伊号第一五二潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2012年12月1日 (土) 11:24時点における曾禰越後守 (トーク)による版 (加筆)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索
伊号第五二潜水艦
艦歴
計画 1919年度(八六艦隊案)
起工 1922年2月14日
進水 1923年6月12日
就役 1925年5月20日竣工
除籍 1942年8月1日
その後 戦後解体
性能諸元
排水量 基準:1,390トン 常備:1,500トン
水中:2,500トン
全長 100.85m
全幅 7.64m
吃水 5.14m
機関 ズルツァー式3号ディーゼル2基2軸
水上:6,800馬力
水中:1,800馬力
速力 水上:21.5kt
水中:7.7kt[1]
航続距離 水上:10ktで10,000海里
水中:4ktで100海里
燃料 重油:284.5t
乗員 58名
兵装 45口径12cm単装砲1門
8cm単装高角砲1門
53cm魚雷発射管 艦首6門、艦尾2門
魚雷16本
Kチューブ
備考 安全潜航深度:45.7m

伊号第一五二潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうにせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦。艦級は海大2型で同型艦はない。1925年に竣工。竣工時は伊号第五二潜水艦(初代)という名称であったが1942年に改称され伊号第一五二潜水艦と称した。実戦に投入されることなく老朽化のために1942年8月1日に除籍。

概要

本艦(海大2型)は海大1型伊号第五一潜水艦 [I])と同じく八六艦隊案で計画された。計画番号S25。伊51から約1年遅れた1925年(大正14年)5月20日に呉海軍工廠で竣工。呉鎮守府籍となる。

計画当初の艦名は第五一潜水艦であったが、建造途中の1924年(大正13年)11月1日に伊号第五二潜水艦と改名された。

本艦の主機はズルツァー社に依頼していた大出力ディーゼル機関(3,400馬力)が完成したためそれを搭載した。そのため主機は2基(伊51は1,300馬力ディーゼル4基)となり、船殻は通常の円形断面となった(伊51はめがね型)。また速力を増すため船体はより細長い形状となった。公試では速力21.5ノットを記録したが、新型機関は故障が多く、実用では19.5ノットがせいいっぱいであった。

兵装は12cm砲の他に8cm高角砲1門を装備したとされる。昭和に入り留式7.7mm機銃1挺と交換されたらしい。またケルビン式探信儀を装備したと言われる。[2]

本艦は1隻のみの建造で同型艦はなく試験的な艦であった。後に本艦を改良した伊一五三型潜水艦(海大3型a)および伊一五六型潜水艦(海大3型b)が量産された。

1939年(昭和14年)2月1日に舞鶴鎮守府籍となる。太平洋戦争開戦時には老朽のため専ら練習潜水艦として使用されていた。1942年(昭和17年)5月20日伊号第一五二潜水艦と改称するが直後の8月1日に除籍された。その後は呉港に係留されたまま海軍潜水学校の練習艦として使用され、戦後に旧呉海軍工廠1946年(昭和21年)から1948年(昭和23年)にかけて解体された。

艦長

  • (心得)松野省三 少佐:1924年9月12日 - 1925年12月1日
  • 樋口修一郎 少佐:1925年12月1日 - 1927年12月1日
  • 駒沢克己 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
  • 福沢常吉 少佐:1929年11月30日 - 1930年12月1日
  • 藤井明義 少佐:1937年11月15日 - 1938年12月15日

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0462-8

脚注

  1. データは『写真 日本の軍艦 第12巻 』より。要目一覧では水上速力20.1ノットとなっているが、「公試で21.5ノットを記録した」ことが2回、別ページで別の著作者がそれぞれ言及しているのでこちらの値を採った。
  2. この項は『写真 日本の軍艦 第12巻』p54の記述による。

関連項目

テンプレート:- テンプレート:日本の一等潜水艦 テンプレート:海大