河津秋敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年4月6日 (日) 19:21時点におけるMait (トーク)による版 (リンク切れ)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox 人物 河津 秋敏(かわづ あきとし、1962年11月5日 - )は、日本のゲームクリエイターゲームプロデューサー。株式会社スクウェア・エニックス第2開発事業部長兼エグゼクティブプロデューサーで、かつては同社の取締役も任務していた。

来歴

熊本県立熊本高等学校卒業、東京工業大学理学部在学中にソニーから内定通知を受け入社予定だったが、事情によりやむを得ず中退[1]。のちの1985年、スクウェアのアルバイト採用試験に応募した際、前日に採用が締め切られていたことを告げられるも、結果として採用される[2]時田貴司と同期)。入社直後、マスターアップ間際の『ハイウェイスター』のデータ作成を手伝う。社員となり『ファイナルファンタジー』、『ファイナルファンタジーII』の開発に携わった[1]のち、当時の社長宮本雅史から新発売の携帯ゲーム機ゲームボーイのソフト開発を任される[3]

宮本は当時爆発的な人気を誇っていた『テトリス』のようないわゆる「落ちものゲー」の開発を望んでいたという[4]。しかし河津は石井浩一と同じく、「ユーザーはRPGを望んでいる」と考えた。そこであえてRPGを開発しようと試み、『魔界塔士 Sa・Ga』を世に送り出し、スクウェア初のミリオンヒットを飛ばす。以降『時空の覇者 Sa・Ga3 [完結編]』を除く全ての『サガ』シリーズの開発に関わり、『サガ』の生みの親として広く知られる。

2002年ゲームデザイナーズ・スタジオの代表に就任。前任天堂社長山内溥の私設ファンド「ファンドキュー」からの資金提供を受けゲームキューブゲームボーイアドバンスの連動ソフト『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』を開発した。2004年6月よりスクウェア・エニックスの取締役に就任。引き続き第2開発事業部長を兼務していた。

元々は『FFIII』のリメイク企画に大々的に関わっていたが、2005年8月以降から、病気療養中の松野泰己に代わり、エグゼクティブプロデューサーとして『ファイナルファンタジーXII』の製作統括の任にピンチヒッターとして当たっていた。現在は『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』シリーズの製作指揮と『ファイナルファンタジーXII』の製作統括の任から引き続いてイヴァリースアライアンス作品の製作統括を行っている。

2007年5月23日に取締役を退任、エグゼクティブ・プロデューサーとして、開発に専念する人事を発表した。

人物

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

  • 高校時代はインベーダーゲームに熱中[5]、大学の頃からRPGフリークであり、TRPGやボードのシミュレーションゲームをよく触れ込んでいた。当時はまだ日本語訳が出ていない頃で、ルールブックを翻訳しながら遊んでいたという[2]。ゲームを製作する上で、当時愛読していた「剣と魔法」が登場するファンタジー小説の影響を受けていることはあると思う、とのことである[6]
  • 自身のゲーム全般に深く関わるため、名目上のクレジットと実際に行なった仕事は必ずしも一致しない。例えば『サガ フロンティア2』などはプロデューサーという事になっているが、シナリオも一人でほとんど全てを書いており、開発中に全体の完成像を知っているのは河津だけだった[7]。スタッフに先入観を持たせない彼の製作方針によるものだが、スケジュール的に負担が大きく、スタッフからの評判はあまり芳しくなかった[7]
  • アンリミテッド:サガ』制作発表Flashなどで、シリーズ紹介から『時空の覇者 Sa・Ga3 [完結編]』が除外されていることがある。これは『Sa・Ga3』発売当時、「『Sa・Ga2』が発売されたのだから『Sa・Ga3』を作らない選択は無かった」うえに、なおかつ「スーパーファミコン発売当時の時期なので新たなサガシリーズを作る必要もあった」状況で、『ロマサガ』と同時開発をすることになり、その際、社内から『ロマサガ』を担当するよう配属され、『Sa・Ga3』の開発に携われなかった[8]ことで、「河津の手がけた作品」というコンセプトのシリーズ紹介に入れることができなかったため。後にリメイク作品である『サガ3時空の覇者 Shadow or Light』ではシリーズディレクターとして制作に関っている。
  • 廉価版以前の『FFタクティクス』同梱のディスクである『サガ フロンティア』の体験版ディスクには河津自身によるメッセージの入ったファイルが存在している[9]
  • 2012年5月6日の自らのアカウントのtwitterで娘が生まれた事を報告した。
  • 2012年9月26日の自らのアカウントのtwitterで、自民党の総裁選挙について「お腹痛い! の人が総裁になった。自民党の人は優しいな。自分の仕事だったら、「病気だから仕方ないよ。次、頑張ろう。」と声は掛けるが、同じ立場の仕事は二度とやらせませんよ。」と発言し、抗議の電話が殺到する騒ぎとなった[10]

主な関連作品

出典

テンプレート:脚注ヘルプテンプレート:Reflist

関連項目

  • 1.0 1.1 「ひと百景・電脳世界へ(中)=小国町出身の河津秋敏さん(35)[連載]」『熊本日日新聞』1998年8月18日付夕刊、p.3
  • 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
  • テンプレート:Cite web
  • テンプレート:Cite web
  • 「ひと百景・電脳世界へ(下)=小国町出身の河津秋敏さん(35)[連載]」『熊本日日新聞』1998年8月19日付夕刊、p.3
  • 「ひと百景・電脳世界へ(上)=小国町出身の河津秋敏さん(35)[連載]」『熊本日日新聞』1998年8月17日付夕刊、p.3
  • 7.0 7.1 『SaGa Frontier II ULTIMANIA』pp.196-197
  • 『サガ3時空の覇者 Shadow or Light 公式コンプリートガイド』p.346
  • 『サガフロンティア裏解体真書』p.244
  • Twitter / kawazuakitoshi: お腹痛い! ...テンプレート:リンク切れ