日蓮宗

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日蓮宗(にちれんしゅう)とは、

  1. 仏教宗旨の一つ。法華宗とも称する。鎌倉時代中期日蓮によって興され、かつては(天台法華宗に対し)日蓮法華宗とも称したテンプレート:Sfn
  2. 仏教の宗派の一つ。
    1. 1872年(明治5年)、明治政府の宗教統制策である「一宗一管長」制に基づいて合同した日蓮門下の全門流の宗号。1874年(明治7年)日蓮宗日蓮宗一致派と日蓮宗日蓮宗勝劣派に分裂して解散。
    2. 1876年(明治9年)、日蓮宗一致派が公称を許された宗号。1941年(昭和16年)三派合同により解散。
    3. 現行の「宗教法人・日蓮宗」。1941年(昭和16年)三派合同により成立。身延山久遠寺(くおんじ)を総本山とする。

宗旨・日蓮宗の概要

開祖である日蓮の主要著作「立正安国論」のタイトルから類推して、国家主義的(ナショナリズム)傾向の強い教えと見る者がいる[1]。 本節ではこの宗派が解釈している鎌倉仏教の宗旨日蓮宗(法華宗)の宗祖日蓮の教えならびに分派の大要を紹介する。 テンプレート:節stub

教え

法華経(妙法蓮華経)を釈迦の正しい教えとして選び、「南無妙法蓮華経」という題目をとなえること(唱題)を重視テンプレート:Sfn。「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依する」の意であり、「題目」は経典の表題を唱えることに由来するテンプレート:Sfn

日蓮に対する天台教学の影響

日蓮は、天台の教観二門(教相門・止観門)を教学の大綱とし、

などは天台教学を踏襲するとともに、「法華経の行者」としての自覚と末法観を基調とした独自性を示したテンプレート:Sfn

末法観と法華経

日蓮は、鎌倉仏教の他の祖師たちと同様、鎌倉時代をすでに末法に入っている時代とみなしていた。 そして、法華経を、滅後末法の世に向けて説かれた経典とみなし、とりわけ「如来寿量品」を、在世の衆生に対してではなく、滅度後の衆生の救済を目的として説かれたものとみなした。そして法華経にとかれた

  • 久遠本仏の常住
  • 遣使還告の譬
  • 勧持品二十行の偈文

等を「末法悪世の相」を説いたものとみなした。そして当時の現実の世相(鎌倉幕府内部の権力闘争、天変地異、モンゴル帝国からの使者の到来、釈迦を第一に尊ばない阿弥陀信仰の盛行など)を、日本において法華経がないがしろにされてきた結果とみなした。 日蓮にとっては「末法における顛倒の衆生」、「末法重病の衆生」を済度しうる唯一最勝の良薬は「法華経」のみであった。「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と激しく他宗を攻撃する「四箇格言」は、法華経のみが末法において衆生を救済する唯一のおしえであり、他の教えは、かえって衆生を救済から遠ざけてしまう、という確信に基づくものであったテンプレート:Sfn

五綱教判

法華経を唯一の正法であり、時間空間を超越した絶対の真理とした日蓮は、教・機・時・国・序のいずれにおいても法華経が至高であるとする「五綱の教判」を立てたテンプレート:Sfn。つまり、「教」(教え)にはおいては、法華経のうち前半14章を迹門、後半14章を本門とし、本門こそ人びとを救済する法華経であるとし、「機」(素質能力)においては、末法に生きて素質や能力の低下した人間にふさわしい教えは法華経であり、「時」は末法であることから法華経が正法とされ、「国」は大乗仏教の流布した日本国にふさわしいのはやはり法華経、「序」(順序)は最後に流布するのは法華経本門の教えであるとしたテンプレート:Sfn。 「五綱の教判」のなかで、信仰における重要な契機として「時」(末法の世である現在)・「国」(日本国)を掲げるあり方から、こんにちでも、日蓮宗系の各宗派においては、他の宗派にはあまりみられない政治問題への積極的なかかわりがみられるテンプレート:Sfn

