に属す&lt;br /&gt;
* [[加藤清正]]（[[1562年]] - [[1611年]]） - 武将・肥後[[熊本市|熊本]]の大名・賤ヶ岳の七本槍の一人・朝鮮出兵で活躍・関ヶ原の戦いでは九州の西軍と戦う&lt;br /&gt;
* [[上田重安]]（[[1563年]] - [[1650年]]） - 武将・茶人・[[古田重然|古田織部]]から茶道を学ぶ・[[上田宗箇流]]の流祖&lt;br /&gt;
* [[細川ガラシャ]]（[[1563年]] - [[1600年]]） - 大名[[細川忠興]]の正室・[[キリシタン]]として悲劇的な最期を遂げた話は国外でも広く知られた&lt;br /&gt;
* [[有馬晴信]]（[[1567年]] - [[1612年]]） - 武将・肥前の戦国大名（キリシタン大名）・[[大村純忠]]の甥&lt;br /&gt;
* [[伊達政宗]]（[[1567年]] - [[1637年]]） - 武将・[[出羽国|出羽]]・[[陸奥国|陸奥]]の戦国大名・「独眼竜」・豊臣秀吉から徳川家康に従う&lt;br /&gt;
* [[伊東マンショ]]（[[1569年]]頃 - [[1612年]]） - [[天正遣欧少年使節]]の正使・後に[[イエズス会]]士で[[カトリック教会|カトリック]][[司祭]]となる&lt;br /&gt;
* [[出雲阿国]]（[[1572年]] - ？） - [[歌舞伎]]の創始者といわれる女性芸能者・もとは[[出雲大社]]の[[巫女]]か&lt;br /&gt;
* [[宇喜多秀家]]（[[1573年]] - [[1655年]]） - 武将・豊臣政権の五大老の一人・関ヶ原の戦いで敗北し[[八丈島]]に流される&lt;br /&gt;
* [[小早川秀秋]]（[[1582年]] - [[1602年]]） - 武将・備前岡山の大名・朝鮮出兵で活躍・関ヶ原の戦いでは西軍を裏切り東軍の勝利に貢献する&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== フィクションのできごと ==&lt;br /&gt;
{{フィクションの出典明記|ソートキー=年世紀16|section=1|date=2011年7月}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件 ===&lt;br /&gt;
*[[1540年]] - [[宇宙人]]がついていた[[隕石]]が地球に衝突、衝撃で全ての宇宙人は死滅したが、一つの[[細胞]]が生き延び、その子孫が1879年、狼男となってヴィクトリア女王陛下に襲い掛かる。（[[ドクター・フー]]）&lt;br /&gt;
*[[1547年]] - [[陸上自衛隊]]第三特別実験中隊が人工磁場シールドの暴走事故により、[[2003年]][[10月13日]]15時34分から演習場ごと[[タイムトラベル|タイムスリップ]]してくる。（[[戦国自衛隊1549]]）&lt;br /&gt;
*[[1549年]] - 陸上自衛隊ロメオ隊が第三特別実験中隊を追って[[2005年]]10月13日12時5分からタイムスリップしてくる。その74時間26分後、作戦成功により2005年[[10月16日]]16時31分へ帰還し、この時代から完全に姿を消す。（戦国自衛隊1549）&lt;br /&gt;
*[[1591年]] - [[ムラト3世]]支配下のオスマン帝国首都[[イスタンブル]]において宮廷細密画家が何者かにより暗殺される（[[オルハン・パムク]]の小説『わたしの名は紅』）&lt;br /&gt;
*[[1599年]] - [[シェイクスピア]]とドクターが出会う。（ドクター・フー）&lt;br /&gt;
*[[1600年]] - 関ヶ原の戦いで[[小早川秀秋]]が裏切るも、[[武田信玄]]の騎馬隊によって西軍が優勢となり、徳川家康などの有力な武将が次々と殺され、東軍が敗北する。（[[ズッコケ三人組]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 誕生 ===&lt;br /&gt;
*[[7月4日]]　[[Gackt]]（[[シンガーソングライター]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 10年紀と各年 ==&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
{|&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1500年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1500年|1500]] || [[1501年|1501]]&lt;br /&gt;
| [[1502年|1502]] || [[1503年|1503]]&lt;br /&gt;
| [[1504年|1504]] || [[1505年|1505]] || [[1506年|1506]]&lt;br /&gt;
| [[1507年|1507]] || [[1508年|1508]] || [[1509年|1509]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1510年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1510年|1510]] || [[1511年|1511]]&lt;br /&gt;
| [[1512年|1512]] || [[1513年|1513]]&lt;br /&gt;
| [[1514年|1514]] || [[1515年|1515]] || [[1516年|1516]]&lt;br /&gt;
| [[1517年|1517]] || [[1518年|1518]] || [[1519年|1519]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1520年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1520年|1520]] || [[1521年|1521]]&lt;br /&gt;
| [[1522年|1522]] || [[1523年|1523]]&lt;br /&gt;
| [[1524年|1524]] || [[1525年|1525]] || [[1526年|1526]]&lt;br /&gt;
| [[1527年|1527]] || [[1528年|1528]] || [[1529年|1529]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1530年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1530年|1530]] || [[1531年|1531]]&lt;br /&gt;
| [[1532年|1532]] || [[1533年|1533]]&lt;br /&gt;
| [[1534年|1534]] || [[1535年|1535]] || [[1536年|1536]]&lt;br /&gt;
| [[1537年|1537]] || [[1538年|1538]] || [[1539年|1539]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1540年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1540年|1540]] || [[1541年|1541]]&lt;br /&gt;
| [[1542年|1542]] || [[1543年|1543]]&lt;br /&gt;
| [[1544年|1544]] || [[1545年|1545]] || [[1546年|1546]]&lt;br /&gt;
| [[1547年|1547]] || [[1548年|1548]] || [[1549年|1549]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1550年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1550年|1550]] || [[1551年|1551]]&lt;br /&gt;
| [[1552年|1552]] || [[1553年|1553]]&lt;br /&gt;
| [[1554年|1554]] || [[1555年|1555]] || [[1556年|1556]]&lt;br /&gt;
| [[1557年|1557]] || [[1558年|1558]] || [[1559年|1559]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1560年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1560年|1560]] || [[1561年|1561]]&lt;br /&gt;
| [[1562年|1562]] || [[1563年|1563]]&lt;br /&gt;
| [[1564年|1564]] || [[1565年|1565]] || [[1566年|1566]]&lt;br /&gt;
| [[1567年|1567]] || [[1568年|1568]] || [[1569年|1569]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1570年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1570年|1570]] || [[1571年|1571]]&lt;br /&gt;
| [[1572年|1572]] || [[1573年|1573]]&lt;br /&gt;
| [[1574年|1574]] || [[1575年|1575]] || [[1576年|1576]]&lt;br /&gt;
| [[1577年|1577]] || [[1578年|1578]] || [[1579年|1579]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1580年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1580年|1580]] || [[1581年|1581]]&lt;br /&gt;
| [[1582年|1582]] || [[1583年|1583]]&lt;br /&gt;
| [[1584年|1584]] || [[1585年|1585]] || [[1586年|1586]]&lt;br /&gt;
| [[1587年|1587]] || [[1588年|1588]] || [[1589年|1589]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1590年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1590年|1590]] || [[1591年|1591]]&lt;br /&gt;
| [[1592年|1592]] || [[1593年|1593]]&lt;br /&gt;
| [[1594年|1594]] || [[1595年|1595]] || [[1596年|1596]]&lt;br /&gt;
| [[1597年|1597]] || [[1598年|1598]] || [[1599年|1599]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
| &#039;&#039;&#039;[[1600年代]]&#039;&#039;&#039; || [[1600年|1600]] || [[1601年|1601]]&lt;br /&gt;
| [[1602年|1602]] || [[1603年|1603]]&lt;br /&gt;
| [[1604年|1604]] || [[1605年|1605]] || [[1606年|1606]]&lt;br /&gt;
