江木翼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年5月1日 (木) 18:04時点におけるClaw of Slime (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:政治家 江木 翼(えぎ たすく、1873年明治6年)4月24日 - 1932年昭和7年)9月18日)は、明治、大正、昭和時代の官僚政治家

生涯

1873年明治6年)4月24日山口県御庄村(現在の岩国市)に酒造業を営む羽村卯作の子として生まれる。羽村家から、後に枢密顧問官文部大臣貴族院議員となる江木千之の養子となる。山口高等中学校予科、本科を経て、1897年(明治30年)東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、内務省に入省する。神奈川県事務官、法制局参事官、1910年(明治43年)拓殖局部長を歴任する。

1912年大正元年)第3次桂内閣内閣書記官長に就任。その後、1914年(大正3年)の第2次大隈内閣1924年(大正13年)の第1次加藤高明内閣でも書記官長を務め憲政会立憲民政党系の官僚政治家として台頭した。この間に、1916年(大正5年)10月5日には貴族院議員に勅選され[1]1920年(大正9年)には法学博士号を受けている。

1925年(大正14年)第2次加藤高明内閣司法大臣となり、第1次若槻内閣でも留任した。1931年(昭和6年)の第2次若槻内閣でも鉄道大臣として入閣し、民政党の歴代総裁からの信任が厚く「民政党の知恵袋」と評され、同党の有力な総裁候補であったが、病のため辞職した。同じ官僚系の伊沢多喜男とは軋轢があり、対立することもあった。1932年昭和7年)9月18日、前月に死去した養父の後を追うかのように死去。

邸宅地

旧邸宅地は、1980年(昭和55年)に向山庭園として、一般開放されている。

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 浅野豊美『帝国日本の植民地法制―法域統合と帝国秩序』(名古屋大学出版会、2008年、ISBN 4-815-80585-7)

関連項目


  1. 転送 Template:S-start


テンプレート:S-off |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
小川平吉 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 鉄道大臣
第8代:1929 - 1931 |style="width:30%"|次代:
原脩次郎 |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
小川平吉 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 司法大臣
第30代:1925 - 1927 |style="width:30%"|次代:
原嘉道 |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
南弘
山之内一次
小橋一太 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 内閣書記官長
第17代:1912 - 1913
第19代:1914 - 1916
第26代:1924 - 1925 |style="width:30%"|次代:
山之内一次
児玉秀雄
塚本清治

  1. 転送 Template:End

テンプレート:内閣官房長官 テンプレート:司法大臣

テンプレート:鉄道大臣
  1. 『官報』第1256号、大正5年10月6日。