鳴戸部屋

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鳴戸部屋(なるとべや)は二所ノ関一門に所属していた日本相撲協会相撲部屋。現在の田子ノ浦部屋の前身にあたる。

概要

1986年(昭和61年)1月場所限りで現役を引退して二子山部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていた年寄・13代鳴戸(元横綱・隆の里)が、1989年(平成元年)2月1日付で力櫻ら6人の内弟子を連れて二子山部屋から分家独立して鳴戸部屋を創設した。以降、若の里隆乃若稀勢の里など7人の関取を輩出した。

2011年10月下旬に、13代鳴戸の弟子暴行疑惑、稀勢の里の暴行幇助疑惑、体重増加を目的としての隆の山に対するインスリン注射疑惑が『週刊新潮』2011年11月3日号および同年11月10日号で報道され、日本相撲協会も関係者への聞き取り調査を行っていた。ところが同年11月場所が開催される6日前の同年11月7日に師匠である13代鳴戸が急逝したため、部屋の今後についてと暴行疑惑の調査に関する臨時理事会が翌11月8日に開催され[1]、その臨時理事会において、鳴戸部屋の部屋付き親方である9代西岩(元幕内・隆の鶴)が部屋を継承することを認めた。なお、隆の山は13代鳴戸が自身の糖尿病治療のために処方されたインスリンの注射を認めたが、インスリンは日本相撲協会の規定では禁止されていないため、協会は注意にとどめて処分は行わず[2]、13代鳴戸の弟子への暴行疑惑調査も13代鳴戸が逝去したことにより打ち切りとなった[3]

前述の日本相撲協会臨時理事会の決定を受けて、9代西岩は名跡所有者である若の里に西岩の名跡を返却すると共に急遽鳴戸の名跡を取得し、2011年11月8日に14代鳴戸を襲名して鳴戸部屋を継承した。同年11月場所後には稀勢の里が大関への昇進を果たしている。

2012年9月10日に、2010年7月ごろから13代鳴戸や所属力士たちからの暴行を受けたとして鳴戸部屋に所属していた22歳の元力士が、また、部屋に所属する行司からセクシャルハラスメントを受けたとして同部屋に所属していた18歳の元力士が、行司と13代鳴戸の法定相続人らに対して2200万円の損害賠償を求める提訴を千葉地方裁判所松戸支部に行った[4]。裁判は2013年12月に部屋の名称が田子ノ浦部屋へと改称されて以降も続いていたが、2014年5月16日に千葉地裁松戸支部は原告の請求を棄却している[5]

日本相撲協会は2014年からの公益財団法人への移行に伴い、年寄名跡を協会側で一括管理するために、2013年12月20日までに年寄に対して協会へ年寄名跡証書を提出することを求めていたものの、14代鳴戸は年寄・鳴戸の名跡証書の所有者である13代鳴戸夫人との話し合いが付かず、日本相撲協会が定めた期限までに年寄・鳴戸の名跡証書を提出できなかったため、14代鳴戸は2012年2月に急逝した14代田子ノ浦(元幕内・久島海)の夫人が所有する年寄・田子ノ浦の名跡を正式に取得し、同年12月25日に日本相撲協会へ年寄・田子ノ浦の名跡証書を提出すると共に、正式に16代田子ノ浦を襲名した[6]。これに伴い、同日付で部屋名が鳴戸部屋から田子ノ浦部屋へと変更され、大関・稀勢の里ら所属力士12人と行司2人・呼出1人・床山1人はそのまま田子ノ浦部屋の所属となった。翌26日には、師匠である16代田子ノ浦以下全員が同年10月に閉鎖された三保ヶ関部屋の建物へ転居した[7]

最終所在地

師匠

力士

幕内

大関
関脇
小結
前頭

脚注

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外部リンク

テンプレート:相撲部屋
  1. 疑惑の渦中で…鳴戸親方が急死 ぜんそくで入院中 スポーツニッポン 2011年11月7日
  2. インスリン注射:鳴戸部屋の隆の山が認める 協会聴取に 毎日jp 2011年11月8日
  3. 西岩親方が鳴戸部屋継承 インスリン、暴行疑惑は調査打ち切り スポーツニッポン 2011年11月8日閲覧
  4. 鳴戸部屋元力士2人セクハラなどで提訴 デイリースポーツ 2012年10月2日
  5. 元力士の訴え認めず=千葉地裁松戸支部 時事通信 2014年5月16日記事
  6. 稀勢、27年間の人生で初めての1人暮らし 日刊スポーツ 2013年12月27日記事
  7. 13代鳴戸未亡人は「(田子ノ浦部屋一同が)引っ越すことも聞いていません。昼間、トラックが突然来て、荷物を運び出していました。どこに転居したかも知らないんです。一言のあいさつもありませんでした。何が起きているか、報道で知るだけなんです」と移転の実態を主張している。
    先代鳴戸夫人反論「出て行け言ってない」 日刊スポーツ 2013年12月27日記事