日蓮の一念三千

日蓮は、天台教学を「迹門の法華経」であり「理の一念三千」と呼んで、その思弁性・観念性を批判し、みずからの教えを本門として「事の一念三千」を説き、実践的・宗教的であらねばならないとしたテンプレート:Sfn。日蓮はまた、法(真理)をよりどころとすべきであって、人(権力)をよりどころとしてはならないと説いた。かれは、仏法と王法が一致する王仏冥合を理想とし、正しい法にもとづかなければ、正しい政治はおこなわれないと主張したのであるテンプレート:Sfn。また、王法(政治)の主体を天皇とし、天皇であっても仏法に背けば仏罰をこうむるとし、宗教上での天皇の権威を一切みとめない仏法絶対の立場に立ったテンプレート:Sfn

分派

思想面(本仏の位置付けテンプレート:Refnest妙法蓮華経の解釈[注釈 1])から、大別して3つの分派(門流)が成立した。

権力との距離という実践面[注釈 3]から、桃山時代末期より江戸時代にかけて

という区分も生じた。

宗派・日蓮宗の概要

中世・近世における自称は法華宗であり テンプレート:Sfn、ことに中世において日蓮宗は蔑称と捉えられる向きもあったテンプレート:Sfn

1872年(明治5年)成立の日蓮宗

近代では、1872年 (明治5年) 神道国教化を画策する明治政府の仏教統制政策下、教部省布達「一宗一管長」制に基づいて成立した教団を端緒とする[注釈 4]。これには、一致派の身延門流、比企谷門流、中山門流、日昭門流、四条門流、六条門流などの他、勝劣派全門流が合同。初代管長には顕日琳 (勝劣派・陣門流)が就任した テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。この時、新居日薩(1874年(明治7年)、身延山久遠寺73世、日蓮宗一致派初代管長[2])らの活動で、身延山久遠寺(山梨・身延門流)、長栄山本門寺(東京池上・比企谷門流)、正中山法華経寺(千葉・中山門流)、具足山妙顕寺(京都・四条門流)、大光山本圀寺(京都・六条門流)、妙塔山妙満寺(京都・什門流)、長久山本成寺(越後・陣門流)を七大本山とする制度を実施した。しかし、これに京都要法寺を始めとする興門派及び八品派[注釈 5]や一致派本山から異論が噴出する。教部省に訴えた結果、七本山の企ては頓挫し[注釈 6]、管長は一致派・勝劣派に拘らない年番交代となった。

その後1874年 (明治7年) 3月、神道国教化政策をささえた国体神学の後退[3]や教義の違いから日蓮宗一致派日蓮宗勝劣派に分裂、管長も各派別におくこととなる[4]テンプレート:Sfn。前者は一致派全門流の合同教団となり、身延山久遠寺の新居日薩が初代管長に就任。後者は勝劣派全門流五派の合同教団となるが、初代管長については、京都要法寺の釈日貫 テンプレート:Harv と八品派の釈日実 テンプレート:Harv の二説がある。 テンプレート:See

1876年(明治9年)成立の日蓮宗

1875年(明治8年) 3月、 日蓮宗一致派は派名廃止を政府に求め、 単称日蓮宗 への変更を請願した。 しかし政府も勝劣派等との関連を考え一度は退けたが、 再三にわたる働きかけのため、 やむなく1876年 (明治9年) 2月、 承認した。 一方、 勝劣派では政府の措置に異論を唱え、 一時は日蓮宗と公称する許可を得たが、 行政上の混乱を避けるため、 勝劣派各派の管長別置による分立許可という条件により解決した。テンプレート:Sfnテンプレート:See