| [[1607年|1607]] || [[1608年|1608]] || [[1609年|1609]]&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:16世紀|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>111.87.58.207</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=1930%E5%B9%B4%E4%BB%A3&amp;diff=1918</id>
		<title>1930年代</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=1930%E5%B9%B4%E4%BB%A3&amp;diff=1918"/>
		<updated>2014-08-14T14:23:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;111.87.58.207: /* 中国 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{Decadebox| 前世紀=19 | 世紀=20 | 次世紀=21 |&lt;br /&gt;
前10年紀3=1900 | 前10年紀2=1910 | 前10年紀=1920 | 次10年紀=1940 | 次10年紀2=1950 | 次10年紀3=1960 | &lt;br /&gt;
10年紀÷10=193 | 10年紀÷10=193 | 10年紀÷10=193 | 10年紀÷10=193 | 10年紀÷10=193 | 10年紀÷10=193 | 10年紀÷10=193 | 10年紀÷10=193 | 10年紀÷10=193 | 10年紀÷10=193 |}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;1930年代&#039;&#039;&#039;は1930年から1939年までの10年間を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
* [[ブロック経済]]の時代&lt;br /&gt;
* [[1932年]]：[[ニューイングランドソウゲンライチョウ|ヒースヘン]]絶滅、[[五・一五事件]]&lt;br /&gt;
* [[1933年]] : [[ドイツ]]で[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が政権を獲得する。&lt;br /&gt;
* [[1936年]]：[[スペイン内戦]]、[[二・二六事件]]&lt;br /&gt;
* [[1937年]] : [[日本]]と[[中華民国]]間において[[日中戦争]]（[[支那事変]]）が起こる。&lt;br /&gt;
* [[1939年]] : ドイツによる[[ポーランド侵攻]]。これに対して[[イギリス]]と[[フランス]]が宣戦（[[第二次世界大戦]]勃発）。その後、[[ソビエト連邦|ソ連]]もポーランドに侵攻した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経済 ==&lt;br /&gt;
*[[世界恐慌|大不況時代]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 文化 ==&lt;br /&gt;
*[[カラー映画]]の製作がはじまる。&lt;br /&gt;
*アメリカ合衆国で、[[スウィング・ジャズ]]の流行。&lt;br /&gt;
*[[ハリウッド]]の黄金時代、[[アメリカン・コミックス|アメリカン・コミック]]の黄金時代。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== ヨーロッパとアメリカ ===&lt;br /&gt;
==== 政治 ====&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー・スティムソン]]（[[1867年]] - [[1950年]]）&lt;br /&gt;
* [[ネヴィル・チェンバレン]]（[[1869年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[レオン・ブルム]]（[[1872年]] - [[1950年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヒャルマル・シャハト]]（[[1877年]] - [[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヨシフ・スターリン]]（[[1878年]] - [[1953年]]）&lt;br /&gt;
* [[マヌエル・アサーニャ]]（[[1880年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[フランクリン・ルーズベルト]]（[[1882年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[ゲオルギ・ディミトロフ]]（[[1882年]] - [[1949年]]）&lt;br /&gt;
* [[エドゥアール・ダラディエ]]（[[1884年]] - [[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[エドヴァルド・ベネシュ]]（[[1884年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルフォンソ13世 (スペイン王)|アルフォンソ13世]]（[[1886年]] - [[1941年]]）&lt;br /&gt;
* [[セルゲイ・キーロフ]]（[[1886年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[エルンスト・レーム]]（[[1887年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[アドルフ・ヒトラー]]（[[1889年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[アントニオ・サラザール]]（[[1889年]] - [[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[フランシスコ・フランコ]]（[[1892年]] - [[1975年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルトゥル・ザイス＝インクヴァルト|アルトゥル・ザイス・インクヴァルト]]（[[1892年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヘルマン・ゲーリング]]（[[1893年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[ミハイル・トゥハチェフスキー]]（[[1893年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]（[[1894年]] - [[1972年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]（[[1895年]] - [[1952年]]）&lt;br /&gt;
* [[ニコライ・エジョフ]]（[[1895年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョン・エドガー・フーヴァー]]（[[1895年]] - [[1972年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヨーゼフ・ゲッベルス]]（[[1897年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[ラヴレンチー・ベリヤ]]（[[1899年]] - [[1953年]]）&lt;br /&gt;
* [[ハインリヒ・ヒムラー]]（[[1900年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 哲学と思想 ====&lt;br /&gt;
* [[ジョン・デューイ]]（[[1859年]] - [[1952年]]）&lt;br /&gt;
* [[レフ・シェストフ]]（[[1866年]] - [[1938年]]）&lt;br /&gt;
* [[マルセル・モース]]（[[1872年]] - [[1950年]]）&lt;br /&gt;
* [[アーサー・ラヴジョイ]]（[[1873年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[ハンス・ケルゼン]]（[[1881年]] - [[1973年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンリ・フォシヨン]]（[[1881年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョン・メイナード・ケインズ]]（[[1883年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[ガストン・バシュラール]]（[[1884年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[アーノルド・J・トインビー|アーノルド・ジョセフ・トインビー]]（[[1889年]] - [[1975年]]）&lt;br /&gt;
* [[ガブリエル・マルセル]]（[[1889年]] - [[1973年]]）&lt;br /&gt;
* [[ニコライ・トルベツコイ]]（[[1890年]] - [[1938年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヴァルター・ベンヤミン]]（[[1892年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[E・H・カー|エドワード・ハレット・カー]]（[[1892年]] - [[1982年]]）&lt;br /&gt;
* [[エルヴィン・パノフスキー]]（[[1892年]] - [[1968年]]）&lt;br /&gt;
* [[ハロルド・ラスキ]]（[[1893年]] - [[1950年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルフレート・ローゼンベルク]]（[[1893年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[ゲオルギイ・フロロフスキイ]]（[[1893年]] - [[1979年]]）&lt;br /&gt;
* [[エドマンド・ウィルソン]]（[[1895年]] - [[1972年]]）&lt;br /&gt;
* [[レフ・ヴィゴツキー]]（[[1896年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[マリオ・プラーツ]]（[[1896年]] - [[1982年]]）&lt;br /&gt;
* [[カール・レーヴィット]]（[[1897年]] - [[1973年]]）&lt;br /&gt;
* [[ノルベルト・エリアス]]（[[1897年]] - [[1990年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヴィルヘルム・ライヒ]]（[[1897年]] - [[1957年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルフレッド・シュッツ]]（[[1899年]] - [[1959年]]）&lt;br /&gt;
* [[フランツ・ボルケナウ]]（[[1900年]] - [[1957年]]）&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・ミード]]（[[1901年]] - [[1978年]]）&lt;br /&gt;
* [[ウラジミール・ジャンケレヴィッチ|ウラジーミル・ジャンケレヴィッチ]]（[[1903年]] - [[1985年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ヒックス]]（[[1904年]] - [[1989年]]）&lt;br /&gt;
