追風山裕邦
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追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、本名:山口貢、1938年6月16日 - 2014年1月2日)は、青森県北津軽郡嘉瀬村(現・五所川原市)出身で追手風部屋(のち立浪部屋)所属の元大相撲力士。最高位は前頭6枚目。現役時代の体格は181cm, 131kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。現在の追手風親方(元前頭2枚目・大翔山直樹)の岳父。尚、夫人は最初の師匠追手風の義理の姪(夫人の叔母が師匠の後妻に当たる)。
来歴
5人兄弟の末っ子として生まれ、子供の時から体格が大きく多くの相撲大会に出て活躍していたが、同郷で追手風部屋所属の三段目力士・清水岩の目に止まり、追手風部屋に入門した。
1953年5月場所に初土俵を踏み、1954年1月場所序二段、1955年1月場所三段目、1956年1月場所幕下と順調に出世街道を走り、1959年1月場所に20歳で十両昇進を果たした。1960年5月場所新入幕。非力だが重い腰を生かした寄りや上手投げを得意としたが、組んでも頭を下げず勝ち味も遅くて幕内上位へ進出できず、十両在位の1969年5月場所限りで引退した。
年寄・追手風を襲名して長らく立浪部屋の部屋付き親方でいたが、娘婿である大翔山の中川親方に追手風部屋再興を託して、追手風と中川の年寄名跡を交換。この間、元大翔山とともに友綱部屋に移籍、1998年に元大翔山の11代追手風親方の独立とともに追手風部屋に移籍し、部屋付き親方として定年退職まで運営をサポートした。
停年退職後は埼玉県内で暮らしていたが、2014年1月2日に心停止のため75歳で急死した。[1]
年譜
- 1953年5月:追手風部屋より初土俵。
- 1959年1月:十両に昇進。
- 1960年5月:追手山寅次郎として新入幕。
- 1962年1月:追手山貢で再入幕。
- 1962年11月:前頭6枚目に昇進。
- 1965年1月:追手風部屋が立浪部屋に吸収合併される。
- 1965年11月:追風山裕邦と改名(よみは「おいてやま」のまま)
- 1969年5月:引退。年寄大鳴戸襲名。その後、年寄追手風襲名。
- 1998年2月:年寄中川(大翔山)と名跡交換。
主な成績
改名歴
- 山口 貢(やまぐち みつぐ)1953年5月場所
- 清櫻 貢(きよざくら みつぐ)1953年9月場所 - 1958年7月場所
- 追手山 貢(おいてやま みつぐ)1958年9月場所 - 1960年3月場所
- 追手山 寅次郎(おいてやま とらじろう)1960年5月場所 - 1961年11月場所
- (おいてやま みつぐ)1962年1月場所 - 1965年9月場所
- 追風山 裕邦(おいてやま ひろくに)1965年11月場所 - 1969年5月場所
年寄変遷
- 大鳴戸 裕邦(おおなると ひろくに)1969年5月 - 1969年11月
- 追手風 裕邦(おいてかぜ ひろくに)1969年11月 - 1998年2月
- 中川 裕邦(なかがわ ひろくに)1998年2月 - 1998年5月
- 中川 貢(- みつぐ)1998年5月 - 2003年6月(定年退職)
脚注
関連項目
テンプレート:Sumo-stub- ↑ ベースボール・マガジン社刊 相撲 2014年3月号 127頁