宗教法人・日蓮宗

概要

身延山久遠寺を総本山とし、宗務院を池上本門寺(東京都大田区池上)に置く日蓮系諸宗派中の最大宗派。中世期に成立していた門流の多くと、思想的潮流の相当部分を包含する。祖山1(総本山)、霊跡寺院14(大本山7、本山7)、由緒寺院42(本山42)、寺院数5,200ヶ寺、直系信徒330万人。

なお、日什門流・日興門流は、門流に所属する寺院の一部が日蓮宗に帰属している[注釈 7]。詳細は日蓮宗什師会興統法縁会を参照。

1941年(昭和16年)

日蓮宗、顕本法華宗(日什門流)、本門宗(日興門流)が、対等の立場で合併(三派合同)して発足。

1946年(昭和21年)

大本山法華経寺と一部の末寺が離脱し、「中山妙宗」を立ち上げる。
讃岐本門寺が離脱し、日蓮正宗に合流。

1947年(昭和22年)

妙満寺と旧末寺のうち200ヶ寺が離脱し、顕本法華宗をあらためて組織(合同の維持を主張した旧4ヶ本山と末寺180ヶ寺については日蓮宗什師会を参照)

1949年(昭和24年)

真言宗智山派清澄寺、日蓮宗に改宗。

1950年(昭和25年)

要法寺と末寺50ケ寺が離脱し、「日蓮本宗」を立ち上げる(日蓮宗にとどまった要法寺の旧末寺30ヶ寺は日蓮宗内部で興統法縁会(1941年発足)にとどまり、島根尊門会を組織。
下条妙蓮寺が旧末寺6ヶ寺とともに離脱し、日蓮正宗に合流。

1954年(昭和29年)

最上稲荷妙教寺が離脱し、「最上稲荷教」を立ち上げる。

1957年(昭和32年)

法華宗陣門流大久寺(小田原市)、日蓮宗に改宗。
西山本門寺と旧塔頭末寺の一部と共に離脱し、単立となる。
日向定善寺が離脱し、日蓮正宗に合流。
保田妙本寺が旧末寺4ヶ寺とともに離脱し、日蓮正宗に合流(のちに単立)。
宮崎県の日郷門流寺院が離脱し、「大日蓮宗」を立ち上げる。

1959年(昭和34年)

本派日蓮宗寂光寺(大津市)、日蓮宗に改宗。

1960年(昭和35年)

下条妙蓮寺旧末寺(忠正寺)が離脱し、日蓮正宗に合流。
妙見宗安国寺(宝塚市)、日蓮宗に改宗。

1964年(昭和39年)

法華宗本門流上行寺(富士吉田市)、日蓮宗に改宗。

1965年(昭和40年)

日蓮教団妙栄寺(大阪市)、日蓮宗に改宗。
妙法日慎宗日慎院(奈良県吉野郡吉野町)、日蓮宗に改宗。

1968年(昭和43年)

法華宗真門流本告寺(舞鶴市)、日蓮宗に改宗。

1972年(昭和47年)

中山妙宗が解散し、法華経寺他19ケ寺が日蓮宗に復帰。単立寺院になった宝晃寺(台東区)、正中山奥之院(市川市)、雄瀧弁天堂(山梨県南巨摩郡早川町)ものちに日蓮宗に復帰した。
本派日蓮宗妙蓮寺(大阪市)、日蓮宗に改宗。

1975年(昭和50年)

法華宗真門流最然寺(京都市)、日蓮宗に改宗。

1981年(昭和56年)

法華宗真門流恵光寺(大阪市)、日蓮宗に改宗。
日蓮宗最上教妙仙寺(宮若市)、日蓮宗に改宗。

1984年(昭和59年)

妙法宗護法寺(橿原市)、日蓮宗に改宗。

1986年(昭和61年)

本山修験宗長徳寺(南丹市)、日蓮宗に改宗。

1989年(平成元年)

大日蓮宗が解散し、日蓮宗に復帰。

2009年(平成21年)