* [[ドニ・ド・ルージュモン]]（[[1906年]] - [[1985年]]）&lt;br /&gt;
* [[クレメント・グリーンバーグ]]（[[1909年]] - [[1994年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルフレッド・エイヤー]]（[[1910年]] - [[1989年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 文学 ====&lt;br /&gt;
* [[ロベルト・ムージル]]（[[1880年]] - [[1942年]]）&lt;br /&gt;
* [[ロジェ・マルタン・デュ・ガール]]（[[1881年]] - [[1958年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャン・ジロドゥ]]（[[1882年]] - [[1944年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジュール・シュペルヴィエル]]（[[1884年]] - [[1960年]]）&lt;br /&gt;
* ジョルジュ・ベルナノス（[[1888年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[フェルナンド・ペソア]]（[[1888年]] - [[1935年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヴィッキイ・バウム]]（[[1888年]] - [[1960年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンナ・アフマートヴァ]]（[[1889年]] - [[1966年]]）&lt;br /&gt;
* [[カレル・チャペック]]（[[1890年]] - [[1938年]]）&lt;br /&gt;
* [[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト]]（[[1890年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[オシップ・マンデリシュターム]]（[[1891年]] - [[1938年]]）&lt;br /&gt;
* [[ミハイール・ブルガーコフ]]（[[1891年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[パール・S・バック|パール・サイデンストリッカー・バック]]（[[1892年]] - [[1973年]]）&lt;br /&gt;
* [[ブルーノ・シュルツ]]（[[1892年]] - [[1942年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジェームズ・M・ケイン|ジェームズ・マラハン・ケイン]]（[[1892年]] - [[1977年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー・ミラー]]（[[1891年]] - [[1980年]]）&lt;br /&gt;
* [[ルイ＝フェルディナン・セリーヌ|ルイ・フェルディナン・セリーヌ]]（[[1894年]] - [[1961年]]）&lt;br /&gt;
* [[オルダス・ハクスリー]]（[[1894年]] - [[1963年]]）&lt;br /&gt;
* [[ダシール・ハメット]]（[[1894年]] - [[1961年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヨーゼフ・ロート]]（[[1894年]] - [[1939年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ドス・パソス]]（[[1896年]] - [[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・フォークナー]]（[[1897年]] - [[1962年]]）  &lt;br /&gt;
* [[フェデリコ・ガルシーア・ロルカ]]（[[1898年]] - [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[ベルトルト・ブレヒト]]（[[1898年]] - [[1956年]]）&lt;br /&gt;
* [[エーリッヒ・ケストナー]]（[[1899年]] - [[1974年]]）&lt;br /&gt;
* [[パメラ・トラバース]]（[[1899年]] - [[1996年]]）&lt;br /&gt;
* [[マーガレット・ミッチェル]]（[[1900年]] - [[1949年]]）&lt;br /&gt;
* ルネ・クルヴェル（[[1900年]] - [[1935年]]）&lt;br /&gt;
* [[ロベール・デスノス]]（[[1900年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンドレ・マルロー]]（[[1901年]] - [[1976年]]）&lt;br /&gt;
* [[ミシェル・レリス]]（[[1901年]] - [[1990年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョン・スタインベック]]（[[1902年]] - [[1968年]]）&lt;br /&gt;
* ジョセフ・ケッセリング（[[1902年]] - [[1967年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョージ・オーウェル]]（[[1903年]] - [[1950年]]）&lt;br /&gt;
* [[レーモン・クノー]]（[[1903年]] - [[1976年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョルジュ・シムノン]]（[[1903年]] - [[1989年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヴィトルド・ゴンブローヴィチ]]（[[1904年]] - [[1969年]]）&lt;br /&gt;
* [[ミハイル・ショーロホフ]]（[[1905年]] - [[1984年]]）&lt;br /&gt;
* [[ポール・ニザン]]（[[1905年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[エラリー・クイーン]]&lt;br /&gt;
** フレデリック・ダネイ（[[1905年]] - [[1982年]]）&lt;br /&gt;
** マンフレッド・ベニントン・リー（[[1905年]] - [[1971年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 芸術 ====&lt;br /&gt;
* [[ラウル・デュフィ]]（[[1877年]] - [[1953年]]）&lt;br /&gt;
* [[ブルーノ・タウト]]（[[1880年]] - [[1938年]]）&lt;br /&gt;
* [[アントワーヌ・ペヴスナー]]（[[1886年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[エドワード・ウェストン]]（[[1886年]] - [[1958年]]）&lt;br /&gt;
* [[ル・コルビュジエ]]（[[1887年]] - [[1965年]]）&lt;br /&gt;
* ローレンス・スティーブン・ローリー（[[1887年]] - [[1976年]]）&lt;br /&gt;
* ウィリアム・ヴァン・アレン（[[1888年]] - [[1954年]]）&lt;br /&gt;
* [[ナウム・ガボ]]（[[1890年]] - [[1977年]]）&lt;br /&gt;
* [[グラント・ウッド]]（[[1891年]] - [[1942年]]）&lt;br /&gt;
* アドルフ・ツィーグラー（[[1892年]] - [[1959年]]）&lt;br /&gt;
* [[ケルテース・アンドル]]（[[1894年]] - [[1985年]]）&lt;br /&gt;
* [[モホリ＝ナジ・ラースロー|モホリ・ナジ・ラースロー]]（[[1895年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンドレ・マッソン]]（[[1896年]] - [[1987年]]）&lt;br /&gt;
* [[ポール・デルヴォー]]（[[1897年]] - [[1994年]]）&lt;br /&gt;
* [[ルネ・マグリット]]（[[1898年]] - [[1967年]]）&lt;br /&gt;
* [[アレクサンダー・カルダー]]（[[1898年]] - [[1976年]]）&lt;br /&gt;
* [[ベン・シャーン]]（[[1898年]] - [[1969年]]）&lt;br /&gt;
* [[ブラッシャイ|ブラッサイ]]（[[1899年]] - [[1984年]]）&lt;br /&gt;
* アルノ・ブレーカー（[[1900年]] - [[1991年]]）&lt;br /&gt;
* [[イヴ・タンギー]]（[[1900年]] - [[1955年]]）&lt;br /&gt;
* [[ハンス・ベルメール]]（[[1902年]] - [[1975年]]）&lt;br /&gt;
* ヴィフレッド・ラム（[[1902年]] - [[1982年]]）&lt;br /&gt;
* トワイヤン（マリエ・チェルミーノヴァ）（[[1902年]] - [[1980年]]）&lt;br /&gt;
* ヴィクトル・ブローネル（[[1903年]] - [[1966年]]）&lt;br /&gt;
* [[サルバドール・ダリ]]（[[1904年]] - [[1989年]]）&lt;br /&gt;
* [[レオノール・フィニ]]（[[1907年]] - [[1996年]]）&lt;br /&gt;
* [[バルテュス]]（[[1908年]] - [[2001年]]）&lt;br /&gt;
* [[ゲルダ・タロー]]（[[1910年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[ウィリー・ロニ]]（[[1910年]] - [[2009年]]）&lt;br /&gt;
* [[ロベルト・マッタ]]（[[1911年]] - [[2002年]]）&lt;br /&gt;
* [[ロバート・キャパ]]（[[1913年]] - [[1954年]]）&lt;br /&gt;
* [[メレット・オッペンハイム]]（[[1913年]] - [[1985年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 音楽 ====&lt;br /&gt;
* [[パブロ・カザルス]]（[[1876年]] - [[1973年]]）&lt;br /&gt;
* [[ブルーノ・ワルター]]（[[1876年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー]]（[[1886年]] - [[1954年]]）&lt;br /&gt;
* [[パウル・ヒンデミット]]（[[1895年]] - [[1963年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]（[[1908年]] - [[1989年]]）&lt;br /&gt;
==== ファッション ====&lt;br /&gt;
* マリア・ニナ・リッチ（[[1883年]] - [[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[エルザ・スキャパレッリ]]（[[1890年]] - [[1973年]]）&lt;br /&gt;
* [[クリストバル・バレンシアガ]]（[[1895年]] - [[1972年]]）&lt;br /&gt;
* [[ダイアナ・ヴリーランド]]（[[1903年]] - [[1989年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 映画・演劇・舞踏 ====&lt;br /&gt;
