一木喜徳郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年1月17日 (金) 15:44時点におけるJuqipedia (トーク)による版 (外部リンク)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Ambox-mini テンプレート:政治家 一木 喜德郞(いちき きとくろう、慶応3年4月4日1867年5月7日) - 昭和19年(1944年12月17日)は、日本内務官僚法学者公法学)、政治家勲等大勲位爵位男爵文部大臣内務大臣宮内大臣枢密院議長などを歴任した。

概要

ファイル:Ichiki Kitokurō.jpg
1899年当時の一木

遠江国佐野郡倉真村(現在の静岡県掛川市)にて、岡田良一郎の二男として生まれた。

冀北学舎に学び、兄の良平が東京府第一中学を経て大学予備門に在学しているのに触発され上京し、成立学舎に入学した。同期に町田忠治らが、教師には当時大学生(帝大生)であった有賀長雄山田喜之助らがいた。大学予備門には良平のアドバイスに従い最低級の三年級ではなく一級上の二年級から入った。同期に林権助ら。その後、帝国大学文科大学にあった政治科に入学。明治20年(1887年)に帝国大学法科大学(現・東京大学法学部)卒業。同年、内務省に入省。明治23年(1890年)、ドイツに留学して行政法を学ぶ[1]

明治27年(1894年)、帰国して帝国大学法科大学教授となり、明治39年(1906年)に帝国学士院会員となる。明治33年(1900年)9月26日、貴族院勅選議員[2](- 1917年8月[3])。明治35年(1902年)に法制局長官大正3年(1914年)に第2次大隈内閣文部大臣、翌年内務大臣。大正14年(1925年)、宮内大臣。昭和8年(1933年)、男爵に叙爵。昭和9年(1934年)、枢密院議長。

枢密院議長在任中、天皇機関説の提唱者として弟子である美濃部達吉とともに非難される。一木との政治抗争にあった平沼騏一郎の政略であったとも云われている。昭和11年(1936年)の二・二六事件内大臣斎藤実が殺害されると、後任が決定するまでの1日間のみ内大臣を務めている。なお事件中は宮中において昭和天皇の相談相手を務め、事件終息に尽力した。

旧制武蔵高等学校の初代校長、社団法人大日本報徳社社長も勤めた。

家族・親族

一木の実家の岡田家は、政治家や学者を輩出する一族として知られる。一木の父は報徳思想の啓蒙に努めた衆議院議員岡田良一郎であり、京都帝国大学総長や文部大臣を歴任した岡田良平である。一木の実子には、検事の一木輏太郎、行政法学者の杉村章三郎がいる。また、輏太郎の長男充は松下電器のシステム推進部長であったが日本航空123便墜落事故の犠牲者となった。一木の実弟で母の実家・竹山家の養子となった純平の息子には、東京大学教養学部で教授を務めた小説家竹山道雄、元建設省官僚、東京都立大学、日本女子大学教授で建築構造学の重鎮であった竹山謙三郎がいる。山梨大学教育学部教授の竹山護夫、東京大学名誉教授平川祐弘は、一木の姪孫にあたる。

猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)イ一六二頁によれば、

  • 妻・さへ(養父喜三司の長女)
  • 嗣子・輏太郎
  • 二男・隩二郎
同妻・ミドリ(渋谷徳三郎の五女)

栄典

主要著作

  • 『日本法令予算論』(信山社出版/大学図書、1996年) ISBN 4882617641
  • 『議会革新論』
  • 『帝国憲法要略』
  • 『市町村制史稿』
  • 『国法学』
  • 『行政法学』

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク


  1. 転送 Template:S-start


テンプレート:S-off |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
奥田義人
岡野敬次郎 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 法制局長官
第10代:1902年9月26日 - 1906年1月13日
第14代:1912年12月21日 - 1913年2月20日 |style="width:30%"|次代:
岡野敬次郎
岡野敬次郎 |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
吉原三郎 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 内務次官
第15代:1908年7月20日 - 1911年9月4日 |style="width:30%"|次代:
床次竹二郎 |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
大岡育造 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 文部大臣
第30代:1914年4月16日 - 1915年8月10日 |style="width:30%"|次代:
高田早苗 |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
大隈重信
(首相兼任) |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 内務大臣
第33代:1915年8月10日 - 1916年10月9日 |style="width:30%"|次代:
後藤新平 |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
倉富勇三郎 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 枢密院議長
第16代:1934年5月3日 - 1936年3月13日 |style="width:30%"|次代:
平沼騏一郎

  1. 転送 Template:End

テンプレート:文部科学大臣 テンプレート:内務大臣 テンプレート:内閣法制局長官 テンプレート:宮内庁長官

テンプレート:皇典講究所総裁
  1. 『一木先生回顧録』(河井彌八発行、1954年12月10日) P5 ~
  2. 『官報』第5174号、明治33年9月28日。
  3. 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年、97頁。