最上稲荷教が解散し、妙教寺他8ケ寺が日蓮宗に復帰。

2014年(平成26年)

法華宗真門流日照寺(泉南市)、日蓮宗に改宗。

主要寺院

現在の日蓮宗宗制では寺院は祖山、霊跡寺院、由緒寺院、一般寺院に分けられている。江戸時代本末制度に始まる寺格は昭和16年の本末解体で消滅し実態はないが、日蓮宗宗制では総本山・大本山・本山の称号を用いることができると規定されている。

祖山は日蓮の遺言に従い遺骨が埋葬された祖廟がある身延山久遠寺(日蓮棲神の霊山とされる)で、貫首法主と称する。霊跡寺院は日蓮一代の重要な事跡、由緒寺院は宗門史上顕著な沿革のある寺院で、住職(法律上の代表役員)を貫首と称する[注釈 8]

祖山、霊跡寺院、由緒寺院は「日蓮宗全国本山会」を組織している。総裁は身延山久遠寺内野日總法主、会長は飯田本興寺浅井日彰貫首、事務局長は北野立本寺上田日瑞貫首。

本山妙教寺は平成21年7月に一般寺院として日蓮宗に帰一したが、客員として長らく日蓮宗全国本山会に参加している為、その他本山としてあげておく。

祖山

霊跡寺院

由緒寺院

その他

法華寺院巡り

三派合同時の本山

昭和16年三派(旧日蓮宗、旧顕本法華宗、旧本門宗)合同時の本山は以下の通り

旧日蓮宗44本山(総本山1、大本山4、本山39)、1御由緒寺院
  • 総本山身延山久遠寺(現在:日蓮宗総本山)
  • 大本山正中山法華経寺(現在:日蓮宗大本山)
  • 大本山長栄山本門寺(現在:日蓮宗大本山)
  • 大本山具足山妙顕寺(現在:日蓮宗大本山)
  • 大本山大光山本圀寺(現在:日蓮宗大本山)
  • 本山光明山孝勝寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山靖定山久昌寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山開本山妙顕寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山小湊山誕生寺(現在:日蓮宗大本山)
  • 本山小松原山鏡忍寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山広栄山妙覚寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山常在山藻原寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山妙高山正法寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山正東山日本寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山長崇山妙興寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山真間山弘法寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山長谷山本土寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山長興山妙本寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山寂光山龍口寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山明星山妙純寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山海光山佛現寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山岩本山実相寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山経王山妙法華寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山大成山本立寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山龍水山海長寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山貞松山蓮永寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山青龍山本覚寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山徳栄山妙法寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山大野山本遠寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山法王山妙法寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山塚原山根本寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山妙法華山妙照寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山蓮華王山妙宣寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山金栄山妙成寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山法鏡山妙伝寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山聞法山頂妙寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山叡昌山本法寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山広布山本満寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山具足山妙覚寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山具足山立本寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山広普山妙國寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山白雲山報恩寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山自昌山国前寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山松尾山光勝寺(現在:日蓮宗本山)
  • 御由緒寺院瑞龍寺(現在:村雲御所瑞龍寺)
旧顕本法華宗(総本山1、別格山8)
  • 総本山妙塔山妙満寺(現在:顕本法華宗総本山)
  • 別格山宝塔山妙法寺(現在:顕本法華宗別格山)
  • 別格山宝光山妙國寺(現在:日蓮宗本山)
  • 別格山鳳凰山天妙國寺(現在:顕本法華宗別格山)
  • 別格山経王山本光寺(現在:単立)
  • 別格山法華山本興寺(現在:日蓮宗本山)
  • 別格山本立山玄妙寺(現在:日蓮宗本山)
  • 別格山延兼山妙立寺(現在:日蓮宗本山)
  • 別格山妙泉山寂光寺(現在:顕本法華宗別格山)
旧本門宗(大本山7)