* [[トッド・ブラウニング]]（[[1880年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャック・フェデー]]（[[1885年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[マルクス兄弟]]&lt;br /&gt;
** [[チコ・マルクス]]（[[1887年]] - [[1961年]]）&lt;br /&gt;
** [[ハーポ・マルクス]]（[[1888年]] - [[1964年]]）&lt;br /&gt;
** [[グルーチョ・マルクス]]（[[1890年]] - [[1977年]]）&lt;br /&gt;
** [[ガンモ・マルクス]]（[[1892年]] - [[1977年]]）&lt;br /&gt;
** [[ゼッポ・マルクス]]（[[1901年]] - [[1979年]]）&lt;br /&gt;
* [[エルンスト・ルビッチ]]（[[1892年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
* [[メイ・ウエスト]]（[[1893年]] - [[1980年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャン・ルノワール]]（[[1894年]] - [[1979年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョセフ・フォン・スタンバーグ]]（[[1894年]] - [[1969年]]）&lt;br /&gt;
* [[マーサ・グレアム]]（[[1894年]] - [[1991年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジュリアン・デュヴィヴィエ]]（[[1896年]] - [[1967年]]）&lt;br /&gt;
* [[ハワード・ホークス]]（[[1896年]] - [[1977年]]）&lt;br /&gt;
* [[フランク・キャプラ]]（[[1897年]] - [[1991年]]）&lt;br /&gt;
* [[ルネ・クレール]]（[[1898年]] - [[1981年]]）&lt;br /&gt;
* [[フレッド・アステア]]（[[1899年]] - [[1987年]]）&lt;br /&gt;
* [[ルイス・ブニュエル]]（[[1900年]] - [[1983年]]）&lt;br /&gt;
* [[クラーク・ゲーブル]]（[[1901年]] - [[1960年]]）&lt;br /&gt;
* [[ゲイリー・クーパー]]（[[1901年]] - [[1961年]]）&lt;br /&gt;
* [[マレーネ・ディートリッヒ]]（[[1901年]] - [[1992年]]）&lt;br /&gt;
* [[レニ・リーフェンシュタール]]（[[1902年]] - [[2003年]]）&lt;br /&gt;
* [[デヴィッド・O・セルズニック]]（[[1902年]] - [[1965年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャン・ヴィゴ]]（[[1905年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[ビング・クロスビー]]（[[1903年]] - [[1977年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャン・ギャバン]]（[[1904年]] - [[1976年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョーン・クロフォード]]（[[1905年]] - [[1977年]]）&lt;br /&gt;
* [[ベティ・デイヴィス]]（[[1908年]] - [[1989年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジンジャー・ロジャース]]（[[1911年]] - [[1995年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヴィヴィアン・リー]]（[[1913年]] - [[1967年]]）&lt;br /&gt;
* [[オーソン・ウェルズ]]（[[1915年]] - [[1985年]]）&lt;br /&gt;
* [[オリヴィア・デ・ハヴィランド]]（[[1916年]] - ）&lt;br /&gt;
* [[ダニエル・ダリュー]]（[[1917年]] - ）&lt;br /&gt;
* [[ジュディ・ガーランド]]（[[1922年]] - [[1969年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 科学技術 ====&lt;br /&gt;
* ヤーコブ・フォン・ユクスキュル（[[1864年]] - [[1944年]]）&lt;br /&gt;
* [[ウォーレス・カロザース]]（[[1896年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* ジョリオ・キューリー夫妻&lt;br /&gt;
** [[イレーヌ・ジョリオ＝キュリー|イレーヌ・ジョリオ・キュリー]]（[[1897年]] - [[1956年]]）&lt;br /&gt;
** [[フレデリック・ジョリオ＝キュリー|フレデリック・ジョリオ・キュリー]]（[[1900年]] - [[1958年]]）&lt;br /&gt;
* [[トロフィム・ルイセンコ]]（[[1898年]] - [[1976年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョン・フォン・ノイマン]]（[[1903年]] - [[1957年]]）&lt;br /&gt;
* [[クルト・ゲーデル]]（[[1906年]] - [[1978年]]）&lt;br /&gt;
* [[クライド・トンボー]]（[[1906年]] - [[1997年]]）&lt;br /&gt;
==== 探検 ====&lt;br /&gt;
* [[アメリア・イアハート]]（[[1897年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
==== その他 ====&lt;br /&gt;
* アレクサンドル・スタヴィスキー（[[1886年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[ウォリス・シンプソン]]（[[1896年]] - [[1986年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ラテン・アメリカ ===&lt;br /&gt;
* [[ラサロ・カルデナス]]（[[1895年]] - [[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[ミゲル・アンヘル・アストゥリアス]]（[[1899年]] - [[1974年]]）&lt;br /&gt;
* [[フリーダ・カーロ]]（[[1907年]] - [[1954年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アフリカ ===&lt;br /&gt;
* [[ハイレ・セラシエ1世]]（[[1892年]] - [[1975年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インド ===&lt;br /&gt;
* [[マハトマ・ガンディー]]（[[1869年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[ムハンマド・イクバール]]（[[1877年]] - [[1938年]]）&lt;br /&gt;
* サロージニー・ナーイドゥ（[[1879年]] - [[1949年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東南アジア ===&lt;br /&gt;
* [[プラヤー・マノーパコーンニティターダー]]（[[1884年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[プラヤー・パホンポンパユハセーナー]]（[[1887年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
* [[ラーマ7世]]（[[1893年]] - [[1941年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヴァルター・シュピース]]（[[1895年]] - [[1942年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中央アジア ===&lt;br /&gt;
* [[ホルローギーン・チョイバルサン]]（[[1895年]] - [[1952年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国 ===&lt;br /&gt;
* [[鄭孝胥]]（[[1860年]] - [[1938年]]）&lt;br /&gt;
* [[羅振玉]]（[[1866年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[林森]]（[[1867年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[張景恵]]（[[1871年]] - [[1959年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヴィクター・ブルワー＝リットン|ヴィクター・ブルワー・リットン]]（[[1876年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
* [[孔祥熙]]（[[1880年]] - [[1967年]]）&lt;br /&gt;
* [[殷汝耕]]（[[1885年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
* [[宋哲元]]（[[1885年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* リース・ロス（[[1887年]] - [[1968年]]）&lt;br /&gt;
* [[蒋介石|蔣介石]]（[[1887年]] - [[1975年]]）&lt;br /&gt;
* 宋家の三姉妹&lt;br /&gt;
** [[宋靄齢]]（[[1889年]] - [[1973年]]）&lt;br /&gt;
** [[宋慶齢]]（[[1893年]] - [[1981年]]）&lt;br /&gt;
** [[宋美齢]]（[[1897年]] - [[2003年]]）&lt;br /&gt;
* [[何応欽]]（[[1890年]] - [[1987年]]）&lt;br /&gt;
* [[アグネス・スメドレー]]（[[1892年]] - [[1950年]]）&lt;br /&gt;
* [[秦徳純]]（[[1893年]] - [[1963年]]）&lt;br /&gt;
* [[楊虎城]]（[[1893年]] - [[1949年]]）&lt;br /&gt;
* [[毛沢東]]（[[1893年]] - [[1976年]]）&lt;br /&gt;
* [[宋子文]]（[[1894年]] - [[1971年]]）&lt;br /&gt;
* [[梅蘭芳]]（[[1894年]] - [[1961年]]）&lt;br /&gt;
* [[林語堂]]（[[1895年]] - [[1976年]]）&lt;br /&gt;
* [[瞿秋白]]（[[1899年]] - [[1935年]]）&lt;br /&gt;
* [[李立三]]（[[1899年]] - [[1967年]]）&lt;br /&gt;
* [[張大千]]（[[1899年]] - [[1983年]]）&lt;br /&gt;
* [[張学良]]（[[1901年]] - [[2001年]]）&lt;br /&gt;
* [[デムチュクドンロブ]]（徳王）（[[1902年]] - [[1966年]]）&lt;br /&gt;
