李高宗

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テンプレート:基礎情報 ベトナムの君主 李高宗(りこうそう、Lý Cao Tông, 1173年 - 1210年、在位:1175年 - 1210年)は、李朝の第7代皇帝李龍翰

1175年、英宗が没したため、後を継いで即位した。李朝は高宗以前からすでに衰退を見せていたが、この高宗は国民に対して重税を強いるばかりか、賦役までかけて国民をさらに苦しめ、人心を完全に李朝から離反させてしまったのである。しかも、悪いときに悪いことは続くもので、この高宗の治世には天災も相次ぎ、それらの経緯による農民反乱が多発したのである。1209年には首都においても内乱が起こり、高宗は一時的に都を追われるという有様であった。

暗愚な高宗が即位し、その治世が長きにわたったことは、李朝の衰退を決定的なものとしたのである。

先代:
英宗
李朝皇帝
第7代:1175年 - 1210年
次代:
恵宗