宗務院

東京都大田区池上1-32-15、本門寺敷地内に所在する。

内局

日蓮宗の行政府。現在の内局は以下の通り。

  • 宗務総長:小林順光(宗会議員)
  • 伝道局長:齊藤憲一(宗会議員)
  • 総務局長:塩田望巳(宗会議員)
  • 伝道部長:吉田見悠(宗会議員)
  • 教務部長:田中文教
  • 総務部長:風間随修(宗会議員)
  • 財務部長:中川法政(宗会議員)
  • 宗務総長室長:小林正雄(宗会議員)
  • 日蓮宗現代宗教研究所所長:三原正資
  • 参与(什師会):山口裕光(台東区妙経寺住職)
  • 参与(興統会):吉田海心(延岡市本東寺住職)

宗会

日蓮宗の立法府。選挙区選出の43名に参与推薦の2名をくわえた45名で構成されている。会派として同心会、明和会がある。現在の宗会議員は以下の通り。選挙区、氏名、住職寺院、会派の順。

  • 第1区(東京東部)、小林順光、葛飾区妙源寺、同心会
  • 第2区(東京西部)、池田順覚、世田谷区玉川寺、同心会
  • 第3区(東京南部)、生駒雅幸、大田区安立院、同心会
  • 第4区(東京北部)、吉田見悠、台東区妙雲寺、同心会
  • 第5区(神奈川1部)、柳下俊明、横浜市妙蓮寺、同心会
  • 第6区(神奈川2部)、関本城、藤沢市法善寺、同心会
  • 第7区(神奈川3部)、小林正雄、小田原市大久寺、同心会
  • 第8区(千葉東部)、長谷川雄一、匝瑳市朗生寺、同心会
  • 第9区(千葉西部)、大塩孝信、市原市正蓮寺、同心会
  • 第10区(千葉南部)、塩崎望巳、勝浦市法蓮寺、同心会
  • 第11区(千葉北部)、渡辺照敏、市川市法蓮寺、同心会
  • 第12区(埼玉、群馬)、松永慈弘、川口市實相寺、同心会
  • 第13区(茨城、栃木)、植木英明、水戸市妙徳寺、同心会
  • 第14区(山梨1部)、佐々木延雄、身延町山之坊、明和会
  • 第15区(山梨2、3部)、望月義仁、韮崎市大蓮寺、同心会
  • 第16区(山梨4部)、川久保光隆、笛吹市定林寺、明和会
  • 第17区(静岡東部)、松井大英、下田市了仙寺、同心会
  • 第18区(静岡中、西部)、大場正昭、藤枝市大慶寺、明和会
  • 第18区(静岡中、西部)、落合良孝、浜松市法雲寺、明和会
  • 第19区(長野、岐阜)、堀智仙、岐阜市妙照寺、明和会
  • 第20区(愛知名古屋、三河)、光岡潮慶、名古屋市栄立寺、明和会
  • 第21区(愛知尾張、三重)、高津憲周、名張市妙典寺、明和会
  • 第22区(新潟東、西、北部)、齋藤憲一、柏崎市東城寺、明和会
  • 第23区(富山、石川1、2部)、栗原啓允、高岡市大法寺、明和会
  • 第24区(福井中、南、北部)、木村吉孝、敦賀市妙顕寺、同心会
  • 第25区(京都1、2部)、風間随修、京都市妙栄寺、明和会
  • 第25区(京都1、2部)、藤田尚哉、京都市勝光寺、同心会
  • 第26区(大阪市)、中川法政、四条畷市如在寺、同心会
  • 第27区(大阪和泉、三島、豊能)、石原直行、能勢町安穏寺、明和会
  • 第28区(滋賀、奈良、和歌山)、田中恵紳、和歌山県蓮心寺、明和会
  • 第29区(兵庫東、西、北部)、川口久雄、神戸市護国寺、明和会
  • 第30区(岡山)、北山孝治、岡山市妙楽寺、明和会
  • 第31区(広島、山口)、渡部康国、広島市本覚寺、同心会
  • 第32区(島根、鳥取)、山田光映、鳥取市本浄寺、明和会
  • 第33区(四国四県)、中臣泰斎、松山市法華寺、明和会
  • 第34区(福岡)、佐野前延、うきは市本佛寺、明和会
  • 第35区(熊本)、塩田義徹、熊本市正立寺、明和会
  • 第36区(佐賀、長崎、大分、宮崎、鹿児島、沖縄)、池田弁岳、島原市光伝寺、明和会
  • 第36区(佐賀、長崎、大分、宮崎、鹿児島、沖縄)、松野蓮香、日南市白蓮寺、明和会
  • 第37区(福島、宮城、山形)、畑栄明、山形市浄光寺、同心会
  • 第38区(岩手、秋田、青森)、西山是文、遠野市智恩寺、同心会
  • 第39区(北海道全区)、内山智洋、帯広市法華寺、明和会
  • 第39区(北海道全区)、佐藤光則、札幌市日登寺、同心会
  • 参与推薦(什師会)、渡邊義生、千葉市長胤寺、同心会
  • 参与推薦(興統会)、保田義彰、沼津市本能寺、同心会