* [[エドガー・スノー]]（[[1905年]] - [[1972年]]）&lt;br /&gt;
* [[愛新覚羅溥儀]]（[[1906年]] - [[1967年]]）&lt;br /&gt;
* [[川島芳子]]（[[1907年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
* [[齋藤實]]（[[1858年]] - [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[團琢磨]]（[[1858年]] - [[1932年]]）&lt;br /&gt;
* [[町田忠治]]（[[1863年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[安達謙蔵]]（[[1864年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[平沼騏一郎]]（[[1867年]] - [[1952年]]）&lt;br /&gt;
* [[鈴木喜三郎]]（[[1867年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[伊東忠太]]（[[1867年]] - [[1954年]]） &lt;br /&gt;
* [[宇垣一成]]（[[1868年]] - [[1956年]]）&lt;br /&gt;
* [[岡田啓介]]（[[1868年]] - [[1952年]]）&lt;br /&gt;
* [[浜田国松|濱田國松]]（[[1868年]] - [[1939年]]）&lt;br /&gt;
* [[権藤成卿]]（[[1868年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[久原房之助]] （[[1869年]] - [[1965年]]）&lt;br /&gt;
* [[出口王仁三郎]]（[[1871年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[平櫛田中]]（[[1872年]] - [[1979年]]）&lt;br /&gt;
* [[美濃部達吉]]（[[1873年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[渡辺錠太郎]]（[[1874年]] - [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[林銑十郎]]（[[1876年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[眞崎甚三郎]]（[[1876年]] - [[1956年]]）&lt;br /&gt;
* [[荒木貞夫]]（[[1877年]] - [[1966年]]）&lt;br /&gt;
* [[廣田弘毅]]（[[1878年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[松岡洋右]]（[[1880年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[五島慶太]]（[[1882年]] - [[1959年]]）&lt;br /&gt;
* [[金田一京助]]（[[1882年]] - [[1971年]]）&lt;br /&gt;
* [[土肥原賢二]]（[[1883年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[北一輝]]（[[1883年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[小林古径]]（[[1883年]] - [[1957年]]）&lt;br /&gt;
* [[永田鉄山]]（[[1884年]] - [[1935年]]）&lt;br /&gt;
* [[安田靫彦]]（[[1884年]] - [[1978年]]）&lt;br /&gt;
* [[前田青邨]]（[[1885年]] - [[1977年]]）&lt;br /&gt;
* [[板垣征四郎]]（[[1885年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[中島知久平]]（[[1884年]] - [[1949年]]）&lt;br /&gt;
* [[井上日召]]（[[1886年]] - [[1967年]]）&lt;br /&gt;
* [[大島浩]]（[[1886年]] - [[1975年]]）&lt;br /&gt;
* [[折口信夫]]（[[1887年]] - [[1953年]]）&lt;br /&gt;
* [[山本有三]]（[[1887年]] - [[1974年]]）&lt;br /&gt;
* [[九鬼周造]]（[[1888年]] - [[1941年]]）&lt;br /&gt;
* [[後藤隆之助]]（[[1888年]] - [[1984年]]）&lt;br /&gt;
* [[安井曾太郎]]（[[1888年]] - [[1955年]]）&lt;br /&gt;
* [[石原莞爾]]（[[1889年]] - [[1949年]]）&lt;br /&gt;
* [[内田百間|{{lang|zh-tw|內}}田百{{CP932フォント|閒}}]]（[[1889年]] - [[1971年]]）&lt;br /&gt;
* [[岡本かの子]]（[[1889年]] - [[1939年]]）&lt;br /&gt;
* [[室生犀星]]（[[1889年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[岸田國士]]（[[1890年]] - [[1954年]]）&lt;br /&gt;
* [[清沢洌]]（[[1890年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[河井寛次郎]]（[[1890年]] - [[1966年]]）&lt;br /&gt;
* [[近衞文麿]]（[[1891年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[瀧川幸辰]]（[[1891年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[直木三十五]]（[[1891年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[西條八十]]（[[1892年]] - [[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[吉川英治]]（[[1892年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[星野直樹]]（[[1892年]] - [[1978年]]）&lt;br /&gt;
* [[松下幸之助]]（[[1894年]] - [[1989年]]）&lt;br /&gt;
* [[宮城道雄]]（[[1894年]] - [[1956年]]）&lt;br /&gt;
* [[金子光晴]]（[[1895年]] - [[1975年]]）&lt;br /&gt;
* [[吉屋信子]]（[[1896年]] - [[1973年]]）&lt;br /&gt;
* [[三木清]]（[[1897年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[東郷青児]]（[[1897年]] - [[1978年]]）&lt;br /&gt;
* [[内田吐夢]]（[[1898年]] - [[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[横光利一]]（[[1898年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
* [[井伏鱒二]]（[[1898年]] - [[1993年]]）&lt;br /&gt;
* [[藤原義江]]（[[1898年]] - [[1976年]]）&lt;br /&gt;
* [[大河内傳次郎]]（[[1898年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[東海林太郎]]（[[1898年]] - [[1972年]]）&lt;br /&gt;
* [[川端康成]]（[[1899年]] - [[1972年]]）&lt;br /&gt;
* [[田河水泡]]（[[1899年]] - [[1989年]]）&lt;br /&gt;
* [[戸坂潤]]（[[1900年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[野呂榮太郎]]（[[1900年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[島田啓三]]（[[1900年]] - [[1973年]]）&lt;br /&gt;
* [[中谷宇吉郎]]（[[1900年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[鈴木重吉]]（[[1900年]] - [[1976年]]）&lt;br /&gt;
* [[伊丹万作]]（[[1900年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[西田税]]（[[1901年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[岡潔]]（[[1901年]] - [[1978年]]）&lt;br /&gt;
* [[坂倉準三]]（[[1901年]] - [[1969年]]）&lt;br /&gt;
* [[柳家金語楼]]（[[1901年]] - [[1972年]]）&lt;br /&gt;
* [[辻政信]]（[[1902年]] - [[1961年]]？）&lt;br /&gt;
* [[岡田嘉子]]（[[1902年]] - [[1992年]]）&lt;br /&gt;
* [[小林多喜二]]（[[1903年]] - [[1933年]]）&lt;br /&gt;
* [[林芙美子]]（[[1903年]] - [[1951年]]）&lt;br /&gt;
* [[片岡千恵蔵]]（[[1903年]] - [[1983年]]）&lt;br /&gt;
* [[古川ロッパ|古川緑波]]（[[1903年]] - [[1961年]]）&lt;br /&gt;
* [[岡田時彦]]（[[1903年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[小杉勇]]（[[1904年]] - [[1983年]]）&lt;br /&gt;
* [[堀辰雄]]（[[1904年]] - [[1953年]]）&lt;br /&gt;
* [[千田是也]]（[[1904年]] - [[1994年]]）&lt;br /&gt;
* [[古賀政男]]（[[1904年]] - [[1978年]]）&lt;br /&gt;
* [[榎本健一]]（[[1904年]] - [[1970年]]）&lt;br /&gt;
* [[小唄勝太郎]]（[[1904年]] - [[1974年]]）&lt;br /&gt;
* [[石川達三]]（[[1905年]] - [[1985年]]）&lt;br /&gt;
* [[佐野碩]]（[[1905年]] - [[1966年]]）&lt;br /&gt;
* [[杉本良吉]]（[[1907年]] - [[1939年]]）&lt;br /&gt;
* [[亀井勝一郎]]（[[1907年]] - [[1966年]]）&lt;br /&gt;
* [[火野葦平]]（[[1907年]] - [[1960年]]）&lt;br /&gt;
* [[中原中也]]（[[1907年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[市川右太衛門]]（[[1907年]] - [[1999年]]）&lt;br /&gt;
* [[服部良一]]（[[1907年]] - [[1993年]]）&lt;br /&gt;
* [[淡谷のり子]]（[[1907年]] - [[1999年]]）&lt;br /&gt;
* [[マキノ雅弘]]（[[1908年]] - [[1993年]]）&lt;br /&gt;
* [[長谷川一夫]]（[[1908年]] - [[1984年]]）&lt;br /&gt;
