塩屋秋貞
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塩屋 秋貞(しおや あきさだ、1521年(大永元年) - 1583年4月24日(天正11年3月3日))は、戦国時代後期、飛騨の土豪。筑前守を称した。
飛騨国大野郡の豪族。塩屋氏は元は塩の物流を支配する商人だったという(三木自綱が彼に借金をした文書も残っており、相当な財力を有した商人であった事が窺える)。 1564年(永禄7年)、武田氏の家臣・山県昌景に尾崎城を攻められて敗退。蛤城(岐阜県吉城郡)に移った。 その後は上杉方となり、上杉謙信の越中・飛騨侵攻戦で謙信の目代(代理人)を務め、江馬輝盛、内ヶ島氏理、三木自綱らを支配下に置いたこともある。 謙信の死後は織田信長を頼る。本能寺の変後は佐々成政に属し、1583年(天正11年)、越中の土豪である城生城主・斎藤信利との戦いで討ち死にしたとされるが、死亡時期については諸説ある。