大学

研究機関

布教機関・新聞社

病院

  • 身延山病院[4]
  • 立正診療院

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

関連項目

法華経

宗祖日蓮と教団をめぐる人々

教義と門流

一致勝劣
受施
弟子門流

門流

法縁(法脈、法類)

日蓮宗檀林の指導的学僧(僧名「日○」)や地名に由来するいわゆる学閥。各檀林で下記の法縁が発生している。尚、一部の法縁は複数の檀林に分かれている。

  • 三昧堂檀林:水戸法縁
  • 飯高檀林:脱師法縁、潮師法縁、通師法縁、池上法縁、堺法縁
  • 中村檀林:達師法縁、親師法縁(精師法縁、貞師法縁)、境師法縁、奠師法縁、要師法縁、莚師法縁
  • 小西檀林:小西法縁
  • 野呂檀林:合師法縁
  • 西谷檀林:鏡師法縁
  • 東山檀林:達師法縁、親師法縁(精師法縁、貞師法縁)、奠師法縁、莚師法縁
  • 鷹ヶ峰檀林:親師法縁(精師法縁、貞師法縁)
  • 松ヶ崎檀林:生師法縁
  • 山科檀林:勇師法縁
  • 鶏冠井(かいで)檀林:奠師法縁、莚師法縁
  • 宮谷檀林:什師法縁(日蓮宗什師会)各法脈(禹師寮法縁、迂師寮法縁、清師寮法縁、乗師寮法縁、宏師寮法縁、饒師寮法縁、厳師寮法縁等)
  • 細草檀林:江戸寛永期より明治初頭まで。興統法縁各法脈。現在、興統法縁の寺院は日蓮宗(本山3ヶ寺)・日蓮正宗(本山2ヶ寺)・日蓮本宗(本山1ヶ寺)、単立(本山2ヶ寺)などに分かれている。細草檀林跡の法雲山遠霑寺は現在日蓮正宗寺院。

日蓮聖人門下連合会

現在、下記11団体が加盟している。

法具

政治・社会との関わり

外部リンク

  • 中村 元、「東洋人の思惟方法」ウィリアム・ウッダード、「天皇と神道 GHQの宗教政策」、1988年、サイマル出版会、238ページ、Alan Macfarlane,アラン・マクファーレン,Japan Through the Looking Glass,2007,Profile Books,page199、G.B.Sansom,Japan : A Short Cultural History,1931 first published,Stanford University Press,1978,page334
  • テンプレート:Cite web
  • 「神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈」安丸良夫テンプレート:要ページ番号
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