* [[ディック・ミネ]]（三根耕一）（[[1908年]] - [[1991年]]）&lt;br /&gt;
* [[上原謙]]（[[1909年]] - [[1991年]]）&lt;br /&gt;
* [[山中貞雄]]（[[1909年]] - [[1938年]]）&lt;br /&gt;
* [[古関裕而]]（[[1909年]] - [[1989年]]）&lt;br /&gt;
* [[名取洋之助]]（[[1910年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[藤山一郎]]（[[1911年]] - [[1993年]]）&lt;br /&gt;
* [[入江たか子]]（[[1911年]] - [[1995年]]）&lt;br /&gt;
* [[双葉山定次]]（[[1912年]] - [[1968年]]）&lt;br /&gt;
* [[伊福部昭]]（[[1914年]] - [[2006年]]）&lt;br /&gt;
* [[前畑秀子]]（[[1914年]] - [[1995年]]）&lt;br /&gt;
* [[水の江瀧子]]（[[1915年]] - [[2009年]]）&lt;br /&gt;
* [[山田五十鈴]]（[[1917年]] - [[2012年]]）&lt;br /&gt;
* [[高峰三枝子]]（[[1918年]] - [[1990年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Japan in the 1930s|1930年代の日本}}&lt;br /&gt;
{{Commonscat|1930s}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{History-stub}}&lt;br /&gt;
[[Category:1930年代|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>111.87.58.207</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=1900%E5%B9%B4%E4%BB%A3&amp;diff=1921</id>
		<title>1900年代</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=1900%E5%B9%B4%E4%BB%A3&amp;diff=1921"/>
		<updated>2014-08-14T11:39:49Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;111.87.58.207: /* 西アジア */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{decadebox| 前世紀=19 | 世紀=20 | 次世紀=21 |&lt;br /&gt;
前10年紀3=1870 | 前10年紀2=1880 | 前10年紀=1890 | 次10年紀=1910 | 次10年紀2=1920 | 次10年紀3=1930 | &lt;br /&gt;
10年紀÷10=190 | 10年紀÷10=190 | 10年紀÷10=190 | 10年紀÷10=190 | 10年紀÷10=190 | 10年紀÷10=190 | 10年紀÷10=190 | 10年紀÷10=190 | 10年紀÷10=190 | 10年紀÷10=190 |}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;1900年代&#039;&#039;&#039;は&lt;br /&gt;
#1900年から1909年までの10年間を指す。&#039;&#039;&#039;本項で詳述する&#039;&#039;&#039;。&lt;br /&gt;
#1900年から1999年までの100年間を指す。[[20世紀]]とほぼ同じ意味であるが、開始と終了の年が1年ずれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== できごと ==&lt;br /&gt;
* [[1900年]]&lt;br /&gt;
** [[マックス・プランク]]が[[エネルギー]]の[[量子]]化に関する概念（[[エネルギー量子仮説]]）を提唱、[[量子論]]の創始&lt;br /&gt;
** [[カール・ラントシュタイナー]]が[[ABO式血液型]]のうち3つ（&#039;&#039;なお、O型は当初[[C型]]とされた&#039;&#039;）を発見&lt;br /&gt;
**[[ポール・ヴィラール]]は、透過性が高く[[電荷]]を持たない[[放射線]]を発見（=&#039;&#039;gamma ray&#039;&#039;（[[ガンマ線]]）:[[1903年]]、[[アーネスト・ラザフォード|ラザフォード]]により命名）&lt;br /&gt;
** [[富士見町]]に台湾協会学校（のちの[[拓殖大学]]）開校する&lt;br /&gt;
* [[1901年]]（&#039;&#039;20世紀の開始年&#039;&#039;）&lt;br /&gt;
** [[12月1日]] - [[東海道本線]][[急行列車]]に[[食堂車]]が連結される&lt;br /&gt;
** [[ノーベル賞]]創設&lt;br /&gt;
* [[1902年]]1月 - [[日英同盟]]締結&lt;br /&gt;
* [[1903年]]&lt;br /&gt;
** [[5月22日]] - 第一高等学校の生徒であった[[藤村操]]が[[華厳滝]]で自殺&lt;br /&gt;
** 11月 - [[パナマ運河]]の建設はじまる&lt;br /&gt;
** [[12月17日]] - [[ライト兄弟]]が人類初の動力飛行に成功&lt;br /&gt;
* [[1904年]]から[[1905年]]にかけて[[日露戦争]]&lt;br /&gt;
* [[1905年]]&lt;br /&gt;
** [[1月22日]] - [[ロシア帝国]]で[[血の日曜日事件 (1905年)|血の日曜日事件]]&lt;br /&gt;
** [[スウェーデン＝ノルウェー|スウェーデン＝ノルウェー連合王国]]の解消、[[ノルウェー]]独立&lt;br /&gt;
** [[アルベルト・アインシュタイン]]が[[特殊相対性理論]]を発表&lt;br /&gt;
** [[第一次モロッコ事件]]で[[ドイツの歴史|ドイツ]]と[[フランスの歴史|フランス]]が対立&lt;br /&gt;
** [[イギリス領インド帝国|英領インド]]、[[ベンガル分割令]]&lt;br /&gt;
* [[1906年]] - 日本で[[鉄道国有法]]が公布・施行される。これによって翌年までに[[私鉄]]の多くが国有となる&lt;br /&gt;
* [[1908年]] - [[オスマン帝国]]で[[統一と進歩委員会]]による[[青年トルコ革命]]が発生&lt;br /&gt;
* [[1909年]][[10月26日]] - [[哈爾浜]]駅において、満州視察のために訪問した[[伊藤博文]]が[[安重根]]によって暗殺される&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
=== ヨーロッパ ===&lt;br /&gt;
==== 政治 ====&lt;br /&gt;
* [[アルフレート・フォン・シュリーフェン]]（[[1833年]] - [[1913年]]）&lt;br /&gt;
* エミール・コンブ（[[1835年]] - [[1921年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョセフ・チェンバレン]]（[[1836年]] - [[1914年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー・キャンベル＝バナマン|ヘンリー・キャンベル・バナマン]]（[[1836年]] - [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]（[[1841年]] - [[1910年]]）&lt;br /&gt;
* [[アレクセイ・クロパトキン]]（[[1848年]] - [[1925年]]）&lt;br /&gt;
* [[セルゲイ・ヴィッテ]]（[[1849年]] - [[1915年]]）&lt;br /&gt;
* [[ベルンハルト・フォン・ビューロー]]（[[1849年]] - [[1929年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルフレート・フォン・ティルピッツ]]（[[1849年]] - [[1930年]]）&lt;br /&gt;
* [[ハーバート・ヘンリー・アスキス]]（[[1852年]] - [[1928年]]）&lt;br /&gt;
* [[テオフィル・デルカッセ]]（[[1852年]] - [[1923年]]）&lt;br /&gt;
* [[ケア・ハーディ]]（[[1856年]] - [[1915年]]）&lt;br /&gt;
* [[ゲオルギー・プレハーノフ]]（[[1856年]] - [[1918年]]） &lt;br /&gt;
* [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝) |ヴィルヘルム2世]]（[[1859年]] - [[1941年]]）&lt;br /&gt;
* [[ピョートル・ストルイピン]]（[[1862年]] - [[1911年]]）&lt;br /&gt;
* [[ニコライ2世]]（[[1868年]] - [[1918年]]）&lt;br /&gt;
* [[ゲオルギー・ガポン]]（[[1870年]] - [[1906年]]）&lt;br /&gt;
* [[ホーコン7世]]（[[1872年]] - [[1957年]]）&lt;br /&gt;
* [[ユーリー・マルトフ]]（[[1873年]] - [[1923年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 哲学と思想 ====&lt;br /&gt;
* [[エルンスト・マッハ]]（[[1838年]] - [[1916年]]）　&lt;br /&gt;
* [[ジョルジュ・ソレル]]（[[1847年]] - [[1922年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジークムント・フロイト]]（[[1856年]] - [[1939年]]）&lt;br /&gt;
* [[フェルディナン・ド・ソシュール]]（[[1857年]] - [[1913年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョン・アトキンソン・ホブソン]]（[[1858年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンリ・ベルクソン]]（[[1859年]] - [[1941年]]）&lt;br /&gt;
* [[フリードリヒ・マイネッケ]]（[[1862年]] - [[1954年]]）&lt;br /&gt;
* [[マックス・ヴェーバー]]（[[1864年]] - [[1920年]]）&lt;br /&gt;
* [[ミゲル・デ・ウナムーノ]]（[[1864年]] - [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[シャルル・モーラス]]（[[1868年]] - [[1952年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョージ・エドワード・ムーア]]（[[1873年]] - [[1958年]]）&lt;br /&gt;
* [[オットー・ヴァイニンガー]]（[[1880年]] - [[1903年]]）&lt;br /&gt;
==== 文学 ====&lt;br /&gt;
* レオン・ブロワ（[[1846年]] - [[1917年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヘンリク・シェンキェヴィチ]]（[[1846年]] - [[1916年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョゼフ・コンラッド]]（[[1857年]] - [[1924年]]）&lt;br /&gt;
* [[セルマ・ラーゲルレーヴ]]（[[1858年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[アントン・チェーホフ]]（[[1860年]] - [[1904年]]） &lt;br /&gt;
* [[ジェームス・マシュー・バリー]]（[[1860年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルトゥル・シュニッツラー]] （[[1862年]] - [[1931年]]）&lt;br /&gt;
* [[モーリス・バレス]]（[[1862年]] - [[1923年]]）&lt;br /&gt;
* [[フランク・ヴェーデキント]]（[[1864年]] - [[1918年]]）&lt;br /&gt;
* [[モーリス・ルブラン]]（[[1864年]] - [[1941年]]）&lt;br /&gt;
* [[ラドヤード・キップリング]]（[[1865年]] - [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[ビアトリクス・ポター]]（[[1866年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[シュテファン・ゲオルゲ]]（[[1868年]] - [[1933年]]）&lt;br /&gt;
* [[マクシム・ゴーリキー]]（[[1868年]] - [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルフレッド・ジャリ]]（[[1873年]] - [[1907年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャック・ロンドン]]（[[1876年]] - [[1916年]]）&lt;br /&gt;
* [[ガートルード・スタイン]]（[[1874年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[アレクサンドル・ブローク]]（[[1880年]] - [[1921年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 芸術 ====&lt;br /&gt;
* [[オットー・ワーグナー]]（[[1841年]] - [[1918年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンリ・ルソー]]（[[1844年]] - [[1910年]]）&lt;br /&gt;
* [[エミール・ガレ]]（[[1846年]] - [[1904年]]）&lt;br /&gt;
* [[マックス・リーバーマン]]（[[1847年]] - [[1935年]]）&lt;br /&gt;
* [[アントニ・ガウディ]]（[[1852年]] - [[1926年]]）&lt;br /&gt;
* ロヴィス・コリント（[[1858年]] - [[1925年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルフォンス・ミュシャ]]（[[1860年]] - [[1939年]]）&lt;br /&gt;
* [[ルネ・ラリック]]（[[1860年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[アントワーヌ・ブールデル]]（[[1861年]] - [[1929年]]）&lt;br /&gt;
* [[アリスティド・マイヨール]]（[[1861年]] - [[1944年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヴィクトール・オルタ]]（[[1861年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
* [[エクトール・ギマール]]（[[1867年]] - [[1942年]]）&lt;br /&gt;
* [[エミール・ノルデ]]（[[1867年]] - [[1956年]]）&lt;br /&gt;
* [[ピエール・ボナール]]（[[1867年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
* [[エドゥアール・ヴュイヤール]]（[[1868年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[チャールズ・レニー・マッキントッシュ]]（[[1868年]] - [[1928年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンリ・マティス]]（[[1869年]] - [[1954年]]）&lt;br /&gt;
* [[モーリス・ドニ]]（[[1870年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[アドルフ・ロース]]（[[1870年]] - [[1933年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョルジュ・ルオー]]（[[1871年]] - [[1958年]]）&lt;br /&gt;
* [[モーリス・ド・ヴラマンク]]（[[1876年]] - [[1958年]]）&lt;br /&gt;
* [[パウラ・モーダーゾーン＝ベッカー|パウラ・モーダーゾーン・ベッカー]]（[[1876年]] - [[1907年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンドレ・ドラン]]（[[1880年]] - [[1954年]]）&lt;br /&gt;
* [[パブロ・ピカソ]]（[[1881年]] - [[1973年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョルジュ・ブラック]]（[[1882年]] - [[1963年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 音楽 ====&lt;br /&gt;
* [[エドワード・エルガー]]（[[1857年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジャコモ・プッチーニ]]（[[1858年]] - [[1924年]]）&lt;br /&gt;
* [[グスタフ・マーラー]]（[[1860年]] - [[1911年]]）&lt;br /&gt;
* [[クロード・ドビュッシー]]（[[1862年]] - [[1918年]]）&lt;br /&gt;
* [[アレクサンドル・スクリャービン]]（[[1872年]] - [[1915年]]）&lt;br /&gt;
* [[モーリス・ラヴェル]]（[[1875年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 演劇と舞踏 ====&lt;br /&gt;
* [[サラ・ベルナール]]（[[1844年]] - [[1923年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンナ・パヴロワ]]（[[1881年]] - [[1931年]]）&lt;br /&gt;
==== 映画 ====&lt;br /&gt;
* [[ジョルジュ・メリエス]]（[[1861年]] - [[1938年]]）&lt;br /&gt;
==== 科学技術 ====&lt;br /&gt;
* [[ユーゴー・ド・フリース]]（[[1848年]] - [[1935年]]）&lt;br /&gt;
* [[イワン・パブロフ]]（[[1849年]] - [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンリ・ベクレル]]（[[1852年]] - [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[アンリ・ポアンカレ]]（[[1854年]] - [[1912年]]）&lt;br /&gt;
* [[マックス・プランク]]（[[1858年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
* [[キュリー夫妻]]&lt;br /&gt;
** [[ピエール・キュリー]]（[[1859年]] - [[1906年]]）&lt;br /&gt;
** [[マリ・キュリー]]（[[1867年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[ダフィット・ヒルベルト]]（[[1862年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヘルマン・ミンコフスキー]]（[[1864年]] - [[1909年]]）&lt;br /&gt;
* [[グリエルモ・マルコーニ]]（[[1874年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルベルト・アインシュタイン]]（[[1879年]] - [[1955年]]）&lt;br /&gt;
==== 探検 ====&lt;br /&gt;
* アルベルト・フォン・ル・コック（[[1860年]] - [[1930年]]）&lt;br /&gt;
* [[オーレル・スタイン]]（[[1862年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[スヴェン・ヘディン]]（[[1865年]] - [[1952年]]）&lt;br /&gt;
* [[ポール・ペリオ]]（[[1878年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== その他 ====&lt;br /&gt;
* [[アレイスター・クロウリー]]（[[1875年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アングロアメリカ ===&lt;br /&gt;
* [[ジョン・ヘイ]]（[[1838年]] - [[1905年]]）&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・ジェームズ|ウィリアム・ジェイムズ]]（[[1842年]] - [[1910年]]）&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・マッキンリー]]（[[1843年]] - [[1901年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー・ジェイムズ]]（[[1843年]] - [[1916年]]）&lt;br /&gt;
* [[キャリー・ネイション]]（[[1846年]] - [[1911年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョーゼフ・ピューリツァー]]（[[1847年]] - [[1911年]]）&lt;br /&gt;
* [[ニコラ・テスラ]]（[[1856年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[ロバート・ピアリー]]（[[1856年]] - [[1920年]]）&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・タフト]]（[[1857年]] - [[1930年]]） &lt;br /&gt;
* [[セオドア・ルーズベルト]]（[[1858年]] - [[1919年]]）&lt;br /&gt;
* [[アーネスト・トンプソン・シートン]] （[[1860年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[オー・ヘンリー]]（[[1862年]] - [[1910年]]）&lt;br /&gt;
* ロイ・フラー（[[1862年]] - [[1928年]]）&lt;br /&gt;
* [[ウィリアム・ランドルフ・ハースト]]（[[1863年]] - [[1951年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヘンリー・フォード]]（[[1863年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョージ・サンタヤーナ]]（[[1863年]] - [[1952年]]）&lt;br /&gt;
* [[アルフレッド・スティーグリッツ]]（[[1864年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[ライト兄弟]]&lt;br /&gt;
** ウィルバー・ライト（[[1867年]] - [[1912年]]）  &lt;br /&gt;
** オーヴィル・ライト（[[1871年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[W・E・B・デュボイス|ウィリアム・エドワード・バーグハード・デュボイス]]（[[1868年]] - [[1963年]]）&lt;br /&gt;
* エドウィン・スタントン・ポーター（[[1870年]] - [[1941年]]）&lt;br /&gt;
* [[L・M・モンゴメリ|ルーシー・モード・モンゴメリ]]（[[1874年]] - [[1942年]]）&lt;br /&gt;
* [[アプトン・シンクレア]]（[[1878年]] - [[1968年]]）&lt;br /&gt;
* [[イサドラ・ダンカン]]（[[1878年]] - [[1927年]]）&lt;br /&gt;
* [[ヘレン・ケラー]]（[[1880年]] - [[1968年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 西アジア・北アフリカ ===&lt;br /&gt;
* [[アブデュルレシト・イブラヒム]]（[[1857年]] - [[1944年]]）&lt;br /&gt;
* ハーフィズ･イブラーヒーム（[[1871年]] - [[1932年]]）&lt;br /&gt;
* [[エンヴェル・パシャ]]（[[1881年]] - [[1922年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== アフリカ ===&lt;br /&gt;
* キンジキティレ・ングワレ（？ - [[1905年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== インド ===&lt;br /&gt;
* [[バール・ガンガーダル・ティラク]]（[[1856年]] - [[1920年]]）&lt;br /&gt;
* [[ジョージ・カーゾン (初代カーゾン・オヴ・ケドルストン侯爵)|ジョージ・ナサニエル・カーゾン]]（[[1859年]] - [[1925年]]）&lt;br /&gt;
* [[アーガー・ハーン3世]]（[[1877年]] - [[1957年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 東南アジア ===&lt;br /&gt;
* [[ファン・ボイ・チャウ]]（[[1867年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[ファン・チュー・チン]]（[[1872年]] - [[1926年]]）&lt;br /&gt;
* ラデン・アジェン・カルティニ（[[1879年]] - [[1904年]]）&lt;br /&gt;
* [[クォン・デ]]（[[1882年]] - [[1951年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 中国 ===&lt;br /&gt;
* [[劉坤一]]（[[1830年]] - [[1902年]]）&lt;br /&gt;
* [[西太后]]（[[1835年]] - [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[張之洞]]（[[1837年]] - [[1909年]]）&lt;br /&gt;
* [[孫文]]（[[1866年]] - [[1925年]]）&lt;br /&gt;
* [[章炳麟]]（[[1869年]] - [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[光緒帝]]（[[1871年]] - [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[陳天華]]（[[1875年]] - [[1905年]]）&lt;br /&gt;
* [[秋瑾]]（[[1875年]] - [[1907年]]）&lt;br /&gt;
* [[愛新覚羅載ホウ|醇親王載灃]]（[[1883年]] - [[1951年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 日本 ===&lt;br /&gt;
* [[山縣有朋]]（[[1838年]] - [[1922年]]）&lt;br /&gt;
* [[伊藤博文]]（[[1841年]] - [[1909年]]）&lt;br /&gt;
* [[田中正造]]（[[1841年]] - [[1913年]]）&lt;br /&gt;
* [[大山巌]]（[[1842年]] - [[1916年]]）&lt;br /&gt;
* [[桂太郎]]（[[1848年]] - [[1913年]]） &lt;br /&gt;
* [[東郷平八郎]]（[[1848年]] - [[1934年]]）&lt;br /&gt;
* [[西園寺公望]]（[[1849年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[乃木希典]]（[[1849年]] - [[1912年]]）&lt;br /&gt;
* [[河野広中]]（[[1849年]] - [[1923年]]）&lt;br /&gt;
* [[星亨]]（[[1850年]] - [[1901年]]）&lt;br /&gt;
* [[児玉源太郎]]（[[1852年]] - [[1906年]]）&lt;br /&gt;
* [[小村壽太郎]]（[[1855年]] - [[1911年]]）&lt;br /&gt;
* [[頭山満]]（[[1855年]] - [[1944年]]）&lt;br /&gt;
* [[井上円了]]（[[1858年]] - [[1919年]]）&lt;br /&gt;
* [[柴五郎]]（[[1860年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[根津嘉一郎 (初代)|根津嘉一郎]]（[[1860年]] - [[1940年]]）&lt;br /&gt;
* [[日比翁助]]（[[1860年]] - [[1931年]]）&lt;br /&gt;
* [[内村鑑三]]（[[1861年]] - [[1930年]]）&lt;br /&gt;
* [[戸水寛人]]（[[1861年]] - [[1935年]]）&lt;br /&gt;
* [[森鷗外]]（[[1862年]] - [[1922年]]）&lt;br /&gt;
* [[牧野富太郎]]（[[1862年]] - [[1957年]]）&lt;br /&gt;
* [[徳富蘇峰]]（[[1863年]] - [[1957年]]）&lt;br /&gt;
* [[津田梅子]]（[[1864年]] - [[1929年]]）&lt;br /&gt;
* [[川上音二郎]]（[[1864年]] - [[1911年]]）&lt;br /&gt;
* [[伊藤左千夫]]（[[1864年]] - [[1913年]]）&lt;br /&gt;
* [[村井弦斎]]（[[1864年]] - [[1927年]]）&lt;br /&gt;
* [[池田菊苗]]（[[1864年]] - [[1936年]]）&lt;br /&gt;
* [[長岡半太郎]]（[[1865年]] - [[1950年]]）&lt;br /&gt;
* [[竹越與三郎]]（[[1865年]] - [[1950年]]）&lt;br /&gt;
* [[山路愛山]]（[[1865年]] - [[1917年]]）&lt;br /&gt;
* [[狩野亨吉]]（[[1865年]] - [[1942年]]）&lt;br /&gt;
* [[黒田清輝]]（[[1866年]] - [[1924年]]）&lt;br /&gt;
* [[河口慧海]]（[[1866年]] - [[1945年]]）&lt;br /&gt;
* [[中村不折]]（[[1866年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[正岡子規]]（[[1867年]] - [[1902年]]）&lt;br /&gt;
* [[夏目漱石]]（[[1867年]] - [[1916年]]）&lt;br /&gt;
* [[南方熊楠]]（[[1867年]] - [[1941年]]）&lt;br /&gt;
* [[藤島武二]]（[[1867年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[宮武外骨]]（[[1867年]] - [[1955年]]）&lt;br /&gt;
* [[徳冨蘆花]]（[[1868年]] - [[1927年]]）&lt;br /&gt;
* [[広瀬武夫]] （[[1868年]] - [[1904年]]）&lt;br /&gt;
* [[鈴木大拙]]（[[1870年]] - [[1966年]]）&lt;br /&gt;
* [[鳥居龍蔵]]（[[1870年]] - [[1953年]]）&lt;br /&gt;
* [[幸徳秋水]]（[[1871年]] - [[1911年]]）&lt;br /&gt;
* [[堺利彦]]（[[1871年]] - [[1933年]]）&lt;br /&gt;
* [[宮崎滔天]]（[[1871年]] - [[1922年]]）&lt;br /&gt;
* [[国木田独歩]]（[[1871年]] - [[1908年]]）&lt;br /&gt;
* [[川上貞奴]]（[[1871年]] - [[1946年]]）&lt;br /&gt;
* [[島崎藤村]]（[[1872年]] - [[1943年]]）&lt;br /&gt;
* [[田山花袋]]（[[1872年]] - [[1930年]]）&lt;br /&gt;
* [[添田唖蝉坊]]（[[1872年]] - [[1944年]]）&lt;br /&gt;
* [[桃中軒雲右衛門]]（[[1873年]] - [[1916年]]）&lt;br /&gt;
* [[泉鏡花]]（[[1873年]] - [[1939年]]）&lt;br /&gt;
* [[内田良平 (政治運動家)|内田良平]]（[[1874年]] - [[1937年]]）&lt;br /&gt;
* [[菱田春草]]（[[1874年]] - [[1911年]]）&lt;br /&gt;
* [[野口米次郎]]（[[1875年]] - [[1947年]]）&lt;br /&gt;
* [[大谷光瑞]]（[[1876年]] - [[1948年]]）&lt;br /&gt;
* [[北澤楽天]]（[[1876年]] - [[1955年]]）&lt;br /&gt;
* [[上田敏]]（[[1874年]] - [[1916年]]）&lt;br /&gt;
* [[与謝野晶子]]（[[1878年]] - [[1942年]]）&lt;br /&gt;
* [[正宗白鳥]]（[[1879年]] - [[1962年]]）&lt;br /&gt;
* [[荻原碌山]]（[[1879年]] - [[1910年]]）&lt;br /&gt;
* [[瀧廉太郎]]（[[1879年]] - [[1903年]]）&lt;br /&gt;
* [[青木繁]]（[[1882年]] - [[1911年]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Japan in the 1900s|1900年代の日本}}&lt;br /&gt;
{{Commonscat|1900s}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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